醍醐山と下部(しもべ)温泉

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益子焼の花立て やまつり023さん

二代目館長日記 bnvn05さん
2024.11.09
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テーマ: 温泉(1029)
下部温泉駅から下部温泉郷への道の法面(のりめん)の工事が始まりました。
この道は大正時代に険しい岩場を開削してできた新道で、開削道路の請負者・旭定次郎の名に因み、「旭町通り」と呼ばれています。

旭町通り:左の崖の上に旧道、右側は下部川。


下部温泉からの旭町通り:正面は醍醐山


明治末期の下部温泉郷の人口はわずか160人。
その小さな温泉場に、富士川舟運と、人と馬がやっと通れるだけの険しい山道を旅して、年間2万人もの湯治客が訪れていました。
人々がどんなに新道を熱望したかが想像できます。

昭和20年代後半の旭町通り:道幅が徐々に拡幅され、多くの人家が建ちました。


労苦の末5年がかりで開通した新道の記念碑が道路わきにあります。




「記念碑の碑文」
下部鉱泉は古来より神秘的の霊湯にして千有余年間泉浴及び内用に供せられ幾千万の難病者を救済せしこと枚挙に遑(いとま)あらず ゆえに一般社会の渇仰する所なり
しかれども交通機関たる道路橋梁完(まった)からず 為に来浴者の嘆声(たんせい)を聞くや久し
ここにおいて時の村会議員石部惟三氏の提出により 村会決議を経て 県費補助のもとに大正五年十二月二十四日起工
下部波高島間の道路の開鑿(かいさく)橋梁の架設に着手せらるも字(あざ)滑岩の畳々たる岩石 その他数か所の切り下げ 橋臺(きょうだい)等の難工事に加ふるに物価の暴騰に際会し 請負人はもちろん道路委員並びに温泉営業者は多大の犠牲をはらい五か年にわたる長期歳月を費やしようやく大正九年十二月十五日竣工を見るに至れり
今や車馬往来の便 物資運搬の利 前の峻坂(しゅんぱん)険路に比すれば霄壤(しょうじょう)*に啻ならず*
これ委員の献身的努力のいたすところにして生彩奕奕(えきえき)*たるこの碑は長きに当時を追懐せして もって不言の教訓たるや必(ひっ)せり よってその功績を永久に胎(のこ)すと云爾(しかいう)*
*霄壤(しょうじょう) 天と地ほどの違い
*啻ならず(ただならず) それどころではない 
*奕奕(えきえき) 非常に美しい
*云爾(しかいう) これにほかならないという〆の言葉。音読の際は「うんじ」




法面の工事に伴って、新道脇のお水神さんが旧道脇に移されました。


お水神様





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Last updated  2024.11.09 06:00:11
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