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スールー諸島 早朝に夜行船でやって来たため、港で休んでいると、軍艦が停泊しており、やがて去って行った。マレーシア ボルネオ島ジャングル 早朝朝もやの中、河下り開始。中国 タクラカマン砂漠 西寧からチベットの入口ゴルムドまで24時間の列車、タクラカマンを横切て行く。クタ 夜中の4時頃ジャワ島からバスは到着し、荷物を持ったままクタビーチに向かい、浜辺で朝を待った。コサムイ 何泊目になるのか忘れたチャウエンビーチの夕方フィリピン スールー諸島バラーナス ガンジス 対岸の不毛の地。セブ島 モアルボアル 夜中に酒を持ち込み、フロートボートまで行き星を眺めながら飲む。タイ コサムイ島 「君には朝日を拝める部屋を与えよう」と主に言われ、朝、扉を開けると、朝日、ベッドに寝ころんだまま眺める。インド バラーナス ガンジス 雨季には対岸が水で水没。イラン イスファーン ハージュ橋の下にあるチャイ屋で水パイプをしながらハイとなる。マニラ湾 そういえば、90年代前半のフィリピンのピナツボ火山のせいで、日本でも夕日が暫く異常に綺麗な時期が続いたなあ。マンションの共用階段からふと見上げて感動したわ。インドネシア バリ島 クタ クタの夕日も大概見ものだ。インド タール砂漠 灼熱の1日がようやく終わり、これから冷える。
2017.10.31
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暴走脇道それて山の車は登りはじめる。東京湾観音が建つ南房総国定公園の大坪山(標高120m)からは東京湾を一望し、富士山や夕焼けなどを眺めを楽しむことができるはずであるが、あいにくの雨である。56メートルで頑張っている。体内巡りには300段の階段を上ることになるが、往復30分ともなれば、寝過ごした時間を取り戻すこともできないので、ここははしょることに決定。昭和36年にして1.2億の物件。浦島太郎さん写真入り飾り物が付いて、何だかウルトラの母のようである。やはり建築中がいいね。しかしまあ私も随分観音を見て回っているものだなあ。それにしても、先週まで上着来てなかったのに、今週から上着、今日なんかもうコートいるんじゃね、という感覚だった。秋ないんか? 2017年10月千葉へ木更津往復海に続く電柱、木更津市明治百年記念展望塔、富津市燈籠坂大師の切通しトンネル、富津市 圓鏡寺、富津市東京湾観音、富津市岩谷観音堂やぐら群、富津市鋸山日本寺、鋸南町1鋸山日本寺、鋸南町2
2017.10.30
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本日、買い物して1等温泉当たる旅行に挑戦したら、それも時間を計算し、5,000円以上の買い物レシートが必要で、1等を朝から出すと皆買い物しなくなるので、閉店2時間ぐらい前と予測、3列あるくじ引きに、案内の人は一番奥に、と言ったのが手前空いているのにおかしいと思い、真ん中に行き、そして見事、テッシュを当てた。すると後ろに並んだ人が温泉1等を当てた。がくっ。数千分の1に賭けた青春はあと一歩及ばずであった。山になって積もった資料を捨てることにして、写真に撮っておくことにした休憩コーナー。さて捨てよう
2017.10.29
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なんだったか、洞窟本を久しぶりに読んだら楽しかった。でも怖いなというのもあって、思い出したら確かに怖いんじゃないかと思い出した。といっても俺のケービング人生もまあ素人の域を出るはずもなくチョチョイである。思い出したが、チムニーって、両足を180度まではいかないが120度から150度ぐらい開いて両脇の石を両足で踏ん張って煙突のような穴を登っていくのであるが、まあ両足を壁につけて踏ん張っているのであるのだが、そういう態勢をとることが普段ないので、暫く登っていくと足がつった、足の付け根が。それでもつったからといって踏ん張った足を閉じると十メートル以上落下だ。足を突っ張っったまま、つっている部分をマッサージもできないので、パンチする。パンチしまくって、またパンチが強過ぎたら足が滑って下に落ちてしまうので、7割の力でつっている部分をパンチする。はっきりいって死ぬかと思った。寝てるときに時々こむらがえりになってふくらはぎがつつことが今でもたまにあるが、あれを足を揉まずに抑えずにパンチしまくる、それで抑えるしかない、そんな感じだなあ。そういえば、同じ場所ばかりつるのはつり癖がついてしまうのだなあ。つなぎでヘッドランプつけて、頭入ればあとは行けるぜ、って当時はそうだたけど、あ、今もまだ腹出てないな。今でもやれそうだな。頭入るだけの穴を数メートルくねくねさせながら進んだら、何十メートルもの高さ幅のあるホールに出るから不思議なものだったなあ。これは考えたら子供の時には怖かった。どこか忘れたが岡山だったかな、洞窟があって親父はどんどん入って行き、暗くて先は進めないわと戻ってきたが、子供の私は数メートルしか進めなかったな。勿論オカンも妹も一歩も入ろうとしなかったな。河内風穴も観光地の奥にババーンと広がっていたなあ。多分初めて行ったのはゴンボウゾネだったかもしれないな。ケービング、素人ながらそりゃ何だか興奮するものだったんだな。こちらはぼネルオ島ですが。
2017.10.28
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ごめん、昨日こういう市があることを知りました。まあ、一番はしまでいく。端に行く人おらん。風も雨もびゅんびゅん。君津市の新日鉄の工場が見えますな。君津市は旅先で知り合った人が住んでいたので、30年ぐらい前から知っている。車で君津市に入ったら、おお、あの人はここに住んでたんやなあ、とちょとだけ感慨深いというか、急に木更津市から君津市に入り、君津市って千葉県にあったんや、予定外で来てもたがなと思ったわけよ。ちなみに、東京湾と大阪湾どっちが広いねん、それは大阪湾だ。断然広いかというとチョトだけ広い。ただ東京湾は浅いので、随分水量は違う。1.5倍ぐらい。明治百年記念展望塔、どこがどうの階段なんや。明治百年とは昭和46年のことのようだ。万博の翌年か。ところで、昨日、会社の前にある銀行に行こうと会社を出たら、15年ぶりぐらいに、新入社員同期とばったり出会った。この近くで会社をいくつか経営していた。こいつは将来社長業やるやろなと思っていたら、やっぱり社長になっていた。特に仲が良かった訳ではないのだが、彼女がすぐ近くに住んでおり、夜に家に泊まりに来たり、彼が入院していたらスエット上下を買って持って行ったりした。長い入院では動きやすい着替えが喜ばれるかもなと思った次第である。やがて彼は会社を辞めていったなあ。優秀な奴から辞めるからな。何だか、彼は、お前も独特の雰囲気になったなあ、とえらい懐かしそうな顔をしていた。ゆっくり話でもしたかったが、ちょと忙しかったので、またな、と早々に会社に引き上げたのであった。昭和46年の話ではなく、昨日の話である。 2017年10月千葉へ木更津往復海に続く電柱、木更津市明治百年記念展望塔、富津市燈籠坂大師の切通しトンネル、富津市 圓鏡寺、富津市東京湾観音、富津市岩谷観音堂やぐら群、富津市鋸山日本寺、鋸南町1鋸山日本寺、鋸南町2
2017.10.27
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以前、長部田海床路(熊本県宇土市)でも行っているが、今度は関東である。千葉県木更津市牛込1434−3 0438-41-1341 牛込海岸潮干狩場千葉県木更津市久津間2265−3 0438-41-2696 久津間海岸潮干狩り場千葉県木更津市江川 0438-41-1960 江川海岸潮干狩場といった潮干狩り場で見られる、つまり、潮干狩り用の電柱かと思われる。まあ、そんな訳で電柱は海にはいっていく。誰も潮干狩りしてないなあ。ま、次行くか。 2017年10月千葉へ木更津往復海に続く電柱、木更津市明治百年記念展望塔、富津市燈籠坂大師の切通しトンネル、富津市 圓鏡寺、富津市東京湾観音、富津市岩谷観音堂やぐら群、富津市鋸山日本寺、鋸南町1鋸山日本寺、鋸南町2
2017.10.26
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起床予定時間を大幅に寝過ごし、90分遅れに起き、飛行機も90分後の飛行機に変更となった。羽田でレンタカーか、木更津まで行ってレンタカーか、あの東京湾を渡るうみほたる橋が結構高いので、木更津までバスで行き、そこからレンタルカーを借りることに決定、前日の2時にネットからレンタカー予約を入れ、到着時間を9時半としたが、レンタカー屋に到着したのは11時過ぎであり、「9時半と聞いていたものですから・・・と言われつつ、連絡すればよかったけど、ゴメンね」という気持ちになり、「返却時間も延ばされますか」といわれたものの、そちらはそのままでいいですよ、との返事をし、すみませんが傘貸して下さいと傘を借り、大雨の中出発である。関西では雨は降っていなかったが、関東では降っており、バスが到着した木更津駅から200メートルぐらいのところにあるレンタカー屋だけのために傘買うか迷ったが、ここは堂々の濡れ状態である。しかし、木更津、勿論通過したことしかないし、映画でしかその地名を知らないのであった。キャッツアイね。駅前も少し寂し気で、ちょうど高校生の帰り時間でもあって、ああ、そうだ、関東以北の女の子のスカートの丈短いよねえ、と当たり前のことを思い出した。関西は膝下当たり前やからな。とにかく、90分を取り返すために房総半島を暴走するしかなかった1日であった。羽田空港に到着し、ぎりぎり18時に乗る時間に到着しなかったので、70分ぐらい時間が出来た。それで外に出てみると、ああ、そうだった、忘れてたけど、飛行機うるさいねえ。そんな訳で、羽田限定のズンダシェイクラテを飲む。あれ?ラテの味は?あ、底の方に溜まってた。だから定員のおねえさんは、ようかき混ぜてね!といった訳か。暴走ジジイなんで言うこと聞かない。いや聞けない。行きもでもあったが、政府が素行調査をやっていて、乗る人全員に配り、そして乗務員が回収して回った。すっかり、渡すの忘れて持って帰ってきてしまった。行きは、前ポケットに突っ込んで寝てしまったので書くことすらできなかったし。寝ながらも、音楽は長い夜とかシンディーローパー(オールスルーザナイト)とか今月は流れていた。共通点?ほら松山千春、遅延でいらいらしている乗客見て、歌歌ってたじゃん、シンディーもブエイノスアイレス空港に閉じ込められて、歌ってたよね。 2017年10月千葉へ木更津往復海に続く電柱、木更津市明治百年記念展望塔、富津市燈籠坂大師の切通しトンネル、富津市 圓鏡寺、富津市東京湾観音、富津市岩谷観音堂やぐら群、富津市鋸山日本寺、鋸南町1鋸山日本寺、鋸南町2
2017.10.25
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1985年、実はバタンガスに宿泊し、翌日港に行くと12時半に一日1便出航することが分かった。日本の船名ガペンキで消されて名前が書き換えられていた。大衆食堂で5ペソでビール飲んでいたが、当時は1ペソが確か15円ぐらいであった。(今は1ペソ2.2円)何か、オッサンらが皆、「チョトマテトモダチ」と声をかけてくれるが、用事はない。船は出航した後、途中小さな島に帰港(今考えたらそこに行くまで両脇に2島あったので、そこに寄ったのだろう)船では、コテジ経営者のおばちゃんと知り合い、そこに泊まることとした。2時間半でプエルトガレラに到着し、ジプニーに乗り換え20分。何故か、私の家にご飯食べに来なさいと、コテジ経営者のおばちゃんに言われ、スパゲティを頂く。併設したレストランはいいのだろうか、儲けにならないじゃん。当時はまだ電気が通ていなくて、バッテリーであったが、それでもディスコは2件あった。ディスコ名はサンセットと、24カラットであり、勿論踊らなくてもOKでひたすら飲みまくるのみ。2件目は何故か西洋人が勘定を払ってくれ、夜中となりビーチに寝転んで星を見ていた。朝起きると、蚊屋はあったものの、蚊にやられまくり手足がブクブクになっていた。キンカン持ってきたはずだが、どうやらザックに詰め忘れたようだ。テラスでボヤボヤしてリラックスしていると、物売りが代わるがわるやってくる。遠浅の海に入ると数メートルで珊瑚になるので、草履を履いて海に出なければならない。水中眼鏡で見ると、写真でしか見たことのない光景。それにしても、この草履生活が、今後の学生時代の5月から11月ころまでいつもビーチサンダル生活のきっかけとなったのであった)レストランは、暇で、いつ頼んでも30分から1時間出てくるまでかかる。ビールが何杯も空になってしまう。水代わりである。部屋の鍵なくして、砂浜探しまくったら出てきた。4日目に入ると、体の皮がむけ始めた。日本を離れて1年になるインド帰りの兄ちゃんとビーチで知り合い、次はインドだな、と思うのであった(半年後インドに行った)。毎朝近所の女の子が起こしに来てくれる。それで、その子が持ってくるマンゴーやバナナ何度を買い、買い物を頼んで、チップをあげたりしている。そういえば、当時はバリでもタイのビーチでもそうだったが、西洋人はまあ男女とも素っ裸で体を焼いていた。帰りは寝過ごし、船に間に合うジープの時間を逃したので、バンカでプエルトガレラ港まで行ってもらった。1,000円程度。7時半に畝は出発し、10時に到着、トライシクルに乗り、バス停まで行く。そのままタガイタイ行きバスに乗りたかったが、今日はないといわれ、マニラに行ったん戻ったのであった。結局、ここミンドロ島とタイのコサムイには卒業するまでに4,5回ずつ行くこととなった。気に入っていたんだなあ。働いてからプーケットには行ったがコサムイには行っていない。ミンドロは何度も書いている通り29年ぶり。初めて行った1985 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.24
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船が出るまでチェックアウトしてから2時間あったので、マッサージに1時間、それで船乗り場の前のレストランで船がやってくるまでビール飲みながら待ち。船が来るのが見えるわけだ、見えたら支払い、リーブだ。でも14時出発だが船が来たのは島タイムの14時半。ルソン島バタンガスからは正確に出発したんだけど、そういえば、行きも1時間で到着といいながら1時半ぐらいに到着していたなあ。帰りの船では、イルカがあちこちヒレを出しており、皆が騒いだ。しかし、ジャンプはしてなかったなあ。昔みたいに船に並行して泳いで欲しいなあ。予定より1時間ほど遅れてバタンガスに到着し、どこ行くどこ行く、でマニラ行きに案内され、またもや満席になるまで出発しないが、それでも座ったのは一番後ろだからあと3人ぐらい来たら、出発とおもいきや、次の船が到着してやって来たのが30分後ぐらいで、エアコン効いて寒い中待っていたわけ。帰りは、降りたいところで降りられるようで、何人かがマカティとかところどころで降りて行った。到着したら、あと1時間ぐらいで空港に向かわないと行けない時間なので、まあ、どっかでビール1,2杯飲んで空港向かうか。とりあえず、空港に一番近いLRTの駅まで行こう。タクシーに乗ったら高速道路使っていいか35ペソ80円ぐらいなので、いいよ、とのことであったが、10分~15分で到着100ペソ弱。アキノ父さん空港に到着した。ほんの数年前まではワーストエアポートに4年連続選ばれたマニラ、ニノイアキノ空港であったが、確かにもう汚くて、チェックインに1時間、イミグレ出国手続きに1時間、ついに出発時間10分前にやっとセキュリティを終えて、走ったわ。もっと昔は賄賂も横行、金払ったら早く入国できたし、トイレに入ったら掃除の人がチップよこせってのが前世紀の話だったな。やけに綺麗になったなあ。それが2年前、あれれ、スイスイスイーと通れたぞ。今回の帰りも、え、2時間前に到着して、3分でチェックインして、3分でイミグレ通過してしまい、あれ、出発まで1時間50分あるわ。となってしまったのであった。まあ、焦るより暇な方がましだけど。マニラ空港内は意外と安くビールがコンビニで買ったら飲めるのが嬉しい。グアムに到着、まあ3時間弱待ち。行きのバスより、少し高級になり、50円ぐらい高かったような気がする。何と5.75ドルのビール、高っ、頼んでもた。マニラグアム、グアム関空、同じ席であった。この時間、成田、大阪、福岡、名古屋、札幌行きなどが順次出発するので日本人で溢れる。おお、イグジットロウでアームは上がらなかったが楽だわ。充電もできたし。そんな訳で日本に向かう。ミンドロ島に向かうときにも観光税や港利用税とられ、ミンドロ島着いても環境税とられる。110円。サバンビーチは2社が運航、スケジュールだ。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.23
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それにしても、300メートルぐらい離れた選挙会場に向かたら、傘折れた、いや、今の傘優秀だな、直せた。直すのはいいけど、4回も直した。もう、もやもややわ。凄い風になってて、歩いている人、カッパで傘さしてないな、しかし、それでも選挙行く人おるねんな、マジメやな。まあ、俺は真面目を人間にしたようなものだけど。これは、電話してたら、自動的にライティングしてしまう癖。もう、今、ネットあるから、仕事と緊急以外ちーとも電話しない。
2017.10.22
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そういえば、ヤンゴンで火災になったホテル泊まったことあるよ、ミャンマーの最大都市ヤンゴン中心部にある高級ホテル「カンドージ・パレス・ホテル」で19日午前3時半(日本時間2017年10月19日午前6時)頃、火災が発生し、男性1人が死亡、2人が負傷した。それから明日の選挙と同時の国民審査もっと情報必要ではないか。約三十キロある荷物を担いでバンコクから飛んできた。慣れたふりをして、空港から少し出た所からバスに乗り、パサイ地区へ行く。以前、カエルの様な生活だ、と従兄弟に呆れられていた無職青年アリエルは、ミンダナオからワイフを連れてきて生活を始めていた。彼は無職のままだった。アリエルの新婚生活は、近くの家の階段下をベニアで仕切った三畳弱のスペースにベッドを入れて始まっていた。二人のいうままに私は泊まり込むことになった。着いて暫くした夕方四時、ラジカセのテープをセットした瞬間、床の上で不意に眠ってしまった。私は二つの髑髏に挟まれながら、海の中で必死でもがいている夢にうなされ喘いでいた。バックにクラプトンが流れている。不意に目覚め、時計を見ると、また四時だ。十二時間が一瞬に過ぎた午前、スプリングの悪そうなベッドを見ると、アリエルのワイフが涙を流しながら、「アイラブユー」を繰り返しつつ、彼の耳たぶを舐めていた。彼女に近くのレストランでウエイトレスをさせておいて、自分は夢だけを語っているだけの仕方のない野郎だなあ、と私は考えていたのだが、それでも彼女は彼のことが好きなのだな、と一瞬思ったが、「取り込み中に何なんだが、さっきクラプトンかけてた?」と尋ねた。その後、返ってくる見込み一パーセント以下のお金を、彼が企てたアンダーグランドの商売のために貸しつけると、彼、得意の悲し気な目をして微笑んだ。いまだ彼女の涙を覚えている。彼女はすぐ前のマブハイという店でウエイトレスとして働いていて、まあ、意味なく毎日私はビールを飲みにやってきて、飲んだ。家から仕事場まで30メートルぐらい。あの他人の家を勝手に入り、その階段下の部屋まで行く、何か不思議であったなあ。トイレやシャワーは当然その家の人のものを使わせてもらっていたよなあ。記憶ないなあ。荷物はそのまま預け、ディパック一つ担いで、ジプニーを乗り継ぎ、カローカン地区へ行く。以前、親しく話もしなかった日本帰りの髪の長いサリーの家に泊まり込むことになった。フィリピンでは彼女は無職のままであった。サリーは妹のダリーと彼女の父親不明の赤ん坊とバンド仲間の男役レズの子と、どう関係があるのか全く分からない小学生男女二人の六人で二部屋のアパートで暮らしていた。部屋で暇そうにしていると、サリーが「日本語読む?」といって手紙の束を見せてくれた。タガログ語か英語で書けばいいのに、彼女の読めない日本語は、どの人も文面がほとんど同じで、赤面する程稚拙な文章。姿は想像できる。部屋で暇そうにしていると、ダリーが「ちょっといい?」といって以前働いていた店の話をしだした。その店の女の子達の八割がシャブ中毒なのだという。彼女もそうだった。私とて、連日連夜の大量アルコール摂取で疑似肝炎状態になり、目が少し黄色くなってきたことは棚に上げて、彼女の何の楽しみもなさそうな陰りのある目を見て尋ねた。「君は君の人生が嫌で嫌でしょうがないのかい?」彼女はにっこり微笑んで、少しばかり口を尖がらせて「嫌よ」と答えた。そういう過程で彼女らの家に泊まったのか記憶がない。その前に泊まっていたカローカン地区の家庭から何故、よう知らない彼女らの部屋に泊まったのだろうか。もしかしたら彼女らは困窮していて、ちょっと家賃など援助してもらおうとしたのかも知れない。2部屋なのに、私は1部屋を与えられ、あとの6人はもう一部屋で寝ていたなあ。どんな家族構成やねん、と思いながらもとても正直な家庭かと思った。彼女らには言われなかったが、何度もなんどもあらゆるオジサンオカマたちにヘルプミーと言われ、とにかく家政婦として給料はいらないから連れってってくれと言われたなあ。私はタイの山岳で、つらい昼間の畑仕事の疲れや厭世観(?)を癒すために夜な夜な阿片に溺れる中毒者の老人達のことを思い出していた。彼らは、それを止めない限り、禁断症状はないので、多少の弊害があっても十分に生きていける。阿片なので、やり続けてそのままボロボロになっても、なかなか死んでいくということもない。そうやって一生を終えていく。私は上海で、ひとりの日本人高校生キヨシに出会ったことを思い出していた。初めての海外旅行で、一人という彼は上海に到着したとたんに不安で不安で仕方なかった様であった。私を日本人と認めるやいなや「兄貴、兄貴」といって離れない。日本で待つ彼女にはお土産に毛皮を買いたいとのたまい、私につきまとう上海オカマに対して「オカマは非常識だ」とのたまう彼であったが、私と別れる日に彼はいった。「実は、親父への反抗旅行なんです。親父はフィリピンで芸能斡旋業みたいなことをしていて、何だか不潔なんです。フィリピンに行ってみろと、何度も父親にいわれてるんですが、それを拒否して中国に来てみたんです。ここに来た理由なんて、上海バンスキングって映画見たからなんですよ。本当はどこでも良かったんです。フィリピン以外なら。うーん。兄貴のくれた西瓜うまいですねえ」そして彼は、どしゃ降りの雨の中、上海駅まで送ってくれて、また機会があればな、って別れたのに、一ヶ月後、日本人軍団と共にチベットにやってきた。「いやー。兄貴がチベット行くっていってたから、この連中説得してここまで来ましたよ。一週間もかかりましたよー」なんて、ちょっとかわいいことをいっていた。三年の音信不通の後、急に彼から電話があった。彼はすっかり落ち着いて、当時の幼い面影もなく開口一番「兄貴が、フィリピンいいぞー、っていってた理由が分かりました。僕も、ラテン系かも知れません。結局、父の仕事を引き継いでいるんですよ。面白いですよ」そうやって彼も一生を終えていくのかも知れない。私は、部屋に泊めてもらいながら食費と部屋代を支払っている私のことを思っていた。ダリーは女というよりも幼い母。職がない、父がいない、そして二十歳。サリーにも職がない、二人の小学生達の養育、そして二十三歳。私は結構な経済力を持ってして、ふしだらに出現し、この部屋で、明日空き瓶を返すからと約束して屋台で買ったビールを飲んでいる。違いは、と答えるなら、「国籍ですね」としかいいようがない。そうやって、しょぼくれて一生を終えてしまう私かも知れない。あのときは、好きなだけお金使ったらいいのに、と思った。でもこれだけ使わせてくださいね、といちいち報告してくる彼女らを非常に信頼できた。盗んだらいいのに。とも思った。だって、俺はもう日本に帰るだけだから。翌日、ディパックも置いて、手ぶらで、バスを乗り継ぎ、マカティ地区に行く。以前は、商業地区をぶらぶら歩いたものだが、今回は地区外れの簡易移動式遊園地兼賭博場を訪れ、そこの簡易掘っ立て小屋に泊めてもらうことになった。毎晩三時まで飲み、ビンゴー台の上で眠り、朝、それなりに起きても、手ぶらなのですることもなく、行き交う人を見ているだけだった。誰も、私のポケットに札束が入っていることなど、知らないと思う。時が経つことを、ただ黙々と待っている状態。道で暇そうにしていると、「シャワー浴びたらどう?」といわれ、どこにそんな所あるのかな、と思っていると、水一杯のバケツと一回分使用の石鹸を手渡された。そして、指示された二畳程の掘っ立て小屋に入ると、その四分の一程度つまり半畳分だけカーテン一枚で仕切られ、「じゃあ、ごゆっくり」といわれる。「床が腐ってしまうよ」というが「いつもやってるから大丈夫」といわれる。ためらうのは、実はそういったことではなく、残り四分の三、カーテン一枚越し三十センチ向こうにじいさんと若い女の子と子供がいるので、恥ずかしいのだ。結局、談笑が直接聞こえる中で、素っ裸の私はちょろちょろと水を流した後、カーテンを開けると子供を抱いた女の子が、罪のない笑顔で「気持ちよかった?」と問い掛けてきた。道で暇そうにしていると、賭けしよう、と誘われ、ビンゴー等をしていたが、何かのきっかけで、「リッチマン・プアーマン(大富豪)」を教える羽目になり、それが、賭け事となってゆく。結局、赤子の手を捻るように勝ってしまい、何だか誰がリッチマンでだれがそうでないのかが、凝縮されているようで気分が滅入ってきた。勝った金額分、酒に代えて皆で飲んだのだが、何となく居心地の悪い空気が流れた。いや、流れる方向を変えてしまった様な気がした。潮時だと思った。道で暇そうにしていると、誰かが私の仮面を見破ったのだろう。手招きし、近くの中産階級の家庭に連れていってくれ、シャワーを借りてくれた。おそらく、彼はシャワーを借りる際に、「日本人」という言葉を使ったに違いない。丁重にシャワーを借りた後、負け犬の様にこの地を去った。どういうことで掘立小屋に行ったんだろうか忘れた。今でも思い出すのは、2,3日いるともう大きいやつである。ここにいる人はどこでやっているのだろうか、もうかなり辛い状況になっていて、最後に民家でシャワー浴びさせてもらったときに、特大のものを出した記憶のみ有。カローカンに戻ると彼女達のお金は底をついていた。私は財布ごと渡し、好きなだけ使ってもいい、といっていた。彼女たちは、必要な金額しか抜き取っていなかった。パサイに戻って、アリエルに貸した金のことを尋ねると「皆におごって飲んでしまった」と、いって得意の悲しげな目をして微笑んだ。そして、次第に私も、悲しげな目をするコツを覚えていった。もう誰とも連絡先が分からなくなった。ただ感傷的なのだが、今でも感謝している。びんぼうごっこだったな・・・・所詮、悲しき熱帯 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.21
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当時でもチューブ高かったなあ。コンテ一本80円で買った。 ユーロスター乗った。キリトリ
2017.10.20
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ビッグララグナビーチの端まで歩いたら、腹が減ってることを思い出した。それでフライドライスにスペシャルでチキン頼んだら、チキンがスペシャル過ぎてビビる。そういえば、メニューに中国語も持ってきて、悲しいかな。ハポン、アコ(ボク、ニホンジン)と小さく答えた。宿に戻って、買ってきたビールをあける。このビールは前回来た時に見たが、アルコール度(6.9パーセント)が高い。まあ、フィリピンは9割がサンミゲル社で、これもこっそりサンミゲルである。もうすかり忘れたけど、フィリピンでデカい企業は電気などのインフラ系や銀行系だったと思うけど、このビール会社が1位だったなあ。まあ、30年前だけど。(今、ぐぐったら、やっぱ1位だわ)朝のコーヒーは、おや、11円の自動販売機?飲むわ。そうしたら、まあビールのんで、まあ、床にケース置いて、ビールをどんどん開けてケースに空瓶入れて行ったなあ。グラスには氷入れて割ってね。そういえば、昔、レストランでビールを会社の社長連中と飲んでいたら、ドンドンケースにビールがたまり、社長たちの目が酔いどれトローンとなり、全員がオカマと分かり、この状況ちょとやばいね、でも俺もベロンベロンね、ってことを思い出した。何であの人たちと飲んでたんだろう、多分、近くで飲んでて呼ばれたんだろうなあ。ビール飲みながら、ルソン島に戻る船が来るのを待っている。ビールもマンゴジュースもまあ同じ値段。んー、固形物24時間食ってないな・・・。今まで何度、1杯目のサンミゲルビールでンー、美味いといったことだろうか。それはフィリピンにいるからなんだなあ。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.19
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成田でシャワー浴びたらオマケについてきました。そろそろお伝の季節鍋の元みたいなのは最近200円台で売っているので、キノコ3種と白菜とキャベツと長ネギと豆腐をぶち込んだら、夜飯3日分となりけり。群馬ビール外食もしました家でも韓国弁当水この前、取引先の人のステーキ屋さんいくと、前菜からパスタからピザかサラダから何かと出てきて、肉に辿り着いた時は腹がいっぱいになり、半切れだけ食べてグロッキーして、もったいないことした。水麺前回から変わらないな
2017.10.18
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ハッキリ言って、18歳で世界の一旦を垣間見て、学生時代にナンチャッテになって、その後のダラシナイ人生が決定してしまったような気がする。その一歩が多分、このビーチだったんだろうなと思う。正直、懸命に受験勉強してきて、まあ、失敗したけど妥協して希望じゃない大学に入り、サンゴ礁見てイルカの並走見て、のんびり暮らす何も考えてなさそうな人見て、いや奥深くまでは見なかったけど、適当人生が始まったと思う。そう、適度に当てていくだけでいいか、ま、いっか、そんな感じの。若い前途ある皆さま真似しちゃだめだよ。これ見てないだろうけど。仮にも今はビーチ沿いの道は1メートルだが舗装されれて、嵩上げされている。 当時は、砂浜を固めた道であり、記憶では50センチ程ビーチから嵩上げされてた気がするんだなあ。悲しいことに、ボートバーに日本国旗がなかった。バーは名前は違うと思うが昔からボートバーあった。サバンビーチもぎっしり宿。昔はほぼなかった。船着き場の前昔の同じ場所、サバンビーチまでのバタンガス直行船着き場はなかたからねえ。確か90年ぐらいに行った頃は、山中にもバンガローができ始めていた。その前は海沿いにしか宿はなかった。流石に夕日だけは変わらない。夕刻から昔はテラスでぼやぼやしていて。3時間4時間たってもボトルの数だけ増えてボヤボヤしていて、ガキどもにチップあげてビール買いに行かせるだけ。そんで空き瓶に蝋燭立ててやっぱりぼやぼやしてて、夜中になる。朝から勝手に地元の老若男女が勝手にテラスでぼやぼやガヤガヤしていて、ノックされて「トイモイさん、まだ起きないの!」ってどやされる。この宿俺が借りているんだけどなあ・・・ま、いっか。それで、目の前にある雑貨屋まで歩いていく。まあ、写真を記念に撮ってみるものの、普段は、ビールね、あなた朝からビール!と彼女に毎日注意され、うなだれるのみ。すみません、でもビールエナジー下さい、ぼくホリデーなんです。それで昼間が過ぎ、やっぱりテラスに座っていて。日記も小学生となる。やがて座ったまま夕方になっていく。また1日過ぎてしまった・・・。今はさっぱり分からなかったが当時のサバンビーチは村と混在していたところが面白かったのだろうなと思う。とにかく数日で島民全員が私の名前を覚え、何だか、雑貨屋に行き、散髪もしに行き何だかおかしなことになってて逆に噂の人物というか暇なのであそこに泊まっているニッポンジン噂も絶え間なくあるようで、何をしてるか皆知っている。朝から夜中までテラスでボヤボヤしている奴がいることを。それで暇な村人(オカマ含む)が何故かテラスに遊びに来る。まあそんな毎日だったなあ。気持ちよくやる気なくすなあー。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.17
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家の奥底からこういったものが出てきたが、多分、おじいちゃんにもらったものかと思われる。但し、500円と1,000円は私が小学生の時に付け足したものである。戦争が昭和二十年に敗戦してから暫くの間、ゼニッコ作ったのかというと、材料がなく、アメリカ様からアルミニウムを恵んでもらったようだ。さすがに効果も大日本から日本に変更。それから戦時中軍が使用した、薬莢、弾帯等のスクラップが多量に有ることが分かり、その払い下げを受けて黄銅貨の製造が計画された。50銭黄銅貨製造を開始した。永楽通宝は、明朝第3代皇帝・永楽帝の代より鋳造され始めた銅製銭貨。おお、輸入されていたのか、日本では室町時代に日明貿易で大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通。永楽銭、永銭などと呼ばれたようだ。寛永通宝より古いのか。何故かインドのパイサとか、多分学生時代に俺が入れたものなのだろう。今の5円は昭和24年から使われているんだねえ。こいつは26年もの。そういえば、ギザ10ってありましたなあ。こいつは、台湾を占領した人ではないか。戦時中の経済学は簡単でお金ジャンジャン刷るってことね。
2017.10.16
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ここでのマッサージは意外と安い、下手だが安い。1時間400ペソ、900円弱であった。あったので、施術してもらったら、ぶりかえして、また行く、余計に1日経ったら凝ってきてしまったわ、って話である。昨日はストロングでといったが、今日はミディアムコースで十分だ。まあ、マッサージ屋はどこにでもあるから。まあ、着替え(ジーンズ、トランクス、靴下)は忘れたけど、海水パンツと草履は持って来ていたので、海水パンツに、会社帰りの下着上部にサンダルスタイル、江南スタイルである。特に誰も気が付かないのである。隠してもないのである。それがビーチ金持ちの特権である。まあ、お金持ちって宿代除いたら、まだ2,000円使ってないけど。 まあ、それはそうと、22時頃、ぶらぶら歩いていたら、両脇からオカマに塞がれた。フィリピンはタイと同様カミングアウト済みのオカマが多く、ニューハーフ系ではなく、ベターな感じの2人組であった。おなかすいたってさ。まあ当然無視するのだが、チョト待てよ、俺も今から飯食おうかなと思ってたところだったんだよな。まあ、100円200円の話だからおごってやるか、という気まぐれな気分になった。屋台だったらいいよ。と返事をして、すぐそこの席に座った。おまえらも何か食えよ、俺はフライドライスね。うーん、やっぱビールも飲むわ、おまえらも飲むか。あ、冷えてない。すると、一人がお金頂戴といい、100ペソ渡すと前の雑貨屋に行き、氷を買ってきて、85ペソのお釣りをもらった。そうか、氷は30円ぐらいか。皿を貰い、氷をがさーっと入れ、ビールに氷をぶち込む。既に飲んでいたので、どんな話をしたか良く分からないが、1時間ぐらい飯食ってビールもお代わりして、金払って、じゃあ俺寝るわ、あとは、適当に余ったビール飲んでご飯食って帰りなと席を立つと、ところで日本のチョコレート持ってないの?と意味の分からないことを言われたのだが、実は持っているぞ、と言ってしまった。日本でお土産で貰っクッキーやチョコレートが会社の机の下にいっぱい置いてあってたまってしまって意味なくビニル袋に詰めて持ってきていたのであった。既にフィリピンきてからここまでやたら子供たちに渡してきたが、大人にも渡すのか?まあ渡すことになったのであった。しかし、お前ら、俺の宿に来るな、あ、ついてくる。仕方なく、宿の前で待ってろ、といいお菓子袋を渡し、じゃあね、とお引き取り願い、部屋に戻った。そうだ、夜の風景撮ってなかったなと、カメラを出してもう一度外に出ると、海水パンツのひもを締め忘れていて、シャッターを押すと海パンがずり落ちた。セキュリティのおっさんが爆笑した。ペローンである。照れ笑いしながら、俺、寝るから、サイナラとせセキュリティガードマンに挨拶し、あんまり昨日寝てないやないか、と多分、8時間ぐらい寝ることとなったのであった。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.15
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3つのビーチを端から端まであるくと、まあ20分から30分はかかるのではないだろうか。何故歩いていくのか、それは単なる散歩である。割と、以前もそうだが、このビーチにはフィリピン人もやってくる。やってくるが、多分、どこか違うところに泊まっているのかバンガロウでは従業員しか見かけない。昔も船で知り合ったフィリピン人も、その後ビーチでは見かけず、いや一回散歩中に見かけたな、ということであった。初めて泊まったバンガロウは雨漏りがして、笑い、昼間ヤシの木間にワイヤーを張って。洗濯したあと、洗濯挟みで止めたら、おばちゃんが洗濯バサミを不思議そうな目で見て、あげた。考えたら何で洗濯ばさみとかワイヤー持って来たんだ?石鹸も何個持ってきたのだ。結局地元のおばちゃんに石鹸もあげた。3,4回目に来た時には、もう宿の人に覚えられてて、一番宿オーナーのおばちゃんの真横の部屋を与えられ、そこはサバンビーチ中心道路の一番近いところで、夜になっても煩かったなあ。小さい島だったから3回も行くと、もう島民が皆私の名前を憶えており、また1週間ほどいたら、新しく来ている人たちも私の名前を覚え、これまた島ルールで私の一挙一投足は密かに監視されている感じだ。あいつは若いのに、色気は出さず偉いやつだ、でも、いつも煙に巻かれてフラフラしている奴だとの評判も聞いた。昔は通りはあったけど、屋根はなかったというか、30年たつと、ほぼすべて建て替えが終了しており、身に覚えのある建物はゼロであった。ジプニーはどこに行くのか知らないが、昔はプエルトガレラからやって来た。フィリピン人はジプニーとは言わず、ジープという。ジプニーは昔は馬の人形がボンネットに3匹乗ったり、ワイヤーがクルクル回っていたのであるが、今は随分規制もあって大人しくなった。海沿いに細い1本道を通り抜けるそこがスモールララグナビーチ。さらに進んでいく。小山を越えていく1985年夏、1回生の私は、ここでフィリピン人女性2人組と出会い、一緒に軽い山を越えた。彼女らはマニラから来ていて、安い部屋を借りて毎月3万円ぐらいで暮らす20歳の女の子たちだった。彼女の一人が、見て!といった。目を向けると、1メートル弱のトカゲが山を登って行った。あんなでかいトカゲはあれから何十年もたつが見たことがない。とかげだけでなく、20歳そこそこの若い子が仕事もせず、ブラブラ楽しく暮らしていることにも驚いた。初めての海外刺激が凄すぎる。そうするとビッグララグナビーチである。変わったか変わってないかは、忘れた。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.14
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朝、空港に向かうまで2時間程度の時間があったので、無意味に散歩することとする。まあ、余りに無意味すぎると、時間が限定してほんまもんの迷子になると困るので、迷わないように注意が必要である。映画館。万年渋滞だ。内戦もない都市では、最も住みにくい町といわれている。世界一大国で人口密度が高い国、ヒトがいないと、おや?と思ってしまう。世界一過密都市は、小国入れるとモルジブの首都マーレだ。風が吹くと、砂が舞い、皆、目を閉じる。雨が降りそうだ。急いで、雨が降る前にホテルに戻る。傘持ってきたのに、今持ってない。建築現場も危ないなあ。でかいキノコ(黄色)も生えていた。工事。タイでは、そういえば、2022年までトゥクトゥクを電気自動車に変えるとか・・・。インフラ整備できるの?自転車直し屋。それで、空港へ。 ダッカ逍遥紀大阪→バンコク→ダッカバンコクgourmetの旅ダッカ、王の椅子ショドルガットダッカ散歩バングラデッシュdrinkの旅バングラデッシュの歴史ダッカ→バンコクバンコク→福岡→伊丹福岡夕方まで福岡夕方まで2
2017.10.13
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1のつづきで川端商店街に出てくるというお上りさん状態となる。説明いらんやろ・・・ぜんざいって金出してくったことないような気がした、しかし、まあ、食ってみるかとお金出した訳だ。昔、小学校低学年のときに、従妹の住む田舎に行って、従妹の友達の家に行ったら、お姉さんが子供を育ててて、ポロンと胸を出してお乳をあげるシーンに遭遇した。子供心にドキリとした。それから、15年ぐらいたって10代の終わりにインドに行って、あれは、ウダイプルだったかなあ、うろうろ道を迷って出てきたのが湖の洗濯場であったのだが、子供たちが素っ裸で洗濯していたのだが、一人だけ15歳ぐらいの女性も上半身裸で洗濯していて、綺麗な顔立ちで肉付きも良く、ちょと恥ずかしかったなあ。まあ、意味なくぜんざいでそういうことを思い出した。とにかく、甘っ。あんぽんたん、博多弁やったんか。安いな、でも暑いから食う気しないな。埋もれたな。持ち上げようとしてた親子がいた。チョロチョロ博多塗りだそうです。やたら外国人多いのだが、有名どころだったのか。アジア博物館行ったか?最後は、ヒワイで終了。 ダッカ逍遥紀大阪→バンコク→ダッカバンコクgourmetの旅ダッカ、王の椅子ショドルガットダッカ散歩バングラデッシュdrinkの旅バングラデッシュの歴史ダッカ→バンコクバンコク→福岡→伊丹福岡夕方まで福岡夕方まで2
2017.10.12
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うーん、ピリピン航空やエブパシフィックでは、どうやっても午前中にマニラに着かないのだ。4時間かかるから朝の6時までにマニラに向かう便はないのか?うーん、ないのである。大きな声では言えないのであるが、フィリピンには学生時代に何回も行ってて、それも島には船ばっかりで巡ってはいたが、まあ、ミンダナオ島のサンボアンガからマニラまで遂にフィリピン航空国内線で初めてフィリピン航空に乗ったのも、もう大昔の話である。船でマニラに戻ると2,3泊かかるので、まあそれで2,000円台ぐらいで行けるのだが、大枚6,000円程度を払って、何故か田舎のサンボアンガ空港に2時間前に到着し、空港前の田舎道に面する掘立小屋でコーヒー飲んだ。フィリピンに来て1か月が過ぎ、初めてコーヒーを飲んだ瞬間であった。まあ、そういうのは懐かし話であるが、そのフィリピン航空、運航中止になったり、会社更生法受けたり、ふらふら危うい経営ってかナショナルフラッグだから運航停止にはならないが、15年間も欧州に危険な会社だと就航させてもらえないヤバイ会社であったというか、今もまあやばいので、あまり乗りたくないなあ、あ、今もヒースローしかヨーロッパ飛んでないよ。 まあ、そういう真面目な話は置いといて、マニラに午前中に到着するために、前日、仕事が終わったあと、18時に会社を脱出、そのまま空港に向かうのであった。まあ何でもいいけど、マニラ空港に着いたら、まずイミグレに向かわずにトイレの中に向かった。まだ背広であるからにして、ジーンズにTシャツに草履になろうとしたのであった。しかし、便座の蓋の上でカバンを開けて悩んだ。ウムム、着替えがない。いや、海水パンツと草履だけが空しく入っていた。しまった、家に用意だけしてカバンに入れるのを忘れていた。悔しいので、背広に草履になって、何かこれおかしな姿じゃないか?と思いながらも、もういいです、とトイレを飛び出す、まあ、足は涼しくなったかな。まあ、アメリカグアムのイミグレもマニラのイミグレも空いてたわ。時間にも寄るのだが、何とグアムでは、ESTAの機械の前に行くと、係員が、もう誰もいないから、窓口まで行けといわれ、トランジット、あらそう、チケットは、Ok,え、早っ、もう入国。飛行機降りて10分で空港の外に出てしまったのであった。むしろ、マニラのイミグレは空いていたが、割といろいろ聞かれたのであるが、まあ、最近、何だかパスポート、ペラペラめくられるのが恥ずかしくなってきたわ。この脈絡のないスタンプは何?まあそんな感じの顔をされているんじゃないか?と被害妄想してしまうのである。(時々、興味本位で意味のないことを聞かれることもある)ほんの数年前まではワーストエアポートに4年連続選ばれたマニラ、ニノイアキノ空港であったが、確かにもう汚くて、チェックインに1時間、イミグレ出国手続きに1時間、ついに出発時間10分前にやっとセキュリティを終えて、走ったわ。もっと昔は賄賂も横行、金払ったら早く入国できたし、トイレに入ったら掃除の人がチップよこせってのが前世紀の話だったな。それが2年前、あれれ、スイスイスイーと通れたぞ。今回の帰りも、え、2時間前に到着して、3分でチェックインして、3分でイミグレ通過してしまい、あれ、出発まで1時間50分あるわ。となってしまったのであった。まあ、焦るより暇な方がましだけど。向こうのほうに見える長細い光はグアム空港。グアムからマニラまでは4時間であるが、いやはや、これが睡眠状態で、トイレにも行かずであった。ずっと寝てたかというと、実は映画は1本見てしまっていたって訳だ。訳ってわけでもないけど。そういえば、バタンガスまでの行き帰りも映画やってて、行きはAPE何とかシリーズの映画で、帰りはXメンのシリーズ。初めての海外はフィリピンでマニラ空港を出るのは、ほんま、怖かった。出口がハの字になっていて最終2人並んで出られないようになっていて、周りにはフィリピン人のタカル目が一気に私に注がれ、出た瞬間に取り囲まれるのであった。その前、出る前にトイレに行ってチップをたかられ、疲れた感じになっていたのであるが、まあ、いろいろ振り切って、やっとバス乗った!と思ったらそれは民間バスではなく、まあ、リムジンバスみないので、でもリムジンバスというより普通のバスで10人ぐらいの乗客で出発して、それでも実際は500円ぐらいで、民間バスなら10円か20円だったのだが、そこは若い私はやられた感満載で、ホテルの前まで何故か尋ねられて、これは民間バスじゃないな、と気が付いたのであった。今は、まあ、もう大人になったし、ぼったくりにも若い人らというかバックパッカーには申し訳ないが多少ボったくられても、マ、イッカていう感じである。まあ、さすがに初老の紳士になったけど、ボったくられ過ぎのときは、無視したり戦うし、気持ちよかったらチップは多めに払う。俺を気持ちよくさせてくれ、まあ初老にはそれがいいよ。プエルトガレラに到着したってわけ。サバンビーチに到着したってわけ。それで次に続く。バスに乗るのだ。なんせ2時間のバスで船の最終便が13時だ。だからまあ、バスの出発時間も不明で、バスステーションまでタクシーでいつも重体だからどのくらい時間がかかるか分からないから10時台のバスに乗りたかったし(あると信じ)、そのためには9時前半には到着したかったってわけよ。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.11
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今まで、一番美しかった海やビーチは、一番初めに行った1985年のバタンガスからプエルトガレラ行であった。1日1便のポンポン船は出航し、暫くすると、何匹ものイルカがジャンプしながら並走し、遊んでいた。そして、漫画に出てくる無人島、島に椰子の木が1本(数本かも)があったりして、笑ってしまったが、水没したのか、それは見られなかった。そして、いよいよ、ミンドロ島の湾に入ると、下にサンゴ礁が見え、こんな重いポンポン船が浮いているのかと不思議であった。多分水深は5~10メートルだったのだろうが、びっしりサンゴ礁に埋め尽くされた中を船は進んだ。まるで夢のようであった。プエルトガレラ港で、ジープに乗り換え、小石が飛んでくる未舗装の道を進み、サバンビーチに到着した。海は、海岸は、サンゴの崩れた残骸で埋まり、水に入って5メートルもしないうちに、全域サンゴ礁が広がっており、こんな上を草履はいて歩いたら、珊瑚ポキポキ折れてしまうじゃないか、横になって、腹すれすれの珊瑚に当たらないようにもう少し沖に出ていった。それから2年後行ってみると、すれすれまで迫ってきていた珊瑚はなくなっており、遠浅の海を50メートルぐらいいくと、急に10メートルぐらい沈んでおり、そこにはまだ珊瑚はあった。今は、遠くに船ででかけないといけないようで、スキューバダイビングショップだらけ。当時は、1件もなかった。スキューバするもしないも、シュノーケリングで歩いて行けたのだから。それにしても、皆さん、まったり。マリカンバン島、その向こうにあるのが、ルバング島だ。小野田少尉が戦後30年暮らした。放浪者鈴木紀夫君の接触により帰還した。小野田さん、鈴木さんの本は面白く読んだ。ベルデ島見覚えのある地形が見えてきた。85年に行ったときには海沿いにしかバンガローはなかったが、89年ころに行ったときには、山の中腹までバンガローが出来ていた。一番左端の崖の上で結婚式をやっていたので、飛び入り参加し、レチョンを食ったなあ。本日宿泊する海沿いに並ぶホテルも見えた。かつて見覚えのあるバンガローは全てなくなり、やはり30年では建て替えしているよな、と思ったのであった。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.10
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マニラには2年前にやって来たが、その前は10年前で、その前は29年前であった。マニラに到着したのは朝の9時頃であった。タクシーに乗り、LRT(高架電車)のGil Puyat駅横のバス ターミナルまで行き、JAM トランジット社のバスターミナルに行く。何だか空港からのタクシーはメーターが速いので、一般道まで歩いていかねばなるまい。(デパーチャーに行ってもいいかも。帰りにタクシー降りたら、フィリピン人おばちゃんが速攻で乗ったので。荷物なかったから職員かと。)29年前は、何だっったかなパサイのエディサ駅近くのビクトリーラインでバタンガスに向かったような気がする。冷房バスに乗り、早く乗れと言われたが、出発したのは15分後ぐらいのほぼ満席になってから。それで変わらないのは、バスに物売りが入ってきて、バスが出発しても途中まで乗りっぱなし。バス代は2時間走って200ペソ弱、300円少々。先に切符を切ってくれ、後からお金を回収。マニラの街並みも30分程度渋滞の中走って、田舎になり、昔からある高速道路を通る。ポートが終点だが、その手前でバスターミナルがあり、現地の人は降りていき、ノー天気な観光客が残される。バスは、何かポートに入って行き、関係者以外は入れてくれないので、余計な物売りやブラブラ人はいない。しかし、切符売り場周辺には、切符買う任せろ人がブラブラしている。職員でもなんでもないのだが、それは職員と間違ってしまうからねえ。それでチップを稼ぐってことだ。まあ私も言われるままに、言われなくても分かっただろうが、船のチケットを購入。チケット代は二百何ペソだが、チップ500くれといい、阿保か、ははは、と笑い、すぐに200になり、おもろいな拍手は0回、10ペソ(22円)渡しておく。初めて行ったとき、1ペソ14円ぐらいだったなあ。ビールが雑貨屋で2.5ペソ(30円)ぐらいだったが、今は40ペソ(100円)ぐらいだ。セキュリティーを抜けバスターミナル建物に入る。どのゲートからこの会社の船出るのか全く分からなかったのでインフォメーションで聞いたら、まあ2Bで待てってよ、ということであった。待ち時間は13時の便だったから、あと4,50分ある。店もいくつかあり、下ごしらえするかと思ったが、まあ、ここで急いで食うこともない。環境税50ペソも払う。ほんまものの軽いエスポが破れてしまった。この前の旅行でリュックが破れ、会社に行くカバンのチャックが壊れた。大変だ。ここからもの落ちるんじゃねえか、みっともなく、貧乏臭くもなり、ここから物が落ちないようにデカいものを設置する。バタンガスからミンドロ島のプエルトガレラ行きの船は、まあ、1985年、1日1便だった。それから87年とかになると、2,3便になって、今は、ミンドロ島の一番大きなプエルトガレラだけでなく、直接ビーチに出る便もあり、サバンにもどうも2社が1日3便出しているようだ。30分ぐらい前から乗船開始。バンカか。昔は大きなポンポン船で3時間かかったが、今は1時間である。金やお菓子をせびりに子供たちがやってくる。昔と変わらず、コインを海に投げろと言っている。潜って取りにいくのだ。これは寂しい。29年もボヤボヤしていると、随分変わった気がするなあ。待合室にはミスタードーナツあったけど、昔は、直射日光にバンバン当たったハンバーガー売ってて、食っている西洋人とかに聞くと、みんな値段が違い、離陸直前に購入した私が一番安かったなあ。それにしても、当時、東南アジアを旅行できるのは日本人だけであったが(中国だけは香港人が徒党組んで旅行していた)、この船にも日本人乗っていない、韓国人か中国人だけだ。ところで、会社帰りに来たので、カバンあけたら、ジーンズ忘れた、しかし、草履はあった。隣の女の子みたいにフリースタイルになっている予定だったんだけど・・・・。ビーチに行くのに背広に草履だぜ。 プエルトガレラ逍遥紀マニラには朝10時までには着きたいマニラ空港からバタンガスへバタンガスから船に乗りミンドロ島へプエルトガレラ今昔物語プエルトガレラ3つのビーチ1985年のサバンビーチビーチdrinkの旅ビーチの夜30年前のマニラ思い出しミンドロ島→大阪
2017.10.09
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一人だし、空港までオートリキシャーで行けば安いということが分かった。それでさっき話していたリキシャワーラーの兄ちゃんに頼むことにした。彼は、じゃあ、と友達に携帯電話で電話して、オートリキシャーの友達に電話した。もう誰でも携帯電話持っているんだよなあ。まあ、そういう訳で、じゃあ、シャワー浴びてくるから30分したら戻ってくるからと目の前のホテルに戻り、チェックアウトして出てきたら、元気に手を振っている奴がいたので、迎えに来てくれたか、どうもと乗り込んだら、オートリ汽車は安全のたギャチャンと閉めてしまう。そこで知り合ったリキシャワーラーがやってきて、このオートリキシャーじゃないぞ、と焦っていい、あれ、君たち友達じゃないの?え、じゃ、降ろしてというが、オートリキシャーは強引に出発。彼に悪いことしたなあと思いながら、おまえ、500しか払わないからな大丈夫だろうな、と念押しすると、まあ、ちょっと曖昧だがOKという。何が曖昧かというと、母親が心臓病でお金がかかるんだと、話しかけてきたことだ。ここは、慈悲にあやかる作戦でくるなと覚悟するも、空港に着いて鍵開けてくれなかったらどうしようかと心配になるが、その時は、思いっきり叫ぼう、と思う。案の定500タカ渡すと、寂しそうな顔をしたので、まあ、どうせ使わないからと残っていた120タカぐらいも渡すが、更に曇った顔をしているが、財布が空だよ、どうすんだよ、というと、まあ、握手で終了。ビーマン飛んでないやないか。のんびりし過ぎたのか、最後の列に並んだのが1時間前で、俺が最後のチェックインで30分前。WIFI飛んでいるので、ネット見てたけど、こりゃ急いで搭乗口に向かえってことだ。何とか出発10分ぐらい前に搭乗口に到着したら、セキュリティは搭乗口で行われていたので、長蛇の列となっており、これじゃあ、10分たっても列変わらないなと思い、空港をぐるぐるして戻ってくる。そして出発し、ロヒンギャー地域を飛ぶ。大英帝国にケチョンケチョンにやられて恨みたっぷりのビルマは、マレーシアとかシンガポもバングラモインドもとかが大英帝国連邦にはいったけど、ビルマだけは断固拒否したわけで、まあロヒンギャも国を追い出されるのではなく、バングラに戻るってことだよね。2時間5分、ディバイス壊れてるので、寝る。席は空いていたので、端っこに行き、ビール飲みまくるって塩梅。2年連続世界一外人が集まる都市バンコクの滞在時間はまあ、そうだねえ、6時間ぐらいだったので、マッサージとドリンクの旅に空港より向かう。バーで、WIFIつなげてくれよ、わかったまかせろと、おばちゃんはいい、つながらないねで終わる、終わるけど終わるまでにお代わりだ。歓楽街は煩いけど、もういいよ、空港向かうから。実は会社帰りだったので、カバンに荷物突っ込んだらファスナーが壊れ、仕方ないんで、代わりのカバンとデイパックを用意したら、デイパックも穴が開いた。困ったなあ。今回は大阪にまっすぐ帰るつもりが満席状態だったので、福岡に決定。(でも福岡から台風の影響で福岡ステイが10時間)ちなみに、航空券の裏がアジアンハーブであり、まあ、高級店かな、俺にとって。キモちいぜ。香港経由で帰ろうかと思ったら、もうあれからHKエキスプレスのリターゲティングの嵐ですわ。トニーズマッサージさったかな、オイルをおばちゃんにやってもらって1時間250バー。安い。んー、写真だけ見たら怪しいな。 ダッカ逍遥紀大阪→バンコク→ダッカバンコクgourmetの旅ダッカ、王の椅子ショドルガットダッカ散歩バングラデッシュdrinkの旅バングラデッシュの歴史ダッカ→バンコクバンコク→福岡→伊丹福岡夕方まで福岡夕方まで2
2017.10.08
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これで終わりなので、私も読者も大喜び。ああ、なかなかおもろかったわ。記念撮影する外国の方々ショーは終了 2017年9月東京埼玉へ神田明神、東京gourmet吉見百穴、吉見町岩室観音とその横の洞窟住まい岩窟ホテル、吉見町野球稲荷神社、東松山市鬼鎮神社、嵐山町ゴールデン街ロボットレストラン100億円、新宿ロボットレストランはエイリアンで埋め尽くされていた、新宿ロボットレストラン2幕前半、新宿ロボットレストラン2幕後半、新宿ロボットレストランのはじまり、新宿ロボットレストラン、第3幕、新宿ロボットレストラン、歌う前編、新宿ロボットレストラン、歌う後編、新宿
2017.10.07
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オールドダッカを歩く。不思議なことだが、イスラムとヒンズーが喧嘩して、戦後すぐインドからパキスタンが独立した。しかし、どんなけ東と西のパキスタン離れてるねん、インド間において、理不尽な体制が20数年続く。パキスタンはウルドゥー語であり、西パキスタンはベンガル語で、東が強くウルドゥー語化にムカついた西パキスタンは1971年にバングラデッシュとして独立した。ベンガルの国って意味である。そりゃ無理があるだろ、ってことである。ユヌスも有名ですな、マイクロクレジットの。タタ財閥の車鉄街では、このように道にしょちゅう鉄棒が突き出ている。まずそうだ。そんでもって、バングラっていうたら、ミニ国家を除いたら、世界最大の人口密集地の国であり、ほんまに人が多い。しかし、最近は人口もそんなに増えてないらしい。クリケットやっている少年たちにお菓子を配る。えらく喜んでいた。シティバンク、んー違うな。蜘蛛の巣自動車部品街それで国土の3分の2は、湿地帯で人がほとんど住んでないっていうことだ。なんだそれは。ホテルでちょと休憩メッカの方向、キブラあり。観光資源もそんなにないのが味噌である。前世紀、1990年頃の話だが、ダッカ空港でバングラ航空の乗り継ぎでダッカ空港でバンコク行き、ぼーっと待ってたら清掃のオッサンが寄って来て「免税で煙草買ってくれないかベントール」とか言って来たので、「それで1箱くれるんか?」というと、「ああ、そんくらいならいいよ」という。よくわからんが、2パッケージ20箱買って1箱取られても全く問題ないぐらいに商売になるんか、ってことか。何か私を信用しドルを貰い、買ってきて渡すと、1箱繰りぬいて私に私に渡し、あとはバケツに突っ込んで上から雑巾をかけて掃除人は消えていったのであった。席もフリーシートだったな。みんなタバコ吹かして、機内で蚊が飛んでたわ。でオーバーヘッドビン、揺れたら飛行中にパカッて開くし。 ダッカ逍遥紀大阪→バンコク→ダッカバンコクgourmetの旅ダッカ、王の椅子ショドルガットダッカ散歩バングラデッシュdrinkの旅バングラデッシュの歴史ダッカ→バンコクバンコク→福岡→伊丹福岡夕方まで福岡夕方まで2
2017.10.06
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初めて日の丸掲げてアメリかに行ったカイリン丸、サンフラン行って、そっからパナマ経由で大西洋に出て、ニューヨークやワシントンDCへ行ってからは大西洋横断してカーボベルデに行ってアンゴラ、ルアンダ、喜望峰、バタビア(インドネシア)、香港経由で帰国しただよねえ。1860年代。降りるのも暑いので嫌になるなあ。まあまあ、巨大市場である。中は、暗くなるほど服だからね。奴隷中継地であり、万年水不足。マドンナもフレオイグレシアスもファンのセザリア・エヴォラ。ホテルの部屋にも顔写真掲げられてたわ。メートル単位か?洗濯。楽器を頭に乗せてる。カーボベルテ終わり。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.10.05
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デカいバイクさよならコンサートかっこいい,つりさげられたエレキガールこれって、マッドマックスの映画の怒りのデスロードのぱくりか、かっこいいじゃん。世界で一番旅行者がお金を落としていく都市はドバイらしいね。2位はニューヨーク。そしてロンドン。世界一外国旅行者が集まる都市は2年連続バンコクだが、さすが、物価が安いか、シンガポール、バンコクとなっているね。(マスターカード調べ)先日、スペインの航空予約管理システム「Amadeus Altea」システム障害で124社以上の航空会社が混乱したかと思えば、今度はモナークLCCがいきなり潰れて、海外取り残し組11万人。ヨーロッパ行くと、モナーク見るものなあ。飛騨市役所から電話がかかってきた。知らない市外局番でもある晩後を無視してたら3回かかってきたので、かけてみると、こちら飛騨市役所なんですとのことで、何か覚えありますかとのことだったので、ウーん、そういえば先月特別公開スーパーカミオカンデ見学の募集に応募したのだった。「すみません、300人の応募に1700人の方に応募いただき、落選しました。メールが届かなくて電話しました」とえらい丁寧な対応だった。最近、会社員生活は質素であるような気がする。ボーイスカウトのようだ。1、スカウトは誠実である。2、スカウトは友情にあつい。3、スカウトは礼儀正しい。4、スカウトは親切である。5、スカウトは快活である。6、スカウトは質素である。7、スカウトは勇敢である。8、スカウトは感謝の心をもつ。うーん、1個ぐらいは当たているかな。スカウト出身者としては失格だな。ここ3日ぐらい困ったことに、夜9時や10時に睡魔に襲われ、まあ、2時間ぐらい寝るかと思って寝ると、4,5時間寝てしまい、真夜中に起き、3時間ほど過ごし、朝方寝るバッドパターンに陥っている気配。 2017年9月東京埼玉へ神田明神、東京gourmet吉見百穴、吉見町岩室観音とその横の洞窟住まい岩窟ホテル、吉見町野球稲荷神社、東松山市鬼鎮神社、嵐山町ゴールデン街ロボットレストラン100億円、新宿ロボットレストランはエイリアンで埋め尽くされていた、新宿ロボットレストラン2幕前半、新宿ロボットレストラン2幕後半、新宿ロボットレストランのはじまり、新宿ロボットレストラン、第3幕、新宿ロボットレストラン、歌う前編、新宿ロボットレストラン、歌う後編、新宿
2017.10.04
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ペルソナノングラータが東京に来たよ。それで近くに泊まっていたので半年ぶりぐらいに築地朝食と相成る。相成りながらもマグロ買った。うに丼ドドンの25,000,000円、面倒なので箱入り。涼しいなあ。肉食った。年とったら肉食いたくなってきたよね。ほんと10代から30代は肉、嫌いだったのになー。神田明神、何故来たかというかというと、集合時間を1時間早くきてしまったからに過ぎない。ブラブラしていると、雨降ってきて、傘がないので、退却。ニコライ堂から一駅、神田に向かう。 2017年9月東京埼玉へ神田明神、東京gourmet吉見百穴、吉見町岩室観音とその横の洞窟住まい岩窟ホテル、吉見町野球稲荷神社、東松山市鬼鎮神社、嵐山町ゴールデン街ロボットレストラン100億円、新宿ロボットレストランはエイリアンで埋め尽くされていた、新宿ロボットレストラン2幕前半、新宿ロボットレストラン2幕後半、新宿ロボットレストランのはじまり、新宿ロボットレストラン、第3幕、新宿ロボットレストラン、歌う前編、新宿ロボットレストラン、歌う後編、新宿
2017.10.03
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駅からひたすら12分歩いたところにある物件。きぢんじんじゃである。鬼の神社は全国に4つと言われる。ポストもあるよ。渋い。空。鬼さんも寄進。あらしやまちょうではなく、らざんちょうである。嵐山だけで検索すると、当然京都がでてくる。豆まきは、鬼はうち、福はうち、みたいにお叫びになる。残念なゆるきゃらバットぶんぶん振ることができます。 2017年9月東京埼玉へ神田明神、東京gourmet吉見百穴、吉見町岩室観音とその横の洞窟住まい岩窟ホテル、吉見町野球稲荷神社、東松山市鬼鎮神社、嵐山町ゴールデン街ロボットレストラン100億円、新宿ロボットレストランはエイリアンで埋め尽くされていた、新宿ロボットレストラン2幕前半、新宿ロボットレストラン2幕後半、新宿ロボットレストランのはじまり、新宿ロボットレストラン、第3幕、新宿ロボットレストラン、歌う前編、新宿ロボットレストラン、歌う後編、新宿
2017.10.02
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第2幕のつづきである。それで休憩である。急に爆発、第3幕の始まりの終わりの模様。でかくて、動きの鈍いロボットが登場。丸いバイクも登場登場人物紹介だそうあ、社長も紹介です、え、若い方ですなあ、大澤さんね港さん?次はラスト第4幕、の説明(英語オンリー)。 2017年9月東京埼玉へ神田明神、東京gourmet吉見百穴、吉見町岩室観音とその横の洞窟住まい岩窟ホテル、吉見町野球稲荷神社、東松山市鬼鎮神社、嵐山町ゴールデン街ロボットレストラン100億円、新宿ロボットレストランはエイリアンで埋め尽くされていた、新宿ロボットレストラン2幕前半、新宿ロボットレストラン2幕後半、新宿ロボットレストランのはじまり、新宿ロボットレストラン、第3幕、新宿ロボットレストラン、歌う前編、新宿ロボットレストラン、歌う後編、新宿
2017.10.01
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