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さいきん、ニュースショーにも身近で斬新なテーマが取り上げること多し、その一つが民主主義の国は共産主義に比べて決していいものではないという話で、これはコロナ禍の三年間、非民主国の代表である中国が経済の回復も人的損害の回復も民主主義国に比べて圧倒的に速かったという事実を示すグラフだ。左はここ5年ほどの縦軸のGDP成長度を表している。横軸には民主主義と非民主主義(共産主義)を中央にゼロを持って来て左には中国のような非民主国家、右には米国のような民主国家をプロットしている。右のグラフは、左の民主主義度合いを表す横軸を持ってきて、縦軸にはここ3年ほどのコロナでの死亡者を表している。まず左の経済発展率グラフは、非民主主義代表の中国がダントツにGDPを成長させ、方や右の米国や日本やフランスはほとんど成長していないのだ。次に右のコロナ禍での損傷度ともいえるグラフだが、やはり死亡者数は中国が最も少なく、対照的にわが日本は民主主義の筆頭でありながら世界で最も死亡者が少ない。これこそ世界に誇ってもいい事実なのだが、これは民主主義というよりも国民の衛生意識の高さなのではないだろうか。マスクをすることに抵抗もない国民て、そんなに多くはない。この日本のグラフの位置は特殊な物だろう。この2つのグラフを見て、あるエビデンスを導くことができるだろう。つまり共産国家は意思決定早く、すぐに行動に移すから時間的ロスが少ない。これはコストにもつながることだ。反面民主主義国家は個人主義が発達しており、全体としての国家の決定は遅れる。あらゆる意見をくみ上げ、調整するからだ。共産主義国家の長所はそのまま民主主義の欠点となる。ある意味で子供でも分かる理屈だろう。子育ての最中に親が強制的に子を従わせている家庭は表面上子供は素直ではたから見ても親の言うことを訊くよいこの典型、反面いつ子供がぐれるかわからないリスクを持つ。かたや民主的な家庭は子供に言いたいことやりたいことをやらせ、親が適当にコントロールしていくが、自主性はあくまで持たせるという環境だと思う。子供は勉強は自主的に行い、平均点は強権的に勉強させる家庭よりも弾くだろう低学年のうちは・・・。しかし思春期を迎え、悪いことも覚え始めれば強権的家庭の子供はあっといううまにヤサぐれてアウトサイドする確率は高いだろう。方や自主性をもって育った子供はアウトサイドすることはなく、すくなくとも人格に幅があり、許容性を持っているのだろう。他人にも思いやりがある子に育つのは間違いないところである。閑話休題東ドイツが西ドイツに併合された時、所得格差は1/4。GDPは1/6、またすべての経済数値は劣り、国民の衛生格差が問題となり、差別の対象になった。この時西側社会(民主主義陣営)は勝ち誇って世界にそれを喧伝、ソビエトの崩壊につながったのである。しかし残る共産主義の筆頭国家中国は鄧小平をして「先に富める者から富め」というスローガンで共産主義の欠点である生産性の悪さと個人競争の原理を取り入れて米国をも抜く勢いの国家に成長させたきっかけを作った。例えば個人それぞれの意見を尊重して意見を収斂させていく民主主義国家と比べて共産主義は意思決定早く、全員無条件で右ならえ式であるから、指導者にとってこんな楽なことはない。世界中数々の新興国家が勃興したが、最初は民主主義的に選ばれた首脳部が、やがてその時間経過とともにろくな結果を得られないのに業を煮やした国民あるいは軍がクーデターで政府をひっくり返して政府に収まり、強権的政治でとりあえず混乱を防ぐという光景があちこちで見られる。アフリカ新興国、ミャンマーなどもこの部類か?(将来民主主義に移行するのかはわからないが)これに目を付けたのがまたまた習近平、新興国に金を貸し付け、影響下に置こうという狡猾さ、新興国は哀れにも中国の言いなりとなる。これまた共産圏の拡大となるのだ。いわゆる国家の利益が国民に優先する共産国家の国民はどう思っているのだろうか。民主主義国家の国民に比べて幸せなのだろうか?中国人は国が富み、強くなっていれば安心で、国にすべてを任せて個人的にはそれなりの所得と娯楽があれば文句は言わないものだ。このp傾向は民主主義国家の国民も同様で、イタリーの総督がかつて言った「うまいパスタとカンツォーネが流れていれば国民は幸せなのだ」というのは俗説だが、これに近いものがあるだろう。共産国家の施政システムの末端である隣組では町内会長がある程度の国権施政をまかされ、これをもとに会費を徴収したり不穏な動きがあったら上に知らせるシステムがある。人間は権力を少しでも持つと米屋の親父が憲兵に早変わりするという例は多々変わらず、町内会はミニマム的に大変な権力を持つのだ。これで賄賂、忖度があるのは民主主義も同じだが、自浄作用があるのとないのでは大きな違いがある。習近平は目を三角にして賄賂を取り締まっているが、限度がある。共産党は組織のかたまりだから、賄賂が行われた組織の上部がにぎりつぶせばそれで発覚することはない。かえって民主主義国家では不正があれば告発があり、それは新聞やマスコミで取り上げられ、糾弾されることが多い。政府も勝手なことはできず、憲法に縛られており、改憲するのも一存ではできないのだ。従って民主主義ははなはだ国家間のケンカには向かず、国内の運営に威力を発揮するのだ。不正があれば、国民自体が自浄作用を持って対処するが意見集約には時間がかかるのだ。それをいいことに、しばしば中国やロシアは独裁政治に近い形態をもって恫喝政治を行い、それによって国民から支持を受けて政権を維持しているという特殊な形態がある。ほとんどのこれらの国民は政府を信頼しているので、いったん政府が外部に弱腰を見せると国民は遊離する可能性が高く、独裁政権はこのことに心を砕くのである。さように民主主義国家とは欠点をたくさん持っており、グラフでわかる通りに共産国家に劣っているのは間違いない。しかしわたし個人としては周囲の密告を恐れたり、自由な表現や議論もできない国にはなってもらいたくない。それゆえに日本の現政権にはまともな姿であってほしいのである。岸田政権もまた安部の悪いところをすべて受け継ぎ、説明不足、事柄隠ぺい、臭い物に蓋をする主義らしい。民主主義はコストがかかり、国民生活をある程度犠牲にして維持するものであるから、これを安部のように私物化して勝手な権力の維持に使うものではない。そのいみで安部以降の政権は落第である。真の意味で民主主義を実行できる政権の出現をのぞみたい。
2022.08.30
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昨日、6チャンネルのニュースショーで、ひきこもりの原因の一つにSNSによる仮想空間での認識違いが挙げられていたが、人生経験の多い老人層には少なく、ほとんどが若者世代であるとの見解を評論家がしていた。この意見は極端ではあるが、当たらずとも遠からず?わたし自身SNSを利用するし、こうしてブログも上げている。わかものはSNSに上がる毎日の利用者のコメントのほとんどが自慢話であったり、楽しい時の体験だったりで、つらいことや悲しかったことはそのままあげられていない。たとえ挙げられていても、それはこうして克服したとかのいわば自慢話の一つであって、悲嘆にくれるコメントではないから、これを若者は読んでますます自己嫌悪に陥るのだろう。けっか孤独感にさいなまれてひきこもりとなるのかもしれない。反面老人の場合、実際にやることは若者に比べてはるかに少なく、体を動かすこともない。これと言って趣味もないし、友人もいない。ひきこもり同然の暮らしだが、自分はそう思っていないという人も多いのだ。このような人はひきこもりとは言わない。ただ友人=知人と区別のつかない人はここで当惑して他人不信に陥る場合がある。信頼できる友人がいても、これからの残り少ない人生には大した役に立たないと割り切っていたほうがいいかもしれない。自分を孤独に追い込み、それに耐える力をつけたほうがいいのかもしれない。
2022.08.29
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って案外と多いものだ。まず若いころ観てさっぱりつまらんかった映画「東京物語」のセリフにドキッとしたり、共感したりと新鮮な感覚で同じ映画を鑑賞した。主人公夫婦が東京の子供に会いに上京するが、すでに彼らは一人前の大人、医者だったり美容院経営者だったりして自分の生活がある。わたしもじっさい息子の家に急だったが泊めてもらい、そのありがたさに感激したのだが、映画は表面的な歓迎のセリフと、反する本音のセリフが小津の脚本で明らかになっていく過程でまさに初めて現実が理解できたのだ。息子はおろか、嫁もそう思っているのだろう。子供は孫を持ち、育てる責任がある。嫁を扶養する義務もある。そんな戦場とも言える家庭に、年よりが割り込むのはまあたまにはいいかと自己弁護するのだ。浴室を借りてシャワー浴びた時、バスタブの周囲はびっしりとキャラクターの人形が並び、孫をあやしながら夫婦だけで子を入浴させるという光景が浮かび上がり、ほほえましいというよりは彼らの子育て戦場なのだ。長居はできないとばかり帰ってきて荻窪駅前のクラシック喫茶(なぜか早朝からやっていた)でいろいろと考えを巡らす。けっきょく年寄りが孫をかわいいと思うのは離れて暮らしているからで、めちゃくちゃ動物的にかわいいだけ。一緒に居たらそうはいかないのだろう。小津の脚本は痛烈なことを劇中で言っている。じいさん「なあ婆さん、孫はかわいいというがどうじゃった?」ばあさん「わたしはやはり子供の方がかわいいですね。お爺さんは?」じいさん「そうじゃなあそんなもんかなあ」とあやふやな答え、ここに小津の言いたいことがあると思う。こんな会話ができるような夫婦になれば申し分ないのだろう。母親の葬式の最中、息子の一人が「親孝行したいときには親はなし、墓石に布団は着せられず」という俗っぽいセリフから、亡くなる前の危篤状態の時、駆け付けた子供たちは喪服を持っていくかどうかで打ち合わせを済ませておくという冷静さ、また長男が「ハハキトク」の電報を受け取った時、平然と庭の犬と戯れるシーンなど、この年にならないとなかなか理解できないものだ。また、原節子扮する戦死した息子の嫁が、きれいごとばかり言ってみんなに嫁の見本と思われている存在なのだが、いきなり老人に本音をぶちまけるシーンは何度も見たが、今回初めて理解できたのである。わたしの現実と言えば、初めて孫の手をとって歩いたときぐらいかな感動したのは。戦前の英国映画「小公子セドリック」はアニメや漫画になって子供のころから見ていたが、映画の中での伯爵が孫の素直さにすっかり頑迷な態度を改めて、周囲の人からも尊敬されるようになるストーリーもよーく理解できた。これらの旧作が無料で好きな時に鑑賞できるYOUTUBEはホントにありがたい存在である。
2022.08.28
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日本は異常な国だと外国から見られることがまた増えた。安部の政治家としての評価も定まらないうちに、安部が射殺された責任を幹部が取るという。メディアが奈良県警の落ち度を揃ってキャンペーンを張った。しかも「後からなら何でも言える式」の元警察官評論家を使ってだ。日本の警察官は世界的に見てもそんなに優秀ではない。こと対銃器の分野ではことさら。元々アメリカなどと違って、威圧的な方法というよりは、国民生活に溶け込んで防犯に役立たせるという存在、いわば化学反応での触媒的役割なのだ。コトが起きなければそれに越したことはないというのが日本式だろう。警察の役割は本来要人警護ではなかったのだが、三木総理殴打というのがあってから日本はアメリカのマネをするようになった。しかし日本の銃器犯罪率の低さとその民主主義的存在が今回の批判の対象となったと思うのだ。また冷静に考えて、現職の総理大臣でもないものが射殺されたからってクビのすげ替えまでやることか?と思う。またよく指摘されるところの現場の一般人の銃声に対する反応の無警戒ぶりを批判するやからもいるが、よく考えれば、これは日本のいいところだと考えられないものだろうか・平和な国日本を象徴しているのではないだろうか。結果安部と山上の今回したことで評価できるのは、悪質な宗教団体の本質を世間にむき出しにしたことではなかろうか。
2022.08.28
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先週、最終の新幹線に乗り遅れるという醜態を忍んで息子のアパートに泊まった話をしたっけ?お詫びの意味を込めて翌日、息子夫婦と孫にランチを驕ったが、ここにも級地現象が存在する。「級地」とは保険点数の計算に使う用語で、人件費の地域格差を考慮して総和数にパーセントを掛けたものを加算するのだが、わが自治体はゼロ、これに比べて東京都は21%である。イタ飯屋で占めて23.100円也、まあ食うも食ったが、地元なら逆算して23.100÷1.21となろうか。わが自治体なら19.000円ぐらい?いやもっと安いかもしれないな。介護保険業界も1から2級地からわが自治体に転院させて利潤を稼ぐ連中もいるらしい。これは先進国から後進国へ生産がシフトダウンするのと同じ理屈で、人件費の安いほうへ生産は流れるという法則にのっとったものだ。そんなことよりも、わたしがつくづく感じたのは、東京は年金生活者の年寄りがうろつくところではないということだ。電車の中では優先席をゆずってくれない若者が急増、みんな速足で歩くから年寄りも健脚でなければ務まらない。電車の中は私より年上はついぞ発見せず。早朝の電車に居た!彼らはたぶん再就職組で、夜勤帰りか早朝出勤のどちらか、みんな決まったようにくたびれたカバンを膝の上に抱きしめ、無理やりなのか目をつむっている。もう東京の連中に軽々しく驕るのはやめにした。今度は割り勘にして居住地の級地を訊き、係数をかけることにしようか。複雑な計算はネットの「高度計算サイト」がやってくれる。本当に見栄を張っていたら生きていけないのが地方の0パーセント地域居住年金生活者である。
2022.08.17
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近くの仕立て屋から聞いた話だが、旦那のジャケットを修理したが、その方法が奥さんからクレーム付けられて本人も取りに来ずに困っているとのことである。めんどくさいなあ女房持ちって!と思ったのがこの拙文の始まりである。何を言いたいのか?そう、独身者なら意思決定も早く問題ないが、妻帯者となると、ある手続きを踏まねばこのようなことになってしまうのだ。つまり前者なら一党独裁国家、共産党もその部類、後者は民主主義国家、米国がその代表と言えるだろう。一党独裁の独身者の欠点としては、どうしても一人の頭脳での話だから選択肢は限られるが、後者は異性としての意見や一般常識に近づく判断が得られるため、意思決定に時間はかかるがより適正な判断が得られるはずである。なかには配偶者の意見がほぼ100%通ってしまうだらしのない国家もあるが(笑)俗にいう恐妻家というやつである。これは論外とするが、夫を首長、妻を議会と考えるといろいろ思い当たることはたくさんある。まず民主主義の代表である夫婦家庭だが、意思決定は独身者に比べて大変遅く、円満と言われる家庭ほど遅い。これはお互いを尊重しすぎるためで、意見がぶつかるからではない。しかしはたから見てイライラするのはこのタイプかな。それとも旦那の意思を忠実に実行と言うタイプで、夫婦にも旦那にすべてお任せと言う方もあり、いわばK市の議会のような夫婦もいる。今の中国は独身貴族(昔この言葉が流行したことがある。独身者は可処分所得が既婚者よりも多い場合が多く、うらやましがられた時代があった)の典型で、書記長が絶大な権限を持ち、議会などはない。しかしこの欠点は首長の能力いかんで国の方向が大きく変わり、とんでもないほうへ発展する危険がある。意思決定の速さを是としてこの体制を続けると破綻してしまうことも多いのだ。第三者の冷静な値踏みと言うものが必要である。しかし首長の能力がずば抜けており、采配よろしきを得ることで、爆発的に国力は力を得て夫婦者など馬鹿らしくなることもある。しかし狡猾な妻は、夫を建てて傘下に入り、のうのうと一生を過ごすというのも多い。昨今のK市議会がそうである。夫の欠点をわかっていながら指摘すると夫の逆鱗に触れるので黙っている。こんな議会を持つ自治体は不幸である。また市民がたまったものではない。このような議会を偽装夫婦という。市民である子供にとってこんな自治体を親に持つのは不幸である。またも閑話休題いま民主主義の国は世界でも劣勢にある。つまり結婚していることで意思決定が遅く、人格なども尊重しなければならないので、個人の犠牲など国家の利益の前には吹っ飛ぶ共産主義が優越している。技術的にも人命がかかる自動運転や空飛ぶタクシーなどでは圧倒的に中国が優位に立っている。何人死んでいるかわからないが、深圳あたりではテストコースではなく一般道路でいきなり本番で実験している。将来、民主主義国家よりも共産党のような一党独裁国家が出現するのは間違いない。後進国が素早く国家の体裁を整えるためには、民主主義などかったるくてしようがないということだ。現に小さいながらも民主主義を掲げて発足した政権が、軍のクーデターであっさりと独裁国家になってしまう例はたくさんある。架空の理論だが、マイケル・クライトンのオッドマン仮説は「ぐずぐずしている間に敵はお前をやっつけてしまうぞ」という理論で、議論は前にやっておき、いざというときは行動が先というシステムである。母ちゃんと相談してからってのは通用しないのだ。
2022.08.13
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というのは共産党の理屈であって、資本主義では何の役にも立たないし煩わしいだけである。あるブログを読んでそう思ったのだが、紹介するとある学校の校長がお母さんたちの前である生徒の作文を読んで聞かせたとのこと。大意は「父親の職業はいわゆる鳶で、足場を掛けたり穴を掘ったりと忙しい。家では母親から邪魔者扱いされても一言も文句を言わない。ある日、足場の上で父親が仕事をしているのを見て、仁王様のように大きく見えたのに感動したという話だが、創作のようにも思えるブログだ。鳶はわたしから言わせれば技能職業で、ホワイトカラー(古い表現)にはない直接的な仕事感覚を持っている。彼らは高所、または地面で作業するから、ホワイトカラーに比べて危険度は数倍のリスクを背負うだろう。なので常に単純直哉的な行動が求められる。遠慮していたら始らない。自分が危険にさらされるだけなので、彼らはそれこそ必死にチームワークを守るのである。パートナーがどんなに鈍くても自分より劣っていても、彼らは黙々と仕事をこなすのだ。これこそ職業に貴賎はないという見本であろう。昔のフォーク歌手の歌詞に「俺たちゃ居なければビルも道路もできやしねえ」なんてのはとんでもない話で、特定の職業を差別する事になろうか。また昔の話しばかりで恐縮だが、女性が運転する車のうしろに見えるようにヘルメットを置くのが流行ったことがある。これは女性一人だとバカにされるので、ヘルメットを見せつけることで、土建屋のガラの悪さを利用したアピールであったらしい。当時は確かに鳶土工のたぐいは風来坊、無宿人、ギャンブラー、その日暮らしなど、社会的なイメージは低かった。しかし今はどうか?彼らは天空を背にして安全帯(三点姿勢)のベルトを着け、工具をカラビナでぶら下げていかめしくもかっこいい。昔からあんな危険な職業にしかつけないのは、学校で勉強しなかったからだよと教わった。それは確かに誤りではないだろう。しかしみんなが勉強してしまったらどうなるのだ?東大卒の鳶土工が増えたりするのではないか?ナンセンスな話である。音楽界でもそうである。クラシックは何となく努力研鑽、自己制御の匂いがするが、ジャズは正反対で、努力などとは無縁の世界、自己中心主義、快楽始業主義、イソップ童話でいうところのキリギリスであろう。公立大学を出てバンドマンになり、将来を誤った人間はたくさんいる。こんな実例を見ていると、職業には貴賎があるから、学業に精出せよと言う昔ながらの教えが正しくなってしまうではないか。反抗期の息子に頭を下げて「頼むから進学校に入ってくれ」と頼み込んだ父親は立派である。父親の威厳もかなぐり捨てて息子に頭を下げるという行為は捨て身でなければできないことだ。その息子は立派に薬剤師になり、家業を継いでいる。これこそ教育ではないだろうか。
2022.08.11
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さて、日本は世界で最初に戦略爆撃と言うものを小規模ながら敢行した国である。蔣介石の国民党政府が揚子江を遡行して重慶に逃げ込んだのを追って日本海軍が双発爆撃機で爆撃したのである。空から降る爆弾など見たことも経験したこともない中国人はたちまちパニックになり、地下壕に避難した市民は圧死や窒息死を遂げた。これが毎夏続いたが、爆撃機の規模が20機前後と小規模だったため、市民の敵愾心をあおる結果になった。これは先に書いたドイツ空軍の偽装爆弾散布と同じ結果であった。この時の日本軍指揮官は数人変わるが、戦後「最後の海軍大将」として有名になった井上成美の言動を紹介したい。彼は参謀に過ぎなかったが、爆撃隊の指揮官に対して「目標を定め、一般人に危害のないように努めよ」と指示したとの話がある。伝聞なので確かではないが、おそらく後日井上の評価が高まるにつれて出来上がった伝説なのかもしれない。しかし目標は前と同じ揚子江の中州で、住宅が密集した区域であったから、日本側には一般人に被害が及ばないようになどと言う考えはなかったのかもしれない。井上の指示と言うのは怪しいものではある。参謀が直接現地の指揮官に指示するのはあり得ないからである。まったく逆の話だが、米軍捕虜を死刑にした罪で絞首刑になった岡田資と言う陸軍軍人がいた。彼は当時軍管区の司令官で、捕虜を斬首する前に陸軍の法務将校に何度も確認をして執行したと言う(このあたりは大岡昇平の作品を読んでください)。東京裁判の際に、岡田はB29の搭乗員をして無差別爆撃を行った爆撃機の搭乗員を処刑したのは当然という論法を主張して連合国側の矛盾を暴露したが、しょせん勝者の裁判など何の価値もないのだからここでは論じない。検事から、斬首された捕虜の家族に対して謝罪する気はないか?と問われても岡田は「そのようなことを考えていたらきりがない」と言い放ち、はなはだ検事側の心証を悪くしたという一本気の軍人であった。おそらくこの問答は、日米の軍人たちの考えを象徴しているのかもしれない。家族の心情をおもんばかる米軍の検事とそんなことは恐らく考えの枠外だったろう日本の軍人との差である。米軍検事は製薬会社の経営者だが、有事になって志願して将校となり、司令官の副官となった人、司令官は陸軍大学を出たカチカチの軍人だったが、彼はいわば民間出身で社会的常識を持っていた。軍人は社会的常識など持っていても役に立たないというのは世界の常識だが、米国ではこのような軍人の欠陥を補佐する役目の人事も行われていた。家族とはなにか?軍人だろうがサラリーマンだろうが坊主だろうが、個人的には最高の、また最後の心のよりどころだというのが古今東西共通しているが、それは軍人の血生臭い任務とは相反している。アメリカ側は常にそれを基準としてモノを考えることができた。これは両国の軍人の教育課程を見れば明らかである。日本の軍人はドイツの模倣に始まったせいもあって、プロシャ式軍人を生育した。家族はあくまで滅私奉公の支えであり、家族よりも天皇を優先した。軍人の養育は早くから始まり、幼年学校は15歳で入学でき、18歳で陸軍士官学校に入学すればエリートコースを歩んで将校となる。さらに上をめざせば陸軍大学校があり、ここを卒業すると超エリートとなって国を左右する将軍をめざせた。他の道はないのである。社会的な常識は嫁さんに任せて自分は任務に没頭するというのが日本式の軍人だった。これに対してアメリカの軍人は多彩である。前述したドゥリトル(最初の東京爆撃指揮官)は曲芸の飛行士で、メキシコとの定期便などもアルバイトし、密輸にもかかわった。空母から陸上爆撃機を発進させるという素人同然のアイデアに飛びついた彼の度量は、東京爆撃にぴったりだった。1930年代名声を博したピアニストのエディ・デューチンは元薬剤師で、戦中は志願して駆逐艦隊の副長として勤務し、少佐まで昇進した。どんな経歴かはわからないが、日本ではこんな人間は生まれ得なかった。米軍航空隊の最高指揮官アーノルドは純粋な軍人教育しか受けていないが、そのアイデアと積極性は慎重さを欠き。しばしば部下を当惑させた。若いスタッフが叱責されて目の前で卒中で死亡したこともあるほどだった。陸軍長官から何度も注意されたが全く効果はなかった。言い放ったのは「私の任務は敵国の上空で多くの爆弾を落とすことで、あなたの叱責を受けることではない」これも与太話に近いが、彼の性格を表している。これまた日本ではありえないタイプである。米国軍隊の特徴は、師団長や艦隊司令官クラスの副長または参謀には娑婆では医師だったとか会社の経営者だったとかいう経歴の人間をつけて部下との間を取り持たせたことにある。常に米軍の組織には新しい新鮮な空気が流れており、高官が部下に対してハラスメントなど行うと新聞記者が早速記事にした。シシリー島を制圧したパットンが砲弾病になった兵士を叩いたと新聞にかかれ、ブラッドレー(パットンの上司)が平謝りしたこともあった。このようなニュースは日本やドイツには考えられないことだった。ハルゼー提督が艦内のアイスクリーム製造機の前で並んでいると、水兵の集団が割り込んだ時がある。ハルゼーの星の数に気づいた水兵がすぐに最後尾に回り、事なきを得た。ドイツや日本の軍人は若くして従兵がつき、洗濯や靴磨きなどの身の回りの世話をするように仕向けられていた。今でも付き人と言う習慣が残るのはその名残である。ここで気づくのは、アメリカは軍隊も民主主義的な思考プロセスを重ねるということだろう。これが民主主義と言うのであれば、まさに民主主義は敵にも気を配り、戦争とは一方的な力の行使だけではないということに気づくはずだ。日本が降伏するのに必要な戦力を見積もったアメリカは、まだまだ日本人が改悛していないとのことで原爆を使用したというのは自然な成り行きである。無条件降伏をした日本とドイツに対して、大統領は軍の糧秣庫を開かせ、飢えた国民に供与を与えた。これが戦後、アメリカが同盟国を増やした原因でもある。
2022.08.10
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まだ書き足りないこともあるし、原爆投下の意味を米軍の記録から探っていきたいので続編です。思想の流れを大まかに書くと次のようである。第一大戦で短時間のうちに何千人もの荘重が死んでいくのを各国の軍人たちは何とかせねばと思っていた。その中で有名なのはイタリア軍人ドゥーエの発表した理論である。まだ飛行機は完成された兵器とは言えない時代だった。彼は言う。もし飛行機が敵国の都市を直接攻撃できたらこんな戦死者は出ないで済むだろう、兵士はみんな国家の働き手の世代であり、いわば戦死させるにはもったいない資源なのである。兵士の損害を少なくするには短期間で敵の生産力、戦意をくじき戦争の終結を早くすることだと言う。ここに戦略爆撃の思想は生まれた。陸戦を援護するための空軍力とは別に全く新しい思想であった。米国はその地勢上敵を国境に接していず、大西洋、太平洋と言う大きな海に挟まれているから、国防上は大変に有利な地形でもあった。海軍とともにそれを援護する空軍力はどうしても必要だったのだ。必然的に飛行機は大型となり、航続距離は伸びなければならない。海軍の空母艦載機とともに陸上から直接支援できる爆撃機に思想が走ったのは当然である。第一次大戦後、債務国から世界の債権国に変身した米国は豊富な資金でシアトルの豊富な木材資源を背景に発達した製材所が発端のボーイング社がその先鞭をつけた。陸軍航空隊から示された仕様書をもとにして施策された飛行機は1934年に4つのエンジンを持った長距離を飛べるもので、これが戦略爆撃機の原型となる。当初は沿岸警備を任務としたが、大きな積載能力は爆弾を積むこともできた。ドゥ―エの理論は正しかったが、飽くまでそれは二国間の戦争で片方しか持たない技術としての話しで、両国ともお互いの都市を攻撃できる能力を持てば、お互いに持久戦となって「どっちが先にくたばるか」と言う結論に落ち着いた。ドゥーエの戦争を早く終わらせ、自国の荘重をいたずらに消耗させないという願いは消滅した。結局のところ技術開発の速度競争となり、米国は航続距離の長大な4発機の開発によって優位に立ったのだ。第二次大戦が始まり、英独相互の都市攻撃が始まった。ベルリン、ロンドンの市民は至って元気であった。チャーチルもヒットラーも市民が疎開するのを阻止、両氏とも演説の名手であるから、素直に市民は従った。米陸軍航空隊の指揮官たちは英国民の爆撃体験を聞きとり、心理学者がこれを分析した。その中で興味深い1件があるので紹介したい。ドイツ空軍がローマに偽装爆弾を散布したことがある。偽装爆弾と言うのは、人形や万年筆、カバンなどに爆薬を仕込んで触れると爆発する仕組みである。この行為に対してイタリアの市民はドイツ軍を非難、枢軸から連合国に変身する原因の一部となった。心理学者はこのことを航空隊幹部に報告した。「卑怯な手段の攻撃は著しく戦意を上昇させる」というものである。米軍もこの同種の計画をしていたが、直ちに中止した。心理学者はさらにこの種の攻撃は卑劣だが、空襲による被害で著しく自分たちの生活環境が変わった場合は正反対となり、厭戦、政府に対する怨嗟などがみられるとした。これはロンドン市民が地下鉄内に避難した時の証言をもとにして分析した結果である。「すなわち「帰る家があるうちはまだじっと我慢できるが、帰る家が破壊されたらパニックになり、指導者たちを恨み始める」のだ。この問題は軍としても十分考慮する必要があり、政治家チャーチルの人たらし演説と国民を奮い立たせる行動がそれをある程度防いだ。ヒットラーはベルリンに飛来する英国爆撃機を撃墜するのに高射砲を増やし、国民の見ている前で敵機が撃墜され、その効果は絶大だとする彼独特の見解であった。チャーチルの英空軍はさらに工夫して新しい作戦を考えた。まさに悪魔の仕業ともいうべきもので、第一撃の攻撃を行った二時間後にさらに大規模な空襲をかけるというものだった。この二時間と言う時間は、消防隊やボランティアが被害区域に到着して救出や消火活動をしているときである。これを見計らった空襲は、ドイツ国民に内なる打撃を与えたが、日本人と共通して国家を恨み反戦に走るようなものは皆無だった。このあたりが全体主義国家の特徴である。英国の議員にもさすがにチャーチルを非難するものはいたが、チャーチルは毅然として言い放った。「敗北は私にとって個人的に恐怖である。縛り首になるのはあなたでなくこの私だ!」とにらみつけた与太話もある。チャーチルの非情さは自国のコベントリー市が爆撃された時にも現れる。諜報活動によって同市が爆撃される日時がわかっていたのだが、諜報網の存在が明らかになるのを恐れた彼はこれを黙殺、コベントリーの市民に多数の死傷者が出た。転じて今でも被害国の日独は、東京裁判とニュルンベルク裁判で裁かれた以外、自国での戦犯追及はしていない。全責任をヒットラーやA級戦犯に押し付けて戦後をのうのうと生きているのだ。閑話休題米国の航空隊首脳にはドイツ系軍人が多く、同じ姓をなのる敵国人がいても不思議ではない。また日独の軍人と異なり、一般教養を大学で身に着けていたので、建築や美術、あるいは学者の著書が納められた図書館などを破壊するのにためらいがあったのは事実である。日本にも目を向ける軍人はいて、彼は京都、鎌倉などの古都の風景を思い浮かべていた。この両市が被害を免れたのはこのせいだと言われる。また次の目標になる都市には予告ビラを撒いた。この効果は一石二鳥で、市民をパニックに陥れるのと同時に一般市民への攻撃への非難をかわせる口実になった。こうして見てくると、米国にのみ、敵国への攻撃には常にモラルを持って当たったということになってしまうが、残念ながら米国以外の国にはこの種の公的記録がないのである。続く
2022.08.09
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保坂さんは故半藤勝利さんとともに、昭和史を深く研究している人、明快な思想はちょっと左っぽくて知性的なものだが、この記事はどうだろうな。「政治テロ」を定義するのもつまらない話だが、世の中の悪を一掃しようとする内面的な精神力をして行動に至らせるのがテロだとわたしは思うのだ。2.26事件の青年将校たちなどそのいい例で、自分たちは恵まれた環境に育ち、軍人としてエリートコースを歩んだ人たちだが、農村の疲弊とその実情を部下から聞いて立ち上がったというのが動機の一部でもある。直近のフランスでの乱射事件もまた移民や宗教に対する扱いに不満を持ち爆発したのではないか?だとすれば、安部晋三射殺容疑者の山上はこれらに当てはまらない。彼は母親が宗教に狂って一家をぶち壊したのを恨み、心情をすぐれた文章力で表現し、それを保坂さんは解釈したのだと思う。しかし山上はそれを社会に公表しようとしたわけではなく、鬱積した感情を書き留めただけである。その感情は文章にぶつけるだけでは飽き足らずに行動に移したということではないだろうか。いわば自己破滅型の行動を取ったとみるべきで、彼は自分を意識的に生活苦に追い込み、犯行へのエネルギーにしたのだろうと思う。もし彼がきちんと仕事をし、納税をしていたら、そのような感情は外部に爆発することはなかったろうと思われる。社会的に衝撃的な事件は、文筆家にとっていわば食うためのチャンスでもある。まあ週刊誌を買って読んでみてまた再考はします(笑)
2022.08.07
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今日は広島への原爆投下記念日である。必ずと言っていいほどこの日が近づくにつれ、国内にはネットにも新聞にも原爆使用の是非についての論評が溢れる。内容は「非道の兵器核兵器を投下した米国の犯罪を批判する」。しかし投下後77年経っても「原爆投下は過ちだった」とか、米大統領が日本国民に対して謝罪したなどと言う話はない。米国側の言い分としては大きく分けて二つある。一つは東京裁判で日本側の代理人ブレイクニ―弁護士が提起した「原爆を落とした国に日本を裁く資格はない」とした動議は直ちに連合国側に否決されたということ、もう一つは米国側の論理に、「原爆投下は、多数の日米国民の命を救った」という理屈があるからだ。前者の東京裁判での却下は敗戦直後の挫折感漂う日本人にとって痛烈な打撃ではあったが、戦勝国が戦敗国を裁くということ自体が基本的に裁判と言う中立性を保ってされたはずはないから、無理な論理であった。しかし日本人はこの判決から75年、日本側が改めて調査、原爆投下の合否を再び明るみに出したことはない。毎年々繰り返される敗者の恨み言に均しいことが繰り返されるのは残念である。日本の言い分は、原爆投下は間違っていたとする見解なのであれば、国家としてこれを調査、世界に発表しなければならない。しかし公に調査したという話はどこからも聞こえてこない。二つ目の米国の見解は「原爆投下は日米両国の国民を救った」である。この見解は米国のいろいろな人が支持している。根拠は戦後まもなく行われた米国の戦略爆撃調査団によるドイツ、イタリ―、日本の被爆民へのインタービューと膨大な記録が残っているからである。米英のドイツへの爆撃についてだが、両国とも同じ方法ではなかった。米国が目標を港湾、工場、駅などのいわゆる点を攻撃したのに対して、英国は目標を決めず、地域を決めて夜間爆撃を行った。これは米国の考えは一般市民を巻き込まないという言い訳の名分になった。一方英国はドイツ側から「無差別爆撃」として非難されたが、戦後ナチスの戦争犯罪が暴露されるにつれて反論は収まった。調査団の一行が悲惨な焼け跡を見たり、被爆した市民の体験を聞きとってノイローゼ気味になると、調査委員長からアウシュビッツを見てきたまえと勧められた。そこには最良の解毒剤があったのだ。日本への空爆は欧州の例に沿って軍事目標のみを狙い、いわゆる住宅地は外されていた。従って昼間爆撃が採用されたが、対空砲火と迎撃戦闘機からの被害を避けるために高度を上げていたため、命中率ははなはだ悪く、成果を挙げられなかった。司令官は左遷され、今でも日本では悪名の高いカーチス・ルメイ将軍が着任し、方式がガラっと変わった。まず精密爆撃をやめ、英国式に夜間爆撃と目標を地域に切り替えた。さらに日本の住宅がほとんど紙と木でできていることから焼夷弾を使うことにした。ドイツに比べて対空砲火と戦闘機の攻撃が少ないと見たルメイは機銃を取り外し、焼夷弾の積載量を上げてまでこの作戦を徹底した。例外なのは4月におこなわれた郡山の化学工場爆撃ぐらいだろう。この方法は先の英国が取った夜間爆撃と同じで、敗者側は無差別爆撃と非難した。有名なのは10万人の被害を出した3月10日の東京下町爆撃である。ルメイの主張は、「日本の住宅では内職と称して軍事工場へ納品する部品を作っていた。これは軍事目標とみなす」と言うことだった。さらに追って、8月の原爆投下が決定された原因のひとつにソビエトへのけん制があった。日本を降伏させるのにお前の力は不要だというアピールである。日本が無条件降伏をした8月15日を過ぎてもソビエトが分け前を欲しがっていたという事実はこれを証明している。この出来事は二個の原子爆弾が広島、長崎に落とされてその前後の日本政府の記録と合わせて間違いなく日本は終戦への意思を固めたと推測するのは簡単である。原爆が落とされなければ日本はまだぐずぐずと抵抗を続けただろうし、ソビエトは北海道に上陸していたかもしれない。さらに連合軍の本土上陸が行われていれば、日米両方に多くの死者が出ていたのは間違いない。天皇の逆音放送にある終戦の理由の一つ「残虐なる特殊爆弾」というのは原爆のことである。しかし原爆投下はこの推測をまったく違うものにしたのだ。原爆投下にもかかわらず、日本が降伏を拒否していたら、ソビエトが北海道へ上陸していたのは変わらないとしても、日米両軍に多大の損害が出るというのは違っていて、米軍首脳部は兵隊の損害を少なくするためにおそらく第三の原爆をどこかに投下したに違いない。たった一機の爆撃機(10名搭乗)があげる戦果は、司令官や政治家にとって魅力的である。もし先の米軍の空襲目標の統制の取れた方針(最後には無視されたが)も何千、何万と言うアメリカ人の戦死で被る損害は当時の大統領としても受け入れられるものではなかったはずだ。高価ではあるが、原爆によって戦争が終わるとすれば、十分見合う計算になる。つまり原爆がもたらした効果は米国よりも日本人にとって不幸中の幸いだったということになるのだ。一方的な日本人への殺戮は終戦の決断をした日本の指導部が恐怖したことであった。このころ原爆の在庫は少なくとも2個、朝鮮戦争の時は数十個に増えている。マッカーサーは中国が北朝鮮から攻めてきたとき、大統領にすくなくとも十個の原爆が必要だと要求しクビになっている。軍人は道徳的要素など考える必要はないが、それでもこのような軍人をすぐに首にする権限が大統領にあったのは幸いであった。一般国民と言う概念は戦争によってだいぶ拡大解釈され、彼らだって国を構成している一員、当然ながら攻撃の対象になるという考えが定着したのは戦後である。
2022.08.06
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柳田国男さんの名著と言われているこの本、父親の蔵書として書棚に埋もれていたが、息子のわたしが有り余る時間を利用して読み始めた。最初は時代錯誤して難解な部分にぶち当たるが、当時の知識や情報収集環境の違いを想像しながら自分なりにバイアスをかけて読むことにしたら、だいぶ気は楽になった。最初の章は色音論と言うタイトルで、いまの日本人の感覚のもとになったのが色と音だという。江戸時代後期に流行ったものが赤い椿を庭に植え、ウズラをかごで飼ったという組み合わせがこの色音論だそうだ。現代では、日本人はことさら色に敏感で、同じ夕暮れの雲の色が千遍万化する様を捉えてあかね、くれない、などと称して自画自賛するが、実は我々は当時色をはなはだ制限してあまり種類を増やさないようにしていたとの著者の弁である。これは混乱を防ぐことと、当時の染め物の技術が鉱物系、植物系と自然界のものに頼るしかなく、種類があまりにも視覚からはかけ離れていたからではないだろうか。我々が感じる夕暮れの雲の色の種類は、とても当時の染め物師が作れる数を凌駕していた。たとえば俳句で「赤い花」というのは想像するしかないのだが、このあたりの想像力は日本人には現代に自画自賛するような能力が備わっていたのだろう。また著者は言う。もし日本人が低緯度地方で自然の果実や植物の色に遭遇していたら色の数はおのずから増えて色の名前もまたしかりだったはずだともいう。その証拠に、色の数(名称)は外国の方がはるかに多いという。なるほど、例えばレモンは日本になかったが、外国ではLemonyellowとしてあるし、フェルメールで有名な青の顔料はとても当時の日本ではお目にかかれず、ただの青としてしか認識しないだろう。自然界の青を群青とか、紺碧とやったのは独自の日本人の感性だろう。果物のオレンジ色は日本では赤と黄色の中間としか認識されず、オレンジと言う果物から採られた色だとするのは後の話しである。日本人は色を認識するのに最も多い機会は娘たちの晴れ着だったと言う。染め物師が技術の最先端を活かすのはやはり古今東西若い人たちの着物であった。ここに登場する色以外はまったく蚊帳の外だったのが当時の日本であった。若い女たちの着る晴れ着から柳田はまた鋭い解釈を続けていくのだ。当時の情報収集環境は、せいぜいが旅行か旅行者からの見聞きしかない時代、やはり彼ほどの思想家と言うか世俗評論家はいなかっただろう。書物はつぎに服装のことを取り上げる。晴れ着は当時(江戸時代)ほとんどの庶民の若い女には無縁で、一番上等な着物を晴れ着としていた。すなわち、女の着物は晴れ着しかなく、水仕事や料理の際には襷を使って袖や裾を詰めて作業着としたとのことだ。晴れ着の中から一番古くて傷んだものを作業着におろすという決断があったらしい。しかしこれは女の分野であって、男の場合は大工や石工、鳶の職業は仕事着と言うのがれっきとしてあり、女性との差が甚だしかったようだ。警官や兵士はいわゆる筒袖付の洋服が用いられ、まず上着から下履きへと変わっていったという。洋服に袴、またはモンペや股引(タコ)といういで立ちから、上下とも洋装になったのはかなりの年月が必要だったらしい。もっとも変革が遅れたのは履物で、これは欧州の履物文化と異なる文化を持つ日本だからこそできたことで、欧州ではほとんど靴は脱がず、方や日本では靴はしょっちゅう脱着を繰り返す。住居と仕事場のあいだを往復するのに最適の履物はぞうり、下駄類であった。旧制高校の生徒の典型的服装はYシャツに長ズボン、ベルトには手ぬぐいをはさみ、履物は下駄であった。明治中期になるとロシア軍人の履くゴム底製の長靴を見て警察官に採用、兵士から一般人へと広がっていったらしい。およそ百年前(この本ができた時期から)はどんな小さな庭先でも椿とウズラのコンビが日本人の精神を慰めていたというのにである。この速さは驚異的と柳田国男は書くのである。今でいうパラダイムシフトを目の前で体験した柳田はさらに住宅へとその観察眼を移していくのだ。
2022.08.02
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