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Chapter 2
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4
赤井はかねてから、闇社会との取引が取り沙汰されていた。
今回の検察の逮捕容疑は、その全容を解明する入口に過ぎない筈だった。
透は赤井に直接取引きをもちかけることも考えた。
『しかし、片岡はどうする―?
あの日兄貴は、片岡自身の悪事の証拠を握ったような口ぶりだった。
しかも、片岡は兄貴を殺った―!』
が、そんな折も折り、るり子の許に、元世話係りだった水谷から一本の電話が入った。
「入院中のおかあさまの具合が急にお悪くなり、集中治療室に移されたということです。」
カシャンと音がして、床に携帯が落とされた。
「奥様、どうなされたのです?」
「く、車を出して...。」
るり子の声は震えていた。
「お願い、今すぐ車を出して!」
電動でゆっくり開かれてゆく赤井邸の扉に、表門付近を取り囲んだ報道陣が色めきたった。車に向かってカメラの放列から、一斉にフラッシュが焚かれた。
るり子は顔を背け、後部座席に身を伏せるようにして、病院に向かった。
病院で、るり子は殆どの時間を、集中治療室の前の長椅子で過ごした。
母親の容態は思わしくなかった。
もうずっと長いこと入院しているとのことだったが、ここにきて具合が急変したのだった。
水谷だけが、時々、様子を見に病院に来ては、赤井の状況や様子を伝えたり、着替えを運んだりしていたが、とにかく、会社の方が大騒ぎで、他にるり子のことを構っていられる社員などいなかった。
赤井との不釣合いな結婚に目をつけたマスコミは、赤井興産の事件だけではなく、るり子までをも標的にした。
ワイドショーは、画像処理も行わずにるり子の映像を流すようになり、週刊誌は、結婚の経緯や理由、るり子自身の経歴についてまで、あることないことを書きたてた。
病院に詰めるるり子の目や耳にも、それらの放送や、見出しが、否応なく飛び込んでくる。
そればかりか記者は病院にまで押しかけ、病院中の衆目に晒されることになった。
るり子の疲労は頂点に達していた。
母親の容態は変化せず、周りへの迷惑、好奇の視線がるり子をいたたまれなくしていた。
「帰るわ!車を回して頂戴!!」
透がたしなめるのも構わず、るり子は玄関に走り出た。
が、救急車両でない車は、出入り口まで近寄せることは出来なかった。
「奥様、こちらです!」
透は押し寄せる報道陣を掻き分け、るり子の元に走り寄った。
もみくちゃにされながら、るり子に自分の上着を被せ、両肩を抱きかかえるようにして、車のところまで連れて行った。
ワイドショーのインタビュアーやカメラの放列を押し切って、車を発進させた。
後部座席を狙ったフラッシュの光が途切れることなく浴びせられる。
透は追跡の車をまくため、左折を繰り返しながら走ると、赤井邸へは帰らずに、湾の西側の最近開発されつつあるベイエリアにやって来た。海沿いの道路を挟んで、緑地帯の奥に建設中のビルが並ぶスポットに辿り着くと、護岸に、車を停めた。
空を映して、海の色は雲っていた。
透は類子の側の窓を開けると、自分も運転席の外に出た。
「煙草、吸っていいですか。」
「私にも一本頂戴。」
煙が昇りながら風に溶けてゆく。
風に髪を弄らせながら、二人は暫く無言のときを過ごした。
ちゃぷちゃぷと岸辺に軽く打ち付ける波の音に混じって、遠くを飛ぶ飛行機や、建設現場の工事の音が風に乗って響いてくる。
透は、車にもたれて、ただぼんやりと、海を見ていた。
「あんた、どうして赤井と結婚したんだ―?」
寄せては返す波を眺めながら、つい気を許して、ずっと不思議に思っていたことを口にしてしまった。
るり子が赤井に惚れて結婚したとは到底思えなかった。
金の為というには媚びた様子もなく、社員から恐れられている赤井と対等に口をきき、ときにはいいようにあしらっている。
到底愛があるとは思えなかったが、憎み合っていると言い切れるだけの関係にも見えなかった。
「私はね、赤井に売られたのよ。」
透がふとこぼしてしまった独り言のような不躾な質問に、思いがけずるり子から答えが返ってきた。
「負債を抱えた父親に。」
透は言葉もなかった。
時折るり子の中に見え隠れする淋しさの正体のようなものが、なんとなくわかったような気がした。
続く