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上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を改む。(孫子・謀攻) 「上兵は謀を伐つ」。相手の作戦、相手の攻略すなわち謀を伐つのだ。政策・戦略・謀略を間違わせる。これが一番上である。だからスパイといっても、秘密をぬすむなどは低級スパイ、スパイのかけだし、足軽であって、本当のスパイは相手の戦略や政略を誤導する事である。ゾルゲや尾崎などが、日本の政府や軍部などに非常にうまく取入って、そして日本の国策、日本の戦略というものを重大な錯誤に陥れた。まさに日本は謀を伐たれたわけである。スターリンは上兵を用いたのである。「上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ」。すなわち交友関係にある諸国の結束を伐つ。日本でいうならば、日米の親善、アジアの自由諸国の結束を破壊する。 日本を極東の孤児にする。アメリカを日本からシャツト・アウトする――という事が出来れば戦う必要もない。日本を簡単に屈服させられるわけである。「新憂樂志」 安岡 正篤 明徳出版
2016年01月06日
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旧軍においては明石元二郎大佐の工作活動に百万円の国家予算を充当して、自由に使わせた。明石大佐は地下組織のボスであるコンヤ・シリヤクスなどと連携し、豊富な資金を反ロシア勢力にばら撒き、反帝勢力を扇動し、日露戦争の勝利に貢献しようとした。当時の国家予算が2億5000万であったことから、渡された工作資金は単純計算では現在の2000億円を越える額であった。明石の活動に国家的支持が与えられていたことがうかがえる。
2026年05月28日
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チョムスキーは話を簡単にするために 二つの重要な仮定をした。 そのひとつは、言語の統語法は 言語の他の諸側面とは 独立に研究されうるというものであった。 というのは、もし、統語法が言語の他の諸側面 ――たとえば意味とか伝達の便法とか―― と複雑に絡まりあっているとすると、 統語法に属する法則がどんなものであるかを 突きとめることができないであろうからである。 これと強く関連した第二の暗黙の仮定は、 言語学という学問分野は 他の認知諸科学の分野とは 独立に進展しうるというものであった。 それというのも、言語の研究が、 人間の認知を司る他の領域 ――チョムスキーが後になって述べるところの、 他の心的諸器官―― についての研究と密接に結びついていたとすると、 進歩はほとんど不可能か、 あるいは、はなはだしく 遅々たるものになってしまうであろうからである。「認知革命」 ハワード・ガードナー 産業図書
2019年12月24日
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多くの日本人はセオドア・ルーズベルトを親日家だと信じている。ホワイトハウスに畳を入れて柔道をやったとか、日露戦争では継戦能力のない日本のために講和の労を取ってくれたとか。しかし彼の本音はまったく違い、日本を叩き潰すことにあったのです。ロシアから一銭の賠償も取れない講和を押し付けるルーズベルトを本気で恩人と思ったりする。しかしルーズベルトの思いは一つ。米国にとって脅威の日本が賠償獲得でより強力にならないようにすることでした。反日という彼の衣鉢を継いだウッドロー・ウイルソンは日本を弱体化するために国際社会からも締め出そうとしました。彼は第一次大戦のパリ会議で五大国十人委員会を解散し、日本を追い出して英米仏伊の四か国委員会にして日本の発言力を弱め、さらにワシントン会議で日英同盟を破棄させ、日本を孤立に追い込んだのです。
2026年05月29日
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ドイツは レーニンを ペテルブルクに送りつけるという 破天荒な政治手段に出た。 こうして、 一九一七年四月三日、 レーニンはペテルブルクに 到着することができたのである。 このとき、 ドイツ参謀本部が レーニンを送り込むことを 考えていなかったなら、 果たしてレーニンの帰国が 実現したかどうかわからない。 ロシア革命の成否もわからない。 だから、 この革命には明らかに外国、 特にロシアを敵視するドイツの 国家意志が強烈に働いていた。 同時にレーニンは、 革命のためであれば、 敵国をも利用すべきだと考えて 困難な帰国を果たし、 その結果、 レーニンに指揮された ボリシエヴィキ革命は 遂行されたのだから、 ロシア革命の導因に レーニンの強烈な個性があったことも 確かである。 いくら レーニンの価値を低く考えようとも、 あの時期に、 レーニンなくして ロシア革命が成功していたとは とても考えられない。 したがって、 レ-ニンの個性が 二十世紀の歴史を動かしたと言える。 これは、 長い世界史の流れの中で、 一個人のパーソナリティー、能力が、 世界に対して大きなインパクトを与えた 数少ない例の一つである。「嘘ばっかり」で七十年 谷沢永一 講談社
2016年03月02日
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龍樹(ナーガルジュナ)に始まる 空の思想を「中観」といいます。 さらに続いて弥勒(マイトレーヤ)や 世親(ヴァスバンドゥ)が出て、 「唯識」をおこしました。 唯識では成仏には三大阿僧祇劫 (さんだいあそうぎこう:数えることのできないほどの) と呼ばれるとてつもなく長い時間の修行が必要だとされています。 修行の結果悟りを開き仏になると、 8つの「識」は「智」に転じます。 これを転識得智(てんじきとくち)といいます。 五識は成所作智 (じょうしょさち:なすべきことを成し遂げる智)に、 意識は妙観察智(みょうかんざつち:十分に観察する智)に、 末那識は平等性智 (びょうどうしょうち:自己と 他人とは平等で有ると知る智)に、 阿頼耶識は大円鏡智(だいえんきょうち:ありのままに観じ取る智)に 転ずるとされています。 転識得智の考え方は天台宗や真言宗にも受け継がれています。
2012年01月16日
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しかし、ほかの歴史家たちは、一世紀にわたる英米の確執の解消に英国が主導権をとったことを歓迎し、「偉大なる和解」と呼んだ。ベルリン生れのエール大学の歴史学者、ヘイジョ・ホルポーンは、緊密な英米関係の構築を、多分「世界史の観点からみて、英国外交の一大成果」と評している。アメリカが平穏になると、英国はアジアに向かった。朝鮮を脅かす在満洲のロシア陸軍、及び旅順とウラジオストックにいるツァーリの海軍を目の前に、日本は、ロシアの同盟国、フランスとバランスを保つ同盟関係を必要とした。ドイツは適切ではない。皇帝ウィルヘルムは東洋人を嫌い、徹底的に「黄禍(イエロー-ペリル)」を叫んでいたからだ。米国を見ると、ロシアが満洲で動いたとき、その門戸開放政策は災厄と脅威をもたらすことが証明された。英国が残った。日本人は英国人を、島国の国民でありながら世界の最大の帝国を築いた戦士の国民として賛美していた。
2026年05月25日
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