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仕事でうっかりミスをやらかしたり、頭が痛いのにロキソニンを切らしていたり、何かと不運続きの息子は平成8年生まれで八方塞がりという年廻り。もうすぐ令和5年も過ぎようとしているから、そんなにネガティヴになることもないのだと言ってやるのだけれど、ささいなことでもレアなハプニングが続くとメンタルにかなり響くようです。そこで私は思いつきました。神社・仏閣を訪れることが大好きな私ですが、比叡山はまだ行ったことがなく、息子の年廻りを気にしてというよりは、ほとんど私が行きたかっただけのような気もします。(←そして御朱印のゲット、それが本当のところでしょう。筆頭管理人)10月8日(日)は、朝から厚い雲に覆われていて、雲行きが怪しく、傘持参のお参りとなりました。一口に比叡山と言っても、ガイドマップにもあるように、かなり広域です。延暦寺は単体の建造物を指すのではなく、東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の3つの地域を総称して比叡山延暦寺と言うのだとか。こういうことまでは学校の授業では習わなかったので、「なるほどねぇ〜」てなものです。ちなみに今回私が行ったのは、東塔地域と西塔地域で、限られた時間内では横川地域まではムリでした。残念。参考までに、私の巡拝コースをご紹介します。【東塔地域】①根本中堂(国宝)2016年より10年間の大改修をしています。基本的に撮影禁止ですが、場所によって撮影可のところもあります。改修工程を見られるなんて、夢のようでした!最澄の教えを象徴する「不滅の法灯」が1200年灯り続けているのを目の当たりにするのは、感動以外の何ものでもありません。筆頭管理人です。実は宮澤賢治はこんな短歌を詠んでいます。それでね、根本中堂の脇に歌碑も建っています。「不滅の法灯」もいいけど、コレもおつなもんでしょ。でも吟遊さんは見逃したはず!ということで載せました(^_-)②文殊楼「立派な建物だなぁ〜」と思いながら、楼門をくぐりました。③大講堂伝教大師をはじめとする様々な宗派の開祖の人物画が、ズラリと並んでいました。さすがは日本仏教の発祥の地ではあります。御守りや数珠、お線香など、ここで購入できます。息子は八方除け御守りを購入。この1点だけでも比叡山を訪れて良かったです。④大黒堂大黒天をお祀りしているので、中に上がってしっかり拝んで来ました(笑)⑤阿弥陀堂声高らかな読経が、辺り一体に響きわたっていました。それを聞いただけでご利益がありそうな気になるので、不思議なものです。⑥萬拝堂千手観音の周囲に108個の数珠が並べられています。この大きな数珠を一つ一つ触りながら一巡しました。そうすることで、人間の煩悩が消えるそうです。【西塔地域】雨が酷くなり、霧も出てきたため、釈迦堂を参拝した後は、親鸞聖人修行の地、法華堂などをざっくり見るだけにとどめました。もっと時間に余裕があれば、坐禅の体験などしてみたかったと思います。ーーというのも、我が家の宗派は臨済宗円覚寺派なので、パリパリの禅宗系です。(それなら比叡山ではなく、円覚寺で坐禅体験しろとのご意見もありそうですが、そこはご愛嬌で)だいたい60分ぐらいの坐禅体験とのことで、にわか修行者にはたいへんありがたいです。他に、写経体験もあるようですが、最近老眼が進んできたせいで、暗いところで小さな字を読んだり書いたりするのがおっくうになり、こちらは遠慮させていただきました。以下、筆頭管理人です。吟遊さんは、横川をスルーしたようですからそこの御朱印はゲットできていないはず!ということで見せびらかすつもりはありませんが載せさせていただきました、フフフそして横川と言ったらこれでしょう!今ごろは地団太を踏んでいることでしょうが、前々から「叡山に行くなら説明するから」という申し出を袖にして出かけるから、ポイントを外すことになるわけですな、フフン。最後に髙橋新吉の詩、『比叡山』を載せておきます。あのダダイスト髙橋新吉の詩なんですよね~氏の言う「後の世の凡夫」にならぬよう、私は本坂を登って行きましょう(^_-)なお、最後の和歌は宗祖伝教大師のものです。
2023.10.28
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物事には概ね、専門分野というものがあります。病院でたとえると、おめでたなら産婦人科、吹き出物ができたら皮膚科、手首を捻挫したら整形外科ーーというように。なのでお願いごとの内容によっては、お参りする神社も異なるのではと思われます。もちろん、一般的なお願い(無病息災とか家内安全など)なら、ご近所の氏神さまに手を併せることで充分なご利益があると思います。けれどピンポイントで「何とぞ○○につきまして、一つよろしくお願い申し上げます」と、具体的にお願いごとが明確な場合は、その道の専門の(?)神さまにお参りした方が良いでしょう。私のこれまでの経験からして、庶民の懐具合と味覚に合った、美味しい飲食店というものは、たいてい雑誌やテレビなとでチヤホヤされているようなお店ではありません。郊外の、あまり人目につかないようなところで、気心の知れた夫婦や身内で、細々と経営しているようなところが多いような気がします。あるいは三国志において、名軍師と謳われた諸葛孔明は、四川省のド田舎に畑仕事などやりながら暮らしていました。孔明の庵は都からおいそれと行けるようなところではなく、草深い山奥にあったのです。つまり何が言いたいのかと言うと、今回、私がご紹介するのは、それはもう人里離れたところにある、知る人ぞ知る神社なのです。足神神社(あしがみじんじゃ)という名称の、標高800mほどのところに位置するこの神社は、その名のとおり、足の神さまとしてお祀りされています。私はこちらの神社に過去2回ほどお参りしたことがあるのですが、当時は有名なサッカー選手(おそらくジュビロ磐田)の絵馬が奉納されているのを発見し、どんなに活躍しているスター選手でも、神さまに縋りたくなるものなのだと、しみじみ実感したものです。そして、こんな草深いところを訪れてまでお参りするというのは、それほどまでにこちらの神社の有効性を信じて疑わない証拠でもあるのです。足神神社の所在地は、浜松市天竜区水窪町奥領家5005-1です。浜松の市街地からだと車で2時間以上かかる山奥です。(天気の良い日を選んでお出かけください)御朱印ガールの方々にお知らせしておきますが、社務所は平日無人となっています。幸運にも、私が出向いたときは日曜日で、宮司さんがいらっしゃいました。確実に御朱印をいただきたい方は、あらかじめネットで情報を精査してからお出かけいただいた方が良いかもしれません。神社のすぐ脇の方には、霊犬しっぺい太郎のお墓もあります。しっぺい太郎は、静岡県磐田市のイメージキャラクターであり、ゆるキャラ「しっぺいくん」として市民の方々から愛されています。愛犬家の方々は、この霊犬しっぺい太郎のお墓も合わせてお参りされるようです。「老いは足から」とも言いますから、歩けるうちにこの草深い足神神社を訪れ、健脚祈願をされてはいかがでしょうか?【追記】足神神社の湧き水は市民の方々から大人気で、ペットボトルなどに水を汲みに来られるようです。私もその清らかな湧き水で手を洗ったのですが、冷たいのなんのって!正に、清水でした。
2023.10.14
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世の中、空前の癒しブームです。猫も杓子も癒されたいと願う輩ばかりなのです。でもその気持ちはよく分かります。職場で、近所付き合いで、親族の集まりで、様々な状況で、程度の差こそあれストレスにさらされていると、ザラつく神経をどうにかしたいと思うものですから。癒しはやっぱり静謐なものの中に生まれるのでしょうか。人ごみや騒音の激しいところに、癒しはありません。身近なところでは、やはり神社やお寺などが人々に癒しを与えてくれるのに最適な場所と言えるでしょう。だからと言って、私の若い頃では考えられないことですが、お寺の境内がデートスポットとして若い男女で賑わいを見せているのも驚きです。もちろん、初詣に二人仲良く出かけるのは構いません。紅葉狩りを楽しむのも構いません。ですがイチャラブを見せつけられるのは、人によっては癒しどころかストレスに感じでしまう場合もあるので、充分なご配慮をーーさて、今回私がお参りに出かけたお寺は油山寺です。遠州三山(法多山尊永寺・可睡斎・油山寺)の一つでもあります。油山寺HPより静岡県袋井市にあり、真言宗智山派のお寺です。ご本尊は薬師如来で、目の霊山として敬われています。女性の厄年と言われる三十三歳の大厄の年には、迷わず、こちらの油山寺を訪れました。当時、あまり良いことがなく、体も不調続きだったので、藁にもすがるような思いで厄除けをしていただいたのです。それがきっかけとなり、厄除け以外にも、こちらの油山寺には散策がてらぶらりと出向くことが多くなりました。何回かお参りに行くうちに、ポイントとなる見どころを押さえたので、こちらに少しだけ紹介しておこうと思います。①山門(国指定重要文化財)もともと掛川城の大手門だったようで、その名残りが感じられます。私が参拝に訪れたとき、この山門の前で、年配のご夫婦が記念撮影をしていました。②驥山門(きざんもん)有名な書道家が書を刻んだ石柱門のようですが、私としてはここからてくてくと歩いて行く先にある本堂への入口だと思うことで、特別なポイントとなっています。③天狗谷本堂に続く参道は、ちょっとしたウォーキングコースです。小川のせせらぎを聴きながら、自然豊かな森林浴を楽しみつつ、のんびり歩きます。私が出かけたときは、ツクツクボウシやミンミンゼミが鳴いていました。他に鳥の鳴き声も聴こえたのですが、何と言う鳥かはわかりません。(日本野鳥クラブの人に教えてもらいたいと思いました・笑)④三重塔(国指定重要文化財)案内板に寄ると、ずいぶん昔に建立されたもののようで、圧倒的な重厚感に包まれています。安土桃山期の三名塔の一つとのこと。※ちなみに西国三十三ヵ所霊場の第三十一番の長命寺(滋賀県近江八幡市)にある三重塔も、三名塔の一つです。⑤薬師本堂(県指定重要文化財)油山寺HPより山頂にある薬師本堂をお参りしなくては、油山寺に来た意味が半減されてしまうので、私はいつもここまで歩いてお参りしています。眼病平癒はもちろんですが、足腰の守護をご祈願される参拝者に定評があります。以上、5点のポイントを押さえて、こちらのお寺にお参りすれば、かなりの充実感で満足できると思います。これから季節的にも、紅葉で燃えるような山内を散策するのも楽しいかもしれません。心に休息が必要なとき、どうぞ油山寺にお越しください。※ご参考まで、こちらは~~~~~~~~なお、当ブログでは200冊以上の読書案内を投稿しております。ご覧いただけましたら幸いです。★吟遊映人『読書案内』 第1弾(1~99)はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾(100~199)はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第3弾(200~ )はコチラから
2023.09.23
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今年の昭和の日は土曜日と重なり、なんだか祝日を1日だけ損したような気分ですね(笑)朝からどんより曇っていて、予報によれば夕方から崩れる見込み。ならばと思って渋る息子を誘って神社のお参りに出かけました。静岡県遠州地域には歴史と伝統のある神社・仏閣が数多くありますが、つい見逃していた神社がありました。というのも、ガイドブックや観光マップなどに掲載されていなかったので、ずっとスルーしていたのです。ところが昨年、浜松は台風15号という未曾有の天災に見まわれ、大惨事に遭いました。その影響で浜松市浜北区尾野にある高根山の斜面が崩れてしまったのです。その高根山の中腹に立つ高根神社は、歴史も古いのですが(1502年建立)、台風15号による崖崩れで倒壊の可能性があると、県内ニュースで大きく報じられました。皮肉なことではありますが、その報道によって初めて歴史的価値のある神社がまだまだ浜松にあることを知ったのです。「これは一度行ってみなくちゃ」と、ずっと思っていたものの、なにしろ電車・バスなどが付近まで通っていないので、足代わりになってくれる息子のご機嫌によることが大きかったのです。(私はペーパードライバーなので)前置きが長くなりましたが、そんなこんなでやっと私の望みが叶ったのが、4月29日(土)のことだったわけです。高根神社へ向かう途中、高根山の東側でしょうか、『金刀比羅神社』の看板を目にします。鳥居をくぐって境内まで続く長い階段を見上げたとき、「ここでお参りしたい」と息子にお願いしました。駐車場は金刀比羅神社の拝殿の傍にあるため、いったん車を停めたあと、わざわざ階段を下り、一の鳥居をくぐるところから再び歩き始めました。何段ぐらいあるのか、最初のうちは数えていたのに、途中から息が切れてきて数えるのを忘れてしまいました(汗)苔むした階段、うっそうと生い茂る樹木、まるで効果音のように聴こえてくるウグイスの鳴き声がのどかで、まるで昭和に逆戻りしたような心地がしました。(正に、昭和の日というだけありました)境内にある建造物はどれも古くて、歴史的価値のあるものばかりなのはよくわかるのですが、私自身はあまり興味がなく、ただ雰囲気とか空間を楽しみたい派なので、ろくな情報も提供できず、ざっくりとした記事でご勘弁ください。お祀りしている神様は、大物主命、白峯大神、金山彦命とのこと。社務所は無人のため、ご朱印ガールの方々にはムダ足になってしまうかもしれませんので、ご注意を。さて、本命のはずだった高根神社ですが、金刀比羅神社から運動がてらてくてく行くつもりでした。落ち葉に埋もれた山道を数百メートル歩いたところ、そこは昨年さんざん報道された崖崩れの現場があり、いまだブルーシートで覆われていました。さて、高根山の斜面に細く急な階段があり、そこが高根神社へと続く参道となっていました。息子が気を利かせてその階段を数段ほど上ってみたところで、「あ、ここはヤバい。上りはいいとしても、下りるのがヤバい。やめた方がいいんじゃね?」と注意してくれました。空模様もあやしくなり、いつ降り出してもおかしくはないような雲行きだったので、息子の判断は正しかったと思います。しかも運動不足の私が気軽に上れるようなゆるい階段ではなく、私も素直に息子のアドバイスに従いました。こうして高根神社への参拝は断念しましたが、今回は金刀比羅神社に詣でることができ、本当に嬉しかったです。それにしてもこちらのような歴史的にも価値のある古い神社が、なぜ観光マップやガイドブックに掲載されていないのか、不思議でたまりません。ぜひとも浜松市の観光課に頑張ってもらい、全国のご朱印ガールを呼び寄せるぐらいのパワースポットとして紹介して欲しいものです。限定のお守りなど、可愛く、映える(?)やつを製作してみたらどうでしょうか?(あと、おみくじとか)なんなら筆の達者なシルバーさんに、ご朱印係をお願いして、日当¥5000ぐらいで雇用するという方法はどうでしょうか?冗談はさておき、付近には静岡県立森林公園もあるので、レジャーの道中に安全と無事を祈願するのにもおすすめです。〜おまけ〜お参りの帰りは小腹も空いたことなので、星乃珈琲店に寄りました!春と言えばイチゴ。星乃ではストロベリーフェアを実施中です。私は苺たっぶりスフレパンケーキ(シングル)を注文しました。パンケーキの真ん中にピスタチオアイスが乗っかっているのですが、パッと見は抹茶アイスかな?と思いました。いや〜メチャクチャ美味しかったです。なぜシングルにしてしまったのか、後悔するぐらいでした。(なんならダブルを注文して、食べ切れなかったら息子にあげれば良かった)苺たっぷりスフレパンケーキ(シングル)は、¥900(ドリンク付¥1250)です。ちなみに息子はスタンダードな窯焼きスフレパンケーキのダブルを注文。美味しそうにパクパク食べていました。本日は息子のBirthday 。しがない親子のひとときでした。
2023.05.20
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二十数年前の冬、二月。我が家はお隣の火事のもらい火を受けて、大惨事となりました。忘れよう、忘れようと思っても、あれほどショッキングなことが身にふりかかると、そう容易くは忘れられるものではありません。母の形見の着物も書棚に並んだ文学全集も、そして思い出のアルバムさえも失ってしまいました。しかも家は引っ越してたった2年の新築。決して故意ではなかったとは言え、お隣の火の不始末にこみ上げる怒りを抑えようもありませんでした。お隣は全焼したものの、不幸中の幸いにも命に別状はなく、だけど本人が一度も謝りに来ることはなく引っ越して行きました。私はとにかくこんな思いは二度としたくないと言う強い意思で、神さま仏さまにすがりました。火防の神として有名なのは、何をおいても秋葉神社でしょうか。昔は「秋葉大権現」と呼ばれていたようですが、現在では「秋葉山本宮秋葉神社」と言うのが正式名称なのです。御祭神は火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)で、火をつかさどる神さまです。もう少し現代的に分かりやすく言うと、火は光と熱を生み出す強いエネルギーでもあるので、「文化・科学の神」とも言い換えることができます。私はその秋葉神社に、年に1〜2度お参りするのを習慣付けました。とは言え、こちらは秋葉山の山頂にある山深い神社。アクセスが今一つなのです。もちろん、車のある方はいつでも来られますが、私のようにペーパードライバーの方など運転しない方々は、駅から出ているシャトルバスを利用するしかありません。しかしそのシャトルバスも毎日運行していないため(お正月や火まつりなどの行事があるときは運行している)、なかなか不便です。健脚の方は、東海自然歩道として整備されている表参道をてくてく歩いて登るのも一興かと思います。さて今回は花曇りのもと、秋葉神社上社の方へお参りに出かけて来ました。駐車場から大きな鳥居をくぐると、きちんと整備された階段が続きます。何段ぐらいあるのかと途中まで数えながら登ってみたものの、息が上がってしまい断念。ふだんの運動不足のツケが回って来ました。秋葉山に棲息する鳥の鳴き声に耳を傾けつつ、時々立ち止まっては周囲の自然豊かな景色に目を細めます。西ノ閽の神門(ニシノカドノモリノシンモン)が見えると、本殿までもうすぐです。山頂の境内へは黄金の鳥居をくぐるのですが、これがまた神々しいのです!この鳥居は撮影スポットになっているようで、みなさんカシャカシャと写メを撮って行かれます。時間と天候にもよるでしょうが、この山頂の境内からは見事な雲海も見られるとのこと。こんな神聖な場所で火防と家内安全をお祈りしたら、間違いなく絶対に護られることでしょう!私はいつもそうやって、信じる者は救われるとばかりに、こちらの神さまを拝んでいます。そんな秋葉山は太古の杉に囲まれ、花粉症に悩む方々にとって、この季節の参拝は難儀かもしれません。かくいうこの私めも、帰宅後は大変な状況でした。コロナ禍とは隔絶したこちらは、ごった返すほどの参拝客はなく、いつも静寂とした高貴な空間が広がっています。自然を愛でることは気分転換にもなるし、世俗を離れてひとときの安らぎにもつながります。秋葉山本宮秋葉神社は、静岡県浜松市天竜区春野町にある、由緒正しい神社です。機会があったらぜひともみなさんに訪れていただきたいパワースポットなのです。※おまけ : 社務所の近くには、嵐の二宮和也が植樹した梅が咲いていました。以前、テレビ番組のロケで参拝した際の、記念植樹らしいです。
2022.04.09
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私が今回訪れたのは京都府舞鶴市にある金剛院という大変古いお寺です。関西花の寺第三番霊場でもあるこのお寺は、今、見事な紅葉の時期を迎え、多くの参拝客で賑わいを見せています。しかし、わざわざ紅葉狩りのためだけに出かけたわけではありません。時間とお金をかけ、我が家から300Km以上離れていても行きたかった理由とは。それは二つあります。一つは、私にとってかなりプライベートなものに相当するため割愛するとして・・・。もう一つは、三島由紀夫の代表作でもある『金閣寺』にも登場する舞台でもあるからなのです。『金閣寺』(※以下参照)は私にとって愛読書であり、多感な思春期に鮮烈なインパクトを与えてくれた一冊です。その『金閣寺』における主人公は吃音に悩み、いつも自由に言葉を操ることのできない己を嫌悪するのですが、あるとき近所の美しい娘に恋をするのです。もちろんその娘は、吃りで陰気な主人公のことなど歯牙にも掛けません。もしろストーカーじみた主人公を気味悪く思うようになり、親に告げ口をします。そのことで主人公は叱責され、このときから娘に憎しみを抱くようになります。逆ギレというやつです。主人公はいつか復讐してやろうと目論むのですが、その必要はなくなります。なんと娘は、主人公が手を下すまでもなく、憲兵に捕えられてしまうのです。娘と脱走兵が関係を持ち、妊娠したことが原因でした。その脱走兵が逃げ込んだところ。そう、それがこの鹿原の金剛院なのです。「金剛院の御堂は、もっと昇ったところにある。丸木橋をわたると、右に三重塔が、左に紅葉の林があって、その奥に百五段の苔むした石段がそびえている。石灰石であるために滑りやすい」(『金閣寺』三島由紀夫・著より)私はこちらのお寺に、過去二度ほどお参りに来たことがあるのですが、今回ほど意味のある参拝はこれまでにありません。まるで導かれるように紅葉の林を前にしたとき、確かな手応えを感じるのでした。山が粧うというのは、こういうことを言うのかと改めて実感するひと時でもありました。最近の私はあまりに苦しくて苦しくて、泣きたくなるというよりはむしろ吐いてラクになりたい一心でした。得体の知れない鵺(ぬえ)のようなものから逃げよう逃げようと必死で足掻く傍で、もうどうにでもなれとヤケになっている自分も存在するのです。何が正しく、何が間違っているのかなんて、ちっぽけで無力な人間に判断などできるはずもないのです。私はただその刹那に、自分がやれることをやろうと思いました。今、何をするべきか、何をしたら良いのかを考える。まずはそこからだと。きっかけが何であれ、そこに負の感情を持ち出すことなく、清廉でありたいと願いました。鮮やかで色香の増す金剛院の紅葉を胸に焼き付け、一歩を進めてみようと決意しました。「丹後のもみじ寺」と呼ばれる金剛院の紅葉は、正に今が旬です。入山料¥300。ぜひ足を延ばしてみてください。(※)こちらのブログで要約していますので、よろしければ参考にご覧ください。こちらです。
2021.11.18
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【砥鹿神社】東京オリンピックが閉幕しました。(パラリンピックはこれからですが)新型コロナウィルスが猛威を振るう中、選手の皆さんはもちろんのこと、選手を支えるご家族の皆さん、大会関係者の方々、本当によくぞ、よくぞ頑張ってくれました! お疲れ様でしたと心から労いの言葉をお伝えしたいです。本来、オリンピック開催国ともなれば、もっと華やかで賑やかなお祭り騒ぎに興じるのが通常なのに、何となく盛り上がりに欠けるものとなってしまいました。それもこれも「コロナのせいだ」と言ってしまえばそれまでなのですが・・・一人一人が細心の注意を払ってうがい、手洗い、消毒を励行してもなお衰えることを知らない感染力というのは、凄まじいものがあります。ならば、他に何ができるのか?あとはもう「祈る」ことだけでしょうか?そんな折、私は砥鹿神社(とがじんじゃ)に行って来ました。砥鹿神社は愛知県豊川市にある三河の國一之宮を誇る由緒正しい神社です。なにぶん、豊川市には日本三大稲荷と称される豊川稲荷があまりにも有名で、こちらの砥鹿神社が少しだけ影に隠れているような印象を受けます。御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)で、「大黒様」と呼ばれ崇敬されています。(※七福神のメンバーである大黒天とは別の神です)国土開拓の神ということもあり、思わず国歌である『君が代』を朗々と歌いたくなるような〝さざれ石〟もお祀りされています。新型コロナウィルスに戦々恐々としている毎日ではありますが、自宅近辺の神社・仏閣を詣で、一日も早い感染症の収束を祈ろうではありませんか!努力と忍耐を強いられている私たちでも、神仏に手を合わせることぐらいは素直にできるような気がします。さざれ石のように、小さな石が集まって大きな岩となるが如く、ちっぽけな一人でも、国民が一丸となって立ち向かえば、この難局も切り抜けることができるかもしれません。もう少し、もう少しだけがんばりましょうね!!御朱印ゲット(^^)v
2021.08.22
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【豊川稲荷】今年も無事に無病息災にてしめくくろうとしていた矢先、私の右耳に異常が起きたのです。いわゆる〝耳だれ〟と言うものです。しかも強烈なかゆみを伴うものでした。最初は耳かきのしすぎぐらいにしか思わず、ティッシュペーパーをこよりのようにして、耳だれを拭き取って様子をみてみることにしました。そのうち、耳の中が腫れているのか、熱を帯びたヒリヒリするような感覚を覚え、「ヤバい、、、」と思って近所の耳鼻科の診察を受けました。なにしろ耳の中と言うのは自分の目で確認できる部位ではなく、専門家に診てもらうしか判断できないからです。私は自己判断で中耳炎か外耳炎ぐらいにしか考えていませんでした。と、ところが、、、「吟遊映人さん、大学病院に紹介状を書きますのでそちらで精密検査を受けて下さい」「・・・⁈」「耳の中にデキモノがあり、しかもかなり腫れています。これが良いものか悪いものかをしっかり調べてもらう必要があります」とのこと。私は生きた心地がせず、大変なことになってしまったと、オロオロするばかり。そのときの心の動揺は、これまでに経験のない複雑で不安で絶望的で、しかも孤独なものでした。帰宅するやいなや、今後のことを息子に指南しなくてはと、預貯金の通帳、土地と家屋の権利書、生命保険の証券などを準備し、息子が帰ってくるのを待ちました。8時過ぎに帰宅した息子を捕まえ、私は神妙な面持ちで淡々と病院での経緯を話しました。そして今後のことをあれやこれやと話し出そうとしたところ、「ふーん」と、まるで他人事の反応!なんと言う非情なリアクション。もう少しどうにかマシな声かけはないものなのか?「それは大変だったね。でも大丈夫だよ、心配ないさ」とか、「絶対、問題ないよ!」とかいろいろ言い方と言うものがあるだろうに。私は悲しくなりました。とは言え、不思議にも無用の焦りがなくなりました。ある意味、冷静になれました。まだ検査もしないうちから今後のことをくよくよ心配しても仕方がない、とりあえずは検査の結果しだいである、と。それから十日後、生まれて初めて大学病院を訪れました。そのときの緊張感やら焦燥感をここで表現するのは控えておきます。もうどうしようもない気持ちを思い出すのはご免なので。完全予約制のわりには大幅に時間がズレ込み、結局、検査から診察、会計が済んだのは14時過ぎでした。朝イチから順番待ちをしていたので、帰宅するやいなや倒れ込むように寝てしまいました。検査結果が出るのは一週間後。私は再び医大に出向かなくてはなりません。今の私に一体何ができるだろう?「そうだ、豊川稲荷いこう」そう思い立つや、息子を拝み倒して、週末休みに車を出してもらうことにしました。豊川稲荷は愛知県豊川市にある寺院です。一般的に鳥居が建っているのは神社と思いがちですが、こちらは妙厳寺(みょうごんじ)と言う寺院なのです。日本三大稲荷の一つと呼ばれているのですが、諸説あるようで、はっきり定義付けされてはいないようです。私も本当にそそっかしくて、ろくに調べもせずに出向いたわけなのですが、こちらは商売繁盛の祈願に定評のある格式高いお寺とのこと。まぁ言ってみれば、足の捻挫をして皮膚科へかかったような感覚とでも言いましょうか(笑)とは言え、キツネ塚に並ぶ千体ものキツネを目の当たりにしたときは、圧巻でした!!それはもうウジャウジャお狐様がいらっしゃるのですから。そのうちの一体が、気まぐれでも望みを叶えてくれるのではと根拠のない期待が膨らみ、にもかかわらずとてつもないパワーが感じられるのですから不思議でたまりません。境内ではふだん引いたことのないおみくじをやってみることにしました。ただもう漠然と自分の「運」を試してみたかったのです。今度の検査結果、吉と出るか凶と出るか。「えいやっ!」とばかりに引いたおみくじは第八九番。私は八九番の引き出しを開け、今後の命運のカギとも言える紙を一枚抜き取りました。「大吉!!」私はもう天にも昇るような気持ちでした。まだ結果も聞かないうちから耳の病気が治ったような心地。豊川稲荷に参拝して本当に良かった。私はこちらで勇気と希望をいただきました。ただもう嬉しい気持ちでいっぱい。ああ、ありがたやありがたや。ちなみに同行した息子もおみくじを引いたのですが「末吉」。「今回はお母さんに花を持たせておくれ」と、心の中でつぶやく私めでありました。事後報告ではありますが、私の耳の精密検査の結果は「異常なし」とのこと。みなさん、豊川稲荷はおすすめですヨ。例えるなら、蕎麦屋のカレーが美味しい、あの感覚です。商売繁盛のお寺さんですが、それ以外のご祈願も叶えてもらえますよ!!コン!
2019.12.21
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【火防(ひぶせ)信仰 ~可睡斎~】思えば私の二十代は激動そのものでした。両親の死、私の離婚、そして購入して間もない自宅が火事に遭うというとんでもない災難のオンパレードでした。もしも当時を振り返って過去を占ってみたら、きっと大殺界と天中殺が同時期に重なっていたことでしょうね(苦笑)火事はお隣の出した火の不始末のせいで我が家にも影響を及ぼすことになりました。いわゆる〝もらい火〟というやつです。不幸中の幸いにも、私は仕事に出かけており、子供も保育園にいる時間帯だったおかげで、家にはだれもおらず、命に関わることはありませんでした。火を出したお隣は年配の男性の独居世帯で、煙を吸ったらしく病院に運ばれ、全焼したその家には二度と戻ることはありませんでした。あとでご近所から聞いたところ、お隣は生活保護を受給しており、弁償などはしてもらえないだろうとのことでした。そんなわけで、我が家に謝罪の言葉は一切ありませんでした。我が家が受けた被害は相当なものでしたが、私がかけていた火災保険がおりて自宅はどうにか修復。しかし、母の形見の着物や思い出のアルバムなどの写真は見る影もありませんでした。悔しさから泣くに泣けず、発狂一歩手前でした。右耳の裏には五円玉ほどのハゲはできるし、やけ食いで体重は一気に7〜8キロ増加。あのころの絶望的な気持ちを簡単に言葉に置き換えることなど到底できず、今も思い出すだけで胸がざわざわしてきます。それでも私はどうにかこうにか今に至ります。それもこれも神仏のご加護のおかげです。だからと言うわけではありませんが、私は火防の神社やお寺にお参りに出かけることがあります。そこでお守りを買うのは安心を得ることにもつながり、心に平安をもたらしてくれるのです。とは言え、火防の神として有名な秋葉神社の上社も下社も山のかなり草深いところにあって、容易く出かけられる神社ではありません。(秋葉神社は浜松市天竜区春野町にあります。)その点、袋井市にある可睡斎は交通の便も良く、格式の高い曹洞宗のお寺です。明治からは春野町にあった秋葉三尺坊大権現(秘仏)がこちらの寺院に移されて、以来、火防の信仰を集めて来たのです。『静岡県の仏像めぐり ほとけ道里あるき』参照そんなわけで今回は、遠州三山の一つである可睡斎(かすいさい)に行って来ました!5月18日から8月31日まで風鈴まつりなるものが開催されており、山門から本堂までいくつもの風鈴がつるされています。私が出かけたときは髪の毛がボサボサになるほど風が強く、勢いよく風鈴がチリンチリンと鳴り響いて、そこに風流を感じることはありませんでした。とは言え、本格的な夏の訪れとともに冷やしぜんざいなど食べながら風鈴の音色に耳を傾けられたら、何と贅沢なひとときであることか!目を見張ったのは売店の〝精進アイス〟です。コーンの上に抹茶アイスと小倉あんが乗っかっていて、いかにもお寺のスイーツ⁈らしいではありませんか!禅宗のお寺で涼のおもてなしを受けられるのは、日本人に生まれて本当に良かったと、幸せをかみしめる瞬間でもあります。ここまで来ると火防信仰の何たるかを語るより、売店のスイーツについてあれこれ講釈つけたいところがホンネです。遠州三山は可睡斎の他に、法多山と油山寺があります。期間中は三ヶ所のお寺のどこでも色とりどりの風鈴がつるされており、涼しげな音色を聴くことができるようです。〝花より団子〟と申しますから、参拝のお帰りにはぜひスイーツもお楽しみくださいね!!
2019.05.26
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【近くて遠い街〜元善光寺〜】元善光寺本堂今年の大型連休はいかがお過ごしでしたか?改元も重なって、世間は明るく楽しげな雰囲気に包まれました。皆さんもきっと充実したG.W.を楽しまれたことでしょう。我が家でも息子がこの春フレッシュマンとしてデビューを果たし、これまで所持していなかった軽自動車を購入しました。せっかくの連休だからと言うことで、親子水入らずでドライブに出かけました。(息子は現在彼女もおらず、渋々母に同行してやった、と言う状況ですが)息子が小さい頃は、列車やバスで日帰りのできるところまで足を伸ばし、乗り物好きの息子を満足させてやったものです。県内県外を問わず、興味の赴くまま、休日乗り放題切符を利用して出かけました・・・当時は。ふと、あれだけあちこち出かけていた記憶の中に、唯一足を踏み入れたことのない隣接地があることに気づきました。それは、長野県飯田市です。私の住んでいる街とは隣接しているのですが、これまで一度も足を踏み入れたことがなかったのです!一般的に、隣接していれば何らかの用事で、あるいは交通の都合上イヤでも通りかかるぐらいはあると思うのです。ところが私の場合、この遠州の地に引っ越して来て20年以上も経ちますが、お隣さんである飯田は訪れたことがありませんでした。それもこれも交通の便が悪かったことと、我が家に車がなかったことが原因なのです。私は二十歳の時に免許を取得したものの、アラヒフになる今の今まで車を持たずに生活して来ました。雨の日も風の日も保育園まで自転車で送り迎えしていましたし、買い物では5キロのお米を自転車のカゴに乗せてフラつきながら帰ったものです。そんな生活も今や息子のおかげで、車と言う財産、車と言うツールを利用することで、行動範囲が劇的に広がりました!やっと人並みの生活ができるようになったわけです・・・恥ずかしながら・・・。さて、長野県飯田市。伊那谷の中心地であり、800年の古い歴史を持つ城下町です。観光スポットである飯田城跡は、現在では長姫(おさひめ)神社を祀っているのですが、私が出向いた時には改築工事の真っ最中でした。今や飯田のシンボルとなっているリンゴ並木(アップルロード)は、ガイドブックによれば5月上旬には白い花を咲かせるとありましたが、私が行った時にはまだ咲いていませんでした。きっと秋には赤い実をつけ、訪れる人々の感性を揺さぶることでしょうね。飯田市街地から少し離れたところに元善光寺はあります。天台宗の由緒正しい古いお寺です。今からさかのぼること約1400年、本多善光が(元善光寺では「本田」ではなく「本多」と表記する。)難波の堀江から御本尊を持ち帰り、親子3人で信仰したのが始まりとのこと。『善光寺縁起』より参照その後、現在の長野市へと御本尊を移したそうです。元善光寺は長野の善光寺とは規模も違い、こじんまりとした気の休まるお寺です。参拝客も昨今の御朱印ガールの姿は見受けられず、落ち着いた年配の方々が静かに合掌しておられる姿が印象的でした。『長野の善光寺と飯田の元善光寺、両方に詣らなければ片詣り』とも言われるので、皆さん、ぜひともこちら元善光寺にも足をお運びいただけたらと思います。(寺関係者ではありませんので悪しからず。)精神的なゆとりの享受は、このような歴史と宗教が静かに融合する街から生まれるのではないでしょうか。巷にあふれる小洒落たカフェもステキですが、枯れた味わいのある境内をぶらりとしてみるのもオツなものですヨ。※長野市在住のおせっかいな友人より(^^)/ご参考まで、こちらが十連休期間中の善光寺です。
2019.05.18
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【南無妙法蓮華経〜身延山久遠寺〜】身延山久遠寺大本堂私は二十四歳で父を亡くし、それから三年後に母を亡くしました。ずっと両親に甘やかされて来た私は、それまで砦となって私を守って来てくれた存在を次々と失い、茫然自失。ずいぶんと辛い目にも合いましたし、精神のバランスを崩しかけたこともあります。不思議なもので動物の世界では、怪我や病気などで弱っている動物は他の肉食動物らの格好の餌食となり、命を奪われます。親や仲間は一切助けてくれることはなく、短い一生を終えるのです。人間の世界でも似たようなことが起こります。例えば私の場合ですが、私が心身ともに衰弱している時、普段はろくに付き合いのない知り合いから宗教の勧誘を受けました。(ここではその宗教団体名はふせます。)寄付金の話が出た時、さすがにこれは怪しいと思いお断りさせてもらいました。また他の知り合いからは、使っている印鑑が良くないと、まことしやかな嘘を並べられ買わされそうになりました。このように、弱っている人間ほどターゲットにされやすく、他者は攻撃してくるものなのです。前置きが長くなりましたが、そんなあられもない二十代を過ごした私が救われたのは、やはり、神社、お寺めぐりと言う趣味があったからだと思います。たまたまミッション系の短大に学んだこともあり、キリスト教の聖書はよく読んでいました。キリスト教の神は唯一絶対の神であり、いついかなる時も救いの手を差し伸べてくださるので、思い悩む必要はない、と言う教えでした。その教えは、両親にさんざん甘えてきた私にとって実に都合の良いものではありましたが、最後のところでしっくり来なかったのです。一方、釈迦の教えは真逆で、この世に絶対などと言うものはない、すべては無常なのだと言うもの。最終判断は自分が決めるのであって、結局は自分自身の人生を生きるしかないと言う、スッキリと道筋の通った教えにシビれました。そんな中、過去何度となく訪れた身延山久遠寺に、久しぶりに出かけて来ました。身延山久遠寺は日蓮宗の総本山で、かの日蓮大聖人が遺言として「日蓮が弟子檀那等は此の山を本として参るべし 此れ則ち霊山の契なり」と仰ったと伝えられています。樹齢何百年という老杉に囲まれるようにして立つ三門の正面には、高さ約105m、287段もある急な石段が真っすぐ延びています。でも安心してください!駐車場のところから大本堂にまでつながるゴンドラが出ていますからね。(無料です。)前回まで息も絶え絶えに登っていた287段もある石段でしたが、今回は楽をさせていただきました。〝膝が笑う〟という経験のない方、ぜひこの急な石段を登り功徳を積んで下さいね。大本堂で「南無妙法蓮華経」を唱えお参りを済ませると、次はロープウェイで奥之院思親閣まで向かいました。(大人往復¥1400)この思親閣のある場所が身延山の山頂となります。ここからの眺望はそれはもう雄大で、足下に一級河川の富士川、遠くに南アルプスが望めます。余談になりますが、この山頂にある売店では身延山オリジナルの羊羹や饅頭が売られています。普段なら「みのぶまんじゅう」として台に並べられているものが、この時期改元を祝して「令和まんじゅう」となっていました。(9個入¥900)薄皮に上品な甘さのこし餡が包まれており、後を引く美味しさでした。身延山思親閣は日蓮大聖人が故郷安房国を望み、父母を追慕したと伝わります。両親のいない私がしみじみと思いを馳せるにはうってつけの、静謐な場所なのでした。
2019.05.02
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【龍尾神社~ゆく河の流れ~】昭和に生まれた私が平成を経て令和を生きようとしている今、『方丈記』の冒頭の一節がよみがえります。「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は同じもとの水ではない、と言う意味です。人や物を見て「変わらないなぁ」と思っても、実際には何かしら変わっていて、変わらないものなどないと言うことなのです。常に変化し、やがては朽ち果ててゆくと言う無常観。これは仏教思想です。私は高校生のころから歴史にまつわる神社、寺院、史跡などを巡るのが大好きです。いわゆる〝歴女〟と言う造語のない時から私はすでに〝歴女〟なわけです。度々訪れた神社やお寺などで、自分では変わらぬ風景とそのたたずまいを楽しんでいるつもりでも、樹齢何千年の巨木が台風によってなぎ倒されていたり、石の灯篭が割れていたり、住職不在のお寺になっていたりと、様々な変化がありました。私はそんな時、いつもこう思うのです。「ああ、神さま仏さまが身をもって無常を教えてくださっているなぁ」と。なので私は、己が自然に年を重ねていくことを恐れず、不安がらず、少しずつ受け入れていこうと言う気になりました。それは決してアンチエイジングに対する否定ではありません。「ゆく河の流れは絶えない」のだと言う心境だと思っていただければ幸いです。そんな中、私は遠州掛川の龍尾神社に出かけて来ました。大型連休初日5月27日は、晴天に恵まれ気分も上々。ちょっとそこまでお米を買いに出かけるつもりが掛川まで足を伸ばしてしまったと言うわけです。今月スマホデビューしたばかりの私は、ガラケーになかった機能を使って場所を検索し、その由来を確認し、周辺地域のおすすめスポットなどをチェックしました。掛川と言ったら掛川城。その掛川城をお守りしていたのがこの龍尾神社なのです。NHK大河ドラマ『功名が辻』における山内一豊はまだ記憶に新しいとは思いますが、その山内一豊が篤く信仰しておられた神社であると説明する方がわかりやすいかもしれません。その龍尾神社は、閑静な住宅に紛れてひっそりとたたずんでおりました。一時は大河ドラマの影響で大混雑した境内でしたが、今は参拝客も少なく、ドラえもんの石像が屈託のない笑顔で出迎えてくれます。なぜドラえもんの石像があるのかは不明ですが、未来のネコ型ロボットが安置されているのは何か明るい未来を予感させてくれますし、現世御利益がありそうで有難い限りです。御祭神の中にクシナダヒメノミコトがいらっしゃるので、「女性に幸運をもたらす」女神さまに、何かお願い事をされるのもよろしいのでは?いつも庶民とともにおられるような、優しく、静かな眼差しを向けていらっしゃる神社なのでした。
2019.04.29
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