クラシカル・・・
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
今日は土曜だったので、寝坊してしまって、、、(一旦、朝、6時頃起きたのですが)ちゃんと起床したのが11時頃でした。で、ふとTVをつけると、NHKのBSハイビジョンで「カラヤン特集」をやっていました。カラヤンといえば、僕がクラシックを聴き始めた頃の「定番」中の定番で、「いもたこなんきん」というか、「巨人大鵬卵焼き」というか(・・ちなみに僕は大鵬時代の人間ではありません。伝聞です、、)、まあ、そんなある意味「ありふれた」いえ、「ちまたにあふれてる」そんな存在でもありました。後年、自分がオーケストラでホルンを吹く機会を得た後に、改めて、カラヤンと特にベルリンフィルとの演奏を聴くと、そのすばらしさに(各パートが「判っている」また、「最善を尽くそうと演奏している」様子、&「全体」を形作っているバランスなど)に圧倒されたものです。その頃には既にカラヤンはこの世の人ではなかったのですが。今日のプログラムは特に午前の部で、リハーサルやドキュメンタリーをやっていたのですが寝坊してしまったので、少ししかみられませんでした。が、リハーサルの様子がいたるところで映されていて、それも、つくりこんだものではなく、合唱団(おそらくセミプロの)も含めて大勢の人たちに指示をしている様子や、ベルリンフィルの錚々たるメンバーたちとの演奏会前(?)のパーティでの発言(乾杯の挨拶)の言葉や表情、そして、リハーサル中、オケを大爆笑させるようなジョークなど、、、、音楽家、歴史に残る巨匠が音楽を創造する現場、、、というよりも(もちろん、それもあるのですが)、超有能な「管理職」という印象がものすごく圧倒的でした。まず第一に、オケだけでも100人ほど、合唱も入れたら、300人くらいになろうか、、という現場で、一人で指示を出す、その「圧倒的な数」への指示の様子。(それも、服装の段取りまで伝えてる様子(当然、一旦、ワヤワヤと騒がしくなっている舞台の真ん中で))そして、第二には、ベルリンフィルという、各楽器の奏者は全世界に孫弟子も入れたら、それぞれ数百人ずつくらい弟子はいようかという「超一流の奏者」「プロ」の「集団」に対して、完全に「優位」の立場から、「余裕」も示しつつ、練習中は音楽的に自分の意図を指示し、(「指示する」ということは、たった今奏者達が演奏した方法とは違うやり方を「指示」するということ)また奏者の有給の時間である練習中に「リラックス」しながら(ストーリー性のある)ジョークをとばして本気で団員が笑う雰囲気まで持っていく、、(笑っている団員は、それぞれ、孫弟子まで入れたら世界中で、、、(以下同文))オーケストラの団員に対して、ここまでの圧倒的な立場を(大フィルの朝比奈隆や、戦後しばらくのアメリカのオケと指揮者のように、指揮者が団員の解雇するくらいの権力を握っているならともかく、ベルリンフィルはそうではなかったのに)認めさせることは、いえ、オケでなく、一般の集団で、ここまで一流のプロフェッショナルに、自分の意図を受け入れさせ、かつ、それにより、「個々の総和」より以上のものを産み出すことは、ものすごい管理能力(単なる、手綱さばき的「管理」という意味でなく、真の管理・マネージメント・ディレクション)だと、「現場風景」を見て思ったのでした。「超有能な実務家・ディレクター」としてのカラヤン。この様子を見ると、同じ「天才」バーンスタインが、ニューヨークフィルの音楽監督だった頃、人気は絶頂だったけどオケの合奏能力が酷くレベル低下してしまったのと、カラヤンがベルリンフィルを、引き継いだ時点よりも遥かに合奏能力を向上させたスーパー集団(フルトヴェングラーよりどうか、、ということは置いて)にしたうえで、その彼らに「自分の表現」の協力者にしていたこと、、との対比は、なるほどと思います。論評の当否はともかく、カラヤン当時、カラヤンとベルリンフィルを貶すときによくいわれたことのひとつは、「ベルリンフィルはカラヤンのいいなりで、カラヤンが振るとすばらしいかもしれないが、みんなカラヤン風になる」というようなものでしたが(これがフルトヴェングラーがフルトヴェングラーらしかったことは批判の対象じゃなかったのもよくわからないハナシですがそれは置くとして)、ほぼ全員が「自分は世界でトップクラス」と思っている芸術家の集団に対して、それも、あくまでも自主運営のオーケストラ(ベルリン・フィルもウィーン・フィルも)に対して、そうしたことができるのは、ありえないほどものすごい「管理能力」です。ドキュメンタリーでも、ドラマでも、そこに映っている出来事や、人に対し、そのどれに、だれに興味を持つか、自分を重ねてみるか、どの立場にたって受け止めるか、、、は、その見る人の「状況」をよく示すように思います。今日、カラヤンのドキュメンタリー(の一部)を見ておもったことについて、おもったこと、、、はそんなことでした。カラヤンが、往年の巨匠、、とか、大芸術家、、というより、自分と同じように「職業人」として、全力で生きているプロフェッショナル(世間の評価や地位や才能とかは置くとして)として、ある意味、「同じ立場の人」とおもってみていたのでした。このことは、惜しくも最近、放送が終わってしまった、NHKの朝のドラマ「ちりとてちん」でも感じていたことでした。若い頃見ていたら、きっと、弟子目線、、和田喜代美目線、、だったと思うのですが(主人公やし)、完全に、当然のように、師匠が弟子を育てる目線、、すなわち、草若(渡瀬恒彦の役)の目線で見て、同じように、「そうそう!!」とか思っていたのでした。子育てしていたら、きっと、このドラマとてもよくできているので、「お母さん」や「お父さん」の目線でも(特に描写はお母さんの描写が秀逸で克明でしたが)ものすごくよく見られたことだろうなあ、、とも思ったものでした。(一方、親子という意味では、自分が親にしてもらったこと、親に対して若い頃、浅はかな、真の思いやりを欠いた言動をしたこと、、などは、いろいろ、このドラマの主人公を通して、思い起こされることは多かったです。)まあ、しかし、カラヤン、、、今見ても、カッコええですね。一方で、「晩年のカラヤンは体調を崩し(椎間板ヘルニアの激痛に常時悩まされ)、晩年の5年ほどにベルリンフィルに入団した奏者は、ただ彼のことを、不機嫌な老人、、と思ったかもしれない。」という元団員の言葉は、人の一生という意味で、ある意味重たかったです。とくに社会的な仕事をする者にとって、「老い」は、これほどの「天才」にして「超有能な実務家」に対しても、容赦なかったのだな、、、と。。。
2008.04.05
コメント(4)