2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全6件 (6件中 1-6件目)
1
山口組資産凍結・経済制裁!ロックフェラー完全終了のお知らせ-アメリカ属国支配の終焉は近いhttp://www.news-us.jp/article/253806964.html「ウェブボップ予測」1. 闇の勢力が崩壊するポイントが、3月2~9日の間にある。それまでに、核戦争等が起こらなければ、3月10日以降は、奴らは主要な勢力ではなくなる。2. マス・メディアは、3月19日から、爆発的に真実を伝えだす。大変な急流になる。
2012.02.25
コメント(2)
4月15日倉吉シティーホテルでハープ演奏家川下笑里歌さんの演奏会があります。前回と同じように春日八郎さんのお弟子さん西村光司さんとの共演で楽しみ。http://plaza.rakuten.co.jp/erikaharp/
2012.02.24
コメント(2)

2012年人類は滅亡するのではなく宇宙文明へ招待されています! THRIVE完全版!!が、観られる・・・・・!!
2012.02.14
コメント(2)
~白駒妃登美氏談(結婚コンサルタント・マゼンダスタッフ)~この時、発病前に読んだ話を思い出しました。人間の生き方には西洋の成功哲学に代表される「目標達成型」とは別に「天命追求型」があるというのです。天命追求型とは将来の目標に縛られることなく、自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。それを続けていくと、天命に運ばれ、いつしか自分では予想もしなかった高みに到達するという考え方です。そこでは、自分の夢だけを叶えるfor meより、周囲に喜びや笑顔を与えるfor youの精神、つまり志が優先されます。私は天命追求型、目標達成型という視点で歴史を捉えたことはありませんでしたが、これからお話しするように、天命追求型はまさに日本人が歴史の中で培った素晴らしい生き方であることに、闘病を通してようやく気づいたのです。 * *天命追求型に生きた歴史上の人物といえば、豊臣秀吉はその好例でしょう。秀吉は徳川家康、織田信長と比べて大きく違う点があります。家康や信長が殿様を父に持つのに対し、秀吉は農家に生まれたことです。農民の子の秀吉が最初から天下統一を夢見たでしょうか。通説によると、秀吉は「侍になるために織田家の門を叩いた」ということになっていますから、おそらく若き日の秀吉は、天下を取るなど考えてもいなかったに違いありません。しかし、秀吉の人生はその夢を遙かに超えてしまうのです。ご存じのとおり、秀吉は最初、信長に“小者”という雑用係の立場で仕えました。雑用係は、もちろん侍の身分ではありません。けれども、信長が秀吉を雇い入れた時、きっと秀吉は、農民の自分に目をかけてもらえたことに胸を躍らせ、心から感謝したのではないでしょうか。だからこそ、たとえ雑用係の仕事にも自分でできる工夫を施したのだと思います。寒い日の朝、信長の草履を懐に入れて温めてから出した話は有名ですが、草履一つ出すにも喜んでもらえるようアイデアを加えたのです。やがて足軽となってからも信長を喜ばせたいという思いは変わらず、一層の信頼を得て侍に、さらに侍大将、近江国・長浜城の城持ち大名へと登り詰めるのです。私のことを振り返ると、目標達成に突っ走っていた時は、確かに夢は叶いました。受験勉強、就職活動、子育て、すべてにビジョンを描き目標を立ててやってきました。しかし、見方を変えれば夢しか叶わなかったのです。夢を超えた現実はやってきませんでした。では、秀吉はなぜ夢を超えることができたのでしょうか。想像するに、秀吉は最初から天下取りなど考えず、いつも“いま、ここ”に全力投球する生き方を貫いたからだと思います。自分の身の回りの人たちに喜んでもらえることを精一杯やっていった。その結果、周囲の応援を得て次々と人生の扉が開き、天下人へと運ばれていったのではないでしょうか。まさに天命追求型の人生だったのです。○博多の歴女・白駒妃登美氏の公式ブログ http://ameblo.jp/hitomi-mazenda/
2012.02.09
コメント(4)
「誰しもが自分の中のエベレストを登っている」 栗城史多氏(登山家)マッキンリーを登頂してからは、とにかく無我夢中で世界の最高峰を登り続けました。ただ、その中で感じたのは、登山がいかに孤独な世界であるかということでした。頂に立った時の感動や山で得た学びを、帰国後友人に伝えようとしても、まったく理解してもらえなかったんです。だからよく登山は観客なきスポーツとか非生産的行為といわれるんですが、やっぱりこの感動を多くの人と共有したい。どうにか伝えられる方法はないかなと思っていた時に、偶然、あるテレビ局から「インターネットの動画配信をやりませんか」というお話をいただいたんです。2007年、世界第6位の高峰、ヒマラヤのチョ・オユーを登る時でした。ただ、一つ問題があって、番組のタイトルが「ニートのアルピニスト 初めてのヒマラヤ」という名前だったんです(笑)。それで、日本全国のニートや引きこもりの方からたくさんメッセージをいただきました。「おまえには登れない」とか、中には「死んじゃえ」とかですね。そういう悪いメッセージばかり。それでも1か月以上かけて登っていきました。しかし、頂上付近で天気が悪くなってガスがかかってしまい、断念せざるを得なかったんです。それで一回、5,300メートル地点にあるベースキャンプまで下りていきました。するとまた、誹謗中傷の嵐です。「ああ、やっぱりダメだった」「夢って叶わないんですね」と。いったん8,000メートルまで行くと、もの凄く体が衰弱するんです。酸素が3分の1なので、気圧も3分の1になり、体の水分がどんどん外に抜けてしまう。そのため脂肪だけでなく筋肉まで落ちて、全然力が入らなくなるんです。ただ、このまま終わるのはどうしても悔しかった。私は3日だけ休養を取り、再アタックしました。そして、5日間かけて頂上につくことができたんです。すると、それを見ていた人たちの言葉が180度変わりました。それもただ、「栗城は凄い」とかではなく、「僕も本当は夢があって、諦めていたけど、?もう一回やろうと思いました」とか「私も何か始めようと思いました」と。で、その時に思ったんです。「ああ、自分だけが山に登っているんじゃない。 皆それぞれ、見えない山を登っているんだな」って。講演会をしていても、「この間の試験受かりました」「夢叶えました」と、私のところに報告に来てくれる人が多いんです。先日も、41歳でようやく教員試験に受かって先生になれたという方が報告にきてくださったりしました。その人にとっては教員試験が見えない山であり、エベレストです。そして、誰しもが自分の中のエベレストを登っているわけです。勿論、中には挫折してしまった人もいるでしょうが、私はそういう人たちと夢を共有して、「自分はできない」「無理だ」と思っている心の壁を取っ払いたい。見えない山に挑戦し、ともに成長していきたい。それが私の目指す登山なんです。『致知』2012年3月号 特集「常に前進」よりhttp://www.chichi.co.jp/monthly/201203_pickup.html#pick5
2012.02.07
コメント(3)
愛する家族のために戦う人は皆 武士である。~~~~~~戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に括を見出し護国の精神に徹するならば たとい戦い勝たずとも、護国に徹した日本精神させ残せば、我々の子孫は必ずや再起、三起するであろう。大日本帝国海軍 永野修身 元帥海軍大将http://quasimoto.exblog.jp/17314940/
2012.02.04
コメント(4)
全6件 (6件中 1-6件目)
1