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母が今日のお昼頃、天に召さた。病と戦いながら4年半。その戦いは壮絶なものだったのに、いつも遠くにいた私は、何もしてあげられなかった。それでも、気丈な母は、私の前では、いつも前向きで、弱音を吐くことも滅多になかった。その母が逝ってしまった。天国での再会に希望をつなげながらも、さびしい。さびしい。明日、一番で日本に発つ。
2006.03.30
今日は、結婚記念日でした。結婚して13年になります。先日こんな会話がありました。夫「ねぇ、○○さんのところ、意外と亭主関白だったね。」私「そうそう、私もそう思った!」 でも、うちもそうよね。違う?」夫「う、うん。 でもうちには、天皇がいるから・・・。」私「・・・・」私たち夫婦が13年間守られてきたのは、すべて主の恵み。それと、夫の忍耐です。感謝感謝!
2006.03.27
今日の聖書のお話し「さて、神さまからの祝福のお約束を胸に、旅立つアブラム。途中、飢饉にみまわれる。この飢饉を逃れるためにエジプトに向かったアブラム一行。 エジプトに入る前ふと不安になるアブラム。妻サライは美しい。エジプト人たちは、彼女を生かして、アブラムは殺すかもしれない。もし彼女が自分の妹だと言ってくれればどうか。妻にもも自分自身にも良くしてくれるのではないか。彼の思惑通り、エジプトの王パロはアブラムに多くの贈り物をくれた。しかし、妻サライは、パロに召し入れられてしまったのだった。 神さまはこの状況を放ってはおかれなかった。パロの家を災害で痛めつけられたのだった。パロは、この災害が神からのもので、サライがアブラムの妻だと知る。そしてアブラムを呼び、サライが妻であることを告げなっかったことを責め、しかしそれでも、多くの所有物と共に彼らを送り出したのだった。」 創世記12:10~20『本当にたよるべきお方』アブラムは飢饉という苦しみの中、また、エジプトに入っていくという恐れの中で、彼が何を恐れ、心配し、何をたよっているのかが浮き彫りになった。彼が恐れていたのは、「人」たよっていたのは、「自分」だった。彼の頼る自分の知恵は、確かに彼のいのちを守った。それどころか大きな財を得た。しかし、妻を失うという大きな誤算が!彼は、自分の知恵に頼ることの限界を思い知らされることになる。アブラム、後にアブラハムと呼ばれ、「信仰の父」とさえ呼ばれる彼も、まだ信仰の成長の途上にあったことがうかがえる。パロの家に神が下された災害を見たときに、彼ははじめて、自分の知恵に頼った結果を思い知る。そして、本当に頼るべきお方を知るのだった。裁かれるべきは、パロではなくアブラムだった。ところが神さまは、どこまでもアブラムにやさしく、あわれみ深かった。アブラハム自身の命は守られ、サライも無条件で返され、パロから受けた多くの財産とともにエジプトを去ることが出来た。なぜ、神さまはここまでアブラムに良くするのか。それは、アブラムを祝福するという、先週学んだ12章前半の祝福の約束による。神さまはどこまでも、ご自分のなさったお約束に忠実なお方だったのだ。
2006.03.26
日本人学校では、海外赴任の先生や生徒の移動時期にあたるせいか、春休みがやたら長く3週間以上ある。日本のように、子どもだけで自由に外に出たり、友だちと遊んだり出来ないために、子どもの多い我が家は、何か対策を講じなければ大変なことになる。そこで!我が家のアイデアを紹介。1,日課表前にも紹介したけれど、これがなかなかいい。兄弟同士、テレビの時間を合わせたり、一緒に外でキャッチボール、バトミントンなどする時間を合わせたり、(これには母も付き合う。ダイエット効果あり)勉強の時間は、お互いちゃんと守ってるかチェックし合ったり。ひまをもてあまして、ケンカばかりというのは、避けたいですからね~。2,アルバイトもちろんまだ小学生。外でアルバイトするわけはない。家事をして、親からお小遣いをもらうというもの。これは、育児書の古典、ドブソン博士の『思い切ってしつけましょう』からアイデアをいただいたもの。食器洗い、掃除機、床ふき、洗濯物たたみ等々。うちは人数も多いので、ひとつひとつが結構やり応えがある。それでもそれらを奪い合うようにしてやってくれるのだから、とても助かる。おかげで母はいつもより楽だったりして。小学生以上のお子さんをお持ちの皆さん。一度お試しあれ
2006.03.24
病み上がり、久しぶりの幼稚園。マイマイが朝、登園前にこんなことを。「ママ、お昼寝が心配。寝れんかもしれん。」「いいよ。寝なくてもいいよ。お目々つむって、ごろんってしてればいいよ。」「おめめ、つむれんかもしれん。」「いいよ。おめめあいたままでもいいんだよ。」「『ママ!』って呼びたくなっちゃうの。」「いいよ。他のお友達を起こすと悪いから、大きい声で『ママ!』はだめだけど、小さい声で『ママぁ~』はいいんだよ。」「わかった。小さい声で『ママぁ~』ってよぶね。」「いってきま~す!!」
2006.03.23
昨日3/20は、マイマイの4歳の誕生日だったのに、なんと、40度近い熱を出してしまいました。そればっかりじゃないんです。こんなこと、恥ずかしくて言えないのですが、実は、その前日マイマイの豊かな髪の中に何とダニらしきものを発見!お医者さんに行ったら、お医者さんもすっごく驚いていた。「おう!こんなの昔いたな~。」なんて、懐かしがってる場合じゃありません。今時、こんなのが頭に・・・。どうやら、幼稚園でもらってきたようだけど、ショック~!その時から、マイマイは37度ちょっと熱があったのに、お昼と夜、二回の徹底的なシャンプーで、からだが冷えたのでしょう。その晩から熱がご~っと上がってしまった。そして迎えた誕生日・・・。ふぅ~。マイマイのリクエストで作った夕飯のドリアも、マイマイのために買ったイチゴババロアケーキも、食べられずじまい。かわいそうでした。今朝、熱はぐっと下がって、37度台に。ケーキは、賞味期限を気にしつつも、今日のお昼にみんなでいただきました。4歳の誕生日。忘れられない日になりそうです。おっと、ちなみにダニの方は、その後、大丈夫みたいです。長かったマイマイの髪は、これを機会に、肩ぐらいまでに切ってしまいました。
2006.03.21
その後、主はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、 わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、 あなたを祝福し、 あなたの名を大いなるものとしよう。 あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。 地上のすべての民族は、 あなたによって祝福される。」アブラハムは、主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカナンを出たときは、75歳であった。(創世記12:1~4)アブラハムの人生の節目は、「神のことば」から始まった。アブラハムの人となり、彼の考え、計画、その時の状況、時期にはよらず、ただ、「行きなさい」という神のことばから。信仰者の人生を動かし、変えていくのは、同様に「神のことば」であることを覚えていたい。神のことばに従うことは、もちろん簡単ではない。アブラハムにとっては、「生まれ故郷」「父の家」を捨てることをも意味した。信仰のチャレンジの時。人生の節目には、あれもこれもではなく、あれかこれかの選択を迫られるものなのかもしれない。それでも、「従う」ことを選んだ時、神さまは、大いなる祝福をもって、報いてくださる。それは、捨てたものをはるかに上回る大きな祝福。そんな神さまに信頼して、「神のことば」に従う人生を選んでいきたい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~新しい一歩を歩み出すときには、とっても不安。なるべくリスクが低い道を、先のこといろいろ計算して、失敗したときのために逃げ道までも用意して・・・。それでも不安で行きつ戻りつしてしまう。でも、「神のことば」という信頼できる保証があれば、踏み出せる。約束の祝福があるなら、捨てられる。宣教師への道、日本で5年も祈り続けた主人。祈り続けた末、台湾宣教師への道を踏み出し、もう2年目が終わろうとしてる。もちろんいろいろあったけど、もうこれで終わりかなと思ったこともあったけど、祝福の約束がある。いや、すでに祝福のただ中にいる。ハレルヤ!
2006.03.19
今日は、日本の学校より一足早く、3学期終業式と離任式。上3人は、お昼過ぎには帰ってくる。そして、末っ子マイマイの幼稚園は4時まで。朝出掛けに、3番目のコーコが言う。「やった!今日は、ちょっとの間末っ子だ!」このチャンスに、たくさん抱っこして、手をつないで買い物に行って、帰りに何か買ってもらって・・・。そうだよね。4人兄弟の3番目。何かと我慢も多いことでしょ。今日は、彼女のために「末っ子タイム」を演出してあげねば。
2006.03.17
マイマイは大丈夫!きのうも今日も、にこにこ笑顔で幼稚園から帰って来ましたよ。彼女の適応能力には、本当に頭が下がる。神さまが、宣教師の子ども仕様に創ってくださったのね。謝謝!謝謝!それにしても主婦の仕事で、一番大事なことって何だろうって、最近思うんだけど・・・。ひょっとしたら、家族ひとりひとりの話を良く聴くことかもしれない。下三人の子どもたちは、競い合って、あんなことこんなこと話してくるし、思春期に突入しつつある長女だって、私がひとり勉強してると、部屋に入ってきて、寝そべりながら、他愛もないことをぼそぼそとしゃべり出す。主人だって、愚痴れる相手は私しかいないわけだし。だから私は、忙しい中でも、いつでもOKよ~!って顔して、気持ちの余裕を持ってなきゃいけないんだろうな~。
2006.03.15
一番下のマイマイ、日本の幼稚園を体験したせいで、台湾の幼稚園にはもう行かないと固い決心をして帰ってきました。でも、でも、兄弟たちはみんな学校、ひとりで家にいてもつまらない。そんなマイマイに一つの提案を。近所にマイマイの知ってる日本人のお友達が二人通ってる幼稚園がある、そこに行くのはどうかな?答えは、「行ってみる」とのこと。きのうから一週間お試し保育を始めました。一応自分で決心しただけあって、きのうも今日も、緊張の面持ちではあったけれど、ママとの別れ際、泣いてはいない。きのうお迎えに行った帰り道、「Rくん、中国語だったよ・・・。」日本人の彼だけは、日本語でしゃべってることを期待していたらしい。でも、お昼寝の時「ママァー!」と泣きたくなったとき、彼がそばに来て、日本語で励ましてくれたとか。ありがとね、Rくん!今日は、どんな顔をして帰って来るかな?
2006.03.14
長女が3月11日に卒業式を迎えた。4人のメンバーが日本に帰国する以外は、そのまま、中学部に持ち上がり。子どもにとっては、そんなに感慨深いものではないようだけれど、親にとっては、一人目の子どもの卒業式は、とても感慨深いものがあった。特に長女は、国をまたいで、4つの小学校を経験している。線が細くて、神経質なところがある長女なので、そのあたりのストレスは、相当のものだったと思う。それでも行くところ行くところで、いい先生、友だちとの出会いがあり、様々な経験が娘をたくましくし、人間関係の小さな成功の積み重ねが、彼女の自信ともなっていったみたい。卒業式の式次第に13人の卒業生の一言が、写真入りで書かれてあった。娘はこんなことを書いていた。「私ももう卒業です。この六年間いろんなことがあったけれど、その中でいつも私を支えてくれた両親に一番感謝しています。だからこれからは、両親に迷惑をかけずに過ごせる人になりたいと思っています。今までありがとうございました。」これを読んで、思わずぐっときてしまいました。迷惑だなんて思ったことないよ。それに、迷惑かけてもいいんだよ。あなたにずっと寄り添っていくことが、親である私たちの務めなのだから。卒業おめでとう!!
2006.03.13
知人、友人に月一回(を目指して)配信しているメールを一部改正して、こちらに載せてみました。祈りの友の皆様へ、 3月6日、台湾に帰ってまいりました。台北に着いたのが夜の7時と遅くなったにもかかわらず、外の気温は、20度の温かさ。心地よい温かさと湿度に、台湾を体感しました。 昨年12月27日に、主人の静養のため帰国して、二ヶ月あまりを日本で過ごしたことになります。その間、私の母の病状が急変したりしたことで、2月末の帰国予定が、3月にずれ込みました。 滞在先は、西大寺キリスト教会。上3人の子どもたちは教会付属のサムエル国際キリスト教学園(SICA)に、マイマイは、やはり教会付属のサムエル幼児園に通いました。そして私たち家族の住まいは、教会の牧師宅横のゲストハウス。温かく迎えてくださった教会の方々のおかげで、家族みんな、安心して、リラックスして、二ヶ月あまりの時を過ごすことが出来ました。 主人はこの間、海外生活で疲れた心と体をしっかりと休め、医者にかかりながら、特に胃腸系を総点検。台湾に戻る前には、かなり緊張して胃痛をぶり返したりもしましたが、案ずるより産むが易し、帰ってきてみれば、それもおさまり、今は、ゆっくりとしたペースで、こちらの生活に再適応していこうと努めています。 帰ってまずしなければいけなかったこととして、ビザの更新と居留証の延長がありました。3月中に完了すればいいことなので、それほど急ぐこともなかったのですが、その辺り、几帳面な主人のこと、帰国して一日おいた8日に申請しに行きました。手続きに入ってビックリ!何と上の3人の子どもたちの期限が翌日に迫っていたのです!つまり、家族で手続きの期限が違っていたのです。(パスポートの有効期限の違いで、こういう問題が起こるらしい)大急ぎで必要書類を台北のオフィスから取り寄せ、翌日更新に!滑り込みセーフ!!ホッ・・・とすると同時に、神さまに心から感謝したことでした。もし、期限が切れていたら・・・強制的に国外退去で、ビザの取得からやり直し。考えただけでも恐ろしい。やっとの思いで、台湾に帰ってきた主人はきっと打ちのめされてしまったことでしょう。 こんな出来事を通して、神さまのエールを感じ、ああ、神さまは生きていて、私たちと一緒におられるのだ、私たちが台湾に帰ってきたことを祝福しておられるのだと実感したのでした。 <家族の様子> <パパ>本人曰わく、7,8割方の回復だそうです。しばらくは、ペースダウンに努めつつ、経過をみていくつもり。西大寺教会で、一度させていただいた説教のご奉仕が嬉しくて、今は、遠い先に思える中国語で説教できる日を夢見ています。 <ママ>台湾に帰ってすぐに、洗濯機が壊れるハプニングが!はじめて「自助洗」というサービスを利用。家族全員の洗濯ものを朝出すと、夕方には乾かしてたたんでおいてくれるというもの。しかも日本円にしたら250円くらいで。これならしばらく壊れたままでも・・・なんて思っていたけれど、その日の夕方には、しっかりなおってしまいました。 <ミンミン>西大寺教会には、同じぐらいの年のお友達がいっぱい!いい影響をたくさん受けて、ミンミン本来の良さを取り戻して帰ってきたという感じ。3月11日は、卒業式でした。 <ケンケン>SICAでの楽しい授業にすっかりはまってしまったケンケン。ベイゴマを回すだけでは飽きたらず、SICAのお兄さんたちに教えてもらって、セメントで型を作り、鉛を流し込み、何とMyベイゴマを作ってしまいました。 <コーコ>SICAの同学年には、元気な男の子が多い。「ちょっと○○くん!今、集中してるんだから静かにして!!」男の子を叱りとばしている中で、クラスに秩序が・・・。校長先生には、「Sちゃんを置いていって」と頼まれてしまいました。 <マイマイ>日本の幼稚園を体験してしまったマイマイ。もう、台湾の幼稚園には行かないと固い決心をして帰ってきてしまいました。4人目にして、今までになく意志が強いというか、ガンコなマイマイ。また台湾の幼稚園に行ける日が来るのでしょうか・・・。
2006.03.12
二ヶ月あまり、日本に一時帰国していました。そして、3月6日月曜日。二ヶ月で、しっかり根っ子が生えてしまったところをえいやっと引っこ抜いて、やっと台湾に帰って来ました。「帰ってきた・・・」主人も子どもたちもそう言っています。日本が母国なのに。住みやすくて、便利で、安心で、リラックスできる母国なのに。でも、今や帰るところは、台湾なんだなと改めて思います。え~っと。書くことがいっぱいありすぎて、どこから書いていいのか・・・。とりあえず、帰って来ましたとの報告だけにしておきますね。追って、いろいろと。今後ともよろしくお願い致します!
2006.03.09
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