猪突猛進ダンサー日記

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2019年02月19日
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カテゴリ: 旅行記



豊臣秀吉の小姓から敦賀城主になった

大谷吉継は敦賀城を築き



しかし、盟友石田三成との友情を貫き


関が原の合戦で生涯を終えました。

敦賀は近江から越前への

陸路と海路の要衝だったので

南北朝時代から戦いが繰り返されてきました。

信長、秀吉、家康も天下取りを

目指し、この地に攻め入っています。



敦賀赤レンガ倉庫を見学した後、

今回2度目の参拝となる氣比神宮へ。

厳島神社、春日大社と並んで

日本三大木造鳥居の一つとされる

大鳥居をくぐります。



その前に

一行はボランティアガイドさんの説明を聞きます。



北陸道の総鎮守である氣比神宮は

大宝2年(702年)の建立ですが、

織田信長の越前朝倉攻めの際、

この一帯の神社をすべて燃やしたので

氣比神宮も灰塵に帰し、社僧は離散し

社領も没収され、

祭祀を廃絶するまでになりました。

慶弔9年(1614年)に越前福井藩祖によって

社殿を造営、社家が復興しました。

鳥居の上の方に紋章が二つ付いていました。

桐花と巴(三つ巴)の紋章です。

奥の方には菊花紋章もついてました。




こちらで手を清める人も



私はこちらで手を清めました。


松尾芭蕉も訪れたことがあるそうです。



中秋の名月の前夜に詠んだ句です。

土地の人から中秋の名月の日はお天気が悪くなるから

今夜見ておいた方が良いと言われ

句を詠んで1日早く出立したそうです。

やはり翌日はお天気が悪く

中秋の名月は見えなかったそうです。



いよいよ本殿に参拝です。

主祭神は 伊奢沙別命 (いざさわけのみこと)

私は無病息災のお願いをしてきました。



雪国らしい風景です。



この時期、絵馬もたくさん奉納されてました。



おみくじもたくさん結んでありました。



菊花紋章がついてます。



左右の木の門にも菊花紋章がついてました。





小さな木にも雪吊りがされてました。



時折ぼたん雪が舞いましたが、

積もるような降り方ではありませんでした。

そろそろお腹もすいてきたので

お食事処に向かいます。

(続く)





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最終更新日  2019年02月19日 17時24分47秒
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