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函館市内に戻り、立待岬へ。途中、海の見える坂道は墓園になっていて、お参りに来ても気持ちが良さそうだ。天気がよければ、青森も見えるらしい。遠くに自衛艦が見えた。外人墓地がたくさんある地域を通った。やはり海を見渡せて、はるか母国に思いをはせるのだろうか。ビィッツを返却して、最後に遅い昼食に、函館ラーメンを食べた。函館ラーメンは塩ラーメンらしい。函館観光は、一泊二日でもコンパクトに観光できる。しかし、暑い夏に、二週間くらい住んでみたりするには、涼しくて良いかも。東京から1時間で来れて、札幌より田舎な分、のんびりできそうだから。最終の便はANAもJAL も同じ19:30頃。しかし、これは函館を去る人に思わぬプレゼント!窓側にいた私は、函館山よりはるか上から、函館山も含めて、素晴らしい夜景を見ることができた。機体の後ろを眺めながら、函館の旅は終わった。
2017.07.29
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函館駅前でビィッツを借りて、ドライブ。大沼公園へ向けて、並んで電車が走る。ところが公園に着いて駐車場で、なんと雷雨になる。笑せっかく来たのだからと、折りたたみ傘を出して、散策。止まないまでも、小降りになってきて、ラッキー?大きな公園だから、ほんのすこしだけ。やはり中国語団体がほとんどで、ボートもほぼそんな人たちが騒いでいた。船上ランチのできるイタメシ屋さんがあり、いい感じだったよ!私は駐車場近くの売店でソフトクリーム。笑また40分走って、トラピスチヌ修道院へ。日本で初めての女子修道院。函館港開港により、外国人が増え、キリスト教布教も盛んだったのだろうと伺える。ここは外観と写真資料館だけ。修道女の皆さんの作られたクッキーとか売店にたくさん売っていた。また、函館市内へビィッツで走らせる。
2017.07.28
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瀬戸内海の島娘の私は船には敏感で、山育ちのパパは船を知らないから興味がある。で、2日目は青函連絡船記念館から始まった。青森と函館にそれぞれ青函連絡船を記念館にして保存しているらしい。函館港には「摩周丸」乗り込むとドラの音が、カシャーンカシャーン。昔、広島港から別府港に向かう夜行船もこのドラの音が鳴り響いていて、何度も聞いたが、ドラの音と共に桟橋を離れていく船は物悲しかった。摩周丸から元町八幡坂が見えた。まっすぐ海に向かっている。昭和29年、台風15号にて青函連絡船が5ソウ沈没し死者が多数出た悲惨な事故があったそうで、一度にたくさんの人命と船を失うのは、かなり辛い事故だったなと、ちょっとびっくりした。さて、次は、レンタカーで少し遠出。徒歩5分の函館駅前にあるカーシェアリングの車に乗り込む。ホテルの朝食、満腹過ぎ。
2017.07.25
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イクラが大好きな私は夕食にもイクラを食す。ホテルそばの函館きくよ食堂にて。ビールはサッポロ。本場の松前漬けが美味しくて、土産に買って帰った。函館名物活イカの刺身は写真に収めるのを忘れてしまった。西日本でイカといえば、福岡、長崎、佐賀呼子のイカも美味しいので、美味しいイカなら九州かな。でも私はイカよりタコが好きなので、広島はタコは安くて美味しいのでバンザイだ。笑「この、タコー!!」とか地元ではオジサンが怒ったりしてる。笑部屋で少し休憩。最近は携帯の充電タイムが必要になってきた。今日はベイエリアで花火大会らしい。最上階大浴場の源泉掛け流しらしい温泉で汗を流し、まったりして出かけた。しかしこのホテルも中国語を話す団体がたくさん。部屋から見る夕日が綺麗だ。さて、ホテルより徒歩3分の岸壁、8時前から花火打ち上げが始まる。写真では伝えられず残念。地元の家族も子供に浴衣など着せて、たくさん見物に来て賑わっていた。広島もこの頃、海上花火大会があり、よく子供を後ろに乗せて自転車で15分の岸壁へ行ったものだ。パパと懐かしく函館市民を眺めた。幼児の息子はどんなに打ち上げ花火の音がキョーレツでも8時過ぎには起きていられなくて爆睡していた。ディズニーランドでも電飾パレードを見たことがない、連れて行き甲斐のない子だ。笑函館の一日目は終わり。
2017.07.22
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あんなに雨が降っていたのに、元町界隈の坂上を散策していたら、さっと雲が消えて晴れ間になった。ちょうど函館山ロープウェイ乗り場まで歩いていける距離だったから、乗り場に着くと、5分前にロープウェイが動き始めたところだった。天候のせいで観光客はまだ来ていなくて、好きな場所に座れてロープウェイはGO!午後4時過ぎの景色。夜景が大人気なんだけど、かなり混雑するようなので、昼間の景色で我慢する。ロープウェイを降りてホテルまでの帰路はバスで。函館も広島同様に市内路面電車が走っている。なんだか広島より小さくて可愛い電車だった。ホテルで休憩
2017.07.21
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一日バスチケットで、荷物を置きに宿泊するホテルへ行くが、雨は土砂降り、傘をさしても、服もカバンも濡れてしまい、旅のテンションは下がった。雨宿りするも数時間、暇を持て余し、雨の中、観光に出かけた。雨女は辛い。パパより冷たい視線。ホテルはベイエリア。ラピスタ函館ベイホテル。赤煉瓦の後ろに建つのがそのホテル。立地が良いので予約していたが、便利。赤い煉瓦倉庫は、ショッピングエリアになり、お土産を買い込む人で賑わっていた。晴れることを祈って、元町エリア、おしゃれな坂道スポットへバスで向かう。しかし、バスは時間通り来ず、足元が酷いから気持ちが暗い。笑バスで10分、坂上にある元町公園、そして旧函館区公会堂を観光。海が見渡せるのは素敵だが、生活するには坂道は辛そう。バルコニーからも素敵な景色。そばにある観光案内所。元町観光について質問しても、そっけない返事しかしない案内所の若い女性二人。笑顔もない、言葉もそっけない受付って、日本の観光地で、それも観光案内所で久しぶりに会ったわ。雨が小降りになり始めたので、元町界隈を散歩した。有名な坂道。八幡坂。まっすぐ海へ!あ、信号は止まりましょう!笑函館港開港により、外国人が増え、元町に教会が出来始めた。歩いているうちに、晴れてきたので、函館山に行くにはチャンス!続く。
2017.07.20
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三連休の2日間、夫婦で北海道.道南、函館に行ってきた。北海道新幹線ができて函館も賑わっているかと思っていたが、羽田ー函館航路チケットは間近な思いつきのわりには、空席があり、ホテルも立地の良い人気ホテルも予約できた。さて、相変わらず雨女の私は、やはり羽田空港は晴れていたのに、函館空港に着くと降り始めていた雨はさらに強くなってきた。羽田ー函館は1時間飛べば着く距離、JR新幹線はやはり時間に余裕がなければ選ぶことがないかな。こじんまりした街なので、段取りさえすれば旅は順調。空港でバス一日券を買って、雨の中、まずは五稜郭。雨でもタワーからは見晴らしは大丈夫だと案内所で聞いていた通り。五稜郭は江戸幕府末期、城壁として建てられていたが、明治に移行し、完成を見ず終わりとなった。明治以降、城壁内の建物はひとつを残し解体された。五稜郭、星型にするのは計画していなくて、資金不足による偶然と聞く。35歳で函館の地で亡くなった新撰組土方歳三の資料が五稜郭タワーにたくさんあり、今でも通用する土方歳三のイケメンぶりがあちこちの写真で伺える。笑彼は馬の上で撃たれて終わる。雨はひどくなるばかり。早めの昼食を取りに、バスで函館駅そばの朝市へ。雨のせいか、観光客の姿がかなり少ない。店頭のプールでイカ釣りして刺身にする店が多いのは、やはり函館はイカが名物。雨宿り兼ねて、11時半には昼食。函館も中国語を話す団体が多い。むしろ日本人観光客の倍くらいは見かけた。
2017.07.19
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東京から夫婦で帰省し、母を連れて、小雨の降る中、地元の霊園を5か所回り、なんとか希望に合う場所を見つけた。高台にある霊園からは、市内も海も島も見渡せそう。これなら島の墓にいる祖父母も理解してくれるだろう。それにしても思わぬ市内の霊園探し。結構墓地は高価でビックリする。土地と墓を含めると、ちょっとめまいがするお値段になってしまったが、コツコツ貯めた母のお金を使ってもらう予定。最近は値段から考えると、小さな小さな敷地でその敷地いっぱい墓だけ置くしかできない感じ。島でのびのび海を見ながら大きな墓にお参りしていた私、やはり墓も余裕が欲しい気持ち。春には桜並木らしい。霊園にお弁当を持ってくるのもいいかな。病院の父には頑張ってもらって、来年も再来年も桜を見に行った話を病室でできたらいいなあと願う。
2017.07.11
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父の希望した島の墓は順調に今月、代々の我が家のご先祖様の墓所の片隅に設置できる予定であった。 が、 国の墓の法律が平成24年に変わり、自治体の条例も発令されて、とんでもないことがわかった。 新設したい墓を自治体に届けなくてはいけないらしい。自分の持つ私有地の墓地であるにもかかわらず、近隣100メートル以内の住宅の承諾書を添付しなければならない。申請書類を出しても審議されて、それでもOKになるかどうかわからない。 実はご先祖様の山に、本家分家それぞれ墓所を設けて墓地にしているのだが、うちの墓地の真上の空いていた土地に遺産相続でもらった親戚の娘(今や80代近いが)が15年前に住宅を建てた。墓地があったのに建てたのだから、家から当たり前に墓が見えるのだ。 それがどうやら気に入らず、回りの親戚の墓にも理不尽なクレームを入れていて、代々ある墓所なのに我が家にも墓を撤去してくれという始末。 今回、その人にも墓を設置するのに承諾をもらわなくてはならず、もちろんNOなのだ。 その人の家の上に墓を立てた方は、このクレーマーに3年以上待たされたらしい。 で、母が悩んで寝られず、とうとう島に墓を設置は断念した。 で、結局、週末広島で霊園巡りをすることになった。 生まれ育った島に眠りたい父は、もう島では眠ることはできなくて、悲しい気持ち。 しかし、マイ土地があるのに、民間霊園を買わなくてはいけない不条理な条例。 石材屋さんにも待ってもらい、早急に永遠の場所を探す。魂が休まらない。 昔は山の中にあった墓なのに、だんだんと造成されて、住宅地になってきた。山は崩され、新しく墓地のそばにやってきた住人に、ずいぶん昔からある墓が疎ましく思われるようになる。 だからと言って、どこに行くのだ。 私も思い出の多い島に別れを告げることになりそうな予感がしてきた。島の家はどうしよう。
2017.07.05
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