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アメリカ軍は6月26日から8月2日まで配下の軍隊をハワイ周辺に集めて軍事演習「RIMPAC(環太平洋合同演習)」を実施する。海軍力による太平洋支配を維持しることが目的だろう。参加国はアメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドのアングロ・サクソン系5カ国のほか、日本、ブルネイ、インド、インドネシア、マレーシア、韓国、フィリピン、シンガポール、スリランカ、タイ、ラテン・アメリカのチリ、コロンビア、エクアドル、メキシコ、ペルー、ヨーロッパからデンマーク、フランス、ドイツ、オランダ、そしてトンガ、イスラエルだ。名前だけだろうという国も少なくないが、ヨーロッパからこれだけ参加するのは興味深い。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカの支配力は弱まっている。軍事同盟を強化するため2017年11月にオーストラリア、インド、アメリカ、日本で組織されるクワドの復活を協議したのもテコ入れのつもりだろう。アメリカ太平洋軍は2018年5月にインド太平洋軍へ名称を変更している。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うとされた。 2020年6月にはNATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長はオーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言、21年9月にアメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロ・サクソン3カ国は太平洋で軍事同盟AUKUSを築く。JAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なる軍事同盟も編成した。こうした動きに対し、ニコライ・パトロシェフは2021年9月、AUKUSは中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だと指摘している。その当時、パトロシェフはロシア国家安全保障会議の議長を務めていた。 NATOは集団防衛機構だとされているが、その事務総長だったヘイスティング・ライオネル・イスメイはNATO創設の目的はソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえつけることのあるとしている。このイスメイはウィンストン・チャーチルの側近だ。 NATOは1949年に創設されたが、その母体になったのは48年に作られたACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)。この組織はアメリカやイギリスがヨーロッパを支配する目的で設立され、イギリスのチャーチルやアメリカのアレン・ダレスたちが参加していた。ちなみにビルダーバーグ・グループはその下部機関のひとつ。 NATO加盟国には破壊活動を目的とする秘密部隊が存在していることもわかっている。その中でも特に有名な部隊がイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃までクーデター計画や極左グループを装った爆破事件を繰り返していた。 フランスのOASもそうした秘密部隊ネットワークにつながる組織で、メンバーの一部が1962年にシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試みている。 その背景を知っていたド・ゴールは1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺されたのは1963年のことだが、ド・ゴールはケネディ暗殺と自分の暗殺未遂の背景は同じだと考えていたと言われている。 東アジアにNATO的な軍事同盟を築く目的は中国やロシアとの戦争を想定しているだけでなく、その地域全域の支配体制を強化することにあるはずだ。つまり東/東南アジアの植民地化である。ロシアに敗北した西ヨーロッパ諸国は東/東南アジアに注目しているのか、あるいは世界大戦を始めて戦況を一変させようとしているのかもしれない。
2024.06.07
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天本英世という俳優がいた。1926年に生まれ、2003年に死亡している。日本軍が中国で全面戦争に突入した盧溝橋事件の時に11歳、日本が降伏した時には19歳ということになる。1944年に旧制七高へ入学、48年には東大法学部へ進んだ。「少年時代・青春時代を送ったのは、天皇を頂点に戴く日本国家が超国家主義的な狂気の思想に依ってアジア征服・世界征服へと突き進む破壊の道のちょうど真っ只中」(天本英世著『日本人への遺書』徳間書店、2000年)だ。 天本の友人で高名なギタリストでもあるマノロ・サンルーカルのアメリカ観が『日本人への遺書』の中で紹介されている。「アメリカなんて国は、自分が滅びることになったら、その前に世界中の国を滅ぼしてからしか滅びないであろう・・・」と言っていたというのだが、アメリカを中心とする欧米の支配層は今まさにそうした道を進んでいる。欧米の支配層が好んでいるらしいAIは恐怖を感じない。 アメリカではアントニー・ブリンケン国務長官、マイク・ジョンソン米下院議長、下院外交委員会のマイケル・マッコール委員長、ノルウェー人でNATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグなどはアメリカ製兵器でロシア領の深奥部を攻撃するべきだと主張、フランスのエマニュエル・マクロン大統領もロシアとの戦争に進もうという発言をしている。フィンランドのアレクサンダー・シュトゥッブ大統領は「国際法の範囲内」であれば、西側諸国から提供された武器でウクライナ軍がロシア領土を攻撃することに問題はないと語っていた。 2004年11月から05年1月にかけての「オレンジ革命」以来、アメリカのネオコンを中心とする西側諸国はウクライナを舞台にしてロシアと戦っている。その流れの中に2013年11月から14年2月にかけてのクーデターがあり、22年2月からのロシアによるウクライナに対する軍事攻撃がある。アメリカの国防総省はロシアとの戦争を睨み、2005年からウクライナで生物兵器の研究開発を進めてきた。 こうしたアメリカの動きは1992年2月に作成された国防総省のDPG(国防計画指針)草案から始まる。その当時の国防長官はネオコンのディック・チェイニー、次官はやはりネオコンのポール・ウォルフォウィッツで、DPG草案はウォルフォウィッツを中心に作成された。そこでこの指針案は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれる。 ソ連が消滅したことでアメリカが「唯一の超大国」になったと考えたネオコンはドクトリンの中で「潜在的ライバル」を抑え込み、新たなライバルの出現を許さないという意思を明確にした。その計画を実現するため、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むともしているが、実際、日本は1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。 ネオコンは1970年代、ジェラルド・フォード政権で台頭したが、金融資本と関係が深い。その思想的な支柱とされているレオ・ストラウスは1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にウラジミル・ヤボチンスキーの「修正主義シオニズム」運動に加わっている。 ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003) こうして作られたストラウスの思想は、カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると一種のエリート独裁主義であり、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) アメリカのライバルだったというソ連だが、第2次世界大戦におけるドイツとの戦争で疲弊していた。 ドイツ軍がソ連への軍事侵攻を始めたのは1941年6月。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。 それだけの軍事作戦を遂行するためには半年から1年くらいの準備期間が必要だろう。ドイツ軍は1940年9月から41年5月までの間、イギリスを空爆している。 1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まず、ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入。ここでドイツ軍はソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的。ここからアメリカやイギリスは慌てて動き始めた。 スターリングラードでドイツ軍が降伏した1943年1月、フランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、そしてフランスのシャルル・ド・ゴールはカサブランカで会談、善後策を協議した。そして同年7月に英米軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、翌年の6月にはハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)を実行する。シチリア島上陸やノルマンディー上陸はドイツとの戦争において大きな意味はない。 その一方でナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。「サンライズ作戦」だ。その後アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。「ラットライン」、「ブラッドストーン作戦」、「ペーパークリップ作戦」などである。大戦の終盤からウォール街人脈がファシストの大物を救出、保護、逃走を助け、のちに雇い入れたのだ。 その時に助けられた東ヨーロッパのファシストもウォール街人脈は助け、後継者を育成した。その中には2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行したネオ・ナチも含まれている。 1940年2月にバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてMAUD委員会なるものが設立され、この委員会のマーク・オリファントがアメリカへ派遣される。オリファントがアーネスト・ローレンスと会ったのは1941年8月だ。その結果、アメリカの学者も原子爆弾の可能性に興味を持つようになり、同10月にフランクリン・ルーズベルト大統領は原子爆弾の開発を許可、イギリスとの共同開発が始まった。 この「マンハッタン計画」を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。米英の核兵器は最初からソ連/ロシアがターゲットだった。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
2024.06.06
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1989年1月、アメリカ大統領はロナルド・レーガンからジョージ・H・W・ブッシュへ交代、その直後に新大統領はイギリスのマーガレット・サッチャー首相と会談、ソ連を崩壊させることで合意している。その当時、すでにソ連のミハイル・ゴルバチョフはCIAのネットワークに取り囲まれていた。ブッシュはその年の5月、ジェームズ・リリーを中国駐在アメリカ大使に据えた。 ブッシュはジェラルド・フォード政権時代の1976年1月から77年1月にかけてCIA長官を務めているが、彼はエール大学時代、CIAからリクルートされたと言われている。同大学でCIAのリクルート担当はボート部のコーチを務めていたアレン・ウォルツだと言われているが、そのウォルツとブッシュは親しかったのだ。 しかも、ブッシュの父親であるプレスコットは銀行家から上院議員へ転身した人物で、ウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった。言うまでもなく、ダレスはOSSからCIAまで秘密工作を指揮していた人物だ。ブッシュは大学を卒業した後にカリブ海で活動、1974年から75年まで中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務めている。 ジェームズ・リリーはジョージ・H・W・ブッシュとエール大学時代から親しく、ふたりとも大学でCIAにリクルートされた。リリーは中国山東省の青島生まれで中国語は堪能で、1951年にCIA入りしたと言われている。 このエール大学コンビは中国を揺さぶりにかかる。中国のアカデミーはビジネス界と同じように米英支配層の影響下にあり、揺さぶる実働部隊は主要大学の学生。現場で学生を指揮していたのはジーン・シャープで、彼の背後にはジョージ・ソロスもいたとされている。学生たちと結びついていた趙紫陽の後ろ盾は鄧小平だ。 中国とアメリカは当時、緊密な関係にあると見られていた。1972年2月にリチャード・ニクソン大統領(当時)が中国を訪問、北京政府を唯一の正当な政府と認め、台湾の独立を支持しないと表明して米中は国交を回復させているのだ。1980年には新自由主義の教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが北京を訪問、新自由主義の推進役だった趙紫陽は1984年1月にアメリカを訪問、ホワイトハウスでロナルド・レーガン大統領と会談して両国の関係は緊密化していく。 新自由主義は社会的な強者に富を集中させる仕組みであり、中国でも貧富の差が拡大、1980年代の半ばになると労働者の不満が高まる。社会は不安定化して胡耀邦や趙紫陽は窮地に陥り、胡耀邦は1987年1月に総書記を辞任せざるをえなくなった。学生は新自由主義を支持していたが、新自由主義に反対する労働者も抗議活動を始めたいた。 そうした中、1988年にミルトン・フリードマンは8年ぶりに中国を訪問、趙紫陽や江沢民と会談したが、中国政府はその年に「経済改革」を実施している。労働者などからの不満に答えるかたちで軌道修正したと言えるだろう。 胡耀邦は1989年4月15日に死亡。新自由主義を支持する学生はその日から6月4日までの期間、天安門広場で中国政府に抗議する集会を開いたのだが、新自由主義に反対する労働者も抗議活動を始めたいた。 西側の政府や有力メディアは6月4日に軍隊が学生らに発砲して数百名を殺したと主張していた。広場から引き上げる戦車をクローズアップした写真を使い、「広場へ入ろうとする戦車を止める英雄」を作り上げているが、この写真が撮影されたのは6月5日のことだ。 例えば、当日に天安門広場での抗議活動を取材していたワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズは問題になった日に広場で誰も死んでいないとしている。広場に派遣された治安部隊は学生が平和的に引き上げることを許していたという。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 学生の指導グループに属していた吾爾開希は学生200名が殺されたと主張しているが、マシューズによると、虐殺があったとされる数時間前に吾爾開希らは広場を離れていたことが確認されている。北京ホテルから広場の真ん中で兵士が学生を撃つのを見たと主張するBBCの記者もいたが、記者がいた場所から広場の中心部は見えないことも判明している。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 西側の有力メディアは2017年12月、天安門広場で装甲兵員輸送車の銃撃によって1万人以上の市民が殺されたという話を伝えた。北京駐在のイギリス大使だったアラン・ドナルドが1989年6月5日にロンドンへ送った電信を見たというAFPの話を流したのだ。 しかし、これはドナルド大使自身が目撃したのではなく、「信頼できる情報源」の話の引用。その情報源が誰かは明らかにされていないが、そのほかの虐殺話は学生のリーダーから出ていた。当時、イギリスやアメリカは学生指導者と緊密な関係にあった。ドナルド大使の話も学生指導者から出たことが推測できる。 また、内部告発を支援しているウィキリークスが公表した北京のアメリカ大使館が出した1989年7月12日付けの通信文によると、広場へ入った兵士が手にしていたのは棍棒だけで群集への一斉射撃はなかったとチリの2等書記官だったカルロス・ギャロは話している。銃撃があったのは広場から少し離れた場所だったという。(WikiLeaks, “LATIN AMERICAN DIPLOMAT EYEWITNESS ACCOUNT O JUNE 3-4 EVENTS ON TIANANMEN SQUARE”) イギリスのデイリー・テレグラム紙が2011年6月4日に伝えた記事によると、BBCの北京特派員だったジェームズ・マイルズは2009年に天安門広場で虐殺はなかったと認めている。軍隊が広場へ入ったときに抗議活動の参加者はまだいたが、治安部隊と学生側が話し合った後、広場から立ち去ることが許されたという。マイルズも天安門広場で虐殺はなかったと話している。(The Daily Telegraph, 4 June 2011) 治安部隊とデモ隊が激しく衝突したのは広場から8キロメートル近く離れている木樨地站で、黒焦げになった複数の兵士の死体が撮影されている。このデモ隊は反自由主義を主張していた労働者だったと言われている。路上での衝突と広場の状況を重ねて語る人もいるが、全く違うのだ。 吾爾開希をはじめとする反政府活動の学生指導者たちはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのは米英の情報機関、つまりCIAとMI6だ。吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡って独立運動に参加、つまり台湾で軍事的な緊張を高める仕事を始めた。
2024.06.05
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アメリカを中心とする支配体制はウクライナでロシアに敗北、ガザでは「一心同体の国」であるイスラエルが苦しんでいる。苦境に陥った彼らは、これまで掲げてきた民主主義、自由、ルールに基づく秩序といった看板をかなぐり捨て、帝国主義国としての本性を現した。次の時代にもヘゲモニーを握ろうと必死で、なりふり構っていられないのだろう。 西側が苦境に陥った一因はロシアと中国を接近させたことにあると言えるだろう。現在、中露は戦略的な同盟関係にある。その原因を作ったのはネオコンの傲慢な戦略。特に、2013年11月から14年2月にかけてウクライナで行ったクーデターが大きい。 ロシアと中国にはさまれたカザフスタンで2022年1月にクーデターが試みられた。アメリカが仕掛けたと見られているが、CSTO(集団安全保障条約機構)が平和維持部隊を派遣して反乱を制圧、その存在感を高めた。 CSTOの中心的な存在であるロシアは2008年8月、南オセチアを奇襲攻撃したジョージア軍を殲滅し、力を見せつけている。このジョージアはイスラエルとアメリカから兵器の提供を受け、将兵の訓練も受けていた。おそらく奇襲作戦はイスラエルが立てたと言われている。つまり、イスラエル軍とアメリカ軍はロシア軍に負けたのだ。その後、シリアやウクライナでも戦闘でもアメリカ/NATO軍はロシア軍に敗れている。 カザフスタンを含む中央アジアは戦略的に重要な位置にあるだけでなく、資源の宝庫。アメリカはウクライナで反クーデター派が拠点にしていたドンバスへの大規模な攻撃を2022年春に始める計画だったことを示す文書が見つかっているが、その直前にカザフスタンでクーデターを成功させ、反ロシア体制を樹立させたかったのだろう。 そして現在、ベラルーシ-ロシア-カザフスタン-ウズベキスタン-アフガニスタン-パキスタンと繋がる複合輸送回廊が計画され、ロシア、カザフスタン、ウズベキスタンではすでにインフラが整備されている。ベラルーシろロシアの関係は緊密、パキスタンもロシアとの関係を強めている。 アフガニスタンはタリバーンとロシアとの関係が問題だったが、ここにきてロシア外務省と司法省はウラジミル・プーチン大統領に対し、タリバンをロシアのテロ組織リストから除外できると伝えた。 元々タリバーンはアメリカがアフガニスタンを支配する手先として組織したのだが、途中で自立、アメリカと敵対するようになった。アメリカは手先としてアル・カイダ系武装集団(ダーイッシュを含む)とタリバーンは戦っている。そのタリバーンがテロ組織リストから外されればロシアはカブールの新政権を承認できる。近い将来、テロ組織リストから外されることは間違いない。ロシア政府はサンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)にタリバーンを招待した。 それに対し、アメリカは東アジアで軍事的な緊張を高めようとしている。そのため、オーストラリア、インド、そして日本と「クワド」を、またオーストラリアやイギリスと「AUKUS(A:オーストラリア、UK:イギリス、US:アメリカ)」という軍事同盟を組織、NATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。NATOは西ヨーロッパをアメリカが支配する道具として作られたのだ。東アジアを支配する強固な軍事組織をアメリカは作ろうとしている。JAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なる軍事同盟も編成した。 こうした軍事同盟に先行する形でアメリカは中国との戦争準備を進めていた。本ブログでは繰り返し書いてきたように、日本は1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれたが、2016年には与那国島でミサイル発射施設が建設され、2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも自衛隊の軍事施設が完成、ミサイルが配備される。 アメリカ国防総省のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書はこの計画について説明していた。GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲したいのだが、配備できそうな国は日本だけ。しかも日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでアメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたのだ。 ところが2022年10月、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルという。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視された。 そして昨年2月、浜田靖一防衛大臣は2023年度に亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、アメリカ製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。当初、2026年度から最新型を400機を購入するという計画だったが、25年度から旧来型を最大200機に変更するとされている。 その間、2017年には韓国でTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの機器を強引に運び込んだ。こうしたミサイルと一体化させる形でアメリカは海兵隊を追加配備するのだともいう。中国福建省の厦門から約10キロメートルの場所にある台湾の金門にはアメリカ陸軍の特殊部隊「グリーンベレー」が「軍事顧問」として常駐している。
2024.06.03
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WHO(世界保健機関)の最高意思決定機関である世界保健総会が5月27日から6月1日までスイスのジュネーブで開催された。今回は感染症対策という名目で世界を支配する仕組みを作り上げようという「パンデミック条約」やIHR(国際保健規則)の改定が予定されていたが、反発が強く条約を合意に至らなかった。IHR改定は多くの加盟国が欠席する中、採決されたとされている。 強大な私的権力に支配されているWHOだが、世界を押さえ込む力はなくなっている。パンデミック条約やIHRの改定にロシア、イラン、スロバキア、コスタリカ、アルゼンチンは公然と反対しているが、「パンデミック条約」にもIHR改定にも署名するつもりはないと公言していたスロバキアのロベルト・フィツォ首相は5月15日に銃撃された。 親欧米派の政党「進歩スロバキア」の活動家だという71歳の男性ユライ・チントゥラがその場で逮捕され、その妻も拘束されたと伝えられているが、銃撃から4時間後、容疑者のフェイスブックの通信内容と履歴が削除されたという。 現場にいて逮捕されたチントゥラ自身に削除のチャンスがあるようには思えず、彼の妻は技術に疎い。夫妻以外の何者かが削除した可能性が高いということであり、暗殺未遂事件の背後に組織が存在していることを窺わせる。 スロバキアの内相は5月21日、スロバキアのテレビで銃撃事件について「単独犯でなく、その背後で何かが進行している」と語っている。すでにスロバキアではメディアの一部はチントゥラの背後にウクライナが存在している可能性があると囁き始めた。確かに状況証拠はそうした方向を示しているのだが、ウクライナの大統領はイギリスの情報機関であるMI6、ウクライナの情報機関はアメリカのCIAに従属している。 ウクライナは2005年8月、「病原体」を保管し研究しているウクライナのバイオラボの管理をアメリカ政府に引き渡すという協定をアメリカと結んだ。その協定はウクライナの施設において生物兵器の開発に利用できる技術、病原体、知識の拡散を防ぐことに重点を置いているとされているが、この時からアメリカの国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発を開始したのだ。生体実験も行われている。 ウクライナでの研究開発はDARPA(国防高等研究計画局)やDTRA(国防脅威削減局)が中心になって行われたが、「パンデミック」計画もDARPAとDTRAが中心になっている。アメリカではすでに国防総省が保健当局を取り込み、「COVID-19対策」を軍事作戦として行っているようだ。 国防総省は2019年11月、つまり中国湖北省の武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見される前に「COVID-19研究」のため、ラビリンス・グローバル・ヘルスへ「SME原稿文書化およびCOVID-19調査」を発注している。この契約は「ウクライナにおける生物学的脅威削減プログラム」のためのプロジェクトの一部だという。武漢で患者が発見される前、そしてウイルスの名前が決まる前からアメリカの国防総省は「COVID-19」を知っていたことになる。 また、モデルナはアンソニー・ファウチが所長を務めるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)と共同開発した「mRNAワクチン」候補について、2019年12月初旬に守秘義務契約を結び、その候補をノースカロライナ大学チャペルヒル校に譲渡することで合意している。 その直前、武漢では2019年10月18日から27日にかけて国際的な軍人の競技会が開かれ、アメリカも選手団を派遣。その前、10月18日にはコロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーション「イベント201」がニューヨークで開かれている。主催者はジョンズ・ホプキンス健康安全保障センター、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、そしてWEF(世界経済フォーラム)だ。 アメリカの国防総省は2019年当時、ウクライナ軍にドンバスへの大規模な軍事侵攻が2022年春に行われることを知っていた、あるいは計画していたのではないだろうか。これはロシア征服作戦の一環だったはずだ。アメリカとイスラエルの後押しでジョージアは2008年8月に南オセチアを奇襲攻撃したが、これはロシア征服戦争の始まりだったように見える。勿論、アメリカはロシアに楽勝するつもりだったはずで、世界を制圧した状態で「COVID-19プロジェクト」を仕上げる予定だったのだろう。
2024.06.04
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日本で「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」が11月28日に承認され、その決定をメーカーもその事実を発表した。これは一種の人口ウイルスで、動物の種を超えて感染する可能性が指摘されている。「ワクチン」というタグがつけられているものの、実際は遺伝子導入剤。この薬剤の承認を「不名誉」だとする声が世界から聞こえてくるが、日本の専門家も危険性を具体的に指摘している。 承認申請したメーカーはMeiji Seikaファルマで、同社は武田薬品系のアルカリスと共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設福島県南相馬市に建設、そこでアルカリスが開発した遺伝子導入剤「ARCT-154」を作る計画だ。 アルカリスはアークトゥルスとアクセリードが共同で設立したmRNA医薬品CDMO(医薬品受託製造)会社であり、アクセリードは武田薬品の湘南研究所が2017年にスピンオフして誕生した。 武田薬品には興味深い人物が関係してきた。例えば山田忠孝はビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経て同社へ入った人物で、父親の山田忠義は渋沢敬三の秘書などを経て1952年に八幡製鉄へ入社している。 戦争中の1940年代の前半、ヨーロッパから日本へ上海経由で神戸に辿り着いたユダヤ系の若者、ショール・アイゼンベルグを忠義は世話している。神戸へ着いた時、アイゼンベルグは19歳か20歳だった。その若者をなぜ日本の財界が面倒を見たのかは謎だ。 財界の大物たちに守られたユダヤ人難民のアイゼンベルグは大戦後、アメリカ第8軍のロバート・アイケルバーガー司令官に可愛がられる。そのコネクションを活かし、アイゼンベルグはペニシリンの販売で大儲けしたという。 その後、アイゼンベルグは日本から追い出されるが、イスラエルの情報機関モサドの幹部としてさまざまな秘密工作に関わり、イスラエルと中国を結びつけたと言われている。似た境遇にあったジョージ・ソロスと緊密な関係にあったことでも知られている。 山田忠孝と同じようにビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経由して武田薬品に入ったラジーブ・ベンカヤも興味深い人物だ。財団ではグローバル・ヘルス・プログラムのワクチン・デリバリー・ディレクターを務め、武田薬品ではグローバル・ワクチン・ビジネス・ユニットを率いた。 財団に入る前、ジョージ・W・ブッシュが大統領だった2002年から03年にかけての時期にホワイトハウス・フェローを務め、さらにバイオ防衛担当ディレクターを経て大統領特別補佐官およびバイオ防衛担当シニアディレクターとして活動、バイオ・テロリズム研究グループを率いている。 ホワイトハウス時代、ベンカヤはフランシス・タウンゼント国土安全保障担当補佐官の直属で、その時、ロックダウンを考え出したという。その一方、Gavi(ワクチンアライアンス)の理事を務め、CEPI(感染症流行対策イノベーション連合)やIAVI(国際エイズワクチン推進構想)の理事会メンバー。CFR(外交問題評議会)の終身会員でもある。なお、今年3月からアエイウム・セラピューティックのCEOに就任している。 医薬品業界で研究開発に関わってきたサーシャ・ラティポワによると、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動はアメリカ国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めた作戦だ。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 アメリカの国防総省はウクライナで生物化学兵器の研究開発を行っていたことが判明している。ロシア軍のイゴール・キリロフ中将によると、ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)が管理する研究施設が約30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていた。 昨年2月24日からロシア軍はミサイルなどでウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを攻撃、その際に機密文書を回収。その中に生物化学兵器に関する約2000文書が含まれていた。そうした文書を分析するためにロシアは議会に委員会を設立、ロシア軍の放射線化学生物兵器防衛部隊と連携して分析、アメリカはウクライナで「万能生物兵器」を研究していたことが判明したという。 万能兵器とは、敵の兵士だけでなく動物や農作物にもダメージを与えることができる兵器だという。そうした病原体を拡散させることでターゲット国を完全に破壊し、民間人、食糧安全保障、環境にも影響を与えることを目的としている。アメリカの国防総省は人間だけでなく動物や農作物にも感染できる万能の遺伝子操作生物兵器の開発を目指しているのだ。レプリコン・ワクチンをWHOが言うところの「疾病X」だと考える人もいる。
2023.12.17
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6月21日の「櫻井ジャーナルトーク」は満席になったそうです。ありがとうございました。テーマは「苦境に陥った米国と生物兵器」を予定していますが、状況によっては変更する場合があります。櫻井 春彦
2024.06.05
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犯罪組織と同じように、シティやウォール街を拠点とする西側の支配システムは「暴力」が基本になっている。暴力で威圧し、従属させようとしてきた。そのため、映画で「アメリカは強い」というイメージを世界の人びとに植えつけるだけでなく、見せしめのために弱小国を破壊することもある。この構図が崩れ始めている。 1991年12月にソ連が消滅した時、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、92年2月には国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その中でドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。 それに対し、細川護煕政権は国連中心主義を打ち出したものの、ネオコンの怒りを買い、1994年4月に倒された。同年6月に自民、社民、さきがけの連立政権が誕生、村山富市が首相に就任して抵抗する。 そうした動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に訴え、95年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。沖縄ではこの報告に対する怒りのエネルギーが高まり、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件で爆発する。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年に日本はウォルフォウィッツ・ドクトリンに書かれている通り、アメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。 中国ではアカデミーやビジネスの世界をアメリカは支配、ソ連消滅後にロシアの軍事力は弱体化したと考えたネオコンは全面核戦争に勝てると思い始めたようだ。そうした主張が米英支配層と深い関係にある外交問題評議会(CFR)の定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載された。アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるというのだ。 この分析が間違っていることは2008年8月に判明している。イスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージア軍が北京で夏季オリンピックが開かれていた期間を狙い、南オセチアを奇襲攻撃したのだが、完膚なきまで叩きのめされたのである。 イスラエルは2001年からジョージアに武器/兵器を含む軍事物資を提供、将兵を訓練しはじめている。イスラエルから供給された装備には無人飛行機、暗視装置、防空システム、砲弾、ロケット、電子システムなども含まれていた。 当時のジョージア政府にはヘブライ語を流暢に話す閣僚がふたりいたことも知られている。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリであり、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当しているテムル・ヤコバシビリだ。 そのほか、アメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を2008年1月から4月にかけてジョージアへ派遣して軍事訓練を実施、同年7月にはコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問している。南オセチアへの奇襲攻撃はその翌月だ。アメリカ政府の承認を受けての奇襲攻撃だったのだろう。 アメリカはアル・カイダ系武装集団を使って2011年春にリビアやシリアへ軍事侵攻、同年10月にはリビアの破壊に成功、その際にムアンマル・アル・カダフィを惨殺している。 カダフィ体制が崩壊した後、アメリカはシリアでの戦争に集中するのだが、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。そこでリビアと同じようにアメリカ/NATOはシリアを直接攻撃すると言われ始めたが、そうした中、2013年9月に地中海からシリアへ向かって2機のミサイルが発射された。 ところが、このミサイルは途中で海中へ落ちてしまう。イスラエルはミサイルの発射実験を行ったと発表するが、事前の警告はなく、ロシア軍がECM(電子対抗手段)を使ったと言われている。ドナルド・トランプ大統領が2度試みたシリアへのミサイル攻撃もECMを含むロシア製防空システムに阻まれた。 2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒す。アメリカ/NATOはロシアに対する威嚇を開始、2014年4月にはアメリカ海軍の駆逐艦ドナルド・クックを黒海へ入れ、ロシア領に接近させた。 ところが、その艦船の近くをロシア軍のSu24が飛行すると状況が一変した。ドナルド・クックはすぐルーマニアの港へ入り、その後、ロシアの国境には近づかなくなったのだ。ロシアでの報道によると、ロシア軍機は「キビニECMシステム」を搭載、ドナルド・クックのイージス・システムを麻痺させたという。 こうしたことからロシア軍は電子戦でアメリカ/NATO軍を上回っていると言われるようになったが、その推測が正しいことは2022年にロシア軍がウクライナ軍を攻撃し始めてから明確になった。 アメリカ/NATOはウクライナにロシア軍を攻撃させるため、武器弾薬を供給するだけでなく戦闘員も送り込んでいるが、HIMARS(高機動砲兵ロケットシステム)を含む西側のGPS(全地球測位システム)を使った兵器はロシア軍の妨害技術で無力化されている。これはウクライナだけの問題でなく、中国やイランを含む世界の国々が注目しているはずだ。 攻撃能力の面でもロシアがアメリカを上回っていることは明白。「無敵のアメリカ」というハリウッドが作り上げたイメージは崩れ始めている。そのイメージを維持するため、アメリカ/NATOはロシアを核戦争で威嚇しているのだが、「受けて立つ」と返されている。楽勝するつもりで始めた戦争でアメリカ/NATOは窮地に陥った。「神風」が吹くとは思えない。 アメリカ/NATOではウクライナにロシア領内奥深くを攻撃させろと叫ぶ議員が現れ、ジョー・バイデン政権はウクライナにロシア領攻撃を許可したと伝えられているが、それに対し、ロシア軍はリビウ近郊にあるヤボリブ訓練場を極超音速ミサイルのKh-47M2キンジャールで攻撃した。ここにはNATO諸国の教官やウクライナ軍の軍人300人以上がいたと言われている。今後、状況によってはウクライナの周辺にある軍事施設も目標になる可能性があるだろう。 勿論、アメリカがロシアと並ぶ核兵器の保有国であることは確かで、自暴自棄になり、原爆を手にした当時に描いた計画通りに核兵器を使った場合、世界は破滅する。アメリカは自分たちが滅びることになれば、その前に世界を滅ぼそうとすると言う人もいるようだが、間違いではない。ジョー・バイデンは現在のアメリカを象徴する人物だ。
2024.06.01
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アメリカではアントニー・ブリンケン国務長官に限らず、マイク・ジョンソン米下院議長やマイケル・マッコール委員長もアメリカ製兵器でロシア領の深奥部を攻撃するべきだと主張している。 ヨーロッパではフランスのエマニュエル・マクロン大統領の攻撃的た発言が目立ったが、ノルウェー人でNATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグはウクライナがロシア領内の標的を攻撃するための武器の使用を許可するようNATO加盟国に求め、やはりノルウェーのエスペン・バルト・エイデ外相は西側諸国からウクライナに提供された武器の使用に制限を設けるべきではないと述べた。またフィンランドのアレクサンダー・シュトゥッブ大統領は「国際法の範囲内」であれば、西側諸国から提供された武器でウクライナ軍がロシア領土を攻撃することに問題はないと語っている。 それに対し、ウラジミル・プーチン露大統領は5月29日、長距離精密兵器は偵察衛星の情報がなければ使用できず、その情報を処理する専門家が必要だと指摘した。 偵察衛星の情報はアメリカなどウクライナ以外の国から提供され、その情報を処理する専門家はウクライナ人である必要はない。すでに、西側から提供された兵器を動かすためにアメリカ/NATOから軍人が入っていると言われている。こうした点からもロシア領の深奥部に対する攻撃はNATOによる攻撃と見なしうるということであり、ウクライナの外も攻撃目標になりうるというわけだ。 アメリカ/NATOが一気に追い詰められたのは2022年2月にロシア軍がウクライナを攻撃し始めてから。攻撃の理由はアメリカ/NATOを後ろ盾とするウクライナ軍がドンバス(ドネツクやルガンスク)の周辺に集まって砲撃を激化させ、軍事侵攻する動きを見せていたことにある。 アメリカのバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したのは2014年2月だが、その時点ではクーデターに反対する国民は少なくなかった。軍や治安機関メンバーの約7割が離脱、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。そこでクーデター体制の戦力を増強させる必要があった。 アンゲラ・メルケル元独首相は2022年12月7日、ツァイトに対して「ミンスク合意」は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めた。その直後にフランソワ・オランド元仏大統領はメルケルの発言を事実だと語っている。アメリカ/NATOは8年かけてウクライナの戦力を増強した。 こうしたことからウクライナでの戦闘は2014年に始まると言われているのだが、アメリカがウクライナを属国化したのはその10年前。つまり2004年11月から05年1月にかけて西側は「オレンジ革命」を仕掛け、ヤヌコビッチの大統領就任を阻止しているのだ。そしてアメリカの手先で新自由主義者のビクトル・ユシチェンコが大統領に就任したのだが、貧富の差を拡大させる新自由主義的な政策に国民は怒り、2010の大統領選挙でヤヌコビッチを選んだ。アメリカの国防総省がウクライナで生物兵器の研究開発を始めたのはウクライナがアメリカの属国になった2005年のことである。 ウクライナでアメリカ国防総省が生物兵器の研究開発を始めていることは前から問題になっていた。ディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、各研究所は2010年から13年の間に建設されたという。2013年にはハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれている。 しかし、詳しい情報が出てきたのはロシア軍がウクライナを攻撃した後のこと。その攻撃のターゲットにはドンバス周辺に集まっていたウクライナ軍、軍事基地、そして生物兵器の研究開発施設が含まれていた。ウクライナにはアメリカ国防総省のDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が約30カ所あったのだ。ロシア軍はウクライナ軍の司令部や生物兵器の施設から機密文書を回収し、分析し始めた。 その文書を分析した結果は最終報告書という形でロシア議会が2023年4月に発表、その報告書の180ページから181ページにかけて次のように記述されている。 「アメリカは人間だけでなく動物や農作物も標的にできる普遍的な遺伝子操作生物兵器の開発を目指している。その使用はとりわけ敵に大規模で回復不可能な経済的損害を与えることを前提としている。」 「避けられない直接的な軍事衝突の可能性を見越して、秘密裏に標的を定めて使用することで、たとえ他の大量破壊兵器を保有している相手であっても、アメリカ軍が優位に立てる可能性がある。アメリカ軍の戦略家によれば、ある特定の時期に、ある特定の地域で、異常な伝染病を引き起こす可能性のある生物学的製剤を、秘密裏に、かつ標的を定めて使用した場合の結果は核の冬に匹敵する可能性がある。」 この「万能生物兵器」の特性が日本で治験が始まった「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」に似ていることは本ブログで繰り返し書いてきた。アメリカの国防総省は日本で生物兵器を生産し始めたのかもしれない。
2024.06.02
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イスラエルの情報機関モサドの長官を2016年1月から21年6月まで勤めたヨセフ・コヘンは長官時代、ICC(国際刑事裁判所)の主任検察官を務めていたファトゥ・ベンスーダを脅迫していたとガーディアン紙が伝えている。イスラエル、アメリカ、イギリスの支配層は犯罪組織を連想させることを行なっているので不思議ではないが、西側有力紙がこの話を伝えたことは興味深い。 ベンスーダは2019年12月、ガザ、ヨルダン川西岸、東エルサレムでの戦争犯罪の申し立てについて本格的な刑事捜査を開始する根拠があると発表したが、2019年後半から21年初頭にかけてコヘンはベンスーダと少なくとも3回、コヘンの要望で会っている。そのうち終わりの2回では検察官と彼女の家族の身に危険が及ぶことが匂わされ、彼女のキャリアに悪影響を及ぼすことになるとも言われ、隠し撮りされた写真も示されたという。 ベンスーダが強迫の対象になった切っ掛けは2015年にパレスチナの状況について予備調査を始めたことにある。ガザ、ヨルダン川西岸、東エルサレムにおけるイスラエル人の犯罪容疑について調べ始めたことからイスラエル政府はユダヤ人が訴追されるのではないかと恐れたとされている。 2018年1月にはアハメド・アブ・アルテマがパレスチナ難民に対し、イスラエルとのフェンス近くに平和的に集まり、1948年以前の家に戻るようフェイスブックで呼びかけ、3月から抗議運動が始まった。シオニストがイスラエルを「建国」した1948年5月はパレスチナ人が土地を奪われ、故郷から追放された日でもある。 近代シオニズムの創設者とされている人物は1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだとされているが、イギリスでは16世紀にシオニズムが芽を出している。自分たちを古代イスラエルの「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れたのだ。 そのひとりがスチュワート朝のジェームズ6世で、自分はイスラエルの王だと信じていたという。そのジェームズ6世の息子、チャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がオリヴァー・クロムウェル。その私設秘書だったジョン・サドラーも同じように考えていた。ピューリタンが「建国」で中心的な役割を果たしたアメリカでも先住民が虐殺され、土地を奪われている。 イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収した。その際に資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩と言われる書簡をアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出したのは1917年11月のこと。これがいわゆる「バルフォア宣言」だ。 イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強める。 そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。 この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起。アラブ大反乱だ。 1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。 反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃した。 シオニストはパレスチナからアラブ人を追い出すため、1948年4月4日に「ダーレット作戦」を始めるが、これは1936年から39年にかけて行われたパレスチナ人殲滅作戦の詰めだったという見方もある。1948年当時、イスラエルの「建国」を宣言したシオニストの武装組織に対して無防備な状態となっていた。 4月6日にはハガナ(後にイスラエル軍の母体になった)の副官、イェシュルン・シフがエルサレムでイルグン(シオニストのテロ組織)のモルデチャイ・ラーナンとスターン・ギャング(同)のヨシュア・ゼイトラーに会い、ハガナのカステル攻撃に協力できるかと打診。イルグンとスターン・ギャングは協力することになる。 まず、イルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲うが、この村が選ばれた理由はエルサレムに近く、攻撃しやすかったからだという。村の住民は石切で生活し、男が仕事で村にいない時を狙って攻撃するプラン。早朝ということで、残された女性や子どもは眠っていた。 国連総会で1948年12月に採択された決議194号はシオニストに追い出されたパレスチナ人が故郷に帰還することを認めているが、実現していない。イスラエル「建国」の議論はこの決議を認めるところから始めなければならない。 2018年から19年にかけての抗議活動が求めたことはここにある。この抗議活動は平和的なものだったが、イスラエル軍は催涙弾だけでなく実弾で参加者を銃撃、250名以上が殺されたという。この件の捜査を止めるため、コヘンはベンスーダを脅迫したようだ。 ICCの予審部は2021年2月、パレスチナ占領地域におけるICCの管轄権を確認する判決を下し、その翌月にベンスーダは刑事捜査の開始を発表。その3カ月後に彼女は9年間の任期を終え、イギリス人のカリム・カーンが引き継いだ。 ベンスーダのケースでは単純な脅迫が使われたが、イスラエル、アメリカ、イギリスなどの情報機関はさまざまな手法を使う。買収、脅迫、暗殺、クーデターなどだが、脅迫の材料を作る仕組みもある。 2019年7月にアメリカで逮捕され、8月に獄中で死亡したジェフリー・エプスタインは若い女性を利用して有力者の弱みを握り、操る仕事をしていた。彼と内縁関係にあったと見られているギスレイン・マクスウェル、彼女の父親であるミラー・グループのロバート・マクスウェルはいずれもイスラエル軍の情報機関アマンに属していたと言われている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)
2024.05.31
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社会を収容所化し、経済活動を麻痺させ、監視システムを強化するだけでなく、リスクの高い「ワクチン」を接種させる口実として使われている「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」の正体はいまだに明確でない。 COVID-19とはSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た症状を起こす病気で、2019年12月に中国湖北省の武漢で最初の患者が見つかったとされている。SARS-2が存在していた可能性はあるが、その病原体が世界に広まっていったようには思えない。 武漢で感染対策を指揮したのは中国疾病預防控制中心の高福主任でなく、中国軍の医療部門で細菌戦の専門家と見なされている陳薇。高福がアメリカの医療利権と深く結びついているためだけでなく、2002年から中国で広まったSARSを押さえ込んだのが陳のチームだったからだろう。 その時の経験からキューバで研究されている「インターフェロン・アルファ2b」を使用、今回も効果があったという。この薬はリンパ球を刺激して免疫能力を高める働きがあるとされ、吉林省長春にも製造工場があり、中国の国内で供給できたことも幸いした。今回の件で中国の習近平国家主席はキューバのミゲル・ディアス-カネル大統領に謝意を述べたと伝えられている。 このほか、インドやメキシコで効果があったと報告されている駆虫薬の「イベルメクチン」や抗マラリア剤として知られている「ヒドロキシクロロキン」、またヒドロキシクロロキンからヒドロキシル基を取り除いた構造をしている「クロロキン」がコロナウイルスに対して有効だとする論文も存在するのだが、医療利権はこうした薬の使用を妨害してきた。 COVID-19騒動では医療利権だけでなく、シリコンバレーのハイテク企業や情報機関なども関係していることがわかる。ようするに、支配的な立場にある人びとは互いに結びつき、ネットワークを張り巡らしているのだ。 こうしたネットワークのうち表面に出ている部分で特に目立つ活動をしているのがビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団。医薬品会社と深く結びつき、研究所、有力メディア、WHO(世界保健機関)などへ多額の寄付をしている団体だ。 この財団には少なからぬ興味深い人物が関係しているが、そのひとりが山田忠孝(タチ・ヤマダ)。日本で生まれ、15歳でアメリカへ渡ってスタンフォード大学で歴史を専攻、卒業後にニューヨーク大学の医学部へ入っている。ミシガン大学の医療センターで内科医長を務めた後にGSK(グラクソスミスクライン)の重役になり、続いてビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団へ入った。GSK時代に同社の抗糖尿病薬「アバンディア」の副作用が問題になるが、その際に著名な医師を沈黙させるために尽力したことが知られている。(Robert F. Kennedy Jr., “The Real Anthony Fauci,” Skyhorse, 2021)その後、武田薬品へ入った。 山田忠孝の父親、忠義も興味深い人物だ。世界貿易センターの理事長を務め、藤山愛一郎や渋沢正雄と親しかったのだが、少年時代のショール・アイゼンベルグを日本で世話していたことでも知られている。 アイゼンベルグはユダヤ系で、1921年にドイツで生まれ、「水晶の夜」(ナチスがユダヤ人を襲撃、殺害、強制収容所へ入れた)から2年後の40年にヨーロッパを脱出して上海へ渡り、そこから神戸へ来た。その年で19歳。その若者をなぜ日本の財界の大物が世話したのかは謎だが、その前に、なぜ彼が1940年のドイツを脱出できたのか、疑問に感じる人もいるようだ。 ナチスから逃げるユダヤ人を相手に家具などを換金する仕事をして手数料を稼ぎ、1944年に日本の女性と結婚、大戦後はアメリカ第8軍の司令官だったロバート・アイケルバーガーからペニシリンを販売する許可を得て大儲けしたとも言われている。 日本を離れた後にイスラエルの情報機関モサドの幹部になったとも言われているが、実際、秘密工作で名前が出てくることが珍しくない。1997年に死亡したとされているが、眉に唾をつけながら聞いた人が少なくないような人物だ。 アイゼンベルグは「闇の国」の住人ということになるが、そのアイゼンベルグが少年の時代に世話をした山田忠義も謎の人物であり、その息子も同じだ。
2021.12.17
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厚生労働省は5月24日、今年3月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は14万4451人と高い。mRNA技術を利用した「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種が始まってから日本人の健康状態は悪化しているが、これは短期的な副作用。中期、長期の副作用はこれからだろうが、同省がデータの公表を中止しているところを見ると、すでに深刻な状況の悪化が現れているのかもしれない。 この問題では情報の隠蔽が徹底しているが、その理由をサーシャ・ラティポワが明らかにしている。パンデミック騒動が始まって間もない頃から彼女は黒幕はアメリカ国防総省で、バラク・オバマ政権が始めたと主張している。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 ロシア議会が発表した報告書の180ページから181ページにかけて次のような記述がある。「アメリカは人間だけでなく動物や農作物も標的にできる普遍的な遺伝子操作生物兵器の開発を目指している。その使用はとりわけ敵に大規模で回復不可能な経済的損害を与えることを前提としている。」「避けられない直接的な軍事衝突の可能性を見越して、秘密裏に標的を定めて使用することで、たとえ他の大量破壊兵器を保有している相手であっても、アメリカ軍が優位に立てる可能性がある。アメリカ軍の戦略家によれば、ある特定の時期に、ある特定の地域で、異常な伝染病を引き起こす可能性のある生物学的製剤を、秘密裏に、かつ標的を定めて使用した場合の結果は核の冬に匹敵する可能性がある。」 この「万能生物兵器」の特性は日本で治験が始まった「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」に似ている。それを日本政府は日本人に接種しようとしている。動物の種を超えるだけでなく植物へも伝染する可能性がある「人工ウイルス」、あるいは生物兵器を日本人で実験しようとしている。
2024.05.29
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年明け後、イラクのラマディとファルージャで激しい戦闘があり、アル・カイダ系の武装集団、ISIL(ISISとも表記、AQIとも呼ばれている)に制圧されたという。現在、空爆の準備をしている政府軍は武装勢力に対し、撤退するように呼びかけているようだ。 本ブログでは何度も書いていることだが、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すため、NATO諸国(アメリカ、イギリス、フランス、トルコ)やペルシャ湾岸の産油国(サウジアラビア、カタール)はアル・カイダを使っている。ISILも外国勢力の支援を受けてシリアで政府軍と戦っている。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒したときと同じ構図だ。 アル・カイダの黒幕はサウジアラビアであり、ISILもシリアで反アサド派諸国から武器などさまざまな援助を受け、その援助を利用してイラクでも戦闘を繰り広げている。イラクの戦乱を深刻化させているのはNATO諸国やペルシャ湾岸の産油国だということだ。 2007年の段階でアメリカ(ネオコン)やイスラエルと連合してシリアやイランの体制を破壊するための秘密工作を始めたサウジアラビアだが、そのサウジアラビアがアメリカの手先になり、イスラエルと手を組むのは1970年代の終盤以降のこと。アフガニスタンへ引きずり込んだソ連軍と戦わせるために編成したイスラム武装を支える柱のひとつだった。 こうした同盟関係が昔から続いているわけではなく、1964年から75年までサウジアラビア国王だったファイサル・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドはアメリカとも一線を画し、PLOのヤセル・アラファト議長とも友好的な関係にあった。イスラエルと同盟を組むような人物ではなかったということだ。 そのファイサル国王は1975年3月、甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されてしまう。その甥はクウェート石油相の随行員としてその場にいたという。この暗殺によってサウジアラビアは大きく変化、アメリカやイスラエルへ接近する。 この甥は博打が好きだったようで、大負けして多額の借金を作っていた。その借金を清算してくれたのは、ひとりの女性。男女の関係もできたようだが、それだけでなく、その甥を麻薬漬けにして操り人形にしてしまったようだ。その女性の正体は不明だが、モサドのエージェントだったと噂されている。確かに、モサドの常套手段ではある。 ファイサル国王が暗殺された後、ハリド・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドが新たな国王になるが、実権を握ったのは第1副首相で親米派として有名なファハド・ビン・アブドル・アジズ。1982年から2005年まで国王の座にあった。 現在、アル・カイダ(スンニ派の武装勢力)を実際に指揮しているのはサウジアラビア総合情報庁のバンダル・ビン・スルタン長官だと言われているが、この人物は1983年から05年まで、つまりファハド国王の在位期間とほぼ同じ時期にアメリカ駐在大使を務めていた。その後、国家安全保障会議の事務局長に就任、総合情報庁の長官になるのは2012年のことだ。2001年9月11日の出来事に関し、疑惑の目で見られているひとりだ。
2014.01.08
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ネゲブ砂漠にあるイスラエル軍の軍事基地には収容所があり、パレスチナ人が劣悪な環境の中で拘束され、拷問されているという。その様子をCNNが伝えている。ネオコンの広報機関のひとつとみなされているメディアがこうした話を明らかにしたのだ。アメリカとイスラエルとの間に亀裂が入っていることは事実なのだろう。 何千人もの人びとが拘束されているが、その多くはイスラエル当局が適切な手続きを経ていない。それでも無期限に投獄できる法律が作られている。CNNによると、拘束されている人びとは人間扱いされず、拷問だけでなく、常に手錠をかけられていたために負傷し、手足を切断される人もいて、放置された傷口の腐敗臭が充満していたという。 アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月、アメリカ主導軍を使ってイラクを先制攻撃し、サダム・フセイン体制を破壊して100万人を超すと見られるイラク人を殺害した。 その際、アメリカの軍や情報機関は戦闘員も非戦闘員も関係なく拘束して拷問を繰り返し、少なからぬ人が殺されたと言われている。そうした行為を正当化するため、ブッシュ政権は「敵戦闘員」というタグを考え出し、捕虜の待遇について定められたジュネーブ条約(第3条約)も刑事訴訟手続きも無視することにした。 アメリカによる拷問の実態が初めて発覚したのはイラクのアブ・グレイブ収容所において。アブ・グレイブを含むイラクの収容所で拷問が横行、死者も出ているとAPが2003年11月に報道、軍隊の内部でも調査が始まった。 この収容所ではCACI、タイタン、ロッキード・マーチンのようなアメリカ企業の社員が尋問官や通訳として働き、人道に反する方法を使っていたことが明らかにされた。(William D. Hartung, “Prophets of War”, Nation Books, 2011) アブ・グレイブ収容所を管理していたのはアメリカ軍の第800憲兵旅団であり、その司令官を務めていたのはジャニス・カルピンスキー准将。2004年1月に停職になったが、その5カ月後、BBCに対し、収容所内で拷問が行われていたセクションを管理していたのは軍の情報部であり、彼女は実態を把握していなかったと主張する。当時、収容所内で撮影された写真が外部に漏れていたが、これについて彼女は兵士が独断で撮影することはありえないと主張、収容所にイスラエル人の尋問官がいたともしている。カルピンスキーは告発した後の2005年5月、准将から大佐へ降格になった(BBC, 15 June 2004) アメリカでは軍だけでなく警察も治安対策をイスラエルに学んでいる。パレスチナ人弾圧の手法がアメリカへ持ち込まれているのだ。収容所にイスラエル人の尋問官がいても不思議ではない。アメリカやイスラエルの収容所における残虐行為とガザでの虐殺は関連している。 現在、ガザで殺されているパレスチナ人はイスラエル軍とハマスとの戦闘に巻き込まれたのでなく、イスラエル軍に虐殺されているのだ。これは民族浄化作戦だ。その作戦を支えてきたのがアメリカ、イギリス、ドイツをはじめとするNATO諸国、あるいはインドなどにほかならない。 アラブ系の人びとが住んでいたパレスチナでシオニストがイスラエルの「建国」が宣言したのは1948年5月14日のこと。シオニストとはエルサレムの南東にあるシオンの丘へ戻ろうという「シオニズム運動」の信奉者で、ユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えていた。その計画を実現するため、破壊と虐殺を続けているのだ。ヨーロッパから移住してきた人びとがアメリカで行ったことを繰り返しているとも言える。 イタリアのジェノバに生まれたクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海のグアナハニ島に上陸したのは1492年。ピューリタンたちを乗せたメイフラワー号がにマサチューセッツのプリマスに到着したのは1620年12月。「ピルグリム(巡礼者)・ファーザーズ」と呼ばれているプリマスについたピューリタンは「新イスラエル」を建設していると信じていたという。 イギリスでは16世紀に自分たちを「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れた。旧約聖書の記述によると、イスラエル民族の始祖はヤコブ。彼には12人の息子があり、それぞれ支族を形成するのだが、そのうちユダ族とベニヤミン族の後裔とされる人びとが「ユダヤ人」と呼ばれている。残りは行方不明で、旧約聖書を信じる人びとから「失われた十支族」と呼ばれている。勿論その話は神話であり、背景に史実が隠されているのかどうかは不明だ。 スチュワート朝のジェームズ6世も自分を「失われた十支族」の後継者であり、イスラエルの王だと信じていたという。そのジェームズ6世の息子、チャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がピューリタンのオリヴァー・クロムウェル。その私設秘書を務めていたジョン・サドラーもジェームズ6世と同じように考えていた。シオニズムはこの時代から始まる。これがイギリスの権力者がパレスチナを侵略し、アラブ系住民を虐殺してきた背景でもある。 イギリス政府は1838年にエルサレムで領事館を建設、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、68年2月から12月、74年2月から80年4月までの期間、イギリスの首相を務めたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収した。買収資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) ディズレーリは1881年4月に死亡、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドがテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめた。 シオニズムという用語を1893年に初めて使用したのはウィーン生まれのナータン・ビルンバウム。近代シオニズムの創設者とされている人物は1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだが、いずれも「熱心なユダヤ教徒」ではなかったようだ。
2024.05.12
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イスラエル軍は5月26日にラファを空爆、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)がラファで設置した10カ所以上の避難場所を破壊し、約45名を殺害した。ラファには100万人とも150万人とも言われる人びとが避難民として生活している。 凄惨な状況を撮影した映像は世界に発信されているが、その中には少なからぬ子どもが含まれ、首がなかったり、頭蓋骨が大きく欠けて脳がなくなっている死体をおとなが抱いているところを撮影した映像もある。当然、イスラエル政府に対する怒りの声は世界中で高まった。 しかし、アメリカ政府はイスラエル政府に対して「寛容」だ。ホワイトハウスのジョン・カービー報道官はイスラエル軍の攻撃が空爆だけであり、大規模な地上作戦は実施されなかったとして5月26日の虐殺を容認、イスラエルを支援するという政策を変更するつもりはないとし、国防総省のサブリナ・シン副報道官はラファでの虐殺を「限定的」と表現している。ジョー・バイデン政権はガザでの虐殺を止めるつもりはないのだ。 イスラエル軍はハマスに勝てないまま、ガザで大量殺戮と呼べる軍事作戦を展開、3万数千人とも4万人以上とも言われるパレスチナ市民を虐殺している。そのうち約4割が子どもであり、女性を含めると約7割だ。食糧支援活動に従事している人びと、医療関係者、ジャーナリストも狙われてきた。 こうした惨状であるため、ICJ(国際司法裁判所)でさえ5月24日にはイスラエルに対し、ラファでの軍事作戦を停止するようにという判決を出している。ICC(国際刑事裁判所)の主任検察官のカリム・カーンは5月20日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とヨアブ・ギャラント国防相、ハマスのヤヒヤ・シンワル、モハメド・ディアブ・イブラヒム・アル・マスリ(デイフ)、イスマイル・ハニヤに対する逮捕状を国際刑事裁判所第一予審部に申請した。 ICCの逮捕状申請に激怒したネタニヤフは英語とヘブライ語、2種類の声明を出した。いずれもICCの主任検察官をナチスの裁判官になぞらえているが、ヘブライ語版ではさらに「イスラエルの永遠の神は嘘をつかない」という「サムエル記上15章3節」からとられたフレーズがついている。 そこには「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」と書かれている。ネタニヤフは「われわれは光の民であり、彼らは闇の民だ」としたうえで、イザヤの預言を理解しなければならないと主張している。この部分をネタニヤフは昨年10月28日の声明でも触れていた。 サムエル記にはサウルという王が登場するが、アマレクの王アガグ、そして羊と牛の最上のものなどは惜しんで残した。そこでサムエルは完全に滅ぼさなかったとしてサウルを戒め、「イスラエルの永遠の神は偽りを言ったり、考えを変えたりしない」と語ったとされている。ネタニヤフはこのフレーズをヘブライ語の声明で使ったのだ。つまり、パレスチナ人を皆殺しにし、シオニストの意向に沿わない「王」は挿げ替えるという宣言だ。バイデン政権もこのことに気づいているだろう。
2024.05.30
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6月21日の午後7時から駒込の「東京琉球館」で開く「櫻井ジャーナルトーク」のテーマは「苦境に陥った米国と生物兵器」です。予約受付は6月1日午前9時からとのことですので、興味のある方は東京琉球館までEメールで連絡してください。東京琉球館http://dotouch.cocolog-nifty.com/住所:東京都豊島区駒込2-17-8Eメール:makato@luna.zaq.jp ロシア議会は昨年4月、ウクライナで回収したアメリカ国防総省による生物兵器の研究開発に関する最終報告書を発表しましたが、そこにはアメリカが人間だけでなく動物や農作物も標的にできる普遍的な遺伝子操作生物兵器の開発を目指していると書かれています。この「万能生物兵器」は特定の時期に特定の地域で異常な伝染病を引き起こす可能性があり、秘密裏に標的を定めて使用した場合、核の冬に匹敵する影響を与えることができるというのです。 アメリカやイギリスはターゲット国を攻撃、破壊するため、別の国を利用して漁夫の利を狙ったり、宗教対立を煽って殺し合わせたり、ナチズムやカルトを利用して傭兵部隊を組織したりしてきました。つまり間接的な攻撃です。 しかし、ウクライナの場合は事実上の傭兵であるウクライナ軍の敗北が決定的で、アメリカ/NATOはウクライナの「降伏」を先送りしようと必死ですが、限界があります。そこで、ロシアの勝利を認めたくないネオコンのような好戦派はアメリカ軍をロシア軍と直接衝突させようとしているようです。そうした場合、核兵器を保有しているロシアや中国が相手で生物兵器をも秘密裏に使用すればアメリカ軍が優位に立てる可能性があると考えているようです。 アメリカの国防総省がウクライナで生物兵器の研究開発を行なっていたことは本ブログでも繰り返し書いてきました。医薬品業界で研究開発に長年携わってきたサーシャ・ラティポワは、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動について早い段階からアメリカ国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めたプロジェクトだと主張しています。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったようです。 ウクライナでアメリカの支配層は生物兵器の研究開発だけでなく、農地を買い占め、資源を奪い、マネーロンダリングの拠点にもしていました。勿論、ロシアを征服するための拠点にもなります。 生物兵器の研究開発施設はウクライナのほかにもアゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージア、おそらく中国にもあったようですが、ウクライナでの活動が困難になった現在、別の場所へ拠点も移動させているようです。その中に日本も含まれているでしょう。 日本ではmRNA技術を利用した薬品の製造工場がいくつも建設されていますが、その一部で生物兵器が作られる可能性は否定できません。日本の医学界は1930年代生物化学兵器の研究をしていたのです。その中心は軍医学校、東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部で、生体実験を担当していた部隊が中国で編成されました。 当初の名称は「加茂部隊」が編成で、その責任者は京都帝国大学医学部出身の石井四郎中将。後ろ盾は小泉親彦軍医総監だとされています。後に加茂部隊は「東郷部隊」へと名前を替え、1941年には「第七三一部隊」と呼ばれるようになりました。 この部隊は捕虜として拘束していた中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人を使って生体実験、こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んでいました。この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めた人物が石井四郎。途中、1942年から45年2月までを東京帝国大学医学部出身の北野政次少将が務めています。 アメリカ軍は1930年代から生物化学兵器の研究開発を始めました。例えばロックフェラー財団の「衛生委員会」チームの一員としてプエルトリコのサンフアンにある病院で数カ月間勤務したロックフェラー医学研究所のコーネリアス・ローズなる人物は1931年、プエルトリコの被験者に意図的にガン細胞を人体へ注入し、そのうち13人を死亡させたといいます。彼はプエルトリコ人を軽蔑、絶滅を妄想していました。 ローズは第2次世界大戦中にアメリカ陸軍の大佐となって化学兵器部門の医学部長を務め、ユタ州、メリーランド州、パナマに化学兵器研究所を設立、プエルトリコ人に対する秘密実験にも参加します。 1943年末までに化学兵器関連の新しい医学研究所がマサチューセッツ州のキャンプ・デトリック、ユタ州のダグウェイ実験場、アラバマ州のキャンプ・シベルトに設立されました。1944年1月、化学兵器局は生物兵器に関するすべてのプロジェクトを担当することになります。 第2次世界大戦後、日本やドイツによる生物化学兵器の研究開発結果はキャンプ・デトリック(1955年からフォート・デトリックに格上げ)へ運ばれました。 ドイツや日本で行われた生体実験の資料や研究員を手に入れたアメリカの軍や情報機関はアメリカの街中で実験していたことが判明しています。 しかし、その前からアメリカも生物兵器の研究を行なっていました。アラバマ州では1932年から72年にかけてアフリカ系アメリカ人に梅毒を感染させ、その後の経過を観察するという生体実験も行われています。1950年にアメリカ海軍はサンフランシスコで「バチルス・グロビジー(炭疽菌と同属)」や「セラチア菌」を散布したとされ、55年にはCIAがフロリダ州タンパで生物戦争の実験を行い、その後に百日咳の患者が急増、56年から58年にはジョージア州とフロリダ州にある貧困地区で黄熱ウイルスを持つ蚊を使った実験を実施、死者も出ているとされています。 また1966年にはアメリカ陸軍の特殊部隊がニューヨーク市の地下鉄でバチルスを撒く実験を実施、またCIAは68年と69年に上水道へ毒を混ぜる実験をワシントンのFDA(食品医薬品局)のビルで行ないました。(Edited by Ellen Ray & William H. Schaap, “Bioterror,”Ocean Press, 2003) 日本で打ち続けている「COVID-19ワクチン」と称する遺伝子操作薬は未知の薬品であり、生物兵器である可能性が否定できません。ロシア議会の報告書に書かれている「万能生物兵器」の特性は「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」と似ていないでしょうか。 個人情報を集中管理するために作られたマイナンバーカードと治療歴を知ることができる保険証を一体化させた「マイナ保険証」を日本政府は導入しようとしてます。これさえあれば「COVID-19ワクチン」の副作用データを迅速に、しかも正確に集めることができるでしょう。
2024.05.26
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スーダンで4月15日にアブデル・ファッター・アル・ブルハーンが率いる正規軍とモハメド・ハムダン・ダガロが率いるRSF(即応支援部隊)が軍事衝突した。ウクライナへアメリカ/NATOが供給してきた武器弾薬の相当部分が闇市場を通じてアフリカへ流れていると言われているので、今後、戦闘が激しくなるかもしれない。 ブルハーンは2021年10月25日に軍事クーデターで実権を握った人物で、クーデターの前日にアメリカのジェフリー・フェルトマン特使に計画を伝えていたと報道されている。フェルトマンは1991年から93年にかけてローレンス・イーグルバーガー国務副長官の下で東/中央ヨーロッパを担当、ユーゴスラビアの解体に関与し、04年から08年にかけてレバノン駐在大使を務めた。 アメリカのバラク・オバマ政権は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを実行したが、その直前にビクトリア・ヌランド国務次官補(当時)とジェオフリー・パイアット大使は電話で次期政権の閣僚について話し合っている。その際、自分たちの仲間として国連事務次長だったフェルトマンの名前が登場する。 西側ではRSFがロシアの傭兵会社ワグナー・グループと関係があると宣伝されているようだが、ロシアがスーダンにおける軍事衝突に関係している可能性は小さい。その理由を元CIA分析官のラリー・ジョンソンが説明している。 ロシアの安全保障にとって重要なウクライナでの戦闘が続き、黒海艦隊の拠点があるクリミアの防衛に力を入れ、またトルコとシリアを和解させようとしている時にスーダンで新たな問題をロシア政府が引き起こすとは思えないとジョンソンはまず指摘する。 また、スーダンのブルハーン体制はロシアが紅海の沿岸に海軍基地を建設することに合意、その協定が発効する前に文民体制へ移行することになっていた。この協定でロシア軍は最大300名が駐留できる海軍基地を建設、4隻のロシア艦船を配備できるようになる。 紅海はスエズ運河を介して地中海へつながっていて、19世紀から続くアングロ・サクソンの世界支配戦略にとって重要な場所。そこにロシア海軍が基地を設けるわけだ。協定の有効期間は25年間で、双方が異議を唱えなければ10年間の自動延長となる。 2022年2月にダガロはスーダン政府の代表としてモスクワでロシアの高官と会談したが、ロシアが紅海のスーダンに海軍基地を建設することに同意した政府を転覆させようとはしないと考えるべきだ。ロシアを訪れた際、ダガロはスーダンの利益になるのであればロシアの軍事基地を建設することに何の障害もないと述べ、アメリカから非難を浴びている。 この基地建設をアングロ・サクソン、つまりアメリカやイギリスが阻止しようと考えることも容易に想像できる。実際、昨年9月にスーダンへアメリカ大使として着任したジョン・ゴッドフリーは紅海の沿岸にロシアが海軍基地を建設することを許すなとスーダン側に警告している。ゴッドフリーに言わせると、「すべての国はどの国のパートナーになるかを決める主権を持っているが、その選択は勿論、結果を伴う。」アメリカ大使はスーダンに対し、ロシアと協力すればスーダンにとって不利な「結果」がもたらされると脅したのだ。 2015年にイエメンへ軍事介入したサウジアラビア軍にスーダン軍は合流、2016年から17年にかけての時期にはRSFから4万人が派遣されたとされている。 イエメンの反政府側にはイランがついているが、サウジアラビアとイランは3月10日に共同声明を発表、中国の仲介で両国は国交を正常化させ、それぞれ大使館を再開させることを明らかにした。この合意はイエメン情勢にも影響、そこへ派遣されているRSFが何らかの行動に出たとしても不思議ではない。 ところで、スーダンは以前から戦乱で苦しんできたが、その原因は石油にある。この油田は1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンが発見したのだが、90年代の終盤にスーダンでは自国の石油企業が成長し、アメリカの石油企業は利権を失う。さらに中国やインドなど新たな国々が影響力を強めていった。自立の道を歩み始めた時期のスーダンを支配していたのがオマル・アル・バシールだ。 そうした中、スーダンの南部ではSPLM(スーダン人民解放軍)が反政府活動を開始する。そのSPLMを率いていたジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるアメリカ陸軍のフォート・ベニングで訓練を受けた人物である。 スーダンの内戦は1983年から2005年まで続き、11年に南部が独立した。フォート・ベニングにはラテン・アメリカ各国の軍人をアメリカの傭兵として訓練する施設、WHINSEC(かつてはSOAと呼ばれた)も存在している。 その間、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、それを口実としてネオコンに担がれたジョージ・W・ブッシュ政権は侵略戦争を本格化させる。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、9/11から10日ほど後に統合参謀本部で攻撃予定国のリストが存在していた。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。これはネオコンの計画にほかならない。(3月、10月)
2023.04.24
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ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権は石油取引の決済に人民元を主とする通貨バスケット制を採用するとしていたが、石油の取引にドルは使わず、ユーロに切り替えるとも報道されている。前にも書いたが、中国は石油の支払を金に裏付けられた人民元で支払う方針を打ち出している。その仕組みが実現した場合、人民元は上海と香港の取引所で金に換金することが可能だ。ベネズエラがドル離れを推進する引き金はアメリカによる「制裁」、つまり経済戦争の開始。これまでもアメリカは戦術として「制裁」を使ってきた。例えば、7月25日に下院で419対3、27日に上院で98対2という圧倒的な賛成を得てロシア、イラン、朝鮮に対する「制裁」法案が可決されている。しかし、制裁の対象になっている国を支援することもある。例えば、中東のアパルトヘイト国家、イスラエルに対するボイコット(Boycott)、投資撤退(Divestment)、制裁(Sanctions)、いわゆるBDS運動が2005年7月から展開されているが、それを禁止しようという法案がアメリカ議会で浮上している。また、現在、ロシアを挑発する発言を続けている国連大使のニッキー・ヘイリーはサウス・カロライナ州知事だった当時、BDS運動に反対していた。BDS運動が始まる前からイスラエルに対する批判は高まっていた。その切っ掛けは1982年に引き起こされたサブラとシャティーラ(パレスチナ難民キャンプ)における虐殺。その年の1月にアリエル・シャロン国防相がベイルートを極秘訪問、親イスラエル派とイスラエル軍が軍事侵攻した際のことについて話し合い、その直後にペルシャ湾岸産油国の国防相とも秘密裏に会合、そして9月にファランジスト党のメンバーがイスラエル軍の支援を受けながらサブラとシャティーラで数百人、あるいは3000人以上の難民を殺したのである。それはともかく、石油取引のドル決済はアメリカの支配システムを維持する上で非常に重要。1970年頃になるとアメリカ経済は破綻、71年8月にはリチャード・ニクソン大統領がドルと金との交換停止を発表している。ドルの下落を食い止めるためにさまざまな政策が打ち出されたが、その中で最も重要なものがペトロダラー。サウジアラビアなどの産油国に石油取引の決済をドルに限定させ、その代償として各国の防衛、そうした国々を支配する人々の地位と収入を保障した。ドルを貯め込んだ産油国はアメリカの財務省証券や高額兵器を購入してドルをアメリカへ循環させたのである。日本もドルの循環と凍結に協力してきた。ドルの循環を効率的に行うため、石油相場の上昇が図られる。1973年10月に勃発した第4次中東戦争の直後にOPECは価格を4倍に引き上げたのだが、サウジアラビアのファイサル国王の腹心で、その当時に石油鉱物資源相を務めたシェイク・ヤマニによると、1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、それで値上げが決まったという。その秘密会議はスウェーデンで開催されたビルダーバーグ・グループの会合。その後、巨大な投機市場を創設してドルを吸い上げるようになるが、それでもペトロダラーの仕組みはアメリカ支配層にとって重要だ。すでにロシアや中国もドル離れを進めているが、そこへ産油国のイランが加わる可能性は高い。そこにベネズエラも加わるわけで、アメリカにとっては深刻な事態だと言えるだろう。この苦境から脱することは容易でない。アメリカに残された手段は限られている。つまり軍事力だが、それも怪しい。正規軍が衝突した場合、アメリカ軍がロシア軍に勝てないことはジョージア(グルジア)やシリアで明確になっている。そこで、かつて作った傭兵の仕組みを利用したが、これもシリアで粉砕された。
2017.09.15
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日本のファシズム化を加速させ、原子力発電を推進しているのは安倍晋三政権にほかならない。2012年12月の衆議院議員選挙、13年7月の参議院議員選挙で自民党を勝利させた段階でこうした流れは決まった。 その流れを作る上でマスコミが果たした役割は大きい。そのマスコミが「都知事候補」として大きく取り上げる人物が碌でもないことは明白だ。石原慎太郎や猪瀬直樹を支えていたのも、そうしたマスコミだった。 東京都は東京電力の顧客であり、同社の大株主でもある。昨年9月30日現在で東電が発行した株式の1.20%を所有、原子力損害賠償支援機構(54.69%)、東京電力従業員持株会(1.33%)、クレディ・スイス・セキュリティーズ(USA)(1.23%)に次ぐ大株主だが、株数からいって発言権は限定的。 東京都が原発問題と無縁だとは言わないが、それ以外にも大きな問題を抱えていることも事実だ。原発の問題については、あくまで政府と東電を相手にすべきだろう。東京都が抱えている最大の問題は臨海副都心開発の破綻である。 この開発は鈴木俊一知事の置き土産。鈴木知事は都庁の移転など「箱物行政」を推進、1989年に臨海副都心の開発を始め、破綻した。2001年には「臨海副都心事業会計」を帳簿の上で改善するために黒字の「埋立事業会計」「羽田沖埋立事業会計」と統合、赤字と借金の一部を帳消しにしているが、それでも2013年から20年度までに約2465億円を返済しなければならないという。 その一方で福祉政策を切り捨て、学校や図書館などの予算は削り、職員の給与を引き下げている。思想統制にも熱心で、学校では「君が代」や「日の丸」を強制するなど、統制を強めている。旧日本軍は思考力を奪うために理不尽なことを兵士に強制し、屈服させて非人間的なことでもできる人間を作り上げようとした。今、同じようなことが学校で行われている。最初のターゲットは生徒。調教道具のひとつが内申書だった。 内申書の問題を象徴する出来事といえば、千代田区立麹町中学校の生徒だった保坂展人を原告とする裁判を挙げることができる。「校内において麹町中全共闘を名乗り、機関紙『砦』を発行した。学校文化祭の際、文化祭粉砕を叫んで他校生徒とともに校内に乱入し、ビラ撒きを行った。大学生ML派の集会に参加している。学校側の指導説得を聞かずに、ビラを配り,落書をした」というようなことが内申書には書かれていたという。 それに対し、最高裁は内申書を「思想、信条そのものを記載したものでないことは明らか」と強弁し、保坂の訴えを認めなかった。言うまでもなく、思想や信条とは心の問題であり、そうしたものを他人が直接、見聞きすることはできず、その人物の言動から推し量るしかない。その言動を記載しているということは、思想や信条を判断する材料を提供しているわけで、有り体に言えば、最高裁は思想の自由を否定し、信条による差別を肯定したのである。 内申書とは教師を代理人とする権力者の監視システムに外ならず、生徒に従順であることを強要する仕組みの一部だと言うこともできる。その目論みは成功しているようだ。そして今、生徒を統制する手先になってきた教師が次のターゲットになっている。これまで以上に従順な教師を作り上げようとしているのだろう。 従順な生徒と教師で満ちあふれる学校で、支配者を盲従する人間を作りだそうとしているのが安倍政権、あるいは背後にいる勢力。最近、前面に出て活動しているのは「自由主義史観研究会」のようだが、以前は関西の「新教育懇話会」と関東の「東京教育懇話会」が教科書攻撃の拠点になっていた。それぞれ、さかのぼると戦前の皇国史観を支えていた京都学派と東大朱光会に行き着く。 そうした勢力が攻勢をかけている場所がある。沖縄県八重山地区だ。「自由主義史観研究会」の流れをくんでいる育鵬社の教科書を使うように安倍政権が強要、ニューヨーク/タイムズも安倍首相らの靖国神社参拝や特定秘密保護法案などと絡めた記事にしている。 東京都の教育委員会も一種の「踏み絵」として「日の丸」や「君が代」を利用しているが、それだけでなく、実教出版の高校日本史教科書を選ばないように各校の選定に干渉するということも行っている。所詮、教科書は権力者に都合良く書かれたものだという意見もあるだろうが、小さい頃の刷り込みはなかなか抜けないのも事実。それがわかっているからこそ、権力者は「教育」に熱心なわけだ。この問題を軽く扱うことはできない。 臨海副都心開発や教育のほか、オリンピックを利用した監視システムの強化(東京の監獄化)、あるいは労働環境の悪化、貧困の拡大、金融/投機の規制といった問題もある。マスコミが恐れているのは、こうした問題に取り組んできた気骨ある人物が知事になることだ。
2014.01.11
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1月11日、イスラエルのアリエル・シャロン元首相が死亡した。 本人はイギリス委任統治時代のパレスチナで1928年に生まれたが、両親はロシアからの移民。10歳の時にハッサデー(シオニストの青少年運動)に入り、14歳でガドナ(若者向けの軍事組織)に参加した後、1942年にハガナ(イスラエル軍の前身になるシオニストの武装集団)に入隊している。 ハガナを創設したのはウラジミール・ジャボチンスキー。第1次世界大戦ではイギリス軍の一員として戦った。その際、イギリス政府に対し、イギリス軍と一緒に戦う武装組織の創設を願い出ているが、拒否されてしまう。 それでもジャボチンスキーは1920年にハガナを創設する。イギリスはこの武装集団を非合法化、ジャボチンスキーは武器の不法所持で重労働15年の刑を言い渡されたのだが、ほどなくして特赦で自由の身になる。1925年には戦闘的シオニスト団体「修正主義シオニスト世界連合」を結成した。 ところが、第2次世界大戦の頃になると、イギリスの対外情報機関MI6や破壊工作/テロ機関のSOEがハガナを訓練するようになる。イギリスはシオニストをパレスチナ支配の道具と見るようになっていたということだろう。 ハガナから分かれた武装集団としてイルグンとレヒ(スターン・ギャング)が知られている。1940年にレヒを創設したアブラハム・スターンはベニト・ムッソリーニやアドルフ・ヒトラーに接近した人物で、ファシスト的な思想の持ち主だった。 前から住んでいたアラブ系住民を追い出すため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動する。9日にはイルグンやスターン・ギャングにデイル・ヤシンという村を襲撃させた。石切の仕事で男が家にいない早朝を狙って襲い、残された女性や子どもを虐殺している。 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官だったアラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたのだが、拒否されたという。 この頃から好戦的だったというシャロンは1949年に中隊長、50年には中央司令部付きの情報将校になり、1年半ほどすると特殊工作を任務とする101部隊を率いるようになった。この部隊は第890空挺大隊として統合される。この大隊にはモシェ・ダヤンも所属していた。シャロンもダヤンも「大イスラエル」が目標で、パレスチナとの和平など論外という立場だ。 しかし、1977年にアメリカ大統領となったジミー・カーターはパレスチナ和平に前向きで、しかもイスラエルの首相も同じ考えのイツハク・ラビン。PLOのヤセル・アラファトも和平を望んでいたため、交渉は進む可能性があったのだが、この年に行われたイスラエルの選挙でリクードが勝利、「元テロリスト」のメナヘム・ベギンが新首相になり、状況は変わった。 この当時、シャロンを中心にイスラエル軍や治安当局の一部幹部が秘密会合を開き、イスラエルがヨルダン川西岸から撤退することを命に代えて阻止するという「血の誓い」を立てている。こうしたグループとは立場の違うイスラエルのエリートたちは、シャロンがアラブ諸国を核攻撃しかねないと考えていた。 1978年にベギンはカーターを仲介役としてエジプトのアンワル・アル・サダト大統領と和平条約を結んでいるが、これは包括的和平を拒否するヘンリー・キッシンジャーのプランに基づくもの。サダトはキッシンジャー配下の人間として有名だ。 北のシリアと南のエジプト、両方から圧力を受けるのがイスラエルにとって最も嫌な状況で、エジプトを「親イスラエル陣営」にすることは大きな意味があった。勿論、国連安保理決議242号に基づく和平を実現するというカーター/ラビン/アラファトの動きとは相容れないものだ。 1980年の大統領選挙では、シオニストがカーターを激しく攻撃、親イスラエル色の濃いロナルド・レーガンが当選する。そして1982年6月にイスラエル軍がレバノンの軍事侵攻。8月20日にイスラエル軍が撤退したのを受け、21日にPLOも撤退、9月12日に国際監視軍が引き揚げると、14日にバシール・ジュマイエル次期大統領が暗殺され、これを口実にしてイスラエル軍が西ベイルートに突入、難民キャンプを包囲し、16日から18日にかけて虐殺が行われたのである。 虐殺後、シャロンと軍情報局長は解任されたものの、局長の部下だった人物が3カ月の間残り、自分自身とボスたちの虐殺への関与を示す証拠を廃棄した。シャロンはかつて武器を売り歩いた中米へ逃げている。シャロンは武器商人としても有名だ。 2000年9月にシャロンはリクードの党首として1000名以上のイスラエル人警官を引き連れてエルサレムの神殿の丘を訪問、イスラム教徒を挑発し、殺戮と破壊を引き起こすことになる。シャロンの思惑通りに進んだといえるだろう。 シャロンは2001年から06年まで首相を務めるが、そのとき、シャロンの周辺が贈収賄容疑で取り調べを受け、起訴されている。リクード党の有力スポンサー、ダビド・アッペルがギリシャの島にリゾート施設を建設しようとして失敗、巻き返すためにアッペルは選挙費用を必要としていたシャロンに資金を提供する。資金提供の見返りに圧力をかけさせようとしたという。 結局、シャロンの人生は殺戮とカネ儲けで終わった。残虐で強欲なこの人物を「英雄」と呼ぶ人がいるらしい。
2014.01.14
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ウクライナの戦乱はバラク・オバマ政権がネオ・ナチを利用して実行したクーデターから始まる。ネオ・ナチのメンバーがNATO諸国で軍事訓練を受けていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。 平和を望むなら憲法を粉砕するクーデターを認めてはならず、クーデター体制を承認してはならなかったが、クーデターを仕掛けたアメリカ、そしてその従属国はクーデターを受け入れた。クーデター体制を拒否する東部や南部の人びとに残された道はロシアに保護を求めるか、抵抗を始めるしかなかったのだ。 オバマ政権がクーデターで民主的に選ばれた政権を倒したのは、民主的な手段で傀儡政権を樹立できないと判断したからだろう。ソ連が消滅した後、アメリカをはじめとする西側の強大な私的権力はウクライナでも新自由主義的な政策を推進、そうした私的権力の手先がオリガルヒと呼ばれる富豪になる一方、大多数の庶民が貧困化した。 そうした状況に対するウクライナ国民の不満は膨らむ。そして2010年の大統領選挙で東部地域や南部地域を支持基盤にするビクトル・ヤヌコビッチが当選したのだが、それをオバマ政権は嫌った。自分たちに都合の悪い政権にアメリカの私的権力は「独裁者」とか「全体主義」といったタグをつける。 7割以上の有権者がヤヌコビッチを支持していたウクライナの東部や南部では反クーデターの機運が高まり、クーデターから間もない2014年3月16日にはクリミアでロシアへの加盟の是非を問う住民投票が実施され、95%以上が賛成する。投票率は80%を超えていた。 ドネツクとルガンスクでも5月11日に住民投票が実施された。ドネツクは自治を、またルガンスクは独立の是非が問われたのだが、ドネツクでは89%が自治に賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が独立に賛成(投票率75%)している。この結果を受けて両地域の住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は動かない。 そうした動きを阻止するためにアメリカ政府も動く。まず4月12日にはジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、22日には副大統領を務めていたジョー・バイデン現大統領もキエフを訪れた。バイデンの訪問に会わせるようにしてキエフのクーデター政権は黒海に面した港湾都市オデッサでの工作を話し合っている。 会議に出席したのは大統領代行、内相代行、SBU(治安機関)長官代行、そしてネオ・ナチの中心的な存在だったアンドレイ・パルビー。オブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事になるイゴール・コロモイスキーも出席している。ちなみにコロモイスキーはウクライナのほかイスラエルとキプロスの国籍を持ち、スイスをビジネスの基盤にしている。 会議を受け、パルビーは4月29日に数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ渡している。そのグループが5月2日にオデッサで住民を虐殺したのだ。武力衝突ではない。 虐殺は5月2日午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。「サッカー・ファン」にはネオ・ナチが少なくないという。 広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導されている。危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいる。 その後、外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になる。その様子は撮影され、インターネット上に流れた。建物へ向かって銃撃する人物も撮られているが、その中にはパルビーから防弾チョッキを受け取った人物も含まれている。(建物内部の惨状も映像に記録されているが、本ブログでは掲載しない。) 建物の中は火の海になる。焼き殺された人は少なくないが、地下室で殴り殺されたり射殺された人もいた。その際、屋上へ出るためのドアはロックされていたとする情報もある。会館の中で48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられたが、現地の人の話では多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名に達するという。虐殺の詳しい調査をキエフのクーデター政権が拒否しているので、事件の詳細は今でも明確でない。その後、オデッサはネオ・ナチに占領された。 オデッサの虐殺から1週間後の5月9日、クーデター政権は戦車部隊をドンバスへ突入させた。この日はソ連がドイツに勝ったことを祝う記念日で、ドンバスの住民も街に出て祝っていた。その際、住民が素手で戦車に立ち向かう様子が撮影されている。そしてドンバスで内戦が始まるのだ。
2023.05.03
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朝鮮の金正恩労働党委員長は9月11日、ロシアのウラジオストクに到着した。EEF(東方経済フォーラム)に出席し、ウラジミル・プーチン露大統領と会談するためだ。 アメリカは日本や韓国を引き連れて東アジアの軍事的な緊張を高めているが、そのために朝鮮を利用してきた。朝鮮が相手なら少々のことをしても大丈夫だと高を括っていたのだろうが、これからはそれなりの覚悟が必要になる。 しかし、日本人の大半はそうした覚悟ができていないだろう。ネオコンやその後ろ盾に従属することで自らの地位と収入を維持している日本の「エリート」はアメリカの強さを演出し、そのアメリカに従っていれば日本は心配する必要がないと日本の庶民に思わせたいのだろう。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、ネオコンはソ連が消滅した直後の1992年2月にアメリカの国防総省はDPG草案という形で世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成。その中でドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、新たなライバルの出現を防ぐとしている。 このドクトリンに日本を従わせるため、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表したが、それと前後して奇怪な出来事が相次いだ。 例えば、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。 アメリカの戦争マシーンに組み込まれた日本は必然的に戦争への道を歩み始める。そして自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設、19年には奄美大島と宮古島にも作った。2023年には石垣島でも完成させている。 この軍事施設はアメリカの戦略に基づくもの。アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしているが、配備できそうな国は日本だけ。その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにする。そしてASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたという。 ところが、昨年10月、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。日本のミサイル開発を待っていられなくなったのだろう。 トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルとされている。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されている。 このミサイルを使う自衛隊の戦力は約25万人、予備役は約5万6000年、日本と同盟関係にある韓国軍の戦力は約50万人、予備役は310万人ということになる。アメリカ軍はオーストラリアを拠点にし、航空兵力は太平洋の島に分散させると見られている。 アメリカはユーラシア大陸の東岸で十分の手下を見つけられなかったようで、AUKUSなる軍事同盟を組織した。オーストラリア(A)、イギリス(UK)、アメリカ(US)のアングロ・サクソン同盟だ。そこへ日本は近づこうとしている。 明治維新、そして明治体制の東アジア侵略の背後にはアングロ・サクソン系のイギリスとアメリカが存在していた。琉球併合、台湾派兵、江華島への軍艦派遣、日清戦争、日露戦争と続くが、いずれも米英の戦略に合致している。 日露戦争で日本に戦費を用立てたのは、ロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。戦争の調停に乗り出したセオドア・ルーズベルト米大統領はハーバード大学出身だが、その先輩にあたる金子堅太郎と親しかった。ちなみに、関東大震災以降、日本に大きな影響力を及ぼすことになった金融機関は親ファシズムのJPモルガンだ。 日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説し、同じことをシカゴやニューヨークでも語った。日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係が韓国併合に結びついた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) アラスカ、ハワイ、フィリピンを手に入れ、東アジア侵略を視野に入れていたアメリカにとって日本の韓国併合は願ってもないことだった。アメリカが最も欲しがっていた場所はカリフォルニアのはるか西にある「新たな西部」、つまり中国東北部だった。その場所に日本は「満州国」を建国することになる。
2023.09.13
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イスラエルのテレビ局「チャンネル2」の取材に応じたとして、同国の警察と治安機関シン・ベトはモルデカイ・バヌヌを9月10日に逮捕した。バヌヌは1977年から8年間、技術者としてイスラエルの核施設で働いた経験があり、その経験に基づいて86年に同国の核兵器開発を内部告発した人物だ。 内部告発後、イスラエルはイギリスの治安機関MI5とのトラブルを避けるため、ロンドンにいたバヌヌをローマへ誘き出し、そこで拉致する。バヌヌの居場所は、彼が接触したオーストラリアやイギリスのメディアからイスラエルへ通報されていた。イスラエルで1988年に懲役18年を言い渡され、すでに出所しているバヌヌだが、現在でも「自由の身」にはなっていない。イスラエルの支配層が恐れる秘密をバヌヌはまだ持っている、少なくともイスラエルの当局はそう考えているのだろう。 ディモナにある核施設でバヌヌが担当していたのは原爆用のプルトニウム製造。生産のペースから計算するとイスラエルは150から200発の原爆を保有していることが推定されるとしていた。水爆に必要な物質、リチウム6やトリチウム(三重水素)の製造もバヌヌは担当、別の建物にあった水爆の写真を撮影したという。また、イスラエルは中性子爆弾の製造も始めていたとしている。 イスラエル軍情報局のERDに所属した経験があり、イツハーク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたこともあるアリ・ベン・メナシェもイスラエルは水爆を保有していると語っている。彼によると、1981年頃にイスラエルはインド洋で水素爆弾の実験を実施、その時点で同国が実戦配備していた原爆の数は300発以上だったという。イスラエルが保有する核弾頭の数は400発だとする推測もある。 ディモナを含むネゲブ地方の地質調査が始まったのは1949年で、52年にはIAEC(イスラエル原子力委員会)が創設されて核兵器の開発が始まる。この開発で重要な役割を果たしたひとりがフランスのCEA(原子力代替エネルギー委員会)で1951年から70年まで委員長を務めたフランシス・ペリン。1956年にはシモン・ペレスがフランスでシャルル・ド・ゴールと会談し、フランスは24メガワットの原子炉を提供することになった。 イスラエルの核兵器開発には欧米の富豪、例えばエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグが資金を提供していたと言われている。いずれもシオニストで、フェインバーグはハリー・トルーマンのスポンサーとしても知られている。 1958年になるとアメリカの情報機関もイスラエルが核兵器を開発している可能性が高いことを認識する。CIAの偵察機U2がネゲブ砂漠のディモナ近くで何らかの大規模な施設を建設している様子を撮影、それは秘密の原子炉ではないかという疑惑を持ったのだ。 そこで、CIA画像情報本部の責任者だったアーサー・ランダールはドワイト・アイゼンハワー大統領に対してディモナ周辺の詳細な調査を行うように求めたのだが、それ以上の調査が実行されることはなかった。ランダールが大統領へ報告する場合、通常はアレン・ダレスCIA長官やジョン・フォスター・ダレス国務長官が同席したようで、両者も調査の続行を要求しなかった可能性が高い。この時期、アメリカではソ連に対する先制核攻撃の準備が始まっていた。 核兵器の開発には重水が必要だったのだが、この重水をイスラエルはノルウェーからイギリス経由で秘密裏に入手する。その取り引きについてノルウェーのアメリカ大使館で筆頭書記官だったリチャード・ケリーは1959年の段階で国務省へ報告している。この書記官はアメリカの国務長官を務めているジョン・ケリーの父親だ。 コラムニストのチャールズ・バートレットによると、フェインバーグは1960年の大統領選でジョン・F・ケネディに対し、中東の政策を任せてくれるなら資金を提供すると持ちかけている。現在ほどではないにしろ、当時でも選挙戦は多額の資金が必要で、資金力のある個人や組織に頼らざるを得ない仕組みになっている。その提案をケネディは呑み、任期の途中、約束は守られたとされている。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” 1991, Random House) しかし、ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発には厳しい姿勢で臨んだことも事実のようだ。同国のダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙をケネディ大統領は送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007) 1960年には西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相もイスラエルの核兵器開発に手を貸している。この年の3月、アデナウアー首相はニューヨークでダビッド・ベングリオン首相と会談、核兵器を開発するため、1961年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めた。その後、ドイツは5隻のドルフィン型の潜水艦をイスラエルへ提供、あと1隻の契約も成立しているという。この潜水艦は核ミサイルを搭載でき、ドイツは中東の不安定化に貢献していると言える。 アデナウアーとベングリオンが会談する前月、1960年2月にイスラエルの科学者はサハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加、その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。1963年にはイスラエルとフランス、共同の核実験が南西太平洋、ニュー・カレドニア島沖で実施された。1967年の第3次中東戦争、つまりイスラエル軍がエジプトとシリアを奇襲攻撃、エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領した。 戦闘の最中、イスラエル軍は偵察飛行を繰り返した後、アメリカが派遣していた情報収集船「リバティ号」を攻撃、乗組員34名が死亡、171名が負傷した。リバティ号の通信兵は寄せ集めの装置で第6艦隊に遭難信号を発信、救援のために戦闘機が離陸するのだが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対し、戦闘機をすぐに引き替えさせるようにと叫んでいる。そのため、救援は大幅に遅れた。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)。 ここにきて注目されているのはイスラエルの中性子爆弾。1980年代にイスラエルが中性子爆弾を製造していたとバヌヌは証言しているが、最近では小型化が進み、実戦で使われていると主張する核兵器の専門家もいる。例えば、2013年5月や14年12月におけるシリアであった爆発や今年5月にイエメンであった爆発。天津のケースも疑い濃厚だと見られている。CCDカメラに画素が輝く現象(シンチレーション)があったり、爆発の状況から可能性は高いとされている。
2015.09.14
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アメリカでは今年11月に大統領選挙が予定されている。有力とされている候補者は現職で民主党のジョー・バイデン、共和党のドナルド・トランプ前大統領、そしてロバート・ケネディ・ジュニアがいるのだが、いずれもイスラエルのシオニズム体制を支持、つまりパレスチナ人弾圧を容認していると言える。ウクライナ問題や「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」問題でこの3候補の政策は一致していないが、イスラエル問題では一致しているのだ。 ウクライナをアメリカ/NATOの支配地にするということはロシアにとって新たな「バルバロッサ作戦」にほかならない。ネオコンはロシア相手でも「脅せば屈する」と信じるようになり、結局、体制を危うくすることになった。 ネオコンの思い込みを危険だとジョージ・ケナン、リチャード・ニクソン、ヘンリー・キッシンジャー、ズビグネフ・ブレジンスキーなど前世代の「タカ派」は警告していたが、ネオコンたちはその思い込みから抜け出せず、その警告通りの展開になり、西側は窮地に陥っている。 バイデンが副大統領を務めていたバラク・オバマ政権はウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権をクーデターで倒した。2013年11月から14年2月にかけてのことだが、その際に手先として利用したのはネオ・ナチだ。ウクライナを制圧することでロシアとEUをつなぐ天然ガスのパイプラインを抑え、ロシアの喉元にナイフを突きつける計画だった。パイプラインを抑えることでロシアからEUというマーケットを、またEUからロシアというエネルギー資源の供給源を奪うことができる。ロシア征服をアングロ・サクソンの支配層は19世紀から計画している。 2021年に接種キャンペーンが始まった「COVID-19ワクチン」は短期間に危険性が明確になり、翌年の前半には大半の国で接種は止まった。その中で接種キャンペーンが続いている日本は例外的な「狂気の国」だと言えるだろう。この「ワクチン」を一貫して批判してきたのがロバート・ケネディ・ジュニアだ。 今回の選挙が1968年や72年の選挙と似ていると言う人がいるようだが、根本的に違う点がある。この2度の選挙には戦争に反対する有力候補者がいたのだが、今回はいない。 1963年6月10日にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、パックス・アメリカーナを否定した上でソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言したジョン・F・ケネディ大統領はその5カ月後、11月22日に暗殺され、副大統領のリンドン・ジョンソンが昇格、新大統領はベトナムで本格的な戦争を始める。 それに対し、1967年4月4日にマーチン・ルーサー・キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると発言している。ロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちはベトナム戦争に反対するとリンドン・ジョンソン大統領との関係が悪化すると懸念、牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたというが、牧師はそのアドバイスを無視した。 ベトナム戦争は泥沼化、1968年2月の「テト攻勢」でアメリカ国民はベトナムでアメリカ軍が苦戦している実態を知ることになるのだが、その2カ月後、リバーサイド教会での演説から丁度1年後の68年4月4日にキング牧師は暗殺された。 兄のジョン・F・ケネディの意志を引き継いだロバート・ケネディは1968年3月16日、その年の大統領選挙に出馬すると宣言し、有力候補と見られていたが、6月6日に暗殺されてしまう。1968年の選挙は銃弾で破壊された。 1972年の大統領選挙では現職で共和党のリチャード・ニクソンと民主党のジョージ・マクガバンが争った。マクガバンは民主党の一般党員から支持されていた政治家で戦争に反対、党の幹部から敵視され、足を引っ張られた。反マクガバンの中心になったのはヘンリー・ジャクソン上院議員で、同議員のオフィスにはリチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、エリオット・エイブラムズ、ダグラス・フェイス、エイブラム・シュルスキーなど後にネオコンの中心になる人びとがいた。 結果としてニクソンは再選されるが、デタント(緊張緩和)を打ち出したことで軍や情報機関の好戦派は反発、ニクソンはウォーターゲート事件で失脚し、副大統領のジェラルド・フォードが昇格、デタント派が粛清される。 この粛清劇の黒幕と言える存在がポール・ニッチェやシカゴ大学のアルバート・ウォールステッター、ONA(国防総省内のシンクタンク)のアンドリュー・マーシャル室長。後にネオコンと呼ばれる人脈だ。 粛清の中でも特に重要な意味を持つと考えられているのは国防長官とCIA長官の交代だと考えられている。1975年11月に国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、76年1月にCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへそれぞれ交代、またリチャード・チェイニー、ジャクソン議員のオフィスにいたウォルフォウィッツもこの政権で登場してくる。ネオコンが台頭するのはこの時からだ。 ネオコンはシオニストの一派で、イデオロギー的にはレオ・ストラウスの影響下にある。この人物は1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃に「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ヤボチンスキーの運動に加わっている。カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003) 1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になる。 ストラウスと並ぶネオコンの支柱とされている人物が、やはりシカゴ大学の教授だったアルバート・ウォルステッター。冷戦時代、同教授はアメリカの専門家はソ連の軍事力を過小評価していると主張、アメリカは軍事力を増強するべきだとしていた。勿論、この分析は間違い、あるいは嘘だ。 イスラエルの現首相はベンヤミン・ネタニヤフ。その父親であるベンシオン・ネタニヤフは1910年3月にワルシャワで生まれ、40年にアメリカへ渡り、そこでヤボチンスキーの秘書を務めている。その年にジャボチンスキーは死亡、ベンシオンは第2次世界大戦後にコーネル大学などで教鞭を執った。 本ブログでは何度か書いたことだが、シオニズムは16世紀にイギリスで出現している。自分たちを古代イスラエルの「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れたのだが、そのひとりがジェームズ6世。自分はイスラエルの王だと信じていた。 ジェームズ6世の息子、チャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がオリヴァー・クロムウェル。その私設秘書を務めたジョン・サドラーもジェームズ6世と同じように考えていたという。 クロムウェルはキリストの再臨を信じ、「道徳的純粋さ」を達成しようと考えたようだ。そのためにユダヤ人は離散した後にパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建すると考えていたというが、彼の一派は打倒され、国教会の君主制が復活、ユダヤ人のための国家創設提案(シオニズム)は放棄された。それが復活するのは18世紀になってからだ。 「シオニズム」という語句を最初に使ったのはナータン・ビルンバウムなる人物で、1893年のことだとされている。その3年後に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルが近代シオニズムの創設者とされているが、1905年まで「建国」の地をパレスチナだとは定めていない。このヘルツルのほか、モーゼズ・ヘスやレオン・ピンスカーなどのシオニストは当初、聖書には言及していない。 クロムウェルと同じピューリタンは今でもアメリカの核的な存在だと言われている。アメリカを支配しているとされるWASPのWは白人、ASはアングロ・サクソン、そしてPはプロテスタントを意味していると言われているが、アメリカの友人によると、「P」はプロテスタントではなくピューリタンのイニシャルであり、WASPはクロムウェルの後継者だという。アメリカの支配層とイスラエルの親和性が強いのは必然だ。
2024.05.24
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まさか「火事と喧嘩は江戸の華」などと思っているのではないだろうが、中国と日本の駐英大使がテレグラフ紙(中国、日本)に続き、BBCの番組でバトルを展開した。こうした議論が行われること自体、中国と日本との間に領土問題が存在することを示しているわけで、日本政府の主張は端から崩壊している。 中国の劉曉明は尖閣諸島/釣魚台列嶼を昔から自国の領土だったとしたうえで、それを日本は軍事力で奪ったのだと主張、第2次世界大戦後における世界秩序の基盤になっているポツダム宣言/カイロ宣言によって、日本は中国へ返還しなければならないとしている。それに対し、日本の林景一大使は諸島を19世紀、合法的に領土としたのであり、その状態を変えるために中国は挑発と脅迫をしているとしている。 1895年1月14日の閣議決定で諸島は日本へ編入されたと林大使は言っているわけだが、日本国内とは違い、「日本固有の領土」だとは口にできなかったのだろう。中国が軍事力を前面に出してきたことを強調しているが、尖閣諸島をめぐって中国と日本との関係が悪化する原因を作ったのは、「棚上げ」の合意を壊した日本側にある。 前にも書いたが、日本は1872年から東アジア侵略の準備を始めている。1871年7月に廃藩置県を実施するのだが、10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着して何人かが殺されると、これを利用して台湾を攻めようとする。そのため、1872年に琉球王国を制圧して琉球藩を設置、74年に台湾へ軍隊を送り込む。1875年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、日朝修好条規を結ばせ、清国の宗主権を否定させた。 1894年に甲午農民戦争が起こると「邦人保護」を名目にして軍を派遣、日清戦争へとつなが、戦争に勝利した日本は1895年4月、清に下関条約を締結させた。尖閣諸島を日本領にするという閣議決定があったのは、その3カ月前だ。そして1895年10月、日本は朝鮮国王高宗の王妃、閔妃を官憲や大陸浪人を使って暗殺している。 この経過を林大使は「平和的」と言っている。 現在、日本の「エリート」は世界的に信用を失っている。東電福島第一原発の事故で政府や東電が重要な情報を隠し、嘘を言い続けてきたことを多くの人が知るようになり、広域暴力団を使ってホームレスなど社会的弱者を集め、危険な作業に従事させていることも伝えられている。 しかも、カナダにおいてニシンのひれ、腹部、あご、眼球などから出血が報告され、ヤマトシジミに遺伝的な異常が出ているほか、カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているという報告もある。福島沖で被曝した空母ロナルド・レーガンの乗組員70名以上が、甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているとして裁判を起こそうとしているようだ。そうした動きの背後では、日本のエリートは信頼できないという感情が渦巻いている。 安倍晋三首相はアメリカ政府の警告を無視して靖国神社を参拝、駐日大使館や国務省は「失望」を表明、国防総省も近隣諸国との関係改善を求めている。その日本では民主主義を否定する「特定秘密保護法案」が可決され、改憲も公然と主張された。疑惑の目で見られて当然。最近では、形状的にも能力的にも空母にしか見えない「いずも」を日本政府が「ヘリコプター護衛艦」と言い張り、物笑いの種になっている。 これまで日本では大手マスコミや著名な学者も生産力の違うアメリカとの戦争に突入したことを「無謀だった」と「反省」してきたが、東アジアへの侵略を反省する声は小さかった。東アジア侵略の出発点である「琉球処分」、つまり琉球/沖縄の植民地化はさらに反省の声が小さい。アメリカと戦争したのは間違いだが、東アジア侵略は間違いでないと考えているようにしか思えない。そうした人びとに支えられて安倍晋三なる人間が首相になったわけだ。 ところで、領土問題の前に林大使がすぐにすべきことがある。優秀なスタイリストを雇うことだ。
2014.01.10
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アメリカのCDC(疾病予防管理センター)はSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)への感染を確認するため、「2019年新型コロナウイルス(2019-nCoV)リアルタイムRT-PCR診断パネル」を利用してきた。そのEUA(緊急使用許可)の発行をFDA(食品医薬品局)に求めたのは昨年2月のことだ。この方法は「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」の診断のみに使うものだったが、8月にはインフルエンザA型とインフルエンザB型も検出できる方法が開発されたとされていた。 しかし、この検査方法のEUAを12月31日以降、取り下げるとCDCは7月21日に発表、SARS-CoV-2とインフルエンザ・ウイルスを区別できる手段を探すように求めている。つまり、これまで使ってきた方法ではSARS-CoV-2とインフルエンザ・ウイルスを区別できないということ。その使用期限が迫っている。 この発表が出る前、5月1日にカリフォルニア大学、コーネル大学、スタンフォード大学を含む7大学の研究者は、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査で陽性になった1500サンプルを詳しく調べたところ、実際はインフルエンザウイルスだったと発表している。この結論をカリフォルニア大学は間違いだと主張したが、その根拠は示されていない。CDCもこの報告を認めざるをえなかったのかもしれない。 「リアルタイムRT-PCR診断パネル」の期限が迫る中、登場してきたのが「オミクロン」だ。根拠もなく、WHO(世界保健機関)のテドロス・アダノム事務局長、アメリカのジョー・バイデン大統領、そしてアンソニー・ファウチNIAID(国立アレルギー感染症研究所)所長は恐怖を煽っている。相変わらず日本はアメリカの「権威」に追随。 本ブログでも繰り返し書いてきたことだが、PCRは特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する技術で、増幅できる遺伝子の長さはウイルス全体の数百分の1程度にすぎない。増幅の回数(Ct値)を増やしていけば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になるだけでなく、偽陽性の確立が増えていくことも知られている。偽陽性を排除するためにはCt値を17以下にしなければならず、35を超すと偽陽性の比率は97%になるとも報告されているのだが、2020年3月19日に国立感染症研究所が出した「病原体検出マニュアル」のCt値は40。医学的には無意味なことを行い、パンデミックを演出してきたことになる。 演出の重要な手段がなくなっても宣伝の手段は健在であり、来年も「COVID-19騒動」を続けるつもりだろうが、その一方で「COVID-19ワクチン」の深刻な副作用がこれまで以上に酷くなる可能性がある。しかもアメリカ政府が続けてきたロシアや中国に対する軍事的な恫喝が両国の設定したレッドラインに到達、極めて危険な状態になっている。1962年のキューバ危機より危険だとする人もいる。
2021.12.28
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ロシア軍の核生物化学防護部隊を率いているイゴール・キリロフ中将は3月7日に記者会見を開き、ウクライナの生物兵器の研究開発施設から回収した文書について語った。ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あるという。この問題はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動に飛び火する可能性もある。 2月24日にロシア軍はウクライナに対する攻撃を開始。巡航ミサイル「カリブル」などで航空基地が破壊されたと言われているが、その際にウクライナの生物兵器研究開発施設も狙われたとされていた。アメリカ側の証拠隠滅を防ぐためだというのだ。当初、アメリカ側は「偽情報」だとしていたが、そうした施設が存在していたことは記録に残っている。 3月8日には上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官はウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について質問され、ロシア軍に押収されるかもしれないと懸念している。つまり、ウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを否定しなかった。 アメリカの支配層は政府だけでなく、配下のハイテク企業に検閲を強化させ、自分たちにとって都合の悪い情報の発信を妨害しているが、それでもウクライナにおける生物化学兵器の研究開発を含め、世界にはさまざまな情報が飛び交っている。情報源の信頼度、ほかの情報との整合性、歴史的な分析などを行い、その情報を評価するわけだが、はなから「X政府や軍部からの情報はもちろん全く信頼できない」と切り捨てるわけにはいかない。 しかし、本ブログでも繰り返し具体的に書いてきたように、アメリカが「言論・表現の自由や取材・報道の自由を権力と暴力で弾圧している」国だということは否定できない。1980年代以降、その傾向は加速度的に強まってきた。2011年春に始まったリビアやシリアに対する侵略戦争以降、西側有力メディアの「報道」から事実を探すことは容易でなくなったが、それでもアメリカの有力メディアを信頼している人は少なくない。「アメリカ様信仰」だ。 2012年の前半、メルキト東方典礼カトリック教会の修道院長、フィリップ・トルニョル・クロがシリアへ入って調査、その報告をローマ教皇庁の通信社が伝えている。 彼によると、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている」。この指摘はウクライナにも当てはまる。
2022.03.09
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イギリスのジェームズ・ヒーピー国防閣外大臣は4月25日、同国がウクライナへ供給した「チャレンジャー2」戦車と劣化ウラン(DU)弾はすでにウクライナ軍の管理下にあり、イギリス国防相は発射地点を監視していないことを明らかにした。チャレンジャー2は劣化ウラン弾を発射できる。 劣化ウラン弾は2003年3月にアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃した際、問題になった。この攻撃に参加したのはアメリカ軍24万8000人のほかイギリス軍4万5000人、オーストラリア軍2000人、ポーランドの特殊部隊GROMの隊員194名、そしてクルドの武装集団ペシュメルガから7万人だとされている。 こうした侵略軍によってファルージャでは大量殺戮が実行されたが、その際に劣化ウラン弾が使われたという。その後、ファルージャやバスラでは新生児に奇形や脳の障害などが多発しているという報告がある。環境汚染毒物学紀要という専門誌に掲載された論文によると、ファルージャで2007年から10年にかけて生まれた新生児の場合、半数以上に先天性欠損があったという。1990年代以前には2%以下、2004年に占領軍から攻撃される前は約10%だとされている。 バスラの産院における先天性欠損の割合は、1994年から95年にかけて1000人のうち1.37人だったが、2003年には23人、そして2009年には48人に増えている。また、ファルージャやバスラの子どもたちの頭髪から鉛が通常の5倍、水銀が通常の6倍と異常に高いともいう。そうした原因は劣化ウラン弾だと一般的には言われている。劣化ウラン弾が環境を汚染し、放射能障害を引き起こすことは間違いないだろう しかし、それ以外の原因もあると考える人がいる。例えば、2011年10月にファルージャを調査したウルスター大学のクリストファー・バスビー教授によると、そこで濃縮ウラニウムを人の髪の毛や土の中から検出したと語っている。 2006年7月から9月にかけてイスラエル軍はレバノンを軍事侵攻したものの、ヒズボラに敗北。その際にイスラエルが誇るメルカバ4戦車も破壊された。それ以降、イスラエルはミサイルや航空機での攻撃が主体になる。その侵攻作戦の直後にバスビー教授はレバノンへ入った。 バスビーは残されたクレーターを調査、その中で濃縮ウラニウムが見つかったという。レバノンやガザを走っていた自動車のフィルターからもそうした物質が発見されたという。劣化ウラン弾ではなく、濃縮ウラニウムを使う兵器が利用された可能性がある。 これに対し、ロシア軍は4月から最新鋭戦車のT-14をドンバスへ配備し始めたようだ。弾道弾の射程は7キロメートル、ATGM(対戦車誘導ミサイル)を使用する場合は12キロメートルだと言われ、性能はNATOの戦車を上回る。しかもロシア軍の戦車は航空兵力の支援を受けられるが、ウクライナ軍は困難だ。劣化ウラン弾で戦況を変えることはできない。単に環境を汚染するだけだ。 昨年11月、シュピーゲル誌はドイツ軍がロシアとの戦争の準備をしているとする記事を掲載した。ドイツ軍のエバーハルト・ツォルン参謀総長が「軍隊の作戦ガイドライン」と題された秘密の草案を作成。ロシアを「差し迫った脅威」だとし、ドイツ軍はこの時点でロシア軍との戦争を準備し始めたとみなされている。 アンナレーナ・ベアボック外務大臣は昨年8月31日から9月2日にかけてプラハで開かれた「フォーラム2000」で、「ドイツの有権者がどのように考えようとも、私はウクライナの人びとを支援する」と発言して非難され、欧州議会で「われわれはロシアと戦争している」と公言している。 西側では「反転攻勢」が宣伝されているが、すでにアメリカ/NATO軍は武器弾薬が枯渇。武器弾薬が十分にあり、戦力が温存されているロシア軍に「反撃」することは難しい。 2014年2月にバラク・オバマ政権はネオ・ナチを利用したクーデターでウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を2014年2月に倒したものの、クリミアやドンバスを制圧できない。ロシア軍の生産力と戦闘能力を見誤り、アメリカ/NATOの敗北は決定的だ。ウクライナが「反転攻勢」することはできそうにない。 そうした中、中国が「停戦」を実現しようと動いている。アメリカのメンツを潰さずに戦闘を終えるシナリオを考えているのだろう。ウクライナはロシアからEUへ天然ガスや石油をウクライナ経由で運んでいたが、中国の「一対一路(BRI)」もウクライナを通過する。ウクライナのクーデターは19世紀から続く長期戦略に基づいているが、短期的にみるとロシアのパイプライン、中国のBRIが重要なファクターだろう。
2023.05.01
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東京都知事選の候補者として細川護煕の名前が挙がっている。小泉純一郎との連携も模索しているらしい。内政面では強者総取りの新自由主義政策を推進、対外的にはジョージ・W・ブッシュ政権の軍事侵略を支援した小泉。思慮が浅く、脇が甘く、腹が据わっていないために政権を放り出した細川。ふたりが手を組んで何をするというのだろうか。 小泉は単純なフレーズを掲げ、他の政策を隠す名人である。自身が首相を務めた2001年から06年に国有資産の私有化と規制緩和を推進、社会的な強者にとって有利で不公正な社会システムを作っていった。庶民からカネを巻き上げ、大企業や富裕層へ上納するということであり、安倍晋三政権とも共通する。 その当時、小泉は単純なフレーズを叫び続けていた。「民間ができることは民間にやらせろ」、「古い自民党をぶっ壊す」、「日本を変える」、「構造改革なくして景気回復なし」等々。「郵政民営化」と唱えれば全てが解決されるような宣伝も繰り広げられた。 実は、アメリカの広告業界ではクライアントの心をつかむフレーズは単純で浅薄なものが良いとされている。「論理的に説明する」のは愚の骨頂ということ。小泉はこの原則を実践したわけだ。 小泉政権の経済政策を象徴する人物が竹中平蔵。小渕恵三内閣(1998年から99年)が設置した首相諮問機関の「経済戦略会議」に中谷巌らと一緒に参加、2001年に小泉内閣が始まると経済財政政策担当大臣に就任、第1次改造で金融担当大臣を兼務し、第2次改造では内閣府特命担当大臣(金融担当/経済財政政策担当)、2004年の改造で金融担当は外れ、郵政民営化担当相になる。経済財政担当は2005年の第3次小泉内閣まで続いた。 「経済戦略会議」が設置される前、1996年に「日米21世紀委員会」の第1回会合がアメリカのメリーランド州で開かれている。この委員会はCIAとの関係で有名なアメリカのシンクタンク、CSISのプロジェクト。1998年5月まで続く。 「日米21世紀委員会」の日本側メンバーは: 宮沢喜一(名誉委員長) 堺屋太一(委員長/後に経済企画庁長官) 田中直毅(副委員長) 土井定包(委員/大和証券) 福川伸次(委員/元通産事務次官) 速水優(委員/後に日銀総裁) 稲盛和夫(委員/京セラ名誉会長) 猪口邦子(委員/上智大学教授) 小林陽太郎(委員/富士ゼロックス会長) 中谷巌(委員/一橋大学教授) 奥山雄材(委員/元郵政事務次官) 山本貞雄(委員/元京セラ専務) 小島明(顧問/日本経済新聞) ちなみに、福川と小林は日米欧三極委員会のメンバーであり、宮沢の娘、啓子はアメリカの外交官で駐日領事を経てマレーシア駐在大使を務めることになるクリストファー・ラフルアーと結婚している。要するに、アメリカとの関係は深い。 郵政民営化では、さまざまが疑惑の行動が指摘されている。その中心に郵政民営化担当相だった竹中がいるのは当然だろう。 疑惑の一例を挙げると、この竹中は2002年、西川善文と伴にゴールドマン・サックスのヘンリー・ポールソンCEOやジョン・セインCOOと会っている。ポールソンはその後、2006年から09年まで財務長官を務め、セインは2007年にメリルリンチのCEOになる。この証券会社は不正廉売が問題になった「かんぽの宿」の売却にからむアドバイサーだ。 小泉が「脱原発」を掲げたとはいっても、こうした強者総取りの新自由主義を捨てたとは言えない。小泉が首相に就任した2001年はジョージ・W・ブッシュが疑惑の選挙で大統領になった年。ブッシュ政権はその後、偽情報を流してアフガニスタンやイラクを先制攻撃しているが、そうした軍事侵攻を小泉は後押しした。そのアフガニスタンやイラクでは今も建造物が破壊され、住民が虐殺されている。 アメリカでは2001年から憲法が機能を停止、ファシズム化が急速に進んでいる。ファシズムとは巨大資本が国家を支配する体制であり、TPPはそのための協定。2020年に東京で開催が予定されている夏期オリンピックも「治安対策」を名目として監視システムを強化し、監獄化が進むだろう。 以前にも書いたことだが、オリンピックがあるから治安対策が必要なのではなく、監視体制を強化するためにオリンピックを開催するのだ。ナチスと同じように、オリンピックを利用しようとしている。オリンピックは国家安全保障会議の設置、国家安全保障基本法案や特定秘密保護法案とセットになっている。
2014.01.09
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チェース銀行は9月18日にマイケル・フリン元国家安全保障補佐官のクレジット・カードを解約すると本人に通告したようだ。同行に対する評判が落ちるリスクがあるからだという。 フリンは陸軍中将で、2012年7月から14年8月にかけてアメリカ軍の情報機関DIAの局長を務めている。フリンがDIA局長に就任した頃、バラク・オバマ政権はシリアで政府軍と戦っていた武装集団への支援を強化していた。 この支援活動は2010年8月にオバマ大統領がPSD-11を出したところから始まる。これはムスリム同胞団を使った政権転覆計画で、後に「アラブの春」と呼ばれるようになる。2010年12月にチュニジアで政権が転覆、11年2月にはリビア、3月にはシリアで侵略戦争が始まる。 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、カダフィ自身は惨殺された。その際、アル・カイダ系のLIFGとNATO軍が連携していたことが判明する。地上ではLIFGが戦い、空からはNATO軍が攻撃していたのだ。地上にはアメリカやイギリスなど侵略黒幕国の情報機関が侵入していた。 カダフィ体制が崩壊した後、戦闘員と武器/兵器はシリアへ運ばれている。その輸送工作で拠点になっていたのがベンガジのアメリカ領事館だった。すでにシリアでもアメリカの手先になっていたアル・カイダ系武装集団が存在していたのだが、そこにリビアからの戦闘員は合流することになる。その集団をオバマは支援していたわけだ。 そうした中、2012年8月にDIAはオバマ大統領に対してシリア情勢に関する報告書を提出した。それによると、シリアで政府軍と戦っている武装勢力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、戦闘集団の名称としてアル・ヌスラを挙げている。そのアル・ヌスラはAQI、つまりイラクのアル・カイダと実態は同じだともDIAは指摘している。オバマ大統領は「穏健派」を支援していると主張していたが、DIAはその主張を否定したのだ。 また、そうしたオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していた。その警告は2014年に入ってダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)という形で現実になる。そして2014年8月、オバマ政権の内部で孤立していたフリンは解任された。ちなみに、フリンは民主党の支持者だ。 2014年にオバマ政権は世界制覇に向かって足を踏み出している。中東ではダーイッシュを出現させたが、その年の2月にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、9月から12月にかけて香港で「佔領行動(雨傘運動)」を展開して中国を揺さぶっているのだ。この勝負が裏目に出たことは本ブログで繰り返し書いてきた。 その後、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させるため、さまざまな手段を講じ、任期が終わる直前の2016年12月には外交官35名を含むロシア人96名を追放している。 その年の8月、ヒラリー・クリントンに近いマイク・モレル元CIA副長官(2011年7月1日から9月6日、12年11月9日から13年3月8日の期間は長官代理)はチャーリー・ローズのインタビュー番組に出演、そこでロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語る。司会者からロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたのだ。 実際、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺された。12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見され、17年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死している。その間、2016年9月6日にはウラジミル・プーチンの運転手が載った自動車へ暴走車が衝突、その運転手は死亡した。2015年11月5日にはロシア系のRTを創設した人物がワシントンDCのホテルで死亡したが、「変死」と表現する人は少なくない。 2016年は大統領選挙の年で、ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプが争い、トランプが勝利する。そのトランプに安全保障問題のアドバイスをしていた人物がフリン元DIA局長。トランプが次期大統領に決まった後、フリンはロシアのセルゲイ・キスリャクと会い、オバマ政権がロシアに対して行っている「制裁」を話題にした。オバマの挑発に乗らず、自制して欲しいと伝えたようだ。そのフリンをアメリカの有力メディア、FBI、そしてCIAは激しく攻撃する。フリンはトランプ政権で国家安全保障補佐官に就任するが、2017年2月に解任されてしまう。フリンはヒラリーやオバマの背後にいる私的権力から嫌われているだけでなく、彼らの知られたくない事実を知っている。 クレジット・カードを使えなくしたいほどフリンを嫌っているのだろうが、この決定はアメリカが目指している「新世界」の闇を垣間見せてくれた。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」の騒動を利用して「デジタル・パスポート」を全人類に携帯させ、個人の言動を集中管理する計画がある。 通貨が完全にデジタル化されると、カネの出し入れも「デジタル・パスポート」で管理される。私的権力が「好ましくない」と判断した人の銀行口座は凍結される恐れがある。フリンのクレジット・カードのように。
2021.09.01
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現在、ジョー・バイデン大統領の周辺で核戦争を煽っている人物のひとりが2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務め、ネオコン/シオニストと強く結びついているフィリップ・ブリードラブ大将。核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと主張している。 核攻撃の目論見は核兵器が開発した直後からあった。第2次世界大戦の終盤、1945年7月16日にアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が成功して以来、アメリカやイギリスの一部支配層はロシアへの核攻撃を妄想し続けてきたのだ。 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) ドイツが降伏した3カ月後、1945年8月15日に天皇の声明が日本人に対して発表された。「玉音放送」、あるいは「終戦勅語」と呼ばれている。その半月程後、ローリス・ノースタッド少将はグルーブス少将に対し、ソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出している。 9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出していた。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという記載がある。1952年11月にアメリカは初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てる。 1957年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。沖縄の軍事基地化はこの作戦と無縁ではないだろう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てるのだが、そのタイミングで好戦派と対立していたジョン・F・ケネディ大統領は暗殺された。 1958年にドワイト・アイゼンハワー政権は核戦争で正規の政府が機能しなくなった場合を想定し、憲法に定められた手続きを経ずに秘密政府を設置する仕組みを作る。いわゆる「アイゼンハワー10」だ。この仕組みは1979年にFEMA(連邦緊急事態管理庁)へ発展、1982年にはCOGプロジェクトがスタートする。さらに1988年、秘密政府の始動は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更される。 レムニッツァーやルメイを含む好戦派がソ連に対する先制核攻撃の開始日を1963年後半に設定したのは、戦略爆撃機やICBMでアメリカがソ連を圧倒していると判断したからだ。つまり、アメリカの好戦派は自分たちが圧倒的に優位だと考えると、核戦争の妄想が頭をもたげる。 1991年12月にソ連を消滅させたボリス・エリツィンはロシアを欧米の巨大資本に売り渡し、軍隊も弱体化させた。その一方、アメリカの国防総省ではDPG(国防計画指針)草案という形で世界支配を完成させるプランが作成されている。「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。ヨーロッパや東アジアは叩くべき潜在的なライバルとなり、エネルギー資源のある中東で従属度の足りない体制は破壊の対象になった。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、その直後にジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めた。 その一方、国内では「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が制定された。この法律は340ページを超す文書だが、それを議会は提出されて1週間で承認してしまった。 この法律によってアメリカ憲法は機能を事実上停止、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになった。COGが起動したと考える人もいる。 アメリカは民主主義を放棄したわけだが、この法律のベースになった法案を1995年2月に提出したとバイデンは自慢している。愛国者法の一部は2015年に失効したものの、「自由法」という形で復活。今ではさまざまな形で愛国者法は生き続けている。 ソ連の消滅でアメリカは「唯一の超大国」になったと同国の好戦派は信じ、自国を2002年にABM(弾道弾迎撃ミサイル)条約から一方的に脱退させた。核戦争でアメリカが圧勝できる時代が来たと彼らは信じたのである。 外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文ではアメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張している。アメリカの好戦派がどのように考えていたかを示唆していると言えるだろう。こうした見方が間違っていることは後に事実が証明するが、今でもアメリカの軍事的な優位を信じている人もいるようだ。 この論文が出された翌年の8月、核弾頭W80-1を搭載した6機の巡航ミサイルAGM-129が「間違い」でノースダコタ州にあるマイノット空軍基地からルイジアナ州のバークスデール空軍基地へB-52爆撃機で運ばれるという出来事があった。 核弾頭を搭載した上で持ち出して輸送したのだが、核弾頭の扱いには厳しい手順が定められている。上層部の許可が必要だ。核弾頭を搭載した6機のミサイルを輸送したということは、そうした手続きを6回経なければならない。この件で10人近い変死者が出ていることもあり、「間違い」ではないと考える人は少なくない。上層部を含むグループが意図的に持ち出したのだろうということだ。 その当時、イランをアメリカが核攻撃するという噂があった。そうしたことから、支配層の一部がイランを核攻撃しようとしたのではないかと疑う人もいる。アメリカ国内で「偽旗作戦」として使う、あるいは恫喝のために使うという推測もあった。この「イラン」を別の国、例えばウクライナへ変えることもできる。ウクライナで核兵器を使用する可能性が高い国はアメリカにほかならない。
2022.05.07
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NATOの軍事演習「エア・ディフェンダー23」が終了した6月23日、ロシアの連邦保安庁(FSB)は傭兵会社ワグナー・グループを率いるエフゲニー・プリゴジンの捜査を開始した。武装反乱の呼びかけ容疑だ。「私たち全員が死ぬ準備ができている。25,000人全員、そしてさらに25,000人だ」と語ったと言われている。ロシア軍がワグナー・グループの「後方野営地」を攻撃したという話も流れたが、ロシア国防省は否定している。 ワグナー・グループの役割はロシア軍の支援を受け、都市を攻略する作戦に従事してきた。岩塩の採掘場を利用してアメリカ/NATOが築いた地下要塞のあるソレダルを今年1月に制圧した後、アルチョモフスク(バフムート)へ向かう。5月上旬にはその80から90%を制圧、ワーグナー・グループの任務も終わりに近づいた。 そうした5月5日、プリゴジンは自分が率いる部隊を5月10日にバフムート(アルチョモフスク)から撤退させると宣言。十分な弾薬が供給されず、部隊に多くの死傷者が出ているとしてセルゲイ・ショイグ国防大臣を批判している。チェチェン人部隊を率いているラムザン・カディロフも同じことを主張していた。そうした批判があった時期にショイグと司令官たちが武器の供給について話し合った。 それから間もなくしてワーグナー・グループはバフムートで勝利、プリゴジンは5月20日、アルチョモフスクの「解放」を宣言、25日から部隊を撤退させると発表した。その際、セルゲイ・スロビキン上級大将とミハイル・ミジンチェフ上級大将に謝意を表している。 スロビキンは昨年10月からドンバス、ヘルソン、ザポリージャの先頭を指揮している軍人。ミジンチェフはマリウポリを解放した作戦の指揮官だった。今年5月4日からミジンチェフはワグナー・グループの「副司令官」を務めているが、料理人のプリゴジンではなくミジンチェフが本当の司令官だと考える人もいた。 マリウポリを占領、拠点化していたのはネオ・ナチを主力とするアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊やアゾフ連隊とも言われる)。内務省に所属する親衛隊の中核で、ロシア軍が攻撃を始めると住民は人質として使っていた。 ジョー・バイデン政権はウクライナでロシア軍が「ジェノサイド」を行っていると主張、それを西側の有力メディアは宣伝しているが、解放されたマリウポリ市民は異口同音に親衛隊の残虐行為を告発していた。その様子を撮影した映像がインターネット上に流れている。 ロシア軍参謀本部の第1副本部長を務めているウラジーミル・ステパノビッチ・アレクセーエフ中将も注目されている。多くの秘密作戦の計画に参加、彼を通じてさまざまな民間の警備会社や軍事会社が国防省と契約している。ワグナー・グループ創設の背後にもアレクセーエフがいたとも言われているのだ。 プリゴジンには犯罪歴があり、暴力犯罪で2度刑務所に入っているようなので、性格に問題があると言えそうだが、彼の周辺には有名な軍人がいる。プリゴジンやワグナーの何者がウクライナ軍へロシア軍に関する情報を提供しているという「噂」があるそうだが、ならば早い段階から捜査は始まっていた可能性が高く、身の危険をプリゴジンは感じていたかもしれない。 今回の騒動は彼の性格に起因するのか、彼が外国の工作員なのか、ロシア軍が計画している何らかの作戦の布石なのか、何が正しいのか不明だ。エア・ディフェンダー23を利用してNATO軍がロシアを攻撃、それに合わせてロシア国内で武装蜂起を計画していた可能性もあるだろう。プリゴジンの背後には米英金融資本と結びついた反プーチン派のオリガルヒがいるという見方もある。
2023.06.25
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フランスのエマニュエル・マクロン大統領はNATOの地上軍をウクライナへ派遣した意図しているが、すでにNATO軍の将校が民間人を装ってウクライナへ入り、ロシアとの戦闘に参加していると言われている。 バラク・オバマ政権はNATOの訓練を受けたネオ・ナチのグループを使い、2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、その直後に新体制を支えるため、CIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだほか、傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦に参加させていた。2015年からはCIAがウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練している。 ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノによると、アメリカ陸軍の特殊部隊デルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)も戦闘に参加していた。ポーランドやバルト諸国からも戦闘員が入っていると言われている。その一方、兵器を供給し、兵士を訓練、軍事情報を提供している。 アメリカ/NATOがウクライナへ供給した西側の兵器の扱いにウクライナ兵は慣れていない。そこで操作するための要員が必要で、民間人を装っているかどうかはともかく、相当数の兵士が西側からウクライナへ入っているはずだ。 ロシア軍は今年1月16日にウクライナのハリコフを攻撃、軍事施設のほか、情報機関や軍関係者が滞在していた旧ハリコフ・パレス・ホテルを破壊した。この建物には200人近くの外国人傭兵が滞在していたと言われ、相当数の死傷者が出たという。犠牲になった戦闘員の大半はフランス人傭兵で、そのうち60名が死亡、20人以上が医療施設に搬送されたと伝えられている。この日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は40発のスカルプ巡航ミサイルと「数百発の爆弾」をキエフに送ると約束している。 ここにきてアメリカはウクライナでロシアに敗北した責任をウクライナ政府に負わせて撤退しようとしていると言われ、ドイツやイギリスを含むヨーロッパ諸国もウクライナへ地上軍を派兵する計画はないと発表している。フランスだけがロシアとの戦争へ向かって前のめりになっている。 マクロンはウクライナでロシアを勝たせるわけにはいかないと主張しているようだが、欧米諸国はすでに特殊部隊を含む戦闘員をウクライナへ送り込み、武器弾薬も供給してきた。その戦闘でウクライナ軍は兵士が足りなくなり、アメリカ/NATOの兵器庫は空になったとも言われている。日本に武器を提供させようとしているのはそのためだ。 そうした中、アメリカ/NATO軍が地上軍を送り込んでロシア軍に勝とうとするならば、核兵器を使わざるをえなくなるだろう。勿論、世界大戦だ。アメリカやイギリスも同じだろうが、マクロンを操っている支配層はロシアや中国を簡単に倒せるという前提で世界制覇計画を描いているように見える。ロシアや中国を倒せなければ、その計画が崩れる。「COVID-19ワクチン」プロジェクト、あるいは「リセット」も崩壊する可能性がある。人類の存続を危うくするようなことをしてきたことが明確にされ、プロジェクトの推進者たちは責任を問われることも考えられる。
2024.02.29
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小林製薬の「紅麹コレステヘルプ」によって「尿細管間質性腎炎」が引き起こされたのではないかとマスコミは大騒ぎしている。騒ぎは日本大学医学部の阿部雅紀医師がその疑いを表明したところから始まった。阿部医師が製造メーカーに連絡したのは今年2月上旬だという。 70代の女性と50代の女性2人が腎機能の異常で入院したのだが、同医師によると、3名に「共通するのは同じサプリメントを摂取していたことのみ」だとしている。つまり、その3名は「COVID-19ワクチン」を接種していなかったということなのだろう。万一、その3名がこの「ワクチン」を接種していたなら、「虚偽情報の流布」と言われても仕方がない。 これに対し、「ニコニコ」で「JPSikaDoctor」は「COVID-19ワクチン」が腎機能障害を引き起こした可能性があるとする報告の存在を指摘していた。 長崎大学病院の鳥越健太助教らのグループは「COVID-19ワクチン」が腎機能障害を引き起こしたと考えられる66歳男性の症例を報告する論文を今年1月26日に公表している。その患者は来院前1年以内に尿検査での異常や腎機能障害はなかったが、3回目と4回目の「COVID-19ワクチン」接種後に肉眼で血尿が認められ、腎病理検査でIgANと間質性腎炎が確認されたという。 この「COVID-19ワクチン」は本来のワクチンではなく、実際は遺伝子導入剤。つまり未知の薬剤なのだが、安全性の確認が不十分のまま世界規模で接種、すでに深刻な副作用や死亡が報告され、未曾有の薬害だする人もいる。この副作用は全身で炎症を引き起こすが、腎臓も例外ではない。 言うまでもなく、鳥越健太らの報告は阿部雅紀の場合に比べ、医学的な重みが違う。鳥越らの報告を無視、阿部の話を重視するなら、それなりの根拠を示す必要があるだろう・・・もし、マスコミが情報を生業とする人たちならば。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、「COVID-19ワクチン」はアメリカ国防総省が進めている軍事プロジェクトである可能性が高い。サーシャ・ラティポワによると、COVID-19騒動はアメリカ国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めた作戦。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 その軍事作戦でウクライナが重要な役割を果たしてきた。生物化学兵器の研究開発施設を建設するだけでなく、医薬品メーカーを巻き込んで人体実験を行なっていたのである。 しかし、2022年2月24日にロシア軍がドンバスへ軍事侵攻しようとしていたウクライナ軍を攻撃、その際にアメリカの生物兵器研究開発施設も破壊した。ウクライナにはアメリカ国防総省のDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が約30カ所あったと言われている。 ロシア政府はアメリカ軍がロシアとの国境に近いウクライナ領内で生物化学兵器の研究開発を行っていることを以前から知っていた。ウクライナでクーデターが始まった2013年、アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれ、実際、建設されている。ディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、各研究所は2010年から13年の間に建設されたという。 ロシア軍は施設を破壊しただけでなく、機密文書を回収している。そうした文書の分析でアメリカが「万能生物兵器」を開発していたことが判明したと2023年4月に発表された。アメリカは人間だけでなく動物や農作物にも感染させることができる普遍的な遺伝子操作生物兵器の開発を目指していたというのだ。生態系を破壊し、大規模で取り返しのつかない経済的損害を与える遺伝子組換え生物兵器を開発していたというわけである。 大量破壊兵器を保有しているロシアや中国のような国と軍事的な直接対決が避けられない場合、そうした「万能生物兵器」を秘密裏に使用、アメリカ軍が優位になる状況を作ろうというわけだ。ロシア側の判断では、こうした生物兵器の生産は平和目的の製品であるかのように偽装し、さまざまな企業に分散させることができる。局所的な攻撃では天然痘、炭疽菌、野兎病、ペストなどを利用することもありえる。 ウクライナでアメリカ/NATO軍がロシア軍に敗北したことから、アメリカは生物兵器の研究開発拠点をポーランド、バルト3国、中央アジアなどに移しつつあるようだ。ビジネスやアカデミーの分野をアメリカに支配されている中国でもそうした施設が存在していた。 中国でアメリカの手先として動いていたのはオックスフォード大学に留学していた疾病預防控制中心主任の高福だろうが、COVID-19騒動が始まると軍の陳薇が主導権を握った。今、高福が中国でどの程度力を保持しているかは不明だ。 日本も移転先に含まれている可能性がある。そうした視点から「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」や福島県南相馬市に建設されたmRNA技術を利用した製品の製造工場を考えなければならない。日本政府が強引に生体実験もどきの「COVID-19ワクチン」接種を続けているのは、アメリカ国防総省からの命令があるからではないのだろうか。
2024.04.01
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アメリカの好戦派、いわゆる「チキン・ホーク」はロシアについて「国を装ったガソリンスタンド」、「核兵器を持ったガソリンスタンド」だと表現、自分たちはタフ・ガイぶっていた。アメリカ支配層の広報誌的な存在である「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載された論文には、アメリカのエリートはアメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張する論考が載っていた。 2008年8月、北京オリンピックの開幕に合わせてジョージア軍は南オセチアを奇襲攻撃したが、ロシア軍の反撃で完敗している。ジョージア軍にはイスラエルが2001年から武器/兵器を含む軍事物資を提供、将兵を訓練、のちにアメリカの傭兵会社も訓練に参加している。奇襲攻撃の作戦はイスラエル軍が立てたとも言われている。つまり、南オセチアではアメリカ軍やイスラエル軍がロシア軍に負けたのだ。 アメリカのバラク・オバマ政権は2011年春、アル・カイダ系武装集団を利用してリビアやシリアへの軍事侵略を開始、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はその年の10月に倒すことに成功、カダフィ本人はその際に惨殺。並行してシリアへも軍事侵略していたが、バシャール・アル・アサド政権を倒せないでいた。 アメリカ政府は2012年からシリアのアル・カイダ系武装集団への支援に集中、14年にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を生み出した。ダーイッシュは拘束した人物の斬首を演出するなど、残虐さをアピール、それを口実にしてアメリカ/NATO軍が介入する動きを見せていたが、その前にシリア政府の要請で2015年9月末にロシア軍が介入してアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを敗走させた。その際、ロシア軍は戦闘能力と兵器の性能が高いことを世界に示している。 オバマ政権は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでネオ・ナチを利用してクーデターを仕掛け、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。ヤヌコビッチが支持基盤にしていた東部や南部の人びとはロシアの保護下に入ったり武装抵抗を始めたが、ロシア軍は介入しなかった。内戦は反クーデター軍が優勢でロシア軍が住民を保護する必要はないとクレムリンは判断したのだろう。実際、アメリカ/NATOはクーデター体制の戦力を高めるために8年を要した。 そして2022年2月、アメリカ/NATOを後ろ盾とするクーデター軍がドンバスを攻撃しようとした直前にロシア軍が介入、2月末にはウクライナ軍の敗北が明らかになり、イスラエルやトルコを仲介役として停戦交渉が行われ、ほぼ合意した。これを壊したのはイギリス政府やアメリカの政府や議会だ。 この段階から2023年途中までアメリカ/NATOはロシア軍を降伏させられると本当に信じていたようだ。西側でもウクライナの敗北は避けられないと分析されていたが、チキン・ホークは違ったようだ。言うまでもなく、彼らの見通しは間違っていた。ウクライナ軍は戦死者が膨らみ続け、国外へ脱出したウクライナ人を帰国させたり、外国人戦闘員を増やそうとしている。 ここにきてイギリスのデイビッド・キャメロン外相は、「ウクライナにはイギリスの武器を使い、ロシア領土を攻撃する権利」があると発言し、フランスのエマニュエル・マクロン大統領はNATOの地上軍をウクライナへ派遣すると口にしている。フランス軍は約1000名の兵士をオデッサへ入れ、さらに同程度の部隊が送り込む予定だとも伝えられている。 これに対し、ロシア外務省はイギリスのナイジェル・ケイシー大使を召喚、モスクワはウクライナ領の内外にあるイギリスの標的に対して報復攻撃を実施すると警告したという。具体的な話があったとも言われている。フランスのピエール・レビ大使も召喚され、警告された。 イギリス、フランス、あるいはドイツなどの政府はロシアに対して敵対的な姿勢を示し、軍事攻撃も示唆してきた。ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相は2022年8月31日に「フォーラム2000」で「ドイツの有権者がどのように考えようとも、私はウクライナの人びとを支援する」と発言、23年1月24日に「われわれはロシアと戦争している」とPACE(総州評議会議会)で口にしている。オラフ・ショルツ独首相はアメリカ政府の圧力でロシアとの軍事衝突に向かって歩いている。簡単にロシアに勝てると信じていたのだろうEU諸国の政府はパニック状態になっているようだ。 要するにアメリカやEUの「エリート」は思考力にかけている。それをカバーするために利用したAIの判断が間違っていた可能性がある。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」、つまり遺伝子操作薬の問題でも彼らは見通しを間違っていたのかもしれない。 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動はアメリカの国防総省が始めたプロジェクトであり、その目的は「COVID-19ワクチン」なるタグをつけた遺伝子操作薬を世界の人びとに接種させることにあった可能性が高い。 日本のみで治験計画が進められている「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」は一種の人工ウイルスで、動物の種を超えるだけでなく植物へも伝染、生態系を破壊する可能性がある。ウクライナでアメリカ国防総省が研究開発していた「万能生物兵器」なのかもしれない。その治験で彼らが見通しを誤っていた場合、人類、最悪の場合には地球の全生態系が死滅することもありえる。
2024.05.11
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ウクライナ軍はアメリカのATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)でバロニシュにあるロシア軍のICBM(大陸間弾道ミサイル)レーダー施設を攻撃したと伝えられた。建造物の側面に穴が空いているのだが、損傷は小さく、火災や爆発力の痕跡はない。そこでATACMSによる攻撃ではないと見られているが、早期警戒システムに対する何らかの攻撃があったとは言える。いずれにしろ、こうした攻撃をアメリカ政府が知らなかった可能性は小さい。ウクライナは核戦争の領域へ足を踏み入れたと言えるだろう。 ウクライナ軍がATACMSを攻撃に使い始めていることは確かなようで、例えば4月17日に12機のATACMSでクリミアのジャンコイ基地を攻撃して防空システムS-400を破壊したという。ウクライナ軍はS-400防空システムのランチャー4機以上を破壊したと主張している。 5月1日には1機が訓練施設に飛来、16日にはベルベク飛行場で複数の航空機を破壊/損傷させ、22日には5機がドネスクでS-400などを破壊、23日から24日にかけて複数のATACMSがクリミアのアルシュタを攻撃したというが、撃墜の情報も伝えられている。4月20日には10機、4月29日には5機のATACMSがそれぞれ撃墜され、5月13日にはルガンスクで1機を撃墜、15日には10機が撃ち落とされた。 ATACMSは複数の慣性航法ユニットをソフトウェアで組み合わせて使用しているため、ロシアのECM(電子対抗手段)でGPSを利用したシステムが機能しなくなっても目標に到達しやすいのだが、ロシア軍の別の防空システムによって大半は撃墜されているようだ。ロシアの防空システムが機能していないとは言えない。 それでもアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官はジョー・バイデン大統領に対し、ウクライナ軍がロシア領深くにある標的へのミサイル攻撃を許可するように求めているというが、そうした主張を彼だけがしているわけではない。例えばマイク・ジョンソン米下院議長。複数の議員も国防長官に対してウクライナ軍がアメリカ製兵器でロシア領内の戦略目標に対する攻撃を許可するように求め、下院外交委員会のマイケル・マッコール委員長は攻撃すべきロシアの標的の地図を示している。アメリカでは気楽に好戦的な主張を政治家が口にしているが、ロシア領内へのミサイル攻撃はロシアに対する宣戦布告を意味する。 NATO軍は今年1月から7月にかけて「ステッドファスト・ディフェンダー」と名付けられた軍事演習を実施中だが、この演習中、ロシア軍はバルト海周辺で電子戦のテストを実施、さらに非戦略核戦力を実戦で使用する能力を高めるための演習をロシア軍南部軍管区に所属するミサイル部隊は実施した。ロシア側はアメリカ/NATO側の言動をそれだけ深刻に受け止めている。ウクライナでアメリカ/NATO軍が本格的に参加する場合、ロシアは戦術核を本気で使う可能性があることを西側諸国に知らしめる演習だとも言われている。 本ブログでも繰り返し書いてきたように、アメリカ/NATOは特殊部隊や傭兵を2014年頃からウクライナへ派遣、戦闘に参加していると言われてきた。すでにロシアに対する「超限戦」は始まり、ネオ・ナチだけでなく中東などからアル・カイダ系武装集団も送り込まれ、金融戦争なども始められた。ウクライナの外でテロ活動も行っている可能性が高い。 ウクライナでも言えることだが、アメリカだけでなくイギリスの動きは目立つことも事実だ。そのイギリスをウクライナの親衛隊で中心的な存在であるアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)のメンバー3名が最近訪問、その際、イギリス議会で3名は歓迎された。ボリス・ジョンソン元首相はそのメンバーと会った際、アゾフ大隊の旗を手にしながら、イギリス政府はウクライナへさらに武器と資金を送るようにと語っている。元首相が手にしていた旗は第2次世界大戦中、バッフェンSS師団とドイツ国防軍の部隊が使用していたシンボルをあしらったもの。彼らはナチズムを信奉していることを隠していない。 アメリカにおける好戦派の中心はシオニストの一派であるネオコン。バラク・オバマ大統領は自分たちの命令に従わないウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒すため、2013年11月から14年2月にかけてクーデターを実行した。その際、現場で指揮していたのが国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランドだ。 彼女の場合、父方の祖父母がウクライナからの移民で、夫はネオコンの重鎮であるロバート・ケーガン、義理の弟はフレデリック・ケーガン、フレデリックの妻はISW(戦争研究所)を設立したキンベリー・ケーガンだ。 ソ連消滅の直後から世界制覇プロジェクトを始動させたネオオンは手始めに旧ソ連圏の制圧に乗り出すが、ビル・クリントン大統領はそのプロジェクトに抵抗する。彼がスキャンダルで攻撃された理由のひとつはそこにあるのだろうが、彼の妻であるヒラリーはヌランドの友人だ。 ウクライナのおけるクーデターをオバマ政権で指揮していたのはヌランドのほか、副大統領だったジョー・バイデンや副大統領の国家安全保障補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。バイデンが大統領に就任した後からもこのチームがロシア攻撃の中心だった。バイデン政権ではここにブリンケンが加わるが、彼の父方の祖父はウクライナ出身だ。 ロシア軍の勝利が決定的になる中、5月20日にウォロディミル・ゼレンスキー大統領の任期は選挙が行われないまま切れた。もっとも、ウクライナの現体制は2104年2月にアメリカがネオ・ナチを利用して仕掛けたクーデターで樹立、当初から基本的人権は守られていない。 クーデターでヤヌコビッチ政権を倒した時点でネオナチはウクライナを自分たちの「縄張り」にしたと考えたのだろうが、クーデター体制に対する反発は強く、ヤヌコビッチの支持基盤だった南部のクリミアはロシアに保護を求め、東部では武装抵抗を始めた。 クーデター後、軍や治安機関に所属していた人の約7割が離脱、その一部が反クーデター軍へ入ったと言われているが、そのためか、反クーデター軍はクーデター軍の軍事侵攻を阻止した。 そこでアメリカ/NATOは8年かけてクーデター体制の戦力を増強して東部のドンバスに対して大規模な攻勢をかけようしたのだが、その直前にロシア軍が介入した。ネオコンはロシア軍に楽勝できると考えていたようだが、そうした思惑通りには進んでいない。兵士や兵器の能力もさることながら、国の生産力でロシアはアメリカ/NATOを圧倒している。 ウクライナがロシアに勝てないことは西側でも軍事専門家の間では常識だろう。ロシア領内を攻撃しても厳しい反撃があるだけだ。それでも欧米の好戦派がロシアに対する直接的な攻撃をウクライナに命じているのは、少しでもロシアを疲弊させたい、あるいはロシアの弱点を探りたいといった理由からだろう。ウクライナは捨て駒だ。その事実にウクライナ人は気づいている。
2024.05.27
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今年もアメリカ政府は「イスラム掃討作戦」を展開するつもりのようだ。昨年12月にアメリカ政府はイエメンでの軍事行動に前向きの姿勢を示し、連邦地裁判事は非武装のイラク市民を殺害した傭兵に無罪を言い渡している。バラク・オバマ政権も「軍事信仰」からチェンジできていない。 例えば、12月中旬にイエメン北部のマーケットが空爆され、一般市民35名以上が殺されている。攻撃したのはサウジアラビアだとされているが、これが確かなら面倒なことになるだろう。サウジアラビアの王制は決して安定していない。かろうじてアメリカが支えているのが実態で、国民の怒りが爆発すれば「民主化」されて反米体制が誕生するだろう。それではアメリカもイスラエルも困る。サウジアラビアの空爆には理由があり、そうした軍事行動をアメリカ政府が支援していることをアピールしなければならない状況になったと言える。 空爆を正当化する理由としてアメリカは、いつものように「アルカイダ」を持ち出してきた。イエメンには「アルカイダの脅威」が存在し、大使館を閉める必要があるほどの危機が迫っていると宣伝しているのだが、イエメン政府はアメリカ側の主張を「誇張だ」としている。アフガニスタンやイラクへの先制攻撃も誇張と嘘でアメリカ政府は始めたことを考えると、今回の主張に説得力はない。 しかし、何らかの軍事行動が起こる可能性はある。イエメンの反体制派、アメリカ政府が言うところのアルカイダが実行するかもしれないが、それ以上に警戒すべきなのはアメリカの動きだ。何しろ、アメリカは世界で最大、最強のテロ国家である。アルカイダもアメリカが作り上げたモンスターだ。 過去を振り返ると、例えば、ベトナム戦争でアメリカの情報機関(CIA内の破壊工作部隊)と特殊部隊は敵の影響下にあると見られる村を襲撃して皆殺しにしたり、敵側の人間である疑いのある人物を次々に拘束し、拷問の上で殺している。また、南ベトナム解放民族戦線を装って爆弾を都市部で炸裂させている。これが悪名高き「フェニックス・プログラム」だ。(日本のマスコミや学者は触れたがらないが。) それ以外にも、イタリアでは左翼勢力への支持を減らすため、「左翼過激派」を装って「爆弾テロ」を実行したことが判明した。1960年代の前半にアメリカ軍やCIAの軍事強硬派が練り上げたノースウッズ作戦もそうした種類のものだ。つまり、アメリカに逆らうと「テロ攻撃」を受ける可能性がある。 アメリカのとってイエメンはソマリアと同じように、重要な国である。両国はアデン湾をはさんで向き合い、紅海からスエズ運河へ向かう入り口に位置している。現在、スエズ運河はアメリカやイスラエルと友好的な関係にあるエジプトが支配しているのでアメリカ政府としては安心だろうが、イスラム勢力が強いイエメンとソマリアは違う。ソマリアが無政府状態になった最大の原因は、アメリカがイスラム勢力を軍事力で排除しようとしたことにある。しかも、ソマリアでの作戦にはウィリアム・ボイキン中将(退役時)のように、イスラム教徒との戦いを「宗教戦争」と考えているような軍人も参加しいていた。ボイキンは狂信的なキリスト教原理主義者(キリスト教系カルト)としても知られている。 ボイキンと同じようにキリスト教系カルトを信じ、特殊部隊に所属していたエリック・プリンスが創設した傭兵会社がブラックウォーター(現社名:Xe)。この会社は軍だけでなくCIAとも契約関係にあり、真偽のほどは不明だが、「死の部隊」として動いているとする噂はイラク占領直後から流れていた。 そのブラックウォーターが雇っていた傭兵5名が2007年9月、イラクの首都バグダッドで非武装のイラク人14名から17名を殺害し、アメリカで起訴されたのだが、「手続き上の理由」から連邦地裁判事のリカルド・ウルビナは「元傭兵」5名に対して無罪を言い渡した。イラク人の怒りを軽減するための演出なのかもしれないが、これで「一件落着」とはいかないだろう。
2010.01.05
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ふと、こんなことを考えた。 商品の売り上げは商品がどの程度売れたかで決まる。人気のある商品は売れるだろうが、人気がなくても売れれば売上高は膨らむ。商品が欲しいのではなく、買うことに意味がある場合もある。そうした買い手は通常の客ではない。そうした商品の場合、一般の客が不買運動をしてもカネの流れに大きな変化はないだろう。 かつてコロガシが問題になった。ある商品を何社かが転売していくのだが、その商品が欲しいわけではない。利益をプラスしながらコロガシていくのだ。誰も商品自体には興味がない。その商品を最終的につかんだ人間は、そのゲームの敗者だ。 昔々、そうしたゲームをして負けた会社が梱包を解いたところ、別の商品が入っていたことがあるという。
2019.04.24
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メキシコの麻薬組織が西側の巨大銀行と結びついていることは西側の有力メディアも伝えてきた。2008年の金融破綻、いわゆるリーマン・ショックを処理する際に麻薬資金も重要な役割を果たしたと伝えられている。UNODC(国連薬物犯罪事務所)のアントニオ・マリア・コスタによると、麻薬取引で稼いだ利益3520億ドルの大半が経済システムの中に吸い込まれ、いくつかの銀行を倒産から救った可能性があるという。 しかし、それ以上に深く関係しているのはCIAである。アメリカ政府が主張する「麻薬との戦争」は「テロとの戦争」と同じように、侵略する際に使うタグのバリエーションのひとつにすぎない。 サリナス・デ・ゴルタリ家はメキシコの麻薬カルテルと関係が深いが、その一族に属すカルロス・サリナス・デ・ゴルタリは1982年から87年にかけて予算企画大臣、88年から94年にかけて大統領を務めた。その期間にNAFTAに署名してアメリカ支配層のために尽くしている。 1980年代にCIAはニカラグアの革命政権を倒すため、アメリカ支配層の傀儡だったソモサ家の手先である国家警備隊を中心に「コントラ」なる武装集団を組織した。 その革命集団は「サンディニスタ」と呼ばれるが、その名称は1920年代から30年代にかけてアメリカ軍と戦ったニカラグアの英雄、アウグスト・サンディーノに由来している。 アメリカ大使のアーサー・レインは1933年にサンディーの暗殺を計画、アナスタシア・ソモサ・ガルシアというアメリカの手先として働いていた人物が実行することになった。 1934年2月にソモサ配下の国家警備隊がサンディーノを拉致のうえ射殺し、サンディーノ支持者やその家族も殺害。1936年にソモサは実権を掌握、その翌年には大統領に就任した。そしてソモサ家の独裁体制が始まる。このソモサ家はイスラエルなる国が出現する前、シオニストを支援していたことでも知られている。 ロナルド・レーガン政権でコントラを支援する秘密工作を指揮していたのは副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ。その息子、ジェブ・ブッシュはスペイン語が流暢だと言うこともあり、工作で重要な役割を果たした。つまり、麻薬取引に関係していた可能性が高い。 そのジェブが親しくしていたひとりがカルロス・サリナス・デ・ゴルタリの兄、ラウル・サリナス・デ・ゴルタリ。1990年代には「麻薬の親玉」と呼ばれていた。メキシコにおける麻薬カルテルの中心的な存在だったということだ。ふたりの父親、ラウル・サリナス・ロザーノも麻薬カルテルの中心にいた。この一家とはジョージ・H・W・ブッシュも親しかった。 本ブログでは何度か指摘したが、ジョージ・H・W・ブッシュはエール大学に在学中、CIAにリクルートされた可能性がきわめて高い。エール大学におけるCIAのリクルート担当者と親しくしていただけでなく、父親のプレスコットが仕事の関係でアレン・ダレスと親しかったのである。 ベトナム戦争の際にCIAは東南アジアの山岳地帯で栽培したケシを原料とするヘロインで儲け、アフガニスタンで秘密工作を始めてからはパキスタンからアフガニスタンにかけての山岳地帯へケシの主要産地を移動させ、やはりヘロインを主に生産して売りさばいてきた。麻薬取引の中心にはCIAが存在している。
2019.12.03
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ジョー・バイデン政権を読み解くためのキーワードはいくつかあるだろうが、中でも「リセット」と「ダーク・ウィンター」は重要だろう。いずれの用語ともしばしば耳にする。 「リセット」を有名にしたのはWEF(世界経済フォーラム)を創設したひとりであるクラウス・シュワブ。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義システムを大々的に「リセット」すると彼は主張した。 「ダーク・ウィンター」は2001年6月にアンドリュース米空軍基地で実施された軍事演習の名称で、天然痘を生物兵器とする攻撃をアメリカは受けたと想定されていた。訓練の主体はジョンズ・ホプキンス市民生物防衛戦略センター、CSIS(戦略国際問題研究所)、国土安全保障ANSER研究所、MIPT(国立テロリズム防止オクラホマシティ記念研究所)だ。COVID-19を語るときにもこの用語が使われる。 リセットは経済のグローバル化が限界に近づいていることから迫られていると言える。巨大企業による国境を越えたビジネスが問題になったのは1970年代。アメリカ上院では1972年に多国籍企業小委員会が設置されたが、こうした動きは封印されてグローバル化は推進されたのだ。 勿論、世界を支配している私的権力が支配システムを手放すはずはない。労働者が革命を起こすというようなこともないだろう。そのための覚悟があるようには思えず、準備もしていない。それに対し、現在の支配者は覚悟を決め、準備をしてきた。支配システムをリセットするために彼らはパンデミックを利用するつもりだ。 ダーク・ウィンターの3カ月後にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカでは国内の収容所化と国外での侵略戦争が本格化した。 2005年9月にCIAは中国や東南アジアのような地域でパンデミックが起こるという想定に基づく報告書を作成、2010年5月にはロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)が「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」を発表する。そこでは2012年に新型インフルエンザのパンデミックが起こり、マスクの着用、公共施設やマーケットの入り口における体温の測定が強制され、そうした管理、監視体制はパンデミックが去った後も続くとしている。支配者だけでなく被支配者である市民も安全と安定を得るために自らの主権やプライバシーを放棄するというのだ。かつて正常とされた状態には戻らないとする分析はMIT(マサチューセッツ工科大学)の「MITテクノロジー・レビュー」の2020年3月11日号にも掲載された。 2019年1月から8月にかけてアメリカ政府は中国でインフルエンザのパンデミックが始まるという想定の演習を実施、その年の10月にはビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団とジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターがニューヨークでイベント201を開催、コロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーションが行われている。このイベントと同時に武漢では各国の軍人が競技大会を実施している。 ダーク・ウィンターは2001年の演習、リセット発言は2020年。その間にジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、ドナルド・トランプの3人が大統領になっているのだが、この流れは継続している。ホワイトハウスの背後にいる支配者の意思が反映されているということだろう。
2021.01.26
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日本政府は自治体の後押しを受け、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種を促進しようと必死だ。BioNTech/ファイザーやモデルナのmRNA(メッセンジャーRNA)技術を使った「ワクチン」が中心になるのだろう。西側ではジョンソン・アンド・ジョンソンの製品も多く使われているようだが、いずれも死亡者が絶えず、深刻な副作用も報告されている。そうした「不都合な事実」をマスコミは封印してきた。 そこで「感染拡大」が宣伝されているのだが、「感染者」のカウントに問題があることは本ブログでも繰り返し書いてきた。怪しい「感染拡大」を口実として菅義偉内閣は4月25日、緊急事態宣言を東京、大阪、京都、兵庫の4都府県に対して発令、大型商業施設の休業や外出自粛を求めた。「霊感商法」を彷彿とさせることが行われている。 欧米で行われ、効果がないと批判されているロックダウン(監禁策)ほどではないが、人の動きに対する規制は以前より強化された。そうしたロックダウンをWEF(世界経済フォーラムは少し前、世界の都市を改善しているとツイットして批判され、取り消している。 ロックダウンや「自粛」は社会を収容所化するもので、生産活動や商業活動を麻痺させ、企業や商店の経営を悪化させる。今後、倒産が増えることは避けられない。必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつある。 ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。所得の少ない方の半数(1億6500万人)は総額2兆1000万ドルにすぎない。 財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。金融資本にとっては願ってもないことだろう。それがWEFのクラウス・シュワブが言うところの「資本主義の大々的なリセット」だろう。 金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生した。中でもビル・クリントン大統領が果たした役割は大きい。この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。 こうした「闇の銀行」のアメリカにおける拠点はデラウェア州。同州選出の上院議員を1973年1月から2009年1月まで務めた人物がジョー・バイデン。上院議員になった当時の彼に助言していたW・アベレル・ハリマンはエール大学でスカル・アンド・ボーンズという学生の秘密結社に入っていた。ジョージ・W・ブッシュ、ジョージ・H・W・ブッシュ、プレスコット・ブッシュも同じ結社のメンバーだった。 プレスコット・ブッシュは義父のジョージ・ハーバート・ウォーカーの下、ブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキング・コーポレーションの重役をW・アベレル・ハリマンと同じように務めた。このふたつの金融機関はウォール街からナチへ資金を流す主要ルートに含まれていたと言われている。
2021.04.28
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日本で「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」を接種する人が急増している。先月、アメリカの国務省は「海外渡航情報」を更新、危険度を引き上げて日本へ渡航しないようにと警告して日本政府に圧力を加え、「インド株」なるものが宣伝されていることも影響しているのだろう。 COVID-19の原因とされているSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)の表面には「スパイク・タンパク質」と呼ばれる突起物が存在する。この突起物がヒト細胞膜上のACE2と結合、ヒト細胞に侵入して病気を引き起こすと考えられている。 武漢の中国科学院武漢病毒研究所(WIV)には、SARSに似たコロナウイルスの「スパイク・タンパク質」が人間などの細胞の「ACE2(アンジオテンシン変換酵素2)」と結びつくメカニズムを研究していた人物がいる。石正麗だ。 石はノースカロライナ大学のラフル・バリックと共同研究していたのだが、このふたりは2015年11月にSARS1ウイルスのスパイク・タンパク質をコウモリのウイルス(SHC014-CoV)のものと取り替えて新しいウイルスを作り出すことに成功している。コウモリのコロナウイルスを操作してほかの種を攻撃させる方法をバリックは石に教えたともいう。 その後、石はWIVへ戻るのだが、彼女は研究費として、「エコヘルス連合」のピーター・ダスザクを介し、アメリカ政府、あるいはNIHの下部機関であるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)から資金を受け取っていた。エコヘルス連合はWHO(世界保健機関)にアドバイスする立場にもある。NIAIDの所長がアンソニー・ファウチだ。 アメリカのカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるソーク研究所は「スパイク・タンパク質」自体が病気の原因になっている可能性があると発表している。それが血管へ入り込むことで血管にダメージを与え、血栓や出血の原因になるということであり、脳へウイルスが侵入した形跡がないにもかかわらず、神経系の症状が出るのもそのためだと見えられている。 カナダのゲルフ大学で免疫について研究、「COVID-19ワクチン」の開発にも参加しているバイラム・ブライドル准教授によると、三角筋に接種された「ワクチン」はそこでスパイク・タンパク質を生産、そのタンパク質の一部は血液循環システムへ入り込み、血栓を作り出したり出血させたりするのだとしている。 アメリカでは若年層への「ワクチン」接種も進んでいるが、ティーンエージャーを含む若い人びとの間で接種後、心臓に問題を引き起こす事例が報告されている。4月にCDCは「COVID-19ワクチン」と心臓の炎症に関連性はないとしていたが、「ワクチン」のデータを見直すようだ。 心臓がダメージを受けると免疫反応が起こり、心筋炎を引き起こす可能性もある。心筋炎が不整脈を招き、死に至ることもありえる。外部へ漏れたイスラエル政府の内部文書でもこの問題は指摘されていた。 ファイザーやモデルナの「ワクチン」が利用しているmRNA(メッセンジャーRNA)技術ではLNP(脂質ナノ粒子)が使われているが、これは人体に有害だとされている。投与されたLNPは投与された部分のほか肝臓、脾臓、副腎、そして卵巣に分布すると報告されているため、卵子へ何らかの影響が出るのではないかと懸念されている。不妊になる可能性は否定できない。 ここにきて「COVID-19ワクチン」の危険性が明確になってきた。接種が遅れた日本は被害が広がらないようにできるわけだが、危険性を人びとに知らせず、接種を促進している。その先には人びとを管理する新たな仕組み、「デジタル・パスポート」が計画されている。「犯罪的」と言われても仕方がないだろう。
2021.06.08
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イラン北西部でベル212ヘリコプターが墜落、搭乗していたエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らが死亡したと伝えられている。大統領らはダムの落成式に参加、戻る途中だったようだが、濃い霧で視界が悪かったという。ベル212がイスラム革命より前にアメリカから購入したものだったことも関係しているかもしれない。 イスラム革命後にネオコンやイスラエルはイランを敵視、1990年代からイラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル体制を樹立してシリアとイランを分断、シリアを制圧した後にイランを征服する計画を立てていた。 また、ウェズリー・クラーク欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという。(3月、10月) そのイランとサウジアラビアが関係修復に向かって交渉を始めていた2020年1月3日、イラン側のメッセンジャーを務めていたガーセム・ソレイマーニーがバグダッド国際空港でアメリカ軍に暗殺された。イスラエルが協力したと言われている。 ソレイマーニーはイスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われるコッズ軍を指揮していたイラン国民の英雄で、イラクの首相だったアディル・アブドゥル-マフディによると、ソレイマーニーが緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていたのだという。 アメリカ政府はソレイマーニーを暗殺することでサウジアラビアの動くにブレーキをかけようとしたのかもしれないが、それ以降、アメリカの中東における地盤は大きく揺らいでいる。 4月1日にイスラエル軍がシリアのイラン領事館を攻撃、IRGC(イスラム革命防衛隊)の上級司令官や副官を含む将校7名を殺害したが、それへの報復としてイランは4月13日、ドローンやミサイルでイスラエルのネバティム空軍基地、ラモン空軍基地、そしてハルケレン山頂にある「サイト512」基地のAN/TPY-2 Xバンドレーダー施設を攻撃、大半のミサイルは目標にヒットしたと伝えられている。イスラエル単独でイランを攻撃することはできないが明確になり、アメリカ軍を巻き込むしかなくなったのだ。 ところで、アメリカを含む欧米諸国は植民地から富を奪い、文明国面してきた。その仕組みにとって好ましくない人物が事故死することがある。そのひとりが国連事務総長だったダグ・ハマーショルド。1961年9月、コンゴの動乱を停戦させるために活動中、彼が乗ったDC-6が墜落、死亡している。キプロスにはアメリカの電子情報機関NSAの基地があるのだが、その担当官がDC-6を撃墜した航空機のパイロットの通信を傍受していた。 コンゴは1960年にベルギーから独立、選挙で勝利したパトリス・ルムンバが初代首相に就任したが、資源の豊富なカタンガをベルギーは分離独立させようとしていた。そのルムンバをアレン・ダレスCIA長官は危険視、コンゴ駐在のクレアー・ティムバーレーク米大使はクーデターでの排除を提案したという。CIA支局長はローレンス・デブリンだ。このとき、ティムバーレーク大使の下には後の国防長官、フランク・カールッチもいた。当時のアメリカ大統領、ドワイト・アイゼンハワーは同年8月にルムンバ排除の許可を出している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) イランの要人を乗せたベル212の墜落は事故だった可能性が高いようだが、ソレイマーニーのケースと同じように、アメリカの支配層にとって悪い結果が待っているかもしれない。今回のケースでは墜落直後にロシアのウラジミル・プーチン大統領はモスクワ駐在のカゼム・ジャラリ・イラン大使と会談、哀悼の意を意を表し、イランを助けるために必要なことは何でもする用意があると伝えている。
2024.05.21
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ジョージア(グルジア)議会は「外国の影響を透明にする法律」を可決した。国外から20%以上の資金提供を受けているNGO、メディア、個人に対し、「外国勢力の利益を促進する」団体として登録し、資金提供者を開示するよう求めているのだ。 この法案はアメリカのFARA(外国代理人登録法)をベースにしているのだが、ジョージアの法案について西側諸国から批判の声があがり、連動してジョージア国内でも「ロシアの法律」だとして反対運動が展開された。フランス生まれ、同国とアメリカで教育を受けたサロメ・ゾウラビチビリ大統領は拒否権を発動させたが、議会は拒否権を覆すと見られている。 ジョン・パーキンスが『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』(ジョン・パーキンス著、古草秀子訳、東洋経済新報社、2007年/John Perkins, “Confessions of an Economic Hit Man,” Berrett-Koehler, 2004)で書いたように、アメリカはターゲット国を支配するため、買収、スキャンダルを使った恫喝、社会的な抹殺、肉体的な抹殺、クーデター、軍事侵攻といった手段を組み合わせて使う。 アメリカ海兵隊の伝説的な軍人であるスメドレー・バトラー少将が指摘したように、第2次世界大戦の前はアメリカの巨大資本の利権のために海兵隊が使われていたが、大戦後にはCIAが中心的な役割を果たすようになった。その背後で買収や恫喝といった手法も使われたのだ。 ところが1970年代、アメリカ議会でCIAの秘密工作が問題にされた。1975年に上院で「情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会」(フランク・チャーチ委員長)が、下院で「情報特別委員会」(ルシエン・ネジ委員長、すぐにオーティス・パイクへ交代)が設置された。最も重要な証言をしたのはウィリアム・コルビー。CIA長官を務めていたが、それだけでなく、大戦前から破壊工作に従事していた人物だ。その当時は有力メディアにも気骨あるジャーナリストが存在、この問題にメスを入れていた。 そこで支配層はCIA内部の締め付けを強め、言論統制を強化する。規制緩和で有力メディアを少数の資本に統合するのはその一環。そしてロナルド・レーガン政権では秘密工作に「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」というタグをつけ、1983年11月にはNED(ナショナル民主主義基金)が創設された。 NEDへは国務省のUSAID(米国国際開発庁)を含む政府の資金が流れ込むが、その実態はCIAの工作資金にほかならない。NEDからNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターなどを経由して各国に設置したNGO(非政府組織)へ流れる。 言うまでもなく、NGOは仕組みにすぎない。その仕組みを利用して人びとの利益のために活動することもできるが、強大な私的権力が自分たちの手先として他国の内政に干渉する道具として使うことも可能だ。 投機家として知られている富豪のジョージ・ソロスもこの仕組みを利用し、内政干渉のために資金を供給してきた。彼の人脈を見ると、ロスチャイルド資本との関係が見えてくる。 ソロスは1930年にハンガリーで生まれ、47年にイギリスへ移住、54年から金融の世界へ入っている。彼が生まれたハンガリーは大戦中、ナチスに占領されてユダヤ人は強制収容所へ送られた。 ソロスはユダヤ教徒だが、キリスト教徒を装い、ナチスに取り入ることでその時代を生き延び、ユダヤ系住民の富を手に入れることで財を築いたという。この話は彼自身も1998年12月20日、CBSの「60ミニッツ」でスティーブ・クロフトに話している。 そのハンガリーでソロスは1984年にソロス財団ブダペストを設立、反ソ連活動を開始した。ポーランドの「連帯」やチェコスロバキアの反体制運動へも資金を提供していた。 1991年12月にソ連が消滅した後、ウクライナやジョージアでいわゆる「カラー革命」に資金を提供、ロシア包囲網の構築に協力している。ジョージアでソロスはエドゥアルド・シェワルナゼ政権を倒し、配下のミヘイル・サーカシビリを2003年の「バラ革命」で後釜に据えた。 マーク・アーモンドによると、その際、ソロスに協力したのはUNDP(国際連合開発計画)や国際連合副事務総長を務めていたマーク・マロック・ブラウンだという。なお、2007年にマロック・ブラウンはソロスのヘッジファンドの副社長になる。 サーカシビリは1994年にコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学のロー・スクールへ通い、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働いていた。そのサーカシビリは2008年8月、北京で夏季オリンピックが開催されるタイミングで南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で粉砕された。本ブログで繰り返し書いてきたように、ジョージア軍はイスラエルとアメリカの軍事支援を受けていたわけで、同程度の戦力ならイスラエル軍やアメリカ軍はロシア軍に勝てないことがこの時点で明確だった。 ウクライナでアメリカ/NATOの代理軍はロシア軍に敗北、ウクライナ軍を率いてきたネオ・ナチは前線から逃走したと伝えられている。そこで、ウクライナでクーデターを仕掛けたネオコンはジョージアを新たな戦場にしようと目論んでいる疑いが濃厚だ。 そうした中、スロバキアのロベルト・フィツォ首相が銃撃され、一時は命が危ぶまれた。同国では国外の組織が関与していると言われているが、中でもウクライナの情報機関が怪しいと言う人が少なくない。ウクライナの情報機関はイギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAを後ろ盾にしている。 ここにきてジョージアのイラクリ・コバヒゼ首相はEUからの脅しについて話し始めた。もしジョージア政府がNGOに外国からの資金提供の開示を義務づける法律を成立させようとするならば、西側諸国は彼に対して「多くの措置」をとるだろうと警告したと述べている。スロバキアのロベルト・フィツォ首相と同じ運命をたどることになるかもしれないと脅されたという。
2024.05.25
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NATOの軍事顧問団をウクライナへ派遣できるかどうかついて、キエフの暫定政権はNATOと話し合ったようだ。この政権はウクライナ国民に支持されて誕生したわけではなく、ネオ・ナチの暴力を利用したクーデターで実権を握ったにすぎない。クーデターで主力だったネオ・ナチが暴走気味で、その一部を粛清する動きがあるのだが、そうなってくると治安や軍事をどうするかが問題。NATOを頼ることになったのだろう。 暫定の大統領や首相はオリガルヒ(一種の政商)の仲間。「西側」の「国境なき巨大資本」から支持されているのだが、国民からの支持が圧倒的に多いとは言い難い。だからこそ、大統領選挙で暫定政権の一派はビクトル・ヤヌコビッチに敗れたわけである。 この選挙で選ばれた合法的な政権を倒すため、「西側」はネオ・ナチを使った。この集団はクーデターの際、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、ピストルやライフルを撃っている。 最終的にヤヌコビッチ政権を倒す流れを作ったのは何者かによる狙撃。エストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に電話でキエフの状況を報告する電話が盗聴され、インターネット上に公開されたのだが、それによると、パエト外相は次のように言っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 NATOと関係が深く、エストニアにあるNATO系の施設でメンバーが軍事訓練を受けたと言われているUNA-UNSOだとする説もあるが、アレクサンドル・ヤキメンコSBU(ウクライナの治安機関)元長官によると、最初の狙撃はアンドレイ・パルビーなる人物が制圧していたビルからだったという。 パルビーはネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設したひとり。この政党は後に党名を「スボボダ(自由)」へ名称を変えている。今は国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長だ。 狙撃では警官隊(ベルクト)の隊員も犠牲になっているが、それだけでなく、ネオ・ナチのメンバーによって拉致、拷問、そして殺害されている。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあり、多くの隊員がロシアに保護を求めた。暫定政権の内相はベルクトを解散させているが、自分たちのために働くことはないと判断したのだろう。 ウクライナのクーデターで黒幕的な役割を果たしたネオコン(アメリカの親イスラエル派)であるビクトリア・ヌランド国務次官補は昨年12月13日、1991年からウクライナを支援するため、50億ドルを投資したと米国ウクライナ基金の大会で発言している。そのとき、演壇に立つ彼女の背後には、巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。 そのヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で次期政権の閣僚人事を話し合っているが、そのときに高く評価していた人物が暫定政権で首相を務めているアルセニー・ヤツェニュク。 この人物は大学教授の一家に生まれ、大学を卒業すると法律事務所を開き、1998年から2001年までアバル銀行で働き、03年から05年までウクライナ国立銀行の副頭取、そして頭取を務めた。 数年前から噂になっているようだが、このヤツェニュクは2005年頃からサイエントロジーなる団体のメンバーになっていると言われている。本人は否定しているようだが、アメリカのカリフォルニアに住む姉はこの団体の幹部だともいう。サイエントロジーはアメリカの「疑似宗教団体」で、映画俳優のトム・クルーズが信者だということでも知られている。CIAとの関係も噂されているが真偽は不明。 この団体は旧ソ連圏での布教に熱心なのか、スロバキアのロベルト・フィツォ首相は、次期大統領でビジネス界の大物でもあるアンドレイ・キスカがサイエントロジーの信者だと主張している。キスカが自伝をサイエントロジー系の出版社から出したことが根拠のようだ。
2014.04.03
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ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は反ロシア・キャンペーンを展開、アメリカのグラミー賞授与式や国連の安全保障理事会でバーチャル演説している。そして4月7日、ギリシャ議会でオンライン演説を行った。ゼレンスキーを議会へ「招待」したのはキリアコス・ミツォタキス首相だ。 しかし、その際、ゼレンスキー大統領が親衛隊の中核であるアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)のメンバーを伴っていた。マリウポリ周辺には約12万人のギリシャが住んでいるが、その戦闘員もギリシャ系だという。 アテネのウクライナ大使館はアゾフ大隊がネオ・ナチだということを否定、マリウポリから戻ったギリシャの外交官マノリス・アンドルラキスもアゾフ大隊は市民を殺していないと弁護しているが、その説明が正しくないことを知る人は少なくない。 アメリカでは白人至上主義者に関する裁判でFBIの特別捜査官が2018年10月に提出した宣誓供述書で、アゾフ大隊はネオ・ナチ思想と結びつき、ナチのシンボル主義を使っていると認めている。 思想的には1920年代からOUN(ウクライナ民族主義者機構)の幹部だったステパン・バンデラの流れを汲んでいる。この組織は1941年3月に分裂、反ロシア感情の強いメンバーがバンデラの下に集まった。これがOUN-B。このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、ドイツが資金を提供し、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。 第2次世界大戦の終盤からアメリカの情報機関OSSで破壊活動を指揮していたアレン・ダレスたちはナチスの幹部や協力者と接触、保護し、逃走させ始めた。そうした中にOUN・Bのメンバーも含まれ、対ソ連戦の傭兵として訓練を受けることになる。 アゾフ大隊の母体になった右派セクターは2013年11月に創設したのはドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーだが、このうちヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに組み込まれている。このネットワークを動かしているのはイギリスとアメリカの情報機関である。ゼレンスキー大統領は昨年11月2日、ヤロシュをウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官の顧問に据えた。 マリウポリから脱出した市民は、アゾフ大隊は市民の脱出を許さず、脱出しようとした市民を銃撃、少なからぬ人が死傷していると語っている。また市民の居住空間に入り込み、ロシア軍の攻撃を避けようとしてきたともいう。建造物の破壊も続けている。 脱出した市民の中にはギリシャ人もいて、やはりアゾフ大隊を罵っている。こうしたルートからもアゾフ大隊の実態はギリシャへ伝えられているわけだ。アメリカ政府に阿ろうとしてゼレンスキーにオンライン演説させたのだろうが、国内の反発は小さくないようだ。
2022.04.09
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シリアに続き、ウクライナでもネオコンはロシアに敗北した。その事実を誤魔化すために戦闘の継続は有効なのだろう。そのためにアメリカ政府はウクライナのクーデター政権に対する軍事支援を継続しようとしているが、その結果、戦場になった国の人びとは破壊と殺戮の犠牲になる。 2010年の大統領選挙で選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ大統領をアメリカのバラク・オバマ政権が2014年2月、ネオ・ナチを使って排除したところからウクライナでの戦乱は始まる。 そのクーデターは2013年11月からキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で始まった抗議集会から始まるが、当初は「カーニバル」的なイベントにすぎず、問題はないように見えた。様相が一変するのは年明け後。ネオ・ナチが前面に出てきたのだ。 ネオ・ナチのメンバーはチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ、トラクターやトラックを持ち出してくる。ピストルやライフルを撃っている様子を撮影した映像がインターネット上に流れた。 ユーロマイダンでは2月中旬から無差別の狙撃が始まり、抗議活動の参加者も警官隊も狙われた。西側ではこの狙撃はヤヌコビッチ政権が実行したと宣伝されたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、逆のことを報告している。バイデン政権を後ろ盾とするネオ・ナチが周辺国の兵士の協力を得て実行したということだ。 7割以上の有権者がヤヌコビッチを支持していたウクライナの東部や南部では反クーデターの機運が高まり、クーデターから間もない3月16日にはクリミアでロシアへの加盟の是非を問う住民投票が実施された。投票率は80%を超え、95%以上が賛成する。 その一方、オデッサでは反クーデター派の住民がネオ・ナチに虐殺される。そうした中、5月11日にドネツクとルガンスクでも住民投票が実施された。ドネツクは自治を、またルガンスクは独立の是非が問われたのだが、ドネツクでは89%が自治に賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が独立に賛成(投票率75%)している。この結果を受けて両地域の住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は動かない。そして戦闘が始まった。クリミアやドンバス(ドネツクとルガンスク)を制圧できなかったのはアメリカ/NATOにとって大きな誤算だった。 当時、軍や治安機関にもネオ・ナチ体制を許するメンバーは存在、ドンバスの反クーデター軍へ合流したと言われている。そうしたこともあり、ドンバスでの戦闘は反クーデター軍が優勢だった。 そこでドイツやフランスが仲介するかたちで成立したのがミンスク合意だが、キエフのクーデター政権は守らない。アメリカ支配層のやり口を知っている人びとはこの合意について時間稼ぎに過ぎないと言っていたが、その推測は正しかった。アンゲラ・メルケル元独首相は昨年12月7日にツァイトのインタビューで認め、その直後にフランソワ・オランド元仏大統領はメルケルの発言を事実だと語っている。 それから8年、アメリカ/NATOはクーデター体制の軍事力を増強、ソレダルでは岩塩の採掘場を利用して全長200キロメートルという「地下要塞」が築かれたが、同じようの要塞はドンバスの周辺に広がっているようだ。ドンバスへ軍事侵攻して住民を虐殺し始めればロシア軍が介入、それを迎え撃つための地下要塞だと推測する人もいる。 この推測が正しいなら、相当数のロシア軍がドンバスで足止めを食うことになり、クリミアが攻撃されても兵力を割けないということも想定できる。2014年にクーデターがあった直後、ウラジミル・プーチン大統領の側近のひとりはアメリカ/NATOがドンバスを攻撃した後、クリミアへ軍事侵攻するとテレビの討論番組で語っていた。 ウクライナ軍は昨年3月にドンバスへの軍事侵攻を始める予定だったと言われているが、その直前にロシア軍が動く。地上部隊を投入するのではなく、ミサイルを打ち込んだのだ。地上では現地部隊のほか、チェチェンの義勇軍や傭兵会社ワグナー・グループが主に使われている。 ドンバスを攻撃するために集結していたウクライナの軍や親衛隊はミサイル攻撃で大きなダメージを受け、要塞化された拠点も陥落していった。 親衛隊の中核だったアゾフ特殊作戦分遣隊(通称、アゾフ大隊あるいはアゾフ連隊)が拠点にしていたマリウポリもそうした要塞のある場所だったが、ロシア軍か介入した翌月になると親衛隊の人質になっていた住民が解放され始め、実態を証言、それを現地に入っていたジャーナリストが伝える。(例えばココやココやココやココ) その前から、脱出した市民がマリウポリにおけるアゾフ大隊の残虐行為を証言、映像をツイッターに載せていた人もいた。その人のアカウントをツイッターは削除したが、一部の映像はインターネット上に残っている。 フリーランスのジャーナリストのほか、フランスの有力メディアTF1やRFI、あるいはロシアやイタリア人の記者とマウリポリへ入ったとしている。その結果、西側の有力メディアが流す「報道」が偽情報、あるいは作り話だということが明らかになっていく。ウクライナのクーデター体制を支援している西側の私的権力はそうした情報をインターネット上から必死に消してきたが、人びとの気をくすべてを消し去ることはできない。 西側の有力メディアがどのように情報を改竄するかの具体例も明らかにされた。例えば、昨年3月9日にマリウポリの産婦人科病院が破壊された攻撃の場合、西側メディアはロシア軍が実行したと宣伝してた。 その宣伝でアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤはその後、報道の裏側について語っている。彼女は3月6日、市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を完全に占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動した。最初に病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができたので、それが目的だろうと彼女は推測している。 そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をした。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。そこから記者は彼女に密着して撮影を始めた。彼女は「何が起こったのかわからない」が、「空爆はなかった」と話したという。 つまりロシア軍の空爆ではなかったということだが、APだけでなく西側の有力メディアはロシア軍の攻撃で産婦人科病院が破壊され、母親と乳児が死傷しているというストーリーにされてしまった。 問題の病院から患者やスタッフがウクライナ軍に追い出されたことはマリウポリから脱出した市民も異口同音に語っている。その部隊はおそらくアゾフ連隊だろう。脱出した市民によると、脱出しようとした市民をネオ・ナチは銃撃、少なからぬ人が死傷したという。また市民の居住空間に入り込み、ロシア軍の攻撃を避けようとしてきたともしている。 ドイツの雑誌「シュピーゲル」はマリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで5月2日に伝えたのだが、すぐに削除する。ショルツ内閣や米英の政権にとって都合の悪い事実、つまり残虐なウクライナの占領軍からロシア軍が救い出してくれたと話しているからだ。(ノーカット映像) こうした住民の証言を利用し、固有名詞を入れ替えて話を逆にし、ロシア軍を悪者にする「報道」を続けている西側の有力メディアはまだ存在するようだ。 2014年のクーデターで内戦をウクライナで始め、アメリカ/NATO軍とロシア軍を衝突させようとしてきたのはネオコンにほかならない。そのネオコンは遅くとも1992年初めにはアメリカの国防総省を制圧、2001年9月11日の出来事で圧倒的な力を持った。 統合参謀本部は支配しきれていないようだが、国務省やCIAは影響下にあり、宣伝機関として有力メディアも支配している。その有力メディアとも関係するが、多くのシンクタンクも支配されている。そうした仕組みによって人びとに幻影を見せ、彼らは世界を戦乱で破壊しようとしているのだ。
2023.04.23
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ウェンディ・シャーマン国務副長官が6月末に退任する予定だ。その後任としてビクトリア・ヌランド国務次官が昇格するのではないかと言われている。シャーマンだけでなくNSC(国家安全保障会議)で中国担当シニアディレクターを務めてきたローラ・ローゼンバーガー、そして国務副次官補として中国と台湾の問題を担当するリック・ウォーターズも退任すると言われ、ジョー・バイデン政権の好戦的な色彩は強まると可能性が高い。 ヌランドは父方の祖父母がウクライナからの移民で、夫はネオコンの重鎮であるロバート・ケーガン、義理の弟はフレデリック・ケーガン、フレデリックの妻はISW(戦争研究所)を設立したキンベリー・ケーガン。ヒラリー・クリントンは友人のひとりだという。アメリカ中央軍、ISAF(国際治安支援部隊)司令官、そしてCIA長官を務めたデイビッド・ペトレイアスとキンバリーは親しい。 2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ってウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。このクーデターで中心的な役割を果たしたのはジョー・バイデン副大統領、ビクトリア・ヌランド国務次官補、副大統領の国家安全保障補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。 現在バイデンは大統領、ヌランドは国務次官、サリバンは国家安全保障問題担当の大統領補佐官。この3人にアントニー・ブリンケン国務長官が好戦的な政策を推進している。そうした中、シャーマンが排除されてヌランドが昇格した場合、その好戦性は強まる。 シャーマンはビル・クリントン政権時代、1993年5月から96年3月までウォレン・クリストファー国務長官の下で国務次官補を務めていた。1997年1月に国務長官がクリストファーからマデリーン・オルブライトに交代するとクリントン政権はユーゴスラビアへ軍事侵攻する方向へ舵を切った。1997年8月、シャーマンは参事官として国務省へ復帰している。 オルブライトは1998年秋にユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月から6月にかけてNATO軍はユーゴスラビアへの空爆を実施した。4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、03年3月にジョージ・W・ブッシュ政権はイラクを先制攻撃するが、泥沼化。そこでバラク・オバマ米大統領は2010年8月にPSD-11を承認してムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使った体制転覆作戦を始動させ、「アラブの春」が始まる。 しかし、シリアやリビアに対してはズビグネフ・ブレジンスキーが作り上げた「アル・カイダ」の仕組みが使われる。2011年春に両国に対する攻撃が始まり、同年10月にはムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された。カダフィ本人はその際に惨殺されている。 そこで戦力をシリアへ集中させるのだが、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。そこで軍事支援を強化、登場してきた戦闘集団がダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)。2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧される。ダーイッシュは残虐さを演出、アメリカに軍事介入させる道を作ろうとしていると考える人もいた。 その当時、オバマ政権には戦争に消極的な人物がいた。例えばチャック・ヘーゲル国防長官やマーチン・デンプシー統合参謀本部議長は上院軍事委員会で直接的な軍事介入に慎重な姿勢を示し、ヒラリー・クリントン国務長官らと対立している。 オバマ大統領が主張する穏健派は存在しないとする報告を出したDIAの局長、マイケル・フリンは2014年8月に退役を強いられていたが、それだけでなくヘーゲルは2015年2月に解任、デンプシーは同年9月に再任を拒否されている。オバマ大統領は戦争体制を整えた。 デンプシーが退役した直後の2015年9月30日にロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団を敗走させる。 そこでアメリカはクルドと手を組むのだが、これによってアメリカとトルコの関係が悪化する。現在、アメリカ軍はシリア領内に900名程度の部隊を侵攻させ、10カ所とも20カ所とも言われる数の軍事基地をシリアに建設、不法占領を続けている。 そして今、バイデン政権はまたホワイトハウスを好戦的な布陣にしようとしている可能性がある。簡単に勝てるという思い込みで始めたロシアや中国に対する戦争だが、ネオコンの思惑は外れた。窮地に陥ったバイデン政権は暴走し始めた。6月12日から23日まで実施されるNATOの軍事演習「エア・ディフェンダー23」が注目されたのはそのためだ。 ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は6月13日、ロシアから戦術核兵器をすでに受け取っていると語った。自国が攻撃にさらされれば躊躇なく核兵器を使用するとしている。ルカシェンコの要請に基づくとされているが、少なくともロシアは同意している。ネオコンが攻撃してくれば受けて立つという意思表示だろう。 そうした国際環境の中、日本は夢遊病者のように戦争へと向かっている。すでにアメリカ/NATOはウクライナへ供給する武器弾薬が枯渇、5月には韓国がアメリカ経由でウクライナへ砲弾を提供したと伝えられてるが、ここにきてアメリカ政府は日本政府と155mm榴弾のウクライナへの供給することで話し合ったという。数少なくなったアメリカ支援国として日本に対する要求は強まってくるだろう。
2023.06.17
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10月7日にイスラエルを陸海空から奇襲攻撃したハマス(イスラム抵抗運動)は1987年12月、シーク・アーメド・ヤシンらによって創設された。 もともとヤシンはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物で、ガザにおける同胞団の責任者に選ばれている。シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設した。1976年にはイスラム協会を設立し、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマスである。 ムスリム同胞団は1928年、ハッサン・アル・バンナによって創設されているが、その際にスエズ運河会社から資金を提供されたとも言われている。つまり、少なくとも創設当初はイギリスと深い関係にあった可能性がある。 ところで、PLO(パレスチナ解放機構)の中心的な組織だったファタハ(パレスチナ民族解放運動)を率いていたヤセル・アラファトにアメリカやイスラエルは手を焼いていた。そのアラファト対策のためにイスラエルはハマスを創設している。アラファトのライバルを育て、内部対立させることで運動を弱体化させようとしたのだ。そして目をつけたのがヤシン。 ヤシンは2004年3月、イスラエルに殺害されたが、ヤシンが頭角を現す切っ掛けを作ったのはイスラエルである。その年の11月にアラファトも死亡、PLOの影響力は大きく低下する。その後、パレスチナではハマスが主導権を握った。 死亡直後からアラファトの死に疑問を持つ人は少なくなかった。自然死ではなく殺されたのではないかという疑惑だ。その疑惑をアル・ジャジーラが9カ月に渡って調査、アラファトが死の直前まで健康だったことを確認した。しかも彼の衣類や歯ブラシなどから放射性物質のポロニウム210が検出されたという。そこで、遺体の調査を求める声が出ている。 アラファトが登場してくるのは第3次中東戦争の最中。1967年3月から4月にかけてイスラエルはゴラン高原のシリア領へトラクターを入れて土を掘り起こし始め、シリアが威嚇射撃するとイスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレート、銃撃戦に発展した。 シリアが農民を銃撃、それを止めるためにゴラン高原を占領したとイスラエルは主張したが、1971年から85年まで国連の事務次長を務めたイギリス人のブライアン・アークハートはそれを否定、シリアが攻撃を始めたわけではないと語っている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) エジプトは1967年5月に緊急事態を宣言、2個師団をシナイ半島へ入れてイスラエルとの国境沿いで防衛態勢をとらせた。その直後にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道が流れ、エジプトは予備役10万人に動員令を出す。そしてガマル・ナセル大統領はアカバ湾の封鎖を宣言した。 イスラエルはこの封鎖を「侵略行為」だと主張、アメリカのリンドン・ジョンソン大統領はイスラエルに対して自重するように求めたとされている。 そこでイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問、風向きが変わった。帰国したアミート長官はジョンソン大統領が開戦を承諾、イスラエルの撤兵を求めることもないと説明。そして6月5日にイスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発した。この戦争でイスラエル軍はガザ、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を占領している。 この戦争でアラブ諸国の動きは鈍かったのだが、そうした中、果敢に戦ったのがファタハにほかならない。そのスポークス・パーソンだった人物がヤセル・アラファト、後のPLO議長だ。アラブ諸国の民衆はファタハを支持、アラファトの人気も高まっていく。 第3次中東戦争が勃発してから4日後、アメリカは情報収集船の「リバティ」をイスラエルの沖へ派遣した。この時点でイスラエル軍はエジプト軍を粉砕、モシェ・ダヤン国防相はゴラン高原の占領を決めている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) イスラエル軍はリバティがアメリカの船だということを確認した後、ミラージュ戦闘機や魚雷艇で攻撃する。イスラエル軍機はまず船の通信設備を破壊したが、これは救援を呼べないようにするためだ。 それに対し、リバティの通信兵は寄せ集めの装置とアンテナで第6艦隊に遭難信号を発信することに成功、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害してきた。 遭難信号を受信したとき、第6艦隊の空母サラトガは訓練の最中。甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあった。艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させ、艦隊の司令官に連絡する。司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じるのだが、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。 リバティが攻撃されたことはジョンソン大統領へすぐに報告されたのだが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対し、戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。後にマクナマラはソ連軍がリバティを攻撃したと思ったと弁明しているが、当初の筋書きではそうなっていたのかもしれない。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) ジョンソン政権で秘密工作を統括していた「303委員会」で、1967年4月にフロントレット615という計画が説明されたとされている。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣された。 この計画に含まれるサイアナイド作戦はリバティを沈没させ、その責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めようとしたという推測がある。この推測が事実なら、トンキン湾事件の再現をジョンソン大統領は狙ったということになり、大統領がイスラエルに対し、戦争を自重するように求めたという話は怪しくなる。 この後、アメリカ政府は関係者に箝口令を敷き、重要な情報を公開していない。イスラエルでは機密文書が公開されるのは50年後と決められている。イスラエルが開戦に踏み切った目的、戦争の実態、リバティを攻撃した本当の理由などを知ることのできる資料が2017年には明らかにされるはずだったが、10年7月にベンヤミン・ネタニヤフ首相は情報公開の時期を20年間遅らせることを決めている。勿論、2037年に公開される保証はない。 第3次中東戦争の結果、約43万9000人の新たなパレスチナ難民がヨルダン川東岸へ移動した。それに対し、国連安全保障理事会は1967年11月に242号決議を採択、交戦状態の終結と難民問題の公正な解決、そして戦争で占領した領土からイスラエル軍は撤退するように求めている。 当時の国務長官、ウィリアム・ロジャーズはこの決議に基づいて解決しようとしたようだが、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官はエジプトとイスラエルだけの部分的な和平にとどめようと考えていた。 第3次中東戦争で人気になったファタハ/PLOをアラブ諸国やイスラエルの政府は警戒、1970年9月、ヨルダン軍が国王を無視してPLOに対する攻撃を開始した。いわゆる「黒い9月」の幕開けである。 ヨルダンは軍隊をパレスチナ難民のキャンプに突入させ、翌年にはPLOの戦闘員約5000名をアジュルーンの森で虐殺している。アラファトの家も特定して戦車の砲撃で破壊、ヨルダン軍はこの攻撃でアラファトを殺したと考えたのだが、間一髪のところで避難している。 この攻撃を見てナセルはフセイン国王に対し、国王が軍を掌握できていないのならエジプト軍を介入させ、停戦させると伝える。さらにカイロに集まったアラブの指導者たちはナセルに対し、アンマンへ代表を送る権限を与えたとも付け加えている。 その代表がアンマンに到着するとヨルダン軍の特殊部隊が張り付いて監視、アラファトが現れたら殺そうとする。そこでアラファトと接触した彼は服を交換し、アラファトをアンマン空港へ移動させたという。 カイロに着いたアラファトはフセイン国王と握手、ヨルダンの内戦は終結した。ナセルが心臓発作で急死したのはその翌日のことである。
2023.10.11
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スロバキアのロベルト・フィツォ首相が5月15日に銃撃され、いくつかの内臓が損傷を受けたものの、手術は成功し、容態は安定しているという。フィツォが創設したSMER-社会民主党が昨年9月30日に実施された選挙で勝利、10月25日から彼が首相を務めていた。その場で拘束された容疑者は71歳の男性で、親欧米派政党「進歩スロバキア」の活動家だと伝えられている。 欧米とはアメリカを中心とする勢力を意味するが、この勢力は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部ではクーデター体制を拒否し、クリミアはロシアの保護下に入り、東部のドンバスでは内戦が始まった。オデッサでも大半の市民はクーデターを拒否していたが、そうした住民をネオ・ナチは虐殺、外部から送り込まれたクーデター派に占領された。 ドンバスの反クーデター派軍を倒すためにアメリカ/NATOは8年かけてクーデター体制の戦力を増強、ドンバスの周辺に要塞線を構築して2022年春にドンバスへ軍事侵攻する予定だったことを示す文書が発見されている。 しかし、2022年2月にロシア軍がドンバス周辺に集まっていたウクライナ軍をミサイルで攻撃、同時に軍事基地や生物兵器の研究開発施設を破壊し、機密文書を回収している。 キエフ政権はイスラエルやトルコを仲介役としてロシア政府と停戦交渉を開始、2022年3月にはほぼ合意に達していたが、CIAの指揮下にあるウクライナの治安機関SBUはキエフの路上でウォロディミル・ゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺、4月9日にはイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令した。4月30日にはアメリカのペロシが下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めている。 翌年の前半までジョー・バイデン政権はウクライナでロシアに勝利できると信じていたようだが、そうした思惑通りにことは進まなかった。そうした展開になることはアメリカの元情報将校や元CIA分析官も指摘していたことだが、ウクライナ軍の敗北が決定的になってもアメリカ/NATOは戦争の継続を命令している。ウクライナ人はロシアを疲弊させるために「玉砕」しろというわけだ。 武器の支援も戦争を継続させるためだが、フィツォはロシアとの戦争がスロバキア社会に悪い影響を及ぼしている主張、選挙の際にウクライナへの武器供与を阻止すると宣言し、ウクライナのNATO加盟に反対している。3月2日に公開された動画では、EUとNATOからウクライナに兵士を派遣することは、世界的な終末を招く恐れがあると述べている。 また、フィツォは「COVID-19ワクチン」にも批判的で、その接種によってさまざまな心血管疾患による死亡を増加させていると議会で発言した。この「ワクチン」は「実験的」で「不必要」なものだとしているが、その通りだ。 そうした「ワクチン」の接種を推進してきたWHO(世界保健機関)の権限強化にも彼は反対、欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長とファイザーとの癒着を含め、COVID-19騒動の背後で動いたカネについても調査する準備を進めていた。 今回の銃撃/暗殺未遂事件にどのような背景があるか現段階では明確でないが、西側支配層がフィツォの政策に怒っていることは間違いないだろう。
2024.05.17
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