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↓の写真は、在りし日の「ゆき」です。今年4月ころ、やたらに嘔吐を繰り返すようになりました。今まででも何かカンに触ると吐くことがよくあったのですが、さすがに嘔吐の頻度が多くなってこれはおかしいと、娘が言い出し、獣医さんに行き、血液検査とXray。結果は腹部の腫瘤でした。5月25日、開腹手術、小腸にも転移していたので、2/3を切り取るという大手術でした。それから、流動食による養生が始まりました。娘が自分の部屋にケージを持ち込み、日に5~6回の流動食の注入5.6キロあった体重がみるみる減って半減かろうじて点滴と少しばかりの流動食の歩留まりで命をつなぐ日々でした。そして8月2日娘が看取る中、わたくしたち家族もお別れをし、静かに息を引き取りました。庭に埋めてあげようか、というのを息子が、この頃は農作業で機械で庭を掘ることが多くひょっとして、埋めたものを掘り返してしまうかもしれないそんなことはしたくない、ということで獣医さんの経営する火葬施設で荼毘に付しました。小さな骨壺に入ったゆきちゃん食いしん坊だったのに、小腸がきりとられてしまったため歩留まりが悪くおなかがすいたままだったね、ごめんね。でもね、君がいた11年と9か月、私たちはずいぶんと幸せでした。暖かい気持ちと、君がいるというだけでほっこりしていました。結構独裁君主だったけどね(笑)隠形の術に長けていて、いつのまに!というほど急に出現して「おい!俺のグルーミングの係はお前だろう!」とお膝に載せてのブラッシングを当然のごとく要求してきました。ちょっと扱いが悪いと引っかいたりかみついたり!娘は「しもべ」扱いちょっと夜更かししていると、「おい、もうねようよ!」と添い寝を強要し娘が息苦しさに目が覚めてみると、ゆきがの顔の上に君臨していたとかいろいろな思い出を作ってくれました。今はさながら「座敷わらし」のようだった君の気配が日に日に薄くなっていく日々とても寂しいです。でも、長い間、私たちに幸せとぬくもりを与えてくれて、本当にありがとう!まだ、さようならと割り切れないですが君の思い出はいつまでも私を幸せにしてくれると思います。ありがとう、ゆきちゃん
2018.09.15
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2018.09.15
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ムハの「スラヴ叙事詩」が新東京美術館に来ている。「ムハ」って、だぁれ?そんなに有名なひとなの?と、疑問を呈されそうだが何を隠そう、「ムハ」とは、このチェコ人の画家のチェコ風の読み方で彼が前半生に活躍したフランスでの読み方は、「ミュシャ」サラ・ベルナールのポスターや、アール・ヌーヴォーのたおやかな女性像で有名なかのアルフォンソ・ミュシャである。その彼が、パリでの栄光や富を捨て祖国チェコに帰った後半生を知る格好の展覧会が今東京で開かれている。(6月5日まで)古くから「ボヘミア」と呼ばれた西スラヴ系のチェック人の多く住むこの国は神聖ローマ帝国、ハプスブルグ帝国、オーストリー・ハンガリー二重帝国、ナチス・ドイツなどに侵攻され、支配を受けまた、カレル大学の総長ヤン・フスを中心とした宗教戦争の舞台でもあったため常に国の状態が不安定になっていた。パリで、国が自由で経済的にも政治的にも富み栄えるとはどういうことか?ということを身をもって知ったムハは誇り高い同胞のおかれている現状に心騒ぎ祖国へ、自分の情熱を注ぎ込むために、安楽で贅沢な暮らしを捨てて帰国したのであった。その作風は、かってのアール・ヌーヴォーの華麗さからガラッと変わり大画面に勇壮なスラヴ民族の戦いの歴史を歌い上げる群像劇となった。ムハは家族さえも遠ざけて、田舎の城にこもりすべてをこの一大叙事詩を描き上げることに捧げていった。近在の住民をモデルとし、描かれた画像はまさにチェコ人の物語を具現している。それが民族主義の発揚を誘引するものとナチス・ドイツの禁忌に触れある日秘密警察に連行されたムハは、長い拘留生活ののち、その生涯を終えることとなってしまった。このムハの生命をかけた情熱のあかしを一堂に知ることのできる得難い機会である。
2017.05.15
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かの天才ヴァイオリニスト五嶋龍君が毎日曜日「題名のない音楽会」のMCを務めているのに気づき日曜日の朝9時からは、わたしの至福タイムとなりました。たった30分ですが様々なアーティストやオーケストラの演奏をある時は共演者として、またある時は鑑賞者としてとても楽しげにしているさまは本当に「音楽の申し子」なんだなぁ、と感心つつ、その演奏会はあっという間に完売するプラチナチケットになるヴァイオリニストの演奏を自宅に居ながらにして聴くことができたのはなんて贅沢だったんだろうな、としみじみ思いました。ありがとう!龍くん!さらなる活躍をお祈りしています!いつか、ライヴで聴きたいなぁ!
2017.03.05
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あけましておめでとうございます。今年は晴天が多く、先ほどもきれいな富士山のすがすがしい姿を見ました。年に何回も更新していないこのブログですが、ことしもぼちぼち更新していけたらと思っております。よろしくお願いいたします。
2017.01.06
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山口県出身の画家に香月泰男という方がいる。東京藝大を卒業後 、高校の美術教師をしながら絵を描いていたが、昭和17年招集され、満州に配属後ソ連軍によりシベリアに2年間抑留された。戦前の作品は光あふれる色彩豊かなものであり、帰国後しばらくは以前のような画風の作品を書いていたが 1950年代末突如炭と方解末を使った材質感あるモノクローム画面の黒を基調とした画風の絵を憑かれたように描き出す。 シベリアシリーズと名付けられたこの絵は黒と黄土色の画面に無表情な人の顔や重荷を背負う人、亡くなった同輩を弔う風景 、移送される絶望的な表情の人々自分たちの運命がいかんともしがたいことを告げるかのような凍てついた星々を瞬かせ、黒と黄土色の世界にふと姿を見せる青い空苦しみなどという言葉では表せない世界を描いている 慟哭と鎮魂の 絵であるがシリーズの一つに「朕」という題名があるように自分をこのような世界に送り込んだ権力に対する怒りの気持ちも込められている図らずも、山口県は時の総理の故郷であり来る12月15日に はロシアの大統領山口県に連れてくるという「温泉に一緒に浸かって 」など腑抜けた態度ではなく香月のシベリアシリーズのある山口県立美術館に案内し二人でシベリアシリーズを鑑賞するくらいの骨を見せてほしいものだ。
2016.12.11
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ご無沙汰しています。今日は6月30日つまり、一年の半分が過ぎてしまうということです。このブログ、新年のご挨拶をして以来の書き込みなので、つまり、半年間ほったらかし、ということですね(汗)本日は夏越の祓いということで、あちこちの神社で「茅ノ輪くぐり」が行われます。一年の半分を無事過ごすことができた感謝とこれからの半年の無事を祈願する神事なのだそうです。急に、こんなことを書く気なったのも昨日のローカル番組で静岡護国神社の茅ノ輪が紹介されていたからなのです。すっかり茶色と成った昨年の茅ノ輪が祀られていて、それが本日の午後、あたらしく綯われたみずみずしい緑の茅ノ輪にかえられこれからの半年のいやさかと無事を祈るのだそうです。みなさまのお近くの神社でも茅ノ輪が用意されているかもしれませんね。ウフフ、こんなもっともらしいことを述べているのも実をいいますと半年のご無沙汰を正当化するわたしの策略です。これからもときどき出没いたしますので、よろしくお願いいたします。
2016.06.29
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一年以上も放置してしまった、このブログほとんど休眠状態ですが、みなさまお変わりございませんでしょうか?富士の麓よりご挨拶申し上げます。今年は少しでも更新していきたいとは思っております。よろしくお願いいたします。取り急ぎ、ごあいさつまで
2016.01.01
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秋も深まってきました、みなさまいかがお過ごしでしょうか?先日来サボりにサボっているこのブログ今日はひさし振りに、秋の収穫のご褒美に軽井沢に行ってきました。刈りいれも無事終了し、その疲れも癒えたわが亭主何を思ったか、「佐久に行って鯉料理をたべて、軽井沢まで紅葉を見に行こう」とのたまい行ってきました、佐久の割烹「花月」(http://www.39koi.com/)団体さんが入っているため、30分ほど待っていただきたいとの仲居さんのお話なので周囲を散歩しようと、一歩外に出るとお年寄りの団体がたむろしているのに行きあいました。なんと!「花月」のお向かいは成田山のお寺でした。しかも、ここは「ぴんころ地蔵」というのが祀ってあってそのご利益にあずかりたいと、ご老齢の方々が競ってお参りに来るそうです。そんな俗っぽい現世利益と裏腹に、お寺の境内はずいぶん趣のあるもので山門は、「臼田の五稜郭」で知られる「龍岡城」の城門を移設した由緒あるものとのこと「五稜郭」といえば函館が有名ですが幕末に、フランス流の築城術が採用され、この信州佐久の地にも函館の2分の一くらいの規模だそうですが星型の城砦「五稜郭」が作られたことはあまり知られていないそうです。その後おそらく明治維新により取り壊され、今はお堀や周辺の木々がその面影を伝えています。日本の五稜郭はフランスのリールにあるものをモデルとしたものだそうですがミシュランの赤本の地方版にはフランス各都市の市街図が載っていますがこの星型の城砦がかなりの都市に作られているのを見ることができます。興味のある方はぜひご覧ください。閑話休題「花月」の鯉料理はとてもおいしく、我々がいただいたのは、2700円のいちばん安いコースでしたが「洗い」「ウマ煮」「鯉こく」が入っていて十分に鯉料理を堪能できるものでした。このところ、いろいろな疲れがたまってなんとなく気力の衰えを感じる我々夫婦でしたが滋養あふれる鯉料理のおかげで少し元気が出てきました。
2014.11.05
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東日本大震災からはや3年が過ぎ、三陸の現在はどうなっているのか6月の農休みを利用して、主人と出かけてきました。松島に一泊したのち、最初に訪れたのは南三陸町あの防災庁舎が、震災時の姿そのままに震災遺構として残されていました。庁舎は3階部分まで鉄骨以外のものは残されておらず屋上に逃れた方たちも、屋上のアンテナに掴まったわずかな方たちのみ助かったというその当時の津波のすさまじさを彷彿とさせる無残な姿を残し、鎮魂の想いに、胸塞がれる思いで、幾度となく手を合わせました。私たちがお参りしているさなかも、何台もの車や近くのホテルがバスを仕立ててこの震災遺構におまいりに来る方々を案内していました。その後、私たちは三陸道路を北上し、気仙沼を通り美也子へと向かいました。気仙沼の町はかなり復興しているように見えましたが道路の途上には、各所に「津波到達地点」の表示が見られその爪あとのすさまじさを教えてくれていました。建設中の道路や港、堤防などが各所に見られまだまだ復興は道半ばであるという想いで3年もたってこれでは、政府は怠慢のそしりを免れないと思いました。通りすがりのわたしでさえそう感じるのですから、被災された皆様のお気持ちはいかばかりでしょう途中、「あまちゃん」で見た南三陸鉄道北リアス線の列車が駅に停まっているのを見たり渡辺謙さんが運営しているKsCafeを見たりしながら一路宮古に向かい、本日の宿舎「グリーンピア三陸みやこ」に向かいました。何も考えずに選んだこの宿で、わたしたちはまたひとつの復興の途上の姿を目の当たりにしました。グリーンピアは厚生年金で建てられた保養施設で、その後税金の無駄遣いと糾弾され追求の矛先をかわす為厚生年金事業団から設置場所の市町村に格安に売却されたものですがその広大な敷地に、なんと仮設住宅の集落が設置されていました。復興商店街も設置され、営業しておりさらには、宿泊施設の中に、診療所と調剤薬局までありました。まだまだ復興に至らない現実をここでも目の当たりにしました。ただの宿泊施設と想い、脳天気にここを選んだわたしに復興の現実はこうなんだよ、と物言わぬ人々の声が届く想いでした。集団的自衛権や靖国や憲法解釈で右傾化の目立つこのごろ安倍首相、海外歴訪やゴルフの前に、まずはこの現実を直視してください!為政者の志とは、民の安寧に尽きるのではないですか?
2014.08.21
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みなさま、ご無沙汰しています。早苗月、八十八夜とカレンダーにあるように家人は、田植え、お茶刈、伸びてきた草刈にいそしんでいます。わたしは、 おかげさまで、リウマチのほうはかなりの改善がみられるのですが農作業はまだ難しい状態なので、なんとか邪魔しないようこころがけなんとか生きています ところで、3月にご報告しなければいけなかったのですが なかなか気力が戻らず、また、わたしのパソコン部屋は冬の間は北極と化しているので寒さに耐えかねてなかなか更新もままならなかったのですが我が家に新しく新型FITハイブリッド がやってきました。このFIT君(色がブルーなので、勝手に男性にしています)なかなか優れもので、かゆいところに手の届く設定になっています。まず、暗くなると自然にヘッドライトが点灯します。夜スタートスイッチを入れると、もうヘッドランプがついています。いままで、イグニッションキーをまわし、ライトレバーをまわし、という動作がスタートボタンひとつでできてしまいます。ミッションも7段変速なんだそうですが走行環境に応じて自動的にギアの切り替えが行われるのだそうで、ミッションをいじることなく、快適な走りを楽しんでいます。 カーナビモニターにバックカメラの映像が表示されるようになっていますがトルコンレバーを「R」(バック)に入れると自動的にリアーワイパーが一回動きます。エアコンも「オート」に設定しておくと気温に応じて自動的にエアコンが動きます。まさに、至れり尽くせりまるで「執事」がいるようそれゆえ、このごろでは、「青執事クン」と勝手に命名してしまいました。片道6kmの仕事場に行く通勤で21km/Lという燃費をたたき出し以前乗っていたプジョー306の8.5km/L に比べるとほぼ2.5倍という驚異的なエコカーでもあります。 まだまだ私の知らない機能もあるようでこの先楽しみなカーライフを送っています。
2014.05.13
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あけましておめでとうございます。早速にお年賀をいただいた皆様、いまごろわが年賀状がついているコトと思います。やれやれ、新年のっけからこののんびりムードなにとぞお許しくださいませ。さて、暮れにメグさんからお知らせいただいたのですが来る1月15日から28日まで、上野の森美術館で「魂の深遠を開く 遠藤彰子展」が開催されます。新年早々、うれしいことです。遠藤先生の個展についてはこのブログでもたびたびお伝えしてきましたがとにかく大きな絵がお好きとあって500号のカンヴァスをいくつもつなげ1000号、1500号の大画面での創作をしていらっしゃる方です。ある人がその中にいる登場人物の数を数えたら800を超えたという逸話もあり以前開催された池田20世紀美術館でのギャラリートークでは遠藤先生のファンという年配の男性が「このままこの絵の中に棲みついてしまいたい」とおっしゃるなどその作品世界は豊穣あり、静寂あり、黄昏ありこの世のあらゆる生き物の棲み付く不思議な世界観を現しています。大画面で味わうのが遠藤彰子の世界の醍醐味です。この機会にぜひ、東京近郊の方は足をお運びください。会場には魔女にも似たお姿の遠藤先生がときどき出没するのでそのお姿との遭遇もありうるかもしれませんよ。また、1月18,19,25,26日には、ミュージアムコンサートも予定されているようです。
2014.01.08
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毎年恒例のマダム・オルガさんからの到来モノイラストレーターをされてるお嬢さんのとっても色鮮やかで心温まる「ヨイソラスタジオカレンダー」今年は、それに加えて、なんとマダムの主催されたワイン教室をテーマにしたカレンダーが同封されていました。緑あふれるご自分のワインヤードを表紙に今年豊作だったという籠いっぱいの完熟のシャルドネや毎月開催された「ワインサロン はなのぼり」に登場したワインやチーズご自分で撮ったお写真だそうですがとてもよく撮れていてワインサロンの雰囲気が伝わってきました。ワインのシニアソムリエと、チーズのプロフェッシナル資格をお持ちのマダムの語るワインとチーズはどのような物語だったでしょうか?知りたいなぁ!ステキなこのカレンダー、もし、来年もおつくりになられるならぜひ、講義の眼目コメントを添えていただけるとうれしいです。ナンテ、ずうずうしいおねだりですね。それより何より、お礼を申し上げなければマダム・オルガさん、いつもお心にかけていただいてありがとうございます。どうぞ、お嬢さんともども、良いお年をお迎えくださいませ。
2013.12.26
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今日はわが愛車プジョー306スタイルとのお別れの日9年前に4年中古で売りに出ていたのを購入し以来3回の車検を取り今回ももう一度車検を取ろうと思っていたのですが残念なことにタイミングベルトにクラックがあることがわかり急遽車検を断念し新しい車を購入することとなりました。ピニンファリーナの手になる空間設計は、大の大人3人が後部座席に座ってもゆうゆう座ることができステアリングの切れも抜群、本当に足のようにスイスイ走ってくれました。まだ購入して間もない頃大きな穴の開いた路面にさしかかりさぞかし大きなショックがあるものと覚悟したものでしたがそんな穴などなかったかのように、スイッと走った奇跡のサスペンションの持ち主でした。これから先こんな空間設計とサスペンションを持った車にはお目にかかれないだろうな、と心ばかりですがお花を飾って下取り車としてディーラーさんにもらわれていく姿を見送りました。さようなら、プジョー9年の間ありがとう!
2013.12.24
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今日は千葉に住む(住んでいた、というべきかな)妹のお引越し11月2日にめでたく勤め先を退職しかねてからの念願だった京都の町屋暮らしを始めるという。家賃12万というのにはビックリだがそれに備えて貯金もしてきたとのこと年金の支給も来年にははじまるそうだし独り身の気楽さ、何とか成るわよ、とあこがれの暮らしに一歩踏み出した。学生時代を過ごした町でもあるのでいろいろ懐かしいこともあるだろう。体に気をつけて、夢の暮らしを楽しんでね。
2013.12.07
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いつも不思議に思うのだが、ハイドシェックの公演の日に雨の記憶がないあの、1998年の浜離宮コンサートのキャンセルの日にも休演というあまりのショックにしょんぼりして銀座の「吉宗」で蒸し寿司を食べたのは憶えているのだが(ショックのわたしの傍らで一緒に行った娘たちは念願かなって丼茶碗蒸しに舌鼓!)そのあとどこに宿泊したのかさえ憶えていないのに雨でなかったことはしっかり記憶している。今回の八ヶ岳への出発時も行きの特急「ふじかわ」の車窓から、裾野までくっきりと富士山が見えていた。余談であるが、富士山は我が家では北方向に見えるところが、身延線の安居山--芝川間では富士山は進行方向左手に大きく裾野を曳いて見えているのだ。おそらく、身延線が富士川に沿って北行するためであろうが富士宮駅で富士山を背に列車に乗った身にはこの大転換が奇異に思えて成らなかった。世の中は広いなぁ、ちょっと家を出ただけでこんな景観を眼にするんだ、とヘンなことに感心したしだいである。思えば、以前高知でハイドシェックのサロンコンサートに行ったときも飛行機の待ち時間で庭園美術館に行きたまたま開催されていたアルフレッド・ウォリスを知り時間が来て羽田から飛行機が富士山を下手に見て飛んだとき駿河湾を含めて、雲ひとつない文字通りの日本晴れに感激したものである。その後コンサートはもとより、かねてから行きたかった絵金の町赤岡を訪ね陰陽師の住んだという赤岡の町を歩いて「おっこう屋」さんで求めたお湯のみは、現在も家の来客用として使用している。いろいろな方の語るハイドシェックの逸話にはこんな話がたくさんある。まさにハイドシェック日和というような心の温まる事象が、いくつも体験されているようである。八ヶ岳では少々お疲れ気味だったマエストロどうぞ、元気を取り戻して、明日の公演が素晴らしいものであることを祈っています。
2013.11.28
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本当はハイドシェックコンサートの前にアップするはずだったのですがいつもの伝で先送りになってしまいました。(汗)日出処の天子---と発句に用いた方もいらしたように毎年恒例のヌーヴォー(ワインの新酒)の季節時差の関係上、世界で一番に11月の第3木曜日を迎えるのはわが国だそうで今年もシニア・ソムリエのマダム・オルガさんより2013のヌーヴォーをいただきました。27日に一昨年亡くなった義母の3回忌を行うこととしたのでその際に親族みんなで味あわさせていただきます。マダム・オルガさん、毎年変わらぬご厚誼ありがとうございます。
2013.11.26
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11月23日(祭)、いよいよエリック・ハイドシェック日本ツアー2013の始まりです。こけら落としはマエストロにとっても初めての舞台八ヶ岳音楽堂でした。夕方17時の開演とのコトで、16時のロッジからの送迎バスででかけたところ早くもホワイエではお飲み物と簡単なサンドイッチの提供がありおひとりさま1杯限定のシャルル・エドシックのお振る舞いもありました。今年還暦を迎えた妹のお祝いをかねてかねてから妹が行きたかったという八ヶ岳高原ロッジ主催のコンサート武満徹氏やリヒテルの助言を受けて作られたこのコンサートホール140席のホールは満員の盛況でした。わたしたちが席に着いたときはまだ、残照のなかに周りの雑木林がシルエットを映すすてきな雰囲気の中での始まりでしたがいざ、コンサートが始まってみるとなんと、舞台以外は証明を落とした。真っ暗な中でただ、マエストロだけがスポットを浴びた状態で演奏が始まりこれがこの音楽堂のスタイルなのかなぁ、とちょっと奇異に感じていました。確かに、音楽堂の天辺は吹き抜けになって空が見えるようになっており星空の下のコンサートというイメージの演出なのかなぁ、と思ったりもしたのですがハイドシェックも、ちょっと神経質に成っていたようで前半小曲ばかりのプログラム構成のなか2~3曲弾いて舞台の袖に引き込み、また登場して2~3曲弾くということを繰り返しミスタッチ、弾きなおしが何度かあり’I'm Sorry’と、ノリがイマイチだったように思います。でも、さすがに、あの天の音のような高音は健在でこれから尻上りに調子を上げていくでしょうから29日の東京公演はきっと期待できるものになるのではないかな、と残念ながらわたしは今回のコンサートで今年は打ち止めですが東京公演に期待しています。今年77歳を迎えたハイドシェック冬に向かう季節での公演は、お疲れがあるのではないか夏のさわやかな季節にあの八ヶ岳の清涼な空気の中を散歩していただきたかったなそうすればもう少しリラックスした演奏になったのではないか、とちょっと残念でした。
2013.11.25
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なんて、うれしいんでしょう!11月29日のハイドシェックのコンサート情報がリリースされました。会場は東京文化会館小ホール実は、わたしはこのホール初めてなんです。ウワサに寄れば、「日本の学友協会」といわれる音質とかホールも楽しみです。7月6日発売が待ち遠しいわ!
2013.06.17
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本当に本当のラストだそうです。去る4月の横浜公演、5月の静岡公演がそのラストコンサートと思われた昭和歌謡を歌う女声ユニットアンサンブル・フィオレッティ横浜公演の評判のよさに、早くも決定していた東京でのラストコンサート!その日がとうとうやってきてしまいました。横浜での曲目とすべて重ならない選曲で昭和歌謡を堪能することが出来ます。80歳というお歳を感じさせない、きりっとした宇野先生の指揮もステキでした。フィオレッティのみなさま、そして宇野先生長い間お疲れ様でした。そして、すばらしい歌声をありがとうございました。
2013.06.10
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まだまだ先のことだと思っていたアンサンブルフィオレッティの静岡公演がはや今週末となった。会場はJR清水駅近くの清水マリナートホール1stステージは、実家の母の好きな曲が多く演奏されるのでちょっと遅い母の日のプレゼントで、母を連れて行ってあげようと思っている。3rdステージの「おとぎ歌劇ドンブラコ」はその昔宝塚歌劇団の演目だったそうであるが久しく埋もれていたのを宇野功芳指揮のアンサンブルフィオレッティが再演し全国の公演で大好評を博したもの実は、この静岡公演をもって最終公演となるとのことで「有終の美」と気合の入ったステージが期待される。物事には終わりがあり、人間も死を免れない生物であるが長年活動を続けてきたアンサンブルフィオレッティも今年の6月の東京での最終公演を一期に、その活動を終了するという。このままでは歴史に埋もれていってしまう昭和の歌をなんとか歌い継ごうと始まったフィオレッティの活動は多くのファンをつくり横浜での定期公演は常にチケットは完売だったという「ドンブラコ」の最終公演に選んでいただいたのはなんと、ワタシが育った旧清水市とは、なんというご縁だろうか!当日は、フィオレッティの活動を長らく支援してきた富山の中川岳志さんも会場に駆けつけるという。中川さんにお会いできるのも楽しみである。母の遠くなった耳で果たして楽曲が聴こえるかな、と一抹の不安はあるのだが栄光の一日に立ち会える僥倖を感謝してその日を待ちたいと思います。
2013.05.21
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先月12日に降りた遅霜(おそじも)で、岳南地域のお茶は大きな被害を受けました。幸い家のお茶の葉は、被害にあわず5月になって柔らかな若緑の葉がすっと伸びてきてこれは期待できそう、と思っていたらとんだところで、遅霜被害の後遺症近辺の農家が90%くらい一番茶の収穫を断念しているのでお茶工場の稼動を限定させていただきます、との通知しかも、早っトチリのわが亭主5月6日一日だけの稼動と勘違いし、「すわ、大変!」と6日に急遽お茶刈りしちゃったんです。お茶工場に着いて、係員に聞いたら「土・日だけ限定でやりますよ」とのことあと一週間せめて伸ばしたら、たくさんの収穫が見込めたのに今年の我が家の収穫は残念ながら生葉で89kg20%の荒茶が出来るとしても、17,8kgでしょうか。我が家の最低記録です。昨年は生葉で160kgくらいだったと記憶しているので半分くらいしか見込めないことになりました。せっかくフクシマの放射能事故の影響も薄らいできたというのに残念なことです。
2013.05.07
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ご無沙汰しています。ヘビ年にちなんで、冬眠を決め込んではや何ヶ月---そろそろ、穴から出なければ、と寝ぼけ顔のナマケモノを揺り動かす、ビッグニュースが---皆の念願かなって、富士山が世界文化遺産に登録勧告されたとの報道がされ地元は、さながらお祭り騒ぎです。世界遺産登録にご尽力された方々に心よりお祝いを申し上げます。が、富士山はまた、時代のネガティヴな面を表すものでもありました。古来から富士山は、信仰の山でありましたがまた、あてどのない、死出の気持ちを抱いて行き倒れ覚悟で登山を試みるものもおり我が家の墓所にも「無縁さん」といわれる石碑がいくつか存在しています。この方たちは、どんな気持ちで、自分の死地におもむたのかなぁ、とサンチアゴ・デ・コンポステーラを思わせる巡礼行に日本人の死生観を見る思いです。残念なことには、「三保の松原」は、はずされたとのことですが本日のTVで見るに、さもありなんという景観でした。消波ブロックとコンクリートの堤防に囲まれた松原は日本の原風景ともいうべきその昔の「白砂青松」とは、似ても似つかないもの羽衣伝説も興ざめの有様日本の国の歴史をある意味で象徴するような荒れ方で除外されるのも仕方ないかな、と思います。交通渋滞やゴミ問題などまだまだ問題は山積している富士山日本の象徴たる山にふさわしい文化を築くきっかけとなるとよいですね。
2013.05.02
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4月に長年入院していた主人の叔母が亡くなったのだがこの人の所有する土地が1筆ありその相続のための書類を整える中、とんでもないことが判明した。実は、主人の家は、同じアザに住む本家から曾祖母が分家したのだがその曾祖母が2回結婚していたことがわかったのだ。しかも、そのお相手というのが、叔父・甥の関係にあり叔父に当たるKさんが、最初に曾祖母と結婚し、生まれた子供が主人の祖父で4人も子をなしながら、どういうわけか曾祖母と不縁になり、離婚そのあとに甥に当たるSさんが、曾祖母と再婚し現在の我が家の元となる分家を行っている。当然、我が家のお墓にはそのSさんがご先祖さまとして入っているのであった。と、ここまでは、当時は子供がたくさんいた社会なので叔父・甥の年が近かったり、時には叔父のほうが年下だったりということはよくあり本家の長女だった曾祖母に誰か娶わせて分家させようと物色したところ適当な年代の叔父と甥がいて、人間の好き嫌いというものから出入り(笑)が起ってしまった、くらいのことはよくあることだったかもしれないと、一応の理解も得られるのだがしかし、摩訶不思議なことにこのSさんは、最初親戚に養子に行き、そこを不縁になり養子縁組を解消そのとき4人も子をなしたのにもかかわらずKさんが曾祖母と離婚していてまぁ、誰かを曾祖母と娶わせて分家はさせようじゃないかとのことがありおりよく不縁となって戻ってきたSさんに白羽の矢が立ったのかもしれないのだがそのお替りに、曾祖母と離婚したKさんが、Sさんの元の養子先に養子として入り込み、そのまま天寿をまっとうしたらしいのであるゆえに、主人の祖父は、その戸籍に、父の欄に苗字の違った実父の記載がありさらに分家して我が家の戸主となったSさんの「猶子」という記載生じていたのだった。どうしてこんなことが起こったのか、今となっては知る人もなく残された子孫一同は、ただ意外な事実の前に首を傾げるのみであった。
2012.12.04
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今日、すてきなプレゼントが届きました。シニア・ソムリエであるマダム・オルガさんの厳しいお目がねにかなったワインのヌーヴォーです。まぁ!もうそんな時期になるのですね。11月の第三木曜日午前零時に解禁が恒例とされるワインの新酒その年のブドウの出来を確かめるため特別な醸造法で、飲むことが出来るようにかもし出された新酒以前、「これを保存して置いたら熟成ワインになるのかしら?」というわたしの無知な質問に、マダムは「これは普通のワインと醸造法が違うので長年保存しておくなんてことは出来ないのよ」と、やさしく教えてくださいました。今年は異常気象のおかげでブドウの出来は悪いのだそうですが奇跡のようにワインは出来の良いものもあるのだそうです。娘いわく「そこらで売っているボージョレ・ヌーヴォーと称するシロモノはすっぱいブドウ液にアルコールをぶち込んだような味しかしないけれど、マダムがお送りくださるヌーヴォーはとってもおいしい!」ですって!(なまいき!)というわけで、今年もおいしいヌーヴォーをいただくことが出来ます。マダムのいつも変わらぬご厚誼に厚く御礼申し上げます。
2012.11.14
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長らく、ご無沙汰しています。リウマチの痛みに加え、脊柱管の狭窄やら膀胱炎まで発症してしまい痛みと暮らす毎日でした。そんな中、ふと眼にしたTV番組で東京女子医大に膠原病・リウマチ・通風センターという機関があることを知り9月7日ころ電話をすると、診療は可能であるが予約は3週間待ちであるとそれでも、おぼれるもの、わらをもつかみたく、即予約!9月28日に初診、その後血液検査やレントゲン、CTなどを経てめでたく、去る11月1日バイオ製剤エンブレルの投与(皮下注射)を受けることが出来ました。今日で5日目さまざま、体に変化が起こっています。あれほど痛かった、かかとの痛みがほとんどなくなりそれに連れて膝の痛みも軽減し久しぶりに足を引き摺らなく歩いています。自分の足で歩く間隔が戻ってきました。手のむくみ、腫れ、手首の違和感も少なくなってきたように感じます。「早い人は1ケ月で効果を感じますよ」というお話でしたが1回目ではや効果を感じています。有難いことです。これなら、半ばあきらめていた浜松のレーピン展に行くことができそうです。そして、大阪の「エル・グレコ」「ちょっとよくなると、すぐこれだ!」との亭主の顰蹙にもめげず、「だって、エル・グレコだよ!スペインの秘宝だよ!」とゆき猫なみのおねだりに精を出しています。ご心配いただきました皆様、ありがとうございました。とっても、とってもうれしかったです。感謝の気持ちの申し述べが遅くなりましてすみませんでした。元気です。
2012.11.05
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地域に「十羅刹女神社」というところがあるわれわれ地元ピープルは、なまって「じゅうらっさん」とよんでいる。その祭礼が毎年9月の第二土曜日に行われ子供と大人の奉納相撲が行われたり豪華商品の抽選会があったり地域の人々が多く集うにぎやかなお祭りとなるところが、この祭礼、かなりの確率で雨に見舞われている第二土曜日ということは、8日から14日と幅広い開催日のずれがあるというのに第二土曜日が8日に転んでも、14日に転んでもけっこう雨に見舞われているのだ。不思議に思って、PCで「十羅刹女」を調べてみた「羅刹」ということから類推されるようにやはりヒンドゥー起源の神様のようでWikipediaには、このように載っている「十羅刹女」とは、美しい女の食人鬼で 法華経陀羅尼品により改心し、法華経を護持するものを守護する神となったということで、わが北山の法華の徒の守り神として昔から地域のひとに祭られてきたということであろう。また、この郷は、百姓で身を立てるものが多くそのため、この祭礼には雨が付き物で秋の実りを約束してくれるものなのだろうちなみに、本日8日も、天気予報は「雨」と出ている
2012.09.07
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浜岡原発の停止を求める住民投票条例の施行を求める署名が行われていたわが静岡県去る8月27日、実施体の原発県民投票静岡」(鈴木望代表)は各地より集まった16万5千人余の署名をもって静岡県知事宛の住民投票条例制定を求める直接請求を行った。これに対し、川勝静岡県知事は16万人という県民の声は重大に受け止めなければいけない、と賛成意見を付して、9月の定例県議会に提案することを昨日の記者会見で発表した。これまでに提出された原発の停止を求める住民投票条例を求める署名運動はいずれも、地方自治体の首長の反対に遭い、議会でも否決されているそれからすると、今回のこの「16万の重み」を受け止めた知事発言は非常に画期的なものでいままで門前払いに等しい扱いを受けてきたこの手の署名活動の転換点ともなるべきものといえよう署名した庶民の一人であるわたしも、驚き、かつ喜んでいる。しかし、まだ超えなければいけないハードルは多々存在しているまず、住民投票条例を行うか否か、議会で議決してもらわなければいけない保守色の濃いわが静岡県議会が果たして、可決するだろうか?そして、住民投票条例が施行されたとき、そこでも可決を勝ち取らなければいけない保守色の強い、よくいえば穏やか、悪く言えば事なかれ主義のわが静岡ケンミンが、そこまで行き着くであろうか?それでも、フクシマ原発事故で失われてしまったものを思うとき脱原発を求める一里塚としてなんとか可決に向けて動き出していってほしい思えば、首相官邸前の「金曜日デモ」も名もなき庶民が集まって、大きなうねりを作り出したものである私たちの声を「政治」という妖怪に届かせる蟻の一穴となってほしい中部電力は幸い原発依存度も少なく、浜岡が停止となっても、受ける損害は関西電力ほどのものはないはず菅前首相の要請により、暫定的な停止を決めたという歴史の転回点の当事者としての英断をすでに行っているのであるから脱原発の第一歩という道標を、その歴史に刻んでほしいものである。
2012.08.28
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先日の脊柱管狭窄症の発症につきまして、皆様からお見舞いや励ましのお言葉をたくさんいただき、ありがとうございました。幸い暖かくなったり、湿気が少なくなってきたためかまた、AKAによる理学療法や最近はじめた鍼治療が効いてきたのか8月になって痛みが劇的に改善されてきました。こうなると現金なものでまたぞろ、どこかにお出かけしたいなんぞもくろんでおります。とりあえずは、こんなところかなとにかく、痛みは意欲を減殺してくれ5月、6月、7月は本当に気の滅入る時間を過ごしていました。おかげさまで、なんとか日常生活には支障のないくらいに体調が戻ってきました。みなさまのご厚情に篤く御礼申し上げます。
2012.08.09
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ご無沙汰しております。今年の2月ころから、腰に違和感を感じていたのが日増しに痛みが増しついには、歩行にかなり支障が出てくるようになり鍼灸やAKA博田法などいろいろ試してみたのですが一向に改善されず本日MRIを撮ったところ、「やはり」というカンジで下から3番目の腰椎のところの脊柱管が、しっかりくびれておりました。何しろ少しでも歩くと腰や大腿部の後に痛みやしびれが出てきてなんとかやっと生きているようなものです。いろいろ、あちこち不義理をしておりますがみなさま、お許しくださいませ。
2012.07.19
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世紀の天体ショーと銘打たれた「金環食」みなさまの地元ではいかがでしたでしょう?ここ、富士宮は、残念ながら雲の中でした。悔しいから、庭のキンカンを、ママレードにしてたべよう、っと!これでも「キンカン」食(しょく)、なんちゃって!
2012.05.21
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今日は、友人の「うさぎ大好き」さんと娘の三人で館野泉さんのコンサートに行きました。まえから行きたい、と思っていた館野さんのコンサートが図らずも、隣町のホールで聴けるなんて、本当にラッキーです。演目はバッハのシャコンヌスクリャービンの「左手のための小品 前奏曲と夜想曲」エスカンデ「デヴェルティメント」(館野泉に捧ぐ)休憩をはさんで、平原あゆみさんとの三手連弾エスカンデ「音の連弾」(アンリ・ルソーの「夢」によるイメージ)吉松 隆「タピオラ幻景」(館野泉に捧ぐ)アンコール:フリースの子守唄(三手連弾)アヴェ・マリア(作者名をききのがしてしまいました)館野さんの経歴を見ると、不思議にハイドシェックとかぶってきます。生まれ年も同じ1936年20歳前半で国立音楽院を主席で卒業、20歳半ばでコンサート・デヴュー音楽学校で教鞭をとる傍ら精力的に公演を続け、収録したCDは、100枚以上そして、二人とも、音楽への情熱にあふれている。ハイドシェックもリウマチがあり、左手に若干の不自由があるそうですが館野さんは、もっと深刻で、2002年に脳梗塞で右半身が不随になるも 2004年に「左手のピアニスト」として復活前人未踏の左手によるコンサート曲や三手のための連弾に取り組み数多くの作曲家から曲の献呈を受け、さらに「館野泉左手の文庫(募金)」を創設し同じような左手のピアノ弾きの支援に当たったり、曲の提供を呼びかけているという。この三手連弾という演奏法に至ったのはある日、美智子皇后から「館野さん、連弾をしましょう」というお誘いがあり急遽作曲家に「子守唄」を三手連弾用にアレンジしてもらったのが最初とのこと「けれど、ボクのパートは、おんなじリズムの同じ旋律を繰り返すもので皇后からは、『次の曲は、もっと館野さんが難しいものを弾く様にしてください』というご要望がありました(笑)」これをきっかけにお弟子さんの平原さんの協力を得て三手連弾という道の地平を切り開いていったそうです。演奏に出てくるとき、不自由な右足を引きずり、歩みが大変な中会場の拍手に応えて、何回も挨拶を繰りかえされたり穏やかな口調でアルゼンチンの作曲家エスカンデの曲の前にルソーの絵をかざしてみたり(当然見えませんでしたが)終始お人柄の見えるMCを交えての演奏会これが、左手だけの演奏なの?と思える素晴らしい演奏が会場を包み奇跡のおすそ分けをいただいた一夜でした。
2012.04.11
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しげやんさんから、松井画伯の傾向について同性としてどう思うか、とのお問いかけがあり、一部わたしの感想とも重なるので以下に記したい実は、ぼうっと展覧会の会場を一覧絵そのものや絵の解説や9つに分かれた会場コメントなど一巡しあぁ、これは、彼女のテーマはメタモルフォーゼなんだな、と思い至り逆の順路をたどり、彼女の処女作「世界中の子と友達になれる」に戻り藤の背景となっているかと思った下方の黒く変質している部分がスズメバチが逆向きに連なっているのだとわかりひえぇぇ---!うへぇ!と感じたしだいそれを、原点と捕らえたら、すべての絵に納得がいった経緯を長々と述べたのが前の2回分でワタシが、この絵たちを好きかと問われたら、ちょっと躊躇してしまう。たしかに、女性の置かれている劣位さや暴力行為や陵辱などに苦しむのも圧倒的に女性が多いのも確かだ。しかし、その傷や恐怖を跳ね除けるのに、ここまでの自傷行為が必要なのだろうか?ひとが生きていくという行為は、ここまでの暗さが必要なのだろうか、と思ってしまう。わたしとしては、やっぱり、遠藤彰子さんの過剰・豊穣な世界が好き。それは、わたしが「陽の変容」ともいうべき受胎・出産を経験しているからだろうか。異なる生命を内包しているという不思議な感覚日ごとに自分の体内で、受精卵-胎児-赤子と変容を遂げていく存在そして、出産後は、まったく別の人格として歩み始める存在それは、人という種の連綿と続くDNAの連鎖の歴史でもあるそこにおいて、人は始めて世界とつながりあうことが出来るのではないのか?それはまた、「種」ということで、異属である男性とのつながりをも意味するそんな世界をわたしは生きている。松井画伯は、自分の知っているもの(女性と生き物)のみを描くといっているがまだお若いのだからそんなに考えを限定することもないのに、と思ってしまう。会場当初に、ボルゾイと思しき白い大型犬の絵があり竹内栖鳳を思わせる筆致に驚いた素晴らしい画力を持つこの画家が「陰の変容」である「死」や「冥界」のイメージから「陽の変容」である俗世の生に気づいたときを見てみたいと思う。☆ ☆ ☆しげやんさん、こんなんで、わたしの見解になったでしょうか?何はともあれ、久しぶりに知的興奮を覚えた展覧会でした。
2012.03.17
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子供の頃の原体験から、彼女の裡(うち)に「変容」というものが宿るそれは、ひとつには、卒業制作として結実するがその後の彼女の画業として再肉化(リインカーネーション)を遂げていくそれが、繰り返し描かれる幽霊や腑分け、九相図となっていくオヴィディウスの「変身物語」や上田秋成の「夢応の鯉魚」鶴女房の伝説やカフカの「変身」など古来より変容(メタモルフォーゼス)への情熱は数多く語られているニンゲンにとって究極の変身は「死」であろう「九相図」は、その究極の姿人が死してのち、死後硬直、腐敗を経て分解されていくサマを描くものである。さらに、その後のすがた(?)としての幽霊繰り返し描かれる松井冬子の世界は、この幼児体験における「変容」の再肉化に他ならないそしてまた、この再肉化が理性的に意図を持って行われるところに彼女の絵の魅力があると思われる。
2012.03.16
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確定申告の仕事に一区切りがついたので、ご褒美にお出かけ横浜美術館で開催中の「松井冬子」展へ私的には「異形の画家」と思っていたかたをmegumegu001さんが紹介していたので、実際に見てみよう、と副題の「世界中の子と友達になれる」と言うのもこの画家さんの傾向からいうと、ちょっとふしぎな感じがした。ところが、この副題が、彼女の画業に大きな影響をおよぼしたキーワードとも言うべきことがわかる百聞は一見にしかず、というが、まさにそのようなコトバ松井冬子氏は、東京で出生したが、すぐ静岡県周智郡森町に移りそこで子供時代を送る積極的な子供だったそうで、すぐにお友達がたくさんでき「この分では、自分は世界中の子供と友達になることができるのでは」と思うにいたったのだという。しかし、長じるにつれ、その概念は幻想にしか過ぎず「世界中の子とともだちになれる」ということは不可能だと知るに至る普通の子供にとっては、これはよくあるイニシエーション自分の思うとおりに世の中は動いていかないものだという挫折を味わい、世の中のおきてに目覚める第一歩であろうしかし、松井嬢はちがっていたこの不条理と自分の理想・可能性がせめぎあい変容していくのを身をもって味わい、その変容に取り付かれてしまったのである。表題の「世界の子供と友達になれる」は東京藝大の卒業制作として描かれたものこれに取り組んだために、制作後一年間はまったく絵を描くことができなかったという全身全霊を込めた力作である静岡県磐田市の「熊野(ゆや)の長藤」に想を得て一面に咲き枝垂れる藤の花のシャワーの中一人の少女が横向きに藤の花を手に受けているがよく見ると、その足ははだしで、血を流しており画面右端には、空っぽの乳母車が置かれているそして、何より不気味なのは垂れ下がる藤の花が、下に行くと真っ黒に変容しているよく見ると、それは、ただの黒ではなくスズメバチがさかさに群がっているのである。彼女の原体験ともいうべき、変容の姿が最初にあったのである
2012.03.15
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ブログのお仲間のしげやんさんが和歌山の雛行事をいろいろご紹介して下さっているがわたしにとっての「ひな祭り」は、なぜか4月という認識なのである。と、いうのも、母は春休みになると、よくわれわれ姉弟を連れて実家に遊びに行った母の実家の焼津では、なぜか4月にお雛さまを飾っていた。「おみせ」といわれた、玄関脇の大きな部屋に母の母は家付き娘だったので、祖母自身のお雛様と藤枝市から嫁入りした伯母の持参したお雛様のフルセットの二組のお雛様が飾られ、それは見事な景観で3月に家で飾る小さなお雛様飾りはすっかり記憶として遠のいているのだろう。しかし、その中に、ひときわ異彩を放つお人形が存在した。「天神さん」といわれる衣冠束帯をつけたひげの生えた大きなお人形である。みやびな、お雛飾りの中で、ここだけ異色の空間があり子供ごころにも、この違和感が不思議でならなかった。ところが、この積年の疑問が、地元TVの番組で一気に解決を見たのである。静岡あさひTVの「街角アルキメデス」という番組で藤枝志を特集した日があってその中で「小宮人形」の雛具を紹介する場面がありそこのご主人の話として、「天神さん」のいわれが語られたのだった。いわく藤枝を含む志太・榛原地区は古くからお茶の産地であり端午の節句の時期はお茶の収穫期と重なり、お節句どころではないそこで考えられたのがそれぞれ季節を一ヶ月ずらし1ヶ月遅れの雛の節句と1ヶ月早い端午の節句を一緒にやってしまおうということそして、五月人形の変わりに学問の神様菅原道真公(天神)をかたどった天神さんを男の子のお雛様として飾ることになったのだという。母の実家は、わたしの母が生まれたときに建てられたがその後道路の改修事業ですべてが収用され、今は跡形もない幻の家となった。その娘の私が、その幻の家にまつわる謎をその家が取り壊されたときの母の年齢に近くなった今知ったというのも何かの奇縁であるのかもしれない。
2012.03.05
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お正月前の12月22,3日の頃から左の額の生え際に、ブツブツしたものが出来(古い家なので)寝ている間にムカデにでも咬まれたたかしら?とおもっていたところ(実際年に何回か、ムカデの犠牲者が出たり、ムカデが床や壁を這っている事がある)どんどん痛みが増し、ブツブツがつぶれてきてこれは大変、とヒフ科へ行ったところ、「帯状疱疹です」とのDr.の診断しかも、腎臓に病を抱えているワタシは、特効薬のバルトレックスの加減が微妙で腎臓内科のDr.の指示を仰いでほしいということで腎臓内科に行くとバルトレックスは通常は一日6錠の処方だが腎臓をふさいでしまうのでワタシの場合は一日朝夕一錠を呑み、さらに水を各1リットル飲むようにとの指示薬効を効かせるだけ効かせ、あとは速やかに体から流すようにという。さらに、つぶれたブツブツが目に入ると角膜炎を起こして失明する可能性があるとそこで、土曜日だというのに、3軒目にあたる眼科の受診診察後、角膜に炎症はないとのことだが抗生物質の目薬と抗ウィルス作用のある眼軟膏を渡され必ず塗るようにといわれ次の日からは、熱は出るわ、ブツブツははじけて出血し痛いわで散々な年末となりました。発症して2ヶ月近くなるこのごろですが、まだ時々額の辺りがチクチクとします。けれど、特効薬は、さすが特効薬で、6日飲んだだけですが心配された副作用はほとんどなく額と眉のところに多少アザが残っているだけで、なんとか日常生活を送れています。と、長々書いたのはなんと2ヶ月近くブログをさぼっていた言い訳です。ワハハ。これからも、こんな調子で更新が気まぐれに成ると思いますがマダム・オルガさんのおっしゃるようにまったくやめてしまうのも寂しいのでボチボチペースで皆様のところにも伺ったりしますのでなにとぞよろしくお付き合いくださいますよう、願いあげます。
2012.02.15
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残念ながら、今日はこちらは雨のようで、晴天が続いた30,31日に打って変わってお天気は崩れる模様です。新年の富士山はしばらくお待ちください。旧年中はいろいろお世話になり、ありがとうございました。ふつつか、粗忽が絶えぬワタクシですがまた、本年もヨロシクお引きマシくださいますようなにとぞお願いいたします。今年はクリムト生誕100年というクリムトイヤーなんとか工面してウィーンを再訪したいものと、新年早々、大きい夢を持っています。
2011.12.31
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静岡市美術館会館一周年記念展覧会第3弾として企画された「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展に行くこの展覧会は静岡がさきがけ、福岡に巡回し、東京に行くと、いうわけで、日本で一番早くダ・ヴィンチにお目にかかれることになった。東京ではちょっと評判になると、すぐ人ごみの中で絵を見ることになるその点、静岡展は、まだ知られることが少ないのか適度な込み方の中で、ゆったりと絵を鑑賞でき、ハッピーだった。レオナルドと銘打っているものの、ダ・ヴィンチの絵はほんのわずかでサライやジャンピエトリーノなどの弟子の作品やダ・ヴィンチ工房として製作されたものが多くを占めているレオナルドの理想とした美を、その周辺から探るという試みだそうだが有名な「受胎告知」(ウフィツイ)や「白テンを抱く貴婦人」(ポーランド蔵)に比べるとやはり、オリジナルの美に勝るものはない、と不満が残る中で、目玉商品(笑)が二つひとつは「岩窟の聖母」ルーヴルとロンドンのナショナル・ギャラリーにあるものが有名だがこの作品は、作品としての出来栄えが勝っているルーヴルのほうに似ているという。おそらくに、この二つの作品の中間に製作されたのではないかとのこと弟子の手が加わっているにせよ、レオナルドらしいピュアなタッチの絵でした。もうひとつの目玉商品は「アイルワースのモナリザ」イギリスのアイルワースで発見されたこの作品はレオナルドによる1503年に製作された未完成作品という説があり背景は、有名なスフマート技法による朦朧体そして、その前面に描かれているのはあの「モナ・リザ」にそっくりなポーズをとっている若い女性モナ・リザをひとまわりほっそりとした、楚々たる風情のこの若い女性は確かに、若き日のモナ・リザを彷彿とさせる面差しを持っているモデルについても諸説ある伝説の「モナ・リザ」にまたまたひとつのミステリーが加わって、謎はいよいよ深まるばかりそれがまた、レオナルドの魅力のひとつなのかもしれません。
2011.12.18
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大阪府知事と大阪市長のダブル選挙を、大阪維新の会が制した。対立候補側は、あからさまなネガティヴ・キャンペーンを週刊誌を使って行い与野党とわずの既存政党総動員の応援体制さらに、関西が地盤である某大手企業の労組出身である鳩山内閣での官房長官を務めた平野氏が応援に顔を出したことは橋下氏が府知事になる以前の府政・市政が既存政党・支持団体のなれあい政権であったことを如実に物語るものである。橋下氏が府庁で行ったことはまさに破産管財人としての法律にのっとった破産団体の建て直しでありこれは、まさに弁護士としての本分が遺憾なく発揮されたこととかねてからエールを送っていた私としては、まことに喜ばしいことである。逆に言うなら、国および地方公共団体の「行政」というものがいかに法律を都合よく解釈し、捻じ曲げたものであるかを天下に知らしめたのではないだろうか。日本は法治国家なのである国会が法律を立法し、内閣がそれを実行する、というのが本来の国家であるのに実際の法律が国会で法曹レベルで論議されることがどれほどあったろう現役の公務員であったとき時事通信社のサイトをイントラネットで見ることが出来その際不思議な記事がしばしば掲載されるのに驚いたことがあったその記事とは、「今日の事務次官会議で決定した法令」というものであった。当時は自民党政権ではあったが法令・政令というものが国会の論議で制定されると思っていたわたしには衝撃だった「事件は現場で起こっている」ならぬ「法令は霞ヶ関で決まっている」のだ民主党政権の「政治主導」というものは少なくとも、この体制の打破を目指したのではなかったかしかし政権交代があってのこの2年間というもの「政治主導」どころか、議論が閣議や党内で尽くされているとは到底思えないどんどん、どんどん世の中は暮らしにくくなっていくこの「ぬらりひょん」総理のもとでの施政を前内閣と比べてみれば「空きカン」といわれた前総理のほうがはるかに政治らしい政治が行われていたこの大阪での橋下氏の勝利は既存の政党・支持勢力に庶民がNO!を突きつけた結果であるこれが今の閉塞的な政治状況を打ち破る転換点となることを期待する。
2011.11.30
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今日から新宿の損保ジャパン東郷青児美術館でセガンチーニ展が始まった。ラッキーなことに、わたしは一足お先に静岡展を見ているアルプスに住み、アルプスの風景を描いたイタリア人画家ジョバンニ・セガンチーニその筆致は草の一本一本を書きつくそうとするかのような筆致で物質の組成の一つ一つを描ききろうとするかのような細かい筆致である。これを「分割技法」と名づけるのだそうだがそんな単純な技巧に限定されるものではなくもっとこの世界の構成要素の一つ一つを書きとどめようという情熱の賜物としての絵画手法ではないかと「分割法」という言葉に違和感を覚えながらの展覧会であった。セガンチーニはアルプスの風景に魅せられその山々の風物や光、素朴に生きる人々などを生涯の主題とし自身も絵を追求するため次第にアルプスの高地を求めて移り住み最後には標高2700m余の山荘にこもって絵の仕上げをしていたところ急性の腹痛症に襲われ、子供が医者を呼びに行くが、間に合わず腹膜炎をおこし手遅れとなって41歳の若さでこの世を去ってしまう。末期の言葉は「わたしの山が見たい」という言葉だったそうである。彼の作品の多くはスイス、サンモリッツにあるセガンチーニ美術館に収蔵されており今回の展覧会もその展示品の多くはこの美術館のものである。彼の最大の作品は遺作である三部作であるがこの山のタッチで思い出すのは由布院の画家東勝吉さんの「山」であった。東さんは長らく山で木を切る仕事をし、老いて入った特養で絵を描くことを覚え90歳から絵を描き始めた方であるしかし、その山の姿は、実際に山というものに向き合った人のみが描きうるいきいきした質感にあふれたものでその質感の捕らえ方が、このセガンチーニの山にそっくりなのである。お互いに山をよく知り尽くしたこのお二人が、もし会うことがあったならどんな風にお話が弾んだろうか、と、不埒なことを考える私だった。セガンチーニが臨終に際して思った山は、現実のアルプスであると同時におそらく彼の心に存在する山でありそれゆえに、彼の描いた山は時代を越えて我々の心を打つのであろう。それは、東さんの山についても同じことが言えるのではないだろうか。
2011.11.23
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今日は待ちに待ったハイドシェックの東京公演職場で、大のクラシック好きのK子サマ誰もクラシックの話題を語ってくれない、とお嘆きの彼女に「ワタシ、クラシック好きではないけど、好きなクラシックの演奏はあるよ」と貸したCDがマエストロの宇和島シリーズほかの数々そのCDがいたくお気に入りで「このピアニスト、来日の予定があるの?あったら、ぜひ聴きたい!つれてって!」といわれたのが去年の今頃それが3月の震災で来日予定が大幅に伸び7ヶ月待ちに待って、ようやく本日の公演となりました。演奏は2部構成で第一部は、ベートーヴェンのソナタ25番シューベルトの「楽興の時」ショパンのエチュード第2番とノクターン第13番ここで休憩を挟んで第2部はリストのコンソレーションより第3,4,5番ドビュッシー前奏曲集第1集より第2,3,4番ドビュッシー「喜びの島」朝日ホールの音響のせいか、はたまたピアノのせいか何気に硬い音色で一昨年の紀尾井ホールでのドビュッシーとシューマンの名演の記憶が鮮明なせいかう~ん、コンナモンカナァというちょっと消化不良気味のワタクシそして、お定まりのアンコールで2,3曲で〆かなという時間がやってきて---ところが、ドラマはそのあと起こったのです!なんと!アンコールは9曲!ヘンデルの組曲第1番、第3番自作の「ラ・マルセイエーズの主題による変奏曲」からクープラン風、フォーレ風、ドビュッシー風ドビュッシー前奏曲第2集より「カノープ」同じく前奏曲第1集より「沈める寺」自作の小品「小さなロバ」そして、最後に極めつけのヘンデルの組曲第2番「アダージョ」その美しいことといったら「アダージョ」は、ハイドシェックのアンコールの定番化していますがこれが聴けただけで6000円の入場料のモトはとれたも同然!しりあがりに調子を上げたこのアンコールはさながらコンサート第3部ともいうべきもの消化不良なんて、言ってられません!思わず「ブラヴォー!」の声が大向こうからかかりました。マエストロも満足げにうなずいていました。わたしの前の席のレディーが、こちらを振り向いて「マエストロはもう75歳でしょ?(こんなに弾いて)お疲れにならないのかしら---」と、心配してらっしゃいましたがなんの、なんの、アンコールが長いのはノッてる証拠まだまだ弾き足りなかったのではなかったのでしょうか?と、お答えしたワタシです。第3部(笑)の演目のほとんどは11月27日仙川アヴェニューでのサロンコンサートの中で演奏されます。諸般の事情からこのサロンコンサートに行けないワタクシでしたが思いもかけずその片鱗を垣間見させていただいてとっても幸せな気分にさせていただきました。マエストロ、どうぞ健康にお気をつけてあと2公演乗り切ってくださいね。
2011.11.21
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昔、「日出る処の天子」との前フリで書簡を物した方がおりましたが毎年11月の第三木曜日がヌーヴォーの解禁日とされ時差の関係で、一番開栓は日本になるのだそうですがそのありがたい解禁日今年も、マダム・オルガさんからロワールのヌーヴォーが届きました。シニア・ソムリエであるマダムのおめがねにかなったヌーヴォーはさすがの品でそれまで、ヌーヴォーといえば、アルコール匂のあるぶどうジュースと思っていたのがちゃんとしたお酒であることを教えられたと、家の呑ん兵衛娘が申しておりました。ありがとうございました。今年も残り少なくなり、お酉さまも近いこのごろ縁起物の姿がちらほらと見受けられきたるべき新年を迎える行事がめだってくることでしょうその皮切りとなるようなヌーヴォーの季節感をマダムに篤く御礼申し上げます。
2011.11.19
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高校の同窓会の案内がとどきました。筆頭幹事さんが、webで同窓会報を立ち上げてくれているので皆様の近況などを垣間見られてとてもうれしいのですが中には「訃報」のコーナーがあり今回もなくなられた方が何人か見受けられました。高校の卒業アルバムからお写真が転載されてもいて在りし日の姿を見るとあぁ、あの人だ---とおぼろげながらも40数年前の記憶がよみがえるように感じます。不思議な人間の精神の作用です。一瞬のきらめきですが、時を越えて、高校時代の空気を吸ったこの思いをなんと表現したらよいでしょう!先日友人のレティシアが送ってくれた本の中に養老孟司さんのご本がありましたが養老センセイによれば「ニンゲンは物理的な死を迎えても、まだ生きている」という一節がありましたが思い出す、という形で、人はよみがえることが出来る、とでもいうのでしょうか一瞬の光芒であれ、ワタシの中でよみがえった皆様ご冥福をお祈り申し上げます。
2011.10.31
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山種美術館へは恵比寿の駅からバスで行ったのですが美術館に近づいた頃、何気なく外を見やったわたしの目がテンに!なんと、とあるビルの正面にミケランジェロのダヴィデ像が鎮座しているんです!しかも、巨大!フィレンツェで見たレプリカの優に二倍以上のサイズ!展覧会が終わってから、わたしは好奇心のおもむくままそのビルへなんと、そのビルはアパレルメーカーPaPasのビルでした。このビルも、何気にレトロモダンな良い感じ帰宅してネットで検索してみると、このダヴィデ像、けっこう有名で、たくさんの記事が中には、「目がはあと」なんて記事もところで、PaPasといえば、当代の吉右衛門さんがイメージキャラクターに出てましたね歌舞伎にゆかりの展覧会の招くご縁だったんでしょうかね。しかし、このあと恵比寿駅の遠かったこと!バスで2停留所だったから、と高をくくったのが運のツキ最後は大きな歩道橋をわたるハメになり広尾を歩いて、ひろお困憊しました、ナハハ。
2011.10.24
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megumegu001さんに招待券をいただいたのでかねてから観たかった、山種美術館「知られざる歌舞伎座の名画」展へなにしろ、以前知人に歌舞伎座に連れて行っていただいたとき歌舞伎座のあちこちにちりばめられていた錚々たる作家連の名画に歌舞伎の演目そっちのけで、熱狂した前科を持つワタクシ(当然、ヒンシュクを買って、以後その知人からのお誘いは皆無)わくわくして、出かけました。詳しくはmegumegu001さんがお書きになっていますが横山大観、上村松園、川端龍子、河合玉堂、鏑木清方,伊東深水などなどの日本画の大家と目されるかたがたの作品だけでなく高橋由一、岡田三郎助、浅井忠などの洋画家の作品も飾られていたとのこと今回歌舞伎座の新築というハプニングがなければ決して目にすることのない名画の数々を堪能してきました。展覧会の趣向を反映してか、ご年配の方が多かったですがゆったりとした美術館の中で、ひどく混むこともなく至福のときを過ごさせていただきました。また、一階ロビーの喫茶コーナーでは、名画にちなんだ和菓子を提供していてこれの出来が素晴らしく、その美しさに見ほれてしまいました。(どれにしようか、決めかねて、結局食べず仕舞い、トホホ)これらの名画は歌舞伎に親しんだ画家たちに描いてもらったものや企業からの寄贈を受けたものも多かったのですが中には、役者さんの襲名披露の引き出物にした扇子の原図を貼り混ぜた屏風や役者さんがたしなんだ日本画などや隈取を写し取って、表装を施したもの6代目中村歌右衛門が自身で楽屋の欄間に描いた板絵など珍品も多く出品され歌舞伎を取り巻く「粋」の世界の片鱗を垣間見せてくれた非常に貴重な展覧会でした。11月6日まで開催されているので、興味のある方はぜひおいでください。末尾となりましたが、ご招待くださったmegさん、ありがとうございました。
2011.10.19
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急いで、お知らせします。横浜の「馬の博物館」で神田日勝展開催されています。代表作かつ絶筆の「馬」ほか北海道の大地に根ざした原風景ともいうべき絵画が多数展示されています。この不世出の、けれど忘れられている画家の絵は鹿追町の神田日勝記念館に行かなければ見られないものです。それが、関東で展示されています。会期が16日までなので関東地方の方、ぜひ、万障お繰り合わせの上、お出かけになってみてください。魂を揺さぶられる絵に出合うことはなかなかに無いものです。その数少ない空間があなたを待っていますよ。
2011.10.14
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今日はボクの誕生日、5歳になるんだ。ボクがお母さん家にもらわれてきたのは11月10日おねえちゃんが、猫の仔がいっぱい生まれた家に行って「どの仔がいいかな」って探したときにボクが、入っていたダンボールのふちを這い上がろうとしてトテッっておっこっちゃったんだって!「あぁ、このニャンコがいちばんひ弱そう、このままおいといたら真っ先に死んじゃうかも」と思ったおねえちゃんは、見るに忍びなくってボクを貰ってきたんだって!ボクはよほど衰弱してたらしく獣医さんにつれてって貰ったんだけどいただいてきた強化栄養食もしばらくは食べれず猫用の粉ミルクを水に溶いたものを、注射器で飲ませてもらったんだそのころのボクは手のひらに乗るほど小さくてやっと栄養食を食べるようになるまでお家のひとは心配でたまらなかったんだってそのときの獣医さんのお見立てで、ボクは生後1ヶ月位ってことでだから、ボクの誕生日は10月10日と決められたんだ。でも、お母さんやお姉ちゃんのお世話のよろしきを得てその後はムクムク大きくなって今ではお母さんが抱き上げると「うぅ、重い!」って必ず言うんだ。ボクそれがちょっと不満で、だから目が赤くなってるでしょ?普段はブルーグレーなんだけど、興奮すると赤く見えるらしいんだ。ボクは「おんも」が大好きで、しょっちゅう脱走してるんだ。だって、ここは富士山の麓きれいな空気とさわやかな気候がとっても気持ちいいんだよ。ほんのちょっとしか家にいないので、お母さんはボクのこと「下宿猫」っていうんだ。失礼しちゃうよね、プンプン!猫の5歳は、人間の35歳なんだぞ!猫は自由で自然な生き物なんだボクは「おんも」大好きだけど、お母さんが遅く帰ってきたときなんかちゃんとお出迎えするだろ?これからもヨロシクね。
2011.10.10
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主人の一級船舶免許の更新講習に便乗して東京に行った8月10日亭主が講習を受けている間に、映画「海洋天堂」を見て大感激その日は上の公園近くのホテルに宿泊翌11日は、国立博物館の「空海展」を見に行く予定だったがなんと、主人が薬一式を忘れてきてしまい、足の痛みを訴えるわたしも若干足が痛かったのと仏様は、その入れ物の神聖空間である寺域抜きには存在しないとの思いから空海様には、高野山や東寺での、またのお目見えを誓ってパスなるべく早くの帰宅となったが、それでも、何もなしでは寂しいと東京駅近くのブリヂストン美術館に行く「没後100年 青木繁展 よみがえる神話と藝術」展福岡県久留米市の石橋美術館に収蔵されている青木繁の2つの重要文化財作品「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」をはじめとする全国に散らばっている青木のほとんどの作品が一同に会した大回顧展であるこの2作品はわたしもしばしば目にしているが現在は久留米にあるため、なかなかお目にかかることの出来ないシロモノその2作品を同時に見ることが出来るばかりでなく28年というその短い生涯を絵画制作と放浪に明け暮れた青木の行く先々でのスケッチや友人への手紙夢破れて帰省したふるさとで、見過ぎ世過ぎのために描いたよくお仏壇に飾ってある肖像画の類に至るまで「青木繁」という画家の光と影を余すところなく紹介した良い展覧会であった。
2011.08.29
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民主党の代表戦の話題がかまびすしい。選挙の洗礼なくして選ばれる首相がまた一人誕生するというのにメディアはノー天気にレース予想に血道をあげているしかし、この名前のあがった候補者のうち誰がどのような考えを持ち、どのような政策を実行するつもりなのかが皆目見えてこない、こんなものが「報道」という言葉に値するのだろうかわが国はいまだに先の見えぬ黒雲の中にあるひとつには先の地震とその復興が明確なヴィジョンをもって対応されていないこと同じく原子力災害に対して、未曾有の避難民を生じさせ作物や生活の安全が危惧されているのに、それに真剣に向き合う政治のないこと声高に言われていることは、賠償金・補償金・復興財源カネ、カネ、カネの問題のみマスゴミの視線とは所詮こんなものかと、がっかりする気も起きないそんな混乱の中、世界は経済がおかしくなりつつあり超円高に輸出依存度の高い日本企業の富は日々減っていっている。それに対し、政府・企業・金融機関のいづれもが有効な対抗策を打ち出していないそれもそうだろう震災前、「失われた十年」を乗り越え、平成景気といわれた好況を齎したのは企業や政治が有効な政策を打ち出したわけではなく「派遣労働」という新たな奴隷制度を編み出しそれによって人件費のコストカットを行い、それが業績上昇になっただけなのだからこれから震災復興のための経費を捻出していくにせよそれは、国債か増税という、負担を後の世代に残していくという形でしか行われない年収200万とか300万という若年層をタンマリ作り「天下り」のために政策を作ることが実績であるという官僚組織しかない行政府生活苦にあえぐ世代が主流になったときにこの国の年金原資がどのように成っていくか考えずともわかることである。税収が減った、ではまた増税をするのだろうか?政策的にバラマキが必要なのだから仕方がないでしょう?日本企業不が大事に培ってきた技術が円高を背景に外国企業に買収されるという危機もささやかれているこの国はどんどん貧乏になっていくこの嘆かわしい現実をどうにかしよう、というのが政治家ではないか!なんとも嘆かわしい政治状況である。
2011.08.23
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