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相変わらず、寝つきが悪く布団に入っても、なかなか眠れません。普段は、落語のCDを聞きながら眠るのですが、当初は、20分~30分ほどの噺でも最後の下げまで聞くことなく寝入っていました。今では、60分に及ぶ噺でも最後の下げまでしっかりと聞いてしまい、結局次の噺に・・・うとうとしかかった状態でCDを入れ替えると眠気もリセットされて、ふりだしに戻る・・・そんな日が続くと週に1日ぐらいは、いよいよ寝不足が溜まりに溜まってすんなりと眠りにつくことが出来ます。そんな毎日ですが、時折、今にも眠りに落ちそうなギリギリのころ合いにふと「ないす・あいでぃ~あ」が浮かぶことが有ります。中学生の頃からこの現象は有ったのですが身体の9割以上が「既に眠る体制」に入っていて残りの僅かな覚醒部分だけが「ないす・あいでぃ~あが浮かんだぜ!浮かんだぜ!」と頑張っているだけなので結局、ズルズルと眠りに入って、「ないす・あいでぃ~あ」は雲散霧消し最初から無かったことになるか、良くても、翌朝「な~んか、エエこと思い付いたような・・・」で、終わってしまいます。同じようなことが、車の運転中にも時々起こりますが、これも、車を止めてメモしようとすると「ないす・あいでぃ~あ様」は、蜘蛛の子を散らすが如く、さささ~っと、どこかに逃げてしまいます。かろうじて覚えている内容や半分寝ぼけながら取ったメモや運転中に、片言でボイスレコーダーに録音した内容などは、後々冷静な時に見聞し返すと「なんやねん、これは!」てな内容で、とても使える代物ではありません。音声は、聞き取れないし、聞き取れても意味不明、文字は解読不能で、解読できた箇所もまるで暗号か、怪しげなおまじないにしか見えない。ど~なってんだ!「ないす・あいでぃ~あ」が浮かんだ時の俺!仕事に関することや、資金繰り、家庭教師の際の「教え方」、スタッフへのレクチャー内容そして、若かりし頃から温めている「大活劇風長編スペクタクル立志伝」のような高貴なる文芸作品の骨子や細部の表現などなど・・・雲散霧消した「ないす・あいでぃ~あ」(のはず)は、数えきれません。そんな中でも、何十回に一回ぐらい、夢混じりのアイディアや運転中に思い立ったことが実を結ぶこともあります。何年ぶりでしょうか。寝付けないまま、何度も寝返りを打っていた深夜に遠ざかる六代目三遊亭圓生の声と入れ違いに、ざ・ざ・ざぁ~っと、原稿用紙の映像が降ってきて、常々温めている構想(「大活劇風なんちゃらかんちゃら」)とは全く異なる作品が頭の中を飛び交いました。普段なら、このまま寝入ってしまうところでしたが、この時は、妙に鮮明だったことも有り、何とか頑張って起き出して、雲散霧消・・・しつつある構想を何とか捕まえて、かき集めて頭の中で崩れないように、そろりそろりと移動してからPCを「ON」にして、一気に一作品書き上げました。翌日、冷静になった状態で一気に書き上げた作品を読み返しましたが、最後のところで、自分でも涙ぐんでしまうような仕上がりになっていました。数年ぶりにどこかの懸賞にでも応募しようかと、(前回の懸賞応募は、 ⇒こちら「賞金稼ぎ」への道・・・第一歩 2009年5月30日)いろいろ調べるとどの公募も、原稿用紙の枚数制限があり、今回書き上げた作品は ・長編小説部門には短かすぎ ・短編部門では長いこれ以上書き足しては、文字通り「蛇足」になりかねないので、推敲しながら、削ったり表現を訂正したりすること10数回・・・ 構想:瞬時 制作:数時間 推敲すること10数回細部の表現などを直しているとキリがなく、最初のイメージからどんどん遠ざかるので、「原稿用紙の枚数制限丁度」にぴったりになったところで完成!として、とある懸賞に応募しました。いよいよ作家先生かむ太郎・・・誕生か? ・作品のモデルになった人には何て言おうか?とか、 ・俺はエエけど、モデルになった人のところにマスコミが 押し寄せては申し訳ないな。とか、 ・これで、賞金やら原稿料やらがたんまり入ったら 「扶養家族」から抜けねばならんのか?とか、 (現在は、私は最低限の給与計上で嫁様の扶養家族扱いです。) ・教科書とかに掲載されて、講演とか頼まれても 「腹膜透析」の身としては、あんまり遠方まで行けないし・・・とか、悩みが尽きません。発表まで、いろいろと胸躍る日々です。
2024年11月05日
9月29日には、まだまだ蕾だったのですが、 →9月29日の様子は、ここ「今年の彼岸花2024」2024年9月29日その日に持って行ったスーツの直しが出来たのでそれを取りに行く道中、再び同じ場所の彼岸花を見に行きました。 ↑2024年10月10日の彼岸花去年の10月10日 →記事は ここ「今年の彼岸花・・・10月10日」2023年10月10日の姿とほぼ同じ。お彼岸からは、今年も去年も2週間以上経過してはいますが、今年もひっそりとその姿を見せてくれました。その日に、もう1枚撮った「5m離れた彼岸花達」は、既に枯れたのか、もう姿が有りませんでした。日当りの加減なのでしょうか。いずれにしても、少しずつ、彼岸花の開花時期がずれているようです。
2024年10月11日
昨年は、10月になってもまだ彼岸花が咲いていて季節のズレを痛感した次第です。 ※昨年の彼岸花は、⇒ こちら「今年の彼岸花10月10日」2023/10/10今までは、特に気を付けなくともこの季節になれば車で移動中に、自然に視界に彼岸花が入って来ていたものですがふと気づくと、今年はまだ目にしていません。車での移動が減ったことが大きな原因でしょうが、それにしても、近くの畦道とかにも見当たりません。昨年来、腹膜透析を開始してから「常時腹膜内に2リットル」の透析液を体内に抱える身となり今までのスーツ(特にズボン)が履けなくなり「新調」するか「サイズ直し」するか・・・ぐずぐずと尻込みしている内に1年も経過してしまいました。サイズ直し・・・と言っても、普通に太ってサイズアップしたのではなく腹部のみ偏って「体積増加」しているので簡単にサイズ直しが出来るんだろうか???などと、勝手に素人判断で悩んでいました。ま、要するに面倒くさくて腰が重いのですが・・・ダメもとで「サイズ直し」に出しに礼服とスーツをスーツ屋さんに持っていきました。「今月限り」の「金券」が有ったので、何とか9月中に!と決心してはいたのです。「金券」だけでは、それでも腰が重かったのですが、スーツ屋さんへ行く途中に、昨年撮った「彼岸花」の場所が有ることを思い出し、「今月限りの金券」+「今だけの彼岸花」の二つで、ようやく背中を押されて行ってきました。 ↑ ↑ ↑昨年、10月10日になってもまだ咲いていたあの場所の彼岸花ですが、まだ、蕾・・・か?日当りの加減なのか何なのか、5mも離れていない場所の彼岸花は・・・お、ちょうど満開か・・・ ↓ ↓ ↓何とか彼岸花も愛でることが出来、スーツも何とかサイズ直しが出来るようで・・・サイズ直しの料金を、(勝手に)「さぞかし高いんだろう」とビクビクしていましたが、(以前、かけつぎをしてもらった時結構な料金だった。 かけつぎは、サイズ直しとは少々違う次元の値段設定のようです。)ズボン1本1,650円とのことで、2本で3,300円。金券が2,000円分有ったので、お安く済みました。勢いで、冬用の長袖Tシャツ3枚と柄物のYシャツも1枚買いました。
2024年09月29日
毎年、 3月13日 6月13日 9月13日12月13日の年4回、きっちりと発行されるのが「別冊ゴルゴ13シリーズ」です。1970年発刊以来、当初は不規則だった発売日もこの数十年はきちんと統一されています。今号で「225号」実に54年です。最初に「別冊」を買ったのは、かれこれ40年ほど前になるでしょうか。以来、ほぼ欠かさず3か月ごとに購入しています。この「3カ月」というスパンは、人生の波としても丁度良いころ合いの間隔で、 ・何とか調子の良い時は良い時で ・あまり芳しくない時は芳しくない時で ・停滞気味の時は停滞気味の時で ・どん底の時はどん底の時で「次なる3か月」に希望を描く際にいつも「指標」となるのが「別冊ゴルゴ13」の発行日なのです。3月に「別冊ゴルゴ13」買った頃に立案した計画が6月にどのように展開されているか?6月に修正した、あるいは破棄し新たに立案した計画が次の9月頃にはどうなっているか・・・具体的な計画などもなく、ただただ悲嘆に暮れている時も根拠のない確信が有って、「次のゴルゴの頃には・・・」と常に「嵐の中の灯台」の如き存在なのです。さいとう・たかを氏が亡くなっても「さいとう・プロ」作品として脈々と受け継がれています。・・・が、長年の愛読者としては、 ・ゴルゴの「口元」に違和感を覚えます。仏頂面の時も、微かに皮肉な笑みをこぼす時も数少ない会話の時も、何か違う・・・言うなればまるで「もう一人の双子の兄弟」かのような違和感があるのですが、これも慣れていくでしょうか。昨年の12月発売時には、・いよいよ資金繰り、万事休す・・・か?という時期でしたが、3月には何とかこの事態も解消し、年度替わりあたりから少しずつ好転。6月に新たなる苦難に直面しましたが、7月末には解消→好転、となりました。とは言え、借金の額もMAXとなり、新たな返済が始まったのがこの9月です。さて、次の12月には、如何なる状況が待ち構えているか・・・因みに次回「別冊ゴルゴ13 226号」は、 ・藪の中のG ・海を見ていた女 ・+ワンショットの3本・・・のようです。
2024年09月15日
9月9日です。更に付け加えると令和6年=2024年=昭和99年です。 昭和(換算)99年9月9日遂に、アクセスが 2,000,000を突破いたしました。まだまだ燃え尽きてはおりません。日々、苦難をクリアしながら 悲嘆に暮れながら 泣き言を言いながら 時には怠けながらそれでも歯を食いしばって前を向いて生きています。この先、何年生きていられるかわかりませんが、やはり信念は 「たとえドブの中でも、前のめりに!」 お馴染みの「巨人の星」のワンシーン。人生のターニングポイントなど、事あるごとに梶原一騎の作品の影響が色濃く反映され、その時その時の生き様に重なります。それは、必ずしも「エエこと」ばかりではないのですが、その道を行かないと、どうしても後から後悔することが多々有りましたので、結局、何が正解かわからずとも、みすみす茨の道が見えていようともその方が、「気が楽」なのでしょうか。今更、別の道を行こうにもそんなのは全く見えてこないので残りの人生も、やはり「前のめり」に!しか無いですな。
2024年09月09日
仕事内容によっては、「保育士」資格よりも重要で必須条件ともなり得るのが、「サービス管理責任者」「児童発達支援管理責任者」です。この業界では、「サビ管」「児発管」と呼ばれています。かつてはそれぞれ独立した講習で資格を取っていましたが、法制度の変更により今では包括されています。私の場合は、今回の法改正の恩恵に預かった形で両方の資格を一気に取得できました。「サビ児管」です。v(^^)大半は、児童の施設経験が無く、「サビ管」のみの方ばかりでした。我が施設の「サビ管」4人の内(当社は既に4人がこの資格を取得済みで、他の施設に比べて 格段に多いのです。)嫁様を含めて3人は「サビ管」のみ。元々成人の施設で働いた経験のある1名は「サビ児管」でうちの施設でしか経験がない私も「サビ児管」です。嫁様を含む「サビ管」3人は、元々保育士資格を持ち保育士としては「百戦錬磨」の熟練者です。私が「保育士資格」を取った時もそうでしたが、今回の「サビ児管」資格取得も「納得できん!!!!!!な~んか私たち損したみたい!」と口をそろえて言います。ど素人の私が「サビ児管」なのですから、文句を言いたくなるのも頷けます。それでも、「保育士試験」は、一応「筆記試験+実技試験」をクリアしましたが、今回の資格は、試験などはありません。(事前のオンライン講義4日間で毎日の振り返りテストは有りますが・・・)8日9日の2日間の演習講義も、ロールプレイなどは有りますが、特に試験は有りません。ですが、「簡単に取れる」というわけでは有りません。福祉業界の資格は多岐に渡り、講習で取得できるものが多いのですが、そのほとんどは、「受講要件」自体がくせもので ・○○の資格を持ったうえで実務経験5年 ・▲▲の資格を取ってから実務経験8年などと、単に試験を受けて合格すればOKというものではなくそこに至るまでに然るべき資格や実務経験を必須とすることが沢山あります。私自身も、今回は ・5年以上「心理士」資格を有したうえで放課後等デイサービスに従事。という受講資格を今年クリアできたので申し込んだ訳です。※2年前に取得した保育士資格だけではNG公的機関主催の講習は年に1度だけで、応募の競争率がかなり高いのです。去年、医療法人で2名申し込みましたが、2人とも受講者の選別から洩れました。今年私が受講できたのはかなりラッキー?もうひとつのマスト資格として「強度行動障がい支援者養成研修」では、3年前は2名、去年と今年は4名ずつ応募してますが全て玉砕で、全く受講できません。この資格は、「受講要件」が特に無くかつ、請求の際の「加算」に関わるのでどの事業所も、「取り合えず全員受講させたい」との思惑で、応募殺到・・・と推測されます。他にも、福祉施設運営に際して必須となるあるいは、請求時に加算が取れる資格はいくつかあるのですが総じて「受講要件」に実務経験があることで昨日今日思い立ってこの業界に入って来たのではなかなかその資格まで手が届きません。今回の「サビ児管」も、この先のステップアップの第一歩の資格で、ここから更に実務経験を求められます。当然、他業種に転職して、出戻って来てもブランクは何にもカウントされませんので、単に年を取って来ただけとなってしまいます。ですから、私のようにそれなりの年齢になってからこの業界に入って来たのでは、いろんな意味で先が知れてきます。だからと言って、経験も少ないのに試験だけで人材を選ぶのもどうかと思います。(現に私のように試験だけで保育士資格を取ったのでは、 それこそ、おしめの替え方すらわからない。)そうなると、若い頃からこの仕事を志し、薄給に耐えて、他の業界に転職することもなくただひたすら福祉の中で働いてようやく・・・なんだか閉じた感じがするのは私だけ?今回の研修は、あくまで「基礎研修」ですので、これで一人前、というわけでは有りません。この後、補助者として研鑽を積み来年以降に今度は「実践研修」を受講してはじめて一人前に慣れるのです。やっぱり若いうちから一途にやってこないと一人前になる前に定年の方が早く来てしまいます。
2024年08月10日
↑コレクションの中の1枚 このポスターのイメージで自転車を漕いでいます。子どもたちの夏休み期間中、何日かをフレンダー号(自転車)で通勤することになり、武者震いしつついざ!出動!と相成りました。 フレンダー号の雄姿と入手の経緯は ⇒こちら「フレンダー号、見参!」とにかく、雨と酷暑だけは避けたい!と願っておりましたが、フレンダー号見参の翌日頃に東海地方が梅雨明けとなりいよいよ出動!となった7月22日以降の日ごとの最高気温は7月22日:38.1℃ 7月23日:37.5℃ 7月24日:32.1℃・・・この日はフレンダー号出動無し!7月25日:36.6℃ 本日・・・・34.8℃ (8月2日の最高気温予想は「39.0℃」になっています。)という具合で、まぁ予想通りではあります。外に出て、フレンダー号の施錠を解除するだけで既に汗が噴き出てきます。24日は朝方に突風やら雷やら竜巻やらとんでもない天気でしたが、この日は出動が無く、安堵しました。 NAVITIMEで計測したところあれだけ「ひぃひぃ」言いながら疾走(?)した距離はせいぜい、3km程でした。家から500mほどは、心地よい下りで炎天下でも風を受けて涼しい中でしばらくはペダルを踏むことなくすんなりと走っていきます。1kmあたりから難所にかかりますが、これも何とかクリア出来て、頂上に着くと景色が一望できます。(と言っても、少し盛り上がっただけの国道の市境なんですが・・・)そこからは再びブレーキ操作だけの区間が500mほど続きます。疲れがピークになってから、楽な下りを降りてきたので、最後の緩やかな登りは箱根駅伝の5区のごとく感じられ、ここからじんわりと汗をかきながら到着です。NAVITIMEでは、「所要時間13分」と出ていましたが実際は18分(頂上付近で給水の為3分程停車)でした。7年前に心筋梗塞を発症して以来、元々の運動不足がさらに加速して、ほぼ「運動しない」とも言える生活を続けてきたのでたかだか自転車に10数分乗っただけで「やった感」満載なのです。これを機に、もう少し運動せねばアカンですな。
2024年07月26日
↑命名「フレンダー号」 もうすぐ子供たちは「夏休み」に突入します。普段の「放課後デイ」は、文字通り放課後(学校が終わって)から夕方5時半まで長くて3時間、短い時は1時間半ほど・・・ですが、長期休暇は、朝9時~15時ぐらいまで開所します。早い子は8時ぐらいから来ます。週に5日来る子なんかは、普段の学校と同じぐらい、あるいはそれ以上の長い時間を「デイ」で過ごします。1日6時間でも、学校の授業のように「休憩時間=先生と接しない」ということが無いのでみっちりと一緒に過ごします。飽きずに楽しく、しかも立案・計画した「課題」をもしっかりと遂行すべく、スタッフは日々のメニュー作りにかなりエネルギーを注ぎます。夏休みの思い出も作ってあげたいのであちこちとお出かけする機会もたんまり用意します。 ・図書館 ・体育館 ・ボーリング、カラオケ ・買い物体験 ・博物館 ・科学館 ・工房 ・バッティングセンター、トランポリン ・美濃和紙の里などなど。それゆえ、移動用の車がフル稼働です。私は、1日4回の透析液交換の為、フルタイムで付き合うことが出来ないので全ての行事に密着同行することが出来ません。で、私の車も移動用に提供することになりその間、「足が無い」状態になってしまいます。「この夏休みの間だけ」用に新たに車を買うのも躊躇されますし、通勤距離が「約5km」とは言え途中にそびえる市境の「そこそこ勾配の有る地点」を通過せねばならんので徒歩通勤もかなりキツイ!本日、所用で出かけた際に中古も扱っている自転車屋さんを発見!・変速機付き・折り畳み機能付き (車に積み込めると何かと便利かと。)・15,800円(税込)の「アルミフレーム車」を発見!店主に経緯を話すと、奥から更に安価な「12,900円」の「LEDライト付き」を出してきてくれました。(店頭のは、ライト無し)アルミフレームでは無いので多少重いですが、試乗した感じでは、アルミフレームよりも安定感が有り、乗り心地もなかなか良し!命名「フレンダー号」です。夏休み期間、豪雨や炎天下はなるべく避けられますように。気分は、弱虫ペダルの坂道くん・・・ですな。
2024年07月17日
平成31年1月に現在の会社を立ち上げ、実質的には令和元年5月1日~事業開始しました。会社立ち上げの「平成31年1月~4月」が第1期この間実質的な稼働は無し。決算月が毎年4月です。今期(令和5年5月~令和6年4月)は「第6期」で実質的には「5期」経過しました。ようやく決算が確定して、 売上は、過去最高(前年比+30%)ですが 営業利益は、過去最悪という結果になりました。開始当初から、地道な展開をしてきたことと翌年からのコロナ禍の影響で計画を大幅に下回ること3年。ず~っと赤字路線を走ってきてようやく単月黒字化した頃に事業拡充でもう1か所施設を立ち上げたので人件費・家賃・その他の経費が2倍になりまた一(いち)から、再び赤字体制に突入・・・更には、元々経営感覚がない上に「自称三代続いた江戸っ子」である社長(嫁様)は「領収書」を貰うという習慣が全く無く、初年度~昨年度までは経費計上する額が極端に少なくその分すべて「使途不明金」即ち「事業主の借り」として計上されてきました。各金融機関からは、決算ごとに必ずこの「使途不明金」について厳しく尋問されます。ならば!と今期は、何でもかんでも領収書を確保してかなり経費計上したことも有って、大幅赤字となりました。借り入れもそろそろ限界になって来たし更に借り入れしたところで、これ以上月々の返済額を増やすと事業自体が成り立たなくなるギリギリの所なのです。今年の4月あたりから、何とか最低限の目標をクリアしてきたので何とか今月から、プラスに転じて行かないとアキマヘン。この仕事は、他の事業・商売と違って売り上げを上げようにも、「天井」が定められているし経費削減しようにも、「最低人員配置」が定められているし、肝心の利用者は計画通りにはやって来ない。更に3年に1度の「報酬改訂」で、突然「単価」が変更される。なかなか、タイトな縛りの中で経営していかねばならないという性質の仕事です。この先、次世代の子供たちをサポートするには次世代を担う人材も育成せねばなりません。昨今は、子供がいても事業継承が困難なご時世なのに子供がいない我が家にとっては、猶更大きな課題でもあります。事務長を兼務している医療法人も御多分に漏れずこの「事業継承」が今の大きな課題となっています。医療も、福祉も、「ホスピタリティ」は言うまでもなく大切な要素ですが経営を任す、となると経営センスや、人材育成の手腕などなどまた異なる能力が求められます。「ホスピタリティ」と「経営」は上手くバランスを取らないとどちらに傾いても良い結果にはなりません。福祉関係は、特に利用者の「定員」という壁があるので「あそこがなくなったから他を探せばいいや。」ってな簡単なことではないのです。ひとつの施設の閉所は、その分の利用者の「行き場」「居場所」を無くすことに繋がります。ですから、経営的にもしっかりと存続をさせねば結局、利用者に負担をかけることになって今うのです。・・・それにしても福祉関係の給料は安すぎる!K田総理だったと思うけど「福祉関係の職員の給与を上げる!」なんて大風呂敷を広げたはいいが、とりあえず今回「2%UP」ということになり、それはそれで良いのですが「+2%」=「6,000円UP」みたいなことをどこかで宣ったらしく大変迷惑をしています。「+2%=6,000円」ということは元々が「300,000円」ってことだよね?公務員や公共の施設の職員はそれぐらい貰ってるのかもしれないけれど民間の細々とやっている福祉施設で「平均給与300,000円」なんて聞いたことがない!しかも、今回の改定ではうちの施設に該当する区分では「+1.1%」となりました。これで「給料+6.000円」の原資なんか出ない!しかも、この「+1.1%」は「売上実績」に対して。なので、売り上げが少ない所は「それなりに」しかいただけませんし、法律上、「売り上げが多くても」「少なくても」配置人員は同じにしなければならないので、結局、弱い所は給与を上げることが出来ず、中には存続の危機に陥るところも・・・と危惧しております。経営側のみならず今回の改定では、(詳細は省きますが)利用者をも「選別」する傾向になりかねないような報酬区分を新たに細かく設定してきて納得できない日々を過ごしております。運営側も、利用側も、「新たな縛り」が出来ただけ。相変わらず法律を作るお偉方は現場の事をま~~~~~~~~たくご存知ないまま涼しい場所で、机上の空論を交わしておるのでしょうな。ま、ここで吠えていても何にも変わらないのでとにかく、次世代を見据えて黒字体質となるよう努力し次の担い手が、少なくともお金のことで苦労することがないような体制にして渡せるようにしたいと考えています。
2024年06月28日
今年も「6月6日」が来ました。毎年この日は、「臥薪嘗胆の日」として、この1年を振り返ったりこの先の事を考えたりする日です。が、ここのところ(と言うより、ず~っと、ですが。)なかなか腰を据えて「振り返ったり」「先を見たり」する余裕が有りません。今年は特に「6並び」で普段より気合が入るはずのこの日なのですが、決算作業に追われ、資金繰りに悩み・・・(あ、これも毎年の事か・・・)心静かに己を顧みる事能わず。前回の「並び」は、平成6年6月6日(1994年)でした。もう30年も経ちました。1994年は ・「名探偵コナン」連載開始。 ・郵便料金が「はがき50円」「封書80円」に! ・HⅡロケット1号機打ち上げ成功。 ・グリコ・森永事件の時効成立。 ・細川首相辞任表明。 ・「開運!なんでも鑑定団」放送開始。 ・松本サリン事件。 ・村山内閣発足。 ・ジュリアナ東京閉店。 ・関西国際空港開港。 ・大江健三郎ノーベル文学賞受賞(文化勲章は辞退)。 ・ナリタブライアン三冠。 ・セガサターン発売。 ・プレイステーション発売。 ・WBC世界バンタム級「薬師寺保栄vs辰吉丈一郎」 ・「G-SHOCK」発売。あれから、もう30年・・・ですな。
2024年06月06日
「臥薪嘗胆」と並び、我が生き様の支えとなっている座右の銘が「人間(じんかん)万事塞翁が馬」です。※人間:「にんげん」⇒個に対する。 :「じんかん」⇒世間一般、あるいは世の中に対する。読み方には諸説あるようですが、私個人としては「じんかん」を採用しております。過去の「塞翁が馬」の記事は ⇒「2007年9月15日:塞翁が馬」簡単に言うと、目の前の事象は、必ずしも表面的な意味合いのみでは無くこの先にどんな結果が控えているかは予想が付かないもので、単に目の前の事だけを捉えて、「不幸だ!」「ラッキー!」と判断するのは早計である。禍福は糾える縄の如し!という事。今が苦しい時は、「こんな時こそ、来るべき時に備えて 種を蒔いておくべき! いつ何時、事態が好転するかわからん! 今が苦しいからこそ、将来を見据えるべし! その時になって、この苦しい時に蒔いた種を きっちりと収穫できるように・・・」と、目の前の苦しさを脇に置いて前を見るように努力し、そこそこ良い風が吹いた時には、「こんな時こそ、有頂天にならずに 来るべき苦しい時期を見据えて 貯えをするべし! 少しでも楽な時こそ、節制して更なる努力を!」と一時の安楽に溺れずに・・・と己を律しておるのです。結局、如何なる時も「❝ こんな時こそ ❞ 出来る限りの備えをすべし!」と己の尻を叩くのですが、これ即ち、心休まる時が無い!・・・のです。毎月①25日は給料日なので 何とか工面してスタッフの給与を振り込みます。②そして月末までに 家賃、保険年金、その他経費の引落・・・ この時点で、ほとんど通帳には数万円しか残高が無い。③1日~10日の間に ・給料計算 ・保険請求④13日頃には、前月請求した分が確定。 (この時点で請求に不備が有ると「返戻」として 売り上げは翌月以降に再請求となり、資金繰りが悪化!)⑤20日に、ようやく前々月分(2カ月遅れ)の売り上げが送金され再び①に戻る。このサイクルを毎月繰り返します。このサイクル内で収まっている内は何とか「ジャグリング状態」で踏ん張っているのですが、この時期になると、・社有車の税金・・・5台分ですので馬鹿にならん!・平均して4~5か月に一度の車検。・労働保険・・・ちりも積もれば・・・・健康診断の料金などなど。これに加えて、種々の「年会費」なども発生。何とか「ジャグリング」出来るものは消化していきますが、消化しきれぬものは、「後回し!」になります。年金保険などは、3~4か月「後回し」にするだけで、かなりの「滞納金」に膨れ上がりますし、なんてったって「必殺のお上の赤紙」を出されると何をさておいても最優先に支払わねばなりません。(この事で、年末から年始にかけて新たな借り入れを起こす羽目に・・・)そうこうしている内に、 ・夏のボーナス ・冬のボーナスという恐怖の季節に突入し、「ジャグリング状態」も壊滅し、新たな借り入れ・・・こんなことを繰り返し、満5年も経過しました。途中で、一度「単月採算ベース」を維持できるようになったのですが、この後、更にもう1か所施設を立ち上げたので結局、単純計算で「お金の動きが2倍」になった「ジャグリング」を敢行することになって1年半・・・少しでもストレスを軽減するために毎月、「半年先までの皮算用」をしておりますが、ようやく(皮算用上では)何とか年内には・お手玉4つ+ナイフ3本+ボーリングのピン3本 (ナイフ1本+ピン2本ぐらいは、既に落下!)ぐらいのジャグリングを、・お手玉3つ+ナイフ1本+ピン1本ぐらいの規模になりそうです。年度末には・お手玉3つのみ更に来年中には・お手玉2つぐらいにまで安定する・・・という予定です。が、人生経験上「好事魔多し!」得てして、こんな時には予期せぬ落とし穴が、ぽっかりと口を開けて待っているものです。・・・が、「どうせ、落とし穴があるはず!」という心構えを常に持っている私なのですから(その性格故、石橋叩きすぎてチャンスを逃すことしばしば。)大きな痛手を被ることは無い!と信じております。最大限に良くなる「皮算用」で「うひょひょひょ~」とにんまりしてストレスを軽減しつつ「最悪の事態」を想定して、少し胃を痛めつつそれでも、「(最良+最悪)÷2」が今より良ければ、良し!として、最終的に「ややにんまり」して皮算用を終えます。と、何とか心構えだけはしているもののいざ!・手持ちの現金が全く足りない!・予定外の請求書が届く!なんてことが有ると(かなり頻繁に起こるのだが。。。)目の前真っ暗、頭の中真っ白のモノトーン状態に陥ります。幼少の頃から「おゼゼ(お金)」で苦労してきたので普通の人よりも耐性が有る!・・・かと思いきや、シミュレーション時点で過去の「現実の苦しさ」が如実に蘇ってくるので、結局、未経験の人よりも「ビビり」なのです。チキンレースでは「実際に落っこちたヤツ」=「恐怖を体験している」ので、「行き過ぎて落下しちゃった」体験をすればするほど「ビビり」になるのでは?と感じています。百歩譲って「死にゃあせん!」としても実際に経験した「死ぬぬんちゃうか?」という苦痛はそう簡単には拭いきれるものでは無く、以降、何事も「普通の人」以上に怯え慄き「普通の人」よりも早めにブレーキをかけてしまうのです。相変わらず、・お上からの郵便物・お上からの電話には、「びくくっ」と慄く日々です。たとえそれが、「市役所」でも「郵便局」でも「お上」の匂いが漂う者には不必要に恐れ慄く体質になっています。一体いつになれば、平穏な日々を送れるようになるのか?元はと言えば、己で決めた道なのだから今更愚痴をこぼす資格もないが、実際に苦しい時はともかく、せめて、一時でも「平穏」な瞬間ぐらいは一息つきたいものなのですがそんな時ですら(だからこそ?)「ここで安閑としてると、また嵐が来る!」・・・で、結局目の前の「平穏」は「更なる心の引き締め」と化し、思った通り嵐が来たら来た、で「ひたすらジャグリング」状態を維持し気が付くと、足元は平坦な場所ではなく「綱渡りの最中」であったことに気づく・・・あ、この64年間「いつも綱渡り」で「ジャグリング」してきたんだっけ。タイトロープが、年々細くなりジャグリングアイテムが年々、重さや数や危険度が増してきた。・・・ってだけのことか?難易度が上がっていくのは仕方ないかな。
2024年06月04日
今年もGET!!!恒例の「おもちゃのカンヅメ」今年のキョロちゃんは「キョロガチャ缶」です。名前の通り、「ガチャ」です。また一つコレクションが増えてしまいました。毎年「観賞用」「保存用」2つずつGETしています。最近では、その内ひとつは、子供たちから「羨望の眼差し」を頂こうと目論んで見せびらかしたりしておるのですが思ったほどの効果は得られていません。今回の「ガチャ」は、期待できそうです。これで一躍人気者に・・・中身がすぐに紛失しそうですが・・・
2024年05月18日
このブログを開始したのは、タイトルにある通り47歳の時でした。その頃でさえ、「もはや残された人生は僅か!」「同世代はそろそろ人生の幕を下ろす筋書きに入った。」などと感じていたもんです。その後、50歳になり60歳を超え、今や64歳になってしまいました。節目節目に思うことは、「ああ、あの頃は、もう時間がないとか 残りの人生あと僅か・・・なんて思ってたけど 常に、その時その時なりに、時間もエネルギーも まだまだ残ってはいたはず。」そう、何歳になってもどんな時でも常にその時が「この先の人生で最も若い!」わけです。私が47歳の頃「人生残り僅か!」なんて感じてた頃に生まれた子供たちが今年既に高校2年生の年で、来年は受験なのです。つまり、「人生残り僅か!」と嘆いてから17年も経過してしまいました。この間、まっさらな状態から始めてたとしても来年にはきっちりと受験生と同等に勝負できるだけの時間が有ったわけです。18年も嘆いてる暇あったら何事かを成就できる・・・ってこと!(もちろん、小学校~中学校~高校と通う少年少女と 仕事して借金返済せねばならぬ身とでは 同等には語れませんが・・・)時折、過去の日記をランダムに読み返したりして、その当時のエネルギーを反芻したりしています。2012年3月24日「問わず語り(問われ語り?) ~(前編)~」2012年3月25日「問わず語り(問われ語り?) ~(後編)~」この頃は、自分でも「何のために受験するのか?」「いつまでやるのか?」が大きな課題となっておりました。この時のコメントをくれた方も仰っていますが、「期限を切る」というのが、先の見えないプロジェクトを推進する上では大切な要素だと思います。この時は、「期限を切る」ということは頭には無く、その後の人生設計も確たるものは有りませんでした。この後、再度就職をして勉強時間をほとんど捻出できずに6年余り・・・60歳を前に凝りもせず福祉施設を立ち上げ、何とか今年で丸5年・・・どうにかこうにかメドが立ってきたところです。その間、大きな手術を2度、更に「腹膜透析患者」という状態になってしまいました。それこそ、「期限を切る!」どころか果たして後何年机にかじりつくだけの体力を維持していけるのか?というような状況に陥ってしまっています。ま、所詮人間なんて「いつ」「どこで」「どうやって」死ぬかなんて自分では決められませんし、47歳の時だって、今だって、はたまた20歳の頃だって、いつ死んでたか、なんてわからないし、今まで生きてこられたのも「ラッキー」だっただけのような・・・そうなると、どのみち、この先「期限を切る」なんてのはあんまり意味が無いし、かと言って、今の仕事を疎かにできるもんでもないし・・・「期限」ではなく、「枠」を決めよう!どうせ1日の内30分(準備と片付けが有るので実際は20分)×4回は「透析液交換」の為、じっとして椅子に座っているのだから今までみたいに本を読んだり、マインドフルネスもどきの状態で過ごす代わりに、この時間だけでも集中してまずは、物理からもう一度叩き直しますか・・・何やかやで、ここ数年は「センター試験」も・・・おっと!そう言えば、「共通テスト」ってのに変わったんだっけ。しかも、科目によって出題範囲が変化してたりいろいろと変わった点があるようで・・・兎にも角にももう一度、物理、数学あたりから受験生レベルにまで戻して、まずは数年ぶりに「センター試験」「共通テスト」受験!ここから再スタートいたします。「Give Up」するぐらいなら一からやり直すぜ!最終的に目指すは、今でも「個人総合優勝」ですが、とりあえずは、「種目別優勝」として、物理、数学の満点を目指します!
2024年05月11日
(左)「でんぷん」が主成分の「ニコペリック」⇒「A」(右)「ブドウ糖」が主成分の「ミッドペリック135」⇒「B」「私の現在の1日の透析液交換スケジュール」①22:00~22:30 ★透析液交換「A」★←「12時間~16時間入れっぱなし可」の透析液 ただしこれは「1日1回のみ使用可」 ↓14時間半後(この間に睡眠時間を入れる)②13:00~13:30 ★透析液交「B」★←「3時間~6時間で交換」の透析液 ↓2時間半後③16:00~16:30 ★透析液交換「B」★ ↓2時間半後④19:00~19:30 ★透析液交換「B」★ ↓2時間半後→①という基本的サイクルで現在「腹膜透析」を行っています。①と②の間に睡眠を取り、それぞれの合間合間で仕事やら何やらをこなしています。透析開始当初は、全てが「B」タイプ(3時間~6時間で交換)で1日4回交換故に、必然的に「6時間おき」の交換でした。 (交換に30分かかるので実質5時間半後に次の交換)これでは、睡眠時間が「MAX5時間半」しか確保できず、しかも一旦交換時間がずれるとどんどんとずれてしまうか、どこかで「6時間以上」が発生して、せっかくの透析効果が逆に「透析液内に取り込んだ毒素を再度体内に吸収」ということがおきてしまい、なかなか難儀なことです。途中から「A」タイプを取り入れた時はまさに「救世主」のごとき感銘を受けました。なんせ、たっぷりと睡眠時間を確保できる。(たくさん寝ればそれだけ寝返りを打つ回数も増え その度にカテーテルが気になり睡眠が浅くなる。 それでも無理くり眠り続けると、翌朝キズ口から出血・・・ ということも時折あるので、いまだに深い眠りが得られません。)「A」タイプの透析液(12時間~16時間で交換)と「B」タイプの透析液(3時間~6時間で交換)をいろんな時間間隔パターンで試行錯誤した結果「A」で15時間「B」は3時間ごとが私の体質には最も有効なようで、しばらくこのサイクルで行っています。もともと・外力が働かないと動かない (〆切とか、督促とか・・・)・一度動き出すと止まらない (のめり込むと時間感覚がなくなる。)という「慣性の法則」を具足したような性質ですので昼間の「B」タイプ3時間(実質2時間半)おきのサイクルでは、何かやろうとしてもエンジンがかかって、気合が乗ってきた頃に次の透析液交換の時間になり交換後は再びエンジン始動までに時間がかかり気合が乗ってきた頃に・・・の繰り返しです。先日、気合が乗ったまま没頭してしまい気がついたら、交換時間を2時間も過ぎていて結果、除水量が大幅な「マイナス」になってしまいました。※「除水量」透析液と血液の濃度差を利用(腹膜=半透膜)して本来は腎臓で濾過する血液内の水分や老廃物を透析液に吸収させて排出する。 ただし、個人差はあるが長時間透析液を交換しないと血液と透析液の濃度が同じになってしまい、体質によっては「逆流」してしまいます。交換時に「約2000g」の交換液を注入しその後数時間かけて血液から不要分を「引いてくる」のです。 ※医療従事者はこの表現を使うようです↑「交換時の量」-「注入時の量」=「除水量(引いてきた量)」です。従って、交換時には「2000g以上」になっているのが理想なのですが「引いてくる」どころか「引かれてしまう」と「1900g」なんてことになってしまいます。この場合は、除水量が「マイナス」になります。「A」タイプは「200g」~「250g」除水してくれますがその後の3回の「B」タイプでこの貯金を崩してしまい、結局1日トータルの除水量が「マイナス」と言う日もあります。余分な水分や老廃物を「引いてくる」はずが、逆に体内に吸収されてしまうわけです。顕著に表れるのは「浮腫み(むくみ)」です。手術前は、目立つような浮腫みにはお目にかかったことが有りませんでしたが、「マイナス除水量」の日は、脛(すね)を触ると明らかに浮腫んでいるのがよくわかります。「B」タイプには3種類の濃度が有って、現状は一番低濃度なので、それを高濃度に変えれば除水量も期待できるのですが、高濃度になれば、その分腹膜に負担がかかり「腹膜透析」自体の寿命が縮まります。※ミッドペリック135:1000ml中ブドウ糖13.5g ミッドペリック250:1000ml中ブドウ糖25.0g ミッドペリック400:1000ml中ブドウ糖40.0gちょっと多めに食事した時や塩分を多めにとった日はめちゃめちゃ「引かれ」ます。(TへT)絶食状態にしてみると、結構「引いて」きます。(^。^)vやはり、「霞(カスミ)」を食って生きろ!ということか・・・(-。-)因みに、「1日の平均除水量(透析1年未満)」は450ml/日 らしいのですが、私はせいぜい 200~300ml/日 です。下手すると「マイナス」の日も結構有ります。この手術をしてから、かれこれ9カ月経過します。最初の1カ月は「安静期間」でしたので、本格的に腹膜透析を始めて8カ月です。が、いまだに生活リズムが安定せず、かつ、天候や体調や食事などで除水量にバラツキがあり、俗にいう「倦怠感」は慢性的に付きまといます。加えて、前述の「慣性の法則的体質」も手伝って何をするにも効率が悪く、焦燥感が膨れます。・・・と、分析と愚痴を長々と述べていても始まらないのでまずは、①:「交換中の30分×1日4回」を効率的に使う術を探る。②:「Bタイプ交換の合間2時間半」のエンジンの掛け方を向上させる。③:②に加えて毎回アラームをかけて、没頭時もブレーキをかける。体質改善にも似た、「性質改善」をせねば毎日毎日24時間がもったいない!こうなると、ふと考えるのが、「血液透析」・・・2日おきに病院に行って血液の濾過をするの方が、良かったのか?ということ。が、しかし、やはり、いきなり血液透析ではただでさえボロボロの血管の寿命がますます短くなるは必定。それに、雨の日も、風の日も、雪の日も、高熱の日も、めちゃ眠い日も、決まった時間に(たとえ近くでも)病院に行くのはやはり困難極まりなし!雨の時でも、風の時でも、雪の時でも、高熱の時でも、めちゃ眠い時でも、とりあえず、家の中でできる今の「腹膜透析」の方が、まだやっていけそう・・・かの孔子、論語に曰く 四十にして惑はず (不惑) 五十にして天命を知る (知命) 六十にして耳順ひ (耳順)・・・まだまだ惑い迷うことばかりですな。
2024年04月19日
ここんとこ立て続けに弟子に逃げられています。(-。-)小学生~中学生、高校受験、高校生、大学受験、一部資格試験受験。算数・数学・理科(主に物理分野)を中心に依頼を受けた期間限定で「コーチ」をしています。勉強のプラン作成から、参考書・問題集の選定、時には、「集中講義」をします。基本的には、こちらからは何もアプローチはせず、先方から「ど~~~しても!」という場合のみ「志望校合格のための専属トレーナー」を引き受けます。どの生徒にも最初に話すことが有ります。①「べき乗の話」 ⇒「2010年8月26日:苦しい時に踏み出す❝もう一歩❞の重み」 ⇒「「2024年3月17日:冪(べき)乗の威力」②「像と蚤の話」 ⇒「「2007年9月11日:臥薪嘗胆・・・とは?ゾウとノミの話」③アインシュタインの脳の重さは平均以下!・・・という事実。④受験生は世の中で一番「楽」な立場。 ④は、誤解無きようにしっかりと説明しています。 世間に出れば、自分の努力や才能など、ほんの一握りの人しか 認めてもらえないし、いくら頑張ってもいくら時間をかけても 安直なものや調子のよい輩が評価されることがまま有る。 そこへ行くと、受験生は、どれだけ愛想が悪かろうと どれだけ性格が悪かろうと、また「努力」が見えようが見えまいが 「点数」さえ取れば、それで(ほぼ)全てが評価される。 しかも、試験なんて、世の中の数多ある学問の中の一握りの科目、 更には、文科省が定めた「限られた範囲」の中からしか出題されない。 そして、その内容は全て与えられた「誰もが持つ教科書」の中にある。 つまり、金持ちも貧乏人も「同じ土俵」で勝負できる。・・・はず! 世間に出ると、「何が正解かわからない。」ということがいくらでもあるけれど 試験(特に大学受)は、正解が明確。 そして、「受験生」と言うだけで、世の人々は勝手に「大変だな。」 なんて情けをかけてくれる。「勉強」だけしてれば(働かなくても) 誰にも文句を言われない・・・どころか時には褒められたりしちゃう。 ああ、何て羨ましいんだ!!!必ず最初の講義でこの4つの話をします。言いたいことは、①日々の努力(+@)が莫大な威力を生む。②己を決して否定するなかれ!③生まれ持っての天才などいない!すべては年々積み上げたもの。④自分の努力が「正当」な形で評価される数少ない機会であって、 しかも、それさえやってれば誰からも文句を言われない。④は、なかなか理解してもらえませんが、①②③はおおまかに納得してくれます。①②③が少しでも揺らいでしまうと・・・更に揺らいだまま何年も続くと・・・(物心ついた頃から10年・・・15年、 ず~っと揺らいだままに生きてきてたのなら)その結果として、「今の自分」vs「学年一番のヤツ」として見事に差が付いている・・・ってことぢゃ!!!嗚呼!しかし!「Z世代」だから、なのか?たまたま、「そういうヤツ」が続いたのか?生徒は口では、「ドラゴン桜的な特訓でもするんですか?」とか「半年間(※)頑張ります。」 (※)たいていは、夏休みあたりで部活動も終わり そろそろ受験勉強せねば!とは言うものの 何をどうして良いのかわからん!・・・という状態。などと最初は言うもののいざ!となると・・・・・・と言っても、私に言わせればそれこそ「ドラゴン桜」の「1/10」も要求してないし、そもそも「普通の受験生以下」の勉強時間で追いつくことさえ困難なのだが・・・序盤は「勉強時間のルーティン化」から始めてるのでそれほど「脳」を酷使しているわけでもない。それでも、与えた課題を遅れ遅れでもこなしてくれれば何とかなりそうなものなのだが、序盤の段階で、すぐにへばって結局、「志望校のランクを落とす」半年後には「2~3ランクぐらい」落として「無事合格」となる。ここ数年は、自分の生活やら病状やらに感(かま)けてそんな機会は有りませんでしたが、昨年、突然3人もの依頼(各々別ルート)が舞い込み久々に己の脳みそのメンテナンスも兼ねて全て引き受けたわけです。が、結局、誰も「笛吹けど踊らず」何だろ?「今の若いモンに俺様のやり方は通じないのか?」とも思いましたが、そもそも「俺様のやり方」以前の段階で、毎日の課題である「計算ドリル」すらやれない(やらない?)のではそれ以上どうしようもないわけで、ただただ月日だけが経過するばかり・・・「働きながら」とか「親の目を盗んで」とかではないのだから、たかだか数か月、何とか気張ってやれないもんでしょうかねぇ?しかもこの数カ月で「人生が決まるぜ!」と半分脅してもなかなか心に響かないようで・・・ま、自分自身、こんなことがようやく最近身に染みてきた頃なので10代の若人にはなかなか理解できないのでしょう。今の心境は、矢吹丈に出会う前の「丹下段平」の気分です。「おい、そこの若(わけ)ぇの、俺と世界をめざさねぇか?」と飲んだくれてる「夢見る酔っ払い」・・・なかなか矢吹丈のような逸材は見つからないでしょうし万が一現れた時に自分自身が錆びついていたらジャブの通信教育(「あしたのために」)も満足にできないので ↑このあたり「意味がわからん」という人は ⇒「あしたのジョー」の登場人物参照 当然のように弟子達には意味不明。(TへT)自分自身を「仮想:矢吹丈」として、己が己に課して、決して錆びついていない証明をしたい。ここんとこ数年遠ざかっている 「センター試験」おっと、今は「共通テスト」になったんだっけ。自らに「かむ太郎式訓練」を課してまずは、来年の1月に「復帰戦」に挑みますか!
2024年03月26日
切れ者と評される、かの豊臣秀吉が家来に対して褒美を遣わすことになった時家来(曽呂利新左衛門:落語の祖との説も)が「毎日米を下さい。初日は一粒、次の日からは前日の2倍の米粒を」と申し出た。初日:米1粒2日:米2粒3日:米4粒・・・2週間(14日):米8192粒ようやく米1合と1526粒・・・(米1合約150gとして、米1000粒で約22~23gらしい。 従って、150÷22.5×1000≒6666粒)ところが、30日後にはなんと!536,870,912粒(÷6666≒80538合)80538合分の米!≒12087kg=12t(12トン!)その翌日には・・・24t更に48t、96t・・・さすがの秀吉も途中で別の褒美に変えてくれ、と音を上げたとの事。(途中・・・って何日目だったんだろ? 14日で8192粒≒約184g 15日で16384粒≒約368g 16日で32768粒≒約737g 17日で65536粒≒約1475g 18日で131072粒≒約2949g 19日で262144粒≒約5898g 20日で524288粒≒約11.8kg 21日で1048576粒≒約23.6kg 22日で2097152粒≒約47.2kg 23日で4194304粒≒約94.4kg …「米を数える家臣」は10日(512粒)の次には 「1024粒」が想定されていたわけで このあたりで既に相当な困惑であったと推定される。 秀吉に直訴したところ14日あたりで、 「もうよい8192粒≒約1.23合は2合で良いわ!」 てな具合に15日に4合(600g)、 次の日に8合(1.2kg)・・・ だとしても、23日(153.6kg)24日(307.2kg) あたりまでは意地でも米を与えていたと思われるが、 いずれにせよ当初の「倍々計算」で 30日で80538合(1石1000合として80石)の勢いでは 翌月中には「100万石大名」を超えてしまいますので 少なくとも30日以前に秀吉はGiveUpしたはずです。)有名な逸話ですが、流石に今では小学生でも基本的な知識として標準装備しています。ですが、この「2のべき乗」でさえも知らなければ秀吉同様に高を括って臨む可能性は全くゼロではありません。況やこれが「1.1のべき乗」とか「1.01のべき乗」であれば、「2倍の米粒」のように途中で気が付くことさえも困難なほどじわじわとボディブローのように大きく影響します。健康も、能力も・・・この「見えないべき乗」で大きく左右されているのです。(「1.01のべき乗」とか「1.001のべき乗」なんぞは「ほぼ ❝ 1 ❞ やんけ!」と高を括ってしまいがち!)過去にもかように綴っております。 ⇒2010年8月26日「苦しい時に踏み出す❝もう一歩❞の重み」受験生の家庭教師を引き受けた時には、必ず最初にこのことを話します。(A)毎日、前日より「+0.1%(前日+1/1000)」(B)毎日、前日より「-0.1%(前日-1/1000)」の2通りの過ごし方で如何に将来が変わるか?を数値でシミュレーションします。★30日後(A)「1.001^30≒1.030」(B)「0.999^30≒0.970」(Aの94%)★1年(365日)後(A)「1.001^365≒1.440」(B)「0.999^365≒0.694」(Aの48%)★10年(3650日)後(A)「1.001^3650≒38.404」(B)「0.999^3650≒ 0.026」(Aの0.07%)【参考①】もう1桁小さくしてみても10年後(A)1.0001:(B)0.9999★30日後(A)「1.0001^30≒1.003」(B)「0.9999^30≒0.997」(Aの99.4%)★1年(365日)後(A)「1.0001^365≒1.037」(B)「0.9999^365≒0.964」(Aの93%)★10年後(A)「1.0001^3650≒1.440」(B)「0.9999^3650≒0.694」(Aの48%)【参考②】逆に1桁大きくすると10年後(A)1.01:(B)0.99★30日後(A)「1.01^30≒1.348」(B)「0.99^30≒0.740」(Aの55%)★1年(365日)後(A)「1.01^365≒37.78」(B)「0.99^365≒0.026」(Aの0.7%)★10年(3650日)後(A)「5929兆」:(B)「ほほゼロ」という結果!即ち!高校3年生になり、大学受験を目指す時点で「あいつと俺」「あの子と私」が何故これほど成績に差がついてしまったのか!の答えにもなり、この先の受験生活を如何に過ごすかの心構えにもなるのです。実際には、「普通に現役で東大京大クラスに合格するやつ」と「私」「俺様」は遡る事16~17年前にはそんなに差は無かったのです。(脳みそ自体の大きさも問題ではないし、かのアインシュタインの脳は 平均的な人の脳より小さかったとの話もある。)その後の生活環境や学校で各々違いは有ったであろうが「日本での大学受験」に必要な能力を得る機会はそれほど差が無かったはず。塾へ行ったから共通テストの80%は解けるけど行ってないから60%しか解けない・・・とか、家庭教師に教わったから、他の人には解けない問題も解けるなんてことは無くて、どんな生徒にも同じ問題を課すのだから言い訳にはならない。(しかも、出題範囲は限定されている!)個人的な感覚では、高校3年生の頃の・現役で東大行ったやつ ・・・毎日ハンドボール部で汗をかいてたし 長期休暇も部活動してた。・同じく現役で東大行ったやつ ・・・こいつもバレーボール部やったはず。・現役で国立医学部行ったやつ ・・・剣道部で主将してたし、生徒会会長してた。他にも普段の学校生活では私よりも「勉強以外」にエネルギーを割いてた(ように見える)奴らがさも当然のように「私には手も足も出ない難問」を涼しげに解き、「下手をするとダブルスコア!」ぐらいの得点を取りすんなりと(私にはそう見えた)難関校に現役合格をしていった。何が違う???私なりの解答は高校入学時点では「表面的な試験」や「範囲と期間を絞った中間期末試験」などでは、それほど差がつかなくても一度受けた試験・・・更には「一度でも間違えた問題」は奴らは二度と間違えぬようしっかりと対策していたと思います。翻って私は、単に「何点だったか?」「何位だったか?」ぐらいにしか捉えていなかったので、「せっかく間違えた問題」を生かせなかった。そして、高校入学時(15歳)においても既に、それまでの10年間(5歳~15歳)で前述の「1.0001:0.9999」(【参考①】)ぐらいの差がついていたのではないか、と思われます。肩を並べて入学した・・・と思ってたのは大きな勘違いで私の実力は既に高校のスタート時点で彼らの「48%」そこから更に3年間(同じ学校で、とは言え)「本気で大学目指して勉強」した彼らとそうでない私は、もはや数値では表せないほどの差が出来てしまったのでしょう。そんなことに気づいたのはもはや社会人となって数年経った頃であり、これから勉強を教える弟子達にしか伝える意味がなかろう・・・と思っていましたが、これは何も勉強だけに限ったことではなくて仕事や、(おそらく)アスリートのトレーニングやいろんなことの考え方の土台にもなる。と確信しています。ひいては「人生の生き様」にまであてはまるはず。
2024年03月17日
↑三木清「人生論ノート」この話も、以前綴ったような気がしますが、なんせ、過去の記事を検索しようにも無駄に捻ったタイトルが多いせいか求める記事がなかなかヒットしません。「幸福が存在に関わるのに反して、 成功は過程に関わっている。」更には、「純粋な幸福は各人において オリジナルなものである。」この考えは、先日綴ったアリストテレスの「ニコマコス倫理学」に有った「徳(アテレー)」「善(アガトン)」「幸福(エウダイモニア)」の考え方に通ずるものがあるような気がします。現に「人生論ノート」では、プラトンやソクラテスにも言及しています。また、三木清は「中庸は一つの主要な徳であるのみでなく むしろあらゆる徳の根本的な形である・・・」と述べています。この「中庸」という言葉はかの仏陀(ぶっだ=お釈迦様)もその重要性を頻繁に説いていますし、アリストテレス、デカルトも「中庸」を重視しています。物理学者の竹内均の「『修身』のすすめ」でも「初心者がまず実行すべき徳目は、 勤倹、正直、感謝、次に貯蓄、報恩、中庸……。」と述べています。同じ「中庸」という言葉でもそれぞれに論点や目指すものは多少異なってはいますが「平均的」とか「凡庸」とか「どっちつかず」のような意味合いでは無く、「的を射る」とか「中枢」とか「バランスが良い」とか・・・そんな感じの意味合いが似合うか。
2024年03月01日
「晴れた日に傘を貸し」・・・記事は⇒ここ(2023年12月8日) 顛末(その1)・・・記事は⇒ここ(2023年12月19日) 顛末(その2)・・・記事は⇒ここ(2024年2月5日)一連の騒動の末、何とか年末年始を乗り切り更なる融資を勝ち取りましたが、結局・・・融資条件の内の「滞納中の年金保険料の清算」をして、遅らせていた他の支払いなどを済ませたらあれま!奇麗に無くなってしまったではあ~りませんか!(年金保険の延滞金だけでも、78,500円!!! 相変わらずお上(おかみ)の延滞金は 今どきの街金に勝るとも劣らぬ横暴ぶり!)実際は、もっと早く清算することが可能だったのですが(遅かれ早かれ払わねばならんのは同じなのに)少しでも手元にお金を置いておかないと不安で不安で、なかなかフンギリがつかなかったのです。しかし、その躊躇いは自ら己の首を絞めることになるのです。今回の「延滞金」の横暴さからもわかるように「お金を寝かせる」ということは常に「利息」が伴います。 「持てる者」には「+の金利」(昨今は低利) 「持たざる者」には「-の金利」(時代の変化に関係なく暴利)フンギリが付かず抱えたままの「現金(預金)」は限りなく「0(ゼロ)」に近い金利しか生みません。一方、ずるずると引きずったままの「負債」にはとんでもない金利が付きまといます。ですから、「払えるお金があれば、とっとと払う!」のが一番を被害最小限に食い止める唯一の手段なのです。頭ではわかっていても、根っからの貧乏性故に、結局損な方向へ自然に傾いてしまいます。本日は、いよいよ意を決して「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で年金事務所へ行きました。年金事務所では、他にも中小企業(零細企業)の社長らしき人が、隣の席と背後の席に2社、聞くともなしに聞こえてきた内容は ★年金事務所担当者「約束は守ってもらわないと!!!」 ☆零細企業社長(らしき人)「・・・」 ★「約束したことが守られていない以上、 この先の交渉には応じられません。」 ☆「何とか月々5万円ぐらいでお願いできませんか。」 ★「まずは、滞納分を清算してからです。」だからね!そもそも約束した時だって、あんたら(年金事務所)★「これ以外の条件では譲れない!差し押さえするぜ!」みたいな感じで迫ってくるからこちらとしても「約束」というより「飲まざるを得ない要求」として泣く泣く飲まざるを得ないのだよ。当然、出来もしない要求(約束)だから数か月後には、このような会話になるわけさ!★「まずは、清算して・・・」が出来ないから苦労してんのよ!言いたかないが、年金事務所って、この数十年でいろいろ不祥事やらかしてるし、そのせいで一旦解体されたんだよね。無理やり給料から天引きしていったお金をさんざん無駄遣いしたり、横領されたり・・・・・・アカンアカン、これ以上ヒートアップしてはお上を敵に回すことになる。ひっひっふ~ いったん落ち着いて・・・と。内の場合、今回は何とか「清算」できたけど、隣と後ろにいた零細企業の社長(らしき人たち)は話を聞く限り、けっこうしんどいと思うけどなぁ。最終的に「清算」の約束をしに次回「印鑑持参」で出向くような話になってたが、大丈夫か?★「これ以上滞納が続けば差し押さえ、ということになります。」って、簡単に言うんぢゃねぇよ!企業(特に中小・零細)は資金繰りが悪化すればまずは、必要最小限の支払い、従業員の給与だけは確保せねばならんのだし、そうそう簡単に「売上アップ!」とか「経費削減」とかは出来んのだよ。お上は簡単に「増税!」とか「差し押さえ!」とかで簡単に「売上アップ」出来るし、「所得アップ」とか「有給消化」とか「育児休業」とかは「率先!」して民間に先んじるけど、痛みを伴うことは、相変わらずへっぴり腰か馬耳東風・・・本日たまたま隣り合った席に居た社長(らしき人たち)はそれでも誠意があるからこそ出向いて相談に来てるんだろうけどお上の画一的な回答の前では「誠意=清算」なわけでそれ以上は望むべくもありません。他人ごとではないけれど、「清水の舞台から飛び降りる」のは己の判断だがどうも「清水の舞台から突き落とされる」ような状況があちらこちらで起こっているような。。。ま、何はともあれ「ほぼ0金利の現金」は無くなったが「暴利の負債」は解消されたわけで大いなる前進である!と言っておこう。
2024年02月29日
↑ラファエロ作「アテナイの学堂」この有名な絵の中央(向かって右の青い装い)の人物こそアリストテレスです。「万学の祖」と呼ばれ、現在の学問のほとんどが彼の言うところの「哲学」の範疇に含まれる・・・との事。(アリストテレスのいう「哲学」とは、 『知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体』)なんてったって、かの「アレキサンダー大王」の家庭教師だった・・・ってんだから驚き!プラトンの弟子であるが、後に袂を分かつ。決別した理由は政治的背景、思想的背景などが挙げられるがこの時の様子を、プラトンは「アリストテレスは私を蹴飛ばして行ってしまった。」と語ったらしい。プラトンの「イデア論」を否定する学説に傾きかかったことも大きな要因である。との事。ま、実際に「蹴っ飛ばした」わけではないとは思いますが。さきほどのラファエロの絵にも象徴的にプラトン:自著「ディマイオス」を持ち、天を指す。(理想主義の暗喩)アリストテレス:「ニコマコス倫理学」を持ち、手を前に。(現実主義の暗喩)と描かれています。先日記した、デカルトも、科学的アプローチを取り入れつつすべての事象を解き明かそうと試みたのですが、アリストテレスは、デカルトよりも遥か2000年前に科学的アプローチを試みていたのはすごいことです。もちろん、この頃(紀元前384年~紀元前322年)は「科学」という概念は確立されていなかったでしょうが・・・自然科学の分野では、後の科学的発展により当時の学説は多くが崩れ去っていますが、「哲学」においては2000年以上経った今でも十分に生きています。逆に言うと、「自然科学」は、この2000年で人類は飛躍的に真実を解き明かしてきましたが、こと「哲学」に関しては進歩が無い?それとも、2000年前に既に人類の限界まで解き明かしてしまった。ということか?アリストテレスは、「ニコマコス倫理学」の中で「徳」について触れています。「徳」というと、「道徳」に代表されるように人としての倫理的思考・行為や仏教で言うところの「徳を積む」という感覚がお馴染みですが、アリストテレスの言う「徳」とは、・それぞれが持つ固有の特性を十分に発揮できる状態にあること。更に、「その状態を発揮できること」を「善」としています。「善」に至るには即ち「徳を積む(=己の力量を磨く)」ことが必須で「徳」は日ごろの習慣により鍛錬され、磨かれていきます。己の才覚を磨くことも、仏教的な「徳を積む」ことも目指すべき姿に向かって、日々鍛錬を積む。と言う点では似た感覚だと思います。更に、アリストテレス曰く、「善」=「幸福」とも。個々の特性を磨いた状態が「徳(アレテー)」「徳」を発揮することが「善(アガトン)」「善」を為すことが即ち「幸福(エウダイモニア)」である、と。そう考えると、アリストテレスの言うところの幸福ってのは、日々の積み重ねさえしっかりしていけばそんなに遠い所にあるわけでもなさそう。ま、その「日々の積み重ね」こそが難しいんですけどね。常々自分に言い聞かせている 人生は、1年1年の積み重ね 1年は1日1日の積み重ね 1日は1分1秒の積み重ね 1分1秒は 今この瞬間瞬間の積み重ねという考えをしっかりと持ち続けることが「幸福」への確かな手段か。人生とは、これまで積み重ねてきた「徳」と目の前の「選択」の更なる積み重ね。そう考えると、過去積み重ねてきた「徳」を(良くも悪くも)しっかりと認識・自覚したうえでこの先常に迫ってくる目の前の「選択」をより「幸福」に向かえるようにしていくことが肝要。
2024年02月25日
個人的には、「一番好きな哲学者」と言えば ↑ちょっと怪しげ?フランシス・ベーコンなのです。その一番の理由は、誕生日が同じ日(ただし399歳年上)特に「知は力(ちから)なり!(Ipsa scientia potestas est)」という言葉は、コンプレックス満載の私には心に突き刺さるものがあります。で、本日は ↑かなり怪しげ??ルネ・デカルトのお話・・・過去にも何回か綴っているはずですが、その記事を探し出せませんので内容がかなり重複するかと。デカルト、と言えば「方法序説」です。発刊当時の正式名称は『理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話。 加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学。』・・・長いぞこの名称からわかるように、内容は昨今一般的に言われる「哲学」というよりは「科学を突き詰めて真実を解き明かす」というイメージです。その中で、森の中で迷った旅人の行動について次のように述べています。「あちこちむやみに動き回ってはアカン! 留まることもアカン! 一度決めた方向にひたすら進むべし!」と。ただし、現実的には①救助のアテが有る場合は留まるべき。②明らかにヤバい方角は避けるべき。でしょうが・・・過去の人生において、確かにデカルトの言うように決めた方向にひたすら進む!という行為には光明を見い出す要素があるように思えます。一歩進む・・・ということで今居る位置とは異なった視点が得られます。それが、少しでも高い位置で有れば見える景色自体が異なります。留まっていた場所からは見えない何かが新たに見えることも多々有ります。とてもじゃないが超えられない、と思っていた山でもその麓に行ってみたらトンネル(隧道?)が有ったり、とんでもない崖も、そこまで行ったら階段や梯子がかかっていたり・・・とにかく、「踏み出して、そこに行かねばわからない。」ということに人生においては幾らでも遭遇します。若かりし頃は、目先の難題に対してはあらゆる結果を想定し、・望める範囲の最上の結果・想定する範囲の最悪の結果を割り出し、「最上」と「最悪」を天秤にかけよほどのことが無い限り(多少の「最上」<「最悪」ぐらいでは、「GO!」)「最悪」の事態に対し、腹をくくった上で「最悪の事態でも、死にゃあせん!」という結論で突き進んできました。ま、何とか死なずにここまではこれたんですけどね。ところが、ここに来て、齢(よわい)64ともなると「よほどのことが無くても」いつ何時ぽっくりと死に至るかわかったもんじゃありません。そこで、最近は、森の中(人生)で迷った時の行動指針として・留まっていても、体力が持たんので動く! (デカルト先生と同意見)・じっくりと吟味して方角とタイミングを決め 何かにぶち当たるまで突き進む。(ただしゆっくり)・この期に及んで「何かにぶち当たる」は、 即ち、今回の人生これ以上挽回不能!・なので、「ぶち当たらない!」と信ずるのみ! どうせ何とかなっちゃうのさ・・・ぐらいの気持ちで。。。
2024年02月23日
「本家トキ先生」が急逝しました。「本家トキ先生」は、今のかかりつけ鍼灸師にかかる前の「超ド級腰痛緩和の為の最終兵器」でした。20代の頃から、2~3年に一度は何の前触れもなく、突如「超ド級腰痛」に襲われ1週間~10日ほど動けなくなることが有りました。2010年の夏、この時も動けなくなるほどの激痛に襲われ藁をもすがる思いで、知人に紹介された「怪しげな整体師」の元へ行き、怪しげな整体を施してもらいました。 その時の日記は、⇒ここ「本日の怪奇」結果は・・・ ⇒ここ「トキは秘孔を外したか」その後に、紹介してもらったのが、「本家トキ先生」⇒ここ「ほぼ復調・・・(^。^)/」最初の「怪しげな整体師」こそが「トキ先生」だと確信して行ったのですが、結果が伴わず、かと言って、既に「トキ先生」と命名してしまったので後の先生を、「本家トキ先生」としました。「本家トキ先生」は、もともと面識も有り、この後も、何かと多岐に渡りお世話になりました。年は、私よりも5歳ほど下・・・だったかと。昨日、突然の「トキ先生の訃報」が届き言葉にならない無常観を抱いております。死因はどうやら「心筋梗塞」との事。もともと心臓に何かあったのかは不明ですが、私自身、「心筋梗塞」を発症したことも有り、何とも複雑な思いです。私の場合は、自覚症状もない状態でしたし、かたや、「突然死」のように一夜明けたら死んでいた・・・わけです。今晩、お通夜に行ってきます。トキ先生に施術してもらった身体ですが不摂生が祟って、現状のような状態になってしまいました。誠に申し訳ありません。
2024年02月07日
12/19に、「晴れた日に傘を貸し・・・顛末(その1)」を投稿しました。「このままでは資金ショートは必至!」という銀行の分析結果は変わらぬものの・だから、当座貸越を全額返済せよ!という方針から12/19では、・取り合えず、当座貸越枠は存続・・・で残り枠も復活。そして、1月終盤では、更に・資金ショートする前に「追加融資」という願ってもない形に決着しました。思えば、開設当初(2019/5月)は、数カ月で手持ち資金がほとんど空(カラ)になりかかったところに県の「新規事業者対象枠融資」で何とか経営危機第一波を凌いだのも束の間、運営のメドが立つであろう時期(2020/1月~)に世間(世界)は、未曽有の「コロナ渦」に突入。だが、これのおかげでかなりの有利な融資を引き出して経営危機第二波を乗り越えることが出来た。更に、想定外に長引くコロナ渦で資金繰りが悪化しつつも世間(世界)も想定外の為追加融資枠が拡大し、これまた、経営危機第三波もかろうじて乗り切り・・・何とか順調に来たものの、「2つ目の施設」を開設した後は、再び、マイナス月が継続し、いよいよ題経営危機第四波で万事休す!か?と思われたのが今回の一連の出来事です。何とかこれにより一息付けたのは間違いないのですが、あと半年後には「夏のボーナス」という試練が待ち構えています。そこを乗り切れば・・・今度こそ この先も何とかなる!はず!必要とされる仕事をきちんと全うすれば、必ずや存続できるはず! と信じております。お気づきの事と思いますが、毎回経営危機を乗り越える際には「融資」が絡んでいます。即ち、波を乗り越えるごとにどんどんと「負債」が膨れているわけです。「今いくら借金があるか?」が問題ではなく「毎月きちんと返済できるか?」が全てなのです。ただ、事業の性質上、売り上げの上限は決まってきますので、「負債」もええ加減に膨らまさんようにせんと、最後には「破裂」してしまいます。今回の一連の騒動の結果、銀行とは「晴れた日に傘を貸してくれて、 時には、曇ってきても更に傘を貸してくれる(場合もある)。」ところ。追記1/22掲載の「When I'm Sixty-Four」の記事内でIf I’d been out till quarter to threeWould you lock the door?の箇所の訳を「もしも 夜中の3時15分前になっても 外出しているような時には ドアに鍵を掛けてくれないか」という(ほぼ直訳)のを採用しましたが、指摘を受けたことも有り再考したところ「ドアにカギを掛けちゃうかな?」てな感じの方が自然なのかもしれません。
2024年02月05日
腹膜透析を開始してから、かれこれ5カ月経過しました。当初は、「人工透析=血液リセット」というイメージで、血液透析であれ腹膜透析であれ血液自体を濾過するのだから透析することによって体内の毒素はきれいに浄化され瞬間的にでも「健康血液」になるものだと思ってました。が、実際は、障がい者認定基準の「クレアチニン5.0」は下回るものの毎月の検査では、せいぜい「4.5」あたり・・・たしかに透析前よりは身体が楽になった感触はあるのだけれど1日4回、眠くてもしんどくても、何が有っても律儀に透析液交換をしてきた割には、「劇的」な変化は体感できません。それでも、透析開始前には、わずか数カ月でクレアチニン値が「3.5」⇒「4.0」⇒「4.5」⇒「5.0」と加速度的に上昇していたことを考えると多少なりとも数値が下がっていることとそれを維持できてることで満足すべきか・・・一喜一憂していてもよろしくないので、 ・塩分過多 ・総カロリー(特に血糖スパイク)過多 ・カリウム(野菜ジュースは禁止されました。)過多に注意して、変なストレスを貯めぬよう生活します。それはそれとして、先日、齢(よわい)64となってしまった身として「この先の人生を如何に生きるべきか!?」ということが頭に浮かぶことが増えています。以前にも書きましたが、「残り人生10年」と覚悟すると(実際は、明日命終が尽きるかもしれませんし、 あと50年生きるかもしれませんが・・・)特に欲しい物や、行きたい所(そもそも現状ではかなり制限有り)やりたいこと・・・などが渇望的に存在することもなくなり、「とにかく何か後進に残せること」に注力しています。それでも、自分なりに「何らかの生きた証」のようなものが欲しくて ・共通テストはこの先も受験する。 ・「断捨離」に反するが、読みたい(読むべき)本は読む。 ・できれば、今抱えている弟子(受験生)を志望校に入れるなどは何とか実現していきたいと考えています。そんな中で、はた!と感じたことが、「過去読んだ本や見た映画など、己の血肉となっているはずだがその内容を覚えている作品が何だか少ない。」大量に所持し、むさぼり読んでいた漫画はそれなりに頭に残っていて、折に触れセリフなどが出てきます。が、実用書などの内容は頭と体に染みついているはず・・・としても、あれだけたくさん読んだ文学作品とか小説はあんまり内容を思い出せません。これも、我が体に染み込んで血肉となっているはず!と思いたいのですが、何だかとっても悔しいのです。という事で、脳細胞が最も活性化していたであろう時期の中学・高校時代に没頭して読んだ「夏目漱石」を読み返してみよう・・・。以前、表紙の美しさに魅せられて愛読していた「旺文社文庫」の夏目漱石の本を何点か入手していたのでこれを読んでみるか・・・↑こんな本です。ところが、この時代の文庫本のフォントは何だか読みにくい上に字が小さい!!!若かりし頃は、よくもこんな小さな文字を平気で読み漁ってたもんだ!と思います。これではアカン。もう少し現代風のフォントの新しい版でなおかつもう少しデカい本は無いか?ということで、1984年に刊行された「ザ・漱石」(冒頭画像)発売当初にも買って読まずにそのまんま・・・引越の際の「第1次断捨離」で処分したやつ・・・をネットで探して「送料込み600円」でゲット!本日届いたので、さてさて読み始めてみようか・・・と中を開くと文庫本よりも更に更に小さい文字がぎっしり!「文庫本の文字が小さくて読めない」(右下のが件の文庫本の文字)からこそ、この大きな本を買ってのだけれど、そりゃあ「330万文字」をこの大きさ(A4とB5の中間くらい)とは言え「752ページ」に収録するのだから「1ページあたり4388文字=400字詰め原稿用紙10枚以上」では、こうなるのは無理からぬこと・・・これに比べると、文庫本の文字の大きいこと大きいこと。はたして、「ザ・夏目漱石」は読破できるのか?夏目漱石の次には、数回の「断捨離」を生き残った「S級の蔵書」であるところの「安部公房全集」「立原道造全集」が控えております。過去の一時期とは言え、エネルギーを費やした作品はもう一度この身と脳に刻んで荒れた脳みそに鍬を入れ、少しでも良い土壌になるよう日々開墾していこうと思っています。あ、そう言えば中学~高校の頃に、少ない小遣いでせっせと文庫本を買い漁っていたのは良いが、「吾輩は猫である」は、確か比較的分厚くて値段も他の作品より高かったせいでこの作品だけは終ぞ手にすることが無く読んでなかった! 「王道の漱石」 「アバンギャルドな安部公房」 「センシティブな道造」 ↑それぞれ私的な印象による勝手な冠付けです。で、3方位から脳を耕すことが出来そうです。
2024年01月24日
「Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band」1967年6月にイギリスで発売。この中に収録されている曲。 是非聞いてちょ!⇒ The Beatles 「When I'm Sixty-Four」 「レノン=マッカートニー」となっていますが、実質は、ポール14歳(一説には16歳など諸説有り)の時に書いた曲・・・との事。ジョン・レノンは64歳まで生きることが出来ませんでしたがポールは、当時「50年後」の歌詞を書いて実際に「64歳」になった時にどんな感覚だったのでしょう? When I'm Sixty-FourWhen I get older losing my hair,Many years from now.Will you still be sending me a ValentineBirthday greetings bottle of wine? If I’d been out till quarter to threeWould you lock the door?Will you still need me, will you still feed me,When I’m sixty-four? You’ll be older too...And if you say the word,I could stay with you. I could be handy, mending a fuseWhen your lights have gone.You can knit a sweater by the fireside,Sunday mornings go for a ride. Doing the garden, digging the weeds,Who could ask for more?Will you still need me, will you still feed me,When I’m sixty-four? Every summer we can rent a cottage,In the Isle of Wight, if it’s not too dear.We shall scrimp and save.Grandchildren on your knee -Vera, Chuck & Dave. Send me a postcard, drop me a line,Stating point of view.Indicate precisely what you mean to say.Yours sincerely, wasting away. Give me your answer, fill in a form -"Mine for evermore".Will you still need me, will you still feed me,When I’m sixty-four?僕の髪の毛が薄くなって 年を取っているとき今から ずっと先の事だよ君は それでも バレンタインのプレゼントをくれるかな?誕生日祝いの ワインのボトルは どうかな?もしも 夜中の3時15分前になっても 外出しているような時にはドアに鍵を掛けてくれないかそれでも 僕が必要かな? それでも 食事を並べてくれるかな??僕が64歳になったときに君も 年を取るんだよもしも 君が この言葉を使ってくれたなら君と一緒に居られるんだ僕は フューズを直すにしても 便利だよライトが消えたときに君は 暖炉のそばで セーターを編んだりできる日曜日の朝には ドライブさガーデニングをやって 雑草を抜いてこれ以上のものが 必要かい?それでも 僕が必要かな? それでも 食事を並べてくれるかな??僕が64歳になったときに毎年 夏は コテージを借りるんだワイト島にね それほど高くなかったら僕達は 切り詰めるつもりだよ孫を 君のひざに乗せヴェラ チャック そして デーブハガキを送ってくれよ 手紙をくれよ 観点を述べておくれ正確に 君の伝えたい事を書いておくれ敬具 ウェイスティング・アウェイ(憔悴男)より君の答えをもらえないか? 用紙を埋めてくれよ永遠に 僕のものである為にそれでも 僕が必要かな? それでも 食事を並べてくれるかな??僕が64歳になったときに御多分に漏れず、この曲も、ほとんど意味を精査することなく何となく口ずさんでいただけなので、「ラブソング」だったとは・・・!と、改めて認識した次第です。かく言う私もとうとう・・・と言うか、いよいよ・・・と言うか本日 満 64歳 I'm Sixty-Fourになりました。小学生の頃、ばあ様が「66歳」 ※最近は、緑々寿(ろくろくじゅ)、 緑寿(ろくじゅ)とも呼ぶようです。になったのを知り 「とてつもない長生き!」 「ほぼ、❝ 仙人 ❞ の域!」と感じたものです。が、もうそこに近い年齢になってしもうたわけです。少なくとも、「仙人」には程遠いが。。。昨年は、「阪神優勝!⇒日本一!」 と言う大事件(?)が有りました。また、個人的には「障がい者認定」を受け、 腹膜透析を開始。 1日4回の透析液交換を行う生活が365日続きます。 (透析液の交換は「1回2000cc」×1日4回 で、「年間2920ℓ」 比重が1.0より大きいのでかれこれ「3トン」近い量!)保育士試験に合格し、施設内では ちらほらと「先生」と呼ばれるようになりました。 相変わらず資金繰りに奔走してますが・・・クリニックも少しずつ落ち着いてきました。 10月には、新たな福祉施設を立ち上げる計画でしたが、 今のところ足踏み状態です。 今年は、これに重点的に関わることになりそうです。・・・てな具合で、本年は「共通テスト」は不参加。※「まだ、受験生やってんのかい!」と言う突っ込みは承知の上で、今年度(来年1月)は何としても「共通テスト受験」をこなして、医学部は難しいとしても他の大学の1つや2つ合格するぜ!と、鼻息荒くしております。参考までに・・・●1月22日生まれの人・毛利輝元(旧暦1月22日)・大塩平八郎(旧暦1月22日)・フランシス・ベーコン(「知識は力なり」)・バイロン(「事実は小説よりも奇なり」「笑える時は常に笑え。金のかからない薬だ」)・田山花袋・椋鳩十・千葉真一・鳳蘭・星野仙一・スティーブ・ペリー(ジャーニー)・ダイアン・レイン・中田英寿●1月22日に亡くなった人・国定忠治・安部公房・テリー・サバラス●1月22日の出来事・大化の改新、改新の詔発布(646年)・ローマ皇帝がマルティン・ルターを召喚(1521年)・平田篤胤、江戸退去命令を受ける(1841年)・「血の日曜日事件」(1905年)・初の国産飛行船実験飛行(1916年)・「オバケのQ太郎」連載開始(1964年)・ボーイング747初就航(1970年)・日経新春杯でテンポイント骨折(1978年)
2024年01月22日
このブログを開始してからなんと!17回目の元日を迎えてしまいました。あの年に生まれた赤ちゃんが、既に高校生になっているという事です。あの頃なら、文字通り「赤子の手をひねる」ように体力・知力共に「圧勝」だったのが、月日は流れ・・・既に体力は完敗!(どころか、戦う前に白旗を揚げるしかない健康状態)知力も・・・とは言いたくないのですが、白旗は揚げないまでも、実際に勝負したら、かなりコテンパンにやられそうな・・・52歳の頃に、「18歳で合格すれば、現役。 19才なら1浪、20歳で2浪・・・ 52歳で34浪・・・平成の三四郎とでも呼んでくんな!」などと嘯いておりましたが、それから更に幾星霜・・・今年、仮に合格したとしても、「45浪」(TへT)結局、「これから医学部受験して医者になるぜ!」と宣言してこのブログを開始してから、センター試験受験は、7~8回(か?既に覚えてない。)それなりに手応えを感じて2次試験に挑んだのは3回(だったか?)・・・全て玉砕ですが。センター試験の自己採点の精度を確認するために「選抜はセンター試験の結果のみ」という私大に願書を出したのが2回。(これは、医学部ではないので2回とも合格。 当然お金も無いので入学辞退。)ここ数年は、「センター試験」から(いつの間にか)名を変えた「共通テスト」を受験してません。18歳から47歳までの30年近いブランクを少しずつ埋め戻しながら挑んでは来ましたが、ここに来てまた大きなブランクを生じ、ここからどこまで埋めることが出来るかというメドも立ちません。年々遠のく「門」ですが、生ある限り、「ギブ・アップ」はせず、せめて毎年あるいは、隔年でも「共通テスト」に挑み科目ごとでも良いので「キャリア・ハイ」を叩き出したいものです。差し当たっての目標は、過去1度も成し得ていない「満点」を、「物理」「数学1A」「数学2B」で1回でもクリアしたい!というものです。もはや、今の生活リズムと体力で英語やら古文やら社会まで手を広げるだけの余力が全く有りません。(数学、物理もそうですが・・・)あと10年は生きる予定ですので、少なくとも5回は「共通テスト」受験して「物理」「数学1A」「数学2B」の満点を1回でも叩き出したい!これが、プライベートでの「死ぬまでに成すべきこと」のひとつです。前回の日記で、 ⇒ここ 「365/4000」 ◎どうしても欲しいものは・・・特に無し ◎どうしても行ってみたい所・・・特に無し ◎どうしても食べてみたいもの・・・特に無しと書きましたが、「成すべきこと」は自分の中では、また別のようで、 ◎成すべきこと・・・それなりに、有り!です。年頭にあたって、かような抱負を抱き、仕事を軌道に乗せて何とか「時間的・金銭的余裕」を捻出して、密度の濃い1年にしたいと思います。過去に記した己の文面 「生き様」は、「ボイルシャルルの法則」⇒ 記事は「ここ」 「エネルギー保存の法則」 ⇒ 記事は「ここ」に励まされながら、前のめりに生きております。
2024年01月01日
「MISSION4000」と称して ⇒2022/11/13「金<仕事<人」残りの人生「あと4000日」と勝手に覚悟して、「10年カレンダー」を掲げては見たものの既にその内の1年(365日)が経過しようとしています。 「10年カレンダー」⇒「ここ」カレンダーでは、10年(3650日+閏3日=3653日)ですが、+1年で4000日(ぐらい)・・・自分の人生が、「無期限」「無限の時間」と錯覚していた頃には ◎欲しい物 ◎行きたい所 ◎食べてみたいものなどなど挙げればキリがない程でしたが、いざ、「(勝手に)期限」を設けてみると ◎どうしても欲しいものは・・・特に無し ◎どうしても行ってみたい所・・・特に無し ◎どうしても食べてみたいもの・・・特に無しと、文字で簡単に書くと、「人生諦めた」みたいな感じになってしまいます。実際は、それほど悲観的ではなくむしろ、「本当に必要なもの」を見極めてしかも、限られた選択肢の中で日々生きているのでやたら「多すぎる選択肢」を与えられて結局、何が正解かもわからず、ややもすると「選んじゃいけない」ものを選んでしまう事を考えると、「限られた選択肢」も、それほど悪いことでは有りません。「可能性は無限だ!」とは言えなくなったものの「現実的なことは、迷わず選択できる。」と、物事の判断基準が明快になったことはひとつの利点です。「金<仕事<人」でも書きましたが、残る人生で、「何を残すか」が人生の一大イベントであり、今回の人生(前回や次回が有るのか無いのか・・・?)のひとつの「生きた証(あかし)」でもあります。(これは、残りの人生がどれだけであろうと 私に限らず皆がそうだと思ってます。)振り返ってみると、物心ついた頃から我が人生は、とかく「金」に振り回されてきました。小学生の頃は、「黒いスーツに黒いサングラス」の見るからに「ヤ」のお兄様方が高級外車に乗って、土足で家に上がって来たり給食費が払えずに、いつまでも教室の黒板に「給食費忘れ:かむ太郎」と書かれていたり(これは先生が書いてた。)、喘息持ちで頻繁に近くの医者にかかっていたけど、ほとんど支払いをしていなかったり、高校受験は、「当然、公立と私立併願」という学校の方針に逆らい、「公立一本」を貫かねばならなかったり・・・(私立高校は、合格しても入学金が払えないし、 その後の授業料も払える見込みが無いので、 受験すること自体、意味が無いし、受験料も勿体ない。)成人してからは、己の「未熟なる商才」が露呈して、ず~~~~~~~~っと借金生活です。一時期は、「普通の稼ぎでは、返済分すら賄えない」ほど毎月の返済額が膨らみ、「失われた30年」をかけて、ようやく「人並みの借金」ぐらいになり、何とか細々と暮らせるようになったかと思ったら、失業した後に、再び(何度目かの)起業してまたもや借金を増やし、この先長い「借金返済生活」が確定しています。とは言え、「失われた30年」は、先の見通しもなく、ただひたすら「過去の借金」を返済するのみ!の、「夢もチボーもない」時代でした。 ↑この言い回し、わっかるかなぁ?わっかんねぇだろうなぁ? ↑と、言ってるこの言い回しも、わっかるかなぁ?それに比べれば、今の「返済」は、ある意味「実のある」返済ですので、 💰借金総額がいくらか?💰という事よりも、 💰月々返済できる否か?💰さえクリア出来れば、「何とかなる」と思って、挫けずに行けそうです。と言いつつも、資金繰りが煮詰まってくると電話の音にも「びくくっ」宅配便のチャイムにも「びくくっ」それこそ、突風の音にも、車のクラクションにも何かと「びくくっ」「びくくっ」と反応してしまいます。せめて、もう10年早くあるいは、もう少し健康体の頃に今の仕事を始めてれば、もう少し何とか楽に将来設計が出来たんじゃないか?とも思いますが、ここ数年の色んな仕事や、人との付き合いなどが有って今の位置にいるのでしょうから、「なるべくしてこうなった。」「居るべくしてここに居る。」という事だと思います。来年も、まだ「次の施設」を立ち上げる計画が有り、まだまだ「びくくっ」からは脱却できそうに有りませんが、「資金繰りが追いつかなくても、死にゃあせん。」をお題目に、何とか凌いでいこうと思ってます。「もはや、欲しい物は無い!」と抜かした舌の根も乾かぬうちに買ってしまいました。何種類もある中で、これだけ異様に安かったのは「○国産」で、生地は粗雑、印刷も・・・「暖簾(のれん)」にしては、「ゴワゴワ」ですが、おかげで隙間風が遮られて丁度良い!もうひとつ注文した「AREバスタオル」は、1か月半前に「発送済み」のはずですがこの前、配送状況を調べたところ「荷物がみあたりません」との事で諦めました。(先日から、配送状況ページすら表示できません。)暖簾は、届いただけでも「儲けもの」としましょうか。多少品質に難ありと言えども、来年も再来年も・・・この先しばらくは毎年買うことになるだろうから「消耗品」ということで・・・
2023年12月30日
先日、金融機関(要するに銀行)に対して、 暑苦しい夏に布団を貸し付けて、 濡らすな。汚すな。とばかりに管理され、 冬の気配が来る前に、引っ剥がして回収する。 オマケに僅かばかりの薪をくべた 囲炉裏に水をぶっかけて行く。 あるいは、 晴れた日に傘を貸し、 雨が降り出す前に自分とこへ呼び出して回収し、 雨が降り出したので「どうぞお帰り下さい。」などと暴言を吐きました。 暴言内容は⇒「こちら」年末の支払やら、何やらどないするべ!と途方に暮れつつも、何とか従業員の賞与を支給し、最低限の支払いを済ませました。それでも、「個人的にお金を借りてきて何とか凌いだ。」だけの事ですので、これも近々返済せねばなりません。「どないするべ!」が少し先送りされただけの状態で次の給与支払い日を迎えねばなりません。そこへ、暴言を吐いた(直接は吐いてないよ。)先の「銀行様」(「様」付けになっている。)から連絡が有りました。前回の「当座貸し越し解消⇒月々返済せよ」の場には臨席していなかった支店長から直々に電話が有り、 ①当初の計画通りに行ってない。 ②現状のままでは資金ショートするのが明白という事実に関して、前回は ・どないすんね!? ・当座貸し越しの残り枠を使う事禁止! 更に、更新も不可!なので、来月からでも 月々の返済をせよ。 (とまり、更に毎月の返済額が増える。)という話だったのが、支店長の決済は、 ・計画立案時は当行も参加していたので こちらの認識も甘かった。 ・当座貸し越しは今のまま更新。更に ・このままでは資金ショートするので 更なる融資を検討する。し・か・も ・追加融資はそれなりに月々の返済が増えるので 追加融資分は、「1年間の元金返済猶予」という「何かの罠か???」と思わせるほどの転換ぶり。しかも、「今度の融資をしてもまた数か月後に 同様の状態にあってはアカンので 余裕を持てる状態にしたい。」とな。いままで何十年といろんな金融機関と付き合ってきましたが、「晴れた日に傘を貸し、曇り始めたら 即座に回収する。」人ばかりで、今回のような「晴れた日にはもちろん貸しますし、 曇ってきたら、予報に合わせて グレードアップした傘を貸します。」なんていう提案は初めてです。決済は、支店長単独ではおそらく困難ですので、その上(誰か知らんが)の決済が下りるまではまだまだ手放しでは喜べませんが、何とかなっちゃう!か?取り合えず、本日「当座貸し越し枠更新」手続きを完了し、消滅しかかっていた「残り100万円」枠が復活!何とか、目の前の苦難は乗り越えられそうです。「追加融資」は、年明けに持ち越しです。
2023年12月19日
本日(12/16)は忘年会。当医療法人の理事長は、何事にも「布石」「先回り」「根回し」を欠かすことが有りません。一昨年の忘年会では、帰宅後の深夜に「心筋梗塞」で救急搬送されながらも手術の翌日からは、あちこち電話しまくって翌年(昨年)の会場をKEEP!昨年開催した忘年会の翌日には既に今年(本日)の会場を押さえて準備万端。忘年会の1~2週間前からは全員の出欠を確認の上、大きなカレンダーの裏面に「配置図」を描き「誰がどこに座るか」を日々検討します。「AさんとBさん、最近仲は悪くないか?」とか「C先生とD先生は酒飲むとどうなの?」とか「内科の看護師と精神科の看護師は交流ある?」とか「EさんとFさんは、席を離した方がええんちゃうか?」とか最初は、ボールペンで書いては二重線で消して訂正したり鉛筆で書いては消し・・・でしたが、とうとう、カレンダーの端を切って「一人一人の駒」を作ってまるで、「戦(いくさ)」の陣取り図のような盤面と化しその姿は「ほとんど棋士」です。「こいつをここに置けば、こいつがこうなる。 あいつをここに持ってくると、抑えが効かん。」ぶつぶつ言いながら、駒をあちこち配置しています。結果的に、毎年似たような布陣になってしまいます。スタッフ、ドクターからの「普段話さない人とも話してみたい」との要望も有り、来年からは・会場に入る時にくじを引く!という手法に落ち着きそうです。昨年、一昨年は「コロナ渦」の為部署ごとの少人数で、ひっそりと短時間開催でしたが、今年は久しぶりに「全科+薬局+福祉施設」全体で開催。会場も、大広間でしたので、全員が見渡せ、程よい交流の場になりました。2人の欠席が有りましたが、総勢40名強と「1クラス分」の規模でした。僅かな人数のドクター、理事などを除くとそのほとんどが「女性」です。年々人が増えてくると、職場内にそれなりの軋轢もあちらこちらに発生しますが、立場上、あちらの顔もこちらの顔も立てながら「お姉さま方」がご機嫌麗しく勤務できるよう骨折っております。幸い(?)どのドクターも「紳士的」(気が弱い?)で、お姉さま方は、比較的「アクティブ」(気が強い?) ↑心にも無いですぜ!ですので、良いバランスが取れています。来春には、「医療報酬」「介護報酬」などの改訂の時期を迎えますが、医療業界も福祉業界も、コロナ渦では「えっせんしゃる・わーかー」などともてはやされましたが、コロナ渦過ぎれば報酬改定も渋そうな気配です。医療現場はまだしも、福祉現場はその報酬の構造上「給与アップ」の原資は、国が本腰を入れて動くしか確保する手段が有りません。給与が上がらねば人材は散逸するし、当然、次世代の人材も確保できません。そうなるとますます「人材不足」業種になります。福祉の仕事の多くは、そこで働く人のボランティア精神によって支えられている部分が相当有ります。いつまでもそこに頼っているとそのうち限界が来ます。「平均並み」とまでは言わないまでも現状より少しずつでも待遇改善をしていかないとすぐにでも破綻します。働く人もそうですが、何とか人材を確保しようとギリギリの財務状況で運営している法人は人材確保のために待遇改善すればするほど我が身を苦しめていくことになるのでやがて法人自体が破綻します。そうなると、そこで働く人材はまだ他の受け入れ先が有るにしても利用者は行き場を失います。結果、利用者の家族の負担が増し、中には仕事を辞めるしかない家庭も・・・そうなれば、世の中全体が更なる人材不足に陥るのです。同時に、ますます子供が増えない社会になります。これは、福祉業界だけでなく物流業界なども同様の状態になる事でしょう。「AI」やら先進技術で補える要素はまだまだ「ごく一部」です。この先どないなんねん?NIPPON!
2023年12月17日
「健康保険」を筆頭に、世には様々な「保険」が存在します。保険の歴史は古く、紀元前2~3世紀の中国やバビロニアにおいて、商人が荷物を紛失・強奪された際の補償が行われていたとの事。社会に出てから、常に「自転車操業」の暮らしをしてきたという事情もあってバイク乗りの頃は、法的義務の「自賠責」のみ。四輪に乗り出してからも、「保険ごとき」に出費が出来ようはずもなく所謂「任意保険」に加入したのは30歳を超えてから・・・だったような。もちろん、「生命保険」とか「傷害保険」とか「医療保険」「火災保険」なんぞは、「ぶるじょあじー、金持ちが痩せない為の物 あわよくば、ますます太り栄える為の物」という認識でしか有りませんでした。それまでは、「健康保険・年金」すら支払いが滞り「健康保険資格証明書」なる、一目で「あ、こいつ保険料払ってねぇな!」とわかる「赤い薄っぺらい紙」を持ってました。これは、あくまで「資格証明」ですので、医療機関の窓口では一旦全額を支払いせねばなりません。後日、「保険料を全額支払ったら、保険分の7割は返してやる。」というもので、そもそも、「滞納保険料全額」など、とても支払えるわけもなく結局、医者にかかることを避けて生きてました。従って、「実質無保険」の暗黒時代が何年も有りました。「無保険」と言う事は、「=年金も不払い」ですので、年金受給の「60歳」になっても年金がまともに貰えないのです。が、「遥か未来の事やし、ま、ええやろ。」と無視してました。その遥かな未来だと思ってた「60歳」を過ぎ、「年金定期便」なるものが送られてくると、記載されている「想定年金支給額」が同年代の「堅気」よりも遥かに少ないのです。以前は、「(たしか)25年以上」納めねばそもそも年金を受け取る権利すら発生せずどう計算しても「25年」に達する事は無いので「年金」ってのは無縁のものだという認識でした。・・・ところが、平成29年8月から(何が理由かわからんが)「10年で受給資格発生!」に変わり、少ない額とは言え、棚ボタのように「受給資格」が発生したのです。少ないとは言え、もともと受給資格すら無い!と覚悟していたので、これはラッキー! 以外の何物でもない。そんな私ですが、知人の「M川さん」が保険代理店ということも手伝って、彼のお勧めに従い、生まれて初めて「医療保険」に加入したのは、2017年10月のことでした。この時点で既に「糖尿病」と診断済みの身としては加入できる保険がかなり限られておりましたが、「M川さん」の手腕により、「針の穴を通す」ように条件を搔い潜って加入したのです。それから僅か2カ月後「心筋梗塞」の手術。 この時の記事は ⇒ 「ここ」みごとに「保険料」をGETできたのです。「M川さん」の保険に入った直後にネット通販系の保険会社も「加入OK」となり、更に、(てっきり忘れてましたが)「COOP共済」も小口ですが数年前から加入していることが判明し、トータルで、「糊口を凌げる」程度の保険金が入りました。あれは、かなり助かりました。※ちなみに「M川さん」は、この、タイミングの良すぎる加入に関して、周囲からかなり疑惑の目を向けられたそうな・・・この後、保険のグレードアップや口数増額・・・は、どこも認めてくれませんでした。が、現在もこれらの保険は生きてます。元来のなまけ癖のせいで・去年の11月の入院 ⇒「R4年7月12日~19日」手術・入院・今年の7月の手術入院 ⇒「R5年7月12日~19日」記事・今年の8月の入院 ⇒R5年8月14日~21日」入院の分の保険請求をしていなくて、年末に向けて窮乏している今!慌てて請求をいたしました。この3件の請求で、何とか月末の「福祉施設2軒分の家賃」を支払えそうです。(都心の家賃とは違い、片田舎の物件ですので 私ごときの保険金でも払えてしまうのです。)考えてみれば、一時期(保険加入する前)には、頑張って毎月「3万円!」とか「5万円!」とか頑張ってせっせと貯めた時期も有りましたが、例えば、「3万円」を3年貯めたところで3万円×3年×12カ月=108万円 です。これで、いざ!何かあった時はあっと言う間に無くなってしまいます。そう考えると、「月々数千円~1万円若しくは2万円以内」で、保険に入ることは決して損なことではない!と実感しております。今では、会社としても「損害保険」「火災(自身)保険」加入し、利用者や従業員への補償もある程度補える体制にしています。毎月最低限の保険代さえ捻出できれば、いざ!という時にも困窮することなく何とか生きていける。あとは目の前のことにエネルギーを集中していけば何とかなる!M川さん!こんな感じで、「保険のお勧め」如何でしょうか?
2023年12月16日
また今年も❝ 魔の ❞「賞与の季節」がやってきました。昨年も ⇒ 「昨年の賞与期のぼやき日記」同じようなことを書きましたが、昨年よりもスタッフ(特に正社員)が増え、最初は、「寸志」で済んでいた社員も今年は、「満額支給」なので、会社負担は ど ど ど ~ ~ ~ ん !!! と増加しております。あっちゃこっちゃの支払いを遅らせたり、個人的にお借りしたり、して何とか社員全員に「冬季賞与」を支給しました。すっからかん ですわ。今月は、(当然だが)月々の給与も25日が支給日。払えるんだろか?どないしてでも払わねば!毎月の給与支給前には、支払いも見据えながら、あっちの通帳からこっちの通帳へこっちの口座からあっちの口座へ数字を回しつつ、優先順位をつけて何とか凌いでいます。そのツケが半期ごとに一度 ど ど ど ~ ~ ~ ん !!! ぐ わ わ わ わ ~ ん !!!と襲い掛かってくるわけです。人生の中の僅かばかりの「給料取り時代」は、全く、その逆で、給料日直前と賞与の前は何とも言えぬ甘い空気でしたが、それも遠い過去の話・・・毎日、毎月が綱渡り・・・と言うよりも、じっとしていては、足元が崩れてくるので取り合えず前にジャンプ!(するしかないので・・・)そこに、ギリギリのタイミングで足元に岩が飛んできて、何とかそこに飛び移れた(結果的に)が、その岩も、落下しているのでそこには留まっていられない!従って、再び(目の前には何もないが)「えいや」と前に向かって飛ぶしかない!と、運よく次の岩が飛んできて・・・(大きな安定した形の岩も有れば ようやくつま先だけで引っかかるのも有り。)・・・という状態の繰り返しで、どうにかこうにか生き永らえている感じです。でも、裏を返せば「止まれば地獄の状態でも、 飛び続ければ何とかなってきた。」わけです。「苦しい坂も~、止まれば下がる~ ♪♪♪」と、ダークダックスも歌っておる。⇒「銀色の道」この先も、どんな状況に陥ろうとも「どうせ、何とかなっちゃう。」と信じて、見えない明日へ・・・JUMP!
2023年12月14日
山積された課題・・・ほぼクリア!あとは資金繰りのみ!と先日報告いたしました。で、「ウルトラC」遂行に着手・・・ 経緯は、記事参照⇒ 窮地の脱し方~かむ太郎式「逆パレートの法則」 山積された難題・・・(ほぼ)クリア! (^。^)v「ウルトラC」をクリアするには、比較的低めのハードルが1つと、かなり高いハードルが1つ有り、実は、「高い方のハードル」を先にクリアすることが出来ました。が、「低めのハードル」に問題が発生し、なんと!こちらが「NG」となってしまいました。なんてこったい!!!ここにきて、何なくクリアできそうだった「低めのハードル」は、クリアできなかったことにより、新たな「高めのハードル」として別の手段を画策せねばなりません。これも、策をめぐらし、かなり無理くり何とか「クリア」することに成功!やれやれ、これで、ここ数カ月頭を悩ませていたあれやこれやの諸問題がぜ~~~んぶ解決ぢゃあ!と、久々にすがすがしい朝を迎えたところでした。そもそも、「ウルトラC」の前段階で、 ①銀行の「当座貸し越し枠残り100万円」 ②定期積金の満期金100万円を、「既に確保しているという事実」が出発点で、それらが「当然」クリアされている前提であれこれ画策してきたわけですが、そこへ、 (詳細は伏せますが)銀行から「当座貸し越し解消」の電話が。。。言いたいことは多々あるけれど、あんたんとこへの返済は何も迷惑かけてないよね!たしかに、年金事務所への支払いは遅れ遅れで、先日も年金事務所に頭下げに行って今後の支払いの計画も立てたよ!だからと言って、「税金等(年金含む)の滞納」を理由にあんたんとこが提案してきた「当座貸し越し」による貸し付けを即座に「証書貸し付け」に変更して来月からでも毎月返済に切り替えろ・・・たぁ!お天道様が許しても、かむ太郎様はおいそれと承知するわけにゃあいかねぇぜ!今、資金繰りが苦しいからこそ年金の納付も遅れ遅れになってるんだし、それもこれも、あんたんとこや他の金融機関の返済を優先してるからでしょうに!こんなことなら、あんたんとこ後回しにすりゃよかったのか?ま、そんなことしたらあんたら金融機関は、どんな仕返しするかわからんし。かと言って、お上はお上でそこいらの「サラ金」「闇金」並みのえげつないことを「合法的」かつ「どこよりも最優先」で実行できるから、逆らえんし。。。見通しが良さげな昨年末には、あれやこれやお金を貸してくれることばかり提案してくれてましたし、銀行で主催している「なんとか倶楽部」にも月々1500円払って入会しましたがな。それもこれも、支店の成績上げるのにほんとに微力ながらできることは協力したし、間違っても不義理なことは今のところ何にもしてないやん!今まで、そちらからお願いに来るときは支店長まで一緒に来てたのに今日は、今まで有ったこともない別部署が出てきて何だこれ!「当初の計画に比べて達成率がどうのこうの」て、福祉やら医療業界に対して、「売上ノルマ」「コスト削減」みたいな一般企業のようなモノサシで測るんぢゃねぇよ! ・「売上」が上がらんから、営業する! ・目標に未達だから、人件費を下げる!そういうことは、できない仕組みの中でやっていかなけりゃならん業界なのよ!ま、これぐらいのことで、今の施設を潰すわけにもいかないし、バブルが弾けた頃の金融機関の仕打ちに比べれば何てことはないので、また何とか凌いでは行くけれども・・・晴れた日に傘を貸し、雨が降ると取り上げる。(「雨が降る前に回収する。(傘が濡れないように)」かな?)とはよく言ったもので、今回は、暑く寝苦しい熱帯夜に分厚い布団(金利が他行より高め)を(他の銀行はもう少し軽い羽根布団=低金利だったけど、 担当行員の熱意で、あんたんとこから借りて 言われるがままに「当座貸し越し」も設定したんだよ。)貸してくれて、「汚すな」「湿気を与えるな」てな感じで毎月毎月売上やら人件費やら報告させて、1年前の当初から、今回の使い道と必要額は知らせてあったのに、このギリギリ土壇場にきて「寒くなってきたので布団を返して!」とばかりに引っ剥がして行きゃあがる。夏場は分厚い布団は要らないし、寒くなった時期に布団を借りに行ってもどこも出払ってしまってるし、急には調達できないんだよ。暑苦しい夜に布団を貸し、雪が降りそうな夕方に突如回収に来る。そう言えば、銀行って、そういうとこだったっけ?今回は、「利息さえ払っていれば元金返済はいつでもOK」の返済分(当座貸し越し)を「月々決まった金額返せ!もちろん金利付き!」に変更させられたわけだから、単に「布団を引き上げる、傘を取り上げる。」だけじゃなくて、苦しい月々の返済を更に上乗せさせる・・・ 暑苦しい夏に布団を貸し付けて、 濡らすな。汚すな。とばかりに管理され、 冬の気配が来る前に、引っ剥がして回収する。 オマケに僅かばかりの薪をくべた 囲炉裏に水をぶっかけて行く。あるいは、 晴れた日に傘を貸し、 雨が降り出す前に自分とこへ呼び出して回収し、 雨が降り出したので「どうぞお帰り下さい。」てな感じ。それでも、今回改めて感じたのは、「こういう時の怒りはエネルギー源になるぜ!」という事。状況は変わらずとも、「もう、どうにもならんのちゃうか?」という不安と恐怖に苛まれた心が「どうせ、どうにかしちまうし、何とかなっちゃうはず!」という楽観的感情に、怒りとともに反転していくがわかります。心の中に分け入ってこの仕組みを分析すると ①:この怒りを鎮めるには 「何とかせにゃ、納得いかんし悔しい。」 という気持ちが一番に有って、 ②:何とかする為には 「同じ状況なら、くよくよしてても良いことなし!」 という過去の人生から学んだことが 心と体全域にいきわたり ③:鎮痛剤のごとく「不安と恐怖」が薄らいでいく。 と同時に、 ④:このまま放っておいたんでは、鎮痛剤の効果が切れるので それを凌駕するだけの効能を持った「何か」が必要・・・ ⑤必要なんだけど、そんな気の利いたものが無いので、 てっとりばやく「今湧き出た怒り」をもって代用する。 ⑥「怒り」は、「愛」とか「平和」などの「漢方薬」ではなく 「劇薬」なので、即効性は有るが、依存してはならない。 出来れば、早めに「愛」「平和」「地域貢献」などの 本来の目的でもある「漢方薬」に代えるのが良い。退院後、毎月の検査で僅かずつでも下がってきたクレアチニンの値が、今回上がってました。さて、新たなる窮地を如何にして脱するか?奇しくも本日は、 1941年:真珠湾攻撃の日 1963年:力道山が刺された日(1週間後死亡) 1980年:ジョン・レノン暗殺の日 1991年:ロシア・ベラルーシ・ウクライナの代表が ソビエト連邦の消滅と独立国家共同体の創立を宣言。古くは、かの「仏陀」が悟りを開いたとされる「成道会」です。
2023年12月08日
先日、「窮地の脱し方」 ⇒ 「ここ」参照という日記を書きました。書き出して整理したおかげで、「その気になれば、無視できるもの。」「その気になれば、案外簡単に片付くもの。」「その気になれば、そもそも気にしなくても良いもの。」などが混在していて、ハードルの低いものから片付けていくと、最後に、「ひとつ ❝ だけ ❞」残ったのが、 資金繰り です。 (モト これさえどうにかなれば、後は何てことない・・・ というところがスタートで、 この最大の難問に振り回されて他の簡易な問題すら 解決できてない状況を打開するために、 「逆パレート作戦」を立てたので、 この結果は至極当然・・・ではある。)さて、これでは単に元々の立ち位置に戻っただけ・・・と思いきや、結果的には、「ハードルがメチャ低い。」あるいは、「そもそも問題というレベルではなかった。」などの問題を、どんな形であれ「処理」していくと 鍵のかかった扉にもたれかかって 「う~~~ん!」と押しているよりも 少しでも後ろに下がって助走をつけて 「どかん!」とぶち当たった方が、 扉を破りやすい・・・という感じで、同じ立ち位置に居てもとりあえず、「10の内、9を処理した」という勢いで、「ど~にもならん!あとはどこから謝りに行こうか・・・」と途方に暮れていた頭に 「ウルトラC」の閃きが・・・これを遂行するには、最低でも1~2か所頭を下げに行かねばならないのだが、「どこから謝りに行こうか・・・」と考えた時点でどの道、頭は下げねばならんのだからおんなじこっちゃ!しかも、謝ったところで、せいぜい先延ばしが関の山だけれど、「ウルトラC」なら、頭を下げた後に「万事解決」の道が開ける!「一歩踏み出せば、景色が変わる!」 記事は⇒「ここ」と常々思っていることが、久しぶりに実感できた数日でした。あとは、「ウルトラC」遂行のみ!!!「貧すれば鈍す」と「窮すれば通ず」は、表裏一体。
2023年12月05日
私と同世代の、「平均余命」が、概ね「20年」で、 注「平均余命」とは? →「ここ参照」私のような「透析患者」は、「その半分!」と担当医が申しておりました。となると、「あと10年か・・・」と、このような「10年カレンダー」を机の前に貼って、人生の終幕をあれこれとイメージしておりますが、その10年を構成する単位・・・「1日(毎日の暮らし)」が、なかなか思うように行きません。頭の中と心がどんよりしている原因は、「現在の困りごと」が大きく影響しています。実際は、物心ついてから「ほぼ24時間365日」困りごとだらけで頭も心も埋まっているのですが、それなりに「許容量」というものがあり、「人一倍の許容量」を自負している身では有りますが、時として、その許容量に迫ることがあります。「許容量」自体も、実際の物理的「器」のように常に一定の規格を維持しているわけではなく、体調や天候や「阪神優勝!」などで、日々変化します。現実は、「困りごと」が増えて「許容量」を超える、というよりも、「常に一定量の困りごと」を抱えているのに、日々変化する「器」が縮んだり凹んだり穴が開いたりして溢れて漏れ出しそうになる。・・・と言った方が近いかもしれません。いずれにせよ、溢れて漏れ出すと厄介なので、出来る限り規格を維持するか、さもなくば修復を試みます。が、限界近くまで来た頃にはちょっとやそっとの事では修復が追いつきません。そんな時、試みる手法があります。★まずは、今抱えている問題を列挙します。大きな問題、些細な問題・・・10個ぐらい挙げます。私の現状は、 ①資金繰り・・・要するにお金が回らない。 ②ハローワークに提出する書類が片付かない。 ③年金事務所に提出する書類が片付かない。 ④税理士に提出する書類が片付かない。 ⑤銀行に提出する書類が片付かない。 ⑥部屋が片付かない。 ⑦透析液交換のサイクルが安定しない。 ⑧勉強時間がとれない。 ⑨運動不足。体力不足。 ⑩肌が荒れてきた。ま、取り合えずこんなところで・・・列挙してみて改めて分かったことは、 形式の無い「レポート」や「統計」などは 作業自体が、「好き!」で得意(だと思う)。 が、「決まった形式の書類」や「役所への提出物」 を作成するのは「嫌い」で「作業が遅い」ようです。個々の、重要度を示すと ① 70% ② 6% ③ 5% ④ 4% ⑤ 3% ⑥ 2% ⑦ 2% ⑧ 5% ⑨ 2% ⑩ 1%ぐらいなので、「パレートの法則」に則ると ※「パレートの法則」⇒「わかりやすい記事①」 「わかりやすい記事②」 「わかりやすい記事③」 「過去の日記:2008年1月22日」 「過去の日記:2011年9月22日」あきらかに最優先順位は「①」以下、②→③→④→⑧・・・と処理していくのが最善なのです。労力はどうあれ、①を片付けた時点で、「70%」解決。以降、②までで「76%」、③までで「81%」、④までで「85%」たった4項目で「85%」片付くのですから、重要度の高い順にこなす!が大正解。・・・なのですが、そもそも、「重要度:高≒難易度:高」で、「それが出来んから困っとるんやんけ!」というのが現状なのです。★ここで一計を案じます。まず、⑥⑦⑧⑨⑩を「現状では致し方なし!!!」「そのうち何とかなる。今は致命傷ではない!」として、現時点での解決を諦めます。(これで、即座に「10個の内5個解決!」 ・・・実際は、全く解決してないのだが。。。)次に、比較的「厳密さを求められてない」書類として⑤を片付け、同様に、④、あわよくば③あたりまで何とか形になれば、「めんどくさい」ので手つかずだった②も、勢いで何とかなりそうな・・・ここまで来れば「10個の内9個」として「完遂率=90%」として評価します。実際は、②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩まで9個こなしたところで「30%」しか解決しないのですが、これを「90%」としてしまうのですから、かなり「我が心と脳みそ」を騙さないとアカンのです。かくして、あわよくば9個、悪くても6~7個処理できれば、「ほぼ」解決したも同然。あとは、残りの1個(あるいは2~3個)❝ だけ ❞ をこなせば「オール・クリア」なのです。実際、「とにかく1歩踏み出す」ことは問題解決に際しては、かなり有効な手段で、特に「何から手をつければ良いかわからない」時や「全くやる気にならないけれど、やらねばならん」時、には、「結局何も出来なかった」という結果よりは遥かにマシでしょう。これとは別に、目の前の「難題」(得てして己の力量のみでは解決が困難。)に対しては、客観的には「可:否=10:90」ぐらいでも強引に「上手く行く ОR 行かない?」の2択と捉えて、「可否は五分五分!」と決めてしまいます。これによって、「可:否=50:50」にまで持っていけます。当然ですが、結果は概ね「10:90」ぐらいで決着するのですが・・・とは言え、結果が出るまで「10:90」の恐怖に晒されるよりせめて結果がわかるまででも「五分五分」と思えれば多少は、ストレス軽減になり、この目の前の「難題」以外のことは、少しでも平静な心でクリアできそうになります。また、結果的には(当然のように)「×」だったとしても、そこから立ち直る時には「ほぼ不可能」として立てた作戦よりも、「五分五分」の可能性を勘案した作戦の方が、目指す着地点がより良いものになっているので、その後の「修正案」が「前向き」になります。メイン難題に心を崩されていては、普段なら簡単にこなせる案件すらも「次なる難題」に化けてしまいます。こうなると、本来一つしかないはずの「難題」がいくつもいくつも出現したかのような錯覚に陥り、気が付くと、「難題だらけ」になっています。よくよく整理してみれば、「難題はひとつ」だったりするのですが・・・一人で抱える難題に対しては、かように己の心構えを操作しながら何とか生き延びてきたのですが、これが、自分以外の人間を巻き込んでいる時はことは簡単には済みません。会社勤めをしていた頃は、なかなか周囲に私の思考が理解されず、 「何て楽観的な!」とか、 「かむ太郎さんは飄々としてますねぇ。」とか、 「実は、何かとてつもない秘策でもある・・・とか?」などと言われたものです。(だって、悲観しても楽観的でも 結果が変わらないんだったら、悲観しても仕方ないいやん!)私が一番の責任者である場合は、最悪自分がひっかぶれば済むのですが、そうでない場合(特に部下にせ金の所在が有る時)は、一言・・・ 「大丈夫やて。結果ダメでも、死にゃあせんから。」意外にこの一言が、効くことが多々有りました。この記事で、記念すべき「2400件」になりました。よくもまあ、綴ってきたもんですな。
2023年11月19日
以前・・・と言っても10年以上前に「世に従はん人は~徒然草 第百五十五段」 ⇒記事は「ここ」を綴りました。カテゴリーは、「かむ太郎の法則」 ⇒一覧は「こちら」として分類。「かむ太郎の法則」は、自分が生きてきたそれまでの人生で実際に付き合いのあった人の生き様、言動その時々の考え方や判断基準、歴史・文化・経済・科学・まんが・・・何冊も何冊も読み漁った書物から得た金言・格言、心構え、知恵、発想、などなど。更には実際に自分が直面して凌いできた場面での失敗した戦略、功を奏した戦術いろんなこと取捨選択し、織り交ぜた「わが人生の指南書」と言っても良いかと。時折読み返して、明日への羅針盤としております。運営、資金繰り、事務作業・・・零細企業の経営者ならどこも同じかと思いますが、日々の煩わしさ、月々のお金の工面、役所や関係先への書類の山。(「ぺーぱーれす」どころか、年々紙の書類増えてねぇか?)日々少しずつ「閏ストレス」が溜まり、月に1回、か2~3か月に1回或いは、半年、1年に1回ほど、目には見えない「積り重なったもの」が何かの拍子に、「ど・ど~~~ん」とのしかかってきて心も身体も重くなり、思考停止になりそうな時があります。そんな時は、誰のどんな言葉よりも「あの時の自分」の言葉が大きな拠り所となり、エネルギーを充填できるエネルギー源にもなります。何と言っても、「そりゃ、あんたはエエわさ。」とか「おまえと俺では生きてきた環境も違う。」とかいう逃げ道がないのです。その時の「あんた」は自分自身ですし「おまえ」も自分なのですから。たとえ、「今」と「その時」とのいろんな事情が異なるにせよまぎれもない自分が感じたことなのですから。そう思いながら「世に従はん人は~徒然草 第百五十五段」 (2011年7月15日)を読むと、 「春暮れて後、夏になり、 夏果てて、秋の来るにはあらず。」 苦しい時こそ、より真剣に 先を見据えなければ、悪循環になります。 窮した時こそ 通常以上にエネルギーを使って 次の準備を整えなければ 「負け戦」へまっしぐら! ぼやぼやしてる内に 人生なんて、あっと言う間に過ぎ去ります。と、12年前に力説しています。全然進歩してないなぁ。それどころか、12年経って再びやっとこさ同じ境地に立ってるやんけ!と自省しつつも、改めて 苦しい時こそ、「明日」への足掛かりを「今」作る。 種を蒔いたとてすぐには生えぬし、 蒔いた種、全てが生えるわけでもなし。 それでも・・・「蒔かぬ種は生えぬ!」お金も、体力も、残された時間もそれほど多くは無いけれども、出来ることが「全くない」わけじゃない。全然捗らなくても全然ゴールが見えなくても 「一歩踏み出せば景色が変わる」 ⇒記事は、「ここ」 迷ったら動く!止まりそうな時こそ、動く! ⇒デカルトの話は、「ここ」一歩でも・・・それすら叶わぬならばたとえ半歩でも、踏み出しますぜ!
2023年11月13日
38年ぶり・・・です。多くは語りますまい。前回(1985年)の日本一の時は「まこれで、ちょくちょく日本シリーズ観戦できるな。」と思ったのがアカンかったか、その後はご承知の通り。普段は、 ・決してテレビ中継は見ない!録画もしない! ・球場へ行くなど言語道断! ・結果のみを調べるだけで、映像などはみない。という習慣を堅持してきました。※なんせ、リアルタイムで見るとテレビだろうが球場だろうが負け、逆転負け、大差で負け・・・ラジオで聞いた最初の「生中継」は「残り2試合で1勝すれば優勝!」の年の最終試合。ラジオを付けた瞬間・・・「9対0、阪神敗れました!!!」の絶叫!とにかく、プロ野球に限らず「贔屓にしてるチームや選手が出る試合は見ない聞かない!」ことにしてきました。ところが、今年のWBCを全試合テレビ観戦したところ御承知のように「全勝!」ひょっとして、阪神観戦の呪いも解けたか・・・とシーズン中、時折阪神の中継を見たりしましたが、やはりアキマヘン!阪神だけは見てはいけない!聞いてはいけない!と改めて肝に銘じました。ネットニュースの「文字情報」だけで今年のシーズンを乗り切ってきました。それでも、「次、いつ日本シリーズ出てくるんやろか?」と思うと、はたして生きてる間に次の機会が来るのか?という不安にかられ、全阪神ファンに申し訳ないと思いつつ今年は・第1戦・第4戦・第5戦をテレビで見てしまい、全て「勝ち!」テレビ中継がなかった試合は「負け!」「をを!これは!今までの精進が実ったか! 見た試合全部勝ってるし、見てない試合が負けてるやん!」と鼻息荒く「第6戦」も鑑賞。さすがに山本から2戦連続勝つのは至難の業でした。「やっぱり見てはアカンのか・・・最終戦は宮城やし。」それでも、もともと中継予定の無かったのが急遽「サザエさん」をカットしてまで中継してくれる・・・てんだから、「見るぜ!」大英断で鑑賞しました。やったやったぜやりました。PSここ数年「映像」で見ることがほとんどないので「おお、近本ってこんな顔してんのや。」「村上はピンチでもニコニコしててエエなぁ。」「青柳ってそういえばサイドスローなんや。」などなど阪神ファン歴「53年」なのに、情報は「にわか阪神ファン」以下。因みに、岡田監督は38年前の現役時代の顔しか覚えてなくて、「お互い年取ったなぁ。」※岡田 ❝ 選手 ❞ 当時27歳(11月25日で28歳) 私・・・当時25歳 でした。
2023年11月05日
よもやよもやの3連勝で、CS突破!日本シリーズです。でも、CSを勝ち上がったからと言ってまだまだ安心ではありません。阪神ファンは、常に「悪夢」と共に・・・思えば、村山監督がプレイングマネージャー(監督兼現役投手)として指揮を執り始めた1970年頃から阪神ファンになったものの、江夏、田淵、藤田平らを擁しても2位止まり。 江夏の「延長戦でのノーヒット・ノーラン、 しかも自らのホームランで決着!」 村山監督の「タイム!ピッチャー・・・わし!」 などなど・・・伝説は枚挙にいとまがない。ファンになってから10年以上暗黒時代は延々と続き、「日本のプロ野球は5月でおしまい!」と、言い聞かせてきました。「実際、GWの頃までは首位にいたのに・・・」とか「死のロードまではAクラスにいたのに・・・」という年が、私が阪神ファンになった頃(昭和45年=1970年)以降ず~っと続いてきました。 村山監督:2位、5位、2位 金田監督:2位、4位 吉田監督:3位、2位、4位 後藤監督:6位 ブレイザー/中西監督:4位、5位、3位 安藤監督:3位、4位、4位そして、ついに、とうとう、ようやく私が阪神ファンになって15年後の1985年、吉田監督で21年ぶりの日本一!!!(セ・リーグ優勝も21年ぶり)その時には、「黄金時代到来か!」と思ったのもむなしく翌年からは3位、6位、6位、5位、6位、6位、2位、4位、4位、6位、6位、5位、6位、6位、6位、6位、4位・・・のていたらく。2003年に18年ぶりの「セ・リーグ優勝」翌年は4位、で、2005年「セ・リーグ優勝」2003年は甲子園で3連勝して「王手」をかけながら福岡ドームで2連敗して3勝4敗。2005年にいたっては悪夢の「4連敗」しかも4試合のの合計点数「33-4」という屈辱的大敗!!!だから最後の最後まで全然気が抜けないし全く安心もできない日々が続くのです。これなら去年のように「日本のプロ野球は4月で終わり!」の方がよっぽど気が楽だ。・・・と優勝したからこその「余裕」も数年ぶりの感覚。とは言え、昨年は「開幕9連敗」で早々に「シーズン終了!」と決めたのに、奇跡の逆襲でCS出場まで漕ぎつけたら漕ぎつけたで淡い期待が・・・結局、アキマヘンでしたが。2006年からも、2位、3位、2位、4位、2位、4位、5位、2位、2位、3位、4位、2位、6位、3位、2位、2位、3位またしても、18年ぶりなのです。53年間阪神ファンをやってきてようやく4回目・・・なのです。(日本一は、まだ1回)※2007年にCSが始まり、以降2022年まで(2020年は中止)15回の内、実に10回CSに出場してますが、日本シリーズまで勝ち上がったのは、2014年の1回のみ。その年は、ソフトバンクに敗れています。(TへT)
2023年10月20日
↑10月10日でも、なお咲いている今年の彼岸花毎年、この季節になるとどこからともなく咲き乱れるのが 彼岸花 です。春の桜に比べて、世間ではそれほど注目を浴びることもなくいつの間にか咲いて、いつの間にか消えています。桜には、本体の「木」が存在して、春でなくとも、「そこに在る」ことがわかりますが、彼岸花には、それがありません。桜は、その年その年の気候によって咲く時期が前後しますが、彼岸花は、「酷暑の年だろうが、冷夏の年だろうが」必ず、秋の彼岸にひっそりと咲きます。「桜前線」のように、一大イベントになるわけでもなくいつのまにか、ひっそりと咲いて、いなくなります。桜のように、「気候とともに南から北へ」と咲くのかどうかすら知りません。注目されようがされまいが律儀に「秋の彼岸に咲いて、彼岸過ぎたらいなくなる。」と、昨年まではあたりまえのように思っていましたが、冒頭の写真は、本日(令和5年10月10日)の写真です。何十年も彼岸花を愛でている身として観察してきましたが開花時期が2~3日ぐらいは前後していたこともありますが、彼岸を過ぎて、1週間以上、ましてや10月に入って既に10日経過したにもかかわらずこの姿で咲いているのは記憶に有りません。だいたいは、9月終わり頃には、咲いてても、くしゃくしゃに枯れている・・・か跡形もなく消え去っているか・・・でした。異常気象・・・なんでしょうか?
2023年10月10日
腹膜透析を開始して1カ月半になります。日によって除水量(「注入した透析液」-「排出した透析液」の量)が安定せず、体調もパッとしません。体内に異物が留置され、本来存在しないはずの場所に常時「2000㎖」もの液体を抱えているので身体が慣れるまでは何かとしんどい・・・と担当医からは言われています。「そのうち慣れるか・・・」と思ってはいても、 ・いつ ・どの程度状況が良くなるのか、という確たる保証もなく「良くなる、楽になる」ことが「標準」だという安易な希望を抱いていては、毎日毎日、何も進展しない!現状を「標準」と受け入れて良くなればなった分だけラッキー♪と考えることにしました。そうでないと、1日1日があまりにも無為に過ぎてしまい、ただでさえ、健康余命いくばくか?と案じている身としては、24時間24時間が過ぎ去っていくのがあまりにも勿体ないのです。ということで、現状の体力・気力で「出来ることをひとつずつ」(結局、俺様の人生これの繰り返し・・・)と言い聞かせて過ごします。「いつになったら楽になるんやろ?」と不安に苛まれて結局1日を無駄に送りよりも例え全盛期の半分以下、あるいは2割3割しかできなくとも、積み重ねれば、な~んにも出来ない1日の連続よりはるかにマシ!!!と、己さえ何とかきばれば、何とでもなる我が身とは異なり、現在運営している「放課後等デイサービス&児童発達支援」には、登録児童が30人になりました。転向した子や、完全に学校に行けなくなった子などを除いて現在25人の児童がやってきます。(週に1日、2日の子もいれば、ほとんど毎日くる子、様々)この子たちは、程度の差こそあれ基本的には「発達障がい児」として自治体に登録されています。ADHD、LD、ASD・・・それぞれの境目は無く、複数の要素を抱える子もいます。知的障がいを抱える子もいます。このこらのそれぞれの特性を鑑みて、少しでも「生きずらさを緩和する」ことを一番に考えています。ただ、一部ではありますが、この子らをとりまく「家庭環境」に少なからぬ問題が有る場合もあるのです。流石に家庭にまでは口出しできませんし、子供さんの教育方針などもとやかく言えるものでもありません。それでも、1日のうち数時間は一緒にいるのですからここで、彼ら彼女らに「何か」を伝えたり、何らかの「方向」を示したりすることは出来るはず。設立して4年で、ようやく「単月黒字」になり、このまま現状維持していけば、借金も返済できるし、何とかやっていけそう・・・と思っていましたが、この仕事の性質上、「単月黒字」=「利用者満杯」=「新たな児童受け入れ不可」という構図になってしまいます。「何のためにこの施設を作ったのか?」という初心に帰り、「新たな児童も受け入れる」⇒「もう1か所施設を作る」⇒「借金増える」を覚悟して、今に至ります。自分自身が「障がい者手帳」を持つ身になり、つくづく感じることは、「今の日本に生まれた感謝」と「社会への恩返し」です。 偉大な発明をしたり 世紀の大発見をしたりなんてことは、無理としてもせめて、自分の目の届く範囲の子供たちに少しでも、「何か」が出来れば・・・と、全盛期の2~3割程度の能力(実は、それ以下?なのか?)を使い切っていこうと思います。どうせ今まで借金まみれの人生だったんだし、今更、借金増えたところで、もともと。毎日のおまんまさえ有れば、特に欲しいもんもないし、5年後、10年後までそこそこ元気で生きて今の子供たちが成長した時に少しでも「何か」有れば・・・その為にゃ、多少身体がしんどかろうと、除水量が不安定だろうと、生きて、動ける限りは、前のめりに・・・
2023年09月27日
18年ぶりです。ようやく、「ARE」が解禁。ついに、「優勝」です。それでも、阪神ファンは、まだまだ浮かれません。2003年は、敵地(福岡ドーム)で2連敗してから甲子園で3連勝・・・3勝2敗から福岡ドームで2連敗の逆転負け。2005年に至っては第1戦:「1-10」(7回濃霧コールド負け)第2戦:「0-10」第3戦:「1-10」第4戦:「2-3」のストレート負け。(TへT)なんやかんや言うても阪神は、結局日本一になったのは、あの85年「1回」しかないのです。日本一の回数は、現存する球団では歴史の新しい「楽天」と並んで最も少ない球団なのです。(TへT)まだまだ浮かれず、「予選1位通過」ぐらいの気持ちで次の「準決勝(CS)」を通過し、「決勝(日本シリーズ)」で積年の想いをぶつけて何としても「AREの次(それ、か?)」を掴み取っていただきたい!!!オウ オウ オウオウ 阪神タイガースフレ フレフレフレ~♪♪♪
2023年09月15日
↑クリニックで使っていない「点滴スタンド」を持ってきました。(^。^)v当初目論んでいた「睡眠中に透析液自動交換」という方法が、当面は困難との事で、急遽、「1日4回透析液交換」の為のスペースを確保することになりました。これまで、「勉強部屋」兼「クリニック&福祉施設の事務室」(クリニックと福祉施設には書類を広げてじっくりと 事務作業をするスペースが有りません。)として使っていた我が家の1室を無理やり整理して、空間を確保しました。昨日の日記の「1か月分の透析液置き場」と合わせるとかなりのスペースを取ります。「腹膜透析」が普及しない理由のひとつにはこのような事情が有るのかもしれません。「腹膜透析」の為には透析液交換中に、手指消毒、マスク着用は当然で交換中の室内には、本人以外は立ち入り禁止、できれば家屋内でペットも禁止・・・などなど、一定の条件が課せられます。身体一つで病院へ行って、後は看護師さんにお任せ・・・という「血液透析」の方が楽!ということも言えそうです。そうは言っても、お腹に穴を開けて、「巨大へそ(の横)ピアスもどき」を入れてしまったからには、行けるとこまで腹膜透析で行くしかない!それにしても、かれこれ1カ月以上経過するのにお腹の傷がなかなかしっかりと塞がりきらない。手術後1か月は、「そ~っと」しておいたカテーテルの出口部分も今回、腹膜透析を開始したことで1日4回は、ちょっと引っ張ってしまったりちょっと回してしまったりなんやかんや刺激を与えてしまい一時はきれいになった出口部分も再び、じんわりと出血してかさぶたが出来てしまいました。チクチク痛むのと、このかさぶたといつになればスッキリするのか・・・日々びびりながら生活するかむ太郎です。(TへT)
2023年08月24日
退院時に、3日分の透析液を持ち帰り、本日分までの透析液は確保しておりましたが、今後は、毎月1回自宅に直接配送されます。その入荷分が本日配送されました。「軽急便」が来て、「荷物確認お願いします。」との事で外に出て、軽貨物トラックの荷台を見るとぎっしりと段ボール箱が・・・「この1台分が全てかむ太郎さんの分です。」非常事態を考慮して、34箱 です。想定よりも場所を取り、開けておいた玄関のスペースには25箱 ❝ しか ❞ 置けず、階段に残り9箱を、何とか搬入。1箱に4袋入って「1箱=1日分」です。テレビや冷蔵庫などを買う時もそうですが、しっかりと計測したつもりで、しかも、計測通りなのにも関わらず「思ってたより、デカい!」荷物の量も、透析の方法も頭では理解していたつもりですが、実際に、1か月分の配送分を受け取り、退院後2日間、朝8時⇒お昼1時⇒夕方7時⇒夜12時のサイクルで、透析液の交換を行うと、・所用で外出するにも「1日4回の門限」・透析液交換中は、宅配便とか受け取れない。・夕方眠くなっても、「早めに寝る」ことが出来ない。・などなど、などなど。当初の予想を大きく上回ることが多々・・・※「透析」自体は、お腹に「透析液」を常時入れたままでほぼ24時間お腹に透析液を入れた状態で「腹膜」を通して「浸透圧」(理科で習ったよね。)の差を利用して、毒素や余分な水分を取り除きます。上記の4回の時間に「透析液の交換」をします。お腹の張り具合がなかなかのもので、見た目はこの際どうでもエエのですが、常に「膨満感」に苛まれております。家のスペースもお腹も(常時2000㎖お腹に入っている)生活サイクルも「透析」を軸として、過ごすことになります。しかも、これが、死ぬまで・・・(或いは、腹膜透析に限界がきて「血液透析」になるまで。)続くかと思うと、、、人類の英知と医学の進歩で、このようなことが出来て「透析」がない時代ならば確実に短命で終わるところを何とか生き永らえるようになるわけです。そう思うと、これだけ時間・労力・費用などを使った「透析」よりも、握りこぶしほどの大きさの「腎臓」の方が遥かにハイ・スペックなのは、ただただ驚きと感謝です。(粗末に扱ってしまった結果、こうなってしまったが・・・)
2023年08月23日
お盆休みを絡めて、8/14~入院しております。1カ月前に腹腔内に留置したカテーテルを使いいよいよ「腹膜透析」はじめました。入院初日は「500㎖」2日目「1000㎖」3日目「1500㎖」そして4日目以降は「2000㎖」の透析液を「6時間ごと」に「排液⇔注液」をします。5日目ぐらいでようやく一連の作業に慣れてきましたがそれでも、1回の透析で30分~40分はかかります。従って、次の透析まで「5時間半」しか時間が有りません。当初は、「寝てる合間に透析」というのを目論んでいたのですが、どうやら私の腹膜はその方法には向いていないようで、それに、何より「寝てる合間に機械が自動で・・・」というのに一抹の不安が拭えません。結果として、「1日4回透析」で暫く生活します。入院時は「6時間おき」で0時→6時→12時→18時のサイクルで、「眠た眠た」でも出来ますが、実生活になるとそれも困難でしょうから0時→8時→13時→19時のサイクルにしてもらい、本日からそれに準拠して透析をしております。入院前は「5.2」ぐらいまで上昇していた「クレアチニン値」も、一昨日には「4.7」にまで下がっているようなので、実感はないものの確実に透析効果があることは立証されました。あとは、この1週間の「全然動かない生活」と「5時間半ごとの透析」による「慢性眠たい感」を、実生活でどこまで改善していくか、で今後の健康寿命も決まってくることでしょう。1日おきに3~4時間行う「血液透析」と比べると週当たりの合計透析時間は結果的に要する時間はほとんど変わらない、か「腹膜透析」の方が多いぐらいかもしれません。ただ、「血液透析」は毎回病院へ行かねばなりませんが、「腹膜透析」は自宅でOKですので、総合的には、「腹膜透析」の方が効率良し。また、よく聞く「血液透析の後はフラフラ」というのも、「腹膜透析」にはなさそう。少なくとも、血管を直接疲弊させるリスクは「腹膜透析」の方が圧倒的に低いので間違った選択ではなかっただろう。※実際、「どてっぱらに風穴」開いたような感じでカテーテルを留置した状態で過ごした1ヶ月は、ただただ「不安と鈍痛」の毎日でしたので、とにかく、「間違ってない」という「結果」が欲しいわけです。さて、明日退院できそうですが、実生活での「透析ライフ」は如何に・・・
2023年08月20日
思えば、小学5年生の頃(1970年)に阪神ファンになって以来、15年経過して1985年・・・ようやく「優勝」⇒「日本一」黄金時代到来!かと思いきやその後、2003年まで18年、翌々年2005年優勝で、「今度こそ、常勝軍団!」との思いも、再び18年の時が経ち待ちに待った「マジック」が点灯!開幕と同時に「マジック140」とかぬかすくせに、いざ本当のマジックが出た日にゃ、岡田監督を初め、全ての阪神ファンは「信じません、浮かれまん、気にしません!」決して気を抜いたりはしないのです。なんなら、「ああ、今プロ野球のシーズンですのん?」なんて、ぎこちなく嘯いたりもする・・・なんせ、今まで散々痛い目に遭ってるのですから・・・振返れば、「アレ」の匂いがしたらしたで、「知らんふりして、気にしない気にしない。」昨年のように、開幕9連敗の時も「野球には興味ない。気にしない気にしない。」その後1勝したら「こっから、連勝ぢゃい!」その後更に6連敗して「1勝15敗(1分け)」になった頃には「ほんとに、今年は野球は見ないし、開催すらしていない!」と言い聞かせて過ごしました。それでも奇跡のように「CS」に進出した時にゃ「ここから奇跡の日本一ぢゃい!」・・・結局、「今年はプロ野球は開催していなかった。」ことにしました。どんな時も、「手で顔を覆い、その隙間からそ~っと」見守ることが我々世代の「阪神ファン」の務めなのです。現に、広島に勝って「マジック29」点灯した日にゃ「このまま一気に最短で・・・」などと興奮したのが、いきなり2連敗してしまったもんだから、「え、岡田監督が言うてるように、1勝2敗でもええんちゃう?」などと、冷静を装うふりをして「そ~っと」観ております。リアルタイムで野球中継を見るのは恐ろしいので、こっそりと「勝った日」だけまるで結果を知らないかのように(己を騙して)スポーツニュースなどをはしごして見ます。それですら、「勝った」のはニセ情報で、実は負けてたりするんちゃうか???などと疑心暗鬼になります。FBIとかCIAが、俺様だけには「阪神勝ったで!」という情報を密かに送りつけて、ほくほくとニュースを見ると「実は負けていた!」なんてことになってるんちゃうか?などなど、阪神ファンの「陰謀論」は果てしないのです。※大阪を中心とした近畿圏では、「阪神ファン」ではなく「タイガースファン」と称する、という意見を聞いたことが有ります。これは、近畿圏(特に大阪)では「阪神百貨店」「阪神電鉄」「阪神銀行(今は無いか?)」「喫茶・阪神」「阪神不動産」「居酒屋阪神」⇐思いついた名前などなど「阪神」が目白押し・・・なので「タイガース」と呼ぶ、という話を聴いたことが有ります。ま、これは、近畿圏だけの話で、我々の地域には「阪神〇〇」とか「※※阪神」という名称は皆無なので「阪神」=「阪神タイガース」なのです。そんな「阪神」に、今年こそ何とか、「アレ」を!そして、1985年以来の「日本一!」を!
2023年08月19日
腹膜透析用カテーテルの留置術を施されてかれこれ1カ月経過します。依然として、出口部からうっすらと血液などが滲んだり朝、気が付くとかさぶたが出来たりしています。内部から押し上げるような鈍痛も頻繁に起こりネットで色んな文献を見ていますが、今一つしっくりとした回答に行き当たりません。2週間ほど前に担当医に見せたところ「ま、こんなもん。」という回答でしたし、私の勤めるクリニックの看護師(透析患者担当経験有り)も「こんなもんよ。」と言ってました。でも、時折まだ塞がりきってない傷口がしくしくと痛んだり、込み上げるような強烈な鈍痛に襲われたりすると、「コンマ何パーセントかの、失敗例じゃねえのか?」などと不安にかられます。(-_-)今回、手術に踏み切ったのは、「障がい者3級」の目安である「クレアチニン5.0以上」という数値を超えたためで、(感覚として)2次曲線的に増加するこの値は、「5.0」を突破した手術時(1か月前)よりも本日の方が、間違いなく悪化していると予想され、「カテーテル留置」したからと言って、まだ透析自体は始まってないので、「5.0」から増加している分 +「腹部に異物が留置されている違和感と痛み」 +「手術により傷口の痛み」などなど・・・事態は、日々悪化しているのが現実です。(TへT)今現在、クレアチニンの値がどれぐらいか不明ですが、いよいよ来週月曜日から再度入院して本来の目的である「透析」の開始です。入院は、1週間~3週間の予定ですが、この間に少しでも身体が楽になることを切に切に願っております。少なくとも、入院中は出口部や傷跡の痛みも、担当医や看護師にしっかりと観察してもらえるので、安心安心。(^。^)後は、腹膜炎を起こさぬよう清潔第一の生活と、栄養と体重の管理をしっかりと・・・ま、これが出来てない人生だったから今こんな状態になっちまったんだけどね。(-。-)今晩と、明日、明後日の内に部屋を片付けて、透析の機材などを置くスペースと透析をする場所を確保せねばアキマヘン。片付け・掃除が苦手な私としては、かなりの試練に晒されております。(わかってんのやったら、もっと早い時期から 少しずつ片付けりゃエエのに、ギリギリにならんと な~んもせぇへんのやから!!!)
2023年08月11日
車の運転をしたり、ちょっと無理な体制をしたり、「普通の生活」を再開して2週間経過しますが、「出口部」から、じんわりと血などが滲み出ます。2度ほど担当医のところへ行って患部消毒などを施してもらい、「特に問題なし!普通に生活してもOK」とお墨付きを貰ったにもかかわらず先日は、今までにない「血の滲み」が・・・担当の「岐阜大学病院」は、 ・遠い! ・待ち時間長い!の理由で、前回は自分とこのクリニックで消毒・ガーゼ交換をしてもらいました。本日、「血の滲み」にビビッて、昼休みに、看護師さんに診てもらいました。本日のクリニックの勤務看護師はかつて「透析センター」に勤務した経験が有り、「腹膜透析」の患者も何人か看護した経験が有ります。その看護師に「だいたい、こんなもんよ!」とのお言葉を頂き、何となく安心してしまいました。担当医や、うちのドクター(いずれも、県下では名の馳せた医師)に言われても、「本当に、そうか???」と訝しんでいましたが、看護師に一言は、何故か説得力がありような感じがします。他の病気の時もそうでしたが、手術は、担当医にすべてを任すしかありませんが、その後の事に関しては、何故か、看護師の一言一言が信頼できるような気がして不思議です。退院してからは、カテーテルがぶら下がったままでは何かと不便極まりないので「腹膜透析患者用ベルト」で安定させています。 ↑本日使用中のベルトこれは、実際にカテーテルを装着後、退院してから購入したヤツです。「cotton bag」部にカテーテル・ジョイント部など収納できるので、安定しています。但し、「Rubber band」の左先の輪っかの部分が非常に脆弱な作りになっていて、いつ千切れるか不安で一杯です。 ↑入院前に「転ばぬ先の杖」として購入したヤツ。こいつは、まだカテーテルを装着する前で実際にどんなモノがどんな感じで装着されるか全くわからない状態で、「何となく良さそう・・・」という理由だけで事前に購入しておいたのですが、収納ポケットと、その横に2つ有る引っ掛け部分の距離がカテーテルの「保護したい部品部分」と微妙にズレている。なかなか良い買い物が出来ず、今回更に「少し形状の違うヤツ」を発注してみた。以前にも書いたように、日本では腹膜透析の患者が、全透析患者の内の僅か「3%」しかいないせいか、⇒「ここ」参照何かにつけて、「スタンダード」が有りません。掲載した3点の「腹膜透析用ベルト」も全て「中国製」のようで、安っぽい包装で、中国から送ってきました。現状では、いろいろ試している状況ですので、あまり高価なものは購入できません。とは言え、1番上のヤツは「送料、税込:788円」2番目のヤツは、勝手がわからず、よく比較せずに(冷静に調べると、ほぼ同じ商品が様々な値段で・・・)買ってしまったので、やや割高の「送料、税込:1561円」今回発注してみた3番目のヤツに至っては「送料、税込:668円」という大盤振る舞い!これで、儲けが出るのか???使用する側としては、例え10倍の値段になっても、自分の身体と、「マイ・カテーテル」の形状をふまえてカスタマイズされたものが欲しいのだが・・・そう言えば、全透析患者に占める腹膜透析患者の割合は日本の「3%」に対して香港では、驚異の「70%」(「7%」では無い!)という理由で中国製が多いのか?(因みに、ヨーロッパ・カナダは「20~30%」 アメリカで「10%」ぐらい、らしい。) 帆布店とか、作務衣を作ってるところとかどこかで、「便利でかっちょええ」ヤツ出来んもんでしょうかね?
2023年08月04日
本日、アクセスが 1,800,000を突破いたしました。ありがとうございます。 ありがとうございます。 ありがとうございます。今を遡る事、5913日2007(平成19)年5月当時47歳の時に「47年間そこそこ波瀾万丈に生きてきました。 かと言ってドラマにもできない中途半端な生き様です。 ここらで一発花火でも打ち上げようか・・・と決意しました。」との決意で、このブログを開設いたしました。以後、受験と、借金返済生活、を織り交ぜ 時に、無職になりハローワーク通いとなり、 時に、某放送局の営業指導員となり、 時に、家庭教師を挟み、 時に、強引な社内改革を推し進めるハードワーカーとなり、 時に、ガソリンスタンドの夜勤を掛け持ちし、 時に、「プロ受験生」を標榜し、56歳の時には、心筋梗塞を発症し、昨年は原因不明の「虚血性腸炎」で2週間入院し、今年は、とうとう「クレアチニン5.0」の大台を突破し「身体障害者手帳」を入手することになり、先週、「腹膜透析」に備えてカテーテル留置を完了し、来月から、いよいよ「透析」が始まります。「障害者認定」の基準に達するほどの数値なので、やはり、体がしんどい!のは否めません。それでも、透析開始すれば、体内の毒素が少しでも減少するはずなので、今よりは毎日が「楽」になるはずです。その先は、「しんどくない日々」が待っている・・・と希望に満ちております。滞っている「受験勉強」も、これを機に、再開して、とりあえず年明けには「共通テスト」を受けるまでの実力を取り戻していく!・・・これが当面の目標です。もはや、周りも誰も本気で応援してくれる人も無く、ひとりよがりの自己満足だけで、細々と挑んでおります。死ぬまでに頂上踏破!は叶わずとも八合目か、せめて五合目あたりに爪痕を残したいものです。(何をもって、八合目?五合目?かは疑問ですが・・・)どうやら、中途半端な生き様は今でもあまり変わっていないようです。平成19年5月 見通すすべもない未来を背負うて、 行乞流転の生活に突入した。 分け入っても分け入っても青い山 (山頭火のパクリ)
2023年07月26日
↑本日受け取った「身体障害者手帳」と「手引き」入院前に申請していた「身体障害者手帳」が出来た。との事で、市役所(の分所)へ受け取りに行きました。様々な「障害者の為の制度」の説明を受け手帳を受け取りました。「発達障がい」の子供を相手に仕事をしている上で常々、気にしていることは「障害」という表記です。このブログでも、施設の契約書などの書類でも可能な限り「障がい児」「障がい者」と表記しています。「害」という文字が、子供(というより親御さん)に与える印象が、あまりにも「よろしくない!」との思いからなのですが、行政はそんなことは全く意に介せず、ごくごく当然のように「障害者」と表記します。ま、そんなに目くじら立てる話でもないのかもしれませんしいざ、自分がその対象者になって「障がい者手帳」ではなく、「障害者手帳」を手にしたところで、「ま、そんなもんだよな。」てな感覚で終わりでした。当事者になってみれば、表記がどうのこうのということよりも、実際に、この先どうなっていくのか?実際に、行政は何を助けてくれるのか?そんなことの方が、俄然重要項目になるのです。「障害者」だろうが「障がい者」だろうが(「障碍」という表記も散見されます。)そんなことを気にするのは、傍から眺めてる立場だから重要視できるのでしょうか?いずれにせよ、医療・福祉の仕事をしていく上で、多少は、当事者に寄り添った感覚が持てるようになるか・・・と、考えています。相変わらず、患部はしくしくと痛み、腹部が突っ張った感じが24時間続きます。せめて、来月の入院までは「腹膜炎」を起こさぬよう用心しながら生活をします。ウィルスにも弱いので、人一倍の防御が求められます。
2023年07月24日
※今後、「腹膜透析」に関しては「腹膜透析の記録」として新たにカテゴリーを作成しました。万一、同じ症例の方が見えましたら、少しでも参考になれば・・・これに伴って、過去「闘病と肉体改造・・・明日のために」にカテゴライズされていた記事も「腹膜透析の記録」に再カテゴライズしました。一昨日(7/19)、退院しました。腹膜透析の手術を行う病院は、私の住む地方(岐阜県の岐阜市~中濃地域)では、岐阜大学病院しかありません。(術後の管理や外来は他にも数か所有りますが・・・)調べても詳細がわからないのですが、おそらく岐阜県では、 ・岐阜市及び中濃地域 ・西濃地域 ・東濃地域 ・飛騨地域に、多く見積もっても「各1か所」で、推定、3~4か所しかないと(勝手に)踏んでいます。その中でも「中核」であろう岐阜大学病院のHPには「腹膜透析カテーテル留置術」の実績として 2019年度:2例 2020年度:2例 2021年度:3例との情報が載っています。年間2~3例の「レアケース」???日本透析医学会の「わが国の慢性透析療法の現況」によると2019年12月31日現在岐阜県の腹膜透析患者は、79人(全体の1.57%)(血液透析患者は、4938人)2020年12月31日現在岐阜県の腹膜透析患者は、101人(全体の1.93%)(血液透析患者は、5120人)全国で見ても2019年12月31日現在、9920人(全体の2.88%)2020年12月31日現在、10338人(全体の2.97%)全国平均で「3%未満」で、岐阜県では更に低い「2%未満」実数でも、「100人前後」との事。(岐阜大学病院のHPの数からすると、他の地区の医療機関で 相当数の手術をしていることになるが、 担当医との話からは、そんな感じはしない・・・???)実際のところはさておき今回退院する際には、「レアケース」であることを痛感しました。退院時に、患部をケアするための方法や器具などに関して、医師や看護師に意見を求めたのですが、それぞれ、自分が見聞きした例を語るのみで明確な回答は得られませんでした。医師も看護師も、あまりこの例の患者に実際に接したことがないのです。年間「2~3例」なら、それも止む無し!か。今回は、「カテーテル留置術」のみで、これから1か月かけて患部を馴染ませ、来月再び入院して「実生活に即した教育・訓練」を行います。それまでの1か月は、自宅で 「患部に細菌が入らぬよう!」 「腹膜炎の原因となることを避ける!」という至上命令が下っておるのですが、実際、何をどこまで注意すればよいのか?よくわかりません。加えて、剥き出しの患部と、カテーテルをどのように保護し、扱えばよいのか・・・???24時間、「おっかなびっくり」で過ごしています。・・・で、結局今朝がた患部から血が滲んでいたので急遽昼から受診してきました。特に新たな処置は必要ないようで、来週もう一度、患部の確認の為、受診します。「TERUMO(テルモ)」の患者用の冊子には あかくないか いたくないか うえにカテーテルを持ち上げて えきがしみ出ていないか おおわれていない肉がないかというチェック項目の「あいうえお」が記載されていますが、「赤い・・・っちゃあ赤いし」「痛いか?・・・って言われりゃ、痛くないことはないし」「今朝、少し出血してるけど、❝ えき ❞ と血は、別?」などなど、基準がわかりません。あまり詳しく書き出すと、担当医及び病院への「誹謗中傷」ともなりかねませんので、ここらへんで止めておきます。一番辛いのは、寝る時に ・左側を下にして横向きに寝られない。 ・うつ伏せにもなれない。ということです。これは、この手術を行う以上、避けられないことでどうしようもないのですが、寝返りの度に、「おおっと!、この向きはアカンアカン」で、目が覚めてしまいます。早いこと慣れないと、透析の結果は上々になったとしてもかなり強烈な「慢性睡眠不足」になりそうな・・・なんにせよ、医師、看護師、果ては病院自体に患者からのフィードバックが少ないので、FAQの蓄積が少なすぎる。(TへT)せめて、患者同士の「交流の場」でもあればもう少し不安も解消できると思います。保護用のベルトなども市販していますが、どれも「帯に短し、襷に長し」という感じで決め手に欠けます。試しに取り寄せたヤツも、「う~~~ん。何か違うなぁ。」という感じ。オリジナルで作って、売り出すか?って言っても、市場が小さいなぁ。
2023年07月21日
5年前(だったか?)心筋梗塞を起こして、ステント留置の手術をした時も昨年、いまだに原因が判明しない「虚血性腸炎」で2週間入院した時も結局、メスを使って開腹することは無く心筋梗塞は、手首の血管からのカテーテル手術、昨年の入院時は、結局自力で治癒。何だか勝手に「入院慣れ」した気になって今回も、「たかだか1週間の入院」と高を括ってましたが、そ~言えば、「お腹を切る」のは生まれて初めてでした。(だからこそ、「腹膜透析」が可能なのですが・・・)前回の入院時は、絶飲食のよる空腹と症状が落ち着いてからは、特にどこも痛くもなく時間を持て余していたのとで毎日、ブログ投稿してましたが、今回は、13日(木曜)に手術して17時頃に麻酔から覚めて以降は、24時間程、寝返りも打てないほどの状態であちこち痛いのと、ちょっとした咳でもお腹の切り口に激痛が走るのと、丸1日の絶飲食で、喉が渇くのとで、何も出来ませんでした。本日、7月16日・・・かれこれ、丸3日経過して、ようやく、自力でよちよちと歩けるようになり1階のローソンへ、お菓子なんぞを買いに来てます。それでも、いまだにお腹の切り口は恐くて見ていません。ず~っと、ガーゼで保護され、定期的に看護師さんが出血や腫れなどのチェックに来ますが、自分のお腹に異物が挿入され、かつその異物が、外に覗いている・・・想像するだけで恐ろしい!とは言え、これから毎日透析をしながらこの体と付き合っていかねばならんので、早めに現実をしっかりと受け止めようと覚悟をしております。ま、考えてみれば、5年前には、既に異物(ステント)が心臓近くに「留置」されているわけだし、今回も、外に顔を出してはいるけど、「カテーテル留置」という術式だし、お腹を切ったのも、「開腹」というより「穴を開けた」感じなので、大騒ぎするほどでは無いのかもしれん。目が悪くてコンタクトレンズを装着するのも歯が無くなって、「義歯」「入れ歯」にするのも程度差こそあれ、本来の機能を維持・発揮できずに何かで補って生きていく、という点では同じなのかも・・・そう考えれば、コンタクトレンズや、義歯は技術が発達したから、違和感も最小限で済むのだろうが、確か、初期のコンタクトレンズは、目ん玉半分を覆うほどの大きなものだったと記憶してるし、義歯だって、当初は「木製?」だったような・・・目や歯は毎日の生活に直結するので、技術もどんどん発展したのだろうが、糖尿病⇒腎不全⇒透析のような「目に見えない」病気は昔は患者自身が気づかなかっただろうし、その分、治療方法や技術も遅れがちなのだろう。100年後ぐらいには、 目:コンタクトレンズが進化したやつ 歯:入れ歯が進化したやつ 心臓:IPS細胞何かで複製した「マイ・スペア心臓」 腎臓:もちろん「マイ・スペア腎臓」で、カスタマイズも可能で、カラーコンタクトレンズは勿論、「フレッド・ブラッシー仕様の義歯」や「あこがれの人間機関車:ザトペックと同じ形の心臓」とかが流行する可能性大!今の発展途上の医学では、「お腹からちょこっと管が出てる」けどこれで少しは、毎日の「肉体的しんどさ」から解放されるはず・・・と思うと、上等上等!!!それにしても、ちょこっとお腹に力が入るだけで痛い痛い・・・穴を開けた程度でこのザマなんだから、ほんとに「開腹手術」した日にゃ、どんだけ痛いねん!!!ましてや、「切腹」なんぞとてもじゃないけど、無理だ!
2023年07月16日
病室から見える「岐阜城」腹膜透析の第一段階の準備(腹膜へのカテーテル留置)のために本日より一週間の予定で入院です。明日は、オペてす。
2023年07月13日
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