おかしな寄り道

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April 30, 2020
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カテゴリ: パン・菓子パン

カステラの起源については、 スペインの焼き菓子「ビスコチョ」 (Bizcocho ) とする説や、ポルトガルの焼菓子「パン・デ・ロー」( pão de ló )とする説がある??

南蛮船と呼ばれたポルトガル船が、キリスト教とともにパン食を長崎にもたらしたのは、16世紀の後半です。その名残を今日はっきりと伝えているのが長崎カステラ?

この地にカステラ専門の製造業者(福砂屋)が誕生したのは寛永元年( 1624 )のこととされている?
(パンが明確に日本の歴史に登場するのは江戸末期の開国を迎えてからである。記録上日本人として初めてパンの試作を行ったとされているのが伊豆韮山代官江川太郎左右衛門であり、 1842 年に兵糧食としてのパンを製造している。)

ここで作られたカステラが、わが国における菓子パン1号?

パンの語源はポルトガル語の Pão であり、カステラの語源もポルトガル語の Pão de Castella という。このカステラという名称は、今のスペイン領内にあった当時のカスチリア古王国の呼び名なのです。従ってカステラは、この地方原産の菓子パン?

寺島良安の「和漢 三才図会」( 1713 年刊)も、「加須底羅 以西巴爾亜、保留止賀留、加須底羅、同国之異名、南蛮也、造法出於此、故名」と、これを紹介している。これが鎖国時代にも消え去らなかったのは、バター臭いところがなかったからだろうか?

どうやら元々のカステラって言うのは

カスティーリャ地方の方でのパンの事だったらしく

それが長い年月をへて独自のアレンジを得て

今のお菓子として変化したものらしいです。

ちなみにカステラですが海外ではやはりパンとしての扱いが強く、日本で言うところのカステラと言うのは外国ではスポンジケーキと呼ばれるものだそうです。

私の感覚ではケーキなどと言うとクリーム塗ってなどといった想像をしてしまう分、なんとも複雑な気持ちになりました。日本におけるカステラの歴史は、当時南蛮貿易の港としてにぎわっていた長崎でパンとともに焼かれ始めたことから始まります。

当時の製法は、小麦粉、砂糖、卵の三種類の材料を同量混ぜ合わせ、蒸し焼き鍋で蓋をして上下から焼くというものでした。そして時代の変遷とともに材料の配合や製法に変化をつけながら、日本人の味覚に合う工夫をされていくのです。

例えば、甘味は砂糖とともに水飴が使われたり、上火と下火の火力が調節できるオーブンのような引き釜というものを取り入れるなどして、徐々に現在日本で親しまれているカステラの形になっていったのですね。いつの時代も 人は、甘いものには弱い のです。

日本は固有の文化をつくっているものの根っこの部分がない?全てが外側からきたものを風土のなかに上手に溶かしして使ってきた?それは文字から始まって、宗教、伝統、お菓子、言葉‥などほとんどのものがそうだ?カステラも・・話を戻して・・・

菓子パン2号は、元禄2年( 1689 )に長崎にできた唐人屋敷から広がっていった餡入り饅頭で中国風の蒸しパンで・・・・菓子パン3号は幕末の開港後、横浜から江戸へ広がったヨーロッパ風のスイートロールとスイートバンズのたぐい・・こうした外来の菓子パンに対して、日本独特の菓子パンが脚光を浴びたのは明治8年のこと。

(創業2年の木村屋総本店のあんパンとか)

※洋菓子の定義とは、「明治時代以降に西洋から伝わった菓子」のことです。

「ビスコチョ」 (Bizcocho )
「パン・デ・ロー」(
pão de ló
`m sorry ​​​​ Please forgive me ​​ I love you ​​ Thsnk you

今日も一日 ・・・ (*´□ *) ありがとう !!






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最終更新日  April 30, 2020 05:37:03 AM
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