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昨日の日記を書いて、その夜。偶然隣に座ったかたの実話。大手のサラリーマンで結構偉い人みたいです。普段は外で飲むことなくおうちに帰るそう。部下の方「そんなに犬ってかわいいんですかね?」本人「いや、犬と奥さんがかわいいんだよ!」その方はね、奥さんが大好きなんですって。で、朝は結構はりきってワクワクしながら会社に行くんだけど大体3時くらいになると、もうお家に帰りたくなってきて3時半くらいになると奥さんから「今日何時に帰ってくる?」ってメールが来てまっしぐらに帰っちゃうそうです。お家に帰ったらまず、リビングにねそべって、真ん中に犬が2匹。なでなでしながら今日のことをいろいろ話したり。それからお酒を持って、庭に出て月や星を見ながらゆっくり飲んでそれから最後に少しご飯を食べたりして・・・・「しあわせだよぉ^^」朝は早起きしてるんだけど、しばらくいちゃいちゃしちゃうんだそうです。で、はりきって会社。「だからね、仕事も好きだし楽しいし、オレ元気だから周りの人にも元気あげられるんだ。周りも幸せになっちゃうから、オレがまたみんなの幸せをちょっとづつ分けてもらっちゃうの。」私、本当にそういうのがいいと思っていたけどサラリーマンのかたはそういう生き方ってやっぱり難しいのかなと思っていました、と言うと「気持ちだよ。自分の気持ちの持ち方だよ、できるよ。だって、帰りたいんだもん、幸せだから^^」そしてその方の上司のお話を教えてくださいました。上司の方は定年が来て会社からは残ってほしいという意向があったそうですがその方は退職を決めました。そのわけを皆さんの前でお話しなさったそうです。そのわけは奥さまが「これからの人生は、もっとずっとあなた(ご主人)のそばであなたを見て暮らしたい」とおっしゃったからだそうです。私は、昨日の日記のお話しをしてみました。するとその方は、わかる気がする、とおっしゃって僕もね、自分がどんどん幸せになってそれをどんどん周りに伝えられるようになりたい。どこまでいけるかわかんないけど、これからだな。でもまず自分が幸せでいないとね^^この年末はいつになくあったかいな~
2006.12.29
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満足するということは、欠乏があったからするものだと本で読んだけど、本当だろうか?とその時思った。理屈では正しいけどそうかな。それは単に欲望への充足感のことだろう。私はヒプノセラピストになって、たくさんのセッションをさせていただき400を超える前世の立会人となったわけだけど、そこで驚くべき事実を目の当たりにした。以前にも日記に書いたことがあるけど最近そのことが心に浮かんで仕方がない。それはズバリ、人のこころが本当に満足し、幸せと感じる人生は2種類しかない、ということだ。ひとつめは、家族の愛に恵まれる(家族を愛する)こと。もうひとつは、神の(おおいなるのもの)愛に恵まれる(神を愛する)こと。(たまに、とても孤独に見える人生でもとても魂が満ち足りている場合があるのはこのパターン。)前世の物語は奇想天外、こんなにもバラエティーに富んでいるというのにその人生が最後に満ち足りるにはそのどちらかのパターンしかない。つまり、どんなに華やかなぱっとした人生を送ろうが偉業を成し遂げようがこの2パターンに当てはまらない人は必ず最期に悔いの思いを残している。このことは当時の私には驚きだった。この法則に気づいてからもしばらくは「単なる偶然だろう」と思っていた。けれど回を重ねれば重ねるほど、この法則は完璧に裏づけされていった。他のセラピストの統計を取ったことがないのでこれはあくまで私の世界での法則かもしれない。最近では、私がヒプノをやっているのは、このことを思い知るためだったんじゃないかと思うほどだ。だけど、考えれば考えるほどこのことは重要に感じられる。私は常日頃、パートナーシップは人間として最大のテーマだ、くらいに思っているんだけどふとあたりを見回すと、恋愛は生活のちょっとしたスパイス、くらいに扱われることも多い。ありえな~い!!と思うのだけど、なんでそんなに大切だと思うのかがわかった。だって、家族を作る柱がパートナーシップなんだもん。私はアダルトチルドレン(機能不全家族)に育ったからこそ愛が育つのにどれほど家族(両親)の愛が大切かがわかる。機能不全の家族から巣立って愛を体得するということはミラクルに等しいと思う。それは本当に、孤独で苦しい道のりだ。こころが引き裂かれる痛みが何十年も続く。空虚な無価値感に毎晩襲われ、幸運、や幸福、の世界に縁が感じられない。自分が円満な幸せを生きるということなんて、想像すらできないのだ。でも、今の私はそうではない。そうでなくなるまで、私はあきらめなかったし、向き合い続けてきたのだ。だからもし今、傷ついた幼い心に胸を痛めている方がいたらどうか幸せになることをあきらめないでください。すでに家族を作っている方もこれからの方もどうか、どうか、少し心を傾けてみてください。そしてもしそこに愛を感じられないならそれにはなにか理由があるはずです。愛を学ぶことのできるチャンスを存分に生かしてください。『この世でどれだけ多くのことを学ぼうと、愛を学ばないうちは何も学んだことにならない。』本当にすべての人の心が愛と平和で満たされることを願っています。
2006.12.27
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興味はあるんだけど、なにか病気を治されちゃうんだと思ってらっしゃる方、催眠術にかけられちゃう、またはかけられたい、と思っていらっしゃる方がまだまだ多いです。ヒプノセラピーは、自分の中身を知るためにものすごく強力で役に立つツールです。前世を体験するのにも使われています。子供の時のトラウマを発見し、受容、変容させる事にも役立ちます。なによりすごいと思うのは、本当の自分に出会えるということです。前世を知りたいと思っていらっしゃる方は昨今多いようです。知りたい、と感じる方はぜひ知ってください。他人から「あなたの前世は・・・」と言われるより自分で前世の人の思いを感じることは、予想以上に「受け取る」ものがあります。「僕は過去世はお坊さんだったんだって」のようにおっしゃる方は多いです。「前世で人を殺していたらどうしましょう?」と恐れてらっしゃる方も多い。でも、考えてみてください。人類の歴史を振り返って、争いのない時代があったでしょうか。壮絶な生存競争の歴史の中で、何度も何度も人間を体験してきた魂です。殺したり殺されたりしていないほうが不思議じゃないですか。と、私はいつも説明しています。自分だけが殺していないなんて考えることのほうが不思議です。たまたま自分が殺していなくても、集合意識の中にはたくさんの争いの想念が刻まれているはずです。実際手を下さなくたって、人の命の犠牲の上に自分の命を存続させたという意識は常に存在してきたでしょう。人間じゃなく、動物や虫だったこともあるかもしれません。蛇に丸呑みされたカエルだった記憶も、どこかに残されているかもしれません。・・・そんな風に意識を広げてみてください。すると、本当に、この地球で起こっていることすべては、自分と繋がっているし、関係がある。また、自分がどんな思いで生きるかが、この世界をかたち創っているのだということに気づくでしょう。そんな風に意識を拡大することの助けになるのなら前世を探求することにも重大な意義がある。ですから、今の時代、前世が流行しているのも人間が意識を拡大するための何かのきっかけとして起こっているのかもしれません。そして、最終的に前世はなかった、としてもいいんじゃないでしょうか。前世はなくても前世のように思い出せる機能とそこからメッセージを受け取れる機能を人間が持っているということは確かです。けれど、ヒプノセラピーの醍醐味はそんなもんではありません。みなさんは、ご自分を「こんな人」とある程度ご存知だと思います。ですが、そのように認識している部分が全体の10%だと知ったらどうでしょう。またはそれが全然見当はずれだとしたら。「私ってこんな性格」と思っているものは実は単に外界に対する反応に過ぎず本質とは別のものです。反応はクセを持っています。クセは後付けされたものです。年齢退行や過去世回帰して、そのクセがどこから来たかを知ることもできます。そして、後付けされたものをしっかり認識し分離することで元々の本質へとだんだんにせまることができます。それらの作業を、あたまでやるのではなく意識の深い部分で観じることがヒプノでは可能です。瞑想に熟達していればもちろん一人でできます。ヒプノは2人でする瞑想のようなものです。さらに問答形式なので、明確になりやすいのです。本質といわれてもそれがなんなんだと思われるかもしれませんが、人はみな本質の望むように生きれば幸せだし本質的には、すべては思うようになっています。ところが本質のニーズとあたまで考えるニーズが合致していなかったり本質を誤解しているので葛藤が起こり、悩み苦しみが始まるのです。自己分裂です。魂があっちへ行こうとしているのに足をそっちに動かしていてはいつまでも行きたいところへは行けません。当たり前です。タクシーに乗って、行き先を告げずに「走ってください」と言っているようなものです。「なかなか着かないな~」って、当たり前です。私が思うに、現代に生きる私たちは、自分の行き先を探すゲームに一生をかけている場合ではないのだと思う。常に、目的の場所にいて、存分に自分を表現しながら生きていいのだと。飛行機は地球を飛び回っているのにどこに行っていいのかみんなわかっていないなんておかしいでしょう。人間が発明した道具に負けている場合ではないんです。(単に場所のことを言っているのではありません。場所を変えなくたって今から「目的になった」自分として生きられます。もちろん)多くの人が、自分の居るべき場所で存分に地に足をつけて本質を生きれば本人だけでなく周囲を明るく照らすことができます。私たちは本当に実際にそうするかどうか、という瀬戸際に生きている。現在何か不自由を感じているなら、本当の自分を探求するチャンスを与えられていると思ってください。探求することに終始せず今、完璧な場所で完璧な今を生きましょう。存分に与えられた命を生きるために。
2006.12.27
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心の中にありがとうがいっぱいあふれてきます。心の中にぱっと浮かんできた人にすかさず『ありがとう』と言っています。そうしているとどんどんありがたい場面に遭遇します。ありがとうが増殖していきます。いつか私の人生のすべてにありがとうと心底感じられる時が来るのが夢でした。何かのためにじゃなくて。幸せになるため、とか、人生を変えるためじゃなくて。ただ、心の底から、ああ、これまで本当にありがとうみんな。本当にありがとう、わたし、って。クリスマス、いかがでしたか?今年は『ホワイトクリスマス』を初めて皆さんの前で歌いました。あまりに有名な曲なので、どうかと思っていましたがこの曲をやると皆さんのお顔がとてもほころぶのが心に残りました。皆さんが暖かいお部屋で美しい白い世界を眺めている暖かい気分が私に伝わってきました。おかげで私もこの曲が大好きになりました。この世に大好きなものが増えるってとても幸せです。皆さんに祝福がありますように。愛に満ちた、満ち足りた心で今を過ごされますように。心からお祈りします。
2006.12.25
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う~ん、なんかもう全開過ぎて日記どころじゃなかった^^って、なにがって言うとそれほどのことは無いんですけど^^多分、自分的波動がマックスです。楽しぃ~肉体的コンディションは決して良くないのですが声に波動が反映されてるみたい。昨日はジャズパレスのママにもピアニストの庸子さんにもどうしたの?声がすごいよ、と言われました。お客さんも弾んでます。今日は「癒されたから早く仕事がしたくなった!」なんて言っていただいたりして。その方すごいんだ。「自分の波動が上がれば癒されるんだ」とおっしゃってた。私はまた、ちょっとやりたいことが見えてきたりして拍車をかけてやる気満々です。最近ちょっとミュージカルの曲に取り組んでるのね。ミュージカルの曲は音域がバカ広かったりするしその音でないと感情や役柄が表現できないこともあるので自分を鍛えて曲に挑むしかないのです。スタンダードは逆にアレンジして自分らしく歌うほうがいいんだけど・・。でも元々私は役者体質なので、いったんミュージカルの世界に入るとなんだか知らないけど夢中です。このままだと近所から苦情が来ちゃいそうなので早いところ音に強い部屋に引っ越したいです。あぁ本当に私は感動が好きです。そんな気分をみんなに味わってもらって喜んでいただけるなんて本当に嬉しい。聴きに来てくださったみなさん、本当にありがとう。もっともっとがんばるので、楽しんでください
2006.12.20
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時々、あれ?と思うことがある。私の場合、音楽をやって、とか、ヒプノセラピストをやって・・とか女優さんで、とかいうと好きなことやれて幸せだね、と言われたりする。私は、あんたもやれよ、と思うだけだ。例えばブログなんかでセラピストだったりアーティストだったりと名乗ってる人も実はベーシックに会社員だったりしてそれプラスなんかを好きでやってる、みたいな人が多いからなのかな。生活のベースは別にあって、好きなことをやってるというのが普通なのかもしれない。私は違うのです。はっきり言ってそんな器用なことができるならとっくに別の仕事で成功してみせますわ!!私は結構仕事熱心だし公共の利益に興味があるしくそまじめだしだた、自分に合ったことじゃないと全くオーラが死んでしまうし、すぐ具合悪くなっちゃうし、頭がおかしくなってしまうというおそろしい欠点があるためなんとか自分が呼吸できて、笑顔でいられる環境を捜し求めて二十数年、ようやく自分の体質を知り、それになんとか呼応してくれる環境に身をおく努力をし続けた結果が今のスタイルなんです。歌う、演じる、心のケア。これならなんとか自分も生きつつ飯が食える。でも自分が壊れちゃうのとご飯が食べられないほど貧しいのだったら壊れちゃうよりは空腹を我慢するほうがまだマシなんです。だから、仕事が無い時はご飯をあまり食べませんでした。自分が壊れちゃうと、それを修復するのにさらにお金や時間や迷惑がかかってしまうからです。でもそうやって何とか自分を壊さないように気をつけて、あとはなんとかしてご飯が食べたい!という一心でがんばったからなんとか今があるのだと思っています。そうやって手に入れた環境なので、今ここで一秒も無駄にせず大事にしたいと思えます。よくスピリチュアルのチャネリングなんかに出て来るセリフで「なんの努力もなしに」というのが出てくるので私も随分いろいろ試して検証しました。 思うにあれは、自分を壊してしまうほうに努力してはいけない、という意味なのではないかと思っています。今の世の中は、世間体とか身の安全のために自分を壊してまで保障のある仕事に就くとかそれで努力してるのに大変だ、とみな思っているので宇宙人から見ると、そんな生き方をしても誰も喜ばないよ、と言いたいのではないでしょうか。私の場合、子供のころから「私とは何者か」ということをずっと考えていたので高校を出る頃には「私には女優が合ってるみたい」と気づいていました。大学(玉川の演劇専攻)に入って演劇漬けになるとみるみる私は元気になり健康になり輝きました。周りの人も一目置いてくださるようになりました。でもなかなか演劇では飯が食えないと気づいたのでその他の事でもやらなきゃと思いました。35歳になって、周りの人が「歌をやってみたら?舞台で歌ってきたんだし、できるよ。」と言ってくれたので真剣にやってみたら、周りの人たちがどんどん応援してくれました。生活は相変わらず苦しかったけど家賃だけは何があっても滞納しないと心に決めてがんばりました。周りには風呂ナシの激安の部屋に住んでいる人もいましたが私の場合、お風呂だけは必要だったのでそこが最低ラインでした。またその頃には、あなた、セラピスト絶対にできるからやってごらんよと誘ってくれた友達がいてその時も全然お金が無くて本当にお腹がすいて心細かったけど半年ほど仕事を減らし、自力で勉強してヒプノセラピストになるとクライアントさんもたくさん来てくれて一年間に800回以上のセッションをすることができました。その一年が終わる頃には私は歌の勉強と腕試しのためにNYへ行きたいと思っていました。その時も、銀座で演奏を聴かせるクラブとセラピーの二本立て生活は安定していましたが、まだ私の内面が不安定でした。池袋で毎週JAZZのライブをしていましたが、そこはギャラがありませんでした。でも昼間ピアニストと2人思い切り練習ができたので、本当についていました。そんなことをしていると、ある紳士が私に、NYへ行っておいでと言って投資してくれました。いっときますが本当に純粋な投資です。みかえりはナシでした。今思うと良くぞそんなことがと思いますが当時はそうなるように「意図」していましたので「ああよかった、できた~」という感じでした。そうです、これぞスピリチュアルの王道です。意図は現実化するってことです。好きなことをやって生きると言うのは私にとっては生きる、ということと同義語だし(例えば私の弟は、サラリーマンになろうとして心の病気になってしまっていまだに社会復帰できません。本人はとても働きたいと思っていますができないのです。妹含めて私たち兄弟はとても似ています。繊細で異常に傷つきやすく特異な才能があります。)私ほど極端でないにしても、人はみな健康で魂が健やかでいるためには自分の道を歩むことが最低必須条件だと思います。それがどんな職業だっていいし、趣味だっていいのかもしれませんがみんなが「この生き方は自分で選んで実現したんだ!」という思いで生きられると世界はものすごくハッピーになるだろうと想像します。スピリチュアルの極意は、「あらゆることに責任を持つこと」です。究極的には、地球の反対側で起こっていることにさえ、です。その向こうには「自由」があります。自由とは、無限の選択肢を手に取りそして、自分で選ぶ、ということです。[上の写真は沖縄・久高島を臨む]
2006.12.07
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昨日はピアニストのちぐさんと一緒にパーティでのライブのお仕事に行ってきました。@飯田橋のメトロポリタン・エドモンドホテル。体調は大変微妙で時々熱っぽく肺もひりひりしてちょっと危なかったのですがここは気合です。お仕事くださったIさんとさらにご依頼人のIさんもとってもいいエネルギーでそしてちぐさんですから、これはすべてパーフェクトに違いないと思ったのですがその通りでしたそれにしても会場は立食の会場で、ステージにはなぜか金屏風が立ってるんです。かなりウケました。金屏風とジャズですもん。ですけど私のジャズはおおらかで優雅で情緒的なので(笑)おめでたい風景には意外とマッチします。(と勝手に思ってますけど^^)で、最初のMCで「えー本日はこのような晴れがましい場所で、金屏風の前で歌わせていただき・・云々」と、ここで爆笑、つかみはOKでした音響設備もどうかなって感じだったしリハもできずマイクチェックのみで臨んだのですがここはちぐさんとのコンビネーションで演奏はとっても楽しく行けました。終わった瞬間、二人で大笑いできましたもん。お客さまはビップな方が多かったらしいのですが思ったよりかなり楽しんでいただけたようでよかった。最後に司会者の方がすごい笑顔で「会場の意見ではアズさんは26歳位じゃないかってことなんですが・・」とおっしゃるので「え~っと私は・・」と言いかけたら「いいんです!夢をこわさないでください!ありがとうございましたー!」って。そんなしめですかい。で、終わってから会場を普通に出ようとしたら盛大な拍手を改めていただいちゃってものすごい豪勢な送り出しをしていただいちゃったりしてもうなんの会だったかわかんなくなっちゃいました。そして今日は音楽てんこ盛りな日で。昼間は埼玉松伏町の田園エローラっていう大きな施設でいとこのみっちゃんがやっているCON展に行きました。みっちゃんと奥さんの理加さんは美術のほうのアーティストです。今日はエローラのコンサートホールを見せてもらったんだ。ものすごく立派なすばらしいホールです。結構質の高いイベントが行われるようです。今日は世界の民族音楽みたいなのやっていました。よぉく聴いてみるとみんなうまい。相当テクニックがある方たちのようです。だけど、舞台からまるでオーラが来ないのはなぜなの?(あ、一人いました。オーラある人)一言で言ってしまうと、いくらうまくても、趣味でやってるんだろうなって感じがしちゃいます。それとも大御所なの?(それは無いな)やっぱりね、プロであるという事にこだわって生きている表現者には良くも悪くもある種のオーラが染み付いてにじみ出るものです。生き様、というオーラが。それはちんけゲスで汚らしいかもしれないし、とてつもなく歪んでたり卑屈だったりいびつで愛らしいかもしれないし、信じがたいほど美しいかもしれない。もちろん。だから表現者は一段高い場所から大勢の観客と向き合ってもエネルギーが釣り合って余りあるのです。ぱっと見でどっちが舞台でどっちが客席だかわかんないような舞台は舞台じゃないんだと私は思う。んで、今夜の締めくくりの音楽。ジャズパレスでの、ジャズ・ボーカリストかりょんの、かりよんトリオ・ライブ。あらゆる意味で圧巻。天才の集結ですだ。ピアノの森丘裕希くんは以前から知っていて初めて演奏を見た瞬間、わ、この子天才だ、と思った男の子です。今日はドラムのジーン重村くんを初めて見たけど二人がものすごい開いた顔して目を見詰め合って演奏しているところはおとぎの国のコビトさんが魔法をやってるところみたいです。終了後に森丘くんに言うと森丘くんは普通にドラムを指差して「だけどもっとすごいたくさんのこびとさんがこの中にいていろんなことしてるんだよ」って応えてくれました。(ムーミンみたいな顔して!)私こういう人大好き!かりょんちゃんはますます磨きがかかってます。こういう音楽的才能を持って(この世に)来た人っているんだよな。私、前にかりよんと森丘くんと3人でカラオケに(なぜか)行ったことがあって森丘くんは私のカラオケに「・・東芝EMIとかから普通にデビューしてそう。早くそうなんなよ」って言ってくれたんだよね。たまに思い出しますで、帰ってきて3RUNのブログ読んですごい幸せになり気をよくして思わず長い日記書いてしまいました。病み上がりなんで寝る準備します。よい夢を
2006.12.02
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