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毎日のニュースを読んでいるとびっくりしてどうしていいかわからなくなることがあります。昨日は沖縄にも放射能汚染された瓦礫を受け入れましょうと知事が首相に話したと報道されていました。今全国で「そんなこと言ってたら食べられるものないじゃない」という突っ込みが効かないほど「それ、ほんとなんですけど」という状況になりつつあります。沖縄の野菜も県外へ送られたり九州から入ってきていた野菜も減少しています。でもそうやって、少しでも安全なものが多くの人の手に届くのはすばらしいことだと思われます。昨晩は瞑想から戻ったらふと、ああもしアメリカ軍の基地が沖縄に戻ってきたら畑にするのがいいんじゃないかな、これは名案、なんて思ったりしました。沖縄に住んで3年余り、基地問題で返還を強く望む声と直接出会ったことが未だありません。運動の最前線に行ったことがないから、というものあると思いますし積極的に尋ねるわけでもないので多くの人がどんな風に望んでいるのか知ることはできませんが主人の感触だと「基地がないと困る、現状維持がいい」と言われる、とのこと。私の感触もそんな感じです。ある若い女性は「そこに基地があるから。生まれたときからあるものだから、現状維持」ときっぱりおっしゃいました。それは基地が生活ととても深くかかわっているからでもし基地がなくなったら仕事がなくなる土地を貸してお金を得ている人が困るというのも大きな要因です。それは原発が地域に金銭面の潤いをもたらすことで存在していた構造ととても似ています。ある日基地があったために想像しなかった事態が起こったとき初めてみんなが基地について疑問を覚えるのでしょう。居住地にヘリが墜ちたり、兵士が暴行する、という風な突発的な事故だけではみんなが動かされるわけにはいかないのかもしれません。大変残念なことですが。(けれど私は、基地に反対なのではなく戦争とか暴力がいらなくなる世の中というか、人間の意識の進化を望んでいます。)また実際の経済を見ていても巨大な土地が返還されても大きな資本が恐らく沖縄にはそうないので県外からの大企業が参入しない限りは建設的な変化が見込まれないので希望もわかないのもわかります。沖縄では個人商店が開業されてはあっという間につぶれるのが茶飯事です。開業率廃業率ともにナンバーワンだと聞いたことがあります。賛成する人は少ないと思うけれどこれからの日本に不足しとても必要となるのは安全な食べ物なのでぜひ基地を取り戻して、沖縄のすばらしい野菜をたくさんつくってほしいな、と非常に個人的な希望として私は思います。汚染されていない食糧供給のためにも瓦礫をわざわざ船で運んできて南風原や那覇で焼くなんてことはしないほうがいいのでは、と思います。沖縄は小さい子供がとーっても多いのです。知事はぜひ県民を守る提案をして欲しいものです。それでも、日々こうして生きているまにまに心の中に浮かぶのはそれでも日本はいい国だなぁ、というフレーズです。なぜかそう感て仕方ありません。こうしていろいろなことを考える環境を与えてくれる国。みんなが良くなるために、考えたり発言したりすることを許してくれる国。ゆっくりと丁寧に生きることを許してくれる国。そこには希望がたくさんあります。日本という国に生まれたのは本当にラッキーでした。できたら恩返しに、日本の恩恵を次の人たちへバトンタッチしたいものです。
2012.02.29
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こんばんは。ごく最近、二月になってからのことなんですが小学校の同級生だった男の子(45)が連絡をくれました。その子は転校生で、六年生のときだけ一緒のクラス。中学にあがるとき、隣の世田谷へお引越ししたので一緒に過ごしたのは本当に一年だけたったのですがこのブログにも時々書いている、五・六年の担任の岩ちゃんのクラスでした。その岩ちゃんが今年でご退任なのでみんなでお祝いしましょうというお知らせ。その子はインターネットで昔の記憶を頼りに私をみつけてくれたとのこと。連絡したのは私が一人目で、他に二人くらい連絡先がわからなくもないけれどとにかくその時点では、彼のアイディアを共有するのは私だけだったのです。私は人生で何度かパラダイスを経験しているおめでたい人ですがその最初のパラダイス、言わばこの世のパラダイスの原型をおしえてくれたのが岩ちゃん(岩村繁夫先生・今もご活躍で本も何冊も出されています)と六年四組の仲間たち、でした。ここのところ、昨年から今年にかけてでしたが、その時一番の仲良しだった女の子二人と頻繁に夢で会っていました。二人とも中学のときに引っ越してしまってそれ以来、まったく連絡がとれていませんでした。大人になるあいだ、自分の過去をどんどん脱ぎ捨てる過程で私たちはばらばらになりました。だから夢で会うとき、私たちは十二歳のままでした。他にも夢に出てくる子たちは何人かいます。私は永遠のいのちを信じているので(笑)今世で絶対会いたい、という風にはふだんあまり思わないのですがこの二人の友達と夢で会った後にいつも「もうこの子たちとこの人生で会うことはないのかな?」と純粋に不思議に思うようになっていました。私という心を作るにあたってとても強く大きく影響を与えてくれた人がこの世に何人かいますがこの二人の女の子と夢で再会するにつれ彼女たちが与えてくれたものの大きさを感じないわけにはいきませんでした。一人は、まるで生まれながらに優しくたのもしくあったかいお母さんのような女の子。もう一人は、感性豊かで、圧倒的なカリスマ性を持った女の子です。カリスマの女の子と私は、コンビを組んで歌手になるために練習を重ねていたのです。ちゃんとコンビ名まで考えて。(私たちは二人ともとてもりっぱなソバカスがあったのでフレックルズという名前でした。)私はその友達のどちらのおうちにも泊めてもらっていてそのおうちで初めて「どこのおうちでもお父さんってこわいわけじゃないんだ。ご飯のときってお父さんとこうやって笑いながら食べるものなんだ」ということを初めて体感しました。今でもその優しい笑顔と会話を忘れられません。お父さんの一人はお泊りからまもなく亡くなってしまいました。私はこのころには学校の行事や児童会などの政治、ダンスに歌、お芝居、アナウンスなどなんでも得意で、いつも学校中をかけまわり「みんなのこと」を考えるのが大好きになっていました。みんなが楽しいって本当にしあわせなんだ、ということを知っていました。岩ちゃんはいつも私たちを大人のように一人前に扱ってくれ自分で考えさせてくれ等身大で正直になんでも言ってくれる人でそして授業はいつも爆笑と興奮に満ちていてそしてずっこけていてちからが抜けていて最高でした。五年生になって始業式で担任が発表され岩ちゃんが私たちの並ぶ列の前に立ってさて、これから教室に行ってめんどくさい話しが始まるのかと思いきや「今日はもうこれで解散。明日教室に行ったら適当に座ってろ。四階の便所の前のくっさい教室だぞ。以上」と言ってにやっと笑って行ってしまいました。私はとたんに人生に魔法が起こったと感じました。明日からとんでもなく楽しいことが始まる予感でした。恐らくクラスのみんなが感じたのではないでしょうか。男の子たちは歓声を上げていたかもしれません。この二年間は私にとって、本当に宝でした。振り返ると、ではなく、当時からその事に気づいていました。こんなことは人生にそうあるものではない贈り物なんだ、と。このクラスで体験した奇跡は「全員が優しかった」こと。いつも一人がみんなを、みんなが一人を、気遣っていました。誰かが元気がないことを、みんなが自分のことのように考えることが習慣でした。そのような習慣を与えてくれたのが岩ちゃんです。転校生の男の子が連絡をくれてから私の記憶はずっと鮮明になってきました。潜在意識の記憶が十三歳で閉じられるというのは本当だな、と心底思います。私はクラスの一人を思い出すと、その子の着ていた服の色や形や風合いまで思い出します。人によっては二セットか三セットくらい思い出せます。髪の毛の質とか、手とか、爪の形とかも、時間をかければ思い出せそう。つまりそれくらい、私の中にみんなが生きているのです。これは決してノスタルジーではなく彼らは現実の脳細胞のように今も生きて働いているのです。そうして時にはなにかに気づかせたり、考えさせたり、笑わせたりします。元気を出させたり、自分の中の才能や、エゴにも気づかせてくれます。そう、この記憶がインナーチャイルドそのものなのです。転校生だった男の子が私に「いったいこれからどんなことが起こったら、オミ(私)は200%満足すると思う?」と尋ねました。私はこの頃はあまり欲を感じないのでこの質問の答えを一晩考えなくてはなりませんでした。今の欲望ではなく、恐らくチャイルドである小さいオミの心をたどって。二人の友達にたどりつくことはもはや現実となっていました。(そのうちの一人から今朝メールが来ました。カリスマのほうです)岩ちゃんに感謝を伝えるのは、もはや当然のこと。でも200%ってなんだろう。そもそもすべてのことを100%と呼ぶと言うのに。それで私は「私の中で恐らくそうはならないだろう、となかば受け入れていることでしかしながらそのなかばあきらめつつ受け入れている事実が結果もしそうならなかったら私の既成概念が大きく崩れ去るだろうと思えること」を見つけました。「全員みつかること。たとえ誰かが不幸であっても、会えない状況であっても、もしすでにこの世を去っていたとしても、仲良くつながれなくても、それでもいいから、全員がみつかる。」もしそれが本当に、実際に起こったら、私は過去の時間と経験に対する観念を大きくくつがえされると思う。誰かがみつからなくてもそれは自然なことだと思う。当然なことだと思う。すべての人がこのクラスを愛しているわけではないし会いたがっているわけではない。でも、たった一人の転校生だった男の子のアイディアからもしそうなったとしたら私は過去のこの時のことを単なる人生の一ページという風には見られなくなる気がする。それは、更なる悠久の生命からつむぎ出された奇跡というこの世で最も美しい真実だとささやかれているものに本当に出会ってしまうようことのような気がするのだ。あまねく背後に常にある神に触れるように。ひのえうま生まれの我々は総勢三十六名。私の概念がくつがえるまでに「あと十四名だよ」とメッセージが来た。新たに出会い始めている仲間たちはみな「夢見ているみたい」という。「記憶の中だけでなくて、本当にわたしたちはつながってたんだね」という言葉をもらったときこの子は私という意識の投影である親愛なる友だと感じた。私たちはずっと、本当にひとつだったのかもしれない。同じたまごから生まれて、少しだけそれぞれの旅をしてけれどどの旅もみんなが共有している。すべては夢だ。私たちが一つだった、という真実だけを除いて。
2012.02.25
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「悩みがたくさんあったはずだけど、ひとつのことでぜんぶ解決しちゃった」というとっても嬉しい言葉をお客さまからいただきました。意識の仕組み=スピリチュアルに基づいてあるがまま=真実を見ていくとそういうふうになります。スピリチュアルカウンセリングでは霊視とかサイキックの力で何かを解決すべく変えるのではなくご本人がより高い境地、より広い視野、より細密な視点に立つことで真実がわかるようになります。そうすると、自己の内側にある創造の源の美しい秩序に目覚めることができます。「さっきまで好きじゃなかった自分の名前が、嫌いじゃなくなってる」セッション前に書いていただいたシートのご自身の名前をセッション後に見てそうおっしゃってくださった方がおられます。まるで奇跡のようです。自己受容、自分を愛するというのは真実をあるがままに、なんの防御もなしに受け入れるのと同じことです。それができてしまうと「このままで世界は美しい」「ありのままの自分でいいのだ」という風になります。その時人は今にいることができます。自由であることができます。今にいるというのは無限の中心にいるのと同じです。自己の中心にいるというのは無限の中心にいるということです。充分ではない自分でいるとき人は既製品のものさしで自分を計って自己評価をくだしています。タレントをしていたときいつもオーディションに行っていましたが、その時にはいつも誰かのものさしにかなうようにしなくてはならないと感じていました。するとこんなことになります。若すぎる。年を取りすぎている。背が高すぎる。低すぎる。太りすぎだ。やせすぎだ。インパクトが強すぎる。弱すぎる。かわいすぎる。かわいくない。きれいすぎる。きれいじゃない。個性的すぎる。個性がなさすぎる。器用すぎる。不器用だ。何でもこなせすぎる。こなしきれていない。落ち着きがない。落ち着きすぎ。極端すぎる。中途半端。・・・・本当に四六時中そんな風に評価されます。それで結局なにを目指しても必ず結果としてはいちゃもんがつくのです。そしてなにより、そういう時の自分は自分から見て醜いのです。じゃあどうすればいいかというと一番良かったのは、私はこれでいいんだ、誰がどう思おうと、という風に開き直ることでした。それで結果実際にパスすることもありましたししないこともありましたが結果がどちらでも後悔ないのはやはり開き直れたときです。開き直るというと言葉が悪いのですが、もっとスピリチュアル的に言うとありのままでいられた、ということです。ありのままというのは、ありのままの自分を見てもらおうとか出そうと思った瞬間にそうではなくなってしまいます。そういう失敗はよくありました。ですからもっと厳密に言うと、どんな自分も出そうとせずにただその時の自分の状態を認める、という感じです。本当の自分なんてオーディションのときに出せるはずがないのです。オーディションでなくても、会社や社会での人間関係はみんなそうです。そこで素だとか自分の本質を認めてもらおう、なんて、おかしな考えです。そうじゃないでしょうか?だれがそんなことできるでしょう。またそれを必要とされているでしょうか。ですからそうではなくて、今の状態や今の状況の自分を受け入れていきます。緊張しちゃったらそれを、へんな感じになっちゃったらそれを、認めてゆるして手放します。そうすると、その状況は過ぎていき、終わります。それから新たな別の状況が訪れますが、それを拒否したり隠したりせずに受け入れるのです。それが必ずしも好ましい状態ではないかもしれませんが拒否したり隠したりするよりは「新鮮な」状態でいられることは確かです。新鮮というのは常に流れている状態です。つまりエネルギーの流れに逆らわずに淀まずにいるのでいきいきしていて生命力があり結果魅力的なのです。例えばオーディションではそういう人が注目を集めますし社会というこの物理次元の世界ではそうです。世界は本当は自分の意識の投影なのでこういう風に自分の中で自分をどう認識するかを変えるだけで世界というスクリーンへの「映り」がすぐに変わります。人に何かをして見返り(反応や評価)を待つ必要なんてありません。ただ、自分に対して自分がみなした意識が鏡に映って放射されます。自分が自分に与えた「エネルギー」が鏡に映って自分に還ってくるのです。だから世界はすぐに変えられるのです。この原則を身につけることができると人間関係の悩みは消えてしまいます。関係というのは相対的で幻想なので本当に一瞬で雲散霧消します。スピリチュアルとか真理、真実ってものすごく現実的なのです。
2012.02.17
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今日は一瞬夏の足音と気配を感じました。沖縄では2月が寒いと言う方が多いのですが寒い中にも春を通り越して夏のにおいがぷんとする日があります。最初の年は2月にクーラーをつけたのを覚えています。今日はだんなさんはお仕事の合間にビーチでクリヤヨガをフルセットやってきたようです。いいなぁ~。ありがたいですね。沖縄のすばらしさを言葉で言ってもなかなか伝えきれないような気がします。例えばあの海の色ひとつとっても。だからもし、まだでしたら一度はおいでぇ♪はぁよいよい♪です。私が好きなのは、とにかく南部のサトウキビ畑をドライブ。観光は北部が多分人気なのでしょうけれど離島みたいな沖縄のいなかの風景が見たかったら南部です。本当は自転車が一番楽しいです。しかもかっこよくスピード出して走るんじゃなくて路地とか、農道とか、藪とかを寄り道しながら行くに限ります。坂道が多いので大変だけど、ちょっとづつがいいんです。そうすると御嶽(うたき)とか拝所がたくさんあったりカーとかガーと言われる井戸なんかに出会えます。井戸は共同の泉という感じで内地のような丸くて深い井戸とは違います。古くて大きな家の敷地には、ご先祖を祭った仏壇のおうちがあります。おじいちゃんが縁側からこっちをじーっと見ていてこんにちは、というとにこっとしてくれます。ガジュマルが多いのも南部です。私はフクギが大好き。石垣とフクギの組み合わせは無敵にすてきです。だんなさんはホウオウボクが大好き。でっかい豆が生ります。その豆は枯れると木でできているみたいに硬いです。パパイヤとバナナがたくさんあります。お庭や農地や藪みたいなところにもあります。去年の台風ではバナナがみんな折れてしまっていました。パパイヤもすごく数が減りました。どっちも大好きです。パパイヤは野菜として、炒め物や漬物にして食べます。硬い瓜みたいでおいしいです。島バナナは高級品で、地元でも高価です。野菜バナナと言うのもあって、大きくて、てんぷら用で売っていますがうちでは熟すのを待ってジュースにしたりそのまま食べました。おいしいです。希少でなかなか手に入りませんが。スーパーで売っている野菜は東京とあまり変わりません。お値段も同じです。お野菜は直売所で買っています。糸満はお野菜の生産が県内一です。にんじん、とーってもおいしい。いろいろな珍しい野菜があります。はんだま、大好きです。湯がいて、胡麻和えにするとどんぶりいっぱい食べられます。紫のはっぱで、バイキングのサラダの飾り程度に入っていたりします。ヤマイモがすごいですよ。紫と白、二種類あります。生でも焼いてもいためてもあげても煮ても、最高です。でっかくて、東京では見たことないようなやつです。サトイモみたいだけどやっぱり大きなチンヌクというお芋があります。トン汁に入れるとびっくりするほどおいしいです。紅芋は有名ですよね。サツマイモよりもあっさりしているのでお料理にはわりとなんでもいけます。ターム(田芋)というのもありますが高級なのであまり買いません。主人の往診先のおばあちゃんがお料理したのをいただきましたがなんともいえず、本当においしい。煮てあんこみたいにペースト状になっているのですが淡白で、高級和菓子みたいな味がします。とうもろこしやカリフラワーが安くておいしいです。カリフラワーはやはり山盛りでいただきます。しあわせです。島菜(からし菜)もびっくりしますよ。お味噌汁に入れると、ちょっとスモーキーになり、お出しの味が生きます。いためてもアクが少なくおいしいです。沖縄では夏場はお野菜が少なくて市場はオクラばっかりになります。あるのはきゅうりとゴーヤーくらい。なすとピーマンが少々、くらい。冬場が最高です。果物は、パッションフルーツが大好きです。マンゴーはもちろんだけど高級なのでいただいたときしか食べません。ドラゴンフルーツ、カニステル、大好き。レイシもおいしいです。カニステルは最初の年が一番豊作だったようです。毎日ジュースにして食べていました。あれは、スイーツの材料としてもいけるのでは、と思っています。絶対に人気が出るはず。高価だけどシャカトウというのがおしゃかさまの頭みたいでものすごくおいしかったです。時々おかしな果物をみつけます。食べ物のお話は長くなりますね。沖縄の一番の風物詩はおじいちゃんおばあちゃんです。私は主人が訪問鍼灸をしているので話がいっぱい聞けて本当に良かったと思っています。歴史や戦争の本当のお話がこんなに聞けるチャンスは少ないと思います。沖縄のおじいちゃんおばあちゃんはおっとりしていてほんわかなイメージありますか?最初はたまたまかと思っていましたけどせっかちで短気な人が多い気がします。多分そうです。続く。
2012.02.15
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今日は久しぶりに原発のこと、というか、核のことを書きます。「原発は核分裂で発生する熱でお湯を沸かして、その蒸気でタービンを回して発電する」という役割をするものだそうです。原発ってもっとすごい方法で発電しているとずっと思っていました。まあ、たくさんお湯が沸かせるところがすごいのかな。それで今度は機械を冷やすために海水をたくさん使ってあったまった海水をじゃんじゃん海に流すので海水の温度がとても上がるんだそうですね。熱したり冷やしたり、エネルギーの無駄も多いし地球温暖化対策にいいってことにはならないって話です。さらに、地球温暖化に世界で取り組もうと言っている話はマユツバだそうですね。地球温暖化の原因はCO2が増えているからだといわれていますがそれは嘘だという意見があります。対策の裏には国家間のちから関係による駆け引きがあって、自分の国が強くあるために大義名分を打ち出して他国の産業などを抑えたり支配下に置こうとしたりする策略のひとつだと言われています。じゃあ温暖化は嘘ならお湯を海にたくさん流してもいいんだ、となりそうですがそれはそれで実害はたくさんあるみたいです。それはそうですよね。海の生態系にものすごく負担をかけますものね。それから、環境問題を言うなら、核分裂はその後に大量のごみを残します。そのことは今回の福島原発事故をきっかけに有名になりました。そのごみは放射性物質で、処理ができないものであり、1万年も管理が必要なものがあるということ。また原発がないと電力が足りないというのは当初から嘘だと言われていましたがその通りでした。今現在も稼動している原発は三基でだけです。それにしても、あまりに堂々と嘘をついて後で実はと言う戦法さすがに後で罰せられると思いますよ。みんなが正気に戻ったら。事故直後は「それでも核は日本に必要なんだよ!」と言っている人がたくさんいました。少なくても「絶対安全です」と宣伝し推進してきた言葉は嘘だったのが事実です。それでもなお「日本には、いや人類には、核が必要なんだよ!」と力強く語る人が結構いたのでそういう人の意見をできるだけよく聞こうとしてみたりもしました。11ヶ月が経ちました。途中で何度も「あれは嘘でした」「あれは隠していました」と、ものすごく堂々と推進したり正当化したりしていた人たちが意見を覆しました。それでもまだ推進している人たちがいますが原発に対して「できるだけ安全で確実な電力供給」を求めるだけの私にはあまり共感できるところがみつかりません。どうも原発の魅力はそれ以外のところにあるようです。原発の魅力・利点は、発電以外にある、ということのようです。おかしなことに。これまでのまとめ。電気は国民みんなの最低限の生活を支えるものなので、できるだけ安全で生産性が高くて国民全体にとって平等で安価で再生可能で環境に負担の少ないほうがいいという意見に賛成。原発においてこれらの利点をアピールしてきた点はすべて嘘だったと判明しているのでその点での原発推進は撤回すべき。それ以外の点で原発を推すなら根拠を明確にすべきです。ただしそれ以外の利点が、発電という目的以外に該当するのであればそれは別の目的をかかげるべきであり別の方面で推進すべきこと。核が人類にとって有用な資源だから開発を続けるべきというのなら発電以外の明確な開発の方針を提示しまたその開発が一般市民への安全性についてのリスクを伴うのであればそれを明確にして、国民に是非を問うべきことだと思う。さらに、発電に関してのより良い発展を望むのであればたくさんの方法が現に研究開発されているし本気で望むのなら実用への道はいくらもあるのは明白。国民が電力を失うことを恐れて原発にしがみつくよう仕向けているのは電力会社と利権にからむ体制の脅しだと言える。人類の発展のための原発を言うならさらに良い発展を選ばない理由が無い。さて、核のことです。核は、国家にとって大きな財産であり巨大な武器であり国家間のちから関係を牛耳る切り札のようです。そのちから関係とは武力行使であり、暴力を前提とした脅しです。マフィアのやり方と変わりありません。本当は核自体を発展的な、平和的な方法に使えたらいいのでしょう。その可能性はありえます。ですが現時点では核のごみが人間や生きとし生けるものにとって破滅的に有害でハイリスクなことは事実なのですから実用に問題が多すぎると考えるのが当然です。これは他のどんなものの開発においても許されないことです。核が許されている理由は、それが人間を守るため、発展するための道具ではなく破壊と殺戮目的の道具として存在しているからではないでしょうか。それ以外の理由がみつかりません。それは平等な人権の尊重自由平和友愛調和という意識のより高い見地からみるとどうしてもその方向性にそぐわないものです。言葉にするのに11ヶ月ほどかかりましたが今のところ、これが私の核と原発についての見解です。つづく。
2012.02.11
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「こんなよくない気分でいたら、よくないものを引き寄せてしまうんじゃないでしょうか」と心配して、一目散にもやもやを消したいとあせったり、ひどく心配してその心配によってパニックのような状態になっている人がいます。これは世の中にスピリチュアルの原理を細分化してパッケージングしたようなビジネスや情報が蔓延している弊害とも言えると思っています。心は一定ではありえません。それと同時にこの世の一切は一定ではありえません。常に移り変わり、変化しています。これが物理次元の宇宙の法則です。お釈迦さまも諸行無常とおっしゃているように。心の表面が波立つときその波はもっと深いところに潜む岩に潮の自然な流れがぶつかって起こるようなもの。ですから波が起こったからといって波だけを止めようと頑張っても無理です。大波が来た時に限って頑張って泳ごうとするのもいい案ではありません。進まないし消耗するしどこへ進んでいいか、進んでいるのかどうか、わからなくなります。それから波が来た時に「この波を作った原因はなんだろう」と一生懸命考えるのもおかしな行動です。そもそも波に揺さぶられ巻き込まれているので客観的に広い視野と全体性を保って理解することはとても難しいのです。でも多くの人は、波が来るとこの中のどれかあるいは全部を実行に移すものです。水面下にゴツゴツした凹凸の激しい岩があれば表面の波立ちも荒くなります。この岩は潜在意識の中にある今世の幼少期や前世で作った記憶です。私たちはたとえたまたま大波に呑まれていなくてもゴツゴツした岩を誰もが水面下に潜ませています。そしてさまざま出来事や出会い、物やお金や仕事や人間関係を引き寄せている原因はこの岩の在りようです。この岩の在りようによって私たちは真実を目隠しされたりエネルギーの流れを妨げられたり愛を感じなくされたりして本来の自己を信頼できない状態になっています。つまり真実が見えてエネルギーがあるがままに流れ愛を感じることができると私たちは本来の自己を信頼できその状態は私たちを安心で、真の幸せな状態でいさせてくれるということです。私は長年の探求から表面の波立ち自体にはとらわれる必要がないということをわかりました。波立つ海の表面にとらわれずしばらく波に身を任せ、それに慣れたら海に少し潜ってみるのです。そのことをまず多くの人は恐れます。表面の波がこんなにいやな感じなのだからこの海水はいかに汚れていておぞましいだろう、潜ってみるなんてとんでもない、と。でも違うのです。この海水は全てひとつの海の水です。あなたが恐いのは、波の荒立ちです。少し潜るとそこは海面よりずっと穏やかで広大な世界が広がっています。実際の海と同じです。見下ろすと岩が見えます。近づいていって触れてみます。ぽろっとすぐに崩れて砂になっている部分もたくさんあります。これが、瞑想でありヒプノセラピーでありヒーリングです。潜在意識の浄化とかブロック解除と呼ばれる物のすべてです。古い記憶を解体して固まりをほぐし、元の細かい砂粒に戻していきます。瞑想は海面から海中に潜ることです。内観は海の中にある景色を構成しているものの成り立ちやその動きや働きを見ていくことです。高次元の波動や「気づき」によって岩を解体し、さらに奥深くへと早いスピードで潜れるようナビゲートするのがヒプノセラピーや高次元の波動のヒーリングです。でも、その大きな浄化と癒しの根源的なパワーは、全てその海底の奥深くからやってきます。岩を解体するにしたがってその世界はぐっと見通しがよくなり安全で信頼できる世界だという実感がわきます。私たちはその世界の美しさや満ち溢れる神秘の生命力に惹かれその奥へと旅したくなるのです。海底からの光はますます強くなりあなたを強力に引き寄せてあなたはとうとうその地底に足を降ろします。そこがあなたのホームであり、立っているのが本当のあなたです。そしてこの海水のすべてが愛だったのだと気づきます。多くの人が「人生とは波乗りであり航海である」と感じています。荒波をいかにうまく渉って、より良いであろう向こう岸を目指しています。波に乗れない人は転覆して負け組みの人生や絶望や滅亡を体験すると。だからみんな波が恐いのです。でも、幸せは波の向こう岸にはありません。幸せとはこの大海の底に広大無辺に横たわる真実の大地に降り立つことです。転覆してみて潜ってみることに気づく人もいれば波乗りを何度もクリアし、向こう岸の新大陸に何度も降り立つうちにどの大地にも平安や真の信頼や愛という真の幸せに欠かせないものが何一つ見つからないことに気づく人もいます。ひとは誰も幸せがなんなのかわかないままそれを見つける旅をします。いづれは地底からやってくる真のパワーがあなたを見つけるでしょう。でもできたらこの人生をホームで、真のわたしとして過ごしたいものだと思うのです。
2012.02.02
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