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もう半年以上も前のことだが、プリマスロックとロードアイランドレッドがそれぞれ数匹ずつ、新たに仲間として加わった。ニワトリの数が減ると定期的に入れるのだが、面白いことにその集団によって性格がまったく異なる。妙にびくついている個体だらけだったり妙に短命だったりする。そして今回来たのは今までにはない、妙に人懐こくてやたらと好奇心旺盛な14匹のぴちぴちのレイディたちだった。 園にやってきたとき、彼女たちはまだ幼さが残る「こども」だった。彼女たちが来たときわたしたちは、カラスに狙われないように,ネコに襲われないように,池に落っこちておぼれないように、それはそれは気を使い大切に大切に育てた。その甲斐あって今回の集団では1匹の脱落者を出すことも無く性格も曲がることも無く、すべての個体が実に魅力的な娘っコに育った。 とにかく彼女たちは自由奔放でこれまでのニワトリにないフットワークのよさと好奇心の強さでわたしたちが思いもよらない行動をとりまくった。どう考えても飛び越えられないであろう池を飛び越えると思ってしまう。凍った池の上を歩けると思ってしまう。独りで遠出しても危なくないと思ってしまう。 困ったことに彼女たちはまったく群れとしてまとまりがない。どうやら彼女たちには若の魅力がわからないらしい。これまで数多くのメスを虜にしてきた若も今回ばかりは形無し?とさえ思わせた。 まさに海を漂う漂着物のようにあっちふらふらこっちふらふら彼女たちは漂いまくった。そしてその中の一匹がとうとうひとりぽっちの「ぽっち」くんのところに流れ着いたのだ。 彼の元に通うメスができたというニュースは我が動物園内を衝撃的に駆け巡った。あのぽっちに!あの若を振って!? 始め彼女は、ぽっちくんの熱烈アプローチに追い返されることもしばしばだったが、そのうち(彼女もぽっちくんも)慣れてきて,気がつくと彼女はいつもぽっちくんと一緒にいるようになった。一緒に仲良く砂浴びをし,日光浴をする。いっしょに散歩をし,一緒にケイハイをつまむ。いつしか彼女は「嫁」と呼ばれるようになった。 嫁の住まいは若と同じニワトリ舎。なわばりも(メスには厳密にはないようだが)、ぽっちくんのなわばりとは交差しない。朝,舎内から出されると一目散にぽっちのもとへモーニング・ロング・ラン。手荒かった歓迎も穏やかに優しくなり、2匹連れ立って去っていく。う~ん,なんて仲睦まじい。 一通りの朝の儀式が終わると嫁はたまごを産み落とす。これがぽっちと嫁の子か・・・としみじみしながら眺め、ゆでる。余談だがこれらのたまごは全てゆで卵にされぽっちや嫁の口に入る。この事実を彼らは知らない・・・。 それにもめげず、嫁は毎日彼のもとへやってきてたまごを一個産んでいく。彼もうれしそうだ。だが嫁は気まぐれだ。しばらくするとぽっちを置いて柵の外へさようなら。柵の下に少し隙間があり,小さなメスなら自由に通れる。いかないで、と騒ぐぽっちを置いておしりフリフリ去っていく。そのときのぽっちの騒ぎようったらない。ココ―--!と鳴いてそして黙る。そして止まり木に戻り,また待つ。健気だ。 こうして彼はとうとう念願のお嫁さんをゲットしたのだ。魅力的に彼を惑わす幼な妻。あの無邪気さ,悪気の無さ,あどけないしぐさ。彼は彼女に夢中だ。まさに小悪魔。どんなに置いてけぼりにjされてもどんなにつれない態度をとられても彼は彼女が大好き。LOVELOVE嫁!しかし彼女は通い妻。いつも一緒にはいられない。でも彼はそれでもいのだ。念願かなって今彼は幸せのはずだ。 そしてさらに幸せなことにその「嫁」は時々2匹になる。彼が若のようにメスを引き連れて園内を闊歩する姿がもしかしたら近い将来見られるようになるかもしれない。
2004.01.31
動物園において、種にもよるとは思うがオスというものはあまりありがたがられないことが多い。というのはオスどうしにはけんかが絶えないことがあるからだ。すてられニワトリっこのぽっちくんはオスで、そんなわけで彼はニワトリ界には仲間入りさせてもらえずひとりぽっちで日々を暮らすこととなった。 彼はとても存在感がある。一時期彼の定位置は屋根の上だった。柵や塀をつたい、動物園の建物の屋根に登り、風見鶏よろしくそれこそ一日中屋根の上にいた。そして良く通る声で鳴き、お客さんの視線を集めていた。彼は人気者だった。例え冬の寒い日でも夏の灼熱の暑さの中でも彼は屋根に登り誇らしげに胸を張った。 定位置が屋根から柵内に設けられた止まり木に移ってからも彼の人気は変わらなかった。ふと目を向けるとぽつんと大きな黄金色のニワトリがいる。彼のまえにはお客さんがいることが多い。たった1匹でこれだけの人気と存在感があるニワトリなんてそういないだろう。彼は屋根にいたときと同じようにカメラを向けられていた。 彼はお客さんの人気者だった。彼は他の動物の誰よりもお客さんの賛美を得ていた。だが彼の心は満たされることはない。かれが欲しいのはヒトの賛美ではないのだ。彼が欲しいのはニワトリの、それもとりわけメスのそれなのだ。 彼は若い。柵のこっち側から眺めるメスたちのなんと美しいことか!!メスに囲まれたい、メスと戯れたい,メスと交尾したい!彼の欲求は日一日と膨らんでいく。 たまに彼のところにひょっとメスが訪れる。モテるニワトリの二大条件は「強く」そして「やさしい」こと。ここで彼に求められる行動は、やってきてくれたメスをスマートにやさしく、そしておだやかに迎えることだ。だが積もり積もった欲求はそれを考える頭すら彼から奪ってしまう。やってきたメスを彼は、全身全霊を持って迎え,全力を尽くして追回し、あげく完全に嫌われてしまうのだ。 そんなこんなで彼のところにはひとりの訪問者もこなくなり、こうして彼は3年という歳月を独りで過ごし、若い盛りの年月を無駄に送ることとなった。 だがそんな彼にもとうとう春がやってきた。彼の熱烈歓迎にもおじけず無邪気にも彼を惑わす小悪魔登場・・・。以下次回。
2004.01.29
彼は園のまわりの公園でひとりでてこてこ歩いているところを保護されて動物園の一員になった。どうやら捨てられた様子。夜店で買ったひよこが思いがけず大きくなってしまい扱いに困って、といったところだろう。ひよこほど可愛くなく若鳥というにはまだ幼い。体長20センチくらい、ちいさなとさかに不釣合いな大きな目。まだオスなのかメスなのかわからないが、きっとオスだろう。 誰かが歩くと,その後を必死に追いかける。おお、これがうわさの「刷り込み」ってやつか!!えさも自分でつまむし手もかからない。彼はみんなに可愛がられたが、他のニワトリとは合流させず1匹で育てられた。群れにこれ以上のオスはいらない。争いの元になるだけだ。 少し大きくなったころ、ケヅメの元を焼いた。こうするとオスの武器であるケヅメが生えてこなくなり万が一他のニワトリとけんかをしてもかかと落しによる負傷が軽くなるし,人を蹴っ飛ばしたときに人が怪我をせずに済む。ちなみに我が園でケヅメを所有するのはプリマスロックの若,ただひとり。こやつは人を襲わないし,何よりもいつまでもボスでいて欲しい。というかいったん生えてしまったらもうどうすることもできない。ので彼のケヅメはそのままになっている。 大きくなると人に対して警戒心が出てくる。いままでのようにべったりではなくなりある程度の距離をおいてわたしたちと付き合うようになった。彼の住まいは獣医室の片隅。居場所がないのだ。ぽっちでさみしいが他のニワトリにいじめられることもなく、ひとり部屋でえさも独り占め、それに屋内なのであたたかい。彼はすくすくと育ち立派なオスのニワトリになった。 体が大きくなると鳴き方の練習が始まる。いわゆる「コケコッコ-!」だ。これは自分の縄張りを主張する大切なもの。縄張りを主張しあう他のオスたちの鳴き声合戦に加わって自分の存在を主張しなくてはいけない。 始めはとてもへたくそだ。うまく鳴けない。「コケコッコ!」でとまってしまう。それも尻上がり。どうやってもラストの「コ」の音程がとんでもない方向へ飛んでいってしまう。聞いているとかなり笑える。体はもう立派な大人なのにそこから発せられる鳴き声はなんともお粗末なものだ。そのギャップがまた可笑しい。それでも彼は必死に練習する。これはオスの試練だ。 何日も何日も練習をして彼はいい声で「コケコッコ-!」が言えるようになった。よくやった。息子の成長に満足する親の気分だ。彼はとてもいい声で鳴く。良く響く大きな声で動物園に活気をくれる。発情期になるとあっちでも「コケコッコ-」こっちでも「コケコッコ-」。1匹が鳴くと負けじとまた誰かが鳴く。するとまた誰かが鳴く。そしてこれが延々と続く。うるさいがこの意地の張り合いが面白い。 彼もそれに加わるが、いかんせん彼は独り。縄張りはあるけれど守るべきメスがいない。さみしい。彼は若い。精力もあり、やる気満満だ。だがどうあがこうにも彼はぽっちなのだ。彼の前には柵がある。たいした高さではないが体の大きなオスには飛びこえるにはちと苦しい高さだ。それに飛び越えたとしてもすぐにわたしたちに強制送還されてしまう。彼は結構気が小さい。時々わたしたちが気づかないうちに、開いている扉の隙間から、してやったり、とばかりに胸をはって出て行くが、あまりにうれしくてココココ鳴きながら出て行くのですぐにばれてしまう。おばかな子だ。 だがとにかくひとりはさみしい。どんなにえさが豊富でもあったかくてもひとりはさみしい。ふと遠くに目を向けるとそこにはメスに囲まれた他のオスたちの姿が・・・。嗚呼,羨ましい。彼の方からそこへ行くことはできない。メスのほうから来てくれるのを待つしかない。 かくして彼の「ただひたすら待つ」作戦が始まった。その成果は如何に。 To be continued…
2004.01.27
ニワトリという生き物はオスを中心に群れをつくる。しかしオスであれば誰でも言いというわけではなくどうやらその「オス」にも条件があるらしい。そこで今日はニワトリ界における「もてる男の条件」について。 まず「強い」こと。他のオスや外敵からメスを守る強さがなければいけない。同じ群れの中にオスが2匹以上いると必ずけんかが起こる。ひどいときには相手を殺すまで、やる。これはたいてい群れを作る動物全てに共通することだ。強くなければモテない。強く、他を圧倒し、えさをたくさん食べ大きな体をもつ。それが強いおす、強い遺伝子の証明だ。 だが強いだけではなく、そこに「やさしさ」がないといけない。えさをみつけたらまずメスたちを呼ぶ。自分が独り占めにしてはいけない、どんなにお腹が減っていてもまっさきに自分が食べてはいけないのだ。これができないといけない。自分の腹具合よりもメスのことを優先して考えることができなければ立派なモテるオスにはなれない。そしてメスがどんなに自分にちょっかいを出そうともされるがままにしておく。決してメスをいじめたりしない。紳士だ。 この一見簡単そうで、それでいて実行するのは容易でない2条件を満たす立派なモテオスがわが園にはいる。彼はプリマスロックのオスで、それはそれは大きな体に良い性格、我らスタッフにも多大な人望と信頼を持つ。彼はそのすばらしさから人知れず「若」と呼ばれここ数年間、我が園のニワトリ界を支えてきた。 モテるオスは種類を問わず好かれる。ロードアイランドレッドからも何倍も体格の違うチャボからも親しまれる。彼の周りにはいつもメスが溢れている。彼はやさしい。この優しさ、懐の深さは人間の私から見てもまさに「ついていけるオス」。こんなやつは人間界にもそうそういない。できたやつだ。そして彼の素晴らしさの特筆すべき点は、そのやさしさが時に他のオスにもむけられるということだ。あきらかに自分よりも小さなオス、自分に負けを認めたオスを必要以上に構わない。これはすごい。もうまったく相手にしないのだ。王者の余裕か。こんなニワトリは本当になかなかいるもんじゃない。見事、の一言に尽きる。
2004.01.22
一ヶ月ほど前、新人のスタッフが誤って一匹のモルモットを踏んでしまい下顎が折れてしまった。そのモルモットは7歳で動物園モルモットにしては長生きなほう。2,3週間すればくっつくというのでそれまでみんなで強制給餌するなどして世話をした。ペレットをふやかし、野菜をすりつぶし、シリンジで食べさせた。嗜好性を高めるためミルクやバナナを加えたりもした。その甲斐あって顎も動くようになってきて自分でスライス野菜を食べるようになってきた。だが食欲にムラがありだんだん体重が落ちてきた。 具合が悪くなるなどして隔離されたモルモットは常にそうなるのだが、舌が肥えて甘ったれになる。強制給餌されていると特にそうで、えり好みをし、わがままになり、食べさせてもらいたがりになる。このモルモットもそういうところがあったが、それにしても喰いが悪い。どうもわがままだけではなさそうだ。 それでも乾草も自分でつまむようになってきてなかなか良いのだが、いかんせん体重が落ちていく。顎のほうはもうほとんど治っているのだからほかのえさも自分でもりもり食べてもいいころ。というより自分で食べてもらわなければ困る。栄養があり嗜好性の高いものを、と思いアルファルファを与えてみた。いままでずっとチモシーを食べていたのでとりあえず少しだけ。するとやはり美味しいのか自分で食べだした。いい感じ。 次の日、そのモルモットのお腹にガスがたまってしまった。うーん、やっぱりたまったか、と思ったがフンはでているし自分で乾草も食べていたし、その日そのモルモットを見ていたのはベテランの同僚だったので特に心配はしなかった。そして今日、朝彼を見たら横たわって苦しそうにしているではないか。お腹はガスでパンパンだ。やばい。急いで獣医さんのところへ連れて行った。お腹をマッサージし、腸を動かす薬を注射して保温。危険な状態なのでそれ以上の処置は少し回復してからとのこと。もたないかもよ、と言われる。 モルモットを獣医さんのところへ預け、ものすごくへこみながら仕事へ戻った。アルファルファをあげたのがまずかった。このまま死んでしまったら今までのみんなの苦労が水の泡だ。昨日のえさの内容を確認すると、ペレットに野菜、そしてチモシーに混じってアルファルファが。聞くと少しあげたとのこと。え、あげたの!?と思わず思った。ガスたまってたのにアルファルファあげたらまずいよ、と心の中で思ったが、それでもやっぱりその原因はわたしなのだ。どきどきはらはらしながら今日を過ごした。そして電話が入り、彼は死んでしまった。 悔いても悔やみきれない。軽率だったのだ。普通だったら今までアルファルファをあげてなかったとしてもあれくらいの量でガスがたまるなんてこと考えられない。翌日のフォローにも問題はあったのだろうが、きっと彼は腸の動きが鈍っていて、かつ冷えと年齢的なものとが重なってガス腹、鼓腸症になってしまったんだろう。その部屋はエアコンをいれていて彼のケージの下にはパネルヒーターをひいていた。だが思いのほかエアコンは温まらなかったんだろう。別の同僚は、年齢的なものもあって腸の動きが鈍ってたんだよ、歳もとしだし仕方ないよ、と慰めてくれた。実際、前に、普通に生活していて突然ガスがたまり亡くなってしまった個体がいた。だがそんなことは理由にならない。畜舎は隙間風が入るし、保温も今ある設備ではこれが限界だったかもしれない。でも保温の限界や個体の状態、年齢、そういったこと全て含めた上で判断しなければならなかった。判断できなければならなかった。悔いても悔やまれない。一瞬のミスが動物を死に導いてしまう。完全な判断ミス。自分を恨んだ。今までどれだけたくさんの人が彼に関わったろう。わたしたちはそういった人たちの苦労や想い、すべてをしょって飼育している。それがこんなことで死なせてしまうなんて。 動物飼育というのはマニュアルどおりにはいかない。どんなに詳しい飼育書でも実際の飼育はやってみないとわからない。飼育員はたくさん動物を死なせながら育っていく。たくさん死なせてたくさん後悔してたくさん覚えていく。彼の死を無駄にしない。彼のおかげでわたしはいろいろなことを学んだ。彼に感謝し、謝罪しながら、冥福を祈る。
2004.01.18
鳥インフルエンザが騒がれるようになってもう幾日か経つ。感染源は渡り鳥じゃないかといわれていて、感染源の特定は難しい。だがそうだとしたら防ぎようがない。当園はニワトリを放し飼いにしているのでいろいろと不安はある。 韓国で発生したときにこうなることは予想できたというような記事を読んだ。最近はこのような伝染病が多い。物流が盛んになれば菌も動く。コイヘルペスしかりBSEしかりSARSしかり。伝染病は世界を巡る。一部の地域の問題では済まされなくなるだろう。 同僚がこんなことを言った。今人は未開の地にどんどん足を踏み込んでいる。発見されていなかったウイルスをも連れ帰って新しい病気が蔓延するかもよ、と。 十分にありえる話。笑い事ではない。 動物園では週に一度消毒作業を行う。薬品にもいろいろあって、この菌には効くけどこの菌には効かないとか、逆に菌に薬品に対する耐性ができてしまって効かなくなる、ということもある。同僚の大学では2種類の薬品を交互に使用していたそうだ。 菌は目に見えないので怖い。感染経路もいろいろで空気感染、接触感染、糞便感染、飛沫感染などいろいろだ。万全を期そうとすると正直なところきりがない。土壌に普通にいる菌だっている。わたしたちは菌に囲まれて暮らしている。 動物園では菌を外へ出さないように専用の作業着があり、仕事を終えかえる時にはお風呂の入ったりシャワーを浴びたりする。靴も履き替える。畜舎用と園内移動用。通用路もこういった菌の移動がおこらないように整備されている。はずなのだが、これもきっと園の規模によって違うんだろう。 日本にはそのあたりをきちんとフォローした法律がない。もっと厳しく取り締まるべき。伝染病などが騒がれるといつもそう思う。動物園が感染源になることだって十分にありえるのに。 日本は対応がノンキだ。いろんな意味で世界から乗り遅れている。危機感を持つべき。
2004.01.17
やっぱり劇場はいいなあ、とつくづく感じた。でもやっぱり劇場で見るにはちと長いように思った。思いっきり見入ってたけどね。こうやってみると第2部のほうが断然面白い。今月末、また2部を見に行く予定。うふ。楽しみ。ああ、はやく第3部が見たい。上映まであと1ヶ月。長い! 第2部を見たときに改めて思ったんだけど、ウマがめちゃくちゃかっこいい。どのウマも最高に上品で力強くて、まさに芸術品のよう。黒の乗り手のウマもかっこいいし、シャドウファックスの疾駆する姿なんか思わず見とれてしまう。ヨーロッパではウマは高貴な生き物とされているけれど、まさに。走る宝石だ。しびれる。
2004.01.14
皆様いかがなお正月をお過ごしでしょうか。動物飼育に休みは無い。わたしは仕事っ!もう昨日も今日も明日もあさっても! なんというか、何の感動も無い年明けで・・・。今回始めてのぽっちなお正月。やっぱりお正月は家族と過ごすもの。毎年なんだかんだいって休みもらってかえってましたが。ことしはしおんとともに年越しアンド年明けです。 きのうは紅白みながらこたつでうたたねしてて「世界でひとつだけの花」ではっと目覚め不覚にも感動を覚えつつ行く年来る年に突入。ここだけははずせないと思い(c-on家はいつも行く年来る年で一年を終える)、眠い目をこすりながら見た・・・ああ、わが愛しの家族もきっと同じ映像を見て一年を終えようとしているのね、離れていても心は一緒よ、などと思いつつ。全国各地の映像が流れる。うんうんなまはげね、おお浅草寺に初詣待ちの人があんなに!だんだん年末っぽく感じてきたぞ。ああ今年ものこすところあと数分か・・・。 ふと気がつくとアナウンサーが新年おめでとうをにこやかに言っているではないか。ウおっ!?ね、寝た?わたし今寝てた!?み、見逃した・・・。年越しのあの感動的な瞬間を、全世界が息を呑んで見守っていたまさにその一瞬、わたしはどっかへ行っていた・・・。なんということか。事態を理解するのにしばらくかかった。2004年、初驚き。そして今日久々に(汗)ページ開いてテーマが消滅しているのをみて、さらに驚。
2004.01.01
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