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2年ぶりの新刊となる今巻は、 昭和・平成・令和のそれぞれの時代に、 17歳の少女だった智恵子・栞子・扉子が、 夏目漱石の作品を通して「鎌倉文庫」の謎を解き明かしていくというお話。 第1話 令和編『鶉籠』は、虚貝堂の孫・樋口恭一郎視点で描かれたもの。 扉子は、半年前から、仲の良かった戸山圭を避けるようになっていましたが、 それは、圭の祖父・戸山清和の兄で、大伯父に当たる戸山利平が原因。 彼が所有する『鶉籠』初版本には、「漱石山房」と「鎌倉文庫」の印が押されていました。この初版本が、行方不明となっている千冊の「鎌倉文庫」の謎を解く鍵になると考えた扉子は、圭と共に利平に会い、彼が「鎌倉文庫」を所有し、戸山家土蔵に保管していると聞かされます。が、土蔵に「鎌倉文庫」は見当たらず、扉子は利平に『鶉籠』の入手経緯を問い詰めたのでした。これに怒った圭との関係は修復されましたが、「鎌倉文庫」には智恵子が関わっていたのです。第2話 昭和編『道草』は、20歳の大学生でビブリア古書堂を手伝う篠川登視点で描かれたもの。兼井健蔵は、登の父の師匠で、常連客の女子高生・三浦智恵子の実父でもある久我山尚大でなく、ビブリア古書堂に「鎌倉文庫」の所有者と買取交渉をして欲しいと、店にやって来ました。登と智恵子は「鎌倉文庫」の所有者について情報を得るため、もぐら堂を訪ねます。そこで、久我山書房の番頭・吉原が利平に借金返済を迫る場面に遭遇、店主の清和と話をした後、利平の赤いオープンカーの中で『鶉籠』初版本を、土蔵で「鎌倉文庫」を発見します。その「鎌倉文庫」は、清和が元々の所有者の遺族から買い取り保有していたものでした。「鎌倉文庫」は智恵子によってある「顧客」に売却され、清和は利平の借金を返済します。第3話 平成編『我輩ハ猫デアル』は、扉子と文香の父となった登視点で描かれたもの。登は栞子から「鎌倉文庫」の貸出本が最近オークションサイトに出品されたと聞かされます。そんな時、あの兼井健蔵の妻・花子が、家に来て健蔵の「相談」にのって欲しいと店を訪れます。登と栞子が兼井家の屋敷に行くと、そこには『我輩ハ猫デアル』上編の初版本がありました。健蔵は、この初版本の出品者を捜し出し、珍しい古書を売ってもらえるよう交渉を依頼。本館書庫を見学した栞子は、娘・仁美の夫・弘志からパラフィン紙カバーについて聞かされます。その後、栞子は登と共にもぐら堂で清和から話を聞くと、オークションの出品者、『我輩ハ猫デアル』上編に纏わる事件、「鎌倉文庫」の行方の全ての謎を解き明かしたのでした。 ***今巻で最も興味深かったのは、篠川登と三浦智恵子の二人のエピソード。中でも、インスタントラーメンを一緒に食べるシーンがとても良かったですね。
2024.05.11
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朝ドラ『風、薫る』が始まって4週間。 かなりハイペースでお話はどんどん進んでいますが、 早速、原案である本著を購入して読んでみました。 が、本著で描かれているお話は、朝ドラとは全くと言って良いほど別物でした。 ***下野国黒羽藩主・大関増裕の縁戚で、鉱山開発実務を一手に引受けていた国家老の大関弾右衛門。その妻・哲との間に、二男三女の次女として安政5(1858)年に生まれたのが大関和(ちか)。会津征討を巡り藩主・増裕は自害、新藩主は戊辰戦争で新政府側に立って会津藩を攻撃した。増裕死後、弾右衛門は家老職を辞し家知事に、その後上京し商売をするが失敗、流行り病で逝く。和は、弟・衛、妹・釛と共に書道と算術の塾に通い、釛とは華道と茶道も学んだ。また、哲からは裁縫、機織り、料理を仕込まれ、黒羽の士族・柴田豊之進福綱に18歳で嫁ぐ。22歳年上の豊之進は、陸軍少尉として勤務後退官、大地主として成功していた。しかし、妾の千代とその子どもたちと別宅で暮らし続け、義母は和に米作りを命じた。長男・六郎を連れて東京で里帰り出産した和は、明治13(1880)年長女・心を産むと、柴田家に離縁の意思を伝え、幕府の中国語の通訳として重用されてきた鄭家の女中となる。鄭家の主・永寧の二男で大蔵省で勤務する永慶から植村正度が経営する英語塾を紹介され、通うようになると、さらに正度の兄・正久が牧師を務める下谷御徒町の教会にも足を運ぶように。和は洗礼を受けた後、永寧から鹿鳴館で開かれる『婦人慈善市』の手伝いを打診され、明治17(1884)年6月、会津藩出身の大山捨松に英語対応を申し出て外国人対応を引き受けた。数日後、永寧を通して捨松から鹿鳴館で通訳をしないかと誘われると、鄭家の女中を辞し、子どもたちの世話を哲に頼んで、昼は婦人慈善会会員に英語を教え、夜は通訳の仕事をした。3年後、宣教師マリア・トゥルーの娘・アニーが経営する桜井女学校に附属看護学校を作るので、1期生として入学しないかと正久に勧められ、マリアらと横浜で貧民救済活動に参加する。意を決した和は、明治20(1887)年に麹町区の櫻井女学校附属看護婦養成所に入学した。寮で同室となった長身で断髪、同い年の鈴木雅は、ナイチンゲールの著作を原書で読んでいた。 ***このあたりまでが、現在朝ドラで放映中の時期、即ち看護婦養成所入学に到るまでの経緯ですが、実在の大関和と、朝ドラの一ノ瀬りんとの間には、かなりの相違があることが分かります。そして、鹿鳴館や貧民救済活動に纏わるお話も、大家直美の挿話として描かれていましたが、実際は鈴木雅ではなく大関和に関するものであり、和の英語能力の高さがが伝わってきます。 ***看護学校1年目は教室での座学で、教師・峯尾纓と8人の学生が『Notes on Nursing』を翻訳。2年目は第一医院での実習に6人の学生が臨み、修了式後には和が第一医院の外科看病婦取締に、雅と桜川里以が内科看病婦取締となり、1年も経つと和の奮闘ぶりは医療界中に知れ渡っていた。が、その精神は医局には容れられず、第一医院を去り高田女学校寄宿舎に舎監として赴任する。高田では廃娼運動に時間を費やした後、新設された知命堂病院の看護婦長に就任。その頃、雅は留学を取りやめ横浜貧民窟で天然痘に対処した後、慈善看護婦会を設立していた。一方、和は赤痢の防疫に尽力、以後『婦人新報』に感染症予防や看病法について寄稿する。そして高田で5年半を過ごした後、東京看護婦会で雅の片腕として多忙な日々を過ごすことに。雅と共に東京看護婦会講習所で看護婦養成を行い、大日本看護婦人矯風会会長に就任すると、廃娼運動で知り合った社会運動家・木下尚江が逮捕されると、監獄署へ足繫く通い求婚される。が、雅に反対され、後に新宿中村屋創業者となる相馬愛蔵も猛烈に反対し、結婚話は白紙となる。そして、明治32(1899)年、41歳の夏に『看護婦派出心得』を出版した。明治33(1900)年に病院実習を行っていた長女・心が結核を患い20歳で早世すると、和は雅に辞表を提出して箱根で隠遁生活に入るが、翌年、雅が引退すると東京看護婦会の会長に、さらに婦人矯風会の衛生課長に抜擢され、その翌年には大日本看護婦協会幹部に選ばれる。やがて、東京看護婦会に代わり大関看護婦会の看板を掲げ、所属看護婦はクリスチャンに限ったその後、身内の度重なる死にさらされ、自らも病を抱えるなか、大正11(1922)年には、雅が息子・良一と共に京都・下鴨へと旅立って行った。その4年後、雅は沼津へとさらに居を移し、昭和15(1938)年82歳で永眠した。一方、和は関東大震災後に病気がちとなり、昭和6(1931)年73歳でこの世を去っていた。 ***大河ドラマ『べらぼう』と『蔦屋』も全く別のお話でしたが、こちらの場合は、両方とも概ねフィクションでしょう。それに対して、朝ドラ『風、薫る』はフィクションですが、本著については、巻末「おわりに」に 史料の乏しい部分や会話には創作を加えている。(p.347)とあることから、話の流れ自体は凡そ史実に基づいたものだと思われます。これらのことを踏まえた上で、朝ドラも楽しんで観ていきたいと思います。
2026.04.26
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副題は「悲しみの底に角砂糖を沈めて」。 前巻から2年4か月ぶりの続編は、4巻以来の短編集。 7つのお話から構成されていますが、 いずれも、タレーランを訪れた人々に生じている問題を美星が解決する展開。 中でも、第6巻刊行記念サイトに掲載されていた「歌声は響かない」や 『3分で読める! コーヒーブレイクに読む喫茶店の物語』として書かれた 「フレンチプレスといくつかの嘘」、 そして、本著書き下ろしの「拒絶しないで」は、とてもとても短いお話。「あとがき」によると、その他の4話は全て実際の出来事を題材にしたものとのことで、ビブリオバトル決勝大会、ハネムーンのお土産、死期の迫った母との再会、プロポーズを保留し続ける恋人について描いたミステリー。超短編も含め、どのお話もライト・テイスト&ライト・インパクト。 7巻が、シリーズ読者のためというよりは 作者の好きに書かせてもらった一冊になってしまったので、 8巻は全身全霊を尽くして、 読者の皆様に喜んでいただけるような作品を書きたいです。(p.294)無事、8巻が発行されることを願っています。
2022.05.01
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副題は「太宰治にグッド・バイ」。 本著を読み始めて、しばらくしてから、 「これは、やっぱり原作を読んでおいた方が良い?」と思い立ち、 『人間失格』と『グッド・バイ』を読んでから、本著の続きを読みました。 ***「太宰治の5通目の遺書とみられる文書」が発見され、文科省委託の筆跡鑑定家・南雲亮介が鑑定を進めていた。しかし、その報告書が仕上がる当日、書斎でボヤが発生し、南雲は一酸化炭素中毒で死亡。李奈は、警察の要請で南雲邸に向かい、そこに集っていた週刊誌記者たちに遭遇する。南雲の前に科学鑑定をした元大学教授・吉沢は音信不通という状況の中、李奈は、渋谷署の扇田刑事と共に南雲の妻・聡美や週刊誌記者、専門家らから話を聞く。一方、李奈と同時に本屋大賞にノミネートされた柊日和麗(ひいらぎ ひかり)の失踪を、鷹揚社で彼の編集を担当する小松由紀から聞かされると、柊の足どりも追い始める。鷹揚社の文芸編集長・田野瀬抄造が、柊失踪を外部へ情報提供しないまま時は過ぎ、やがて、柊の遺体が三崎港で発見されると、担当編集者・由紀は入院してしまう。後日、由紀から柊のプリントアウトした遺作原稿を見せられた李奈は、その内容に衝撃を受けるが、終盤には違和感をおぼえたのだった。一方、南雲邸近隣に落ちていたビニール袋から南雲のDNA型が検出され、吉沢元教授の居場所が判明、逮捕されると、李奈は全ての真相に気付く。そして、南雲邸に集った渋谷署の扇田らと南雲聡美、吉沢、週刊誌記者たち、さらには鷹揚社一行を前にして、李奈が驚愕の事実を語り始めたのだった。 *** 「そうです。ゲラ直しにしても、自分が書いたときの記憶が消えるぐらい、 日数を置いて取りかかったほうが、第三者に近い脳の状態でおこなえますよね。 いわゆる原稿を”冷やす”ことに、無関係の趣味の本が重宝するんです。 わずか数分でそれなりに冷やせます」(p.145)由紀とのやりとりの中で、李奈が語った言葉です。なるほど、です。
2023.04.23
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職場の上司に勧められて、早速購入。 昨年10月に発行された新潮新書の一冊で、全部で11話。 たいへん読みやすく、あっという間に読み終えました。 著者は、非言語(ノン・バーバル)コミュニケーションの重要性を、 11のお話の中で説いていきます。 それは、仕草や色、臭い、タイミング(間)、距離、外見、行儀作法、顔色等々。 私が特に印象に残ったのは、 第4話「マンガの伝達力」と第9話「舞台は人生だ」です。昔、結構本気で(?)漫画家になりたかった私にとって、第4話は、大変興味深いもので、「コマのマジック」の部分は、さすが漫画家でもある作者の記述と感心させられました。また、第9話では、ユニホームの威力を再確認することができました。ところで、第1話「人は見た目で判断する」の中に出てくる、「言葉は7%しか伝えない」という事実。日々、一生懸命に言葉で伝えようと努力している人にとっては、結構、厳しい現実かもしれませんね。でも、7%とは言え、やはり言葉はとても大切。非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションの両方が上手く駆使できれば、鬼に金棒と言ったところでしょうか。とにかく、気楽に読み進めることができるのが、本著の特徴。これまでに、心理学やコミュニケーションについて、それなりに学んできた人には、ちょっと物足りなさが残るかもしれません。著 者:竹内 一郎発行所:新潮社
2006.01.28
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螺鈿迷宮(上)を読んだ段階での、私の推理を検証。 まず、姫宮さんの行動については、当たり半分、はずれ半分。 意図的なミスもあれば、生まれながらの「天然」によるミスもあった。 それでも、記憶力は人間離れしており、本当にスゴ過ぎる。 「人は誰でも知らないうちに他人を傷つけている。」 「ワシらの因縁は浅からぬようだしの。」 巌雄院長が大吉に言ったこれらの言葉は、確かに大きな意味を持っていた。 でも、思いもよらぬ、桜宮家と大吉との深~い関係に、ちょっと驚き。次に、「病院の出入りを監視するモニタ」については、問題解決の糸口に、直接繋がることはなく、大ハズレ。一方、トクさんの遺体処理の素早さについては、やはり大きな意味があった。まぁ、一応は当たりだが、指環について、考えが及ばなかったので、減点。 桜宮は花盛り、青いすみれに白百合の花……。この歌に込められた「真実」が明らかになった時、桜宮一族の秘密と、『螺鈿迷宮』というタイトルが意味するところが判明する。そして、レディ・リリィの正体や、すみれが何をしようとしていたのかも。しかしながら、このお話は、最後の決着がつかぬままに終了。今回のお話しでは、白鳥さんも、かなりの苦戦を強いられ、これまでの「大胆不敵にスカッと解決!」というパターンと、ちょっと違っていた。いつかまた、桜宮家との対決の続編が、描かれる日が来るのだろうか。きっと、そうなるに違いない。
2009.05.01
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「国際数学・理科教育動向調査の2003年調査(TIMSS2003)」や 「PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2003年調査」の結果は、 日本国内に大きな衝撃を与えました。 PISAでは、知識の量を求めるのではなく、 知識の活用や応用力が問われたのですが、 日本の場合、数学リテラシーは、前回調査の1位から6位へ、 読解力は、同じく8位から14位へと転落していました。この結果を受け、各所で「学力」というものについての議論が盛んになり、「学力低下」が叫ばれることになりました。そして、「ゆとり教育」や「総合的な学習」に対する批判が高まり、「教育」の目指す方向が、また、大きく変わっていこうとしています。PISAでは、フィンランドが「学力」トップの座を維持し、北欧の国々も、それぞれに「学力」が高いことが判明しました。そして、この本は、北欧国の一つであるスウェーデンの中学校の様子を実際に現地で指導した日本人教師が、リポートしたものです。 ***・日本の小学校6年間に当たる期間は、原則的にクラス替えが無く、 中学校になってからも、そのまま3年間過ごすところも多い・定期考査や実力テストのような集中テストはない・中学2年生の秋学期終了時に、生まれて初めての成績表をもらう・高校や大学に入学する時、入学試験による選別はない・学校にクラブ活動がない等々、日本とは、かなり違う部分があることが分かります。しかしながら、・イジメが学校内で最大の問題である・連日、さまざまな職員の会議が行われている・公立学校への不満から「自由学校」を選択する保護者がふえてきている等々、共通する部分も多いようです。「あとがきにかえて」で書かれている「教員の問題」についても、日本と共通する課題が見られます。日本における「学校版2007年問題」を考える際、たいへん示唆に富んだ内容で、私は、この部分が一番印象に残りました。
2007.01.28
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100ページまで読みました。「SLK」(p.57~p.65)恵梨香は、利佳子を愛車メルセデスのSLK230に乗せ、美由紀のもとへ向かう。車中、利佳子がタバコを吸おうとライターで火を付けた時、恵里香の運転に、突然乱れが生じた。この異変は、恵里香にとって重要な意味を持つものなのでしょうか?恵梨香は、報道関係者が群がるビルの前で車を止め、利佳子に、ここで降りるよう促す。予約も紹介者も無しに、自分で美由紀に会えということだった……。「美由紀」(p.66~p.87)報道陣に囲まれて美由紀が登場するが、利佳子は声をかけることが出来ない。願いが叶わず、彷徨い歩いていた利佳子の前に、美由紀が現れる。あの混乱の中、一瞬、視線があった時、利佳子が相談にやって来たことを読み取っていたのだった。執拗に追いかけてくる報道関係者を振り切り、美由紀は、プライベートルームで利佳子のカウンセリングを始める。そして、後日、萩原県の自宅を訪ねる約束をするのだった。さすが千里眼!! そうとしか言いようのない、見事なカウンセリングが展開されています。「アドレス」(p.88~p.100)萩原県の住民から、美由紀の勤務先に問い合わせの電話が続いている。美由紀の勤務先が、鍋島医院であることは、マスコミにも伏せているのに。誰か、事情通が紹介しているのだろうと鍋島院長は言う。美由紀と恵梨香は、どうやら仕事上の付き合いはないようです。速達で届いたハガキの暗号を美由紀が解読すると、それは、インターネットのURAだった。そのアドレスにアクセスすると、男の声が聞こえてきた。そのメッセージの意味するところを読み取り、TVをつけると東京タワーの特別展望台の外に、赤ちゃんが寝かされていた。寝返りをうっただけでも転落しそうなその光景を見た時、美由紀は駆けだした。いよいよ、岬美由紀の大活劇の始まりです!!
2005.11.16
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「性同一性障害」という言葉も、かなり世間で知られるようになってきた。 特に、この一年位の間に、その認知度は、急速かつ飛躍的に高まった。 この状況を生み出した背景には、 障害をカミングアウトし、メデイアで活躍する人たちの存在がある。 しかし、本当の意味で、社会がその人たちを理解し、受け入れているかと言えば、 まだまだ、疑問符がたくさん付く段階ではなかろうか。 なぜなら、目の前の相手が「性同一性障害」を持つ人であることを知った上で、 接触したり、交流した経験を持つ人は、そう多くはないと思われるからである。それ故、世間は、「性同一性障害」について分かっているようで、実は、ほとんど分かっていない。「オカマ」や「ニューハーフ」「オナベ」と、一緒なのかどうなのかも知らない。そして、その無知が、障害を持つ人を酷く傷つけていることも。そんな世間の人たちが、「性同一性障害」についてを知るためのツールとして、本著は、なかなかの優れものである。本著の本文に一通り目を通すだけで、かなりの知識が脳に注入される。本文を読んだ後、欄外の注釈や資料を見れば、理解はより一層深まる。かく言う私も、最近まで「性同一性障害」について、ほとんど知らなかった。本著が、私にとって、その理解への入り口・第一歩となったのである。仕事の上で、必要に迫られての購入・読書であったが、良き書に巡り会えたことに、心から感謝している。
2009.01.24
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エッセー「死ぬ気まんまん」と「知らなかった」、 筑地神経科クリニック理事長・平井達夫先生との対談、 関川夏央さんの『「旅先」の人-佐野洋子との思い出』から成る一冊。 佐野さんが亡くなって半年余で出版されたもの。 平井先生は、佐野のさん脳に転移したガンを、ガンマナイフで取り除いた主治医。 対談からは、佐野さんの病状がよく分かる。 関川さんは、佐野さんと親交のあった小説家・ノンフィクション作家。 掲載文からは、これまで知らなかった佐野さんの一面が垣間見られる。「死ぬ気まんまん」は、いつもの佐野さんらしいエッセイ。他の作品同様、平常心で読み進めることが出来た。それに対し、「知らなかった」は、かなり衝撃的で異質。この時期の佐野さんの状態が、如何ほどのものであったかがよく分かる。『役にたたない日々』の中で、「私はガンより神経症の方が何万倍もつらかった」とか、「私は自律神経失調症とウツ病で、家でウンコ色の芋虫の様にころがっていた」と書き記されていた佐野さんの実感が、ストレートに伝わってくる。私にとっては『シズコさん』以上にインパクトのある作品だった。 *** あれから、私はいかなる思想も信じないことにした。 目の前で見たもの、さわったものだけがたしかだとしか思えなくなった。 テレビのニュースも用心している。 報道というものは、何によらず用心している。 それは私が自分で決めたことかどうか、わからない。 ファザコンの私は、 父が「活字は信じるな、人間は活字になると人の話より信用するからだ」と 夕食の訓辞に何百回も言っていたからかもしれない。(p.25)これは、小田実が西ベルリンのブランデンブルグ門の前に立ち、その様子をルポしている映像を見て、佐野さんが、自らの体験を元に「それは嘘です」と記した後、書かれたもの。そういうものだと思って、報道は見る必要があると思う。 その前に、自身の大脳に蓄えられた知識を言葉や文字で子孫に伝える努力が必要です。 また、ちゃんと子どもを残して、ご先祖様から受け継いだDNAを 松明のように受け継がせておかないとダメだと言うことです。 このように考えると、自分が死んでもDNAはすでに子孫に受け継がれ、 自分の大脳に蓄えられたものも子孫に受け継がれており、 自分が消滅してしまうわけではなく、 死ですべてが無になるわけではないのです。(p.128)これは、平井先生との対談で、佐野さんが述べた言葉。先ほどの「報道」に対する姿勢同様、この点についても私は佐野さんと同意見。この世に生を受けたからには、「ご先祖様から受け継いだDNAを、松明のように受け継がせ」ることは、人にとって、最も重要な役割の一つだと思う。 最近はふたりだけの結婚式もありますが、後が大変だと思います。 同僚や先輩のところや、親戚に挨拶回りが大変でしょう。 結婚式もやっぱり昔の人の知恵だなと思います。 結婚式をやれば、一遍で住むんですよ。 みんな気が済むんだから、やればいいんです。 だから、葬式もそれと同じで、ちゃんとやらなきゃだめですよ。 それ一回で済むんです。(p.138)これは、対談のなかで、平井先生が述べた言葉。なるほどなと、考えさせられた。結婚式もだが、それ以上に葬式について。やっぱり、ちゃんとやった方がイイのかなと。 私は奥さんの、主人は止めてほしかったのだと思います、 という言葉が頭から離れなかった。 どんなに冷静沈着な人も、頭で考えることと気持の底の底は自分でもわからないのだ。 その時にならないとわからないのだ。 奥さんも医者もわからなかったのだ。 患者の言葉の向こう側の言葉ではないものは、その時が来ないとわからない。 理性や言葉は圧倒的な現実の前に、そんなに強くないのだ。(p.183)大きな航空会社のパイロットらしい男は、初めから告知を希望し、自分の症状を正確に把握していた。主治医から余命二ヶ月と告げられ、自分でホスピスの資料を集め、そこに決めた。「最後は家族だけで静かに」と以前から言っていた。ところが、前の病院では、ちゃんと取っていた食事を、ホスピスに入った日から、全く取らなくなり、話もしなくなった。そして、奥さんは佐野さんに言ったのだった。「主人はお医者さんに止めてほしかったのだと思います。まだそんな必要がないって。」エッセイ「知らなかった」のなかでも、最も衝撃的な部分の一つ。
2014.10.28
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本著のキーワードは「属人思考」。 事案の記憶や情報処理、ないし意志決定をする場面において、 <人>情報を過大に評価し、 是々非々に該当する事柄や情報を軽視する傾向。 あるプロジェクトの是非を判断するとき、 さまざまな項目に渡って、積み上げをしなければならないはずなのに、 「誰が立案したものか」ということが重要視され、 人物評価が優先される意志決定方法をとるのが、属人思考。そして、組織における違反は個人的違反と組織的違反の二つに分かれる。この二つは相関しない、別物である。個人的違反を懸命に減らしても、組織的違反は減らない。なぜなら、大きな不祥事は、組織の意志決定を経て行われるものだから。その意志決定に、大きな影響を与えているのが属人風土。この属人的組織風土こそが、組織的違反や重大不祥事の根本原因であると著者は言う。そして、この属人思考は、教条やイズム、準拠集団、カリスマ的人物などを物事の善悪判断の根幹に置く思考スタイルである権威主義を母胎とする。属人思考や権威主義というものを理解し、自分の補佐するナンバー1の人物の性格や行動パターンが、どの程度、権威主義的であるかを見極める目を持ち、上司を深刻な状況から救い、組織を救うのが、ナンバー2の役割。ナンバー1が暴走し始めたとき、「ノー」と言えるナンバー2が、その場にいたなら、組織的違反や重大不祥事を阻止することが出来る。ナンバー2の責務は大きい。
2009.01.11
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47ページまで読みました。 「発端」(p.7~p.22) まず、岬美由紀(25歳)の、これまでの人生の概略が振り返られる。 それは、命令無視で救難ヘリを飛ばしたことについて、 査問会議が行われているシーン。 嘱託医笹島雄介は、両親の事故死がトラウマとなっての行動だと言う。 さらに、その行為を見過ごした板村三佐にこそ問題があると言う。それを受けての人事教育局長の言葉に、美由紀は猛反発するが……。新シリーズの始まりに当たって、新しい読者に、岬美由紀のキャラクターを知ってもらうと共に、これまでの読者に、おさらいをしてもらうための序章です。「新たな人生」(p.23~p.30)笹島の「トラウマ理論」が間違っていたことを上層部に納得させ、板村三佐を復職させる……それを当面の目標に、美由紀は自衛官を辞し、臨床心理士を目指すことになる。「カウンセラー」(p.31~p.38)東京晴海医大付属病院院長の友里佐知子の紹介で、日本臨床心理士会事務所を訪ねる美由紀。それを出迎えた臨床心理士の舎利弗浩輔に早速「トラウマ理論」について尋ねる。舎利弗は、非科学的な迷信を忘れろと言う。目の動きで心の中が分かるというのも……。新シリーズでも、友里佐知子は存在するんですね。でも、「目の動きで心の中を読む」というこれまでの『千里眼』シリーズの根幹をなす能力は、あっさりと否定されてしまいました。「ミラノ」(p.39~p.47)小峰忠志は、イタリア企業でギミック(仕掛け)を開発していた。彼が開発した「フレキシブル・ペリスコープ」は、直径30センチ、長さ4メートルの円筒。上部の切断面を覗くと、どんなに円筒をねじ曲げても、下部の切断面から直進した光景が見える。しかし、経営陣はアトラクションへの活用で、元は取れないと判断。解雇され、ナポリ郊外の安酒場で飲んだくれる小峰の前に現れたのは、マインドシーク・コーポレーションのジェニファー・レイン。小峰は、「フレキシブル・ペリスコープ」の直径を0.5ミリに極細化し、「消えるマント」を作り出す構想を打ち明ける。資金提供を申し出るジェニファー。
2007.01.27
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最近になく、衝撃を受けた作品。 映画が公開されていたことは知っていましたが、 「映画館に足を運んででも見てみたい」という程の気持の高まりには至らず、 また、本著についても、今年になるまで、手にする機会がありませんでした。 しかし、実際に読み始めると、これが予想を遙かに超えるレベルの作品。 私の中では、『死神の精度』と比べても、遜色ない程の出来映え。 『思い出のとき修理します 』と同様、5つのエピソードから構成されていますが、 どのお話しにも隙が無く、とても完成度が高い。しかし、何と言っても衝撃的だったのは、最後の「使者の心得」。これは、それまでの4話に登場した人々や出来事を、歩美側からの視点で描いたものですが、もう、その時点で「やられた!」という感じ。この手法が、湊さんの作品群等にも見られる、一般的なものであるにもかかわらずです。この「やられた!」感は、構成や手法云々というレベルの問題から来るものではありません。それは、作品に描かれた内容自体の、圧倒的な密度の濃さに因るものです。歩美の両親の死因についても、注意深く読み進めていけば、気付くことが出来たはずなのに、そんな所にまでネタフリがあるとは思い至らず読み進めていた、私の構えにも甘さがありました。そう、この作品は、そういうレベルの作品だと心得て、しっかりと読み進めるべき作品です。新年早々、良い一冊に巡り会うことが出来ました。今後、辻村深月さんには、大いに注目していきたいと思います。
2013.01.13
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最近、私の贔屓にしているチームが、相手のカウンター攻撃を受けると、 ディフェンスが戻りきれずに失点するパターンが続き、 近年では記憶にないほどの連敗を喫してしまった。 それで思ったのは、「本当にディフェンスは難しいなぁ」ということ。 本著の副題は「ゾーンディフェンス論」。 著者は、ヴィッセル神戸でプレーしていた松田浩氏。 現役引退後、神戸でコーチ、福岡や神戸、栃木で監督を務めた経験を持つ、 確固たる守備戦術を駆使できる、希少な指導者である。そして、彼が推奨する「ゾーンディフェンス」とは、次のようなものだ。 ボールの位置、次に味方の位置を見ながらそれぞれの守備のポジションが決まる- これが欧州では当たり前に共有される守備の考え方であり、 スタンダードに用いられるゾーンディフェンスの守備の肝である。(p.020)さて、本著の中で、私が特に興味を持ったのは、『セレッソ大阪 最少失点の要因 鍵となるリトリートを読み解く』。初出は『フットボールサミット第17回』(カンゼン社)で、2013年12月に掲載された記事である。 やはり、柿谷の動き出しは、初速の速さ、タイミング、駆け引き、 いずれも日本でトップクラスですよ。 セレッソにボールを奪われた瞬間はこちらの守備も脆弱だし、 ディフェンダーも対応する時間がないので 相手の速いカウンターに対する判断を誤ることがある。 それにカウンターに対する守備は練習ではできても、試合ではできないことが多いんです。 試合では練習のときほど冷静でいられないし、 自分たちの攻撃中の準備ができていないことが多い。 練習では2対2でもゴールは奪われないのに、試合では一瞬でもパニックに陥ると 4対2の数的優位な状況ですらやられてしまうことがあります。 やはり、セレッソが志向するリトリートの守備はサッカーでは強いんです。(p.160)リトリートとは、ほとんどの選手が自陣に下がりゴールを堅く守る戦術のこと。私の贔屓にしているチームは、ポゼッションフットボール志向で、見ている分には、やはりその方が楽しい。でも、痛い目にあうのは、リトリートのチームを相手にした時なんだなぁ。次は『日本代表の守備はなぜ崩壊したのか? ポジショニングから見る4失点の要因』。日本がブラジルに0対4で敗れた試合についての内容で、初出は『サッカー批評issue59』(双葉社)に、2012年11月に掲載された記事である。 ゾーンディフェンスであれ、マンツーマンディフェンスであれ、 カウンターの局面ではいかに早く十分な数の体を帰陣させるか、 それだけしかないんです。 僕はその意識付けを促すためにDのポジションの重要性を選手に伝えている。 ペナルティーアークがDの形をしているから僕はDと呼んでいるんだけど、 DF3枚とボランチ1枚で3と1の形を作る。 クロスに対してこぼれ球を拾われてズドンなんて場面があるからDを押さえるわけです。 カウンターの局面ならば『誰でもいいからDに戻れ』と。(p.169)やはり、全員で攻め、全員で守るという意識が大事。攻守の切り替えを、どれだけ素早くできるかが問題。求められるのは、『ボール周辺の雲行き』を読み、ハードワークをすること。でも、皆が皆、センスに溢れ、無尽蔵のスタミナを持つ選手ばかりではない。続いては『2013コンフェデレーションズカップ 日本代表の守備はなぜ崩壊したのか?』。これも日本がブラジルに0対3で敗れた試合を振り返ったもので、初出は『フットボールチャンネル』(カンゼン社)で、2013年7月に配信されたものである。 最初の5分は”クリティカルフェイズ”と呼ばれる、重要な局面。 僕は前半開始5分と前半終わりの5分、後半開始5分と後半終わりの5分、 それと得点でも失点でもゴール後の5分間。 それをクリティカルフェイズと呼んでいる。 失点しても相手がフワッとしていればすぐに同点にすることもできるし、 逆にこっちがしょぼんと沈んでしまったら、相手が傘になって攻撃をしかけてきて、 そこで連続失点して試合が終わってしまうこともある。 だからその時間帯は気をつけないといけない(p.186)これは、昨日観戦していた試合が、まさにこれだった。相手の攻撃を粘り強く耐えていたのが、前半終了間際にとうとう先制点を許すと、その直後、さらに得点を重ねられて、前半を終えたため、後半には、どうにも立て直しようがない状況になってしまった。まぁ、これはサッカーに限らず、日常の色々なことについても言える。「最初が肝心」とか「終わり良ければ総て良し」とか。車の運転なんかでも、出発直後や到着間近のトラブルは結構多い気がするので、私は、結構気を付けるよう心掛けている。 日本人が日々、温室と形容される甘やかされる環境のなかで、 ぬくぬくと育ってきたことも大きな影響を与えていると個人的には考えています。 日本の社会環境そのものが温室で、それがサッカーの現場にも相通じてしまうものがある。 一方で、海外の育成の現場では、温室とはまるで真逆、 ボールの奪い合いを激しくやっています。 それをメッシやハメス・ロドリゲスらはくぐり抜けてトップ選手になっている。 日本にその激しさを持ち込もうものなら、『子どものうちはそこまでやるなよ』 という反応が返ってきてしまうのが現状の日本サッカーに携わる人たちの感覚であって、 つまりそれが日本サッカー文化なのだと思うのです。(p.232)これも、サッカーだけの話ではないような気がする。世界を相手にするときは、どんな分野でも、国内で発揮する以上のタフさが求められる。
2016.06.26
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『定年バカ』の続編。 本著では「人生100年時代の到来」と騒ぎ立てる世間の風潮や 巷間溢れる「定年本」の類を斬りまくっています。 『妻のトリセツ』は、バカ度ダントツのナンバーワンにノミネート。 *** それと同時に、定年退職者たちの不安をかきたてるような風潮が出てきた。 市場として成立させ、拡大していくためには、 不安を煽って不安産業化するのが手っ取り早い。 健康・美容産業の手口である。 定年が近づいた者に、「第二の人生」(なぜか英語でも「セカンド・ライフ」) 「第二の青春」という意識が刷り込まれると同時に、 「お金」「仕事」「孤独」「健康」「生きがい」などの不安が煽られ、 それらの不安をもって当然とされたのである。 「定年」は社会的・世代的問題になり、 実態以上に「定年不安」は作られたのである。(p.20)『FACTFULNESS』に書かれていた事柄と相通ずるものが。それにしても「不安産業」とは言い得て妙 ですね。 話はそれるが、わたしたちは、ひとりやふたりの意見を全体の話として、 日々、新聞やテレビから聞かされているのだ。 事件の関係者へのインタビューや、 アンケートで通行人に話を聞いたりすることが多いが、あれがもう煩わしい。 おざなりのインタヴューやアンケートなどするんじゃないよ。(p.43)これには激しく同意。その辺を歩いている数多くの人たちの中の、たった一人にすぎない人の意見を、ことさらクローズアップして取り上げ、世間に伝えようとするマスコミ。そこに潜む制作者の意図を、強く感じずにはおれません。 ろくでもない人間と、その輩が引きおこすろくでもない不快な事が、蔓延している。 いや、蔓延しているかどうかは、実際にはわからない。 昔でもおなじようなことは起きていたのだろう。 人の目には見えなかっただけだ。 だが今は映像として白日の下に晒されるようになった。 街中に設置された監視カメラと、 ほとんどの個人が持っている携帯カメラのせいである。 それによって映像が残るようになった。 それがSNSにょって拡散され、YouTubeにアップされ、テレビ局に投稿される。 昔だったら、ほっておけばそのまま日常のなかに埋もれていたものや、 ニュースにもならぬ取るに足りない個人的な事柄や、 人の目にふれることがなかった些細な事件や出来事が、 映像になっているという理由だけで公になり、 われわれは目にすることになったのである。(p.202)これも大いに共感。まさに「監視社会」になってしまったと感じます。それも、誰かにとって都合の良いものだけがことさら取り上げられ、寄ってたかって叩きのめす構造になっているように感じます。
2020.04.19
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前巻を受けての、南領を舞台とするお話の締めくくり。 玲琳と入れ替わった慧月は、尭明に命じられた茶会を敢行。 芳春は、慧月を陥れようと、他家の雛女たちに巧みに言葉を連ねますが、 慧月はその言葉を逆手に取り、他家の雛女たちの認識を改めさせることに成功。 茶会後、慧月は尭明から今回の事件の真相を聞かされ、共に邑へと向かいます。 その頃、玲琳は、瀕死の重傷を負った雲嵐を必死に治療していました。 途中、彼女にしては珍しく挫けてしまい、危うい行為に及ぼうとしかけます。 しかし、辰宇や尭明に押しとどめらるうちに、雲嵐が意識を取り戻したのでした。江氏や林煕が邑に辿り着くと、そこでは予想外の光景が繰り広げられていました。慧月が舞い、邑の女たちが田植え歌を紡ぎ、尭明が豊穣祭の執行を宣言。そして、皆の前で江氏の悪行が次々に暴かれると、彼には天罰が下ります。さらに、尭明は林煕に、今回の件は既に藍家当主に伝達済みだと知らせたのでした。そして、舞台は雛宮へ。玲琳と芳春のその場が凍りつくような舌戦を、慧月がハラハラしながら見守ります。やがて、二人は本性をあらわにして言葉をぶつけ合い、慧月もそこに引きずり込まれ……双方とも一歩も譲ることなく、今回のバトルは終了。 ***絹秀が亡き妹・静秀に語りかけた「最高だな、おまえの娘は」に続く「-そして、最低だ」の声が、とても気になります。そして、特別編「微笑と予言」も、景彰の心の葛藤が丁寧に描かれたものでした。著者の感情を細やかに描き上げていく筆力には、感心させられます。
2023.09.08
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戦後、大学数は増え続ける一方、18歳人口は1990年代以降減少を続け、 1994年に30%だった大学進学率は、2002年に40%を超え、 2009年に50%、2025年には59%にまで上昇した。 そんな中、学校推薦型選抜や総合型選抜が広がり、 受験生の現役・安全志向が高まったことなどから、 有名私大合格者の現役比率は3割から7割へと変化、 予備校にも大きな変化が見られるようになった。以上が、第1章で記された「予備校の現状」の概略である。そして、続く第2章から第4章においては、明治から現代に至るまでの予備校の変遷が記されている。 ***1870~1880年代の私塾を起源とする予備校は、1900年代に入ると大学や中学が予備校経営に乗り出すようになる。そして、1945年の「決戦教育措置要綱」で予備校の授業は停止となった。戦後、授業を再開した予備校は、1950年代に入るとその校数を増やしていく。そして1960年代後半、団塊世代が大学受験を迎えると、その需要はさらに高まる。1960年に男子56,000人、女子7,000人だった予備校生の数は、1977年には男子190,000人、女子42,000人にまで増加、予備校は1980年代に最盛期を迎える。しかし、1979年に共通一次試験が導入され、全国規模の情報が要求されるようになると、以後、駿台・河合・代ゼミの三大予備校が全国展開を開始し、その勢力を拡大していく。これにより他の予備校は厳しい状況にい込まれ、2010年代にはその多くが姿を消した。ところが、その後浪人生が減少、2015年に代ゼミは全国20校舎を閉鎖し7校体制となる。三大予備校は二大予備校となり、急成長した東進ハイスクールや鉄緑会も安閑とはしていられない。 ***以後、第5章からは「予備校」というものについて、様々な角度から考察を進めていく。予備校を体験したことがある者にとっては、たいへん興味深い内容となっている。 予備校が、受験生のより効果的な教育のためという論理よりも、 たんにライバルをつぶすためという「資本の論理」で動く、 といわれても反論できない面があるだろう。(p.177)これは、全編を通じて強く感じること。生徒の争奪戦はもちろん、講師の争奪戦も当たり前の仁義なき戦い、マネー戦争。しかし、顧客である生徒が確実に減り続けるなか、どのようにして生き残っていくかについては、「学校」も全く同じ状況であり、行政主導でどんどん統廃合や改革が進められている。その動きは、まるで公教育を放棄し、全てを民間に委ねてしまいたいようすら見えてしまう。 「高校は文部省の学習指導要領通りにやらなくてはならない。 予備校は勝手なことがやれる。 実際、文部省の言う通りにやっていると損をするんです。 キーポイントがあるんです。 そのキーポイントを文部省は教えてはいけないと言っているんです。 予備校は勝手に教えてしまう」(p.233)『駿河台学園80年史』に掲載された、数学講師・中田義元氏の言葉である。本著では多数の予備校講師が紹介されているが、皆それぞれに個性的で尖っている。そんな講師たちが、そこに集う生徒たちにどれほどの影響を与えるかは推して図るべし。そんな授業を背景に予備校文化は形成され、それがメディアでも取り上げられてきたのである。
2026.04.27
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謎の韓国人美女、ミン・ミヨン。 彼女はラテラル・シンキングと卓越した身体能力を駆使し、 無銭乗船、無銭乗車、無銭飲食に無銭宿泊を繰り返す。 今巻は、そんな彼女に、絢奈と那沖のコンビが挑む。 それにしても、今回登場する瑠華は、恋のライバルの典型。 プライドが高く、図々しく、意中の男性を、何が何でも手に入れようとする。 まさに、『花より団子』の大河原 滋そのもの。 クライマックスシーン直前まで、ミン・ミヨンより相当目立っている。そして、もう一人(一つ?)目立っているのが、キカイダー。7月25日に発売された『人造人間キカイダー The Novel』の前宣伝?それにしても、藍岐眞悟と壱条家との関係、その後どうなったんだろう?やはり、支援打ち切りかな……
2013.09.23
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これまで読んだ村上さんの小説とは違う。 話にブレがないし、「?」もない。 一番近そうなのは『ノルウェイの森』だろうが、 主人公やそれに絡む女性たちの設定が違う。 何が違うかといえば、登場人物もお話しも 最後までとってもノーマルなのである。 「ちょっと変わってる?」っていうところがほとんどない。 最後の落とし所も、とっても安心のノーマル結末(のはず……)。 ナット・キング・コールは『プリテンド』を歌っていた。 英語の歌詞の意味はもちろん僕らにはまったく理解できなかった。 それらは僕らにとってただの呪文のようなものだった。 でも僕らはその歌が好きだったし、あまりにも何度も繰り返して聴いたので、 始めの部分を口真似で歌うことができた。 プリテンニュアハピーウェニャブルウ イティイズンベリハートゥドゥー(p.17)私もナット・キング・コールは好き。別のページ(p.242)で、彼は『国境の南』も歌っている。 ピアノ・トリオがいつものように『スタークロスト・ラヴァーズ』の演奏を始めた。 僕と島本さんはしばらく黙ってその曲を聴いていた。(p.232)とってもお洒落な曲。主人公の経営するバーの雰囲気が伝わってくる。 「『砂漠は生きている』、ディズニーのやつだよ。砂漠についての記録映画だよ。 小さい頃に見なかった?」(p.288)私はタイトルは知ってたけど、見たことはない。今度見てみたい。 昔の知り合いとの再会は、結果的にはあまり楽しいものとは言えなかった。 彼らと会って話をするのが嫌だったわけではない。 僕だってもちろん昔の友達に会うのは懐かしかった。 彼らの方も僕に会えたことを喜んでくれた。 でも、結局、彼らが口にする話題は、今の僕にとってはみんなどうでもいいことだった。 故郷の町がどうなろうと、他の同級生たちが今どのような道を歩んでいようと、 もうそんなことにはまったく興味が持てなかった。 僕はかつて自分がいた場所や時間からあまりにも遠く離れてしまったのだ。(p.113)これも分かるなぁ。でも、そう思わない人が多いのも確かだ。 「たぶん世界が我々に近づいているんだろう。 でも子どもたちがいつも家の中で二人で遊んでいるのを見ていると、 ときどきなんだか不思議な気持ちになることがある。 こういう育ち方というのがあるんだなと感心しちゃうんだよ。 僕は小さい頃からいつも一人で遊んでいたからね、 子供というのはみんな一人で遊んでいるものだと思っていた」(p.122)一人っ子と兄弟姉妹がいる子供では、やはり違いがありそうだ。世代によって子供の育ちが違う原因の一つであることは間違いないだろう。 誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。(p.299)さて、私にとっては大問題の最後の一文(ここで急に終わってしまいビックリした)。こんな文章を最後にキッチリ持って来るところが、さすがに村上さん。でも、「誰か」って誰なの?その「誰か」が誰なのかによって、このお話は全然ノーマルなお話しではなくなってしまうんだけど……。そんなことを考えてしまうのは、お話しの終盤でこのお話の中で唯一の「ちょっと違う」人物イズミを、主人公が目撃しているから(p.282)でも、ミステリー小説じゃないんだから、ここは普通に「誰か」は、有紀子ということにしておいて欲しい。
2009.09.24
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