2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全3件 (3件中 1-3件目)
1
ああ最終回が終わってしまった。すっかり見入ってしまい未だにさめやらぬ。8時からしっかり見よう、と体制を整えていたのに。なぜかBSでもう一度ゆっくり見直さなければならなかったので。2度続けて見てさらに興奮状態が続いてます。龍馬暗殺犯は愛媛知事?とかNHK字幕テロとかつぶやかれてます。娘は暗殺シーンで興奮したのと龍馬が死んでしまって悲しいのとあの「字幕」への怒りで気持ちの収集つかず。明日起きられるのか?と心配な時間まで起きていました。BSでの放送も一緒に見てたし。ほんとにもうじき刺客がやってくる、とみんなドキドキして集中してるときにあの字幕はないだろう…。ま、気を取り直して。う~み(笑)とにかく楽しい大河ドラマでした。一年間本当に熱心に見ちゃったし。幕末にもしっかり興味を持ち勉強もたくさんできました。龍馬伝、ありがとう!坂本龍馬さんご本人さんもきっとすごく喜んでいらっしゃるに違いない。龍馬さんにもありがとう。よし、これで寝られる。・・・かな?
2010年11月28日
コメント(0)
![]()
誰だってみんな安心して食べられる野菜がほしいに決まってる。安全な野菜というと農薬を使ってない野菜、ってことか。子供がいれば特にそうに違いない。安全なおいしい野菜を子供には食べさせたい。でもそう思うみんながみんな無農薬の野菜を買っているわけではない。なぜそう思っているのに農薬がかかっているだろうと思われる野菜を買うことになるのか。私が思う理由は二つ。安全な方の野菜は1,高い。2.普通には手に入らない。有機だとか自然栽培とか書いてあるものは慣行農法で作られたものの2倍以上する。値段が2倍するなら買う量を半分にしたらよいように思うがそれでは「野菜が足りない」「不健康」と思う。だから安い方の農薬を使った野菜を買う。本当によい野菜を買おうと思えばまず探し出すことから大変だ。「有機」の表示されたものががよいのかどうかこれはまた長くなるから別の機会に書くとしても。私は今ただ「有機」と表示されているだけのものは「いい方の野菜」とは考えていない。有機野菜コーナーなど、普通のスーパーにもみかけるようにはなったが。栽培法から水、土、種に至るまできちんと説明がなされていてこれなら高くても買わなければ、と思うような品物は普通に生活していて見かけるところには売っていない。だから結局本当にほしいものとは違うけれど食べないわけにはいかないからせめて●●産だけはやめて国産の野菜を買う、くらいになってしまう。いい方の野菜がほしい。世に需要がこれだけあるのになぜ見合うだけの供給はないのか。需要より過剰なほどに需要を察知し供給することが得意な日本がなぜ、できないのか。今の日本では作ることが難しいから、と考えられる。なぜ作ることができないのか。これにも二つの理由が考えられる。1.作れる土がない2.作れる人がいない農薬と化学肥料と水道水を使う農業を長年続けてきた土ではものが育たなくなってしまった。育たないから肥料を入れる。肥料を入れると虫がわく。だから農薬を使わなければ作物がとれない。こうなってしまっていない農地は日本中でとても少ないに違いない。日本中、肥料と農薬を指導通りに使ってないと出荷ができなかったのだ。こうしてぼろぼろになった土はただ何年もほおっておいただけでは元には戻らない。長年かけて「肥毒」を取り除くことをしなければまともに作物ができない。だから、土を元に戻す間何もとれず収入がなくては困るので慣行農法を続けるしかないのが現実だと思う。慣行農法をしている人だってできることなら薬なんか使いたくないと思っているだろうと思う。自分は吸い込まないよう完全防備で散布するのはそれだけ危険だということを知っているからだろう。自家用と出荷用、違う畑で育ててるのは農家の人にとって当たり前のことだ。出荷用は食べられないのだ、自分では。農家の人も今の慣行農法になりすでに代替わりしているだろうから農薬も化学肥料も使わなかった頃の農業を知っている人が少ない。先祖から受け継がれた大事なものは農薬と肥料で作る方法になって次に受け継がれることなく途絶えてしまったに違いない。なぜ日本の土地がこんなになってしまったのか。食糧自給率のこの低さは何なのか。もしこれで日本が突然輸入ができない状態になればいったいどうなるのか。土地は使い物にならないよそからは買えない。どこかの誰かが「日本民族全滅作戦」を何十年前からか実行しつつあり今の時点で何割か完了、という状態なのかもしれない。こんな今の状況を、世の中の人大多数はさほどおかしいとも感じていない。自分が、自分の大事な家族が一体何を食べているのか、疑問を感じない。中国のギョーザ事件のときは大騒ぎし中国産は怖い、と口々に言ったが。ならば国産は安全なのか?スーパーの野菜は店頭に並ぶまでどういう経過があったのか。大きな店だから信頼している、なんていったって店の担当者も本部の仕入れ担当だってきっと詳細などは知らないに違いない。種が中国産だろうがアメリカ産だろうが農薬が何キロ使われていようがそんなことは店には関係ないのだから。ギョーザ事件だって本当に悪いのは毒を入れた人でも仕入れ業者でも売った店でもない。それを「買う人」だ。買って家族の口に入れる人がいるから家族の口に入るのだ。買うから、売れるから作るのだ。まずは疑問を持って知ろうと思うこと。これをまずはしなければ日本の農業も土も何も変わらない。自分たちが普通だと思って食べているものがどんなものなのか。今まず必要な第一歩は知ろうと思うことだと思う。今の子供たちが大人になったときよいものが普通に食べられる世になっているよう。今の私たちに、きちんとした選択をしてこなかったゆえに大事なものを壊し捨ててきた私たち世代にできることを今すぐ始めなければ。野菜の裏側価格:1,470円(税込、送料別)
2010年11月08日
コメント(4)
「怒らない育児」という言葉のせいか。注意もしないし叱りもしない親もいらっしゃいますね。私は過去、ある子に何度も殴られたことがあります。鞄をひっくり返されたことも中身を出されてぐちゃぐちゃにされたこともあります。でもその子のお母さんに私は一度も謝ってもらったことがありません。もちろんお子さんご本人にも謝ってもらったことはありません。子供がしてはいけないことをしているときに「あらあら」などといいながらその場をやり過ごすことが「怒らない育児」ではないと思います。やってはいけないことやらねばならないことをきちんと教えること。それが親の役目であってそれこそが「しつけ」だと思います。怒ると叱るも別の言葉であって。親の怒りをそのまま子供にはき出してはならない。でもやってはいけないことはこれからしなくなるようにしたときにきちんと伝えなければならない。前者が怒るで後者が叱ると私は思っています。殴られたら相手は痛い。大事なものを壊されてはつらいし悲しいし、困る。きちんとそれを子供に伝えて二度とさせないように親は努力すべき。だから間違ったことをしたらきちんと叱ってほしい。本人が謝らなければ相手には親がきちんと謝って見本を示してほしい。どんなに普段親しいつきあいをしている相手でも謝るときにはきちんと頭を下げきちんとした言葉で、謝る。親にそれができなければ子供にだけそれをしろといってもするわけがない。
2010年11月07日
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1


![]()