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皆さんへこたれた大人心をくすぐる秘密基地ジョンウン?さんま?俺は立派だぜ。吸ってる?出してる?業務所感;久しぶりに、あらうまどう(ラーメン屋)に行った。旨いのだが、何度か食べていると、まー、普通になってくる。いや、昔のメニューどこ行ったのかなあ。 2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.28
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三田アウトレットは、明太パークから、まあそんなに遠くない、三田市にある。簡単にいえば、続きなのである。たらこ、明太子まあ、そのくらいの違いは俺でもわかる。明太子ってたら博多しか思いつかないのに、ここか。試飲の明太子、かなり一口だけにしてくださいね、といいながら、一口でかい。ここっでは、名物かどうか知らんけど、アイスクリームたらこ入り食べるか。ちょっとおにぎりも、ウムムと思ったが、有馬温泉で朝ごはんたらふく食ったので、食種が働かない。見渡せば、寒空の中、ソフトクリームなんか食ってる奴いねえ。それにしても、数少ない来訪者、皆さん、何等か土産も買ってお金を落としている。おれも、350円落としたけど。さて、明太会館も終わりだ、この前行った生姜会館みたいなものだな。そこから10分もせずにプレムアムアウトレットがあったので、行ってみた(人生上、ここは2回目である)。勿論、何も買うつもりはないが、まあ、ちょっと寄ってみるかな、と思った次第。 そこで、三田市で三田牛、三田屋である。三田屋は、まあ、過去から見ると、過去から知っている。うまいかどうかは、よくわからないが、味付けが三田屋やなあ、という感じがした。学生時代以降三田屋行ったかなあ?覚えてないぐらいであったが、それでも、何となく思い出したのである。何せ学内にあったのだ。今、調べると、ランチは1000円だな。昔、コープランチが300円だったころ、三田屋ステーキは680円であった。ごはんお代わりし放題であり、ここに行くときは、誰かのおごりであった。勿論、顰蹙なことをした奴が、「お前なあ、それ三田屋な!」といって、おごりおごられるのであった。まあ、別に肉が好きなわけでもなかったので、特に乗りで行ったぐらいで、何もないのに、行こうか、ということはなかったなあ。〇肉〇食って、〇に何が入るの?焼肉定食だろ?次はマヨネーズ工場の見学かなあ。ぐずぐずしていると、暗くなってきたわ。トイレにも行きたいわ。しかし、何も買う必要なかったのに、コート2.5万安いやないか、そういえば、コート10年ぐらい買ってないような気がしてきたなあ。会社用3着あるけど、擦り切れてきそうな部分もあるなあ、もう1着新しいの増やしてもいい頃、必要経費か、と思い始めつつあった。ん、こっちにも、肌触りのいいコートあるな、ああ、こっち触ってしまったら、さっきの2.5万あかんなあ、ん?こっちは何だ、うわっ、もっと肌触りいいし、温そうだなあ、ああ、カシミアかあ、値段、うわっ、でも触ってしまった。10年は着るだろうからなあ、脳内に清水の舞台が、ズドーンと進出してきた。なんだろうねえ、旅行や本には湯水コースになているのに、衣類には石の状態である。下着以外、背広でさえここ3年は買っていない、いやユニクロでセーター2着買ったなあ。1着はカシミアだ。ユニクロなのに。あと、部屋着のスエットも島村で買った。絶対上下で1000円以上払いたくなかったのだが、あったあった、島村で去年初めて買い物をした。まあ、そういうことを思い出したのであった。気が付けば、店員が甘いマスクでやってきた、しまった、やってきてしまったか、おまけに既に手に背広の上を持っている。これ着て、羽織ってみて下さい、とのことであった。そうかそうか、と背広を着てから羽織ってみて、3秒ぐらいで、肩幅とかあっているな、じゃあこれください、と考えずに答えてしまった。しまった清水の舞台を飛び降りる前に買ってしまった。大枚はたいてしまった後、ネクタイありがとう状態であった。
2017.02.27
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屋台のどこかで飯を食おうということである。いくらだったかなあ、100円ぐらいだったかな。ホテルに戻ってきたのは1時頃、部屋飲みでメキシカンビール。翌朝、市場に行く。市場の前に飯屋街があり、入っていく。よくわからないまま飯を食べるが量が多く、値段もそこそこ500円ぐらいした。ビールも。alone again 2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.26
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月曜のの夜中1時半に現地ツアーをネット予約した。そうそう、長崎は坂の街。水曜日、代休、ふと、寝過ごした。急ぎ空港に向かった、乗り過ごし、ツアー会社に電話した。午前ツアーを午後に変更できますか、と。本来なら行くの諦めるつもりだが、当日のキャンセルは100パーセント料金いただきますとネット上では恫喝されていたんで、「飛行機乗り遅れたので、変更できますぅ?」と弱々しく聞くと、きびきびと、勿論ですと優しい女性交換手は答えてくれた。それで、更に飛行機は人員繰り(レイオーバーの模様)で遅れて到着したら、携帯電話にレンタカー会社から連絡が入っていた。お急ぎなんですね!と迎えに来てくれたレンタカー会社はいろいろ手続きを急いでくれた訳、6時間パックがあり、それ2000円台。いや、まあ、急いでなんですけど、お仕事ですか!いや、まあ私服ですがそんな感じでっす(仕事ではなく修行です)と答え、空港のある大村市から30数キロ先の長崎市に高速道路140キロで速攻で着くのである。速攻と言ってもまあ30から40分である。30分前に空港に到着したと思ったら、最終的に50分の遅延、あ、じゃあ、飯食うかな、12月に長崎空港に到着したときに五島うどん気になったが、そこまで腹減ってなくてラウンジに行ったのだが、この機会、どの機会か知らんけど、食うことにした。いやはや2か月後に来る予定全くなかったんだが。まあ、大人の諸事情がそうするのである。大人の諸事情では、胡散臭いな。それに仕事は大人の事情があるが、休日は個人の思い付きしかないのである。思いつき以外には、満席とか満室とか高いとか面白そうじゃなさそうとかである。思いつきがそうなるのである。リフレッシュするために移動するかといえば、ちっともそうなってないな、でも家でゆっくり寝てビデオや本読む野は一番リラックスだけど、ああボケちまうって恐怖が走るって思うのかも知れない、チケットカウンターで念のため年齢を聞かれ、この前誕生日だったので新しい年を伝え、自分で、多少うろたえ、目まいがした。(カウンターの女性はうろたえなかった)五島うどんを人生2,3,4回目食べる。日本3大うどんともなれば、なかなか3番目が難しいのだが、日本5大うどんともなれば、まあ数えられるアレである。讃岐に稲庭のほかには、水沢、氷見、五島、あときしめん(消費量からみて)?あ、6になってもた。讃岐と水沢は生麺で、稲庭と五島は乾麺、五島は椿油使用でうどんの定義としてはどうなの?ってのもあるかもしれない。あれ、氷見うどんって食べたことない気もしてきたなあ(以前コミットしてたのに)。まあ、店によって違うだろうしなあ。讃岐はまさに庶民の値段だが、水沢はこれうどんの値段か?というほどの価格であったし(うまいんだけど)。まあ、イグジッドロウになって、こんな注意書きの紙もらったのは初めてである。今、注意深く注意事項を読んだまでだ。今回は、季節もんの卵とじみたいなのにしといたるわ。ムムっ空港のくせに、ウマイ、美味いがどちらかというと出汁がムチャ旨い。あ、昨晩の20時から飯食ってなかった、あ、朝昼食ってないから、20時間ぶりの飯だった。(得てして休日はうっかりそうなるだよねえ)長崎は今日も詐欺だった。あ、行きも帰りも同じ席だ、国内線アルアルだ。おまけにチェックインの順番が、83番と84番惜しい!いやはや、行きも帰りも遅延。いやはや、明日仕事だから飛んでくれて良かったよ。何で清掃の方々一列に?omake26人も聖人おったんや。ウキペディア日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになったほんと難しいよね。個人の信仰は自由、いいことなだけど、組織としては植民地の先兵だったからねえ。いやはや、日本の拷問、もっと軽いと踏み絵、本国では魔女狩り、罪のない人もまー多く殺されて、まあ、宣教師が植民地化軍隊の先兵を跳ねのけた日本は、ほんと結果的には良かったんだよねえ。アメリカじゃあ、今でも行われている訳じゃないけど、聖書に書かれていることが現実であり進化論は嘘だ(進化論も誤りは多いが)ってのが多くを占めるファンダリストの国なんだよねえ。関係ないけど、建国ピルグリムファーザーズって、つまはじきものの頑固や人たちでしょ、おかしな人たちが、ヨーロッパ追い出されたんでしょ。それで、困窮していたので、原住民、いわゆるインディアンが親切にしてあげたら、親切を虐殺でお返ししてあげてね。煙突だかなんだか、これ、でもいいねえ。ガウディみたいね。 2017.2長崎長崎行き。長崎 宮地嶽八幡神社 福済寺 長崎 海から見る産業遺産。長崎 軍艦島(端島)。長崎 高島。
2017.02.25
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岩戸の里公園。熊本の奥座敷、それは何か、それは、分からないが、山をまた昇りつつある。だから何だったのか。霧が抜けると、石垣と農産物が綺麗だわ。見学、1秒で終わり。そこからの案内で200メートル歩けって、300メートルはあると思うよ、急な坂だったので車止めて行ったけど、車でも行けたじゃん。駐車場も数台置けるし、参拝客はまあ、いないよ。朝からコーヒー系800CC飲んでいるが(4杯)、ここでも、水飲む。味音痴な俺は、滑らかな感じはしたが、水というのは、冷たいと旨く感じるものである。そこが辛い、何が辛いか、些細なことが辛い。入口は、200円であるが、誰もいないが、よく見ると辛そうなおばあちゃんが横たわている、すみませんを声をかけるが動かず、声のボリュームを2にしてみるが動かず、4にしてみると、やっと気が付いたようだが、受付に来るのが辛そうだったので、入場料200円ここにおいておきますから、と大声でいうが、無視され、むっくりやっとこさ起きて、2メートルの距離を近づいてくるので、静観するのであった。ハイもれパンフレットといって貰い、おばあちゃん、これ以上動かなくていいよ、と思いながら、おばあちゃんの先行きを心配しながら、先に進むのであった。まずは、五百羅漢を通り過ぎるのであるが、見渡す限りは二百羅漢ぐらいのような気がしたのであるが、きっと隠されてるのであろう。おれも、もう五百羅漢については五百か所入ってないが、五ケ所以上は行っているからね。全然関係ないけど、メラニアトランプ夫人って、不愛想とかっ叩かれているが、まー、外人だもんな、英語母語じゃないから、いろいろ饒舌に話せないから、私は不動産王の妻になったのに、なんだよ、勝手にファーストレディーになっちゃって、うっとうしーよー、って思ってるんだろうねえ。娘のイヴァンカはユダヤに嫁入りして、ユダヤ教徒に改宗しちゃって、まー、母系だからねー。クリスチャンシオニストだねえ。それにしても、個体はしょぼいが、いや、ここは首なしが多すぎてすげえ。数々の地震で首ちょんぱである。きっと、この前の熊本地震でも、何体かの方々の頭部がすってんころりん落ちたのではないかと邪推する。1700年代後半から24年がかりでであるから、築200年以上の羅漢様たちであるが、石とはいえ、火山の国熊本、耐えきれず涙どころではなく、耐えきれずお乳首、いや落首である。それを垣間見ながら通り過ぎると、武蔵の終の棲家とされる、でもこれ家じゃないぞ、修行場だぞ。宮本武蔵については、諸説あるが、播磨(兵庫県)で活躍しながら、岐阜とかいきながら熊本のここで五輪書を執筆ということらしい。自分も小学校か中学校で巌流島の戦いでは、興奮したような気がする。とにかく、策士で卑怯な手を使ってでも勝利、つまり生きるにこだわる、であったのか。(別に卑怯ではなかったとは思うのだが、イメージ。)洞窟なのか、塞がれている。案内もなかったので、巌流島で使用した木刀もありって、レプリカでしょ。通り過ぎてしまいましたがな。車内で地方ラジオから曲が流れる。80年代になるけど、外国のディスコ(今はクラブ)で聞いたんだよな。Self control、日常で聞いていた曲は懐かしくないが、普段聞かなかった曲は懐かしく、うぉおうおぉお、って胸が揺れる。とにかく、小雨だったので、滑らないようにな。ほんま、ヨーロッパ人って傘ささないよね、俺もっさないけど、会社まで最寄駅から1,2分だが、その間で傘さしていないの、俺だけとか、俺と2、3人だけってシュチュエーションはよくある。あれみんな小雨で何で傘さすのか、俺も分からないけど、そんな俺でもヨーロッパ人、傘ささなずぎって思う。何でだ。部屋が乾燥しててすぐ乾くからか。傘馬鹿にしてるか、そこまで面倒な人たちなのか。 2017.2熊本熊本行き。宮本武蔵五輪書熊本 三池炭鉱 万田坑。熊本 三池炭鉱 宮原坑。熊本 三池炭鉱。熊本 荒尾観音。熊本 荒尾 荒尾大師。
2017.02.24
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歴史的な市街地と近辺の銀山は世界遺産の街ではあるが、ロドリゲス監督デスペラードの撮影場所である。「ならずもの」である。メキシコならこの街に行ってみたいなと思っていた。人口約8万人。銀山に恵まれ、スペイン植民地時代のコロニアルカラフル建築で有名である。なんだか、あちこちに合唱団がいて、歌いまくっている陽気さ。マリアッチ。標高2000メートル、16度。台北と同じまま。服装も同じだが、薄手のダウンジャケットが少し熱い。地元民も観光客もわんさか、そぞろ歩いている。メインストリートを離れると、人通りは減ってきた。ところで、正男、中国が見放したのか、手薄な海外だからフトやられたのか、まあ、いろいろネットみてたら、何となく中国の権力闘争で、北朝鮮守る派と、引き離し派があって、それに巻き込まれたような見方が割と納得しやすい見解だなあと思ったのであった。グアナファト大学simply white 2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.23
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世界には、いつか、行くだろうなという場所がいくつかあって、まあ、その最先端にあったのがアンコールワットだたわけで、理由は簡単、行き易いそれだけなのだけど、近いだけにいつでも行けると思っていると、そぞろ10年以上と月日が無駄に流れる。バイクに乗ってアンコールトムの中心バイヨンの周りを半周する。アンコールトム内はほとんどが森でのどかなものだ。何となくよく名前だけは知っている地域は、勝手に想像力が働いて、要は、アンコールトムはでかいけど、デカい中が寺院で埋め尽くされているのではななく、寺院は100分の1か1000分の1しかないのだなということが分かった、それに勝手に方向まで決めているから、何だか90度思ってたのと違うなと思うのであった。常に北が上なんである。北は頭の中にある。アンコールトムを出た。要は堀に囲まれた部分がアンコールトムで、知らんけど、2,3キロ四方に囲まれているんじゃないか?中心のバイヨンから5分程バイクは走ったからなあ。しかし、学生時代は、アンコールワットなんて絶対行けないと思ていた。地雷があんなけ埋まっていて、ポルポトの残留が抵抗していて、そもそも、カンボジアに入国することさえ困難だった1980年代、90年代前半である。ツアーさえなかった。やっとインドシナのベトナム、ラオス、カンボジアが入国できるようになったころ、私の周りでも行く人たちが出てきた。90年代終わりだった。ベトナムはもう少し早かったかな。90年代前半だな、会社員になって初めてバンコク行ったら、腰巻履いた長期旅行者に「ベトナム個人で行けるようになりましたよね、どうやって行ったらいいのですか」と質問されたぐらいだ。「(いやおれさっき日本から来たんだけど)ごめん、そうらしいとは聞いている」である。1990年代は、カンボジアのニュースが新聞ではよく出てたな。ヘンサムリンやフンセンもよくでたが、何といってもシアヌークだね。10年ほど前に行ったときにかいたけど、当時は30歳だが、今なら40歳以上の人は家族親戚がほぼ殺されている、そして殺している。だからカンボジアは静かに見えるんだなあ。アンコールトムを出て分からないが数分バイクを走らせる。そこに、横向きのアンコールワット入口に着いた。運転手は、ここで待っているよ、という。2時間かな、というが、ひとつの寺院に2時間?と思ったが、いやー、そのぐらいかかるんだよな、アンコールワットは。1970年代、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の本を出版し、クメールルージュ支配下にあった、アンコールワットに向かい消息を断った一ノ瀬泰造を思った。浅野忠信の映画もあったよな、確か見た。しかし、ボロブドゥールも感じたけど、だんだん近づいていくゆっくり感がいいな。書籍も俺の部屋のどこかにあるはずだわ。もっかい探して読んでみるわ。数年前、ロサンゼルスの空港に降りて、長い長い2時間ばかりのイミグレ行列にならんでいたとき、やたらうしろのジイサンがこちらを気にかけているようであった。ナンセ、飛行機を一番に出たのが気になったのではないか?知らんけど。あちこちほっつき歩いていると判断したじいさんは、不意に声をかけてきた「どこ行くんですか」と。私は、「ああ、グアテマラです」まあそんなことで、ジイサンもあちこち旅行しているみたいで、その中で、よかったのは、アンコールワットですよ、といった。サンライズは最高ですと。何となく世界中でアジアが感動的地域だとは意外に思ったが、世界中でアジアが一番緩い。ユルいのが心地いい。インドからインドネアシ、中国、日本を囲んだ地域は。何だか、ちょとだけ違うねでも変わらないねという感じに思ってしまう。ヨーロッパやアメリカ、南米はやっぱり違うなあ、という感覚になる。アンコールワットは日の出がオープンの時間となっている。アンコールワットに到着して、あのじいさんと、泰造をまた思い出した。それからカンボジアが開かれたばかりのときにすぐアンコールに行った後輩のことも思い出した。もうアンコールワットは、誰でも簡単に行けるし、地雷も関係ないし、日本からもチャーター便で時々直行便も出てるからなあ。それもあれどこだったかなあ、秋田空港だったかあのあたりから表示されてたのみて、ホヘーと唸ったというか、多分その日だけだったんだと思うけど。ここでは、一応、入場券のチェックがあった。ただ、サンコールワット自体は、初めて見て、感動なのかというと、ほう、である。もう感動力はなかなか景色にはないのである。だって簡単に来ちゃったからね。それに写真で知ってるし。嬉しかったけどね。でもいつか来る予定調和なんだ。今回遂に行くか!ってきめたのは4,5日前だったけどね。そういうもんよ。どういうもんよ。考えたら小学生の時からCALL MEよ、カッコいい曲だったな、外国って格好よくって遠かったなあ。まあ、今も南米まで行けば遠いなって思うようになった。 遂にアンコールワットへカンボジア行。カンボジアgourmetの旅。シェムリアップの夜。ホテルからタ・プローム1。タ・プローム2。トマノン寺院とチャウ・サイ・テヴォーダ寺院、チャウ・サイ・テヴォーダ、タケオアンコールトム。バイヨン、バブーオン、象のテラス、ビミアナカス、ライ王のテラス。アンコールトム→アンコールワット。アンコールワット拝観2時間。アンコールワット外伝。地雷を踏んだらサヨウナラ。帰国。
2017.02.22
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1月1日の夜は、花火の音が聞こえ、部屋から覗いてみるが、民家が前に見えるだけ。朝食のため、廊下に出ると、初めて明るいメキシコシティを見た。ラティーノ、アメリカーナ劇場。ペジャス・アルテス宮殿この7の色は・・・。メキシコ人、アミーゴアミーゴで陽気なイメージだが、流石に朝から陽気にアミーゴしておらず、ベンチでうなだれていたりする。昔、駒ヶ岳に、らくちん山登りに出かけ山小屋に泊まったら、テーブルの前に一人やまおっさんが座り、350CCのビール缶をプシューと開けて飲みながら、アラピーポリポリ、美味しくなさそうに食べ、5分もしないうちに眠りのために部屋に戻って行った。シウダー市場に来た。基本閉まっていた。2時間が経過した。何だか、ジグザグに歩いていただけよ。2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.21
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熊本県、荒尾市の静かな住宅街の中に現れる。というか、ナビでは、うまくたどり着けなかったぐらいである。ナビで辿り着いたのは、住宅街の中で、寺院はその敷地には接するが道は反対側についていたので、まったく寺はみえなかったのであった。4,5メートルの見事なコンクリーの神々がキツキツのサウナに入って肌が褐色になっている。毎日それを見る前の戸建てから水を流したりする生活の音が聞こえる哀悲。立候補は、流星。ジャコビニ流星群。何か白くおしろいしているけど、まあ、暫くの我慢なのさ。荒尾市出身、ヒロシです、ヒロシです。ヒロシです・・・。入っていくと真っ暗で先に進めぬ。しかし、出口は分かった。バイタクとバンコクでは、モーターサイというが(それモーターサイクル略だろ)、30年ぐらい前からあった。バンコクは、やたら、運河があって通りが行き止まりって結構あって、大通りから何百メートルまで先に行って行き止まりってあって、奥に店やホテルがあったりする。大通りの過度にバイクがたむろしていて、何百メートルか2ケツでバイクで運んでくれていたのだ。料金は1バーツとか2バーツとかだったなあ。5円10円、乗車時間2,3分ってやつ。意味もなく、急に思い出した。今のモーターサイは、タクシーとそんなに変わらない料金のような気がするが、乗車人数1人で危険ではあるが、まー、渋滞都市バンコクをブンブン抜いてイク、スピーディーな乗り物だ。便利である。危険と隣合せの便利である。2017.2熊本熊本行き。宮本武蔵五輪書熊本 三池炭鉱 万田坑。熊本 三池炭鉱 宮原坑。熊本 三池炭鉱。熊本 荒尾観音。熊本 荒尾 荒尾大師。
2017.02.20
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台北、まあ、寝る前は、同じ部屋の泊まった元取引先と、部屋飲み乾杯である。よくぞ予定の台北行きに乗れず(空港にパスポート忘れた)、その場で次の高雄行を購入して、高雄から新幹線乗り継いでここまでやってきたな!と。何故かフランスビール買って、カクテル買ってきて、ズバズバ飲む台北の夜であった。いや、本当はズバズバ飲んだかは覚えていないが、そこは大きな問題ではなく、考えれば、飛行機に無事乗れる以外に大きな問題は旅行にはないのである。意味なくレシートを見ながら、何か曲かけますか?といって松山空港があるからといって松山千春が流れる。政党大地に肩入れである。ちょっと高級バージョンビアも試してみるが、もう結構飲んでいるから、あまり分からないねえ。ホテル朝食、オムレツ作ってもらいながらも麺も作ってもらう。こんなに食べられないな。11時オープン、そごうの前に2分前に到着して並び、エレベーターに乗る。エレベーターガールが金髪に染めてて気になったが、1号目だったので、「もう乗れません」みたいなプラカードを1階1階各駅停車になり外していく。エレベーターガールというのは、辛い仕事である。何となく一挙一党則(漢字違うな)見られて、震えるよ。そごうは斜め前にもう一店舗あり、そちらに小籠包係の目指す店があった。(案内によると反対側ですといわれた)小籠包班は急ぎ移動ですと申しあげた。確かに超有名店があるが、有名になり過ぎたディンタイホンも日本には多くあるしなあ。それに9年前に行っているからなあ。台湾以外にも、日本・USA・ちうごく・オーストラリア・インドネシア・タイ・マレーシア・シンガポール・韓国にも店舗があるってことさ。そんな訳で今回は din shui louである。 開店直後から、まあまあ客が入りつつあり、我々も急いで入った。乾杯から始めるってことね。美味かった。実は、まあ一人で旅行してて、グルメのたびとかいきってるけど、まあ、一人の時は食事の優先度低いねえ。どうせろくなもの喰えねえ、とう感じで、実際、ホテルに出来合いのもの持ち込んだ、抜いたり、昼行った店にまた行ったり、そういうことだね。団体旅行の面白さは飯だね、シェアできるからね。でも、おれは年上と団体旅行したくないよ。年上はわがままだからな。レストランからの景色、圓山大飯店も見える。夜は、ホテルの近くで適当に鍋!である。おお、高雄ビールか、高雄から来たメンバーがいたな、乾杯だ、ついでに、今晩は、私のサヨナラパーティ、皆さんと明日は勝手にお別れメキシコ行きますから!さいなら。であった。とにかく、シャブシャブやれや、ということである。旨かったかはまあ、覚えていないが、多分美味かった。何か、スープを選び、基本以外のサイドメニュー(野菜とか)は冷蔵庫から勝手に取ってくる、ビールも勝手に取ってくるシステムである。薬味も勝手に取ってくる、ネギ大盛りにする、お、高雄、カオシュンビアーじゃなくて、タカオビアーじゃん日本語読みやん!それに台湾ビールのコップが可愛らしいな。知り合いのタカオ元気かなあ、アジアに農薬売りまくる英検1級の男・・・Alone Again、Naturally。
2017.02.19
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昔来たのは、ここだったとあるHPを見て風景を思い出した。武田尾温泉は、宝塚から3駅目10分以内であり、大阪駅から宝塚まで30分程度なので、いきなり近いのである。いきなり近く、ここまでと、これ以降の駅には民家があるのだが、この駅には民家はない。歴史は3,400年あるのだが、3,40年前でも数件の温泉街を形成していたのではないかと思われる。といっても、武庫川渓谷の右岸(西宮市)に3軒(マルキ旅館(なくなった)、河鹿荘(休業中)、武田尾温泉元湯(土日祝のみ)、明治大正にオープンみたいね)、左岸(宝塚市)に1軒(紅葉館 別庭あざれ)の4件である。3,40年前はあざれはあったのか、覚えてないけど。昔と言ってもまだ30年はたっていない昔である。限りなく30年には近いのだが、年齢がばれるので言わないが、学生時代の頃である。学校でぼやぼやしていたときに、奥座敷の温泉、外湯今から行こうや、ということになって、3人か4人で、ドライブしながら行ったのである。それが武田尾温泉であり、記憶は、細い道をくねくね行ったぞ、何だか終点地点まで行ったぞということであり、そこは、良そうした通り、元湯であった。室内の風景を覚えており、そんなに大きな湯船でないことも覚えていた。そして、平日の当時、他に客がいなかったことも覚えていた。当時からかなりレトロだねえ、と思っていたのであるが。河鹿荘ここはマルキ旅館の跡地ではないか。元湯。土日祝だけやっているというので、土曜日に来てみたら、あれ、休み。ここに来るまで、土日祝のみ日帰り湯1000円って案内あったんだけどなあ。あざれ湯。日帰り湯1,800円、それは高いな。1,000円でも高いのに、やめとくわ。である。お湯が出てくる、無料足湯あり。なんか体操して解散。帰る。大昔の写真もアップされていたのがあった。
2017.02.18
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陶朱隠園、1戸5~60億円ですが、どうしようかな。内装費は別ですよ。駐車場は、部屋まで車で行ける居住部そのものやエレベーターなどの共用部、地下に設置された5台。面積は約1000平方メートル。緊急時には、救急車が玄関先まで来てくれるシステム。全40戸。場所は台北にあります。台北101から見えます。部屋に、下品なもの飾ろうかな。テレサテンにも入居してもらおう。ニモ焼きも出店しよう。このオブジェを部屋の中央に。さて、せっかくだから、歩いて見学に行こう。販売員の案内は、今日はお断りし、自由見学とさせていただいた。熊谷組のプレスリリースより。このマンションはDNAの二重螺旋(らせん)構造のような斬新なフォルムで、着工前から台湾だけでなく海外からも多くの注目を集めてきました。基本設計は、フランスの建築家Vincent Callebaut(ヴィンセント・カレボー)氏が担当。バルコニーに庭園を重層的に配置して都市環境に配慮し、有機性廃棄物の再利用の他、BIPV(建物一体型太陽発電)や雨水のリサイクル等、環境負荷の低減を考慮した設計がなされています。 また、基礎免震として、アメリカEPS社の免震システム(すべり振り子型免震装置)を採用し、建物中央のコア部から左右に張り出すウイング部は二層一体型トラス構造を使用することで、奇数階住宅内は柱のない空間になり、玄関扉からの135度の眺望を可能にしています 。建物の中央コアには多機能エレベーターがあり、愛車を玄関先まで乗りつける事ができる計画です。このエレベーターにより、緊急時には救急車が各戸玄関前まで乗りつける事ができ、プライバシーを確保しつつ、安全且つ速やかな搬送をすることができます。 建物地上部は構造体を2フロア分の高さのトラスを中央コアとメガカラムに架け渡す構造となっており、左右のウイング部が中央コア部分を中心にフロア毎に4.5度ずつ回転し、ウイング先端のメガカラムがねじれた形状となっています。 この複雑な構造の設計と施工には、台湾のランドマークとなった「台北101(台北国際金融センター)」(建設当時、世界一の高さ(508m尖塔含む))の建設に携わった熊谷組や華熊営造などのチームの経験が十分に生かされています。また、鉄骨の建方には、熊谷組が開発した「ワイヤーレス建方工法 エースアップ」を使用。これは、柱にストレスを与えずに躯体施工を可能にする画期的な方法で、東京スカイツリーの建設にも採用されています(販売は、熊谷組グループのテクノス株式会社が行っています)。 日本、台湾、ヨーロッパ、米国の英知と技術を集結した超高層マンション「陶朱隠園」。その姿は国際建設業界の未来を指し示すものとして、台湾の地で具現化しようとしています。さて、悩むなあ。その前に全額借入でローン通るかな。まったく、ドリームオンである。まああれか、東芝も4000億ぐらいの赤字か、粉飾ここまでやったら経営陣は刑務所やんな、50億ぐらいでそれもグレーで、なまいきだからという理由で刑務所に行った人もいるぐらいだから(ライブドア)ね。悩ましいのは国家(軍事)技術が詰まっていることだねえ、そこいらは、他国資本にトラれないように国が助けてあげないといけないんでしょうなあ。それにしても、正男君を殺した一連は、末端で何も知らないというか、今報道されている、「どっきりカメラだと思ってやった」、みたいなのが実際のような気がする。マレーシア警察なんか拷問するの普通だから嘘、つき続けることできそうになさそうだからねえ。逮捕されるべくされたと。でもVXなら本人も死んじゃうような気もするんだけどなあ。それにしても、どうして、正男、LCCに。2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.17
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バイヨンの見学が終わり、歩き始める。祈る人が集まり、生きているところであったブッダ。あら、割とのんびりハンモックで寝ている人多い。バブーオンバイヨンのすぐ近くにあるが、バイヨンより高かったらしい。意味は隠し子というらしい。昔、ロータスヨーロッパってあったよなあ。この一段上がった小道が割と楽しい。象のテラス象の鼻やん。象の鼻、オサレやん。建物は大昔に消滅したようだ。刻むって、高校のとき、普段、超大人しい女の子の席に「ドュランドュラン」と彫られててびっくりしたな。中学校の時も、転校するtも立ちが机に掘りまくり、先生にこっぴどく叱られてたなあ。何で、俺ら彫刻刀もってたんだろ、そか、授業があったか。指先、削って、血プシューって出して、まあ、ノー天気だったな。ビミアナカス 静かな感じ。その奥には王宮があったが、木造であったたために残っていない。ライ王のテラスガルーダが支える!ライ王って、レプラに罹った王なんだね。ライ病王ってこと。割と歩いて疲れてきた感じだよ。疲れた感じ、ウイズアウトユー。(その後、マライアキャリーがカバー)いまのところの正男。去年、正男インタビューしたゴミさんの本を読み王朝批判をしていたのだが、突然暗殺ニュース。チャンソンテク処刑が殺された一因に、中国で正男をたてて改革していくんがいいのだと中国と相談したとかしなかったとか。後ろ盾を失った正男は、中国に守られながらも、随分韓国亡命を誘われていた、検討していたのかも知れない。中国は見放したのか?いや、王朝滅んだあとのカードだったんだろうから見放さないよなあ。 遂にアンコールワットへカンボジア行。カンボジアgourmetの旅。シェムリアップの夜。ホテルからタ・プローム1。タ・プローム2。トマノン寺院とチャウ・サイ・テヴォーダ寺院、チャウ・サイ・テヴォーダ、タケオアンコールトム。バイヨン、バブーオン、象のテラス、ビミアナカス、ライ王のテラス。アンコールトム→アンコールワット。アンコールワット拝観2時間。アンコールワット外伝。地雷を踏んだらサヨウナラ。帰国。
2017.02.16
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私は起き、そして、着替える量を間違え、やたら駅やバス停で寒い思いをしながら空港に到着したら珍しく、カウンターに誰も並んでおらず、速攻のチェックイン、というか、1便あとのご予約ですが、といわれたが、すみません、次の便でお願いします、ということで、速攻でコーヒーを飲みに行くのである。朝のコーヒーは何ともいえないのである。特に仕事がないと格別である。どんなに渋くても、スイートなのである。ただ、多少眠いだけである、5時10分に起き、少しだけ酒が残っている休日の朝であった。 ボンバルディアのプロペラであるため、1時間20分の旅路である(帰りはジェットで50分であるが、空港が混んでいて旋回を繰り返したので65分のフライトに勝手になってしまったが)。 機内でもコーヒーを飲んで、機内でトイレに行き、到着してすぐトイレに行き、レンタカーを借りた事務所でトイレに行き、いずれも、結構な量が、恥ずかしながら、出た、のであった。熊本空港ではYS11が置いてある。 レンタカーは、何かのキャンペーンで2,000円であり、ちょと嬉しかった。おまけに軽自動車ではなかったのである。まあ、系であれ何であれ、140キロでたら、まあ満足だ。伊丹カウンターで天候で大阪に引き返すか福岡に到着するかもしれませんと念を押されてやってきたが、まあそこは、無事当到着して無事、車を走らせているのであった。熊本城脇通りすぎる、スリー。あ、出た!グーグルマップカーおお、成田、アメリカから来たのか。随分、やられたのねえ。まかせんかいってですか・・・マドンナですね。寄り道をしながら、有明海に出て、去年も有明海来たんじゃねえか、と思い出しながら、まあ、いいじゃん、なのである。1988年か89年ころ、断り続けていたカラオケに遂にデビューした。デビュー地は川口市。曲は異邦人。メンバーは、チベットで出会った人たち、私はマニラから成田経由で駆け付けた。おお、モンゴリアン(私のあだな)歌ったぞ!とチンタオ卓さんが叫んだ。それで、帰る訳であるが、一便早く帰れる時間帯に戻ったんで、そうするわけで、上手い具合に飛行機が25分遅れていたので、クマモンラーメンでも食べるか、今日はカードラウンジでクロハッサン1個食べただけだからな、と思い出し、急ぎ素ラーメン750円を空港で食するのであった。空港で750円、ま、安い部類だよな。ちなみに、空港につく手前に市場があるので、急ぎビールを買いながら、お土産も買いながら、安かったので野菜も買うのである。何故、生野菜を買って飛行機に乗るのか?そういう哲学的質問をしてもらっても困る、それはもう帰るだけだからである。ふりかけも安かったので買うと、ショルダーバッグは、何となく意味なくいっぱいになりつつあった。帰り飛行機では、80年代ポップを機内放送で聞きながら、飾りじゃないのよ涙は(作詞井上陽水)(あら、この映像、安全地帯まで)の中森明菜であり、尾崎であり、佐野元春であり、くたばっちまえアーメン(これもいい曲だシュールで、音楽性あるわ)であり、八神純子であった。八神純子。久しぶりに聞いた水色の飴、良いねえ。あ、動画見たら、今も今変わらぬ声だねえ。くたばっちまえアーメン2あるんだねえ。パフィーのくたばっちまえアーメンもあるんだねえ。それにしても、機内は21列目の最後尾であり、市営バス乗り場が工事の関係でJALターミナルの前に移動し、間に合わなかったじゃないの。どうするの? 2017.2熊本熊本行き。宮本武蔵五輪書熊本 三池炭鉱 万田坑。熊本 三池炭鉱 宮原坑。熊本 三池炭鉱。熊本 荒尾観音。熊本 荒尾 荒尾大師。
2017.02.15
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昨日金正男殺されたって?去年の10月ヴぇリーさんの業務連絡を密かにキャッチ、ようやく、回転展に漕ぎつける。その前に、腹ごしらえである。鍋は回転してなかったが、野菜食べ放題税抜き牛豚シャブ990円コースである、まあ、肉はどうでもいいので、野菜を重点的に攻撃しつつ、胃を満たす初老の男であった。というか、本人は初老ともそうろうとも小籠包とも思っていないのではあるが、そこは、何ともしがたいぬぐい切れない感情である。おまけに2月11日、しりあがりさん本人と中沢新一対談である。この人が有名になったのは、所謂赤本、チベットのモーツアルトであり、浅田彰の構造と力と共に、思想関係では珍しい売り上げを上げたのも懐かしい思い出だなあ。きっと部屋のどこかにまだ2冊ともあるはずなんだ。いわゆる、ニューアカだよね。1990年代は、「東方的「とか、「初めてのレーニン」とか、「森のバロック」とか「リアルであること」とか出て読んだけど、一般に読みやすく面白かったのは対談集だったね、吉本隆明・梅原猛・中沢新一の「日本人は思想したか」。人生の先輩梅原がこの対談は疲れたとあとがきに書いていたのが、印象的だったなあ。あと、オウムのポアのもとになったアサハラのバイブル「虹の階梯」ってのもあったなあ。島田雅彦ではなく、ゼミの先輩島田裕巳とともに、オウム事件後、すっかりバッシングの対象になってしまいましたなあ。しかし、確かに今世紀に入ってからは何も読んでなかったなあ。市も協力協賛。ということでぐるぐるまわってきた。止まれば実用品、回れば芸術、なるほど。
2017.02.14
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とにかく、日本は、寒いのであった。日本とういか自宅がダウンジャケットかコートを着ていないと過ごせないほど寒いのである。ま、毎年の冬のことであるが、家でも重装備していると、まあ、大きな声では言えないが肩が凝るのである。 遂に立ち上がったのである。暖かいベッドの中から。洗濯とか本屋とかクリーニングとかご飯食べたあと、17時半前に、家を出るのであった。そして関空に19時に到着し、余裕のチェックインを果たすのであった。この時間帯でも、まずまず、セキュリティは混んでいて、多分10分か15分はかかったかに思いつつ、それでも、カードラウンジに直進し、日経新聞を読むのであった。そうである。今回は特にすることがないので、文庫本4冊の持ち込みであり、関空に来るまでに、既に1冊軽いやつを読んでしまったのである。空港を出て、左からでると、タクシー乗り場である。まあ、基本、グアムはほとんどツアーなんでタクシーの需要はないのだが、まあ私のようなツアーにも入れてもらえないような人種もあり、勿論、タクシー待ちの人はおらず、タクシーか?と声をかけられると、電話して、速攻でどっかで待機していたタクシーがやってくるシステムで、帰りもそうであったが、初乗り2.4ドルと安いのであるが、高速回転していくのであった。こりゃ島価格だわという感じで、ホテルまで26ドル、多分、日本だと、1,500円ぐらいの距離だと思うので倍ぐらいする感じである。一度は歩いてみたろか、といつも思うのであるが、いつも思うだけである。アメリカはチップ制だけど、グアムはあまりそういうのはないのか、どうか知らないが、多めに払うと、喜んでいた。帰りもホテルから24ドルで、25ドル渡したら、これでいいの?といわれたぐらいだから、なんだろう、まあ、行きも帰りも運転手はフィリピン人だからなあ、関係ないか。帰りは女性タクシードライバーだったなあ。サラマットである、マラミサラマットである。そして、2冊目も3時間15分の到着までの間に読み終わり、残り2冊となったのであった。さていよいよ、グアムに到着し、エスタ専用ラインに並ぶのは、何といっても私だけである、後ろを振り向いても見当たらなかったぐらいである。それぐらいぶっちぎりの1番に機外へ出たのであった、あったが、すでに他便で並んでいたが、エスタ、アジア唯一の有難い国、ニッポン、どんどん抜いて行って、5分後にはイミグレである。「何日いるの?」「1日です。」「え、なんで1日?何しに来たの?」「ホリデーです。」「だからなんで1日?」「月曜からまた働くからです。」「何の仕事?」「〇〇です」「君のパスポート、メニメニカントリーの無茶苦茶だね。君、シリア行った?」「まだです。」「イラクは?」「まだです」「んーリビアは?」「まだです」「イランは?」「30年前に行きました」「んースーダンは?」「まだです」「ブラジル行ってるやん」「あ、オリンピック」「ホテルは?」「〇〇です」無事通されるが、全7か国(イエメンとソマリア忘れ)出なかったし、明らかに興味本位で聞いていたような気がした。前もアメリカで聞かれたな「アルメニア?何しに行った?」「観光です」「カザフスタン?何しに行った?」「観光です」「ウルグアイ?何しに行った?」「観光です」今後は5年パスポートにしておこうかと思った次第。勿論、フリーサイズの寝間着に着替えたり、バスローブを羽織ることは、私の辞書にはいまのところないのである。単純にパンツ1丁である。ハシタナイのである。急遽、あったまりにいかんとあかんのちゃうけ、となり、最近流行の温泉も念頭に置いたが(流行って、有馬温泉行っただけだけど)、ここは沖縄か石垣島か宮古島ちゃうの?そうやろ、そうすんべ、調べるやろ、朝一便は全部満席やろ、あかんやろ、終わりである。 それでじゃあ、いっそのこと青森かな、行けるやろ、天気予報では雪も降ってないやろ、道路のライブカメラみるやろ、何か残雪もあり地面凍ってるかもしれんやろ、あかんやろ、終わりである。 じゃあ、どうするのだと、金曜の夜は更けていき、夜中になり、ついつい深酒してしまい、家でちょっと酔っぱらってしまう自堕落ぶりであった。酔っぱらうほど暇じゃないのだが、常に自分に敗北するのでる。考えたら、いや考えなくても1泊の人は基本的にいないので、いい部屋が間と間で1日空いてたりなんかする(部屋のアップグレード1日だけしてまた移ってくださいね)というのはないので、何だ、部屋がいっぱいじゃねえか、何だ、こいつ1泊か、じゃあ、今日だけ開いているからいい部屋やるか、みたいな感じであると推測された。1泊だと、各地で、時々、いい部屋になる時があるんだよね。ありがたや、いやはや、袖の下にフロントで10ドル握らせるって姑息な手段もあるんだけど、なかなか、気が弱いので、そういう大胆不敵なことは、なかなか、できないんだよね、大胆なとき以外。そういうわけで、丹念に再び読書を始め、2時間を過ごすのであった。まあ、そんな訳で快適に何をするかといえば、まあ、テレビ見るってことですね。あれ、なんだそれ、人たらし安倍首相、とりあえず、トランプの懐に入ったか。いやはや、何人のアメリカ人がグアムがアメリカってこと知っているんだか・・・。懸命に世の中動向をNHKみながらも、グアム情報もみるのであった。(そんなわけで、帰りもセキュリティヤバと思い、島にもかかわらず2時間半前にタクシーに乗るのである、幸いに20分ぐらい並んでセキュリティ通過したのだが、いつものようにお気楽に行っていたら、込み合う時間帯でやばかったかに想像された)あら、気が付いたら、もう4時じゃん、明日11時前に起きたら、もう飯食って帰るよ、今から寝るまで読書するよ、優雅な休日だよ。帰りに出入り口でタクシー頼んだら、にいちゃんが、「何日いたの?」って聞いてきたから「1日だよ」というと、「何で」とまた聞かれたので、その質問には答えず、「毎年、3,4回来ているよ、このまえ、10月に来たよ」というと、「知ってるよ、君、よく見るよ」だってさ。よくもまあ適当なこというよ。 2017.2グアム3カ月ブリノグアム1。3か月ぶりのグアム2。グアム バカ騒ぎ。グアム あまり画像。
2017.02.13
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ホテルを出てから、ぶらぶら2時間歩き、オープン時間10分前に到着すると、まだ誰もおらず、通りを1周して戻ってくると20人ぐらい並んでいて、え、みんな蝋人形好きなの?変なの、と思ったが、複合施設で3つの施設のうちのひとつがWAXミュージアムなのであった。そして開園時間になっても開かず、10分ぐらい待たされるのであった。ミュゼオセラ、堂々の100メキシコペソである。んー、500円。ミスユニバースがお迎えである、メキシコ代表かな。ナバレッテさんとのこと。意外と弱い蝙蝠男。白人或いは白皮病。ダニエルも1989年生まれだからねえ。もうすぐ中年に突入とは・・・光陰矢野如し。ジアスティンバービーちゃん人形ラジオガガ、なかなか似てない感じがいいね。耳千切りの人、隣人に欲しくない。ヲンナタラシロナウジージャより弓の人気になるなあ。この前、動物柄サルバドールフェラガモのネクタイ貰った。舌長い人、キッス楽しいだろうねえ。世界一のお金持ち。似てなくもない。モハンダス・カラムチャンド。マハトマとは「偉大な魂」ちょとえっちなアルベルト。学生時代チベットに行ったとき、ほんま、ダライラマのプロマイドを現地の人、子供たちにないかどうかせがまれたなあ、知ってたら沢山持って行ったのに。禁止されたてんだろうなあ。子供が追いかけてくると思ったら、ダライラマダライラマフォトフォトと言われて何だか心苦しかったなあ。アッポー。こういう人と仕事はしたくない、多分誰もがそう思う気がする。レオナルドデカプリオジョコンダ。フランスじゃあ、あの絵のことをジョコンダっていうらしいね。モナリザではなく。シングルとアルバムの総売り上げは、ビージーズやRストーンズ、Pフロイドを上回る。2014年結婚(同性と)。もっと悪魔チックな顔してなかったかな。現南米初教皇【2016年2月15日 AFP】2005年に死去したローマ法王の故ヨハネ・パウロ2世(John Paul II)が、既婚女性と30年以上にわたり親密な関係をもっていたことを示唆する手紙に焦点を当てたドキュメンタリー番組が15日、英BBC放送によって放映される。 相手とされる女性は、ポーランド生まれの哲学者で作家のアンナテレサ・ティミエニエッカ(Anna-Teresa Tymieniecka)さん。番組では、法王がカトリック教会の聖職者に課される独身制に背いたとは主張していない。だが、相手の女性に宛てた法王の手紙からは、2人の間の親密な雰囲気がうかがえるとBBCは述べている。 2人は休暇にキャンプやスキー、散策などを一緒に楽しむ仲だった。「親愛なるテレサ」と始まる1976年9月の手紙では、法王がティミエニエッカさんのことを「神からの贈り物」と表現し「あなたは苦しみについて書いたが、その言葉に対し、私は答えを見出せない」と書いている。 ドキュメンタリーを制作したBBCのシニア・ジャーナリスト、エドワード・ストートン(Edward Stourton)氏によれば、ポーランド国立図書館から発見された書簡は350通以上に上り、日付は1973年から2005年に法王が死去する数か月前にまで至るという。同氏は「友人以上、恋人未満の関係と言えるのではないか」と述べた。 さらにストートン氏は「これらの手紙から現れた非常に興味深いストーリーの一つは、感情と哲学的な考えが混じり合った非常に緊密な関係に違いないものを、キリスト教徒にふさわしい信仰の範囲内に抑え込もうとした闘いの物語だ」と語った。 ドキュメンタリーに登場するのは、ヨハネ・パウロ2世が送った書簡だけで、2014年に死去したティミエニエッカさんが送った書簡は登場しない。(c)AFPまざー?オバマン(バニーソエトロ)。アンゲラ。東ドイツ育ち。統一ドイツ国のトップ、図分減ったような。ウラジミールプチオ。クリル(北方領土)が動くとしたら大統領再選後、3年後以降だね。終身大統領チャベスチャベスの子分ロンリーチャップリンだわ。随分違うように見えるタイガーウッズ、やっぱ、あの事件からからかな。ウサインボルト、随分にやけてて、世界最速の男には見えなくなっちゃってるね。オーランドマドンナ、やっぱどこか違うよね。 2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.12
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短い人生、だいたいが追いつかない。だらだらするのが仕事だが、いやだらだらいきているから、やりたいことが多すぎておいつかない、まあ、経済的な問題もあるけど、だらだら暇つぶしする人生になかなか追いつかない。賞味期限キレお菓子。電気アンカ。有料で購入したエールフランスのポストカード。ビール軍団。宮古島観光冊子。マダムタッソー東京観光冊子。コーヒー、まーぼーどうふ、レモンシャンプー。タイ、ジムトンプソンネクタイ入っていた袋、テッシュ。マフラー免税店の袋、パイプ椅子。台湾有名店の神戸支店で、小籠包を食し、美味かった。最後のてっぺんだけが何となく火の通りが悪かったのは愛嬌だ。贅沢な人生を送ってきたが、考えれば、良かったのは家庭も裕福ではないが、金に困っていなくて、私自身も、まあ一時的には何度もあったが、基本的に金に困ったことがない人生を送れてきたことが、多分良かった。老後は知らんけど。金に揉まt困ると、まあ、社会にひがむ。そういう人が上に立つと、悪さしてしまう。かといって金の痛みを知らない人が上に立つと、また人の気持ち分からない悪政をしてしまうののではないか。知らんけど。例、貧乏からのし上がった舛添、もともと金持ちだったトランプ。エアコンのリモコン。トイレットペーパー。サイパン観光案内冊子。釜山観光冊子、バクー(アゼルバイジャン)のハマム冊子。神戸信用金庫の袋。コネクタ。マッチ、タイのヤードム、シャンペンふた、引き出物の入っていたインターコンチの袋。買った本の半分しか読めてない、でもやめられない止まらい、カパエビセン状態である。洗濯物Tシャツ。練りからし、キシナウ(モルドバ)のホテル、乾いてしまったグアムのJCBウエットテッシュ、シンガポールLRT,MRTチケット。印鑑証明、数珠、パクチー茶、ジャム、チーズクリーム、イカのアヒージョ。ワンカップ、普通のいりごま、沖縄島とうがらし、チェコのブドワイザーレストランで買ったビールグラス。デルフトで購入したデフルト焼きのコップも、今や関西風ネギ成長剤。
2017.02.11
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高校の時に習った記憶は曖昧となり、大きなアンコールトムの中にアンコールワットが存在するものだと思っていた。そして、アンコールワットよりかなり巨大であると思っていたのだが、アンコールワットと少し離れたところにあり、アンコールトムの堀に囲まれた敷地自体は、アンコールワットの何倍もあるのだが、建物自体はそういう訳ではなく、中心部に割と集まっているといった感じである。その中心にあるのがバイヨン。美しい塔という意味である。やがて、トゥクトゥクは遂にアンコールトムに入ることになった。それは勝利の門であり、やっと来たかオマエという感じであった。どう考えても、私は、死ぬまでに一度はアンコール遺跡に行くことになっていたのである。いつ行くか、実は、いつでも行けるから行かなかったのである、あ、オーストラリアやニュージーランドと同じね。いつでもいけるよ、いつ行くねん、死ぬまでにな、ということである。勝利の門をくぐり、アンコールトムに入るが、また森の中となった。暫く走りやがて中心部バイヨンに到着。回廊。考えると、アンコールワット、アンコールトム、バイヨン、この3つしかアンコールのことは知らなかったが、多くの人はそうではないだろうか。それで何か分かったか、というと、勿論分からない。深い森の中で、こんなとんでもないものがあることが凄い。ただ、人が多いので、それを感じないが、昔、ボロボドゥールではそう感じた。1980年代、あんな行きにくいところに行く外人は珍しいとうか、ほとんど外人がおらず、入場料も10円ぐらいで、大きいお札を出すと、お釣りがないから、入れ入れ、と言われて入ったなあ。これは、トイレだろうか。考えれば、ロサンゼルスでこんなこともあったなあ。後ろに税関に並んだじいさんに、是非アンコールに行けと。ロサンゼルスの空港でイミグレ待ちをしていた。アメリカでもここは特に入国に時間のかかる町である。それでも、飛行機を一番に降りたので、即効で、前便のオーストラリアから来た人々の後に並んだ。うしろに並んだのも、台湾在住の職業不明の日本人で、エクアドルに乗り継ぐらしいじいさんであった。じいさんは、1番に飛行機を降りた私に興味を持ったようであり、何だか話をしたがっていたみたいであった。ついに我慢できず、話してきたのだが、何故だか、私のことを勝手に世界トラベラーと思ったらしく、いきなり、世界中でどこが一番面白かったかと声をかけてきた。おじさんとは並んでいる1時間あまりを話していたが、結局、アンコールワットが良かった、是非行ってみてくれと言われた。何となく、今からロスでレンタカーを借りるという意味不明のじいさんの言葉にリアリティがあった。いつか行くけど、行ってみようと思った。ただ、じいさんは、朝日を見ろと言っていたがね。あの言説から8年後に来ました。いや、アジアだからいつでも行けるからなあ、今回もどうしようかなって思ったけど、また思い立ったから、そのまま行こうと思った、またしょぼんだら何年後に行くか分からないからね。人面を塔の中からみたところ。このあたりが、行けるてっぺんあたり。顔は多様であった。とにかく、Can't take my eyes off you! 遂にアンコールワットへカンボジア行。カンボジアgourmetの旅。シェムリアップの夜。ホテルからタ・プローム1。タ・プローム2。トマノン寺院とチャウ・サイ・テヴォーダ寺院、チャウ・サイ・テヴォーダ、タケオアンコールトム。バイヨン、バブーオン、象のテラス、ビミアナカス、ライ王のテラス。アンコールトム→アンコールワット。アンコールワット拝観2時間。アンコールワット外伝。地雷を踏んだらサヨウナラ。帰国。
2017.02.10
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教えてくれ、謙虚さを忘れている。教えてください。居心地の悪さが成長の過程ですか、居心地の良さは堕落ですか。早速前に来た店に来て、皆が店主と話しているうちに勝手に地下に降りていく。目的は、前に座った席にもっかい座る。その一点集中攻撃だ。 ごめん、居心地が良い。ちょっと文句があるとすれば、肌寒いってこと。贅沢な悩みよ。この席に座ったの2年前、いつまでもぼーっとしていたい、そんな気分になった。(今回は残念ながら寒くなってきた)もうこのまま終わってもいいよ、という気にもなった。トイレもすぐそこにある心地良さ。これは大変重要なことである。生まれながらにして膀胱狭めという訳ではないのだが、常に移動中は、トイレを気にする。そうすると、ビールも自由に飲めるという幸せである。どんどんバンコクのプロレタリアート、利尿せよ。昔、学生時代は、ビーチのテラスなんかでそんな脳を溶かす快楽時期を過ごし、朝起きるか、あれ?夕方?え、夜中の2時?まあそういう繰り返しで、すっかり駄目な人になった。そういえば、小中学校の同級生の友達、彼の彼女と3人で飲みにいったし、結婚式にも出席したけど、なんだかその後、転勤になって、一度遊びに行くよ彼女も呼びなよ、というと、まあ実は〇〇という病気になってな、トイレにすぐ行かないといけない病気でな、ずっと家にいるんだよ、という返事だった。その後音沙汰無しになってしまったが、どうなったんだろうか。彼自身大手製薬会社だけど。その結婚式の案内、あの頃は、電話の時代だったからな、彼が自宅に電話してオカンが会社の電話番号教えて、本社に電話して、俺のいるところ教えてもらって、会社に電話かかってきた。結婚するからよ、来てくれと。そういえば、小学5年の春休みに野球していて、溝にはまり骨が見えたが、そのぐらい肉がえぐれ、一番近い彼の家に連絡を彼がとってくれ、母がやってきて、私を負ぶってくれて、そして一緒にタクシー乗って外科に行った。私を負ぶってくれた他人は彼の母だけである。もう俺小学6年になるんだけど恥ずかしい、という気分でいっぱいだったが、病院で7針縫った。隣にいた中学生らしい女の子も同じくらい縫ってて、縫った医者が、2人ともミミズが10センチも這っているな、はっははと笑った。その夜、麻酔が切れ、痛くてたまらなかった。(大学を卒業するころには何故か理由は不問だが麻酔の耐性が随分できていて、胃カメラなんかでも、もっと麻酔を!と訴えるぐらいに成長した)彼の父親も、小学生時代なんかは、いろいろ仕事してすごいなあ、今回は居酒屋始めたんかあ、凄いなあ、うちなんかずっと同じ会社やわ、と思っていた。大学時代、彼がおいでよというので、居酒屋に行くと、親父は勝手にどんどんいろいろ作ってくれて、代金を受け取らなくて困った記憶もある。後日、彼は、親父何事も長続きしなくてな、居酒屋?ああ、あれな、あんなん調理の勉強もしたことない素人料理や。と何か寂しそうに話した。九分への1本道は混雑。1台のバスが道を塞いでいた。寒くなったので、もう出るか。映画館。非情城市はここが舞台。この映画1989年封切により、徐々に観光地として咲き始めたのであった。戒厳令が解けたころだものなあ、李登輝がでてきて。2・28事件を舞台にしたものだ。特に2001年以降は千と千尋の舞台と誰が言い出したのか、勘違いからガイドブックにも紹介され、有名になってきたようである。人生50年、人間50ねーん。
2017.02.09
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明太パークは、まあそんなに遠くない、三田市にある。簡単にいえば、有馬温泉チェックアウトして向かったのである。やばい、翌日危うく休みの日だった。後ろから、ヤバイバスがやって来た。乗っている。広大な駐車場に現れる。明太子が何故兵庫県に。ところっで、ニュースは、トランプ一色な感じだが、よくよく見ると、日本より三権分立、地方分権(まあ、向うは州だけど)が、割とワークしている面が見られるって感じでもあるねえ。7か国の奴ら入れるな、って大統領令出しても、地方の州が、それちと違うんじゃないの、ちょとまちな、でストップさせて、トランプが提訴じゃあほか、といっても、じゃあ、ちょと話聞くからみたいになってて、ちゃんとビザやグリーンカード持っている七か国の人は問題なく入国できるように戻っているわけだが、この辺は日本と違うというわけだね。日本がアスプレイを沖縄に配備、とかいいよっていっても、沖縄がダメ、とかもっと日本全体にアメリカの基地分散させてよ、とか言い出したら、一旦ストップするってな感じでしょ?それに、政府が決めたことを裁判所が有効に止めるってこともないし、大統領は凄い権限もっている割にはそう簡単に好き勝手できないんだねえ。スケトウダラスープ(プゴク)で二日酔い治したい。コミュニケーションって、左はセイコウで、右はケンカ。明太パークとは、明太子に関する様々な知識を楽しく学び、明太子の製造過程を学び、真似して作る、作れない人は直売会で買って帰るテーマパークのことなのだ。明太子を100倍ぐらいにするとこんな感じ。混じり物もある。氷川きよしのめんたいこの曲が流れる。足が生えているのか?しかし、辛いからねえ、そんなに沢山食べられるわけではないのよねえ。俺には、全部、赤いうんちに見えるぜ。タラコン博士がお送りしました。ラブハート(NAZARETH)。
2017.02.08
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昼食を終えて、あの信号を超えると、前回と同じはずだ、声をかけてくる奴がいるはずだ。しかし、信号を待っているうちに、愛想のよい怪しいおじさんに声をかけられた。お、早いな、おもろいな。いくら、まあ、乗るよ、ということである。行きも帰りもでお願いし、ディスカウントを誘い出す。40分程度で坂に入っていく。それにしても、1980年代の台湾、戒厳令が解かれたころから、本当に台湾変わった、というか、2回目に行ったのは、2001年か2年ころだったから、昔の面影もなかったような気がする。この頃、2.28事件をまともに取り上げた映画を皮切に、九分は観光地化の1歩を踏み出したのであったようだ。1990年代後半、まだダイヤルアップでネットを接続していた頃、長期旅行の人が集まるメーリングリストmlに参加していた。メールの送受信は当然その頃は、1日1回であり、あの頃、東京に1年間出張していたので、アクセスポイントにつなげに行くため、夜な夜な、パソコンもって、1階の公衆電話に行き、モジュラーにつなげていたなあ。今も緑の公衆電話にジャックついているのかなあ。ま、さすがに、あのときプッシュホンだったが、ダイヤル回してって何だ、ダイヤル?みたいな感じになりつつあったが、今や、携帯電話に示された電話の持つ手のアイコン(イラスト)見て、何ですか、このマークは?みたいになってくるのかも知れない。まあ、それは、置いといて、そうやっていろんな国に行った情報を交換していたのだが、管理人がイエメンに行って、そのまま事故で亡くなられて、そのメーリングリストってのは終わった感じになったんだなあ。1人がその他グループ多数に同時送信するシステム、まあ、ラインにもあるが、メーリングリストに入ったのは、この1990年代後半一回だけだなあ。それで割と皆さん、時々飲み会してて、東京や大阪で開かれていたけど、ずっと参加することなく、1回俺が主催でやってみるか、と、皆さん会いましょうとメールを送った次のメールが主催者の訃報メールであり、そのまま開催どころか、退会につながっていったのであった。そういえば、掲示板と違い、管理者の審査が参加条件で実名だったなあ。まあ、常時接続となってからはMLは下火になってbbsがメインになっていったんだねえ。すっかり全員名前は忘れたけど、皆さん元気ですかね。特にオランダに造詣が深かった、すぐオランダに修行に行ってた人元気かなあ。俳人に、いや廃人になってなかったらいいけどね。あれ、台湾と何の関係があったかな、忘れちまった。とにかく、生き残る! 2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.07
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あ月が出た出た~と歌いながら三池炭鉱のひとつ、宮原坑に到着した。それにしても、日本の栄華を誇った三池炭鉱、日本一の産出量、そのイメージとしては、駅とか港に向かって、ドドーン、と大きな道が通り、広大な敷地がバシーンと広がっているのである!であったが、いやあ、行くには細い細い道、対向車来るなよ、このレンタカー保険かけてないのだからね、今日はレンタカー格安2,000円なのだからね、と思いながら、櫓が見えて、到着、あれ、これだけ?という感じであった。ただ、駐車場は、やたら広く、降りて、まずは列車型トイレである。列車で石炭を運んでいたのである。その線路も、ま、世界遺産ですよ、とのことである。入っていくと、じゃあ、ガイドするね、と陽気なオジサンが付き添ってきてくれた。ガイドさん「どこから来られましたか」私「神戸です」ガイドさん「おお、三ノ宮ですか?私も東大阪に住んでましたよ、十三、神戸でしたか?」私「十三は大阪です、飲みにってたんですね」ガイドさん「よく遊びに行きましたよ、あと六甲山にもよく行きました。」私「ああ、私、六甲山に住んでます(なんでやねん)」ガイドさん「今残っているのは第一櫓だけです」私「いやー、世界のミイケですから、広大な敷地かと思ってましたよ、これだけなんですね」ガイドさん「三池炭鉱は、総称で9つの坑がありまして。ここも、昔は広かったんですけど、ご覧のとおり宅地として売り払って戸建てが建っているんですね。だからここと、この横の芝生だけで、地下にいろいろ埋まっています」私「そういうことなんですね。戸建てでしたら、杭打つわけじゃないので、地下にいろいろ埋まっていてもいいですものね」ガイドさん「石炭を掘ると、その10倍の水が出るんですよ、そこでイギリスからデビーポンプというのを技師と共に輸入したのですよ、今はないですが、一面だけ壁が残っています。ガイドさん「このレンガの積み方見てください。イギリス積みです。日本では、富岡製糸場みたいにフランス積みですね」私「世界遺産対抗してんですね、どっちが強度が良いんですかって質問よく出るのではないですか。形式美の違いだと覆いますけどねえ。」(10cc の I'm not in Love が意味なく頭を流れる)ガイドさん「そうなんですよ、どっちも同じですと答えますよ。三池炭鉱は官営で始まり、お金が続かなくなって三井に現在のお金で〇〇〇百万円(忘れた)で払い下げられたんですよ。初代の社長は団琢磨です、知ってますか」私「ん、劇作家、いや作曲家・・・」ガイドさん「それ、イクマさん、孫じゃないすか。ははは。三井の総帥ですよ」私「あー、岩倉使節団のアメリカ留学組に入ってましたよね」(日本の国家指導者が当時退去して2年間日本を留守にしたのだからねえすごいよねえ。大学1年のゼミで論文書いたわ、ってこと思い出した)ガイドさん「それで、ここに集められたのが集治監(一発変換しない!)のひとなんですよ。知ってますか集治監?」私「刑務所ですね。北海道に多かったですよね。」ガイドさん「網走!それでそのひとたちは、修羅坑っていわれてたんですよ」私「そら、またひどい言い方ですなあ」ガイドさん「昔は、公害問題も何もなかったから、出た水はそのまま、汲みだして有明海に流してました」私「ああ、でも、単に水が出ただけ何で、公害物質はなかったですよねえ」ガイドさん「なかったんじゃないですか。でも川にむき出しで流してましたね」ガイドさん「これリベットで組み合わせているんですよ、エッフェル塔も同じです。リベット知ってますか」私「中学の時に、リベットでチリトリを作らされましたよ、懐かしいですね」ガイドさん「服着てますけど普段は裸ですね」私「そうでしたね(考えたら、俺も、最高峰の三池に来るまでに随分炭鉱を訪ねたような気がするが、大抵は、櫓系ではなく、地下潜り系だったなあ)ガイドさん「ところで、熊本城とかいかれましたか」私「うーん、以前来た時に行ったと思います」ガイドさん「そうですか、今回はどこに行かれましたか」私「ん、まあ、その気になったらいつでも来ますから・・・ははは(返事になってませんな)」ガイドさん「昔は木製でしたよ、これ最新型ですね」ガイドさん「ぼた山って知ってますか、ここは、全部、埋め立てたからボタないんですよ。」私「ああ、余り土ですね、五木寛之の青春の門とか思い出します」ガイドさん「土を掘りだしたものは石炭かそれ以外つまりボタですね。九州の内陸部ではいっぱいありますね。もっていくところがなかったからですね」ガイドさん「最近の若い人はダイヤルわからないからねえ。」私「しかし、巻き式の電話は私も見たことないですねえ。ダイヤル回した手を止めたって歌詞の意味も分からないらしいすね」ガイドさん「あ、万田坑行かれましたか、あそこは有料ですからねえ。ここは無料です。」私「はあ。(えらく対抗心燃やしているなあ)」ガイドさん「それにしても、実は、長い間、ここもほったらかしで散らかってたんですけど、世界遺産準備って、もう急いで整備したんですよ」私「そういうことですね、でも、ここに設計図書みたいなの、紙がポーンと置かれてますけど・・・ははは、すごいデカいボルトですね。」ガイドさん「工場閉鎖されたら、近所の子供たちが櫓に上ってたんですよね」私「私が子供だったら、必ず登ってます」ガイドさん「休憩所です」私「あ、ストーブだ」ガイドさん「何で暖めていたか分かりますか」私「え、そりゃ石炭ストーブでしょ」ガイドさん「この質問よくするんですよ、皆さん、ガスとか電気とかいうんですよ。ここはどこでしたか、って聞きなおすんです」私「いい質問ですなあ」ガイドさん「これが地下に行くエレベーターです。20人乗っていたそうです」私「レールもあるから、石炭積む台車もですよねえ」ガイドさん「そうです、キツキツです」ガイドさん「良く揺れて岩盤にぶつかるので、木で枠を作って囲ったのです」ガイドさん「ボルトは新しいでしょ、昔は、その横にあるように木枠をうまく組み合わせていたんですよ」私「あ、ほんとだ」ガイドさん「この木は何でしょうか、奥は柿なんですよ」私「梅ですか」ガイドさん「それにしても世界遺産になってもちっとも景気良くなりません」私「そりゃそうでしょ」ガイドさん「(ちょっとむっとして)何でですか」私「だって、無料じゃないですか・・・・」ガイドさん「ところどころ穴が開いているのは、やぱ戦時中、米軍からの砲撃があったからなんですよね」私「戦争前にここは閉山したって聞いたけど、いつ再開されるか分からなかったからとうことでしょうかねえ」ガイドさん「ありがとうございました。土産物とかコーギーとかあるので、ちょと見て行ってください」私「(無料だったから、ここでお金落とそうかな)はい」店の人「どこから来ましたか」私「神戸です、もう今日帰ります(今日来たんだけど)」店の人「熊本城とか行かれましたか」私「前に来た時に行ったような気がします」店の人「孫がこの前、姫路から帰ってきました」私「はあ。この訳の分からないシャレのカレー買います」受付のおばちゃん「どこから来ましたか」私「神戸です」受付のおばちゃん「遠いところからどうもです」私「こちらこそどうもありがとうございます」駐車場のおじさん「どこから来ましたか」私「神戸です」駐車場のおじさん「遠いところからどうもです」私「こちらこそどうもありがとうございます」車を走らせると、遊園地が似たような感じ。誰かのエッセイを思い出した。戦後の就職で、東大卒の彼は、三池炭鉱とどっかの自動車メーカーかなんかに。メーカーは、就職接待が質素だったが、これからの産業だとの熱意だけ、三池炭鉱はすごい接待で、月が出た出たの人たちもやってきて大宴会だったそうだ。彼は、将来を考え、メーカーにしたんだけど、あれどこで読んだんだろう。 2017.2熊本熊本行き。宮本武蔵五輪書熊本 三池炭鉱 万田坑。熊本 三池炭鉱 宮原坑。熊本 三池炭鉱。熊本 荒尾観音。熊本 荒尾 荒尾大師。
2017.02.06
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メキシコシティーのソカロから国立宮殿や多文化博物館あたりを歩ていく。Santa Teresa la Nueva Templo santa teresa la nueva斜めに飛出てオサレ。サントドミンゴ教会で、北に向かい道を外れると、人通りなくなる。中南米各国は中南米各国の通りがあるんだねえ。Parroquia de Santa Catarinaラグニージャ市場そして、暫く歩くとテキーラ博物館、ここでしこたまテキーラ飲んじゃるわ、と思ったら、まあ、閉まってたという感じの12月31日のマリアッチ。 2017年冬旅行 とか仕事帰りに台北へ桃園、蒋介石がいっぱい1桃園、蒋介石がいっぱい2台北→台中台中 バナナパラダイス台中→台北 宮原眼科キュフン再訪九分 城塞都市九分観光終了九分のなんだこれ9年ぶりの台北101台北で不動産購入検討士林夜市士林夜市の後小さな夜市に行ってみる感じ 師大夜市、公館夜市台北gourmetの旅台湾→アメリカ ロサンゼルス→メキシコ、グアナファトグアナファト朝グアナファト、モナミス1(ミイラ)グアナファト、モナミス2(ミイラ)グアナファト、丘でビール飲むグアナファト夜グアナファト夜2グアナファトgourmetグアナファト→メキシコシティメキシコシティ朝メキシコシティgourmetの旅メキシコシティ 蝋人形館1 メキシコシティ 蝋人形館2 メキシコシティ 蝋人形館3 メキシコシティ 蝋人形館4 メキシコシティ 蝋人形館5 メキシコシティ 蝋人形館6 メキシコシティに中南米の大都市通りがあるメキシコシティ ソカロメキシコシティ ソカロ周辺メキシコシティ ソカロ周辺2メキシコシティ国立人類学博物館1メキシコシティ国立人類学博物館2メキシコシティ国立人類学博物館3メキシコシティ国立人類学博物館4メキシコシティ国立人類学博物館52017年1月1日メキシコシティメキシコシティ→サンフランシスコ→関空
2017.02.05
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平日より早く起きて、野暮用で奈良に行った。午前も遅く用は終了して、次の野暮用で神戸に向かう。10年ほど前に阪神電車と近鉄電車がつながり奈良から1本で神戸に行けるようになったのだが、勿論、そんな大きな需要があるわけではない。通勤もないし、そないに観光に行くわけではない。京都には行くが、奈良には普通行かないというものだ。奈良から乗るとほとんど鶴橋やなんばで降りていき、そこから尼崎までの間に人の昇降があり、尼崎でまた乗り降りがあるという感じで、ぶっとうしで1時間以上乗っている人は奇特な人はごく一部である。今日はごく一部の人となっている。松尾ビルには、よく昔通った。戦前(大正時代)の建物であり、今は有形文化財になっている。蛇腹式の手動式エレベーターがあったな。この横には昔、三越があって、神戸の中心地であった。去年までファミリアもあったが、これもついに売られてしまったんだな。117年で石の建物は終わったんだねえ。なんか、よくわからないが、オカンも時々、セーターだか編み物だったかを卸しにいってたけど、あれなんだったんだろう。車でちょっと待っててといいながら多分、2,3着持って行ってたねえ。モトコーといえば、まあ、中学生の頃は行けばからまれるところであったよな。今度行くかなオカダさん、1日1組だっけ。ああ、3組かもね。肉屋がやっている。ようわからないが、自分が育ったからかもしれないが、100万人都市、というのが身体に合う感じだ。100万人というのは、中心地はぎりぎり歩き回れる規模であり、賑やかであり、住みやすいんじゃないか、と贔屓目に思うのである。小学生時代、神戸は経済的には輝いていたんだなあ、神戸港がコンテナ取扱量が世界一になったり、ポートアイランドを山から削って埋め立てて造って神戸株式会社と言われたり、ポートピア81が成功し意味のない博覧会の先駆けになったり、NHK風見鶏で更に有名になり、まあ、全盛期だったんだなあと思うわ。確か、1989年か1990年の寒い日であった。東京から深夜ドリームバスに乗って神戸に帰った。当時は、アジア人がそう簡単に観光で日本に来ることはできなかった時代だ。神戸三宮に到着し、バスを降りようとすると、英語で話しかけられた。タイ人のおっさんだった。おっさんは、私が持っているタイの坊さんが持っている黄色いショルダーバッグを指さして、「これはタイの坊主しか持ってはいけないものだよ」といわれた。そして彼は、いい朝だ、といい、これからどうするのか聞くと、マクドナルドで安い朝食を終えたら、電車の下にある安い電気商品の買い付けに行くと言っていた。何度かそれはなんだとやりとりすると、モトコーのことだと分かった。わざわざ東京から来るのか?そもそもタイでモトコー(元町高架下)が有名なのか?そう思いながら握手して別れたのであった。熊本城ではなく、花隈城、地下は駐車場、何だか、良くわからない城跡、いや疑似石垣である、元町の駅前にあるにもかかわらず、上まで行ってたことは1度しかなく、それも30年ぐらい前であり、そこはただの公園であり、その夜、そこにはテントが張られていて、よくみると外国人カップルであった。当時はちょっかいだしである。缶ビールを買勝手にしこたま買ってきて戻り、どこから来たの?ウエルカムツージャパーン、であった。イスラエル人であった。じゃあ、楽しんでね日本、といったものの、電車もなくなって、その横のベンチで寝てしまった暖かい季節、金のないしかも明日の予定のない学生時代であった。移転となった丸玉食堂に突撃。よくよく考えたら20年か30年ぶりである。相変わらず、入り口にメニューのない老舗台湾料理である。まあ、豚足とか、ローメンとか、若いころに何度か食ったが、おお、麺は沖縄そばだったか・・・。何だか、野暮用後、随分歩いているが、考えたら加齢で体の部分部分は随分ぼろっちくなった感じはあるが、体力が落ちたという気はしない。多分、加齢で動かなくなるから、体力が落ちてくるのではないか、と思うのである。体使わないから眠くならないのである。運動はしないが、いつまでブラブラ歩いているんだよ、ということである。神戸名物。30年前には、丸玉食堂の近くにあった。
2017.02.04
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歴史的な市街地と近辺の銀山は世界遺産の街ではあるが、ロドリゲス監督デスペラードの撮影場所である。「ならずもの」である。メキシコならこの街に行ってみたいなと思っていた。人口約8万人。銀山に恵まれ、スペイン植民地時代のコロニアルカラフル建築で有名である。台北のホテルをチェックアウトしてちょうど24時間、もうお前はヘトヘトだろう?いやいや、よく眠れた、それに腹減った、夜の街を歩いてみて治安に問題なさそうなら、ズイズイ歩こう、というか、車内から見ると、問題なさそうだ。標高2000メートル、16度。台北と同じまま。服装も同じだが、薄手のダウンジャケットが少し熱い。人通りは多く、メキシコは危険といいながらも、ここはそうでもない。アカプルコ(リゾート地のくせに)とか、むっちゃこわいのはシウダーファレス。まあ、隣のアメリカのエルパソとはえらい違う。イダルゴ市場。なんだか、あちこちに合唱団がいて、歌いまくっている陽気さ。マリアッチ。ベレン教会地元民も観光客もわんさか、そぞろ歩いている。フォルマ公園バシリカ。バシリカとは、あちこちのカトリックの国で見られるが、ローマ教皇から一般教会よりランクが上(特権がある)と認められた教会のことをバシリカという。特に南米最古のエクアドルのバシリカはすごかった。 ラパス広場サンディエゴ教会、ファレス劇場。ラウニオン公園何だか、歩いているだけだったような気がする。ああ、何となく歩いているんだなあ、そういう感じだけで歩いている感じ。
2017.02.03
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トマノン寺院とチャウ・サイ・テヴォーダ寺院は、道を隔てて1対となるスーリヤヴァルマン2世(在位1113-1150年)の統治中に建てられたヒンドゥー教寺院のうちの1つであるとされている。アンコール・トムの勝利の門からおよそ500メートル東にあり、地元の解説によると、アンコールトムの原型になったとされているが、まあ、その辺はネットで見れて調べて欲しいところである。チャウ・サイ・テヴォーダ少し修復が安っぽく。タケウピラミッド型で登るのが大変な寺院、未完成。まあ、遺跡を巡るには歩くのは広大すぎるし、公共機関はないので、何か乗り物を個人や団体で手配しなければならない。それで無駄に時間と体力のある人は自転車を借りて回っているが、これは、普段サイクリングをしている人でないと厳しいんじゃないか、と思うほどであった。ビルマのパガンも同じである。もう街が遺跡なので、遺跡の入場料は空港出るときにとられるぐらいであったからねえ。カンボジアって昔、高校の教科書では、そこがカンボジアかどうかは別にして、このあたりを扶南といった。それから覚えているのが真臘だろう。真臘は、シャイレンドラ朝、、あの高校時代に習ったジャワ島ボロブドゥール寺院を造った王朝の支配下にはいったようであり、うわあ、結構距離あるよねえ、だ。関係あったか?それがアンコールに続くのか。まったく間違っているかもしれない。300年ぐらい時差があるからどうなんだろうか。そして、クメール朝である。 遂にアンコールワットへカンボジア行。カンボジアgourmetの旅。シェムリアップの夜。ホテルからタ・プローム1。タ・プローム2。トマノン寺院とチャウ・サイ・テヴォーダ寺院、チャウ・サイ・テヴォーダ、タケオアンコールトム。バイヨン、バブーオン、象のテラス、ビミアナカス、ライ王のテラス。アンコールトム→アンコールワット。アンコールワット拝観2時間。アンコールワット外伝。地雷を踏んだらサヨウナラ。帰国。
2017.02.02
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夜市に行きましょう、じゃあ、華西街観光夜市(龍山寺)にしましょうと、提案してみるが、何だか違うところに行くこととなった。「他の夜市と少し趣が違う華西街観光夜市、ヘビ料理や、スッポン料理が立ち並んでいる台北でもっとも古い夜市。かなり珍しい海産物のお店や、刺激的な女性下着の店、グロテスクな生き物達。水槽の中にたくさんおり、檻には巨大な蛇などが多い。 7時頃になると蛇のショーや生食いショーなど有。」という私のメモを皆さんに紹介するも、まあ、また今度行けばいいか。それで、タクシーに乗ってすぐの師大夜市に行くのであった。近いからという理由でやってきたが、おされな夜市ということであった(と知ったのは、今検索してみてだが)おしゃれだったかなあ・・・まあ、確かに大学が近くにあるということで、年齢層低かった感じはあったものの。その次に、またすぐそこから近くの公館夜市に移動だ。こちらも、日本の東大、台湾大学に近くにある。日本の帝国大学は、どこを指すのか、それは、東大・京大・阪大・北大・東北大・名古屋大・九州大、そして、京城大こと現在のソウル大学と台北帝国大こと現代の台湾大学の9つである。韓国は、そういった歴史も消したいのかソウル大学の母体を京城大にはしておらず新設大学としているが、台湾では、台湾大学の母体を台北帝国大としている。李登輝・陳水扁・馬英九・蔡英文4人の総統は、この大学出身である。勿論、台湾総統はヒューラーではなく、プレジデントと訳される。てかヒューラーはドイツ語だものね、イコールヒトラーだものね。
2017.02.01
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