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今回のアテネ五輪は成功だったのか失敗だったのか。陸上男子ハンマー投げ優勝のアヌシュ(ハンガリー)がドーピング違反で失格となり、2位の室伏広治が繰り上がって金メダルを獲得することになった出来事は、今回の五輪のドタバタぶりを象徴していた。「ドーピングしてでもメダルを取りたい」と選手たちが思ってしまった時点で、IOCの反ドーピング作戦は失敗だったといえるだろう。開幕直前、シドニー五輪男子陸上200メートル金メダリストでギリシャの英雄・ケンデリスが交通事故まででっち上げて、ドーピング検査を拒否した騒動があった。このときIOCは、開催国への遠慮からか、五輪から追放する厳しい処分を取らず、本人の出場辞退という玉虫色の形で決着させた。この甘さがのちのち尾を引いたのではないか。同じギリシャの陸上選手で女子400メートル障害を制したハルキアにもドーピングの疑いがかけられている。ドーピング疑惑のあるコーチの指導を受けていたためで、記者団から「突然、今季に記録が伸びたのはなぜか」と質問責めにあった。重量挙げ男子62キロ級で銅メダルを獲得した同じギリシャのサバニスは、ドーピング違反で、メダル獲得者のなかで五輪追放第1号になった。ドーピング以外でもゴタゴタ続きだった。体操の男子個人総合決勝では、3位だった韓国の梁泰栄が、本来10点だった平行棒の演技価値点が9・9点で計算されてしまうミスがあった。0・1点を加えると梁が金メダルを獲得する。国際体操連盟が、優勝したハム(米)に対し、「金メダルを返上して」とお願いしているが、米国側はこの要請を拒否している。当たり前の話だ。今朝の男子マラソンでは、独走していたブラジルのデリマが36キロ付近で、観客の妨害に合って3位になった。テロ対策に気を取られ、観客の乱入を防げなかったか。開会式でIOCのロゲ会長が述べていた言葉を思い出す。「スポーツを信じ、ドーピング(禁止薬物使用)のない、フェアプレーを尊重した戦いをしてください」。閉会式を終えたいま、スポーツなんて信じられなくなった、と感じる人が増えたのではないか。これでは、聖地の名が泣く。オリンピアの神々も顔をしかめていることだろう。蓮4044
August 30, 2004
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イラクの武装勢力が、フランス人2人を拉致し、フランス国内で9月2日から施行される「宗教スカーフ禁止法」を48時間以内に撤廃するよう求めている。人を拉致して目的を完遂しようという企ては絶対に許されず、フランス政府は断固拒否するしかない。今回問題になった法律は、「特定の宗教や民族への帰属の前に、まずフランス国民である」とし、イスラム教のスカーフやユダヤ教徒の帽子、大きな十字架を禁止対象にしたものだ。03年から04年初めにかけ、反対運動がピークを迎えたが、場所が公立学校内やその関連行事に限定されていることもあって、イスラム団体の多くは、控えめなスカーフで妥協することにしていた。ただ、今回の事件は、たかがスカーフや帽子とはいえ、社会のルールと、それぞれの信仰心との折り合いの難しさを現代社会に突きつけることになった。思い出すのは3年前の米国でのマクドナルド事件だ。フライドポテトに牛の成分を使われていたことが分かって、牛を神聖視するヒンズー教徒が怒り狂った。調味料「味の素」にブタの酵素が使われていることが分かったときも、ブタを食べないインドネシアのイスラム人たちの間で大変な騒ぎになった。極めつけは、2001年のポケモン事件だ。サウジアラビアやカタールの宗教指導者が、ポケモン関連の商品を没収するお触れを出した。ポケモンを偶像崇拝と、カード交換をギャンブルとそれぞれみなした。おまけに、登場するキャラクターが進化していく過程が、イスラムで禁じられている進化論に相当すると考えた(「常識の世界地図」21世紀研究会編)。日本人は、たかがマンガくらいでなにを、と思ったが、かれらは大まじめだったのだ。文化や習慣、宗教については、他人が考える以上に譲れない一線があるということだ。さて、フランス政府はどう出るか。犯人たちが突きつけた猶予は48時間しかない。蓮4044
August 29, 2004
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この秋から、名前に使うことができる漢字が488字増え、計2928字になるそうだ。法制審議会のなかに人名用漢字部会というのがあって、そこで議論して決まった。今後、戸籍法施行規則を改正する。当初の追加案のなかには、糞・屍・呪・癌・姦・淫・怨・痔・妾などの字が入っていたが、市民から反対意見があって計88字が削られることになった。さぞやたくさんの反対意見があったのだろうと、調べてみると、それぞれたったの383~103通だったという。日本国民1億2000万人いて100通! 大半の人は興味がない。なぜ人名に使われる漢字が、行政が勝手に設けた人名用漢字という枠内で制限する必要があるのか、と思っているのではないか。戦後の国語改革は、日本語特有の豊かな表現手段を追究するか、あるいは情報伝達の能率化を優先するか、という論争のなか、後者の方に力点をおいて進められてきた。表外漢字を同じ発音の常用漢字で置き換えた例が多いのはそのあらわれだ。言葉の成り立ちを無視し、衣裳は衣装に、肝腎は肝心に、萎縮が委縮に、臆病が憶病にという風に置き換えられてきた。ひどいのは、独壇場である。もともと、独擅場と書いて「どくせんじょう」と呼ぶのが正しいのに、みんなが「どくだんじょう」と誤って読むので、読み方と漢字を誤った方に統一してしまった(「新聞と現代日本語」金武伸弥著)。名前については、戸籍法で常用平易な文字を用いるよう定められており、戦後は1948年、当用漢字(現在の常用漢字)1850字でスタートした。その後、批判を受けて計9回追加された。智・彦・也などが増え、マラソンの瀬古選手が窓口で拒否されて話題になった「昴」がのちに追加、ほかにも沖縄県民からの苦情で「琉」が加えられた。今回も、02年放映の番組「ジカダンパン」(テレビ東京系)で、「なぜ舵・雫・苺が使えないのか」と訴えた母親たちの声を受け、同番組に出演した当時の森山法相が、人名用漢字見直しを約束したのが発端である。いっそ、すべて認めてしまったらどうか。あの元横綱・曙太郎は、本名は普通の曙太郎だが、しこ名は人名用漢字の制約を受けないため四と者との間に「、」が付く旧字体を使った。大関昇進に合わせて「天」にちなんでつけたものだという。例外的に認められてきた異字体の「嶋」のおかげで、長嶋茂雄が長島茂雄にならなくてすんだ。人名はすべて親の責任でつけたらいい。行政が枠をどんどん狭めたら、究極的には行政が名付け親になるではないか。そういうと必ず「名前は個人のものだが漢字は社会に属する」と批判する人がいるものだが、どんな名前にもそれぞれの親の愛情に満ちている。どうしても嫌だったら、改名したらいい。そうすれば、そんな親とも縁が切れるというわけだ。/FONT>蓮4044
August 27, 2004
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文化の違いというのはおもしろい。以前、インドで早朝に電車に乗ったとき、窓から外を眺めると、数十人のインド人たちがずらりと隣の線路に腰掛け、こっちを見ながら用を足していた。全然恥ずかしくないらしい。ウンコはだれもがする、ということだろうか。16世紀末のフランス王アンリ三世は、部屋に招き入れた男に暗殺されてしまったのだが、殺されたとき、彼はちょうど穴あき椅子に座って用を足している最中だった。当時、王侯貴族は用便中に、謁見することになんの抵抗もなかったようだ。中国の地方都市に行けば、今でも互いにお尻を見せながらトイレをしている。さて、話が食卓にかわって恐縮だが、隣の韓国では「割り勘」という概念がないらしい。食事代を支払うのは必ず年長者である。年長者がいなければ、誘った人かその日にお金をより多く持っている人らしい。韓国人側からとって不思議なのは、日本人の座り方である。日本で最もあらたまった座り方である正座は、朝鮮半島では囚人の座り方だといって軽蔑される。逆に、日本では勧められない片膝立ては、アラブ圏に行けば、普通に見られる光景だ。ゲップは日本ではマナー違反となるが、中国や中東では「たくさんいただきました」という合図になって好まれるから分からない。最後に余談だが、親指と人差し指を丸めてつくるあのOKサインは、南北戦争時の米国で死者ゼロを表すサインがルーツなのだという。OKのOは、オーではなく、ゼロのことだった。【楽天市場】本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ ホビー・ペット 蓮4044
August 26, 2004
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アテネ五輪で日本選手のメダルラッシュが続いている。金メダル数の過去最多は64年の東京五輪の16個だが、24日昼現在すでに15個。まだ金メダルが有力な野球やシンクロナイズドスイミングなどが残っているから記録更新も夢ではない。当初、日本選手団の福田富昭総監督が掲げていた目標は「金メダル2けた」。だが、実際のところ、ソウル五輪以降は金を3~5個しか取れておらず、日本オリンピック委員会(JOC)の情報戦略部会がはじきだした現実的な数字は「金3-9個」だった。それが15個である。新聞各紙が、五輪終盤になって日本の獲得メダル数の一覧表を1面に掲載したのがおもしろい。これまでの大会なら、ため息なしには見られなかったろう。神戸市の須磨海浜水族園では、金メダルを取るごとにゴールデン・バタフライフィッシュ1匹を水槽に放す企画を計画。たった5匹しか用意していなかったため、キンギョハナダイを代役にして急場をしのいだ。かつて日本勢は、日の丸の重圧からか「本番に弱い」と言われてきた。日本の騒ぎぶりに嫌気が差したからか、アトランタ五輪で惨敗した競泳の千葉すずが「五輪を楽しみました」なんて言ったら今度はバッシングを受けてしまった。その千葉すずがその次のシドニー五輪前に話していた言葉が忘れられない。「4年に一度の病気がまた始まるか、という気がしますね。普段はみんな、プロ野球とサッカーにしか興味がない。五輪になると、急にメダル、メダルと騒ぎ出す」。ところで、そんなニッポンがなぜ、変身したのか。新聞ではいろいろ書かれているが、どれも信じるに値しない。どこかの社説に「企業が選手を支え、それを陸上競技連盟が支える。そんな仕組みがメダルをもたらした」とあったが、企業スポーツの限界ははずっと言われ続けてきたではないか。北島康介のムードメーカーぶりが勢いを生んだという指摘もあったが、だったら柔道のリーダー、井上康生の敗戦はどうなるのだろう。私はむしろ、このメダルラッシュの理由を、レスリングの浜口京子の敗戦シーンに見た気がした。浜口が負けたとき、元プロレスラーで父親のアニマル浜口が、「判定疑惑だ」「抗議しろ」と絶叫し、武装した警備員ら数人に取り囲まれるシーンがあった。それを、母親の初枝さんが「もういい、お父さん、静かにして。五輪で負けても、うちの家族は幸せなんだから」と大声でなだめていた。ニッポンではなく、「うちの家族は・・・」というところがすごくいい。重圧とか「楽しんだ」とか、といった次元をやっと卒業できたのではないかという気がした。【楽天市場】本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ ホビー・ペット 蓮4044
August 24, 2004
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サラリーマン社会では、人との付き合いが仕事の半分を占めるといっていい。仲間とのコミュニケーションがうまく取れなければ、どんなプロジェクトだってうまくいかない。もし、あなたの部下が鞄のなかに「上司は思いつきでものを言う」(橋本治著)という本をしのばせていたら要注意! 近くの居酒屋で部下たちがあなたへの不満を口にして溜飲を下げているのはまず間違いない。私も友人関係ではすぐ悩んでしまう性質だ。ずいぶん前、私の友人がメーリングリストの中で「自分が考えているほど、人は他人のことを気にかけていないのではないか」と書いているのを見て、随分、気分が楽になった。そういう一種の格言は、普段は何気ない言葉なのに、ある日突然、人に安らぎや勇気を与えてくれるから不思議である。ということで、最近、普段は絶対読まない処世訓的な本を手に取った。「座右のゲーテ」(斎藤孝著)という本で、副題が「壁に突き当たったとき開く本」とある。読んでみてやっぱり後悔した。私が勝手に一部翻訳すると、ゲーテは「大きなことをしようとするとき、まず10~12程度、小さく輪切りして一つずつこなしていく」、「趣味というのは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみ作られる」などと方法論を述べている。なるほど事実そうなのだろうが、著者がそれらの言葉についていちいちウンチクをたれるのが我慢ならない。たとえば、「趣味・・・」のところで、「クラシック音楽が苦手でも、最上のものを聴けばあとはそこから相対化していけばいい」とし、モーツアルトならピアノ協奏曲、ベートーベンなら弦楽四重奏曲などと勧めている。人の感性はさまざまで、まったく余計なお世話である。思わず著者の経歴欄を見ると、ほかの著書として、「できる人はどこが違うのか」とか「会議革命」「質問力」「段取り力」などが紹介されていた。どれもタイトルから推測するに抽象論ばかり。ゲーテは親友の劇作家シラーについてこんな言葉を残している。「あれほどすぐれた人が、その実なんの役にも立たない哲学的な思考方法に骨身をけずったことを思うと悲しくなるよ」と。著者にこの言葉をそのまま送りたい。私が抽象論を嫌うのは、言葉というのは責任を伴わないからだ。ことわざを例に挙げると、例えば、「善は急げ」といっておきながら、一方で「せいては事を仕損じる」という。同じように、「三人寄れば文殊の知恵」というが、反対に「船頭多くして船山に上る」という言葉もある。結局、自分がいまどういう状況にあるかによって、言葉の重みが違う。「人を見たら泥棒と思え」と「渡る世間に鬼はなし」は矛盾以外のなにものでもないだろう。言葉というのは、いちいち説明はいらない。ゲーテの「青年は教えられることよりも、刺激されることを欲するものだ」という言葉を著者は知らないのだろうか。蓮4044
August 23, 2004
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燃やすとダイオキシンが発生するため、地中に埋めるしかなかった廃プラスチックの処理方法として、いま「水」をつかった分解方法が注目を集めている。水は通常、100度で気体に変わるが、218気圧という特殊な環境では374度にならなければ気体に変わらない。この状態の水のことを「超臨界水」というのだが、この状態の水の中へ廃プラスチックを放り込めば、廃プラスチックはわずか30分程度で約8割がガス化してしまうという。おまけに燃料電池に使える水素を取り出すことにも成功したというから一石二鳥である。▼最近では、家畜の排泄物の分解処理にもこの超臨界水が活用され、熱エネルギーを取り出すことに成功したそうだ。超臨界水は液体と気体の両方の性質を持つため、液体のようにあらゆる物質を溶かし、気体のようにあらゆる場所に潜り込める。だから洗浄効果にも期待が高まっている。まさに灯台もと暗し。水には、だれもが気づかなかったさまざまな特徴や応用方法があるようだ。▼気体をのぞくあらゆる物質の中で最も熱しにくく冷めにくい、というのもおもしろい特徴である。これを応用したものが小さい頃お世話になった水枕である。さらに、水の体積は4度のときが最も小さい、という不思議な現象もみられるそうだ。あらゆる液体は、温度が下がれば下がるほど体積が小さくなるのに、水だけは0度より4度のときの方が体積が大きくなる。これも何か応用する価値がありそうだ。▼さてさて最後に、なぜ水は「水色」といわれるかについて。海が青いのは、水が太陽光のうち、青色だけを反射し、ほかの色はすべて吸収してしまうためだ。では、なぜコップの水は海のように青く見えないのか。それは、量が少ないため、反射する青色と吸収するほかの色との差が明確に出ないためである。なぜ、海は深いほど青く見えるのか。コップの水の話とは逆に、深ければ深いほど光が通る水の量が多いため、反射する青がより強調されるためである(「水をかじる」志村史夫著)。【楽天市場】本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ ホビー・ペット 蓮4044
August 20, 2004
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温泉は別名「飲む野菜」といわれている。本物の温泉には、ナトリウム、カルシウム、鉄などの無機物がたくさん含まれていて、飲めば野菜を食べたのと同じ効果があるそうだ。ところが、世の中の温泉ときたら、一般的に私たちが思い浮かべる温泉とは全然別物らしい。そもそも温泉法をのぞいてみると、温度が25度以上であれば、成分に関係なくれっきとした天然温泉扱いだし、もし25度を下回っても、リチウムイオンやストロチウムイオン、ラドンなど法律の一覧表で掲げられた物質をどれかひとつでも含んでいればそれでOK。おまけに、この法律の第2条には「この法律で温泉とは、地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス」と書かれてあるが、水蒸気というのはそもそも、リチウムイオンやストロチウムイオンなどのいわゆる不純物を含んでいないものを指すのだから、それらの効用は期待できない。水蒸気と水道水を混ぜ合わせただけでは、温泉とは似て非なるものである。さらに、温泉好きには水を差すようだが、最近雨後のタケノコのように次々と誕生する温泉施設では、湯量が少ないため濾過循環装置を使っているところが多い。衛生上不安があるため、多量の塩素を投入して殺菌消毒しているのだが、これだとカルキ臭を持った水道水やプールの水と同じになってしまう。なんのために温泉に行っているのやら。7月中旬、白骨温泉(長野県安曇村)で入浴剤の使用が公になって以降、不当表示の疑惑は、伊香保、箱根、芦原、有馬などに広がった。水道水をわかして鉱石にさらしただけで「アルカリ天然温泉」と称したり、「ラジウム温泉」と表示したりするケースが次々と見つかっているそうだ。温泉は、日本の不況のもとで、「安・近・短」休暇の代名詞としてブームになったが、単にカルキ臭にさらしただけだったとすれば、「暗・菌・嘆」休暇だったといわねばならない。蓮4044
August 19, 2004
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今春、イラクで邦人3人が人質になったことについて「自己責任だ」という世論が沸騰した。3人は、日本政府が「イラクには入らないでほしい」と呼びかけていたのに危険を承知でイラク入りしたのだから自己責任を問われても仕方がない。しかも、何日にもわたって日本国民を心配させたのだから「申し訳なかった」と一言わびるのも筋だ。一方で、国が、3人の救出に全力をあげるのもこれまた当然である。なぜなら彼らはニッポンを構成する一市民たちだからだ。自己責任論議と国による救出活動とは本来別々の議論のはずなのに、それらを混同した議論に多くの日本人が戸惑ったに違いない。この混乱に乗じたのが、日本政府である。政府は救出に成功するやいなや、批判の矛先が自衛隊派遣問題に向かわないよう、3人に責任を押しつけたのである。このやり方は、国内の世論操作には功を奏したかもしれないが、米国のパウエル長官から「日本にも、自分で考え行動する国民がいたことを誇りに思う」などと暗にたしなめられる始末だった。ところで、もし今回のような事件が、90年代に起きていたら、今回と同様「自己責任」を問われる事態になっただろうか。答えはNOだろう。「自己責任」が強調されるようになったのは90年代半ば以降である。当時の日本は、経済が破綻寸前だったし、国も財政赤字が膨らみすぎていて、それまでのように政府が国民一人ひとりの面倒を見切れなくなっていた。だから、それまでの平等主義から転換し、個人主義とか自己責任とか耳触りのいい言葉で責任逃れを始めたのだった。老後の資金を預けていた銀行が倒産しても、「自己責任です」の一言で終わり。責任だけ押しつけると具合が悪いからか、政府は、自己決定権という権利を持ち出すようになってきた。自分で決めたんだから責任を持て、という訳である。この時期に、安楽死や脳死移植が突然認められた背景にはこうした政府の責任逃れがあったわけだ。究極の自己決定権である「自殺」が3万人を超えるようになったのも偶然ではないだろう。先日、「自己決定権は幻想である」(小松美彦著)を読んだ。この本の著者は「人が生きていくすべての場面において、個人が何かを決めるということが、個人の問題にとどまることなど決してない」という理由で、自己決定権は幻想だとしている。この考え方には、少し違和感がある。本来、自己決定権とは、他人への影響も熟慮したうえで下す結論のことを指すのである。嫌煙家の前でタバコを吸うようなレベルの話は、自己決定権ではなく、自分勝手であるにすぎない。自己決定権が幻想なのではなく、自己決定権を認めようとするとき、それに伴って押しつける自己責任という考え方がとても危ないのである。かつてナチスは、法律をつくって障害者や遺伝病の人たちに不妊治療や中絶手術を認め、最後は統帥権をもって安楽死法をつくった。これらの優生政策は、建て前では本人たちの自己決定だったかもしれないが、実際には半強制措置だった。国が自己決定権を振り回すとき、そのウラに強制と自己責任が見え隠れしていることを歴史から学ばなくてはならない。【楽天市場】本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ ホビー・ペット 蓮4044
August 18, 2004
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日本という国は消費者軽視が甚だしい。昔、缶ビールのシールを集めてプレゼントに応募したら、「○○産和牛が当選した」といって商品が届いた。だが、喜んだのもつかの間、封を解いてみて一目で外国産だと分かってあきれたものである。先日、民間の食品研究機関である「新潟県央研究所」が市販のコシヒカリをDNA解析調査したところ、3割弱の商品で偽装表示があったという。以前、等級や銘柄を偽った米穀販売会社が問題になったのに、この業界はまだ懲りていないらしい。最近では、大阪市の第三セクター「大阪港埠頭ターミナル」が中国産ブロッコリーを米国産ブロッコリーと偽って販売していたことが分かって大騒ぎになっている。中国産は、厚生労働省の調査で、使用禁止となっている猛毒の有機リン系殺虫剤メタミドホスが基準値を超えて検出されている。計30トン出荷された静岡から広島までの11府県の住民たちは、健康のために食べたブロッコリーで死の恐怖に怯えなくてはならない。最近の消費者軽視の極めつけは、次々と発覚する温泉のウソ八百である。長野県安曇村の白骨温泉で約5年前から、温泉を白骨らしく見せるため入浴剤を入れていたことが分かったのが7月中旬である。すると、群馬県伊香保町や同県水上町でも、井戸水や水道水を沸かして「温泉」と名付け、ご丁寧に脱衣所に「温泉分析表」まで掲げて入湯税を徴収していたことが分かった。神戸市の有馬温泉でも同様の疑いがあるらしく、市が調査に乗り出している。おまけに、最近はやりのスーパー銭湯でさえ、井戸水を沸かしただけなのに「天然温泉」とウソをついていたとして公正取引委員会から警告された。この業界は、危機管理能力なしのまさに「ぬるま湯業界」といわねばならない。業を煮やした環境省が今月下旬から、全国の旅館、ホテル、公衆浴場など約2万2千カ所に対してアンケート調査に乗り出すそうだ。結果が9月にも公表されるが、もともと湯量が少ないことがすべての温泉地共通の悩みだけに、不当表示問題がますます広がるのは間違いない。入浴剤を入れていた白骨温泉では、先月の予約キャンセルが13施設で計513件、3830人にのぼった。消費者を騙し続けてきた経営者たちはいま、このアンケートに正直に答えるべきか、従業員と口裏合わせをし、シラを切り続けるべきか悩んでいるに違いない。蓮4044
August 13, 2004
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今年も夏の全国高校野球選手権大会が甲子園球場で始まった。今年は好投手がいる東北、横浜あたりが優勝候補だろうか。さて、この球場は今年8月1日で満80歳を迎え、いま大規模改修計画が持ち上がっている。100億円以上といわれる大プロジェクトで、早ければ08年にも着工される予定だ。悩みは、工事期間中、甲子園で開かれるはずの行事をどうするか、である。甲子園では毎年、春夏の高校野球のほか、正月のアメフット・甲子園ボウル、春から秋にかけてのプロ野球とさまざまな行事が組まれている。求められるのは突貫工事である。実は、甲子園が誕生した80年前、建設に要した時間はわずか4か月半だったのである。甲子園の建設計画が持ち上がったのは、それまで全国中等学校優勝野球大会が開かれていた鳴尾浜球場が観客を収容し切れなくなったからだった。鉄道業界では後発組だった阪急電鉄が宝塚劇場や温泉などのレジャー施設で成功していたため、焦った阪神電鉄が中心になって、「世界一のヤンキースタジアムに匹敵するものをつくろう」という掛け声が上がった。武庫川改修工事に伴って県から払い下げられた河川敷22万坪を、阪神電鉄が410万円で買ったのが1922年10月である。阪神電鉄取締役会で設計図が承認されたのが、1年後の23年11月。建設地が枝川と申川の中州跡に決まり、地鎮祭をやったのが翌24年3月11日。それから突貫工事が始まり、7月31日に完成し、翌8月の第10回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の全国高校野球選手権大会)開催にこぎづけた。工期はわずか4か月半。しかも当時のことだから、「裸電球を鈴なりにつけ、モッコで運んだ土を、牛に引かせたローラーでならした」(「甲子園球場物語」玉置通夫著)という人海戦術である。これで、大鉄傘に覆われた50段の内野スタンドつきのグラウンド(5900坪)をこしらえたのだからすごい。「こんなに広くて外野に飛んだボールが見えるだろうか」と皆が心配したくらいだった。大球場見たさに春夏の高校野球に観客が殺到したため、満員の「半身電車」と呼ばれたのもこの頃だ。さて、夏の大会を無事終えた同年秋、コンクリートがむき出しだった外壁に、繁殖力が強く見た目もよいツタで覆ったらどうか、という声が上がり、現在シンボルとなったツタがお目見えした。80年後の建て替え計画でも、「ひと目で甲子園だと分かる外観は残した方がいい」(星野仙一・前阪神監督)という意見が出ている。当時の関係者たちはこれを聞いたらどんなに喜ぶだろう。蓮4044
August 11, 2004
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きょうサッカー・アジアカップで日本が中国を破って優勝した。この大会で光ったのは6試合で計13点を奪った攻撃力だ。かつての日本は相手にリードを奪われると意気消沈するところがあったが、準決勝のバーレーン戦といい決勝の中国戦といい、いい時間に得点できた。選手らの伸び伸びとしたプレーぶりから、今後また、中田英寿不必要論が出てくるかもしれないが、それはあやまりだ。この大会は所詮アジアが相手である。日本は92年以降、優勝、ベスト8、優勝、そして今回優勝と、王者に君臨してきた。本来、こてんぱんに叩かなくてはならない相手たちばかりで、相手がW杯クラスになれば、中田英寿の戦術眼や経験が必ず生きるはずだ。ところで、この大会、もうひとつ話題になったのは、中国の幼稚な応援ぶりであった。きょうの決勝戦でも、競技場外のあちこちでは、数百人の中国人たちが「インチキだ」「早く出てこい」などと叫び、不穏な雰囲気になったという。スタンドで身動きが取れなかった日本人応援団は中国側が用意した約20台のバスでようやく逃げることができた。日本選手らを乗せたバスも群衆に囲まれ、ペットボトルを投げつけられるなどしたため、いったんは競技場に引き返した。業を煮やした石原慎太郎都知事が「民度が低いからしょうがない」と言ったというが、中国政府も反論しようがないだろう。残念なのは中国政府の二枚舌だ。共産党幹部らは、08年の北京五輪を心配してか、日本側に「心を痛めている」「しかるべく対応する」と善処を約束したのにそのことはまったく報道せず、「日本の一部メディアが少数のファンの行為を誇張し、政治と結びつけていることを我々は遺憾に思っている」と自らの責任を棚上げした談話を発表した。あきれるほかない。サッカーというスポーツは、国の威信をかけて争われる。かつて、94年の米国W杯で、オウンゴールをしたコロンビア代表選手が暴漢に射殺される事件があった。文字通り「自殺点」となったため、この呼称が見直される契機にもなった。カメルーンでは、チーム運営への不満から出場を拒否したGKが自宅を焼かれた事件があった。中国はさきの日韓W杯に初出場してサッカー人気が高まったものの、スポーツマンシップは十分熟していないようで、こうした国の二の舞になりかねない。このような状態が改善できないのなら、残念ながら、少林サッカーでもやって遊んでいてくれ、というほかない。蓮4044
August 7, 2004
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内閣府がきのう発表した、知的財産についての世論調査結果によると、成人の半数近くが「偽ブランド品を買ってしまっても仕方がないと思っている」と答えたという。「正規品よりも安いので購入するのは仕方ない」という人は29・9%にも上ったらしい。偽モノでも、他人からブランド品らしく見えればそれでいいというわけだ。この異常な日本のブランド信仰こそが、一時下火だった欧州のファッション業界を救ったと言っていい。バブル以前、ブランド品を輸入してきて売り歩いたのは、専門輸入商や商社の人たちだ。彼らはブランド品を日本に定着させるのに多大な貢献をした。さらに、彼らが発見したのは、上流階層にしか受け入れられなかった欧州と違って、階級意識のない日本社会では市場が無限にあることだった。こうして市場を徐々に拡大してきた90年代はじめごろ、そこにただ乗りしてきたのが欧州のブランドメーカーたちである。彼らは日本法人を次々と立ち上げて直接販売を始めたのだ。カネボウが、それまで30年間取引があったディオールから突然、ライセンス打ち切りを言い渡されたのは98年だった。このときカネボウは年500億円の売り上げを一瞬で失ったといわれる(「ブランドビジネス」三田村蕗子著)。同じ年、デサントもアディダスから同様の仕打ちを受けた。こうして欧州のブランドメーカーはリスクを負わずに日本市場を食い荒らして息を吹き返した。ヴィトン・ジャパンはいまや、毎日4億1000万円を売り上げる大企業である。世界の売り上げの三分の一を日本で稼ぎ、海外分も加えれば、日本人の購入率は70%に及ぶとまでいわれている。百貨店に行けば、その顔といえる1階フロアにヴィトン、グッチ、プラダの直営店が並んでいるのに気づくだろう。経営が青息吐息の百貨店が相手の条件はすべて丸飲みし、三顧の礼で迎え入れているのである。このブランド・ブームはいつまで続くのだろう。気になるのは、さきの内閣世論調査からも分かるように、日本人の屈折したブランド志向である。商品価値を認めていないのに「見栄」だけで購入に走っている。いまやヴィトンのバッグは、日本人の5人に1人、計2000万人以上に行き渡ったとみられるが、それでも、ヴィトン・バックは今後も日本人の見栄を十分満足させられるのだろうか。実態の伴わないバブルはいつかは弾けることを私たちはつい昨日学んだ。欧州ブランドが日本市場に頼りすぎれば、近いうちに大けがをすることになるだろう。【楽天市場】本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ ホビー・ペット 蓮4044
August 6, 2004
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先日、宮崎空港からJAL便に乗って大阪に帰ろうと飛行機を待っていたら、台風の影響で着陸できず、大阪に引き返した。隣のANA便は無事着陸したから悔しさばかり募る。だが、パイロットを恨んでも仕方がない。航空会社ごとにあらかじめ、どれだけの風が吹いたら着陸を見合わせるかが決められていて、パイロットはそれに従っているだけである。調べてみると、横風については、JALは25ノットを超えると離着陸を許していないが、ユナイテッドや大韓航空は30ノットまで認めているらしい。どちらがいいのか分からないが、少々予定が狂ったとしても命とは引き換えにできないだろう。最近見た映画で飛行機の恐ろしさを見せつけられたのが、「生きてこそ」(フランク・マーシャル監督)だった。南米ウルグアイの学生ラグビーチーム45人を乗せた旅客機がアンデス山脈に墜落し、72日後に16人が生還した事実をもとにしている。飛行中に機体がまっ二つに割れ、乗客が次々と機外へ飛ばされたシーンは生きた心地がしなかった。飛行機事故の場合、天候のせいなら百歩譲って致し方ない面もあるが、人為ミスで犠牲になるのだけは絶対にイヤだ。いまから15年ほど前、天井が吹き飛んで中の乗客が丸見えになったアロハ航空機の写真が世界中の人々を仰天させたことがあった。スチュワーデス1人が機外に放り出されたものの、ほかの乗客はシートベルトをしていて無事だった。原因は機体の金属疲労。コスト競争が激しい米国では、機齢20年以上の飛行機が4割を占め、だましだまし使っているというから明日は我が身である。米国の各航空会社は最近、機体を軽くしようと積み込む燃料まで抑えている。燃料補給を理由にした緊急着陸が相次いでいるため、日本政府が米国側に改善を申し入れたことがあったくらいだ。もう一つ、人為ミスで恐ろしいのは、パイロットの操縦ミスだ。10年前、エールアンテール便がアンシャイム空港の着陸に失敗して標高800メートルの小山につっこんだのは、パイロットが降下率モードを3・3度と入力すべきところを、降下速度モードに33と入力してしまったからだった。国内でも4年ほど前、幸い事故につながらなかったものの、JAS便が、建設中だった羽田空港の新B滑走路に着陸してしまったことがあった。滑走路入り口に大きく書かれた「×」印をパイロットが見落としたのが原因だった。不安ばかりが募るが、心配ばかりしていたら、空を旅することはできない。飛行機事故での犠牲者数は世界中で年間1000人を数えるが、もし東京-ロンドン間を約14万回往復したらそのうち1度だけ事故に合う程度の低い確率である。ところで、最も安全な航路はどこかというと、日米間の日本発着便である。いままで一度も死亡事故を起こしていない。機種別では、B737型次世代機とB777、A330、A340の計4機が死亡事故ゼロ(「墜ちない飛行機」杉浦一機著)。この航路と機種の組み合わせが現在のところ、天国から最も遠い旅になるわけである。【楽天市場】本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ ホビー・ペット 蓮4044
August 3, 2004
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「住む」ということに、なぜ日本人はこれほど苦しまなければならないのか。長男が来春小学校に入学するため、そろそろ持ち家を考えなくちゃと思い、この春、近くのマンションのモデルルームを訪ねて腰を抜かした。いま私は最寄り駅から徒歩12~13分のアパートに住んでいるが、同じくらい駅に近い分譲マンションを購入しようと思うと、4000万円から5000万円くらい必要だという。諸経費やローンを入れると、さらにその1・5倍はかかる。私は社会人としてこれまで10年近く働いてきたが、さらに5年くらい働いても総収入がそんな額に届くかどうか。マンションのため、タダ働きするなんて考えたら本当にばかばかしい。いま全国で430万戸の分譲マンションに1000万人以上が暮らしているという。さらにいま、毎年30万戸以上の分譲マンションが新たに建てられているという。よくみんなローンを払えているものだと感心する。いや実際には払えていない人が大勢いるのだ。年間の自殺者数はいま3万人を超えているが、経済的な理由のトップは住宅ローンの行き詰まりである。住宅金融公庫への支払いが滞ったら、ローンはそのまま信用保証協会に受け継がれる仕組みになっており、信用保証協会からの厳しい取り立てが待っている。住宅金融公庫だと3%程度だった利息が、信用保証協会に移ったとたん14・5%になる。命と引き替えにローンを生命保険で決済する人が年3500人にのぼるという。日本では住むということがまさに命がけなのだ。さらに、ローンを順調に払えたとしても老後は安心できない。日本のマンションは30年しかもたない。一昔前なら、老朽化すれば建て増しして余分な住戸を売ればもうけることさえできたものだが、地価が下がったいま、そうはいかない。自分が歳とって「ここで人生を終えたい」と思っても、経済力のある若い住民たちが建て替え運動なんかを始めちゃったら、たまらない。民法上は、全住戸の5分の4以上の賛成があれば、建て替えられるわけだからもう一度大出費を覚悟しなくてはならないのだ。これでは、人生やってらんないだろう。「住む」ことにエネルギーを費やして日本人は死んでいくのである。蓮4044
August 2, 2004
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最近、都心でマンションの建設ラッシュが続いている。今年1~6月の発売戸数は、東京23区で前年比11・5%増えて過去最高となったほか、近畿圏でも前年比3・6%増と2年ぶりに増加に転じた。そのマンションの住民の48%が死ぬまで暮らすことを希望しているそうだが、それは甘い期待と言わねばならない。30代でマンションを購入した場合、寿命の80歳まで残り40年と少々だが、マンションは一足早く30年で寿命が来てしまうのだ。総務省の調査では住宅のリサイクル年数は「30年」。国土交通省のマンション建て替え事例調査では平均が「37年」となっているそうだ。外国の平均リサイクル年数は、英国が141年、米国は103年、フランス86年、ドイツ79年というから日本は異常である。専門家の間で指摘されているのが、日本のコンクリートの建物は、1964年の東京五輪を境に、それ以前は丈夫だったのに、それ以後はどんどんもろくなってきたということだ(「あなたのマンションが廃墟になる日」(山岡淳一郎著)。これは手抜き工事がまかり通ってきた証拠である。いま、業界では「2010年問題」がささやかれているという。戦後建てられた団地やマンションがいよいよ寿命とみられる30年目を迎えようとしている。2011年までに計100万戸が30年圏内に入るという。マンションは人生で2度買える代物ではない。「死ぬまでここで暮らしたい」と思っていたお年寄りたちがある日からホームレスになる、なんてことも2010年以降、珍しくなくなるかもしれない。蓮4044
August 1, 2004
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