東海再処理工場は1977年に試運転を始めているが、78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」でこの施設について、山川暁夫は「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言、アメリカ政府はそこを見過ごさないと指摘した。1969年にアメリカ大統領となったリチャード・ニクソン大統領の補佐官、ヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語ったという(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)が、ジミー・カーター政権は日本の核開発には神経質になっていた。