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今日は、日帰り東京でした。用件は5時半ころ終わり、「神楽坂」の横だったので、予備知識ほぼゼロですが、みるからに何かありそうなので歩いてみることにしました。まず地形。微地形というか起伏にとんだ街で、JR飯田橋駅から、まっすぐ、幅10メートルくらいの両側にお店が軒を並べる通りが延びていて、直線的にグッと上り坂になっています。「下町の通り」といった賑わいです。「商店街」でもあります。ただしアーケード街ではありませんし、両側歩道で通常は自動車が走っています。(ホコ天にする曜日・時間帯があるので、東京の人はそのイメージをするかな、と想像はしますが。)「門前町」っぽい、ともいえるかもしれません。仏壇屋が多いとかではないですが。なんとなく「まとまり」がある。 ただ並んでる、というのでなく。実際に歩いてみると、脇へ伸びる通り(路地)沿いにもお店があります。みかけよりも、起伏はかなり複雑なようで、大まかに言えば、「尾根」の部分が「通り」になっている、ようです。横道は、グッと下がるとこもあり、そこにまた石畳があったりして、「風情」があります。察するに、関東大震災や、東京大空襲で、焼けなかったのか、、それとも、焼けたにしても、根幹のところが残ってその上に再建したのか、、、でしょう。(焼けなかっただろう、、、と思わせる建物がちらほらみかけられます。)お店が並んでいるところを形容するとき、よくあるのは、「家具屋街」「電気屋街」「衣服屋街」または「食堂街」「歓楽街」など、、、業種でみることができますが、その意味では、実に混在していて、飲食がかなり多くありながら(和、洋、中、、、)、雑貨、履物、衣服、もちろん、食料品、、、この「神楽坂」おおまかにいえば、交差する太い道によって、2つの区域(区間)に分かれています。そして、飯田橋寄りの区間は、飲食・最寄品系が多いかもしれません。サラリーマン・来訪者系、、、地形的な文脈というか、「クライマックス」感、、でいえば、当然、「坂」の場合、「上りきったところまで」つまりは「頂上」が、ひとくぎりになる、、、はずです。この「頂上」にはお寺があり、「ひとくぎり感」がかなり出ています。確かに、気のせいか、「飯田橋寄り区間」のうちでも、「頂上」にあるお寺の近くの部分までが、特に、「サラリーマン・来訪者系」の「やや繁華街的」な感じがします。言い方をかえれば、おそらくは、賃料も高く、比較的、更新・入れ替わりがあって、収益性が高いものになり勝ち、、ということかもしれません。で、この「頂上」を過ぎると、一瞬、「ああ、ここまでが、神楽坂か、、」と思わせるのですが、このあたりから、まだまだ、和装のお店なり、雑貨なり、「通り」は、鄙びずに続きます。このあたりが、東京らしい(経済的に栄えている大都市らしい)、、さきほど、業種的には雑多、、といいましたが、アトリエ、創作陶芸などの類は、そこここに眼につくのがやや特徴かもしれません。脇道に入ると、、そして、「地下鉄神楽坂駅寄り区間」に入ると、よりこの傾向がある気がします。あとは、和装、骨董、陶器など、、の類も。で、「業種」による特徴、、、とは別の見方としては、やっぱり、「グレード」でしょう。「グレード」といっても、「良い店があるか」とか「おいしい店があるか」なんてことはわかるはずもありません。ただ、雰囲気としての、ハッキリいえば「客単価感」、、、が、「中から上」のイメージをかもし出してます。言い方を換えれば、「グレード感を、ちゃんと保っている」気がします。これは、「繁華街化」したりして、ついつい特徴を失って、いつしか、グレード感を失ってしまう、、ということに今のところなっていない、、、これは、「特徴感」ともいえるかもしれません。実際に特徴があるかどうか、、より、"特徴がありそう"な雰囲気 ということなのですが。そのベースの上に、、または、そのベースをつくっているのかもしれませんが、「割烹」「和菓子」「パティシエ」がそこここにあります。そして、脇道・路地沿いにもあって、街に「懐」の感覚を抱かせます。「オモテどおり一本でオシマイ、、じゃないよ、、、」と。大阪の多くの「街」は、これらの点で、大きく損なわれている場合が多いのですが、この「神楽坂」は、おそらくは、「飯田橋寄りの区間」のさらに駅から頂上までの区間、、がさらされているリスクを、残りの4分の3が、支えている。 言い方を換えれば「分担している」ということなのかもしれません。実は、この「神楽坂」、、飯田橋から地図も見ずに歩き出すと、途中で、先の「頂点」でのお寺もあって、あとは下ってきて、太い道(&信号)、、、「ああ、ここで終わりやね。」と思わされます。もちろん、信号の向こうにはまた「商店街」があるのですが。「向こう街」なのかな、、、と。しかし、実は、ここからが、より「神楽坂」なようです。こちらに入ると、より、「生活色」というか、「地元色」が出ます。といっても、「地元そのものが、決して、貧民街や単なる大衆居住地じゃないよ」という雰囲気を漂わしてはいますが。また、一方で「音楽の友」社の本社が、びっくりするほどこじんまりかつ平然と「軒を連ねて」います。新潮社も交差するやや太い道沿いにあるみたい。神田神保町に集まってるのかと思いました。出版社。飲食店は、やはり、それなりの店っぽいところ。ただ、この区間になると、より落ちついた風情をみせているのに、逆に「割烹」風、「江戸時代から続いているような風」という飲食店は気づきませんでした。どちらかというと、「腕に覚えのある人」「こだわりの人」がお店を構えて、「安くはないが、手は届くくらいの、ちょっと良い物食べたいのなら」というような雰囲気の(雰囲気ですよ、、)お店のラインになる気がします。これは、脇道も含めて。で、アトリエや、創作小物などのラインのお店がある、、のともイメージがつながる気がします。荒い印象としては、「クリエイトしていく者たちの(ただし生活に接点がある程度で、トンガリすぎない)街」というような雰囲気。。。結果論かもしれませんが、こうした「イメージの文脈」がお互いに、阻害しあわず、協調した集積がなされる、、、と「街」の雰囲気が、産み出されるのですね。で、歩いていくと、やや太めの(といってもほとんど人しか歩いてない)道が開けて、「赤城神社」という字が眼に入ります。建物は、普通の赤い神社、、という感じですが、ふと開けた場所に、「参道」と「森」が印象的です。建物の新しさからみて戦争で焼けたのでしょうか、、、もしかしたら、この「地下鉄神楽坂寄り区間」は、空襲で一旦焼けたから、「代々の割烹」的なものは無いのかも、、事実関係は知りませんが。そうとしたら、やはり、「乱雑」にならずに「街」を形成しているのは、(かといって、さびれず)大したものです。境内は広くはないですが、参道の石畳がすっと伸びているので(距離そのものが長いわけでないですが)きれいで、落ち着いて見えます。やはり、石畳はずっと昔からのもの、、という風格と落着きがあります。このあたりは、「お祭り」が盛んなのでしょうか?ちゃんと数えなかったですが、いろんな「町」(ちょう)の、おそらくは山車か神輿を格納する「蔵」(大阪でいえばだんじり小屋)が、10くらいは並んでいたように思います。神社を抜けるともう普通に住宅がならんでいるのですが、実は、この神社、「高台」の端にたっているようで、抜ける手前に、急な石の階段があって、鳥居がたっています。どうも、南南西から北北西に走る崖か断層の端あたりに位置するようです。昔は、この階段の下の地域からみれば、「高台に鎮座するお社」だったのかもしれません。階段を下りてみると、三叉路(たぶん)で、どちらも坂です。説明する碑が立っていて「赤城坂」とのこと。神社の名前から来た坂の名前だそうで、「車で行くのは(この場合、荷車のことでしょう)やめたほうがよいですよ」というような昔の記述があるそうです。明治期くらいの記述でしょうか。で、三叉路のうち、神楽坂の方へ返す道だけが上り坂です。確かに結構、急。で登って、T字路になった正面に、「亀井堂」とあります。建具や柱を深緑に塗って、パン屋さんのようです。みてみると、クリームパンが有名!!!とあります。隣は、「あのクリームパンで有名な亀井堂が開いたレストラン」とのことで、こじんまりとした、ビストロ風のお店(外観の印象)です。小腹もすいていましたので、ここは、クリームパン、、、ぜひ、、とおもって、中に入ると、クリームパンが10個ほどならべてあります。(もちろん、他のパンもいろいろ)で、「人気商品なので、おひとりさま、5個まで」とあります。おみやげにしようにもカバンは既に書類でパンパンで、ウチまで無事にもってかえることはムリやし、、、おみやげはあきらめて、「ひとりゴッチ」にします。1個200円。お店の方も丁寧で感じのよい応対。大のオトコが、クリームパン1個、、の袋をぶらぶらさせて、お店を出て、、、の図です。出てみると、実はこのお店の通り、先の、赤城神社の前を横切る通りでした。で、神楽坂に返すと、実は、このあたりが、地下鉄神楽坂 でした。さらに進むと、戦前からの和菓子屋さんらしいお店と住宅が、、、、「清水」という屋号のようです。ここまで来ると焼け残った、、ということか。地名は「牛込」とかになっています。まだまだ、「街」は続くのですが、「神楽坂」は一応このあたりまで、、、ということのようでした。帰りは、裏にまわってみたりして(普通の住宅地にすぐなったり、また、意外なところで急坂や崖(=階段)になってたり、、)行き来しながら、帰ってきました。背中に書類や図書を詰めて大体1時間半、、、あるきまわったのですが、先のクリームパン、さすが、本格的な「カスタードクリーム」がたっぷり入っていて、大きさもかなり。なので、空腹に悩まされず、、、というか、やや、短期的な「満腹感」というか「飽和感」(おそらくはカスタードクリームとそのバニラかの香り)と共に歩いた、、、のでした。これまた大のオトコが、ファーストフードよろしく食べながら(といってもさすがに恥ずかしいので、場所を選んで、やや早めに、、ですが)、、、忙中閑あり、、、ということで、ほんのちょっと、、、いきあたりばったりの「一見さん」の「超小旅行」でした。なお、以上の記述は、今日行って、ぶらぶら歩いて、その印象を今、かきたくなってかいてるだけなので(歩いてる段階で何か記録したり分析しようとしたのではない)、かなり、推量だらけ、まちがいもきっと仁和寺の僧都並みにあるだろうことを前提であたたかい心でおよみくだされば幸いです。
2008.07.17
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昨日久々に、ザ・シンフォニーホールに行きました。このホール、関西のホールの中ではピカイチと思いますが、最近は苦戦を強いられている模様、昨日も7割入っていなかったかな?大阪と兵庫で客の取り合い。関西はこんなところでもなかなか「共同」しません。曲目はスメタナの連作交響詩集「我が祖国」全曲。演奏はプラハ放送交響楽団。指揮はヴラディーミル・ヴァーレク。作曲家にはそれぞれ、リズムの処理とかにクセがあり、スメタナは、民俗音楽のリズムを(音階も?)用いたり、楽器の受け渡しが、「通常のドイツ音楽」でやる方法とはまた一風異なるやり方をしたりするところもあり、「慣れ」は必要な音楽のような気がします。楽譜というものは元々「西洋音楽」のかなり特定されたものを記すためのものなので、「それら以外」を記述するには限界かムリは生じます。そもそも、音階が平均律以外ならお手上げですし、また「小節」というもので「定期的に同じ強さが繰り替えす」というものでなければ、「注釈」が必要になります。変拍子やアクセントはその一例で、これらが頻出するほど「複雑で判りにくいもの」に「西洋音楽」から見るとなってしまいます。(相撲の「触れ太鼓」でも、楽譜にして、楽譜を読んで、パーカション奏者が叩こうとすると大変かと、、、)先日、ジュリアード弦楽四重奏団のバルトークの全曲演奏の模様を放送してた折に団員が、「バルトークの曲のリズムは楽譜にして見ると本当に難しい。民謡のリズムを用いているので、多分、ハンガリーの人ならカンタンなんだろうが。」とのこと。メンバー変更はあるとはいえバルトーク演奏史に残る団体のメンバーからの正直な発言はすごい!と思うとともに、やはりリズムパターンひとつとっても、民俗音楽を「移植」してきていることでの難しさ(でもバルトークの「味」)があるのやなあ、と感心しました。で、昨日のスメタナです。我が祖国の全曲は、そういった若干のオケ側のムリがかかる面があり、また、1時間以上かかる全6曲のうち、冒頭の2曲のみが突出して有名とあっては、全曲が乗りにくいのもやむをえないところではあります。僕もナマでは、以前、チェコ・フィルが来たとき、アシュケナージで聴いた1回のみでした。チェコフィルとしてはおとなしい演奏でしたが、それはそれできれいにまとまっていたので、僕としては満足した体験でしたし、なにより、ナマで聴くとはじめて気づくことがいっぱいありました。(上に書いた、意外な楽器法による、音量の変化・対比、音色の対比など(のオモシロさと難しさ))演奏は、特に冒頭の2曲を、かなり速めに、タメも作らずに進めていきます。「淡々と」といってもよいくらい。でも、安心して聴けます。冒頭のハープは、指揮はせず、ハーピストのテンポのカデンツァとして始めました。ザ・シンフォニーホールの空間に、澄んだハープの響きがきれいにひろがります。これはもう、ナマでしか絶対に体験できないものです。このドキドキする瞬間!!続くホルンは僕の席の真下なので、ベルからの直接音に近い音が間近に聞こえてきます。立ち止まらず、どんどん、テンポを刻んでいきます。トランペットは比較的、ハッキリと固めの音で演奏していました。全体に、ピアニッシモは余り小さくなく、全体にメゾピアノとメゾフォルテからフォルテッシモくらいの間で演奏するので、若干、音楽の表情が平板に聞こえなくもないなあ、、、というのが前半の印象でしたが、全体を通して聴くと、前半の有名曲2曲をあくまでも全体の開始部分として位置づけて、後半に向けて盛り上げていく、というようなものだったようです。またもともと「オペラチック」な指揮者ではないのかもしれません。それに、冒頭2曲は、あまりにも「標題」がはっきりしすぎているので、それをそのまま思いいれたっぷりにドラマティックに演奏するには、この彼らにとって、何度も何度も演奏した曲は、気恥ずかしいのかもしれません。これら超有名曲の2曲も含めて、いろいろと複雑なリズムが絡むところや、細かい楽器の受け渡しが多いのですが、ところどころ、さすがにナマなので、一瞬乱れることはありますが、すぐに自然に立て直して、破綻やアタフタとしたようなところがありません。トータルでのリズムやフレーズのまとまりのイメージが共有できているからでしょう。第3曲のシャールカ以降、リズムを激しく刻む速い部分と、静かな、主に木管のソロやアンサンブル(クラリネット2本、、とかが多い)、または弦楽のパートを順番に受け渡していく「開始フーガ」っぽい部分が、いれかわりながら、さまざまな情景描写(といっても、ヴルダヴァ(モルダウ)ほどは直接的ではない、、、はず)を重ねていきます。特に最後の2曲では、急進フス派であるターボル派のコラールのテーマを軸に、最後はほとんど「民族賛歌」のように高らかな「大団円」を築き上げます。この2曲によって、それなりに各々に「起承転結」のある交響詩からなる「連作交響詩」が、「全6曲」という統一感をはっきりと与える構成です。ああ、しかし、たとえば、小学生の頃(1970年代)だったら、「圧制に苦しむ民族が、民族自決を求めて立ち上がって、独立を勝ち取る」ということが、単純に「良いこと」とされ、「支配者=悪、 独立闘争する民族=善」となっていて、さしづめこの「我が祖国」などは、ソ連(=悪)に抵抗したいチェコスロバキア(と当時はまとまっていた)の人々の思い、、、みたいななぞらえもされていたのですが、、、今みたいに、バルカン半島からルワンダ(ツチ族・フツ族)は言うに及ばず、各地で「民族の独立」を求めて、民族同士が殺し合い、お互いが加害者になり、被害者になり、、、ということを見ると、「平和」と「支配」の関係も単純ではない、、、とも思えてきて、、、チェコスロバキアなど、一応、チェコとスロバキアの二国・二民族が「平和裡」に分かれたからよかったようなものですが、よきにつけあしきにつけ、「共存」してきたこのニ民族も、民族自決を是として、「独立」してしまいました。。。これで、もしどちらかが「イヤ!」と言っていたら、殺しあってでも独立すべきものだったのかどうか、、、(クーベリックが振ったとき、ハベル大統領は、 チェコスロバキアの大統領、、でした、、、)まあ平和でよかったです。そんな風に、価値観もいろいろ変化しますし、そもそも、「民族」の定義もとらえよう、、、、ともいえるでしょうし、「支配」の定義も、どのみち昔は「民主国家」ではなかったわけですから、ハプスブルクの支配がそれほど「圧制」だったのかどうか、、、あのマリア・テレジアは、女帝となったハプスブルク家の帝国を潰そうとして起こした、「継承戦争」に対抗するために、帝国内のハンガリー王国の首都プラチスラヴァ城(今はスロバキア)に入って、ハンガリーを守る!!ことを誇示して、「議会」の(軍事的な)支持を受け、「帝国」の一体性を保ったりしたくらいですし、、、(一応、彼女がハンガリー王(歴代兼任)の戴冠をしたときのことだそうで)ましてや「国家」なんて、とても人工的なもの、、、それもそれほど、深遠な哲学的な意味ではなく、ヨーロッパですら、ここ1~2世紀くらいの概念、、とも考えられます。「国家」の定義、、ってありますよね。領土、主権、国民、、、でしたっけ?定義せなあかんようなもん、、、ってことですよね、、、そんなわけで、「音楽」に比べて、「社会思想」は比較的わずかの間に変化するので、音楽は音楽として、、、というところが、結局のうけとめかたなのかもしれません。それが音楽のよいところ、、、ともいえるかもしれません。閑話休題、、さて、金管楽器は最後までパワーは衰えません。オケのローカル色については、音色という意味では、むしろ、ニュートラルかもしれません。ホールが同じとはいえ、席が違うので、客観的な比較とは行きませんが、チェコフィルとくらべてもニュートラルかも。また、昔の東欧の特徴だった、管楽器(特に金管楽器)のビブラートもあまりありません。もっとも、チェコ・フィルでも、かつて十代で首席ホルン奏者に就任したラデク・バボラクは、ミュンヘンフィルの首席を経て、今、ベルリンフィルの首席ですから、「目指すもの」が変化してきた、、というものなのかもしれません。でも、そうした「ローカル色」はともかく、特に、木管はクラリネットを中心にとてもきれいでした。かなりな水準と思います。音色も整ってそろっていて、和音も、フレーズもとてもきれい。さすが!!!です。本当に。ホルンのトップもこの曲は、比較的ピアノで剥き出しの高音のソロが後半以降多いのですが、安定して優秀でした。楽器は、おそらくは、トリプルホルンを使っていたようで、ディスカウントホルンらしい(違ってたらすみません)細身の間違いの無い、少しだけ「ホルンらしさの少ない(とっても昔のように「コケてもOK」という時代ではないですから仕方ないですね)」ノーミスの演奏でした。トランペットはやや昔の東欧っぽい、押し出しの強い堅い音で、かつトップ奏者がやや目立つ形で演奏していたようです。全体に整った、聴きやすい演奏ですが、最後に向かって、どんどん緊張感を高めていって、迫力と祈りと願いに満ちたフィナーレにまで至り、金管楽器は最後まで余裕を持ちながらも、きれいに大迫力で締めくくりました。これほどの曲を演奏したら、(確かに、1回のコンサートとしてはややトータルの時間は短いですけども)アンコールはしないのかと思っていたのですが、つかつかと戻ってくると、ドボルザークのスラブ舞曲 第2集から第1曲(スラブ舞曲集第9番 ともいう)でした。のびのびと、おおらかに、全体にフォルテ寄りで、活き活きと演奏されます。クラリネットの楽譜が、1stと2ndが入れ替わっていたようで、吹きながら、ふたりが楽譜を交換していたのが、「楽隊」っぽくて面白かったです。(ブラバンとかではよくある光景ですよね。。)また、トランペットも、アンコールでは、「もう、セーブせえへんでも、最後やもんね!!」的な開放的このうえない、まあ「思いっきり吹き」をしていたのがまた曲調にも合っていて、楽しく、伸びやかかつ華やかにコンサート全体が締めくくられました。しかし、本当に、通して聴くと、とても、すばらしい曲です!!美しく、変化と慈しみに満ちていて、ドラマチックで、しかも、最終的には「肯定的」(聴覚を失っていたのに)!!そして、ライブで聴ける「我が祖国」としては、さすが本場の熟練した演奏、、、とても良質な演奏に触れることができました!!!ちなみに、特にドラマティックな演奏(ただし自然なもの)としては、クーベリックがチェコフィルを振った、プラハの春 のライブがあります。ライブならではの、アンサンブルのほころびもありますが、それでも、もう「熱にうかされた」といってもよいような独特の熱気が全体を貫き、独特のものになっています。(その意味では、その10年ほど前にバイエルン放送交響楽団と録音したものをちゃんとまた聴きたい、、と思っているところです。例によって放送録音では聴いたことあるのですが録音状態がよくなかったため、演奏の印象も薄かったので。)そのクーベリックが、奇跡の復帰を遂げて、実は1度だけ来日し、このザ・シンフォニーホールでも、「我が祖国」を演奏したことがあります。その後すぐ彼はまた引退し病没したのですが、その演奏会、いけなかったこと(いかなかったこと)はいまでも悔やまれます。大阪、ザ・シンフォニーホールでも、そうした歴史的(音楽上のことですが)な事件がおきた時代もあったのです。。。
2008.07.06
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