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最近、体調を崩し気味だったので、元気をつけるために、マンハッタンのコリアンタウン(32th ストリートのあたり)に、4回もご飯を食べに行きました~!コリアンタウンのコリアン料理(韓国料理)は本格派なので、薬膳料理のような感じでハーブが多いし、特に風邪気味のときとか、病み上がりでフラフラしているときとか、体調がいまいちパッとせず馬力がでないときなんかに食べに行くと、一度でかなり蘇ります☆ですから、私は、体調がよくないときには、すぐにコリアンタウンに一人ででも直行して、「お薬だと思って」韓国料理を食べています。泣けてくるのが、何かをオーダーすると、たくさんの小皿料理がツキだしで無料サービスで出てきます☆ すごいっす。太っ腹ですね。サービスの小皿は、白菜キムチ、大根キムチ、ブロッコリサラダ、なすの炒め物、大豆もやしの炒め物、ポテトサラダ、韓国ハーブの炒め物などなど、6皿くらいは出てくる感じです。・・・お家ではなかなかこんなにたくさんの種類のおかずを作れないですもんね~。これは、助かります☆18品目以上は食材を使った食事をするほうが、健康にいいらしいですしね。特に、病み上がりのときとか風邪のひき始めには、スンドゥブ(豆腐チゲ)のスパイシーを食べています。具は選べるのですが、私はだいたい、魚介類のやつにしています。生卵を1つ、ポトッとおとして混ぜて半熟くらいで食べます。辛いのですが、あとで身体もホカホカしてきてあったまるし、一人前ずつ、ちいさな鉄鍋ででてくるし、ごはんも石釜で炊いたものが付いてくるので美味しいし、とってもお気に入りです☆美味しいし、ツキだしのおかずもいっぱいでてくるしオレンジのデザートつきなのに、10ドルなのですよ~。そのうえ、翌日は、確実に元気になって蘇りますから、すごい、お薬みたいだな~と感心しています。いつも。やっぱり、食べ物が身体を作っているのだなあと、実感します。・・・今回は、体力増進のため、2週間で4回もコリアンタウンに豆腐チゲを食べに行きましたよ!お陰さまで、蘇りました☆コリアンタウン様、ありがとう!!!
2008年10月31日
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火曜日10月28日は、急に、急~に寒くなりました、ニューヨークは。最近、ニューヨークは、一段と寒くはなっていたのですが、今日はすんごく寒すぎて、ビックリしましたよ!風邪気味だったので、私は、外に出るときは厚着で、もう真冬のダウンコートを着て行きました。風邪をこじらせないように念のために。最低温度が2度だそうです。明日水曜日もそう。厚着で出かけます~。日本は、まだ暖かくてコートは要らないらしいですよね☆ニューヨークは人間が住むのにはあまり適していなくて、真冬は寒すぎるのですが、マイナス20度以下になったりするのですよ~。だから、スソの長いダウンコートか、毛皮やムートンのコート、あったか手袋&マフラー、耳が隠れるあったかニットキャップ、ブーツは、真冬には必需品で、無いと生きていけません~。マイナス20度の時は、、耳なんか外に出ていたら、ちぎれそうです~。北海道もこんな感じで、寒いのかなあ。ニューヨークは、夏は暑すぎで、冬は寒すぎなのに、なんでこんなに住みにくい気候なところに、こんなにたくさんの人がぎっしりと住んでいるのだろう???
2008年10月29日
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円高が進んでいますね。外国に住んで日本へ仕事をしている私のような者にとってはありがたいのですが、輸出を行っている日本企業にとっては気の毒です。まだ円高は進みそうですね。さて、前回の続き☆です。音楽ネタで。ちょっと明るく。DJにとっての激戦区のバレアレス諸島のマヨルカ(イビサと共に世界屈指の超巨大ディスコ産業のメッカ)で、なぜ私が(???)プロのDJになれたのか?私以前には、マヨルカには、女性のDJがいなかったのですから。私は初の、女性のプロDJだったわけです。・・・それは、不思議なお導きのお陰なのです。前にもどこかで少し書いたことがあるので多少重なる内容ですが、マヨルカ在住でマヨルカとイビサでプレイしているスペインで一番有名な某DJ(彼は1回のギャラが日本円で当時50万円だった)に、私はスカウトされたからなのですよ☆・・・もちろん私は新米DJなので、もっと薄給でした~。(でも、現地の他の仕事のお給料に比べたら短時間でけっこう頂いていたと思います☆留学生だったのでありがたかったです☆)ハコが小さいクラブでレジデンスDJをやっていたせいもあります。このDJは、私の上司&エージェンシーのような感じでした。(なぜ、ディスコのDJのギャラが、DJ一人で50万円とかになるかというと、ハコの規模が大きいからなのです。イビサとマヨルカのディスコテカは、超巨大産業なのですよ。 地場産業といってもいいくらい。 お客が数千人~1万人とか入るハコの大型パーティーだったら、そこには有名なDJが呼ばれて高いギャラでプレイします。私は現地でこれを知って、ビックリしましたよ~ 小さなジャズクラブで生演奏するほうが練習も修行も大変なのに、なんでレコードを回しているだけのDJのほうがギャラが高いの~?と当時私は疑問に思っていたし納得がいかなかったのですが、「需要と供給の問題」なのですよ。 お客さんがたくさん入るところのほうがお客さんが少ないところよりもギャラが多くなるっていうことなのです。需要と供給で、ギャラが違ってくるのですね。 もっと高いギャラをディスコテカ側がDJに支払う場合もあるくらいなのです。大型パーティーの時は。 ・・・こんなギャラ、ニューヨークでは聞いたこと無いな~、と思いましたよ、ニューヨークに来て以来。)生演奏をしているミュージシャンの方々が気の毒になるくらい、現地(マヨルカとイビサ)のDJは待遇がよかったのです。ギャラも高額だし、ハコが大きなところで大型パーティーでプレイするのですから、現地ではDJはスターのような感じでした。私は、そういう激戦区で、女性なのにポッとDJになったので、”DJになりたい小僧たち”にものすごくにらまれ続けましたよ~!現地には、そういう、DJになりたい、プレイするチャンスを得たいっていうDJもどき小僧たちだらけで~!私がプレイする日は、そういう小僧たちがたまたま入ってくると、私を見るなり”げっ!女のくせにいいい!”と敵視して、私のプレイしている最中のDJ台(2台のターンテーブルをつないだ台)の前に、ズラ~ッと横並びにはりついて、きいいいいいっ!とものすごくにらんでくるんですよ。じーっとこっちを見つめてにらんできていましたよ。そういうときが多かったものですから、それは、”目の前の小僧たちは、かぼちゃだ、かぼちゃ。”と思うようにして、眼中に入れないように無視していました。・・・当時は、”なんでこの小僧たち、そんなにしてまでDJになりたいのかなあ?”なんて考えていました。超巨大ディスコ産業のメッカだからこそDJになりたかったんだという彼らの気持ちを、私自身がよく分かっていませんでした。そんな意識ありませんでしたし、知らなかったですし。でもね、当時、私は高度情報化社会の先進国の日本から来たのだし、そこから音源を持っていったのですから、現地の小僧たちが私に張り合ってもナア。小僧たちは音源を持っていないわけなのだから。こっちは子供の頃から年季が入っているんだから!ナメるんじゃないよ~!・・・と強気で思っていました☆・・・どうしてそういう、激戦区のメッカでDJになれたかと言うと、その、著名な高額ギャラのDJにスカウトされる約4ヶ月前くらいから、毎日毎日、「アフロのお告げ☆」が来ていたからなのです。「アフロヘア~にしなさいいいい! 髪の毛をものすごく大きくふくらませるんだあああ~!」というお告げ。このお告げとともに、私が大きなアフロヘアーになっているビジョンをパッと送ってきていたのですよ。先生方たちは。そのビジョンのワタクシは、アフロが似合っているのですよ。「アフロにしなさいいいいい!」というお告げ&ビジョンは、4ヶ月毎日毎日続いたので、一時帰国時に、とうとう、本当にアフロにしました。私は。4時間半かかりましたよ。パーマね☆まあ、美術学生だからいいか。今ならできるか。と思って、本当にアフロにしてしまいました☆そしてスペインに戻り、その姿(顔がオリエンタルなのに髪の毛が巨大なアフロ)に街中の人々がギョッとして、異様に目立っていて、色んな人々に話しかけられ、とうとうこのDJにも話しかけられ。音楽の話で盛り上がって、最初は面白半分でスカウトされたのですよ。「今度、僕が新しくクラブをオープンするから、そのオープニングにDJしに来てよ。ギャラは払うから。ちゃんと仕事として。」ということで、面白半分で、そのルックスにより、スカウトされたのが始まりでした☆それが、ワタクシときた日には音楽に関しては年季が入っていたしコレクターだったので、当日、「マヨルカでは私以外には誰も持っていないハズ!」なレアな音源ばっかり☆かけまくりました。・・・それでそのDJがビックリ仰天して、「そんな、僕でも持っていないような音楽ばっかり!すごすぎる!ぜひ、来週から、毎週末DJをしてください!」とお願いされました。そういうわけで、私はDJになったのでした☆そして、やり始めてすぐに、この上司のDJからハウスの回し方、混ぜ方を教えてもらって、時間帯によっては、私は上司のレコード(3000枚以上ある)を使ってハウスも回すようになりました。・・・アフロのお告げによって、私は結果的にプロのDJになったのです☆そして、アフロのせいで、夜の世界でさえ迫力満点だったために、クラブやディスコで朝6時まで働いていても、ドラッグがひどい場所であっても、誰にもナメられることがなかったのですよ~。これはすごかった。髪の毛のせいで、怖かったのでしょうね~、周りは。「き、気合入ってるなあ・・・ひ~!」となったのでしょうな。アフロのせいで、守られて、夜中の職業でも安全に働くことが出来ました☆このアフロのお告げ、後から考えると時期的にも、身の安全的にも、TPOに合っている的にも、とってもパーフェクトだったし、あまりにも話しが出来すぎているなあと思いました。これも、きっと、神々から私は誘導されていたんだなあとつくづく思います。はて?アフロのお告げの先生方は、七福神だったのかなあ? 私にこのお告げを送ってくるときは誰とは名乗らなかったけれど、愉快な神様なことは間違いないです☆
2008年10月26日
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音楽話の続きです☆マヨルカに住んでいた頃に、学生の合間に、毎週末木金土と、レジデンスDJと人気ディスコのPR(パブリックリレーションズ)をしていた頃の話です~私は時々、他のクラブやディスコにも呼ばれてDJとしてプレイしたりしていました。大きなフェスティバルにも2回呼ばれてプレイしたこともあります。DJは3年ほど続けたあとにニューヨークに引っ越してきてしまいましたが、当時はかなり、地道に音楽活動をずっと続けていました。その頃、日本のグループで、ピチカート・ファイヴがヨーロッパで人気があったのですが、解散後にそのリーダーの小西康陽さんが、マヨルカにDJとしてプレイしに来られたことがありました。バルセロナなど何箇所か周った様子でした。その時、そのクラブでも私も何度か呼ばれて、”##ナイト”みたいに私がメインでパーティーをやってプレイしに行ったことも何度かありました。その小西氏のパーティーの日、私もクラブに呼ばれて、すごく早い時間帯にDJとしてプレイしました。前座ですね☆それで、楽屋で小西氏にお会いしたので、少しお話しすることが出来ました☆光栄でございます。・・・そして、何かの話の拍子に、マンハッタンレコードによく行っていたこと、その創業者の平川氏のことを話した時に、なんと! 平川氏は小西氏の、昔からの友人だったそうでした!!!20代の頃からの。音楽業界は狭いですものね! ビックリしましたよ☆もちろんDJを志したことがある方なら、必ずマンハッタンレコードに行ってお世話になったことがあるはずという、スゴイお店ですから、不思議ではないです。日本一の中古レコード店だったんじゃないかな?と思います。・・・こんなところにも、マンハッタンレコードと平川氏の影響があったなんて☆とビックリした出来事でした。
2008年10月24日
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ディスコテカ話のつづき☆です。私が幼少時から好きなもの、3度の食事よりも好きなものは、「音楽」です~。音楽だけは、生まれてこの方、やめられないです~~~。音楽収集は、小学生の頃からすでにブラジリアンのボサノヴァ(小学2年生から聴いていた)とか、ジャズとか、ラテン音楽にはまっていましたよ☆オルガンを5歳から学び始めましたので、その影響ですが。家庭環境もあります。・・・ですから、私は日本で生まれ育ちましたが、日本の歌謡曲は全く私の耳がどうも受け付けなかったため聴いたためしがなかったです。私の音楽の耳の感覚は、幼少時の最初から、世界水準を基準にしていたのです。・・・そのため、私が、七福神から音楽を受信していきなり作って高いクオリティーで形にできた理由は、「幼少時から世界水準の音楽」ばかりを聴いてきたからなのです。少なくとも私は5歳から始めたことですから、18歳くらいからやり始めたようなケースとは全く違います。昨日今日やり始めたことではなかったからです。(これについては、いつもよく誤解されます~。私は普段、美術(ジュエリーなど)を生業にしていますので、音楽はシロウトなんじゃないかと勘違いされることもしばしばです☆ いえいえ、実際は、幼少時からなので年季が入っていますよ~。)きっと、七福神たちも、上から見ていて、「この人だったらちゃんと音楽を形にしてくれそうな力があるなあ」などと、分かっていたんじゃないかなあと感じています。子供って、まだ小さくてもバカにはできないもので、最初にご両親が「世界水準の本物」だけを厳選して与えて教えると、それを普通だと思って基準にして育つのですよ。本当に。5歳までが要なんじゃないかな。「世界水準の本物」ばかりを観て聴くように徹すると、本物を肌で瞬間に感じて見分けることができるようになるので、自然に、本物と偽物を見分けることができるようになるのですよ。小さい子供でも。目利きに自然になっていくのです。私の音楽熱は、それから後もずうっと続いて、コレクターをしていました☆レア盤コレクター。主なものは、ジャズ・ファンクとか、ブラジリアンとか。楽器だけで歌なしの、生演奏の録音に限りました、私の好みは。歌が入っていると、純粋な音楽として気が散るというか、そんな感じで、音そのものの純粋芸術としての波動を取り入れたかったため、私の好みは、本来、「楽器のみ、大人数バンド、生演奏」でした。どんなところでレコードを買いあさっていたかというと、東京・渋谷のマンハッタンレコード(manhattan records)☆です~。DJ小僧たちがいつもたむろしているあの場所でございます☆その小僧たちに混じって、唯一女のワタクシも、通っておりましたワ☆(ホント、当時から、音楽の趣味が合う女の子のお友達がいなかったですうううう。孤独でしたが、音楽好きはやめられない! でも、音楽の趣味が合う男性もほとんどいなかったので、音の好みが合う方は超レアで貴重☆だったため、彼氏を見つけるという点では最短距離でしたヨ☆誰とも合わせられる女性よりも、誰とも合わない女性のほうが、早く自分に合ったパートナーをを見つけられる法則があるような気がします~)レア盤限定500枚プレスとかが出たらすっとんで買いにいっていましたよ~。マンハッタンレコードの創業者の平川氏のことは、崇拝しています。隠れファン☆です。この中古レコード店が、当時、東京渋谷に開店したのが最初だったのですよ。平川氏がやりだしっぺで、今の風潮を作った張本人なのです。その昔、最先端なお方だったはずです。(昔、平川氏を取材したことがあります☆)その後、にょきにょきと、他にも真似して似たような店がたくさんできていきました。・・・ワタクシは、そういう人から良い影響をいただいてきて、大先輩方が一押しですすめてくださる「買っとけ!このレア盤、美味しいよ~」というものを、情報を集めて買いあさり、「いや~、あの音楽、ほんとに美味しかったな~」という思いを繰り返していき、耳がどんどん肥えていきました。でも、その音楽たちは、私が単にお家の中でかけて、一人で楽しんでいただけだったのですよ、最初は。ずうううっと。そして、スペインに留学した後でも収集は続き、音楽をやめられず、少しずつ少しずつ、秘蔵のレコードやらCDの貴重な音源をスペインの自宅に運び込み、現地にも150枚以上はもっていっていました。・・・それでもワタクシは、その音源を、自分が一人でお家で楽しむためだけに使っていたのですよ。音楽は糧で、趣味で、やめられなかったからです。小さなパーカッションたちも何個も、5種類くらい持っていて、音楽をかけながら、家の中で私はシャカシャカ(今漢字の変換が釈迦釈迦となったゾ)と演奏して楽しんでいました。そんな私を見て、神様は、きっと、「あんたねえ、そんな美味しい音楽を、みんな持っていないのだから、一人でお家で楽しんでいるだけだとダメでしょう? みんなにも聴かせて分けてあげなさいよ! シェアが大事なことなのですよ」と言ったような気がするのですが、お導きがいろいろあって、現地でスカウトされて、人気クラブのレジデンスDJになっていったのですよ。その話は、確か、以前にも書いたことがあるので詳細は省きます。不思議なお導きが、ずっと、点と線でつながっているのです。幼少時から。5歳ごろから、ずうううっと、音楽で、お導きがあって、神々から誘導されていたような気がします。
2008年10月21日
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さて、時効だから初でお話し&公開しようかなと思います(笑)。長くなるので、何回かに分けて書きます~。スペインのマヨルカ島に住んでいた頃、留学して4年目くらいから、学生生活の合間に、毎週末人気クラブでレジデンスDJをしていました。時々、他のクラブやディスコにも呼ばれてDJをしに行っていました。スペイン語でディスコは、ディスコテカ Discoteca と言います☆ 可愛い響きですよね~!住んでいた時は、「灯台もと暗し」で、のん気なワタクシは全然気にも留めていなかったことなのですが、ニューヨークに引っ越してきてからやっと、私が住んでいた地中海のバレアレス諸島の、マヨルカとイビサは、世界屈指の超巨大ディスコ産業のメッカなことを改めて知ったのです。特に、ヨーロッパ中の人々が、思いっきりハメを外しに来る場所だったのですよ。イビサとマヨルカは。マヨルカはイビサの隣に位置していて、一番大きな島です。そこに私は住んでいました。そういう、世界的ディスコ産業のメッカで、プロとしてDJをさせていただいていて、私は結構人気があったのですが、ありがたみが全く分かっていませんでした~☆(まぬけ~!)マヨルカとイビサのディスコのハコの規模は、1万人(!)とかもあるんですよ、いくつか。期間限定で3万人規模のディスコテカも出現したことがあります。そのデカさ、皆様、想像つくでしょうか???もう、超巨大!!! 人人人。そこで、イビサが発祥の、レイヴパーティーやらフォームパーティも繰り広げられているのです。どんちゃん騒ぎです。ひいいいいい。・・・私はニューヨークに来てから2~3回だけディスコ&クラブに行ったことがありますが、冷やかしただけで、もう行っていません。「なんか、小さなハコだなあ~!」と(笑)。「閉店時間がえらい早いなあ~」と(笑)。(ニューヨークでは、ディスコとかクラブ系よりも、ジャズやラテンなど、生演奏を聴きにいくほうがおすすめです~!)マヨルカとイビサのディスコテカは、最低、朝6時までは開いています。そして、「アフター」といわれる時間帯、翌朝6時から昼12時まで、オープンしているディスコテカもあるのですよ。・・・そういうのを、「フツー」だと思っていたし、ハコの規模が1万人とかでも「フツーそんなもんなんだろうな。」と思っていたのですよおおお。ワタクシは。間抜け~!ほんと、世界中から、「人生で最大のハメを外しに来る」人で島はごったがえしていて、外国人だらけで(アンタもそうや~!)、夏の期間は、マヨルカは世界で一番混雑する空港になります。ドラッグの流通量もすごくて、ニューヨーク以上なのですよ。ひどい状況です。マフィアがもうけているらしいのですよね。街中に、ヘロイン中毒がいるし、ディスコやクラブで私も働いていたのでその同僚たちもコカイン中毒が多かったです。ちなみに、私は、ローハス&ヘルシー志向なので、そんな環境で働いていて、毎回私のところにも差し入れが回ってきても、ドラッグは、やったことはありませぬ。趣味じゃないのですよ、そういうの。だから、ヘロイン中毒でラリッている最中の人の真似、とか、コカイン中毒の人の禁断症状のときはどんなふうだとか、真似できますよ~。もし私がダンサーだったら、ヘロイン中毒の真似の振り付けをしてしまうだろうな~。しかし、冬はわりと、シーンとしていて人も少ないです。ニューヨークに引っ越してきてから今思うと、そんな、ものすごい世界的超巨大ディスコ産業のメッカに私は住んでいたんだなとやっと気が付いて、「すごかったなあ、あれは普通の世界じゃなかったのかああああ!」 とつくづく思いました。・・・スペインのマヨルカ時代に、ワタクシは、もう、一生分の夜遊びをし倒したので、もうお腹いっぱいでございます☆もう一生夜遊びはしないでいいです~。ウップス!っていう感じです。・・・あの経験は、ワタクシにとって、何か新しい視点とか、スピリチュアルな意味もあったのかなあ? どうなのかなあ?でも、ディスコテカでも、滅多に体験できないような、貴重な経験をさせていただいたことは、確かです。
2008年10月19日
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スペイン語で、笑ったものは、その単語の”音”がかわいいな~!と思ってほほえましかったものも結構たくさんあります☆スペイン語の響きって、かわいいものが多いな~と思います。例えば、”スーパーマン”は、スーペル・オンブレSuper Hombre と書きます。Hombre オンブレ が、男 という意味です。 ちなみにスペイン語は、Hは発音しません。スーペル・オンブレ と聞いた日には、”・・・ううむ、なんだか、あまり強くなさそうな雰囲気に聞こえるなあ。”とずっこけましたよ☆響きがかわいいな☆と。似たものでは、スーパー・マーケットは、スーペル・メルカード と言います。Super Mercado と書きます。メルカードは、市場という意味です。これも初めて聞いたときは、”なんか可愛い響きだな~!”と思いました☆童話の”赤ずきんちゃん”は、カペルシータ・ロッハ。Caperucita Roja と書きます。Roja は、赤い という形容詞の女性形です。ロは巻き舌で発音します♪ 前の単語のずきんちゃんに係っています。これも、私は初めて聞いたときは、”なんか、可愛い音だな~!”と思いました☆
2008年10月17日
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スペイン語は巻き舌以外はローマ字読みで発音するので、日本語と音は同じとか似たような音で全然違う意味の単語が多いです~の続き☆前に書き込みました、”コモド”の続きです☆”ヘニオ(Genio)”という単語があるのですが、これは、天才(の男性形)です。(天才の女性形は、ヘニア Genia。スペイン語は、名詞、形容詞とも、男性形と女性形があります。)・・・これを聞くと、日本人の私は、”へに男”とか、”へに雄”・・・という、”お”で終わるなんか日本の男性の名前のように連想してしまっていました~♪そして、”コモド”の件で、日本から来た友人に爆笑された時に、追い討ちをかけるように、またまた続けてボケてしまいました~。”ねえ、それからまだあるんだけど、もしも将来、自分の子供に、”ヘニ男(へにお)”という名前をつけたら、やっぱりグレるだろうねえ。。。”・・・と言うと、やっぱり大受けで、爆笑していました♪
2008年10月15日
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スペイン人の友人達としゃべっていると、彼らは彼らなりに、スペイン語なまりで英語を使っているのをよく耳にしました☆スペイン語なまりの英語って、結構、かわいいのですよ~☆☆☆例えば・・・最初にスペインに初めて上陸した時に、空港で聞いたアナウンスにビックリしました~。スペイン語と英語と両方で交互にアナウンスしているのですが、その彼らの英語が、なんだか巻き舌っぽくて、どう聞いてもスペイン語みたいに聞こえるんですよ~。例えば、ナンバー1 を、”ヌンベルワン”みたいに。これには、行ってそうそう、ずっこけましたね~。・・・と同時に、「な~んだ、外国人が外国語しゃべってるんだから、別になまっててもいいんだよな~。だって、英語が流暢とされている職業の空港の人達だって、なまっているんだから。」・・・と、ホッとしましたよ☆別に、ビビらなくてもいいんだ~!と気が楽になりました☆他にも色々あります。笑ったものは、「バーガーキング」は、ブルゲルキング「ウォーホル」は、ワルホル「シェイクスピア」は、シャケスペレ「イースト・ビレッジ」は、イースト・ビラジ・・・などなどかなあ?これ全部、友達同士の会話で出て来た時に、最初は全然意味が通じなくて、分からなかったものなのです。全部実話です♪「僕は、ワルホル好きなんだ!」・・・って言われても。「はい? 誰? それ?・・・」「アンディ・ワルホルだよ~!」「・・・ああ! アンディー・ウォーホルのこと?」「私、シャケスペレ好きなんだ! 知ってる?」「いや、知らない。誰?それ?」「え~? シャケスペレ知らないの? イギリスの文豪だよ~! マクベスとか。」「ああ!シェイクスピアのことおおおお? やっと意味が分かったよ! それなら知ってるよ~!」・・・そして、スペインの友人がニューヨークに滞在中に会う約束をしたときに、「イースト・ビラジの**で、待ち合わせようか?」「イースト・ビラジって、どこ?」「イースト・ビラジだよ、ビラジ!」「ああ~! イースト・ビレッジのことおおお? やっと意味が分かったよ。ビラジって、スペイン語なまりだよおおおおおおお!」・・・・このような、数々の体験をしてきました☆外国人が外国語を話ししていて、なまっていても全然大丈夫だし、構わないのですよ~!スペイン語なまりもO.K.ということは、日本語なまりでも全然O.K.なのだとワタクシは思います。それでも通じるし、普通に生きていけますから。ですから、日本に住んでいる皆様も、英語やスペイン語など、外国語を習得しようとする時に、最初から気合を入れてビビらないで、気楽~~に構えて、なまっていてもいいんだ~♪と思ってやり始めたらいいと思います。ナメてかかったほうが、上達が早いと、ワタクシは思います。
2008年10月13日
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スペイン語は、巻き舌以外はローマ字読みでベタベタに発音するので、日本人にとっては耳が慣れやすい言語です☆そのためスペイン語の中には、日本語にも同じ音や似た音で、全然意味の違う言葉があったりして、面白い♪です。例えば、スペイン語の発音=意味の表記で、バカ=乳牛 アホ=にんにくケ(毛)?=何?オラ!(俺ア)=こんにちは!・・・などなどです。友達同士で、なれなれしいくだけきったスペイン語で話す時には、何か聞き逃した時とか、聴こえにくかった時に、”?Que?” (ケ?) と聞き返します。(何?)という意味です。・・・関西弁だと、”何て~?”とか、”何やて?”みたいなニュアンスでしょうか?ケ? だけなんて、短いですよね~! 日本人の私は、それを聞くたびに、”毛???”とイメージしてしまいますう~! (アホ)もちろん、こんなくだけたスペイン語は友達同士だけの会話なので、正しいちゃんとしたスペイン語で、聴こえなかったことを聞き返すときは、”?Perdon?”(ペルドン?)とか聞きます。すみません? とか、ごめんなさい? という意味です。あと、イエス(Yes)は、”Si”(シー)なのですが、これを聞くたびに、これまた日本人の私は、昔実家にいた飼い犬プードルちゃんを散歩に連れて行ったときに、ワンコにオシッコさせるとき、”シーシー”・・・とか私が言っていたのを思い出してしまいます~!そして、スペインに行ったばかりの頃に、よく耳にしていつも別のことを連想してしまった単語で、Comodo(コモド)というのがあるのですが、これは、英語ではカンファタブル(快適な)という意味です。ソファが座り心地が良かったり、お家やカフェ(スペイン語ではバル)が居心地が良かったり、そういう時にスペイン人は、”コモド”をよく使います。想像力豊かなワタクシは、コモドと聞くたびに、なぜか、「子供(こども)」を思い出してしまっていました~♪それで、つい、スペインに友人が来たときに、「・・・ねえ、もしも、将来、自分の子供に”コモド”っていう名前を付けたら、グレるだろうねえ?」・・・などとアホなことを言ってしまったことがあり、そのときは、大受けでしたよ。「・・・コモドっていう子供??? あんた、ソファーやないねんからああああ!」
2008年10月10日
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「べサメムーチョのスペイン語解説がとても面白かった!」 というご感想もいくつかいただきました。ありがとうございます☆一応、普段、スペイン語を教えてもいますので、全くスペイン語を知らない方でも興味を持っていただけるように、解説してみました。楽しんでいただけてよかったです。嬉しいです☆さて、前回書き込みました、カンノーリについてちょっと説明します☆カンノーリって言われても、日本ではあまりピンとこないかもしれないなと、後で思いました。日本ではなじみのない、あまり一般的ではないお菓子かもしれないですよね。ティラミスやチーズケーキは、日本でブームになったこともあり、おなじみだと思います。私はもう日本を出て外国に住み続けて12年経ったので、日本ではどんな様子なのか、浦島太郎状態なのです~。カンノーリは、イタリア南部、シチリアのドルチェ(お菓子)です。マフィア映画ゴッドファーザーにも出てくるドルチェなんですよ~。シチリア独特のドルチェなんです。その、ゴッドファーザーが食べていたのと同じシチリアのカンノーリを、ニューヨークのダウンタウンの、リトルイタリーの、イタリアン・カフェ(その隣のイタリアンケーキ屋さんが経営している本格派)で食べる!というのは、映画好きな人にとっては、ワクワクするような冗談&遊びなんですよ~!日本から友人知人が来たら、まず、男の方は特に、「最初に、リトルイタリーに行ってみたい! 歩いてみたい!」と言います。それで連れて行くと、「へえ~!これがリトルイタリーかあ! ・・・黒塗りの車がでてきて、突然、”パン、パン!”と銃撃が始まるのを思い出してしまうなあ! 楽しい~!」とすごく喜びます。そして、男性はスイーツは好きではないと思いますが、「ゴッドファーザーが映画で食べてるのと同じ、本格派のシチリアのカンノーリを食べようよ!」と言って、例のお気に入りケーキ屋の、フェラーラのカフェに連れて行って、カンノーリとエスプレッソを頼むと、映画好きな方は男女関係なく、コーフンして喜んでくれますよ☆「へええええ~! これが、ゴッドファーザーが食べているカンノーリっていうお菓子なのかああアアア!」と、ほんっとに喜びます☆楽しい遊びですよね!ゴッドファーザーごっこ♪このフェラーラのカンノーリは、すごく美味!なんです。きっと本格派。店内には、ソフィア・ローレンのサイン&オーナーへのメッセージ入り写真や、フランク・シナトラのサイン入り写真、フランク・シナトラJr.のメッセージなどなど、イタリア系のセレブ達のメッセージやサインだらけなのですよ~。だから、イタリア系の人々は、みんなここにケーキを買いにくるのだろうな、と思います。お味もきっと、本格派イタリアン・ドルチェなのだろうなと思います♪そのおすすめのカンノーリは、筒状のカリカリの固い皮(シナモン風味、油で揚げてある)のなかに、ベトっとした濃い甘い味の白いクリームがパンパンにたっぷり入っています。チーズの風味がよく効いています。このクリームは、リコッタチーズをベースにして、チョコチップ、砂糖漬けのドライフルーツの粒々、ピスタチオが入っています。これが、初めて食べたときには、「げげっ、なんて甘いんだ~。甘すぎる。ひいいいいい!」とビックリするようなくどさで、全部食べるのが苦しくて、休み休み、ブラックコーヒーとともにいただいたのですが、だんだん、クセになってしまうお味なのですよ~。カンノーリは中毒になってしまう独特の味です。時々食べたくなってしまいます☆皆様も、もし、ニューヨークに来ることがあれば、ぜひ、リトルイタリーで、カンノーリとエスプレッソを食して、ゴッドファーザーごっこをしてみてくださいね♪楽しめる冗談で、おすすめです☆
2008年10月07日
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私はカフェで一休み&気分転換するのが好きなので、ときどき、週1~2回行きます☆私はお酒は普段、ほとんど飲まないからです。もっぱらカフェ派です☆スペインに住んでいた頃は、現地の友人達と、1日2回くらい、カフェに寄っていました。みんな、カフェでおしゃべりする習慣があるのですよ☆カフェに行くと、誰かが来ているので、そこで久しぶりに友達に会ったりします。カフェでだんだん、お友達の輪が広がっていく感じなのです。フランスもそうだと思いますが、ヨーロッパは、カフェが、出会いのサロンみたいになっているんじゃないかな~と感じます。ニューヨークでは、時々しかカフェに行きませんが、まあ、それぞれ地域ごとに好きなカフェは何軒か見つけています。ダウンタウンにベトナム料理のフォーを食べに行く時は、ついでにカフェに寄って一息つくことが多いです。リトルイタリーのケーキ屋さんが経営しているカフェのフェラーラ(同じ名前のキンキラキンで高いところもありますが、こちらは良心的なお値段のほうのカフェです)の写真を撮ってきました☆ちょうど数日前に寄った時のものです。コーヒーが2ドル!なのですよ~。今時。ドトールみたいですよね☆おやつはカンノーリ。超美味です!
2008年10月03日
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続きです。ベサメムーチョ☆解説をちょっとしたいと思います。なぜ、ニューヨークの公園で、5歳児が大きな声でべサメムーチョを歌っていると、スペイン系の人達が聴いたらズッコケるのかを。歌詞はスペイン語です。私はスペインに6年間留学しましたし住んでいましたので、スペイン語のほうが英語よりも慣れています~。(スペイン語最上級レベルのディプロマを持っているので、スペイン語の先生もできます。時々通訳もしています。普段、スペイン語も教えています。)Besame,besame mucho ベサメ ベサメ ムーチョ(私にキスして、私にキスして たくさん):Besame は、私にキスして(キスしろ) という、命令形です☆ me は、私に☆Como si fuera esta noche la ultima vez コモシ フエラ エスタ ノーチェ ラ ウルティマ ベス(まるで今夜が最後であるかのように):Como si・・・は、まるで・・・であるかのように☆ fuera は、Be動詞の一種Serの接続法過去の主語が3人称の活用形☆ スペイン語にはBe動詞が2種類ある☆ esta noche は今夜☆ noche は夜☆ la ultima vez は 最後、最終回☆ ultima は、最新の☆ 最後の☆ vez は、・・・回の単数形☆Besame, besame mucho ベサメ ベサメ ムーチョ(私にキスして、私にキスして たくさん)Que tengo miedo perderte, perderte desques ケ テンゴ ミエド ペルデールテ ペルデールテ デスプエス(私は君を失うのが怖い、後で君を失うのが):Que は、関係詞☆ tengo は、持つという動詞の直説法現在形の主語が私の時の活用形☆ miedo は、怖い☆ tengo miedoで、私は怖い☆ perderte は、君を失う という動詞の原形*tengo miedoに係っている☆ te は、君を☆ desques は、後で☆Quiero tenerte muy cerca キエロ テネールテ ムイ セルカ(私は君をとても近くに持ちたい)*君を近くに抱きしめたい、のようなニュアンス☆:Quiero は、欲しい、・・・したい という動詞の直説法現在形の主語が私の時の活用形 tenerte は、君を持つ という動詞の原形☆ te は、君を☆ muy cerca は、とても近く☆ muy はとても、cerca は 近い、近くにMirarme en tus ojos ミラールメ エン トゥス オッホス(私は、君の目の中に私を見たい)*つまり、私を見つめておくれ!といったニュアンス:この文全体は、前の一文の動詞Quiero(私は・・・したい)に係っている☆ Mirarme は私を見る という動詞の原形☆ me は、私を☆ en は 中に tus ojos は、君の両目(複数形)☆ tus は 君の☆ ojo は 目(単数形)Estar junto a ti エスタール フント ア ティ(私は、君のそばにいたい):この文全体は、前の一文の動詞Quiero に係っている☆ Estar は、Be動詞の一種で一時的な状態を表し、「いる」☆ スペイン語にはBe動詞が2種類ある☆ junto a ti で、君のそばに☆ junto a は、・・・のそばに☆ Piensa que tal vez manana yo estare ピエンサ ケ タルベス マニャーナ ヨ エスタレMuy lejos, muy lejos de aqui ムイ レッホス ムイ レッホス デ アキ(考えて。多分、明日は、私は とても遠くにいるだろうことを。ここからとても遠くに。):Piensa は、考えるという動詞の命令形☆ que は 関係詞☆ Piensa que で、・・・を考えて(考えろ)、という命令形 tal vez は、多分、おそらく☆ manana(2番目のnの上に波線が本当は入っています)は、明日☆ yo は、私☆ estare は、Be動詞の一種で一時的な状態を表し、「いる」という動詞の、直説法未来形の、主語が私の活用形☆ Muy lejos は、とても遠くに☆ Muy は とても☆ lejos は、遠くに、遠くへ☆ de aqui は、ココから☆ de は・・・から☆ aqui は、ここ☆ーーーーーーーーーーーーー・・・と、こ~んな意味の歌を、5歳児が、大きな声で、ニューヨークの公園で歌っているのですから、それで、それを聞いた私は大笑いしたのです☆スペイン系の人々が5歳児が歌うのを聴いていたら、ズッコケたはずですよ~。
2008年10月01日
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