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【パッセンジャー57】「社長がテロ対策の部長におまえを望んでいるんだ」「俺には責任が重いよ」「おまえ以上のヤツなんかいないよ」「いや、まっぴらだ。もう辞める!」「もう一度頼まれてくれよ、おまえのためでもあるんだ。リーサのことでいつまでも自分を責めるな」最近の作品ではなくて恐縮。しかも役者さんの顔ぶれも華やかさに欠けていて、ヘタをすればB級なニオイもしそうな雰囲気だ。とはいえ、85分という良心的な時間と、ネットで何人かのレビューを閲覧したところ、概ね高評価だったことから、ならば一つ見てみるかと思ったしだいである。内容は、ハイジャックされた飛行機という密室において、テロリストとテロ対策のプロが戦いを繰り広げるという、いわばパニック・アクション映画だ。今や、リアルタイムでイスラム国の傍若無人なテロ行為が繰り返されている。それはもう言葉にするには憚れるほどの陰惨で残虐なものである。『パッセンジャー57』は、とくにメッセージ性もなく、単にドキドキハラハラ感を視聴者に存分に味わってもらおうという娯楽映画ではあるけれど、2016年現在、この作品を見ると、何やら改めてテロ対策の強化とかテロへの憎しみみたいなものをひしひしと感じないではいられないのだ。 ストーリーはこうだ。ジョン・カッターはテレビのテロ対策番組で、セキュリティーのノウハウを教える仕事に従事している。もともとはテロ対策のプロとして世界でも有数の人物だったが、妻と買い物に出かけた際、強盗に妻が射殺されるという過去を持ち、一線を退いていた。ある時、大手航空会社の幹部の友人から、テロリスト対策の専門官としての依頼を受ける。最初は渋っていたジョンだが、他ならぬ友人の熱心な誘いだったこともあり、引き受けることにした。一方、凶悪テロリストであるチャールズ・レーンがFBIに拘留されていた。レーンは人間としての感情や良心に薄く、平気で殺人を繰り返し、多くの人々を殺害して来た。そのレーンを死刑制度のあるロサンゼルスで裁判を受けさせるため、飛行機で護送することになった。レーンは周到な計画で、まずはFBI捜査官らを射殺し、仲間とともに飛行機をハイジャックする。その飛行機には、たまたまジョンが乗り合わせていた。ジョンは残虐非道のレーンたちテロリストを撃退するため、単身挑むのだった。 冒頭はベタだとは思うが、妻が強盗に射殺されるという回想により、主人公ジョンが妻を助けてやれなかった己のふがいなさに自信を喪失しているという始まり方である。そんな中、ハイジャック事件が起きて、ひょんなことから知り合ったキャビンアテンダントの女性とイイ感じになって、本来の自分を取り戻し、テロリストに立ち向かうという流れは、まぁ、ありふれてはいるが、それでもドラマチックではある。ジョン・カッターに扮する黒人俳優ウェズリー・スナイプスは、幼いころから武道を習っていたようで、素手で体を張って格闘するシーンは、なかなか本格的でカッコイイ。テロリストのチャールズ・レーン役にブルース・ペインが演じているが、この人いつもこんな悪役をやっているのか、妙にハマっていた。映画としてはよくありがちな展開だし、ベタな内容かもしれないけれど、85分という短い枠の中でこれだけのドキドキハラハラ感を提供してくれるのなら、70点はつけてもいいだろう。アメリカのアクションTVドラマとか好きな方はもっとハマるかもしれない。 1992年(米)、1993年(日)公開【監督】ケヴィン・フックス【出演】ウェズリー・スナイプス
2016.04.08
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【デイライト】「1,2,3で持ち上げよう! みんな、いいか? みんなでやりゃ何でもできるんだ!」数いる役者さんのうちでもスタローンほどイメージが固定してしまった人は少ないだろう。本人も、おそらく甘いラブ・ロマンスの主役や極悪非道な悪役を演じるつもりは、毛頭ないだろう。スタローンは下積み時代が長く、生活のためにポルノ映画はもちろん、アダルト劇のステージにも立っているとのこと。(ウィキペディア参照)そういう苦節を味わっているからこそ、自分というキャラクターに副わない役は、決して受けないつもりでいるのかもしれない。代表作である『ロッキー』や『ランボー』シリーズでは、肉体・精神ともに強靭なキャラクターを見事に演じており、興行成績も大成功を収めた。年齢とともに衰えゆく肉体美にも一層の磨きをかけ、精進している姿は、プロの役者としても見上げた根性の持ち主であり脱帽だ。そんなスタローンが『デイライト』でも正義感の強い、勇敢な男としてイメージ通りの主役を演じている。ストーリーはこうだ。ニューヨークのマンハッタン島とニュージャージーを結ぶ海底トンネルが事故現場となった。晩のラッシュアワーに暴走車が起こした事故がきっかけで、トンネル内で大爆発が発生したのだ。多数の死傷者が出る中、現場付近に居合わせたタクシー・ドライバーのラトゥーラは、トンネル内に閉じ込められた人々を救出しようと、救助隊のチーフに談判する。というのも、ラトゥーラは元救助隊のチーフをしていた経験があり、今回の救出作戦も自分の経験が役に立つと思ったからだ。しかしラトゥーラは、以前にも大惨事に遭遇した際、他の隊員たちを死亡させてしまったという過去があり、相手にされないのだった。スタローン出演作品に、最悪のラストなどあろうはずもなく、最終的にはスタローン扮するラトゥーラの自己犠牲の精神とタフな肉体が、被災者たちを救出することに成功する。とはいえ、そのプロセスではラトゥーラの努力も虚しく、何人かの人々が絶命する。私はこの作品を【パニック】のカテゴリに分類してみたが、アクション性に富み、臨場感溢れていることからも、アクション映画としても充分見ごたえはある。有毒ガスと火災による煙がまん延する中、死と隣り合わせの人は何を思い、どう行動するのか。様々な想像をめぐらせてこの作品を見ると、より一層パニック状況下での人の真価を追及できるかもしれない。1996年公開 【監督】ロブ・コーエン【出演】シルヴェスター・スタローン
2014.06.02
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【アンストッパブル】「6チャンネルに合わせろ」「どうした?」「住民を避難させてる」「脱線させるつもりか?」「DREを使う」「脱線器か」本作は、2001年5月にオハイオ州で発生した貨物列車暴走事故をもとに制作された映画である。いわゆる“クレイジーエイツ事故”と呼ばれる実際に起きた事故を、トニー・スコット監督により、スリリングなパニック映画として完成されたものだ。トニー・スコット監督と言えば、「トップガン」や「マイ・ボディガード」「サブウェイ123激突」などの作品を手掛けた売れっ子監督である。監督お気に入りの役者であるデンゼル・ワシントンとタッグを組んでの作品が、不出来であろうはずがない。この二人のコラボによる作品は、どれも息がピッタリと合っており、安心して鑑賞できる作品が多い。ペンシルバニア州ウィルキンスのフラー操作場で事故は起こった。貨物列車の777号を操作していた運転士が、座席から離れたわずかな隙に、777号が無人で加速を始めてしまったのだ。連絡はすぐに指令室のコニーのもとに届いた。情報を収集したところ、なんと777号には極めて危険性の高い毒物と、ディーゼル燃料が大量につまれた39両もの長い列車であることが判明。一方、勤続28年のベテラン機関士フランクと、新米車掌のウィルが、旧式機関車1206号に乗り込んでおり、777号とすれ違おうとしていた。正面衝突を避けるために、待避線に入るよう指示されたのだった。この作品のおもしろさは、途中、777号をどうにか停車させようとあの手この手を試みるシーンだ。だがどうやっても成功しない。そこで視聴者は、手に汗を握る思いで事態の成り行きを見守るのが、この作品の醍醐味であろう。1206号の運転士フランクが、同僚の命懸けの作戦に失敗し、脱線、炎上する場面に思わずがく然とするシーンがある。ここの場面は、どれだけフランクとその殉職した同僚とが仲が良かったのかがスッポリと抜け落ちている感を抱いてしまう。この場面をもっと効果的に表現できれば、フランクが同僚の仇を討つようなつもりで、777号の阻止に向かう決意の現われにつながるのではなかろうか。さらに、ラストが若干の不完全燃焼ぎみを感じる。これだけの犠牲とエネルギーを注いだわりに、地味な結末だったのが不思議。そうは言っても全体を通して、ハラハラドキドキの痛快パニックであることに違いはない。まずまずの作品なのだ。2010年(米)、2011年(日)公開【監督】トニー・スコット【出演】デンゼル・ワシントン、クリス・パイン
2014.05.28
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【ノウイング】「この暑さは収まらない。もっと悪化する・・・どんどん。必要なものを持って母さんたちと今夜地下に隠れるんだ。下水でもいい。なるべく深い所に、できるだけ早く・・・!」「それで熱から身を守れるのか?」「分からないけど・・・とにかくそうしないと・・・」「ジョン、悪いが私はどこへも行かない。せっかくだが、これが私の最期ならそれまでだ。神のお召しに従うよ」この作品についての感想に入る前に、まずは聖書の一節をご紹介したい。『すべての生きもの、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない』(創世記6章19節)本作「ノウイング」は、ご存じのようにキリスト教における聖書からヒントを得たストーリー展開になっている。人類はすでに何千年も昔から荒廃した世界を憂い、終末思想を抱いて来た。物事を正すにはまず滅び、そして再生する。つまり、リセットすることが大切なのだと古代から考えられていたのだ。「ノウイング」もおそらく、テーマはそのあたりにあるのではなかろうか。マサチューセッツ工科大学で宇宙物理学を教えているジョンは、息子ケレイブの通う小学校の創立記念日のセレモニーに立ち会う。注目は、50年前の児童たちが埋めたタイムカプセルを披露するというものだった。大勢の子どもたちがもらった手紙には、夢のある絵などが描かれていたが、ケレイブがもらった手紙だけにはびっしりと数字が羅列していた。ジョンはその不思議な手紙に目を留め、その数字には何かの法則があるのではと調査する。すると、その数字の意味するものが、過去起きた大惨事の日付と犠牲者の数であることが判明するのだった。本作「ノウイング」の注目すべき点は、やはり何と言ってもその壮大なスケールのCG効果であろう。目の前に不時着した航空機の圧倒的な臨場感と言ったら、正に息を呑むほどであった。 爆発した機内から火達磨になってよろよろと出て来る人影には、思わず目を覆ってしまった。また、ラストのアメリカ本土が火の海となって消滅していくシーンは圧巻。どうだこれでもかと言わんばかりの特殊効果であった。救われたのは、聖書中にあるようにノアの箱舟のごとく人類の選ばれし者(作中ではケレイブとアビーの二人)が、U.F.Oによって地球を脱出するというくだりである。これにより、人類は絶滅を免れたという結びはささやかでもホッとさせられる。やはり娯楽映画たるものこれぐらいのスケールがなければ面白くないだろうと思わせるほど、実に見事なストーリー展開とCG技術を駆使した大作であった。2009年公開【監督】アレックス・プロヤス【出演】ニコラス・ケイジ
2014.02.09
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【地球が静止する日】「どんな文明もいずれ危機的局面を迎える」「ほとんどが滅びる」「(だが)君たちは生き延びた」「太陽を失いかけ、進化を余儀なくされた」「絶滅の危機だと知ってから進化したんだな」「そうだ」「私たちは今知った。確かに絶滅の危機だろう。だが危機に瀕して初めて人は変わろうとする。窮地に立って初めて進化する。その好機を奪わないでくれ。答えに近づいているんだ」この作品を鑑賞することで気付かされた永遠のテーマ、それは人類創世以来の悩みかもしれないと思った。“人類滅亡”という問題のことである。世界のベストセラーである旧約聖書には有名な“ノアの箱舟”のくだりがあるが、これもいわゆる滅びの哲学から生まれた作品のような気がする。『全能の神は、地上に増えた人々や人間の業を見て怒りを覚え、洪水で滅ぼすことにした。神に従順なノアは忠告を聞き入れ、巨大な箱舟を作り、全ての動物の雌雄一組ずつを箱舟に乗せ、来るべき日に備えた。』(旧約聖書「創世記」より)増えすぎた種は、地球という一つの生命体にとってこの上もない負担となる。その際、人類は戦争・疫病・天変地異等により淘汰される運命にあるのかもしれない。それが自然の摂理だとすれば、もうどうしようもない滅びの哲学なのではと。『彼は警告にきた。しかし人類は気づいていない。』謎の球体が突如としてN.Y.のマンハッタンに現れる。しかしその球体は世界中の至るところで出現していた。米政府は軍も出動させ、厳戒態勢を布く。危機対策チームの一人である生物学者のヘレンは、セントラルパークに到着し、球体の謎を解くため軍隊と共に包囲する。まばゆいばかりの光の中から現れたのは、地球外文明の代表としてやって来た宇宙からの使者クラトゥであった。この作品は、望むと望まざるとに関係なく一度は観ておきたい、地球規模の社会的テーマを扱っている。それをエコ対策の喚起と捉えるか、あるいは宗教的倫理観の覚醒と捉えるのか、単なるパニック映画と捉えるのか、それは視聴者各人に委ねられている。だが大切なのは、我々一人一人が生きものであると同時に地球そのものが一個の生命体であるということ。我々人間が増えすぎることでガン化し、地球が病んでしまっていることだけは確かなのだ。“じゃあ一体どうしたらいいのか?”と問われたら具体策は漠然としていて、地球の静止する日を止める術はないというのが現実だ。ならば我々は、せめてこの地球のために何ができるか考えようではないか。人類のためと言うより、地球のために。それが結果として人類を救う解決策になるのではなかろうか。余談であるが、ゴルトベルク変奏曲が、実に効果的に使われていた。地球外生命体も美しいと認めるバッハの音色である。余談ついでにもう一つ。ゴルトベルクは、あのレクター博士も大のお気に入りである。2008年公開【監督】スコット・デリクソン【出演】キアヌ・リーブス、ジェニファー・コネリー
2013.12.30
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【コンテイジョン】「感染はおそらく呼吸器系や媒介物からよ」「媒介物とは?」「それを介して感染が広がるもの・・・例えば人は普通、日に2000~3000回顔を触るの。起きてる間に1分で3~5回も。他にドアノブにも触るし、水飲み器、エレベーター・・・人の手なんかも。それが媒介物よ」未知のウィルスが人の体を巣食っていくという題材は決して新しくないのに、ソダーバーグ監督作品だと妙に斬新さを感じてしまうから不思議だ。それもそのはず、こういうパニック映画にはお約束のヒーロー、ヒロイン的なキャラが存在するはずなのに、最後の最後までそういうのは登場しなかった。どの役者さんも主役級で、どのキャラが主人公なのか見極めるのが難しいぐらいだが、とりあえずマット・デイモンは平凡な一般市民の役だし、ローレンス・フィッシュバーンはエリート医師だが私情から情報を漏洩してしまうし、ジュード・ロウはいかがわしいジャーナリストの役だ。つまり、どのキャラも世間一般にフツーに存在しそうなタイプというわけだ。この人間臭い人間たちの中で巻き起こるセンセーショナルな出来事が、原因も分からずパニックを引き起こし、やがて収束に向かっていく模様を見事に表現している。さすがはソダーバーグ監督、どこかで見たような作品には決してしない。仕事で香港に出張したベスは、シカゴで不倫相手と密会を果たす。その後、夫ミッチと子どもの待つミネソタの自宅に戻るが、激しい咳き込みと発熱が続いた。一方、香港ではカジノでベスの使ったグラスを片付けたウェイターが倒れた。原因が分からないままベスの容態は急変し、口から泡を噴いて死亡。ただちに緊急連絡を受けたWHOは、ベスの死体解剖をし、医師のレオノーラ・オランテスを中国に派遣する。逸早く、情報を嗅ぎつけたフリージャーナリストのアラン・クラムウィディは、政府が隠蔽した伝染病ではと、ネットに配信する。この作品から感じたのは、人間という生きものは、人と触れ合わずにはいられない性を持っているのだということ。未知の感染症に脅える最中であっても、男女のティーンは親の目を盗んで触れ合おうとし、中国で人質の身となった女医は不衛生な村で子どもたちと触れ合いながら勉強を教えるし、空港で他人のふとした好意に感謝の気持ちを込めて握手を交わすのだ。恐ろしいウィルスが人との接触で伝染していることを知りながらも、人は人のぬくもりを求め、また与えてしまう。触れ合うことで、危険と隣り合わせになるにしても、やはり触れ合わずにはいられないのだと、作品は淡々と語りかけてくる。2011年公開【監督】スティーヴン・ソダーバーグ【出演】マット・デイモン、ローレンス・フィッシュバーン
2013.12.27
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【127時間】「この岩は・・・俺が来るのを待っていたんだ。ずっと宇宙の隕石の時から・・・何十億年も前から・・・宇宙で待っていた・・・俺が落下するのを・・・ちょうどこの場所で・・・俺の人生は生まれて以来、毎日のあらゆる行動が・・・ここへとつながっていたんだ・・・この大地の裂け目へと・・・」映画としての完成度と言ったら申し分なく、見事な出来映えだと思う。ストーリーは至ってシンプルで、腕を挟まれ身動きの取れなくなった127時間を追ったものだ。登山家のアーロン・ラルストンが体験した実話を、ほぼ忠実に再現しているらしい。とはいえ、娯楽として鑑賞するにはいささかしんどい。じっくりと腰を据えて、映し出される画像を舐めるようにして味わうぐらいの意気込みが求められるかもしれない。主役のジェームズ・フランコは本当に良かった。彼の演技は本物だと思う。何と言うか、まばたき一つにしても考えられた演出のようにも思え、目が離せない。しかも、作品から一番かもし出さなければならない“生命への執着”を、それはそれは見事に表現していた。なにしろ他者とのからみが少なく、作中、道に迷った二人の女性とのやりとり以外は、ほぼ自分との闘いを描いているため、主役のジェームズ・フランコに寄せられた演技力の期待度は、絶大なものだったに違いない。アーロンは、ユタ州のブルー・ジョン・キャニオンに向けて車を走らせた。車中で一泊した後は、マウンテンバイクで道なき道を走り抜け、その後は徒歩で目的地を目指した。それは、アーロンにとってごくごく普通の週末になるはずだった。途中、道に迷った二人の女性に出会い、慣れたアーロンはガイドブックには出ていないような珍しい地下水のある場所へ案内する。女性らと別れた後、アーロンは一人、目的地へと向かい、幅の狭い峡谷を通って楽しんでいた。ところが何かの拍子に滑落してしまい、腕が落石と岩壁に挟まれてしまう。アーロンは身動きが取れなくなってしまうのだった。作品の冒頭では、アーロンがいそいそと出かける準備をするシーンがある。そこでは水筒にジャージャーと水道水を注ぐのだが、とっくに溢れ出しているのに蛇口を閉めない。主婦感覚からして「もったいないなぁ」と思っていたところ、作品終盤では、アーロンが飲み水に不自由して自分の尿まで飲むシーンがある。この対比はスゴイと思った。監督が意識的に挿入したのだとしたら、あの冒頭部は全く無駄なシーンではない。また、アーロンは無頼に生きて来たつもりだったのだろう。家族や元彼女のことを次々と思い出す。身動きの取れない、自由を失くした男がたどりついた結論は、これまでの人生全てが、今のこの状況になることに定められていたのだと。この作品を見ると、本当のサバイバルがいかに過酷なものかを思い知らされる。生きるということは、生易しいものではないのだと。『127時間』は、素直に「映画って本当にすばらしい」と思える、根っからの映画ファンの方々におすすめだ。2010年(米)、2011年(日)公開 【監督】ダニー・ボイル 【出演】ジェームズ・フランコ
2013.10.27
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「なぜ洞窟なの?」「洞窟に入ると迷いが消えるんだ。分かるか? 私にとっての教会みたいなものだ。鏡のように自分を見せてくれるんだ」「こんな所で・・・死にたくないよ」この作品は2011年の春に公開されるはずの映画だった。だが内容的に残酷なシーンがあるため、3.11の影響も考慮し、その年の秋に延期されたものだ。世の中には危険を冒してまで冒険に挑もうとするチャレンジャーがいる。それはまるで、夏山に挑む軽装の登山者にも似ている。『サンクタム』は、パプア・ニューギニアの密林地帯にぽっかりと口を開ける、巨大洞窟を探検する物語だ。『アバター』でおなじみのジェームズ・キャメロン監督が製作に加わっているのは、やっぱり3Dカメラシステムを駆使しての作品の向上を図るためのものだろうか?それはともかく、ストーリーがストーリーなだけに仕方ないのだが、ずっと暗い洞窟と水のシーンが繰り返される。孤独な探検家をイメージしてのものだろうが、四方を壁に閉ざされている暗い映像ばかりだと、さすがに視聴者のテンションが下がるのもムリはない。二進も三進も行かない行き詰まり感を拭えないし、先の見えない閉塞感でたまらない心持になってしまう。そんな中、偉大な探検家の父を持つ息子の、複雑な心理描写が上手く表現されていると思った。息子が父に抱いていた懐疑的な心境から、終盤にかけて、父への尊敬の念に変わっていく様子など、なかなか良かったと思う。パプア・ニューギニアの密林地帯にある巨大洞窟エスペリトエサーラの調査が行われていた。メンバーは、リーダーのフランク・マクガイル、出資者でスポンサーのカール、フランクの息子ジョシュ、カールの恋人ヴィクトリア、フランクの盟友ジョージ他数名だった。洞窟内で四苦八苦しながらも、漸く先へと続くトンネルを見つける。だがそこは、“悪魔のくびき”と呼ばれる地点で非常に狭く、水中での作業は困難を極めた。そんな中、フランクはパートナーのジュードとともに潜水を続行するのだった。サスペンス的な盛り上がりを見せるのは、終盤になって気のふれたカールがフランクに襲い掛かるあたりからだろう。それまでは淡々としていて、ドキュメンタリータッチなので、山場はほとんど見られないからだ。それでもリチャード・ロクスバーグの好演により、作品が真面目で落ち着いた輝きを放っていた。神秘的な大自然を前に、人間なんて取るに足らない生きものなのだと、改めて思い知らされる映画だった。2011年公開 【監督】アリスター・グリアソン【出演】リチャード・ロクスバーグ また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.08.19
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「こうなったら原子炉を遮断できないか?」「核反応の制御は絶対にできません!」「前部原子炉のポンプを交差接続させたらどうだ?」「亀裂部に近付くことは不可能です!」この作品はすでに鑑賞済みで、以前ブログにも紹介したもの(コチラ)だが、福島の原発事故を受けて今一度原子力について考えてみようと、見直してみた。K-19というのは、作品のタイトルにもなっているが、実際のソ連海軍の弾道ミサイルを装備した原子力潜水艦である。作品の冒頭で、K-19の進水式のシーンが出て来るが、この時、艦首にシャンパンの瓶が思い切りぶつけられるが、なんと割れずにはね返ってしまう。(本来は、シャンパンの瓶が割れて祝賀モードとなる)このことからも、同艦は深刻な事故を引き起こすのではと、皆から不吉の前兆として受取られた。(※ウィキペディア参照)このあたりのエピソードは全て実際にあったことで、キャスリン・ビグロー監督はノン・フィクション映画として史実に基づき、再現している。とはいえ、内容は地味で、深刻な題材を取り上げていることもあり、興行的には残念な結果となっている。作中、注目したいのは、K-19において、突然の原子炉の冷却装置に故障が見受けられた場面だ。担当者は半分パニクって、「緊急用マニュアルを!」と叫ぶが、原子炉のメルトダウンも考えられる危機的状況を回避する仕方が、何一つ書かれていない。つまり、放射能の危機と隣り合わせにいながら、その威力、危険性については想像上のものであり、未知の世界だったのだ。無論、過去におけるヒロシマでの大惨事は知っていた。だがしょせん他人事であり、そこから何一つ学んでいなかったのだ!!1961年、アメリカとソ連の冷戦時代のこと。ソ連は原子力潜水艦K-19の処女航海に、艦長としてボストリコフを任命した。副艦長には、搭乗員たちの信頼も厚いポレーニンが就く。途中までは順調に任務を果たしていたのだが、グリーンランド付近の北大西洋上を航行していた時、原子炉冷却装置にトラブルが発生。このままではメルトダウンは避けられない。艦長のボストリコフは、苦渋の決断を余儀なくされる。我々は先人から、人の命より重いものはないのだと教わりながらも、危険と隣り合わせに原発を抱えている。しかもこんなに小さな島国なのに。過去、ヒロシマ・ナガサキの大惨事を経験した唯一の被爆国でありながら、原発に頼らなければ生活が成り立たないという神話に囚われている。福島の事故は、我々に警鐘を鳴らしているのではなかろうか?失われた自然を取り戻すことは難しい。失われた命をよみがえらせることは、絶対にできない。K-19における原子炉担当班は、冷却装置の応急措置を施すために、高濃度放射能区域に立ち入ることとなってしまった。担当者全員が被爆し、一週間以内に死亡したことは言うまでもない。原発を抱えている我々は、この事実を心して受け止めなければならない。「原発やめますか? それとも人間やめますか?」2002年公開【監督】キャスリン・ビグロー【出演】ハリソン・フォード、リーアム・ニーソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.08.12
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「大統領が来なければ、奴は誰も撃たないはずだ」「楽観的だな。君もテレビ局の連中と同じだ」「どうする気だ?」「観客を避難させる」久しぶりに撮影のリアリズムを追求した作品に出合ったような気がする。犯人の目線で捉えられた人々の、何気ない日常が、やがて起こるであろう惨劇とあまりにも対極にありすぎて、よけいに恐怖感を煽るのだ。しかしその一方で、じっくりと計算されたカメラ・ワークでは、アメフトの試合会場に集う10万人もの観客の興奮する表情や熱気を、実に見事に捉えている。この作品は、アメリカで1976年に公開された昔の映画だが、群集が半狂乱になって逃げ惑う姿や、見えない敵に脅える人々の心理状態が、驚くほどリアルに描かれた最高傑作である。現在では当たり前ともなったCGによる編集は一切なく、すべてリアルな伝統的技法によるものだ。大都市ロサンゼルスの日曜日。高級ホテルの一室から、サイクリングを楽しむ市民を狙った射殺事件が発生。一方、メモリアル競技場では、地元ロサンゼルスとボルチモアのアメフトチームが、王座を決める試合を開催しようとしていた。場内はおよそ10万人の観客で埋め尽くされ、満席状態。そこへ、ライフル銃を入れたバッグを片手に、不審な男が競技場の中へ現れる。この試合を全米に中継するため、空からも飛行船からTVカメラが競技場を捉えていた。 すると、スコアボードの影に潜む、ライフル銃を持った男の姿をカメラが捉えるのだった。この作品がおもしろいのは、人々の何気ない日常を多方面から捉えているところだ。例えば、観客の中には、失業中だが二人の子供にせがまれて家族4人で観戦に来た者や、愛人関係に苦悩する男女がいたり、莫大な借金をしている男が一攫千金を狙って大金を賭けていたり、スリをはたらき次々と他人の財布を手に入れてゆく二人組など、とにかく様々なパターンが同日同時刻にひしめき合うのだ。そんな不特定多数の人々が集う中、誰を標的にしているのか分からない狙撃手が現れる。 この場合の群集心理たるや、想像もつかない。ただもうパニックを起こして、ひたすら逃げるのみ。この描写が実に生き生きと、見事な演出で仕上げられている。物語の最後まで、犯人の目的や動機などは明かされない。しかしそれでいっこうに構わない。この混乱した状況を、これだけ高い完成度で撮影しているため、何一つ不服は残らないのだ。1976年(米)、1977年(日)公開【監督】ラリー・ピアース【出演】チャールトン・ヘストン、ジョン・カサヴェテスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.10.01
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「山の空気を吸えよ。(タバコは)肺ガンになる」「ハッパ吸う連中からタバコの文句は言われたくない」「ハッパはハイになれる。でもタバコは害だ。(特に)寒い日に吸うと。オヤジが使ったフロスのニオイだ」「どっからそんな例えが(出て来るんだ)?」久しぶりに友人のSさんがうなった。「これは正に、正統派のB級映画だ!」と。吟遊映人が信頼を置くSさんが、鼻息を荒くして語ったのは、そう、正しく本作「フローズン」のことであった。“正統派のB級映画”というものの定義は何かと問われれば、実は答えられない。だが弁解するわけではないが、本作を鑑賞することで正統派たる所以を理解することができる。単なるちまたのB級モノなどではなく、純然たる正統派のB級映画とは、かくなる作品をもって言わしめるのか、と。まず、メガホンを取った監督もかなりの若手。斬新な感覚の持ち主なのであろう。略歴を見ると、マニアックな映画賞をいくつも受賞していて、将来有望な監督なのだ。 さらに出演者の中に、唯一知った顔があったのだが、ショーン・アシュモアだ。この役者さんは「X-MEN」シリーズで、アイスマン役を演じており、見事な脇役に徹しているせいか影が薄い。他の出演者らは、本当に申し訳ないが、あまり見かけない役者さんだった。ストーリーも驚くほどシンプルかつ明快。パニックモノとしても、スリラーモノとしても楽しめる内容だ。毎年冬になると、ダンとジョーはスキーを楽しむのが恒例だが、今年はダンの彼女であるパーカーも一緒にスキー場へと出向いた。パーカーは初心者ということもあり、ダンとジョーはそれに付き合ってろくに滑ることができず、日が暮れてからも無理矢理リフトに乗せてもらうことにした。そうすることで、少しでも多く滑りたかったのだ。リフトの係員は、渋々ながら3人をリフトに乗せると、その後、別の係員と交替する。 係員はゲレンデから最後の客が滑って来るのを見届けると、リフトとゲレンデの照明のスイッチを切ってしまう。だが、ダンとジョー、それにパーカーは、まだリフトに乗ったままだったのだ。アダム・グリーン監督について、しつこく語らせていただくと、なんと敬愛する映画監督はヒッチコックとスピルバーグと述べている。なるほど。舞台をスキー場一点に絞り込んだ手法など、ヒッチコックの「ロープ」を彷彿とさせるかもしれない。地上から15メートルも高いリフトから飛び降りて骨折し、動けなくなったダンに忍び寄るオオカミは、正にスピルバーグの「ジョーズ」そのものだ。吟遊映人は、断然この「フローズン」が気に入ってしまった。B級映画はこうでなくちゃいけない。吟遊映人は、「フローズン」を応援します(笑)2010年公開【監督】アダム・グリーン【出演】ケヴィン・ゼガーズ、ショーン・アシュモア、エマ・ベルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.02.13
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「おじさんは・・・火を運んでる?」「何を?」「火だよ」「(君は)怖い思いをしたな」「どう? (火を)運んでる?」「ああ、運んでるよ」「一緒に行っていいの?」「ああ、いいとも」お正月からこういう作品と向き合うのは、何となく示唆的である。先進国では、そろそろ自然環境の大切さに気付き始めて、CO2の削減等に取り組んでいる動きもあるのだが、地球規模から言ったらまだまだであろう。何がどういう原因なのかは語られない。だが本作では近い将来、とんでもない天災が起こることを予測している。それは、聖書中にあるノアの箱舟のように、明るい再スタートが約束されているわけではない。もっと混沌としていて、先の見えない憂鬱な影さえ見え隠れする。本作「ザ・ロード」において、ただひたすらに歩き続けるホームレス同様の父子がこの物語の主人公なのだが、涙なしでは観ていられなかった。荒涼とした世界に、まだ見ぬ夢を託して、道の続く限り歩いて行く話なのだ。天変地異に襲われた地上からは、生きものが消えた。わずかに残った樹木も、日の光を浴びることがなく、やがて朽ちていく運命にあった。 人々は浮浪者になるか、略奪者になるか、それとも絶望の果てに死を選ぶのか、選択に迫られる。父は我が子を守るために必死で生き延びようと試みる。わずかな食べ物を求めてさまよい、凍えるような寒さの中、親子は肩を寄せ合って夜を明かす。二人はただひたすら南の方へ歩き続けるのだった。どんな感想もつらつらと書いたところで、この何とも言えない寂寞とした虚しさは拭えない。この世から全ての食べ物がなくなった時、やがて人間は本能を呼び覚まし、共食いを始めるのか。生きることにそれほどまで貪欲になれるとは・・・!だが一方で、過酷な環境に見切りを付け、命を絶ってしまう人間もいる。もしも自分がこれほどの極限状態にいたとしたら、一体どんな選択をするのだろうか? 「ザ・ロード」は、それでも生き抜こうとする人間の底知れぬ精神力と、親子の深い絆を表現したドラマであった。2009年(米)、2010年(日)公開【監督】ジョン・ヒルコート【出演】ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.01.05
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「行きたまえ」「あなたもご一緒に」「(君は)飛行機に乗るんだ。君が向かうのはすばらしい新世界だ。若い科学者一人の価値は、老いた政治家二十人分だ」本作を手掛けたローランド・エメリッヒ監督はドイツ人で、SFアクションモノを得意とする監督さんである。代表作に「インデペンデンス・デイ」や、「デイ・アフター・トゥモロー」などがあり、いずれも興業的に成功を収めている。いまやCGなどの特殊効果を使用するのは当たり前で、作中、ロサンゼルスがみるみるうちに破壊されていくシーンなど全てCGによるものだ。監督によっては撮影現場主義で、アナログ一筋の考えを持つ方もいる中で、ローランド・エメリッヒ監督は原始的な作業を一切排除し、デジタルでイメージの陳腐さや劣化を限りなくリアルに近付けていくことに、見事なまでに成功している。無論、全てにCG技術を駆使することが正しいことかどうかは分からないが、少なくともツールの一つとして映像を補足していくにはすばらしい小道具と言えるであろう。本作「2012」の特殊効果を駆使した撮影もすばらしいものだった。アスファルトの道路にめきめきとヒビが割れていくシーンや、ビルなどがおもしろいように倒壊していくシーンなど、セット撮影では到底表現できない迫力が、スクリーンいっぱいから伝わって来た。2009年、太陽の活動が活発化し、地球の核が溶解。計算すると3年後には確実に世界は終わりを迎える。地質学者であるエイドリアンは、急遽データをもとにその事実を政府の上層部に報告する。それは、すぐさまアメリカ大統領の耳にまで届いた。3年後、売れない作家のジャクソン・カーティスは、別居している子どもたちとイエローストーン国立公園にキャンプにやって来た。そこで、ジャクソンはなぜか軍隊からあれこれ注意と尋問を受けるのだった。売れない作家ジャクソン役に扮するのはジョン・キューザックである。代表作に「スタンド・バイ・ミー」や「マルコヴィッチの穴」などがある。この役者さんのスゴイところは、まずハリウッド・スターにしては珍しく、スキャンダラスな私生活とは無縁であるクリーンなイメージが定着していることだ。だが役としては、どこか性格的に頼りなくて経済的にも不安定で、でも揺るぎない知性に恵まれた中年男的なキャラが多い。これこそがこの役者さんのハマリ役で、本人もその立ち位置をよくわきまえているようなのだ。観ていて安心のできる演技というのは、正に、ジョン・キューザックのような役者さんのことかもしれない。本作でもこの役者さんの登場のおかげで、パニック映画としての臨場感と併せて安定感のある作品に仕上がっているのだ。2009年公開【監督】ローランド・エメリッヒ【出演】ジョン・キューザック、アマンダ・ピートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.08.25
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「訴えられちまってさ」「訴えられた?」「急患にちゃんとできるだけのことして、あとはデカい病院できちんと診てもらえって言ったのに。そいつがそのままにしやがって、死んでから家族が訴えてきた・・・今、裁判の最中なんだよ。まぁ医療過誤で訴えられたって保険入ってるから本当は平気なんだけどさ。仮に民事で負けたとしても医師免許取り上げるわけじゃねぇし。いくらでも医者は続けられんだよ。でも親父はさ、訴えられたことがよっぽどショックだったのか、重傷の鬱病だってよ」本作で主人公・祐司の妻役を演じた桜井幸子は、昨年末に女優業を引退した。脚本家・野島伸司の作品では常連であり、個性あるキャラクターを透明感のある演技で見る側を惹き付けた。吟遊映人が桜井幸子を初めて知ったのは、TBSドラマ「高校教師」である。真田広之との絡みが衝撃的で、そのインパクトのあるストーリー展開に毎週釘付けになった。そんな桜井幸子には末永く女優業を続けてもらいたかったが、こればかりは本人の都合や意思もあるのでどうにもならない。これまでたくさんのドラマや映画でのご活躍、本当にご苦労さまでした。そして、我々を楽しませて頂き、どうもありがとうございました。都心に今世紀最大の直下型地震が発生した。都市機能は徐々に回復の兆しを見せつつあったところ、地震の影響からか海水温度が上昇、巨大な台風が日本列島に襲い掛かろうとしていた。高潮で水没した地下鉄構内で、元ハイパーレスキュー隊員の祐司が、耳の不自由な愛娘を必死で探す。駅で一人怯える姿を見つけたのだった。そんな中、台風の妨げによりなかなか救助隊が現れず、生存者は生き延びるために必死で耐え忍ぶ。先日のシナでの大地震や、4月半ばを過ぎての大雪、N.Y.では真夏日を観測するなど各地で異常気象が現実のものとなっている。本作「252 生存者あり」は、単なるパニック映画としてではなく、“ありえるかもしれない”という危機感を持って鑑賞すると、また違った感想を持つことになるであろう。作中のクライマックスでもある、台風の目の中にあるたった18分間の救出劇のシーンは胸を打った。救いの手を差し伸べる側と、生きようと必死に助けを求める側との様々な心の葛藤、心理描写が実に素晴らしかった。2008年公開【監督】水田伸生【出演】伊藤英明、内野聖陽、山田孝之また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.04.27
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「時間じゃない、不十分なんだ!・・・最後の1発だよ!」「弱すぎる?」「(そうだ)30%アップしないと」「プルトニウム3キロ・・・無理だ・・・!」SF・パニックというカテゴリにくくられるこの作品は、人類の生存がどれだけ恐怖と苦悩の上に成立しているのかを表現している。その証拠に作中では、地球存亡の危機を救うために召集されたスペシャリストたちが、地球のコアに到達する過程において、一人また一人と殉職を遂げていくからだ。このストーリーテリングは確かに新感覚とは言えないまでも、人類の可能性と存在意義を問い直す上で、実にまとまったSF・パニックにセッティングされている。ある日ボストンで心臓にペースメーカーを付けていた32名が突然死してしまった。その後、ロンドンでは鳩が異常行動を起こし、暴走。また、出現するはずのないオーロラが発生。世界中が大混乱に陥ってしまう。この件に関して、シカゴ大学の教授であるジョシュ・キーズは、地球の核の回転が停止してしまったせいであると理論付ける。このままだと1年後には地球が滅亡すると言う。地球存亡の危機のため、世界中の科学者たちが召集されるのだった。「ザ・コア」には、結末の意外性や謎解きなどはほとんどない。しかし地球の外側、言わば宇宙に関心事を求めることなく、地球の内側である核(コア)にその原因があるとするスタイルは、何か暗示めいたものを感じさせる。本作の出演者にヒラリー・スワンクがいるが、この女優さんは本当にたくましい演技を見せてくれる。「エイリアン」に登場するタフなヒロインのリプリーみたいなものかもしれない。か弱く守られるだけの女ではなく、男性と対等にあり、いつもバランスの取れた位置に存在し、身の丈に合った愛情を注ぐ・・・そんな女性像を見事に演じている。「ザ・コア」は、自己犠牲と社会貢献、そして何より愛する人を救いたいと願う気持ちが濃密に凝縮されて完成したかのような映画である。2003年公開【監督】ジョン・アミエル【出演】アーロン・エッカート、ヒラリー・スワンクまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.11.05
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『松岡先生へ。先生たちのおかげで町のみんなも元気を取り戻しました。栄子先生が命をかけたあの治療法は、日本中で多くの人を助けたのに確証がないから今も研究中だそうですね。でも私には栄子先生の勇気が私たちの命を繋ぎとめてくれたように思えます。先生や皆さんには本当に感謝しています。(中略)先生が教えてくれたあの言葉を思い出します。』残暑お見舞い申し上げます。沖縄ではこの真夏にインフルエンザが爆発的な流行をみせているとのこと。しかもその9割が新型インフルエンザというではないか!通常インフルエンザなるものは冬場に流行する感染症であって、夏に猛威をふるうって一体・・・?!単なる風邪の一種などと侮れないところまで来ているのだ。本作「感染列島」は、まるでリアルタイムで起こっている現状を予測したかのような、全国を震撼させたパニック映画なのだ。ある日いずみ野市立病院に発熱を訴える患者が訪れる。診察に当たったのは救急救命医の松岡剛であったが、風邪の症状と見受けられたため通常の風邪薬を処方し、念のためのインフルエンザ簡易検査を施した。ところが翌日、患者の容態が急変。人類が経験したことのないウィルスに感染していることが発覚。新型インフルエンザではないかと各地で大騒ぎになる。またたく間に日本中に感染が広がる中、WHOから小林栄子が派遣されて来るのだった。 映画の影響力の凄さは、なんと言っても視聴者に与える恐怖感、それにリアリティーであろう。結果としてそれが観客の共感を呼び、社会性を帯びた作品として評価されるのである。 実際問題として、「感染列島」にあるようなパニックの一つ手前ぐらいまでは起きている。報道こそされていないが、水面下では新型インフルエンザに感染してしまったことでイジメの対象になった児童・学生が存在するのではなかろうか。そういう社会問題全てをひっくるめて、我々は近い将来起こりうる現象・事象を想定して、これからをたくましく生き抜いていかねばならないのだ。本作は、危機感の欠如した現代日本人に、一石を投じる役割を担うものであった。2009年公開【監督】瀬々敬久【出演】妻夫木聡、檀れいまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.08.23
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「ジャックの記録は何ひとつ残っていない。」「あるはずがないわ。彼のことは今まで誰にも話さなかったの。・・・主人にもね。女って、海のように秘密を秘めてるの。」実に見事な構成である。世界が感動に震え、涙に濡れたのが理解できる。生と死の境、そのボーダーラインがこの作品の決め手となっているような気がしてならない。奇跡的に生還したローズは、すでに100歳を超える老婆となっている一方で、北大西洋の極寒の海に消えたジャックは、青年のままの姿で、もちろんその後はない。これこそが「生きている」ことと「死んでいる」ことの違いなのではなかろうか。ジャックがゆっくりと静かに沈んでいくのを見た時、誰かの記憶の中に眠り、生きた証しを残してこの世を去る潔さを感じた。それはまるで、ローズという生還者に「死の残り香」を漂わせて海に消えてゆくロマンだ。沈没したタイタニック号を調査しているグループが、上流階級の女性が搭乗していたと思われる1等客室の部屋から金庫を発見する。さっそく金庫の中身を調べてみたところ、目ぼしいものはなく、裸婦のデッサン画だけだった。そのようすはテレビ中継され、偶然放送を目にした絵のモデルの女性は、今ではすでに100歳を超える老婆となっていた。彼女は、当時の事故から奇跡的に生還するまでのロマンスを、調査団の乗員たちに話して聞かせるのだった。1912年4月10日、英国サウザンプトン港から豪華客船タイタニック号が北大西洋で長い眠りに就くその日までは、わずか数日のことであった。ディカプリオ扮するジャックが、貧しい絵描きという設定も大変良かった。そこに存在する人や物をデッサンするという行為は、正に「生きている」証し。だが、スケッチブックに残された絵の一枚一枚は、静かで動かない、言わば「死んでいる」ものなのだ。ドルの大枚をチラつかせて救命ボートを確保しようとした行為は「生きている」ことだが、混乱する船上に投げ捨てられた紙幣は、何の価値もない「死んでいる」もの。この生死のコントラストは、パニック映画としてもラブ・ストーリーとしてもすばらしく完成度の高い仕上がりになっていた。人が「生きている」ことを実感するのは、皮肉にも死と隣り合わせであることを認識した時なのかもしれない。「タイタニック」は、この世に“絶対”などないことを教えてくれるのだ。1997年公開【監督】ジェームズ・キャメロン【出演】レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレットまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.07.22
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「戦争はいつも対岸の火事にすぎない。戦後60年、日本は太平洋と東シナ海の間にただ浮かんでただけだ。なぁ、平和ならそれで国と呼べるのか?」「平和って、戦争の隙間に生まれると俺は思う。この国は60年もその隙間にいるんだ。俺はそれでいいと思うよ。」この映画をどう捉えるかは各人様々だが、もしもこれに触発されて「いざ軍備強化」だと短絡的な行動に出ようとする者がいたら、「ちょっと待った」である。原作を読んでいないため、テーマがどこにあるのかをこの映画のストーリーだけで推し量るのは難しい。国防意識を煽っているのか、あるいは反戦映画なのか、それも捉え方しだいのような気がする。ただ、キーワードとなるセリフが、作中いくつか散りばめられていた。その一つが、中井貴一扮するヨンファのセリフ。「よく見ろ、日本人。これが戦争だ。」である。このことからもわかるように、日本が戦争のできる国家ではなく、そういう人間も備わっていないことが理解できる。だが、ウィキペディアなどで調べてみると、軍備における日本の防衛予算は世界の水準を満たしているし、決して劣っていない。それなりに備えているわけだ。では、何が欠落しているのか?そこがポイントになっているような気がするのだ。海上自衛隊イージスシステム搭載ミサイル護衛艦「いそかぜ」の副艦長である宮津2等海佐が、東京湾沖で訓練航海中に謀反を起こす。それは、某国対日工作員のヨンファと共謀し、艦長を殺害したところから戦いの火蓋は切られた。彼らの手には、特殊兵器グソーがあった。その照準は首都東京に設定されていたのだ。防衛庁情報局らが事態解決にあたるものの、最新鋭のシステムを持つ「いそかぜ」を前に、政府は成すすべもなかった。テロリストたちから強制的に離艦を命令された乗務員たちの中に、先任伍長の仙石がいた。仙石はいったんは艦を離れたものの、再び「いそかぜ」へ引き返し、艦を取り戻すべく勇敢に挑む。日本がどうして戦争のできない体質になっているのか。それは、日本人の持っている精神性にあるのかもしれない。日本人は「国家」というものに対してどれだけの重要性を感じているだろう。有事に、家族を見殺しにし、そして己の命を失っても国家を守る精神が備わっているだろうか。キレイゴトではない。「大切な人を守るため」の防衛などではない。はっきり言ってしまおう。戦争ができる体制というのは、「国家を守るため」のしくみが整っているか否かなのだ。 そのために人質に囚われている家族や、己の命など切り捨てる潔さ。それこそが「戦闘態勢」と言えるだろう。この作品は戦争のできる国ではない日本の防衛能力の弱点を憂慮しながらも、それだけに平和を愛する島国民族として有事にあるべき姿を問うているのだ。2005年公開【監督】阪本順治【出演】真田広之また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.07.06
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「総理、たった今・・・落合信一郎が死にました。お願いです。これ以上命を無駄にしないでください。この国がどうなろうと知ったこっちゃない。だが、父親として息子の命くらい守らせてくれ・・・頼む!」個人的嗜好をここで披露するのもどうかと思ったのだが、当管理人は大沢たかおが好きだ。演技力とかルックスとかそういう類のものではなく、彼の「持ち味」が好きなのだ。だからこの作品で、彼が戦場カメラマンという設定で風来坊の雰囲気を出すためか、粗雑な言葉遣いでわざとワルぶってみせるが、そんな必要はなかったと思う。大沢たかおはセリフ少なく、よりムーディーに、そして冬山をバックにモデル然として立っていてくれれば充分だった。彼には花があるのだから。この作品は言わずと知れた反戦映画だ。一つ一つのセリフを検証していくと、矛盾した内容に視聴者が混乱してしまうのもムリはない。だが焦点は「国防意識」、それに尽きるのではと思われる。「核兵器を持たず、作らず、持ち込まず」という非核三原則がありながら、我々の知らないところで核が日本国内に持ち込まれているかもしれない、という脅威を語っているのだ。また、我々が危惧しなければならないのは、「国家の存亡」などではなく、「子どもたちの未来」のためなのだと。そんなわけで作品は「子ども」やお腹に宿す「生命」をそこかしこに散りばめ、政府や一部の大人だけの問題にはしていない。戦場カメラマンの西崎は、故あって最近では山や空の写真に転向していた。ある日、山岳部の後輩で現在は新聞記者の落合に誘われて、北アルプスへ向かう。一方、渡良瀬首相の耳には、極秘情報が通達されていた。それは、「ミッドナイトイーグルが北アルプス上空で消息を絶った」というものだった。 そのころ、北アルプスに落ちたと思われる謎の「赤い光」の正体をつきとめるべく、落合は猛吹雪の中、決行しようと西崎を説き伏せる。すると不意をついて二人めがけて銃が乱射される。それはただごとではない、異様な雪山の光景。自衛隊と謎の敵集団(工作員)との攻防を目の当たりにした西崎と落合は、生き残った自衛隊員の佐伯三等陸佐からミッドナイトイーグルの情報を入手する。なんと「赤い光」の正体は墜落機(ミッドナイトイーグル)で、しかもそれには「核」が搭載されているのであった。内閣総理大臣役の藤竜也は本当に良かった。大袈裟なリアクションもなく、とつとつとしていて、目に力を感じた。正に首相らしい首相であった。我々はこの作品を通じて、一つの問題に直面する。それは、平和という概念に対する意識だ。我々の望む、死守して貫く「平和」とは、「国防意識」と背中合わせに存在していることも覚えておかねばならない。『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』(日本国憲法 前文より抜粋)2007年公開【監督】成島出【出演】大沢たかお、竹内結子また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.22
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「霧が消え始め、もやいロープを外して・・・ロッキー・ネックを越え・・・俺が昔スケートしたナイルズ・ポンドの先へ(行くと)、サッチャー島の灯台守の子に手を振る。海鳥が舞う。セグロカモメに・・・オオカモメ、ウミガモ、太陽を受け北へ針路を変える。全速力で。みんな忙しく働き出す。君はカジキ漁船の船長・・・最高の仕事だ。」港・漁師・カジキ漁船という素朴でローカルなものにスポットを当てたこの作品は、ジャンルとしてパニック映画にあてはまるかもしれないが、史実に基づいた小説の映画化なのだ。そのせいで全体的に暗く、地味な印象を受ける方もおられるだろう。だが、想像してみてほしい。“魔のトライアングル”と呼ばれて久しいバミューダ海域が、どれほど危険な地帯であるかを。ハリケーンや霧の多発地帯でもあるこの海域は、魚の宝庫なのだ。漁業で生計を立てている者たちにとって、喉から手が出るほど魅力的な漁場なのだ。1991年マサチューセッツ州グロースター港に、カジキ漁船アンドレア・ゲイル号が帰港した。だが、不漁のせいでクルーの賃金は芳しくなく、船長のビリーは自分のプライドが許さず苦悩した。考え抜いた末、ビリーは帰還したばかりの6人のクルーに声をかけ、再び漁に出ることを決意する。ゲイル号は大漁を求めてフレミッシュ・キャップスへ向かった。そこでは、期待通りの大収穫をおさめたものの、帰り際になって巨大ハリケーンと遭遇してしまうのだった。注目すべきは、やはりハリケーンの直撃を受けたゲイル号をいく度となく襲い掛かる大波と、叩きつけるような雨と風。クルーたちが手を取り合って助け合う友情の絆。そしてクルーそれぞれの抱く船乗りとしてのプライド、潔さ。一方、無事の帰還を祈り続ける家族の悲痛な願い。それらの描写が飾らない庶民レベルの視点で、淡々と演出されていた。派手な役回りの多いジョージ・クルーニーが、無精髭を生やし、ビニール長靴をはいて海の男を演じているのも見逃せない。見どころいっぱいの映画なのだ。2000年公開【監督】ウォルフガング・ペーターゼン【出演】ジョージ・クルーニーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.24
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「火はいつここへ?(火はいつこの階まで回ってくるのか?)」「ボブ、分からん。」「君が造ったビルなのに!」「・・・全員は助からんだろうな。」映画というメディアは、その時代の有り様を知る上で、最も効果的な道具であり手段であることを改めて実感した。70年代の建設ラッシュ時に、一部の富裕層らが競い合うようにして高層ビルを乱立させた。だが、合理性と己の利益を追求する余り、安全性や災害に対する耐久性を軽んじてしまう結果が生じた。我々は資本主義社会における大きな課題を、映画というメディアを通してすでに70年代から突き付けられているというわけなのだ。カリフォルニア州サンフランシスコに、超高層ビルが落成した。地上138階もの高さを誇る“グラス・タワー”は、厳重な警備と災害報知が徹底している設備のはずだった。だが、設計士ロバーツの設計通りの配線工事がされていなかったため、81階にある物置室の配線盤のヒューズが発火し、ボヤを起こす。みるみるうちに火が回り、高い天井まで焼き尽くし始める。消防署に緊急連絡を入れたものの、最上階ではいまだ火事の件を知らずに落成式の式典が華やかに行われていた。ロバーツから最上階の社長に来賓の避難を勧告するのだが、社長は一向に耳を傾けず、そのままセレモニーを続行しようとするのだった。この作品は、当時のパニック映画としては最高のものなのではなかろうか。臨場感に溢れているばかりではなく、無駄のない演出、脚本。パニック映画にはありがちなオーバーリアクションも感じられず、一つのテーマを手堅く表現している。作中、「えっ? この人が死んでしまうの!?」と、意表を突く悲劇に見舞われる。たいていのドラマの筋書きなら、どうにか最後まで生き残って愛する人とハグしてジ・エンドとなるはずなのだが、この映画に限ってはそんな一般性を許さない。これこそがパニック映画の醍醐味とも言えるだろう。さらに、出演者の顔ぶれに驚いてはならない。そこに立っているだけで圧倒的な存在感をかもし出す、2大スターの共演も見逃せない。 最初から最後まで、視聴者を飽きさせないダイナミズムを披露してくれる映画なのだ。 1974年(米)、1975年(日)公開【監督】ジョン・ギラーミン【出演】スティーヴ・マックイーン、ポール・ニューマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.22
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「ごめんなさい。」「(あなたは)助けてくれたじゃないの。・・・(それにしても)警報が遅いわ。サイレンが鳴ったと思ったら(竜巻が)来たのよ。避難する時間もなかった。」火山列島である我が国は、常に火山性の地震や台風などに悩まされている。規模にもよるが、被害を最小限に食い止めるにはやはり何と言っても迅速な情報提供、災害警報の発令である。それにより少しでも早く避難が可能になるからだ。アメリカ南部オクラホマ州において、竜巻を観測する研究者「ストーム・チェイサー」と呼ばれるチームがある。元メンバーで気象予報官のビルは、現役で活躍する妻のジョーと離婚を進めるために、書類にサインを求めて竜巻観測の現場へやって来る。ジョーのチームはビルの発案で開発された観測装置「ドロシー」を用い、実験に臨んでいた。ビルはライバル研究者の動向が気がかりで、すでに現役ではなかったもののジョーのチームに同行し、「ドロシー」を竜巻の直下に設置することを手伝う。そんな折、巨大な竜巻が出現。最大級F5クラスの竜巻が街を破壊し尽そうとしていた。最近ではまず見受けられなくなったが、昔は台風が接近すると近所の子どもたちが大はしゃぎでビニールボートを浮かべて遊んだり、傘を裏返してキャッキャッとふざけ合う姿を見たものだ。今思えば何と無防備で怖いもの知らずなことをやっていたものだと思うが、この作品は正に、研究観測とは言え、そういうアドベンチャー精神を多いにくすぐられるものだ。竜巻に向かって直進して行く姿など単なる“勇猛果敢”という表現だけでは収まりきれない。“物好き”とか“好奇心旺盛”とか、少年少女のような無垢な精神を垣間見ることができる。ドラマチックなシーンやストーリー性は期待できないかもしれないが、CGを駆使した巨大竜巻に舞い上がっていく家畜や建物、それにトレーラーなどはリアリティーにあふれ、思わず息を呑む。研究チームがわいわいお祭り騒ぎで竜巻を追跡していくシーンなど、アメリカ的豪快さで多いに楽しませてくれる映画なのだ。1996年公開【監督】ヤン・デ・ボン【出演】ヘレン・ハント、ビル・パクストンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.14
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「米国はチェチェン紛争をあなたの“弱点”と見ています。」「チェチェンは犯罪国だ。罪のないロシア国民を攻撃している。米国には関係ない。」 「情勢の安定は我々の問題です。チェチェンの平和もそうです。だからこそ率直に申し上げるが・・・あなたと軍の関係も我々の問題です。」広島・長崎の原爆投下後の惨状をリアル体験で知る人は、爆心地からだいぶ離れたところの方々がご存命であるに過ぎない。あとは、当時の資料やGHQの撮影した写真などからその凄まじい被爆実態を想像するしかないのだ。これだけデジタル化が進んで、CGを駆使してより精密な映像を提供できる時代になったにもかかわらず、真実を語ろうとしない作品があることも確かなのだ。たとえそれが娯楽性から逸脱するものであるにせよ、「核」をテーマに扱う映画ならば、決して真実から目を背けてはならない。ロシアではチェチェン紛争に関して強硬派のネメロフが大統領に就任。チェチェン問題を憂慮した米国は、両国の緊迫した情勢を改善するためCIA長官のキャボットと、博士号を持つ情報分析官のライアンを補佐役に就け、ロシアに派遣する。だがネオ・ナチがこの問題を利用し、テロ活動を画策する。そんな折、スーパーボウル開催中のボルチモアのスタジオで核爆発が起きる。さらに、ロシアの反乱組織が米国の空母を攻撃。これにより、アメリカはロシアが宣戦布告したと見なす。本土を核攻撃されたアメリカは、恐怖とパニックに陥ってしまう。この作品で注目すべきは、世界平和というものが核によって維持されているというイデオロギーが、確実に存在するということだ。平和という理念が、自国の防衛にあるというのもまかり間違えば大変な結果をもたらすのだ。自国の防衛→軍隊の強化→核抑止力この図式は背筋が寒くなる。だがこれが現実なのだ。このイデオロギーを何とかしなければ第三次世界大戦は免れない。これは正しく“最終戦争”を引き起こしかねないからだ。主人公のライアン役を演じたベン・アフレックは、独自の軽さを活かして好演。重厚な演技を披露するモーガン・フリーマンとは絶妙なバランスを保っていた。「グッド・ウィル・ハンティング」でもマット・デイモンとの息の合った共演は見事で、脇役に留めておくのが惜しく感じられるほどの存在感だった。ベン・アフレックの今後の活躍を期待したい。2002年公開【監督】フィル・アルデン・ロビンソン【出演】ベン・アフレック、モーガン・フリーマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.07
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「下の階に戻って別ルートを探そう!」「そんなものあるか! 戻れば死ぬぞ!」「探せばあるさ。」「行けよ! 俺は渡る。」「何か手が?」「ない! だが何としても渡る!」人は突然のパニックに襲われた時、一体どんな行動を取るのだろうか?安穏とした日々を暮らす我々が、頭の中でチョイチョイと思いつくような想像なんて、はるかに上回る壮絶極まりない地獄絵巻なのだろう。だが、皮肉なことに天災だけは人々に平等に襲い掛かって来るから誰も文句のつけようがない。金持ちであろうが貧乏であろうが、老人であろうが子供であろうが、時を選ばず、場所を選ばず、そして人を選ばずに襲い掛かって来る。誰も予測できないし、誰も止められない。この作品は、パニック映画を得意とするペーターゼン監督の渾身の映画である。やれストーリー性がないだとか、ヒューマンドラマが省かれているなどと酷評する前に、特殊効果を駆使した迫力あるパニックシーンを堪能してもらいたい。ポセイドン号の乗客は、新年を祝うために乗船。そこには豪華でゆったりした旅を楽しみたい人々で溢れていた。大晦日の夜は、乗客の誰もが華やかに着飾り、パーティーを心ゆくまで楽しむのだった。 時計が0時の鐘を鳴らすと、宴はピークを迎える。一方、船長室ではある異変に気付いていた。これまでに聞いたことのないような海の唸りが聞えたのだ。すると突然、巨大な異常波浪が出現。ポセイドン号は回避する間もなく波に呑まれてしまう。あまりにも急なことに、船内は騒然。波の衝撃で船は転覆。全てが逆さまになり、乗員乗客が次々と亡くなっていった。シチュエーションが大晦日の夜という設定は、とてもおもしろい。人々は誰もが新年を迎えるにあたって何の危機感もない。明日があることを信じて疑わないのだ。だが天災は、ある日突然やって来る。その時、自分はどうしたら良いのだろうか?善人でいられるだろうか?溺れそうな誰かに救いの手を差し伸べたら、あるいは自分まで道連れにされてしまうかもしれない。ここでは、人間の本質的なものをイヤというほどえぐり出してくれる。そして、真の人間関係が試されるのだ。2006年公開【監督】ウォルフガング・ペーターゼン【出演】カート・ラッセル、ジョシュ・ルーカスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.04.21
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「この数週間、自然の破壊力の前で、人類は己の傲慢さを思い知りました。我々は地球の資源は今までどおり使い続けてよいのだと考えていました。間違いでした。私も含めて。今私が話している所は、隣国にある大使館。新たな現実を迎えた証です。アメリカ人、そして世界の大勢の人々が“途上国”の庇護を受けています。助けの手を差し伸べてくれた彼らに、心から感謝を捧げます。」「地球温暖化現象」という深刻な環境問題は、すでに耳慣れた言葉であり、今さらそこに斬新な切り口は見つからない。しかし、この問題を娯楽としての映画にさえテーマとして掲げずにはいられないほどに、地球の病巣は深く、根強いものになっている。大衆に喚起を促し、最善の選択を呼び掛ける手段として、最も効果的なのが「映画」であった。この作品に甘いストーリーなどは期待できず、わくわくするようなアクションも見られない。二酸化炭素の大量排出に伴う地球温暖化によって、海流の急変が起こり、地球に氷河期が訪れる。東京では巨大な雹が降り、ロサンゼルスでは巨大なハリケーンに見舞われ、ニューヨークでは巨大な高潮が押し寄せる。古代気象学者のジャックは、ニューヨークに取り残された息子のサムを救出するため、悪天候の最中、強行突破する。「デイ・アフター・トゥモロー」をSF映画として捉えた時、その緻密な特殊効果に驚愕してしまう。そして作中のあちこちに、あるメッセージを浮き彫りにさせる演出が組み込まれていることに気付く。公立図書館に避難したサムとその友人たちが、暖を取るために燃やした価値ある書籍の数々。街をゾロゾロと歩く人の列を見て、我先に逃げ出そうとする群衆心理。携帯電話がつながらない中、公衆電話は通話が可能であったこと、などなど。それらを一つ一つ検証していくことで、この作品が一体何を言わんとしているかを想像することができるはずだ。2004年公開【監督】ローランド・エメリッヒ【出演】デニス・クエイドまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.01.29
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