イスラエル軍は4月1日、シリアのダマスカスにあるイラン領事館を 空爆、 IRGC(イスラム革命防衛隊)の特殊部隊と言われているコッズのモハマド・レザー・ザヘディ上級司令官と副官のモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ准将を含む将校7名を殺害した。
その報復としてイランは4月13日午後にイスラエルを300機以上と言われるカミカゼ・ドローンと中距離弾道ミサイルで攻撃した。レバノンのヒズボラやイラクのカタイブ・ヒズボラも支援のためにイスラエルを攻撃したようで、ネゲブ砂漠にあるイスラエルのラモン空軍基地とハツェリム空軍基地も標的に含まれていた。ハツェリム基地とラモン基地、それぞれ7機のミサイルが命中したと伝えられている。
イランのメディアはミサイルやドローンがイスラエルの目標に着弾する瞬間を映したとされるいくつかの映像をインターネット上に公開、その中にはイスラエル南部のネゲブ砂漠を攻撃したものだとされている。攻撃の際、ヨルダンは非常事態を宣言してイスラエルの戦闘機に空域を開放、イランはイスラエルの防空システムをハッキングしたという。
4月13日早朝、IRGCの特殊部隊がホルムズ海峡でゾディアック・マリタイム社のコンテナ船、MSCエリアスを拿捕した。この会社はイスラエルの富豪、エーヤル・オファーが所有するゾディアック・グループに含まれている。イランはこの拿捕によって、アメリカ側の対応次第ではホルムズ海峡を封鎖すると警告したのだろう。そうした事態になれば当然のことながら、石油相場は暴騰し、世界経済は混乱に陥る。
元CIA分析官の ラリー・ジョンソンは今回のイスラエルに対するイランの攻撃について、イスラエルの防空システムを圧倒する膨大な数の無人機、ロケット弾、ミサイルを発射できることをイランは示したのだと指摘している
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ大統領はガザで住民を虐殺、その虐殺をアメリカ、イギリス、ドイツなど西側諸国は支援してきた。こうした国々はダマスカスのイラン領事館に対するイスラエルの攻撃を黙認している。イランがこうしたイスラエルの行為に怒り、軍事攻撃してきたならばアメリカ軍を引き摺り込めるとネタニヤフは考えていたのかもしれないが、ジョー・バイデン政権はイランとの戦争でイスラエルに加担することを拒否したと伝えられている。
イスラエルのためにロシアと核戦争するつもりはないということなのかもしれないが、1986年10月にサンデー・タイムズ紙が掲載したモルデカイ・バヌヌの内部告発によると、その当時、イスラエルは150から200発の核弾頭を保有、それだけでなく、水素爆弾をすでに持ち、中性子爆弾の製造も始めていたという。
後にジミー・カーターはイスラエルが保有する核兵器の数を150発だと発言(BBC, May 26, 2008)、イスラエルの軍情報機関ERD(対外関係局)に勤務、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経歴を持つアリ・ベンメナシェによると、1981年時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上に達し、水爆の実験にも成功していたという。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991)