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認知の誤りについて具体例で見てゆきましょう。事例1森田先生が大切にされていた皿を落として割った。誤った考え方、行動きっと先生に叱られるだろう。そうなると怖い。だから自分はこの件は全く知らなかったことにしておこう。この皿を隠しておこう。ゴミと一緒に出してしまおうか。それとも正直に告白して、弁償してしまえばよい。それを見ていた人にも、見ていなかったことにしてもらおう。お願いしてみよう。それにしても自分はいつもそそっかしくて失敗ばかりをする。軽率な行動をとった自分が許せない。森田先生もこんな時は寛大になり、慰めて許してくれればいいのに。問題点この人は責任回避のことばかり考えている。割れた皿が壊れておしいことをしたという気持ちはない。自己防衛ばかりで見苦しい。事件が発覚しなければいい。分からなければよい。自分の責任追及を免れればいい。その結果、事実を隠したり捻じ曲げようとしている。また自己嫌悪に陥り、他者批判をしている。どうすればよかったのか初一念で行動する。しまった。取り返しがつかない。どうしようか。なんともいえない気まずい思いを十分に感じてみる。そのうち、割れた皿を片づける。先生に正直に報告する。そして謝る。なんともいえない感情を味わっていないと、次の行動には移れない。事例2自分の職場の同僚たちが女子社員全員を連れて居酒屋に繰り出した。ところが後でわかったのだが、自分だけのけものにされていた。謝った考え、行動無性に腹が立った。どうにも腹の虫が収まらない。どういう料簡なのだ。なぜ自分を無視するのだ。仕返しをしないと気がすまない。次の日の朝、同僚に悪態をついてしまった。そしてもう同僚たちとは口をきかないと決めて、だんまり戦術に出た。問題点爆発して一時的に楽にはなったが、人間関係がますます悪化してしまった。だんまり戦術も職場の雰囲気がますます悪くなった。一人孤立してしまった。そのうち、もうどうにでもなれという気持ちになった。こんな会社いつでもやめてやるという気持ちになった。自分の生活を左右するような大問題に発展した。実際には、こんなことで退職すると家族が路頭に迷うことになる。どうすればよかったのか自分だけのけものにされたというのは事実だ。どうしてのけものにされたのかその理由を知りたい。自分で思い浮かぶ理由はないか。ないことはない。考えてみれば、同僚や部下のことを思いやることが少ない。自分の思ったように仕事をテキパキとしていないと嫌味を言うことがある。また真面目だけが取り柄で、ジョークの一つも言えない。パチンコ、競馬、マージャンの話で盛り上がっている時に知らん顔をして仕事に取り組んでいるかのような態度をとっている。煙たがられているのかもしれない。考えられるのはそんなところだ。でも、自分の推測ばかりでは間違っているのかもしれない。後日分かったことは、飲み会は関連会社の営業マンから提案があったそうだ。関連会社の接待だったのだ。その時私には声かけをしないでほしいと言われたそうだ。仕事でお互いに険悪になったトラブルを抱えており、今は一緒に飲もうという雰囲気ではないと釘を刺されたそうだ。同僚たちもやむなく提案を受け入れて、こっそり出かけたそうだ。同僚たちには自分に対する悪気はなかったのだ。何だ。それなら自分もよく分かる。自分だってその人とは今は一緒に飲もうとは思わない。その事実が分かっていたら、同僚にあたり散らすことはなかった。でも後の祭りだ。かえってお誘いが無い方が好都合だったのに。それなのに、真実を知る努力をしないで、憶測で事実を作り上げ、それに基づいて行動してしまった。事実をつかまないうちに、見切り発車で行動してしまった。取り返しのつかない失態を演じてしまった。前提が間違った上の行動は、見当違いの方向に向かってゆきます。事実こそが神様だと思います。事実を軽視してはいけないのだと思います。蛇足ながら、寛大な同僚たちのおかげで会社はやめずにすみました。私は一旦嫌いになった人とは絶対に縁りを戻そうとは考えないのです。普通の人は、その時は嫌いになっても、後日また仲直りができるようです。融通がきくのです。うらやましいです。また私の考え方には、気分本位である。論理的飛躍があるというのも問題だと思いました。
2015.07.09
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我々は100か0、白か黒、正しいとか間違い、味方でなければ敵であるといった見方をよくします。両極端な見方で割り切ってしまうのです。たとえば自分に一つでも欠点があると、自分は性格、容姿、能力、対人折衝等すべてがダメで生きている価値や資格がない等と考える事です。仕事でミスや失敗をして上司や同僚等に冷ややかな目で見られた。もうこの会社では自分の居場所はない。解雇されるに違いない等と考える。誰でもある欠点やミス、失敗があっという間に人生のすべてを左右するような大問題に発展してしまうのです。実際には誰でも欠点があれば長所もある。ミスや失敗は誰にでも発生しています。そういう経験を積み重ねていないと、大人になってすぐにつまづいてしまいます。悲観的、ネガティブな面にとらわれて自分を追い込んでひとり相撲をして苦しんでいるようなものです。はたから見ていると融通のきかない気難しい人のように思えてきます。これは認知療法では認知の誤りといいます。白か黒かといった両極端の考え方をすることは自分を苦しめてしまいます。実際には白と黒の間には何段階にもわかれてグレーの世界が広がっているのです。0か100の間には1から99までの幅広い数字の世界が存在しているのです。我々は白か黒か、0か100かだけを考慮するのではなく、その中間に存在する世界のことを重視して考えないといけません。例えば、交差点で車同士の衝突が発生したとき、双方の保険会社はどちらの過失が大きいかを決めます。その時双方が動いていた場合、過失割合が0対100となることはあり得ないことです。過失がないように思えてもたいていは、10対90、あるいは30対70とかの割合になります。自分は絶対に悪くない。相手が全面的に悪い等というのは自分の主観であり、希望的観測なのです。その証拠に衝突防止用カメラをつけていた場合、つぶさに検証してみると、自分の方の過失が大きかったというケースは多々あります。中間的見方、グレーゾーン、ファジィ的な思考ができる人を「認知的成熟度」が高い人といいます。これは子どもの頃から、しだいに成長して、大人になると自然に身についてくるものです。例えば小学校低学年ぐらいの子どもは、クラスメイトをいい奴と悪い奴、敵と味方などというように2通りにしか分けて考えられません。高学年ぐらいになると、こんな嫌な面もあるけど、こんないい面もある。だから友達でいよう。というふうに考えられるようになるのです。ところが現代社会では大人でもそのように考えられない人が多くなっています。考えただけでも敬遠したくなります。一旦悪い奴とレッテルを張りつけてしまうと、その人のやることなすことすべてが気に食わない。姿を見ることもイヤ。また親友で素敵な人だと思っていた人が、たった一言気に触ったことを言ったとたん、その人のすべてがイヤになって絶交する。そのうち自分の身の回りに親友がいなくなってしまう。そして孤立してしまうのです。完全か不完全と区分けをしていることは得策ではありません。最初からすべてにおいて完全、不完全な極端な人はいない。すべてグレーゾーンに属するファジーな人ばかりだ、という前提に立って付き合いをしていると、とても楽な気持ちになります。すると最初から、気の合う面では一緒に行動し、気の合わない面では少し距離を置いて付き合う。そういうふうに考えると少ない親友ととことん付き合うよりも、数多くの人と薄く広く付き合うというのが理に合っていると思います。これはまさに森田の不即不離の考え方なのです。
2015.06.14
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東京のよみうりランドではバンジージャンプ、クレージーヒュー・ストン、バンデットというジェットコースターが体験できる。私は以前ジェットコースターを体験した。見ていた時はとても面白そうに思えた。なにしろ最高スピード110キロ、高低差78メートル、最高到達点150メートル、全長1560メートルある。みんな絶叫をあげている。体験してみる価値がありそうだ。最初坂道をコトコト登り始めたときはうきうきしていた。ところが最初の坂を下りはじめるとすごい重力がかかってパニックになり気が動転した。内臓が上の方に持ち上げられる。なんともいえない恐怖と気分の悪さ。降りてから、この最初の長い坂が最大の売り物だと聞いた。見るのと体験するのは大違いというのはこのことだ。バンジージャンプはニュージーランド等でよくやっているそうだ。よみうりランドは高さ22メートル7回のビルに相当するそうだ。遠くから飛び降りている人を見ていると面白そうだと誰でも思う。すぐそばまで行く。上を見上げる。すると自分でもできるかもしれないと思う。どうにもならない高さではないように思える。それはとんでもない認識の誤りである。ジャンプ台の上から下を見ると誰でも恐怖で足がすくむ。何倍にも高く感じる。これは水泳の高飛びこみも同じだろう。そこをがまんして思い切って飛んでみる。飛んで下から上をみる。やれやれと安堵感に満たされる。思い切って飛び降りた自分を誇らしく思える。満足感に満たされる。その時々でいろんな感じが出てくることがよく分かる。ロープ1本で登るロッククライミングや沢のぼりも同じだ。下から見ると簡単そうに見える。ところが目的地まで到達して、上から下を見下ろすと身も毛もよだつような感じになる。ここで何を言いたいかというと、自分の頭の中だけで考えたことと、実際に体験して感じるということはまったく違うということである。また下から上を見るのと、上から下を見る感じも全然違って見えるということである。見る視点が違うと感じ方も全く違ってくるのだ。我々神経質者は物事を悲観的にマイナス思考で見る傾向がある。よく観察しないで安易に決めつけをしたり、先入観で物を見る。体験しないで頭の中で推測する。いかにそれが一面的で、無茶で、おおげさで、飛躍しているかには気づいていない。考えたことが事実そのものであると信じて疑わない。でもそれは大いなる認識の誤りである。体験して事実を確かめないと判断を誤りやすい。実際によく観察する。体験してみることはとても大事なのだ。また一つの考え方の裏には必ず別の考え方が隠れている。森田でいう「両面観」で物を見ないと正しく見たことにはならない。無理にでも別の考え方を持ちだして比較しないと正しい判断はできない。先入観や思い込みで行動して、取り返しのつかない行動をして後で後悔することになることが多い。
2015.06.12
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神経症の人は物事を両面感で見ることができません。物事にはプラス面とマイナス面がありますが、マイナス面ばかり見てしまう傾向があります。たとえば訪問営業の仕事をしているとします。プラス思考の人は、断られてもそんなに心にダメージを受けません。自分に必要ないものなら断る、という相手の自由を認めることができます。断られたからと言って表情が一変するということはありません。必要としている人を早く見つけて、契約を勝ち取るぞと一生懸命になります。過去の成功体験を思い出して、アプローチ、商品の説明の仕方、締結の言葉などをさらに工夫してゆきます。そしてさらに成功体験を積み重ねていくことができます。セールスの仕事ほど面白いものはない。体を使ってしんどい思いをしなくても済むし、契約をとれば達成感も味わえるし、会社での評価も上がる。ライバルとさらに競って成績を伸ばしたい。プラス思考の人は、面白そう、自分もやってみたい、どうしたらできるのだろうかと前向きな考え方です。これをマイナス思考の人はこのようには考えません。めんどくさそう。自分には出来ない。難しすぎる。やりたくない。先入観でもって無意識のうちに拒否しているのです。こんな状態で、訪問セールスに出かけると、最初から逃げ腰となっています。自分を守ることに神経を研ぎ澄ましているのです。きっと相手は冷たい言葉で断ってくるに違いない。断られるのが怖い。傷つくのが怖い。だから訪問したくない。断られると、相手を人間性のかけらもない非情な人間とみなしてしまいます。表情も一変して、怯えてしまっています。その態度を見て相手は、ますます劣悪なセールスマンだと思ってしまうのです。悪循環が延々と繰り返されるのです。無意識のマイナス感情は、表面上どんなに取り繕っても顕在化してくるのです。いつもマイナス思考をする人の特徴は、森田で言う「生の欲望の発揮」という気持ちを持つことができません。自分を防御することばかりに注意を向けています。サッカーでいえば、攻撃するのを中止して、ゴール付近に選手を集めて防御を固めている状態です。絶対に相手に負けることはないはずだと思っている状態です。でも何かの拍子にゴールを割られると立ち直ることができないほど落ち込んでしまいます。また仮にゴールを割られないとしても、絶対に勝つことはできません。勝とうとする意志を持っていないからです。サッカーは勝とうとする気持ちとゴールを守るという2つのバランスがとれていないとダメなのだと思います。森田では、このバランスの学習は、「欲望と不安の関係」「精神拮抗作用」を深耕することです。そして認識の誤りを自覚することから始まります。
2015.01.19
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4、 認識の誤りが自覚できましたら、次に認識の修正をしてゆきましょう。これは自分の偏った考え方、物の見方の癖を直していくということです。簡単に習得できるものではありません。二歩前進一歩後退のような感じで少しずつ、修正されて身についてくるものです。・マイナス面だけでなくプラス面も見ていく。たとえば学校へ行っても無意味だという気持ちが起きたとします。学校へ行くことの利益と不利益について両面観で検討してみましょう。また反対に学校を退学することによる利益と不利益についても検討してみましょう。・逆の事実、別の考え方を書き出してみる。たとえば仕事が溜まり能率が悪く、自分は他人よりも能力がないと自己嫌悪していたとします。でもそれは、上司の仕事のやり方の指導に問題があるのかもしれません。業務の分担に問題があるのかもしれません。私生活の悩みを抱えているため仕事どころではないのかもしれません。確認恐怖で何度も確認しないと安心できないのかもしれません。決して自分の能力だけの問題に矮小化してしまうだけでは解決はできないかもしれません。・選択肢を増やして考えてみる。1つの見方だけではなく、多方面から検討する。対人恐怖のため、会社で営業活動がうまくいかないとします。自分の人生はもう終わったようなものだときめつけてしまう前にこう問いかけてみましょう。上司に相談できないでしょうか。神経質な人で営業成績の良い人に学ぶことはできないでしょうか。あるいは部署を変えてもらうことはできないでしょうか。最悪転職して違う職種の仕事を目指すことはできないでしょうか。その他いろいろの選択肢を書き出してみましょう。短絡的に自分の人生はもう終わったも同然と考えるのは、あまりにも痛々しい感じがします。・その考えが正しいとして、その結果引き起こると考えられるすべてを羅列してみる。会社や学校でみんなから嫌われていると思い込んでいる人がいます。みんなといっても全員かというと決してそうではないというケースがほとんどです。仮に正しいとして、みんなに嫌われるとどんな不利益がもたらされるのでしょう。学校から追放されて、勉強の継続が不可能になるのでしょうか。会社をクビになるのでしょうか。そして家族の生活を守ることができなくなるのでしょうか。学校では苦しいといっても一時期のことです。卒業してしまえばみんなバラバラです。職場でも嫌な人がいるといっても、転勤や退職によって人間関係はどんどん変わっていきます。自分の人生が八方ふさがりになり破滅してしまうということが果たしてあるのでしょうか。・最悪の事態が起きた時、それを引き受けるという覚悟をきめる。最悪のシナリオを想定して、それを受け入れるという気持ちを持っていると、行動、実践の足がかりができます。訪問営業の仕事は断られるのが仕事のようなものです。でも100人の人の冷たい断りを引き受ければ、その後、1件の成約を勝ち取ることが出来ると思えば勇気が湧いてくるのではないでしょうか。・完全主義、完璧主義、「かくあるべし」思考は、森田理論では最も大きな認識の誤りと言われています。第8章の「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり、第9章の「事実本位・物事本位の生活態度を養う」を参照願います。課題 あなたの認識の誤りを整理してみましょう。
2014.11.21
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3、 事実を無視して、実態から遊離して勝手に決めつけをしている。・データの裏付けもないのに、自分勝手に否定的な結論ばかり出す。たとえば同僚が笑いながら雑談しているのをみて、きっと自分の悪口を言っているに違いないと決めつける。挨拶をしたら無視された。あの人はきっと自分のことを嫌っているのだと決めつける。多くの人から評判がよく、有能であると認められているにもかかわらず、たった一人からの評判をくよくよと悲観的に考えたりする。それに振り回される。・自分や他人に対してレッテルを貼って決めつけることです。たとえばスポーツで失敗をしたとき、「私は何をやってもいつも失敗する」と思ったり、他人が失敗をしたとき、「あの人は能力のない人」と決めつけてしまうことです。そういう先入観ですべてを判断してしまう。・確たる根拠もないのに、悲観的な結論を出してしまう。たとえば、あなたが大学の先生で、とても素晴らしい講義をしたとしましょう。しかしあなたは居眠りをしている学生を見つけました。実際にはこの学生は前の晩はコンパで飲みすぎて疲れていたのですが、あなたは、「どの学生も私の講義を退屈がっているのだ」と考えてしまうようなことです。・自分の感情を根拠に決めつける。自分の感情が現実を証明する証拠であるかのように考えてしまうことです。たとえば、「自分が何をやっても、うまくいかなくダメな人間のように感じる。その感情が湧くことが何よりダメな人間の証拠だ」や「私はあなたに対して腹を立てている。これは、あなたは価値のない人間であることの証拠のようなものだ」などのように考えてしまうことです。4、 完全主義、完璧主義、「かくあるべし」思考に陥っている。・「失敗してはならない」「すべての人に受け入れられなければならない」「間違い、失敗、ミスはなってはならない」などという考え方をしていると、現実との食い違いがあると、悩みや苦悩が発生する。自分自身が嫌になり、他人を許すことが出来なくなる。・絶えず人からよい評価をされ、褒められ、羨ましがられ、ちやほやされながら生きてゆきたい。そうあるべきだ。そうでなかったら生きている意味がないと考えるようになる。・いつも快適を求めて、すっきりと満たされた状況に身をおきたい。少しの不快でも絶対に放っておくことはできない。この項目は森田理論の重点学習項目です。第8章「かくあるべし」の発生と苦悩の始まりで詳しく説明しています。そちらで十分に学習してください。これらの認識の誤りに対して、どのように修正してゆけばよいのでしょうか。次の項目に従って整理してみましょう。1、 不安や恐怖に取りつかれた出来事や予期不安などについて、具体的に、詳細に書き出してみましょう。2、 その時に湧き上がってきた感情、考え、見方を、具体例を参考にして詳細に書き出してみましょう。先ほど見てきた1から4のどれかに該当していませんか。該当していれば、認識の誤りがあります。まずそれを認めることから始めてください。3、 「かくあるべし」は一時封印してしまいましょう。そして次の項目について比較検討して、書き出してみてください。ここは少し難しい部分です。自分一人で分析できない時は集談会などで、他の人の意見を聞いてみましょう。第三者からは比較的冷静に分析することが出来ます。・その考え方は事実に基づいていますか。事実を確かめましたか。普通は事実を無視して憶測から出発しています。・その考え方は具体的ですか。普通は「だいたい」「いつも」「みんな」とかの言葉が多く抽象的です。・その考え方には決めつけはありませんか。先入観はありませんか。普通は自分の思い込み、先入観、決めつけが多く含まれています。・その考え方は客観的に見て柔軟性、妥当性がありますか。普通は話が大きく飛躍しています。・その考え方は論理的で、整合性がありますか。普通は理路整然と説明できません。・その考え方は両面観で見ていますか。普通はマイナス面だけにとらわれています。
2014.11.21
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「認識の誤り」補足版です。「新版 これで納得! 実践的森田理論学習」のテキストをお持ちの方は、第4章4節「認識の誤り」の後に付け足してください。41ページの後ろです。神経症で苦しんでいる人は、客観的、妥当性のある考え方や見方ができなくなっています。その特徴は次のようなものです。1、 考えることが無茶で大げさであり、論理的に飛躍しすぎている。2、 マイナス思考、ネガティブ思考一辺倒である。そして自己嫌悪、自己否定に陥っている。3、 事実を無視して、実態から遊離して勝手に決めつけをしている。4、 完全主義、完璧主義、「かくあるべし」思考に陥っている。具体的に見てみましょう。1、 考えることが無茶で大げさであり、論理的に飛躍しすぎている。・ミスや失敗などをしたとき、「自分の人生はもう終わったも同然だ」と考える。たとえば、会社で事務処理の間違いを起こし、上司に叱られた。すると、みんなから、無能力者扱いされて、もうこの会社での居場所はない。くびになるだろうなどと飛躍して考える。・物事には完全かゼロしかないというような極端な考え方で結論を出す。白か黒と決めつけてしまう考え方。・自分に一つでも欠点があると、自分はすべてがダメで、生きている価値や資格がないと考えています。とるに足らないことがすぐに人生の一大事に発展してしまう。・自分の周りで良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合でも、自分のせいにしてしまう。罪の意識を抱く。罪を償わなくてはいけないと考える。たとえば学校や会社で物がなくなったと友達や同僚が騒いでいるとき、自分が盗まれたと思われているのではないかと気にしてしまう。2、 マイナス思考、ネガティブ思考一辺倒である。そして自己嫌悪、自己否定に陥っている。・一度恋愛に失敗すると、これからも恋愛はうまくいかないはずだと決めつける。また、私は人と付き合っても、最後にはいつも嫌われて、飽きられてしまうと思ってしまう。・1つのミスや失敗から、それが何度も起きてしまうと勝手に決めつけてしまう。・テストでおおむねできているのに、間違ったところばかりを気にして落ち込む。・職場での考課表でプラスの面があるのに、マイナスの評価ばかりに目が向き、劣等感に陥る。・自分の欠点は過大に取り扱い、他人の欠点はたいしたことはないと過小評価する。自分の長所や才能、能力はとるに足らないと過小評価し、他人の長所や才能、能力は過大評価する。
2014.11.21
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仕事でわずかなミスや失敗をして落ち込む人がいます。「もう自分はこの会社での居場所はない」「首になるかもしれない」「自分は何をやってもうまくいかない」「自分の人生終わったようなものだ」こういう人の特徴的な考え方は次のようなものです。1、ミスや失敗は決してあってはならないという強い「かくあるべし」を持っている。2、事実を見ていない。だからすぐに一生を左右するように話が飛躍してしまう。3、悲観的、ネガティブにものごとを見る習性がある。4、不安に振り回されて、注意が自分の気分や体調の変化に向いてしまう。5、本来の生き方である「生の欲望の発揮」という目的が忘れ去られている。これに対して、ミスや失敗を糧にして成長してゆく人がいます。その人たちの特徴的考え方は次のようなものです。1、 人生はミス、失敗がつきものである。ミスや失敗は次の反省材料として活かせばよいのだ。ミスや失敗を素直に受け入れることが出来る。ミスや失敗をのり越える中で自分が鍛えられ、能力が高まり、人間としての成長があると思っている。ミスや失敗は役に立っているものだから排除してはいけないと思っている。2、 ミスや失敗があると原因の究明に乗り出す。原因が分かるまで丹念に調査する。3、 ミスや失敗を克服して将来の成功を夢見ることが出来る。考え方が楽観的、ポジティブである。4、 注意の向けどころが外向き、物事に向いている。決して自分の心身に向けられていることはない。5、 境遇をしっかりと受け止めて、その中で一歩上を向いて努力できている。こうゆう傾向のある方は、森田理論学習によって、認識の誤りを学習して自覚を深めていくことが大切です。さらに事実本位、不安と欲望など森田理論の要点を学習して、行動実践することによって変革することが出来ると思われます。
2014.11.17
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神経症に陥った人は、客観的で正しい考え方や見方ができなくなっています。物事をよく見ていない。先入観が強すぎる。思い過ごしが強い。マイナス一辺倒である。否定的である。無茶である。極端である。飛躍しすぎである。自分勝手に決めつけている。希望的観測が強いなどです。具体的な例で考えてみましょう。1、 ミスや失敗などをしたとき、「自分の人生はもう終わったも同然だ」と考える。たとえば、会社で事務処理の間違いを起こし、上司に叱られた。すると、みんなから、無能力者扱いされて、もうこの会社での居場所はない。くびになるだろうなどと飛躍して考える。これは考え方がものすごく飛躍しています。論理的に整合性が取れていません。2、 一度恋愛に失敗すると、これからも恋愛はうまくいかないはずだと決めつける。また、私は人と付き合っても、最後にはいつも嫌われて、飽きられてしまうと思ってしまう。自分勝手に悪い方に考えすぎています。3、 物事には完全かゼロしかないというような極端な考え方で結論を出す。白か黒と決めつけてしまう考え方。この友人は自分にとって役に立つ人かそうではないのかどちらかに決めつける。役に立つと思えればべったりと引っ付き、そうでないと思うと全く寄り付かなくなる。その中間をとった付き合い方は考えられない。4、 データの裏付けもないのに、自分勝手に否定的な結論ばかり出す。同僚が笑いながら雑談しているのをみて、きっと自分の悪口を言っているに違いないと決めつける。多くの人から評判がよく、有能であると認められているにもかかわらず、たった一人からの評判をくよくよと悲観的に考えたりする。それに振り回される。5、 自分の先入観で些細なことやネガティブなことばかりを気にする。物事を両面観でバランスよく見ることができない。テストでおおむねできているのに、間違ったところばかりを気にして落ち込む。職場での考課表でプラスの面があるのに、マイナスの評価ばかりに目が向き、劣等感に陥る。6、 自分の周りで良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合でも、自分のせいにしてしまう。罪の意識を抱く。罪を償わなくてはいけないと考える。たとえば学校や会社で物がなくなったと友達や同僚が騒いでいるとき、自分が盗まれたと思われているのではないかと気にしてしまう。つい言動に現れてしまう。7、 確たる根拠もないのに、悲観的な結論を出してしまう。たとえば、あなたが大学の先生で、とても素晴らしい講義をしたとしましょう。しかしあなたは居眠りをしている学生を見つけました。実際にはこの学生は前の晩はコンパで飲みすぎて疲れていたのですが、あなたは、「どの学生も私の講義を退屈がっているのだ」と考えてしまうようなことです。8、 自分の感情を根拠に決めつける。自分の感情が現実を証明する証拠であるかのように考えてしまうことです。たとえば、「自分が何をやっても、うまくいかなくダメな人間のように感じる。その感情が湧くことが何よりダメな人間の証拠だ」や「私はあなたに対して腹を立てている。これは、あなたは価値のない人間であることの証拠のようなものだ」などのように考えてしまうことです。9、 「かくあるべし」的思考。自分に対して、他人に対して「○○しなければならない」「○○してはならない」と規範で行動を規制しようとすること。現実、現状、事実を無視しています。森田でよく学習していることです。10、 自分や他人に対してレッテルを貼って決めつけることです。たとえばスポーツで失敗をしたとき、「私は何をやってもいつも失敗する」と思ったり、他人が失敗をしたとき、「あの人は能力のない人」と決めつけてしまうことです。そういう先入観ですべてを判断してしまう態度のこと。これらはほとんど認識の誤りです。事実からかけ離れています。こんな考えで苦しくなった時は、自分自身に次のように問いかけてみましょう。また自分で分からない時は、集談会などで他の参加者の意見を聞いてみましょう。1、その考え方は具体的ですか。2、先入観は入っていませんか。3、実際に真実を確かめましたか。4、客観的に見て妥当性がありますか。5、論理的で、整合性が取れていますか。6、両面観で、プラス面も見ていますか。
2014.11.13
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認知行動療法に認知再構成法がある。これは森田理論を学習している人も取り入れるべきだと思う。認知再構成法というのは、一方的に無茶で飛躍しすぎた考え、マイナスイメージに偏っている認知の誤りを、反対の客観的で妥当な考え方、プラスの考え方を提示して認知の誤りを正していこうというものです。森田理論学習でも認識の誤りが神経症の発生に大きく影響を与えています。認知再構成法には5つのステップがあります。1、 まず不安や恐怖、不快な感情が沸き起こった「状況」を書き出す。2、 「具体的な気分」(不安、恐怖、違和感、悲しみ、嫉妬、怒り)等を書く。3、 2から発生した「マイナスの自動思考」について書きだす。4、 自動思考に変わる「プラスの適応思考」について考えてみる。5、 それによって生じる「心の変化」について書き出してみる。具体的事例で見てみましょう1、 状況 会社の朝礼中に声が震えて、しどろもどろになり、頭が真っ白になった。2、 気分 不安、悲しみ、落胆、自分に対する怒りなどを%で示す この場合仮に恥ずかしい 80% 情けない 60% 腹立たしい 60%3、 自動思考 不快な感情を経験したときに心に占めている考えやイメージを%で示す。 いつもこんな失敗ばかりする 80% 自分はなんてダメな人間なんだ 70% いつか大変なミスをしてしまうかもしれない 60%4、 適応思考 自動思考に変わるプラス思考を%で示す。 自分でできなければ、集談会などの場で、第3者からアドバイスしてもらう。 誰でも多少は緊張する 70% これからはもっと準備しておけば大丈夫だ 80% 大した失敗ではない 80%5、 心の変化を%で示す。そして2と比べてみる。恥ずかしい 50% 情けない 40% 腹立たしい 30パーセント2に比べてそれぞれダウンしている。認知の歪みが多少なりとも修正されている。ここでポイントになるのは4の「適応思考」です。認知行動療法研究会のホームページには次のように説明してありました。1、「そう考える根拠を考えてみよう」(根拠と反証を探す)気持ちが動揺したときに、自分が考えていたことを丁寧に見返し、そのように考えて現実的な根拠と反対の事実を探していきます。「いったい何を根拠に自分はこのように考えたのだろうか」「それを裏付ける事実はどのようなものがあるのだろうか」「逆の事実はないだろうか」と自分に問いかけることで、思い込みから少しずつ解放され、現実的でバランスの良い考えができるようになり、視野が広がってきます。2、「どんな結果が待っているのかを考えてみよう」(結果について考える)どうしても自分の判断が正しいように思えるときには、第二の呼びかけ、つまり結果についての質問をしてみます。「それが本当だとして、どんなひどいことが起きるんだろう」「それはどの程度重要なのだろう」「違った行動をすれば、何か困ったことが起きるだろうか」と考えてみるのです。このように自分自身に問いかけることで、客観的に考えられるようになりますし、現実的な対処法を見つけやすくなります。
2014.09.28
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ポイント解説 認識の誤り森田理論の認識の誤りは次のようなものがあります。自分にも次のような傾向はないかどうか学習してまず自覚を深めてください。なお「かくあるべし」は神経症に陥る大きな原因となります。これは、「かくあるべし」の発生と苦悩の始まりで見てゆきます。1、部分的弱点の絶対視 自分のわずかな一つの弱点を絶対的のように思い、自分の生活にとって、致命的な障害のように取り扱うこと。2、劣等感的差別感 自分だけが人と比べて特別に刺激に弱いとか、精神的にも身体的にも、劣等感的に他人と差別すること。3、劣等感的投射 自分の心身面に欠点や弱点を意識していると、他人もそのことに重大な関心を持って、自分に対して反感、軽蔑、嫌悪感をもって接してくると思ってしまう。4、防衛単純化 不安や恐怖はいろいろあるが、そのうちの一つに絞ってやりくりしようとすること。5、異物化のからくり 不安や恐怖はあるべきではないとやりくりしたり逃避したりして、異物のように取り扱って不安や恐怖を排斥すること。6、手段自己目的化 本来生の欲望の発揮の中で不安や恐怖が発生してくるが、欲望の発揮を忘れて不安や恐怖を取り除くことを目的としてしまうこと。これ以外にも認知行動療法でいう「認知の誤り」についても学習しましょう。次のようなものがあります。全か無か思考、一般化のしすぎ、心のフィルター、よい出来事を悪く考える、結論の飛躍、拡大解釈と過小評価、自分の感情を根拠に決めつける、すべき思考、レッテル貼り、自分のせいにするなどがあります。これらをまとめると次のような傾向があります。1、 考えることが無茶、極端、大げさ、短絡的であり、論理的に飛躍しすぎている。2、 マイナス思考、ネガティブ思考一辺倒である。そして自己嫌悪、自己否定に陥っている。3、 事実を無視して、実態から遊離して勝手に決めつけをしている。抽象的である。推測の域を出ていないかどうか。4、 完全主義、完璧主義、「かくあるべし」思考に陥っている。他人に対して自分の考えを押し付けている。
2014.09.19
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2014/06月号の生活の発見誌53ページより、認識の誤りについて。一着の素敵なコートがあるとしてある部分が少しほころんでいるとします。もしも完全欲が高いならば、ほころんだ部分に強く執着してしまい、そこにしか目がゆかなくなり、そのコートに全く価値が見いだせなくなってしまうかもしれません。このことを森田理論学習では「部分的弱点の絶対視」と言います。一つの弱点に神経を集中させています。これさえ取り除くことができれば、人生バラ色になると思っているのです。取り除こうとすればするほど、しつこく付きまとい、どうにもならなくなります。観念の悪循環、行動の悪循環が引き起こされます。次第にとらわれが強くなり蟻地獄に落ちて行ってしまいます。これは神経症に陥る人の大きな認識の誤りです。神経症状から解放されると、どうしてあんなことに右往左往していたのだろうと思うようになります。認識の誤りの学習はとても重要です。学習して自覚を深めていくことです。「劣等感的差別感」「劣等感的投射」「防衛単純化」「手段の自己目的化」そのほか、認知行動療法の10項目に及ぶ認知の誤りも併せて学習してみるとよいでしょう。そして本丸の認識の誤りである「かくあるべし」の学習へと進んでいってください。過去に何回も投稿していますので、興味のある人は検索にキーワードを打ち込んでみてください。
2014.06.17
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鈴木敏文氏は、人は「手段が目的化」すると、必要以上のものを作りたがるという。いろんな企業を見ていると、本社移転する場合、移転プロジェクトを組み、お金と時間をかけて取り組むケースがあります。本来は今の事務所より広い、立地条件がよい、交通アクセスが良い、家賃が安い、駐車場が確保されている、耐震構造になっているなどのメリットがあって決断することです。ところが手段の自己目的化が起きると、たくさんの人員を投入し、長い時間をとって行われる。それなりのまとまった予算をとり、備品の廃棄と購入、内部のレイアウトに伴う改造も当然のように行う。こうなると本末転倒になる。鈴木氏は移転の際、必要以上のコストをかけてはならないと、設備や備品等は一切新しいものは買わなかったそうです。またセブンイレブンの店舗にATMを導入する際にも、銀行並みのATMを導入すればコストがかかりすぎることが分かっていた。顧客に現金出し入れの利便性を図るという目的がしっかりしていたため、手段の自己目的化は起こらなかった。最低限の機能を備えた安価なATMを独自に開発できた。神経症に陥る人は、ほとんど手段の自己目的化を起こしています。例えば、対人恐怖の人は、仕事や勉強のできる人になって、人から評価されたい、どんどん成長してゆきたいという強い欲望を持っています。ところがそこに立ちはだかってくるのが、もしうまくゆかなかったらどうしよう。ミスや失敗をしたら批判されるかもしれないという不安です。ここで自己目的化が起きると、不安に圧倒されて逃げたり、不安と格闘することになってしまいます。本来の欲望は蚊帳の外です。寝ても覚めても不安の解消との戦いに明け暮れています。精神交互作用で神経症の固着への道へと突き進んでしまいます。鈴木氏の話は、欲望を見失なってはいけないこと。欲望をしっかりと見据えておくこと。不安と必要以上にかかわらないことを教えてくれています。森田理論の「欲望と不安」の関係の学習は、森田理論応用編の4つの柱の一つを占めています。十分に学習していただきたいと思います。
2014.06.07
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マンションの大規模修繕の受注合戦は熾烈だ。普通7社8社での入札となる。その時にわが社はこの物件は絶対に受注しなければならないなどと思っていると大変なことになる。無理をするのである。受注金額を利益がないぐらいまでに落とす。あるいはそのマンションの修繕委員の人にリベートや贈答品をおくることを考える。マンション管理会社や設計・管理監督業者にリベートを渡すことを考える。そうまでしても受注できなかった時の落胆は大きい。その腹いせにそのマンションのありもしない悪い風評を流したりする。元々マンションの修繕工事にあたっては、管理組合は独自に概算見積もりを持っているのである。その金額を大幅に下回っていると、手抜きをされるのではないか、粗悪な材料を使うのではないか、安全管理が杜撰ではないのか。下請け業者に安い金額で押し付けるのでないかと警戒されるのである。あまりにも安い入札金額は最初から選定対象から外されている。それを勘違いして、もうけもないぐらいに安い見積もりなのに、相手は誠意に答えなくてけしからんと言っているのである。これを柔軟に考えて対応していると、思わぬ福の神が舞い降りることがある。大手の受注会社でも何棟も一斉に修繕工事をこなすことは難しい。修繕工事は台風の時期を避けているので春先に集中する傾向がある。またそういう会社は大型新規物件を持っていることが多い。全部を受注すると現場監督が何人もいる。そんなゆとりはなかなかない。またさまざまな下請け業者、職人、足場材料などを一挙に手配しないとならない。でも何棟も引き受けていると、系列下請け業者はほぼ決まっているので、段取りが難しくなるのである。また雨などが降り続くと工期は大幅にずれ込む。どこの現場も一斉に火を噴いてくるのである。受け渡しが遅れるとその会社の信用問題へと発展することがある。そこで、そのおこぼれが回ってくることがある。自分の希望の受注額が通り、自分の能力の範囲内の物件が回ってくるのである。無理をしないで数件、数十件の見積もりで1件の受注獲得でよいというゆとりのある仕事のほうが、うまく回転しているのである。いつもこの図式のようにはゆかないだろうが、せめて視野狭窄にならない。恣意的決めつけは避けないといけない。神経症の人はこの決めつけで、自分を窮地に追い込んでいることが多いのである。
2014.06.02
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明念倫子さんは「強迫神経症を生きる」という本の中で次のように言われています。強迫神経症の人の悩み方には一つの特徴がある。それは「とりあえずこの悩みを解決しよう」というふうに悩みを一つに絞ってしまうことである。それはよくないやり方です。今気になっていることから、別の悩みに意識的に心を移していくやり方がよい。ただ不安の悩みを変えさえすれば、元の不安は背景に退き気にならなくなるようにできている。このように本来人間というものは、次から次へと悩みが多いほど一つの悩みにかかずらっていられなくなるようにできている。森田理論学習の中では、このことを「部分的弱点の絶対視」、「防衛単純化」といいます。いずれも神経症に陥っている人の大きな認識の誤りです。「部分的弱点の絶対視」とは、もともとすべての人間は完全な存在ではない。身体的なハンディを持っている人、脳に障害を持っている人、経済的に恵まれていない人、うつや神経症で苦しんでいる人、認知症で苦しんでいる人、がんや血管障害を抱えている人。等々それぞれに課題や問題点を抱えている。それをある一つの弱点や不安を絶対的なもののように思い込んで、自分の生活にとって致命的な障害として取り扱う態度のことです。一つのことに神経を集中するため、他のことはすべて放置してしまいます。観念的にも、行動的にも縮小再生産が繰り返されて、奈落の底に落ち込んでゆきます。「防衛単純化」とは、もともと不安をかきたてる要因は無数にあります。それらすべてに対応することは困難に思える。パニックになりそうな心境に追い込まれる。そこでこの敵を一つに絞って、これさえ解消できれば、十分に自分の能力を発揮できると感じて対応することである。感情の法則4では感情が強化されることを示している。感情は、その刺激が継続して起こる時、注意をこれに集中するときにますます強くなるのである。感情は境遇と時間の変化に伴って中身が刻々と変化するものである。その変化の波に素直に乗って、物そのものになり切れれば安楽の生き方ができる。そのためには森田理論の基本に立ち戻ることである。
2014.05.30
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認知療法は森田理論学習とは関係ないという人もいます。私は神経症から解放するためにはどんどん試してみるという立場です。認知療法は次のようなやり方で認知の誤りを正してゆきます。1、 落ち込みの原因となった出来事を具体的に書き出します。2、 落ち込み度を10段階で評価します。3、 落ち込んだときに湧き上がってきた考えを書き出します。4、 認知のゆがみを、2014年1月13日、1月31日、3月19日の投稿をもとにしてどれに該当しているかチェックします。10項目あります。全か無かの思考方法、一般化のしすぎ、心のフィルター、よい出来事を悪く考える、結論の飛躍、拡大解釈と過小評価、自分の感情を根拠に決めつける、○○すべきという思考、レッテル貼、自分のせいにする。5、 認知がゆがんでいた箇所を修正してゆきます。6、 落ち込み度が最初と比べてどう変化してきたのかを評価し直す。4については、分かりにくかったら、次の4つに該当していないか考えてみましょう。1、 考えることが無茶、極端、大げさ、短絡的であり、論理的に飛躍しすぎている。2、 マイナス思考、ネガティブ思考一辺倒である。そして自己嫌悪、自己否定に陥っている。3、 事実を無視して、実態から遊離して勝手に決めつけをしている。抽象的である。推測の域を出ていないかどうか。4、 完全主義、完璧主義、「かくあるべし」思考に陥っている。他人に対して自分の考えを押し付けている。5については次のように考えてみましょう1、 自分の認知を整合性がとれるように、論理的に整然と書き出してみる。原因と結果が論理的に説明できる。論理的に説明できないものは認知の誤りが含まれている。自分で分からなければ森田の先輩に聞いてみる。2、 無理してでも客観的、プラス思考、ポジティブ思考で考えられる対案を考えて書き出してみる。物事には必ず両面性があります。分からなければ森田の先輩に聞いてみる。3、 事実を十分に観察する。事実を確かめる。具体的、赤裸々に出来事を書き出してみる。事実に従った場合の最悪の事態を想定してみる。最悪の事態を受け入れるという覚悟を決める。4、 自分にも他人にも「かくあるべし」を押し付けない。事実をあるがままに受け入れる。第一次感情から行動する。森田でいう「純な心」から出発する。「あなたメッセージ」からの発信を止めて、「私メッセージ」から発言してゆく。
2014.04.29
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17、 迷ったときは、まずイエスと答えよ。それを逃すとチャンスはすぐに逃げていく。パソナの南部靖之氏の座右の銘は「迷ったらやる」「迷うということはどこかにやりたいという気持ちがあるからだ。それならば短い人生、やらないで後悔するより、やって後悔したい。だから判断に迷ったときは、やると決めているのです」マイクロソフトの発想は、「不完全なまま出荷してユーザーが使用して発生した不具合に逐次対応しながら最適なシステムを作り上げる」というものです。うまくいかないことは素早く対処すればよいという発想でとりあえず見切り発車していくのです。こう考えれば、ユーザーからはクレームが来ることもあるでしょうが、行動はしやすくなります。最終的には大きな目標の達成に結びついているのです。18、 マイナス思考の人は考えてばかりで行動できていません。将棋の羽生善治氏は「勝負哲学」という本の中で、「スランプの時は何でもいい、小さなことでいいから、何かを変えてみるといいと思います。早起きするとか、服装を変えるとか、新しい趣味を変えるとか。生活の中に、そんな小さな変化やメリハリをつけることで心の停滞が防げることが分かりました。」といわれています。19、 過去の出来事に罪悪感を抱いて後悔したり、将来の不安を心配するよりも、今現在に集中する。最初はイヤイヤ始めたとしても、次第に気持ちが入ってきて、物そのものになりきった経験は誰にでもあります。そうなれば気づきや工夫が次から次へと湧いてきて、弾みがつき、積極的になり、楽しめている自分を発見できるでしょう。20、 不満足で理不尽であっても、与えられた境遇、環境の中でまずは精一杯生きてみる。五体不満足の乙武さんの生き方がそうです。また徳川家康は豊臣秀吉からそれまで統治していた駿河、遠江、甲斐、信濃を取り上げられ、当時湿地帯で洪水が多発していた関東八州に鞍替えさせられてしまいました。家康はこの理不尽とも思える処遇をそのまま受け入れました。家康はこの土地を黙々と改良してゆきます。湿地には川や運河を掘って水が流れやすいようにして、遠浅の海を利用して海を埋め立てました。そして見事な田園や町に変えてゆきました。それが今の日本の中心都市東京につながっています。もし家康が処遇の受け入れに反発していたら、日本の首都は京都か大阪になっていたかもしれません。
2014.04.07
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11、 尊敬する人になりきって考える。今までの森田理論学習を駆使して考えてみるのです。たとえば雑談の場に加われない自分がいるとする。こんな時森田先生ならどう考えるのだろう。水谷先生や長谷川先生はどうアドバイスされるのだろうと考えてみる。12、 マイナス思考に陥った時は、自分より大変な状況にいる人たちのことを考える。森田先生のお母さんは、森田先生が少年の頃、わがままを言うと、もっと下の人を考えるように常日頃言われていたそうです。世界には約60億人の人がいますが、日本人のように食べるものに困らない、住むところ、着るものに不足がない人たちは10億人程度しかいないそうです。後の50億人の人たちはその日食べてゆくのがやっとという状況にあります。そういった人たちの状況を知ったり、考えてみるということです。13、 マイナス思考の人は、つらい状況が永遠に続いてしまうときめつけています。永遠に続くと考えると、そのつらさ、苦しみは2倍、3倍と膨れ上がります。嵐のやまない台風は来ない、朝のこない夜はない。マイナス思考に陥った時は一分後、一時間後、一か月後、一年後にも思いをはせてみる。どんなに腹立たしいこと、悲しみも時間が解決のお手伝いをしてくれているということを忘れてはいけません。これは森田理論学習の感情の法則1に関係があります。14、 マイナス思考に陥った時は、最悪の状態を想定してみる。そしてその最悪を受け入れる覚悟を決める。さらに覚悟を決めたらその最悪を打開するためのプランを練っておく。15、 結果に固執するよりも、プロセスを重視する。たとえ失敗しても次につながる何かをつかむことが大切である。失敗に学んで次に活かそうという発想が大切です。失敗よ、どんと来いという気持ちになればしめたものです。迷いながら、試行錯誤して、二歩前進一歩後退で目標に到達することが、一番の近道だという前提に立って行動しよう。ミスや失敗がなく物事が順調に進むことは、一見して良いことに見えるが、将来大きな落とし穴が待っていると考えよう。16、 コントロールできることとコントロールできないことをはっきり区別しよう。不安に学んで手を打っておけば将来につながること、人のためになることには積極的に手を出そう。それ以外のことは基本的にコントロールできないことです。コントロールしてはいけないものです。事実を受け入れて、事実に服従するという態度で臨もう。不安や恐怖を抱えたまま生きることができるというのは、一つの能力です。森田理論はその能力獲得のための理論です。
2014.04.07
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5、 他人に感謝する。また命があることに感謝する。これには「内観療法」が効果があります。一人で内観ができるようになるとよい。「人からしてもらったこと」「人にしてあげたこと」「人に迷惑をかけたこと」を身近な人から検討してゆくことです。またこんな詩があります。今日という日。あなたがくだらないと思っている今日は、昨日亡くなった人がなんとかして生きたかった、なんとしても生きたかった今日なんです。今日はそんな日なんです。今日命があることを感謝できる。そんな人になりたいと思います。6、 私に沸き起こってきた感情、私の思いや気持ちをそのまま相手に伝えてみる。解釈したり、「かくあるべし」が入り込む前の感情です。森田理論学習では「純な心」から発言するということです。親業では「私メッセージ」発言です。言えない時は、文章にしてみる。とにかく我慢したり、耐えたりしてため込まないようにすることが大切です。7、 マイナス思考を具体的な現実問題として考えてみる。出来るだけ詳しく書いてみる。一般化したり、抽象的に考えているとどんどん問題がこじれてくる。大体不安や恐怖はその実態が見えていない時に疑心暗鬼で大きくなるものです。事実やそう考える根拠が分かれば、マイナス思考から抜けやすい。8、 マイナス思考をそうなる確率を数値化してみる。たとえば飛行機が落ちることが怖くて飛行機に乗ることができない人がいます。でも米運輸安全委員会の調査では100万回に9回の割合でしか事故は起きていないのです。日常感覚でいうと、毎日飛行機に乗るとして304年に1度事故に遭うという確率になるそうです。9、 自分には無理だ。出来ない。難しすぎる。と考える前に、とりかかるための足掛かりを探そう。目標を達成するためにはどうしたらよいのだろうという発想から出発しよう。出来ないのは自分の力、能力不足。時間的な問題。時期的な問題。距離的な問題。資金、道具、機械などが不足している。などいろんな理由があります。それぞれの原因を具体的に見極めて準備を整えてゆくようにしましょう。10、 マイナス思考でパニックに陥った時は、客観的にみるようにしましょう。第三者に客観的な考え方を聞いて助言してもらうことも有効です。イチローはヒットが打てない時、客観的になることで冷静な自分を作るといいます。アナウンサーのように自分のことを実況中継してみるのです。自ら第三者になって、冷静に判断しているのです。
2014.04.07
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マイナス思考、ネガティブ思考は一方的で、バランスを逸している。バランスをとるためにはプラス思考、ポジティブ思考も取り入れないといけない。神経質者の場合はプラス思考に注力することでやっとバランス感覚を取り戻すことができる。その方法を「マイナス思考からすぐに抜け出す9つの習慣」古川武士著を参考にして紹介してみたい。最初から全部取り組む必要はない、これはと思うことを一つでも二つでも自分の生活に取り入れてみてください。1、 人と比べて自己嫌悪、自己否定に陥りやすい人は「世界に一つだけの花」の歌詞を紙に書いて部屋に貼っておく。そうさ、僕らは世界に一つだけの花。一人一人違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればよい。小さい花や大きな花、一つとして同じものはないから、ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン。自分の長所、存在価値を見つけ出すと生きる勇気が湧いてきます。2、 「かくあるべし」は自分や他人をきびしく価値判断して、責め続ける。「かくあるべし」を「かくある」という事実を認めて、事実を受け入れ、事実に服従してゆけるように修正していく。とりあえずは「かくあるべし」を少し緩めてゆく。「○○であるべきだ」を「○○であったほうがよい」「○○になるために努力してゆこう」などに変えてゆく。3、 マイナス思考の強い人は完全主義、完璧主義の人である。それは観念の世界でのみあり得ることで、現実的ではありません。完全主義の強い人は「成功か失敗か」「よいか悪いか」「上手か下手か」「0点か100点か」と白と黒で判断したがります。白黒思考が問題なのは、すべてのことに100点を求めるため、無駄な努力を続けてエネルギーを使い果たしてしまうこと。1つでもうまくいかないことがあると0点と判断して自己嫌悪に陥ることです。さらに問題なのは「失敗」と判断してしまうと、その中にあった良い点が見えなくなることです。白黒思考からグレー思考、ファジー思考に緩めることが必要です。また不完全な自分、物足りない他人を許す必要があります。4、 「他人中心の生き方」を「自分中心の生き方」に変える。他人の思惑を気にすることよりもまず、自分の気持ち、思い、欲求、やりたいこと、夢や希望をはっきりさせる。一日レベル、一か月レベル、年間レベル、人生レベルで目標をしっかりさせる。紙に書いてまとめる。日記に書いたり壁に貼っておく。
2014.04.07
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森田理論でいう認識の誤り、認知行動療法でいう認知のゆがみの自覚は森田理論学習ではとても重要です。そもそも症状に陥った原因は、不安や恐怖に対する認識の誤りがありました。不安、恐怖は生の欲望の発揮が起きるときは、多かれ少なかれ必ず付きまとうものです。それは生の欲望が暴走しないように制御をかけているのです。そういう仕組みが分からずに、不安、恐怖を取り去ろうとして、できもしないことに無毛な挑戦を続けているのが症状の実態でした。不安と欲望に対する認識の誤りは、最初に学習してほしいところです。つぎに森田理論学習では、完全主義、「かくあるべし」という認識の誤りを学習します。私はこの部分はもう少し整理して学習するべきだと思っています。つまり認識の誤りはそれだけではないということです。これは認知行動療法の学習をしているときに気が付きました。認知行動療法では、認知の誤りについて、全か無かの思考方法、一般化のしすぎ、心のフィルター、よい出来事を悪く考える、結論の飛躍、拡大解釈と過小評価、自分の感情を根拠に決めつける、○○すべきという思考、レッテル貼、自分のせいにするということを挙げています。これらの説明は、1月13日、1月31日でもしていますのでご覧ください。これらを取りまとめてみると、4つの認識の誤りに集約できます。1、 考えることが無茶で大げさであり、論理的に飛躍しすぎている。2、 マイナス思考、ネガティブ思考一辺倒である。そして自己嫌悪、自己否定に陥っている。3、 事実を無視して、実態から遊離して勝手に決めつけをしている。4、 完全主義、「かくあるべし」思考に陥っている。こうした思考パターンの人は苦悩を抱え、常に葛藤を繰り返している人です。ですから不安や恐怖が発生したとき、以上4つの視点から検討することが必要です。他人に怒りを感じて、その怒りをぶちまける前にこのフィルターにかけて認識の誤りを起こしていないか、考えてみることです。自分で考えられない時は、集談会の場などでその事象を詳しく話して、他の人の意見を聞いてみることです。1、 そう考える根拠はどこにあるのか。逆の事実はないのか。そのことを考えることによって、少しずつ思い込みから解放されて考えが現実的なものになる。2、 結果について考える。だからどうなるというのだ。それが本当だとして、どんなひどいことが起きるのだろう。最悪を予想して、覚悟を決める。3、 代わりの考えを探す。現実的で柔軟な考え方を見つける。まずは自覚すること、そして認識の誤りを徐々に訂正していくことを森田理論学習で学んでゆきましょう。
2014.04.04
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プロ野球が開幕した。多くの解説者が順位予想をしていた。セリーグは多くの解説者が巨人を一位にあげている。それ以外は順不同のようである。私は広島カープの熱烈なファンなので、苦々しく思っている。解説者に対してではない。巨人のやり方に対してである。金に糸目をつけずに有望選手の多くを集めてゆくからである。これは巨人だけではない。数年前、広島出身の有望選手を次々に引き抜いていった阪神にも憤りを感じていた。もっともこれは、年俸の高い阪神に自ら希望して移っていったのだが。アメリカ大リーグなどはこれに輪をかけて高額の契約金、年俸で引き抜いていく。一人の選手に何十億と出して大丈夫なのかと思ってしまう。これを認識の誤りで考えてみたい。広島は球団経営としては珍しく黒字であるそうだ。それは選手の年俸を抑えているからだ。ほとんどの選手は1億以下である。2億、3億の選手になると、放出して、年俸の安い若手の有望選手と入れ替えたほうがよいというような考えのような気がする。外国人選手も例外ではない。だから活躍しすぎるとすぐに退団になってしまう。これは一つの球団経営のやり方である。良い点もあるが、戦力的には他球団とは年俸総額で大きく見劣りがするし、本当に球団首脳部は勝つためのサポートをする気があるのかと疑ってしまう。それだけの熱意を持った人が経営にあたっているのか、疑問である。それに対して、巨人、阪神、大リーグの各球団の補強は見事である。金は二の次にして、弱点の補強をしてくる。それも二重、三重もガードをかけて補強をしている。そして毎年各球団の中で一番の成果を上げている。球団首脳陣がはっきりと優勝という目標に対して、真摯に向き合っているのが、誰の目にもよく分かる。どのように対策を立てたらよいのか、試行錯誤を長年積み重ねてきた。そういう歴史がある。それが今花開いているのだ。それが実力のあるスーパースター選手たちにとっては一番魅力ある球団として認知されているのだと思う。また毎年のように優勝争いに絡むからこそファンの層も厚い。好循環を生んでいるのである。だから巨人のやり方が汚いというのは、一方的であまりに偏った考え方である。巨人の球団経営や運営の姿勢をじっくりとみて判断しないと、はっきりと見たことにはならない。よい面悪い面の両方を観察して初めて見たということになる。神経質者は一方的なものの見方が得意である。勝手に自分が思い込んで苦しみや葛藤を引き起こしているのである。自分のものの考え方は偏っていないか、絶えず検討することが森田理論の考えである。
2014.04.02
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神経質者が物を見て価値判断しているということは、事実からは大きくかけ離れているということだ。第三者からするととても違和感がある。自分も苦しいが、他人にも無茶を押し付けることになる。もし白と黒の極端な見方しかできない人は、白と黒の間にはグレーという中間色があるという認識を持つ必要がある。集談会などで認識の誤りを自覚する学習が必要である。そしてそのグレーにも様々な濃淡のあるグレーが存在するという認識まで高める必要がある。するとどうなるか。実は白だ、黒だと決めつけていたことは、幾層にもわかれているグレーの層が広がっていただけだったのだと分かってくる。すると柔軟な対応ができる。今まで油の切れた歯車を無理やり回して、傷だらけになっていたものが、潤滑油がたっぷりあってなめらかな回転を取りもどすことができたのだ。現在昔の白黒写真をカラー化する技術が確立しているという。その原理は、グレーにも様々な濃淡があり、その濃淡の差は色彩の差であるということを利用しているそうである。つまりカラー化というのは、グレーを細かく分析して微妙な濃淡の差を色彩に置き換えているということなのである。この技術はグレーの分析なしにはなしえなかったことである。
2014.03.31
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私たちは物を見るとき、白と黒のモノクロ写真のようにしか見えないとなるとどうなるだろう。実際は鮮やかな赤、青、黄色、オレンジ、緑の色をしているのに、モノクロにしか見えないということになると、世の中は実に味気ないものになってしまう。映画は途端に色あせてしまう。信号機は役に立たない。花や景色の美しさは半減してしまう。絵画の素晴らしさも味わうこともできない。テレビ映像はただの動く白黒写真である。昔の白黒写真を見ていると、ものの形は分かるがそれ以上のリアリティは伝わってこない。月の表面のような無味乾燥な世界である。そうなると精神が病んでくるのではなかろうか。月から地球を見ると、青さが目立つカラーの世界である。何となくほっとするのである。ところが神経質者のものの見方は、まさにこのモノクロである。モノクロといっても極端なモノクロである。つまり白黒の濃淡はないのである。神経質者はよくグレー部分がなくて白と黒しかないといわれる。白か黒で世の中の出来事を見ているということである。実際にはグレーもあるのに無視しているのである。例えてみれば、グレーの50%までは白として判定している。そして50%から100%までは黒と見なしているようなものである。そんな写真を想像してみてもらいたい。白と黒しかない。はっきりとコントラストがある。そんな写真を想像するとぞっとする。もはや写真に値しない。抽象画である。
2014.03.31
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同じ嫌な出来事に対してネガティブ思考が癖になっている人は、ポジティブ思考に修正できると生き方が全く変わってくると思います。森田理論では認識の誤り、認知療法では認知の誤りを自覚して、反対の見方、考え方を身につけていくことになります。これはいつも言っているように自分一人で取り組むよりも、生活の発見会の集談会などで相互に学習することがより効果があります。人から認識の誤りを教えてもらうほうがより確実で早いと思います。ここではそのヒントを掲載いたします。1、 あなたの受け止め方、考え方は柔軟性がありますか。それとも硬直化していますか。こうであると決めしけてしまい、先入観で思い込んでしまうと、全く融通が利かなくなります。修正しようという気持ちすら沸き起こらなくなります。会話の中に、「絶対に間違いない」「いつもこんなことになる」「必ずそうなります」「みんながそういっています」「けっして間違いありません」などという言葉は要注意です。つまりこういう言葉を発していることは硬直化していることの証明です。お互いに謙虚になって検討してみることが大切です。2、 あなたの受け止め方、考え方は論理的ですか。筋が通っていますか。短絡的、極端、大げさ、事実確認なし、推測の域の話ではありませんか。たとえば仕事で失敗をすると、自己否定して、すぐに会社を辞めることを考えたり、死んでしまおうなどと考えることはあまりにも飛躍しすぎています。3、 現実の目の前の問題と向き合っていますか。観念の堂々巡りになってはいませんか。実際の解決すべき問題には目もくれないで、自分の不快な感情をスッキリさせることばかりに気を取られていませんか。4、 あなたのネガティブな受け止め方、考え方は、得になることがありますか。よいことが一つでもありますか。将来に明るい展望が開けてくるものが含まれていますか。自己嫌悪、自己否定、他人否定は将来が先細りになるばかりです。自分の今現在気になっている問題について、集談会の場で具体的に分かりやすく話してみることが先決です。それを聞いた人は、今挙げた4つの視点から客観的にみて意見を述べてゆくのです。決して個人攻撃をするのではありません。その人の受け止め方、考え方の中にネガティブで否定的なものがあるのかないのかを話し合ってみるのです。アドバイスをしてもらう人は個人攻撃をされて、さらに不快になってしまう人がいるかもしれません。学習の意味を共通認識として持ってもらいたいものです。そういう意味では信頼関係が構築されていないと難しいかもしれません。ゆくゆくはこれが自分一人で分析できて、受け止め方、考え方がポジティブにも対応できるようになると最高です。
2014.03.20
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2、いろんな出来事に対して、たとえば「もうおしまいだ」というふうに、すぐに悲観的なものの考え方をしてしまいます。「もうだめだ」「世も終わりだ」「どうにもならない」「どうしようもない」「なにもできない」「どうせうまくいかないに決まっている」「最低だ」「最悪だ」「どん底だ」などです。「どうせだめだ」と思って行動するのと、「ダメかもしれないが、うまくいく可能性もある」と思って行動することは、仮に失敗しても後に残るダメージは全く違います。前者の場合はますます自己否定に陥ります。3、不安、恐怖、痛み、ストレスに対する耐性が低い。すぐに「もう耐えられない」「もうやっていけない」「もう我慢できない」「○○なんて無理だ」とあきらめてしまう。逃避してしまいやすい。たとえば、「私は学校でみんなから好かれなければならない」という考え方をしていて、友達ができないと、「もう耐えられない」となってしまう。ところが「友達が多いほうがよいが、友達が一人もいないからといって、すぐに死ぬわけではない」と考えられれば、耐えやすくなります。4、自己嫌悪、自己否定に陥ったり、他人や社会を非難するようになる。たとえば上司がほめてくれない、昇進がない、役職をはずされることが起きると、「上司に見放された私は何をやってもダメ人間だ」などと卑下したり、傷ついたり、落ち込んだりしてしまう。ところが、「私は上司に公平に評価してほしいと思う。でも、公平に評価してくれなくても、私には私独自の価値がある。」と考えられれば、認められない場合でも、「とても残念だけれども、それで私の値打ちがなくなるわけではない。これはこれで受け入れよう」と思うこともできます。岡野氏は、ネガティブな考え方や受け止め方で、本人にとって長らく苦痛が続いているもの、日常生活に支障が出ているもの、人に迷惑をかけているような考え方は修正したほうがよいといわれています。明日はこの修正の方法について考えてみたいと思います。
2014.03.19
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否定的な感情が起きた時、健康的な否定的感情が湧いてくる人と不健康な否定的感情に支配されてしまう人がいる。これを岡野守也氏の「嫌な気分の整理学」から説明してみよう。岡野氏は健康な否定的感情は健康的なのですから、いくら否定的であっても構わない。あるのが自然だといいます。ところが不健康な感情は、自分にとっても気持ちよくないし、しばしば周りの人にも迷惑をかけるし、まさに不健康、病的であるので治したほうがよいといわれています。例えば人前で失敗をしてしまう。人との勝負に負けてしまう。こういう場合「しまった。くやしい」と思う人は健康的です。それをバネにして、失敗の原因を調査して、次の機会に活したり、ライバルを追い越すための努力をするようになるからです。ところが、失敗や敗北によって屈辱感、挫折感、劣等感、敗北感を味わうような人は、自己嫌悪、自己否定で自分を苦しめるようになります。このように同じ出来事であっても、ネガティブに受け取ってしまう人もいれば、ポジティブに受け取ってしまう人もいるわけです。確かにその通りです。問題になるのは、いつもネガティブに受け取ったり、考えてしまう人の場合です。同じ出来事に対して、ネガティブに受けとる人は、次のような際立った4つの特徴があります。1、森田理論でいうところの「かくあるべし」が関係している。「失敗してはならない」「すべての人に受け入れられなければならない」「間違い、失敗、ミスはなってはならない」などという考え方をしていると、現実との食い違いがあると、悩みや苦悩が発生する。これらを「失敗しないほうがいいが、人間だから失敗することもある。失敗から学んでいくことが大切だ」「人に愛されなくても自分の価値が変わるわけではない。自分の意志で生きていくことが大切だ」「○○であるにこしたことはない」「○○でなければならないというわけではない」というように変えていくことができれば楽な生き方ができる。
2014.03.19
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我々神経質者はマイナス思考が強い。そしてあまりにも極端な考えに陥りやすい。そうした考えをしていると生きていくのがとてもつらくなる。たとえば、会社や学校などで数人の人が談笑していると、何か自分のことを馬鹿にして面白おかしく話しているように感じる人がいる。対人恐怖で悩んでいるときは、特にその思いは強いと思う。でも事実はどうだろう。常識的に考えると、100%自分のことを話していることはまずあり得ない。遊びの話で盛り上がっているのかもしれない。あるいは自分の行為をほめてくれていることだってあるかもしれない。それなのに何を根拠にそのように判断しているのだろう。それをマイナス思考で自分にとって不利なように考えてしまう。それはあくまでも推測の域をでない。推測でマイナスに判断して自己嫌悪、自己否定に走って益々暗い表情に拍車をかけているのである。それで自分を責めて苦しんでいるなんて実にばかばかしいとは思いませんか。今までの森田理論学習では「かくあるべし」の弊害については、みなさんよく学習をしておられる。それはそれでよいのですが、マイナス思考に陥り、あまりにも短絡的に極端な考え方で、すぐに生きるか死ぬかと切羽詰まったように自分を追い込んでいるのはどう考えておられるのでしょうか。そういう人は「かくあるべし」の弊害をうんぬんする前に、マイナス思考、それも極端なマイナス思考を改善することが先だと思う。どうすればいいのか。そういう思考パターンが身についている人は自分でその間違いに気づくことはできない。蟻地獄の罠にはまっているようなもので、もがけばもがくほど深みにはまってしまう。そういう時は謙虚になって人の助けを得ることだ。人に教えてもらうことが一番良いと思う。第三者は客観的に事実を見れるので、認識の誤りについて教えてもらうことだ。でも普段の生活の中では親切に教えてくれる人はいないであろう。誰だって自分が悪役になることは好まないものだ。でも生活の発見会の集談会などで、症状を克服した先輩は違う。学習の場なので教えてもらえるはずだ。謙虚になって教えを乞いさえすればよい。その際大切なことは、我々はいろんな認識の間違いを抱えているので、自分の苦しみを具体的に話してみることだ。それを何回も何回も繰り返すこと。先輩はいろいろと経験して立ち直っているので、第三者的に客観的に見れることが多い。素直に耳を傾けてみるのが早い。そしてゆくゆくはマイナス面ばかりでなくプラスの面も見れるように自分を変えていく。半々ぐらいになるとよいのだが、1割でもプラス思考ができるようになると楽になる。バランス感覚の意識付けとして「やじろべい」を目の前に置いておくことをお勧めする。
2014.03.11
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高校野球では、選手をこうゆう選手だと決めつける行為(レッテル貼)は指導者が絶対にやってはいけない行為だ。「あいつは守備が下手だ。センスがない」とレッテルを貼ってしまうと、本質が見えにくくなる。なぜその選手がエラーを繰り返すのか考えることなく、先入観で判断してしまう。するとその原因を考えることをしなくなる。何か心に悩みでもあったのではないか。たまたまその日は調子が悪かっただけかもしれないと考えるゆとりがなくなってしまう。指導者が選手にレッテルを貼っていては信頼関係は生まれない。選手は「どうせオレは守備が下手だと思われているんだ」と素直に努力する気がなくなってしまうであろう。それがチームの士気を低下させて成長をストップさせてしまう。選手にレッテルを貼りそれを公言してしまうのはもっともよくない。気の強い選手なら反発を招くだろうし、気の弱い選手なら不必要に悩んでしまうかもしれない。森田理論学習ではレッテル貼は認識の誤りの一つである。我々は、自分で自分にレッテルを貼ってしまうことがある。対人恐怖の人は、自分は人とうまく会話ができない。上手に立ち回れない。その結果いつも傷ついてしまう。そういう先入観を持っていると、ミスや弱点を隠すことに神経を集中させて、他人との付き合いはけんかを売るような態度になってしまう。その結果相手にますます無視されたり、拒否されるようになる。またレッテルを貼ると、意識は自分の不安な心の状態や体の違和感に向かうようになる。本来はその時の自分の感情、自分の気持ち、自分の意向を見つめることが大切である。レッテルを貼って決めつけてしまうと、感じから出発しないで、「かくあるべし」で自分を価値判断することばかりである。レッテル貼は自分を苦しめるだけで、よくないことだということを自覚しておきたいものです。若者との接し方 渡辺元智 角川書店参照
2014.03.10
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森田理論は行動療法だという人がいます。症状は横に置いて、苦しくてもなすべきことをなしてゆけば症状はなくなっていくという考え方です。これは生活の発見会が発足後30年ぐらいこのことばかり言っていました。でもこれだけで、症状を克服することは困難です。2014年2月号の体験記でそのことに触れられています。「単に行動面だけで恐怖突入していると、その都度勝つか負けるか、できるかできないかの突撃の繰り返しになってしまう。身も心もボロボロになっていった。そして自分の努力が足りないからと自分にムチ打ち、できないのは、自分に原因があると劣等感にさいなまれた。」私は森田理論の行動・実践というのは大切だと思います。神経症で苦しんでいるときは意識が症状ばかりに向いています。その悩みを横に置いて、生活に目を向けて、雑事に手を出す。規則正しい生活を心がける。これができるだけで、どん底から抜け出すことができます。でも残念ながら、それ以上には進むことはできません。息苦しい生活、重苦しい人間関係は改善することはできません。行動・実践という土台をかためたうえで、次のステップに進むことが重要です。ここでは2つのことが重点課題になります。まず認識の誤りを自覚して、修正していく。認識の誤りは、認知行動療法でも指摘しているように10項目ぐらいあります。これらについて学習する必要があります。森田理論学習で特に大きな問題になるのは、「かくあるべし」という思考パターンです。「かくあるべし」を少なくしてゆくためには、どうしても事実をよく見て、事実を受け入れていく態度を身につけることです。一口で言ってしまえば簡単ですが、とても大きな壁となって立ちふさがっています。これは集団で取り組まないと自分のものにすることはできません。生活の発見会の集談会に参加するというのはその一つの手段です。もう一つの重点課題は、他人本位の思考、行動を、自分本位の思考・行動に切り替えるということです。特に対人恐怖の人は、自分の感情、気持ち、意志、欲求を抑圧、否定して他人に合わせる傾向があります。これが自分の生き方を不自由にしていることに気づくことが大切です。これを改めて、いつも自分の感情、意向から出発する。そういう学習を深めて、そうした態度を養成していくことが大切です。こうした取り組みを続けると、自分を大切にする、自分の感情を大切に扱う、事実を事実として過不足なく見られるようになると思います。その先に、もやもやしていた雲が一挙になくなり、燦々と太陽が降り注ぐ世界が開けてくるものと思います。
2014.02.02
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2014年2月号の生活の発見誌より。認知行動療法では、自動思考という概念を用います。自動思考というのは、私たちが体験したときに反射的に出てくる考え方の癖のようなものです。1、「かくあるべし」思考 自分の引き受けた仕事が負担になってきた。自分から引き受けたのだから弱音を吐くべきではないなどと考えること。2、プラス面を無視してマイナス面しか考えない。アンケートをしたら好意的な評価が多かったが、ごく一部に批判的な意見があった。批判的な意見ばかりにとらわれて右往左往する。3、心の読みすぎ。 友人に何度か電話をしたが出なかった。居留守を使っているに違いないと勝手に想像する。4、自己否定する。 親睦会の幹事をしたが参加者が少なかった。私が幹事をしたからだ。5、完全主義的思考 朝6時に起きるつもりだったのに、7時半になってしまった。今日一日がダメになってしまった。6、マイナス化思考 今の仕事は向いてますよねと言われた。自分の学歴でこの仕事では情けないと思った。7、拡大解釈 会議の集合時間に遅れた。みんなの信頼をなくした。このほかにも、「先読みの誤り」「感情の決めつけ」「過度の一般化」などがあります。認知行動療法では、違った角度から別の考え方はないのかを探っていきます。1、 そう考える根拠はどこにあるのか。逆の事実はないのか。そのことを考えることによって、少しずつ思い込みから解放されて考えが現実的なものになる。2、 結果について考える。だからどうなるというのだ。それが本当だとして、どんなひどいことが起きるのだろう。最悪を予想して、覚悟を決める。3、 代わりの考えを探す。現実的で柔軟な考え方を見つける。森田理論学習では認識の誤りというものです。劣等感的差別感、部分的弱点の絶対視、劣等感的投射、防衛単純化、手段の自己目的化なども併せて学習しましょう。まず私たちは現実を無視して、ネガティブに、すぐに飛躍して、突拍子もない考えを持ちやすいということを自覚することから始めましょう。そして具体的な例をもとにして、集談会などでぜひ話し合ってください。最終的には、思い込みを排して、客観的に両面観から見る癖をつけましょう。
2014.01.31
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訪問営業の人の認知の誤りを考えてみた。見込み客がいても、「もし断られたらどうしよう」という気持ちになって積極的になれません。何度か断られているうちに、気持ちが及び腰となっています。最低限のノルマを達成することはなく、70%かそれ以下の達成率に甘んじています。上司からはわが社のお荷物だといわれています。数多くの見込み客に合わなければ、ノルマは達成できないのは分かっていますが、断られて自分が傷つくことを恐れています。こういう営業マンはどういう「かくあるべし」があるのでしょうか。・お客さんは自分の提案を快く受け入れるべきだ。・断る時でも、自尊心を傷つけるのは人間性に問題がある。・断られるということは、自分の人間性が否定されるということだ。・断られると、もう自分は何をやってもダメだと思う。・その不快感は絶対に味わいたくない。認知行動療法では、この「かくあるべし」の認知の誤りについて考えて行きます。・たとえ断られても何も損をすることはない。気持ちが落ち込むことはあるが、実質的に実害は何もない。・断られることなく、物が売れるということはあり得ない。車の飛び込みセールスは100件で1件の見込み客が見つかるという。さらに、考えてみると・よく売る人に同行営業していると、よく断られる。嫌な顔一つ見せずに、とにかくよく訪問する。断られる数をたくさん作らないと、結果的に物は売れない。・断りに耐えながら仕事に向かえるというのは、一つの能力だ。訪問営業の仕事をしているのだから、最低限そういう能力を獲得しよう。その行動を後押しするために、自分で自分にご褒美を出すことにしました。7件断られたら、30分の休みを取ってもいいことにしよう。50回断られたら、居酒屋で飲もう。500回断られたら海外旅行をプレゼントしよう。こうして認知の誤りを正していくのだそうです。私はこの事例をもとにして、集談会などで、多くの人から認知の誤りを出してもらって深めていくのが有効だと思います。また行動を後押しするために、自分で自分にプレゼントを考えてみるというのは参考にしたいと思っています。
2014.01.22
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森田理論学習をしたものとしてもう一つ考えてみたいことがあります。なぜ訪問販売の仕事が怖くなったのですかということです。それはお客様に断られて自分が傷つくことに耐えられないからです。自尊心やプライドが傷つくと社会的に抹殺されたように感じて、生きていく力がなくなるのです。つまり私には、「人からバカにされるような人間になってはいけない。バカにされるような人は人間のクズだ。」「いつでも人から一目置かれて、尊敬されていないと居心地が悪いのです。」そういう「かくあるべし」で自分を規制しようとする気持ちが強いのです。森田理論の「認識の誤り」で学習しましたが、観念で考えた理想から、現実のふがいない自分をみて、叱咤激励するのは苦しみを生み出します。そのあたりのこと、普通の人はどう考えていると思いますか。ひとつ無理してでも考えてみましょう。「普通の人は断られて不快な気分になるのは当たり前です」「断った人は、何もあなたの人間性や人格を否定しているのではないですよ。ただ必要ないから断っているだけですよ。なんか勘違いして、一人落ち込んでいませんか。」「自動車の飛び込みをやっている人は100件断られて1件の見込み客が見つかればいいほうだという。1件で断られても落ち込んでなんかいませんよ。」「セールスで成績を上げている人は決してセールス話法だけで勝負しているわけではありませんよ。多くの人に会い、最も多くの屈辱の言葉を受け続けた人だという事実を考えたことがありますか」「会う人会う人すべてあなたの思い通りに買ってくれることなんかあり得ないじゃありませんか。そんな常識的なことを考えてみたことはないんですか。」こうしてみると私には多くの認識の誤りがあり、それに気が付かないで流されているために、ますます否定的な考えに支配されていたのですね。この認識の誤りは集談会で聞いてみるとまだまだでてきそうですね。特に「かくあるべし」のほか次の4つの視点から考えてみてください。1.色メガネをかけてみていませんか。一部分しか見ていない。全体的に見ていない。悪いほうだけしか見ていない。よい面は無視している。両面感で見るとどうなりますか。2.物事をマイナス面からしか見ていない。物事には必ずプラス面や前向きな面もあります。その面に注目してみてください。テストで頑張ってよい点を取ったのに、「そんなことは大したことではない」と評価しないなど。3.物事を大げさに、飛躍させていませんか。事実から離れて、小さなことを、大きく膨らませていませんか。4.つい悪いことを予想してしまう。何の根拠もないのに、人は自分を嫌っているはずだと判断する。やる前から悪い結果が出ることを確信している。感じから出発するということと認識の誤りを正していくという、2つの心掛けるべき大切なことがあったのですね。
2014.01.18
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私たちは認識の誤りがあっても、自分ひとりで抱えていると、誤った考えに支配されているとは思いもよりません。それはちょうど外国旅行をして、外国の人の生活や行動を見て、はじめて私たち日本人の生活や行動パターンを見直すようになるのと同じようなものです。神経症で悩んでいる人は、特にこの認識の誤りが強いと思います。例えば・神経症で苦しんでいるのは自分ぐらいのものだ。普通の人はいつも楽しそうだ。・症状さえ取り去ることができれば、私の人生はバラ色になるはずだ。・人は自分の欠点、ミス、失敗を見てバカにしているはずだ。絶対に見逃してはくれない。人に批判されるようになると生きてはいけない。・頭で納得しないで軽率に行動すると、必ず失敗をして笑い者になると思う。・白か黒、ゼロか100というように、物事はどちらかにはっきり決めてしまわないとイライラする。程よい加減というものはないと思う。バランスをとるとか考えたこともない。気の向くまま、気分本位の生活で満足している。・細部のことばかり気になり、全体を見ることをしない。視野狭窄に陥ってしまう。・本来の「生の欲望の発揮」を目指さないで、症状や不安をとることばかりに心血を注ぐ。そうしないと自分の明るい未来はやってこない。・一つでも欠点があると、自分は生きている価値や資格がないのではないかと思う。とるに足らないことが、すぐに人生の大きな問題に発展してしまう。本人はそのことに気がつかない。・物事をいつも悲観的、否定的に見てしまう。両面を見て判断するということをしない。・物事を実際に確かめることをしないで、今までの経験や先入観で決めつけてしまう。・完全、完璧という理想に凝り固まっていて、その通りにならないと我慢できない。・雑事は自分のする事ではない。もっと意味のあること、クリエイティブな創作活動をするべきである。・自分にはいいところは一つもない。欠点をすべて修正して人並みにしたい。・感情のおもむくままに行動し、好きなこと、やりたいことを自由にやれるようになりたい。・いつも変化に合わせて自分を変えていくよりも、固定して動かないことが一番安心できる。これらの最たるものが「かくあるべし」で、自己中心的に世の中のことすべてを自分のコントロール下におこうとすることだと思います。自分の認識の誤りは、森田理論学習の中で学んでいくことが重要です。自分一人ではなかなか困難です。これは人に教えてもらうことが一番です。集談会を活用して、自分の誤った認識を自覚することが大切です。「私の考え方や行動に認識の誤りはありますか。あったらぜひ教えてください。」と聞いてみればよいのです。当たり前に考えていたことが、全く間違っていた。偏っていた。一方的であった。視野狭窄に陥っていた。極端すぎた。客観視できていない。あまりにも主観的、独善的であるなどが分かるはずです。その際注意点として、自分の考えや行動パターンを具体的に話しましょう。すると、仲間から反対の見方、視野の広い見方、先入観のない見方、両面観からの見方、偏らない中庸の見方、柔軟な見方、客観的な見方、事実に即した見方などがアドバイスとしてでてくると思います。まずは頭で理解して、しだいに生活態度として活かしてゆきたいものです。
2013.10.24
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好村兼一氏の小説に「侍の翼」というのがある。島原の乱などの惨状を生々しく書いているので、後々まで余韻が残っている。読後感想としては、生々しい人間の生きざま生命力に、現代社会にかけている大切なものを思い起こさせてくれた。江戸時代初期は経済的には本当に恵まれていなかった。ましてやこの小説の主人公は、唐津藩のお家断絶で江戸の裏長屋の浪人暮らし。結核の妻を抱え人足仕事でやっと生き延びているという状態。息子は島原の乱で戦死、父親も別の戦で戦死、長男の嫁と2人の孫は家出。その日その日をなんとか生き延びることが精一杯だったのが実態です。でも今の時代にはない心温まるものを感じた。親子、夫婦、親戚、友達、仕事仲間たちとの温かい思いやりのある交流である。人間同士の助け合いである。これは今の日本に欠けている点である。マンションなどに住んでいると隣はなにをするひとぞと全く関心がない。また関心を持たなくても生きていける世の中である。とにかく人とかかわりを持つことを極力少なくするような社会に変わってきた。その結果老人の孤独死も問題になっている。自殺者は3万人もいる。街中で人は見かけてもみんな自分以外の事には関心がない。アフリカではその日食べるものがないというほどの貧困だという。経済的には苦しいがみんなで助け合って生活している。助けあわないと生きていけない社会である。でもそんな環境の中で育つ子供たちの目の輝き様は、日本ではなかなかお目にかかれない。経済的には苦しいのに自殺する子はいない。どこかがおかしい。それは分かっているが、どこに問題があるのかはっきりとは分からない。この本を書いた好村兼一氏は、1970年東大3年のとき柔道の指導員としてフランスに渡り、以来フランスに住み着いた。フランスという地でバブルに浮かれて、物の豊かさこそ人間の幸せという風潮の日本人を見てきた。それまで日本人が培ってきた心の豊かさが、一挙に瓦解したのに驚いたという。そこに大きなカルチャーショックを受けたという。本当の豊かさは、心の豊かさと物質的な豊かさが互いに牽制しあいバランスをとる必要があるのではないのか。それがこの小説の主題のような気がする。
2013.04.28
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神経症で悩んでいる人は、自分がくよくよ悩んでいたり、失敗やミスをしたり、あるいは身体的な欠点と思うものがあると、そんな自分を見た他人は、自分が思っていると同じように、そのことに重大な関心を持ってくる。そして自分に対して軽蔑したり、毛嫌いしたり、迷惑がったり、反発をしてくるようになる、という風に考えてしまうのです。長谷川洋三氏は言います。対人恐怖や体臭恐怖に悩んでいる若い主婦によくあることですが、近所の奥さんたち二、三人が立ち話をしていると、自分のことを軽蔑して話題にしているのではないかと思って、そばを通ることもできず、わざわざ遠まわりをしたり、駆け抜けるようにして通り過ぎ、そこで笑い声でも聞こえようものなら、やっぱり自分のことを問題にしているのだと信じ込む。そしてついには、近所の人と顔を合わせることが苦しくなり、買い物にもでかけられず、子供や夫に買い物を頼むようになってしまう例もあります。自分の目つきが他人を不快にすると思っている視線恐怖のある学生は、教室などで、隣に座った学生はもちろん、前に座っている学生さえ不快を感じて席を変わると信じ、そうゆう迷惑をかけないために、授業の始まる直前まで教室にはいらず、直前になって、できるだけみんなと離れた席に座るように心掛けるといった例もあります。そしてついに、学校に行けなくなるといった例があります。
2013.01.14
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神経症に悩んでいる時、自分の苦しい症状一点に注意を集中させて、これさえなければ、私の人生はうまく回転していくはずだと思っていることです。そして、なんとかその苦しみから逃れようと格闘を続けているのです。神経症の苦しみはそれ自体を、取り除くことが不可能なものです。(但し、森田理論学習によって神経症の悩みから解放されることはできますのでご安心ください)多くは不毛の努力になります。すればするほどその苦しみは加速度を増してゆきます。そしてアリ地獄の底に落ち込みます。そうなってきますと、症状以外のことは上の空になってきます。毎日しなければならない最低限の日常茶飯事の雑事、最低限の人との付き合いがおろそかになってきます。仕事や家事、育児をしていても、心ここにあらずで、間違いが多くなります。そうした入院生に対して森田先生はどのように接してゆかれたのでしょうか。森田先生は、日常生活を共にする中で、さまざまなことを身近に体験することによって、折に触れて徹底して指導をされています。価値観やプライドの高い入院生に、生活に必要なことは、男、女、職業にかかわらずなんでも手をつけさせました。そして手をつけることによって、面白さや気づき、工夫などの感情が生まれてきて、感情が流れていくことを体感してゆけるように指導されています。そして、入院生は昆虫の触角がぴくぴく動いて四方八方に注意が向いて、症状一点に向いていた注意が、外向的になり、心身ともに活動的になるようになっていったのです。根治して退院した人は、その変わりように、家族をはじめ周囲の人を大変驚かせていたようです。森田理論の学習をすると、このようにして、症状のみにむいて主観の世界にどっぷりと漬かっていた状態から、外に目が向き、活動的な前向きな生活態度を養うことができます。こうした状態のことを森田理論では「無所住心」といいます。周囲のことすべてに気がついて、しかも何事にも心が固着しないで、水が流れるごとくに、心が自由自在に流転、適応してゆくありさまであります。あたかも明鏡に物が映るがごとく、来るものは明らかに映り、去れば直ちに影をとどめないというふうである。
2013.01.14
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車のセールスで上位にランクされるような人が、飛び込み営業の話をされていました。500人の飛び込み営業をして見込客は4人から5人ぐらいの割合になるそうです。ということは495人には断られているのです。その中には虫けらやゴキブリを扱うようにきつい言葉を浴びせて断る人もいるようです。自尊心が粉々に砕かれるときもあるそうです。トップセールスマンになるような人は、それを乗り越えて仕事をされているのです。そうした実態を知らないと、トップセールスマンの人は、大変販売するための話法に優れていて、お客さんがこう言えばああいうという風に、巧みに断り文句をかわして、いつも苦労はたいしてしないで仕事をしているのだろう。と思ってしまいます。これは事実認識の誤りです。そういったことが普通の人なんだ。私の悩みは、自分ひとりだけのものではなく多かれ少なかれ他の人もみんな持っているのだという風に思えれば、その人は神経症から解放される方向に向いているのです。
2013.01.14
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神経症に苦しんでいる人は、自分だけがこんなに苦しいのだ。びくびくしているのだ、異常な緊張を覚えるのだ。そのように思っています。他の人にはないものだと思っている。神経質な人は自己中心的な人だといわれます。ここでいう自己中心は自分の都合や利益ばかりを考え、他人への配慮が欠けるという意味ではありません。自分のことばかり考える、自己内省的に自分の気分や体調などにばかり注意が向いて、くよくよと悩むということです。自分が苦しんでいるようなことは、他人にも当然にあるわけです。ビクビクしたり、ドキドキしたり、緊張したり、不安であったりすることは誰にもあるのです。私たちはその人たちのことをよく観察していないのです。いつも自分の気分のほうから考えているのでそうなりがちなのです。長谷川洋三氏の著作から例を出しましょうこの方は対人恐怖に悩む独身の女性の方です。ひそかに結婚をあきらめて、結婚しなくても生きていけるような職業につきたいと、保母さんのような仕事を希望しました。幼い子供相手なら、対人恐怖にそれほど悩まなくてもすむだろうという計算がありました。彼女はこんなふうに考えるのです。「私のような女と結婚すると、夫も子供も不幸になる。」見合いの話があっても応じません。そうゆう話自体が苦痛なのです。どうせ結果はわかっているのです。万が一にもそんなことはあり得ないが、たとえ相手が気に入ってくれたとしても、自分はことわらなければいけない。こうして、彼女は同性の友人が結婚してゆくのを、次々と見送るのです。いつの間にか、彼女は自分のまわりに高い心理的障壁を作り上げています。他の人びとにも対人恐怖症の心理がある。大勢の人前に立てばあがるし、人の思惑を気にしながら、それにも耐えて話をしており、仕事をしているのだということに、考えが及びません。彼女から見れば、他の人はみんな平気で楽しくつきあっており、堂々と人前で自分の意見を述べていると思っているのです。
2013.01.09
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当分は森田の大切な部分を書いてみようと思います。今回は手段の自己目的化です。手段の自己目的化とは、症状を目の敵にして、これと格闘しているうちに、自分の本当に望んでいること、欲していること、真の目的を見失ってしまうことをいいます。これは長谷川洋三氏の本に分かりやすく説明されています。そもそも症状は、はじめ直面している困難をのりこえて、よりよく生きてゆくのに邪魔になるものとして意識されたものでした。前進・向上発展の障害と感じたわけです。だからその障害を取り除こうとしたわけですが、この段階ではそれは向上発展のための手段だったわけです。ところが、この障害は取り除けないばかりか、いよいよ強大になってきました。頑固な症状として前に立ちふさがってしまったのです。そして今はもう、症状を治すこと以外に考えられなくなってしまったのです。「この症状さえなくなれば、我が人生すべてバラ色」なのですが、「この症状があるために、我が人生まっくら」なのです。だから症状を目の敵にして闘うわけです。手段はいつの間にか、目的になっています。対人恐怖の人が、本当は人と仲よくしたい、人からよく思われたいのに、対人恐怖との闘いに明け暮れて、かえって人を避けて、孤立した行動をとっているようなものです。このような状態は、神経症の固着に向かって突き進んでいるということになります。
2013.01.07
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