醍醐山と下部(しもべ)温泉

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Tenkoro @ Re:あらためて100万アクセスおめでとうございます(10/26) 二代目館長さん、ありがとうございます。…
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益子焼の花立て やまつり023さん

二代目館長日記 bnvn05さん
2023.03.19
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富士山頂への登山ルートは4つあります。

富士スバルライン五合目を登山口とする吉田ルート、須走口五合目を登山口とする須走ルート、御殿場口新五合目を登山口とする御殿場ルート、富士宮口五合目を登山口とする富士宮ルートの4つです。

古来の富士講登山は、山梨県富士吉田市上吉田の北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)から登り始めました。
北口本宮冨士浅間神社から上吉田の「中の茶屋」、標高1,450mの「馬返し」を通り、五合目(標高2,400m)までは江戸時代から300年以上続く古道です。
五合目からは現在の吉田ルートに合流します。

本栖湖からの富士山:左 大室山、右 竜ヶ岳、富士山(小御岳五合目・剣ヶ峯・大沢崩) 


中ノ茶屋:北口本宮冨士浅間神社境内にある登山門と「馬返し」の中間にあることが名前の由来です。1,706(宝永3)年から300年以上の歴史を持つ茶店で、現在は「吉田のうどん」も人気です。


中ノ茶屋の石碑群:「この地は登山者の多くが立ち寄った船津胎内や吉田胎内へ行く道の起点でもあったことから、往時は山頂と胎内を目指す人で大変なにぎわいをみせたという。さらに、茶屋の周囲には富士講が建てた登山記念碑が多数あり、登山道の拠点ともいえる場所であった」案内板より


馬返し(うまがえし)富士山吉田口登山道:ここから一転冬の世界です。ここから先は馬を返したほどの険しい道です。



馬返しの石造鳥居と猿像:富士山は庚申(かのえさる)の年のある夜、一夜にしてできたという伝説があります。そのため猿が富士山の使いとなりました。


馬返し:馬を降りた人々は、ここの茶屋で休憩し身支度して登山に備えました。現在も車でここまで行けます。


馬返しの禊所(みそぎじょ):ここから先は聖域とされ、道者(信仰のための登山者)は大正期頃から、ここでお祓いを受けて身を清めてから山頂を目指しました。





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Last updated  2023.03.19 06:00:07
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