2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全4件 (4件中 1-4件目)
1

今から約二十年も前の事…、私ははじめて世間に放り出される心地に気負いを感じていた。 当時ニキビ顔だった私は、第一志望だった高校受験を控えていた。しかし、『やるだけやったら、もうええやん。』 最後は得意な開き直りの境地であった。 後は体調と気合いだけ! 昔懐かし学校受験。今にして思えば、それはただ社会に出る手前での通過点にすぎなかった。(上写真:人が何かに没頭している合間、さり気なく水をさしにやってくるのが得意な犬。)
2007年01月26日
コメント(4)
大阪の某下町-、そこに犬のチロルとこの日記を書いている私は約8年間暮らしてきた。 行き交う車、朝駆け足で出勤する人々、毎日が忙しい働き盛りの人達。 一方、一日中全てが自分の時間、まだ充分元気なのに『もう年だから』と社会に参加する機会のない人達。都会を生きる人にはどちらかの生活リズムしか用意されていないのだろうかと思う。 しがみつく事の猛烈さも、こだわりを捨てる事の開放感も同じ所に混在している。居酒屋、パチンコ店等大人が息抜きする為の施設が多数手を広げて来客を待ち構えている。 でも、人は人工的な物で心底癒されるんだろうか。街を散策する度に、あまりの至れり尽くせりがかえって気詰まりに感じる時がある。 震災や町の環境などすっかり無縁のように、駅前に三十○階の高層マンションが建てられ、間もなく完成しようとしている。これが埋まればかなりの人口になるだろう。(ほぼ売約済み) 河川敷の野原も、工事中の黄色いフェンスで囲まれただ今手入れ中だ。 この町はどう変わっていくんだろう。曇天の空が街を覆っていた。
2007年01月21日
コメント(2)
先日この冬初めての雪が降った。我が家では暖房の風が一番よくあたるお決まりの場所に、犬のチロルがいつも寝そべっている。「うわぁ、雪だ...。」思わず窓を開けかけた。すると、ついさっきまで寝ていたチロルが、バネが弾けた様に突然飛び起き、私の足下を押し退けて顔を突き出した。 全く、寒がりだか何だかよく分からない。 その日の午後、散歩の途中で神社に立ち寄った。お正月のごったがえした賑わいはなかったが、まだ遅めの初詣に来た人達が行き交っていた。 そういえば、今年はおみくじを引いていなかったっけ。 窓口に座る小さなおばあちゃんに100円を渡し、古びた木の筒をガラガラと振った。出たぞ、三番...。「はい、どうぞ。」結果は、半吉。 書かれた昔ことばの意味を訊ねた後、おばあちゃんに言われた。「大吉いうのは一番上やから後は下がるしかない。でも、半吉以下は、行い次第でどちらにも向くていう事ですわ。」(微笑) 今年は上向きの運を創りだすか。石畳を後にしながらそんな事を思った。
2007年01月14日
コメント(0)
短く縛られた鎖、首輪が喉に食い込みそうな余力、コンクリートばりのガレージに置かれた犬小屋の外には汚物が転がり、それを蹴散らしながらも尚吠え続ける黒ラブの姿を、淀川へ向かう途中でいつも見かける。 ペットショップやブリーダー宅で、蝶よ花よと誕生を望まれた、金の卵達が迎えたそれぞれの現実ー。年を越しても置き去られてきた、人の仕業の陰部...。 正月明けの夕方、いつもの様に淀川へ散策に出かけた。 テニスコートや野球場では、まばらではあるが若者達が練習に盛り上がり歓声をあげていた。そのコート外側の鉄柱に、短い紐でくくられたままこちらに向かって吠え続ける黒ラブ(前述とは別)がいた。『近くに飼い主がおるんやろ。フン、気の毒に。』気にせずそのまま堤防を歩いた。 チロルは左右にフラフラ、頭を垂れて草の臭いを嗅ぎながらいつものマイペースでスキップするように進んでいった。ここ河川敷の風景は夕暮れ時が最高にいい。水面が鏡の様に夕焼けを写し出し、天地が逆転した様に見える。夕日が山からまだわずかに見えていた。 1時間近く経って戻って来た時、暗がりの中まだ先程の黒ラブがけたたましくどこへともなく吠えていた。まさか置き去りという事はないだろう。まだ残っている若者の中の誰かが連れているに違いない。このまま見ないふりして帰ってしまおうか、それとも...。三年前近くのスーパーの前で3日間くくられたまま主の現れなかったシーズーがいた。そのコはご近所の人にもらわれ今は幸せに暮らしているが、この淀川でも置き去りが多いと話に聞いていた。もしあの黒ラブを保護するなんて事になったら、家も越して迷い犬の届けも出さないといけない、いろんな事が頭を巡ったが、ここはひとまず行ってみる事にした。 日没間際、周囲にそれらしい人がいないのを伺い、しばらく立ち往生していた。すると、近くで男の子の声がした。薄やみの中、10~15歳位の三人兄弟が、離れた所でサッカーに興じていた。気付いたその中の一人に声をかけた。「このコ、自分とこの犬やったん?長い間くくられて放置されてるのかと思ったわ~。」すると、その中の一番大きい子が彼に、「おい、おまえがずっと側におったらええねん!そしたら鳴かへんわ。」と言った。「ええ~っ。」彼は不服の声をあげた。自分一人だけ犬のお守をするのはいやだったのだ。縛ったまま側について吠えない様にする、そんなものなのだろうか。紐をはずしたが振り回されそうな小さい彼の手から一番大きなお兄さんが横から手を取った。「せっかく来てるんだし、遊びの相手でもしてやったら、どう?」(^o^;)と私。すると、小さい方のもう一人が「だって、コイツ離すと帰ってこないんだもーん!」「ワン、ワンワン!!!」よく見るとややおデブなその黒ラブちゃんは、泡を吹きそうな勢いで首を絞められてもまだ吠えるのを止めなかった。 どうして人の頭で理解できる事しか思い遣れないんだろう。何故そんな人が犬と暮らせてよかったと思えるのだろう...? さて、帰り道、また(文頭に登場した)あの黒ラブん家の前を通らなくてはならない。「ワン、ワンワン!!!」 私は思う。 私はそんな犬達が嫌いなのではない。むしろ犬が好きと称して独りよがりな扱いをする、周囲も犬自身をも顧みない表面重視の「人」なのだと! 犬嫌いと公言する人の理由に、こんな人の心ない部分も含んでいる事を改めて感じた。
2007年01月04日
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


