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昨日は三重県桑名市で40.5度まで気温が上がり全国で最も暑かったですが、40度越えの地点が3か所もありました。当市も39度の予報でしたので、午後3時に39度に上がりました。とても暑かったです。そんな中、私は午前中ダンスレッスンに出かけ、午後は1時ごろに出かけ、午後1時30分から午後4時30分過ぎまで委員会メンバーとして受付をして、その後、2025年度姉妹都市青少年派遣生の帰国報告を聴いてきました。7月28日から8月8日まで12日間オーストラリアの姉妹都市へ派遣されて滞在してきた中学生と高校生10名の体験談を聞きました。先ず会長が挨拶し、来賓の市長が挨拶されました。そして前半5名に帰国報告がありました。会場内にはオーストラリアのグッズが展示されていました。まず5名の発表が終わったところでティータイムがあり、オーストラリアのお菓子とベジマイトをクラッカーに付けて参加者全員で食べました。後半5名の発表が終わり、当市の教育長さんと近隣の教育長さんの講評があり、来賓の市議会議長さんの挨拶がありました。そして保護者代表のコメントと引率者の団長さんの挨拶があり、派遣生全員が勢ぞろいして挨拶をしました。全員で後片付けをして午後5時頃帰りました。派遣生の帰国報告会で自分たちの体験談が年々充実してきたように思います。日本とオーストラリアの食文化の違いとか生活環境の違いとか教育方針の違いとか10名がそれぞれ体験したことを比較して発表してくれました。素晴らしい発表でした。
2025年08月31日
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当市は昨日公立小、中学校の2学期が始まりました。小学校は午前中授業をして、給食を食べお昼過ぎの最も暑い時間帯に帰ってきました。真っ赤な顔をして汗をかいて帰ってきました。当市の猛暑日は昨日までで46日続いています。過去には48日連続が最高です。岐阜県では50日連続猛暑日が続いたところもありますので、当市は最高ではありませんが、それでもこの数値は歓迎できませんね。今日、明日は気温が39度の予想です。8月も終わりというのに最も暑くなるとは!熱中症にならないように気を付けようと思います。ところが、昨日相方がお土産を頂いてきたお友達2人は先月メキシコに出かけ、今月はエジプトに出かけました。エジプトの気温は50度だったそうです。それでも蒸し暑さがなく、カラッとしていたので旅行を楽しんでこれたそうです。ピラミッドの中にも入ってきたようです。クフ王のピラミッドの王の間と大回廊だと思います。ギザの砂漠に広がるピラミッド群。この地で最初にピラミッドを建設したのはクフ王です。その高さは140メートル超で、ピラミッドで最大の大きさです。そしてエジプト土産を頂きました。ハイビスカスティーとチョコレートです。ちなみにメキシコのお土産を再掲します。マラカスとテキーラショットグラスだと思います。また別のお友達にはご自分の家で実った葡萄を頂きました。お店に売っている葡萄とは少し小さく、種ありですが、葡萄の味が濃くておいしかったです。ごちそうさまでした。
2025年08月30日
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仲良しグループの一人が写真展に2点出展しているので観に行ってきました。8月27日(水)13時から始まったので、昨日午後1時過ぎに出かけていきました。躍動感あふれる写真があり、繊細で柔らかなお花の写真があり、お祭りの可愛い子供たちの写真等がありました。頂いた案内状です。講師の方と出展者のお名前は消させていただきました。彼女と記念に1枚撮っていただきましたが、背が高い方に撮って頂いたので低い背がなお一層低くなりました。左の作品は「春の三重奏」という題でまだ雪をかぶった立山連峰を背に桜並木と手前に名の花が咲き、1匹の犬が写っています。右の作品は「ハイ ポーズ」という題で満開の桜の前で2匹の犬がポーズをとっています。そして写真を撮りに出かける日のことを聞いてきました。まだ夜中の暗いうちに遠方まで写真を撮りに出かけるそうです。講師の方は何百枚(千枚近く)も連写してその中から一番良いのを選ぶそうです。私のような記録写真とは全く違います。展覧会初日の始まったばかりに出かけたので友達が赤飯を炊いて持ってきてくれました。早速夕飯においしくいただきました。
2025年08月29日
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いつも仲良くしているグループのメンバー8名はほとんどの人が登山女子です。私は気管支が弱いので登山はできませんが、他の方々は結構あちこちの山に登っています。先日熊に襲われ犠牲者が出た北海道の羅臼岳に頂上まで登った人もいますし、途中まで登った人もいます。彼女たちは山ガールとは呼べませんが、60代から70代、80代の女性ばかりです。夏には上高地へ毎年のように出かけています。今年も半数以上が上高地へ行きました。そして一昨日はメンバーのお一人がご主人と上高地へ出かけ14.3km踏破されました。お天気が良く木漏れ日が綺麗だったそうです。最後は雷に鳴られたそうですが、無事に氷壁の宿に着いたそうです。朝は16度ぐらいで涼しく、徳沢小屋まで行きましたが、熊には出会わなかったそうです。田代橋のあたりや梓川右岸路には熊がいたそうです。道のあちこちに熊ベルが備え付けてあったそうです。そしてクマよけスプレーの出番はなかったそうです。一昨日でも上高地はものすごい観光客で混雑してますね。
2025年08月28日
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先日映画「黒川の女たち」を一緒に観に行ったお友達に有吉佐和子の文庫本「青い壺」(文芸春秋)を借りました。とっても面白いのでもう半分ほど読んでしまいました。あっという間に読んでしまいそうです。一人の陶芸家が焼き上げた青い壺をめぐる十三の短編集です。ゆっくりアフタヌーンティーを頂きながら読む余裕はないですが、暇を見つけてはページをめくっています。夜はヨーロッパミステリー「ポワロ」シーズン9も1時間面白く見ています。再放送で内容を思い出すこともありますが、一向にかまいません。イギリスの古い建物や調度品を見るだけでも楽しいからです。もうそろそろスイスのレマン湖ともお別れして処暑の間に新しい絵に変えようと思います。
2025年08月27日
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昨日は重い内容の映画を観てきましたが、今日は一転。こちらを紹介したいと思います。昨日こんな封書が届きました。えっ、鬼滅の刃?開封してみると、中から出てきたのはこちらディズニーファンの雑誌。どれどれと最初からページをめくっていくと出てきたのは娘が小さいころから蒐集していたディズニーグッズ。そういえば、先日仕事の合間に部屋を片付けなくっちゃと言ってたわね。取材の方が来るからだったのね。まだまだこれはほんの一部だと思います。東京ディズニーランドは数えきれないほど訪れ、フロリダまで数回訪れたほどのディズニーファンなんですから。
2025年08月26日
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一昨日の坪内逍遥顕彰碑の周りの草引きと掃除の疲れもやっと取れたので、昨日は朝一番に美容院へ出かけ、午前10時半ごろに帰宅してから夜までかかって、長さをそろえた花編みにボンド付けをしてお花を100個完成しました。鈴付けをしたら台紙に張り付け袋詰め作業が残っていますが、ぼちぼちやっていこうと思います。今日は8時半ごろ自宅を出てお友達二人と一緒に車で映画を見に行く予定です。ダンスレッスンはお休みにしてもらいました。「黒川の女たち」(1時間39分)を見る予定です。それでは行ってきます。※「黒川の女たち」を上映している映画館はほぼ満席に近いほど大勢の人たちが観に来ていました。1時間39分ほどのドキュメンタリー映画でした。実際に第2次世界大戦で日本が傀儡政権・満州国を建て、国策のために岐阜県白川村黒川の住民も黒川開拓団として新天地に夢と期待を抱いて渡りましたが、戦況が不利になり、関東軍も南の方へ逃げてしまい、ソ連兵が攻めてきた時に、黒川開拓団の上司から10代の未婚の女性はソ連兵の性の相手をするように言われ、家族や村の人たちの命を守るために15人の女性がソ連兵の相手をしたけれど、帰国してからは村人からも差別と偏見の目で見られ、随分蔑まれた言葉を投げかけられたりして、二重の苦しみに耐えられなくなりその村からほかの土地に移った人もいたそうですが、やっと声を上げて、こういう史実があったことを村人にも認められ、そういう女性たちの石造も建てられました。生存する女性が自分たちの体験談を語りました。
2025年08月25日
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昨日は小学校の校庭にある坪内逍遥顕彰碑の周りの掃除をする日だったので竹ぼうきをもって出かけました。朝8時から作業開始ということでしたが、早い人はすでにきて掃除をしてみえました。私は碑の前に生えている草を引きました。その後、他のところへ移動して草を引いたり竹ぼうきで落ち葉を掃きました。木々の剪定をする人もいました。総勢10数名でやったので早く終わりました。1時間ぐらい作業をしたでしょうか。なんとか綺麗になりました。その後、顕彰会の執行部役員だけで来月の行事について話し合いをしました。各自ペットボトルのお茶を頂いて解散しました。そんなに大変な作業をしたわけでもないのに、何だか疲れた感じがしてそのあと、ダラダラと過ごしてしまいました。すると、午後になってブロ友さんから電話があり、しばらくお話をしました。そして目が覚めたのでした。
2025年08月24日
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昨日武下さんから絵ハガキとともにうちわが届きました。毎年ご親切に作って送っていただくのですが、絵葉書はヒマワリの絵が描かれています。今年は私も種をまいて朝夕水やりをして育てたのでとても親近感がわきます。もう1枚絵葉書が入っていました。ジニア(百日草)の絵が描かれています。「花に負けない笑顔が ここに」と添えられています。そしてうちわには筍掘りに出かけた思い出とダンスを披露した思い出が詰まっています。どうもありがとうございました。ご親切に感謝します。そして議事録も出来上がったので寿司ランチを食べに行きました。別のお店に行く予定でしたが、お盆期間営業していたので、その後、休業になりいつものお寿司屋さんに流れました。今朝は午前8時から坪内逍遥顕彰会の執行部役員で坪内逍遥顕彰碑の周りの草引きや木々の剪定をする予定です。早朝とはいえ、暑いので気を付けてやりたいと思います。その後、役員会もあるようです。
2025年08月23日
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8月20日(水)に戻ります。午前9時30分からある会議があったので、道路事情を考えて自宅を早めに出ました。案外早く到着して午前9時頃に到着したので、7.12(土)~8.24(日)まで展示中の「美濃のキリシタン」を会議前に観覧しました。会場内は撮影禁止でしたので頂いたチラシを載せたいと思います。「秘められた祈りの証し」として76点が展示されていました。ちょっと小さくて読みにくいと思いますが、「日本のキリスト教は宣教師フランシスコ・ザビエルによって信仰の種が蒔かれたことを端緒とします。美濃地方においては織田信長やその子・信忠など為政者の庇護下に広くさかえ、その当時、各地に多くの信者ーキリシタンが生まれました。まもなく突入した禁教の時代からは、全国的に徹底的な監視・摘発が行われるようになり、特に寛文年間(1661-1673)の「濃尾崩れ」と呼ばれる大検挙は一体の地域を大きく揺るがすものでした。こうした状況下でも可児・加茂地域をはじめとした美濃にも少なからず信者が存在し、確かな祈りの灯を守り伝えていたことは今も各地に伝わる様々な資料や伝承によって知ることができます。1865年長崎の浦上村において潜伏キリシタンが大浦天主堂の神父に信仰を表明したという「信徒発見」から今年で160年。日本キリスト教史上で奇跡とされる出来事を契機としたキリシタンの国際的な問題には、早稲田大学の創設者・大隈重信1838-1922)が深くかかわったことでも知られています。この展覧会ではキリスト教伝来から明治期までの展開をたどりながら、残された様々な”証し”を手掛かりとして、美濃に息づく多様な信仰の形を紐解いていきます。地域のキリシタンの歴史を深く見つめ、祈りを捧げた人々の姿とその思いについて考えるきっかけになれば幸いです。」と書いてあります。・・・そして午前9時30分から11時30分まで会議に出席しました。私は会議の議事録を記録する係なので、2日がかりでやっと書き上げました。今月はこれで肩の荷が下りました。やれやれ
2025年08月22日
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さえママ1107さんのブログ「さえりんの部屋」に書いてある「妊婦が交通事故死 お腹の赤ちゃんは!?オンライン署名のお願い」をシェアさせていただきます。 今からちょうど1ヵ月前に被害者サポートセンターあいちでにじいろ会を知って下さった方から公式LINEにご連絡を頂きました。その方はMさんとおっしゃる方で、今年の5月21日に里帰り出産の為に愛知県一宮市のご実家に帰っていた娘の沙也香さんが交通事故に遭い5月23日に帰らぬ人となってしまいました。沙也香さんは7月が出産予定でした。事故後緊急帝王切開で産まれたお子さんは脳に重度の障害を持ってしまい未だ植物状態なのだそうです。突然の娘さんの交通事故死、そして誕生を心待ちにしていたお孫さんは懸命に命を繋いでいる状態だそうです。私たちは公式LINEでご連絡をいただいてすぐに事故のことを調べましたが、事故2日後に亡くなっているので死亡事故にはなっておらず(事故後24時間以内に亡くなると死亡事故)なかなか事故の内容がわかりませんでした。ずっと気になっていたのですが18日にFacebookで柳原三佳さんの記事が目に留まりました!!そしてMさんからも公式LINEで記事のことをお知らせくださいました。沙也香さんのお腹にいた赤ちゃんは交通事故で重度の障害を負って産まれてきたにもかかわらず法律上被害者とは認められないのだと、懸命に生きようと頑張っている赤ちゃんのために少しでもやれることはしてあげたいと昨日からオンライン署名を始めたそうです!!私もさえパパも早速オンライン署名をさせていただきました!!簡単にできますので、柳原三佳さんのヤフーニュースの記事を読んでご協力いただける方はオンライン署名をどうか宜しくお願いいたします!!我が子を抱くこともできず、妻は逝った… 出産目前の交通事故 帝王切開で生まれた子は今も意識不明 (ヤフーニュースより引用)事故後、帝王切開で生まれた赤ちゃんは低酸素脳症で今も意識不明のままだ(家族提供)■事故から1時間半後、緊急の帝王切開で生まれた我が子 その写真が私のもとに送られてきたのは、7月末のことでした。 目を閉じてすやすや眠る、生後2か月のかわいい赤ちゃん。名前は、研谷日七未(とぎたにひなみ)ちゃんです。 でも、日七未ちゃんは、生まれてから一度も泣き声を上げたことがありません。目を開いたこともありません。小さな喉には管が通され、人工呼吸器がつけられています。医師からは「低酸素性虚血性脳症」と診断され、この先も意識が戻ることはなく、一生寝たきりの状態が続くと言われているそうです。 父親の研谷友太(とぎたにゆうだい)さん(33)は語ります。「娘の日七未は、事故の衝撃で母体の意識が失われたまま、約1時間半後、緊急の帝王切開で生まれました。何とか命はつながりましたが、お腹の中で長時間酸素が届かなかったため、脳に大きなダメージを受け、せっかく生まれてきたのに、感情を表す手段も、自ら命を維持する力も失ってしまいました。あの事故さえなければ、母親の胸に優しく抱かれ、たくさんの人に祝福されながら幸せな人生を送るはずだったのに……、私たち家族の未来は、一瞬で、すべて奪われてしまいました」 初めての出産を目前に、交通事故で命を奪われた研谷沙也香さん(当時31)。人の痛みに寄り添える、優しい人柄だったと夫の友太さんは振り返る(遺族提供)■単身赴任先に届いた、突然の知らせ 事故は2025年5月21日、愛知県一宮市の市道で発生しました。 以下は、本件を報じる翌朝の新聞記事です。●『一宮で重体事故』 21日午後3時45分ごろ、一宮市木曽川町門間東島海の市道で、路上を歩いていた30代くらいの女性が後ろから来た軽乗用車にはねられた。女性は病院に搬送されたが、意識不明の重体。 一宮署は、自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、車を運転していた同町門間角田、無職児野尚子容疑者(49)を現行犯逮捕した。署によると、容疑を認めている。現場は中央線のない道路。(2025.05.22 『中日新聞』尾張版) 事故現場の状況(遺族提供) 上記写真を見てもわかる通り、加害者は住宅街の道路で左側を走行すべきところ、進路を逸脱させ、右側を歩いていた研谷沙也香さん(31)の後方から衝突。沙也香さんはその衝撃で前方へ15メートル以上飛ばされたのです。歩行者にとっては避けることのできない事故でした。事故現場。この道路の右側路側帯を奥へ向かって歩いているとき、後方から加害車が衝突。沙也香さんは約15メートル飛ばされた(遺族提供) 単身赴任先の広島で第一報を受けた友太さんは、当初、何が起こっているのか把握できなかったと言います。「いつも通り業務に向き合っていた午後4時13分、突然、一宮西病院から私の携帯に着信があり、『今すぐ病院に来てください』と告げられました。詳細は一切知らされず、『早く来てほしい』と繰り返されるのみでしたので、とっさに、里帰り出産のために一宮市の実家に帰省している妻のお腹の子に何か起きたのではないかと思い、一刻も早く妻の元へ駆けつけたいという一心で、広島駅に向かいました」 途中、病院に電話をかけ、「せめて状況だけでも教えてほしい」と頼んだところ、「奥さんが交通事故に遭い、意識がない」とのこと。友太さんは取り急ぎその事実を義父に報告し、急いで上りの新幹線に乗り込みました。■妻からの、最後のLINEメッセージ「間もなく、義父から、『母体優先で、お腹の子は帝王切開によって取り出され、子どもはNICU(新生児集中治療室)のある一宮市民病院へ搬送された』との連絡が入りました。それを聞いたとき、言いようのない不安と深い悲しみが押し寄せました。あんなに楽しみにしていた初めての赤ちゃんが、なぜ、こんなかたちで……。それでも、とにかく二人とも助かってほしい、私が病院に着くまで、なんとか生きていてほしい、ただその願いだけを胸に、気が狂いそうな思いで新幹線の座席に身を沈めていました」 ふと、この日の昼頃、沙也香さんからLINEが届いていたことを思い出した友太さんは、携帯の画面を開きました。そこには、『昨日からすごい暑い、、、広島も暑いのかしら?』というメッセージが残されていました。「私はちょうど仕事中で、妻のメッセージに返事を返すことができていませんでした。あのとき妻に、『暑い中、無理をして散歩に行かないようにね』とでも伝えていたら、こんなことにはならなかったかもしれない……、そう思うと悔しく、後悔しかありませんでした。私は、名古屋に向かう新幹線の中で、『さやか頑張れ!!』とLINEを送りました。でも、それが”既読“になることはありませんでした」事故当日の正午に届いた沙也香さんからの最後のLINE。友太さんがこのメッセージに返信できたのは、事故発生の後だった(遺族提供) 友太さんが一宮の病院に着いたのは、午後8時半頃でした。親族が待機する控室に向かうと、沙也香さんの両親、兄妹が泣き崩れていました。「それから何時間経ったでしょう、ようやく妻と対面したその瞬間、私の心は崩れ落ちました。顔と身体は腫れあがり、滲む血に覆われ、頭部の内出血の影響で両目の周囲は黒く変色していました。まるで別人のようなその姿は言葉では表しきれないほど痛々しく、ただ手を握り、沙也香、沙也香……と呼び続けました」 脳外科医と産科医の説明によれば、沙也香さんは救急搬送される時点で意識はなく、すでに瞳孔が開いていたそうです。脳損傷で出血が酷かったため、頭骨を取り除き、脳圧を減らす手術をおこなったものの、出血部位が分からず、再度手術を行っても途中で息を引き取る可能性が非常に高く、今日か明日が山、とのことでした。■事故後、帝王切開で生まれた我が子との初めての対面「医師の説明を聞き、非常に厳しい状態であることを察した私は、これ以上、沙也香の苦しみを長引かせたくないと思い、再手術はせず医師の勧めに応じて、面会制限の少ない一般病棟への移送をお願いすることにしました。そしてすぐ、子どもが搬送された病院へ向かいました」 沙也香さんのお腹の中で突然の事故に遭い、予定日より約1か月半早く生まれてきた日七未ちゃん。友太さんは、NICUでその小さな赤ちゃんと初めて対面しました。「沙也香にそっくりの可愛い顔、小さな手、小さな足……。私は保育器の中に手を入れ、少しだけそのやわらかな身体に触れました。これ以上ないほど不幸なかたちで生まれてきた娘。それでも、小さな身体で、懸命に生きてくれているその姿が愛おしく、ただ『ありがとう』と声をかけることしかできませんでした」 気管切開を受ける前の日七未ちゃん(家族提供)■へその緒の半分を妻の棺に入れて 日七未ちゃんに面会した後、友太さんは再び沙也香さんが待つ病院へ戻りました。NICUで撮影させてもらった日七未ちゃんの写真をプリントして沙也香さんの横に置き、「産んでくれてありがとう……」と声をかけました。 しかし、事故から2日後の5月23日早朝、容態は急変。沙也香さんは静かに息を引き取ったのです。「日七未のへその緒が結構長かったので、それを半分に切り、ひとつは私の手元に、もうひとつは沙也香の棺に納めました。結婚して4年、一度流産を経験した私たちにとって、新しく授かった命は宝物でした。『とにかく無事に生まれてきてほしい』『思いやりのある子に育ってほしい』と毎日のように夫婦で語り合っていました。彼女が娘の誕生をどれほど心待ちにし、どれだけ深く愛していたかを、私は隣でずっと見てきました。 お腹を撫でながら語りかける沙也香は穏やかな母の顔をしていました。その沙也香が、一度も我が子を抱くことも、目を合わせることも、成長を見守ることもできずに旅立ってしまったという現実は、あまりにも悲しく、理不尽で、無念としか言いようがありません。33歳で葬儀の喪主をつとめることになった私は、沙也香に恥ずかしい姿は見せたくない、安らかに眠ってほしい、その思いだけを胸に、式を終えました」 沙也香さんは大学時代、愛知県内の交通事故による死亡件数の多さを問題意識として捉え、論文を執筆していたそうです。人一倍、交通安全の啓発に関心を持ち、社会の課題として真剣に向き合っていた彼女が、奇しくも交通事故によって命を奪われるとは……。 友太さんはその悔しさをこう語ります。「沙也香は、決してこのような最期を迎えてよい人ではありませんでした……」 事故の4日前、友太さんが単身赴任先の広島から沙也香さんの実家を訪れていたときに撮った最後の写真。沙也香さんは生まれてくる赤ちゃんのために運動や食事など細心の注意をして過ごし、努力を重ねていたという(遺族提供)■なぜ「胎児」は被害者と認められないのか… 6月11日、加害者は過失運転致死の罪で起訴されました。起訴状の「公訴事実」には、以下のように記されていました。【前方左右を十分注視せず、ハンドル・ブレーキを的確に操作しないまま漫然時速約30キロメートルで進行した過失により、自車を道路右端の路側帯に進行させ、折から同路側帯内を自車と同一方向へ向かい歩行していた研谷沙也香(当時31歳)に気付かず、同人の後方から同人に自車右前部を衝突させるなどして同人を路上に転倒させ、よって、同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ(中略)死亡させたものである】 なぜ、明るい時間帯に、しかも見通しのよい道で、前を歩く沙也香さんの姿に気づかなかったのか……。 加害者は取り調べの中で、「事故の記憶がない」と述べていたにもかかわらず、釈放後、遺族に対しては、「居眠りをしていたかもしれない」と供述を変えてきたといいます。「都合が悪くなると平気で供述を変える姿勢に、私たち遺族は一層辛い思いをすることになりました。『事故の記憶がない』と言いさえすれば責任を逃れられるような前例は、絶対に作ってはなりません」 そしてもうひとつ、起訴状を目にした友太さんは、この事故をきっかけにどうしても訴えていきたいことがあると言います。それは、日七未ちゃんも「被害者」として扱われるべきだという、父親としての切実な思いです。「刑法では、『胎児は母体の一部』とされていて、過失による事故で胎児が命を落としても、原則として罪に問われないとされています。しかし、娘の日七未は、明らかにこの事故の被害者です。事故の瞬間、胎児だったという理由で起訴状に名前も記されず、加害者に刑事責任が問われない可能性があるという現状には、深い疑問と怒りを感じています。 本件は、私たち家族だけの痛みではなく、社会全体が向き合うべき深刻な問いを突きつけています。胎児に関する法的な扱いは非常に難しい問題ですが、同じような悲劇が再び起こらぬよう、司法が毅然と責任を問うことは、命の尊厳を守る上で絶対に必要です。娘の無念が司法に届くことを願っています」 ちなみに、熊本で起こった水俣病事件で、最高裁は『胎児に加えられた侵害が出生後に人に死傷の結果をもたらした場合、業務上過失致死罪が成立する』と判示しています(昭和63年2月29日決定)。この解釈をあてはめれば、お母さんのお腹の中で交通事故に遭い、重い後遺障害を負った日七未ちゃんも「被害者」ではないでしょうか。■妻と娘の命が、社会の問題を見つめ直すきっかけになれば… あと数か月頑張れば、家族3人、広島で幸せな生活が始まる……、友太さんはその日を楽しみに、家族との未来を思い描いていました。しかし、今回の事故によってその全てを奪われました。ふと、自身の死を願うこともあるといいます。「準備していたベビーベッド、哺乳瓶等の育児用品、整理された出産関係の書類……、全てが悲しみに繋がります。交通ルールを守り、ただ道路の右端を真っすぐ歩いていただけの妻が、なぜ、命を落とさなければならなかったのか。警察から返された、びりびりに破れた血だらけの服、靴、ちぎれた鞄は、妻がどれほどの衝撃と苦痛を受けたかを物語っており、想像するだけで涙が止まりません」 友太さんは今、育児休暇を取得し、毎日、日七未ちゃんの面会を続けています。しかし、医療的ケア児の受け入れ施設は少なく、退院後の見通しは立っていません。父子家庭で仕事をしながら24時間の介護をおこなうことは難しいため、まずは自身の実家で両親の協力を得ながら、在宅介護を行う準備をしているところです。 事故から3カ月、まだ日が浅い中、筆者に連絡を取り、あえて苦しい体験を語ろうと思った理由について、友太さんはこう語ります。「自動車は便利である一方、ほんの一瞬で、自身だけではなく、相手のすべてを不幸にしてしまいます。この記事をご覧になった方には、いま一度、交通安全について考えていただき、私と同じ思いをする方が少しでもいなくなることを願っています。また、胎児の法的扱いや医療的ケア児の制度の課題についても、一緒に考えていただきたいと思います。妻と娘の命が、社会の問題を見つめ直すきっかけになることを願い、オンライン署名も開始しましたので、ご賛同いただければ幸いです」 加害者の初公判は、9月2日(火)午前10時50分から、名古屋地裁一宮支部で開かれる予定です。亡くなった沙也香さんだけでなく、この事故によって重度障害を負った日七未ちゃんも、一人の「被害者=人」として扱ってほしいという、父親の友太さんの思いは届くでしょうか。 検察には、ぜひ再捜査をしたうえで訴因変更をおこない、本裁判を進めていただきたいと思います。<オンライン署名>~妊婦をはねた死亡事故~ 緊急帝王切開で産まれ、重度の障害を負いながらも懸命に生きる娘は被害者ではないのか?「胎児への加害行為に対して過失運転致傷での起訴を求めます」我が子を一度も抱くことができぬまま命を奪われた沙也香さんの遺影(遺族提供) 私はこの記事を読んで改めて交通事故被害者には本当に理不尽極まりない法律に深い憤りを感じました!!いつも加害者の人権は守られるのに亡くなった被害者は死人に口なしなんです!!!そして今回はさらに「刑法では、『胎児は母体の一部』とされていて、過失による事故で胎児が命を落としても、原則として罪に問われないとされています」とはどういうことなのでしょうか???お腹の中の胎児だから一人の人間として扱われないということでしょうか???この交通事故が無ければきっと元気に産まれてお母さんの手で大切に育てられたであろう赤ちゃんの人権は守られないということなのでしょうか???ご主人様やご家族、公式LINEでご連絡を下さった沙也香さんのお母様のお気持ちを考えたら、今まで大切に育ててこられた娘さんの命を交通事故で一瞬で奪われて待望のお孫さんも重度の障害を負われて本当にやりきれない気持ちでいっぱいだと胸が苦しくなります。決して他人事には思えません!!なにか少しでもご協力出来ないかと思いブログに書きました。このヤフーニュースの記事を読んで共感していただけた方はオンライン署名にご協力をお願いいたします!!!
2025年08月21日
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月曜日から木曜日の夜7時からは1時間「名探偵ポワロ」を観るのが楽しみですが、そのシリーズも9に入ってきました。昨夜も後編を観て面白くて余韻に浸っていると、愛知の娘から電話がありました。「早くテレビでメーテレを見て」と。早速テレビをつけるとちょうど世界的チェリストの女性が鳴戸部屋を訪問しているところでした。私も大相撲夏場所(名古屋場所)の朝稽古を見に行って、稽古後に親方とちゃんこ鍋を食べた思い出があるので、ほとんどの力士の皆さんの顔は覚えています。テレビではちゃんこ鍋を食べている場面から始まりました。夏場所千秋楽の祝賀会にも出席したので、親方はもちろんですが、関取や幕下力士の懐かしい顔を見ながらあの時の楽しかった時間を思い出していました。総工費3億円の鳴戸部屋も見せてもらえました。1階が土俵で2階は厨房・食事場(力士の大部屋)、3階は関取2人の個室と力士の大部屋、親方家族4人の部屋があるそうです。スカイツリーがすぐ近くに見えました。晴れた日には屋上でみんなでBBQを楽しむのだそうです。世界的チェリストの女性(水谷川さん)は稽古を見て感激して感謝の気持ちを込めてチェロの演奏をされました。チェロは私の大好きな楽器です。文楽の世界をチェロで表現した楽曲とAmazing Graceを演奏されました。。親方も『体力だけでなく「心技体」で毎日臨むのがベストで人生1回しかないのでせっかく鳴戸部屋に入ってくれたからには一段でも上に上がれるよう厳しく優しく育てるつもりです』と言われました。鳴戸親方はやはり女性に優しくイケメンでした。ちゃんこ鍋を見ていたらお腹がすきました。すると愛知の娘からうなぎの画像が届きました。今日は朝9時に出かけて9時30分から坪内逍遙顕彰会の執行部会が午前中あります。その後、ダンスレッスンに走ります。今夜は鰻を食べに出かけようと思います。・・・昨夜午後7時からメーテレ・チャンネル6で放送された「高嶋ちさ子 小泉孝太郎プラチナファミリー!!旧公家ちさ子大親友 世界的チェリスト登場憧れ㊙相撲部屋潜入イケメン親方に大興奮」のテレビ画面です。参考までに2025年7月5日のブログです。同じく7月31日のブログです。
2025年08月20日
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昨日は朝一番で足つぼの日でしたが、予定を変更してみんなでモーニングに行くことになりました。20代1人、40代2人と私たち夫婦で計5人が山の上にある喫茶店に集合しました。足つぼをやってくれる友人とその娘さんを迎えに行き、ダンスの女先生と店で合流して、にぎやかにモーニング。ここの喫茶店は人気があるらしくお客さんでいっぱい。特にカウンターには男性陣がずらりと座り、店内はご夫婦、ご家族でほぼ満席でした。いつもコーヒーなので、シソジュースにしました。それにもモーニングセットが付きました。いつも気心の知れた仲良しなので話が止まりません。私たちは彼女たちの両親よりも上の年齢なんですが、なぜかまるで同じ世代であるかのように話し合います。帰り際、店のママさんが私のことを知っていると言われました。どうもママさんもしばらくの間、ダンスを習っていたらしく、私の顔がダンスの時の顔と全く違うのでわからなかったそうです。踊るときは長いつけまつげと厚化粧で変身しますので多分わからないんだと思いますと答えました。その後、相方が運転する車に5人が乗って狭い山道をぐるぐると回りながら山の一番奥に到着しました。先客さんも数名見えましたが、果樹園のオーナーさん夫婦と話をしました。今年は果物の成長が遅いそうです。そして猛暑のせいなのかわかりませんが、カメムシもたくさん発生して果物に付くので困ってみえました。幸水の出荷も遅れ気味なんだそうです。用事を済ませ、また車で山道をぐるぐる降りてきました。・・・我が家のヒマワリもそろそろ終わりです。結局13輪咲きましたが、今は種が育っています。種がいくつ収穫できるか楽しみです。
2025年08月19日
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昨夜はBS12で熊野花火大会を観ました。今年もテレビで花火大会を楽しませてもらいました。秋田・大曲の花火、新潟・長岡まつり大花火大会、隅田川花火大会、諏訪湖祭湖上花火大会、琵琶湖大花火大会、そして岐阜・長良川花火大会など。そろそろ花火大会も終盤に近付いたようなのでスマホで写真を撮ってみました。スターマインも海上自爆も迫力があってとても素晴らしかったです。ただしブロ友さんいわく、シェーンブルン宮殿の「夏の夜のコンサート」をやったそうで、そちらが見れなくて残念でした。
2025年08月18日
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先週の金曜日からお施餓鬼、棚経とお盆の行事がありお墓参りをして卒塔婆をお墓に持って行きました。ちょうど昨日からいつも通りの生活に戻りました。ダンスレッスンも始まりました。1週間ほとんど運動らしいことをしなかったので身体が重かったですが、これから少しずつ慣らしていこうと思います。高校生の女子は食事作りのボランティアがあり、また中学生の男子はテニス教室があったので私たちはそれぞれが分担して二人の送迎をしました。私は隣の市の運動施設まで送りましたが、広い駐車場は満車で小さな子供さんから高齢者まで次から次へとやってきては水泳教室、テニス教室、そしてジムで鍛えてらっしゃいました。私は涼しいロビーでダンス疲れを取りながらジムから聞こえてくる様々な器具の音を聞いていましたので、長年のブロ友さんからの電話にも気づかないぐらいでした。申し訳なかったです。お盆の間、交通安全のストラップ作りをしてきました。表編みが終わったので、これから裏編みをしようと思っています。暑さを忘れることができます。
2025年08月17日
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昨日は戦後80年「終戦の日」ということで戦争に関する番組が多かったように感じます。私も午後7時のニュースを見た後、7時30分から8時45分までの「NHKスペシャル 新ドキュメント太平洋戦争・シリーズ完結へ」と午後10時から10時55分までの「同上・シリーズ最終回」を観ました。そこに映し出される戦争の場面は今なおウクライナやガザ地区で起きている戦争と何ら変わらない人と人との武器を使った無残な戦いでした。そして広島と長崎に投下された原爆の悲惨さを目の当たりにして二度と原爆を使ってはならないけれど、世界に目を向けると、人類はその危機感が薄れているのではないかという危惧があります。戦争を美化することがあってはならないと思っています。当時のような上からの命令に絶対服従という時代風潮は変わりましたが、人の心を鬼にする戦争は二度と起こしてはならないと思いました。祖父母や両親は戦争についてあまり口にしませんでした。それは口にできなかったんではないだろうかと思います。とにかく毎年8月15日は心がもやもやする日です。・・・そこへアメリカの友人からこんな写真が届きました。以前にも紹介したことがありますが、いつ頃だったか記憶があいまいです、今回も花の絵が描いてある通りを訪れたそうです。お花だけでなく可愛い動物も描かれていて何となく気分が晴れました。
2025年08月16日
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東海地方のモーニングをテレビでよく取り上げていますが、私たちも今週は早朝7時か7時半から出かけ、色々と違うメニューを楽しんでいます。今まで訪れたことのない喫茶店へ行きました。すると出てきたのはサンドイッチとみそ汁の組み合わせでした。味噌汁は具沢山でした。豆腐、油揚げ、なめたけ、もやし、人参、わかめが入ってました。最近は卵の高騰でどこの喫茶店も赤卵から白卵にかえられてますが、ここの喫茶店は赤卵のままでした。またサンドイッチではなく、おにぎりを選ぶこともできました。こちらの喫茶店では串団子が付きました。写真は撮れませんでしたが、後で茶碗蒸しが出てきました。コーヒーとトーストだけのモーニングよりは卵が付く喫茶店に行くことにしています。お盆の間は静かににじいろ会のストラップを作ることにします。相方が協力してくれるので助かります。二人で作業を分担していますので、頑張ります。庭のプランターに植えてある向日葵の葉っぱがだいぶ枯れてきました。種を採るまでそのままにしておこうと思っています。H 先生の畑では大きな向日葵の葉っぱが枯れて茎が折れているのもあったので、まだしばらく放置しておいてもよさそうです、
2025年08月15日
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先日H先生の畑で大きな向日葵を見てきたばかりですが、我が家はプランターなので小さな花ですが、9輪咲きました。最初に咲いた花は種ができ始めました。どれぐらい収穫できるでしょう。友人に「はるかのひまわり」をあげるのが楽しみです。今朝のモーニングはケーブルテレビのスタジオにあるカフェに行きました。夫がPCで調べて連れて行ってくれます。今週は休みなので時間的に余裕がありますので。そして80歳を数年超えた元気な男性から今度は徳島の阿波踊りの様子が動画で届きました。1,000の連が参加するのを観覧したそうです。この方はこれで3回目の阿波踊りを観たそうです。前夜は高知でよさこい踊りを200チームぐらい見て午後11時半にホテルに着いたそうですが、一昨夜は徳島で阿波踊りを見て午後10時半頃ホテルに戻ったそうです。毎回元気をもらうので、また来年も行きたいとおっしゃってます。今まで大歩危峡、大塚国際美術館を訪れ、金刀比羅宮、本宮まで石段を785段上がったそうです。最後は鷲羽山展望台に上がって昨日帰ってみえました。80歳を超えてから悔いが残らないようにと各地のイベントへ出かけ、旅行も楽しんでみえます。数か月前はオーストラリアへ旅行されました。また市内の全小、中学校にご自分の名前の付いた文庫としてそれぞれに何十万円ずつの寄付をし終えられました。この方の真似はできませんが、刺激は頂いております。
2025年08月14日
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昨日は棚経参りでした。先週金曜日(8/8)に菩提寺へお施餓鬼に出かけお塔婆を頂いてきたので仏壇にあります。檀家参りのお坊様は菩提寺のお坊様とは違いますが、毎年同じ方がいらっしゃって読経をされます。とても丁寧にお仏壇にある位牌をすべて読み上げて盆供養をしてくださいました。ありがたいことです。お墓は先日草引きをしてきましたので、お塔婆をもってお盆の終わりに出かけようと思っています。昨日まで数日の間、雨模様でした。と言っても全く激しくは降らず、時々パラパラと降るぐらいでした。しかし今日からは再び気温が上昇し、34度や35度になるようです。また熱中症に気を付けないといけませんね。昨日モーニングでこんなのが出てきました。ケチャップで「雨」と書いてあったんです。思わず微笑んでしまいました。その後はいつも通りの1日でした。そうそう、もう先週のことになりますが、愛知の娘が夏休みの孫娘と東京へ行ったそうです。ジブリ関係イベントの第三弾でジブリの立体造形物展を観に行ったようです。前泊したのは天王州運河沿いに停泊する小舟でした。ゆらゆら揺れるホテルだったそうです。孫娘は画材屋さんを散歩して楽しんだようです。ジブリの立体造形物展は素晴らしい作品ばかりでいつまでも眺めていたい気持ちになったそうです。シーターなどは動画なので載せられません。孫娘はカルシファーとヒンが好きなんだそうです。紅の豚もありましたが、動画でした。旅の目的はジブリ飯を食べることだったそうで、ボニョのラーメンは美味しかったそうです。いつも仕事で忙しい母親と夏休みを楽しめて良かったね。
2025年08月13日
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先週菩提寺でお施餓鬼がありましたが、今日は棚経でお坊様が自宅に来て仏壇にお参りして下さいます。九州では線状降水帯の大雨による被害が各地で出ています。謹んでお見舞い申し上げます。当地は久しぶりの雨で潤いました。被害が出るほどの降り方ではないので助かります。11日(月)~13日(水)まで四国へバス旅行に出かけた友人からたくさんの写真と動画が届きました、私は四国では徳島県と愛媛県しか訪れたことがないので、高知県の写真と動画を送ってもらったのでいつか行きたいなぁと思いながら見せてもらいました。はりまや橋です。よさこい祭り、11日は200チームが参加して踊ったそうですが、12日は1,000チームが参加するそうです。ちょっと想像ができません。動画のごく一部を紹介しました。私達はお天気の悪い中、買い物に出かけてその日の都合で昼食だけ済ませてきました。お盆の間はダンスもお休みでのんびり過ごせます。8日間連続で休むのは今までで最も長い休みです。先生からはその間に太らないように、そして運動は毎日続けてくださいと言われていますが、なかなか難しいですね。お盆の間はお盆の行事に集中します。
2025年08月12日
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長らくお付き合いいただいた北海道旅行も今回が最終回です。高速道路を移動中、昭和新山を左手に観ながら通過したところで、バス中に鳴り響く津波警報!バスガイドさんが真っ赤な画面を見せながら「津波警報」が出ましたと叫びました。乗客の皆さんのスマホにもあちらこちらで津波警報の表示が。運転手さんとガイドさんはバス会社と連絡を取り合っています。とにかく高速道路を行ける所まで行くという事に決定しました。途中のSAやPAには避難して待機している大型トラックや乗用車で満車です。途中のSAでトイレ休憩に入り、出発しようとすると駐車場で待機していた車の人たちが走ってきてバスのドアを激しくたたきました。津波警報が出ている時に走るのは危険だからしばらく待機していなさいと注意するのです。それはよくわかるのですが、とにかく飛行機の出発までに到着する必要がありました。高速道路から太平洋が見えていましたので、海側へ降りれば通行止めだろうし、かといって山側は遠回りで搭乗時間に間に合いません。それでバスは行ける所まで走ったのでした。やはり高速道路はほとんど車が走っていませんでした。どこで通行止めになるのかと不安に思いながら走り続け、新千歳空港の表示を見た時には正直、ほっとしました。高速道路を降りて一般道を走っている時も道路の両側には停車している車の長い列がありました。やっと管制塔が見えてきました。無事に飛行場へ到着し、昼食をとりました。私は食欲もなく、サラダとマンゴジュースだけ。搭乗時間までに少し買い物をして、新千歳空港の記念写真を。私の前の座席に座っていたビジネスマン風の男性が「宮城空港行きが欠航になりましたが、どこまで乗りますか?」と声をかけてきて、「困ったなぁ、どうやって帰ろう。」と頭を抱えていました。私たちは搭乗時間に遅れもなく、手荷物検査をして待合ロビーへ移動。そして搭乗時間になりました。飛行機は揺れも少なく、いったん日本海の上に出てセントレア(中部国際空港)へ無事に着陸しました。ちょうどそのころ三重県の尾鷲や愛知県豊橋付近に津波が到達している時間帯で、海の中にあるセントレアに果たして着陸できるのかと心配しましたが、セーフでした。乗ってきたANA機の後ろの部分だけかろうじて写りました。その後、手荷物を受け取ったら自由解散。名古屋駅まではスムーズに来れましたが、JRの直通の特急がもうない時間帯で、仕方なくたくさんの荷物をもって乗り継いで帰りました。そして最寄りの駅に降り立って、気が緩んだのか植え込みに頭を突っ込みすってんころりん。木陰で休んでいた若い男性が「大丈夫ですか?」と走ってきて、起こしてくれました。相方は気づかずにさっさと歩いて行ってしまったので。しばらくひっかき傷と打ち身で痛かったのでした。もうその時のひっかき傷も打ち身もすっかり治りました。ご心配をおかけしました。(終わり)
2025年08月11日
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最後の旅行記をまたちょっとお休みして、今から80年前、長崎に原爆が投下された8月9日に久しぶりに(約2か月ぶり)仲間が集まりました。元教育長のH先生を囲んで、午前10時からお昼までいつもの喫茶店に集まったのです。実はH先生の俳句と詩が沖縄県立博物館・美術館で開催された~終戦80周年 美ら島芸術祈願展「平和のうた」~に展示されたのです。俳句は俳句集「棉の実」から、詩は詩文集「折ふしの風」から選ばれたものです。私は俳句集も詩文集もいただいて持ってます。そして喫茶店にコピーを持参して頂き詩の説明をしてもらいました。先生は40代後半の頃に県立聾学校に勤務してみえました。その時の経験談を聞かせてもらいました。そのころの生徒さんとは今でも交流されてるそうです。詳細は省きますが、今では障害のある人に対して社会もだいぶ理解が進んできましたが、今から30年ほど前はまだまだ偏見があった時代に生徒も先生も大なり小なり苦労があったそうです。ちょうどお昼時になったので解散という事になり、今年も鮎のキッチンカーがやってきたので、みんな弁当をいくつも買って帰りました。私も買ってきました。昨年は値段もわからず買いすぎてしまい、後で会計をしてもらって目が点になってしまいました。天然アユ1尾800円でしたが、今年は1200円に値上がりました。それで今年は塩焼きはやめてお弁当にしました。味は美味しかったです。H先生の自宅横の駐車場で販売されました。毎年、夏の風物詩の一つです。
2025年08月10日
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さて、北海道旅行も3日目・最終日になりました。早朝から洞爺湖は霧に包まれていました。前日とはまた違った洞爺湖の姿でした。朝食は洋食、和食のどちらかから選びました。私たちは洋食を選びました。するとスパークリングワインがついてきました。ビュッフェから好きな食べ物を持ってきて食べ始めているとモーニングメニュー(肉・魚・パン)3つから選んだパン中心のお皿が来ました。こんなにたくさん来るのならビュッフェでとるのをやめておけばよかったと思いました。しかもスパークリングワインは相方の分と2杯もあって。でもゆっくり外の景色を見ながら頂きました。庭を散歩している人もいました。そして午前9時ごろにチェックアウトしていよいよ霧に包まれたザ・ウィンザーホテル洞爺ともお別れでした。そして9時15分ごろバスは左に洞爺湖を眺めながら山を下りていきました。そして高速に乗り、左に昭和新山が見えてきました。ちょうど午前9時40分ぐらいだったでしょうか。バスガイドさんのスマホや他の乗客のスマホが真っ赤になって津波警報が鳴り出しました。一体全体何が起こっているのか全くわかりませんでした。すると岐阜の仲間の皆さんから次々にLINEが入りました。カムチャッカ半島でマグニチュード8.5ぐらいの大きな地震が起きたこと。北海道から本州太平洋沿岸部にかけて津波警報が出たこと等など。さあ大変!高速道路が閉鎖されれば飛行機に乗れないし、高速を降りて海側へ降りれば通行止めだろうし、山側へ行くとずいぶん回り道で遠くなるので搭乗時間に間に合わないかもしれないし…(つづく)昨日午前中に菩提寺へお盆のお施餓鬼に出かけました。向日葵も7輪咲きました。暑い日差しを浴びて、元気に咲いています。
2025年08月09日
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北海道旅行に行きつ戻りつしながら進めておりますが、庭のゴーヤの実が黄色くなってきたので取りました。今年は肥料をやらなかったので小さいゴーヤしか取れませんでした。数年前に肥料をやりすぎて、すべて枯らしてしまった苦い思い出があります。栄養不足かもしれませんが、化学肥料は与えてないので安心して食べられます。もう一つ小さいのがなっているので近いうちに収穫します。はるかさんのひまわりの花がまた咲きそうで、楽しみです。作朝はしばらく雨が降ったので朝夕の水やりをしなくて済みました。ここでまたザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパに戻ります。夕食の時間になりました。フレンチフルコースを頂きました。少しずつですが、時間をかけていただいたのでおなか一杯になりました。私はグラスワインの赤を頂きましたが、なるほどバスガイドさんが言われたように結構なお値段でした。優雅なひと時を過ごすことができました。この時は翌日ハプニングが起きるとは想像もしませんでした。(つづく)今日は午前中、菩提寺へお盆のお施餓鬼に出かけます。オーストラリアの派遣生が元気に帰国する予定ですが、市役所まで迎えに行く時間が取れないかもしれません。
2025年08月08日
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8月も2週目に入りました。ここで旅行記をちょっとお休みしていつも紹介している武下さんのカレンダーを紹介します。(余白は少なくしてあります)8月の絵はアサガオ(朝顔)添えてある言葉は「心の中で咲いたアサガオに笑顔がまたふえる」です。こちらは相方が最近コンプリートしたLEGOのFomula1です。相方は細かい手作業が大好きなんです。はるかさんの向日葵が満開になりました。と言ってもまだ一輪ですが。もうすぐ咲きそうな蕾ができています。暑い日が続いています。こちらは7月から8月にかけて出かけたモーニングです。ランチに出かけた日もありました。肉と魚が一皿にのっています。お寿司の日もありました。二の丑の夜は鰻を食べに出かけました。ほぼ毎日赤いスイカを食べていますが、やっとスーパーで黄いろいスイカを見つけたので昨日は黄色スイカを頂きました。糖度15度で甘くて美味しかったです。おかげさまで夏バテ知らずです。やっと昨夜、雷が鳴りほんの少しだけお湿りがありました。でもほんの30分足らずの間だけでした。今朝はしばらくしとしと雨が降りました。植物に水やりをしなくて済むので助かります。
2025年08月07日
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昨日ブログの友達、MASAさんから速達が届きました。中から出てきたのは「あこや姫」のCD3枚とMASA さんが作曲された交響詩「あこや姫」の全編の楽譜が書いてある冊子でした。夕方、喫茶店でくつろいでらっしゃるMASAさんにお電話をしてお礼の言葉とともに少しの間、お話をさせていただきました。直接お話をさせていただくのは初めてでしたが、ブログで長い間お付き合いしていただいているのでお話が色々とできて嬉しかったですし良かったです。本当にありがとうございました。・・・さて、タワーから五稜郭公園を一望してからバスは大沼へ向かいました。相方は以前ゴルフをしに大沼へ来ています。昼食を頂くのはこのホテルです。そしてランチタイムになりました。私は地元の日本酒を、相方はジンジャーエールとともに洋食ランチを美味しくいただきました。とっても美味しかったです。その後、洞爺湖温泉にあるザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパへ向かいました。先ずウェルカムドリンクを頂き、向こうには洞爺湖が見えました。ハープ演奏を聴きました。洞爺湖サミットが開催されたホテルなので何もかもが豪華版でした。そしてその夜の部屋に落ち着いたのでした。(つづく)
2025年08月06日
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やっと我が家の向日葵が咲きました。種をまくのが遅かったのでやっと一番花です。「はるかのひまわり」は阪神・淡路大震災で亡くなったはるかさんを偲んで彼女の家があった場所から咲いた向日葵が震災からの復興のシンボルとして、また命の尊さを伝える象徴として全国に配布され育っています。生前はるかさんが飼っていたオウムにあげていたひまわりの種が芽を出し大きな花を咲かせたのでした。まだ蕾がたくさんあるので咲いてくれると思います。咲き終わったら種を採りたいと思っています。・・・さて旅行記は箱館観光です。まず向かったのは函館元町です。異国情緒あふれる街並みを散策しました。この辺りは教会がたくさんありました。マンホールの蓋です。一昔前に洗剤のコマーシャルに出てきた坂道だそうです。旧函館区公会堂です。とても大きいので一度では撮り切れませんでした。元町公園から港を見渡しました。私たちが滞在したホテルも見えました。下の方へ降りていくと、途中にあります。その後バスは五稜郭が見えるタワーに行きました。タワーから五稜郭公園を一望しました。五稜郭は江戸幕府が蝦夷地の防衛と開港に備えて築造した星形の城郭です。1857年に着工し、1864年に完成しました。その後、函館戦争の舞台となり、旧幕府軍の拠点となりました。土方歳三ら新選組の最期の地でもあります。エレベーターの中で写しました。逆光で暗くなりましたが、展望台には座った姿の土方歳三のブロンズ像がありました。他にもミニチュアで作られた函館戦争のジオラマや資料などの復元スペース「五稜郭歴史回廊」がぐるりとありました。スマホで写しましたが、16もあったので省きます。現在、五稜郭は公園として整備され函館の観光名所となっています。函館戦争の面影はありませんでした。タワーに登った記念に1枚だけ(つづく)
2025年08月05日
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旅行記に戻ります。7/29(火)の朝は相方が午前3時前から起きてガサゴソ。夜寝るのが早いので仕方ないのですが、私は寝るのが遅いので睡眠時間が足りません。それでもテレビの音が聞こえてくるので、次第に目が覚めてきました。それで朝市に出かけようと午前5時過ぎに出かけましたが、まだどこのお店も閉まっているか、準備中。朝のすがすがしい空気を吸いながら運動するのもいいかと函館駅まで歩きました。やっと函館駅に着きました。やっと函館駅前に到着して駅前のお花を眺めました。そしてしばらく眺めた後、ホテルに戻りました。朝食の時間が午前7時からだったので一番にレストランに入りました。海鮮類が美味しかったのですが、あまり食べ過ぎないようにしてこれだけで充分満腹になりました。誰ですか、あきれているのは。このホテルには現在の上皇様ご夫妻が天皇陛下時代に宿泊されたそうです。そして9時15分にホテルを出発して函館観光に向かいました。(つづく)
2025年08月04日
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旅行記の途中ですが、ここでちょっとお休みして昨日出かけたコンサートの様子を載せたいと思います。朝早くから東京の先生のスタンダードレッスンを早めていただき受け、1時間受けてから、スタジオの先生のラテンレッスンを受け、お昼までに自宅に戻り、衣装を変えてから最寄りの駅まで急ぎお友達と合流しJRに乗って岐阜まで出かけました。岐阜駅でちょっとしたハプニングもありましたが、タクシーで午後1時半までに会場入りできました。コンサートは午後2時から開演でした。先ずカルテットエクスプレシオンの演奏が8曲ありました。後半はタンゴの曲を演奏してくださいました。休憩をはさんで垣内響太さんと山田尚代さんが加わり、ヴィヴァルディコンサートがありヴィヴァルディの四季春、夏、秋、冬の全3楽章をそれぞれ演奏されました。私の座席からは垣内さんが写りませんでした。演奏後、拍手が鳴りやまずアンコール曲にバッハの曲を弾いてくださいましたアンコール曲も含めて午後4時前にはコンサートが終了しました。終演後、演奏家と記念写真を撮りました。いつもの推しのチェリストとカルテットメンバーのヴァイオリニストと一緒にお友達も加わって記念にとても若くて才能あふれるヴァイオリニストの垣内響太さんと記念に。経歴は書きませんがヨーロッパ各地及び日本各地で活躍を続ける若手ヴァイオリニストです。チェリストも加わってスリーショットで終演後、記念撮影をしてから帰りました。お友達と電車の往復、話し続けてあっという間に最寄りの駅に到着。楽しい時間を過ごしてきました。
2025年08月03日
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17時47分に新函館北斗駅に到着し、札幌からきて待っていてくれた観光バスに乗り込み、函館山の麓にある食事処へ夕食に向かいました。向こうの方に函館山が見えました。334m(333.8m)の高さがあり、火山であり溶岩台地が陸繋島になっています。途中の宝来町に高い像がありました。高田屋嘉兵衛の像です。そして食事処へ到着。お給仕してくれた従業員さん達はほとんどが東南アジアの女性でした。石狩鍋など海鮮御膳を頂きました。添乗員さんが撮ってくださいました。そしていよいよ函館山に登っていきました。果たして100万ドルの夜景は見られるのか、坂道の右へ左へと時々現れる夜景を見ながら登りました。函館山に到着すると、すでに目の前にはものすごい数の観光客が百万ドルの夜景を撮っていました。聞こえてくるのは日本語ではなく韓国や台湾、東南アジアの若者の会話が多かったです。ガードマンさんが数名「立ち止まらないでください」と大声で叫んで、私は背中を押されました。大勢が夜景を撮っているので写真を撮る場所がありません。手を高く上げて、写っているのかどうか確かめずに写しました。とにかく下の方から頂上まで人、人、人の波でどこからこんなに大勢訪れているのという感じでした。人と人の隙間から見える夜景を目で確かめるだけでした。集合時間が気になり相方とはぐれて一人で下山しました。無事に自分たちのバスを見つけた時には本当に嬉しかったです。そして函館国際ホテルに到着し、部屋に入りました。その夜、ホテルの温泉に行きましたが、ここでも大勢の若い外国人女性が洗い場も洗面化粧台も列を作って待っていないと使えないほどでした。日本全国津々浦々、北海道まで本当に外国からの観光客が多いですね。(つづく)
2025年08月02日
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2泊3日の北海道の旅から帰ってきました。これからその旅を少し振り返りたいと思います。前日(7/27・日)の夜は大相撲名古屋場所の千秋楽祝賀会に出席して、自宅に帰ったのが午後10時半頃でした。なんやかんやで午前様になりましたが、翌朝は早起きをして午前8時には自宅を出ました。名古屋駅で午前9時半集合して9時57分発のぞみ4号のグリーン車で東京駅へ11時33分に到着しました。東京駅の「ヴューゴールドラウンジ」でお菓子とティータイムで出発までの時間を過ごしました。まだ充分時間があるので各自東京駅構内のお店へ昼食に出かけました。私たちもお寿司屋さんへ行きました。お腹も満たされたので、東京駅13時20分発のはやぶさ23号グランクラスに乗車しました。途中まで秋田行きの新幹線と連結していました。乗車中、専属グランクラスアテンダントのおもてなしを受けました。北海道新幹線グランクラスは1両に18席だけの貸し切りです。17名の旅行者の内6名が夏休みの小学生の子供たちでした。あと1名は添乗員さんでした。乗車すると軽い食事とアルコールなどフリードリンクが出てきました。その後、次の駅に停車しながら進みました。その後小さな駅にも停車し、青函トンネルもスムーズに通過して、約4時間の乗車で17時47分に新函館北斗駅に到着しました。駅に到着するとバスが待ってましたので、観光に出かけました。(つづく)
2025年08月01日
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