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「人の器を測る尺度」(1)
今回から3回シリーズで本テーマについて話します。
人の器を測る尺度としては、他人に対する受容性、寛容性あるいは無私なる心など、いろいろあると思いますが、その一つとして「責任をとれる範囲」があります。
責任をとれる範囲が、その人の人物としての器の大きさをあらわしています。
すぐ環境や他人のせいにする傾向はないか。責任逃れの傾向がありはしないか。
責任をとれる範囲が、あなたの人物の大きさ,器の大きさをあらわしています。
子供は言い訳が多い。
自分の子供をちょっと注意すると、すぐに「だって何々だもの」と、他のせいにしがちであることに気付いておられる方も多いことでしょう。
大人の我々も小さい頃はそうであったかもしれません。
なぜ、子供は言い訳が多いのでしょうか。
それは、能力的にも、体力的にも、自分で自由にできる範囲が限られているために、子供はもともと責任がとれる範囲が限定されているからではないでしょうか。
次第に大人に近づくにつれて、自分でできることが増え、自由度が増して、それとともに責任の範囲も広がっていきます。
しかし大人になっても、すぐ他の責任にする傾向のある人が多いようです。
例えば、最近では、政治家の贈収賄等で、すぐそれは秘書がやったことだ、自分は関知してないと、言い逃れる政治家が、多いのは周知の事実です。
他のせいにするのがいけない大きな理由の一つは、そこに何ら成長や発展の余地がないからです。
自分の責任と受け止めないために、そこから教訓を学んで、よし次は二度とこういゆうことはしないようにしようとか、ここのところを、このように改善しようといった反省がはたらかないからです。
当たり前のことですが、自分が直接手を下したことについては、自分の責任であると自覚しやすいものです。
しかし、問題は直接手を下していないことについて、どこまで自分の責任として受け止められるかです。
どこまで責任をとれるかが、あなたの器の大きさをあらわしています。
直接手を下していないことについても、自分にも責任があると思っている人を見れば、この人はどこか偉いなと感じます。
立派だなと思う。尊敬もするし、こういう人とは、お付き合いをしてもいいなと思うし、何か協力してあげたいなと思うものです。
(次回へ)