秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.01.26
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カテゴリ: 旅行 Travel
鹿児島旅行のの宿泊は霧島にしました。名前は忘れたけど以前訪れた霧島の温泉ホテルの露天風呂の浴槽のあちこちに湯の華が積ってエネルギッシュな温泉で感動したからです。

検索サイトで捜したら、ホテル京セラが見つかりました。普通温泉ホテルは2人以上の宿泊でないと割高ですが、1泊1人12,000円くらいで2食付きで夕食はステーキだったのが魅力でした。

その後よくスケジュールを確認すると、空港からバスで19:20に着くと、レストランの最終入場時間の19:00に間に合わないので、夕食無しのプランに切り替えました、残念。

ホテルに着くと、外観、内観の立派さにびっくり。これが30年近く経過したホテルとは思えない立派な美しいホテルでした。黒川紀章さん設計だそうです。温泉ホテルというよりもシティホテルといった感じです。スタッフの応対も親切で温かみを感じました。温泉も湯の華がちょっと積ってよかったです。鹿児島に来たらぜひまた泊まりたいホテルです。

なんで京セラがホテル経営なのかとネットで検索したら、バブル前に計画された鹿児島県のテクノポリス構想の中で、この地区にホテルと商業施設を建設する計画があったそうです。それに対して市内に工場を持つ京セラが応募したとのこと。稲森和夫さんの故郷への恩返しみたいなものでしょうか。
1995年ホテル完成後、バブル崩壊の影響からか、県の商業施設建設計画は中止になり、ホテル京セラの別館ができました。
テクノポリス構想 17:00あたりから


本館とアネックスは3Fの渡り廊下で結ばれます。


たしか3Fにチャペルがあり、その上は吹き抜けです。





朝食は和洋のバイキング。
これとは別に和食の4つの重箱セットがあり、自由に持っていくことができ、朝から豪華なうれしいサプライズ。
春節旅行なのか、レストランにはハングルが飛び交ってにぎやかでした。


■参考リンク
Wikipedia:ホテル京セラ

2022.11.1南日本新聞 訃報 >京セラ・稲盛和夫さんホテル京セラの上棟式。「社長の自室は最上階ですか?」と尋ねられた稲盛さんは否定した。「一般の客室を使うよ」
京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。
■元鹿児島県商工労働部長 迫一徳さん(81)
 稲盛和夫さんは鹿児島玉龍高校の1期生で、私は9期生。当時は面識がなかった。鹿児島県庁に入庁し秘書課に勤めていた時、企業誘致に注力した金丸三郎知事と稲盛さんとのトップ会談で、京セラが鹿児島に工場を造ることが決まった。この頃から、稲盛さんに親しみを抱いていた。
 商工労働部にいた平成の初め、宿泊施設と商業施設を一体的に整備するテクノポリスセンター(旧隼人町)の企業公募に携わった。この時、京セラ興産からホテル事業に応募があった。
 当時の土屋佳照知事は「京セラはホテル事業の経験がないと思うが大丈夫か」と懸念を示した。稲盛さんに確認すると、「世界に通用するものを造ることができる」と返事があった。「これまでの経験から、ホテルのあるべき姿、あってはならない姿をわきまえている」との自負を伝えられたのを覚えている。土屋知事は納得し、ゴーサインを出した。
 知事の代理で出席した上棟式で、「社長の自室はやはり最上階ですか」と尋ねてしまった。稲盛さんは「自分が来る時は、一般の客室を使うよ」と否定。愚問を恥じるとともに、私事を優先しない人と確信した。
 95年に完成した「ホテル京セラ」はグレードの高いしゃれた外観。チャペルがあり結婚式も挙げられる仕様だった。京セラの川内、国分、隼人の工場には若い社員が大勢いる。自社のホテルで従業員に挙式してもらえれば、との思いもあったのではないか。

 2001年、商業施設の建設予定地だった場所には、ホテル京セラの別館が誕生した。稲盛さんへの感謝の気持ちは生涯忘れない。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)

2022.11.5南日本新聞 訃報 >京セラ・稲盛和夫さんホテル京セラ新館ができて、うちはますます厳しくなります…震えながら稲盛さんに質問した。「その勇気があればきっとうまくいく」。優しく諭してくれたあの言葉で頑張れた
京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。
■SWAN社長・諏訪園厚子さん(69)
 43歳の時、建設業をしている夫が鹿児島県霧島市国分にビジネスホテルをつくり、任されることになった。ずっと専業主婦で経営のイロハも分からない。そんな時に盛和塾を紹介され、2001年1月に入塾した。半年後の例会で、稲盛和夫塾長との「経営問答」があり、登壇の機会をもらった。

 塾長は笑いながら「(私にそんな質問をする)あなたの勇気を買うわ。今のまま素直な気持ちで前向きに努力すればきっとうまくいくでしょう」と優しく諭してくださった。この言葉があったから頑張ってこれた。ホテル京セラの方々とおつきあいが始まり、いろいろ教えていただいた。
 その後も全国各地の例会に足を運んだ。懇親会ではカラオケに興じたり海水浴に出かけたり。水泳は得意だったらしく、沖までぐんぐん泳ぐ姿を覚えている。
 ざっくばらんな場面でよく言っておられた言葉が「ほれさせんかよ!」。社員にほれさせる経営者になってこそ、社員は一生懸命働いてくれる。この社長のためになら自分も頑張らなくちゃ、ついていきたい、と思わせなさい、と。
 誰にも負けない努力で仕事をし、一生懸命、人の面倒をみる。一緒にお酒を飲んだり海辺でスイカ割りをしたり、楽しい思い出もたくさん。行動を伴わないと人の心は捉えられない、という京セラフィロソフィの一つ「率先垂範」の教えが刻まれた。
 今は霧島市のほか鹿児島市天文館でもホテルを経営している。新型コロナ下だが社員も頑張ってくれて売り上げは伸びている。塾長への感謝の気持ちはずっと忘れない。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)





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Last updated  2023.01.28 06:13:37


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