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作家・横山秀夫にまた感動させられた。小説「クライマーズ・ハイ」。クライマーズ・ハイというのは、恐怖心がマヒしてしまうほどの極限の興奮状態のことをいうのだそうだ。険しい山をダーと登り、気がついたらてっぺん。私も400ページ以上の長編をクライマーズ・ハイ状態で登りきってしまった。群馬県の地元紙・北関東新聞の中年記者が主人公。520人の命を奪った世界最大の日航ジャンボ機墜落事故(85年)の現場を若い記者たちが追いかける。一方、浅間山荘事件(72年)を取材したのが自慢だった旧世代記者たちは置いてけぼりを食うのがいやで邪魔をする。そこに社内の勢力争い、親友の死、家族とのきずなを重層的に絡ませている。記者や警察ものは、大沢在唱の「新宿鮫」みたいに、どうしても「会社人間」対「一匹狼」の構図に陥りがちだが、著者自身が上毛新聞記者だったからか、そうした構図を超えて、記者たちをもっと「等身大」に描いている。できない記者がつかんできた情報について、できる記者に裏取りさせるあたりや、夜回りで確認した情報をいまひとつ確信がもてず、毎日新聞に抜かれてしまうあたりがとてもリアル。ただストーリーの後半、主人公・悠木記者の行動が少しずつ現実離れしていくのが残念か。物語をどう収束させるか、著者自身が焦りがみえる。実際の新聞社では、事件の進行中、担当デスクが1時間以上連絡がつかなくなるなんてことはあり得ないし、ましてや、その事件デスクが新聞1面のメニューを決めるなんてことは絶対にない。でも臨場感、スピード感あり。クライマーズ・ハイは間違いなし。
March 31, 2004
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映画「殺人狂時代」のラストシーンで、チャーリー・チャプリンはこう言った。「人間を1人や2人殺すと殺人犯になるが、戦争で数十人、数百人殺すと英雄になる」。いま世界情勢を見渡すと、チャップリンが皮肉った「英雄」が大手を振って歩いている。スペインで200人殺し、アフガンで100人殺し、今度は、ウズベキスタンで20人以上を殺した。テロを伝えるニュース番組さえR指定(17歳以下は保護者同伴)にしなければならないくらい荒んだ世の中になった。とても我が子には見せられない。僕はニュース番組を見ながら、5歳の息子に「お父さんがお前みたいなころは、こんなことはなかったんだよ」と言い聞かせている。許せないのは、「英雄」は自分の手を汚していないことだ。ウズベクの自爆テロ犯は2人の女性だったし、イスラエルを狙って身体にベルト爆弾を巻き付けたのは、わずか14歳のパレスチナ人少年だった。少年は逮捕後、「100シェケル(約2400円)で請け負った。(殉教すれば)天国で72人の処女が待っていると言われた」と語っている。もちろん、米大統領ブッシュもそうした身勝手な「英雄」のひとりだ。先日、朝日新聞に、イラク戦争から帰国した米兵の「その後」を追いかけた記事が掲載された。手柄話をでっちあげて軍事法廷にかけられたもの、奨学金を手に夢だった大学に入学したもの、当時の日記を新聞に連載しているものなど第2の人生はさまざま。部下を死なせてしまった上官はすでに軍を去っていた。こうした普通の市民たちを戦地に送り込んだのは誰なのか。ブッシュはひょっとするとイラクで戦っているのはミサイルや戦車だと勘違いしているのではないか。違う! こうした素朴な市民たちなのだ。「殺人狂時代」がついにやってきた。
March 29, 2004
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「相手より10分の1以上、不正にお金をもらっていたら責任を取ります」。小学生ならともかく、国のトップが真顔でこう言うんだから韓国という国は本当におかしい。盧武鉉(ノムヒョン)大統領が、「自陣営の不正資金がハンナラ党側の10分の1を超えたら政界引退の用意がある」と述べたのが昨年末。だが、大統領の思い違いだったらしく、その後、ハンナラ側の不正資金額800億ウォンに対し、大統領側は110億ウォン以上もらっていたことが判明した。「約束通りやめてもらう」と、大きな顔をしたのは8倍多くもらっていたハンナラ党の側。結局、大統領はやめさせられ、弾劾裁判にかけられることになった。さらに、この騒動は、国会議員が国会で泣いたり土下座したりするという、旧山一証券・野澤社長顔負けのパフォーマンスのおまけ付きだった。茶番という言葉はこういう人たちのためにあるんだろうが、韓国人たちは大まじめだ。こうした賄賂文化は、韓国ではとても根が深い。最近、韓国内の一部で、韓国併合見直し論が出ているけれども(「日韓併合の真実」崔基鎬著)、これはこうした賄賂で腐敗しきった李氏朝鮮に終止符を打ってくれたのが日本だった、という解釈から来ている。李氏朝鮮時代は、清のまねをして始めた科挙制度もなんのその、賄賂がないと両班(官僚)になれず、両班になっても常民(農民)から搾取しないと生計が成り立たなかった。崔は著書で「李氏朝鮮時代はいまの北朝鮮とそっくり」とし、「日本統治の収支決算は韓民族にとって大いなる善」と言い切っている。人口統計で見ても、李氏朝鮮時代、日韓併合時代、戦後の3区分のうち、最も人口が伸びたのは日韓併合時代だという。真偽は分からないが、考えてみたら、韓国のトップって戦後になっても、まともな人が見あたらない。初代大統領の李承晩は何十万人の自国民を殺したし、2代目の朴正煕と3代目の全斗煥はそれぞれクーデターで成り上がった。そして朴正煕は殺され、4代目の盧泰愚は収賄容疑で、全斗煥も反乱首謀容疑でそれぞれ逮捕されている。そうした腐りきった賄賂・政争文化との決別を掲げて登場してきたのが、いまのノムヒョン大統領だった。だが、韓国では「10年早すぎた」なんてまだまだ呑気なのだからつける薬がない。こういう社会だから、端から見れば「目くそ鼻くそ」の争いにしか見えない「10分の1」論争も大まじめな議論になってしまうのだ。
March 26, 2004
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一時期、「○○の法則」本がはやったことがあった。「いい男の条件」(ますい志保著)は、期待に反してその類のようだ。せっかく政財界のエリート1万人と付き合った銀座のママが書いた、という触れ込みなんだから、もっと話が具体的であったらおもしろかったのだけど、抽象論がずらりと並んでいてがっかり。もちろん暴露本を期待したわけじゃないけど、とても読み物という仕上がりではない。目次の箇条書きを見たら、はいっ終わりって感じだ。表紙に書かれたサブタイトル「肩書きでも、年収でも、外見でもない」も、あまりに手垢がつきすぎて力が抜けてしまう。そもそも、銀座の会員制クラブに来る人って、外見はともかく、肩書きや年収は一定水準をクリアした人たちでしょ。普通のサラリーマンにとっちゃ、銀座のクラブなんて逆立ちしたっていけないんだから。それでも、この本って売れるんだろうな。お金持ち1万人が、35歳・ますい志保のために買っていく訳だから。どこかの大手新聞の書籍欄担当者も、このクラブで籠絡されて、本の宣伝を取り上げざるを得なかったか。まぁ、ひがみはそれくらいにして、著者の言ういい男の見分け方・磨き方を紹介しておこう。1万人のエリートのみなさん!胸に手を当てて考えてみましょう。あなたのことですよ! 失敗が愚痴で終わるか、経験に変えられるか/ダメな男は終着点しか見ていない/できない男ほど群れたがる/いい男は他人がつけた通信簿に振り回されない/いい男は1人の時間をくれる女に弱い/いい男は「苦労した」でなく「苦労かけた」と言える。
March 25, 2004
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最近やっと、昨年のベストセラー「バカの壁」(養老孟司著)を拝読し、「あぁバカって俺のことね」と赤面してしまった。昔から「聞く耳を持て」とか「見る目を持て」という表現があるように、興味を失ったり、分かったと思いこんだりすると、聞こえるものも聞こえないし見えているものも見えてこない、ということは、だれでも経験上分かっている(つもり)。あらためてこんなタイトルをつけられ、後ろ指でさされてしまうと、2度殺された気分だなぁ。さらに、ちょっと読者に不親切だと思うのは、処方箋が示されていないこと。養老は著書の最後で、地球温暖化や宗教対立を例示し、「思いこんで一元論にはまれば、強固な壁の中にすむことになります」と脅しているが、どうしたら壁の外に出られるか書いていない。もしかしたら、「説明してくださいといってくるのが一番ダメな学生だ」と憤慨するかもしれないが。以前読んだ「話を聞かない男、地図が読めない女」(アラン・ビーズ;バーバラ・ビーズ著)は、「男と女は脳ミソが違うのだから永久に分かり合えない」と断定し、「あきらめなさい」と結論も明快だった。これに即して言えば、「努力は大切だが、所詮、脳に問題がある以上、壁の外へいくのは難しい」ということだろうか。「バカの壁」って300万部以上売れたんでしょ。ってことは、300万の人が「バカの壁」の壁の前で悩んでいるんじゃないだろうか。
March 20, 2004
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NHKの大河ドラマ「新選組!」。初回の近藤勇と坂本龍馬が一緒に黒船を見に行くシーンは、あまりに「作り話」すぎて空いた口がふさがらなかった。この調子だと、脚本家三谷幸喜は、聖徳太子とか豊臣秀吉とか出して来るんじゃないか。まぁ、その方がまだ「創作ドラマですよ」ということがはっきりしていいが。でもこんないい加減さには目をつむってここぞと我が町のPRに躍起になっているひとたちがいる。新選組ゆかりの地の団体でつくる全国新選組サミットは「隊士への手紙」の募集を開始。芹沢鴨の出身地だったと気づいた茨城県玉造町は「新選組を創った男の町」と突然宣言した。近藤勇が官軍に捕縛された千葉県流山市では、新選組流山隊実行委員会を作り、陣屋跡周辺に「誠 下総流山 近藤勇」と書いたのぼり旗をたてた。日本列島、右も左も新選組。「大河ドラマ」か「寅さん」くらいしかPRの機会がない田舎の町は大忙し。まぁ、かくいう私も、新選組にあやかって最近、土方歳三を題材にした「燃えよ剣」(司馬遼太郎著)を読んじゃいました。おもしろい!。これ読むと、申し訳ないが、土方を演じる俳優山本耕史に不安を覚えてしまう。三谷によると、「土方歳三は、内面はすごく優しくて人を思う気持ちをもっているが、それを素直に出せない。いつも仏頂面で、わざと嫌われるようなことを言ったりする。山本耕史さんは人間の二面性をとてもうまく表現できる人」だとしているが。「燃えよ剣」では最後、「明治15年の青葉のころ、函館の称名寺に歳三の供養料をおさめて立ち去った小柄は婦人がある。寺僧が故人との関係をたずねると、婦人はしみとおるような微笑をうかべた。が、なにも言わなかった。お雪であろう」と書かれている。泣かせる。こういう男に仕上がるだろうか。さぁお手並み拝見!
March 17, 2004
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今夏のアテネ五輪の女子マラソン代表に、土佐礼子(27)、坂本直子(23)、野口みずき(25)の3選手が決まった。日本最高タイムの保持者、高橋尚子(31)が落選した。小出義雄・佐倉アスリート倶楽部代表は「専門家が判断したのだから仕方ない。マラソンは気象条件やコースもある程度考慮するのかな、と」と話しているが、この言葉が、今回の陸運の迷走ぶりをよく表している。今回の代表選手選考では、これまでと同様、「選考レース方式」が採用された。つまり、あらかじめ決められた選考レースでの順位とタイムで日本代表を選ぶわけだ。だが、「本番で勝てる選手」という文言を隠れ蓑に、実績や、本番のコース・気象条件の得意不得意も同時に重視してきたのが、これまでのやり方だった。いってみれば、選考レースはあってないようなものだった。だから、小出代表は今回も、そのあいまいなルールで選考がなされるだろう、言い換えれば、実績で優位に立つ高橋がはずれることはないだろうと踏んで、名古屋国際マラソンを放棄したのだ。新聞もそのあいまいないルールに従って報道している。読売新聞がこの日の夕刊最終版で「(実績を重視し)高橋の選出が固まった」と伝えているのがその例だ(翌日「おわび」を出した)。朝日新聞も名古屋国際マラソンの直前の大会展望記事で、「高橋が東京(国際マラソン)で出した記録は2時間27分21秒。しかし、シドニー五輪優勝という実績を考慮すれば、名古屋(国際マラソン)の勝者が代表となるにはかなりの好記録が必要となる。高橋が持つ大会記録2時間22分19秒の更新が求められる」と紹介している。選考レースとは本来関係のない前回大会のタイムや過去の実績を持ち出し、あきらかに、本来の選考基準を無視した報道になっている。この記事の通りだったら、今回の土佐のタイムは、高橋の前年の記録に及ばず、高橋が代表になっていたはずだった。でも、選考ルールは今回、い・き・な・り厳格になったのである。陸連は、とってつけたように「公明正大に選んだ」と胸を張っているが、ルールが突然、厳格になったことをマラソン関係者もマスコミも理解していなかったことは悲劇だった。陸運も本当のところは、前日の名古屋国際マラソンの結果が出るまでは、これまでのあいまいな選考方法で通すつもりだったのだ。金メダルに最も近い高橋を選んでも、国民が批判することはないだろうと考えていた。ところが、土佐の「大逆転劇」に列島が大騒ぎになった。陸連幹部の青ざめた表情が目に浮かびそうだ。そして、一夜にして、選考方法がひっくり返ったのである。レース中に、マラソンのコースが突然変わってしまったみたいなものだ。陸連の迷走が、今回もまた「犠牲者」を出した。
March 16, 2004
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スペインが、イラクへの派遣部隊を撤退させるらしい。きのうの総選挙で、政権を奪った社会労働党のサパテロ書記長が「公約通り撤退させる」と発表した。200人以上が亡くなった3月11日のマドリード同時爆破テロでは、当時、政権を担っていた国民党政権が事件後すぐ、確たる証拠もないのに「バスク祖国と自由(ETA)の仕業だ」と断定した。テロを契機に、イラク反戦ムードが高まり、数日後に迫った総選挙で国民党政権に不利になるのを阻止しようという思惑からだった。だが、投票日直前に、アルカイダから犯行声明が出て、国民党の思惑ははずれ、世論は「反戦」に大きく傾いた。スペイン部隊が撤兵を決めた以上、自衛隊をイラクに派遣している日本が、次のテロの標的になるのではないか、という不安が高まっている。昨年11月、日本人外交官2人がイラクで殺害されたが、その予兆ともいうべきタイミングでスペイン外交官が射殺されたことを憶えているだろうか。だが、日本はのんきなものだ。アルカイダは日本もテロのターゲットのひとつだとはっきり言明しているのに、だれもが他人事だと思っている。スペインでの地下鉄テロ後も、日本では「地下鉄の乗客を金属探知器でチェックしよう」と声を上げる人がいない。相手から攻撃を受けて初めて「ここは戦場だったのだ」と気づくのだろうか! 米国に盲従した挙げ句、国民から「うそつき」呼ばわりされたスペインの前政権の末路を、小泉政権も肝に銘じておいた方がいい。
March 15, 2004
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イラク戦争から20日で1年になる。ちょうど1年前、米陸軍上等兵ジェシカ・リンチさんが、イラク・ナーシリアでイラク軍と「勇敢に」戦い、捕虜となった後は米軍の「大救出作戦」によって助けられた、と話題になった。その彼女について取り上げた「私は英雄じゃない(ジェシカのイラク戦争)」(リック・ブラッグ著)を読んだ。米軍の発表によれば、彼女はナーシリアで奇襲攻撃に合ったとき、銃で応戦したことになっていたが、実際はトラックの後部座席で「腕を肩に回し、額を膝につけてうずくまっていた」という。捕虜後に、イラク人医師が彼女を救急車で米軍基地へ送り届けたにもかかわらず、追い払われた事実も紹介している。やらせと批判された救出劇については、サダム・フセイン病院には敵兵がいなかったにもかかわらず、米軍は重武装で急襲しジェシカを奪っていったと伝えている。この本を読んで、彼女の勇気のなさや臆病さをやじるひとはいないだろう。むしろ、この本は、邦題にあるような「英雄」うんぬんではなく、ひとりの女性兵士が、いや、ひとりの恋多き20歳前の女性が、人を殺すために見知らぬ土地に行き、激しい奇襲攻撃に合い、大切な親友を失い、イラク人医師の善意を疑うくらい緊張状態におかれていた、その現実をこそ伝えたかったのではないか。そうした事実に目を向けて初めて、ナーシリアで敵兵に囲まれたとき、彼女が心のなかで叫んだつぎの言葉が理解できるのである。「わたしたちを歓迎してくれるはずだった解放されて幸せに満ちた人々はいったいどこにいるのだろう。手榴弾ではなく花を投げてくれるはずの市民はどこへいったのか」。帰国後には、イラク派兵について「自分の仕事は果たしました。でもそうしなければ良かったとも思います」と語っている。その言葉の重みも分かるだろう(この本は総じて日本語訳がこなれていないのが残念)。
March 14, 2004
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アテネ五輪出場をかけたサッカーの2次予選・日本ラウンド3試合がいよいよあすから始まる。先日あったUAEラウンドの最終試合・UAE戦は、日本代表のゲームとしては久しぶりにファンを興奮させてくれた。後半の最終盤まで0対0。途中出場させたMF松井が期待はずれで、攻撃のリズムをひとりで止め、深夜のテレビ中継に見入っていたファンたちはいらだちを募らせていた。それでもファンがドキドキしたのは、首位UAEを直接蹴落とすには攻めなければいけない、その一方で、失点し負けてしまえば自力での五輪出場(3大会連続)が消えてしまう、という「本番」の緊張感だった。試合は結局、FW田中達が豊富な運動量で2点を叩き出し、気持ちよく床につくことができた。ヒーローは第一にこの田中だが、私はもう1人、DF闘莉王をあげたい。山本監督に再三「我慢しろ」と言われながらも前線にあがって、足が止まりだした味方の志気を盛り立てた。「ドーハの悲劇」のころの柱谷哲二やラモスを思い出させた。サッカーは、疲れた選手たちが思考を止めてしまうと、なんとなく90分がすぎてしまう。最近のA代表のふがいなさの原因は、このチーム全体の思考停止状態を正常に戻せる選手がヒデしかいない人材不足からきている。かつての加茂監督やトルシエ監督時代のようなチームの「型(攻めや守りのパターン)」を持っていないため、選手たち自身がリズムに乗っている時間帯をつかめない。そのため、選手みんなが前がかりになる時間が長続きできない。以前の日本代表では、思考停止状態のときは、ラモスがドリブルで上がって士気を鼓舞し、その瞬間パッとチームの戦う姿勢がはっきりしたものだった。五輪代表での闘莉王には、このラモスの役回りを期待したい。黄金世代だった前回シドニー大会、前園が全盛だった前々回のアトランタ大会にくらべて、「おとなしい」「見劣りする」といわれる谷間世代だが、田中と闘莉王が新しいスターになってほしい。18日の日本ラウンド最終戦のあとは、日本中のファンが笑っていたいものだ。
March 13, 2004
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2020年には貧富の差が一層拡大してしまう。イチゴが一粒150ドルもし、一般大衆は、強大な食品加工企業ソイレントの濃縮栄養ウエハースくらいしか食べられない。このウエハースは「最良の海底生物からつくられている」とPRされているが、それは嘘八百で実は人間の肉が使われていた! 以上は、1973年のSF映画「ソイレント・グリーン」から。企業が独占状態になると、私たちは選択権を失ってしまう。先日、「巨大企業は民主主義を滅ぼす」(ノリーナ・ハーツ著)を読んだ。かつて叫ばれた「金融ビッグバーン」なんて当たり前。いまやグローバル企業が着々と市場を占有している。同書によれば、現在、世界の上位100社で世界の資産の20%を支配し、国家と企業の経済規模を上位から並べると、100番目までに企業が51社も含まれている。そして、こうした企業は政治への発言権を拡大している。2000年の米大統領選では、候補者は計10億ドルも選挙資金として使った。これらの大金は企業による政治献金でまかなわれる。こうして、政治は大企業の言いなりになり、92年にはビールへの課税が見送られ、97年にはタバコ税が軽減された。逆に、マイクロソフトが独占状態を問題視されたのは、ビルゲイツの献金が少なかったからだといわれる。と、いうところまでは、政治とカネの問題で、とくに新しいことではない。問題は本のタイトルの「民主主義を滅ぼす」というところ。このタイトル通りだと、企業が有権者をなんらかの形で買収していないとダメなのだが、そのことには最後まで触れずじまい。まったく竜頭蛇尾じゃないか。政治家を有権者が選挙で選べる限り、企業が大きくなったって、政治はその企業の影響を受けるだろうが、民主主義は滅びない。これ自明。ちなみに原題は「The Silent Takeover(Global Capitalism and Death of Democracy」)。
March 12, 2004
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きのう少年A(自称・酒鬼薔薇くん)が仮出獄した。私が思うに、世の中には、自分の息子や娘がいつか「少年A」みたいになるのではないか、そこまでいかなくても、物を盗んだり人に傷を負わせたりして警察官が自宅に飛んで来るんじゃないか、と心配しているひとが多いのではないか(とくに社会的地位のある人!)。そうした子供に、人を殺してはいけない理由をどう説明したらいいだろう。先日、「14歳からの哲学~考えるための教科書」(池田晶子著)を読んだ。一般的な理由として、「被害者がかわいそうだから」「遺族が悲しむから」「死刑が怖いから」というあたりが考えられそうだが、著者はこれらいずれにも合格点を与えない。著者の考え方は(私の解釈では)以下の通り。人は自分にとって良いと思ったことはするし、悪いと思ったことはしない。もし、死ぬということが自分にとって良いことだと思うなら自分はすでに死んでいるはずだ。生きているってことは、死ぬということが「悪い」と感じているからだ。他人も生きているってことは、相手も「悪い」と感じているわけだ。そしたらその人を殺してはいけない! う~ん。こんな説明したら、息子や娘はますますキレるんじゃないかな。
March 11, 2004
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ぼくはサッカー少年だった小学生時代、セルジオ越後のサッカー教室に参加したことがある。当時は、読売クラブでは与那城ジョージなんかも活躍していて、「日本人より日系人の方がレベルは上」と勝手に決めつけていたものだ。先日、「サッカー移民」(加部究著)を読んでその辺の事情が分かった。日本のサッカーのルーツはもちろん、明治維新後、神戸や横浜の居留地に住み始めた外国人たちにさかのぼるのだけれど、釜本邦茂らがメキシコ五輪で銅メダルをとってから一気に人気が下降した停滞期、日本のサッカー界を下支えしたのは日系人だった。ブラジルへの日系移民2世たちは1950年代末、サッカーリーグ「AUSP」(40チーム以上あった!)をつくって名選手を輩出した。東京五輪の翌65年、日本リーグの立ち上げにあたり、選手を探しに来たヤンマーが、AUSP得点王・ネルソン吉村を日本に連れて帰った。71年にはジョージ小林、そして72年には元コリンチャンスのプロ選手、セルジオ越後が鳴り物入りで日本の地を踏んだ。おおらかな時代だったからか、ジョージ小林は帰化していないのに日の丸をつけてプレーしたという。彼らの来日によって、それまでメキシコ五輪メンバーの指導者クラマーの影響でドイツ流が盛んだったサッカースタイルが南米型も取り入れられるようになった。その後、ブラジル日系社会は豊かになり、サッカー以外の楽しみが増えたからか、AUSPが衰退してしまう。日本サッカー界は「サッカー伝道者」の配給元を失って以後は、この日系人たちを仲介役にして、カルバリオ、マリーニョらを招き、Jリーグ開幕時には、ジーコやリネカーら世界トップ選手がプレーするようになった。マリーニョの言葉が印象的だ。「ジーコは自分がくるまで日本には何もなかった、なんて言ったけど、そんなことはない。それまでにいろんな積み重ねがあったんだ。ジーコが来てパーティが華やかになっただけだ」。
March 10, 2004
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通称「年金掛け金ピンハネ継続法案」が今国会を通るらしい。国民が毎月積み立てている厚生年金や国民年金の一部、年1280億円が、社会保険庁職員のための黒塗り高級車購入費や職員用マンションの建設費、職員の健康診断費用、交際費などに使われるという。民間の生命保険会社に入った場合でも掛け金の一部がこうした経費に使われるから、「別にいいんじゃない?」と特段気にしない人もいるかもしれない。だが、公的年金制度というのはいま、積み立てて得をする制度にすることが求められている。なぜなら、「損をする」と思いこんでいる人たちが次々と脱退しているからだ。第1号被保険者(自営業者ら)は、未納者は327万人、未加入者63万人にのぼる。納付率は約63%(いずれも01年度末現在)。3人に1人は払っていない。不払いをちょっとでも減らすには税金をもっともっと投入するのが最もいい方法である。公的年金制度を拒否している人も、毎日支払っている消費税の一部が公的年金制度を支えるために使われていると思ったら悔しいはずだ。現在、進められている公的年金改革論議では、その税金投入額が将来的に、33%から50%に増やす方向になっている。つまり、加入しないと以前よりますます損する仕組みになるわけだ。という昨今の流れからすれば、さっきの社会保険庁の高級車代や健康診断費だって、ほかの国家公務員と同様、税金でまかなわれた方が理にかなう。ただ、そういう税金投入額を大きくする議論は、いつ方向転換するか分からないのが泣きどころ。国会で本音ベースで議論をすると、公的年金制度は将来、運用実績に応じて年金給付額が決まる制度に移行せざるを得ないらしい。同時に、財政難のため、税金投入額を減らさざるをえない。そうすると税金の投入先は積立額が少ない階層に限られる。言い換えれば、所得が低かったり積み立てをさぼったりしてきた人(!)にのみ税金が投入され、普通の人は、さきの論議とはまったく正反対に「加入したら損」グループに転落することになる。自民党内では水面下ではこう語られているし、民主党は先の総選挙でこの方向での制度見直しを発表している。いつかルールが正反対に変わる制度なんて誰が信じるだろう。憲法で、公的年金加入を義務と明記し、未加入者には公的サービスの一部を利用できなくするような仕組みに変えなければ、制度破綻はみえている。公的年金制度は入ってはいけない。
March 4, 2004
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私は以前、茨城県日立市に住んでいた。ここは日立製作所の城下町で、人口約20万人のほとんどが日製(地元ではそう呼ぶ)と何らかの関わりを持って生活している。ある新聞記者がその城下町ぶりを書こうとして筆の勢いあまって、「日立市の名前は日立製作所に由来する」と書いていたが、これは間違い。日立という地名の方が古い。日立製作所側が、創業の地から命名したもの。先日、「社名の由来」(本間之英著)を読んだ。以下、すべて同書から。メニコンは「目にコンタクト」から。ミノルタは、創業者が「稔るほど頭を垂れる稲穂のように」と母から常々言われていたため「稔る田」に。マツモトキヨシは、創業者が千葉県議会選に出馬した際に名前と店名を一緒にPRするため、「松本薬舗」から改称。トイザらスは、「Toys are us」から。ノヴァはラテン語の「新星」から。松下電器は、前身が「松下電気器具製作所」だったため異色の「電器」に。東宝は「東京宝塚劇場」が縮まった。ブリジストンは、同じタイヤメーカーの米ファイアストンとは無関係で、双方たまたま創業者(ブリジストンは石橋さん)にちなんだだけ。電通の社名は、かつて「電報通信社」だった時代の名残。富士通は、前身の古川電気工業の頭文字「ふ」と、技術導入した独ジーメンス社の頭文字「ジ」から。大関は、創業の1711年当時、相撲の最高位が大関だったから。カネボウは、綿紡績工場が東京府下墨田村鐘ヶ淵にあったから。ソニーは、サウンドのラテン語「SONUS」から。ニコンは、パリ市長時代のシラク(のちに仏大統領)に「日本光学工業は知らないが、小型一眼レフのニコンなら知っている」と言われて改称。ノーリツは熱効率のいい商品ブランド「能率風呂」から。朝日生命保険は敗戦後、新社名「文化生命」を大蔵省に届けに行った社員が、「ぱっとしない」と勝手に「朝日生命」と届けてしまったから。余談だが、住友生命も最初は「朝日生命」にする予定だったが先を越された。トヨタは、乗用車「トヨダ号」のマークを懸賞募集したら、採用作品が「TOYOTA」になっていてこれを社名に。話はちょっと変わって、ロゴマークのネタ。ローソンのロゴマークの中央にあるミルクポットは、米オハイオ州の創業者J.J.ローソンさんがミルクと日用品を売っていたから。トンボ鉛筆の「TOMBOW」は、TOMBだと墓になるから、最後をWに。花王の「月」マークは戦前、右向きの下弦の月だったが、将来の満ちていくように三日月に変えた。以上。
March 3, 2004
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道路公団民営化の論議はさっぱり分からない。新聞を何度読んでも分からない。理解の助けを、と思って猪瀬直樹の著書「道路の権力」をひもといたが、道路族との攻防にこだわりすぎていて、さらに訳が分からなくなった。この論議は最終的に、高速道路整備計画(9342キロ)のうち、未完成の約2000キロはすべてつくられる方向で決着した。そもそも論議のスタートは、新たな高速道建設を止めようということだったわけだから、ようは振り出しに戻ったわけだ。当然、マスコミや自称識者たちは怒った。だけど、僕がよく分からないのは「この路線はいらない」という具体論がついぞ聞かれなかったことだ。総論だけ議論したってそりゃ前へ進むわけないでしょう。自称識者たちも、便利な都会生活を送っている負い目からか、テレビ画面で「困ったものだ」と顔をゆがめてみせただけだった。普段交通の不便を強いられている北陸や九州、四国の人たちだって、通行量の少ない常磐道(関東北部)なんかを例に挙げて、「都会の人たちがもう道路はいらない、というなら、都会の高速道のアスファルトと橋脚をはがして田舎に持ってこよう」という運動を展開すればよかった。建設費用抑制という今回の論議で肝心なテーマについては、当初、残り2000キロ区間について、約20兆円と言っていたのが、約13.5兆円に減らされることになった。不思議なのが、どうしてこんな数字の大盤振る舞いができるのだろう。これまただれも説明していない。さらに、一部の高速路線については、道路公団の手に負えないため、限りなく高速道に近い一般国道としてつくる「新直轄方式」が採用されることに決まった。これまたマスコミが、「道路族に押し切られた」と訳知り顔で解説してみせるが、ちゃんちゃらおかしい。道路なんてそもそも無料で当たり前。とくに、これからつくる田舎の高速道2000キロで通行料を取ってみなさい。ほとんどの車・トラックが一般道に迂回しちゃって維持費だけがかさむ結果になるから。もともと道路は公共財で、東名や名阪など一部をのぞけば、金銭ベースの採算なんて取れやしない。マスコミや自称識者たちも批判するヒマがあったら、流通網の拡大や環境への負荷抑制など、付加価値を数値化して、採算に合うか試算してほしかった。今回の民営化に向けたやり取りは、方向違いも甚だしい。北海道に向かって走っていたら九州着いていたって感じ。結局、借金が棒引きされ、身軽になって再出発できる道路関係の4つの公団は大笑いし、すべて予定通り道路ができて選挙民に顔向けできる道路族も大バンザイ。一方、今回の不毛な論議につきあわされ、これまで建設費を3割高く負担させられていたことが判明し、おまけに、今後も通行料金が取られ続けることが分かった国民だけが割りを食った形だ。その国民の中で、本が売れた猪瀬だけがこれまた大笑いしているのだ。
March 2, 2004
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