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父 柳居は、大正五年生まれだから 昭和十一年の現役召集。直ぐに中国大陸に渡って 支邦事変 日中戦争に従軍して、兵・下士官としては誉の高い 金鵄勲章を貰った人。 太平洋戦争では 陸軍海軍と言われた 船舶砲兵として 終戦を迎えた。 酒が入る毎 ご機嫌で唄う曲は、軍務の有った頃唄っていた曲ばかりだった。我々の産まれる少し前 日本は軍国国家だつた。兵士たちは勇壮な軍歌を唄っていたのでは無かった。 後の世の分類と思うのだが 軍歌と戦時歌謡 父の唄っていたのは 其の戦時歌謡 厭戦歌だったのだ。如何いうタイトルの付いていた曲か判らないが 歌詞フレーズを今も思い出す。 『嫌じゃありませんか 軍隊は 金の茶碗に 金の箸 仏様でも有るまいし ・・・』歌謡曲の世界 服部良一氏の活躍は、戦前 昭和九年の『別れのブルース』淡谷のり子の歌唱のレコードから始まった。レコード会社の文芸部の小間使いをしていた 藤浦洸氏に声掛けたのが最初だった様だ。 斬新な 今迄耳にした事が無かったメロディ 日本人の手になる曲を日本人の歌手が唄うという事で 大ブレークした。歌手の淡谷のり子は 譜面を貰った時 私の唄う歌では無いと 付き返したという 彼女はクラシック畑 声を潰して唄わないとと言って煙草を沢山吸ってから レコーディングに臨んだというクラシックの声楽か 浪花節系 民謡系 芸者の小唄・端唄しか 耳に届かなかった時代 ポップス系という 歌のジャンルを切り開いたか 創造した人だと思う。『山寺の和尚さん』「マリは突きたし マリは無し・・・」昭和十二年 コロンビア 中野リズム(ホット?」ブラザースの歌唱昭和十四年には 藤浦洸と デュエット曲 『一杯コーヒーから』を出している 霧島登と ミス コロンビア 後この二人は夫婦となった。のちミスコロンビアは 敵制用語の名乗と言われ 松原操と改名した デュック・ミネも本名をなのっていた時期が有った。『ラッパと娘』昭和十四年 服部と笠置シズコと縁が出来た曲 『蘇州夜曲』も服部の作 霧島昇と 渡辺はま子とのデュエットだったが 映画化の時に 李香蘭が唄う事になった。軍歌は勿論の事 軍事歌謡と云うのも作らなかった様だ。 否 一曲だけ 出征兵士を送る妻の歌『夜のプラットホーム』淡谷のり子の歌唱で世に出す直前 軍から、戦意減退を招くと発禁処分を受けた 戦争が終わってから 二葉アキ子の歌唱で大ブレークした今 笠置シズコ伝を テレビで放映しているが、ブギブギブームを作ったのも服部良一 番組の中での音曲は 良一の孫が担っている。
2024.01.31
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今年に入って 昨日までで、肌色が違ったり 日本語を話さない遠来の客人が 35人にもなった。仕事中は殆ど会話を交わす事は無いのだが、終ってからは拙い英語と 音声自動翻訳機の助けも有って 話しを交す。ご来店が印象深く残る事が、目指してやって来た人への 何よりのお礼になると思うのだ。 韓国と台湾からやって来た二人 請求金額より少ない額を払って帰った客人の話し。 韓国の人は、体の大きい髪の毛の刈り映えのある 好男子 髭も結構濃くで 先ずは上出来の仕上がり 例のメッセージ帳は 英語で書くのか?と聞かれ ハングル文字でお願した。 支払いの時カードを出された。キャッシュオンリーと云うと ポケットの財布を取り出し 二千五百円が出てきて コートや服 ズボンのポケットをひっくり返す様に探したか 小銭少々 〆て二千七百円 請求四千円に千三百円足りない。 直ぐマネーチェンジに行くと云うから、今日は二千七百円だけで結構 値下げするのでは無く 次に来るとき千三百円余分に持って来てね 貸したお金 利息は取らないと言ったら 大笑い 必ず又 日本に来たらこの店に来ますと言って帰られた。 借りた金 返すという来日の大きな動機を作って差上げた。 台湾から来た人は 日本語が飛びっきり上手 日本にお住いですかと聞くと 京都大学の大学院に居ますと云うから 専攻はと聞くと 哲学ですと答えが返ってきた。実に色々な人との巡り合いが有るなと思いつつ 漢字は読めますか?と問うと 大丈夫ですと云うから ブログのブレント版一枚差上げると パラりと眼を通して 真言宗という字を見つけて 高野山のお寺に泊まった事がありますと言われた 英文のメッセージを書き残してくれた料金を聞かれ 四千円ですと云うと 千円札四枚出された、一寸待っててねとレジから百円硬貨四枚出して 握らせた。怪訝な顏をするから 『学割』『学割』と云うと お釣りの四百円が余程嬉しかったのか 必ず又来ますと言って帰られた 一回限りの四千円より 日本に居る限りやって来る三千六百円の方が 店としては売り難いと思うのだ、学割は安売りの名目では無いが 外国からの留学生にはうける様だ。
2024.01.30
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昨日は、ご高齢で店までお越し頂けない方のご自宅まで 出張の散髪に出掛けた。 東山区の馬町の坂道を上ってお寺の楼門の直ぐ傍がご自宅。数十年この坂を上り下りして 柳居子の店まで通い続けて頂いた事を思うと、坂道は何の造作もない事。 奥さんは 自宅介護が出来ないと施設に入られて何年か経つと仰っていたが、今月八日に亡くなって 十一日に家族だけで葬式も済ませましたが 役所への手続きとか色々な用事が やつと片附いたところですと仰った。 お悔やみを言いつつ 奥さんとは幾つ年が離れておられたのですか?と聞くと 同じ年 家内は一ヵ月だけ遅く生まれました。父 柳居の一回り下の辰年と聞いているから 1928年 昭和三年生まれの 九十五歳か 御夫婦揃って 九十五の片方が亡くなってお寂しい事だと思ったら『施設に入って 寝てキリ 何の反応も示さない家内でも 生きてくれているだけで、自分一人では無いという思いが徒弟ましたが、周囲 誰も居ないという感じになります。』『奥さんは 確か堀川高女のご出身でしたね、 私の母の何年か後輩でしたね。』と声掛けたのが 呼び水になったのか 御出身の桃中 桃山中学から 暫く軍籍が有った事 少年兵で 気象兵という役職 気象の道に進むと親に言ったら、何処に飛ばされるか判らない 先にどの様になるのか判らないと 父に諭され 師範学校に入ったという、教員時代の色々な事 走馬灯に浮かんだ事を次々とお話をされる。昔話は 語り聞かせる相手が居て滑らかに出てくるもの 黙って聞いているだけでは駄目 話しの内容をちゃんと理解していますというアナウンスも大辞と云う事を知っているから 格好の話し相手になるのだろう。出張の仕事が終わって 帰り際 お父さんの貰った写真のコピーが出てきましたと見せて貰った。父と母 柳居子兄弟 その当時居た店の人と職人さんの集合写真 誰に撮ってもらったのか判らないが 画像の中に写っている日捲りカレンダーには 1959年と読み取れるから 昭和三十四年の画像か? 柳居子14歳 弟は12歳 六十五年間が フィールドバックする。住込みの店の子五人 職人さん一人 六人の人を使いまわしていた 母は大勢の食事を始め諸々の用事を一手に引き受けていたのだ。 写真に写っている人は 柳居子と弟以外は全員がこの世の人では無い。月に一度の 出張散髪 二月は二十五日と決まって カレンダーに散髪の日と柳居子が赤字で大きく書き込んだ。
2024.01.29
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かれこれ 二十年近く お付き合いのある女性 カールフレンドと云うより 娘 京都のお父さん感覚か? 店にやって来た 未だ結婚前 京大の院の時代か 博士論文が 京都市内の終戦間際の強制疎開がテーマだった事も有って 誰の紹介だつたかは忘れたが 未だ強制疎開の体験者 家を潰しに行った人の話しが聞けるようにと 手配をしたのが御縁の始まり。ブログ記事も読んでくれていて 時々 食事を共にする事も有った。中華料理屋さんで食事をしながら『今度 結婚します。』 と言われて吃驚したが お父さんに報告という感覚だと直ぐに判った。子供が産まれますと言われたら 安産のお守りを届けたり ご亭主の頭も柳居子が 刈るようになって随分経つ 二人の子育てが、大変な事は充分判るのだが、子育ての間にするアルバイトが 博士となるまで学んだ学識とか 其れをその次の代に伝えるという キャリアを生かした仕事が全く出来ていないなぁ という思いを持っていたが、精一杯頑張っている彼女に其れを言うべきでもないから 京都のお父さんは 見守り隊を任じていた。 昨日店にやって来た目的は、京都の大学に 五年という年を切ってでは有りますが、仕事が出来る様になりました。という報告だった。どの様な内容になるのか 詳しくは聞いてないし 聞いても判らないと思うが,『教鞭』を取るという 彼女が一番目指していた仕事に就くという知らせを伝えに来てくれたのだと 嬉しく思った。
2024.01.28
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朝の珈琲屋 柳居子の来店歴を物語る一枚の写真が在る。旧いアルバムの 17歳の時の写真 この店で珈琲を飲み干している一枚。誰が撮ってくれたのか記憶は無い。 79歳から17引くと62年間 この店に通っている事になる。否 それ以前からこの店に通っている事になる。 常連席 5番テーブルが固まったのは、そう古い事では無い。出火騒動が有って 中庭を残して ほぼ全面的に建て替えた時から、入り口入って右側の木目調の大テーブルが、常連席になった。六十余念 毎朝 色々な人と 珈琲挟んでの会話は 柳居子の血肉となった部分も有る。今 十七歳当時の事を思い出すと、同席の殆どは 明治・大正生まれの人ばかりだったが 良く一緒に珈琲を飲む仲間に入れて貰えたのが 有り難かった。 珈琲を毎日飲む 小遣いが、潤沢に廻っていたと思われるかも知れないが。其の頃既に 小遣稼ぎの出来る 雀士だった。親から貰う金より 麻雀で稼ぐ金が一桁大きかった。年嵩の同卓の 先輩・師・先達という 柳居子を可愛がって貰った人たちは もう誰も居ない 宮川町の検番の理事長をされていた お茶屋『駒屋』の駒井富太郎さんから 『この卓で、最後まで残るのはあんたやね。」と言われたのも もう五十年以上前の事る 五十年を経て 今 師匠とか先生 親分などと呼ばれているのだが、珈琲屋通いをしているだけで 何故そんな称号が付くのか判らない。今 常連席 五番テーブルのメンバーを見渡すと 殆どが柳居子と同じ年代か少し若いというレベル。誰彼なく 遠慮なく 喋り合える場所 朝の居場所を共有できる若い人を作る事に心掛けている。時々離れた席に座り珈琲を二杯飲む若い人に 声掛けて『此処 空いてるよ』と柳居子の隣りに招字るのだが『そんな 空恐ろしいところ よう座りません。』という『取って喰わないよ。』と云うのだか どうも今の若者は 年寄との会話を疎ましく思うのか 若しくは柳居子の目付き 雰囲気が近づき難いか 近づいたら何かが起こると恐れられているのか 鏡見て 優しい目つきを研究 訓練しては居るのだが 効果の程は判らない。
2024.01.27
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真夏だと、早朝と感じる午前四時・五時台も 今の季節は未だ漆黒の闇夜の感じがする。毎朝この時間帯に自宅から店に向かうから。年間通しての 町の定点観察 時間軸での観察をする事が出来る。 本サイトご覧の 殆どの方は、この時間目覚めて 枕もとの時計を見れば もう一眠りの時間だと思うが、深夜出勤から夜明け前の早朝出勤を経て陽を背に受けての出勤 秋風が吹くころは この逆の展開となる。 午前四時 流石に自家用車を見る事は少ないのだが、営業車トラックの往来は結構多い。特にコンビニとか飲食関係の店が集まる 御池通り 地下街に商品や材料を納入する車は。順番待ちという状態になる。 毎日見ていると納入の順番まで決まっているのかなと思う時も有る。トラックの運転手は 単に荷物を運ぶだけでは無く 荷を何処に下ろすのか 荷降ろしの順番と云うような細かい所まで気を付けねばならない様だ。売り上げを数えて翌日の発注伝票などと考えるのは、時代遅れと云うより もう時代を知らない人の事を言うのだろう。売り上げと同時に翌日の発注情報が 届くのだそうだ。 新聞はいたつも早朝よく見る風景だが、最近はバイク配達が多い様に思う。一軒づつの軒並み配達が無くなり 途切れるから 購読者の減少は、考える以上に深刻な様だ。FB繫がりの有る 全国紙の記者は、新聞の先が見えたのか 社会保険労務士とか言う資格を取って これからは舞台を変えて頑張ると書いていた。綺麗に短く散髪していたのが 長髪になっていた。 新聞の購読はしないが、コンビニに新聞を買いに行く人が 二人居る 自分が読みたいと思った記事が載っているかなと思った日だけ買いに行く様だ。 犬の散歩と云うより 用便のお伴は 早朝に行く人も多い。犬の首輪にキラキラと煌びやかに点滅する飾りを首輪に付けて有ると 当目にも良く見えて 自転車走行は 有りがたい。ホームレスの移動が多いのもこの時間帯 暖房の効いた地下街などは 電車とかバスが動き出す頃からオーブンするから 暖かい所で仮眠か本寝をするのだろう、今朝などは、凍死の気温だった。 町は眠らないと言われるが パン屋さん 特に製造される仕事などは 早朝スタートが早い 夜回りカードマンなどは 昼 寝る仕事。 NHKラジオの深夜放送 午前三時に決まって出てくるのは『お仕事夜遅くまでご苦労様です。又 一日の始まった方 おはようございます』という。 町は眠らないと NHKも言っている。
2024.01.26
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深夜ラジオの歌番組が、山口百恵の特集を組んでいた。流れる曲は耳にした曲も有れば そうでない曲も有ったが、『ひと夏の経験』という曲が流れだした時、眼が点になるが如くに 耳が点になった。其の歌詞と謳い方に吃驚したのだ。 歌詞内容は 愛しい男の爲なら、身も心も全てを捧げる 後悔はしないとまで言及している。大方の人は、聞き流せば良い曲として歌詞を問題視する人など居ないと思うのだが、柳居子はよくこの曲が放送コードの引っ掻かせなかったと思うのだ、何十年も前だから その当時としては問題視されなかったのだろう。山口百恵 十五歳の時の歌唱を添えておく。 作詞家のタイトル付けにも 工夫が見られる。『一夏の体験』は 何等問題は無いが『夏の初体験』は、お咎めが有ったかなと 実に下らない事を考えるのだ。 山口百恵は、僅か七年程の歌手生活 二十才台半ばの全盛期に引退 今も彼女が現役でこの曲を唄っても 拍手が出るか如何か判らない。時代を創って、全盛期のイメージ其の侭の姿を残す 大スターは老いさらばえて、老残を見せない事も大事な事 引退とか死という終焉は 何時までも大スターと言われる大きな条件の様に考えるのだ、 美空ひばり・石原裕次郎・ちあきなおみ・山口百恵 他 余り思い浮かばないなぁ
2024.01.25
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昨 二十三日 満 七十九歳となり 大勢の方から お祝いのメッセージや お祝いの品をお送り頂いたり お届け頂き、誠に有難うございました。 本来ならお一人毎 お礼の返事をせねばならないのですが、略儀 本サイトでの御礼で失礼致します。 二千六年の四月から始めた 楽天のブログへの連載が契機で、殆ど目礼を交わすだけの関係だった人が 親しげに声をかけて来られたり 又 一・二度お目に掛っただけでも 細い紐帯は途切れる事無く 何時までも続いている事も有ります。 私自身は、思う事 知った事 想いだす事等を 毎日文にしてアップして 毎日 皆さんと会話を交わしている様な気分で 好き勝手を書いています。 本や新聞に載る文 書かれた本人を直接知っているというケースは少ないと思います。名前は良く知っていても其れ以上筆者を知る事は無いと思いますが、ウエブサイト ライン繫がりは、今どき珍しい 漢字の多い長文介して 柳居子と会話を交わしている様な気分で 読んで頂いているのではないかと思うのです。年を取る毎 交遊の範囲と云うのは、狭く成るものと考えられますが、私の場合 この歳になっても、新たな出逢いの有る事を嬉しく思います。又 八十歳近くなると 認知症や呆けの始まる世代かと思われます。 自分自身の呆けは自分には判らないと思い、特定の読者に「何かおかしい事を書きだしたら 遠慮せず 教えてね。」と呆けのチェック役をお願いしているのだが 先日有る人から 『あんたの書いた物 こっちが判らなくなったら チェック役は果たせないなぁ。』と言われた。『なるほど そういう事も考えられますね。もう少し若い読者にチェック役を頼みますという遣り取りも有った。改めて 私の誕生日に 遣わされた お祝いのメッセージを始め 諸々に、厚く御礼申し上げると同時に 皆さまの変らぬ日々 平安をお祷り申し上げます。
2024.01.24
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朝の珈琲屋へは、交される会話が面白いと思う人が居るのか 京都へ来たついでに、常連席にわざわざ座りに来る東京本面からやって来る人が 途切れない。大変なキャリア 東京大学法学部卒と云う人も 柳居子の隣りに座る。 昨日も中央官庁の0B 監と呼ばれた後 庁官と言われる席にも居られた人との会話 どちらかと云うと 柳居子の一方話し 面白そうに聞いて頂いた。 官命詐称もせずに、又 未だ暴対法も無かった時代、一言発しただけで、絡んできたヤクザを追っ払った話し。『腹が据わってますね。』言われた。『仕事柄と云うのも大きいと思います。』どんなに名の高い 知れ渡った人でも 散髪の間は、人間の一番大事なところ 顔や頭に鋭利な着物を突きつけているのだから 名前や人見て怖じけづくと。手が動かぬ 理髪の椅子に座れば皆 同じ人間 そういう考えを持たないと、手が震えるという事になる。『天皇陛下に刃物突き付けているのは。理髪師以外には居ないと思いますよ゜』と云うような話の展開。 世間の常識は、 立身出世を果たし 誰からも崇められる様な存在になると,人は本音の話をしなくなる。自分の思った事 考えた事を誰彼かまわず 遠慮なく云う事が出来るのは、ある意味 自由人と思うのだ。このスタイルで昨日まで来たから これから先も柳居子風を 貫こうと思って居る。 昨日 ブログプリント版を 地元紙本社受付へ 三枚届けた。受付嬢二人と傍に居たガードマンの男性に、ポケットに入っていた飴玉三個 一つづつ『今仕事中は、口に入れない方が良いよ』と言って差し出した。ガードマン氏 大喜びだった。
2024.01.23
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ブログ記事を 書きはじめて、三日めの 2006年4月27日。国で頑張っていた人の事を書いた。 今 彼は 生まれ故郷の 京都で 頑張りたいと。頑張っている。 2006.04.27行革委員会 カテゴリ:カテゴリ未分類久しぶりに国会中継を見た。旧知の参議院議員松井孝治君が 行革特別委員会で全閣僚の前で論陣を張った。 通産官僚として橋本内閣の行革シナリオを書いたから質問は、正鵠を得て舌鋒鋭い。どれだけ突いても 効果の程が判っているのも質問者として甲斐のない話しだが言い続ける事は意義がある。 この国のお役人さまは、恐れ多くも大化の改新以来の連綿と続く保身のノウハウを身につけた鵺のような存在である。殆どの役人個人は皆立派な社会人である 念の爲一言。
2024.01.22
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たまに出逢って『元気にしてるかー?』という問いかけは、我々の世代になると、生き死にの話しになる事が多い。 例によってブログプリント版配達先 玄関家の鍵が潰されていた。真向かいに住んでいる 中学校同級だったF君に話しを聞くと、家の中で倒れていて 運よく携帯電話で助けを求めたのだが 内側から鍵が掛っていて 中に入れないので 緊急事態と云う事で 鍵を潰してようやく助け出されたという。万一に備えて隣家に 鍵を預けていた事は、後から判った事。年末に散髪にお越しになったが 予後が心配な人 随分長いお付き合いがある。 真向かいの変事を教えてくれた同級生とも 暮れに一度飯でも食いに行こうと誘ったが 直前 妹の具合が悪いとかで お流れになった。『妹さんは その後元気になられたのか?』と聞こうとした前『妹は、暮れに死にました。』と言われた。兄と妹二人の三人兄妹の真ん中 七十六歳でしたと言う。『今の時代の旅立ちには 少し早いね ご愁傷様』と云うのが精一杯。 兄の同級生は、未だ頼まれ事があると 仕事をしている。 お互い現役の様な顔をして もう暫くは 頑張ろうと言って別れた。 出先 祇園町のお茶屋の女将さんから、 狂言の会に出ますと 案内を頂いた。八十歳は越えておられると思うのだが 至って元気 常はジーパンを穿いている ジーパン仲間と記念写真を撮った事も有る 狂言の会のプログラムに 自分の出演時間が 朱色で書き込んであるから、出掛けないと不義理という事になる 二月の日曜日も予定が 埋まっていく。 明日79歳になる。 この歳まで 親に感謝の日である。
2024.01.22
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お名前はと聞かれ、國弘のヒロは、弘法大師の「弘」ですと答える様になつて、弘法大師に興味を持ち、随分沢山の本を読み、伝記だけでは無く 大師の書かれた物にも眼を通してきた。 勿論 四六駢儷体が読める訳では無いから 現代語訳だが、聾瞽指帰 仏・儒・道 三教を論じて 仏道に進む事を宣言した書面も 京都国立博物館で開かれた 空海展で、見た事がある。 又 真言宗の偉いお坊さんとの接点も有った。 何十年も前 偶然店にお越しの客人は、横浜の県立金沢文庫長の名刺を頂いた。 曼荼羅の研究家として有名な方と知ったから 『空海は,遣唐使と一緒に唐に渡って 幾許も経たぬうちに 恵果和尚から両部の伝承者として 位と云うのか お墨付きをもらっていますが 如何いう背景が有ったのでしょうかね?』と尋ねた。偶然入った床屋の若者に 思いも掛けない質問をされて 吃驚された。 真鍋俊照師 真鍋師の著作も二冊持っている。後 四国霊場めぐり 第四番の大日寺の ご住職を務めておられた。 弘法大師は、異能の人と云う意外に言葉が見つからない。又其の業績に付いては、後世の人が作りだした 空海伝も有るようだ。 面白い話が伝わっている、『弘法も 筆の誤まり』『猿も木から落ちる』によく似た 成句 どんな達人 名人でも 時には 失敗する事も有るという例え話に 引き出される。空海が活躍した時代の人としては 珍しく 自筆の文書が残っている 嵯峨天皇・橘逸勢と空海を三筆と云う。弘法も筆の誤まりは、今昔物語に出てくる話で、内裏の門 応天門に勅命を受けて 門に掲げる扁額の揮毫を命じられ書き上げ 門の上に掲げたところ 『応』の一字 心の 点が抜けていた。 空海は慌てる事も無く 大きな筆に墨を一杯ふくませて 下から投げつけると 点が所定の位置に納まったという話し 今昔物語の中に 出てくる話だから 大凡 実話とは程遠い事だと思うが 大師をより高める役割は果たしていると思うのだ 弘法大師の 『弘』一字頂いた柳居子は 悪筆 八十近くなってこんな字しか書けないのか 自分の書いた字を情けなく思う事が多い。
2024.01.21
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神社の 創建 建立の由来は、色々と有る。不遇の内に亡くなった人の御霊を弔うとか 慰める目的で建てられたのが 御霊神社や 北野天満宮 御蔭神社等・・悪疫退散 病気平癒 流行り病を祟りと考えるのは医学知識が発展する前は当然の事だったと思われる。春の祭りは豊作祈願 夏は病魔退散 秋は豊作御礼 やはり一番の願い事は、現世利益。 出世とか 金儲け 家内安全 も現世利益を祷るのだと思う。 神頼みと云うのは、医者が見放した瀕死の状態 頼るは神のみと云うのも有れば、お賽銭を弾んで、もっと金が入りますようにと、伏見稲荷の鳥居の寄進集めも名高い。 大願成就を祈る神社が、山科区に在る。『大石神社』 この神社の由来は 以前本サイトに載せた事も有るが、御法度の殿中での刃傷沙汰で、切腹を命じられた 播州赤穂の藩主 浅野内匠頭長矩の辞世 『風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん』と詠んだ主君の無念を晴らそうと 大石内蔵助以下四十七士が、紆余屈折も有って 主君の仇を討ち 高輪泉岳寺に引き上げてきた顛末を 浪曲師 吉田奈良丸が、大石隠遁の地 京都 山科で独演会が開かれ 聞き入って 感じ入った人達が 内蔵助の由縁の土地でもあるから 大石を顕彰する目的で 神社を作ろうという話しが出て 時の市長も雷同して 昭和十年十一月十三日に創建された新しい神社である 大石が 主君の仇討を時間掛けて 大勢の仲間と果たした 大願成就した事から 大きな願い事がある時お参りすると良いとされている。本殿の横には「義人社」がある 浪士たちに武器を調達したという天野屋利兵衛も祀られている。奈良丸の浪曲の聞かせ場でもあった。 義人社は商売の神様という事になっている。
2024.01.20
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久し振りに銭湯に出掛けた。寒中しては暖かいし 、湯冷めする事も無いだろうと 自転車で出掛けた。 家の風呂は隙間風だらけ いつもシャワー替わり 瞬間体を温めるだけのもの。 銭湯育ちは 風呂と云うのは(銭湯)というのが身に沁み込んでいる。たまにしか行かないのに、話しかけてくる人も居る。裸同士の会話は 隠し事なく衒いのない話題が中心 風呂屋で言い争う様な場面は 見た事が無い。銭湯四方山話しと言ったところか。 銭湯仲間 一番印象深く残っているのは。未だ中学校に通っていたころ 新京極に在った〖桜湯〗で 出逢った ウイリアム T フルブッシュさん 父柳居の一回り下の辰年だから 存命なら96歳くらいか 朝鮮戦争に従軍され その時暫く居た日本が お気に入りになり 松ヶ崎の 工芸繊維大学や京都女子大学で 英語の講師として日本での生活を楽しんでいた、 偉丈夫で 日本の家庭風呂には体が納まらず 銭湯大好き 柳居子の出掛ける時間と重なって言葉を交わす様になった。時々馴染みの洋酒喫茶へ連れて行ってもらった。勿論 アルコール類を飲む事は無かったが そのうち一緒に旅行という話しになって 伊勢志摩の国府(こう)というゴルフ場近くのリゾート旅館に泊まった 同行は 和歌山大学のジャック先生 宝酒造関係の 溝縁さんという学生さんもご一緒した。 何十年も前の記憶で 鮮やかに甦るのは、伊勢の町の寿司屋に入って ビルさんが店主に「むらさき 頂戴」と声掛けたこと『むらさきて 何の事?』と聞いたら『お醤油の事だよ。』 と言われた。 醤油にむらさきという別名がある事を。異国の人に教えて貰ったのは 柳居子ぐらい 他には居まい ビルさんとの思い出は他にも色々ある、 数十年経って 今年は正月から 遠来 海外からの客人が 昨日で28人を数えた。言葉も碌々通じないが 外人怖じをせずに 対応が出来るのは。中学校時代に 年の離れた外人さんの仲間という意識が 根柢に造られたと ビルさんとの御縁に感謝しているのだ。
2024.01.19
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老いこんだという事を、実感する事が 多くなってきた。 何年も前に、庭の塀 土塗りが、元の色が判らない程 汚れてきたので、高圧洗浄機と云うのを買いもとめて、其れこそ新築の塀の様に綺麗になったのだが、一年半程経って お正月を迎えるから 再度洗浄機のお世話になるかと 取り出したのだが、取扱い説明書を大事なものと、他に保管した覚えは有るのだが、何処に仕舞いこんだか思い出せない。 一度 説明書見て上手にセットして使ったのだから 思いだそうと 試行錯誤したが諦めた。 数年前の事だが 件の取扱い説明書が出てきた、時間作って庭の塀を綺麗にしようと思って居る。 新しく買った掃除機も 吸い込んだゴミを出すのに 未だ説明書を頼りにしている。新参のトースターは 何分に目盛を逢すと どの程度の焼け具合になるのかが 判って来た 取扱い説明書なんて 絶対若い人向きに作ってあると思うし、間違って使った時の免責事項が細かく書いてある、 道具其の物が説明を受けなくても良い 箒(ほうき)・塵取り・雑巾・バケツ・磨き砂 畳住い 柳居子は そういう世代だと思うのだ。
2024.01.18
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時々『京都の事 何でもよくご存知ですね。』と、言われる事がある。生れ育って 八十年近く過ごしていると、その間に見知る事はあっても、自分の生活の範囲内の事 又 興味の向く部分だけ 其れも学術的な検証は一切無しの内容 著すのでは無く 語る事が出来ても 其れを史実として受け取って良いか如何かは 語る者には判らない。 よくご存知では無く 殆ど知らないというのが妥当と思うのだ。 考えてみると 今 現実に起こっている事でも、表と裏が有り 双方が歴史の担い手 また 権力の移譲に伴う前任者を悪しく扱う事は、継いだ人の権威を高める事にもなる。栄枯盛衰は世の常 又時代によって 命とか 名前 家 主従関係など 今の時代では理解できない仕組みが有った事も事実 史実と言っても 今の人が理解し易い様に作り変えるストーリと云うのが正しいと思うのだ、 知人で テレビ映画の 時代考証という役目をしていた人が居た。時代考証のしたという名前を貸すだけの役どころ 正しい考証をして画像 動画を作ると 視聴者から不評を買うのだそうだ。今風の価値感を活かして 理解し易いになる様に アドバイスするのが 時代考証の役目とか 言っていた。京都人のサイトに 『京都の事なら 何でも聞いて下さい。』とか 『京都の事ならお任せ下さい。』 と、大きく構えるサイトも有るが、京都の深遠なる事を余り考えないから、そういう名乗りが出来るのだと思うのだ柳居子自身が、京都に付いて一番興味の湧く事は、維新後の京都の事 京都の象徴たる天皇が東京へ移御されても 連綿と今の京都が 残っている事に ある種の感動を覚えるのだ。
2024.01.17
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京都の街が『国際文化都市』の名乗りに対しては。歴史的な実績が有り。又伝統文化とか 産業と云うのも保持してきたと思う。しかし現況は、そういう文化 伝統行事 又産業が、この先同じように続くのかという保証は無いのだ。 何が一番の問題かと云うと それは担い手が 出てこない事である。 卑近な話だが、近所の御所八幡宮 神輿の担ぎ手 若い頃見知った顔が 年取っても若い担ぎ手が現れないのか 担ぎ手の 平均年齢が毎年一歳ずつ上がる 何か先が見えている様な感じがする。 高度に専業化された 京呉服 和装業者は、作り手(川上)と売り手(川下)とか絵付け 縫製などの高齢化が 眼に着く。 息子に継がす事に、誰もが 先行き不安を感じるのだろう。立派な息子が居るのに 他業種に進む事を親は何も言わない。京都の商家は 大店であっても 表と裏 表とは店 仕事場 裏は住いという 職住共存が当たり前になっていた。伝統とか後継者を生み出す 大きな役割を担っていたと考えられる。呉服が実需の時代は遠い過去の事では有るが 若い人が 母や祖母の着た呉服に袖を通す様な展開にするのは 何をすれば良いのか 京都は 学都と言われ 京都以外からやって来る若い人が 沢山学びにやって来るが 学びが終ると殆どの人は 京都を離れる。若いこれからの社会を構築する舞台とか 土壌が京都は 少し脆弱なのか 京都の未来を語るような機会は 滅多に無いのだが 市長選に立候補の人と前に話し合った事を思い出して書いてみた。
2024.01.16
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いつも変らぬ日曜日と書くと、常と変らぬ日曜日という意味になるのかな?いつも通りの日曜日と書いた方が良いのか。 営業日は外をウロウロ出歩く事が無いから 日曜日に無碍外出が集中する。 ご招待の催事も有れば 義理を果たさねばならない外出も有る。ブログのプリント版も日曜日に配達する事が多いから 必然的に 人との会話とか対話が 仕事の営業日に比べると 大変多く 又 交す話の内容も多岐に渡る。 朝の珈琲屋では 九十一歳の独居のお婆さんとの会話 『八代亜紀という歌手が死んだと新聞に載ってたのに、テレビ掛けたら歌を唄ってた』と言われた。 一寸説明が難しい。 『生きている間に ビデオと言って映画を撮ったのを放送してますのや』と説明 『ああ そうか 死んだ人がテレビに生きて出てくる筈は無いな』と理解の手助けをする。息子さんが近くに住んでいるから 色々と世話をされているが、原則独居 一日中誰とも話を交さないから 柳居子は 格好の話し相手と 声掛けて来られる。自分が将来逆の立場になれば 話し相手になってくれる人が居るといいなぁ そう云う事を考えると 無碍に出来ない。珈琲屋から帰ると 訪問客 選挙応援の動画撮影 シナリオは殆ど出来上がっているから 尋ねられたら答えるという形式 一時間半程掛けて 立派な撮影機 ライトも点して喋った事は、編集とやらで 無難な内容の一・二分の動画二なってアップされるのだろう。 立候補者本人も加わって 其れなりに盛り上がった。 連中が帰って 暫くすると、髭をたわわに生やした外人さん二人が カード掲げて入って来たから キャッシュオンリーと云うと 肩に背負いこんだ大きな荷物を置いて両替に出掛けた。『ユーチューブ動画を見て 貴方に顔を剃って貰うのは 日本に来る一つの目的でした』こんな事言われたら 定休日ですから今日は仕事はしません なんて 言える筈が無い。ツルリと剃り上げて 剃り後撫ぜ廻しての彼らの顔つきを見ると 仕事の疲れは吹っ飛ぶ。午後一番 木屋町・先斗町 川を渡って、縄手・祗園甲・東へブログプリント版の配達 切り通しの喫茶店にも何枚か託している。 此処の珈琲屋さんで 柳居子は 珈琲代を払った事が無い。珈琲代が無さそうだから払うという人は居ないのだが、まあ お行儀よく他の御客さんも 会話の中に取り込んでしまうという事も有るから 誰かが払ってくれているる夜は 吉村伸君のライブに出掛けた。18時30分開場 19時開始 常の日なら家に帰り着いて ベットに滑り込んで 一眠りの時間だが 賑やかなライブ 居眠りすることなく最後まで聞く事が出来た。去年の5月から 人事不省に陥って 意識の戻らない息子さんの事も ライブ中に報告も有った、身内の会の様なライブだった。 左京区からスタートして。上京区・中京区・下京区・東山区・右京区を自転車で走り回った。「お元気ですね。」 と言われると 『元気に見せる元気だけは残っている様です』と答える事にしている。もう正月気分は 完全に抜けているのだが 昔風に言うと 今日十五日は「小正月」 元旦の大正月に対しての 小正月だそうだ。
2024.01.15
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皇后杯を目指して、全国女子駅伝が、今日京都で開催される。四十七回を数えると云うから 伝統行事と云う事になる。 京都での開催が恒例になっている様だ。 都・道・府・県 持ち回りの開催でも良さそうと思うのだが、京都での開催が続くのは何故か? 朝の珈琲屋で この話が出た。 先ず 団体客を、ほぼ同じ条件で宿泊させる 設備の整った町と云うのは 京都以外では見つからないと思う。 それは修学旅行を長年に渡り 受け入れてきた京都の強み 開催日を見ると 年末とか年始の修学旅行のオフシーズン 本来の客が来ないタイミング。 競走する選手や指導の先生方だけて済む話では無く 応援をする人たちも大勢やって来る。イベント其の物が経済波及効果が有るのだ。 出場 応援の側だけの話しでは無く レースを放映する立場に立っても 京都程 画像写りの良い場所は無いと思われる。随分まえ 別府で行われたマラソン中継を見ていて 海辺の一直線 放映側も視聴者の眼を何時までも番組に貼り付け続けねばという努力が感じられる中継だった。京都は 背景が次々と移り変り 背景を少し説明するだけでも時間が持つ。市庁舎の側も レースの背景が 昔行ったところとか 修学旅行での記憶が甦ったり 本来のレースを見る以外の余禄の様なものを 感じる事も有るのだろう。 駅伝レースに限らず 京都は一応 国立の会議場も備わっているし 業界や諸団体の 全国大会を開くのに、都合の良い場合もある。会合後の 慰労会の設定などの充実も大事な事。 京都以外の場所で開催すると出席者数が落ち込むという事も有るらしいル日本青年会議 JCの全国会議も京都で開かれている。
2024.01.14
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昨日 ご年輩の客人を、階下までお見送りをして、 二階に戻ろうとした時、年輩の御婦人に声掛けられた。 全く見覚えの無い人だった。相手も其れをご存知の様で、直ぐに名乗りをされた。 同じ町内 東の方に居られる 独居の高齢のお婆さんの娘さんだと判った。『いつも 母が大変お世話になっています』と仰るのだが、お婆さんと顔を逢す事も 言葉交わす事も最近は無く 怪訝な顏をすると。『いつも頂く新聞を 母は本当に心待ちしています。字が大きく。又 書いてある内容も 自分の若かった頃を思いだす様な記事も有り、特に自分の見知った人が登場すると 念入りに何度も読んで、昔を思いだして 幸せな気分になる様です。』 ブログ記事のプリント版は、ネット環境に居ない お年寄り用にと 考え付いたのだが、思惑通りの読者一人を確認できたと思った。 自説を高らかに掲げる様な事は無く、他人を非難中傷する事も謹んでいるから 六千三百余も書き続けても 炎上する事も無いのだろう。 日常の連なり読んだ事 聞いた事 感じた事 想いだした事を書いているだけだが、続けている事を評価して頂き 待ち望んでいるという読者は 殊の外多いのだと思ったのだ。
2024.01.13
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過って 京都市内では、お寺・神社から 観光税の名目で 金を徴収するという騒動が二度有った。 一番最初に言い出したのは 高山義三市長だった。当時市の商工局長㋾されていた 上田氏(柳居子の店の客人)が 某日 朝 市長に連絡事案が有り 市長室に出向くと 上田氏相手に 『お寺から金集めようか』と、独り言の様に呟かれた。其れが具体化してきた。お寺側は青天の霹靂 寺や保存の文化財の修復の費用に充当とは言われても 実際は判らない 大反対の烽火を揚げかけたとは、政治家たる高山義三氏が本領を発揮する。市長自ら説得に乗り出した。宗派の管長とか 影響力の大きい老師と言われる人達の下へ 単身乗り込んで、『私も行政の長として、一旦 言いだした事を引っ込める訳には行かないこの制は『時限立法』私の命の有る間と言ったか如何かは判らないが、限時法 最初から期限を定めた法として暫く運用された 寺側は二度とこの類の課税はしないという 一札を取ったという。 二度目の古都税騒動は 三十七・八年前 お寺に出した二度と課税はしないという紙切れは お寺にとっては 昨日の約束 市側にとっては何代も前の市長が書いた私文書という感覚か 市と寺社との大騒動に発展した。中央政界と京都の寺との結びつきなど 余り人の知る事では無いが 地方行政を束ねる長を京都に呼びつけ 固都税は駄目を出したと云うような話も聞いている余談だが、京都市が主催していた『花灯路』という行事 これは柳居子が 考えついた 御盆に扉絵を描いた行灯を軒先に吊るす事を 道路に並べるというイベント 好評で盛り上がっていた。 有る年の春 市役所なら然るべき人がやって来て 『下前さんが考え付かれた 行灯を並べるというイベント 今年京都市と 商工会議所と 仏教界の 共催で開こうと思いますが と。考え付いた人に仁義を切りに来た。「真似するな」と云うのも大人げない。夜の観光はコンビニの弁当で済ます昼の観光に比べて金額が上がり 宿泊も伴うから 単年度では無く 続けるのが良いとか 色々とアドバイスをした事が有った。 お寺と事を構えて 利する事は少ないと思う。財政健全化の爲 寺・社から古都協力金の名目で 金を徴収すると 公約に掲げている人が居られる。 この前の古都税騒動の時は、七歳だった若い人。如何いう展開になるかな?
2024.01.12
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亡くなった八代亜紀さんの歌唱は、少し好みから外れるので 余り聞く事も無かったが、流れ出てくる曲はしっかり覚えているから 何曲かは知っている。亡くなった事を知って、いつ来るか判らない客人を待つ間 ユーチュヘブに挙がった彼女の歌唱特集を聞いて 思った事を少し書く。 一世風靡という言葉が有る。 流行り歌という事 唄い継がれていく曲では無いと思ったのだ。彼女の個性的なハスキーな声質での歌唱が 有る時代受けて 大ブレークしてのだと思った。 時々 女性伴って、カラオケに出掛ける事も有ったが、八代の歌を唄う人は 今迄誰も居なかった。彼女だけの歌の世界が有ったという思いがしたのだ。 八代を知る人が居なくなれば 消滅すると思われる。文字通りの流行り歌だ。カバー曲も 何曲か聞いたが 八代バージョンで唄っている。八代の曲をカバーする歌手は居ない様だ、島倉千恵子の歌も 島倉本人が唄って値打ちの出る曲 カラオケ仲間に島倉の歌も 唄う人が居ない。 同時代と云うより 自分より年若い歌手が 次々と世を去っていく。 年若い歌手の事は全く判らない。年若い人と 今流行りの歌の話題を交す事等無いから 何等問題無いのだ。
2024.01.11
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世の中 大きく変わりつつ有る事を、実感する事が有った。 左耳の具合が悪く 時々 塗り薬を処方して貰いに 耳鼻咽喉科の開業医に通っていたのだが、ここ暫くご無沙汰だった。老先生が若先生に入替った様だ。 老先生とは 長いお付き合いが有り 色々と話しを交す事も多かった。共通の友人も居て、ゴルフの事や 診察以外の話題で 盛り上がる事も有ったのだが、 久し振りに出掛けると 新しい診察券を手渡され 整理券を渡され 番号表示が画面に出たら 診察室にお入り下さいと 表示されている。先代からの看護師 事務員も 患者と言葉を交わす事を 必要最小限にと指示避けているのか 雰囲気がガラリと変った。跡取の若先生の意向と云う事だろう。患者の訴えとか 説明は 必要最小限で済まし 自分の診断が最優先で 投薬の処方もされている様だ、 大病院では、合理化の流れとして そういう気配を大分前から感じていたが、市井の一医院 家庭医とも言える医院でも 大きな流れになっている様だ、患者とも 必要最小限の会話しか交さない。人を診る事に求められる 一番大事な事が 欠けていくような思いがするのだ 薬の処方は 自分の診たてで 出せば済む事だが、患者が其の薬を如何飲むか、其れは患者の性格とか 環境 人となりに 心廻らす 対人処方と云うのも 医師の大きな役割と思うのだ、 以前ある医師にアドバスした事 絶対 酒を止めささねば という患者 『酒を飲んだら 死ぬよ』と言わねばならない患者と 『酒は控えめに』と云う患者 死ぬよと諌める人に 酒は控えめにと云うと 呑む量を少し減らしたら良いのだと 自己診断処方をする 控えめにと云う患者に 酒飲んだら死ぬぞと脅すと もうすぐ死ぬ様なモードに入る人がいる様だ。患者の人となりを知る事も 診察外の診察になる』と喋った事が有った。 コロナ禍以前と 以降 診察の現場も 様変わり 時勢 時流と云う事だろう。
2024.01.10
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オーバーツーリズムが、大きく問題視されている。 住む人の居住環境の劇変は、大きな問題では有るが、押し寄せる観光客で 大きく潤っている業界とか余禄を受ける人も居る事も確かな事である。 老舗の京料理屋さん、 外国人の観光客のご予約で 満席になる事が度々有りますと仰る、 日本料理の味が判る人達とは思えないのだが、着物を着て料理を運ぶ其の所作とか 靴下では無い足袋という履物 そういうのを 見るというのも 日本体験になるのだと思う。 錦小路が 『京のお台所』と、言われたのは随分昔の事。今夕餉の食材を買いに錦に出掛ける 家庭婦人と云うのは見当たらな。 人が消えたのは、家族の人数単位が小さくなり 住込み店員も居なくなり 所帯の高齢化に加えて 買い物のスタイルも変わってしまった。生鮮食料品の物流も大きく変わっている。 冷凍冷蔵庫の普及も 従前の買い物の方法とは変わってきている 誰が最初に考え付いたかは 判らぬが オーバーツーリズム 押し寄せる外人客を相手に 直ぐに食べられる様に、串刺しの一品を おもに外国人対象に売り出した、 最初 食べ歩きは 傍迷惑とかで 規制する動きも有った様だが、 単価は低くても利幅が大きいのか どの店も食べ歩き用の 串刺し商品を売り出した、 売り上げの何割と云うようなレベルになると なり振り構ってられない。オーバーツーリズムを声高に上がるのを 息を殺して耳を塞いで 売り上げの確保に精励されているのだ、オーバーツーリズムの余禄を受けている話をする。柳居子の店 今年に入って九日目 公式の営業日数は 正月休み四日間と 七・八も連休だから 六日間の休 正式営業日数は二日間だが 遠来外国人客は 既に十四人を数える正月休みなんて通用しないなぁと 店の扉を開けておくと 毎日何処かの国の 誰かがやって来る。 正月だからと言っても 何処かへ出掛ける事も無いから 客人のお相手 料金も過分に頂き 結構な正月を過ごしている オーバーツーリズム様様であオーバー ツーリズム もう一つの視点 オーバーツーリズムが、大きく問題視されている。 住む人の居住環境の劇変は、大きな問題では有るが、押し寄せる観光客で 大きく潤っている業界とか余禄を受ける人も居る事も確かな事である。 老舗の京料理屋さん、 外国人の観光客のご予約で 満席になる事が度々有りますと仰る、 日本料理の味が判る人達とは思えないのだが、着物を着て料理を運ぶ其の所作とか 靴下では無い足袋という履物 そういうのを 見るというのも 日本体験になるのだと思う。 錦小路が 『京のお台所』と、言われたのは随分昔の事。今夕餉の食材を買いに錦に出掛ける 家庭婦人と云うのは見当たらな。 人が消えたのは、家族の人数単位が小さくなり 住込み店員も居なくなり 所帯の高齢化に加えて 買い物のスタイルも変わってしまった。生鮮食料品の物流も大きく変わっている。 冷凍冷蔵庫の普及も 従前の買い物の方法とは変わってきている 誰が最初に考え付いたかは 判らぬが オーバーツーリズム 押し寄せる外人客を相手に 直ぐに食べられる様に、串刺しの一品を おもに外国人対象に売り出した、 最初 食べ歩きは 傍迷惑とかで 規制する動きも有った様だが、 単価は低くても利幅が大きいのか どの店も食べ歩き用の 串刺し商品を売り出した、 売り上げの何割と云うようなレベルになると なり振り構ってられない。オーバーツーリズムを声高に上がるのを 息を殺して耳を塞いで 売り上げの確保に精励されているのだ、オーバーツーリズムの余禄を受けている話をする。柳居子の店 今年に入って九日目 公式の営業日数は 正月休み四日間と 七・八も連休だから 六日間の休 正式営業日数は二日間だが 遠来外国人客は 既に十四人を数える正月休みなんて通用しないなぁと 店の扉を開けておくと 毎日何処かの国の 誰かがやって来る。 正月だからと言っても 何処かへ出掛ける事も無いから 客人のお相手 料金も過分に頂き 結構な正月を過ごしている オーバーツーリズム様様であ
2024.01.09
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五十一歳の娘と、七十七歳の父親親子が 共に今回の地震で 潰れた家の下敷きになって 閉じ込められた。落命するか生き残りの狭間と云うのは、時・空間を越える 何かが有るのだろうと考える。 生き残りの限界を超えての生還の報道を見ていて、閉じ込められて なかなか現れない救援隊を待つ事の限界を越えても 命の有った人の事を思うと 胸が熱くなる。自分自身の身に起きない事はには 余り関心が湧かないのも、人間の業の様なものなのか? 五十一歳の娘の方は、埋まった空間が広かったのか 救援の手の届く範囲内だったのか 発生二日ほどで助け出されたが 父親は救援隊の手が届かぬ所で落命 五日目に遺体で掘り出された。娘は其の現場に居た。共に 臨死の体験をして 結果が二分された。報道陣の問いかけに『遠方から 駆けつけて下さった 救援隊の皆さんに 心から感謝致します。』 自分も被災者 父の遺体が取りだされた現場に居てのこのコメントを 一寸意外な感じもしたのだが、自分の命を助けて貰った事も含めての謝意の言葉 父の突然の死より 自分の命が残った事に対する言葉と見ると 頗る重い感謝の言葉と見るべきで有ろう。 七十七歳が生き残り 五十一歳が亡くなったと仮定すると 父親は出来る事なら私が替わってやりたいと 思ったかも知れない。そう云う事例も有った筈と思うが 娘さんは めげる事無く お父さんの分まで 生き永らえて頂きたい。
2024.01.08
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地元紙「現代のことば」欄に、慶応大学名誉教授の 阿川尚之氏が 『アクセントが違うと』という一文を寄せておられた。 京都に生まれ育って 何の違和感も無く使っている言葉のアクセントの違いは、 外から見れば初めてわかる事 京都人同士なら淀みなく交されている言葉でも、アクセントの違いで意味が変るという事を、 氏は漢字の読みに付いて例を挙げて解いておられた。赤は『垢(あか)』 傘は『嵩』 雨は『飴』 朝は『麻』 花は『鼻』後ろの一音のトーンを上げるか 下げるかによって意味が違うというのは 指摘されて知る事である。 外国生活が長かったのか ご専攻が英語圏だつたのか アクセントに重きを置くという英語圏での話法も論じておられる。 同じ言葉の繰り返しは、日本では くどいとか語彙の無い人と言われるから 避ける傾向が有ると思う。 リフレインが ある意味大きな説得力になると感じるのは アメリカ大統領の演説を聴くとよく判る事だ。京都での 言葉のアクセントの戸惑いの他に もっと興味をお持ちになると思うのは 言葉面だけでは 全国同じように通用すると思うが、意味が全く違うという言葉使いが京都には在る。御縁を頂いて 東京で京言葉の話しをしたのだが 少し思い出して書いてみる。『考えておきます。』 関東圏の人は 脈の有る言葉と取るが。京都では断りの言葉 この言葉は全国区的に拡がっている『そうどしたかいな』 そうでしたか?, 年配の京都の婦人にそうどしたかいなと 首を傾げられると 声掛けた方が間違った事を言ったのかと気付き発言再検分をする『ほんまどすか』これも関東圏の人が聴くと疑ったいるのか になるが 本意は『そんな事 有りましたか 信じられまへん 『ほんまどすか』と続く 疑問詞では無く 感嘆詞なのです。 使われる言葉 アクセントや イントネーション 地域差異 年代による変化も有るが 連綿と続いている事 京都での額面通りで無いという使い方は、連綿と続いた王都 権力者が 群雄割拠で京都に参集した歴史的背景 旗幟を鮮明にすると 幾つ命が有っても足りないという体験智の様にも思うのだ。
2024.01.07
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年賀状を頂き乍 返礼も出さず 放っておいた幼馴染 小学校同窓だった女性から 電話が入った。『元気に、生きてるか?-』が開口一番 最初の口上だった。 彼女は、一年間起こった出来事を、悉く年賀状に書き込んで送ってくれるから 自分に比べて 何と気配りの無い男と思って 生きてるのかという電話を呉れた様だ。『年賀状を書く間も無い程 忙しくは無いのやけど。つい億劫になってね。 毎日のブログ記事の連載の方に 頭や時間が行って 年賀状はもう卒業した様な気分になって来てね、申し訳ない。』と言ったら、『私は 命と元気が残っていたら来年も又書いて送ります。 自分自身が発行する生存証明書です。』 と言われた。 柳居子が 以前彼女に 年取ってからの年賀状と云うのは 自分が発行する生存証明書だよと 言った記憶が有るというと二人で大笑い 来年の正月と云うのは 今年の年末 彼女宛ての年賀状は忘れずに準備しておこう。生きてるかー と掛って来たが 『最後に元気そうな声が聴けて良かったとも言われた。』『舌先・口元は、未だ大丈夫の様だと 返しておいた。「
2024.01.06
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年末にお越しになった遠来の客人は、仕事全てが 終わって 恒例のメッセージ帳にも 長文のコメントを書いて貰い 来店記念写真も撮り終わって 帰り際 握手を求められた。 ツルツルの顔剃り体験が余程気に入ってくれたのか 『ゴッドハンド』と言いながら。 柳居子は、左利きだが握手の手は 自然に右手が出る。 相手も右手を出して相手を交そうとした時 相手は左手も重ねて 柳居子の右手を包むように握手をした。其の両手が思いも掛けず 暖かかった。 人に何かを伝える時、 手の温度なんて殆ど気にする事でも無かったが 暖かい雰囲気の握手となった。 特にこれからの季節 温い手での握手は 相手に、好印象を与えると思ったのだ。 今一番 自分に関心を寄せたい人が 昨日やって来た。『これから投票日までは、人と握手する機会も多いだろう 絶対相手より冷たい手を出し手は駄目 必ず相手の手より暖かい手で 其れも両手で相手の手を包み込むように握手すると良いと 携帯カイロを一袋セットを手渡し これを背広のポケットに入れて絶えず両手を温めて相手と対峙せよ』とアドバイス 握手した手が暖かかったと言って投票する人て居ないかも知れないが 自分は 元々手は温かい性質と言っていたが 相手に手の温かい人と思わす事は人気稼業には大事な事 元々手の冷たい人には印象深く残ると思う。
2024.01.05
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地震 津波 火事 避難生活・・・ 幾たびこの光景を見続けてきた事か? 地震の体験談とか 同時代の出来事と記憶に残るのは、日本人皆が持つ国民性とでも言える事かと思う。 関東大震災の起った大正十二年九月一日を『防災の日』と定めているが 地震の起ったのは百年以上前の事、その当時の記憶の有る人は、皆無だから 既に歴史的事実という事だろう。 何時 何処で地震が起こるのか? 予知の分野も昔に比べると進歩したとは云う物の 今日起こる 一時間以内と云うような判定はまだまだ下す事は出来ない様だ。地震災害を 地球規模で 俯瞰的に見ると、我が国は確かに地震大国である。国土が狭隘な上 人口が多い 又 人の移動も他国程多くない。災害を受けて其の地から離れて新しい町を作るという発想より 被災地での復興に力を入れる。先祖伝承の地という思い込みとか 考え方は 日本人の持つ特別の物だろう一面焼け野原になって 昔を想いだす事が出来ない程の状況から 綺麗に復興を遂げている町 他国では考えられない程のエネルギーの様なものを内蔵しているのかと 考えたりする。幸いな事に、直接大きな地震には身近に遭遇する事無く過ごしてきたが 地球的規模の時間帯で考えると ラッキーな一瞬今を生きているという事か。被災された方や 救援に向かって羽田空港で突然落命された人々の事を思いながら この国生きる事の業の様な事も考える。
2024.01.04
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元旦から始まる三日間を『正月三ヶ日』という言い方が有った。年末に造った御節料理で過ごしたが 今は事情が違う・正月を他家を『お年始』と言って訪問する事が、女性たちに過重な負担を掛けていた。 其れが世間の当たり前だった。 真向かい乾物屋は、宝永年間創業の老舗だが 正月はひっきりなしに 年始客が詰めかけていたが 今は誰一人訪ねて来ない。常日頃 ご無沙汰しているから 正月くらいご挨拶しなければと言うのは 其の時代に生きた人々には当然の考え方で 情報が飛び交う今の時代の人には 判らない事だろう。 年始客の対応で大変だった時代 年始客を避けて、家族で海外旅行が流行った。 ハワイ辺りで正月を迎える人 女性が御節料理作りから解放された記念すべき事だった。正月に尋ねても海外旅行とか 不在が多くなるとお年始というのは ほぼ家族限定になる。年末のおせち料理作りに 翻弄されていた女性たちが 又作るかと云うと今更という事で おせちの外注が増えだした。年始客避難の海外旅行に比べたら おせち料理は安い物 女性の過酷な仕事からの解放という時代背景が有って 今の様なブームになったのだと思う。 需要に生産が追い付かず 七月頃から製造を始めるという。冷凍・冷蔵技術が進んだ結果であろう おせち料理の消費期限と云うのは 解凍して商品化逸れてから 何日間と云う事らしい。 お節に飽きて 中華料理に出梳けた人も居たが。柳居子の三が日は、元旦と同じく二日も在京ホテルの問い合わせで、遠来の客人が二日も二人見えた、米・豪からお越しだった。 今日三日も リッツ・カールトンからの連絡で 予約が三人入った.取り次いだフロントの女性に『正月休み 何処も理髪店は営業していませんが ご無理をお願しました』と伝えてねと言っておいた。正月だから出来る事 愛用の三輪自転車の籠が錆が出てきたかに 綺麗に塗り替えた、
2024.01.03
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昨日 京都でも地震の揺れを感じた時、丁度電話が掛って来た。正月恒例の申告の準備書類の整理をしていたのだが、『散髪をして頂きたい』少々たどたどしい日本語の電話 今日は正月休みと 言下に断る事も出来たが、正月休みという事が判らない人に話しても無駄 この時点で電話の主の散髪をする気になっていた。『私は 年取って 今風のトレンディなカットは出来ないから 他の理髪店に声掛けてご覧 若し どの店も引き受けてくれなかったら 私が引き受ける。と言って電話を切った。 二十分程経って 又掛って来た電話で 今年の初仕事 元旦編が決まった。私に全て任すのだね。という言質を取ってから仕事に取り掛かる。二人でやって来て 二人ともお願いしますと言う事になった。客人を迎え入れる準備 タオル蒸し機に電源を入れて 白衣に着替えるだけで準備完了 考えてみると 下準備という事が殆ど何も無いという仕事 他らも有るかな?と。思っても思い浮かばない。仕込とか下準備 客と対峙する時間以上の手間・時間の掛る仕事が多いのだと思う。この業界に入って 今年で六十三年になるのだが 元旦に仕事をするのは 始めての体験 其れも遠来の客人 今年の店の展開を暗示する様な 元旦の初仕事だった。
2024.01.03
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何一つ変わる事無く 新しい年を迎えられた事を有り難く思う。 大晦日は 新橋のお茶屋の大女将の所へ、立寄った。客の未だ来ないと思われる時刻 お茶を淹れますと上に招じられた。 個々にはお互い親しくしている絵描きさんの名前が突然飛び出して、吃驚した。お茶の先生の同門とか言っていた。今まで考えもしなかった取り合わせが、京都は狭いという話しになり お互いが接客業という仕事仲間の様な気さくさから 話しが弾む。 見習ったら良いなぁと 羨ましく思いつつ 絶対出来ないなぁと思った事は、彼女が葉書を出す量が 半端な枚数で無い事。頂ものが有ったり 電話で済ませる事が出来る事でも 小まめに葉書を書く。 届いた葉書の先から 電話が入る。 客との直接の接点が出来るを 葉書に託すと言う事か 其の葉書も御客さんの絵葉書さんに 遅れか売れ残りかを 沢山頂くという。 其の絵葉書やさんへは 親戚がご贔屓に有り難うございますと ブログのプリント版を届けている ご迷惑になっているかも知りない。 羨ましいのなら 見奈良って柳居子の 葉書を書けば良いのだが、自分が書いた字を 如何書いたのか 判読できない様なお粗末。字は良く知っている°思うのだが 人様に見せられる字では無い。『八十の手習い』という成句が有る。晩学の例えだが 本来は年老いてから字を習う事らしい、とりあえずは 自分の書いた字を読めるように 丁寧に書く事を今年の目標にしよう。来年八十になったら 弟子にして貰う先生は何人か知っている。 嵩高いから 断られるかもしれない。 晦日の談議は 親戚の中でも一番親しくなった最初の発端とか 色々と『共に接客業』という話題が尽きなかった。
2024.01.01
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大正六年(1916)というと、父柳居が 満一歳の誕生日を迎えた年だから 今から百八年前の事。 当然のことながら 庶民の諸々の営みが有った事は、間違いないが、瑣末に過ぎるのか、殆ど歴史に残る事は無い様だ。 医者が庶民で有るか如何かは 色々な考え方が有ろうかとは思うが 大正六年の七月の 先祖の残した家計簿を見つけだした人が 『京都追憶』という冊子を出された中に 一カ月分の収入・支出 其の明細を書かれたのを 文中に揚げてられた。 その当時 婦人の友社刊の正月号り付録に家計簿が 付いていたという。其れこそ紛れ無き営みの記録である。 一カ月分の 診察料が。558円 50 銭 薬価収入が 436円 60銭 医者は薬を売るより 診察料 腕を買って貰うのだと 気概を欄外に書いている。 収入の部から 薬剤の支払いと 月給の薬剤師 22円 看護師 15円 看護師見習い3円 電話代25円 人力車代38円77銭 必要経費をさしひくと実収入は892円 93銭 庶民生活とは掛け離れた金額だと思われるのだが 国が未だ大きく医療の世界に干渉しなかった時代 ある意味自由競争の時代 名の知れ渡った実務に秀でた医者に 実入りかせ良かったのではと 思われる。本題の 生活費の内訳は、副食費 22円 45 銭 米味噌賞味量 45円 38銭主食米味噌調味料が一括合算は今の家計簿とは仕分けが違う。家具費17 円 62銭 衣服費5円9銭 衣服費が少ないのは六月に大きな買い物をしたからと書かれてある 娯楽費 大正六年当時 患者を数多く抱える医師の娯楽とは 何に使ったのか ? 明細 内訳は書いてないが 特別費 臨時費 雑費 教育費などが並んでいる、因みに 米一石 21円 50 銭 赤飯(祭り用) 1円 35 銭 赤飯(祭り用」 味噌 一貫目 99銭 醤油 薄口。濃口二本で約二円 牛乳二斗七升9円 47銭 砂糖六斤 1円 8銭 日向炭 2円80銭 22銭 即席炭 薪三束 練炭・・・・ 今の仕分け項目に無いのが並ぶ 光熱費とか 通信費 等々 尺貫法表記で 読みづらいし 貨幣価値の変化も著しいから 一読して判る内容でも無いが、 百余年前の 総売り上げから必要経費さしひいた 八百九十円と 今 毎朝出掛ける珈琲代 六百九十円が 百年の変化と 重なるのだ。
2023.12.31
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毎日 毎日の繰り返しは。超特急の様に過ぎていく。今年も泣いても笑ってもあと一日 珈琲屋でいつも面白い事を言う御仁は 『同じ一日なら 笑って過ごそう』と言う。 61年間 毎朝 同じ珈琲店に通っているから、 珈琲の通ですねち言われるが 珈琲の味の判る男では無い。出来・不出来関係なく 又 珈琲の温度も何一つ自分が注文した事は無いのだから 飼いならされた犬の食事の如く 珈琲を時間掛けて飲み干すだけの事。その場所が朝の居場所という事になる。居場所にはいろいろな人の出入りが有る。大きく朝から拡がる話題も有れば そうでない事も有る、社交場 そういうご大層な場所では無いが、仕事前の一刻 自分の家以外に 自分の場所が有るのだ。 柳居子の座る5番テーブルは 店内で一番大きい円卓 話題は何が飛び出すか判らない面白さが有る。最近はこの5番テーブルに人気が出て テレビや新聞にも何度か取り上げられ 東京辺りからもこの卓を目指してやって来る人が何人もいる。 列為す観光客 空席待ちの人達を差し置いて 準常連として躊躇いなく座れる事に 醍醐味を感じている人も居るのだろう。 珈琲屋の常連頭という有り難い称号を頂いている。 長く座り続けていると。それだけの御縁で 大きな事業の橋渡し役とか 再就職の仲介とか 娘が結婚するからと呉服屋さんを紹介したり 61年間のキャリアは有り難く作用している。 5番テーブルの 定位置に座る柳居子を見て 他の卓に座る顔見知りが。「ご本人は居場所と仰るが 私達にとっては一つの風景ですよと言われる。珈琲の味が云々と言う事から 大きく外れていると思うのだ。
2023.12.30
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御厨貴氏が 地元紙の 現代の言葉欄に『ストマと杖』という一文を寄せておられた。 五年前の膀胱癌の手術の跡 転移藻無く一応の寛解 という医師の診断結果から文が始まっている。寛解という診断を下すのは 白血病とか 精神分裂症などの特定の病に下すものと聞いていたが 今は全科的に使われる言葉になっている様だ。 経年で劣化するのは、あらゆる事物に当て嵌まる事だが、人間も含めてあらゆる生物は 個体の死滅が劣化のコールと言えるのかも知れない。 御厨氏の場合 排尿の管理が大変な状態の様だ。若い時と変わらず同じというのは 誰も居ない、我々の眼にする老人達は 元気そうに見せる事の出来る元気が残っている人と見たらよい。御厨氏程 重篤な病名では無かったが 母親が転んで手首に傷を負った時 整形外科に一年程毎日の様に通い 手首を動かす毎 ホッキと音がする 其れを医師に訴えたら 『あっ それはもう気にしない様にという御託宣』母は翌日から病院へはいかなくなった。「病院へ行かないの?」と聞いたら 『気にしないでと言われたが 行っても行かなくても同じ 医者が匙投げたから行くのを止めた』 これも寛解の話しかと思う。 柳居子も骨密度が下がり 腰椎と胸椎の圧迫骨折を三ケ所お越し 喧嘩的には背中と腰の曲がった完全老人になり果てたが 自分で注射を一年程続け その後月一回の注射も無くなり 今は毎日一錠飲み薬だけになった。それでも三月に一度 骨密度の検査が有る 検査結果を見て 先生はいつも同じ事を言う『大分数値が良くなってきましたね 手抜きせず頑張りましょう』『先生 骨密度の数値が上がったとは言っても 同じ年の平均値に近付いてきたというだけですね 決して若い時の様には戻らないのですね。』患者や看護師が沢山居る前で尋ねた、先生は何も言わず貴方の言う通りです と 苦笑い顔で返事をして入れた。「現代の言葉」欄に 己の病気とか 対応について書かれた文と言うのは 記憶にない。 何一つ隠し立てせずの一文 『同病 相憐れむ』という言葉が有る。 この文を読んで 病とか杖が必要と言うのは 誰にでも起こる事 御厨さんの様な人にも 自分と同じ病とか 老いが迫っている人を自覚した人は多いはず 自分を晒す事が多くの人の爲になっていると 私は思うのだ。
2023.12.29
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幼馴染 絵具屋の築ちゃんの頭刈っていて、突然彼が言いだした事は、『さっきから ずっと君の仕事を見ていたが。結構力も要るし、体全体を使わないと出来ない大変な仕事やねぇ』 どうも彼は 散髪屋が指先の仕事と、思って居たふしが有る。 彼も現役 店頭の現場に立つ事は少なくなったが、店の奥で色々と頑張っている。先年体調を崩してから 一寸弱気になっている。 娘も娘婿も細君も居て頑張っているから 現役とは言っても 若い人のサポーター約と言ったところか 『もう先が無いとか 短い』と、言うものだから、『私は 昨日出来たのだから 今日も出来る筈 明日も同じ事が出来たら嬉しいなぁと 思いながら毎日過ごしているよ』我々の世代にとっての未来とは 明日 あしたの事だと言った。『君は 現役だが仕事内容は昔に比べると軽くなっている様だね?』と言うと 自分に出来る事を頑張っているという。『私の現役はなぁ 』と言うと 『現役で仕事をしている事を一番感じるのは 仕事を 若い人に負けずに頑張っている事を 客に褒めて貰った時か?』と聞くから 『一人で散髪屋を続けていく上では。為さねばならない事が沢山有るのだよ 例えば 仕事に使うタオルの洗濯 店の水道代の節約の爲 自宅まで持ち帰って 基本量少しオーバーの水道料金で済ます。涙ぐましい努力をしている。洗濯機で洗い終わったタオルを 乾いて皺にならない様に 隅っこ持って拡げる作業 もうじき七十九歳になる男の仕事では無いと思うが 未だ 現役で頑張っていると思うのだよ』 一人で店を構えると言うのは 客と接する時だけが仕事では無いのだよ とも言っておいた。乾いたタオルを 綺麗に折り畳む そういう作業も 正味の現役だと思うのだ。
2023.12.28
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『安倍派の政治資金の問題が、毎日の様に大きく出ているネ。新聞をご覧 どの新聞も一面に大きく取り上げているでしょ。』『決して小さな問題とは私は思いませんが、規制を潜って政治家に届く金は如何いう意味が有るのか 考えた事有りますか?』『・・・・』 自分の得失とか 自分の属する業界の得失を考えて政治家に金を届けるのだと思います。広義に考えると資本主義の根柢に属する話だと思います。』金集めの母体が宗教法人だったり 議員個人が金集めをしなくても良いというグループも有りますね。政治資金規制法の条文を読んでいないから確たる事は言えないが 決めたルールを守るという モラルの問題と言えるかも知れませんね。 『何時の時代も 〖経国』と言って国を治めるのは大変な事 経済という言葉の本意は〖経国済民〗ですよ。』『賢くなりました。』 経済とか外交とか 国を守るという大きな事が刻々と迫ってくる中で 金集めの不正だけが大きな門立てとして取り上げられる事に これで良いのかと言う思いがするのです。」 『私は 一連の安倍派の政治資金の問題を報じる爲に 没記事になったモノに大変興味が有ります、例えは安倍派の問題以上に大きな事が起こった 其れに眼を逸らさせる目的で安倍派の問題を意図的に菜がした と云うような事を考えるのです。大事な事から国民の眼を逸らす 余り考えてはいけない事かも知れませんが 横並び一斉の報道は如何かと思うのです。』 朝の珈琲屋の卓話 お相手は今春大学を出て テレビ局の記者となった 一見エーとこの御嬢さんでした。
2023.12.27
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年賀状を出さなくなって久しい。 自分自身 新年を寿(ことほぐ)という意識が随分希薄になって来ている。 これも心の経年劣化という事か。 『もう幾つ寝ると お正月』の時代に生まれ 又 家業が散髪屋という年末繁忙を極めるという仕事だったから、正月は特別の日という意識も有った。今 正月だからと言って 散髪仕立ての頭で お正月を迎える人 散髪をしなければお正月は来ないなどと考える人は居ない。 そういう世代の客人が居なくなると 柳居子の店の様な『時代遅れの床屋』は、年末だからと言って 客が詰めかける事も無くなった。 尤も沢山お越し頂いても 年寄の一人仕事 限界も有る。 其れでも 毎年 かなりの年賀状を頂く。返礼を出さねばと思いつつも 放っておくと いつしか来なくなる。虚礼廃止の時流に乗っている訳ではないが 年改まりの気分が殆ど無いのだから 致し方が無い。 営業本意と云うのか 初仕事は何日からですと知らす文面が有ると それは一種の広告の様な感じもする。 ご贔屓の御客さまには、出さねばと頑張った頃も有ったが 此方が出すと 返礼を出さねばと 煩わすと勝手な解釈をして 出さない。我々の世代が出す年賀状は、 未だ生きているョという自己発行の生存証明書と言う事だろう。 年賀状以外にも 『年始』と言って他家を訪問する習わしも無くなった 初荷の旗をチラつかせて走る車も見掛けない。 大晦日 元旦の夜もコンビニに商品納入のトラックが並んでいる。 凧揚げ 羽根つき コマ回し 家の前の道路は 子供たちの遊び場で無くなった。正月は車も少ないからと言って 昔の遊びが復活する事は無い。常と変らぬ 年末と正月がやって来る ブログ記事の掲載も 年末・正月関係ない。
2023.12.26
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初めてお越しの客人には、仕事に取り掛かって暫くして声掛ける事は、『若い時は、もっと手際よく仕事が出来たのですが やはり 年取ると何もかもが スローペースになりますね』若い時手際よく仕事の出来る様を今更証明する事は出来ないから 少々誇張しても問題無いと思う。『幾つになられたの?』と聞かれると年齢を明かす。概ね柳居子より年下の人が多い。時間掛けても丁重に仕事をして 何もかも終わった時点で『未だ 現役で通用しますか?』と尋ねると 先日も『かなり レベルの高い現役ですよ。』と有り難い言葉を頂いた、 この年になって 未だに現役 元気の素を考えると、還暦を過ぎた頃から始めた『柳居子徒然』のブログ記事の連載が実に大きい様に思う、他人が読む事を前提の毎日の書き連ねは、物事に興味を持たねば 持ち続けねば 出来ない事である、今日この記事が6471連載 足かけ17年を越えて18年めになる。途絶える事が何となく勿体ない思いもして 何もンく事無いから今日で終わりかと 思っても何時の間にか適当な文が出来上がってアップされている。 連載を続けていて 一番のエポックは、今忙しく選挙で走り回っている人に乞われて 東京で京都の語りをしてくれと言われ 一回限りの講演が五回も出掛ける事になった。 人前で 一方通行の話しをする経験が無かったので 躊躇いも有ったのだが、話すという事の本質を経験できたのは有り難い事だった、此方が喋った人を 相手は如何捉えるか 如何表現すれば伝わるのか 話題がこれで良いのか そう云うような日常会話に就いても 通用する 構えの様な事が出来たと思う、講演会を介して 東京でご活躍の大勢の人と知己に生れたことも有り難い事である。 昨日もブログプリント版の配達先 祇園町の珈琲屋さん いつも柳居子の珈琲代を払ってくれる十歳年上の ガールフレンドが 体調不良で 今日はお目に掛れないと珈琲券を店に託していた様だったが 千円札一枚出すと 今日は私が払いますと お茶屋の大女将が 札を仕舞う様に言われた、祇園町でいつも珈琲を只で飲む事 勲章事では無いが 何となく誇らしい気分になるのだ。
2023.12.25
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夜の宴会は。本当に久しぶりだが 案の定 会が始まって幾許も発たない内に眠くなって料理が全部出尽くさない内に失礼した。 週に一度昼食を食べに行く 高倉御池 『松長』忘年会。 お目に掛る事は多くても ゆっくり話を交す人も出来ない人と。楽しく会話を交わす事が出来た。参加の長老格の前職が 博物館の学芸員と云うより 展示品のサンプルとか代替えの物を作る仕事と聞いて 話しが弾んだ。 京大総長をされていた 山極壽一先生と一緒にアフリカまでゴリラを見に連れて行って貰った話は。絶対ツアーを組んで商業ベースに乗る観光旅行の様な募集の無い旅行ですね。と話しが盛り上がる。 『ゴジラも 人間と同じように、年取ると白髪になりますか?』と先生の散髪中に聞いた事が有ります。ゴジラ談議が暫く続いた。 伏見の酒造会社の 杜氏 M師匠も お爺さんの仲間入り 仕事柄 重い物を持つことが多いので 腕や手先が堪える様になってきたという。 来年仕事を退職すると言っていた。 退職後 趣味のカメラで、柳居子の一日を撮るのが愉しみと仰るが、写真撮る様な被写体なの?と、訝しく思う。 以前柳居子徒然の十周年と六千連載のコメント集の裏表紙の写真を撮ってくれた人。 忘年会には 失敗も有った 柚子味噌を作って 参加者に差上げる心算 個数を作った訳では無く たった一個をジャンケン大会を開き 負け残りで最後まで残った人に 勝を譲る謙譲精神の最も秀でた人と 差上げるつもりが鞄の中に仕舞いこんだのを忘れていて ジャンケン大会は開けなかった。真岐チャンお騒がせして御免。全員が、絶対愉しい来年を迎える事が出来そうな雰囲気の会だった。眠くなって眼が垂れ下がってきたから、お先に失礼は 許されると思う。
2023.12.24
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大正の始めに出された今の京都市域の地図で、島原遊郭の近く 西側に競馬場が在った事を 以前から知っていたが,架蔵の一冊 「新聞と写真に見る『京都百年』」岡満男著に 詳しく記されていたので 紹介したい。 明治四十一年五月十七日 大阪毎日新聞に載った記事が典拠の一文。 当時島原遊郭の裏側 西側は、青い田んぼの続く遊廓とは対極の地ではあったが、明治四十年三月に、社団法人京都競馬会の主導で 遊廓の西側競馬場が開かれた。翌 四十一年後五月十六・十七・十九・二十日の四日間 春季会と銘打った競馬会が開かれ 爾後 春秋四日間開かれる事となった。 馬も騎手も先行の鳴尾競馬場からの移動 模して立派な競馬場が出来たという。 入場料は一円 馬券代は十円 今の貨幣価値では 考えられない程の高額 観客の殆どは、阪神間のお金持ち 競馬の開かれる日は 国鉄の一等席が直ぐに満席になったという。馬券売り場は土間で、競走前の馬の下見をする席も完備されていた。 鳴尾程広くは無いが独特の雰囲気 それは客が贔屓の芸舞妓を引き連れての観戦 北や南の新地 祇園甲部や先斗町も挙っての参加 総出だったという。僅か四年程で 競馬場が火災に遭い 船井郡須知町に移ったが 交通不便で大正十三年 今の淀に移って 現在に至る、 島原遊郭の奥に在った時は、大阪・京都の芸舞妓の嬌声が飛び交い 東本願寺の 大谷光瑩法主のお顔も見えたと新聞に書いてあったという。 ガス会社の草莽の地は 遊廓の隣りに在ったケースが多い 競馬場跡は 大阪瓦斯が ガス工場を作っていた。 ガスの大消費地 不夜城を誇る遊廓が一番の大得意 証明は蝋燭に替わって ガス燈だった。 ガス管による配送ロスを出来るだけ少なくするため 遊廓地の隣りにガス工場を作ったのだ。 そう言えば 末川博先生の 学生時代の思い出を書かれた中に 祇園町南側にガス工場を作るという話しが出たが 立ち消えになったと 書いてあった。 馬券も自分で買った事の無い 慎ましく過ごしてきた。
2023.12.23
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早朝 夜明け前の4時5時台 街燈の灯りが頼りの自転車通勤。前を照らす前照灯は付いているのだが、進行方向直前を照らすのみ 暗い中 動体視力と云うのは若い時に比べると 随分衰えて居る様に感じる。 先日も 下り坂 結構なスピードが出ていたが、漆黒の闇の世界 黒っぽい服を着たお婆さんが、急に前を遮る様に立った ゴミ袋を持っていたから ゴミの回収場所が自宅の向かい側の道路だった様だ。寸での所で接触する事無く止める事が出来た。突然近づいてくる自転車にお婆さんも立ち竦みされた様だ。 交通事故件数に 自転車事故も計上されているのだろうか? 十台から七十年間の自転車歴には 重大な事故は起こして無いが 接触したり 人にぶつけたという経験も有る。神戸・長崎・尾道など 平坦な地勢で無い町は 自転車は普及しなかったと聞いていたが 昨今は電動アシスト車が主流になって来たから 事故件数も増えているのではと思う。長い間の自転車渡世 もう少しお世話になると思う。『床屋渡世に車は要らん 客待つ身が 車でウロウロしてたらアカン。』父 柳居の話しを聞いて そうだなぁと思ったら 車に乗るという興味が失せた 車に乗って見識を広める事が出来なかった替わりに 一箇所に動かず 又移動手段も自分の眼で確かめる事の出来るスビーと こういう拘りも人格形成に影響が有ったのかも知れない。
2023.12.22
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何日か前 近日京都へ参りますので、又 顔剃りお願いします。というメッセージが入り 昨日お越しだった客人は、北海道札幌と道東にご活躍の舞台が有るそうだ。お仕事の内容は 余り詳しくは御聞きしていないのだが フェイスブック繫がりが有り 話題に事欠く事は無い。 昔なら考える事も出来なかった 御縁が次々と出来る。日本国内からお越しになる客人では一番の遠来である。 初めてお越しの時から 既に御常連と云うような対応が出来るのは 書かれた物 本にしろ新聞にしても 書いた本人を知らないケースが殆ど ネット社会の実現は 毎日 柳居子と会話を交わしている様な気分で接して頂ける。京都にお越しの時 必ず柳居子の店にお越しの人が 何人かおられる。 昨日お越しの客人は 何かお土産を持ってこられるかなと思ったので 柳居子も日持ちのする手作り一品を準備した。何もお土産が無かったら、差し上げるのはご負担になると思ったのだ。 顔剃りの仕事が終わって 楽しい会話を 顔剃りに掛った時間を越えて交した。帰り際 北海道名物のお菓子をお土産にと差し出されたまで、準備した手作り一品を差上げた。 乞われてブログプリント版 バックナンバーを十数枚訴さ上げた。 国内の遠来だけでは無く 豪州 カナダ 中国からも遠来の客人が有った。昨日 誰彼構わずの声掛けは、沢山の切り落した髪の毛指さしながら 『私が切り落す直前まで、貴方の体の一部分だった鴨の毛 所有権は未だ貴方に有ると思う 処分しても良いか? 持って帰るのなら袋に詰めるよ。』 と云うと 誰もが大笑い。』日本の京都の思い出を、出来るだけ印象深く愉しい時間を提供するのは 大事な事と考えている。
2023.12.21
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昨日 アップした『共創』という記事を読んでから 午後ご来店を頂いた客人との会話が これ又 面白かった。お役人さんを相手にするような事が多かったお仕事だったが 今は完全リタイアされている。『今朝 あんたが書いてた記事なぁ、新しく作る字も多いと思うが、最近は使わなくなっている言葉も多いよ』というのが会話の発端。『善処致します。』よく大臣や地位の有る人が言った。言葉面の言う 善処する能力の有る人が言うのなら良いのだが 何も変わらない。『其の御提言を確かに聞き留めました位の感覚の言葉か? この言葉は、絶対外交の場で持ち出してはいけない言葉ですね。と話しが続く。『遺憾ともし難く・・』この遺憾は、残念という意味が込められていると思うのだが 『如何ともし難く』と 事の成り行きに手を出せないと云うような よく似た意味 日本語の曖昧 難しさを象徴する様な 言葉だねと話しが盛り上がる。 一般社会では使わない言葉を お役人様相手に頑張った人は 良くご存知『勘案して』は、考察してとか 工夫をせよと云うような意味『具備する』供える 『資する』役立つとか助けになると云うような言葉 柳居子も時々 資するとか 証するという言葉を使う事が有るが 前後の文脈で適当に読み流して頂いたにら良いと思って居るこのところ 柳居子の記事中の 誤字・脱字・誤植・転換ミスの数が尋常でない程多い様だ プリント版題字下には 何でもアリと断りを入れてはいるが。画像に上がる分は遣り過して貰えても プリント版は そういう訳にはいかない、御愛読者の 某氏は プリント版が届くと 赤鉛筆を準後して 転換ミス 誤字脱字を探し出し 間違った字を赤囲みして 正しい字を横に書く 柳居子さんは 漢字の間違い探しのゲームを出題されているのだとゲーム化されている。来年は 必ず一度読み返してからアップしようと決心した。
2023.12.20
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毎朝 店に届く新聞 雨の濡れ除けに、ビニール袋に包まっているのを其の侭 珈琲屋へ持って行くのだが、 昨日は新聞を持って行くのを忘れて 店の子に『何か新聞 スポーツ紙以外なら』と頼んだら 日本経済新聞が手許に届いた。 経済社会の 真っ只中に居る訳では無い。 元々経済活動の第一線で頑張る人の 髪の毛が伸びて鬱陶しく為らない様にと刈るのが仕事 脇役中の脇役 其れも既に現役引退の様な身 日経を手に取って読むのは久し振り。眼に着いた記事 日本が ASEAN諸国に対して、脱炭素未来を拓くという特別首脳会議を開いたという内容。 日本は海の外に 版図を広げるという発想は 今は全く無いと思うし、日本の姿勢はASEAN諸国も判っている事 日本の招請に各国が挙って参加した様だ。決して対峙しているとは思わないのだが 中国は 陸続きという地理上 歴史上の関係も有って 色々と 開発支援とか 経済支援に名を借りてASEAN諸国での 影響力を強大にしつつある。 インドネシアの高速鉄道事業 日本から中国に乗り換えて 当初日本より安く出は上がる予定が 大きく工期が延びて 工費も当初計画より大きく膨らみ 超過分を又 中国が肩代わりして 高い金利支払わねばならないと聞く。その国が良くなればと 経済支援や 脱炭素産業の企業を奨励する日本と、国の版図を拡げる様な意図を内蔵した中国 為すべき事が似通っていても其々の国の未来に対する負荷は大きく変るのだと思った。 滅多に眼を通さない日本経済新聞紙面に この事を報じる表題『タイトル』に 〖共創〗という字句が載った。日経済の愛読者なら 共創という軸を直ぐに理解して読み進むのだろうが たまの読者には難しい字句である。共は共にとか 共同 共稼ぎ・・・ 一緒にというイメージが思い浮ぶのだが 創は個のイメージが強い。始めて皆で創りだすという意味だと思うのだが、広辞苑を始め 何冊かの辞書を引いても『共創』は 出てこない。滅多に常は読まない読者にも一目でわかるタイトルを付けてくれとは言わない。 愛読者に理解出来たら其れで充分なのだ。
2023.12.19
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昨日 美女五人に囲まれて、黒一点の昼食を済ませた後、岡崎の京セラ美術館で開催中の院展に出掛けた。 出展の画家さんが、わざわざ柳居子の店までお越しになり、招待状を頂いたら。絵が解かる 解からないは 別問題で、義理を果たさねばという気持ちになるのだ。戸倉英雄氏の絵 一点だけを出掛けたのだが、会場に着くなり戸倉氏とばったり出逢い出展の彼の作品の前へ移る。彼の作品は彼自身の出自も絡んで 祇園祭をモチーフにした 作品を数多く見て来たのだが、 眼前の彼の絵は 花の盛りを描き背景が地面 竜安寺の石庭を彷彿させる砂の線描『これは真上から見た俯瞰図の様ですね。』と言うと 主催の院展の話題を出された。『院展は全国から作品が集まります。 審査の眼も全国的な視点で作品を見るとなると、祇園祭というローカルなモチーフを出展し続ける事は無意味になります、画家の評価の一つの捉え方は 出展歴 入・特選歴とか 描かれた絵其の物から外れた見方も大きいのだ、名が出て大家と崇める様な人でも駄作は有ろうと 成程なぁと思ったのだ『俯瞰図と仰いましたがと スマホの地図画面を拡大して 真上から見た画像は この絵の様な画面が出てくる。 この様な画像は、誰もがと音に見ている馴染みの在る風景 偶然背景が地面です。』スマホの画像を見て 絵の着想を得られた様だ、吉田初三郎の俯瞰図しか頭に無かった柳居子は 新しい視点を開いて貰った様な気分になった。昨日の拝観は 最終日の終了一時間前に駆け付けたが 一点だけを 描いた作者の解説付きで 贅沢な時間だった。 戸倉さん有り難う。
2023.12.18
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もうじきお正月だなんて感じられないし、お正月になったからと言って何一つ変わる事も無い。 毎朝出掛ける珈琲屋の開店時間が 正月三ヶ日だけが 毎朝七時開店が 十時になる事くらいか 柳居子の様に 主役を降りた年代と これから主役になるという年台の人も居る。気が付くと何となく若い人や これから役に着く様な人を応援する事に喜びを感じる様になっている。 今日も昼 京舞の名取さん数人 柳居子黒一点 お食事をする会に呼ばれている。 後援会では無く 応援団長である 家元ですら柳居子より年下。ひょんな事から家元と親しくなって随分歳月が流れた、今日は家元と最初の出逢いの話しを、名取衆にしようかなと思って居る。若い人の頑張りを見るのは 心地よい。どの様な仕事であれ、貴方の頑張りを見ていますよ 其のアナウンスを僅かでも相手に伝える事が出来ると 尚良い事だと思う、日の経つのは早いが 毎日愉しく過ごせたら其れで充分 東京や海外でも活躍している 女流写真家の京都の応援団を作って団長になった。今朝は写真家連れて珈琲屋へご挨拶に伺いますと 今京都で一番忙しい人から電話が入った。四人も立候補するというから混戦模様四代のお付き合いが有るから 応援しないと 先代 先々代に顔向けが出来ない 稀有な投票理由だろう。 『松井』という姓です。
2023.12.17
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平和な日本では、考えられない不幸 大人はある程度 国の置かれた状況や 為すべき事を 選択肢は、生き残るか 残れないかの二つの判断を自分で決める事になるのだと思うが、子供達は親に従って付いて行く以外に生き延びる術を身につけていない。 戦火逃れて 隣国などへ難民として逃れた子供達にとって 問題視すべきは教育だと思う。物事を教え学ぶのは、特定の年齢制限とか タイミングが有り 特に初等教育は 未来を託す最も基本となる 世界共通の事 人類が繫がる極めて大事な事と考える。 難民となって 親に付き従って 受入国で、ウクライナに居た時と同じようにウクライナの教育を受けられるのは 全体のほんの僅か 避難生活が長くなると、受入国の授業を受けねばならない。 難民の子供だけが対象の教師の手配など 出来る訳が無い。他国の子供達と机を並べる事も大きな負担になるのだろう。自分自身の体験の中で覚える自国の歴史と言うのも 人格形成に大きな影響を与える事と思う。 話題が少し外れるが、太平洋戦争後 我々より十年程上の世代 GHQの命により、学校で使っていた教科書に 文に黒い墨の曳いてあるのを見て 又教えられることがすっかり変わって戸惑ったと話していた。 教科書の線引きだけでも 戸惑う子供達 ウクライナの子供達は、他国に避難して 満足に教科書も行き渡らない苦労をしているのだろう。ロシアの侵攻からもう二年近く経つと 子供達への教えの場への支援と云うのは 行き渡らないと思われる 我々は直接如何いう応援が出来るのか 判らないが そういう可哀想な子供達が居る事に心するだけでも 大事な事 逆に平和な日本の教育環境を ウクライナの子供達に比べて 有り難く恵まれていると思わねばならない。 教育は、直ぐに効果の表れるものでは無い 制度・システムを作り変えて貰う事が、喫緊の待ったが効かない大事な事と思うのだ。教育を受けられない環境は 国の衰微に連なると思うのだ。 アフリカの途上国 若者に将来何になりたいと問うと 男の子は 軍人 女の子は看護婦 憧れの他の仕事が無いという国も有るのだ、 教育システムも途上の未開の国の話しである。
2023.12.16
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連日 新聞紙面には、閣僚の政治資金問題で、辞任更迭問題を報じている。決して小さな出来事では無いのだが、モラルを問うという 託された政治其の事とは ある意味別世界の話し。もっと大事な事を我々は議員に託していると思うのだ。 若し今回の事件が表に出てなかったら 今 政(まつりごと)は、何が重要課題になっていたか 一連の政治資金問題以外の 没記事の大きさなどを考えると 裏金問題以外の大きな事を隠す爲 国民の耳目を逸らす爲 このタイミングで問題を表に出したのかと 勘ぐりたくなる。こういう記事の掲載は誰が選ぶのか? 各紙一斉は。遅れを取らじと云う事か? 一紙位取上げない新聞が有っても良いと思うが 政治家から金が廻っていると勘ぐられたら大変と言う事か 責任の重大を考えない 余り気にしない人は。辞任に伴う着任 自分にお鉢が回ってきたと 喜ぶのかも知れない。 何故それだけ沢山の金を集めねばならないのか? 裏金の使用先 とか必要性 表に出せない金 この辺りの報道は一切無い。議員歳費で賄える額で無い事は誰もが知っている。地位を利用して蓄財に励む政治家も居るのだと思う。 昔から 政に金が要る事の例えに 井戸塀という言葉が有った。屋敷の中の井戸と 周囲取り囲む塀だけが残ったという例え話しだが、湯水が流れ出る様に金が要ったのだろう。柳居子の記憶の中では、藤山愛一郎氏の名を思い出だす。昭和の井戸塀だった。 江戸時代の幕臣 井戸平左衛門 石見銀山領 大森の゜代官だったが、享保の大飢饉の時 私財を投じて官倉を開き 領民を救済して 又 非常の時の備蓄として 甘藷さつま芋を作る事を領民に教え込んだという 井戸塀の語源も゜平左衛門の古事から使いだされたのかなと 考えたりするのだ。
2023.12.15
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今から三十六年前の某日 富小路三条上がる 岡墨光堂の 岡 岩太郎さん(先々代)の頭を刈っていた時、『あんた 幾つにならはった?』と、突然尋ねられた。寡黙な人でご自分から話しかけられる事は無かったので 吃驚したが『もうじき 四十二になります』と言った。散髪終えて帰り際『日本剃刀一本届けてんか』と言われた、不思議なご注文だなと思いながら 新しい剃刀発注して 岡さんにお届けした。十日程経ったある日の午前 御主人自ら威儀を正して 小さな式台の様なものを両手で持ってこられた。『厄年の厄払い 宝塚の清荒神さんで受けてきた』と仰る お祓いを受けた剃刀と 火箸と他一品が式台に乗っていた。剃刀も火箸も捧げものの体裁で 〆紐が掛けてあった。荒神さんのお仕事をされている事は知っていたが 御主人自らが 柳居子の厄嫌いの祈祷を受けて頂いた事は、身に余る光栄と恐懼した事をよく覚えている。十干十二支 厄年程度の認識は有ったのだが 其の事を契機に 年齢 加齢に伴う行事や祓い事が少なからずある事を知る。 還暦・古稀・喜寿・傘寿・米寿・白寿 など 四十歳代 昔は 初老に足を踏み入れる年齢と見て 入念な厄払いがされた様だ 前厄とか後厄という事を年寄が言っていた。還暦を本卦還りと言うのは 十干十二支が 元の生年の年と同じ 新しい歴史の始まりの様な感覚で迎えたのかな? 還暦を過ぎると恒例を祝う 寿ぐ地位う行事が多くなってくる。長寿を祝う行事は江戸時代から始まって 今も國とか市町村で年寄 長生きを顕彰する制度が残っている。しかし反面 姨捨の話しも゜事実に基ずく小説『楢山節考』に 残っている。大禍無く 七十八歳まで 元気に過ごせているのは 清荒神さんにまで 厄除けのお祓いを受けてきて頂いたお蔭と 今も感謝している。
2023.12.14
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