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「トラ五郎のブログ」は10/31で閉じたいと思います。2011/10/30 18:41で総アクセス数11197888とこれまで沢山の方にご訪問いただきありがとうございました。皆さん お元気でお過ごし下さい。2014年11/7 私の中学時代のクラス会が渋谷の土佐料理 祢保希(ねぼけ)でありました。担任の先生も参加され、集まったメンバーは古希を過ぎていますが一同大変元気。土佐料理を食べながら旧交を温めました。久しぶりに渋谷に行くと、駅の様相がすっかり変わっていてビックリ。湘南新宿ラインで行くと3Fのホームに到着。その後羽田空港の様な動く歩道で移動。地図をたよりに店を探しましたが、駅が複雑で行くまで大変でした。その下の写真はこの時集まったメンバーから忘年会をするので参加しないか… とのメールをいただき、DINING彩 渋谷宮益坂店に行った時の写真。室内は照明が落とされ、かなり暗い部屋でしたが、フラッシュなしで撮影。Picasa3で明るさとコントラストの自動補正をしました。クエとフグの食べ比べ鍋、くえの薄造り海鮮2種揚げ(カニ爪 / フグつみれ)広島産殻付き蒸し牡蠣… を食べました。12/14 中学時代のクラス会(忘年会)は夕方で折角東京に行くので私が小学校4~6年を過ごしサクラさんもそれから6・7年後に中学校を2年間過ごしたことがある中野区上高田に行きました。私は実に60年ぶりに訪ねる場所です。10:18 JR新宿駅を出て西部新宿駅に徒歩で向かうと途中に高層ビル群が見えました。この辺の道はサクラさんがよく知っていて私が中野にいた頃は西部新宿線は高田馬場乗り換えでした。10:44 新井薬師前駅を下車。私が通っていた上高田小学校に行ってみました。開校88周年の看板を掲げた校舎は3階建てのビルに変わっていました。この小学校は私がいた1年後第8回全日本学生音楽コンクール全国大会で優勝し、話題になりました。小学校を見た後少し歩くと真言宗光徳院を発見。この前の道によく紙芝居屋さんが来たことを思い出しました。さらに歩いて住んでいた地区に行きましたが辺りは一変。ザリガニ採りをしたことのある哲学堂公園(1904東洋大学の創立者、井上円了により創設)に行ってみました。四聖堂、六賢台、宇宙館… やジグザグの木橋のある池がありましたが昔行った時のイメージと違いました。12:26 新井薬師前駅近くの韓国料理豚カルビ専門むぎ家新井薬師前店で食事をしました。本格的な韓国料理を食べたのは初めて。各テーブル毎に排煙設備が付いていて、焼きながらの豚カルビや海鮮チヂミ、キムチサムギョプサルセットをいただきました。食後はサクラさんと別れ、私は縁日の日に何回か行ったことのある新井薬師に行きましたが、こちらも昔の記憶と違いました。梅照院(新井薬師)は1586 梅の木の穴から新田家ゆかりのご尊像が発見されこの御尊像を安置するためにお堂を建立したのが始まりで徳川秀忠の第五子和子(東福門院)が患った 悪質な眼病を祈願し快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ あるいは第五世玄鏡が1617年に如来の啓示によって秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれているそうです。14:40 JR中野駅に到着。駅から500mの距離にあるという帝京平成大学中野キャンパスの看板が目に留まりました。15:12 JR渋谷駅に到着。忠犬ハチ公の銅像には衆議院選挙のタスキが掛けられこの周りや大きな壁画下には待ち合わせの人が沢山いました。途中にビッグカメラがあったため入店し時間調整。16:41クラス会(忘年会)の会場である DINING彩 渋谷宮益坂店に到着しました。11/29 息子の娘二人が通う保育園の発表会がありました。下の娘は劇あそび「わにわにたちのごちそう」遊戯「のりのりわかめ」…、上の娘は遊戯「ココ☆ナツ」オペレッタ「めっきらもっきらどおんどん」…に出演。12/6 には娘の下の息子の保育園のお楽しみ発表会がありこちらは合奏「宇宙戦艦ヤマト」、劇「にじいろのさかな」遊戯「ルパン三世のテーマ」… に出演。孫達は元気よく上手に演技しました。12/29 長男家族と車で墓参りに行きました。9:46 霊園に到着。除草をし墓地内の植木を短めに剪定しました。孫娘も桶で水を運び、墓石にかけて綺麗にしてくれました。終了後は茅ヶ崎のなんとき牧場で昼食。ハーフバイキングランチ(90分)をいただきました。茅ヶ崎メンチ・こだわり豚の味噌漬け・カキフライバイキングのサラダ・カレーライス… 何れも美味しくいただきました。昨年後半は沖縄・九州旅行、いろんな会合・会食、トラ五郎小屋の整理孫の発表会、墓参で撮り貯めた写真が大量になってしまいましたが漸く整理が完了。次回から今年の記事を投稿いたします。現在投稿している「トラ五郎のブログ」は私をとりまく諸般の事情により10月30日をもちまして、幕を閉じたいと思います。そしてテレビドラマ「北の国から」に登場する五郎さんの石小屋に魅了され情熱を傾けて建設したトラ五郎小屋のある伊豆の土地も手放すことを決意いたしました。詳細は「toragorou88の生活」をご覧下さい。
2015.08.24
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1975年に伊豆に土地(560m2)を購入し、畑作をしようと思って耕すと大きな黒色系の石がゴロゴロ(富士山系の溶岩石:ボク石)。たちまち庭の一角は石山になりました。これをなんとか有効利用できないかと思っていたところTVドラマ「北の国から」の五郎さんの石小屋を見て感銘を受けました。これらの石を利用し農作業小屋を造りを開始。日曜日になると早朝に出かけ日没まで作業をしました。小屋が出来てくると土曜日に出かけ、一泊し作業を継続。1997年には近所のログハウスを見に来られたウッディハウス(山と渓谷社)の記者の目に留まりおもしろハウスということで2ページにわたり掲載されました。里芋・カボチャを育て、地元の植木職人さんと仲良くなり剪定した木楢や桜の枝をいただき、椎茸やナメコも作り8~9月には大量のミョウガを収穫しました。ところが年をとってくると暗くなると視力が衰え運転の判断力低下を自覚。今年になり運転免許証を返上し運転経歴証明書を取得しました。今後この土地をどうするか検討中。とりあえず小屋の中の物や敷地内の植木の整理・剪定を積極的にしたいと思います。 9/23 電車でトラ五郎小屋に行きました。8:15 熱海駅から伊豆急に乗車。最後部は傾斜フロアーの展望車になっていました。10:10 小屋に到着。15:30 まで敷地内の除草と小屋の中の物の整理をしました。作業を終えるとインターネットで予約していた ペンションいっぺき湖に行き入浴後 17:05より夕食をいただきました。オーナーといろいろ話をしながら自家製の漬け物や地元の山菜・魚料理をいただきました。ご夫婦で造られた手づくりの手工芸品が部屋のあちこちに並べられていました。翌日は朝食後またトラ五郎小屋に出かけ、作業を継続。夕方帰宅しました。10/30 再度電車でトラ五郎小屋に行きました。前回と同じ時間帯に熱海発の電車に乗りましたが車両の型は少し違っていました。10~15 時まで作業をし、帰りに一碧湖を散策後帰宅しました。また11/1~2 長男家族がキャンプの計画をしていたのが雨天で取りやめ急遽トラ五郎小屋に行く事になり、雨天の中息子の車で出かけました。小屋に泊まるのは久しぶり。夜は暗がりの中、火を焚いて夜を過ごしました。10/11 娘の家でバーベキューをするというので息子家族と出かけました。食後は近所の子供も入り孫とパパは人通りの少ない道でドッジボールをしました。夕方になると全員居間に集合。この日は息子の長女の誕生日だったので皆で歌を唄いながらケーキをいただきました。愛犬レオも同席。この日から数日後新しい飼い犬(チャロ)が娘家族の一員になりました。11/27 サクラさんと東名厚木健康センターに送迎バスを利用して出かけ11:40~16:20 昼食をはさんでゆったりと入浴。大津美子さんの特別歌謡ショウの案内が目に留まりました。小学校3年の孫が校内音楽会・授業参観の案内の手紙を学校で書いたものが届きました。10/25 サクラさんと小学校に行きました。9:36 校内に入ると階段には「じぶんからあいさつをします」「みぎがわをあるきます」の表示があり教室には「かかりかつどう」や工作物の展示がありました。家庭科教室に行き授業を参観。その後は体育館に移動して合唱を聴きました。昔と違い服装も自由。子ども達の様子は自然で伸び伸びと育っている感じがしました。11/30 春にタケノコ掘りをした二宮の友人宅で居住地の植栽ボランティアの皆さんとサンマと芋煮を食べる会があり屋外で煙や臭いがこもることを気にせずサンマの塩焼きをいただきました。そして12/4 には近所のレストランで同じメンバーの忘年会がありました。その下は 11/17~18、週1回行っている太極拳をとり入れた健康体操クラブの忘年会の写真。会場は前にも行ったことのある熱海・うたゆの宿でした。夕食は個室の椅子席部屋でコース料理。食後は皆でカラオケを楽しみました。ロビーには歌手の吉幾三の書を掲示。夜は庭のイルミネーションが点灯され朝起きると窓から海上の初島横に日の出が見えました。朝食後解散で私は熱海からトラ五郎小屋に行き夕方帰宅しました。現在投稿している「トラ五郎のブログ」は私をとりまく諸般の事情により10月30日をもちまして、幕を閉じたいと思います。 そしてテレビドラマ「北の国から」に登場する五郎さんの石小屋に魅了され、情熱を傾けて建設した、トラ五郎小屋のある伊豆の土地も手放すことを決意いたしました。 詳細は「toragorou88の生活」をご覧下さい。
2015.08.15
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2014九州の旅(阿蘇・熊本城)の続きです。午後は14:41熊本駅発の観光列車「特急A列車で行こう」に乗車。三角港から松島までシークルーズして天草に行く計画。切符は前日博多駅で購入しました。熊本城見学後バス「しろめぐりん」で熊本駅に行き、らん蘭熊本駅店でラーメンとチャンポンを注文。白濁した豚骨スープは超濃厚でビールも一緒に飲みました。食事を終えホームに行きましたが予定時間になっても列車が来ない。おかしいと次に来た普通列車の車掌に聞くと「特急A列車で行こう」の乗車位置は同じホームのずっと前方で既に出発していたことが判明。そして他に2名の女性客も乗れずにいたことが分かりました。車掌にも言いましたが、放送でしっかり案内してくれればよいのに。大変残念でした。大角駅に到着すると円錐型の建物と桟橋がすぐ側にありました。15:47 シークルーズに乗船。港を出ると天草5橋の1号橋(天門橋)が見えました。(2011西九州の旅 天草ではバスで通過)やがて東大維橋の下を通り2号橋(大矢野橋)が見えました。一番下の写真はふり返って見た東大維橋(形式:鋼吊橋、橋長:380.0m、完成:1975年)。後方の山並みが九州宇土半島、左島が野牛島、右島は維和島です。維和島は1905年に全国で初めてクルマエビの養殖が行われた島。このクルマエビは今でも町特産となっています。4号橋(前島橋)の下を通過し上天草市松島温泉に到着。16:11前回のツアーでは食事をした天草パールセンターが見え天草四郎像と与謝野夫妻の歌碑前で写真を撮りました。別の場所には上天草市特産品の模型(タイ、黄金のはもわたりがに、くるまえび、真珠、梅肉ポーク、ポンカン天草大王:シャモや熊本コーチンなどを原種とする大型の地鶏)が並び観光客を出迎えてくれました。送迎バスに乗りホテル竜宮に到着。入浴を終えると窓から薄い雲間に日没前の太陽が輝いていました。17:54 部屋に夕食が運ばれてきました。写真上から 旬の地魚五点盛り(サザエ、タイ、白身魚、蛸、ウニ)渡り蟹、蛸の柔らか煮、冷製鯛素麺、車海老のおどり喰い鮑の陶板焼き、天草大王(鶏)の香草揚げ、地魚の荒炊き。この他に天草季節の前菜、雲丹真蒸の茶碗蒸し、海鮮炊き込みご飯魚アラのお味噌汁、バニラアイスが出ました。車海老は蓋の付いた陶製の器の中で蓋を飛ばす勢いでバタバタ暴れ鮑も生きたまま火にかけられました。島が多く海岸線が複雑なこの地区は魚・鮑・サザエ・海老・蛸… の宝庫だということを実感。夕食中に太陽は赤味を増し 18:34 完全に沈みました。9/6 ホテル内レストランでバイキングの朝食をとりホテル周辺を散策しました。9:00 ホテルをチェックアウト。9:34 天草パールラインの前島停車場から熊本交通センター行きバスに乗車しました。車内は座席が4列の観光バス仕様。車窓から天草富士とも呼ばれる高杢島(138.5m)が見えました。この島の頂上には金毘羅神社が祀られていて引き潮の時には樋合島と砂洲で繋がり歩いて渡れるそうです。九州に渡り宇土半島北岸に行くと「日本の渚百選」・「日本の夕日百選」に選定される御輿来海岸が望見されました。有明海は干満の差が日本一で、潮が引いた時海岸の砂地には風と波により美しい曲線美の砂紋(砂干潟)が現れます。11:09 熊本駅着。九州新幹線つばめに乗り博多に向かいました。座席は2列・3列で乗り心地は良かったですが外の景色は殆ど防音壁に囲まれていて見られませんでした。昼食後検討の結果大濠公園に行くことにし地下鉄に乗車。14:43 公園前に到着しました。大濠公園は福岡城の外濠で入り江でもあった草香江をもとにした大きな池が特徴的な公園です。池を貫くように柳島、松島、菖蒲島が橋でつながっています。水路沿いの径を歩くとボート置き場があり観月橋を渡ると柳島には赤い手摺りの浮見堂があり、サギをすぐ近くで見ました。池の南側を歩いていると童謡の歌詞が書かれた石板を見かけ長い石塀が連なっている所がありました。14:20 バリーフラナガンの「三日月と鐘を跳ぶ野うさぎ」の彫像が入口に置かれた福岡市美術館に到着しました。福岡城は 関ヶ原の合戦での論功行賞により筑前52万石の大名になった黒田長政が1601から7年がかりで築城した城です。城の特徴は梯郭式平城で徳川幕府への遠慮から天守は造築されなかったとされます。天守台、本丸、二の丸、三の丸と櫓47棟を構え規模(総面積約80ha、内堀の周囲約4.7km)は熊本城を凌ぎモデルは朝鮮の普州城であるといわれています。1873 廃城令発布により存城処分となり、陸軍の連隊が駐屯。城郭建物のほとんどが失われ、城跡に現存するのは潮見櫓、多門櫓、石垣、内濠などとなりました。現在の城跡の大半は舞鶴公園となっており平和台陸上競技場などのスポーツ施設があります。福岡市美術館では9/2~28で2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送記念として特別展を開催していました。黒田官兵衛(1546~1604)は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下取りの行方に大きな影響を与えました。1589 長政に家督を譲り、1590 には小田原攻めで北条氏を降伏に導きますが1593 文禄の役(朝鮮出兵)で秀吉の怒りを受け死を覚悟した官兵衛は、出家して如水と名乗ります。1600 関ヶ原の戦いの年には九州の地で戦乱を鎮め太平の世の実現に貢献。1604 伏見で死去しました。江戸時代に筑前藩主であった黒田家から福岡市美術館に寄贈された大名道具は保存状態が極めてよく、きらめいていました。特別展を見た後喫茶室で栗ぜんざい・塩昆布をいただきサクラさんは膝痛のため待っていてもらって私は日本庭園(65才以上は無料)を見てきました。館を出ると建物の周りに箱根彫刻の森美術館を連想する彫像が並んでいましたが草間彌生の「南瓜(かぼちゃ)」は迫力がありました。美術館を出た後は舞鶴公園を散策。平和台陸上競技場はありましたが、かって福岡市民を熱狂させた西鉄ライオンズの本拠地平和台球場は鴻臚館跡展示館になっていました。16:52 塩見櫓を見た後地下鉄で福岡空港に戻りました。夕食に豚骨スープの博多ラーメンを食べ、20:00発のJAL332便で帰路につきました。
2015.07.11
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明けましておめでとうございます。また新年を迎えました。皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。父母が存命中最後の4・5年間私は週の6日間は父・母が住んでいた横浜の家に同居しヘルパーさんと共に父・母を支え、毎朝NHKの連続テレビ小説を一緒に見ました。それまで見たことがなかった番組をそれ以後見るのが習慣になりました。現在放送されているマッサンは特に気に入っています。ニッカウイスキーの創業者でありサントリーウイスキーの直接的始祖の竹鶴 政孝・リタ夫妻をモデルにしたというこのドラマ亀山夫妻として登場しますが妻の亀山エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさんの演技が素晴らしい。NHKでこの番組の裏話が放映されましたが朝ドラのため超過密なスケジュールの中、日本語支援のスタッフに支えられながらも一生懸命演技しようとする彼女の姿に感銘を受けました。恒例の紅白歌合戦では主題歌を作詞作曲した中島みゆきさんが登場。普段1番しか聞かなかった曲でしたがこの日は2・3番も聞け、力強い歌声と作詞のストーリーが気に入りました。そして歌い終わった後亀山夫妻役の玉山鉄二・シャーロットさんの前に来て握手するシーンは感動的でした。BLACK NIKKA も気に入り、このところよく飲みます。昨年6月大学同期卒業の同窓会の案内が来ました。卒業後49年になりますが、以前関西で実施された時は出席しませんでした。今回は九州在住の友が幹事となり、阿蘇で9月初旬に実施。台風の心配がありましたが、出席の返事を出しました。サクラさんも会の日は別ホテルに泊まることにし一緒に熊本・天草・福岡の旅をすることになり航空券の手配や旅行計画を立ててくれました。9/4 4:55自宅を出発。JRで横浜に出てリムジンバスで羽田空港に向かいました。6:09 運転席のすぐ後ろに座ったためフロントガラス越しに横浜ベイブリッジが見えました。6:25 羽田空港着。7:25発JAL303便に搭乗。9:10福岡空港に到着しました。(小雨で窓越しの撮影のため飛行機部分画像が流水で歪んでいます)地下鉄で博多駅に出てJR快速荒木(久留米)行きに乗車。ここで乗り換え熊本に向かいました。JR九州は型がいろいろな車両が走っていて車両の中もヘッドレストの付いた座席でした。12:09 熊本駅着。会が実施されるホテルの送迎バスが来る新幹線口団体バス乗り場を確認後在来線駅東口に移動しました。駅前には市電や熊本城周遊バス(しろめぐりん)が走っていました。熊本城の絵が描かれたマイクロバスしろめぐりんに乗車。13:23 桜の馬場城彩苑で下車しました。熊本県下の特徴のあるお店が勢揃いする桜の小路を散策。イメージキャラクターのくまモンやひごまるもありました。その後お城を一周して熊本駅に向かうバスに乗車。お城を一周して再び城彩苑に着くとバスは私達だけとなりました。バスの座席は木製のベンチで車窓から熊本城と白黒のコントラストが美しい長塀や加藤清正像が見えました。14:28 JR熊本駅に到着。ここでサクラさんと分かれました。15:00 JR熊本駅のホテル送迎バスが来る駐車場で7人の友と再会。16:07 熊本空港に寄り3名が加わりました。16:43 宿泊ホテルホテルグリーンピア南阿蘇に到着。乗用車やレンタカーで駆けつけた友も加わりました。1名緊急の用事で出席できませんでしたが古希を過ぎた15名の友と再会しました。宿泊は2名の友と同室。窓からはやや霞んだ阿蘇の景色が見えました。入浴後18:00から会食。順に近況報告をし歓談。その後も場所を移し二次会をしました。翌朝は雲のたなびく阿蘇外輪山を望見。朝食後、再会を約して9:00 発のホテル送迎バスに乗車しました。10:49 ホテルの送迎バスはJR熊本駅に到着。友と分かれた後白い駅舎の在来線駅東口に移動しサクラさんと再会しました。前日はしろめぐりんで熊本城(公式HP)を外側だけ見ましたが折角来たので中も見学することにしました。11:28 二の丸駐車場で下車。備前掘横を通り西大手櫓門(桁行23m×梁間8m×高さ12.6m)に到着。1632 加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利はここで駕籠を降り敷居を押しいただくようにして「謹んで肥後54万石を拝領仕りまする」と深々と頭をたれたと伝えられています。そして頬当御門を潜ると目前に大小天守閣が迫りました。熊本城(詳細写真)は1601(諸説あり)に加藤清正が築城に着手し1607 に落成。現在の天守閣は1960 に再建されました。大天守閣は石垣から27.5m、外観3層内部6階地下1階。小天守閣は石垣から19m、外観2層内部4階地下1階の建造物です。11:38 五郎の首掛石前を通り城に近づくと赤い傘を持った案内者がいましたので写真を撮らせていただきました。城内に入ると闇り通路と呼ばれる地下通路を通り本丸御殿に行きました。鶴之間(60畳)・梅之間(35畳)・櫻之間(28畳)桐之間(24畳)が連なる大広間は広大で荘厳。昭君之間は付書院を備え王昭君(中国の前漢の時代の悲劇の美女)の物語を描いた障壁画や天井画があり華麗でした。加藤家、細川家、西南戦争の資料を展示してある部屋には大天守閣の鯱のレプリカも置かれていました。天守閣からの眺望を堪能した後熊本城を後にしました。加藤清正は豊臣秀吉の死後、関ヶ原の合戦では石田三成、小西行長らとの確執から東軍につき小西滅亡後は肥後南半国も領して54万石の大大名となりました。しかし豊臣家に対する清正の想いは並大抵のものではなく1611 二条城で秀吉の遺児秀頼と徳川家康をとりもつことに奔走。会見に成功し熊本に帰る船中で発病。熊本城で亡くなりました(享年50歳で清正の没4年後に大阪夏の陣で豊臣家は滅亡)。加藤清正の子 虎熊、熊之助は幼くして死に三男の忠広が加藤家を継ぎました。若くして家督を継いだ忠広は家臣をまとめきれず気性が荒く問題が多かったといわれます。そして忠広の長男の光広は嘘の謀反の連判状を作って家臣をあわてさせて喜ぶという遊びを行いこれが幕府にもれて、諸々の罪状を加えられ、熊本藩加藤家は改易。1632 豊前小倉城主細川忠利(祖父:細川藤孝、父:細川忠興、母:明智光秀娘玉:別名ガラシャ)が入封しました。熊本城見学を終えその後関連情報をいろいろ調査。豊臣秀吉そして加藤清正が子供に恵まれ後継者へのバトンタッチがスムーズにいっていたら日本のその後の歴史はかなり違ったものになっていたろうと感慨深く思いました。続きは次回に投稿いたします。
2015.07.03
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今年も残すところわずかになりました。沖縄旅行以降もあちこちに出かけたりして写真がたまり整理が追いつかない状況です。また横浜の父母が住んでいた家の近くのカーテン・絨毯を扱うお店が店じまいで7~8割引で商品を売り出していたのを見つけ大量の遮光カーテンとレールを購入しました。保温・防音そして大地震が起きた時ガラスの飛散による怪我を防止できればとあちこちのガラス戸の前面に取り付けました。私がボケないうちに子供達に伝えておきたいと父のいろいろな記録を整理し我家の家系図も作成しました。パソコンは調子が悪くなると(インターネット関連)時には半日コントロールパネルより回復処理をしたりnorton パワーイレーサー、Google Chromeのアンインストールと再インストールを実施して使っています。ということで時期的に遅れていますが私の備忘録としてその後の主な出来事を纏めておきます。9/13 ひらつかビーチパーク~平塚新港を散策しました。(平塚新港・昨年秋の記録はこちら)14:54 ビーチパークに到着。コートでは若者がビーチバレーを楽しんでいました。相模川河口に向かう海岸では釣りをしている人や津波情報掲示板を見かけました。15:14 河口に到着。昨年来た時は工事をしていた堤防の嵩上げ工事は完了していました。堤防上から茅ヶ崎方面を見ると川が海に出る付近は河口航路が砂で堆積して通れなくなるのを防止しするための導流堤がありました。15:30 平塚新港フィッシャリーナに到着。川側の防波堤を先端まで行きました。釣人がかなり来ていました。カイズ、シマイサキ、サバ、ゴンズイ、タコ、シーバス、クロダイキビレ、スズキ、コイ、ウナギ… が釣れるそうです。新港の出口付近に行くと釣船が港から出て行きました。ひらつかビーチパークに戻る道ではランニングをしている人を見かけました。16:24 ビーチセンター前に到着。売店も人出の増加に伴い Food Menu、Drink Menu がかなり充実しました。9/20 サクラさん両親の墓参をしました。11:05 お墓と同じ市内に住むサクラさんの弟さんが最寄り駅に迎えに来てくれました。駅ビルの売店で弁当を購入。弟さん宅で車で駆けつけたサクラさんの姉夫婦・息子家族と一緒になりました。弁当と弟の奥さんが作られた料理の昼食をいただき暫し歓談。飼い犬のアポロ君も参加しました。弟の奥さんの妹が作られた吊飾りの手工芸品が目に留まり写真を撮らせていただきました。14:19 同じ市内にある霊園に到着。昨年は9/13に訪れており園内には赤・白の彼岸花があちこちで咲いていました。14:41 皆さんと別れ息子家族と一緒に車で帰途につきました。今年日本に大きな被害を与えた台風を挙げておきます。1. 台風8号(発生期間:7/4~7/11 最低気圧:930hPa)6日沖縄に接近し気象庁により気象特別警報が発令される。その後、九州に上陸、日本列島南岸を関東地方まで進み強風に加えて梅雨前線を刺激し、全国で3名が死亡、67名が重軽傷。住宅の全半壊17棟、一部破損は107棟で、床上・床下浸水は1,384棟。山形県から沖縄県にかけての11県で約49万世帯・118万人に避難勧告が山形県・新潟県・岐阜県で約4,000人に避難指示。2. 台風11号(発生期間:7/29~8/11 最低気圧:920 hPa)7日沖縄に接近しその後は955hPaと勢力は衰えたが強い勢力を保ったまま8日に沖縄の大東島に接近。10日に高知県安芸市付近に上陸し四国を横断後瀬戸内海、兵庫県を通り日本海を北上。死者は1名、負傷者は重軽傷含めて77名で北海道から沖縄県までの広範囲で強風や豪雨による住宅への被害が相次ぎ兵庫県や奈良県、徳島県、大雨の特別警報が出た三重県を中心に床上・床下浸水合わせて3,260棟。3. 台風12号(発生期間:7/30~8/4 最低気圧:980 hPa)31日に沖縄へ接近し中心気圧はあまり低くなかったが九州では短時間で非常に激しい雨が降った。また、台風12号から変わった熱帯低気圧からの湿った空気と南からの湿った空気が四国でぶつかり大雨をもたらす。高知県の約24万世帯・約50万人を筆頭に、北海道・青森県・秋田県・広島県山口県・徳島県・愛媛県・宮崎県で約59万人に避難勧告。4. 台風18号(発生期間:9/29~10/6 最低気圧:935 hPa)4日奄美地方に接近し、その後は太平洋側を暴風域に巻き込みながら本州南岸を北東進した。この影響で広範囲に大雨をもたらし6日には速度を上げて潮岬にかなり接近。さらに6日に静岡県浜松市付近に上陸した。大雨による河川氾濫や土砂災害のおそれがあるとして茨城県から高知県までの1都11県で約356万人に避難勧告約59,000人に避難指示。5. 台風19号(発生期間:10/3~10/14 最低気圧:900 hPa)11日に沖縄を通過。13日には勢力は弱まった状態だったが鹿児島県枕崎市付近に上陸。その後も日本列島を縦断する形で何度も上陸・通過を繰り返したことで広範囲で大雨や暴風の影響を受け、被害が大きくなった。岩手県から沖縄県までの2府20県で753,111世帯(1,810,923人)に避難勧告が64世帯(109人)に避難指示が出された。死者は3名、負傷者は重軽傷含め94名。住宅被害は半壊3棟、一部破損50棟、床上・床下浸水298棟。また台風やその刺激で記録的大雨 冠水・土砂災害の発生が多い年でした。07/03 長崎市の長浦岳で1時間で95mm。7/09 新潟県三条市総雨量が250mm沖縄読谷村では24時間雨量が385.5mm(1時間雨量が96.5mm)。08/02~08/03 高知県香美市総雨量が1117.5mm徳島県阿南市651mm、和歌山県串本町577mm。08/06 山口県岩国市で1時間120mm。08/17 岐阜県高山市で48時間で300mm。兵庫県丹波市で24時間に400mm。京都府福知山市24時間で300mm。08/20 広島県広島市で3時間で217mm。(大規模な土砂災害が発生し死者は74人、重軽傷者は44人133軒が全壊、330棟の家屋が損壊し、4,100棟以上が浸水)08/22 九州北部で1時間に110mm。北海道礼文町で183mm、稚内市で173mm。松前で24時間降水147mm。09/10 東京都江戸川区で1時間に94mm。09/11 北海道苫小牧市で1時間に100mm。宮城県石巻市・東松島市で1時間に120mmと日本各地で記録的な降雨が観測されました。また9/27には御嶽山が噴火(死者57名、行方不明者6名)し阿蘇山の噴火の活発化も報道されました。
2015.04.24
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2014 沖縄旅行(沖縄美ら海水族館他)ARの続きです。10:27 今帰仁村(なきじんそん)にある橋の駅リカリカワルミに到着。「リカリカ」(りっかりっか)は沖縄の方言で「行こう!行こう!」という意味だそうで売店とレストランを併設してました。ワルミ大橋を渡り屋我地島と古宇利島間を結ぶ古宇利大橋(全長1.96km 2005年供用開始)が眼下に見下ろせました。海ぶどうとカットマンゴーの入ったパックを購入し食べましたが新鮮でとても美味。赤い皮のドラゴンフルーツも買い求めました。11:08 古宇利島(半径約1Km、周囲約8Km)に到着。皆は海水着に着替え橋の東側ビーチで水遊びをしました。私は写真を撮りながら周囲を散策。橋の西側にはグリーンのパラソルが並ぶ人の多いビーチがありました。12:27 皆が着替えた後、車で島を一周し沖縄本土に戻りました。13:21 名護市にあるナゴパイナップルパークに到着。パイナップル号に乗り園内を見学し、貝類展示館と土産物コーナーを見ました。14:47 沖縄蕎麦の美味しい所ということで新山食堂に行きてびちそば(てびち:豚足)・新山ソーキそば・三枚肉そばをいただきました。沖縄では、豚肉を使った料理が多く代表的な料理の一つが、この「てびち」。豚足を煮込んで柔らかくして味付けしたもので豚の皮から出るコラーゲンは乾燥や日焼けを受けた肌を甦らせるそうです。15:27 予約しておいたオリオンパークに行きオリオンビール工場を見学後ビールの試飲。その後は娘と嫁が運転し途中MaxValuで買い物後宿泊地の「民宿おおき」に向かいました。民宿おおきは到着するとピザの大皿2枚とコーヒーの入ったポットがサービスされ感激。「一軒まるごと貸切」タイプのペンションみたいな感じの宿で連泊で申し込みました。写真は翌日撮ったもので、部屋(リビングルーム+6室)もたっぷりあり調理器具や食器も整っていました。孫達は部屋にあった遊戯道具に大喜びで挑戦しました。近くには大木公民館があり付近の家は台風対策か屋根の瓦は漆喰やコンクリートで固められていました。車で10分の距離に24時間営業のMaxValuをはじめイオンタウン読谷ショッピングセンターがあり食料以外にゴーグル・シュノーケル等も売っていました。民宿おおきは沖縄県中頭郡読谷村の南部に位置しすぐ南には普天間と並ぶアメリカ合衆国軍海兵隊の飛行場のある嘉手納基地や北谷(ちゃたん)アメリカンビレッジがあります。心配された飛行機の騒音は殆ど聞こえませんでした。この日は一日のんびりと近くの海岸で孫達と遊ぶことにし朝食後車で10分の距離にある泊城公園とその隣の渡具知ビーチに行きました。MaxValuで買物をした後 9:31 公園の駐車場に到着。この日は私達家族以外は数組の家族を見かけただけ(1組は外人家族)でプライベートビーチのようでした。行った時(9時過ぎ)は上2枚の写真のように汐が引いていてキノコとテーブル状の大きな岩は陸続きになっていましたが帰る頃(14時過ぎ)にはその下2枚の写真のように岩は汐が満ち海中にありました。ビーチの片側にピンク屋根の展望所がありビーチ北側奥にも陸続きで張り出した大きな岩がありました。皆で2つの岩の側まで行ってみるとカニや貝が一杯いて孫達は夢中で捕まえバケツに入れましたが帰る時は全部逃がしました。沖縄美ら海水族館を見た後だけに海の生物に興味を持ったようで磯遊びの体験は良い思い出になったと思います。11:20 ビーチの休憩所で食事をし昨日橋の駅リカリカワルミで買い求めたドラゴンフルーツの皮を剥いて食べました。中まで真っ赤なドラゴンフルーツは特にクセはなく甘さも控え気味でアッサリした味でした。食後は汐が満ちてきたので海水着を着用し皆で水遊びをしました。14:30 着替えて民宿おおきに戻り入浴・休憩しました。18:31 近くの大木海産物レストランまで歩いて行き食事をしました。ゴーヤチャンプル、鯛に似た沖縄魚(クチナジ)のバター焼きタコの揚げ物、海ブドウ… を頂きました。宿への帰途駐車場横の空地で持って行った花火をし、楽しみました。翌日は民宿を出た後MaxValuでお土産を買い 9:10 レンタカーを返却。9:37 那覇空港に到着しました。空港にはめんそーれ那覇の海中散歩パネルがあり穴から孫達が顔を出したのでパチリ。11:30 発のJAL906便で沖縄を発ちました。13:55 羽田空港着。帰りは手荷物を出しましたのでこれを受け取り駐車場に行き預けておいた車で娘家族と帰途につきました。家に着く前に動物病院に寄り娘家族が飼っている愛犬レオ君を引取り無事帰宅。今回の旅行の前後には大きな台風が沖縄に上陸しており天候に恵まれたことは大変ラッキーでした。
2015.04.07
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息子家族・娘家族との夏の旅行、今年は昨年暮れに行く場所を相談しました。昨年は山梨・長野の旅A~Dを実施。今年はこの時期台風の心配がありましたが孫が小学生3人になると遠出は難しくなると思われ検討の結果 ジェイトリップツアー(沖縄フリープラン レンタカー付1泊プラン 羽田空港発4日間)を利用し沖縄に行くことにしました。8/18 娘家族は車で羽田空港に行くことになり私とサクラさんも同乗しました。8:05 自宅を出発。新湘南バイパス→1号線→横浜新道→首都高速横羽線と進みました。途中の交通混雑を心配して余裕を持って出発しましたがスムーズに走行。10:15 空港駐車場に行くため川崎・大師河原交差点を通過し時間調整にCOSTCO川崎に立ち寄りました。COSTCOは会員制倉庫型店で娘は会員でいつもは座間店を利用しているそうです。家電、… スポーツ・アウトドア・園芸、家庭用品、… カー用品・工具類事務用品、… 日用雑貨、菓子、… 飲料・アルコール類、デイリー・冷凍食品精肉・鮮魚・青果、ベーカリー、… が大量に並べられていました。食品コーナーに行くと試食を勧められ、孫達は大喜びでした。サクラさんは食洗機用の洗剤大袋と小魚入りの煎餅の大袋を購入。煎餅の一部は旅行に持って行きました。11:57 羽田空港民間駐車場(8parking)に到着。送迎バスで空港まで送ってもらいました。12:11 空港に到着。出発時間と搭乗口を確認しレストランで食事をしました。食後は空港屋上に出て屋外を見学。沖縄行きJAL919便(14:55発)に乗り込みました。沖縄に近づくと窓から虹が見えやがて着陸態勢に入り17:20 那覇空港に到着。空港からはスカイレンタカー沖縄の送迎バスに乗り沖縄モノレールの通る道を走行し貸出場所の那覇営業所に行きました。営業所前にはおいしい水の量販店が目に付きました。18:21 レンタカーが不足していたのか出発に手間取りましたが宿泊ホテルに向け走行を開始。やがて日が暮れると真っ暗な沖縄自動車道を北進。終点の許田インターを下りて国道58号線に出ると琉球料理店 名護曲レストランが目に留まり入りました。定食(クファジューシー:沖縄の炊き込みご飯、ジェーマーミー豆腐:ピーナッツ豆腐味噌和えお刺身、ラフティー:豚の味噌角煮、イナムドウチ:白味噌汁… )とソーキそば、三枚肉そば、わかめそば、グルクン(沖縄県産魚)の揚げ物…を食べました。22:22 Motobu Green-Park Hotel に到着。家族毎に部屋に入り入浴・就寝しました。ホテルは沖縄本島の中北部、本部半島の先端に位置し翌朝は部屋から伊江島・水納島・瀬底島を眺めることができました。ホテルのレストランで朝食(バイキング)をし周辺を散策しました。7:54 ホテルをチェックアウトし8:11 沖縄美ら海水族館北駐車場(立体駐車場)に到着。駐車場壁面はグリーンの植物がカバーしていました。水族館入口に行く途中にはアスレチックがあり孫達は大喜びでこれに挑戦。入口を通ると前面に伊江島が浮かぶ碧い沖縄の海が見渡せました。長大なエスカレータで上り水族館建物入口に到着。中に入るとすぐ側にあまり動かない海の生物を触れるコーナーがあり孫達はこれらに手を差し伸べ観察しました。1975年沖縄国際海洋博覧会を記念して作られた国立沖縄美ら海水族館は鉄筋コンクリート4階建、延床面積約19,000m2総展示槽数77槽で総水量 約10,000m3。海水は沖合300mの水深20mより取水しているそうです。「黒潮の海」(パネルの高さ8.2m×幅22.5m×厚さ60cm:7,500m3)と呼ばれる最大水槽には全長8.5mものジンベエザメや世界初の繁殖に成功し長期飼育記録世界一のナンヨウマンタをはじめ多種多彩な魚たちが泳いでいました。出口近くに鮫が口を広げた撮影コーナーがあり、外に出るとカメ・鮫・カニ・時々細かい水滴を噴出するイルカのモニュメントが置かれていました。続きは次回に投稿いたします。
2015.03.23
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北海道ガーデン街道の旅の記事投稿に手間取り大分遅れましたが2014年5~7月の出来事を備忘録として纏めておきます。5/17 息子の2人の娘が行っている保育園の運動会が近くにある中学校の体育館で実施され9:34~10:19の間サクラさんと見に行きました。園児は全員裸足で駆けっこをしたり、箱に入りパパやママに引っ張ってもらったり小さな菓子袋がぶらさがっているものを口でくわえて捕ったり… 元気よく競技に参加していました。横浜の家の庭に植えたトマトが成長し収穫期を迎えました。写真は7/12に撮影。210cmの支柱を30cm地中に押し込み横にも渡し棒をしてガッチリした棚にトマトを固定しましたがこの時点で最上部は棚の一番上まで伸びていました。赤(玉とラグビーボール型)・黄のミニトマトと一回り大きいフルーツトマトは7~8段実を付け、下から順に色づきました。少しでも黄ばんだり絵描き虫が付いた葉は剪定し風通しを良くして病気の発生を抑えました。完熟したトマトはジューシーで甘みがあり、思ったより収穫でき嬉しかったです。来年は連作障害を防止するため、スナックエンドウとインゲンを作りたいと思います。7/4 第64回 湘南ひらつか七夕まつりの「七夕おどり千人パレード」に息子の上の娘が参加するというので出かけました。娘が出場するのは後の方ということ。会場に到着するとパレードは開始されていました。先頭から5番目は薄い水色の和服の平塚信用金庫。その後グリーンのハッピ姿の平塚ゴミ減量化推進員会ゆるキャラと一緒に踊る社団法人平塚青色申告会… 金ピカの飾りを持ったルナフラワーズ大島観光協会… 町内福祉村おかざき鈴の里… NTT東日本… 明るい社会づくり運動湘南協議会… が続きました。大人のパレードに続き平塚市立崇善小学校1年生が登場。そして「星っこ:平塚市立公立保育園5才児」が頭に☆飾りを付けて小学生に続き孫娘も皆と一緒に元気よくパレードしました。7/20 息子家族が私の両親が住んでいた横浜の家に来て一泊しました。車で家に到着すると私も同乗し、「葛の湯」に行き入浴。この温泉はスーパー銭湯としては一番初期に出来たもので歴史があり銭湯の周りは居酒屋さんが並んでいて温泉街の雰囲気があります。銭湯も初め来た時は設備が古く暗い感じがしましたがその後リフレッシュ工事がなされ新規設備も増設。大変良くなりました。入浴後は車を有料駐車場に預け「王家菜館」で食事をし両親が住んでいた家まで歩きました。翌朝孫娘は枝に着いている赤や黄色のトマトを収穫でき大喜びでした。息子と上の娘が駐車場に車をとりに行く間、私と嫁さんと下の娘はパン好房アッカアッカに行きパンを購入。車が戻ると息子家族は帰途につきました。
2015.03.16
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北海道ガーデン街道(紫竹ガーデン・六花の森)Dの続きです。10:43 帯広市稲田町にある真鍋庭園に到着しました。コニファーガーデンとしても知られ、7.9ha の広さがあり日本式庭園・西洋風庭園・風景式庭園で構成。1896真鍋家の先代は香川県よりこの地に移り住み1966より真鍋庭園として庭造りをし樹木生産・販売をしてきました。庭園入口よりウェルカムアーチを通り日本庭園に行くと鯉の池と真正閣があり池は地下350mより自噴する14℃の地下水により真冬でも氷ははらないそうです。真正閣は大正天皇が皇太子の時北海道行啓を行うため帯広市中心部に建築された御在所で戦後は米進駐軍の宿舎や帯広市公民館へと姿を変え1962年解体されることが決まったのを真鍋家が譲り受け現在地に移築し命名しました。近くには赤屋根の家がありましたが1977 年真鍋家先代が居住用に建設。オーストリアのチロルハウスをモチーフにしたものだそうです。緑豊かなコニファーや鉛筆状に細く高く伸びた樹木が植えられた小径を行くと展望デッキに到着。リバースボーダーガーデンには緑葉・銀青葉・黄金葉・銅葉と多種多様なカラーリーフプランツが植栽されていました。庭園出口の緑のアーチをくぐり30分のエゾリスコースの散策を終了。庭園出口近くにはツリーデッキがありガーデンセンターには色とりどりの花が植えられていました。11:45 幕別町にある十勝ヒルズに到着しました。2009 に開園され た23ha の広さがある十勝の花と食と農のテーマパークです。北のオアシス、旬(旬のこだわり)・花(色とりどりの花々)・祝(おもてなしの心)・豆(豆の国十勝)の文字が掲げられていました。ヒルズショップ&カフェでトイレ休憩をした後フラワーアイランズの小径を行くとトンボ池に出ました。睡蓮の花が咲く池端では珍しい糸トンボを発見。さらに歩を進めると赤・白・ピンクの芍薬の花が咲く原がありました。ヒルズファームに行くとジャガイモが白い花を咲かせビートが沢山植えられていました。ファームは木村式自然栽培農法(肥料や農薬除草剤などを一切使わず作物の持つ本来の能力を引き出す栽培方法)を取り入れているそうです。ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)に似たヤマボウシが4枚のピンクの総包片を花弁のように広げていました。ハナミズキの実は個々の実が分離しているのに対しヤマボウシの実は集合果で9月頃に赤く熟し、直径1~3cmで球形。果肉はやわらかく黄色からオレンジ色でありマンゴーのような甘さがあり果皮も熟したものはとても甘く、果実酒にも適するそうです。園内を一周したところで古きよき日本の民家を思わせる和食処「四分分度(春を生かし、夏に育ち、秋に実り、冬に備える)」で十勝豆御膳の昼食を頂いた後、最後のガーデンに向け出発しました。14:09 日高山脈麓の清水町に広がる十勝千年の森に到着しました。2008 に開園され400ha の広大な敷地を保有。北の大地にふさわしいスケールの大きな風景が見られ環境貢献活動「カーボン・オフセット(炭素の相殺)」を起源に森・庭・農・ARTとさまざまな手段をもって人と自然が触れ合える機会を創出し未来へ遺し未来に引き継ぐガーデンを目指していると入口で渡されて案内パンフレッドに書かれていました。この森の「アース・ガーデン(大地の庭)」と「メドウ・ガーデン(野の花の庭)」はイギリスガーデンデザイナーズ協会主催SDGAwatds2012で大賞と国際賞を受賞(設計はダン・ピアソン)しました。駐車場からガーデンに入るとセグウェイ(リチウムイオン電池を使用し体重移動で速度調節・前後進・方向転換ができる乗物)試乗会場がまず目に留まりました。予約すると2時間ツアー(30分教習、90分ガイドツアー)に参加できるとのことでした。メドウ・ガーデンの近くには十勝ナチュラルチーズ作り体験工房がありローズガーデンではイングリッシュローズ・オールドローズ・ワイルドローズが開花。ゴート・ファームではヤギやヒツジが飼われていました。キッチンガーデンでは野菜やハーブが大きな木枠のプランターに植えられガーデンカフェラウラウを設置。メドウ・ガーデンでは色とりどりの花が開花。入口に近いビジターセンター前に戻ると西洋の若者グループが来ていました。14:53 今回予定の全てのガーデンの見学を終了しバスに乗車。十勝清水ICより道東自動車道に入り千歳道産市場に寄った後17:19新千歳空港に到着しました。途中ガイドさんから日本で3番目に大きい十勝平野(約3600km2)の開拓の歴史を聞き帰ってからインターネットでいろいろ調べてみました。1879~1884年の北海道で発生した蝗(イナゴ:本州の田圃にいるイナゴでなく身体が大きく飛翔力があるトノサマバッタ)害は凄まじかったことが分かりました。1875.9.27北海道の太平洋沿岸を台風が直撃。未曾有の大洪水を引き起こし十勝川と利別川が合流するあたりでは膨大な樹木が流失し広い範囲で沖積層が露出。ここにヨシやススキなどイネ科の植物が生い茂る草原が出現。その後数年は天候に恵まれ、トノサマバッタが大繁殖しました。1880 には、発生したバッタの大群は日高山脈を越え胆振国勇払郡を襲撃。蝗害はさらに札幌を経て空知地方や後志地方へ至りまた別の群れは虻田へ達しました。陸軍はバッタの群れに大砲を撃ちこみ延べ3万人のアイヌの人々を動員して駆除に努めましたがそれでも蝗害は止まらず、北海道では翌年の予算に180億匹のバッタ幼虫の駆除費用を計上するはめになりました。しかし、1884 9月の長雨によって多くのバッタが繁殖に失敗して死滅。蝗害はようやく終息。十勝地方の各地には現在も当時の「バッタ塚」が残っているそうです。今回の旅行はガイドさんによると私達が旅行した前週は殆ど雨天だったそうでその後このブログを投稿するまでの間に礼文島や苫小牧~道央地方は今までにない記録的な降雨があったことが報道されました。大変ラッキーな旅が出来たことを感謝。ガイドさんの説明、入園時にもらったパンフレッド、確認のためにインターネットで調べた関連情報を私の備忘録としてこのブログに纏めました。皆様に少しでも参考になれば幸いです。
2015.02.25
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北海道ガーデン街道の旅3日目は十勝川温泉の観月苑で朝を迎えました。起床するとすぐに露天風呂でモールの湯浴みを楽しみました。6:30 ロビー前に集合。朝食会場のあるこの日最初のガーデンに向かいました。7:28 紫竹ガーデンに到着。このファームで収穫した食材を使用したという野菜やパンをバイキングでいただきました。オーナーの紫竹昭葉(1927年帯広生まれ)も花が飾られた帽子とピンクの服装で出てこられご挨拶。食後はツアーの皆さんの要望にこたえられ、一緒に写真を撮りました。紫竹さんは 1983 夫の勲さんを亡くし一時放心状態となりましたがこれではいけないと自分らしい生き方を求め5年後(62才)に「花の農家になる」と決め、帯広郊外の美栄町の耕作放棄地だった牧草地を購入。最初はチューリップや野菜を植えながら少女時代から好きだった野原の花たちをよみがえらせるガーデン造りを開始しました。1992 には「紫竹ガーデン遊華」として一般公開。口コミで評判になり今では年間10万人の来場者があるそうです。庭園(5.9ha)はイギリス式庭園を基本としており約2500種の花を植栽(設計:奥峰子)。22のゾーン(花の径、リボン花壇、パレット花壇、リンゴ並木ロックガーデン、プリムラガーデン、ハーブガーデン、グルメガーデンホワイトガーデン、ワイルドフラワーガーデン …)と13のコレクション(シャクヤク&ダリアコレクション、ローズコレクションヘメロカリクスコレクション、ルピナスコレクション …)が配置されているそうです。隣接地には広大な畑が広がり、ジャガイモの花が咲いていました。花は私たちに、いつも何かを語りかけてくれます。元気や勇気や喜びを、美しい優しさにくるんで、そっと差し出してくれます。北海道とあなたの心に、いっぱい花を咲かせたい。そんな気持ちをこめて、いつまでも。 …と「花さかおばーちゃん」紫竹昭葉さんの気持ちが入園時に渡されたガイドに書いてありました。9:27 六花の森に到着。十勝六花(エゾリンドウ、ハマナシ、オオバナノエンレイソウカタクリ、エゾリュウキンカ、シラネアオイ)などが植えられ小川や河畔林で自然風景を再現したガーデンを散策しました。ハマナシは知床旅情の歌詞ではハマナスと呼ばれるバラ科の植物で園内には4000株植栽されているそうです。敷地内にはクロアチアの古民家を移築した美術館(坂本直行記念館、百瀬智宏作品館、はらたかよし作品館、真野正美作品館サイロ記念館、花柄包装紙館…)が点在。小高い芝生の丘の上には彫刻(考える人)が置かれ散水が行われていました。1997 北海道帯広市に本社を置く六花亭は銘菓「マルセイバターサンド」を製造する工場を中札内村の外れに位置するきれいな湧き水を利用してつくられた池端に新設し敷地(10ha)はナチュラルガーデンとして整備するという六花の森プロジェクトを開始しました。(設計および施工は大林組で日本建築学会賞や日本建築美術工芸協会AACA賞特別賞を受賞)そして六花亭のお菓子が包まれている包装紙には坂本龍馬の血を引く山岳画家坂本直行が描いたものを使用。敷地内には花柄包装紙館・坂本直行記念館・直行絶筆展示館を設置しました。またレストハウス&ショップ「はまなし」前には花柄包装紙を貼った箱で作ったモニュメントを設置。グリーンの芝生と池の間に建つガラス張りで曲面を取り入れた白い工場も素敵でした。10:05 「はまなし」前の駐車場のバスに乗り込み次のガーデンに移動しました。
2014.12.30
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北海道ガーデン街道(大雪森のガーデン・日の出ラベンダー園)Bの続きです。13:18 中富良野にあるファーム富田に到着。ウエルカムハウス「花人の舎」前は多くの人で賑わっていました。1903年 富田徳馬が福井県より中富良野町に入植。徳馬の孫、忠雄は1958年に香料用としてのラベンダー栽培を開始すると1970年にはラベンダー栽培農家が250戸以上となり栽培面積が230ha以上となりました。しかし貿易の自由化や合成香料が作られるようになり価格が急落。1973年にはラベンダーを栽培する農家はほぼファーム富田のみとなりました。ところが1976年 国鉄のカレンダーにファーム富田の畑の写真が紹介されその後TVドラマ「北の国から」が放送されるとファーム富田は一躍有名になりました。1990年「ラベンダー芳香フェア」(フランスで開催)でファーム富田のオリジナルエッセンシャルオイル「おかむらさき」が第1位を獲得しました。1993年「花人の舎」をオープンし今回ファームを訪れると「花人の畑」には黄・赤の花が咲きその後ろ(ファーム中央部)には濃い緑のポプラが並んでいました。「倖(さきわい)の畑」には花色の異なる4種類のラベンダーを植栽。夏以外にもラベンダーが楽しめるグリーンハウスもあります。開花間近のラベンダー畑近くには「倖の舎」という休憩所を設置。ドライフラワーで作った飾りや金属で制作したオーケストラの人形が展示された所もありました。紫の絨毯を広げたかのように斜面一面をラベンダーが埋め尽くすというトラディショナルラベンダー畑のラベンダーはまだ開花前でした。ファーム東側後方には夏雲の下に十勝岳連邦が広がり白い手ぬぐいで頭を被い濃紫の服を着た人々が花の手入れをしていました。2008年にはファーム富田から車で7分の距離に日本最大級のラベンダーイースト(7月のみ営業)がオープン。ファーム富田のガイドによるとラワーレの舎や展望デッキがありラベンダー畑の中を展望しながら進む特殊車両(ラベンダーバス)が運行されるとの説明。開花期のラベンダーの光景はさぞ見事だろうと思われました。14:33 新富良野プリンスホテル近くの駐車場に到着。このホテルの敷地内に広がる0.2haのブリティッシュガーデン(風のガーデン)は2006年春から2年の歳月をかけ作られました。北国の気候に合う品種の宿根草を中心に植栽。脚本家の倉本聰がガーデンデザインを上野砂由紀に依頼してできあがりTVドラマ「風のガーデン」の舞台となった場所です。「風のガーデン」は緩和医療を題材とした作品。末期癌の麻酔医師(白鳥貞美:演-中井貴一)が絶縁状態になっていた富良野市の家族の元に戻るまでを描きました。医師役の中井貴一はキャベツダイエットによって9kg減量し癌で臨終する主人公(白鳥貞美)を熱演。黒木メイサが演じた彼の娘(白鳥ルイ)は上野砂由紀がモデル。彼の父(白鳥貞三)を演じた緒形拳は放送開始直前の2008.10.5 に急逝。その年の『第59回NHK紅白歌合戦』では緒形の追悼演出が行われ主題歌(ノクターン)を平原綾香が歌いました。14:45 風のガーデン入園の受付をすると送迎用の車(9人乗り)で送られガーデン入口前に移動。小径を進み黄色い花のアーチを潜ると花たちに囲まれました。14:52 白い壁で蔦が絡まりテラスがあるグリーンハウス前に到着。ハウス内にはドラマで使われた小道具がそのまま置かれていました。365品種・2万株の花が植えられているそうで地形を生かし花棚も使った立体的な植栽。高さや色の異なる花々が曲線の小径を囲っていました。15:05 白鳥さんの押し花工房を見学。近くでは頭が黒で身体が白い羊が草を食んでいました。送迎用の車で受付まで戻るとログカフェテラスやクラフト工房…が立ち並ぶニングルテラスを覗き近くにあった建物が旧「富良野駅」を再現したという富良野ドラマ館に入館。この中では倉本聰が富良野を舞台としたTVドラマ3作品(北の国から優しい時間、風のガーデン)のオリジナル商品を販売していました。高倉健主演の映画「駅」の大きな看板を目にしながら駐車場のバスに乗車。次の場所へ移動しました。17:09 日勝とかち亭に到着。十勝平野・日高方面の農産物や海産物を沢山販売していました。豆類や昆布が名物。人気が高い「さらさら日高昆布」を購入しました。19:06 十勝川温泉にあるホテル観月苑に到着。夕食は食材が豊富な場所だけに美味しい料理を堪能。食後しばらくして日本では珍しいモール温泉に入浴しました。植物が炭化せずに残った亜炭・泥炭に含まれるフミン物質を含む熱水を花崗班岩が濾過したモール温泉は植物のエキスと岩石のミネラルの両方をたっぷり含有。湯は薄い紅茶のような色をしていましたが中に入るとツルツル感があり入浴後は肌がすべすべ(露天風呂が掛け流しで一番効果大)。今までに体験したことのない温泉に大満足。長かった旅行2日目を終えました。
2014.12.03
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北海道ガーデン街道(上野ファーム・層雲峡)Aの続きです。早い朝食を済ませホテルをチェックアウトし国道39号線を旭川に向けて走行。8:32 休憩スポット北の森ガーデンに到着しました。敷地内には 氷点下の世界を体験できる「アイス・パビリオン」熊だけを集めた動物園「ベアーセンター」、アイヌ木彫民芸品を制作・販売する店がありショッピング街入口では暖かいスープ状の野菜フレーク入りカップを配布。通路には色とりどりの花鉢が飾られていました。8:59 大雪森のガーデンに到着。大型バスのパーキング場から緩やかなウェルカムアプローチを上って行きました。草原状の斜面には赤い小花が咲き背後には「大切」と「大雪」を重ね合わせた雄大な大雪の山並みが見えました。今年4月にグランドオープンしたばかりの旭ヶ丘にあるガーデンでgoogleマップで場所を検索しても見つかりませんでした。森の花園は上野砂由紀(上野ファーム)がデザインし[大雪の庭][四季のすみか][花の泉][親しみの庭][カムイミンタラ]で構成。森の迎賓館は笠康三郎(緑化計画)がデザインし[森のゲートウエイ] [森の絨毯] [森のリビング][森の博物館] [癒やしの谷] [遊びの森](整備中)[瞑想の森](整備中)で構成され総合設計を高野ランドスケーププランニングが担当しました。大雪の懐に抱かれた丘陵に誕生した大雪森のガーデンはさらなる今後の発展が楽しみです。11:37 フラノーブルマツオ 松尾ジンギスカン上富良野店に到着。店内にはマスクメロンや道内の名産品が並べられ美味しい牛乳を紙コップで飲みました。12:10 小高い丘の上に位置する日の出ラベンダー園のレストランでポトフとサラダの昼食をいただきました。展望台の西側にラベンダー畑が広がりますが遅咲きのオカムラサキという品種が中心なので花は開花前でした。東側には十勝連峰が広がり赤い屋根の小屋がアクセントになっていました。展望台横には白いアーチに鐘が設置されラベンダー畑が下に続いていました。毎年7月には「かみふらの花と炎の四季彩まつり」を筆頭に多彩なイベントも開催されるそうです。丘を下りて行くと緑のトンネルがあり、品種の異なるラベンダーが咲いていました。オレンジと黄色の花が縦に長く植えられた間の小径をバスが待つ駐車場までゆっくり下りました。続きは次回に投稿いたします。
2014.11.20
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クラブツーリズムの「北海道ガーデン街道」を巡るバスツアーに参加。大量に撮った写真が漸く整理・編集出来ましたので順次投稿いたします。6/25 羽田空港を10:30発JAL511便に搭乗。しばらく雲の上を飛行してましたがやがて雲が無くなり、田沢湖(11:29)十和田湖(11:35)、下北半島(11:39)を見下ろしながら北海道上空へ。遙か羊蹄山を見ながら降下ををはじめ12:05新千歳空港に到着しました。空港からバスターミナルに移動。途中の花壇には紫のラベンダーが咲いていました。14:21 砂川ハイウェイオアシス館で休憩。見事な立体花壇が目を引きました。15:32 旭川市郊外にある上野ファームに到着。このファームを作った上野砂由紀さんはイギリスで園芸を学び帰国後米作農家を営む旭川市の実家で英国風庭園をモデルとした庭づくりを始めました。2001年から庭を「上野ファーム」として一般開放。2004年には著名な園芸誌「BISES」のコンテストでグランプリを受賞し一躍有名ガーデナーとなりました。北海道旭川の気候風土に合わせた庭園づくりを目指して「北海道ガーデン」と呼んでいます。マザーズガーデン、ミラーボーダー、ロングボーダー、サークルボーダーパープルウォーク、白樺の小道で構成。訪れた時はルピナス、ジギタリス、アリウム、バラ、タリクトラムカンパニュラ、キナセア、ホリホック、モナルダ、クレマチス、ゲラニウムパーパスカム、デルフィニウム、ダリヤ… が沢山咲いていました。ガーデンショップではハーブのポプリやドライフラワーで作った花飾り種と苗… を売っていました。16:20 射的山が背後にある上野ファームを出発。層雲峡温泉のホテルに向かいました。大函・小函は層雲峡の峡谷美が最も素晴らしい場所で約3万年前の大雪山の噴火により堆積した溶結凝灰岩が石狩川によって浸食されたことにより形成。高さ200m前後の柱状節理の断崖が連なっています。層雲峡温泉は幕末期に発見されましたが近代的な温泉地としての開湯は1950年代に入ってからで近くには大雪山黒岳スキー場や、層雲峡・黒岳ロープウェイ、キャンプ場があり大雪山系への登山基地にもなっています。17:35 朝陽リゾートホテルに到着。大きなホテルでしたが修学旅行客が同宿。夕食はバイキングのため到着後すぐにレストランに行きました。あまり混み合うことなく食事を済ませ暫くして入浴。泉質は単純温泉(低張性中性高温泉)でした。6/26 入浴後ホテル近辺を散策。私は小6~中2の間父の勤務の関係で旭川に住んだことがあり層雲峡温泉には母方の祖母が来た時家族で一緒に泊まりました。当時は曲がりくねった道をバスで行きましたが乗り物酔いで苦しんだ思い出があります。今は道が整備され大量の丸太を積んだ大型のトレーラーが走っていました。道路脇にはルピナスが群生。ハマナスの花も見かけました。この日はスケジュールが一杯で6:30からバイキングの朝食をいただきました。
2014.10.21
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父母を偲ぶ会で発足した兄妹会を今年は上の妹夫妻が幹事となり三重県鈴鹿国定公園国民宿舎「湯の山ロッジ」で実施。父母にとって子供である私の兄妹4夫婦、孫4夫婦、曾孫7人が参加しました。私とサクラさんは息子の車に同乗。折角行くので名古屋で前泊。2泊3日の旅の記録です。6/30 息子と娘は午後年休を取り保育園にいる子供を引き取って出かけることにしました。13:50 出発、中井ICから東名高速に入り掛川市の小笠PAで休憩。メロンパン、飲み物、スープをいただきました。18:50 名古屋栄町のビジネスホテルに到着し娘家族と合流。名古屋で有名な手羽先を食べに「山ちゃん」に行きました。こちらの料理は手羽先を始めとして味が濃厚でビールが弾みました。翌朝は名物のモーニングセットの店も検討しましたが宿泊ホテルのレストランで食べました。前日「山ちゃん」で忘れ物をしてしまい問い合わせたところあるということで立ち寄り 2台の車はホテルを出発。10:47 四日市スポーツランドに到着しました。園内には長大なスーパースライダーがあり4人の孫はパパ・ママと一緒に乗り大喜び。その後は草むらでバッタを追いかけました。11:43 昼食場所を探して走っていると「アクアイグニス」を発見し入りました。ラテン語でアクアは水、イグニスは火を意味し、水と火を対置させた「アクア×イグニス」は大地で育まれた温泉、食材、そして男女を表しているそうです。施設はまだ新しく大勢の人で賑わっていました。飲食施設には辻口博啓のスイーツショップ「コンフィチュール アッシュ」薪で焼く本格的な石窯パン「マリアージュ・ドゥ・ファリーヌ」、豆スイーツショップ「フェーヴ」和ラスクの「和楽紅屋」、奥田政行のイタリアンレストラン「サーラ ビアンケ アル・ケッチャーノ」「奥田食堂」、カウンター割烹の「露庵温味」がありました。自家農園や契約農家の食材を使ったという手羽先・ウインナー・焼肉…自慢のスイーツも美味しくいただきました。14:05 国民宿舎「湯の山ロッジ」に到着。ホテル前には信楽焼の狸の置物が並べてありました。湯の山温泉は718年 浄薫和尚が薬師如来のお告げにより発見したと伝えられ傷ついた鹿が傷を癒したという伝説から別名「鹿の湯」とも言われ泉質は、アルカリ性ラジウム泉です。近くの御在所岳(1212m)には全長2161mのロープウエイが架けられ御在所山上公園には朝陽台広場、見晴台、富士見岩展望台があります。天気の良い日は伊勢平野、伊勢湾、知多半島、琵琶湖方面を一望できるそうですが今回は次の長距離移動があるため割愛。入浴後は宿舎前の川辺や庭園を散策しました。18:30 大広間で会食。私の兄妹ファミリーに1年ぶりに再会し楽しい時を過ごしました。父・母にとっての曾孫は成長がめざましく従兄弟達がこうした機会に親交を深めることは良いことだと思いました。次の日は7:28 朝食。来年は下の妹夫妻が幹事をすることになりました。7:57 ホテルをチェックアウト。それぞれ帰途につきました。9:34 御在所SAで休憩。三輪オートバイのスゴイのが目に付きました。お土産に赤福を買い、孫たちは滑り台で遊んだりしました。11:35 燒津ICで東名を下り燒津さかなセンターで買物と昼食をしました。まぐろ街道、かに街道… があり、歩いていると盛んに店の人から声を掛けられ市場は活気がみなぎっていました。大きな口を開けたサメのパネルが置かれたところがあり、孫たちはここに立ちました。マグロ丼や魚のフライ定食をいただきましたがボリュームたっぷり新鮮なお刺身を美味しくいただきました。食事が終わると孫たちはガシャポンの景品を頂き大喜びでした。娘家族とはここで別れ16時無事に帰宅。天候にも恵まれ良い旅ができました。
2014.09.29
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昨年は湯河原のホテルで実施した旧職場のOB会が今年は三浦海岸のホテルで実施されることになり折角ですので城ヶ島に行ってきました。城ヶ島は神奈川県三浦半島の南端に位置する島で面積:0.99 km2(江の島:0.38 km2)東西幅約1.8 km、南北幅約0.6kmと東西に細長い島で私が思ってたより大きな島でした。そして『城ヶ島の雨』(作詞:北原白秋)は1913年10月30日東京有楽座にて作曲者梁田貞の独唱(ピアノ:松平信博)で発表され後に奥田良三が吹き込んだレコードがヒットしたことでこの島は全国的に有名となりました。5/18 京浜急行の三崎口駅よりバスに乗車。11:52 城ヶ島大橋(1960年完成、長さ575m、橋脚高さ22m)を渡った所にある「白秋碑前」で下車。大橋を中程まで行ったところで引き返し城ヶ島公園に向かいました。12:07 第1展望休憩所に到着。島の東半分の地図が掲示されていました。海岸の岩礁地帯を眺めながら東側に歩いて行くと第2展望所がありました。12:18 第2展望所に到着。眼下にはローソクのような形をした安房崎(あわざき)灯台が見えました。岩場の上にある小さな灯台は高さ13mですが光は20km先まで届くそうです。三崎漁港を跨ぐ城ヶ島大橋はここからも見えました。そして西側の城ヶ島灯台を目指して散策を再開。途中に角川源義(角川書店を創立)の句碑がありました。(火の島へ一帆目指すよ芋の露)12:31 島の中央部南端の赤羽根崎に到着。ここには自然が作った海食洞穴がありました。長い年月をかけて波浪、風雨等に浸食されたもので地層は第3紀層、鮮新統、三浦層群に属し土質は 凝灰質砂礫岩という柔らかい岩質。高さ8m、横6m、厚さ2mの洞穴を土地の人は馬の「背の洞門」のほか「めぐりの洞門」「眼鏡の洞門」などと呼んでいます。西側は砂浜と広大な岩礁地帯(隆起海食台地)で典型的な海岸段丘を形成。関東大地震に伴う地盤隆起によって砂中の岩礁が砂浜に露出したものだそうです。13:05 島の西にある城ヶ島灯台に到着。途中には島巡りの船着き場がありました。灯台のある高台を下りて行くと江ノ島の奥津宮前を通過後稚児ヶ淵に向かう間にあった通りに似た食べ物屋さんが並んだ所があり中村屋さんに入店しまぐろ丼をいただきました。新鮮でボリュームたっぷり。店の半分では焼おにぎり・いか・トウモロコシ、さざえ・ハマグリ… が売られ、人が沢山集まっていました。食後はバスに乗車し京急三崎口出て電車に乗車。三浦海岸駅で下車し駅から送迎バスで宿泊ホテルに行きました。15:04 オーシャンリゾートホテル マホロバ・マインズ三浦に到着。部屋は広く明るく眺望は抜群でした。会食は個人毎にお重に入れた料理が部屋に運ばれ落ち着いて料理を味わうことができました。大いに食べ飲み順番にそれぞれの近況を披露し語り合い再会を喜びました。一番下の写真は翌朝5:01 窓から見た日の出の状況です。バイキング朝食を頂きロビーでの朝市で買物をしホテルをチェックアウト。送迎バスで三浦海岸に出て京浜急行久里浜駅下車。徒歩で200m位歩き前の広場にポピーが沢山咲いていた久里浜駅からJRに乗り帰りました。
2014.08.24
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小田原東部の国府津・曽我地区は梅林で有名ですがこの一画にNPO法人小田原鋳物研究所があります。ここの所長を私の友人がやっており昨年8/23にはNHK総合TVひるまえほっと(関東地区のみ)で15分間紹介されました。以前私はここで作業を手伝ったり平塚市内の小学校で実施された出前授業に記録係として参加したこともあり現在は賛助会員となっています。5/13 総会の案内を頂き出かけました。国府津駅で御殿場線に乗り換え14:08 下曽我駅で下車。駅前や商店の店先には曽我の傘焼まつり(5/17~18)に使われる傘が飾られていました。研究所はバス停下曽我小学校前近くでしたが誤って中河原梅林の方に行ってしまい写真の案内図を発見。国府津方面に向かいました。14:47 研究所に到着。遅ればせながら総会に出席し事業報告・次年度事業計画と予算案の説明を受けました。素晴らしい音がする「さはり風鈴・持鈴」は三越日本橋本店・銀座店でも販売され大好評。出前授業や講座も継続しています。梅林と農地からは青梅1.2t、梅干500kg、ジャム100kg、ジュース40kg梅酒13kg、タクワン、ショウガ、ニンニクを生産。「さはり風鈴・持鈴」や農産物の生産はアリンコホーム(NPO法人紅の会 障害者福祉サービス)と提携し作業の一部を委託しています。総会終了後は研究所内を見学。工場内の機械や工具は良く整理され農場には新しい倉庫が建設中で体格の良い山羊が飼われていました。15:42 車に乗せて頂き研究所長のK氏宅に行き暫く歓談。徒歩で二宮駅北口商店街にある海鮮料理屋に行きました。脂ののった極上のマグロのトロ、太刀魚の刺身、トコブシ… を賞味。カウンター横にはマスターの奥さんと娘さんが作った絵を描いた瓶や烏賊の手芸品が並んでいました。その後マスターに教えられたカラオケスナックで2時間彼と交互に十数曲歌い気分を発散した後二宮駅で別れ帰途につきました。4/13 横浜の家の小庭を耕し乾燥牛糞とトラ五郎小屋で作った木灰を投入。近くのガーデンセンターで野菜苗を購入し植え付けました。一番上は行く途中で見たハナミズキです。昨年はインゲンを植え沢山収穫。今年はナス科植物を作りたいと思い値段は普通の苗の3倍しますが連作にも強いという接ぎ木苗(フルーツ中玉トマトルイ60・大玉トマト桃太郎T93)赤玉と黄玉のミニトマト・ナス・ピーマン苗を購入しました。下の写真は6/10の生育状況で背丈は180cmを越え実も大きくなり収穫が楽しみです。4/22 私の住んでいる家のサッシ戸を全部省エネタイプのペアガラス使用のものに玄関は2重カギの付いた防犯機能の優れたドアーに交換しました。4/28 前に使っていたサッシ戸は便利屋お助け本舗さんに横浜の父・母が住んでいた家へ運んでもらいました。その後運んだサッシは一旦ガラスと枠に分解。雨戸レールの外側に枠をビスで止める工事をした後で再び枠にガラスを入れしっかり固定しました。この結果3間の真ん中1間が外側から補強され真ん中の弛みが補正されたせいか雨戸も開け閉めがスムーズになりました。サッシのアルミ枠工事には充電式のBOSCH電動鋸を使いました。この鋸は刃を替えると植木の剪定にも使えチェーンソーに比べ大変軽く便利でした。2階の書斎の開口部も一部外側から戸が2重にになる形でサッシを強固に固定。耐震性能は飛躍的にアップしたと思います。5/6 連休最終日は孫達が湘南海岸公園に集合。ボール遊びをしクローバーの花を摘んで花輪を作ったりしました。暫し遊んだ後は息子の家に行き会食をしました。5/8 日帰り天然温泉「竜泉寺の湯湘南茅ヶ崎店」で入浴後久しぶりに「快飛」で食事。大きな赤い器に入った海鮮丼(快飛丼) を食べました。
2014.07.08
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時期的に遅れてますが前回に続き4月の出来事の続きです。4/10 平塚総合公園の北側にある湘南天然温泉「湯乃蔵ガーデン」までサクラさんとウォーキングをし入浴しました。平塚駅北口近くのレストランで昼食後北進。12:49 平塚八幡宮前に到着しました。境内には入らず西側にある旧横浜ゴム平塚製造所記念館に行きました。1905 日本火薬製造(株)が設立。英国人支配人の執務室あるいは住居として建設された建物は火災で焼失。1911再建され、その後海軍火薬廠の高等官クラブとして利用されました。1950 米軍より払い下げを受けたこの建物を横浜ゴム(株)が平塚市へ無償贈与。現在地に移築しました。この建物は平塚市内では唯一、神奈川県内でも数少ない明治時代の洋風建造物で中に入ると施設の方がギャラリーを案内してくれました。13:35 平塚総合公園東入口に到着。公園内には濃紅色で弁数が50枚程度あるカンザン(サトザクラの代表品種)が咲いていました。そして平塚球場横を北進し13:46 湯乃蔵ガーデンに到着。ゆったりと各種温泉を楽しみました。入浴後は平塚駅に向かい南進。17:08 夕暮れ迫る平塚八幡宮に到着しました。提灯の明かりが灯り(写真は明るさ補正をしました)池端には枝垂れ桜が咲いていました。平塚八幡宮を出て陸橋上から平塚駅北口方面をズームアップして撮影。駅前の居酒屋に入り飲食後帰宅しました。厚労省が平成24(2012)年に初算出した日本人の健康寿命(日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間)は男性:70.42才、女性:73.62才で平均寿命と健康寿命との差は日常生活に制限のある「不健康な期間」で 男性:9.13年、女性:12.68年となっています。最近日本人の65才以上人口が1/4に達したと発表されました。私も平均健康寿命をオーバー。毎日を如何に過ごすか気を遣っています。週3回を目標に3時頃よりスポーツクラブに出かけ水中歩行と軽いスイミングをした後付属のサウナとジャグジーで身体を癒し他の日は夕方1時間程度いろいろ方向を変えてウォーキングまたはサイクリングをします。4/16 この日はサクラさんと午前中にスポーツクラブに出かけ帰りに平塚駅南口近くにあるドイツ風レストランで食事をしました。4/17 母の命日でサクラさんと鎌倉霊園に行きました。10:37 大刀洗門前に到着。所々で芝桜が咲いているのをを見かけましたが並木の桜は終わっていました。長らく雑草が生い茂っていた隣の墓地が除草されていました。こちらも除草とカイドウ、アジサイ、ツゲの木を剪定。墓石の水洗後焼香をしました。11:15 鎌倉駅に出て昨年暮れに来て気に入った「あじたろう鎌倉店」」で昼食。帰りは大船でサクラさんと別れ、私は横浜の父・母が住んでいた家に行きました。4/24 前にも行ったことのある友人宅でタケノコ掘りとバーベキューを楽しむ会がありました。10:38 JR二宮駅に到着。駅前には新鮮な果物と色とりどりの花を売る店が目に留まりました。また傍らに児童文学作家・高木敏子の「ガラスのうさぎ」をモチーフとした少女像がありました。11:10 会場に到着。採りたてのタケノコを皮ごと焼いたり煮物にしたもの、鉄板で焼いた鹿肉や野菜野草の天ぷら、取り寄せたお寿司、会員が持参した完熟トマト… をいただきました。会が終了後は仲間の一人と川匂神社・西光寺に寄り帰途につきました。4/27 タウン紙で近々「平塚漁港の食堂」がオープンするとの記事を見たことがありこの方面を散策しました。15:30 湘南ひらつかビーチパークに到着。この日は曇天で時折雲間より陽が差す状況(撮影したものを明るさ補正しました)でした。若者がビーチバレーを楽しみ、カイトサーフィンをする人もかなり来ていました。平塚漁港の市場前に来てみると金網越しに案内板がありました。場所はここから少し離れたところにあり4/30 オープンでした。今度改めて行ってみたいと思います。
2014.06.24
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我が家のリフォームやパソコンの不調で撮り貯めていた写真の整理が出来ました。時期が遅くなりましたが順次私の備忘録として投稿いたします。今年の桜は各地で大雪がありましたが平年より1~5日早く開花しました。気象庁によると 那覇1/15、福岡3/19、高知3/18、大阪・京都3/27名古屋3/24、東京3/25、金沢4/1、仙台4/7、青森4/22、札幌4/29旭川5/2、稚内5/11、釧路5/12でした。(沖縄はひかんざくら、北海道はえぞやまざくら、その他はそめいよしの) 3/31 昨年も行った桜ヶ丘公園・花水川土手に自転車で行ってみました。花水川の海側から2番目の下花水橋から上流方向を見ると正面に大山が、西岸にサイクリングロードが見えます。さらに西には高麗山(168m)が迫っていました。この山にも桜が植えられ下から順次咲き頂上付近の湘南平は桜の名勝になっています。13:46 桜ヶ丘公園に到着。平日でしたが桜の木の下にはシートが敷かれ花見を楽しんでいる人達がいました。遊戯施設からは子供の歓声が聞こえ、ランニングしている人も見かけました。ここは県立の高校があったところで移植された大きな桜も根付き花を咲かせていました。公園から出て再び花水川東側土手を北に向け散策。対岸高麗山の麓・川辺の桜も見事でした。そして高麗大橋中央部からサイクリングロードの上を覆い被さるように北へ続く桜並木を見ました。サイクリングロードは花水川西岸にありますが橋から600m位の区間は桜の古木が上を被い、私の気に入った場所の一つです。並木が終わった地点で花水川は金目川・渋田川・河内川に分かれます。高麗大橋まで戻り東岸から北西方向には富士山が霞んで見えズームアップして撮影。金目川東岸の桜を見ながら帰途につきました。前回トラ五郎小屋に行った時帰りに水道の元栓を閉め忘れて帰ったのが気になりました。また一碧湖とその周りにある別荘地の桜が見頃ではないかと思い電車とバスを利用しハイキングを兼ねてでかけました。4/8 熱海より伊東線に乗り換えると列車は運良くリゾート21「黒船電車」でした。この車両は一部が海側に向けて座席が配置され窓から海上に初島がよく見えました。8:45 伊東駅着。駅前には前に行ったことのある赤沢日帰り温泉館の大きな看板が目に留まりました。コンビニで弁当とお茶を買ってバスでトラ五郎小屋に向かいました。10:05 小屋に到着。水道の元栓を閉め前回剪定した木や小屋の中の整理をして帰途につきました。16:16 別荘地内の桜並木のある所に到着し一碧湖に向け下り坂の桜の並木道をウォーキング。途中で素敵なカップルと出会い通り過ぎた後写真を撮らせていただきました。16:36 一碧湖畔に到着。ボート乗り場のあるところまで湖の縁を歩きました。白鳥や亀の形をした足漕ぎボートや普通の手漕ぎボートが並んでいました。湖の向かいには30年以上前子供が小学生の時サクラさんの友達家族と泊まったことのあるリゾートマンションが見えました。バスで伊東駅に着くと丁度東京駅直通の列車に乗車できました。
2014.06.14
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今年は2月にこの地方では希な大雪が降りました。その後は寒暖を繰り返し3月に入ると競うように花が咲きました。梅・桃・モクレン・レンギョウ・ユキヤナギ… 春はいいな~。4月には我が家のサッシ戸を全部ペアガラスで断熱・防音効果の良いものに交換しました。玄関の扉も開閉がスムーズでキーが2重のものに交換。これらのリフォームをするため部屋の中の物の整理や家具の移動をしました。そして前に使っていたサッシ戸はインターネットで便利屋さんを調べ横浜の両親が住んでいた家に運んでもらい再利用しました。あちこち出かけたこともあり、久しぶりのブログ更新です。体力保持にできるだけ歩く事に努め住宅地で見かけた色とりどりの草花を写真に撮ってみました。ある家ではフェンスに吊り掛けた鉢植えのパンジーが見事に咲いていました。また週に3回を目標に午後3時頃から「キッツウェルネス平塚」(スポーツクラブ)に出かけ45分水中歩行・短距離水泳をし、サウナとジャグジーで身体を癒しています。一番下の写真は前にも紹介したパン好房アッカアッカさんで孫へのお土産に買い求めたパンです。1985年に国際科学技術博覧会(科学万博-つくば'85)が開催されました。この年、我が家は車で2週間の北海道旅行(仙台~苫小牧はフェリーを利用)を決行。帰りにつくば万博を見学しました。そしてこの時利用したカローラバンは途中でラジエーターの水漏れなどがあったりして大変でしたが無事帰宅しました。この車はトラ五郎小屋で廃車にし物置代わりにブルーシートを被せ置いておきました。3/26 この車の処分と敷地内の植木の剪定のため伊豆に出かけました。車は低木で覆われた状態でこれらを取り除き中の物も全部出して整理。一緒に来た孫も切った枝を運んでくれました。息子と娘は今回買ったチェーンソーで大きくなった植木を大量に間引いたり枝落としをしました。4時に作業を終え前に泊まって気に入ったアンダ別邸に行きました。到着すると作務衣に着替え食堂で夕食をいただきました。この日も夕食の途中で消灯し誕生日の人を祝うセレモニーがあり食後はカラオケを楽しみました。朝食はバイキングでサラダをたっぷりいただきました。館内にはバリ島の雰囲気を出す調度品があちこちに置かれていました。食後トラ五郎小屋に移動。10時 息子がインターネットで予約してくれた廃車回収業者の車が到着しました。思い出深いカローラバンをクレーンでつり上げ敷地内からを荷台に移動。処分場に運んで行ってもらいました。
2014.05.29
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2/28 公園で孫娘が出場する保育園のマラソン大会が実施されサクラさんと見に行きました。前夜雨が降りましたので実施が危ぶまれましたが10時過ぎに園児が到着。準備体操をした後競技が実施されました。公園には少年野球の球場があり、その外側の周遊道を走ることになり昨年は4才児組で一周でしたが今年は5才児組のため2周しました。年少組の競技に続き年長組の競技を実施。年長になると男の子の中には活発な子がいて距離も長くなったためトップと2位の子は他の子よりかなり早く走り3位の子が走った後娘が4位で新たに張ったテープを切りました。10:19 競技は終了。2才児の下の孫娘のグループが先生に誘導されロープをしっかり握りしめながら歩いて来て公園に到着しました。3月前半は娘、一番年長の孫、サクラさんの誕生日が続き合同の誕生会をしました。サクラさんが作った俵型の手作りコロッケの夕食の後ケーキをいただきました。ケーキに蝋燭を点灯しフラッシュ無しで撮影。雰囲気のある写真が撮れました。3人には私がインターネットで調べて作った折り紙の花をあげました。3/8 DIY型ホームセンター「ユニディ」を覗いてみようと散歩に出かけたところ途中の平塚競輪場から放送や歓声が聞こえ立ち寄りました。15:52 競輪場入口に到着。近くにはイメージキャラクターのウィンディが置かれていました。平塚競輪場は今まで何度も近くを通ったことがありましたが中に入ったことはありませんでした。入ってみると湘南カップ2014 BMXフラットランドコンテストが実施されました。前輪と後輪の車輪軸に足置きがありハンドルは自由に回転できる車輪が小さい自転車で驚異的なアクロバット運転が披露されました。ソチオリンピックをテレビで観戦した時フィギュアスケートスノーボードのハーフパイプ、フリースタイルモーグルで高難度の技を見ましたが今回は近くでこれらを見ることができ感嘆しました。動画撮影したものから静止画を取り出し編集しましたがYouTubeでもこの様子が見られますのでこちらをご覧ください。16:32 競技は終了しイベントステージに移動しました。表彰式が行われる前に競輪場を見に行きました。「湘南バンク」の名称のこの施設は1950年開設。バンク内には睡蓮の浮かぶ大きな池があり外から想像していたよりもずっと綺麗な所でした。16:45 大型スクリーンのある屋内広場で各種の表彰があり終了後はユニディには寄らず帰宅しました。
2014.04.22
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2月中旬には近年希な大雪が降り、その後も寒い日が続きました。ここに来て急に気温が上昇。昨日は市内の桜ヶ丘公園に自転車で行ってきました。桜は5分咲き。今日は満開となるでしょう。ソチオリンピックの観戦と「あし@」終了にともないAmebaブログ「Tora5rouのブログ」を立ち上げました。このブログのアクセスUpをと「リードメール」に加入し運用。現在ではジャンルランキングで旅行と地域情報部門で20位以内に入ります。こうしたこともありブログの更新が疎かになってしまいました。桜情報満載のブログを拝見するとやや季節外れになりましたが北国の方もいますし私の備忘録として前回に続く雪情報とオリンピック情報をまとめておきました。2/15 9:14 雪がやんだので防寒具で身を固め雪景色を見に行きました。雪の中に真っ赤なアロエの花、水仙、まだ固い梅の蕾を発見。湘南海岸公園では雪で枝が折れた松が始末されていました。西湘バイパスも車が通った所以外は雪に囲まれひらつかビーチ公園のウッドデッキやビーチバレーコートも雪に埋もれていました。2/16 日曜日で朝から快晴。この地方では滅多に見られない雪景色を見に出かけました。バスはタイヤにチェーンを巻いてオレンジの車幅灯をつけ運行。住宅地では庭に雪だるまを見かけました。7:26 湘南海岸公園に到着。雪の平原に立つ風に耐えた松が印象的でした。犬を連て散歩に来られた方がいました。 大喜びで雪原を走り回る犬もいる一方どうしても雪面に降りたがらない犬もいました。あちこちで枝が折れたり根元から倒れた木を見かけました。7:42 ひらつかビーチ公園に到着。昨年12月とは景観が全く異なります。太陽を浴びた海面と雪原が輝き、正面には伊豆の大島がはっきりと見えました。サーファーと釣り人を発見。雪が降っても海水の温度はあまり変わらないようです。場所によって30cm位の積雪があり、私が歩いた足跡が残りました。ビーチバレーコートに雪だるまを発見。ウッドデッキを散歩する人、離れたベンチからは詩吟の声が聞こえサーファーも続々と詰めかけました。2/7~23 第22回冬季オリンピック(ソチ)大会が実施されました。総メダル獲得数は自国開催の長野大会(10個)に次ぐ歴代2位の8個。平野歩夢(15才)は冬季五輪日本人最年少で葛西紀明(41才)は冬季五輪日本人最年長でメダルを獲得しました。羽生結弦(フィギュアスケート男子)が金メダルを獲得。竹内智香(スノーボード女子パラレル大回転)葛西紀明(ジャンプラージヒル)渡部暁斗(ノルディック複合ノーマルヒル)平野歩夢(スノーボード男子ハーフパイプ)が銀メダルを獲得。小野塚彩那(フリースタイル 女子ハーフパイプ)スキージャンプ団体(葛西紀明、伊東大貴、清水礼留飛、竹内択 )平岡卓(スノーボード男子ハーフパイプ)は銅メダルを獲得しました。メダルには届きませんでしたが上村愛子(フリースタイルスキー 女子モーグル)高梨沙羅(スキージャンプ 女子ノーマルヒル)町田樹(フィギュアスケート 男子シングル)浅田真央(フィギュアスケート 女子シングル)高橋大輔(フィギュアスケート 男子シングル)鈴木明子(フィギュアスケート 女子シングル)カーリングの活躍が印象に残りました。注目のフィギュアスケートは男子シングルは羽生結弦:金パトリック・チャン:銀デニス・テン:銅。女子シングルはアデリナ・ソトニコワ:金キム・ヨナ:銀カロリーナ・コストナー:銅でした。SPでまさかの16位の浅田真央がフリーでは6種類の3回転ジャンプを8回跳び自己ベストを更新する最高の演技をし6位に入賞。ユリア・リプニツカヤ(ロシア:15才)の演技はスピードと流麗さがあり柔軟性に富んだビールマンスピン(キャンドルスピン)は大変魅力的でした。2/22 エキシビションには羽生結弦、町田樹、浅田真央、高橋大輔央が出演。素晴らしい笑顔の楽しい演技で今回のオリンピックでは一番印象に残りました。
2014.04.02
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2/11 私の誕生日に子供と孫が集まり誕生日を祝ってくれました。(昨年も自宅でし、一昨年は海鮮問屋ふじ丸で古希の祝いをしました)娘と孫がお祝いのカードを作って持ってきてくれました。Happy Birthday は娘が書き、手を繋いだ人は小学2年の孫が制作。文字は5才の保育園児の孫が書きました。テレビが置いある食器を入れた棚の前には色紙で作った飾りケーブルが張られ私はアルミホイルで作った王冠を頭に被せてもらいました。息子が大吟醸「北秋田」を持参。サクラさんが作った砂肝の煮物、天ぷら、野菜サラダ、うどん、… 海鮮問屋ふじ丸のお寿司(二皿)も加わり皆でいただきました。2/8 前線を伴った低気圧が日本列島の南をゆっくり通過したため中国・四国地方から東北地方にかけて大雪となり3時に1002hPa(四国沖)だった低気圧は2/9 3時には984hPaに発達。岡山で20年ぶりに9cm、京都心で45年ぶりに27cmの積雪が観測されさらに東海地方で午前中、関東地方で夕方から夜にかけてまとまった雪が降り千葉で歴代最深となる33cmの積雪を記録(千葉県では北西部や房総丘陵などで積雪が40~60cmに達した地点もありました)。また、東京都千代田区大手町で観測史上8位となる最深積雪27cmを記録。東京都心でも45年ぶりの積雪25cm以上を記録しました。8日の最高気温は平年より5℃以上低くなったところが多く全国のアメダスのうち393地点では最高気温が0℃未満の「真冬日」となりました。翌9日には低気圧が北東に移動し仙台市で1926年の観測開始以来歴代3位となる最深積雪35cmを記録。北海道では8日朝の冷え込みが強まり北海道の11地点で最低気温が-30℃以下となり(最低は幌加内町の-33.8℃で、平年比-18℃)札幌は-14.3℃で平年を7℃下回りました。そしてさらに2/14~16 日本の南岸を急速に発達した低気圧が通過し再度日本各地は大雪に見舞われました。14日の日中、紀伊半島は大雪となり奈良では15cm、津では13cmを記録。14日夕方から15日朝にかけては特に山梨県で記録的な大雪となり甲府で114cm、河口湖でも143cmといずれもそれまでの過去最深積雪を大幅に塗り替える積雪を記録しました。関東地方では秩父で98cm、前橋で73cm熊谷で62cm、宇都宮で32cmと過去最深積雪を記録。東京都心でも8日に続いて東京都千代田区大手町で最深積雪27cmを記録し大手町から1km離れた北の丸公園試験観測場では39cmの積雪となりました。湘南地方も朝からぼたん雪が降り一面モノクロームの世界となりました。丁度この日は15時から太極拳を取り入れた健康体操クラブの日。参加者が少ないと指導して下さる方に申し訳なくこの地方でこれだけの雪景色はなかなか見られないと思われ防寒具に身を固め出かけました。14:16 湘南海岸公園に到着。芝生は雪で真っ白でした。湘南ひらつかビーチ公園に行ってみると昨年12/22 クリスマスビーチフェスタが実施されたウッドデッキもビーチバレーコートも雪に埋もれていました。私以外に誰もおらず歩いてきた足跡が鮮明に残りました。公園の案内板と信号の赤だけがカラーなのが印象的でした。14:50 なぎさふれあいセンター体育館に到着。15時から準備運動の後に練功十八法(中国の整形外科医師荘元明が首・肩・腰・足の痛みを持つ患者の多さに直面しこの痛みを取り除く新しい方法を探究して編み出した体操)をしました。この日の参加者はいつもの半分程度でしたが皆元気よく身体を動かしました。
2014.03.28
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2014奄美大島の旅RCの続きです。奄美リゾートばしゃ山村の浜やどり東館に宿泊しました。昨日泊まったホテルニュー奄美が東シナ海に面する名瀬にあるのに対しこちらは奄美空港に近い太平洋に面する用安海岸にあります。2F スーペリアトリプルの部屋からは海がが一望。6:53 日の出直前の海岸に出ました。7:08 1Fのレストラン・AMAネシアでバイキングの朝食。食事中に朝日が昇り美しい浜辺の光景が眼前に広がり食後は海辺で珊瑚礁の欠片を拾い岩場に登りました。小屋で塩を作っている人がいて話を聞いた後サクラさんは出立準備で部屋に戻り私は昨夜行った民俗村方面を散策。寄門の近くにはピンクの可愛い花が咲いていました。民俗村受付の建物近くや奄美リゾートばしゃ山村の建物のあちこちにケンムン(奄美群島に伝わる妖怪)が可愛らしく描かれていました。プールもあり2010年12月に行ったハワイ旅行を思い出しました。BEACH HOTEL 浜やどり本館入口は緑の植樹と植木鉢に囲まれ島おこし市場の入口も南国ムードがたっぷり。ケンムンが住む島のアニメにはハブも可愛らしく描かれていました。泊まった東館の目の前は珊瑚が砕けた白い浜が広がり部屋から海水着で行けます。建物が浜にあまりに近いので台風の時波が来ないか心配です。9:00 の予定時刻よりも早く全員が集合しホテルを出発。9:21 奄美大島最北端にある笠利崎灯台下の駐車場に到着しました。白い角形の灯台は標高67mの高台にありここまで登ると眼下に太平洋が見渡せました。海辺には無数の岩があり、珊瑚や海洋生物の宝庫と思われました。駐車場近くには撫でると夢が叶うというカメの石像がありました。10:01 ソテツの群生地に到着。あやまる岬観光公園を見下ろす丘の上まで散策しました。ソテツは1年間に2鱗片分(2~4cm)しか成長せず時には葉をつけない年もあり幹が1m成長するのに40年以上かかるといわれています。10:35 奄美10景ひとつでもあるにあやまる岬到着。眼下に小高い丘の上の白い展望台とあやまる岬観光公園が見えました。「あやまる岬」の地名の由来は、太平洋につき出した岬がこんもりと丸い地形で綾に織りなす「まり」に似ていることから、その名がついたといわれます。4haの園内には多目的広場、様々な遊具施設、海水浴スペースを整備。しかしこの日は冬の平日のためか子供達の姿は見えませんでした。11:10 けいはんひさ倉に到着。奄美大島の代表的な郷土料理「鶏飯」をいただきました。奄美群島が薩摩藩の支配下であった頃島民が薩摩藩の役人をもてなすために作られた料理だそうです。ご飯の上に具を載せ、熱い汁をかけていただきました。12:13 奄美物産センターに寄り土産物を物色しました。12:48 奄美大島酒造(株)に到着。黒糖焼酎の工場を見学後試飲コーナーでこれらを味わいました。こちらに寄ることはあまり気にしてなかったためホテルで土産に「高倉:アルコール30%」を買いましたがいろいろ試飲した結果さらにハイグレードの「浜千鳥乃詩 原酒:アルコール38%」を購入しました。14:50 奄美空港発のJAL1956便に搭乗。帰りの飛行機は黒糖焼酎の試飲が効いてすっかり寝てしまい気がつくと機内より着陸態勢に入るとのアナウンスがありました。空港到着後はリムジンバスで横浜に出て無事に旅行を終えました。旅行の1週間後と2週間後、羽田空港にもかなりの降雪があり一時離発着が出来なくなり鉄道も混乱。これに巻き込まれず予定通り旅行ができたのは大変ラッキーでした。
2014.02.24
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2014奄美大島の旅RBの続きです。奄美大島南部の瀬戸町古仁屋港から加計呂麻島へは瀬戸内町営フェリー「かけろま」が1日に瀬相港へ4便生間港へ3便運行されています。この他に海上タクシーがあり今回のツアーでは2隻の海上タクシーを利用しました。12:35 海上タクシーは古仁屋港を出港。12:50 加計呂麻島生間港に到着しました。島内は小型の加計呂麻バスで巡りました。運転手さんが観光ガイドをし、島の生活についても沢山話してくれました。加計呂麻島は面積が77.39 km2、人口約1400人ですがハブや猪は人よりも圧倒的に数が多いそうです。ハブは温かくなると道路にもよく出てくるため、島の人は道の真ん中を歩き見つけるとこれを退治するための竹竿がいたるところに立てかけてありました。バス運行中もハブを見かけると停車し、運転手がこれを捕獲。1匹4000円で役場が引き取ってくれるそうです。諸鈍に着くとバスに乗ったままデイゴ並木の下をゆっくり走り映画「男はつらいよ」に使われたリリーさんの家も窓越しに見ました。バックで諸鈍の駐車場まで戻り下車。長浜海岸を散策しました。沖合に請島が見え、手前に岩礁があり、海は波が少なく湖のようでした。諸鈍は壇ノ浦の戦いで敗れ落ち延びた 平 資盛 一族が居城を構えたと伝えられます。諸鈍集落は国指定重要無形民族文化財に指定され「諸鈍シバヤ」という村芝居が伝承されています。映画「男はつらいよ」ロケ地の記念碑がありました。男はつらいよ全作品覚え書ノート 第48作「寅次郎紅の花」- 吉川孝昭を見ると映画のシーンが鮮明に思い出されます。バスに乗りスリ浜に行くと、ここにも記念碑がありました。ブログ「こころゆったり島時間」や「奄美大島 ダイビングライフ」を拝見すると加計呂麻島の生活や奄美の素晴らしい海中の様子を知ることが出来ます。14:18 加計呂麻島東端安脚場戦跡公園に残存する弾薬庫跡と金子手崎防備衛所跡を見学。1941 海軍によって砲台として整備された防備衛所の屋上からは大島海峡を一望することができました。15:25 呑之浦の 島尾敏雄文学碑 前に到着。寒緋桜が咲いていました。島尾敏雄(1917~86)は死の棘を書いた作家。1944年 震洋特攻隊隊長として加計呂麻島に赴任しました。15:35 特攻艇震洋基地跡を見学。瀬相港から海上タクシーで奄美大島の古仁屋港に戻りました。16:17 古仁屋からバスに乗り58号線を北上。18:20 奄美リゾートばしゃ山村に到着しました。宿泊ホテルの部屋に荷物を置いた後、島おこし市場前に集合。民俗村の村長宅に案内されました。直径30cmのお椀に郷土料理を入れたものを食べながら島唄を聞きました。食事が終わると村長から挨拶があり、参加者全員に右手中指にはめる赤い指飾りとソテツの葉で作った髪飾りが贈られました。そして全員これを付け前庭に出て、手踊りを楽しみ、お開きとなりました。私のブログ名は寅さんとTVドラマ「北の国から」に登場する五郎さんから付けました。五郎さんゆかりの地の記録は思い出の北海道旅行Lに投稿しました。今回加計呂麻島が寅さんのロケ地であったことは行って初めて知り投稿記事も寅さん情報をかき集めて書きました。3日とも天候に恵まれたのは何より幸いでした。加計呂麻島は人口が年々減少し、夏は台風が一番勢力が強い時来襲。ハブが多いとのことですが、自然に恵まれたとても素晴らしい所でした。
2014.02.17
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2014奄美大島の旅RAの続きです。宿泊ホテル(ホテルニュー奄美)は名瀬の真ん中に位置し最近リニューアル。ビジネス用が主でシングルの部屋が多く今回は申し込みが遅かったためか泊まる部屋はサクラさんとは別屋(7Fで向かい合わせ)でした。個室も新しく綺麗で付設の浴室も利用しましたが浴槽は深いタイプ。肩までゆったりと浸かれました。6:30 2Fのレストランでバイキングの朝食。ヨーグルトもフルーツを入れたっぷりいただきました。ロビーに集合すると熱帯魚の水槽があり 7:55 ホテルを出発しました。8:10 大浜海浜公園に到着。貝殻ステージ広場や海洋展示館がありました。あいにくの曇天でしたがガイドさんの説明によると大浜ビーチは東シナ海に面し感動的なサンセットで知られる所。青い空、碧い海、白い砂と自然景観に恵まれた海水浴場とのことでした。かやぶき屋根の休憩所や高倉もありました。高倉の柱の楔は台風の時は外して結合を緩める装置で現代流に言うとショックアブソーバーだそうです。奄美の生物の写真は次に行ったマングローブ館で見たものです。9:28 黒潮の森マングローブパークに到着。このパークは島内で最大の役勝川と住用川が合流する河口域にあります。メヒルギ、オヒルギを主とするマングローブが71ha以上にわたり群生しています。マングローブ館のシアター室では奄美の自然と干潟に生きる動植物が紹介されました。オプションで60分のカヌー体験(1,500円)があり全員でカヌー発着所まで行きました。途中道沿いに寒緋桜(奄美では緋寒桜と呼ばれる)が咲いていました。カヌー発着所の近くで見ているとカラフルなカヌーは下流方向に漕ぎ出して行きました。カヌー発着所横からマングローブ展望所へ長い鉄の階段を上がりました。10:04 展望所に到着。眼下にカヌーと役勝川と住用川の合流地点が見えました。集合場所への帰りに寒緋桜をアップで撮影。ソメイヨシノよりずっと赤みを帯びていて花は下向きに咲いていました。マングローブ館の売店でパッションフルーツのアイスキャンディーを購入。清々しい酸味と香りを味わいました。奄美大島を南北に走る国道58号線(沖縄に続いている)を南下。ガイドさんが奄美大島の説明をし、島唄を歌ってくれました。奄美大島の面積(712.00km2)は沖縄島(1204.01km2 )佐渡島(854.07km2)に次ぐ大きさの島で対馬島(696.10km2)や淡路島(592.00km2)より大きい島であることを認識しました。高知山横の地蔵トンネルを抜けると眼下に大島海峡と加計呂麻島が見えました。11:40 瀬戸内町古仁屋港に到着。せとうち海の駅2Fのシーフードレストランで食事をしました。食後は1Fに「男はつらいよ」に関連する寅さんの資料コーナーがあり見学。マドンナは浅丘ルリ子さんです。1995年に公開された『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(第48作)は渥美清が肝臓癌で1996年8月4日に死去したためこのシリーズの最終作になりました。男はつらいよ全作品覚え書ノート 第48作「寅次郎紅の花」- 吉川孝昭を見ると映画のシーンが鮮明に思い出されます。海産物即売所では鯛の切り身(500円)や水槽に入れた生きたエビが売られ土産物店ではパッションフルーツを袋詰めしたものを見かけました。
2014.02.12
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久しぶりのツアー旅行にサクラさんと参加しました。「『東洋のガラパゴス』といわれる南の楽園 いも~れ奄美3日間」という企画で保育園に通う孫の健康状態を見ながら締め切り直前に申し込みました。4回に分け投稿いたします。1/26 日曜日のため東海道線は座れ9:10 JR横浜駅に到着。YCAT(横浜シティ・エア・ターミナル)からリムジンバスで羽田空港に向かいました。バスの中から横浜ベイブリッジ、MM21のビル群を眺め鶴見つばさ橋を渡ると巨大な風車が目に付きました。9:45 羽田空港第1ビルに到着。集合時間は10:50 で電光掲示板で出発時間を確認後ビル内を散策。昼食としてラーメンを食べました。11:40 奄美空港へ直行するJAL1955便は出発時には満席でした。暫くすると眼下に湘南海岸が見下ろせましたがその後は雲の上を飛び富士山は見えませんでした。14:10 奄美空港に予定通り到着。思ったよりもしっかり整備された空港でした。この空港は旧奄美空港(1964供用開始:1,240m滑走路)の北方約2km地点の沿岸海域を埋め立てて造成され(2,000m滑走路)1988年から供用を開始。ジェット機の運用が可能になりました。空港からバスに乗車し旧奄美空港跡地に開設された奄美パークに行きました。パーク内の奄美の郷は白い貝殻をモチーフにした外観で建物内の梁などは琉球松の大断面集成材を使用。奄美シアターで奄美の自然等の紹介がありました。その後は自由散策で時間があるため隣接する田中一村記念美術館に入りました。この美術館は奄美の海をイメージした池に3棟の高倉が浮かぶユニークな設計となっていました。田中一村(1908~77)は50才を過ぎて奄美に移住。紬工場で染色工として働きながら絵を描き続けました。奄美の鳥や自然を描いた日本画は驚くべく詳細さで描写。私は室内の照明がもう少し明るい方が見やすいと思いました。館を出て奄美の植物・実・ハイビスカスを見ながらパーク内を散策。15:14展望台に到着しました。エレベーターで上がると飛行場から洋上に並ぶ飛行機の誘導灯や白い貝殻の形をした奄美の郷が眼下に見えました。15:40 集合場所の奄美の郷に戻り時間まで総合展示ホールを見学しました。16:20 大島紬村に到着し伝統工芸の特色や作業課程の説明を聞き工房を見学。帰ってからさらに「よくわかる!大島紬(総集編)」でその作業の大変さを再確認しました。ティーチギ(シャリンバイ)の樹皮の煮出し汁により色を染め鉄分の多い泥土につけて発色させることは初めて知りました。売店では大島紬最高級ブランド「都喜ヱ門」の服、ストール、帽子ハンドバッグ、ネクタイ、小物… を見ましたが大変素晴らしい!。しかし手が込んでいるだけに何れも高価でした。工場内庭園には高床式穀物倉庫の高倉がありました。高倉はかやぶきで通気性がよくネズミの害を防ぐため丸柱に磨きをかけ、釘は一本も使わない建築学、民俗学上貴重な遺構だそうです。工房見学後は1日目の宿泊地ホテルニュー奄美に行き到着後入浴をしました。ホテルは飲食街の中にあるためこの日の夕食は各自でとることになり私たちはオプションの「島郷土料理膳」を申し込みました。18:20 ホテル1Fに集合。徒歩5分の割烹「吟亭」に行きました。店主の松山美枝子さんは1999年に行なわれた「奄美民謡大賞」大会で最高賞の大賞を受賞した島の唄者でこの日は2人の孫娘さんも登場。太鼓を叩き三味線を弾き時に一緒にのびやかな声を聴かせてくれました。「島郷土料理膳」はゴーヤの梅肉和え、トビ貝、活き車海老の塩焼きお造り、烏賊とつきあげの米粒味噌炒めくわり炒め(田芋の茎)、島もずく、黒豚骨と島野菜の炊き合わせ油ソーメン、イカ墨汁とご飯(香の物)でした。島唄をたっぷり聴いた後はお客全員が立って島のブルースに合わせた八月踊り・六調で場は最高潮に達し、お開きとなりました。
2014.02.07
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1/5 平塚駅方面をサクラさんと散策しました。途中で太陽光と風力発電装置を設置した幼稚園や玄関前の路地にシクラメンを植えている家を見かけました。アンパンマンとバイキンマンの石像が並んで置かれた公園もありました。昨年12/19「餃子の王将」の社長だった大東隆行さんが京都の本社前で射殺されたショッキングな事件がありました。平塚駅西口のすぐ側にお店があったことを思いだし行くことにしました。「王将」の餃子の仕込みは機械ではなく各店舗のスタッフによる手作業で調理され他の中華料理もリーズナブルな価格で美味しいと大人気… の報道もありました。12:45 餃子の王将に到着。入ってメニューを見ると餃子(6ヶ):220円、王将ラーメン:440円中華飯:440円… なるほどリーズナブルな価格設定でした。中華飯とラーメンをセットしたものを注文しましたがボリュームもたっぷりでした。私は中華料理やイタリヤ料理よりも和食や普通の洋食の方が好きです。今回お店で食べた餃子はパリット皮が焼けていて良いと思いましたが中華飯とラーメンは若者向きで私には味が濃厚過ぎる感じがしました。1/11 平塚海岸方面を一人で散策しました。15:35 ひらつかビーチ公園に到着。冬でも浜辺近くに人がいて午後の陽を浴びた海面は輝いていました。連凧を揚げている人や犬を連れた人も見かけました。長大なウッドデッキで日向ぼっこしている人がいる傍らでビーチサッカーチームがミーティングをしていました。平塚三嶋神社には初詣や夏祭り・須賀の祭りに何度も行きましたが恵比寿祭りには行ったことは無く出かけることにしました。1/19 13:32 平塚三嶋神社に到着。思ったよりも多くの人出でした。神社の入口には新春えびすまつりの提灯が掲げられ参道脇にはお店が並び高い幟も建っていました。『家内安全、商売繁盛で笹もってこい♪』のかけ声で有名なこの祭りは開運の神さま「えびすさま」のご神徳をたたえ商運業の繁栄と家庭円満を祈願する名物まつりです。本殿前には参拝者が並び、福笹と縁起物を2,000円以上買うとハズレなしの福引きが楽しめる福引所を開設。参加費1万円で記念品(お神札、福マス)と会食が受けられる福男・福女も募集していました。提灯や飾りが付けられた舞台が設けられ七福神が登場。続いて福娘歌謡ショーと福男・福女による開運福まきがありました。今年の福娘は杜このみ(テイチクレコード)でした。彼女は4 歳より民謡を習いはじめ、数々の大会で賞を獲得。その後も民謡歌手として活動し18 歳の時に細川たかしに見出され師事(2013 レコード大賞 新人賞を受賞)。三橋三智也・細川たかしの流れを組むハリのある歌声を聞かせてくれました。外気は5℃前後で防寒着に身を固めた聴衆の中で彼女は振り袖。それでも明るく元気に唄っていました。その後福男・福女による開運福まきがありましたが一旦帰り提灯が灯る頃もう一度来ることにしました。帰りに山形産の梨(ラ・フランス)とリンゴを購入。巨大なラ・フランスは帰って食べましたがとても甘くジューシー写真のものは全部で600円、大変得をした気分でした。16:44 再度平塚三嶋神社に出かけました。境内の提灯が灯り、はっぴ姿の人を多く見かけました。16:56 杜このみさんはブルーの着物でこの日2度目の福娘歌謡ショーに立ちました。日が落ちて暗くなる中、照明を浴びながら民謡で鍛えた彼女の張りのある歌声が辺りに響きました。帰りにもう一度リンゴを購入。店じまいを始めていて、おまけ付で12個200円でした。
2014.01.25
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毎年正月2日・3日に実施される東京箱根間往復大学駅伝競走は今年90回目を迎えました。往路(108.0km)は5.24.45で東洋大学が優勝しました。ここで特に注目されたのが2区で2位に順位を上げた服部勇馬と設楽啓太・悠太の双子の兄弟です。3区の悠太が区間賞の走りでトップに立ち、5区で啓太も区間賞を獲得。往路史上2位の高速タイム(5.27.13)での勝利を導きました。(2位は駒澤大学で59秒差)復路で東洋大学は7区を服部弾馬(2区勇馬の弟)8区を高久龍、10区を大津顕杜が区間賞の快走。復路は5.25.38で新記録を樹立し最終的に10.52.51で総合優勝しました。東洋大学の10人の駅伝走者の中に服部ブラザーズと設楽(したら)ツインズがいて大活躍したことは少子化社会に突入している現在、新年の明るい話題となりました。この駅伝のコースは東海道(1号線)を主に走りますが8区(2区)の平塚ー戸塚間(21.5km)は西湘バイパスと湘南新道を走ります。平塚市唐ヶ原中継所と茅ヶ崎市浜須賀交差点間の西湘バイパスは私にとっては何度もサイクリングやウォーキングした馴染みの場所で今回もこの区間のテレビ中継は全部見ました。実際に選手がこの区間を走っているのを見ると周りの景観が思い浮かびます。時期や季節は色々ですが過去に私が撮った写真を中心に思い出深い情景を纏めて見ました。平塚中継所は花水川の河口に近い場所で北側の高麗山頂上付近には湘南平と呼ばれる公園があります。テレビ塔と見晴台がありこの写真は見晴台から東方を撮影したものです。相模湾の写真中央には相模川河口から張りだした砂嘴が見えますがその後ここには平塚新港が建設されました。さらに上に目を転ずると江ノ島が遠望されます。中継所南~大磯漁港間の海岸は日本の海水浴場発祥の地で海水浴をする人やサーファーで賑わい漁港の防波堤では多くの釣人を見かけます。高麗山と花水川の堤には多くの桜が植えられ桜の名勝となっています。花水川橋を渡ると平塚海岸沿いを走ります。一番上の富士山は大磯城山公園の展望台から撮影。その下は平塚市桜ヶ丘公園から高麗山を眺めた風景です。虹ヶ浜から袖ヶ浜と呼ばれる平塚海岸は四季にわたり波打ち際をよく散策しました。時に冬の日没間際にサーフィンを楽しんだりカイトサーフィンやヨットを楽しむ若者も見かけました。夏の間は監視員付の海水浴場が一画に開設され、多くの人で賑わいます。一番下の写真は茅ヶ崎海岸から超望遠で富士山を撮ったものですが平塚海岸に立ち見る富士山に一番近い感じがしましたのでここにいれました。冬の写真のため富士山は雪を抱き海岸の人影はまばら。左のコブ状の山は金時山です。高浜台南側の西湘バイパスは以前は相模川と花水川の橋がネックとなり交通渋滞で有名な場所でしたが現在は橋も車道も立派に整備されました。右上の写真は2009年の箱根駅伝でその下3つとパトカー先導の写真は2011年11月湘南マラソンに知人が出場した際に撮った写真です。2009年の大寒に近い早朝、朝日を撮るため平塚海岸に行ったところ多くの釣人の中にサケ位の大きなスズキを釣った人を見かけました。高浜台の陸橋を渡ると湘南ひらつかビーチパークがあり長大なウッドデッキとその前面にビーチバレーコートが常設されています。ビーチスポーツ大会やクリスマスビーチフェスタを見に行ったこともあります。平塚では夏に湘南ひらつか七夕まつり(七夕A、七夕B)三嶋神社浜降祭、花火大会が実施されます。相模川河口から上流の馬入ふれあい公園への堤の道を歩いたり河口西側にある平塚新港から西へ波打ち際を歩きながら夕日を眺めることもできます。相模川河口一帯は湘南潮来とも呼ばれます。河口西側の千石河岸には釣り船を所有する店が数軒ありウインドサーフィンの舟モーターボート、納涼船、海釣りに出かける船を見かけます。トラスコ湘南大橋を渡ると橋下付近はゴルフ練習場で下水道柳島管理センター北側には長大な陸橋があります。このセンターの上は柳島しおさい広場になっており湘南大橋の後方に富士山が見えました。またセンター南側の海岸は潮流により海岸の浸食を防ぐために置かれた岩石海岸になっています。朝日撮影のためこの辺を歩いたことがあり柳島海岸から江ノ島に向けてはサイクリングロードが整備されています。海上には烏帽子岩が見え、やがて茅ヶ崎漁港に到着。港東側の中海岸はサザンビーチと呼ばれ「茅ヶ崎サザンC」と呼ばれるモニュメントがあります。カメラアングルでCの切れた部分に江ノ島を見ることが出来ます。さらに西進すると東海岸には海に突き出たヘッドランドがあります。先端の岩礁から見る富士山は素敵で東側に目を転ずると江ノ島も目前でした。そして菱沼海岸から浜須賀と進み、浜須賀交差点に到着。駅伝のコースはここから湘南新道を走り戸塚中継所に向かいます。第8区を走った高久龍は平塚中継所で1位の服部弾馬から2位の走者より37秒早くバトンを受けこの区間でさらに1分46秒に差を広げました。トラスコ湘南大橋を渡る彼の姿は前を走る広報車のカメラでテレビ中継されましたがとても凛々しく感動的でした。
2014.01.13
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トラ五郎の年末~年始の出来事を備忘録として纏めました。12/26 年末の墓参にサクラさんと鎌倉霊園に出かけました。平塚駅南口に近いJA湘南本所ビル前で農協の方が新鮮な野菜や花を売り始めたところで墓参用の花を購入。10:21 鎌倉駅に到着。バスに乗車し大刀洗で下車しました。バス停からお墓の間には石造りの置物が各所にあり墓に着くと除草とツゲ玉・アジサイ・カイドウの剪定をし花を供え焼香しました。12:33 鎌倉駅に戻り昼食場所を探しました。父母が一緒だった頃は駅ビルや近くの和食店で懐石料理をよく食べました。駅ビルの食堂街を見た後小町通りを歩き居酒屋「あじたろう」に入りました。入口が狭く静かで開店前かと思いましたがドアーを押し中に入るとほぼ満席。大あじフライ定食、寒ブリのお刺身、こだわり鯛出汁!!明石焼き寒ブリのたっぷり葱しゃぶ(写真なし)をいただきました。私は熱燗でいただきましたがどれも美味しくまた行きたいと思いました。12/31 サクラさんがインターネットで注文した岐阜県(株)サラダコスモが作ったおせちが送られてきました。箱の中には赤と黄色の風呂敷に包まれた2段重ねの料理と栗のお菓子が入っていました。恒例のNHK紅白歌合戦はバラエティー番組の色彩の濃いものでした。朝ドラ番組「あまちゃん」の出演者を大勢登場させ北島三郎の紅白最後のステージも力の入れすぎシニアの演歌歌手の後ろで若者の歌・ダンスグループを一緒に演技させ視聴率を稼ぐために明るく賑やかな番組にしたという意図を感じました。1/1 朝はお屠蘇とサクラさんの関東風お雑煮をいただきました。昼前に息子と娘家族が到着。ちこり村の田舎の手づくりおせちを開封。サクラさんが作った料理と一緒にいただきました。「ちこり」は水耕栽培で作られる発芽野菜で極小の白菜の中心部のような形をしていました。しゃきしゃきとした水々しい食感ですが一番の人気は栗きんとんでした。食後孫たちはパパ・ママ・サクラさんと一緒にウノをして楽しみました。1/2 午後サクラさんと平塚七福神巡りで訪れたことのある三嶋神社を参拝しました。昨年井の頭弁財天で求めた破魔矢を返納し参拝した後巫女さんから御神酒を頂き今年も病気や災害から護って貰うために新しい破魔矢を求めました。おみくじはサクラさんが24番の大吉、私は39番で吉でした。えびす様もしめ飾りと両脇にぼんぼりが置かれ境内は提灯が吊されていました。神社入口近くには風雪に耐えたという感じの松の大木がありました。一番下は破魔矢に着いていた絵馬で神社のすぐ前の材木店には並べた木材に年賀の絵が描かれていて目を引きました。
2014.01.07
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11/23 大磯城山公園に行きましたがこの時旧吉田茂邸のことを知り今回こちらに行きました。この邸宅は吉田茂の養父吉田健三が1884年別荘として建設。その後増改築を重ね吉田茂(1879~1967)が生涯を閉じるまでを過ごしました。2009年3月旧吉田茂邸は焼失しましたが大磯町が町有施設として整備し9/22 庭園が公園として公開されました。(旧吉田茂邸は来年度以降に整備予定)今回も自転車で行くと1号線沿いの入口には県立大磯城山公園旧吉田茂邸地区の大きな表札が掲げられていました。12:25 内門前に到着。内門(兜門)は1951年のサンフランシスコ対日講和条約を記念して建てられた門(1954年完成)で屋根には檜皮(ひわだ)葺きという薄いヒノキの皮を重ねた伝統的技法が用いられています。近くに管理休憩棟があり資料が展示されトイレもこちらにあります。庭園は昭和30年代に造園家中島健氏により作庭されました。心字池の島には石塔が置かれ梅を初め花木も多数植樹。藤棚やバラ園もありました。焼失した旧吉田邸の前には白い建造物(サンルーム)があり7賢堂への道を行き、吉田茂の銅像前に出ました。7賢堂はかって伊藤博文の自邸滄浪閣にあった岩倉具視大久保利通、三条実美、木戸孝允を祀る4賢堂を吉田茂が1960年にこの地に移設。その後伊藤博文、西園寺公望、吉田茂が合祀され7賢堂となりました。銅像横の松林からは相模湾が、西側に歩を進めるとロングビーチの駐車場と箱根・伊豆の連山がさらに北側に目を転ずると富士山が見えました。この日富士山は一部雲がかかっており花と緑が綺麗な時期に再度訪れたいと思います。5才になる孫2人の保育園から発表会の案内がありサクラさんと行ってきました。プログラムの中から孫が出たものをハンディカムで動画撮影しその中から静止画を取り出し編集しました。息子の長女の保育園は市立で園児の人数も少なく教室の一画で演技をしたため同じ床面で園児の演技を間近に見ることができました。孫は遊戯(スパー忍者SASUKE)、オペレッタ(アリとキリギリス)合奏では太鼓を叩きました。娘の次男の保育園は私立で規模も大きく演技は舞台で行われ園児はカラフルでかなり凝った衣装を身につけていました。孫は合奏(ミッキーマウスマーチ)と歌(友達賛歌)劇(ネズミの嫁入り)、遊戯(ドラゴンボール)に出演しました。12/21~22に湘南ひらつかビーチパークではクリスマスビーチフェスタ2013が開催されました。21日には17時~21時に砂浜にイルミネーションで飾られたヨットが点灯するとのことで夜に防寒着で身を固め出かけました。20時過ぎにビーチパークに到着。さすがにこの時間は3組のアベックがいるだけでした。公園へ渡る陸橋から下も車はまばらでした。22日は様々なビーチスポーツの試合が実施されるとのことでサクラさんとビーチパークに出かけました。この日は晴天で真白き富士山と海の彼方には伊豆の大島が見えました。ビーチセンター前のウッドデッキには大勢の人がいてビーチバレーやビーチサッカーの試合を観戦。海辺では若者が戯れたり、サーフィンを楽しんでいました。遊歩道を東進すると途中で猫が日向ぼっこをしていました。14:16 前にも来たことのある定食屋「あぶさん」で食事をしました。注文したのは「港めし」。刺身はプリプリ、特に白身のカンパチと生シラスは抜群フライの魚を店のご主人に聞いたところカンパチだそうでこれも美味でした。テーブルに置かれたミカンもご自由にどうぞということで食後にいただきました。12月に入り孫たちはそれぞれの家庭でクリスマスを祝うためその前に息子と娘の家族が集まり我が家で会食をしました。ブロッコリーと盛り合わせた鮭の切り身を揚げて甘酢につけたマリネは私が作りました。俵状のコロッケはサクラさんがブリのあら炊きは息子の嫁さんが作りトマトを置いたサラダや小さいボール状のコロッケを作るのを孫娘が手伝いました。弟から瀬戸内海の鯛の味噌漬けと焼きあなごが送られてき娘は兼業農家の職場の方から大量の野菜をいただいたとのことで一部を持ってきてくれました。娘家族が飼っているダックスフンドのレオ君が久しぶりに我が家に来ました。クリスマスイブは2人でサクラさんが作ったローストチキンをいただきいよいよ大晦日を迎えようとしています。皆さんも良いお年をお迎え下さい。
2013.12.30
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娘が白で縁がピンクのシクラメンの鉢を持ってきてくれましたので居間の棚の上に置きました。年賀状の通信面はこのシクラメンと4人の孫の写真を添えて近況を書いたものをワープロ(一太郎)で作成・印刷。住所面は筆王で作成・印刷し19日投函しました。11/26 父・母が住んでいた横浜の家にでかけました。JR戸塚駅西口からは駅ビルを3Fまでエスカレータで登ると長後方面への陸橋前にでることができます。駅ビル内ではMERRY CHRISTMASの幕や飾りが目に止まりました。修理して戻ってきたパソコンの再設定にはかなり手間どりましたが完了しました。11/27 パン好房アッカアッカに行き前回来た時写真を撮りブログに掲載したことを報告。ブログ掲載写真と記事を印刷したものを差し上げ写真のパンを購入しました。ブログに取り上げたことを喜んで下さり購入したパンも美味しく頂きました。2009年6月に投稿した相模川河口付近~湘南ひらつかビーチパークを今回は12/3の夕方散策しました。平塚競輪場横から相模川西側の堤防上の道を南下。子犬を連れた女性も散歩していました。川岸のテトラポットが置かれた淀みでは水鳥が群れ川中には白いヨットが停泊。帆はたたまれ乗員は中で寝ているのか見えず他にも小型船がいくつか係留されていました。15:29平塚漁港に到着。港内の船も夕日が当たるところは輝いていました。港入口には港稲荷神社があり神社への石段横の狭い石棚で猫が昼寝をして港西側の敷地には地盤海抜が3.2mの表示がありました。西湘バイパスが通るトラスコ湘南大橋近くでは釣り人がいて河口付近では堤防の嵩上げ工事を実施。川中の黄色い堰堤には水鳥が群れていました。近くの電柱には口の鋭いトビが少し離れた太い電線にはカラスとトビが仲良く留まっていて釣り船屋さんの入口にはクリスマスツリーが飾られていました。15:56 平塚新港に到着。新港は漁港とフィッシャリーナ施設を備えた海の駅で構成されていました。5/24には平塚新港荷さばき施設で地どれ魚直売会が実施され自転車で来たことがあります。そして新港を出ると夕日はますます傾き日没を見ながら西進しました。沖合1kmには平塚沖総合実験タワーが見え16:16日没。湘南ひらつかビーチパークまで海岸沿いに歩き帰途につきました。
2013.12.21
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11/23 大磯町にある城山公園に自転車で出かけました。14:07 花水川に架かる下花水橋に到着。橋の中程に詠者 川田順の歌碑があり 相模野の 花水川の岸さくら 散りゆくもよし 海に流れて花水川は櫻の花が水面に映ゆる景勝の地であった。その昔、源頼朝公が花見に来たが前夜の春の嵐で花が散り失せて見ることが出来ず「花見ずの川」が いつしか花水川になった という伝説がある。と書かれてありました。上流方向には手前に高麗山がその後方に丹沢の山並みが見えました。川の中州には川鵜が来ていて下流方向には西湘バイパスが通る花水川橋が見えました。暫くすると上空には2011新春湘南の海02(平塚海岸)でも紹介したカイトサーフィンが飛来してきました。橋を渡り西進後1号線に入り2012大磯散策で来たことがある「新杵」で和菓子を購入しました。14:53 城山公園に到着。階段を上り南門から展望台に行きました。午後の陽を浴び小田原方面の海は燦然と輝き光が強烈なため柱の後ろから撮影しました。2011年12月にサクラさんと来た時は富士山がくっきりと見えましたがこの日は霞んでいました。木の手すりのある階段を登ると三井家別荘時代に文化財の保管庫として建てられた北蔵があり中には写真や絵画が展示されていました。休憩所から光の広場を通り不動池への道を下りて行くと黄色いツワブキがあちこちで咲いていました。15:13 不動池に到着。若者のカップルや子連れのファミリーが紅葉が映える日本庭園の光景を楽しんでいました。池には大きな鯉が沢山いて手をさしのべると餌を催促して寄ってきました。15:18 茶室「城山庵」に到着。茶室は三井家別荘時代に置かれていた国宝の茶室「如庵」にちなんで建てられ庭には屋外でお茶がいただける赤い毛氈を掛けた椅子が置かれていました。日が落ちる16時前に無事帰宅。「新杵」で買い求めた栗羊羹と西行饅頭の包みをはずし写真を撮りました。
2013.12.06
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父母が住んでいた横浜の家に置いたあるパソコンが使用中ハードディスクに異常があるとのメッセージが出てメーカー(NEC)に問い合わせたところハードデスクの交換が必要とのことで修理を依頼しました。11/12午前中に佐川急便が取りに来ることになり前日横浜の家にでかけました。JR戸塚駅で下車、時間もあるので歩く事にしました。長後街道を西進すると横浜新道に入る道近くに高松寺が見えましたので立ち寄りました。臨済宗円覚寺派寺院の高松寺は、潤岳山と号します。高松寺は、高松三郎頼重を開基として創建。1593 龍甫珠公が開山創建、雲岫周泰が中興したと伝えられます。山門には「潤岳山」の扁額が掛かり2階部分に鐘付き棒が見えます。山門を支える支柱の下部分は模様を施した緑青の色も鮮やかな銅板で覆われていました。山門を潜ったところに「高松寺山門縁起」石碑がありました。本堂は改修工事中。境内には賓頭盧尊(びんずるそん)佛がありこれに触れると御利益があるそうで私も仏の手にタッチしました。高松寺を出た後は暫く長後街道を西進。その後は住宅地を通って横浜の家に到着しました。11/12 NECから依頼を受けた佐川急便がパソコンを取りに来ました。11/13 天気も良し、近くを散策。住宅地を歩いていると黄色い菊の花が咲きベランダや釣り鉢に見事な花を咲かせている家を見かけました。またある家ではフェンスに絡ませた植物が沢山の実をつけていました。初めポポーかと思いましたがインターネットでいろいろ調べてみるとムベのようです。暫く歩いた所に領家A雨水調整池があり階段を下りてみました。雨水調整池は大雨の時雨水を一時貯留して下流河川の洪水を軽減するもので降雨時は絶対に中に立ち入らぬよう注意書きがありました。池の底近い部分には水が貯まっている箇所がありススキが午後の光を浴びて輝き、親水性のある修景施設として水と緑の豊かな環境を作っていました。水辺には白サギがいて、飛び立つと後ろから見た羽根は黒でした。歩いていると花に囲まれた素敵なパン屋さんを発見しました。「パン好房アッカアッカ」さんで名前も素敵です。「アッカアッカ」は、ハワイの現地語で「笑う」という意味だそうで大人気と書かれているパンを買い求めました。写真上がトンカツサンド左下がOPEN当初から変わらぬ人気NO.1のメンチカツバーガー右下2個がピーナツクリームパンです。結構ボリュームがあり帰ってメンチカツバーガーとピーナツクリームパン1個を食べ残りは翌日いただきました。メンチカツを食べた時まだ中が温かくジューシー。ピーナッツクリームパンはクリームの中に入った大粒ピーナッツの食感が新鮮でした。11/17 佐川急便で修理したパソコンが届きました。11/18 伊勢原の「スーパーOK」にサクラさんと買い物に行き帰りにふじ丸で食事をしました。カニ汁、アラ煮、サンマ、マグロトロ、アジ、ブリ、アナゴ、サーモン…新鮮なお魚を美味しく頂きました。11/20 平塚ナデシコ公園方面を散策しました。途中の住宅で真紅のガーベラ、白菊、姫リンゴ、黄菊、黄と赤のピラカンサス…色とりどりの花や実を見かけました。放課後の小学校入り口はシャッターで閉じられその前には小鳥のついた車止めがありました。校庭では少年野球チームが熱心に練習をしていました。ナデシコ公園の花壇はパンジーが沢山植えられ公民館前の花壇には名残のナデシコが咲いていました。道路側にはいろんな形をした工作物が置かれたポールが並んでいました。帰宅して夕食は久しぶりにホットプレートで肉・海鮮・野菜を美味しくいただきました。
2013.11.30
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夏の間ベランダでよく開花していた鉢植えハイビスカスを朝夕の気温が下がってきたので居間に入れたら室内でも見事に開花しました。前の日は固い蕾だったのが朝起きてみるとオレンジの花を咲かせていました。中央部から突起状のものが伸び先端には赤い5つの点状の雌しべがありその下部にさらに細かい黄色のおしべが無数ついていました。クジャクシャボテンの仲間の月下美人などもそうですが近くで見ると鮮やかな花弁の色や花の形は魅惑的です。そして翌朝見ると花弁は葉巻状に綺麗にたたまれて閉じていました。プロ野球日本シリーズが実施されました。最近はプロ野球や大相撲は不祥事が続いたこともあり以前ほど関心を示しませんでした。ところが今年は楽天の選手は東北大震災で被災された人々を勇気づけるためにもぜひ優勝したいとチームが一丸となり燃えかたや巨人は10/28川上哲治さん(93)が亡くなられたこともあり今年は絶対負けられないとの思いが強まりました。試合が進むにつれ大熱戦がくり広げられTVに引き込まれるように連日観戦しました。10/26(Kスタ宮城) 楽天 0 - 2 巨人 勝 内海 敗 則本10/27(Kスタ宮城) 楽天 2 - 1 巨人 勝 田中 敗 菅野10/29(東京ドーム) 巨人 1 - 5 楽天 勝 美馬 敗 杉内10/30(東京ドーム) 巨人 6 - 5 楽天 勝 マシソン 敗 長谷部10/31(東京ドーム) 巨人 2 - 4 楽天 勝 則本 敗 西村 11/02(Kスタ宮城) 楽天 2 - 4 巨人 勝 菅野 敗 田中11/03(Kスタ宮城) 楽天 3 - 0 巨人 勝 美馬 敗 杉内第6戦は、楽天がレギュラーシーズンに24勝無敗の田中将大が先発。2点を先制しましたが、巨人はベテランが大奮起し4-2で逆転勝ち。第7戦は、楽天が一回に先制して二回、四回にも加点。九回には前日に160球を投げて完投した田中が締め球団創設9年目で初の日本シリーズ優勝。最高殊勲選手はシリーズで2勝を挙げた楽天の美馬が選ばれました。10/20 台風26号が東海・関東南沖を通過。伊豆大島では19~20に100mmを超える大雨が降り各地で土石流被害が発生しました。(11/4現在で死者35人行方不明6人)そして10/25には台風27号が接近。島外へ避難した人も多数いましたが再度の土砂災害が発生しなかったのは何よりでした。10/27 花菜ガーデン横にあるあさつゆ広場にサクラさんと行きました。年配の夫婦で買い物に来られている人達を多く見かけました。屋外には花のポットが沢山置かれポカポカの日差しを受け可憐に咲いていました。屋内では新鮮な野菜が並べられサクラさんは葉付の人参も求め葉も柔らかく綺麗だったのでゴマあえのお浸しにして美味しくいただきました。横浜の両親が住んでいた家に行く途中で見かけた植物です。白い花は秋明菊(シュウメイギク)です。割と背が高くどことなく和風な花を咲かせます。伊豆のトラ五郎小屋にも植えてあり沢山花を咲かせますが切り花にすると水揚げが悪く長持ちしませんでした。紫の実をつけているのは紫式部でこちらもいかにも和風な感じがします。娘の次男が5才で近くの三嶋神社に参拝しその後我が家に寄りました。着付けはママに適当にやってもらったそうですが緊張した様子で写真を撮りました。9月の下旬に夏風邪にやられ治るのに2週間程かかりましたがその後腹痛に襲われ38℃に発熱しました。土曜日の夜でしたので病院には行かず食事をとらずポカリスエットのみを飲み2日経過したところ治りました。しかしその後は何を食べても美味しくなく胸から下腹部にかけて鈍痛が続いたため近所の総合病院の消化器科を受診しました。いろいろ問診の後寝かされ腹部を触診しましたが投薬をして1週間様子を見ることにしました。しかし部屋を出てすぐ呼び止められ念のため検尿と採血を受け結果が20分で出るので待つように言われました。検尿時に驚いたのですが尿の色が薄い紅茶色をしていました。貧血症状があり尿路結石の疑いがあるとのことで続いて超音波検査を受診。胸の上部から下腹部まで丁寧に見て頂きました。検査後点滴を受け1時間程寝かされた後検査結果を聞きました。前から指摘されていた肝嚢胞があるということと前立腺がやや肥大していること以外は異常は認められず尿も血液成分は含まれてないとのことでした。貧血の原因究明のため胃の内視鏡検査を受けることにしました。10/23 胃の内視鏡検査を受診。2カ所から検体を採ったとのことでした。10/28 最初に受診した先生の一週間後の経過受診がありまだお腹の具合がすっきりせず食欲がないことを告げると食間に漢方の薬を飲むように指示されました。11/6 胃の内視鏡検査の結果を聞くことになりサクラさんも同席して検査時に撮った写真を見せて頂き検体検査の結果を聞きました。結果はカメラ所見では特に異常は見当たらずピロリ菌も見つかりませんでした。検体検査では 生化学CRP4.90(基準値0.30以下)が高いのが異常で後は血色素12.6ヘマトクリット38.8が基準値よりやや低く血液像Neutr%が77.0でやや高くLympho%が12.9でやや低くMono%が8.2でやや高いという結果でその他の項目は基準値以内でした。前立腺検査のPSAは3.1膵臓AMY(アミラーゼ)も118で基準値以内でした。そして明日は念のために大腸の内視鏡検査を受診します。先生の言われるには何か特殊なウイルスにやられたようで血液検査はしばらく定期的に受けることにしました。このブログも更新がかなり途絶えましたが食欲も回復してきたので元気をとりもどして生活したいと思っているところです。
2013.11.19
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9/23 相模原市営峰山霊園にサクラさんの姉夫婦とその子供家族弟夫婦とその子供家族、そして私達夫婦と子供家族が集合しその後弟宅に全員集合し会食をしました。峰山霊園にはサクラさんの父・母の墓があります。私達は息子の運転する車に同乗しましたが途中の道は空いていました。8:40 峰山霊園に到着。駐車場横には真っ白な彼岸花や別のコーナーには赤の彼岸花が沢山咲いていました。9:54 娘家族が到着。サクラさんの姉・弟関係者も揃いました。チビさんたちは大喜びで走り回っていました。待合室横にはゴーヤが日除けに植えられ黄色い花を咲かせイボイボの青い実を付けていました。全員でお墓に移動。孫は途中の水汲み場で桶に水を入れ運んでくれました。赤い彼岸花は至る処で咲いていました。私があちこちの彼岸花の写真を撮っていると霊園の係の人が奥の一画に群生地があることを教えてくれました。お墓ではクリスチャンの方もおられるので焼香はしませんでした。希望者で彼岸花群生地を見学。峰山霊園を後にしました。11:28 弟さん宅に到着。会食後は小学生の孫はオジサン達に相手をしてもらい将棋をしました。ゲームや百人一首も楽しみ女性達も楽しい歓談の一時を過ごしました。近くの公園にはトンネルの形の滑り台があり孫たちは何度もこれに登ってはこの中を潜り下りていました。15:37 解散。それぞれの家に帰って行きました。10/5 孫娘の保育園の運動会がありました。あいにく雨だったため一番近い小学校の体育館で実施。嫁さんの両親も参観されました。上の孫娘はママと玉を棒で挟み運ぶゲームに参加。下の孫娘は跳び箱の上に敷かれた厚いマットを乗り越えお風呂に入って最後はママに負ぶさってゴールまで行きました。運動会は1時間程見た後帰宅。前にトラ五郎小屋から持ってきた大量のレンガを横浜の私の両親が住んでいた家に運びました。持ってきたレンガは玄関横の目立たない所に置きました。玄関前に車をあまり長く駐車できないため仏壇のお水を替えた後は3月と5月に会食をしたことのある中華店で食事をすることにしました。12:31 王家菜館に到着。店の中は改装され、明るい雰囲気になっていました。私は写真のCランチ(牛バラ麺+半チャーハン)サクラさんはBランチ(上海焼きそば+ワンタンスープ)それと焼き餃子1皿を注文。時々交換して食べましたが味も良くボリュームたっぷり。美味しくいただきました。食後はAコープで買い物をした後サクラさんの運転で無事帰宅しました。前回のブログのビッグレスキュー神奈川の湘南海岸公園での写真を撮ろうとしたところ突然ハンディカムの焦点を合わす機能が不良になりました。手動でズームを変えてもダメで再生画面を見てみると海岸で撮った写真はちゃんと写っていました。いろいろ操作していると異音もするためこの後の写真は小型デジカメ(Panasonic DMC-TZ3)で撮りました。帰ってからもいろいろ試みましたがハンディカムHCR-CX170の焦点を合わす機能は回復しませんでした。大型電気店の新聞折り込みチラシでハンディカムの最新器HCR-CX390+長時間バッテリー+カメラケース+三脚+画面保護シートが4万円台という記事と電話機の記事が目にとまりました。ハンディカムHCR-CX390は今まで持っていた長時間バッテリーとACアダプターが使えます。広角が26.8(前は37)となりましたので室内の集合写真やさらに感度アップしたため暗い所の撮影も楽になります。また電話機は現在使っているのがかなり古いタイプで電話帳の設定や操作がしずらく買い換えたいと思っていました。9/26 サクラさんと見にに行くことにしました。長時間バッテリー、カメラケース、三脚は購入せず電話機も購入することでいくらになるか交渉したところ両方で4万円ということになり購入しました。新しいハンディカム、形はよく似ていますが操作方法はかなり変わっていて現在この操作技術を習得中です。
2013.10.27
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9/21神奈川県・平塚市主催の合同防災訓練(ビッグレスキューかながわ)が開催されました。訓練は最大震度7の大地震が発生した事を想定。自衛隊、在日米軍、海上保安庁、県医療関係組織、防災関係機関 自主防災組織等137の参加機関の協力を受けました。昨年横須賀で実施されビッグレスキューの3倍規模で参加者は9000人だったそうです。9:00~9:45 湘南ビーチパーク前の海岸で救出救助の人員・車両・物資の海上輸送・海岸への上陸訓練が実施されることになりました。8:43 湘南ビーチパークに到着。人が集まり始め沖合には海上自衛隊輸送艦しもきた(LST4002)が停泊海岸にはタイヤの大きな特殊車両が停められていました。8:55 2隻の海上自衛隊LCAC(ホーバークラフト)が波をけ立ててこちらに向かってきました。この頃になると見学者も増え上陸地点に近付かないよう係員が見学者を整理していました。9:11 赤い旗で示された接岸地点に乗り上げエンジンを停止。神奈川県警察機動隊と陸上自衛隊第31普通科連隊の隊員が下りて来ました。(一番下の写真の左上の空に黒い物体を発見。飛行機ではなくトンボでした)9:15 2匹の災害救助犬も一緒に上陸しました。続いて横幅のあるジープ(陸上自衛隊高機自動車)が陸揚げされましたが乾いた砂の坂ではタイヤが空回り(スタック)し隊員が後ろから押していました。隊員と車両は中央会場の湘南海岸公園に向かいました。9:35 ホーバークラフトはエンジンを始動し豪快な音と波しぶきを立てながら海上に去っていきました。10:06 湘南海岸公園に到着しました。大型の災害派遣車や東電の電力復旧用の車両も駆けつけ非常通信用のアンテナを設置。米軍や陸・海自衛隊のヘリコプター、ドクターヘリの離発着は近くの太洋中学校庭で実施されました。車の多重衝突やバスの横転現場を再現し負傷者の救出訓練や瓦礫の撤去訓練も行われていました。中央会場に隣接したマンションを利用し津波避難ビル屋上に取り残された住民をヘリコプターへ救出する訓練も行われたそうです。台風26号のもたらした豪雨は伊豆大島では土砂崩れによる大災害を引き起こし被災者には心よりお見舞い申し上げます。ニュースを見ているとビッグレスキューかながわで見たLCAC(ホーバークラフト)が駆けつけ小型の土木作業車を陸揚げし災害救助犬も駆けつけていました。そして今週には台風27号が本土に向かっています。さらに強力な台風と報道されているので出来るだけの用心をいたしましょう。
2013.10.21
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9/20夏風邪を引き発熱はしませんでしたが喉と鼻をやられ近所の個人医院で投薬を受けました。投薬後今までは3日間位で直っていたものが今回は一日3回食事後5日間飲み治まったと思ったら2日後にはぶり返しました。結局また投薬を繰り返し漸く治ったその後今度は腹痛で発熱(38℃)。2日間食事をとらずポカリスエットのみで過ごしたところ治りました。体調不良の日々が続きましたこともあり、久しぶりのブログ更新です。9/7 ブエノスアイレス(アルゼンチン)で第125次IOC総会が行われ2020年のオリンピック競技大会(32回)の開催地を決めるプレゼンテーションが実施されました。その後IOC委員による投票を実施。1回目は過半数に届かず、その後の決選投票で60票を獲得。東京は1964以来56年ぶりの夏季オリンピック開催地に選ばれました。最終プレゼンでは冒頭に高円宮妃久子さまから2011年の大地震・津波で被災された人々へのIOCからさしのべられた温かい復興支援に対し英語とフランス語で感謝の言葉が述べられました。続いて佐藤真海(パラリンピアン) → 映像上映(Feel the pulse)→ 竹田恆和 (招致委員会理事長) → 水野正人 (招致委員会副理事長/専務理事)→ 競技会場映像上映(Venues) → 猪瀬直樹(東京都知事/招致委員会会長)→ 滝川クリステル(招致“Cool Tokyo”アンバサダー)→ 映像上映(Pulse of the city) → 太田雄貴(オリンピアン/招致アンバサダー)→ 安倍晋三首相 → 映像上映(Share the pulse)→ 竹田恆和理事長と見事なバトンリレーでプレゼンが実施されました。前回の誘致失敗を教訓として作られた今回の最終プレゼン結束力が発揮されたことが高評価を得ました。大変な苦難を乗り越えてこの場でスピーチされた佐藤真海さんと日本人のオモテナシの心を語られた滝川クリステルの笑顔は特に素敵でした。韓国は総会の数日前に日本の一部の地域で捕れた水産物の輸入禁止を発表しましたが安倍総理は東京で開催されるオリンピックに向かいさらなる放射能汚染対策推進への決意を述べました。2020年のオリンピックに向け日本が明るさと元気を取り戻すことを願っています。9/18 天気も良好、4/26の湘南ひらつか七福神めぐり以来の遠距離サイクリングに挑戦しました。129号線の東側を走る工業団地内の道路(テクノロード)をゆっくり北上しました。10:32 湘南銀河大橋西側に到着しました。湘南銀河大橋(1998年開通)は白い橋柱(30m)から斜めに張ったロープで支える方式の橋(横から見た写真はこちら)です。橋の上から相模川の中州を見ると白サギが3羽飛来。上流方向には大山が見えました。そして橋を渡って振り向くと綺麗な富士山が遠望されました。11:16 道路沿いに吉野屋を発見、休憩を兼ね食事をしました。ロース豚丼十勝仕立て(480円)と生野菜サラダ+味噌汁セット(120円)を頂きました。11:55 相模国一之宮と称される寒川神社に到着。この神社は雄略天皇(456~479)の御代に奉幣神亀4年(727)に社殿建立を伝える記録があります。その後は源頼朝、北條義時、武田信玄等の武将徳川家代々の篤い信仰をうけた1500年余りの歴史を有する神社。古くより八方除の守護神として信仰されています。2011年に架け直された神池にかかる白い石の太鼓橋(神池橋)を渡り三の鳥居から寒川神社の境内に入りました。境内を歩いていると浅黄色の袴をつけた神職の方を見かけました。手水舎(手水鉢は横2.4m、幅1,35mで福島産の浮金石)で手を洗い反対側に社務所がありました。重層で立派な神門(1993年竣功)を潜ると正面に総桧造りで大きな標縄が張られた本殿があり神門とは西廻廊と東廻廊で繋がれていました。東廻廊の奥には立派な客殿(地上2階、地下1階)があり祈願を受ける人を巫女さんが本殿に案内していました。(各種祈願・大祓祈願を受けた人は本殿の奥にある神嶽山神苑に入苑可)2012.10 に設置されたという緑色をした方位盤・四神(東:青龍、南:朱雀、西:白虎、北:玄武)の彫像・渾天儀(こんてんぎ)、神門前にある狛犬西廻廊に展示された全国学校秀作美術の絵画や書も印象に残りました。12:48 小出川彼岸花まつり(6回)が9/28 に実施予定の藤沢市遠藤に到着しました。彼岸花(曼珠沙華)は私が小学生の頃山梨で過ごした時毎年田圃の土手で一面に咲き乱れた光景を思い浮かべます。私はこの神秘的な花を見ると秋を強く感じます。また作詞:阿木燿子・作曲:宇崎竜童・唄:山口百恵の曼珠沙華という歌を思い出します。夏の気温が高い日が続くと開花が遅れるそうでこの日は期待した一面の花は見られませんでした。13:20 さむかわ中央公園で休憩。帰りは神川橋を渡り平塚市田村にあるケーズデンキに寄った後無事帰宅しました。この2日後から夏風邪と腹痛で身体不調の日々が続きました。体調も漸く回復しキッツウェルネス平塚でのトレーニングも再開しました。体重が2kg減り、身長-100の値をクリアー。今後はよりいっそう健康保持に努めたいと思います。
2013.10.12
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毎年夏、トラ五郎小屋のある敷地では大量のミョウガが発生します。昨年は8/19にサクラさんと出かけ(プチホテル ノースイン泊)収穫しました。今年は少し遅くなりましたが8/27 に行き(アンダ別邸泊)収穫しました。11:03 小田原港を跨ぐ橋を渡り料金所を通過。網代のスーパーで買い物をし12:37 サンハトヤ前を走りました。13:04 トラ五郎小屋に到着。暖炉で火を焚き昼食後、除草とミョウガの収穫をしました。ミョウガは白い花を咲かせているため発見は容易です。花があると傷みやすいため収穫する時花を取り除きます。写真は帰宅後よく洗い金網のボールで水切りをしたものです。トラ五郎小屋での作業を早めに終え15:47 宿泊の予約をしていたアンダ別邸に到着しました。場所は一昨年長男家族・娘家族と一泊した花Bergeのすぐ近くでした。白いタイル貼りの建物の入口近くには貸し自転車(無料)が並んでいました。バリ島の旅行気分が味わえるようにバリ直輸入の置物や家具・調度品があちこちに置かれていました。そしてチェックイン時に館内着として好みのサイズ・色の作務衣を選びました。夕食は17:30~と19:00~があり、早いコースを選択。部屋に到着するとまず大浴場に行き汗を流しました。17:30 レストラン「プルシル」で夕食をいただきました。平日にかかわらずほぼ満席、若い人のカップルが沢山いました。飲み物やパンはおかわり自由。席の間を回っている若いスタッフがドリンクやパンのおかわりを聞いてくれるので気楽に頼むことができました。料理はSummer Selection 2013 ということで○前菜 魚介のコンソメジュレ和え、キビナゴのエスカベッシュトマトとリコッタチーズのカプレーゼ、枝豆のムース、みつせ鶏のタプナードパンツェタとドライマンゴーのピンチョス、地魚のカルパッチョ○魚料理 メカジキのソテー(キウイラビゴットソース、サラダ)○焼きたてパン(お土産パンの案内があり、1袋5個入りを予約)○肉料理 ローストビーフ(実山椒と赤ワインのソース)○スープ ヴィシソワーズ(ビーツのエスプーマ)○デザート アセロラジュレと桃のムースのヴェリーヌで飲み物として私はウイスキーのオンザロック白・赤のワインをいただきました。また食事中一時消灯され誕生日の子供がいるファミリーを祝うセレモニーもありました。20:00~ カラオケ(無料)を45分楽しみその後は隣室のライブラリーのパソコンで近場情報を検索したり置かれていた本やDVDを閲覧。その中に2007年松竹配給で公開された「東京タワー」(第31回日本アカデミー賞・最優秀作品賞)で~オカン(内田也哉子→樹木希林)とボク(田中祥平→谷端奏人→オダギリジョー)と時々オトン(小林薫)~ を見つけこれを借りて(無料)寝室に備え付けのテレビで鑑賞しました。22:19 レストランはBar Timeでキャンドルの灯りの下でフリードリンクのワインと夜食をいただきました。翌日は部屋のバス(幅が広い2人用でテレビ付)に入浴備え付けのマッサージ機で身体を揉みほぐし朝食は8:30~ の遅いコースにしました。料理は和・洋自由に選べるバイキング形式でドリンク・フルーツ・ヨーグルト・デザートも自由に選べ大満足でした。フロントやレストランのある建物と宿泊棟には小さな橋がありあちこちにバリ島では縁起がよいものといわれるカエルの彫刻が置かれていました。夜間に雨が降り椰子や植栽の木々も緑が綺麗でした。ゆったり寛いだ後11:00 ホテルをチェックアウト。途中で買い物をし15:00には無事帰宅しました。
2013.09.20
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8月に入っても神奈川県湘南地方は一時的に小雨が降ったのがたった3日だけでした。最高温度が30℃以上の猛暑日が26日もあり8/11には横浜で最高温度37.4℃を記録しました。夜になっても25℃以上の熱帯夜が23日もありました。今年の夏は台風もこの地には来ませんでした。8/23 第63回湘南ひらつか花火大会が相模川河口(湘南潮来)で実施されました。昨年の花火は打ち上げ場所に近い所(400m)から見学。今年は少し離れた湘南海岸公園(1km)から見ました。午後7時にオープニングワイドスターマインで始まり「立春」、「芒種」、「大暑」、「立秋」と名付けられたスターマインが続き中程で特大スターマイン「愛いと勇気と創造力を…」と願かけ花火が打ち上げられました。娘家族とサクラさん・私が湘南海岸公園で花火を見ていると大勢の見学者の中に息子家族と息子の嫁さんのお父さんを発見しました。この日は曇り空でしたが、大空に広がる花火は鮮やかで孫たちも大喜びでした。スターマイン「立冬」、大型40連発、スターマイン「小寒」ワイドスターマイン「明日へ…」が続き、午後8時打止めの花雷で終了しました。嫁さんのお父さんは2日前から所用があって来ておられたとのこと花火終了後は全員で我が家に集合し暫し歓談しました。今年の夏の甲子園野球大会は8/8が開会式、8/22決勝大会が実施され前橋育英高校が初出場で初優勝。群馬県勢としては14年ぶり2回目の全国制覇をしました。主な試合は次の通りでした。●準々決勝(8/19) 花 巻 東 (岩手) 5-4 鳴門(徳島) 日大山形(山形) 4-3 明徳義塾(高知) 前橋育英(群馬) 3-2 常総学院(茨城) 延岡学園(宮崎) 5-4 富山第一(富山)○準決勝(8/21) 前橋育英(群馬) 4-1 日大山形(山形) 延岡学園(宮崎) 2-0 花巻東(岩手)☆決勝(8/22日) 前橋育英(群馬) 4-3 延岡学園(宮崎)
2013.09.17
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今春(4/5)湘南ひらつか七福神めぐりをした時1番目の訪問地(春日神社)から2番目の訪問地(妙安寺)に行く途中で要法寺に寄りました。この時本殿に通ずる道の両脇に多数の睡蓮瓶が置かれ植え替えられていて、七夕の頃開花するとのこと。7/1 再度自転車で行ってみたら白やピンクの花が開花し結実したものもありました。よく手入れされてましたが大きな葉からの水の蒸散が多く管理は大変そうです。7/21 参議院議員通常選挙(23回)の投開票が実施され自民は6年ぶりに参院第1党に復帰。与党は過半数確保に必要な63を超える76議席を獲得し非改選の59議席とあわせ135議席(安定多数:129)となりました。勢力の変化は次の通りです。 自民(84→115)、公明(19→20)、民主(86→59)、みんな(13→18) 共産(6→11)、維新(3→9)、無所属(7→3)生活(8→2)、改革(2→1) 諸派(0→2)、みどり(4→0)、大地(1→0)今年は7/6に 関東甲信地方は梅雨明けが宣言され東京でその後の10日間のうち半分が35度以上の猛暑日で後の半分も34℃前後。7/11には群馬の館林で今年全国最高の39.5℃を観測しました。また7月下旬以降に島根・山口県や日本各地の局所で記録的な降雨(8/26:島根県西部江津市桜江町で3時間の雨量が201mm)がありました。8/13 サクラさんと鎌倉霊園に行き除草と焼香をしました。8:40 霊園に到着。植栽の花壇やピンクのサルスベリ白ユリが見事に咲いていました。8/1 サクラさんの叔父さんの葬儀が調布市でありました。写真の折り紙は私がインターネットで調べて作ったもので出棺前お別れの時に故人が愛された品々や生花と共に入れさせていただきました。葬儀後の帰宅途中に私は1年間職場のあった小田急線相模大野駅で下車。何度も食事をしたことのある大戸屋相模大野コリドー通り店でつぼ鯛の塩麹みりん漬け炭火焼き定食をいただき帰宅しました。(NHKの放送番組を録画し編集した写真を作りましたが残念ながらNHKでは、利用者がテレビやラジオの番組の画面や音声を取り込んでインターネットに利用することについては番組に関係するさまざまの権利者の理解を得られる状況にないこと肖像権等の問題があることなどの事情からお断りしています… ということで割愛しました。よろしかったら湘南ジャーナルの記事もご覧下さい)。私の友人でこのブログの小田原鋳物研究所を訪問Lでも紹介したことのあるKさんが8/23 NHK総合TVひるまえほっと(関東地区のみ)月~金(11:05~11:54)で「美と癒しを求めて 風鈴作家・上島国澄さん」として紹介されました。「1250℃の火のエネルギーに負けまいという姿勢」「いい音を出すにはどうしたらよいかという道筋を求めて実験と工夫を重ねた日々」「美と癒しを一体化した文化の発信」「物作りの楽しさ難しさと感動」について語られ研究所での講習や小学校への出前教室についても紹介されました。
2013.09.15
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2013 山梨・長野の旅 A、B、C の続きで今回の旅行の最終日の記録です。宿泊ホテルチサンイン甲府石和の朝食はバイキング方式で和食・洋食の料理がありヨーグルト・フルーツ・飲み物も自由に選べました。この日は朝から雨。初め昨年好評だった山梨県笛吹川フルーツ公園行きは取りやめる事にし、検討の結果桔梗屋信玄餅の工場見学とグリーンアウトレット1/2で実施している大人気の「お菓子の詰め放題」に行くことにしました。8:23 桔梗屋本社工場に到着。「お菓子の詰め放題」の整理券を貰う為の列に並びました。番号札は120番台でしたので詰め放題をするまで時間がかなりあるとのことでした。お菓子の美術館と工場を見学しグリーンアウトレット1/2で特別価格で販売するお菓子や野菜を購入しました。孫たちは桃泉水で手を洗い桔梗信玄ソフトの看板穴から頭を出したりしたので写真を撮りました。11:03 詰め放題の順番が来て私とサクラさんも参加。渡されたビニール袋に詰め込みますが最後に袋を指定された方法で結ぶ必要があります。私はきんつばを15個サクラさんは信玄餅15個ときんつば2個をゲット。賞味期限が当日のものですが1袋210円ですから超お買い得だと思いました。終了後は中央自動車道に入り談合坂SAに寄りました。するとチサンイン甲府石和より携帯電話に連絡があり私が持っていたラジオ付きICレコーダーを忘れてきたことが判明。着払いで送っていただくことにし2日後に家に到着。非常用にラジオが聴け私が自分で編集した音楽などを入れてよく持ち歩いていた物だけに感謝・感謝でした。昼食後は娘家族と別れ 15:25 無事帰宅。買ってきたお土産の写真を撮りました。桔梗屋では信玄餅、きんつば、こだわりのどらやき、塩豆大福、桃トウモロコシ(その内1本には小さい豆トウモロコシが付いていました)ズッキーニ、曲がりキュウリ、しょうゆ麹を購入しました。諏訪大社前の土産店で求めた清酒真澄は諏訪市宮坂醸造製でラベルは2013年アーティストの小山利枝子さんが描かれた蓮の花のもの。後日横浜の家の仏壇に供えました。ここでは田中屋の塩羊かん、わさび風味おいしいね(大根)小なす辛子漬、きざみむらさき(野沢菜と大根のきざみ漬)を購入。こうして3泊4日山梨・長野の旅を終了しました。
2013.09.04
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2013 山梨・長野の旅Bの続きです。7:14 ホテルの食堂でバイキングの朝食をいただきました。この日は私とサクラさん・息子家族は諏訪大社本宮を訪れ娘家族は小淵沢ICに近い八ヶ岳リゾートアウトレットに行き昼に甲府の愛宕山こどもの国で落ち合うことにしました。9:11 諏訪大社本宮に到着。北参道より鳥居を潜って進むと手水舎がありその脇にあった竜の口から出ている明神湯は諏訪の温泉の源泉とも伝えられてます。その奥には名力士の雷電為右衛門像と手形がありました。社務所、参集殿が見えましたが順路案内に従い進みました。諏訪神社の起源は古事記にも記載があり日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。平安時代には 信濃国の一宮とされ坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられています。 戦国時代に武田信玄が諏訪へ侵攻。1565年から翌年にかけて上社・下社の祭祀を再興しました。信玄からの崇敬は強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられています。孫と共にゆっくりとした歩みで1827年建立の神楽殿前に来ました。中には2基の大太鼓が吊り下げられていました。直径が孫娘の背丈程あり、太鼓の側面には竜が描かれていました。この太鼓は元旦の朝のみ打たれ昔はここで色々な神楽が行なわれていたようですが残念なことに現在は絶えているそうです。樹齢千年と言われる大ケヤキの幹は歴史を感じ側には 7年目毎に実施される式年造営御柱大祭で立てられた本二の御柱がありました。入口御門から長い廊下のような布橋を渡って行くと途中に御柱を運ぶ時、柱の前後に取り付けられ、これに若い衆が乗り音頭をとる目処梃子(めどてこ)が展示されていました。宝殿や参集殿は重要文化財修復工事を実施中。巫女さんが境内の掃除をしていました。諏訪神社前の土産店で銘酒「真澄」と漬物を購入し諏訪を後にしました。12:01 甲府にある愛宕山こどもの国に到着。自由広場には斜面に地形の特徴をいかした長大な金属製の遊具や様々な遊具が設置されておりパパ・ママが見守る中、孫娘はこれを全部通り抜けました。そして娘家族も到着しました。こちらの孫2人は男の子だけにさらに勢いよくこれらをクリアー娘が途中で買ってきた弁当やおにぎりを食べた後も3人で他のアスレチックに挑戦しました。13:20 自由広場の奥にあるライオンの池に到着。パワーパドラーという人力で羽根を回転し推進するボートに乗ったり水遊びをしました。14:10 隣にある山梨県立科学館にたち寄った後宿泊地に向かいました。15:35 昨年泊まって我が家で好評だったチサンイン甲府石和に到着。暫く入浴、洗濯、休憩をした後昨年も利用して馴染みのある焼肉ぼくり石和店で夕食をしました。ホテルに戻ると1室に集まり、孫を交えてウノ大会をし各家族に分かれて就寝しました。
2013.08.19
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2013山梨・長野の旅Aの続きです。昨日北杜市在住の従兄弟の来訪によりグリーンヒル八ヶ岳の話を聞きまず今日はここに行くことにしました。グリーンヒル八ヶ岳のサマーランチバイキング(大人1050円)は人気があり時間は11:30~13:30(最終入場13:00)ということでした。娘夫婦・孫3人・私とサクラさんは起床後ロッジ近辺を散策。クヌギの木があるとカブトムシがいないかと探しましたが残念ながら見つかりませんでした。蛇が鎌首を持ち上げるような花が咲くマムシグサは花が終わっていました。(トウモロコシのような青い実を付け、やがて実は真っ赤になります)オレンジの実を付けたモミジイチゴも見かけました。ヨーグルトや果物などの軽い朝食をロッジで済ませ9:57 ホテルフロントに到着しチェックアウト。ホテルを出立すると、泉郷入り口近くにはローマ風噴水と彫像が並んだ場所がありました。10:39 グリーンヒル八ヶ岳に到着。この施設は東京都新宿区が運営しています。1/4円形の巨大なガラス張りの建物内にレストランがありその隣にはこれを小型化した形の全長20mの温水プールがありました。芝生もよく手入れされ、キャンプ場への木橋を渡ると丸太を組んだコテージがありました。昼食時間が近づくとバイキングを目当てに人が集まり、列に並びました。11:30レストラン開店。バイキングのためそれぞれ好みのものをプレートでテーブルに運びました。写真の他にカボチャなどが入っていると思われる夏野菜たっぷりのカレーもあり、家族には大好評でした。ジュース・牛乳・コーヒー… のドリンクやヨーグルトもお代わり自由。孫たちは生クリームを加えて溶かしたチョコレートを噴水状に流した中に粒アイスやフルーツを絡めて食べるチョコレートファウンテンに大満足でした。食事を終了し玄関前に行くと正面に時計台付の花壇があり玄関側壁にはツバメがあちこちで巣を作っていて親鳥が飛んできてはヒナに餌を与えていました。孫が草むらで脱皮したばかりと思われる蝉を見つけ白樺の幹にとまらせてあげました。12:55 グリーンヒル八ヶ岳を出発。長坂ICより中央自動車道を走り諏訪ICで下りました。14:05 温泉施設をいろいろ検討した結果ホテル紅やを見つけ、到着。まずは入浴する前に、駐車場から徒歩1分の諏訪湖畔に出てみました。水の綺麗な湖を想像していましたが… 岸辺は葉の細かい水草でびっしり覆われ、水も濁っていました。ボート乗り場には水鳥形の小舟が並んでいました。そして遊覧船乗り場には長いマツゲをし蝶ネクタイを付けたスワン形の大型の船が停泊していました。15:30 紅やに戻り14階(45m)にある展望浴場に行き雄大な景色を眺めながら入浴しました。入浴後、隣の休憩室からは亀の形をした遊覧船も見えました。浴場近くの休憩スペースに各種の無料マッサージ機があり一番下の孫は足揉み機に跨がってご満悦でした。紅やを出た後は地元の2つのスーパーに寄り孫の靴と夕食用の食料品を購入。18:04 この日の宿泊地チサン イン諏訪インターに到着しました。ビジネスホテルで3室にチェックイン。その後私達の部屋に集合し、夕食と暫くウノ大会を楽しみ早めに各部屋に分かれて休養しました。孫が寝た後、テレビでサッカー観戦組は私達の部屋で一緒に応援をしました。
2013.08.14
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今年の息子家族・娘家族との夏の旅行を4回に分けて投稿いたします。昨年の旅行もそうでしたが息子と娘が中心になり計画をたてました。今後孫4人もだんだん大きくなると、それぞれの予定ができ一緒に行動できるのは今のうちと思われます。7/26 息子の車に同乗し2:10出発。茅ヶ崎海岸ICより相模川東側の首都圏中央連絡自動車道(一部未完成)を北上八王子JCTより中央自動車道に入りました。4:40 中央自動車道双葉SAに到着。娘家族と合流しました。SAには高い2本のタワーがありました。狭い車内から解放され、SA内のレストランで朝食をとりしばし緑地で手足を伸ばしました。再び中央道を走り長坂ICで下りて北杜市を北上。JR小海線甲斐大泉駅近くを通り8:25 山梨県立まきば公園に到着しました。開園前でしたが入り口近くのまだ車が駐まっていない駐車場で孫達はボール遊びをしたりバッタを捕まえたりポニーが近づいてくると手をさしのべたりしました。9時に入園し牧場を散策、開店したての店でソフトクリームを食べた後信州原村にある八ヶ岳自然文化園に行くことにしました。八ヶ岳高原ラインを西進してしばらくするとテレビで見たことがあるという仙人小屋の看板が目にとまりました。10:20 標高1285mの八ヶ岳自然文化園前に到着。緑豊かな小径を散策し、大きな木の下の芝生でゆっくり寛ぎました。近くにはアスレチック施設もあり、孫達はこれらに挑戦。芝生でもパパ・ママと動き回りました。昼食は 先ほど見つけた仙人小屋へ戻ってとることにして12:19に仙人小屋へ到着。小屋は八ヶ岳の中腹、標高1,350mに位置し晴れた日は富士山、北岳、甲斐駒、金峰山を望められるそう山小屋風の建物には熊の毛皮がつるされていました。キノコ天ぷら定食、イワナ塩焼き定食キノコ刺身をいただきました。キノコの天ぷらはボリュームがありイワナは粕漬けにしたものでした。キノコ刺身は初めてです。山菜のおひたしや漬け物もありました。私が一番美味しいと思ったのは定食に付いていた独特の味がするキノコ汁でした。店には各種の自家製果実酒やマムシ酒も置かれ熊の剥製や出没注意の看板があちこちに置かれていました。昼食後は宿泊地のネオオリエンタルリゾート八ヶ岳高原に行きロッジへのチェックイン手続きをし日帰り温泉施設「花いずみの湯」で汗を流しました。ロッジへは車でさらに奥に行くため小渕沢IC近くにあるスーパーに行き買い物をしました。16:15 ロッジに到着。外観はちょっと古い感じでしたが中はリビングルーム和室2室、3ベッドの洋室、トイレが2つ、浴室を備え屋外にも露天風呂がありました。食事を始めていた所フロントから来客の電話がありました。2009年8月に訪れたことのある北杜市在住の従兄弟夫妻が車でロッジに会いに来てくれ嬉しい再会となりました。従兄弟夫妻からは近況や近くのお勧めスポットを聞き孫たちは息子のギターに合わせて唄ったりウノで遊んだりして1日目が終了しました。
2013.08.09
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6月に住宅地を散策中に目に止まり撮影した花々です。上段の2つはノウゼンカズラ、ボルトニア(アメリカぎく)です。ノウゼンカズラはもっと赤いものもあり、背も高く庭の道路側で見かけると遠方よりひときわ目立ちます。その下の花は夏スイセン、チロリアンランプ(ウキツリボク)ダイアンサス(ナデシコ)、ムラサキケマンポーチュラカ(ハナスベリヒユ)、オシロイバナ、ヒルガオです。次の段はインパチェンスです。下2つのペチュニアとともに春に咲くパンジーと同様花の色が大変豊富でこの時期最も見かける花です。インパチェンスはクライストチャーチに行った時食べられる花(エディブルフラワー)としてホテルの夕食料理に添えられていました。食べられる花としてはナスタチューム(キンレンカ)が有名で花だけでなく葉や幼実もワサビのような辛みが多少あり我が家でも育て食べています。6/23 東京都議選(定数127、42選挙区)が投開票され自民党と公明党は全員当選。猪瀬直樹知事を支える与党として両党で過半数を18議席上回る82議席となりました。共産党は17議席と倍増し民主党は15議席で改選前からほぼ1/3に激減。みんなの党は7、生活者ネットワークは3、日本維新の会は2議席。生活の党、社民党、みどりの風は議席を得られませんでした。平塚駅南口前にあった人魚像の周りがすっかり整備されました。噴水ができ、大きな花のポットが置かれ道路脇にはバラが植えられました。駅ビルでなく平塚駅北口近くで食事をしました。前に小田原で入って気に入っていた「個室割烹日本海」系列の日本海庄やが目に止まりました。サクラさんは刺身定食、私はアラ煮定食をいただきました。いずれもランチメニューで1000円以下。ホットコーヒーがおかわり自由でした。隅の落ち着いた個室に案内され、料理も美味しくいただきました。その下2皿は地区の植栽維持ボランティアグループが集まる食べ物と飲み物持ち寄りの食事会用に私が作った料理です。6/17 平塚総合公園の北側にある湘南天然温泉「湯乃蔵ガーデン」にサクラさんと行きました。かなり前に来たことがありますが今回入ってみるとその時に比べ設備がかなり向上していました。14種類の風呂があり、中でも高濃度炭酸泉風呂はお湯1リットルに炭酸ガスが1,000ppm以上溶けているそうで入るとすぐに身体の表面は気泡で覆われます。腰もみ・足もみ・大噴流のジャグジーは強力で硫黄泉や高温加湿サウナも備え気に入りました。入浴後は中華店により麺と1品が自由に選べるサービスランチをいただき帰宅しました。先日実施された湯河原での宿泊会で出席した人より近況報告を聞き大変刺激を受けました。ボケ防止に備忘録として日々の生活をチェックしインターネットを活用して関連情報を調べながらブログ投稿を継続。週1回の太極拳の講習の受講と機会を作り出来るだけ歩く事も継続しています。こうした中で「キッツウェルネス平塚」(スポーツクラブ)の1週間特別割引の体験入学案内が目に止まりさらに積極的に体力維持のためサクラさんと行くことにしました。6/23 10:05 キッツウェルネスに到着。体験入学の申し込みをし体組成測定と施設の使い方の説明を受けました。50分マシンを使ったトレーニングをした後30分プールで主に水中歩行をしました。プール横にはドライサウナとジャグジー付の温浴施設があり更衣室横にはウェットサウナとシャワー室がありました。1日目の体験入学終了後は近くにあるOSC湘南シティ(Olympic)にでかけ買い物をした後フードコートエリア内の舟平で弦斉カレーうどんを食べました。この週は毎日午前11時前後から2時間キッツウェルネスにでかけ終了後は近くのレストランでランチを食べたりビールが飲みたい時はコンビニで弁当を買い、家で食事をしました。7月からは2人とも会員登録をし現在は1日おきに、時には1人で午後でかけます。何より継続することが大切で体組成が改善されることを楽しみにしています。
2013.07.30
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2012遠出のウォーキング(江の島)Lのブログ記事を書くためにインターネットで関連情報を調べていた時八坂神社の天王祭と江の島アイランドスパに強い関心を持ちました。梅雨が明けると江の島は大変混雑すると思われその前の平日にサクラさんと江の島アイランドスパに行くことにしました。6/3 11:20 JR大船駅を下車ホームから大船観音の頭の部分が見えました。江の島へは今回初めて湘南モノレールを利用しました。湘南モノレールは全長6.6km、8駅で構成され1971年に全線開通しました。実際に乗ってみると3両編成で車内はJRの車両とも遜色ないスペースがありました。単線で途中の6駅の構内が複線となっていてここで列車がすれちがいます。2カ所のトンネル部分以外は道路上を走っていて途中駅は鋼鉄で出来ていると思われますが到着前の断面写真を見ると床が薄いのが印象に残りました。音も静かで14分で湘南江の島駅に到着しました。湘南モノレールを下りるとすぐに江ノ島電鉄の江ノ島駅がありました。江の島に向かう湘南すばな通りを歩きレストランで昼食。サクラさんはてんぷら定食、私はしらす丼をいただきました。食後は通りをさらに南下、134号線を地下道で渡り江の島弁天大橋への道を歩きました。岩屋方面に行く遊覧船のりばも見えました。「名勝乃史跡江ノ島」の碑の横を通り江の島弁天橋を渡ると江の島アイランドスパは目の前でした。近くに青銅の鳥居がありここを潜って弁財天仲見世通りに繋がります。(「江ノ島」から「江の島」への変更は昭和41年10月に藤沢市により新しい住居表示が施行されまた昭和44年1月には藤沢市観光協会により表記を「江の島」で統一する運動が行なわれています。ただし、「江島」「江ノ島」を使っている史跡や交通機関などについては歴史もあることから、変更せずに現在に至っています。)12:50 江の島アイランドスパに到着。入館の手続きをしたところサクラさんはレディースデイのため割引がありラッキーでした。15:00に2Fリラックスルームで待ち合わせる約束をしまずは入浴することにしました。3F富士海湯には天然温泉(中温湯・高温湯)炭酸湯・サウナがありました。私は1時間入った後海水パンツをはきプールエリアにいきました。こちらは屋内プールエリアも3F温泉に比べ広々としていて泳いだりウォーキングをしていました。屋外の露天泉は眺望が良く階段を下りると滝泉や洞窟泉があり気に入りました。2Fリラックスルームでサクラさんと落ち合った後4Fアイランドグリルでビールを飲みました。窓越しに江の島弁天橋と小田急片瀬江ノ島方面2F露天泉・岩屋近くの船着き場が見えました。休憩後はプールエリアで落ち合いました。この日は土曜日の行事の代休があったのか小学生と思われる子供もいました。しばらくすると館内放送で2F洞窟サウナ(アウフグース)で10分間のアトラクションがあるということでサクラさんと行きました。精油を溶かし込んだ水をサウナストーンにかけて発生する蒸気を大きな布でパタパタさせ、アロマの香りを楽しむというものでした。18:00 アイランドスパ入り口でサクラさんと落ち合いました。18:36 弁天橋を渡り小田急片瀬江ノ島駅に到着。近くの焼肉レストランで食事をしました。19:51 構内が照明された片瀬江ノ島駅より小田急江ノ島線の列車に乗り、帰途につきました。
2013.07.20
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横浜散策、湯河原~小田原散策A・B 以外の5月の主な出来事を私の備忘録として纏めてみました。4/28 平塚総合公園を訪れ講習を受けた時作成したペットボトルを使ったハンギングバスケットの花が見事に定着しました。黄色い花がナスタチューム、白がポーチュラカでペットポトルは麻布でくるんであります。右側の3つの花は家の近くを散策していて見かけたもので花の名前をインターネットで調べてみました。上から花の形が神秘的なオダマキ深紅の花はオーストラリアが原産のブラシノキその下はヒルザキツキミソウのようです。5月の第2日曜日は母の日でその前日の土曜日に息子・娘家族が我が家に集合し会食するというので「今日は私が料理を作る」と言って買い物をし写真の料理を作りました。私にとって料理は好きな工作の延長にあり「キッチンが走る」等の料理番組もよく見ます。この日は「ためしてガッテン」でやっていた鳥の胸肉を美味しく食べる方法を試してみました。鳥の胸肉、生イカ、豚のモモ肉ブロック、生鮭切り身を購入。鳥はフォークで多数の穴を空け卵の白身をよくかきまわしたものの中に漬け込んだ後塩と胡椒で下味を付け片栗粉をまぶして揚げました。イカと鮭も片栗粉をつけ揚げました。豚は塩・胡椒・ニンニクパウダーを付け揚げました。鮭の揚物の一部は甘酢に漬けマネリにしました。(オレンジのナスタチュームの花を添えました)冷蔵庫にあったブリの切り身もテリヤキにし野菜サラダとイチゴを付けその他は冷蔵庫にあった料理です。5/17 1304平塚市内散策(金目観音~平塚市総合公園)で訪れた「花菜ガーデン」でローズフェスティバルを開催中(5/14~6/30)との記事をタウンニュースで見てサクラさんと出かけました。11:10 車で混雑する花菜ガーデン駐車場に到着しました。会場入り口近くにはツリー状に植えた花や建物にハンギングされた寄せ植えが見事でした。そしてバラはフェスティバルが始まったばかりなのに今年の桜と同様、開花期が例年よりかなり早まったようで花は真っ盛りの状態でした。年配のカップルで来られた方を多く見かけました。棚に絡ませたもの、真っ直ぐに伸びた枝の先に房状に咲いたもの椅子を置いたバックのフェンスに咲いた色とりどりのバラも見事でした。もう1週間遅いと盛りを過ぎた状態と思われこの時期に来て幸いでした。5/24 散策時に平塚市漁業協同組合が主催する地どれ魚直売会の案内が目に止まり出かけました。14:40 平塚新港荷さばき施設に到着15:00から即売会が開始されました。大きなブルーの発泡スチロールの容器には生きた鰺や鯖が泳いでいました。並んでいて自分の番になると係の人がこれらをタモで掬い生き締めにして氷と一緒にビニールの袋に入れてくれました。300円の鰺2匹と200円の鯖を1匹購入。自転車で急いで帰宅し自分でさばきました。5/25 サクラさんと夕方の散策中に火事の現場に遭遇しました。火事があったのはJR平塚駅南口前東側の一画で既に消防車やパトカーが駆けつけ消火活動に入っていました。黒煙が吹き上がり赤い火炎も見えました。建物が密集していると放水しても中々消火せず火事の恐ろしさを再認識しました。
2013.07.09
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1305湯河原~小田原の旅Aの続きです。14:30 「テルマーレ湯河原」に到着。フロントは無人で「15:00のチェックインまでロビーでお待ち下さい」との掲示がありテレビが放映されていました。四季倶楽部(施設は優良な企業の保養所を活用)直営のこのホテルは所有企業が空室を一般に開放し利用するため厳しい利用規約があり完全予約制ですが料金は割安です。2階まで吹き抜けのフロントをはじめ、ゆったりとした構造の建物は少人数で良く管理されていました。入浴後夕食は食堂でいただきました。配膳は受付の若い女性がし、お茶などは自分で取りに行く方式です。料理は洗練された感じで量はやや控え気味ですが年寄りには十分だと思いました。食後氷の在処を尋ねると、「使ったら部屋に置いといて下さい」とアイスペールに入れたアイストング付きのものを用意してくれました。夕食後は幹事部屋で2次会をし、参加した7人の近況報告を聞きました。心臓の弁の手術を受けた人脳梗塞を体験し早く手当したため後遺症を免れた人前立腺癌で現在も放射線治療を継続している人白内障の手術を受けた人、歯槽膿漏で歯を抜歯した人最近奥さんに乳癌が見つかった人…いろいろ事情があるにかかわらず今回参加され貴重な話を聞かせていただきました。寝室は3室用意され、布団カバー・枕カバーの取り付けと布団の出し入れは各自でやる方式です。翌日は朝食後次回の会の持ち方を話し合いました。いろいろ話が出た中で、やりかたは幹事に一任。集合写真を撮った後解散しました。9:10 ホテルを出発、車で来られた方がいて乗せて頂き私は友人とJR早川駅で下車しました。9:47 小田原魚港に到着。港の入口を西湘バイパスの高架橋が跨いでいました。岸壁には地元の小学校の生徒が描いた絵を元にしたという壁画が並んでいました。魚市場では競りは終わっていて2階に魚市場食堂があり行ってみました。平日AM7:00~PM2:30、日・祭日AM10:30 ~PM2:30が営業時間です。鯖味噌煮:380円、お刺身盛り合わせ:1310円金目煮魚:650円、鰺フライ:550円、マグロ刺身:650円マグロの頬肉煮付:650円… という値段設定でした。お腹が空いてませんでしたので食堂には入らず魚市場前にある小田原早川漁村で魚の干物とイカの塩辛を買いました。小田原漁港を出ると旧早川橋を渡り桜並木が続く西海子(さいかち)小路を歩きました。西海子はマメ科の植物の名で実にサポニンが含まれていてセッケンの代りや薬として使われ、昔の人にとってはなじみ深い植物だそうです。10:29 小田原文学館前に到着。この文学館は元宮内大臣・田中光顕伯爵が建てた住居の別邸だった建物(1937年建設:スペイン風の洋館)で小田原出身の文学者(北村透谷、尾崎一雄、川崎長太郎… )小田原に惹かれて移住した文学者(北条秀司、谷崎潤一郎、佐藤春夫、 村井弦斉… )西海子通りに居住した作家(三好達治、坂口安吾、岸田国士… )の資料が展示されているそうです。10:34 白秋童謡館(1924年建設:純和風の建物)に到着。今回は中には入りませんでしたので詳細はここをクリックしてご覧下さい。10:48 小田原城の二宮神社入口側に到着しました。小田原城についてはぶらり旅1111C(小田原城址公園)Lや2012年5~6月の出来事でもとりあげました。動物園や天守閣周りには幼児の団体が来ていて元気な声が聞こえました。11:35 JR小田原駅に到着。今回の旅は終了し帰途につきました。
2013.07.04
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昨年は国民宿舎「箱根太陽山荘」で行われた旧職場のOB会を今年は5/12~13にホテル「テルマーレ湯河原」で実施しました。私は宿泊地への行きは湯河原駅の1つ手前駅(真鶴駅)で下車しホテルまでそして帰りは途中の早川駅で下車して小田原駅までウォーキングしました。今回はその時の記録を2回に分けて投稿いたします。10:35 JR真鶴駅に降り立ち、駅を跨ぐような歩道橋を渡ると駅前が見渡せました。真鶴中学校横の道を北進するとしだいに高度が増し眼下に初島と伊豆半島が遠望されました。11:23 ゆめ公園に到着。この公園は1998.10.25~27 に国体アーチェリー競技が行われ施設には実施年月日・大会実行委員会会長と社団法人全日本アーチェリー連盟会長(海部俊樹)の名を記したプレートがありました。競技が行われたグランド横の木陰下ベンチで持参したパンとポットの飲み物で昼食をとりました。ゆめ公園から湯河原駅を目指して海側に下山12:32 有料老人ホーム湯河原ゆうゆうの里 前に出ました。見晴らしが良く大変立派な施設でしたが… 結構なお値段(一人入居:3078~4396万円、二人入居:4306~6438万円)でした。すぐ側にはゆとろ嵯峨沢の湯 がありました。湯河原駅を目ざすため地図で東海道線に沿って行こうと思っていた所線路はトンネルで下を潜っていたため気づきませんでした。また西側に新崎川が流れていて、これを渡る適当な橋がなかったため吉浜小学校前から宗徳院に寄り河口に近い吉浜橋を渡って湯河原の町中に入りました。国道沿にあるエスポットモール湯河原店 を覗いた後JR湯河原駅に向かいましたが後で地図を見るともっと近道があったことが分かりました。13:31土肥實平公並婦人像のあるJR湯河原駅に到着しました。土肥實平は相模の豪族中村氏の一族で現在の湯河原町と真鶴町を本拠としていた武将で源頼朝の挙兵(1180/8/17)に参加しました。石橋山の戦い(8/23)では大敗した頼朝を真鶴から安房へ渡らせ(8/28)その地で源氏は再挙し富士川の戦い(10/20)で平維盛軍に勝利しました。その後は源義仲を討伐する宇治川の戦い(1184/1/20)に従軍し一ノ谷(1184/3/20)・屋島(1185/3/22)・壇ノ浦(4/25)の戦いでは源義経と平家討伐で武功をたてました。駅前通りの一角には湯河原温泉由来の碑がありました。駅から西へ歩を進めると色々な花に囲まれたお茶とお菓子の店があり近くにはブーゲンビリアも鮮やかに咲いていました。13:50 東海道線のガードを潜るとすぐ近くにある五所神社に到着。この神社は天智天皇の在位期間(668~72年)にこの地方が開拓された時総鎮守として天照大神以下五柱の神霊が鎮座されたと伝えられ1180年には源頼朝が石橋山合戦進発の前夜社前において戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。石段下には楠が植えられ、竜口に柄杓を当てると水が出る装置があり本殿横には対の狛犬が置かれていました。楠は「神奈川名木百選」に選定されている樹齢:約600年幹周:8.2m、樹高:36mの大楠で「神が宿る木なので手で触れてお力を頂きましょう」との立札がありました。大楠の近くのベンチに腰を下ろしていると本殿の方から下りてくる人がいてそれが何と同宿する友人でした。二人は大楠の幹に触れましたので1%としても6年寿命が延びたかも… パワーをいただきました。宿泊ホテルテルマーレ湯河原はすぐ近くでこの後は次回に報告いたします。
2013.07.01
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ゴールデンウィークの後半5/4~5に私の両親が住んでいた横浜の家に息子と娘家族が一泊し、翌日の昼食を2/4に利用し好評だった「王家菜館」で会食をしました。5/4には折角横浜に行くなら… と言うことで娘家族は横浜赤レンガ倉庫で実施されているドイツフェスタに行くことになり私とサクラさんも現地で落ち合いました。今回はその時の行動記録です。11:01 サクラさんとJR桜木町駅に降り立ち駅前には日本丸メモリアルパークがありました。そして傍らから新港地区へ向けて大岡川河口の湾を横切るように延びている汽車道(山下臨港線プロムナード)を通り横浜赤レンガ倉庫に向かいました。汽車道(JACKさんの記事をリンクさせていただきました)はかって新港埠頭へ鉄道で物資輸送をしました。細長い人工島と3つの橋梁とを組み合わせて整備され今でも路面にはそのレール跡が残されています。湾岸に目を転ずると左側からクイーンズスクウェア横浜のビル群が建ち並びその右側に2008年に宿泊したことのあるパンパシフィック横浜ベイホテル東急が見えました。そして中央にはインターコンチネンタルホテルと半月型をしたパシフィコ横浜が見えその右側によこはまコスモワールドの大観覧車が見えました。帆船日本丸後方には横浜みなとみらい21地区のシンボルともいえるランドマークタワーが見えます。汽車道を進んでいくと前方に絵画の額縁をイメージしたという横浜国際船員センター(ナビオス横浜)が見えてきました。よこはまコスモワールドの遊技施設の後方にパシフィコ横浜が見え汽車道は多数の鯉のぼりが泳ぐナビオス横浜の中に通じていました。11:25 赤レンガ倉庫前に到着、すぐに娘家族と合流することができました。赤レンガ倉庫は2号館は1911年1号館は1913年に竣工された歴史的建築物の愛称で2002年に現在の施設に整備されてオープンしました。私が2008年に来た時は花壇になっていた所は机と椅子が並べられ大勢の人でごったがえしていました。透明のプラスチックのカップに入ったビールはレギュラー(800~900円)・ラージ(1000~1300円)食べ物は枝豆(500円)~ソーセージ(1800円)~ロブスター&ステーキプレート(4000円)と高価でした。少人数の楽団演奏を聴いた後はすぐ近くの横浜ワールドポーターズ内のレストランで孫達はソフトクリームを、大人はコーヒーを飲み汽車道を通り桜木町駅に引き返しました。13:59 日本丸(白い帆船)前に到着周囲のイベント広場ではフリーマーケットが開催されていました。古着や雑貨等を格安で売っていて、娘はいくつかを購入しました。横浜の家に到着後しばらくすると息子家族も駆けつけ3家族(孫が4人)が一緒になり、賑やかな夜を過ごしました。5/5 朝食後皆で庭の植木の剪定・除草・清掃をし大量の枝・葉・草を袋詰めし、ゴミ収集日に出せるよう家の北側に積み上げました。終了後は白百合公園で孫達は元気に遊びました。11:23 王家菜館に到着2Fの宴会場で赤い回転テーブルを囲み中華料理をいただきました。餃子は特に好評で追加注文したこともあり終わりの頃出た料理は皆満腹でプラスチックケースをいただき持ち帰りました。会食後私は翌日がゴミの収集日であるため横浜の家に残ることにしそれぞれ帰宅の途につきました。
2013.06.17
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