ぷろぐれ者がゆく!

ぷろぐれ者がゆく!

PR

Profile

chop100

chop100

Archives

Nov , 2025
Oct , 2025
Sep , 2025
Aug , 2025
Jul , 2025
Jun , 2025
May , 2025
Apr , 2025
Mar , 2025
Feb , 2025

Favorite Blog

Robert Plant “The R… New! ken_wettonさん

📣楽天ブログトップ… 楽天ブログスタッフさん

スーパーヒーロータ… 誓願2006さん

ねこさんのしっぽ ☆ねこさん☆さん
夢を紡ぐ徒然日記 ボナペチさん
sinのプログレ試聴室 sin@横浜さん
英国音楽(60・70年代… ♪Clear Day♪さん
ぱそこん屋 パソコン屋さん
たるにゃん tarunyammさん
みーはーくらぶwonder CHEMISTRYさん

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Sep 11, 2015
XML
 英国でデビュー後、北米地域にも進出しようとしてたボズのマネージメントは、DJ向けのシングル見本盤にプレスリリースを付け売りこみました。
3ccc4007-s.jpg
以下そのプレスリリースから毎度ポンコツ意訳です。66年当時ボズがどの様に紹介されたか?その雰囲気だけでも楽しんで頂けたなら幸いです。
※9/15、後半部分追記。


『1966年11月  = ボズ =

 ありふれたカッコ良さと才能の英国人歌手が成功への殻を破ろうとレイモンド・バレルがボズというニックネームを使い始めたのはそう遠い昔の事ではない。

 昨年5月、この19歳はポップ音楽をよく知らないBチャールズ・ディーンというトップセールス輸出コンサルタントと出会った。音楽は知らなくとも、彼は商品投資について多くの知恵を持っていた。
 過去の投資経験から、チャールズ・ディーンは、不良品のままでは商売になら無いが、素晴らしいポテンシャルがある健全な投資は常に利益を生み出す事を熟知していた。
 この出会いで、チャールズ・ディーンはボズと5年契約で現代のショービジネスにおいてユニークで斬新なプロモーション実験を開始した。

 ボズのキャリアは市場リサーチの助けを借りて実験的に打ち上げられた。


 それら二枚のA面が「ピノキオ(英国での三枚目シングル)」と「ザ・ベイビー・ソング(英国での四枚目シングル)」である。

 先にリリース(66年6月)された「ピノキオ」は、すぐにイギリスでヒット・レコードとなった。
英国の興業組織のブッキング会社はシングルを聴くとすぐにボズと排他的な長期契約をしようと問い合わせた。「ザ・ベイビー・ソング」もその後まもなくリリース(66年7月末)され、再び偉大な成功実績を獲得した。有名音楽出版は、ピノキオの歌と内容に基づき、彼をホストに据えた大規模なテレビショーと様々な紙面で彼の特集記事を展開した。英国から海を越えてきた彼は成功をエンジョイするだろう。

 興味深いのは彼が歌手キャリアを始めてまだ短い事だ。しかし心配には及ばない。17歳から彼は彼のグループでギター演奏をしていて、地元からロンドンへとショービジネスのキャリアを積んでいた過去があった。(※訳注:ティータイム・フォーからボズピープル時代を指している。)
しかし、その彼のバンドは機材を盗まれてしまい唐突に終わりを告げることとなってしまった。

 幸いなことにボズのキャリアは、Bチャールズ・ディーンと出会い、懸念を解消された。山高帽を被ったチャールズ・ディーンはボズにとって救いの天使であると証明された。』

以上です。

 ボズのデビューには投資家が後ろ盾になっていた事が判りますね。今となってはマーケットリサーチはよくある手法ですし、日本では松任谷由美、竹内まりやというアーチストが作品作りで綿密な市場調査をしてる事が知られてます。しかしボズのケースはまだ音楽界がビッグビジネスになる前の過渡期の時代。まるで80年代以降のアイドル歌手並に様々なスタッフの知恵を寄せ集めて売り出しに掛かったようですね。意外でしたw
 道理でアイドル風のあまーい青春歌謡風な歌もあるはずです。あと60年代半ばのボズはまだ可愛らしい写真もありますね。

 このプレスリリースでは、ボズが出した一、二枚目のシングルについて何も語られていません。あくまでも米国デビューに向けて三、四枚目シングルを中心とした話題が綴られてます。あとチャールズ・ディーンとの出会いが書かれてる通り65年5月だとすると、ボズピープル活動時期と重なります。宣伝文最後で投資家チャールズ・ディーンの美談に結ぶ為、実話に脚色が加えられているのでしょう。

 文面最後ボズピープル終焉が演奏機材盗難だったと言う話が出てますが、この点はシド・スミス氏のキング・クリムゾン伝記本でも同様に書かれていましたね。この時を振り返ったボズピープル元メンバー故イアン・マクレガン氏は生前この当時を振り返り「ボズは『もうダメだ。何もかも終わりだよ。あはは。』と笑いながら残念がっていた」と述べてました。実際はこの当時既にチャールズ・ディーンはレコード会社への売り込みをしていたのでしょう。コロンビアがバンドには興味を持たなかったのも逆に幸いし、ボズをソロ歌手として売り込みやすくなったのは皮肉ですね。



 1970年末にキング・クリムゾンのヴォーカル・オーディションに紹介され現れたボズをメル・コリンズは60年代半ばのボズ・ピープルやサイドワインダーズなどの活動で知ってたそうですから、英国国内では知名度を得られたのでしょう。米国でどの程度活動したかは不明。まあこの時米国で成功していたら67年にもっと足跡を残してそうですが。



初めてコチラを訪れた方に、今まで書いた60年代ボズ・バレル関連記事をまとめておきます。もし興味が湧きましたらどうぞ。

ファーストシングル:
Boz - Isn't that so / You're Just The Kind Of Girl I Want (1966)
1966年2月11日発売で、ブラスセクションの華やかで派手なサウンドと素早いパッセージのカウンターフレーズを入れるジャズギターが特色のジャズ・ヴォーカル・ナンバー。テナーサックスのソロも。時期的にバックでサイドワインダーズが演奏に加わっている可能性を考えてしまいます。
B面は当時ボズへ出資していたBチャールズ=ディーンが作詞作曲した楽曲で、ボズのサードシングルにタイトルを変えて再収録。出資者の職権乱用かどうかは定かではありませんw 米国向け宣伝でチャールズ・ディーンは音楽をよく知らないと書かれてる割りに思い切り楽曲提供しているという事実w ここら辺のいい加減さも60年代ならではの適当さなのでしょうか?


BOZ - MEETING TIME / NO(AH) BODY KNOWS BLUES (1966)
1966年4月7日発売。のどかなオルガンと軽やかなギターカッティングと女性コーラスをバックに、ボズがお散歩リズムで歌い上げる教会を舞台にしたラブソング。サビ部分にはブラスセクションも加わり、ジャズギターも顔を出し、ボズのヴォーカルスタイルもミュージカル風な色彩を帯びます。
B面はボズのジャズ趣味を丸出しにしたスウィングナンバー。作者もボズ本人。ボズが唄うたびにサックスやピアノが短くソロを挟み込みますが曲自体も短い。

サードシングル:
BOZ - PINNOCHIO / STAY AS YOU ARE (1966)
1966年6月10日発売。セカンドシングルまでの古風なポップスから一変、ど派手なオーケストラと女性コーラスが「ピノキオ」を気持ち良さそうに歌い上げるボズを盛り上げている。
B面はなんと最初のシングルB面曲タイトル替え再利用。当時ボズのライブ活動でバックを務めていたフィール・フォー・ソウルがレコーディングに関与してたかは不明。トニー・マクフィーのインタビュー記事よるとピノキオでアコギのカッティングをしていたのは時期的にも彼であった可能性が高いです。

フォースシングル:
BOZ - The Baby Song / Carry On Screaming
1966年7月29日発売。Youtubeに公開されたB面曲の人気が上がり入手難易度がグンと跳ね上がった一枚。本来のA面はアコースティックギターのアルペジオとリバーブが効いたオーケストラでしっとりと唄われるザ・ベイビー・ソングという甘いラブソング。ホラーコメディ映画主題歌カバーソングだったB面と比べるとどうしても地味に聴こえる。Youtube動画のサウンドはリミッターがきつめにかけられており、実際のシングル盤のサウンドより息苦しく聴こえるが参考までに。


フィフスシングル:
BOZ- I Shall Be Released / Down In The Flood
1968年5月3日発売。67年の一年の活動不明期間をはさんでボズが出した5枚目だが、この頃既にチャールズ・ディーンとは関係が切れていたのだろう。プロデュースがデレク・ローレンスでバックバンドがほぼ初期ディープパープルである事が有名。両面ともにボブ・ディランのカバー曲。サウンドカラーが以前のシングルと比べ激変してるのもありますが、ボズの歌唱スタイルもかなり変化しています。肩の力が抜けておりバンドサウンドとも馴染んでます。ボズ、メロトロン初共演楽曲という側面もw 68年はボズがパノラマというバンドと活動してた時期ですが、本作レコーディングには関与しなかったのですね。A面はジョン・ロード編曲、B面はなんどボズ自身の編曲。Dパープルにボズがアレンジですよw

シックスシングル:
Boz - Light My Fire / Back Against The Wall (1968)
1968年8月16日発売。ボズが年頭のドイツ巡業以降に出した二枚目のシングル。彼のソロ歌手キャリア最後の一枚。ドアーズの大ヒット曲をアコースティックギターを背景にドラマティックに歌い上げ、女性コーラスも絡んで掛け合いを展開する。割りと渋め。
B面は久しぶりのボズ自作曲、ピアノとジャズギターでブルージーな粘っこいヴォーカルとスキャットを披露している。当時の彼のステージナンバーをそのまま流用した可能性がありそうですね。ヴォーカルにかけられたプリディレイ(歌い出し前に歌声が被ってくる)。本当にテープをひっくり返してディレイ処理した音を混ぜたのか、別トラックに取った音声を混ぜたのかは不明。このレコードでパノラマやミラーズ等当時のボズのバックバンドが関与したかどうかは未解明。

その他のシングル:
北米地域ではDJコピーで出回ったこのブログトップに貼った画像のピクチャースリーヴ仕様のシングルがありますが、他に4枚目のシングルも正規品として出回ってた模様で。実際米国エピックから市場に出た商品は英国でのフォースシングルと同じ収録曲だった。DJコピー盤は溝がかなり深く、針に伝わるレベルもかなり大きいです。英国の通常盤と比較するとその違いに驚かされます。

その他ボズ関連過去記事
Boz Burrellが60年代に在籍したTea Time Four等バンド活動について

THE TEA TIME FOURについて補足説明

Boz Burrell 1965年1966年のマーキー・クラブ出演歴

ボズ・バレル1970年10月マーキークラブ出演記録





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Oct 6, 2015 01:34:29 PM
コメントを書く
[キングクリムゾンメンバーズワーク] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Comments

誓願2006 @ Re:ELP写真集10月末発売!(08/01) 情報ありがとうございます。 おかげさまで…
chop100 @ Re:先週土曜日に退院できましたので(05/13) 誓願2006 さん ありがとうございます。 ま…
誓願2006 @ Re:先週土曜日に退院できましたので(05/13) ご無沙汰いたしております。 退院なさって…
chop100 @ Re[1]:150万アクセスありがとうございます♪(01/23) Midge大佐さんへ ありがとうございます。…
Midge大佐 @ Re:150万アクセスありがとうございます♪(01/23) おめでとうございます! これからも楽しみ…
chop100 @ Re:70年代にゴードン・ハスケルは来日してた?(02/16) 追加情報 1977年のJOE来日については日本…
chop100 @ Re[1]:しばらくおやすみをいただきます(10/15) Midge大佐さんへ ありがとうございます。…
Midge大佐 @ Re:しばらくおやすみをいただきます(10/15) ご無沙汰しております。 被害に合われたと…
chop100 @ Re:The Martyn Ford Orchestra - Smoovin (1976)(11/29) 2017年の事、マーティン・フォード氏と少…
chop100 @ Re[1]:プログレ女子4コマ その205(04/02) Midge大佐さんへ うちも家宝ですw

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: