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最終日の朝、ちょっと早めに出社すると、早出の同僚がもう仕事をしていました。自分の事務用品の整理のために早く行ったのに、結局朝からデイリーの仕事をアセアセすることに・・・ただただ仕事に追われ、午後の挨拶の時間になってしまいました。出たとこ勝負で過ごしてきた21年9か月だから、今さら何かまともな事を言う柄でもないし・・・「本日もお仕事が忙しそうなので、私の生い立ちをお話しする時間もないので、とにかく長い間ありがとうございました。みなさんもお元気で・・・」と簡単に済ませてしまいました。同僚からいただいた花束です。いつも辞める人は花束と商品券などをいただきます。私も何回もお餞別代を出しましたが、とうとういただく方の身になったというわけです。上の写真の花束は、昨年駅前に開店したフレール アン クレール で作ってもらったようです。お花屋さんのオーナーは私の友達なので、特別サービスの超豪華花束になってしまったみたいです。(みんなからいただいたお餞別の品々です)とにかく忙しい日だったので、最終日だというのに2時間も残業をする羽目に・・・ふつう、退職する人は定時にサッサとさようならするのが通例ですが、たくさん仕事が残っているのに、そうもいきません。お陰で、自分のファイルの整理も超スピードで適当にやったので、きっと色々いらない物を残してきてしまったことでしょう。そんなドタバタした状況の中で、担当社員のO場さんがみんなの前でお手紙を読んでくれました。約22年もの間での勤務本当におつかれさまでした。私は約8か月一緒にお仕事させて頂き、短い間でしたが大変お世話になりました。私が異動してきたばかりで本当に何も分からない頃、照合のやり方を教わりに行くと気さくに教えてくださって、気持ちが楽になったのを覚えています。日々の業務でも、ちょっとした運用変更にもいつもきちんとついて来てくださいました。特に昨年末連日システム移行後の業務説明をしていた時も、細かな変更のある業務についても、笑って「面白そうジャン!」と言ってくださり、そういうところもすごく頼もしいなと感じていました。また、年明け一月中はシステム移行直後でかつてないほど業務繁忙の時期が続くなか、いつも元気に「何時まででもいいよ!」と言って残って一緒に対応していただき、土曜日も出ていただいて本当に色々助けていただきありがとうございました。作業が何でもてばやく、また新メンバーの方の講師などいつも頼みごとを快くひきうけてくださいました。いつも明るく朗らかで、班の空気を和やかにしてくれていました。退職されるのはとても寂しくなりますが、明るく元気なパワーを班のみんなで引き継いでこれからもがんばっていきますので、どうか遠くから私たちにパワーを送り続けていてくださいね。(^.^)長い間、本当にありがとうございました。お体にはどうか気を付けて、充実した日々をお過ごしください。また、お会いできる日を楽しみにしています。 本当はこんな身に余るお手紙を読んでいただいた時は、少し涙ぐんだりして名残を惜しんだりするべきなのでしょう。そして、周り人たちもつられてグスンしたり、鼻水をすすり上げたり・・・でも、根が薄情ものの私は、エヘラエヘラ照れ笑いをするばかり。きっと忙しい仕事の合間に、辞めていく私のことを思って心をこめてお手紙を書いてくださったのでしょうに・・・ほんとうに最後までオチャラケていて申し訳ありませんでした。昨年末から今まで本当に忙しかった。一月の残業は42時間以上。こんなことは21年間ありませんでした。システムが全部変わったのだから仕方がないのですが・・・昨年度末で辞めた方がよかったのかも知れません。でも、元来新しものが好きなタチで、システムが全部変わるところをどうしても見たかった! PCの操作や画面が変わると、どんな書類が出てくるのか見ずに辞めたくなかったからです。その結果、すぐ辞めることになっている私に新しい仕事のやり方を教えなければならなかったのだから、担当社員にとっては面倒この上なかったことでしょう。それなのにこんな心温まるお手紙まで・・・若いのに人間が出来ている女性です。約40歳も年下の若い人と仕事が出来たことを、今さらながら感謝しています。私があの年齢だったとき、こんな年齢のおばあさんをリードして仕事が出来たでしょうか? 山のような仕事を冷静にこなし、支店からの苦情電話にも淡々と応じている姿には感心させられるばかりでした。同僚からの花束の他に、正社員のみなさんからも花束をいただきました。私からみんなに配った山形のまけるまい です。国立競技場にマラソンの応援に行ったときに出店で買ってみたら美味しかったので、電話で注文して届けてもらいました。山形に避難している大震災の被災者の方たちが植えて収穫したお米です。2合袋で500円。寄付金込みだから若干高めです。私のことは忘れても、被災地のことは忘れないでください、という思いを込めてみんなに差し上げました。お米だけだと寂しいので、マカロンをネットで買いました。一つずつリボンが付いていて、とてもかわいくて好評でした。このドラジェは一番親しい人たちに差し上げました。この分はアウトレットで買ったので、ネットの値段よりだいぶお安いです。お別れの品をアウトレットで買うっていうのもどうかと思うのですが、同じものなら安い方がいいよね。IDカード、タイムカード、ロッカーのカギ、安否確認カードなどを総務に返してから、お休みなのにわざわざお別れに来てくれた同僚と一緒にお茶を飲みました。色々いただきもので荷物が増えたので、彼女が来てくれて本当に助かりました。バスを降りると雨が結構降っていました。花束を抱えて大荷物を抱え傘もさし歩きながらつくづく思いました。やすい時給でもこんなに長い間働いてこられたのは、やはりいい人達に囲まれていたからなんだと・・・優しい雨の降る三月一日でした。
2013.03.01
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TOWAチャンが通ってるバレエ教室の発表会があるというので、オッサンジジと一緒に出掛けました。 TOWAチャンが通っているのは、かおるバレエスタジオという教室で、一年半に一度、中央区役所近くの銀座ブロッサムで発表会を開催することになっているのです。因みに、銀座ブロッサムは中央会館のことです。昭和通地下の駐車場から歩道へ上がって行くと、目の前にピンクのレースのドレスを着たお嬢さんとバッタリ。よく見ると、お嬢さんと思ったのはTOWAチャンの神戸のお祖母ちゃんでした。レースのドレスは独身時代に誂えたワンピースだそうです。20代の体型を維持できているとは!さすが、元タカラジェンヌ。横浜のバアサンも精一杯オシャレをしていたのですが・・・着ていたのは、義母の遺品の中で二番目に上等な水玉のワンピースでした。一番上等なドレスは、結婚式で着るようなゴージャスなレースのドレスです。バレエの発表会に着るには、ちょっと大げさかな? いずれにせよ、どんなにいいドレスを着ていても、体型の崩れはごまかせないものです。オッサンの格好はいつものカーゴパンツと漁師みたいなベスト。バレエの発表会なんだから、せめてブレザーくらいは着てもらいたいものだと思っていたら、あとから会場へ入って来たTOWAチャンパパの出立は、上着は着ていたものの、パンツは脛丸出しの七分ズボン。バレエを鑑賞するのに、すね毛丸出しでいいのか! 可愛いバレエのプログラムピンクのレースの御婦人とお古のワンピースのバアサン、すね丸出しズボンのパパとカーゴパンツのジイサンが並んで席に着きました。TOWAチャンママはお世話係だから、黒白縦縞のシックなワンピースでした。第一部はディズニー・ストーリー。小学校低学年までのキッズクラスのバレエでした。おなじみのディズニーの音楽にのって、次々の小さなバレリーナが登場して、クルクル踊っては舞台の袖に消えて行きました。女の子ばかりと思っていたら、一人だけ男子がいました。5,6歳かな?黒いチョッキを着た王子様ルックで、半拍ずつ遅れた動きも可愛かったです。TOWAチャンは最後の方で登場。黒い小さなシルクハットを斜めにかぶって、イキなタキシードっぽいドレスがとても似合っていました。舞台の写真を撮るのは禁止なので、映像がなくて残念。 バレエ教室主催者とゲストの男性バレリーナプログラムの2番目はジュニア・シニアクラスの本格的なバレエでした。最後にゲストダンサーとデユエットで踊った女性は、このバレエスタディオで一番上手な方なのかしら? TOWAチャンもずっと頑張ってバレエのお稽古を続けていたら、ゲストと踊れるようなプリマになれるかな? コッペリアのハンガリー風な衣装です第3部はコッペリアから「鐘の祝祭」というバレエでした。クルミ割り人形や白鳥の湖は見たことがありますが、コッペリアは初めて見ました。TOWAチャンは村娘の役で、チャルダッシュを踊りました。東欧風な衣装がよく似合って、バレエも前回よりもだいぶ上達しているように見えました。前回の発表会のときは、まだ4歳ちょっとだったから、可愛い衣装を着て舞台上をチョコチョコしていただけだったのですが・・・それにしても、ゲストの男性のバレエダンサー2人の踊りはスゴカッタ。助走もなしで、開脚180度でジャンプ、ジャンプ。軸がぶれることなく何回もクルクル回る、回る。近頃、日本の男性のバレエダンサーも国際的に活躍している人が増えたというのは本当だったのです。小顔で、手足が長く、日本の男性も白人並みにスタイルがよくなってきているのが実感できました。 ジジババと記念撮影しました終演後、二階のロビーは小さいバレリーナとその家族たちで大混雑。なかなかいいポーズの写真を撮ることが出来ませんでした。次の公演は一年半後。TOWAチャンはどんな役で踊るのでしょうか? ソロで踊るにはまだまだ長い月日がかかるでしょうが、バアサンの楽しみのためにも、地味なレッスンを続けて欲しいと思っています。
2016.06.26
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武士の家では、子供の袴着の儀というのがとても大切な儀式だったようだ。この間読んだ「武士の家計簿」という本に書いてあった。町人や農民は袴をはくことは許されていなかったから、袴をはくっていうのが武士としての重要な体面だったようだ。ところで、我が家も元は士族だった。ずーっと前、お祖父ちゃんから改製原戸籍簿を見せてもらったとき、士族ってちゃんと書いてあった。平成の世に、士族もへったくれもないものだけど、今年のコルレオネ弟の5歳のお祝いには、羽織袴を着せたいとかねがね思っていた。今年7歳のコルレオネ兄も、袴を着けたことがない。5歳のお祝いは洋装で済ませてしまった。二人に羽織袴を着せて、記念写真を撮りたいと強く願っていた。だけど、キンキラキンのバカ殿みたいな衣装は嫌だ。そこで、黒紋付きを貸してくれるお店をネットで探した。七五三はバカ殿衣装が主流だから、黒紋付きはなかなか見つからない。やっと見つけても、11月中は予約で満員なのだ。楽天の貸衣装で見つけて予約したのは、なーんと長崎の貸衣装屋さんだった。 士族の末裔と言っても、袴などはかせたことがないから、かなり心配だった。だけど、元美容師さんの大泉ババが、チャチャッと手早く二人に袴をはかせてくれた。難しい帯結びもバッチリだ!黒紋付きを着た二人は坂本龍馬みたいだった。さっそく、刀でチャンチャンバラバラの大立ち回り。刀を取り上げて扇子を持たせると、ちょっと落語家みたいになってしまった。お参りは近くの須賀神社へ。紋付姿の兄弟を見て、前から来た車椅子の年輩の方が「おめでとうございます」と言ってくださった。全然知らない方だったけれど、晴れがましい気が一層増してありがたかった。須賀神社は近所の氏神様なので、七五三のお祝いも一件ずつ丁寧にやってくださる。参拝客が少ないからだけど・・・全員で昇殿して、祝詞を上げていただきました。「ヤマトの国のオノコとなり・・・国を支え、両親を敬い・・・かしこみかしこみまおす~」黒紋付き姿の兄弟は神妙に聞いていました。お榊を上げて、ご神酒をいただき、千歳あめをもらいました。近頃、我が国はあまりうまくいってないから、ヤマトの国のオノコとなり、国をちゃんと支えられる人物になって欲しいものだと思いました。考えてみると、コルレオネパパは袴を着けたことがないのです。今回、パパの分も羽織袴を借りれたよかったのですが・・・考えてみると、時代劇では殿さまは黒紋付きは着ないのです。殿様はいつも薄い色の羽織に、金糸の入ったような豪華な袴をはいています。だから、七五三の衣装も殿様風になっているのですね。素浪人月影兵庫なども黒紋付きを着ている。もしかしたら、家来の衣装で七五三をお祝いしてしまったのかも・・・ 初めてスタジオで写真を撮ってもらった二人です。ちょっと緊張気味かな? このあと家族4人の写真も撮ってもらいました。 座布団に座るとホントに落語家のお披露目みたいです。 後ろ姿も決まっています。 神社に参拝したあと、お昼は青山の まい泉 に行きました。3500円の宴会料理でしたが、美味しかったです。青山でこの値段で2階の和室にお席まで用意してくれます。下のレストランは相変わらず大混雑の大行列でした。まい泉は最近サントリーの傘下に入ったようです。あのように繁盛していても、経営は難しいのでしょうか?まい泉に行く前に、コルレオネ兄弟は羽織袴は着替えてしまいました。せっかく青山に行ったのだから、黒紋付き羽織袴で決めて、歌舞伎役者のお練りのように表参道を歩かせればよかった、と思ったよく晴れた土曜日の午後でした。【往復送料無料・雪駄・足袋付きでレンタル/95~120サイズ】端午の節句・誕生日会・結婚式・記...価格:10,500円(税込、送料込) 武士の家計簿価格:714円(税込、送料別)
2010.11.06
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何も知らずに天王町の生協へ行った。買いだめなどで混みあったスーパーのレジに並ぶのは大の苦手なので、震災以来ほとんど買い物にも出ず、近所のお肉屋さんや酒屋さんで適当に残っているものを買って過ごしていたのですが・・・この日、あれがない、これがないという世間さまの騒ぎはまったく無視して、生協に行ったのは単にプールの帰り道だからだっていうことだけ。店内に入って驚いた! 薄暗いのは節電だから当たり前と思っていたら、ほとんど棚に商品がない。買いだめもここまで来たのか・・・でも、何かヘン???冷凍庫にはフタ、店員は棚に残った値札をパッパと外しにかかっている。「もしかして閉店ですか?」「そうですよ。今日の午後6時で終わります」そういえば、半年くらいまえから、天王町の生協の閉店の噂はあったっけ!道路の向こう側にマルエツが出来てから、私自身もあまり生協に行かなくなってはいた。だって、マルエツには駐車場があるし、品揃えもよかったから。とは言っても、生協は文字通り生活協同組合だから、自分たちで支えていかなければならない組織なのだ。閉店に追い込んだのは、便利だからと普通のスーパーへ行っていた組合員の自分たちの責任なのだ。申し訳なかったと今頃謝っても、ときすでに遅し! プールの帰りなどにちょっと寄って、足りないものを買うのに便利なお店でした。その昔は、毎日のように仕事帰りに寄って、1リットルの牛乳を3本も買っていたお店です。最近は2週間に一回くらいしか行きませんでした。しかも、売れ残りの3割引き商品しか買いませんでした。生協の組合員として自覚に欠けておりました。本当に申し訳ないことをしたと思っています。さようなら、そしてありがとうコープ天王町店。これからは正しい生協組合員に成るべく、宅配と東戸塚のお店で頑張って買うように心がけまする。写真は閉店30分前の天王町店の中です。売れ残りのレタスが手前左の棚に見えます。奥の棚には何もありません。レタスも豚肉やキュウリなども半額でした。最後まで、割引でしか買わないお客で申し訳ない。
2011.03.20
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いよいよ入院の日になりました。入院と言っても簡単な白内障の手術だから気楽なものです。でも、万全を期すために3拍4日入院して手術するのがけいゆう病院の標準的なやり方なのです。朝いちに病院の駐車場へ乗り付け、1階でさっさと入院手続きを済ませて、7階の病棟へ入りました。ベッドは窓際。全面ガラス張りの窓からは、インターコンチネンタルホテルとパシフィコ横浜、その向こうにベイブリッジが・・・横浜らしい景色が楽しめる病室でした。オッサンは生まれて初めての入院です。現役のときは、朝帰りで寝不足勤務の連続、引退してからは昼酒の夜更かしという不健康そのものの生活をしているのに、今まで大した病気もしてこなかったのは強運だったというほかありません。スキーで転倒して椎間板ヘルニアになったときも、家で10日ばかり寝ていただけで、何とか治ってしまったのも、ひとえに頑丈な体をくれた両親のお陰かも。 これって入院患者の格好か? 病室で、若くてきれいな看護婦さんからひと通りの説明が終わってもまだ10時ちょっと過ぎ。お昼までには時間があり過ぎるので、横浜駅東口にあるベイクオーターまで歩いて行くことにしました。もちろんひとりで。ベイクオーターにあるユザワヤでファスナーなどの手芸小物を買うためです。知らない間になくなってしまった横浜バルト跡の雑草が茂った広場を横切って、日産ビルからそごう脇の通路を通って行きました。グーグルで調べたら、ベイクオーターまでは歩いて10分ほどとなっていたけれど、実際に歩いてみると結構遠かった。暑い日じゃなくてよかった。横浜バルトがなくなったので、地下鉄みなとみらい線の新高島町の駅の出口が草っぱらの中にポツンと開いていて、おかしかったです。横浜駅の近くなのに、この草っパラはないだろう!っていう感じでした。ユザワヤから帰って来て、13階のレストランへ行ってみました。看護婦さんが「お昼はレストランで取ったらいかがですか? 病院食の方はキャンセルしておきますから・・・」と言ってくれたからです。なんでも食べてイイ患者は、病院食をキャンセルして、勝手に好きなものを食べても構わないらしい。13階へ向かうエレベーターへ乗り込むと、奥の方にいた白衣を着たお医者さんと思われる男性が、オッサンの姿を見て「いいチョッキを着ていますね。釣り用のチョッキですか?」 とさも羨ましそうに話かけて来ました。オッサンときたら、お仕着せのパジャマの上に、いつもの米軍のベストを羽織っていたのです。病院でこういう軍隊くずれのヘンな格好をしている人はいませんよね。オッサンはその先生に得意げに「米軍のパイロットが着ていたベストですよ・・・ポケットが沢山あるので便利です」 「ホントに便利そうないいベストですねえ~」と先生。その先生があまりにも羨ましそうに舐めるように米軍ベストを見ているので言ってやったさ、「売って差し上げれば・・・」と、ドアがエレベーターのドアが開いて、先生は下りてしまいました。13階まで一緒に行かれれば、高く売りつけてやったのに、残念。13階のレストランすみれ亭からも、横浜港が一望に見渡せました。もっと晴れていたら、スカイツリーまで見えたかも・・・トンカツなどボリュームいっぱいのランチを食べてレストランを出ると、何とまあ、いつもメガロスでプールでご一緒しているNさんご夫妻とバッタリ。Nさんはこの病院の常連なので、オッサンが入院するにあたり、色々アドバイスをいただいていました。入院は初めてなので、本当に参考になりました。入院と言っても、重病じゃないから気楽なものです。「帰りに病室の窓からよく見えるパシフィコ横浜の通路から手を振るから見てて・・・」って言うと、「バカなことするんじゃない!」と拒否された。
2016.07.27
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★新品★【小柳ルミ子】わたしの城下町、瀬戸の花嫁 他 全16曲価格:円~(税込、送料別)先週の読売の日曜版を読んで驚いた歌手で作曲家の平尾昌晃が我が故郷の塩嶺病院で療養生活をおくったことがあるというのだ。彼自身が寄稿したエッセーだから間違いはないのでしょうが。彼は昭和43年頃から一年あまり岡谷塩嶺病院で結核の療養をしていたのだそうだ。彼が結核を患っていたのはきいたことがあるけれど、入院していたのが、故郷の病院だったとは全然知らかった。そのころ、私はもう故郷をあとに東京暮らしに入ってはいたのですが・・・塩嶺病院は、塩嶺峠に行く国道20号線がヘヤーピンカーブになっている場所にあります。母もこの病院の緩和ケア病棟で息を引き取りました。その昔は四日市喘息の療養所となっていたそうです。4年前に母がこの病院で亡くなった頃は、心臓疾患の外科治療で有名だったようですが、病室の半分は緩和ケア病棟(いわゆるホスピス)になっていました。諏訪湖を見下ろす峠の中腹にある病院は、はるかに八ヶ岳を望む、それはそれは景色のイイ場所にあります。国道20号線はトラックも結構通るけれど、病院の前庭から諏訪湖を見ると、深呼吸したくなるようないいところなのです。母は平尾昌晃が、からだをグニャグニャくねらせて歌う姿が好きだったから、同じ病院に入院していたことを教えて上げれば喜んだかも・・・平尾昌晃が塩嶺病院で療養していたことにもびっくりしたけれど、それよりもっと驚いたのは、彼は入院中につくった「私の城下町」とは諏訪市の高島城のことだったっていうこと!塩嶺病院から、高島城がみえるかな? 肉眼ではどうかしら? 諏訪湖の畔にある、小さなお城だけれど目をこらせば見えるかも。この歌の城下町とは、姫路とか金沢とか松江とか、そういう有名な街だとばかり思っていた。だって、「格子戸をくぐり抜け・・・♪♪♪」 っていうような街並みは高島城の周りにはあまり見かけないから。歌詞は安井かずみだから、平尾さんは高島城を見てイメージを膨らませただけだったのかも知れないけれど・・・彼のエッセーは、闘病時代に諏訪湖を見て慰められたって、本当に好意的な書かれていてうれしかった。諏訪湖の花火の美しさにも言及されていた。花火大会はスゴイけれど、本当は諏訪湖ってそんなにきれいじゃないし、ロマンチックな湖でもないけれどね。でも塩嶺や高ボッチからみる諏訪湖、八ヶ岳、富士山の風景は、私にはちょっと自慢したくなる故郷の風景なのです。
2011.06.19
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新国立美術館でやっているジャコメッティ展のチケットが手に入ったので、同期生を誘って見に行きました。最近気がついたのですが、乃木坂の美術館は、「新国立美術館」じゃなくて、国立新美術館が正しい名前でした。まあ、どっちでも通じますが・・・ジャコメッティは細長ーいフォルムの作品で有名な彫刻家ですが、本物の作品を見るのは初めて。写真で見ると、ジャコメッティ自身も細面で、彼自身の彫刻に似た風貌の芸術家でした。画家や彫刻って、なぜか作る人本人の感じに似てくるのですね。本当にすべての作品が細長い。白人の顔って、確かに東洋人よりは立体的で細長いフォルムだから、彼の作品が白人を模したものであるなら、ほっそりした人物ばかり作ってしまうのも仕方がないのかも。もし、ジャコメッティが平らな顔の日本人や東洋人社会で暮らしていたら、どういう作品になったでしょうか。ジャコメッティの犬ほとんどが人物をモデルにした作品でしたが、犬とネコの彫刻も一体ずつありました。骨と皮ばかりの痩せた犬が歩いているような作品でした。歩いている犬の動きがよく表されていました。ネコの彫刻は動きは感じられなかったです。ジャコメッティの彫刻は動きのないものがほとんどです。美術館での撮影は普通禁止ですが、最後のコーナーの展示作品だけは写真がOKになっていました。上の写真の歩く人は、ジャコメッティ展のポスターになった彼の代表作です。ヒザがまったく曲がっていないので、こういう風には人間は歩かないとは思いますが、なぜか歩くという人間の動きが哲学的に感じられる作品でした。彫刻は絵画と違って色々な角度から見ることが出来るから面白いです。ジャコメッティは日本人とも交流があったのです。フランスに留学していた矢内原伊作という哲学者です。矢内原さんをパリのカフェをバックに描いたスケッチも何枚も展示されていました。日本人の矢内原さんは、若干丸みを帯びた形で描かれてはいましたが、やはりかなり細長くデフォルメされていました。ジャコメッティはどんな形のものを見ても、細長く感じてしまうっていう感覚の持ち主だったのかも。矢内原伊作は東大総長だった、矢内原忠雄先生の息子さんです。私はなぜか「やないはら」を「やうちはら」とずっと思っていました。国立新美術館を新国立美術館だとずっと思っていたのと同じ、ものや人物の名前を正確に覚えないっていう良くない態度を少し反省しました。国立新美術館入口付近国立新美術館を出て、ミッドタウンへ行ってみました。小さな坂を登って大通りに出ると、目の前がミッドタウンでした。国立新美術館へ来ると、帰りには坂を下りて六本木ヒルズへ向かってしまっていたので、ミッドタウンがこんなに近いとは気がつきませんでした。色々勘違いが分かった、残暑厳しい昼下でありました。【送料無料】超人気ブロンズ像 ヴェニスの女 ジャコメッティ 43cmインテリア 彫刻 銅像
2017.08.23
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日テレの「ヒミツのケンミンショー」とかいう番組で大阪人の変な口癖を検証していた。大阪の街中で道行く人に「しまった、しまった・・・」というと、「島倉千代子!」「こまった、こまった・・・」というと、「こまどり姉妹!」と続けるのだ。こういうのって、テレビのやらせだったりするから、信用ならないんだけれどね・・・それで、今日、会社で大阪出身の派遣さんに朝から言ってみた。「しまった、しまった・・・」「島倉千代子!」「困った、困った・・・」 「こまどり姉妹」 とすぐにノリのよいお返事。「へえ~、大阪人ってホントに言うんだ」と感心してると、「関東の方では言わないんですか? 大阪では普通に言いますよ」言いませんよ、そんこと! ダジャレ好きな私でも言いません。母が言っていたのは「ありがとうなら、芋虫はハタチ!」「蟻が十歳なら芋虫は二十歳」って言うことらしいけど・・・大阪育ちの派遣さんは「まいった、まいった、マイケル・ジャクソン」は知らなかったと言っていた。どうも最近の作らしい。それで、本日のオフィスはこの話題で大いに盛り上がった。支店からの電話で、こちらのミスを上手くごまかした私が、「よかった、よかったぁ~」と言ったら、「よかったよかったのあとは何て言うのかなぁ?」 とみんなで仕事そっちのけ!「よかった、よかった、横山やすし?」は? よかやまやすしジャないからダメと却下。みんなで色々考えたけれど、「よか」という苗字がほとんどないからどうしてもいいのが出て来なかった。うちに帰ってからも色々考えてみた。でも、「よかったよかった」の次はなかなか出て来ない。よかったよかったは一時保留だけれど、こんなのどうかしら?「来た、来た、北島三郎」 「どうしよう、どうしよう、堂本剛」 「そうだ、そうだ、葬式マンジュウ」
2009.10.02
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月曜日の朝、そんなに早い時間でもないけれど、出かけようと支度をしていると、ベランダで何か動くものが・・・またトカゲの横断かな? 我家のベランダは夏はトカゲの通り道になっているのです。でも、もっと丸くて黒くてカサがあるなにかが??? よく見ると、カブトムシがベランダに置いてあるゴムの板の上でゴソゴソ動いていました。朝からカンカン照りのベランダで、何をしているのかな?カブトムシはずっと前、愛猫チャチャコがまだ元気だったころ、よく取って来てくれたものですが、ここ十数年は家の庭では見たことがありません。本当に珍しかったからスマホで写真を撮って、フェイスブックへアップしてみた。アップした途端コルレオネパパからイイねと、「取ったの?」のメッセージが入った。コルレオネ家へお手伝いに行く予定だったので、チョッと電話してみた。「取った方がいい?」「コルレオネ弟が好きだからなあ~」もう、ベランダからは逃げてしまったのか? と思ったら、もっと奥の方へ入って来ていました。どうせ長くもない命だから、孫の遊び相手になってもらおうと、そうっとつまんでお菓子の箱へ。野菜を入れた方がイイと思ったから、ブロッコリーと庭からむしったシソを入れて持って行くことにしました。 カブトムシハウスコルレオネ弟に「ハイ、お土産!」と見せると、予想以上に嬉しそう。手の上に乗せたりして珍しいと大喜び。カブトムシは横浜から浅草まで長ーい旅をした割には元気でしたが、人間が可愛がられるのは彼にとって果たしてうれしいことなのか? 角があるからオスのカブトムシなのだそうです。「友達がメスのカブトムシを飼っているので、交配させれば卵を産むかも・・・」卵を産ませるためにはおが屑がいるのでは? カブトムシの専門家、相川翔に聞かないと!しばらく手の上にのせたりして遊んでいたコルレオネ弟は、何かいいことを思いついたらしく、箱にギコギコ切り込みを入れたり、ペットボトルをハサミで切ってセロテープで貼り付けたりして工作を始めました。そして出来上がったのがカブト君のおうち。ペットボトルの廊下は遊び場になるのだそうです。コルレオネ弟は、シソやブロッコリーじゃ食べないからと、冷蔵庫からキャベツを出して、ちぎってカブト君のおうちの中へひいてあげました。キャベツが好きなのか、カブト君の元気が増したように見えました。コルレオネ兄は虫はあまり得意じゃないみたいだから、黙ってみているだけ。コルレオネパパは昆虫は大嫌い。「フタを取ると、その辺を飛び回るぞ! カブトムシと言ったって、ツノのあるゴキブリと変わらないんだからな!」ツノのあるゴキブリと思われているカブトムシ君。もし、しゃべることが出来たならこう言うかも「ゴキブリは嫌われ者だけど、オレは人気があるんだよ・・・デパートで高く売っているんだから」「ツノのあるゴキブリと同じってあんまりな言い方じゃないですか!」
2015.08.03
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この前スキーを買ったのはいつだっけ? 借り物のスキーで滑るようになってから久しい。いつからそうなったかも思い出せない。今年もヒュッテの奥さんのカービングスキーを借りて滑るつもりだった。それなのにこんなに押し迫ってから、オッサンがスキーを買いに行くという。いつもの通り年末コルレオネファミリーと一緒に白馬乗鞍へ滑りに行く予定だ。今年はコルレオネ弟もスキーデビューすることになっている。コルレオネパパがひとりで二人の幼児を見るのは大変。そこでいよいよ伝説のスキーヤー、オッサンが登場することになった。再登場に際して、カービングスキーを買おうと思ったらしい。オッサンのスキーと言えば197cmもある物干し竿のような長さのクラシックなレーシングタイプのスキー。 その昔は2m05っていうジャンプでもやるんじゃないかというような長ーいスキーを履いていたこともあった。メーカーはいつもYAMAHA。ヤマハはバイクやエレクトーンばかり作っていたわけじゃない。因みに私のスキーもYAMAHAのHiflex。長さは170cmもある。このチビが170cmのスキーを履いて滑っていたのだ。今となっては信じられない。この2台の物干し竿のようなスキーが我が家の階段下の物置にまだ鎮座している事実は近頃すっかり忘れられている。それと言うのも、4本のスキーの上にはリュックサックや帽子がかかっているからだ。物置のスキー2台のことはさておき、靴だけはまだ履けそうとバックに入れて持って家を出た。行き先は神田の激安スキースノボーショップ。田町夫妻が手慣れた様子で連れて行ってくれた。ショップの名前はロンドンスポーツ。何だか昔あった安キャバレーを彷彿させるような名前だね。行ってみて驚いた! ロンドンスポーツの店頭にはウェアが山積み。スキマなく群がったお客がウェアをかき回していた。ほとんどの客はボーダー。スキーは店内の一番奥に押しやられていた。お買物大得意なオッサンは捕まえた店員にサッサと注文。ジュニア向きのレーシングタイプのK2のカービングに決めた。ビンディングつきで1万円ちょっと。安いなあ~。思わず、「片方の値段じゃないよね?」と聞いてしまった。持って行ったビンテージのスキー靴を見せると店員さん曰く「 いつ割れてもおかしくないくらい劣化してますよ」やっぱりねプラスチックだって年を取るのよ・・・そこで靴もサッサと注文。いつも出遅れて買い損なう私も、この機会をのがしたらもう2度とスキーは買えないと思ったから、適当に選んでこれこれって言うと、みんながレーシングタイプだから無理無理 仕方なく、柔らかそうなお嬢さんが履く様な短いスキーに決めた。水色とピンクのお花の模様で、なんとも素人くさい。でもサロモンだからいいか! 値段はやっぱり1万円ちょっと。もちろんビンディング付き。板だけだと6800円くらいらしい。片足ジャないですよ、スキー一対の値段です。私の古い靴もリアエントリーで履きやすいけれど、この際新しいものを買った。スキー板、ビンディング、靴を買っても2万円にもならない。メーカーを全部サロモン。安いのでついでにストックも買った。これは定価7200円だったけれど、土日割り引きとかで4600円くらい。因みに我が家の物置の奥には、ストックの束がある。十数本はストックがある。なのにまた買った。買ったストックを合わせるとさて、何本のストックが我が家にあるでしょうか? 正解の方に、どのストックも差し上げます。束で・・・・ただし新品はダメですよあとでレシートを確かめたら、オッサンと私のスキー3点セットとストック1セット、全部で53000円弱。その昔はスキーの板だけで5万円はしたのだ。スキーはすたれつつあるスポーツで、ゲレンデではボーダーの天下。そのボーダー人口を加えても、雪のスポーツ人口は激減している。リフトに並ぶこともなくなった。普通やる人が少ないスポーツ用品は高くなるはず。でも、スキーは激安。不思議な現象ですね。
2009.12.26
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