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子どもにとって時間の概念はどんな感じなのだろう。僕もすぐに教えなきゃとは思わないのでほったらかし。それでも、嫁と僕の会話にはそこかしこに時間を表現する言葉が登場するので、それを聞いているあすかも何となく分かってきているような気がする。大人の行動って時間に縛られていて、子どもは時間なんて関係なし。だから、「晩御飯の時間だから、帰ろうね」「いやだ」「もう寝る時間だよ」「まだあそぶ~」と衝突してしまうのもイタシカタない。さて、何となく分かっているのではと僕が思うあすかの時間に関する言葉。『だいぶまえ』昨日を含めて過去のことは全てこの言葉。あすかに言われても、過去のこと言っていると分かるので問題ないけど、『きょうのあさ』これは解釈できるまで、ちょっと困った。夕方に「きょうのあさ、おでかけするの」と聞いてくるあすかに、「今日の朝は保育園だったでしょ」と答えると、「ちがうよ、きょうのあさ。」「もしかして、明日の朝のこと?」「うん、そうだよ。よるねたら、きょうのあさだよ」どうも次の朝を指すらしい。せっかくの機会なので、「今日の朝は明日っていうんだよ」「ううん。きょうのあさはきょうのあさだよ」「いや、だから明日だって。」「ふーん、そう。」・・・軽く流されてちょっとがっかり。
2006.01.10
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叔父の葬儀が火葬場の都合で明後日になり少しばかり余裕が出来ました。嫁のお母さん、自分の叔父さんの死を通じて何となく感じたこと。【人は生きるために生きる。】人間は死ぬために生き続ける(だれだっけ?)死は生の対極ではなく一部として存在する(村上春樹だったかな)とか、生の先に死があるとか生と死を関連付けて考えていたけど実際の亡骸に触れて、死は生とは別の局面であって生の終わりは物でしかないのではと思える。生きている物が『生物』であって、生を失った物は『物』でしかない。こんな考え方、極論かも知れないけど、新品の棺おけに収められた叔父の亡骸にお線香をあげているその後ろで、棺おけを梱包していたダンボールを片付けてる葬儀屋を見て死の世界、来世、霊的なものなど神秘的なイマジネーションがぶっ飛びリアリティだけが、そこに存在していたのも確かです。だから【人は生きるために生きる。】そう思いたいです。さて、本題(前置き長いですね。)あすかによると死んだら黄泉の国にも地獄にも天国にもいかない。(というか、そんな存在知らないだけ)死んだら、昼間は雲に、夜は星になる。そうです。何か良くないですか?今日も実家に向かう車の中で「あ、あれアカバァ(嫁のお母さんの呼び名)の雲だよ」「ほほぅ」「ほらほら、だってブタさんみたいに見えるよ」あらららら。。。。嫁のお母さんは生前、決してブタさんみたいではありません。アシカラズ。もうすぐ3才あすかだけに分かっているんだかいないんだか。。。
2006.01.09
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お正月も過ぎ、ようやく嫁の周囲も落ち着いてきたのでこのサイトも復活しようかなっと。トップページデザイン変更して心機一転。日々の更新を目標に・・・・。と思った矢先、今度は叔父さん(僕の方)が息を引き取ったとの知らせが!!・・・・・。何だか、悲しいというよりも(まぁ、自分が引越して叔父さんと最近会わなかったこともあるけど)これから大変だぁ~という感じで、またしてもバタバタです。何故か?嫁のお母さんの時は嫁のお父さんが単身赴任で九州にいたことと深夜に亡くなったことで、すぐに戻れず僕、嫁、嫁の弟で葬儀屋と話したり、関係する方々にご連絡したりと非常に忙しかったので、そのときの感覚がまたしてもよみがえり、悲しんでいられないんだなぁ。また、叔父さんに家族がいないため、僕の父親が喪主です。なので、また葬儀の準備に関わるわけです。明日、自分の実家へ向かうので実際に叔父さんの顔を見たら、感傷的になるとは思うけど「うわーどうしよう!!」とバタバタなわけです。せっかく落ち着いてきてこれから2人目の出産(予定日28日だよ、トホホ)に気持ちを持っていこうと思ったら、やれやれ、思い通りにはいかないものです。ちなみに2人目の名前も思い通りにいってません(姓名判断のばかぁ~)。結局、この日記、次の更新はいつになるんだろう・・・。心配事がつきません。ともあれ、今年もよろしくお願いします。
2006.01.08
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