ファーストシングル: Boz - Isn't that so / You're Just The Kind Of Girl I Want (1966) 1966年2月11日発売で、ブラスセクションの華やかで派手なサウンドと素早いパッセージのカウンターフレーズを入れるジャズギターが特色のジャズ・ヴォーカル・ナンバー。テナーサックスのソロも。時期的にバックでサイドワインダーズが演奏に加わっている可能性を考えてしまいます。 B面は当時ボズへ出資していたBチャールズ=ディーンが作詞作曲した楽曲で、ボズのサードシングルにタイトルを変えて再収録。出資者の職権乱用かどうかは定かではありませんw 米国向け宣伝でチャールズ・ディーンは音楽をよく知らないと書かれてる割りに思い切り楽曲提供しているという事実w ここら辺のいい加減さも60年代ならではの適当さなのでしょうか?
BOZ - MEETING TIME / NO(AH) BODY KNOWS BLUES (1966) 1966年4月7日発売。のどかなオルガンと軽やかなギターカッティングと女性コーラスをバックに、ボズがお散歩リズムで歌い上げる教会を舞台にしたラブソング。サビ部分にはブラスセクションも加わり、ジャズギターも顔を出し、ボズのヴォーカルスタイルもミュージカル風な色彩を帯びます。 B面はボズのジャズ趣味を丸出しにしたスウィングナンバー。作者もボズ本人。ボズが唄うたびにサックスやピアノが短くソロを挟み込みますが曲自体も短い。
サードシングル: BOZ - PINNOCHIO / STAY AS YOU ARE (1966) 1966年6月10日発売。セカンドシングルまでの古風なポップスから一変、ど派手なオーケストラと女性コーラスが「ピノキオ」を気持ち良さそうに歌い上げるボズを盛り上げている。 B面はなんと最初のシングルB面曲タイトル替え再利用。当時ボズのライブ活動でバックを務めていたフィール・フォー・ソウルがレコーディングに関与してたかは不明。トニー・マクフィーのインタビュー記事よるとピノキオでアコギのカッティングをしていたのは時期的にも彼であった可能性が高いです。
フォースシングル: BOZ - The Baby Song / Carry On Screaming 1966年7月29日発売。Youtubeに公開されたB面曲の人気が上がり入手難易度がグンと跳ね上がった一枚。本来のA面はアコースティックギターのアルペジオとリバーブが効いたオーケストラでしっとりと唄われるザ・ベイビー・ソングという甘いラブソング。ホラーコメディ映画主題歌カバーソングだったB面と比べるとどうしても地味に聴こえる。Youtube動画のサウンドはリミッターがきつめにかけられており、実際のシングル盤のサウンドより息苦しく聴こえるが参考までに。
フィフスシングル: BOZ- I Shall Be Released / Down In The Flood 1968年5月3日発売。67年の一年の活動不明期間をはさんでボズが出した5枚目だが、この頃既にチャールズ・ディーンとは関係が切れていたのだろう。プロデュースがデレク・ローレンスでバックバンドがほぼ初期ディープパープルである事が有名。両面ともにボブ・ディランのカバー曲。サウンドカラーが以前のシングルと比べ激変してるのもありますが、ボズの歌唱スタイルもかなり変化しています。肩の力が抜けておりバンドサウンドとも馴染んでます。ボズ、メロトロン初共演楽曲という側面もw 68年はボズがパノラマというバンドと活動してた時期ですが、本作レコーディングには関与しなかったのですね。A面はジョン・ロード編曲、B面はなんどボズ自身の編曲。Dパープルにボズがアレンジですよw
シックスシングル: Boz - Light My Fire / Back Against The Wall (1968) 1968年8月16日発売。ボズが年頭のドイツ巡業以降に出した二枚目のシングル。彼のソロ歌手キャリア最後の一枚。ドアーズの大ヒット曲をアコースティックギターを背景にドラマティックに歌い上げ、女性コーラスも絡んで掛け合いを展開する。割りと渋め。 B面は久しぶりのボズ自作曲、ピアノとジャズギターでブルージーな粘っこいヴォーカルとスキャットを披露している。当時の彼のステージナンバーをそのまま流用した可能性がありそうですね。ヴォーカルにかけられたプリディレイ(歌い出し前に歌声が被ってくる)。本当にテープをひっくり返してディレイ処理した音を混ぜたのか、別トラックに取った音声を混ぜたのかは不明。このレコードでパノラマやミラーズ等当時のボズのバックバンドが関与したかどうかは未解明。