醍醐山と下部(しもべ)温泉

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2021.04.14
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テーマ: 温泉(1029)
甲斐黄金村・湯之奥金山博物館で「写真で見る下部温泉郷~その2 ・昭和発展期」の展示が始まりました。





甲斐黄金村・湯之奥金山博物館 (下部川下流に醍醐山)


「清々しい若葉の季節に、「写真で見る下部温泉郷~その2 ・昭和発展期」を開催いたします。
昨年暮れから梅がほころぶ頃にかけて開催した「その1・黎明期」は、約600名の参観者があり、多くの好意的な感想とともに、下部温泉郷への心温まる応援メッセージをいただきました。

今回は、富士身延鉄道(現・JR身延線)の開通から、戦前・戦中・戦後という激動の昭和前半期をくぐり抜けてきた温泉郷の歴史を振り返ります。
固い岩盤を打ち砕いて、馬車や人力車が通れる道路を拓き、温泉郷に黎明をもたらした先人たちの努力が、国民に親しまれる温泉郷へと花開いていく時代です。

コロナ禍という未曽有の困難に見舞われている今日、昭和発展期の下部温泉郷の躍動感ある日々に思いを馳せ、先人たちの熱く強い想いをありがたく受け継ぎたいものです」(「開催のご挨拶」より)

例えばこんな展示があります。



昭和2年に下部駅が開業し、下部駅が温泉郷への新しい玄関口となりました。
温泉郷への足も人力車から自動車へと変わり、湯治客が飛躍的に増大。
年間の湯治客は8万人を超えました。

療養兵士と慰問奉仕団(昭和17年頃)

下部ホテルは戦時中千葉国府台陸軍病院の転地療養として接収され、戦地で負傷した多くの兵士が訪れました。
これによって傷に効く温泉地として全国に名が広まりました。

熊野神社例大祭での仮装行列(昭和21年頃)

戦渦が去り、山間の温泉郷にもようやく平和が訪れた頃。
自由な雰囲気の中で、おどけたふん装で歩く姿は道行く人々の明るい笑いを誘いました。

このほかたくさんの写真資料が下部温泉郷の発展期を物語ります。
是非お出かけください。(無料エリアです)







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Last updated  2021.04.14 06:00:05
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