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シュタイナー教育をすべてのひとに・・・をテーマに活動をしています。 私自身がシュタイナー教員であった経験を活かし、 シュタイナー教育を、お家でできるような教材を制作しています。 この夏、新たに「さんすう教室」を開講しました。 オンラインで、さんすうのエクササイズや、授業内容を学ぶ講座です。 シュタイナー教育の算数は、 頭に偏らず、体や心、全体を使って算数を体に染込ませていきます。 それは、自転車に乗る事を一生忘れないのと同じ。 そんな深い算数教育を、お子さんにしてあげたいと思いませんか。 「さんすう教室」の対象は小学校1~3年生。 1年生からスタートして、だんだんと3年生への内容へと発展させていきます。 今、1年生のお子さん。 2、3年生だけれど、1年生の内容の復習からしっかり算数を・・・というお子さん。 オンラインですから、 世界中のどこからでも、自由な時間で、学ぶことができます。 宜しかったら、どうぞ、ウェブサイトをご覧下さいね。 http://maths1.e-waldorf.com/
2011年08月02日
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こんにちは。石川華代です。算数ってとっても大切な教科なのに、苦手な人が多いですね。数も、そのリズムも、その規則性も、そして図形のフォルムも、とっても美しいのに。算数を、楽しく学べるように、毎回少しずつ、お家でできるアイデアを入れながらニューズレターを書いています。「さんすうコラム」e-waldorf からシュタイナー数学教師 石川華代が発行しています。きっと、算数が楽しくなる。だって、算数はもともと楽しいものだもの。
2011年08月02日
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シュタイナー教育って、シュタイナー学校へ行かなきゃできないもの?でもシュタイナー学校へ通える人ばかりじゃないし。「シュタイナー教育で育ちたかった!」と思っている大人の人も、いつも講座に参加したりできるわけじゃない。シュタイナー教育への「壁」を打破するべく、新たな「シュタイナー教育」の学びの手段ができました。シュタイナー教育教材を制作しているe-waldorf から新たなプロジェクトが10月に発足。inspiration オンライン・ワークショップといいます。オイリュトミー、フォルメン、ぬらし絵、粘土造形、音楽、手仕事、クラフトなど、今までは、ワークショップや講座、土曜教室などに出かけていかなければできなかった学びを、家庭で、親子で、または友達と、大人だけでも、手軽に取り入れることができます。これは、画期的。ネットを通しての学び。でも、深い学びができます。
2010年10月28日
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いえ、私は引っ越しません。今の家、住み心地抜群ですし。引越し・・・というのは、ブログのこと。ずっと考えてはいたのです。ミクシィの閉じられた世界でのコミュニケーションは安心。でも、ミクシィはやってないけど、私のブログを見たいと言ってくれる人もいる。だから、不特定多数の人に見てもらえるブログも必要かと。いまだに楽天ブログは続いているけれど、管理画面の重さがネックになって、更新は滞りっぱなし。ということで、心機一転。色々比較検討した結果、exciteで新スタートすることに。http://chamokayo.exblog.jp/これからもよろしくお願いします。
2007年07月22日
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この時期になると8年生のプロジェクト発表がある。 シュタイナー学校8年間の最後の年。 締めくくりのプロジェクトは、個性豊かで力作揃い。 発表は公開されるので、みんなかなり真剣だ。 テーマは自由。 自由研究ね。 いいよねえ、自由研究。 楽しいよねえ。 子供の頃、夏休みの自由研究大好きだった。 そして、プロジェクトに勤しむ子どもたちを見ながら、 私は、学生辞めてから、 研究から遠のいてしまったのに気づいた。 最後のプロジェクトは、 RSCのカリキュラムプロジェクト。 ああ、これは、随分、入れ込んだんでした。 今、仕事柄、教材研究はするけれど、 やっぱり、 仕事を離れた所での研究っていいなあ。 で、思ったの。 じゃ、やればいいじゃん。 研究したいことが、とっさに浮かぶ。 ふふふ。 やっちゃうわ。 小学生の自由研究風、私のプロジェクト。 大人の自由研究ね。 ぐふふ。 学びは楽し。
2007年06月19日
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今年度も終わりに近づいてきました。 あと1ヵ月半ほどで夏休み。 この時期の悩みの種は、 そう。 レポート! 通知表です。 シュタイナー学校のレポートは、数字で段階別けはしません。 先生一人一人が、言葉でメッセージを書くのです。 学校によって、 そして先生によってやり方は違うのですが、 うちの学校の場合、高等部では、 1つのメインレッスンにつきA4用紙1ページ。 授業内容をまとめた文章と、 生徒自身からの反省文と、 先生から個々の生徒へのメッセージの三部構成。 そしてメインレッスンは1年間で12レッスンほど。 つまりメインレッスンだけで12ページ。 それから、メインレッスン以外のレッスン、 クラス担任からのメッセージ・・・・と続くわけで、 数十ページにわたるレポートなわけです。 (本当に、生徒や親は全部読んでるのかな?) でも、1年の締めくくりとして、 先生からの大事なメッセージとして、 やっぱりおろそかには出来ません。 はあ。 ここで私の悩みの種は、やっぱり英語。 母国語で書くのだって、結構大変なのです。 一人一人の子どもを思い浮かべ、 授業を振り返りながら、 短い文章で、的確に、伝えたいことを書く。 そのメッセージが、彼らにとって、プラスになるように。 今までは、最初から英語で書いてました。 でも、今年は、何となく日本語で書いてみたい気がして、 まず日本語で書いて、英訳してみることにしました。 そしたら、出てくる、出てくる。 言いたいことが、山のように。 ということで、パソコンに向かって書きまくり。 ただ、パソコンに向かってると、 「あーーー、疲れたーーー」 って、ついmixi見ちゃうのね。(笑) で、こんな日記を書いちゃうのね。 息抜き、ということで。 ふふふ。
2007年05月28日
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今日は、友達のところにお花を持って行った。その友達のお母さんが倒れて2ヶ月。入院したまま。仲の良い母娘。お母さんが入院してから、彼女は随分痩せたように見えるし、短い間に白髪も増えたみたい。彼女が辛そうな様子を見て、いたたまれなくて、何かできたら・・・って思った。ただ、彼女に、「私に何かできることがあったら、何でも言ってね」「何もできないかもしれないけれど、 あなたのことを想っているから。」と、それを伝えたくて。そう想っている人間が、近くにいることだけでも、知っていてもらいたくて。それは、昔、私が辛かった時に、友達がしてくれたこと。それが、何よりも大きな心の支えになった。お金よりも物よりも、その気持ちが、何よりもありがたかった。何もしてくれなくてもいい。ただ、自分を応援してくれてる人がいる・・・ということを知るだけで、人間って結構強くなれるもの。だから、私も、応援しているよ・・・っていう気持ちを、伝えていきたい。でも、今までは、何となく照れくさくて、その気持ちが伝えられなかった。躊躇しているうちに、時期を逃してしまってた。それが、何だか最近、だいぶ自然にできるようになってきたような気がする。気持ちの表し方は、小さなことでいい。私は言葉(英語!!)で上手く伝えられないから、お花に気持ちを託す。愛を込めて。
2007年05月18日
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ムーンノードを越えたあたりから、私の中で起きている変化。何人かの人との出会い、そして、いくつかの本や言葉たちとの出会いが、きれいな織物を作るように、お互いに織りあって、作り出したもの。一言で言うならば、愛。家族への愛、友人への愛、コミュニティへの愛、そして、世界への愛。物事を善へと動かす原動力。でも、それにはまず自分を認め、自分を愛することから始まる。でも、自分のことを嫌いにはなれても、愛することはできずにいた私。自分を認めること、自分を愛すること、自分の存在を尊ぶことは、私にとって大きな課題だった。それが、近頃のたくさんの出会いを通して、私の中で180°変わってきた。自分を「嫌い」から「大切に思う気持ち」へ。今までどうやったら自分を愛せるか、全くわからなかったのに、自分を大事に思うにはどうしたらいいのか、自分を愛するということは、実際、どんなことなのか、突然、自分の前の扉が開いて、扉の向こうから光がさすかのように、分かった。花開いた。パァーーッと。そして、自分を愛し始めると、世界がどれだけいとおしく感じ取れるかということも、感じた。たくさんの出会いの中で学んだことは、愛だけじゃない。愛を原動力として、実際の行動に出ること。愛を行動に移すこと。小さなことでも。そして、昨晩、また、素敵な出会い。昨日は、アメリカの人智学系科学者のArthur Zajoncの講演を聴きに。彼が始めた活動のひとつ、Peace Jamのお話。10代の若者200人が集まる。色んな国、色んな地域、様々な人種、階級の若者達。ダライラマをはじめとする、ノーベル平和賞の受賞者達12人とのセッション。それは堅苦しい講演などではなく、まるでロックコンサートのようなJAM。また、私の中で大きな力が動き出した。Arthur Zajoncといえばこの本。"Catching the light"超おすすめ。
2007年05月17日
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学校創立60周年記念イベント終わりました。 金曜夜から日曜夕方まで。あーー、疲れた。でも、楽しみました。 色々あったのだけど、 卒業生や元教師を対象にしたイベントだったので、 いつものオープンデイの方が、 内容盛りだくさんで賑やかだったような感じ。 でも。 来てくださった方々、どうもありがとう。 最後は、幼稚園のサークルのあと、 5年生のメイポールダンス!!!!! メイポールダンスって大好き。 何度見ても美しくて感動する。偶数の子どもたちが、 垂直に立てられた棒の回りに輪になる。 棒のてっぺんからは、色とりどりのリボン。 子どもたちは、そのリボンの先を持つ。 時計回りに進む子達と、 反時計回りに進む子達が交互にならぶ。 そして音楽に合わせて、上、下、上、下、 とスキップしながら踊っていくと、 ポールの周りには、上からリボンが編みこまれていく。 これが可愛いの。 そして、その後、反対周りに回って、 編みこんだリボンをほどいていく。 ほどいていくのは、編んでいくのより難しくて、 途中で絡まっちゃってダンスが止まっちゃったりして。 今回も途中で絡まったけど、 みんなで協力しあってほどき終えたときには、 周りのギャラリーから大きな拍手。 シンプルな動きなのだけれど、 できあがったものの美しさ。 この美しさは、規則性があって、命が宿ってる。 シュタイナー学校でやることは、 そんな美しさに満ちていると思う。 ああ。 世界って美しい。 シュタイナー学校にいると、 「世界は美しい」 と感激して涙ぐむことが多々ある。 そう。世界は美しい。 そして、この世界に住む子どもたち。 なんて美しいんだろう!それから・・・・、我が校8年生が日本のシュタイナー学校7校に手紙を書きました。たくさんのシュタイナー学校の子どもたちから、返事が届きました。それらの手紙や写真は、掲示板4枚分を使って掲示されました。日本伝統文化を生かしたシュタイナー教育の様子が伝わってきて、本当に嬉しく思いました。ご協力、どうもありがとうございました。これからも、国境を越えて交流していけるといいな。
2007年05月14日
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こんどのメインレッスンは射影幾何学。なんじゃそりゃ?っていう人、多いよね。多分。メインストリームの数学の世界じゃ、あんまり取り扱われないもの。これは、無限遠の世界。ユークリッド幾何学で、 「平行な直線は、 どこまで行っても平行のままで、交わることはない。」と言われた平行線は、実は無限遠で交わる。そして、直線。直線は、両側に限りなく伸びていく真っ直ぐな線のことだけど、その直線をたどっていくと、無限遠に達して、次の瞬間には、直線の反対側に行く。その概念は、実際に見ることができないけれど、思考によって、到達することができる。私は、この射影幾何学を何年か学んでいるから、この概念は当たり前のことのようになっているのだけど、初めてこれを学ぶ人にとっては、今までの概念を覆す、かなりショッキングな概念に違いない。11年生で、これをやるのは、実は、生徒達の概念を覆すことが目的。彼らに、今までの考えが通用しないことをつきつけて、ショックを与える。そして、純粋な思考でもって、彼らが、あーでもない、こーでもない、と、深く考えるのが目的。さて、今、私は、このショックをどうやって彼らにぶつけるか、頭を悩ませている。私はこのクラスを教えたことがない。「彼ら、射影幾何学には程遠いよ」と、化学の先生は言う。そして、私に与えられた時間は、たったの7日=14時間。4週間のブロックのはずだけど、GCSE(試験)のお陰で、ここまで時間削減されてしまった。さて、どこまで彼らの思考を無限遠に近づけることができるか。
2007年04月11日
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何かを学ぶのは楽しい。今まで知らなかったことを知ったり、違う観点で物事を見られるようになったり、今までできなかったことができるようになったり。でも、つくづく思うのは、本当の学びっていうのは、学んだと思ったその先にこそある・・・っていうこと。ある一定のレベルに達して、満足してしまうと、その次にある、もっと深い学びには達しない。例え、日々の家事だって。掃除なんか典型的な例じゃないかと思う。掃除の仕方くらい知ってる、掃除から学ぶことなんて何もない・・・って思うかも。そう思った途端、人間って学ばなくなるんだよね。掃除、たかが掃除、されど掃除。丁寧に心を込めて床を掃いたり雑巾がけをしていると、見えてくることの、なんと多いこと。学ぶことの、なんと多いこと。昔から、修行に掃除がつきものだったのも納得がいく。もちろん、掃除だけじゃなく、全てのことに学びがある。だから、毎日の小さなこと、ひとつひとつ心を込めてやっていこう。小さなことこそ、大事に丁寧にやっていこう。
2007年04月09日
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引越ししたら、たくさんの籠を編もうと思ってた。収納に籠を使いたくて。籠はひとつひとつ個性があるのに、自己主張せずに周りに溶け込む。自然素材の優しさと、落ち着き。そんな籠を自分でたくさん編もうと思ってた。自分で、同じ素材から作れば、作りたい形やサイズが自由自在。買ったものだと、気に入ったデザインで、しかも必要な大きさのものって、なかなか見つからないもの。だったら、作る方がいいじゃない。作る方が楽しいしね。ということで、籐を10kgくらい大量に仕入れて、ここ3週間くらい、毎日のように籠を編んだ。デザインの一部として、籐を草木染めしてみたりして。でも、しばらく大量生産中止。メインレッスンが迫ってきているので、その準備に力を注ごうと思います。ちょっと難しいレッスンで、何をどうやって教えようか、頭を抱えているところ・・・。
2007年04月09日
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平等にするってことは難しい。 人間関係でも、育児でも、学校でも。 例えば、うちの子たちの場合。 長男は、ちょっと強い口調で言われると、 ショックで泣き出す。 ちょっとしたことで、本当に傷ついてしまう。 私も同じだから、痛いくらいによく分かる。 次男は、大声で叱られても平気。 全く違うこの二人。 同じ叱り方をして、 一人は深く傷つき、 一人は平気。 そんなの平等じゃない。 一人に罰を与えたとする。 もう一人が同じことをしたら同じ罰を与える。 ・・・・っていうのは、平等じゃない。 子どもひとりひとりのあり方が違うから、 一人一人に合わせた叱り方、諭し方、愛情のかけ方をする。 それこそ平等だ。 同じことをするのが平等だと思われているのは、 同じことをするのが一番簡単で、 一人一人に合わせた対応をすることがとても難しいから。 それだけのことだ・・・と思う。 実際に、 学校のような、 多数の人間に対応しなければならない場では、本当に難しい。 社会でも、何らかの団体でも、 やっぱり難しい。 シュタイナー学校では、 生徒の家庭の経済状況に合わせて、 払える額だけの学費を払う。 貧しい経済状況ならば、少なく払い、 豊かな経済状況ならば、多く支払う。 スタッフのお給料も、 お金がより必要な家庭状況であれば多めにもらい、 あまり必要でないならば少なめにもらう。 というのが、理想としてはあるのだけれど、 やっぱり実現が難しくて、 多くの学校で、この方針を断念している。 でも、せめて、 自分の子どもたちには、平等でありたい。 ・・・・と、毎日悪戦苦闘する私。
2007年03月31日
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経歴なんてどうでもいいや。 そんなふうに、思うようになった。 もちろん、職探しするときなんかは、 経歴・職歴は武器になるけれど。 普段の私には、必要ないわ。 過去に何をやってきたか、 それは、全て私の中に生きてる。 「シュタイナー・カレッジ卒業しました。」 って言えば、 シュタイナーに興味のある人には聞こえがいいかも。 でも、そんなこと言わなくたって、 私は、私だし、 私がカレッジで学んだことは、私の血肉になってる。 何を言おうと、何を行おうと、 そして、何も言わなくても、 やっぱり、私に現れてる。 学んだ事も、学ばなかったことも。(笑) だから・・・、 経歴なんてどうでもいい。 私は私。 過去の私を語るより、 今の私を素直に出そう。
2007年03月31日
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学校に引越ししてきてから、すっかり出不精。 いや、もともと、家に篭って、 手仕事とかに没頭して出不精になる傾向あったんだけど。 今は、下手すると、まる1週間学校から出ない。 何しろ、学校=職場なので、 仕事に行くにしても門を出ない。 子どもたちのお散歩にしても、 学校の中でのお散歩の方が楽しいし安全だし。 学校に住んでる家族がもうひと家族。 こんな↓家族。 http://plaza.rakuten.co.jp/chamokayo/diary/200608310001/ そこの子どもは3、5、8年生。 よく、うちに来て、うちの息子達と遊んでくれる。 いや、うちの息子達が遊んであげてるのかも。(笑) 何にせよ、みんないい子達。 というわけで、ご近所付き合いも、学校の中。 人と話したくなったら、 家の外(でも学校の中)に出れば、知人がたくさんいるし。 いや、家の外に出なくても、遊びに来てくれる。 昨日も、お客様がたくさん。 朝は、ユーリズミストのとみえさん。 昼から、 マイミクさっちゃん(+しずちゃん)とhapuちゃんと、 アントニーにケイトにスージー。 夜は、音楽の先生のキャロライン。 てな具合に、入れ替わり立ち代わり、訪問者が。 いやあ。 出不精のくせに、 寂しがりやの私にはもってこいだわ。 ふふふ。
2007年03月31日
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先週末でメインレッスンがひとつ終わりました。9年生の円錐曲線。授業では、できるだけ目に見えて、実際に体験できるものを工夫します。今回のビックプロジェクトは、楕円形のビリヤードテーブル。楕円形は、ひとつの焦点から発した光や音などの波動が、楕円の壁にぶつかって反射すると、もうひとつの焦点に向かいます。つまり、焦点の1つに穴を開け、もう1つの焦点からボールを打つと、楕円形の壁のどこにあたっても、そのボールは穴に向かってストンと落ちる・・・・はずなのです。理論上は。問題は、それを実現化する技術の難しさ。何しろ、完璧な楕円形を立体として作り上げなければいけません。それに加え、跳ね返る力の加減で、ちゃんと跳ね返らなかったりして、うまくいかないのです。難しいプロジェクトだということは、作る前から百も承知。でも、どうしても、どうしても、これを生徒達に見せたかった。ということで、夫を巻き込んで深夜に及ぶ夜なべ仕事。木の板に楕円を製図して、それを夫に完璧な楕円に切ってもらいます。微妙な凹凸も、傾きも許されません。でも、やっぱり、無理でした。(涙)ということで、その原理の話と、失敗談を授業でしました。ははは。まあ、それもいいでしょう。失敗も成功のうちです。ふふ。もちろん、成功例もあります。円錐曲線を実際に見せるのは大変です。というのは、円錐曲線というのは、円錐が上下に伸びたダブル・コーンを切ることによって得られる曲線だから。1つだけのシングル・コーンならどこにでもあるし、粘土などで作る事も簡単。だけど、ダブルとなるとなかなかない。作るのも難しい。で、私の工夫。電球を真っ黒に塗った筒の中にセットして、電気をつける。そうすると、筒の両側から光がダブルコーンとなって現れる。それを、壁に近づけると、ほら、ダブルコーンの切断面として、円、楕円、放物線、双曲線がはっきりと!おお。大成功。こんな風に、授業で遊ぶのは楽しいものです。生徒より楽しんでいる私。ふふふ。*****写真がなくてごめんなさい。写真がないと、イメージしにくいと思うのですが、先月引越ししてから、ネットの引越しが完了していなくて、ダイヤルアップ接続状態。とても写真をアップする気にはなれない遅さです。
2007年03月16日
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日本語の「雲泥の差」という表現を使って、ふと考える。「雲泥って、どっちが良くてどっちが悪いのよ?泥は土。大地。地球を形作る地盤。そして、植物を育てる栄養の固まり。それに比べて、雲なんて灰色じゃない。」そんなことが、脳裏を一瞬よぎり、そして、雲は灰色だと、これまた一瞬にして連想してしまった自分に気付く。いやあ。イギリスの気候に毒されているわ。(苦笑)でも、ほんとうは、違う。イギリスの雲だって、灰色ばかりじゃない。イギリスに来て間もない頃、イギリスの空のドラマチックなことに感動した。青空を背景にして、さまざまな形の白い雲と、真っ黒な雨雲が混在して、西の空には綺麗な夕焼けと、日暮れの陽の光が雲の隙間からすじ状の光。おお。美しいチンダル現象。天気の変化の激しいイギリスならではの、ドラマチックな空模様。そんな空を見て感動したんだった。イギリスの暮らしに慣れてくると、そんなことにはお構いなく、空は灰色だという固定観念が頭に住み着いた。固定観念より、先入観より、今、目の前に見えるもの。自分の目に明らかに見えるもの。大事にしたい。
2007年03月16日
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家の中心って何でしょう? 家族によって色々違うよね。 それは、 お母さんがいる台所だったり、 食事をしながらの家族団欒の場だったり、 みんなでテレビを見るリビングだったり、 みんなで音楽を聴く部屋だったり・・・。 我が家の場合、 家族で一緒の、一番大事な時間の過ごし方は、 やっぱりモノつくりの時間。 だから、モノを作る場所は、我が家で一番大事。 キッチンもその1つ。 みんなで、クッキー作ったり、 パスタやピザ生地をこねたりするキッチンは、 みんなが集まって、楽しい時間を過ごす場所だから、 とっても大事な場所。 もう1つ、新しい家には、 ワークショップを作ろうと計画中。 もともとダイニングルームだった部屋の真中に、 大きなテーブルを置く。 そのテーブルで、 私と夫が、彫金をしたり、編物や縫い物をしたり、 授業の準備をしたり。 同じテーブルで、 子どもたちは、お絵かきをしたり工作をしたり、 もう少し大きくなったら、宿題をしたり。 みんなで、一緒に、仕事をする場所。 みんなの大事な生活がそこにある。 そして、子どもたちは、 両親が仕事をする姿を見て、育つ。 だから、ワークショップが、我が家の真中。 ということで、 我が家には、大きなテーブルが必要です。 ソファを買うのは後回しになりそう。 遊びに来てもらっても座る所がないかも。 椅子orクッション持参で遊びに来てね。(笑)
2007年02月07日
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シュタイナー関連の人たちは、自然派の生活を好む人が多く、 布ナプ、布オムツは、当たり前になりつつあるような。 私も、布ナプ、布オムツ愛用・・・してた。 いや、布ナプは現在進行形。 もう8年くらい。 酷かった生理痛は楽になったし、 使い心地はいいし、 ゴミは出ないし、 経済的だし、 思ったより面倒じゃないし、 もう言うことなし。 最初はメイド・イン・アースで何種類か買って、 どんなものか品定め。 そして、使い易い形や素材が分かってからは、自分で手作り。 カリフォルニアから引っ越してくる時、 使っていたフランネルのシーツを処分することになって、 勿体無いから、全部、布ナプに作り変えた。 もう、閉経まで十分ね。(笑) そんな布ナプ愛好家の私。 子どもが生まれたら絶対布オムツ! ・・・って決めていた。 実際、布オムツを愛用してた。 イギリスに来たら、 洗濯物が乾かなくて家じゅうオムツだらけになったし、 次男が生まれたら、洗うオムツも2倍になったけど、 くじけず布オムツ。 それが、ある日、ショッキングな出来事。 次男を抱っこしてユラユラしていたときのこと。 普段からゆるめの便を何度も大量にする次男が、 突然、私の腕の中で力んだ。 うわーーっ。 彼のクリーム状の便は、彼のオムツから漏れて、 下着と服、そしてくるんでいたウールのブランケットにベッタリ。 しかも、それだけでは済まず、 着ていた私のスカートにも、床の敷物にも、ベッタリ。 がーーん。 泣く子どもをあやしながら、 自分自身が泣きたい気持ちになりながら、 汚れたものを全部、バスタブに放り込んで、 「もう、やだーー」 って、心で叫びながら、処理をして。 で、決めた。 もう、布オムツやめた。 やめて良かった、と思ってる。 洗濯物に追われて、 イライラしたり、 忙しくて子どもの相手してやらないより、 布オムツをやめることで、 心にゆとりができるほうが、 子どもにも私にも大事だから。 ただでさえ、年子の男の子二人で手一杯だもの。 もちろん、負担にならない人には、布オムツ、お勧めです。
2007年02月06日
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ここ数日、気候がいいので、 息子達を遊ばせながら、庭の手入れをしています。 ちょっと暖かくなったと思ったら、 すぐに雑草があちらこちらに。 草を抜き、冬の間ほうっておいた花壇もきれいに。 この庭とも、あと2週間ほどでお別れです。 いよいよ引越しなのです。 このお庭は、息子達がたくさん遊んだ場所。 そして、夏には、たくさんのカレンデュラが咲いた場所。 たった2年半しか、この家には住まなかったけれど、 この庭には、とても愛着があるのです。 だから、次に住む人にも、 この庭で気持ちよい時間を過ごしてもらいたくて、 今、せっせと、手入れをしているのです。 今、庭にはたくさんの芽が出てきています。 2005年の秋に埋めた球根50個ほどが、 2シーズンすぎて、育って増えて、 芽が、たくさんたくさん出てきました。 クロッカス、ウィンターベル、チューリップに水仙。 次にここに住む人は、 たくさんの花に囲まれるでしょう。 私がそれを見ることができないのは残念だけど。 この秋には、新居にたくさん球根を植えよう。
2007年02月01日
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昨日は夫を連れてGPへ。 GPはファミリー・ドクターの制度。 一般にはNHSという国の医療制度で、 無料で医療サービスが受けられる。 外国人でも、イギリスに6ヶ月以上滞在するなら、 無料医療サービスが受けられるのが、 NHSの凄いところ。 その反面、 一般にGPのサービスのレベルは低くて、 医者に行っても、 流れ作業のようで、まるで機械を相手にしているよう。 患者のことなんて、まるで診てなくて、 ペーパーワークばかりで、診療時間が終わる。 そのうえ、誤診は頻繁にあるし、 ほとんど毒のような薬を処方されるのが関の山。 しかも、うちでは、 子どもたちの予防接種は拒否しているので、 ドクターの対応も冷たい。 夫は、この1年ほど、病気がちなのです。 何が悪い・・・ってことも特にないのだけど、 直ぐに体調を崩す。 過労とストレス。 でも、こんな状態でGPに行っても解決にならないので、 自分達でホメオパシーやフラワーレメディ、 家庭で出来るハーブを使った手当てなどをしてきた。 でも、先週の夫の状態は酷く、 「学校辞めることになるか?」 と思えるほど。 で、GPへ行くことにしたわけです。 と言っても、 いつも行っていたGPとは違うGPへ、 登録をしなおして、アポをとりました。 そこの病院には、一人、人智学医療のドクターがいるのです。 普段は自分の人智学医療のクリニックで診療しているのですが、 週1日だけ、一般のNHS系病院で診療します。 人智学医療のクリニックへ行くとなると、 民間医療ということでNHSの無料サービスは使えず、有料。 でも、GPとしての彼に診療してもらえば、無料。 もちろん、GPとしての枠があるので、 彼のクリニックでの診療の内容とは程遠いでしょうが、 彼自身の、ホリスティックな考えは同じです。 しかも、彼はうちの学校の生徒の親。 昨日は、彼との初セッション。 一般のGPとは全く違う、人間同士のコミュニケーション。 そして、抗生物質などではなく、 ホメオパシーと栄養剤を処方してもらい、 症状が出たときの、 ハーブを使った手当ての仕方も教えてもらい、 食事の改善についてもアドバイスをもらって、 夫は、かなり満足して帰ってきました。 やはり、信頼できる医者だと、 医者の言うことを聞く気にもなるもので、 夫も、今回ばかりは、医者のアドバイスを守ろうとしています。 さて、私も行くべきか。 ここ数ヶ月、ちょっと、不安材料があるのです。 症状が酷くないので保留してあるのですが・・・・。
2007年01月31日
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昨日から、 シュタイナーのプラネタリー・シンボルを作っています。 金星---ヴィーナス。 半径5cmの銅を、銅板から切り出し、 周りをやすりでなめらかにし、 それから、 ピッチボウルに板を乗せて、 そこを、直径5mmくらいの小さなパンチで、 金槌を使って一つ一つ目を打って形を作っていきます。 英語ではチェーシングという技法なのだけど、 彫金を日本でやったことがないので、 日本の彫金の専門用語は分かりません。 この作成過程は本当に瞑想的。 ただひたすら金槌をポンポン打つだけのことなのですが、 ヴィーナスの形が心魂に浸るような感覚に陥ります。 いい形というのは、 形を追っているだけで、 次にどうしたらいいか、形が語りかけてくれるのですね。 作成過程の写真を載せておきます。 切った円盤に、針で図柄を描き、ピッチボウルに。 金槌で打ち始めたところ。 何度も金槌で形をなぞり、凹凸をつけていきます。 週末の、いい創作活動になりました。 学校の道具を使っているので、 ウィークデイは、なかなか進まないかも。
2007年01月29日
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私の中で、昔から矛盾があるのです。 私は10歳ごろから、ずっと、教師を志してきたのです。 他にも色々やりたいことはあったけれど、 その根っこのところには教師という仕事がいつでもあった。 でも、それとは別に、 人間と関わらない仕事がしたい、 という気持ちも根強くあったのです。 人間と関わらないと言っても、 誰にも会わない・・・というわけではなく、 同僚や取引などで人と関わるのはいいのです。 ただ、人間を扱わない仕事がしたい。 教師とは、全く正反対。(苦笑) でも、自分の中での教師の仕事への熱が、 あまりにも強かった為、 「人と関わらない仕事がしたい」 という気持ちを、押し殺すことになりました。 さて、押し殺した気持ちがどこへ行ったか。 押し殺したものは、消えてはなくならないのです。 心の中で、隠れながら生きているのです。 それが、最近、ムクムクと私の中で動き始めました。 春が来て、目が覚めて、活動し始める動物達のように。 長い間、押し殺していた気持ちは、 心の奥底で成長していたようです。 そして、ちょうど良い時期をみはからって、 目覚めたようです。 人をあつかう教師の仕事と、人と関わらない仕事を、 いかにしてバランス良く共存させていくか。 その、解決不可能にも思える疑問が、 今、実現可能に見えるのです。 私の夢、人生、運命。 うまく、流れにのると、 いろんなことが、私の中で上手く流れるのですね。
2007年01月28日
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危機とか書いたあとに、能天気な日記です。 今、何とも身動き取れないので、気休めまでに・・・・。 今日は、花の種を注文しました。 http://www.chilternseeds.co.uk/ というところ。 ここでは、凄い数の種が売られてます。 オーガニックの野菜の種も、 アジアの野菜の種も。 (さっちーー。アッシュフィールドで日本のお野菜育ててね。) 今日オーダーしたのは、4種類のお花たち。 全部、草木染めに適した花。 種から育てて、収穫して、草木染めをしたいな・・・と。 手仕事をするのはいいけれど、 材料を遠くから取り寄せるのって、何か違うな、と思うのです。 もともとは、身近にある材料で、 染物をし、 糸を紡いで衣服を作り、 籠を編み、 道具を作っていたはず。 今の世の中、 遠くから取り寄せないと材料が手に入らない。 でも、飛行機で運ばれてきたような材料で作るよりも、 やはり身近にあるもの、 せめて、国内で育つようなもので作る方が、 気候、風土にも適していて自然だし、 やはり自然の中にもその文化が生きているから、 やっぱり、身近な素材をできるだけ使いたい、という、願い。 というわけで、染料となる植物を種から育てようと思いまして。 でも、どうしても欲しい藍色。 インディゴは、イギリスの寒い気候では育たないのです。 インディゴ以外に青が出るのは、woadという草だけ。 これはイギリス原産です。 ということで、それも注文してみました。 それでも諦めきれないインディゴ。 温室で育ててみよう、ということで、 インディゴも注文してみました。 さて、インディゴ温室栽培。 うまくいくでしょうか。 今年の秋には、染料を収穫して草木染めをするのよ。 ふふふ。
2007年01月25日
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キキ、って、危機です。 人生、色々ありますね。 ちょっと、考えないと。 でも、危機や問題は、 私達に大事なことを教えようとしてくれてる、 大事な大事なメッセージです。 現状に、改善する必要性があるということ。 そして、次のステップへ進む準備が整いつつあるということ。 問題をよく見つめて、見極めて、 どういう行動に出るか、 何を改善していくか、 自分が本当にやりたいことは何なのか、 何を優先して、どんな生き方をしていくのか、 色々、考えることを迫られています・・・・。 さて、どうなるやら。 私達の将来は。 でも、1つだけ確実に分かっていること。 こうやって目の前に降ってきた問題を、 逃げずに、ちゃんと、乗り越えていくと、 その先には、さらに光り輝く未来がある、ということ。 乗り越える段階は、とっても辛くて、 逃げ出したくもなるし、 泣いちゃうことも多々あるけれど。 あ、それから、乗り越えた先にも、 まだまだ、次の問題が待ち構えているけど・・・。 あああああああ。 ちょっと、ふんばらねば。
2007年01月25日
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子どもができるまえ、描いていた理想像。 それは、 「娘」と私、お揃いの手作りドレスでお出かけ。 「娘」が生まれなくて、夢は叶わず。 ひとりめの妊娠中、男の子だと分かった時、 私の夢を夫に託し(?)、セーターを編んだ。 夫のセーターと、息子のセーター。 それから、毛糸が余ったので、 息子用にお揃いの帽子。 それでも、まだ、毛糸が余ったので、 編みぐるみを編んで、それに、お揃いのセーターと帽子を。 今、この編みぐるみは次男のベスト・フレンド。 寝る時はいつも一緒。 で、私の夢は? ということで、 先日編んだ息子達のペアのセーターとお揃いっぽいセーターを、 私用に編んでみました。 製作1週間。 さて、これ着てどこに出かけよう。 あ、やっぱり、学校か。(涙)
2007年01月23日
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またまたケーキつくり。 フワフワのバターケーキです。 ちょっと前に、 バターケーキをフワフワにするテクニックを発見。 ポイントはバター。 手作りの、作りたてバターを使う。 それだけ。 バターの原料は生クリーム。 日本だと生クリームには、あまり種類がないけれど、 イギリスの場合、クリームにも色々種類がある。 シングル・クリーム ホイッピング・クリーム ダブル・クリーム エクストラ・シック・クリーム と、こんな具合。 この順番に脂肪が少ない。 シングルだと、薄いので、泡立たない。 エクストラ・シックだと、 名前の通り、超濃くて、半固形。 普段は、 ダブル・クリームを使ってバターを作っているのだけど、 今日は、エクストラ・シックを使った。 ダブル・クリームが品切れだった ・・・というだけの理由。 それがねぇ、もう、凄いの。 作ってる段階から、明らかに違う、このクリーミーな泡立ち。 出来上がったケーキはしっとりフワフワ。 もう、次回からは絶対エクストラ・シックね。 実は、今日、夫に、 「チョコレートケーキが食べたい」 って言われて、チョコレートケーキを作り始めたのだけど、 チョコレート入れ忘れて、 プレーンのバターケーキになっちゃった。 ボケてるわ。 でも、美味しいから許してね。
2007年01月23日
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楽天ブログで書き始めたのは2005年10月。 それから、ほぼ毎日の更新。 随分、書いたもんだ。 そして昨日、ふと思った。 この書き綴った文章たちは、どうなるんだろう? 他の人たちは、どうするんだろう? 書いたものについて、 あまり愛着のない人はいいけれど、 心をこめて書いた文章は、みんな、どうするんだろう? デジタルのデータとして、 CDなり、何らかの記憶媒体に保存しておく? あるブログのサーバーは、 書いた日記を本にしてくれるというサービスもしてるらしい。 たくさん印刷して、自費出版にしてもいいし、 数冊だけ印刷して、知人に配るんでもいい。 1冊だけ印刷して、自分用に保存しておくのもいい。 さて、私はどうするだろう? ここまで書き溜めた文章たち。 どうでもいい内容のものもあるけれど、 頑張って書いたものもあるし、 子どもの成長記録になるものもある。 人に配る気はないけれど、 自分用には何らかの形で保存しておきたい。 デジタルのデータで保存しておけば、 失わないし、加工しやすいし、便利だ。 でも、私の性格上、 PC上では二度と読まないだろうな。 紙の上の文章なら、また読むだろうけれど。 印刷して自分でブックバインディングするのもいいかも。 なんてことを思ったりして。 ブックバインディングも、私のやりたいことの1つ。
2007年01月20日
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「シダー・ウッドが欲しいの。最近、ウールのセーターが何枚か虫に食われちゃって。今まではそんなことなかったけど、イギリスの虫は酷いらしくって、友達のところでは、コットンまで虫に食われちゃったんだって。しかも、イギリスの防虫剤は臭くて酷いらしいの。だからね、シダー・ウッドで防虫対策したいの。」そんな話を、今朝、夫とした。夕方、帰宅した夫が開口一番、「シダー・ウッドが欲しいって言ってたよね。」という。何だ、何だ。帰ってきていきなり。何でも、今日の酷い風(嵐みたいだった)で、学校のブルー・シダーの枝が折れたんだって。大木だから、枝って言っても直径30cm以上。それが、風で折れて落ちてきて、地面に40cmくらいの深さまで突き刺さったんだって。幸い怪我人なし。校舎の屋根も突き破ることなく。ほっ。良かった良かった。被害がなくて。と、こんな具合に、ブルー・シダーが天から降ってまいりました。願い事はしてみるものです。(笑)次は何をお願いしようかな。ふふふ。(こんどは、危険がありませんように。)
2007年01月19日
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うちの子は可愛い。 世界一、可愛い。 ホントです。 親だもの。そう思うでしょ。 実際に、顔が不細工であろうと、 根性が曲がっていようと(?)、 やっぱり、自分の子は可愛い。 不細工なところとか、曲がった根性とかまで、 可愛く思えてくるから不思議。 以前、猫飼ってたときもそうだった。 他のどの猫を見ても、 うちの猫のほうが、可愛く思えた。 親ばかだ。 親ばかが、いい。 親だもの。 親が、子どものことを「世界一可愛い」って思わなかったら、 誰が思うの。 溺愛と親ばかは違う。 溺愛はよくないけど、親ばかは大事。 因みに私は、「夫ばか」でもある。 「そんなこと言わなくても分かってるよ」 って声が、聞こえてきそうな気もするけど。(笑) 夫のすばらしいところは、声を大にして言う。 夫のすばらしいところを、謙遜で隠すようなことはしない。 私は、日本式の謙遜が嫌い。 夫が、妻のことを話すとき、 「うちの愚妻が・・・」 とか言うの、もの凄く、嫌い。 だって、いくら謙遜で、他人を敬うためと言ったって、 実際は、「愚かな妻」だなんて思ってなくたって、 愚妻って言われたら、やっぱり悲しい。 夫婦は、長い間、パートナーとして生きていく。 とても大事なかけがえのない相手、のはず。 他人よりも、余程、敬い大切にするべき相手を、 「愚」で言い表すのは、悲しすぎる。 へりくだらなくたって、相手を敬う表現はたくさんあるのに。 家族は一番大事。 だから、大事だってこと、アピールする。 でも、家族以外の人も大事。 だから、他の人にも、 「あなたは大事な人。素敵な人。」 って、声を大にしてアピールする。 「愚」とか「弊」とか「拙」とか、 ネガティブな言葉をつけて謙遜しないで、 ポジティブな言葉で、 相手に対する敬意を表していくのが好き。
2007年01月18日
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昨日、イギリス、ヨークシャーにあるキャンプヒル、 ボトン・ヴィレッジの友達から包みが届いた。 それは、ルドルフ・シュタイナー・カレッジの 2004年「古事記」の録画DVD。 待ちに待って、やっと手に入った。 RSC日本人プログラムで、毎年演ずる古事記。 その年は、例年に増してのビック・プロジェクトだった。 例年、ユーリズミストのヘルガが参加するのだけど、 その年はヘルガが来れないことに。 そんな!! ヘルガのいない古事記なんて!!! と思ったのだけど、 ディレクターのクリスチアーナは、 それを逆手にとった。 「ヘルガが来ないなら、 ヘルガに払う予定だった予算が浮いたはずよね。」 「じゃ、その予算で、好きなことやってやろうじゃないの。」 と、その予算がいくらなのかも知らないまま、 今まで思い描いていたプロジェクトに乗り出した。 彼女が、ずっと、やりたくて、 胸に思い描いていたこと・・・・。 それは、私の夫とのコラボレーション。 私の夫は、アーティスト。 ゲーテアヌムの劇場を始めとするいくつもの劇場で、 舞台芸術を作りあげてきた。 その夫が、 古事記の舞台セットを作り、照明をアートする。 普段、雀の涙ほどの予算で作り上げる演劇。 この年は、RSCにしてはとんでもない予算を、 夫につぎ込むことに。 3週間をかけて、創り上げた演劇は、すばらしかった。 夫も、その期間、 毎晩、深夜2時、3時の帰宅だった。 折りしも、その時、 私は長男を出産したばかり。 長男が、生後2週間から4週間くらいの間、 夫不在状態だった。 私の母がいたから、何とかのりきれたけれど。 残念ながら、この年で、 日本人プログラムは最後になってしまった。 この古事記は、私達夫婦にとっても RSCで過ごしたときに区切りをつける、 大きなイベントになった。 その映像が、今、やっと手元に。 まだ見てないのだけど、 それを見たとき、どんな思いがよぎるのだろう。 ちょっと、ドキドキしながら、 週末にでも見ようかと思っている。
2007年01月17日
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うちの夫は9年生の担任。 担任という仕事はいいのだけど、 家族にとってはクラス旅行が辛い。 だってね。 2週間も、旅行に行っちゃうんだよ。 寂しいじゃない。 今年は5月下旬に2週間。 ドイツのシュロサンボーン・シュタイナー学校へ。 これは、我が校の恒例行事。 9年生がシュロサンボーンへ行って、 あちらの9年生と交流する。 シュロサンボーンには、学校に農場がある。 うちの生徒達は、その農場で働く体験をするわけ。 夏休みあけ、10年生になったばかりの シュロサンボーンの生徒たちが、こちらへ来る。 彼らは、我が校の演劇の先生について、 シェイクスピアの演劇にとりくむ。 シェイクスピアが生まれたイギリスの地で、 シェイクスピアを演ずること、 それをイギリスの空気の中で体験することの意味は、 彼らにとって、とてもとても大きいから。 ま、それはいいことなのだけど。 家族にとっては、辛いのよね。 この2週間。 ふう。 今から、気が重い。 寂しいわ。 さて、その時期に合わせて、うちの母でも呼び寄せるか。 それとも、誰か、遊びに来る? 大歓迎よ。(←↑本気です。)シュタイナー学校見学つき、イギリス滞在。どう?
2007年01月17日
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ミクシィに移行しようかと考え初めてから半年。完全移行にはならず、細々と楽天にも記事を載せてきた。ミクシィのダイジェスト版ね。ミクシィはほとんど毎日更新してるのに、楽天は更新、ほとんどしてなくて。楽天に見に来てくださる方、ごめんなさい。楽天ブログ、どうしようかと迷いつつ・・・だったけれど、やっぱり、楽天も、もう少しやってみようと決めた。だって、人とのつながりは、多い方がいいもの。さて、そうと決めたからには、楽天で、オサボリしていた分の穴を埋めなくては。これからもよろしくお願いします。
2007年01月17日
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子どもの頃に憧れていたことって、 結構、ばかにできない。 うちの母は、 とても堅実な生き方をしていた人だったので、 子どもの何てことのない夢や憧れも、 「そんなの、非現実的ね」 「頭よくないとダメなのよ。ムリムリ。やめときなさい。」 「才能ないとダメなのよ。」 「そんな仕事で生きてはいけないわよ。」 「そんなの大変よ。」 「そんなお金どこにあるの。」 と、ことごとく打ち砕かれた。 そして、自分の能力を過小評価する傾向がすっかり身についた。 そんな私が、子供時代、思い描いた夢のいくつか。 例えば、 留学する。 海外に住む。 国際結婚をする。 これらは、どれも、母に、 「そんなのムリムリ」 って言われたこと。 そして、私自身、無理だと信じ込んで、 実は、まったく挑戦しようとしなかったこと。 それが、 これだと思った道を歩み始めた途端、 次々に叶いだした。 留学も、海外に住むことも、国際結婚も、 もう、まったく、意図していなかったし、 「これだ」と思ったこととは、 まったくつながりがないように思えることだったのに。 今、また1つ、 すっかり忘れていた、子どもの頃の憧れが、 実現に向かいつつあるのを感じて、思った。 子どもの頃の憧れや夢っていうのは、 実は、人生のなかで、核心をついた生き方なのかもしれない。 子どもの頃に思い描いて、諦めてしまった夢は、 他に何があっただろう。 そこに、何か、面白い人生の鍵がありそうな気がして。 人生って面白い。
2007年01月16日
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昔は、しんどかったな。 いつも上を見ていて、 何かにつけて、 上達、前進、進歩することばかり考えてた。 目標が達成されると、 そこには、違った世界が開けていて、 さらに上があることが見えた。 そして、また、次の山に上り始める。 上へ上へ、そして頂上まで登りつめたくて。 それは延々と続いていって、 限りなく続くことが分かっていた。 終わりのない旅。 いつになったら終点の頂上まで達することができるんだろう。 いつになったら、納得することができるんだろう。 最後の頂上まで登りつめないと、 自分に満足できない気がした。 自分を認めてあげられない気がした。 だから、一生、満足できないような気がした。 今は、違うように感じてる。 今でも、終わりのない旅の途中。 延々と続く旅。 上っても、上っても、次の山が出てくる。 その過程にあって、 日々、きちんきちんと頑張っている。 それでいい。 それがいい。 そう思う。 一生かけても、 最高の、そして、最後の頂上に、登りつめることはない。 だから、いい。 今、進歩の過程にいる。 そして、進歩に向けて、頑張ってる。 それが一番大事なこと。 時には、止まったり、後退もする。 それも、大事な進歩の過程。 自分を認めながら、 その進歩の過程を、着実に、進んでいる。 そして、 どれだけ成長しても、まだ、さらに成長する先がある。 それって、すばらしいこと。
2007年01月15日
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今日から学校が始まった。 夫のクラスは4人が留学中でいない。 9年生、10年生での留学は、とっても盛ん。 多くの生徒達が、一度は留学する。 多くは交換留学で、ドイツ語、フランス語圏へ。 小学校1年生から、 ドイツ語とフランス語を勉強している生徒たち。 留学は、実践のいいチャンス。 イギリスだから、他の言語圏からの留学生もよく来る。 夫のクラスのJ君は、ドイツへ。 夫の提案で、夫の妹の通うシュタイナー学校へ行く。 J君は7年生のとき夫の金工の授業で彫金に出逢い、 「将来は、ジュエリー・アーティストになる!」 と決意。 それ以来、夫の指導のもと、 自分でコツコツと作品を作りつづけている。 今回の留学では、 学校の授業がないときに、 プロのジュエリー・アーティストである、 夫の母のところへ行き、 ジュエリー作りを習う。 J君は、嬉しくて仕方がない。 留学が楽しみで楽しみで、 冬休み中も、交換留学の相手とのやりとりを、 逐一、我が家に報告してきた。 それも当然。 高校生がプロに直接教えてもらうチャンスなんて、 そうそう、あるもんじゃない。 でも、この留学は、J君にとって、 そう簡単なものではない、とも思う。 J君は、シビアなディスレキシアがある。 これは、言語の学習障害。 言語以外の能力は、人並みにあるのだけれど、 言語を「書く」能力だけが劣っている。 そんなJ君にとって、外国語は悩みの種。 彼の外国語環境での4週間。 そんなに、簡単じゃないだろう。 でも、 彼は、 大丈夫。 ひとまわりも、ふたまわりも、大きくなって、 精神的にぐーんと成長して帰ってくるに違いない。 帰ってきたあと、 私は、彼のクラスを教える。 今から楽しみ。
2007年01月12日
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ずっと新年の計は欠かさずに立てていた。 そして、真剣にそれを達成しようと頑張ってた。 ところが、この数年、新年の計らしきものを立てていない。 立てる必要性を感じなくなった。 学びは、いつでも、どこにでもある。 仕事を通して自分を高めるのはもちろん、 家族や友達とのちょっとした会話でさえ、 自分を振り返り、自分を高めるための教材にあふれてる。 大事なのは、 そんな、日々、私の前に現れる課題を敏感に感じ取って、 それらに向き合うこと。 逃げずに、そこから学ぶこと。 その時々に私につきつけられる課題は、 私にとって本当に必要な課題。 新年に1年を見越して立てる目標よりも、 もっと私に必要で大事な課題であることが多い。 それらの課題に、ひとつひとつ、真面目に向かっていくこと。 だから、新年の計らしきものはたてない。 ただ、その時その時を大事にしていこうと思う。
2006年12月31日
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アドベントを飛び越えてクリスマスの話題で恐縮ですが・・・。 年内引越しは不可能だと決定しました。 それは、 今年は、ちゃんとしたクリスマスツリーが飾れない、 ということを意味します。 というのも、あまりにも狭い家な上に、 去年ツリーを飾った場所は、 新しい家具に占領されてしまって、 もう、ツリーを置く場所がないから。 去年は、こんなツリーを用意しました。 ツリーについての日記も良かったらどうぞ。 このツリーのオーナメントは夫作。 シュタイナー的、正統派のオーナメント。 それから、薔薇の生花を、 これまた、夫作の、小さな真鍮製の器に挿して飾って。 夫作の、銅製キャンドルホルダーに 蜜蝋ロウソクを灯したかったのだけど、 キャンドルホルダー、売れてしまって、 我が家の分がなくなってしまった。 このオーナメント、ツリー用生花挿し、キャンドルホルダー、 欲しい方は購入可能です。 でも、受注生産になるから、今年は無理ですが。(笑) 来年用にぜひ、と言う方は、お早めにご連絡くださいませ。え
2006年12月01日
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ある10年生。 うちの長男と遊んで(?)いる。 私が作った、 フィボナッチ数列のモデルを見せてる。 「これはね、君のママが作ったモデルだよ。」 「ここにはフィボナッチ数列が隠されてるんだ。」 「フィボナッチ数列っていうのはね・・・」 ちなみにうちの長男、2歳半。
2006年12月01日
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忘れてました。 兎の問題、紹介するって言ってましたね。 はい。フィボナッチがLiber Abaciの12章で書いた 「兎の問題」です。 ***** 1組の兎のペアがいます。 オスとメス。 大人です。 兎は、 毎月、兎の赤ちゃんをペアで出産する、としましょう。 つまり、最初(仮に1月1日としましょう)1組いた兎のペアが、 1ヵ月後の2月初日には、 1組の大人のペアと、1組の赤ちゃん兎のペアの、 合計2組がいるわけです。 赤ちゃん兎は、成熟するのに1ヶ月かかります。 それから、妊娠して、出産するまでに1ヶ月かかります。 つまり、生まれてから、赤ちゃんを産むまでに、 2ヶ月かかるわけです。 産み始めたペアは、毎月、赤ちゃん兎のペアを1組産みます。 問題を理想化するために、 一度生まれた兎は、 死ぬこともないし、逃げ出すこともしないとします。 生まれるペアは、必ず、オス+メスのペアです。 つまり、最初は1組だった兎のペアが、 1ヵ月後には、大人のペア1組+赤ちゃんペア1組=2組 2ヵ月後には、大人のペア2組+赤ちゃんペア1組=3組 3ヵ月後には、大人のペア3組+赤ちゃんペア2組=5組 となります。 さて、1年後の1月1日には、何組の兎のペアがいるでしょう。 正解は?
2006年11月26日
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灰谷健次郎は、私にとって、 教師としての姿に、渇を入れてくれる人。 人間としてのありかたに、力を注いでくれるひと。 随分長い間、 灰谷氏の小説に助けられ、教えられ、 どれだけ多くの力をもらってきた。 彼の本を読むと、そのたびに、 彼の描き出す人物が、私の心にたくさんの宝物と光をくれる。 そんな灰谷氏の諜報は、 ぐさっと心に突き刺さった。 72歳だったという。 まだまだ、素敵な味のある人間を描いて欲しかった、 というのは、私のエゴにすぎない。 人の命は、人には決められるものじゃないから。 悲しいけれど、 これだけ素敵な人間像を、 彼の本の中に生み出してくれたことに、 心からありがとうと言いたい。 彼は、本という、実在するモノを作り出した。 そしてその本というものを通して、 沢山の人の心に働きかけることに成功した。 彼の死後も、彼が残した作品たちは、 多くの人たちの心に光を与えることだろう。 彼がこの世でやり遂げたことは大きい。 そして、ふと想った。 私は、この人生で、何を残すのだろう。 何をやり遂げるのだろう。 何を作り出すのだろう。 私に、何ができるだろう。 私は、灰谷氏のように、モノは創らない。 私の仕事は、教え、育てること。 だから、私が生きた証としての、作品は、何も残らない。 私が生きた証なんてなにも残らない。 でも、いいんだよね。 モノを残さなくても。 私が生きた証は、私の魂の中にある。 私の仕事は、私が関わった子どもたちの魂に刻印する。 私の仕事は、未来の人間をつくること。 その子どもたちが、未来の社会を作り出す。 はっきりとした形は見えなくても、 やっぱり、私の仕事は、この世に残る。 いいようにも。悪いようにも。 そして、 私の教師としての姿に大きな影響を与えたひとは、 灰谷健次郎だ。 灰谷氏の心は、私の仕事を通して、また、この世に残る。 灰谷さん。 ありがとう。 この世に生まれてきてくれて。 たくさんの素敵なメッセージを残してくれて。 ありがとう・・・。 灰谷さんのメッセージを心に刻み込んで、 自分を育てながら、 子どもを見つめ、 子どもに添っていきます。
2006年11月25日
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先週末、メインレッスンのために買ったもの。 赤キャベツ。 そして、パイナップル。(笑) どっちも、フィボナッチ数列が隠れてるの。 でもねぇ・・・。 いまどきのお野菜って、 品種改良だの農薬だのの影響が強いのか、 形が変形しているのね。 赤キャベツのフィボナッチ数列は、 うまく現れてなかった。(涙) 試しに、家にあった白菜を見てみたら、 フィボナッチ数列・・・あった! ということで、今日は、 二等分した白菜と、パイナップルと、松ぼっくりを持って、 授業へ行って来ました。 「料理の授業でもするの?」 と、夫にからかわれつつ・・・・。
2006年11月22日
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素材の味は大事。 素材の味がよければ、それだけでご馳走。 野菜も、魚も、お肉も、そして調味料も。 素材がよければ、特別な、味付けなんていらない。 近頃、素材の味、新鮮さを求めて、 自家製豆腐をつくり、 かつおぶしを削り、 味噌を仕込み、 麺を手打ちし・・・等々 色々やっているのだけど、 この世界、とどまるところを知らず。 ドイツから帰ってから、 ドイツで食べた新鮮なバターの味が忘れられず、 (義母いわく、「これ、スーパーの一番安いバターよ」) イギリスの普通のバターなんて食べてられなくなった。 だから、バターも、週2回は手作り。 こうやって、出来るだけ手作りをしていると、 便利な生活の代償がいかに大きいかってことを痛感する。 豆腐だって、かつおパックだって、 売られてる味噌だって、 乾麺だって、バターだって、 買ってくれば簡単。 できあがって売られている食材に慣れてしまった舌は、 味にも鈍感になる。 ほんとの美味しい味を忘れてしまう。 それだけじゃない。 劣った味を補う為に付け加える、添加物の数々。 栄養にも鈍感になるし、 季節の流れからも意識が離れる。 手仕事をしなくなった代償は、 思考の働きが鈍化し、 精神世界から遠のき・・・、 いや、こんなマニアック(?)なことは言わなくても、 手仕事しないが故に起こる能力の低下は、 手仕事する人なら感じ取れると思う。 いや、いや、 理屈なんてなんでもいい。 便利さをとったが故に、 美味しいものを食べられなくなった。 それだけで、十分、大きな代償。
2006年11月21日
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薔薇十字会の神智学、という本がある。 シュタイナーの本。 実は、かなりお気に入り。 ルドルフ・シュタイナープレスから この本のオーディオブックが発売されるというメールが届いた。 ほほー。 シュタイナーのレクチャーのオーディオ・ブックねぇ。 第1章は、無料でダウンロードできるんだって。 ということで、ダウンロードしてみました。 ひゃー。 かなりの訛りの英語だわ。 スイスなまり? でも、結構面白いかも。 (面白がるモンじゃないって)
2006年11月20日
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明日から「フィボナッチ」のメインレッスンに突入。 10年生です。 フィボナッチは、イタリアの数学者。 中世ヨーロッパ随一の数学者です。 彼の何が凄いかって? ヨーロッパでは当時、ローマ数字が使われてました。 時計の文字盤とかに良く見かける、 XIIとか書くやつです。 因みに、 I=1 V=5 X=10 L=50 C=100 D=500 M=1000 を表します。 例えば、1086なんて数は、 MLXXXVI と書きます。 ゼロもないし、 文字の羅列だけで位取りもない。 記録するには、何とかなるけれど、 これで、計算までしていたんですね。 例えば、 DCCXXVII - CCCXXXXVIIII なんて計算をする。 さて、やってみてください。 (実際に生徒にもやってもらいます。) 面倒でしょ。 難しいでしょ。 でもフィボナッチは、数学を勉強するうちに、 インドで生まれた記数方法(私達が現在使っているもの)が、 計算には便利だと言うことに気付いて、 それを普及させるために本を書いて出版したんです。 それが、先日書いた "Fibonacci's Liber Abaci" という本。 実は、インドの記数法は、 5世紀には発明されていたのです。 それがアラビアに伝わり、 アラビア人がヨーロッパに伝えようとしたけれど、 ヨーロッパ人は、東洋人の発明したものなんて、 受け付けられなかった。 というか、ゼロ、無、っていう概念が、 ヨーロッパ人には分からなかったんですね。 ということで、 フィボナッチが本を出版するまで、 インド式記数法は闇に葬られてしまったわけ。 この本が出版されたのは、1202ADのこと。 発明されてから、 ヨーロッパ人が受け入れる準備ができるまで、 こんなに時間がかかっちゃったんですね。 さて、このLiber Abaciには、 有名な問題が載っています。 「兎の問題」と言われるものです。 さて、知りたい人、いる・・・???
2006年11月20日
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うちの長男のブームは水遊び。 子どもは水が大好きだけど、 うちの長男は極端なほどの水好き。 やっぱりね。 憂鬱質の特性。 地水火風で言ったら、まさしく水。 長男そのものだわ。 その長男、バスルームにこもる。 バスタブに上って、洗面台に手を伸ばし、 洗面台に水をためては遊ぶ。 パシャパシャやったり、 容器に水を入れて、床へドーッとこぼしたり。 ちなみに、我が家のバスルームはカーペット敷き。 (借家ですからね。私の趣味じゃございません。) そのカーペットに、 水をダァーダァーと流された後の始末の大変なこと。 しかもここはイギリス。 一度濡れたものはなかなか乾きません。 一般的に、子どもの行動を規制するようなことは、 まずほとんどやらないのだけど、 これは困った、と、ドアにヒモをかけた。 子どもにドアを開けられないよう。 直ぐに、ヒモをはずすことも覚えるだろうけど、 数日だけでも、我が家のバスルームを洪水から救えれば、 私としても助かる。 今のところ、ヒモをはずすことはまだ覚えていない。 だけど、だけど、だけど、今朝。 やられたぁーーー。 私がバスルームに入っている間、 ドアの外で何か物音が。 バスルームから出ようとしたら、 はずしてあったはずのヒモが、 ドアノブのところにひっかけてあって、戸が開かない。 やったな!! 長男。 バスルームに閉じ込められた、惨めなママ。 "Help me!!!" と夫を呼んで、夫に大笑いされながら、 バスルームから救出された私でした。 やられた。
2006年11月16日
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明日はリンゴを持って授業に行きます。 黄金比と正五角形とその中に描ける★型は、 切っても切れないつながり。 ということで、 その黄金比の話は、★からはじまりはじまり。 5pointed starが世界のどこに見れるか? 五つ星レストラン。 60以上の国旗に。 商標のロゴにも。 古代から、星が意味していたものは? ほら、自然の中にも。 花にも、ヒトデ(英語ではstarfish!)にも、 それからリンゴにもね。 はい。 リンゴを横から薄くスライスすると・・・。 ほらね、5 pointed starが透けて見えるでしょ。 と、みんなにリンゴのスライスを渡して、 みんなで食べるの。 (↑食べ物でつる教師) ふふふ。 ついでにユーリズミーの先生にもお願いして、 星の形のユーリズミーも一緒にやってもらいます。
2006年11月15日
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お茶の日記のあとは「あんこ」の日記です。 週末だしね。 ふふふ。 日本にいたときは、 あんこもおせんべいも、 自分で買ってまでは食べなかった。 ところが、 海外で日本食に飢えながら暮らしていると、 無性に食べたくなるのです。 日本の食べ物と、日本のお菓子。 あんこに、おせんべ。 定期的に、鍋一杯の小豆を炊くの。 適度な甘さのつやつやあんこ。 こんなに美味しかったのね。 和の味って。(感激の涙) でも、あんこをどうやって食べるか。 おもちを入れてお善哉。 ホットケーキみたいなのを作って、どら焼き風。 バニラアイスクリームと一緒に。 それからふと思い出したのが、 名古屋名物(?)あんこトースト。 喫茶店文化の栄える名古屋の喫茶店メニュー。 名古屋出身の私が育った味!・・・っていうのは真っ赤なうそ。 日本にいたときは、 「何、それ。気持ちわるーーー」 って、一回も食べたことがなかった。 でもね、あんこですよ。あんこ。 あんこが食べたいの。 ということで、 トーストにバターを塗ってあんこをたっぷりのせて。 食べてみました! いやぁん。 美味しいじゃないの。 このバターとあんこのハーモニーが、 なんともいえないコクになるのね。 ま、考えてみれば、あんパンと同じことよね。 いいわ。何でも。 理屈なんかいらないわ。 美味しいんだもの。
2006年11月12日
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ふと、「最近、お茶してないな」と気付いた。 子どもが生まれてからだろうか。 ゆったり座ってお茶を飲むことがなくなってしまった。 大抵、キッチンで水をゴクゴクと立ち飲み。 それだけ。 もちろん、誰か一緒にお茶する人がいれば、話は別なのだけど。 昔は、机で仕事するときは、 まずお茶を入れて、 カップを机に置くのがいつものことだった。 仕事しているうちに、お茶のことなんて忘れてしまい、 気がついたら、お茶は冷たくなっている、 っていうのがいつものことだった。 それでも、お茶を入れる過程を楽しむ心と、 お茶をそばに置いて仕事をするだけの 心の余裕があったな、と、思う。 それさえも、なくなった。 やだわ。 心の余裕がないなんて。 だから、うちの次男、いつもいつも動き回ってるのね。 母親の心の余裕のなさが伝わってるんだわ。 お茶、しよう。 たとえ、1日1杯でも。 子どもたちと一緒に座って。 忙しくしているのは大好きだけど、 ゆったりとした時を過ごせる人でもありたい。 そして、子どもたちにも、 忙しくするのと、 リラックスしてのんびりするのを、 バランス良くできる人になって欲しい。 ということで、この1週間は、毎日お茶、しました。 ゆったり過ごす時間の、何と中身の濃いこと。 子どもたちが、なんとも、まあ、落ち着くこと。 しかも日本茶よ。 ほほ。幸せだわ。
2006年11月12日
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イギリスの公教育では、学校は4歳児から始まる。 4歳から、読み書きを習い、計算を習う。 ある日、うちのシュタイナー学校にカップルが訪れた。 彼らの息子は5歳。 公立小学校へ通っている。 1週間に7つの単語を覚えるのが宿題。 毎週月曜日には、それらの単語のテストがある。 子どもは、そのテストで間違えることが怖くなり、 学校に行くのも怖がるようになってしまった。 こんな教育はおかしいと思い、 良い教育を探しもとめていて、 シュタイナー学校に出逢ったというわけ。 悲しい。 こんな教育が一般に行われているなんて。 でも、日本の幼稚園でも字や計算を教えてたりするもの。 イギリスだけのことじゃないんだろう。 早く教え始めれば、その分、優秀な子に育つ・・・ なんてことは絶対ないのに。 早く教え始めたために、後々出てくる弊害は、 もの凄く大きいのに。 5歳児には、 5歳のときにやっておくべき遊びが沢山あるのに。 そんなことを悲しく思いながら、 私が日本で公立高校で教えていた時のことを思い出す。 学校の中で押しつぶされそうになってる生徒達を見て、 何とかしなくちゃ、と思ったのが、 シュタイナー教育と出逢ったきっかけ。 何とかしなくちゃ。 こんなふうに、 子どもの能力をつぶすような教育はやめなきゃ。 子どもに、いい教育を。 みんなにいい教育を。 そんな思い。 「子どもにいい教育を」 と、親が思っただけでも、 その子は、まだ、恵まれている。 親に、 自分の教育のことをあまり考えてもらえない子どもたちが、 公立学校には本当に多い。 だから、私の中には、 「何とかして公教育を変えたい」 という気持ちが、とても、強い。 公教育で苦しんでいる子どもを見るたびに、 私は自分を責めてしまう。 「シュタイナー学校で教えているだけでいいのか。」 「公教育を変えなきゃ。」 その言葉は、何度も何度も、私の心の中に響く。 「どうやって?」 それは、まだ、答えを探しているところ。 自分の無力さを感じながら。 でも、きっと何かある。 私にもできることが。何か・・・。
2006年11月09日
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