2010年07月20日
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図書館で、面白そうな本を見つけました。

『大正時代の身の上相談』 (笑)。

大正時代の善男善女の相談事を、
新聞紙上で記者さんが答えてくれる、というものです。

「芸者になるには声が悪い」「妻が処女でなかった」
「お尻の大きい少年の僕」「何不自由ない暮らしだが空しい」―。

どうかと思うような悩みや、深刻な悩みが時代を映し出し、
つい現代のわが身を省みる…というもので、
それに対する記者さんの答えも見ものです(笑)。



「お悩み
 私は、仁とか博愛とか慈悲とかいう宗教的観念に
 捕らわれているのでもないのですが、
 しかし、この宇宙を唯心的に解そうとすると、
 自然、魚鳥を喰い牛馬を使役することに、
 大いなる矛盾を見つけます。

 この疑問に少なからず煩悶しています。
 明快なるご教示を願います(煩悶生)」

※唯心的…物質主義への反発から、精神的なものを尊ぶ考え方

…お悩みも、なんだか格調高いですね!
仏教でも、「殺生はいけない」と言っていますし、

肉や魚を避けるようにと言うところも多いです。

それに対する、記者さんのお答えは…。

「お答え
 宇宙を唯心的に見れば、魚鳥だけでなく草木にもまた
 心があるのですから、野菜を喰うことも残酷な業だといえます。


 それゆえに唯心的宇宙観も、そう神経質になってはおしまいです。
 万象は、互いに犠牲的生涯を送るところに大いなる意義が
 あるのではないでしょうか。

 魚鳥も牛馬も草木も、人間の犠牲になって、
 宇宙の最高目的を実現するためのいくらかの手段となれば
 満足だろうと思います。

 しかし、人間がこれらのものに対するときは、
 できるだけ慈悲の心を持つべきだと思います」

いかがでしょうか~?

「魚鳥だけでなく草木にもまた心があるのですから、
 野菜を喰うことも残酷な業だといえます」

いやはや、そうなんですよね。

人は、何であれ、生き物の命をいただかなくては
生きてはいけないのです。

そう思うと、どんな形であれ提供された食べ物は、
ありがたく美味しく感謝していただくこと。

そして自分の血肉とさせていただいて、
元気をもらったら、
自分にできることを周りにしていくこと。

それが命を譲ってくれた生き物たちへの
恩返しになるのではないかと私は思っています。

「命を犠牲にして申し訳ない」と思うこともできますが、
「命を犠牲にしてくれたから、応えよう」と意識したら、
自分のやる気や意欲にも影響すると思うんですよね。

人は、自然を変え、生き物を飼育してまで、
たくさんの命を消費させていただいています。

だからこそ、それに応えるべく、自分らしく幸せに、
喜びを自分にも周りにも生まれさせるよう生きていこうとするのは、
人としての義務ではないかと、私は密かに思っています(笑)。

もちろん、過剰に食べたり、無駄にしてしまうことがないようにする、
慈悲の心も大切ですね。


あともう一つ「ほぅ~」と思ったのが、
転職を繰り返す22歳の男性のお悩みへのお答え。

「昔あるところに、一人の石切り職人がいました。
 毎日コツコツ鑿(のみ)で石を切っていますと、
 立派なりをした人がうらやましくてなりませんでした。

 そこで、石切り職人は何事も自由に贅沢できるお殿様になりました。
 ある日、このお殿様が猟に出ました。
 すると雪雲が出て猟ができませんでした。
 このお殿様は、自分より雲が偉いと思い、
 今度は雲となって自分の威力を示していました。

 けれども雲は太陽に勝てませんでした。
 ところが、この太陽も道に横たわっている石の像には
 かなわなかったので、ついに石になりました。

 ところが石は、毎日石切り職人にコツコツ鑿で切られなければ
 いけなかったので、結局もとの石切り職人に還俗して、
 真面目に暮らしました…という話が、
 千葉の田舎に伝説として残っています。

 こういう話を聞いて、あなたは何と思いますか。
 迷えば、三千世界を彷徨しても足りませんが、
 覚悟をすれば今すぐにでも自分の暮らしを見出すことができましょう」

いや~、例え話まで出てきましたよ!(笑)

「覚悟をすれば今すぐにでも自分の暮らしを見出すことができましょう」

確かに、今の「ない」でなく「ある」を見つけて、
それに打ち込めば、どんなことでも面白くなるでしょうね。

でも、いろいろなことをやってみるのも、
これはこれでいい経験になるのでしょう。

ちなみに、「三千世界」とは、仏教用語でいうところの
「10億個の須弥山世界が集まった空間」。

つまり「全宇宙」ということですね。

江戸の末期、

「三千世界の烏(からす)を殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい」

という、「主を取り巻く世間の些事から開放させて、
ゆっくりと過ごしたい・帰したくない」という妓女の願いを歌った
都都逸(どどいつ)が流行ったそうです。

ちなみに高杉晋作の作だそうですよ。

こうしてみると、大正時代は、今よりもずっと、
仏教観が日常に浸透していたのでしょうね。

そんなこんなで、「人の不幸は蜜の味」?(笑)

人生相談を読んでみるのも、なかなか楽しいものです。



「人の不幸は蜜の味!」と思う方は、押してみてくださ~い!↓
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最終更新日  2010年07月20日 07時17分59秒
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