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愛は目立たないけど、どこにでもある。
テロや事件や事故は、ニュースになり、日々報道されています。
報道されなくても、いつも私たちの周りにあり、いつも私たちを包んでいるのが愛です。
家族や友人達や愛は、探さなくてもいついでもそこにあります。
思いやりの気持ちは、経典に書かれているから素晴らしいのではなく、皆が経験的に知っているから慈悲というのは素晴らしいと言えます。
瞑想も、あらゆる宗教、精神的取り組みの中でその有用性は認められています。 今まで紹介している「止の瞑想」はどんな宗教でも有用性を認められていますが、「止の瞑想」そのものは仏教ではいかなる修行階梯にも達したことにはなりません。
しかし、心が静まった状態(止)を達成していないと、より高い段階の理解するには、理解が困難です。
そして、良く、ヴィパッサナー(観)の実践を勧める本や、テーラワーダの師達の話が紹介されたりしますが、ヴィパッサナーが出来るようになる為には、集中力を養うことと、洞察を育成することが必要です。
更に対象を個別に認識する能力も求められます。
伝統的には「七種作意(ナナシュサイ)」と呼ばれる7種類の観想を通じて、第一禅の境地に至ると言われています。
こうやって到達できる境地を靜慮(ジョウリョ)と言います。
ここからがヴィパッサナー(観)と呼ばれます。このヴィパッサナーに至る手法はテーラワーダに細かい含蓄があります。テーラワーダにしたら、ゴールなので、思い入れも相当にあります。
大乗仏教にはそこは通過点なので、様々なバリエーションに繋がります。 バリエーションがあると言うことは、(観)に対するアプローチも沢山あります。
禅定の段階は先の、第一禅(初禅)から第二禅、第三禅、第四禅、空無辺処、識無辺処、有所無処、非想非非想処(有頂天)まであり、輪廻は無限の過去から続いています。 過去世のいずれかにおいて、このように高位の精神的境地に到達したことがあるはずなのですが、現在の生においては、欲望の領域の心が表だって支配的になっていることで、堕落しているだけで、誰もが元の境地に戻れる状態にあります。
瞑想の秘訣 その2 2010年01月22日
瞑想の秘訣 その1 2010年01月21日
三要訣で必要な最初の出離 2009年11月12日
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