醍醐山と下部(しもべ)温泉

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あてへか@ Re:中部横断自動車道増穂PA(上り)(11/03) 増穂PAは下りは隣接する道の駅に行けて使…
ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな@ Re:初夏の田園風景(2)「こころ」萩原朔太郎(06/16) こころをばなににたとへん こころは数の…
Tenkoro @ Re:あらためて100万アクセスおめでとうございます(10/26) 二代目館長さん、ありがとうございます。…
bnvn05 @ あらためて100万アクセスおめでとうございます やったね。 重ねてのコメントですみませ…

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禁漁前のイワナ釣り やまつり023さん

二代目館長日記 bnvn05さん
2020.12.15
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現在、 甲斐黄金村・湯之奥金山博物館 1階エントランス(※無料エリア)で「写真で見る下部温泉郷・黎明期~下部・波高島開削道路百周年を記念して~」を開催中です。
展示の一部をシリーズでご紹介します。

下部駅の開業(昭和2年)

富士身延鉄道(現JR身延線)が開通し、松林の中に下部駅が開業しました。温泉郷の新しい玄関口として、駅前の開発が急速に進むことになります。
左には開削道路の沿道に植えられた名残の桜が写っています。


常葉川から見た下部駅舎(昭和3年頃)

中央の駅舎とともに、左側には旅館下部館の屋根も見えます。手前には貯木場が設置され、湯之奥から伐りだされた木材が鉄道で静岡方面に運び出されました。


創業当時の下部ホテル全景(昭和4年)




下部ホテルの玄関(昭和4年)

ロビー正面の額は後藤新平による書「天より福降りること千万年」。
後藤自身が足のけがの治療をし、下部鉱泉の美味と薬用水としての効能を知るからこその言葉です。 

後藤新平

下部温泉郷の発展に尽力した堀内良平氏と親交があり、その縁で自身の足のけがの治療や療養のために下部温泉を何度か訪れています。
明治から大正の日本の基礎を築いた政治家で、台湾総督府民政長官、初代満鉄総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市長、東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁などを歴任。
特に関東大震災後の帝都復興を陣頭指揮したことで有名です。


開削道路のメインストリート旭町通り

開削道路の請負者・旭定次郎の名に因み、この辺りは「旭町」と呼ばれています。
写真は昭和20年代後半のものですが、開通当時は人力車が通る道幅で、沿道には三千本の桜が植えられました。
写真の頃には、道幅が徐々に拡幅され、多くの人家が建ち、桜並木の面影もなくなりました。




柳宗悦は、長年埋もれていた木喰仏を見いだし、その魅力を世に広めた民藝運動の創始者です。柳は木喰上人の生地丸畑を初めて訪れた際、下部鉱泉場に投宿し、地元の石部惟三氏の献身的な尽力を得て資料取集や木喰研究を果たしました。





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Last updated  2020.12.15 06:00:08
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