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NHKサラリーマンNEOの「サラリーマン体操」でもおなじみのコンドルズの公演、年末恒例の京都アートコンプレックスでのものに、昨日、夜の部、行ってまいりました。コンドルズの公演は一昨年に行ったっきりでしたが、昨年は、近藤良平さんのワークショップに、春と夏の2度、参加させていただく機会があり、(1回もののもので、「合宿」ではないですが)TVサラリーマン体操での洒脱でコミカルな表現とも、また、舞台でのちょっとマニア・固定ファン向き(?)というような表現とも異なる、というか、その基礎・根底となる、身体やそれを動かす意識への気づきと、その面白さを、とても、具体的かつプラクティカルに面白くわかりやすく伝えてくれはるものでした。子供も混ざった超初心者ばかりが相手でも、接するもの・出会う人・見る出来事のすべてに対して関心をもち、観察し、とりいれたり、反応したりしていく。特に飾らず、尊大にもならず、かといって、不必要にへりくだることもなく、一流のプロ中のプロに共通するものを、しっかりと感じさせていただける時間でした。(これは、ぐん先生の演劇のワークショップでも常々感じることです。)http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200803080000/http://plaza.rakuten.co.jp/classical/diary/200712210000/そんなこともありながらも、昨年一年と今年の夏も、コンドルズの公演は行ってなかったのですが、昨日は、声がけいただいて、急遽、当日券を目指していくことにしたものでした。開演1時間前から、当日券の整理券を配布ということで、その40分ほど前に着いたのですが、まだ11人並んでおられただけのようでした(あとでもらった整理券が12番やったので)。突如、この2日間、やたらと行列ができるのが、地元の人からしたら興味深いようで、並んでる途中で、近所のヨガ教室「Yoga studio TAMASA」というところで、かなり専門的にヨガを教えに来日されてるというダンカン・ウォンという方がその教室のおそらくは先生がたと思いますがお二人ひとなつっこくも上品な女性お二人と共に、やってこられたカタコトの日本語と英語で、何の行列なの?とか、コンドルズって?とか、訊ねてこられました。このダンカンさん、ヨガ界ではかなりなスゴい先生とのことですが、とても気さくで、(& 女性ずき・・・実際僕の前に並んでたお二人の女性もまた気さくでかつとてもチャーミングな方でしたので、まあ当然、、、か、、、 viva! globalism! viva! nature! )おかげで、並んでる時間も結構おもしろかったです。コンドルズや近藤良平さんの説明が結構難しくて、サラリーマンNEOで、ヨガの先生は大変納得してくださいましたが、ダンカンさんには、近藤良平氏は振付師でダンサーでTVにも自ら出ていて、ダンスやコントもやるユニットで、大野和士とともにストラヴィンスキーの火の鳥で子供向けのワークショップもやるなど多彩な活動をしている、身体表現グループだ、、、みたいなことを、口々にお伝えしました。このダンカンさんも、また、一緒にこられたヨガ教室のお二人も、とっぷりお話させてもらえたら、かなり面白そうでした。先の近藤良平さんや、ぐん先生とも共通するなにか、ホンマもんを自分で突き詰めてはる人独特の、物や人に対する懐を感じた気がしました。公演は、このアートコンプレックスの公演がとくに、表現される身体サイズに合ってるのかもしれませんが、とてもみやすいものでした。各演者のキャラクターを知ってるからこそ笑えるような「固定ファン向け」ギャグとか、猥雑な学生演劇風のテイストなどもあえてまぜながらの舞台ですが、とにかく、「身体をつかって、どんなことでも、どんなようにでも、表現してみよう!!」みたいなのがコンセプトというように、僕は受け取って、かなり関心して、あっというまの時間をすごすことができました。また、以前見たときよりも、「固定ファン向け」の比率が減った気もしますし、全体を通しての統一感(をあえて目指してないのは承知のうえですが)もあって、僕としては、素直に楽しめました。ものすごく、身体のキレ、意識した動きが徹底している人から、そこまででもない人まで、混ざりつつも、それらが総和となっておこなう「表現」は、とくにこの会場の大きさで効果を発揮するように思いましたし、また、熟達した方の動きは、本当にスゴいものでしたし、また、それほどでも、、という方でも、もちろん、一般の人間ができるようなことではないことで、「創造過程」が垣間見られようで面白かったです。(「それほどでも」という言い方は失礼でもうしわけないですが、 それぞれに、得意分野をお持ちだけれでも、それがメインになるパートのみならず、 あえて、超得意分野以外のものにも、挑みながら、、、という面があるようだと感じました。)「振り付け」や、舞台での位置どり、、、も、ある意味、内容がシンプルで、とくになにかのメッセージ性があるわけでもない、、、という舞台だからこそ、面白くみることができました。また、意外というか、あとから考えたら当然というか、、、コント仕立てで「ジェスチャーゲーム」をやる、、という半ば「大切り」があったのですが、これが、さすが、日々、身体表現をしている人たちどうしのものなので、素直に、実は、すごい「地力」が出ているなあ、、、と、かなり関心しました。(もし、たとえば、自分がやるとしたら、、、とか想像したら、ただ肉体を鍛錬してないから、、、とかの問題じゃなく、身体に対する発想と、ものごとの表現、、、、のイメージそのものの「ひきだし」がやはり違うなあ、、、と。)コントでのキャラの立たせ方などや、終演後の盛り上がり、交流ぶりについては、かなり、男性のみからなる(かならずしも眉目秀麗な人ばかりではないが「実はスゴい」という男性)集団を、女性が安心して応援し支持し夢中になれる、、、という場という面もかなりあるようで、 (コンドルズとその客層の男女の性別を逆転させて、 「20~50代の女性がセーラー服を着て踊ったりコントをしたりするのを、 何百人もの男性客が詰め掛ける、、」としたら、 社会的評価、、、、は、火を見るより明らかですしね、、、、)そういう面では、「女子更衣室に紛れ込んだ」ような感覚を受ける面もありますが、 (↑あくまでも比喩です、リアルで紛れ込んだことはありません。 ましてや、もぐりこむなんて、、)舞台を見ている間は、そうしたこともおおむねなく、本当に普通に「身体の表現の実験・博覧会」的意味も含めて、楽しめました。ワークショップに参加させていただいた体験があることも、アクセスしやすい理由のひとつかもしれません。久々に見て、やっぱり、この京都公演は、見る価値があるなあ、、、とあらためて思いました。
2009.12.27
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今年も、もう、年末、、、年末といえば、日本では、バイロイトですね? (←「ね」は余計)永年、NHK FMで、年末になると、バイロイト音楽祭の録音を続けざまに流してくれます。あまりに毎年のことなので、結構、ただ聴き流し、、、になるのですが、過去には、「幻」のショルティがただ一度だけ振った(CDにもなってない)年もありました。で今晩は、ニーベルングの指輪 の序夜「ラインの黄金」恒例のライトモティーフのファンファーレが3回まず鳴り響きます。会場でも実際に、開幕を告げるために吹かれるそうなので、以前は、そのライブっぽい音が流されて(ファンファーレは戸外なのですが)、あと、バイエルン放送協会のアナウンスがそのまま流されてから、日本の解説に、、、という流れだったのですが、久々に聴いてみると、モロにスタジオ録音風のファンファーレのあと、日本の解説が入って、あと、NHKが最近よくクラシック番組で使う、モロ「電子音」のよくわからんファンファーレが入る、、、というやや雰囲気的にイマイチな感じになってました(←コレは、どうでもいいことなんですが)。その気になれば、今は、バイロイトの音は、ネットでリアルタイム(夏、、の日本時間の真夜中)で聴くことすらできますが、PC経由の音は、どうもニガテです。。。。ところで、バイロイトの過去のライブは結構、CDにもなっていて、時代によって、録音条件もさまざまですが、おそらく、会場の構造や特性にもよるのでしょうし、曲の大層さにもよるのですが、おおむね、大柄で、力技的な演奏・録音が多いような印象があります。厳格で均整のとれた筋肉質の演奏、、、と賞されるカール・ベームの指揮した「指輪」も、正直、かなり、荒れたアンサンブルを、太線の輪郭で囲い込んだ、、というような演奏に聴こえます。金管のフォルテでの、カンニングブレスなども、各奏者のピッチや音質がバラバラなので、継ぎ目がモロに出まくっていて、また、音を「後押し」するのが下品で「もたれる」印象もあり、なかなか、全曲聴きとおすには僕はつらいものがあったりします。「迫力!」はまあ感じるのですけども。。。曲をすっかり慣れてしまってから聴くと、また楽しめるのでしょうか。。。しかし、ここ数年のバイロイトのライブの音は、FMで聴いても、過去の録音のCDに比べても相当にスッキリした音質とアンサンブルになっている気がします。マイクの配置にもよるのでしょうし、やっぱり、オケの国際的な水準が上がっているのでしょうね。今日、さっと、耳にした「ラインの黄金」は、実際はどうか知りませんがイメージ的には「ネオナチ?」みたいな「独逸民族復興!!」っぽい容姿と演奏をくりひろげがちなティーレマンが指揮したもの。・・このイメージは何の根拠もなく、彼のやや古風な「芸風」とワーグナーを特に得意にしているとこあたりからのイメージにすぎませんのであしからず。。。。(ちなみに、日本の「右翼」やまた妙にはやってる「教科書が教えない歴史!(日本軍は侵略はしてない、、とか、戦闘員しか戦闘してない、、、とか、、)」みたいなある意味ノンキな状況と違って、ドイツでは、「ナチ」は深く刻まれた罪であり悪というのが共通概念なので、社会的に逸脱してない立場の人間が、気軽に「ナチ」を気取ることは実際にはありえないようですが。)今日の「ラインの黄金」、冒頭の和音からして、とても、クリアです。「あいまいな原始」のイメージはむしろありません。弦の刻みもまた、そろっていて、これまた「靄」のようなものではなく、音符が見え、また、「拍」が見えるものです。そして、音が積み重なって生み出すライン川の波の高まりから、飛び出すラインの乙女の第一声の音程と歌詞の明確なこと!!そして、音楽はまったく弛緩せず、かといって、暑苦しい混沌にうずもれることもありません。低弦やホルンなどは、劇場の特性からか、ある程度、こもった感じはあって、たとえば、ベルリン・フィルがコンサートホールで演奏するような、マルカートなエッジは見えないものの、決して重くならず、音のボディはクリアです。ワーグナーの楽劇は、歌詞をすべてちゃんと追って聴いてないままに、聴く回数を重ねてるので、理解が浅く、客観的に音楽的な内容についてほかの演奏と比べることはできないのですが、印象としては、このティーレマンのワーグナーは、案外、「主旋律」を各場面で、ほぼ常に確保し明示していたように思います。ラインの黄金が、「トリスタン以前」の曲である、、、、ということにもよるのかもしれませんが、ワーグナーの比較的分厚いオーケストレーションにあって、このある種の「歌謡性」と「響きのヒエラルキー」を重視した演奏は、特徴と言える気がします。ただ一回、FMで聴いて判断するのはよくないですが、すくなくとも、今日の演奏を聴いて、「劇場人」としてのティーレマンの手腕の確かさとカリスマ(オケや歌手をまとめて長大な音楽を構成する)をたしかに感じましたし、人気があるのは、単なる懐古趣味ではないなあ、、、との思いを強くしました。(でも、この人のベートーヴェンは、以前聴いた範囲では、懐古系やったんですが、、、今はどうなってるでしょうね。)しかし、長時間で過酷なはずのバイロイトでのライブでの、オケの精度は驚嘆すべきものがあります。(昔の録音と比べて、、、)とくに、金管楽器では、少々、落ちたり、また、受け渡しでのピッチのズレなどは、「劇場らしさ」のウチ、、、という時代は、もうすっかり過去のものとなったようです。本当に美しいです。美しいバイロイト、、、、ワーグナーもきっと満足することでしょう。まさか、「日本」で毎年、それも「年末」に放送されるようになる、、、、とは夢にも思わなかったでしょうけども。。。明日のワルキューレを経て、「トリスタン以後」の作品である明後日のジークフリート、日曜の「神々のたそがれ」では、どのようなアプローチになることでしょう。楽しみです。それにしても、「歴史観」ではないですが、日本からワーグナーを聴くには、とくにナチもホロコーストも意識する必要もないのですが、ドイツでは、当然に、自国語で大層な「伝説」なり、シュプレヒコールに近いような音楽が数時間にわたって説明的になり響き続ける「ワーグナー」は、「音楽愛好者」が皆、素直に「楽しめる」というものでもなさそうです。 外国語で言葉の意味が、リアルにはようわからんから、かえって聞きやすい、、、ということはあるのかもしれません。ナチが政治利用したのももちろんですし、ナチ以前、、、から、ヨーロッパの「ゆるぎない伝統」としての「ユダヤ人蔑視」があったこと、、、その「基盤」の上に「ナチ」という「花」が咲いた、、、ということ(ナチが総選挙で正当に政権をとった=国民の"民主的"支持に基づいた政権だった、、、ということもあわせて)、思い起こさせるのかもしれません。戦後は、そうした政治利用やある意味「人工概念」である「民族」というもの(ドイツ民族にせよ、日本民族にせよ、、、)の色を廃した、抽象的な演出とある意味無愛想な(即物的な)演奏を特徴とする「新バイロイト様式」の時代を長く経て、今、保守回帰というよりは、ある意味ようやく、過去の経緯と決別して、堂々と「ドイツ民族なるもの、、、への憧憬」を真正面からとりあげても、「音楽は音楽」と思えるような時代をドイツは迎えつつあるのかもしれません。それは、ドイツという国が、「音楽」とは別のこと、、、、すなわち「政治」や実生活の面での過去の「罪」をオフィシャルに反省し、清算しようと努力を続けてきた、、、ということによるのかもしれません。 とくに「西」において。。。。余談ながら、、、過去の歴史にフタをし、責任を回避してきた「東」の状況は、ちょっと、「日本」に似てるかもしれません。そうした日本だからこそ、、、小泉~橋下~小沢~が「ナチ」と似ている、、、いうのはもちろん失礼ですし、言うべきではありませんが、ただ、投票行動に結びつく「民衆」のメンタリティや、また政治家側が「民衆」を扇動・誘導するノウハウとして、「弱者」「悪者」を規定する立場をGETして、タタく側になることで「安心」を与える、、、という形になっていることは、期せずして、ナチの政権維持と似たメカニズムになっていますので、これからますます日本は「過去」をむしろ拡大して繰り返そうとしている、、、のかもしれません。
2009.12.24
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今日は、先日の、1万人の第九で知り合いになった方が参加しておられて、また、指導くださった清原浩斗先生とピアノの矢吹直美先生が出演(指導)する、淀川区一千人の第九に行ってきました。淀川区民合唱団が母体になっている催し、とのことです。1万人の第九の本番の日以来のメンバーが舞台の上で活躍しておられるほか、終演後には、客席にも、おなじクラスの懐かしい仲間とも再会できて、客席と舞台でのつかの間の懐かしいひと時でした。合唱のコンサート、とくにアマチュアの合唱のコンサートはかなり久々でしたが、「一万人」に慣れていた耳には、比較的少人数の合唱団(といっても100人くらいは居てはるんですが、、1万人と比べて、、)として練習を積んでいる合唱の響きは、とても、新鮮でした。年齢構成からいえば、むしろ高めでもあるはずなのですが、音程も、また、声の響きも、よくそろっていて、「ひとまとまりのチーム」の響きがします。第九が、とくに、自分が歌い、また参加した曲なので、とてもリアルに違いが感じられて、優劣という問題ではなく(まあ「優」なんですが、、、)素直に良い曲やなあ、、、、って、思いました。アマチュアのコンサートらしく、かなり長時間の舞台だったのですが、冒頭に、第九の独唱者4人がそれぞれアリアを披露し、さらにあのリゴレットの4重唱 というところからのスタートでした。歌手はそれぞれに特徴があり、いずれもナマで聴けてありがたかったです。女声はとくに出色で、やや直線的な歌い方ながら若々しい澄んだ声のソプラノが歌うプッチーニに、倍音を多く含みまたオペラの場面を一瞬でその場に「降臨」させるかのようなアルトの歌うマスカーニは、なかなかのごちそうでした。そして、それぞれの歌手の特性や曲の個性にごく自然に寄り添うかのようなセンスに満ちた「呼吸するピアノ」を弾かれたのが、一万人の第九のレッスンでもずっと支えてくださってきた矢吹直美先生です。それぞれほんの短い曲なのに、プッチーニはオケで聴くあのプッチーニらしい響きと艶と「泣き」が、、また、ヴェルディはヴェルディで、特有の旋律の背後で8分音符がうごめきながら「メイクドラマ」してしまう、ヴェルディ特有の語法が、くっきりとたち現れてきたのにもびっくりでした。フィガロの「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」では、バリトン独唱がややおおらかな歌いっぷりでしたが、それをピシっと「枠組み」を与えつつ、あの第一幕の幕切れ前の高揚が再現されました。(個人的にはこの曲をFMながら生まれて初めて聴いたベーム=ウィーンフィル(&プライ)の演奏のオケ部分がなぜかリアルによみがえってきました。・・・これは単純に似た演奏という意味ではないのですが。)ずっとそのセンスや感受性そしてそれを音や音楽にする力に感服してきたのですが、今回、舞台の上の先生の音楽が聴けたことは、このあとの合唱のパートでの、これまた、音量の選択も含めて、ごく「あたりまえ」のように、ものすごい柔軟性を発揮しながらの演奏と合わせて、今年をしめくくるすばらしいひと時だった気がします。(先の1万人の打ち上げの折には、サインをいただいたスコアは永久保存版!!です)続く舞台は、清原浩斗先生の抜群の構成に支えられた一体感のある楽しいものでした。それにしても、冒頭にも書きましたが、先生の合理的な指導と団員の皆さんの研鑽によるのでしょうが、本当に、よくまとまった「合唱団」としての響きが心地よかったです。第九は、オケは無いので、矢吹先生のピアノに、エレクトーン、ティンパニ、そしてパーカションの伴奏なのですが、これがまたとても、きれいで、かつ「アンサンブル」していて、新鮮でした。オケ編曲はかなり技術的にもムリがかかるだろうと思うのですが、鮮やかでした。また、鍵盤楽器が2つというのも、いろいろと不都合がアンサンブル上出やすいと思うのですが、これもそんなことは一切感じさせず、プラス要因のみが届いてくる、、、というものでした。それどころか、声も合わせたアンサンブルの要ともなっていて、途中、独唱4人がおそらくバスの方が走ってバラケそうなところがあったのですが(たしかに、比較的難所なのですが)、ピアノがさっと、合わせながら、「引き戻し」をされたりと、八面六臂の大活躍でもありました。終演後の仲間や先生との懐かしい再会で感じたのは、「一期一会」ではあるものの、やはり、一緒にひとつのものをつくりあげるために、一緒に苦労して積み上げる、、、ってすばらしいことやなあ、、、ということでした。仕事でももちろんやってるんですけどもね(組織的な妨害や悪意とかと戦いながら、、、)。でもやはり「別のチャンネル」で、、、それがまた、再会してみて、「仲間」という気持ちを素直にお互い湧き上がってきたこともうれしかったことでした。合唱って、実際には、団に属してやったことはないのですが、オケのホルンに復帰は実際問題、もうムリでしょうし、かなうことなら、合唱はやってみたい、、、と思わせてくれる、そんなすばらしい、それでいて「普段着」なところもちゃんとある素敵な演奏会であり、機会でした。
2009.12.23
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大分前に購入しながら、しっかり聴く機会がなかった、カラヤンの若いころ、モノラルで、イギリスの当時の新設オケ「フィルハーモニア管弦楽団」とのベートーヴェンの交響曲全集から、「田園」を聴いてみました。以前にも、何度か聞いたことはあって、「晩年と違い、若いころのカラヤンらしい颯爽とした演奏!」という記憶があったのですが、聴き返して見て、なんとも、ありとあらゆる「田園」の演奏録音のなかでも、本当に、すがすがしい、清涼感にあふれた演奏に、驚かされました。まず、第一に、カラヤンの演奏の大半につきものの「レガート」の多用がみられません。かといって、トゲトゲした「トスカニーニ風」でもなく、まるで、シルクのような音の表情をもつ弦や管楽器の演奏が印象的です。また、管楽器どうし、弦と管の受け渡しが、とても、緊密で、かといって、堅苦しくはない、まさに「あるがままにある、、、」、、、Let it be とでもいえる演奏です。そして、テンポがまた、とても、違和感がまったくなく、きれいに流れます。澱んだり、タメやコブシをきかせたりはしない、、、、でも、かといって、あっというまにサラサラ流れてしまうでもなく、歌心は十分なのです。ホルンのトップは、伝説の名手デニス・ブレインだと思いますが、とくべつに、でしゃばることはなく、まさに、理想的な調和の中の演奏です。音質も、後年、かなり問題の多いものがおおいEMIの録音ですが、とても、美しく(ステレオではありませんが)1953年の録音とは思えません。こうして聴くと、フルトヴェングラーの録音が、彼自身がマイクセッティングとかに口出しをしすぎたのか、同年代では、きわめて、質の低いものが多い、、、ということがわかります。これだけの演奏をすれば(また、きっと、かなり合理的かつ効率的なリハーサルをしたはず)それは、文句なしに、フルトヴェングラーの後任として、ベルリン・フィルに迎えられるだろう、、、、と思う、、、そんな演奏です。もちろん、モノラルですから、「初めて聴く田園」としてのオススメはしませんが、ある程度、田園はいろんな演奏で知ってるよ、、、、という方には、一聴の価値はあるかと思います。
2009.12.15
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今年も、本番がおわりました。去年、初めての参加で、今年が2回目。夏からの12回、、、コンサートの本番をヤル!!という意味では、決して多くはない回数ですが、日常、音楽活動をサイクルに入れてない人々(僕も含んで)からすると、結構、いろいろと「やりくり」しないとクリアできない回数ではあります。ただ、ノルマ・義務、、というよりは、ちゃんと、専門の先生に合唱を教えていただき、それを、もともと、知り合いでもなんでもない人たちと「一緒に!!」歌って練習していく、という機会は、本当に、ありえないほど貴重でありがたいことです。今回参加したのは、大阪Cクラスというコース。今年、奇跡的に、社会人生活20年で初めて、平日の夜に予定を入れてもやりくりできる可能性が生まれたので、今年を逃したらもう一生機会はない、、、と、思い切って申し込んだのでした。12回3カ月はあっというまでした。教えていただいたことは、できたりできなかったり、、、ですが、その場でできなくても、あとで思い返して、どれだけ、実践しようとするか、、、、である、、、ということは、今日、あらためて、思いました。リハまで声の調子が最悪で、全然出なかったので、ファルセットとウィスパーで半分くらいを済ませながら、本番に賭けたのですが、リハから本番までにとにかく冷静に、これまで先生がおっしゃったことを、今一度、思い出して、やってみたところ、十分、、、とはいえないものの、なんとか、「舞台の声」で大分と参加できたのでした。普段からどれだけ意識するか、、、で、きっとこれからも大きい違いが出るねんなあ、、、と改めて、、、、細長く巨大なホールの特性は、時差を生じるなど不利な面も多く、とくに、女性(女声)の方々は、人数が多いこともあって、歌いづらい場所で御苦労された方も多かっただろうと思います。それにしても、今回の本番、合唱の主旋律が初めからドンドン、テンポが走りかけた場面はあったものの、かなりの程度、リハも含めての指揮者や先生の指導に基づくイメージが共通の「核」となって、本当に「一万人の第九」になった気がします。あと、テンポが走ったときに、指揮の佐渡さんが、速い方のテンポを選択してまとめてくださったり、かなり、アグレッシヴな演奏へと導いてくれはった気もします。本番のあとの打ち上げも、200人を超えるメンバーについて、人数のとりまとめやお金の管理だけでも大変だったでしょうに、幹事を引き受けてくださった方々の本当に「献身的」な努力と世話をいただいたおかげで、その200人がみんな、実りある本番をさらに、高めて、楽しく、心に残る体験にできたように思います。(予防注射の2回接種みたいなものかもしれません)清原浩斗先生のご指導の具体的な視点と目標を提示しながら、肉体的なイメージづけを根気よくしてくださる熱意とスキル、それに、多彩な表現と、よい意味での前向きな社交性、そしてもちろんパッと周りの空気が晴れるようなきれいで力づよい響きに満ちた声、また、ずっと、状況に応じて、きめ細かく各パートのバランスを加減したり、「ブレス」や「フレーズ」がまるで「息をする生き物」のように見事にしかも優しく歌いやすいようなピアノを弾いてくださった矢吹直美先生、また、佐渡裕氏の超多忙な中でのほとんど「混沌」に近い状態から、「核」を与え、具体的な「表現」にまで導き、実際に形にする手腕(&本番の臨機応変!)、そして、そうした状況にまた短時間で機敏に、技術的フォローをしてくださる合唱指導陣の先生がた、、、さらには、1万人の「群衆」を短時間で、トラブルなく、大イベントの「主人公」にちゃんともっていく運営スタッフの方々、、、ひとつのことをなしとげるにあたり、本当に多くの方々の努力と熱意があってやっとできることなのだ、、、と心から思いましたし、また、あらためて、多くの才能、熱意、誠意、、、、そうしたことを、合唱、音楽、運営、それに「打ち上げ」まで、本当に、感謝とともの、心に染みいる、、、そんな体験のできた「第九」でした。
2009.12.07
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ショパンのピアノ協奏曲といえば、「ピアノはスゴいが、オケ部分は習作程度で退屈」扱いされることが多いような気がしますが、かねてから、ツィメルマンが、自分で編成したオケを振りながら弾いた録音が、とても面白くて、オケ部分も、活き活きとしている、、、、という評判を耳にして、何度も何度も、CDショップで手にしながら、結局、今まで、買うことも聴くこともなかったのですが、このところのピアノブーム(自分の、、、です)に乗じて(?)、今回、ショパンボックスに入ってるのを聴くことができました。この曲、オケ部分も含めて、実は、かなり大好きで、聴いていると涙が出そうになることも多い曲です。とくに1番は、クラシックを聴き始めてすぐの頃、フランソワ・デュシャーブルというピアニストが、大フィルと共演したのをナマで聴くことができたもので、当然、新鮮なその頃の脳で聴いてるので、沁み込み度合いも大分違うものです。とにかく、美しいし、「夢見るよう」なメロディが音色(主に木管なら木管、弦なら弦)にピッタリのように僕には思えます。実際に弾いたり吹いたら、面白くないのかも、、、とも思いますし、ピアノが専ら弾いてる間は「背景」っぽくって、そのあと「合いの手」っぽいのも、「習作っぽい」と言われる所以かもしれません。で、この演奏、冒頭から、テンポをグっと落としながら、一小節、一拍ごとに、強弱や表情をつける、、、という「濃厚」な始まり方で、「!!」と思わせます。こうした「コントロール」感はずっとあるんですが、しかし、オケ全体が歌ってる、、、という感じで、レチタティーヴォっぽいともいえるし、「歌詞つき」っぽいような表情ともいえるかもしれません。また、各楽器の音色が、それぞれに「色」を出していて、混ざって溶け込むよりは、それぞれが室内楽のように存在をはっきりと見えるように、参加し、歌います。しかし、濃厚でも、リズムはとてもハッキリしていて、全てのフレーズもくっきりと演奏されるので、テンポ・リズム・推進力といった面で重たい感じはしません。そして、やはり、ピアノが入ってくると(この協奏曲は、古典的な形式で始まるため、まず、主題をひとしきりオケが演奏してから、ピアノが、主題で入ります。)、クリアな音質、オケ同様(!)クッキリしたリズム、響きのピアノが、白銀の艶とでもいうべき音楽を、ぐんぐんと進めます。ツィメルマンのこの曲の演奏は、実は、FMを通じては、有名なジュリーニと入れたLPや、サロネン指揮のバイエルン放送交響楽団とのライブなどで聴いてはきたのですが、FMのせいなのか、あんまり、そうした彼の「音」について印象を持ったことはなかったのですが、とても、流麗でクリアで「傷」や「バラつき」の無い音は、快感といってよいほどです。といっても、先のホロヴィッツのような音とは無縁に近い、ショウマンシップとか演奏効果を狙った響かせ方とは違う、音楽の形をくっきりとうかびあがらせるためにノイズを完全に排した、、、、というような音です。(もちろん、そういう「演奏効果」を意図している、、、のでしょうが)この曲、いつもは、かなりサラっと聴ける場合がおおく、また、ちょっとオケに不備がある演奏だと、極端にいえば、「もっちゃりしたオケは、置いて、ピアノ部分だけに集中する」みたいな聴き方になることもあるのですが、とても、面白く、スリリングでいながら、とにかくこの「歌」に惚れて演奏してる、、、その惚れ惚れ感、、、がとても小気味よい演奏でした。その分、「ずっと旅に同行する」という感じもあり、かなりな「満腹感」を得る演奏です。こうした演奏を「何度も」聴くかどうか、、、(回数としては何度も聴くと思いますが、たとえば、今の印象が残ってる間に、何度も聴くかどうか)となると、やはり、その情緒的な表現に同調した体験が残っている間は、しばらく聴かない、、、かもしれません。(飽きる、、という意味ではない)その意味では、音楽は、昔は全て、「ライブ」のみ、、、だったのだ、、、ということにも気付かされます。これはたぶん、いわゆるセッション録音と思いますが、ある意味、ライブっぽい内容を十分に持つ演奏でした。
2009.12.03
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