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700,000アクセス有難うございました。アクセス解析で見ると1日のビジター数で30-40人、ページビューで40-60しかないサイトにも関わらず、楽天ブログのカウンターは多い時で1日2000くらい回っており、しかも日中深夜を問わずカウンターは結構動いており、どなたかせっせと更新ボタンを押していただいているんだなといつも思い、深く感謝しています。仕事や、学業、家事等に影響が出ない程度で結構ですのでこれからもよろしくお願いします。さて、久々にサイト解析を見ると1日のビジター数はそれほど動かないものの、ページビューは2016年4月の1日100から大きく減少傾向でこの1月は40程度なのに気づきました。魅力的なコンテンツが提供できていないから、すぐにサイトを離れてしまうんだなと反省しきりです。週刊誌だったら連載打ち切りかも。サイトの紹介で「映画、学習、園芸をメインに今、夢中になっていることを書きます。」とは書いているものの、このサイトに何かを期待して見に来ていただいている方の満足を高められるように当時のコンテンツを振り返って、工夫していきたいと思いますのでよろしくお願いします。NHKのみんなの趣味の園芸は多忙につきちょっとお休みです。結構いろいろ勉強できたり交流が楽しかったです。
2018.01.30

相変わらず毎日厳しい寒さが続く中、TOEICを受験してきました。会場はこれまでで初体験の江戸川区松島にある関東第一高等学校。元の関東商業学校で約70年前に、亡くなった父が学んだ学校でも有ります。自宅前のバス停から小岩行きに乗り、江戸川区役所前で乗り換え、次の江戸川高校前で下車して10分ほど歩くとありました。父もこのコースで通学したのか、それとも錦糸町から新小岩まで行って歩いたのかちょっと気になりました。元は男子校で2004年に共学になったようです。会場の教室に入ったら中は男性ばかりでびっくり。TOEIC受験では初の体験ですが、雑念というか煩悩が消えてかえってよかったです、これもありかと思いました。ただ会場がちょっと寒かったです。グランドでは生徒さんが日曜なのにスポーツのクラブ活動をしていましたが、試験時間には引き上げたのか全然リスニングの際、音はしませんでした。校舎の外にある手洗い場にはかつて小学校の校舎で見かけたレモンの形をした石鹸を冷凍みかんのネットみたいなのでつるしたのがかけてあって懐かしかったです。夕方、老人ホームに食事介助に行ってこのことを話すと、父は業平に住む親友とこの学校に一緒に毎日通っていたそうで、二人とも無口で黙って通っていたとのこと。その後父が亡くなるまで付き合いは続きました。母は最近のことは良く忘れますが、昔のことはよく覚えています。
2018.01.28

ここ最近、アマゾンプライムとかNHKオンデマンドばかり見ていました。先輩から「ペコロスの母に会いに行く」を紹介されて、これをレンタルするのと老人ホームの母の聴く音楽のCDのレンタルで久々に利用しました。以前は7枚で1000円近かったと思いますが、今回は旧作でDVD3枚、CD4枚でキャンペーン中で20日間で663円、結構安かったです。以前はずっと貸し出し中でなかなか借りられなかった田畑智子さんのお引越しがさくっと借りられました。相変わらず最初にめがね拭きでふかないとよくとまったり針が飛びますが、値段的にオススメです。またアマゾンプライムのようにあるものから選ぶのではなく、見たい映画を探すほうが自然だと思いました。
2018.01.27

大雪が降った翌日、関東地方に23年ぶりに低温注意報が出た1月24日、ベランダの梅の盆栽の紅白梅のうち、白梅が開花しました。寒いのでもう少し先と思っていただけにうれしいです。去年より3週間遅れです。昔は寒いときに咲くぼたんとか梅のような花は見てるだけで寒くなるので、好きでは有りませんでしたが、今は花の中で梅は好きな花トップ5に入ります。春を告げるかのように他の花に先駆けて咲くところに孤高な気高さを感じ、ジンチョウゲのような大衆受けする甘い香りとは異なる、思わずしゃきっと居ずまいを正したくなるような香りが好きです。草木の通信簿があれば、梅は積極性はあり勉強もよくできますが、周囲ともう少し打ち解けて協調性を持ちましょう、とか先生に講評を書かれるかも知れません。3日ぶりに老人ホームに行ったらピンクのヒヤシンスもきれいに開花していました。家にあるもう一つは開花までもう少し時間がかかりそうなので、当初の目論見どおり時間差で3つのヒヤシンスを開花させられそうです。
2018.01.24

昼から降り始めた雪が結構本格的で、夕方仕事から帰るときは5cmくらい積もってました。東京の雪は積もってもいつもはぐちゃぐちゃでシャーベットみたいですが、今回のは踏むとキュッキュと鳴ってます。家に帰ってベランダ花壇を見ると開花の近いジンチョウゲとキンモクセイに結構雪が積もって枝が折れそうです。あわててゆすって雪を落としました。真夜中まで降る予報なのでもう一回やらないと。ペットボトルで完全防備のブーゲンビリアは無事です。今朝撮った白梅の蕾です。口をとんがらせて後一歩で咲きそうですが、今後数日最低気温がマイナス3~4度になるそうなのであと1週間くらいお預けかも。
2018.01.23

以前CMで聴いた歌手名は原由子さんとわかっていて歌の一部に「世の中はああ世の中は」がある歌を今日思い出したついでに、グーグルで調べたら花咲く旅路という曲で、JR東海やまろ茶のCMにも起用されたとのこと。どこかのんびりして懐かしい感じのする曲です。dailymotion:13 花咲く旅路【iM@S】花开的旅途**********************************************************************Wikipedia:MOTHER (原由子のアルバム)花咲く旅路(広東版本:陳慧嫻-飄雪)作詞・作曲:桑田佳祐、編曲:小林武史・桑田佳祐JR東海のCMソングとして、アルバムリリースの半年前からテレビでオンエアされ続けた。1991年の紅白歌合戦では原がソロで出場して本曲を唄い、更に翌1992年にサザンオールスターズとして北京で開催したコンサートで桑田が体調不良により一時的にステージに上がれなくなった際、原が即興の弾き語りで同じく「花咲く旅路」を歌った。前述コンサート記念の中国内発売オンリーのカセット『南天群星Southen All Stars』(SVCT-1)のB-5には、同曲の中国語ヴァージョンが収録されている(花开的旅途として)。CMの効果もあり、シングルカットされていないが原の作品としては知名度が高い。また、多くのミュージシャンがカヴァーしている(夏川りみ、村上ゆき、陳慧嫻が「飄雪」というタイトルで(当該「MOTHER (原由子のアルバム)」は香港Polygramを通じて、ソングオーダーを変え「飄雪」として現地発売されている。なお、このアルバムには先述の中国語ヴァージョンは含まれていない)、高勝美が「蝶兒蝶兒滿天飛」というタイトルで)。特徴的なメロディーやアジアを連想させる曲調から、テレビ番組で中国などを取り上げる際にインストとしてBGMがOAされていることもある。2002年には桑田に引き続きコカ・コーラ「まろ茶」CMソングに起用され、同年発売のカバーアルバム『東京タムレ』のボーナストラックとしても収録された。また、2009年12月19日より、ソフトバンクモバイルのCMに使用された。**********************************************************************CMはJR東海はありましたが、まろ茶は見つからず。曲と共に日本の原風景を思い出せる美しい影像です。ニッセイのおばちゃんのCMを思い出します。YouTube:懐かしCM 日本を休もう 田園風景編 JR東海YouTube:懐かしCM 日本を休もう 夏の風景編 JR東海YouTube:懐かしCM 日本を休もう 雪国の風景編 JR東海YouTube:懐かしCM 日本を休もう 嫁入り風景編 JR東海■参考リンク花咲く旅路(原由子:1991)と好きなCM:日本を休もう JR東海(1990)
2018.01.22
ウォーターボーイズWATER BOYSとシェリーに口づけ(ミシェル・ポルナレフ) リンク切れにより差し替え。打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(1995) 岩井俊二監督、出演:奥菜恵、麻木久仁子、蛭子能収 リンク切れにより差し替え。栄光の架橋:ゆず(2004)とアテネオリンピックの名場面(2004)とゆずライブ栄光の架橋(15th Anniversary DOME LIVE)、月光:鬼束ちひろ(2000) NHKのど自慢を見ていてわかった曲名 内容の追加。忘れていいの-愛の幕切れ-(1984)大地真央・小川知子と谷村新司と、好きなCM サンキスト・レモンリキュール(調査中)ジャンルの変更。
2018.01.21

アマゾン kindle unlimited読み放題から食い逃げされてもバイトは雇うな~禁じられた数字〈上〉 (光文社新書) Kindle版 山田 真哉 (著)数ヶ月前、とある和風ファストフードチェーンで食事してると、会計をしようとした20代くらいの男性のお客さんが、クレジットカードで支払いたい、お金は持っていないと店員さんに告げました。店員さんはクレジットカード払いはやっていない、Tポイントでも支払えると告げましたがTポイントは持っていないとお客さんが告げると、たしか何項目かお客さんに個人情報を書かせ、それのウラを取ることなくそのままお客さんにお引取りいただきました。お客さんの行動も店員さんの対応も突っ込みどころ満載だったのでずっと考えてましたが、ちょうど上記の本を見つけ該当部分を読んでみました。まずこの店は40年利用してますが、クレジットカードで支払っている客は金輪際見たこと有りません。利用者なら常識だと思いますのでお客さんの申し出には違和感を感じ、ひょっとしてこれって、新パターンの無銭飲食?、まさかいまどきの日本で、と感じました。自分が店の人だったら、一緒にATMでお金を下ろさせたり、書かせた情報ののウラを取ったり、または警察を呼んだりするかもなと思いましたが、そうなると今度は数十分から数時間人手がとられて店がまわらなくなるだろうなと思ってました。ちょうどそんなときに、この本を見つけました。ある外食チェーンが、食券機を置かない理由、食い逃げされても追いかけてはならないというマニュアルの存在を伝聞形式で紹介しコメントしています。自分の考えている方向性とだいたい合っていました。現状では無銭飲食の代金を回収するコストが代金を大幅に上回るので深追いしないのでしょうが、無銭飲食の発生率が上昇すればそれも変わるのかもしれません。無銭飲食なんて死語になってたとばかり思っていましたが、経済的な貧しさよりも心の貧しさで、現状のシステムの隙を突いてそういうことをするのだとしたら、残念に思いました。2018.1.21.追記ていうか、株主にお店が一定額や率の配当を約束しているなら、回りまわって、無銭飲食者の代金は他のお客さんが払ってるような気もするのでやっぱり食券機の導入は必要なように思います。食券機の導入でコストが嵩んで、値上げとかなると面倒ですが。結構単純そうでそうでない問題でした。
2018.01.20

「春の庭を通りすぎる すみれ・・・なんだか寂しい今日だけど 明日もいつもの今日かしら」という歌詞の曲がわからず長年気になっていました。グーグルで探したら参考リンクのおかげで曲名がわかりました。歌が使われていたドラマ名も判明。ドラマの内容はすっかり忘れましたが面白かったのだけは覚えてます。「明日の色は」という曲です。てっきりダ・カーポかと思っていたらはしだのりひことエンドレスでした。YouTubeには有りませんでしたが、アマゾンの試聴で、さわりだけは聴けます。春らしくて好きな曲でした。はしださんといえば、名曲を次々世に出すけれど、グループを何回も解散させて落ち着かない人だなと小学生ながら思ったものです。心よりご冥福をお祈りします。Youtube:はしだのりひことクライマックス 花嫁(ライヴ)女性の声が一見ぶっきらぼうなんだけど、耳に残って妙にセクシーでした。Youtube:風 - はしだのりひことシューベルツ名曲だと思います。2018.9.10.追記リンク削除により差し替え。Amazon試聴:はしだのりひことエンドレスVol.1+5下のほうの曲目リストから、でだしですが聴けます。■参考リンク懐かしのテレビラジオ録音コレクション天気晴朗なれど
2018.01.19

連日続く寒さの中に時折、春の兆しがそっと紛れ込む今日このごろですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。梅の蕾がだいぶ大きくなり、特に白梅は開花まであと一息っぽいです。ジンチョウゲの蕾も赤みを増し、先端も白っぽくなってきました。自宅に残っていた2つのヒヤシンスのうちピンクのほうは花芽がでてきたので、老人ホームへもって行きました。クロッカスは昨年は4つのうち3つだめになりましたが、今年はまだ全部無事です。やはり水と球根の間の微妙な空気の問題が大事なのかも。12月末に衝動的にはじめたムスカリ(グレープヒヤシンス)の水栽培ですが、結構健闘してくれてます。1番元気の良いのを老人ホームにもって行きました。
2018.01.18

午後からポツポツ降り出した雨が夕方、時には強くなり、ビル風で傘がおちょこになってずぶぬれになっても、そんなに寒さを感じなくなったことで、季節の変わり目を感じた夜、新宿にあるたつ屋の牛丼に行ってきました。話は飛びますが、豊富な品揃えを備えた神保町の大型書店には学生時代からよく通っていました。神保町に行くと、食事をするのはいも屋のてんぷらやとんかつ、ゆず七味の香りが良い小諸そば、キッチンジロー、中華屋さん。そんな中にたつ屋の牛丼もありました。東京堂の前の、たしかススラン通りに店があり、吉野家でも松屋でもない豆腐の乗った独特の牛丼は結構ファンでした。しかしアマゾンが日本に進出した90年代後半からは少しずつ神保町から足も遠のきました。ある日久しぶりにすずらん通りを通ったら店は無くなっていました。先日グーグルで検索したらまだ新宿に1軒残っているのを発見して喜んで行った次第です。食べログ:たつ屋 新宿店懐かしい店のロゴも健在です。店には、経営者の方なのか、私と同年代くらいの気の良さそうな男性の店員さんが2人、チームワーク良く働いてました。全体的に昭和の香りがするお店の雰囲気が落ち着きます。出てきた牛丼は下町風というかしょうゆがほどよく効いた味付けで、お約束の豆腐も乗っており、吉野家、松屋と比べて一番おいしいと感じました。味噌汁は手作りで油揚げ、ネギ、わかめでおいしかったです。味噌汁とお新香のセットで450円。食事代より交通費のほうが高くなりますが、またぜひ行きたいです。今度はほかのメニューにも挑戦したいです。ファストフードというと店員さんは学生、外国人、フリーターの方が多いですが、このお店のように中高年の男女が働く落ち着いた懐かしい感じのお店が全国展開してくれるとほっとします。たつ屋さんにはぜひがんばっていただき、全国制覇して欲しいです。■参考リンクロケットニュース24:この味をいつまでも!! ローカル牛丼界の砦・新宿「たつ屋」の牛丼は安いのに大手チェーンから一線を画す味 / モリモリ牛丼が1杯350円
2018.01.17

アマゾン・ビデオで199円で視聴。ジュリア・ロバーツのプリティ・ウーマンと同じ年に出演した作品です。現在公開中のリメイクされたフラットライナーズの評判がいまひとつだったのでオリジナルを探したらアマゾン・ビデオで見つけました。Flatliners (1990 Trailer)医学生のグループが好奇心から死後の世界を見たいと考え、人工的に臨死状態にさせ、1分後とか一定時間経過後に蘇生させて死後の世界を相次いで経験していきます。ところがこの実験には思わぬ副作用が。子供時代に犯したいじめ、自分がいじめたことで事故死に追いやった相手、自分の不注意で父親を死に追いやった行動等の記憶が蘇り、被験者たちを苦しめます。予告編を見ると一見ホラー、オカルト系の作品に見えますが、中盤からはヒューマン系の要素が強くなり、後味も爽やかな感じの作品で、オススメです。普遍的な問題を扱っており特にキリスト教の価値観を知らなくても溶け込める作品と思います。ただ、イジメに関するエンディングについては、数年前に見たイジメに関する日本のTVドラマのほうが気に入ってます。
2018.01.16

鎌倉・長谷寺「和み地蔵」「良縁地蔵」について:石神彫刻工房中央仏教学院学習過程の通信教育も早くも1/3を経過。先日2/11の東京での中央学習会の申込みと、スクーリングを6/16の東京築地本願寺を第1志望としての申込みを済ませました。当日行かれる方はよろしくお願いします。■学習状況10月から、3ヶ月に各1回は5教科の添削レポートを出そうと思っていましたが、12月までで真宗と寺と教団が積み残し。1-3月に挽回しようと思います。おつとめの実演は手付かずです。2/11の東京での中央学習会で授業科目にあるのでなにかヒントがつかめればと思います。■添削レポート12月に提出した仏教についてのレポートが返って来ましたが、今回の添削結果には若干戸惑いました。・今回は1章「釈尊の生涯(一)」にあった3つのテーマについてまとめるとともに自分の考えを書きましたが、1つに絞るべきとのコメント。「添削レポートの書き方」には特にテーマの数は指定されておらず、また自分としては1つの章全体についてまとめたつもりだったので、違和感を感じました。・見本として釈尊ご誕生時のインドの思想についてのインドの思想の転変説と積聚説の解説をA4判1枚で解説いただきましたが、専門課程ならともかく学習過程の自分には専門的すぎると思いました。・それよりも、亡くなった方に手向けるためにお経を読みたいと書いたら、生きている時にお経は聴聞すべきとコメントがありましたが、なぜそうなのかとか、それではなぜお葬式用のお経があるのかのほうが知りたいです。・今回は文のはじめに1字空けるをはじめとした技術的なものから、14箇所コメントがありましたが、すべて否定的なものばかりでちょっとがっかりしました。・全体として中央仏教学院の添削について思うのは、課題が明確に指示されていないので非常に書きづらい。1200字専門外の分野で起承転結に留意して1つのテーマについて書くのは、勉強からずっと離れていて、小論文も書いたことの内50-70代くらい生徒の方には結構辛いのではないかと思います。教科書の「学習の狙い」を、「添削レポート作成課題」に改めて、設問をもっと小分けして具体的に●●について200字で教科書をまとめよ、とか本章を読んで感じたことを400字でまとめよとか、にしてくれると書きやすくなると思いました。添削レポート作成のガイドラインを明確にして欲しいと思います。・添削者の指導基準も統一されたルールがあるのかどうか知りませんが、2回返って来たのを見ると添削内容は各人によりまちまちで、このため、前回と同じパターンで安心して書いたら批判されるとかあると困るので、何か統一した指導ルールを作り、生徒にも開示して欲しいです。・また、生徒のレベルにあわせた指導や学習意欲を向上させることが出きる人を添削者にして欲しいと思います。・現時点では添削についての満足度は低いです。生徒の理解を深めるのが目的なら現在の添削レポート形式に固執する必要はなく、空欄補充や穴埋め等のテスト形式+400字程度の小論文に代えてもいいのではないかと思います。いずれにしても生徒のレベルをふまえて、生徒が作成しやすい明確な設問の形式に改めてくれたらと思います。
2018.01.14

今朝NHKラジオを聴いていてフルートで演奏されていた曲です。以前もどこかで聴いたことがあったような気がして、曲のあとアナウンサーが曲名をわらびがにと紹介してくれて調べました。グーグルさんの力を借りて童神(わらびがみ)にたどり着きました。聴いていると20年前の2月に寒い東京からたずねた暖かい風の吹く沖縄を感じます。YouTube:古謝美佐子・城南海「童神(わらびがみ)」この曲の作者の古謝美佐子さんと、城南海(きずき みなみ)さんのデュエットが一番心にしみます。城南海さんは最初どこまでが苗字かわかりませんでした。天はニ物を与える見本みたいな方です。石原さとみさん系の正統派美女です。YouTube:童神~天の子守唄~ / 山本潤子NHKみんなのうたでは山本さんが歌われたそうです。YouTube:童神 2004-01-20 夏川里美 (夏川りみ)おなじみ夏川りみさんです。
2018.01.12

3日ぶりに老人ホームに行ったらヒヤシンスが開花していました。あれ、背の高さはこんなに低かったっけと思いましたが、寒さに当てる期間の長さでいろんな咲き方があるのが楽しみの一つです。香りは予想外に弱かったです。以前は部屋に漂っていましたが、開花して日にちが経ったからかも知れません。自宅の水栽培のほうは日中出かけていて朝と夜しか暖房しないので、幸い若干生育が遅いです。このため老人ホームのほうが咲き終わったら、第2弾で持参しようと思います。ムスカリ、1週間くらい戸外に出して室内に入れたら根がぐんぐん伸びてきてくれました。芽も伸びてきたのでうまくすれば咲いてくれるかも。
2018.01.11

YouTube:決断オープニング小学校6年生の春、第2次大戦もののアニメがゴールデンアワーで始まりました。ちょっと内容が難しくて全部見たか、どんな内容だったかも今ではすっかり忘れてしまっています。ただ、主題歌の歌が軍歌のような感じで強烈に耳に残り、今でもたまにメロディーや歌詞の一部が思い出されます。アマゾンビデオで1作目の真珠湾奇襲が無料だったので、見てみました。迫力ある影像と、真珠湾攻撃成功後の、いなかった空母をたたくための再攻撃をあの時、行うべきだったかどうかの問いかけは、当時小学生だった自分には難しかったですが、今となっては考えさせられる内容です。Wikipediaを見たら制作の経緯が出ていたのでご紹介します。サッポロビールの旧日本軍出身の重役さん、みなしごハッチ、ガッチャマン等、この作品に関連する興味深い事実がわかりました。*********************************************************************Wikipedia:アニメンタリー 決断『アニメンタリー 決断』(アニメンタリー けつだん)は、太平洋戦争を題材にした竜の子プロダクション制作のテレビアニメである。1971年4月3日から同年9月25日までの間、毎週土曜日19時30分 - 20時に日本テレビ系で全26回放映された[1]。概要[編集]太平洋戦争を、1941年の真珠湾攻撃から1945年の敗戦に至るまで、日本側と連合国側、その双方の指揮官や司令官、兵士たちの重要な「決断」を中心に描き出すノンフィクションドラマである[1]。「アニメンタリー」とは、「アニメーション」と「ドキュメンタリー」を合わせて作られた造語であり[1]、併せて、この作品の性格を端的に示している。視聴対象を子供だけでなく大人にまで広げ[1]、戦争状態における将官達の「決断」の時を描き、いかなる「教訓」をもたらすのかを視聴者に訴えた作品となった[1]。また、放送当時には同題名の雑誌が出版され、フィルムストーリーが掲載された[1]。この雑誌は制作局である日本テレビ放送網が刊行し、全部で6冊発行された[2]。平均視聴率は8.2%(タツノコプロが所有する資料による)[3]。実在の人物、兵器を忠実に描き、効果音は実写映画に使用される本物の爆発音やエンジン音を使用した[4]。また、この作品に使用された色付きの透過光などの特殊効果は、当時としては斬新なもので、後に制作された『科学忍者隊ガッチャマン』などのタツノコ作品にも多用され、後のアニメ作品に影響を与えた[4]。総監督だった九里一平も「『決断』で試した技術はすべて『ガッチャマン』の血と肉となりました」と証言している[5]。製作の経緯[編集]本作の製作は、スポンサーであったサッポロビール(現・サッポロホールディングス)の意向とされる。九里一平によると、当時サッポロビールには旧日本軍OBの重役もおり、「働き盛り」の壮年層に向けた番組として戦史物が企画され、戦記物作家児島襄の小説「決断」を原作とした作品の製作が決定した[9]。実写での製作が困難であることから、当初よりアニメとする方針であったという[10]。とはいえ、当時のアニメ技術でもドキュメンタリータッチの作画で番組を作るのは容易ではなかった。兵器類については九里の発案で、作画にアニメーターではなく挿絵画家を起用した[10]。だが、挿絵画家の絵は完成のペースが遅くスケジュールの上で大きな負担となり、シリーズ後半には止め絵を増やしたり、背景やカメラワークで間に合わない絵の箇所をカバーするといったことがおこなわれた[11][12]。こうした困難が予想されたにもかかわらず引き受けた理由について、九里はサッポロの出す豊富な予算が魅力だったと述べ、但馬オサムはこれに加えて『昆虫物語 みなしごハッチ』の際に製菓会社が尻込みする中サッポロがスポンサーを引き受けてくれた恩義があり、パイプを太くしたい意図があったのではないかと記している[10]。九里の証言ではサッポロビールの1社提供とされているが、当時の番組宣伝チラシでは矢崎総業も加わる2社提供番組だった[13]。原作で監修者でもある児島が「事実を淡々と描くべき」というスタンスだったのに対し、脚本・構成の鳥海尽三は「史実でもドラマ性は必要」と主張して対立した[14]。また視聴対象として壮年層の「管理職世代」を念頭にした児島に対し、鳥海は戦争を知らない若い世代へのテーマを入れようとして、この点でも食い違った[14]。その結果、脚本があがらない事態になり、鳥海は降板を余儀なくされた[14]。このほか、児島やスポンサーサイドの軍OB、挿絵画家はリアリティにこだわり、作画の省略や細部がつぶれた箇所などにもリテイクを要求し、さらにスケジュールを圧迫することになった[15]。この結果、アフレコ時に絵がない事態が起きた[16]。
2018.01.10

暮れに部屋に取り込んだヒヤシンスのうち、老人ホームにもって行ったほうが、花が咲きかけてきました。室温が適度に保たれているのがいいのかもしれません。なぜか親よりも職員さんたちのほうが喜んでいました。NHKみんなの趣味の園芸で、水栽培と鉢植えされている方のを見ていいなと思い時期遅れを招致で年末からムスカリ(グレープヒヤシンス)始めました。何か、でてくればと思います。先日行ったホームセンターで売っていたムスカリの花です。
2018.01.09

NHKオンデマンドで視聴。大学時代、小泉八雲の怪談を読んで、日本の古くから伝わる民話や物語に興味を持って雨月物語、太宰治のお伽草紙、日本永代蔵とかそっち系のジャンルをしばらく読み進めた時期があります。その中で出会ったのが井上ひさしさんの新釈遠野物語です。当時の井上さんは一番脂の乗り切った頃で、書くものすべて大爆笑でまさに天才と思ってました。この作品も一気に読み終え、勢いで柳田国男の遠野物語まで読み進めました。石井先生おっしゃるところの「日本人のかつての暮らしを、負の部分も含めて全て記録」しているため、子供向けのまんが日本昔話をイメージして読んでいくと、はっとすることも有りますが、井上、柳田2作品ともなかなかよくできた作品で、番組とともにオススメです。番組に出てくる物語もいろいろ考えさせられ面白かったです。NHK「100分de名著 柳田国男 遠野物語川から流れてきた赤いおわんで米びつを掬うと、いくら掬っても米びつの中身が減らずお金持ちになった女性。石井先生はたしか社会的弱者との共生とかかかわりとか指摘されていたように思います。いったん亡くなるもあの世で、死んだ父や早世した息子に諭されて生き返った男の話。明治時代の津波で行方不明になった奥さんを浜で見つけるもその横には奥さんの昔の恋人(無理やり周囲にわかれさせられたらしい)が寄り添っていた話。遠野物語 (新潮文庫) [ 柳田国男 ]新釈遠野物語36刷改版 (新潮文庫) [ 井上ひさし ]
2018.01.08

Amazon Kindle Unliited 読み放題から関先生が教える 世界一わかりやすい 英単語の授業 (中経出版) Kindle版中学生の頃、ニードロップとかエルボースマッシュとか、プロレスの技に関連付けて英単語を覚える同級生がいました。また、20年くらい前に接頭語や接尾語に関連付けて英単語の覚え方を教えてくれた外人の先生がいました。関先生のこの本は、その頃を思い出させてくれるもので、英単語を今持っている知識を利用して覚えやすくする方法を身につけさせてくれる本です。その方法は、音声、語源、日常生活、TV、仕事や学校、美容、ファッション、車・ゲーム・スポーツ等に関連付けて覚えるもので、特に語源の箇所はたいへん参考になります。これ1冊では当然TOEIC等には十分な単語は網羅していませんが、知らない単語に試験中であっても、この本を読んでいれば意味を類推することができることもあるので、オススメの本です。電子書籍用の本ではないので10インチのFireでないとちょっと読みづらいかも知れません。
2018.01.07

年末から巻き込まれ、重くのしかかっていた厄介ごとの相談に行き、ようやくちょっとだけ解決の道筋が見え、心の底まで凍らせる寒い北風も春の穏やかな心地よい風に感じられた1月6日の夕方、予定より少し早く終わった時間を利用して、向島百花園に春の七草籠を見に行ってきました。日頃の行いがよいせいかどうか知りませんが、最終入場時間ぎりぎりに間に合い、なんとか入れました。「春の七草の展示」のお知らせ直径50cmのジャンボ七草籠です。春の七草籠の存在は今から40年以上前の中学1年のとき、知りました。前年に父が亡くなり、初詣でなく家族全員で多磨霊園にお墓参りに行った際、石材店兼休憩所のテーブルに飾ってあり、ミニチュアの小さな世界に春を感じ、元気が湧いてくる気がしました。お店の人に聞くと毎年向島の親戚からお歳暮に送ってもらうとのこと。大人になったら毎年買おうとそのとき思いましたが、そのことはずっとどうでもいいことになっていました。こんなに小さな寄せ植えで春を感じられるとは素晴らしい発明だと思います。説明文を読むと皇室にも献上される歴史あるものだそうです。販売用の七草籠はもう売り切れとのこと。1個4,600円。この前楽天で見たときは3,000円くらいで売っていました。
2018.01.06

NHKオンデマンドで視聴。1時間です。だいぶ以前から松永安左ェ門さんのことは電力の鬼と呼ばれていることを知っていましたが詳細は知りませんでした。戦後70歳代半ばで吉田首相から任命され 、戦中の国家統制による管理下のままだった日本の電力会社を解体して現在の9電力会社体制を築くまでの審議会の会長を務め、GHQ、守旧派の財界等を相手にした孤軍奮闘の物語です。人生の晩年になって、私利私欲を追わず後世のみんなのために残る大きなしごとを成し遂げた姿は見習わないといけないと思いました。このドラマを見て国鉄民営化を提案された第二次臨時行政調査会長の土光敏夫さんを思い出しました。最終的にこの件でGHQにポツダム政令を発する直前までいきましたがそれは回避されました。話はそんなに華やかではないですが、政治経済が好きな方には興味深く見られると思います。鬼と呼ばれた男~松永安左ェ門 | NHK 放送90年ドラマ 経世済民の男主役はゆとりですがなにかでレンタルおじさんを演じた吉田鋼太郎さんが熱演しています。奥さん役は伊藤蘭さん、最初は上品な女性だとしか思わず伊藤さんとは気づきませんでしたが、いつのまにかこういう役が似合う女性になっていたとは。上から吉田首相、製鉄会社社長、GHQの担当官。松永から、前職の電力会社社長時代の給料を聞かれたGHQの担当官が他の役員の5割増と答えると、松永は自分は10倍もらっていたと答えたのが面白かったです。池田通産大臣は松永の味方をして、好人物に描かれています。■参考リンク松永安左エ門ポツダム命令土光敏夫池田勇人
2018.01.05

月の出の時刻は太陽のように1日数分ずれるのではなく1時間ずれることを今日初めて知りました。先日夕方クレーターまで撮れたので大丈夫だろうとたかをくくっていたら上に上がってきたのは19:00すぎでした。このため、明るさ不足でクレーターの撮影は2019.2.19.の次回スーパームーンまでお預けです。本所吾妻橋のバス停付近でスカイツリーと肩を並べるスーパームーンを撮影。普通のやつ。団地の上に上がるスーパームーン。
2018.01.03

1月1日老人ホームの親の食事介助の間の時間を利用し、都バスで上野東照宮ぼたん苑の冬ぼたんを見てきました。途中亀戸天神前を通過しましたが長だの列です。たぶん道路で500m、境内で300mくらいだったでしょうか。通過する前に女性の運転手さんが列が長くなっているので、1つ手前の停留所で降りてくださいとアナウンスしているのは親切だと思いました。この路線は初めて乗りましたが、上野桜木町、谷中、根津と古い町並みを通り、寺内貫太郎さんがのみで石を打っている音が聞こえそうな感じで、暖かいときに散歩しようと思いました。バスは不忍池のほうに到着したので、池を周り込んで、上野東照宮へ行くために高い石段を登るはめに。ここを訪れたのは約30年ぶりで、そのときはやっぱり冬で付き合いで行ったのですっかり何を見たのか忘れていました。もともと朝顔、ハイビスカス、ヒマワリとか、シンプルで陽気な感じの花が好きでしたので、ぼたんのようなフリルのついた花は苦手でした。おまけにぼたん→冬ぼたん→寒い→北風冷たいと、頭に刷り込まれていたのもあまり近づきたくなかったのかもしれません。しかし、この歳になってみると梅と同じようにがんばって冬に咲いているのに好感が持て、下の黄色のみたいになんとなくバラみたいなのもいいですし、少し見方が変わりました。白のティッシュを重ねたみたいなのも面白いです。よく電車の中吊り広告にあるわらの屋根をかぶったやつです。面白い実のようなものが成った木でした。たしかみつまたと看板に出ていました。家に帰って調べたらジンチョウゲ科だそうです。色々なぼたんがあり、江戸時代とかさぞ歴史が古いのだろうと思っていたら、1980年に日中友好記念でできたようです。また訪れてみたいです。1月1日に冬ぼたんの展示は始まったばかりでまだ半分くらい未開花なので要注意。
2018.01.02

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。元旦に見た小林一三さんの前半、後半から成る2時間ドラマです。NHKオンデマンドで視聴。約30年前に赴任した山梨では東武鉄道の根津嘉一郎さんとともに、阪急、東宝の小林一三さんは地元出身の財界人として尊敬されていました。当時、新書で小林一三さんの生涯をたどった記憶があります。来年の大河ドラマの主役の阿部サダヲさんがこのドラマの主役を務めていることを知り観ました。幼くして両親と別れた主人公がよき人たちと出会い、アイデアを駆使して成功を収める生涯をコンパクトに描いていて、新春に見るにふさわしい元気の出る華やかなオススメの作品です。欲を言えば、政治家としての活躍よりも、学生時代に地方新聞に小説を連載していた経緯、阪急、宝塚での沿線での住宅開発や、宝塚歌劇成功への道をもう少し詳しく描いてほしかったです。またこのドラマを観ていて、大林組、近鉄、トヨタ等を育てた北浜銀行の岩下清周さんにとても興味を持ちました。企業家を積極的に育成する経営は実質的な日本で最初のベンチャーキャピタルだと思います。いろいろ調べてみたいです。NHK放送90年ドラマ「経世済民の男 小林一三~夢とそろばん~」芸者さんと付き合っていたにも関わらず別の女性と結婚した小林一三を見咎めて自分だけいい思いをして他人のことはどうでもいいという考えが貧乏くさいと忠告したお手伝いさんの言葉を受けて芸者さんと結婚した小林一三の素直さに学ばねばと思いました。岩下清周。仕事中、小説を書いていたダメ社員の小林一三の人生を変えた上司です。街の貧乏発明家。ゴムの発明が岩下清周の目に留まり、後に大会社の社長になります。子供たちに大阪市内の空気の悪いところでなく、郊外の空気の良いところに住まわせたいとの願いが、沿線での住宅開発につながったようです。小林一三さんは東急の経営にも参画されていたようで、田園調布や田園都市線の開発もこの方の業績かと考えたりします。三越の少年音楽隊に対抗した宝塚少女歌劇。**********************************************************************■参考リンクWikipedia:小林一三小林 一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3日 - 1957年(昭和32年)1月25日)は、日本の実業家、政治家。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘は逸翁美術館。日露戦争後に大阪に出て、鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め、六甲山麓の高級住宅地、温泉、遊園地、野球場、学校法人関西学院等の高等教育機関の沿線誘致など、日本最初の田園都市構想実現と共に、それらを電鉄に連動させ相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。ここであまり知られていないが、小林は東京急行電鉄の始祖である田園都市株式会社[13] を実質的に経営していた。1918年(大正7年)に渋沢栄一らが創設し、田園調布[14] を開発した事でも名高い田園都市株式会社の経営を小林は、名前を出さず、報酬も受け取らず、日曜日のみ、という約束で引き受け、玉川、調布方面の宅地開発と鉄道事業を進めたという[15][16]。つまり、田園都市株式会社から鉄道部門を分離した目黒蒲田電鉄、及びその姉妹会社である東京横浜電鉄は、五島慶太に経営を引き継いだ後、小林の手法を用い東横線沿線に、娯楽施設やデパートを作ったのである[17]。北浜銀行の岩下清周物語(関西圏の鉄道史3-2)Wikipedia:岩下清周岩下 清周(いわした きよちか、安政4年5月28日(1857年6月19日) - 昭和3年(1928年)3月19日)は、実業家。銀行家としてベンチャー企業への積極的な融資を行った。息子は、カトリック司祭で哲学者の岩下壮一、清周本人も聖公会に所属したクリスチャンであった。来歴・人物[編集]信濃国松代城下代官町(長野県長野市松代町)に松代藩士の岩下佐源太の次男に生まれるが、ほどなく実父が死去したため、三歳で叔父の岩下章五郎の養子となる。松代藩兵制士官学校を卒業すると上京し、慶應義塾、商法講習所(現一橋大学)を中退し、三菱商業学校(後の明治義塾)卒業。1878年(明治11年)三井物産入社、同社パリ支店長等を経て、三井物産創立者である益田孝らと品川電灯を設立、同社社長就任。1893年(明治26年)三井銀行本店副支配人、1896年(明治29年)同大阪支店長時代には大阪・関西財界での強力な人脈網を中上川彦次郎に批判され衝突、1897年(明治30年)北浜銀行設立。同行常務、頭取を歴任。「日銀幹部ストライキ事件」では、中上川が支援した山本達雄総裁らに反発し、鶴原定吉、植村俊平、藤尾録郎らの免職された東大出身者らを積極的に住友など関西財界に紹介した。衆議院議員や、箕面有馬電気軌道(現:阪急阪神ホールディングス)初代社長兼、大阪電気軌道(大軌、現:近畿日本鉄道)第2代社長等も務めた。大軌では、生駒トンネル建設案を出し、実現させている。他にも大林組の設立等にもかかわる。南満州鉄道副総裁。1914年(大正3年)、大林組や大軌などの営業不振による債務焦付きで、北浜銀行が破綻し逮捕された。1920年(大正9年)温情舎小学校(現不二聖心女子学院中学校・高等学校)を設立した[1]。
2018.01.01
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