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私は週末の家庭菜園に力を入れています。これは60キロ離れたところに田舎があり、主に125ccのバイクで出かけています。ツーリングも楽しみです。時間は片道1時間10分ほどかかります。年間育てる野菜は数多い。ジャガイモ、タマネギ、冬野菜としてハクサイ、ダイコン、キャベツ、芽キャベツ、ブロッコリー、ホウレンソウ、ニンジン、夏野菜としてトマト、ナス、ピーマン、シシトウ、カボチャ、枝豆などである。今日は私が掴んだ春夏野菜を上手に育てるコツについて紹介します。仕事があるので週末や祝日、有給休暇をとって出かけています。ウィークディは手入れできません。ウィークディの水やりは自動灌水装置で行っています。畑は幸運にも実家の周りにあり、井戸水をポンプでくみ上げています。電源にタイマーを取り付けています。時間になれば水やりが自動でできます。蛇口のところから3ヶ所に分けてホースを伸ばし、その先にホームセンターの自動灌水チューブを取り付けています。安価です。暑さに応じて1日に1回から3回、15分程度自動で水やりができます。野菜作りをする時は、周りの草を刈ります。そしてミニ耕運機で耕うんします。そして牛糞堆肥、化成肥料、苦土石灰をまいて1週間は寝させます。最近は「リキダス」という微量要素を含んだ液体肥料を定植の時に使っています。気をつけたいのは鶏糞堆肥です。土の団粒化は期待できません。これは堆肥とはいっても肥料ですから、肥料過多になります。その後植えつけです。野菜はほとんど連作障害があります。特に、ミニトマト、ナス、ピーマン、シシトウ、ジャガイモなどのナス科の野菜は必ず植え付け場所を変える必要があります。そうしないと病気に罹りやすくなりますし、収穫量が少なくなります。1週間後に植えつけです。野菜は初期生育がとても大事です。これは子育てと同じです。つきっきりで面倒を見ることが必須です。野菜の苗がきちんと育つ期間は、無理しても何回も帰省します。というのは、地温が15度以下に下がると大きなダメージがあります。天気予報の最低気温はとても気になります。あと大雨も気になります。さらに、定植したての苗は風に極端に弱いのが特徴です。用心しないとすぐに枯れてしまいます。これらの対策としては、必ず黒マルチをしています。そこに植えつけます。風対策としては、畑の廻りにシカやイノシシ除けの防護柵を取り付けています。そこに風よけ用の網をぐるりと張っています。さらにしばらくは白の寒冷紗で苗を完全に覆って保護しています。これは100均で安く手に入ります。ミニトマトは雨に弱いので株全体をミニハウスのビニールで覆います。きちんと張らないと雨が降ったときにビニールが破損します。ビニールの張り方はコツがあります。これが分かるのに3年くらいかかりました。5月中旬以降になると、苗が大きくなって寒冷紗の中が窮屈になります。まだ独り立ちしているわけではないので、今度は肥料や堆肥の空き袋で作った行灯を取り付けます。風よけにはこれが一番です。初期生育を無事に通過すると一安心です。これは6月いっぱいかかります。野菜作りのコツは初期生育にあるというのが私が野菜から学んだことです。7月くらいから芽かきと追肥が大事になります。ミニトマトは10段くらいになると、それ以上は実はつきません。早く収穫が終わってしまうので、多少煩雑になりますが芽かきは厳密にしなくてもよいと思います。その方が収穫量が多くなります。私たちは専業農家ではないので、専門家の芽かきや誘引法はあまり参考にならないと思っています。この点では少しすぼらでもOKです。ナスは絶対に芽かきが必要です。ナスは芽かきをしないと木が大暴れします。特に接ぎ木苗の根元から盛んに芽が出てきます。これを確実に取り除くこと。そうしないと実がなりません。ピーマンなどは込み合わない程度の芽かきをします。シシトウは特に芽かきや誘引は必要ありません。追肥は根が伸びる先端に化成肥料を2週間に1回一つまみくらいやります。カボチャは伸び放題に伸びてきます。きちんと誘引してやることが必要です。特に、防護柵に蔓を絡ませて横に伸びてきます。そこに棚を作ってやるとよいようです。収穫期は7月からになります。ミニトマト2本、ナス2本、ピーマン2本、シシトウ1本、カボチャ2本を植え付けていまが、最盛期を迎えると山のように収穫があります。ナス1本から150本は確実に収穫していると思います。夏のマーボナスは極暑を乗り越えるスタミナ源です。晩酌の楽しみです。とにかくよくできるので、料理や加工方法はいろいろと勉強しました。食べ切れない野菜は近所の人や知り合いにお裾分けしています。こうしてみると、野菜作りというのは学校の先生が生徒を統率したり、会社の管理職が部下のマネージメントしているのと何ら変わりがないように思います。ニンジン、ホウレンソウ、枝豆などは自宅で芽出しをしてから、畑に移植するとほぼ成功間違いないと思います。これらの野菜は芽出しが特に難しいのです。枝豆は鳥がやってきて食べてしまいます。あとは栽培時期を間違えないことです。キュウリは作りません。毎日収穫しないと、次の日にはもう食べられなくなるほど大きくなりすぎるのです。今までいくら廃棄したことか。これは毎日畑に行く人はよいと思います。ジャガイモ、ダイコン、タマネギなどは誰でも比較的楽に作れます。神経症で悩む前にまずは家庭菜園をというのが私からの提案です。畑が借りれない人は、まずはベランダのコンテナ栽培から取り組みましょう。趣味と実益を兼ねた家庭菜園は楽しいですよ。
2026.05.06
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「辛」という字に、上に横に一を付け加えると「幸」という字になります。不思議なことに、辛いという字が、幸せという全く違う意味を持つ言葉に変わります。語源からいうと関係性はありません。しかし、「一を足すと幸せになる」という解釈は私たちの心理をよく表しています。「辛」という状態に、何か一つの要素(例えば視点の変化、誰かの支え、あと一歩の努力、あるいは休息)を書き足すことで「幸」に変わるという解釈です。ほんの少しのきっかけで、辛さは幸せに転じるということです。また、「苦しみと幸せは背中合わせである」「どん底のすぐ隣に希望がある」という意味にもなります。この考え方は、森田理論の「即」という考え方に近いものがあります。森田先生は「努力即幸福」「煩悩即解脱」「煩悩即涅槃」「不安即安心」などと言われています。これらは一見すると正反対に見えますが、実はコインを表から眺めるのか、裏から眺めるのかの違いのようなもので、両者は対立するものではなく、実は分かちがたく結びついているということです。いわゆる両面観の考え方です。努力、煩悩、不安の側面から取り上げていると、閉塞状態に陥り、打開策は見えてこないことになります。努力を続けるのは辛いが、目標を達成した暁には、将来の展望が開けてくると思えば、ここはひとつ踏ん張ってみようという意識づけになります。神経症のとらわれでやることなすことうまくいかないが、森田理論学習と実践・行動によって、神経症を克服し、神経質性格を活かした人生観が確立できると考えれば、神経症に陥ったことに感謝できるようになります。心配性で些細なことに不安を感じるが、それは裏を返すと「不安は安心のための用心」となり、細かなリスク管理ができるという利点ともなります。注意や意識の向け方を変えることで、突然濃霧で視界不良だったものが、急に霧が晴れて視界がよくなるようなものです。森田理論の「両面観」の考え方は森田の核心部分の一つです。
2026.04.27
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私は対人恐怖で悩んできました。転職して入った会社では営業事務の仕事をしました。得意先から電話やFAXで注文を受けて、それを加工してメーカーに発注するという仕事でした。ほとんどパソコンでのやり取りの仕事です。時々入力ミスが発生しました。ミスが発生すると得意先、営業マンに迷惑をかけます。また会社に損害を与えます。ミスを報告すると上司からすごく叱られます。「どんなに営業マンが苦労して注文をとってきている思っているんだ」「もっと集中して仕事をしてくれないと困る」「出来ないのだったらやめてくれてもいいんだぞ」「あなたはうちの会社には向いてないのではないのですか。」そういわれると、恐怖心でいっぱいになり、居ても立っても居られない気持ちになるのです。ミスをすると、ミスだけでは済まないで、すぐに自分の全人格、全人間性を否定されたように短絡的に飛躍して考えてしまうのです。そんなことがミスをするたびに起こると、仕事でまたミスをするのではないのかということにいつもびくびくして仕事をするようになるのです。仕事に集中できずに、その思いにとりつかれるために、上の空になり簡単なミスを連発するという悪循環に陥るのです。私は、他人から非難されないことが、会社で生き残るためには大切だと考えるようになりました。だからミスをすると、ばれないように隠す、ミスの報告をしない、ミスをごまかす、ミスを他人のせいにする、間違ったものを自分でお金を出して引き取る。こんなことまでして、非難されないように細工をするのです。でもその細工がいつか上司などにばれるのではないかと思って、そのことばかりが気になるのです。夜も寝むれないほど悩むのです。会社に行くのが恐ろしい。上司が恐ろしい。同僚が恐ろしい。得意先と話しするのが恐ろしいのです。
2013.12.08
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阪急電鉄や宝塚歌劇団などを作った実業家の小林一三氏の言葉です。「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない」(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年4月号 22ページ)こういうことを言う人は、本当はやりたくないのだと理解すれば分かりやすい。やらないと言うと、格好が悪いので、言い訳の方便としてこの言葉を利用しているとみた方がよいのです。これは人の為になることだから何としてもやり遂げてみたいという強い意志を持っている人は、どうすれば必要な資金を確保できるかを考える。最近はインターネットを使って不特定多数の人から資金を集めるクラウドファンディングという手法もあります。その他さまざまな資金集めの方法を調べてみるでしょう。自分でよいアイデアを思いつかない人は詳しい人に相談するでしょう。このようないいわけをする人は、「自分には能力がないからできない」「忙しくて時間がない」「道具や設備がないからできない」「協力してくれる人がいないからできない」「周りの人が反対するからできない」などという言い訳をする人です。困難な状況を踏まえて、どうすれば一歩を踏み出すことができるかと前向きに考えることは一切しない。神経質者は細かい繊細な神経を持っているために、良いアイデアをよく思いつきます。しかし、思いつくだけで、実行に移さなければ、アイデアを思いつかなかった人と結果は同じです。自分の神経質性格や能力や交渉力・説得力のなさを嘆いていると、自己嫌悪、自己否定感で苦しむことになります。このやり方は森田理論でいうと、事実に対しての向き合い方に問題があると思われます。事実を否定する。反抗する。敵対する。事実をごまかす、捻じ曲げる、不都合な事実を隠す、人のせいにする。責任転嫁をする。気分を優先する。事実を無視して、観念優先で「かくあるべし」を自分にも相手にも押し付けている態度です。一時的にはホッとしますが、後悔や罪悪感というつけはいつまでも続きます。ではどうすればよいのか。「金がないからできない」「自分には能力がないからできない」「忙しくて時間がない」「道具や設備がないからできない」「協力してくれる人がいないからできない」「周りの人が反対するからできない」などというネガティブな感情は事実ですから認めるしかありません。次にここが大事なところですが、そのネガティブな感情と自分を同一化しないことです。ネガティブな感情に引きずられて行動に移さないというのは芸がありません。ネガティブな感情と行動を分離することが大切です。心理学やマインドフルネスにメタ認知、脱同一化、脱中心化という手法があります。これはネガティブな感情を一歩引いて客観化する方法です。一呼吸置く手法です。そして冷静になってから事実の洞察や分析に移るというものです。自然現象である感情を、流れる雲を眺めるように、あるいは大河に浮かぶ浮遊物を川岸から眺めて、その様子をレポーターになったつもりで実況中継するのです。感情と行動の分離、気分と行動の分離は良好な人間関係を築くために大切なことです。
2026.05.05
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森田先生の有名な話があります。およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、人が自分に対して、気兼ねし遠慮しようがうるさく面倒がろうが、人の迷惑はどうでもよいということになる。これに反して、人を気軽く便利に、幸せにするためには、自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、そんなことは、どうでもよいという風に、大胆になれば、初めて人からも愛され、善人ともなるのである。つまり自分で善人になろうとする理想主義は、私のいわゆる理想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が悪人になれば、かえって善人になるのである。(森田正馬全集 第5巻 105ページ)ここで森田先生が言われている「善人」というのは、自分が人から良く思われるために、思いついたことを次々と相手に押しつけている人ではなかろうか。決して相手の気持ちを確かめて、相手が欲しがっているものを与えているわけではない。相手を見ないで、先入観、思い込み、決めつけ、早合点で行動しているのである。自分が「こんなことをしてあげれば相手は当然感謝するはずだ」と思い込んで、一人で相撲を取って勝った負けたと一喜一憂しているようなものである。相手と自分の気持ちの間には深い亀裂が横たわっている。小さな親切大きなお世話という話があるが、まさにこのことを言っている。善人はそのからくりについてはまったく気づいていないので、次々に同じ過ちを繰り返している。ではどうすればよいのか。森田理論の「主観的事実と客観的事実」を応用すればよいのである。こんなことをしてあげれば相手は喜んで感謝するはずだと思うのは主観的事実であり自由です。ただし、それについて相手はどう思っているのか確かめないと、闇夜で鉄砲を撃つようなもので的を射ることはできない。たとえば、今日は焼肉を食べたいと思っても無理やり強行するのはまずい。相手は今日は和食や中華料理が食べたいと思っているかも知れない。それよりも今はお腹が空いていないので、お茶にしたいと思っているかも知れない。主観的事実と客観的事実の取り扱いとしては、相手に花を持たせて相手に合わせると比較的無難に収まる。最初に自分の気持ちを押し出してもよいのですが、最終的には相手や多数決で決まったことに合わせていくことが人間関係の基本となります。どこまでも「主観的事実」に固執する人は自己中心的な人です。この世は自分の思いどおりにならないと愚痴をこぼしている人は生きていてもむなしくなるばかりです。
2026.04.22
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2015年12月7日に森田家家系図を投稿したが補足をしておきたい。これを頭に入れておくと、森田正馬全集第5巻、森田正馬評伝、森田療法の誕生などを読むときに大変参考になる。森田正馬は4人兄弟であった。5歳上に異父の姉、道さんがいた。「はちきん」といわれるような人で、小さい頃正馬にいろいろと家事を指示していた。この方はその後、田原秀明氏と結婚した。子供はいなかった。そこで正馬の11歳下の妹の「磯路」が濱田眞鉏さんと結婚していたが、そっくり養子縁組をしている。濱田姓から、田原姓に変わったのである。子供が4人生まれた。森田正馬は一人息子の正一郎君がいたが、20歳で亡くしている。そこで「磯路」さんの子供あった田原家の次男、三男を養子に迎えた。森田俊喜さんと森田秀俊さんである。お二人ともお医者さんになられた。森田秀俊さんは三島森田病院の院長をされていた。そこに田原あやさんがおられた。森田先生が存命中は、森田先生の身のまわりの世話をされていた方である。この方は田原秀明さんの妹の子供さんである。田原秀明さんの長女が嫁がれた土居家からは、土居光知という大学教授が出ている。森田先生の伝記によく出てくる人である。森田先生の4歳下に弟の「徳弥」さんがおられた。兄弟とはいえ性格的には異質であったという。勉強ができて、兄の正馬と同じように旧制中学への進学を希望したが、父親の反対で農業を継いだ。正馬は向学心の強い弟を医者にしようと思い、大学を卒業した年に、東京に呼び寄せた。柔順な弟は兄のすすめに従い、1年間独学して、医学前期の試験に合格した。その後、慈恵医学校の入学試験にも合格して3年生に編入された。しかし、慈恵に入学してわずか2か月足らずのうちに日露戦争が勃発した。予備役だった徳弥氏にも詔勅が発せられ、その日のうちに高知の連隊に向かって出発した。その後日露戦争の最激戦地旅順の攻撃にあたる。そして戦死。享年27歳であった。前途有望で、森田正馬の後継者となるべき人が、理不尽な戦争で命を落としたのである。森田正馬は日記に次のように書いている。「徳弥入営の報あり。父は我に学問させるため、徳弥を学校にやらず終に一兵卒となりて入営す。彼の心情を思ひやりて涙を催したり。将来我が幸福の半分は彼に分たる事を潜かに誓う」運命に翻弄されたとはいえ、実に残念で無念の死であった。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社 203ページより引用)
2019.11.22
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不安神経症の人と対人恐怖症の人は人間関係の対応方法がかなり違うように思います。不安神経症の方は突然死の恐怖が襲ってきてパニック状態になります。その時誰かが付添ってくれていれば安心できます。そのためには普段から他人が喜ぶようなことを見つけて実行している。不安神経症の人は明るく、人付き合いが比較的上手です。対人恐怖症の人は他人から評価される、一目置かれる存在になることに関心が高い。不安神経症の人のように人と仲良くして交流することを楽しむという気持ちは希薄です。そういう意味では自己中心的な人達です。対人恐怖症の人は本音の部分に他人が怖いという気持ちを持っているように思います。良好な人間関係を築いて維持するという側面が弱いように思います。反面一人で過ごすことは苦になりません。人生の楽しみ方を自分なりに見つけている。一つのことを掘り下げて、名人の域に達している人もいます。しかし他人との接触を完全に断って仙人のような生き方はできません。人間は社会的な生きものですから多かれ少なかれ人間関係がつきものです。では対人恐怖症の人はどんな気持ちで人と付き合っていけばよいのでしょうか。私は森田の不即不離をお勧めします。必要なときに、必要に応じて、必要なだけの付き合いをするということです。必然的に浅くて広い人間関係を目指すことになります。その前提に立って、どんなことに注意すればよいのかを考えてみました。1、笑顔での挨拶を欠かさないように心がける。2、しゃべりすぎないように心がけて、相手の話をよく聞く。3、約束や責任をきちんと果たす。ドタキャンはしない。3、弱点や欠点、ミスや失敗は隠さない、ごまかさない。4、相手を非難、否定、叱責、拒否、強制、無視しない。5、不平や不満、腹立たしさをすぐに相手にぶっつけない。6、「ありがとう」「助かります」という言葉を使うようにする。私たちは釣りバカ日誌のハマちゃんのような陽気でまわりの人を和やかにする能力は持ち合わせていません。でもこれくらいなら実行可能なのではないでしょうか。人間関係は20対60対20の法則があると聞きました。これは馬の合う人20%、馬の合わない人20%、どちらでもない人60%という意味です。肝心なことは、どちらでもない人を敢えて敵に回さないように心がけることです。潤滑油の切れた歯車を無理やり回転させるようなことは痛々しい。これだけ心がけるだけで人間関係で大きく躓くことは避けられます。
2024.06.03
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女優の小山明子さんは今年満90歳を迎えられたそうだ。小山さんが61歳のときに夫で映画監督の大島渚さんが脳出血で倒れました。仕事を休業して、17年間にわたり献身的な介護を続けてこられました。一人暮らしになってからの生活ぶりが参考になりますので今回取り上げました、小山さんは規則正しい生活を心がけておられます。朝は7時半に起きて昼間はお庭のお花の手入れをしたり、本を読んだり、友人と一緒に活動したり、夜はドラマやニュースを見て、だいたい12時か1時には休むことにしています。朝昼晩と三食きちんといただくことも大切な習慣ですね。私、この年になってもスケジュール帳がぎっしりなんです。水泳やコーラス、それに麻雀の女子会、一口馬主もやっています。特に若い人たちと会うのはいいですね。何よりも気持ちが若返る。いまは年を取って昔ほど参加できなくなりましたが、海岸清掃やお花見、上映会、防災訓練といった町内会の活動にも積極的に関わってきました。小山明子さんはいろんな好きな言葉を持っておられます。・「ありがとう」は魔法の言葉です。・人と比べないということ。人と比べることはかえって自分を精神的に追い込むことになるんです。・五木寛之氏の「諦めるということは実は前向きなこと」という言葉も好きです。・作家の柳田邦男さんの「人間は落差に弱い」けれど「人は、不幸を受け付けながら幸せになる」という言葉にも大きな力をもらいました。いろいろな壁にぶつかっても「神はその人が越えられない試練を与えない」と思えば、自然に力が湧いてくるんです。・好きな言葉は、カキクケコの法則。「カ」は感謝と感動、「キ」は興味、「ク」は工夫、「ケ」は健康、「コ」は好奇心と転ばないこと。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 8月号 18ページ参照)認知症を予防し、自分の足で歩いて、経済的に自立して、自分が喜ぶことをして100歳以上まで長生きることを目指している私にとって、参考になる事ばかりです。
2025.09.04
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神経症に陥るパターンは2通りあります。一つは不安、恐怖、不快感はイヤなものですから、それを取り去ろうとしているうちに、注意が不安、恐怖、不快感に向き、注意を向けば向けるほどさらに感覚が強まり、それをくりかえしているうちに、悪循環に陥り症状として固着するのです。もう一つは、たとえば対人恐怖の人の場合、人から批判されるような人間であってはならないなどという強い「かくあるべし」を持っています。すると、現実の自分の欠点やミスや失敗は我慢がならないもとして肥大化してきます。そして理想と現実のギャップで苦しむことになります。そのギャップをうめようとやりくりしたり逃げたりしていると、、苦悩や葛藤が強まりついには神経症へと陥ってしまいます。神経症で苦しむ多くの人は、この2つ発生原因を両方とも持っています。2つの原因がこんがらがって神経症を作り上げているために、神経症を克服することを難しくしています。神経症を克服するためには、一つには、精神交互作用を断ち切ること。つまり、「症状はあるがままに受け入れて、なすべきをなす」ということに取り組むことです。症状は横においておき、イヤイヤながらでも目の前の日常生活に目を向けて行動してゆくことです。もう一つは「かくあるべし」という思考パターンを出来るだけ小さくしてゆくことです。そのためには、事実を受け入れて、事実に服従していくという生活態度に変えてゆくことです。これは言葉でいえば簡単ですが、そういう態度を身につけるのは、ある程度の時間がかかります。でも森田理論学習を続けてゆけば必ず目的は達成できます。この2つが身についてくると、神経症から解放されると同時に、その後の生活がとても充実して生きることが楽しくなってきます。でもこれは一人で取り組んでゆくことはかなり手ごわい相手になります。なんとか生活が維持できていれば、生活の発見会に入り、神経症を克服した仲間と森田理論学習を続けることが近道だと思います。私もこのプログでもそのあたりのコツを紹介してゆきたいと思っています。
2013.04.17
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対人恐怖で苦しんでいる人は、周囲の人はみんな侵略者や敵に見えるのではなかろうか。周囲の人はみんな、自分の欠点や弱点、失敗やミスを大小漏らさず見つけ出して、常に口汚くののしり、陰で自分の悪口を言い、自分を傷つけ社会から葬り去ろうとしている。そうした被害者意識がある。それに対抗するため自分は頑丈な鎧を身にまとい、どんな手段をとってでも防御しないといけないと考えている。そのためには、実態がいかに悪くても、見栄えをよくしなければいけない。ミスや失敗は起こるのは仕方ないとしても、人に知られるようなことは絶対にあってはいけない。ボロを出さない、相手につけいる隙を見せない。こうした姿勢を常にとり続けてきた。しかし、防御一辺倒で頑張って自分を守っているが、気が休まるときがない。どんどん敵に攻め込まれて、後退につぐ後退を続けて後がないところまで追い込まれている。社会からいつ放り出されるかという不安が常に付きまとう。過度の緊張が続き、不眠、体調不良が続いている。だいぶ生きていくエネルギーがなくなってきた。これは実はかつての私の姿です。こんな状態でどうして今まで生き延びることができたのか自分でも不思議なのです。一つ言えることは、森田理論学習と学習仲間の励ましが役に立っています。学習の中で症状と闘っても勝ち目がないのは薄々気がついていました。そこで途中から白旗をあげて降伏したということでしょうか。しぶしぶ負けを認めたということです。すると、今まで必死になって守ろうとしていた要塞を死守する必要がなくなりました。守るものがないと自由に動き回れるようになったような気がします。次に高良先生の人間関係をよくしようと思ったら、1つの分野でエキスパートになれという言葉が役立ちました。10年も一つのことに打ち込めばその道の専門家になれる。そしたら人間関係はよくなります。このことに取り組んできたことかと思います。
2013.03.05
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森田理論を学習して分かったことは、これは自分の感情、気持ちを大切にせずに、相手の思惑ばかり考えてきた結果であると思います。他者中心の生き方ですね。感情面では、ミスをすれば叱られて、不快な気持ちを味わうのは当たり前のことである。私の間違いは、その恐ろしい感情に全く向き合おうとしていなかった。その感情を認めて、向きあい受け入れようとしなかった。その感情を拒否し、無視し、抑え込み、否定してきたのではないのか。不快な感情は自然現象で起こるべくして発生している。湧き起ってきた感情はすべて正しい。間違った感情が発生することはない。プロ野球のピッチャが投げるストレートは150キロ以上にもなる。恐ろしくてもしっかりと向き合ってキャッチしないといけない。恐ろしくてイヤだといって逃げれば、命にかかわるけがをする。自分に湧きあがった感情は迎賓館で外国の要人を接待するように、最高のおもてなしを心がけるべきであったのだ。その際大切なことがある。不快な感情は小さいうちに処理してしまうことだ。小さい不満を我慢していると、数たまると大きな不満になる。小さい時に受け入れられると、あとあとまでしこりを残すことはない。その時に湧き起った小さな不安、恐怖、不快な感情は、我慢したり、耐えたりしてはいけない。日記などに書いたり、自分に湧き起こった感情を私メッセージで人に伝えたりすることだ。きちんと受け止めて、向きあうという実践を日々、その時、その場で実行することだ。火事でも小さいうちは自分で消すことはできるが、大きな火事になるとすでに時遅し。自分ではどうにもできない。私の場合は、ミスをした時は、上司などに叱られるというイヤな予期不安ときちんと向き合う。湧き起った感情は排斥しないこと。つらい感情はつらいつらいと日記に書いてみる。ミスをしてこんな不快な気持ちになっていると話してみる。認める、受け入れる、向きあうことに徹してそれ以上のことには手を出さない。この実践が必要であったのだと今になって思う。自分の感情に敬意を表し大切に扱うこと、これが重要だったのだ。
2013.12.08
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私は30年以上森田理論学習を続けてきて、自分の生きづらさの問題点に気がついた。それは大きく分けると4つあった。1 、対人恐怖症のために予期不安があると、人前から逃げるという習性があった。2、対人関係では、勝ち負けにこだわり、いつも相手と張りやってきた。負けず嫌いが他人に向けられていたのである。3 、自分の感情、気持、意志を押さえつけていた。いつも他人の言動に振り回されてきた。4 、 「かくあるべし」が強く、今あるものや自分や他人を否定しながら生きてきた。これらは森田理論学習のおかげで少しずつ改善できてきた。今では生きていてよかった。神経症は辛いものであったが、神経症になったからこそ今がある。神経症になってよかった。神経質性格に生まれてきてよかったと心の底から思えるようになった。1番であるが、「欲望と不安」の単元が役に立った。不安には大きな役割があることがわかった。さらに不安だけを問題視するのではなく、生の欲望と不安のバランスをとる生き方が大切なのだということがわかった。その方向で努力し、日常生活が充実し、 一人一芸の習得で毎日が充実している。2番目であるが、これはなかなかしぶとい。修正は不可能なのではないかと思う時もある。他人が自分のことを非難したりするとすぐに戦闘モードになる。相手の意見を価値判断なしによく聞く。それに対して自分の意見を述べる。双方にある意見の違いをはっきりさせる。そしてその溝が少しでも埋められればよしとする。勝ち負けにこだわるよりも、不全感は残っても、人間関係をぶち壊さないことが肝心だと思っている。3番目であるが、他人の言動に振り回されるばかりだと、自分の生きる楽しみはなくなる。つらくなるばかりだ。他人の言動に右往左往するのではなく、まず自分の感情、気持、意志を見つめることが大切だと思った。自分はどのように感じているのか、自分はどのような気持ちになっているのか、自分はどのように考えているのか、自分はどのようにしたいのかを前面に押し出して生きていくように方向転換をした。そこで役に立ったのは、 自分の素直な感情を、小さいうちにどんどん外に吐き出していくことだった。自分の感情、気持ち、意志、五感、身体感覚を外に向かって吐き出すことに力を入れてきた。どんなことがあっても、自分の心と体は自分自身が守らなければならない。自分は自分の最大の味方である。自分を粗末に扱うことだけはなんとしても避けたい。4番目であるが、 「かくあるべし」を少なくする生き方が重要であることがよくわかった。「かくあるべし」の反対は、現実、現状、事実を素直に受け入れて、そこを出発点にして目線を一歩上に上げて生きていくことである。今まで生きてきた中で頑固な「かくあるべし」が身に付いているので、とても難しい挑戦であった。しかし森田理論学習のおかげで、生活態度はその方向に向かっている。ここでは、事実には4つの事実がある。その事実を正確に把握する。事実は両面観で多面的に見る。事実を見ないで、是非善悪の価値判断をしない。事実は具体的に赤裸々に取り扱う。「純な心」を体得する。私メッセージを使って発信する。
2019.01.21
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人間関係では、なんとなく気があう人2割、なんとなく気が合わない人2割、どちらでもない人6割という話を聞きました。対人恐怖症の人は、どちらでもない人を敵に回すことが多いのではないでしょうか。そしてなんとなく気が合わない人の割合を高めているように思われます。その割合が4割、5割と増えていくと、さまざまな弊害が出てきます。悪いうわさは次々に広まり、そのうち孤立していきます。こういう方向には向かわないようにしたいものです。そのためにはとりあえず「やってはいけないこと」をしないように気を付けたいものです。私の失敗の経験から整理してみました。・仕事をさぼらない。与えられた仕事の最低限の責任を果たす。・ルールや習慣や決まりごとを無視しないできちんと守る。・迷惑行為をしないように心がける。・不平や不満をすぐに態度に出さない。しばらく我慢する、耐える。・しかめっ面、ふくれっ面を出さないようにする。・暴言、暴力、喧嘩を控えるようにする。・相手を無視しない。軽視しない。からかわない。・叱責、拒否、脅迫、強制しない。文句を言わないようにする。・自分の「かくあるべし」を相手に押し付けない。・相手にミスや失敗があっても「ドンマイ」と言って許してあげる。・笑顔での挨拶をきちんとする。・約束はきちんと守る。ドタキャンはしない。・気分本位、本能的、自己中心的な行動を抑える。・葬式には必ず参列する。香典をきちんと渡す。・授業参観日、運動会、キャンプなどにはできる限り参加する。・公式行事などに万難を排して参加する。・早合点、先入観、決めつけ、思い込みで判断しない。・相手の話や行動を非難しない、否定しない。・相手の気持ち、考え方をよく聞くようにする。・自分の自慢話、成功談を控える。・傾聴、共感、受容の気持を持つ。・相手に寄り添うようにする。・親切にしてもらったら、「ありがとう」と感謝の言葉を伝える。・困っている人がいたら、援助してあげる。・人のめんどうをみる。協力する。世話をする。・寄付をする。プレゼントをする。お祝いをする。
2023.04.28
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相手から暴言を吐かれた時、すぐに反発する人が多いと思います。この対応は火に油を注ぐようなことになり、益々ヒートアップします。人間関係は険悪になり、後味が悪くなります。森田先生は八つ当たりする、手を出すなどの対応をしてはいけないと言われております。一時的に耐える。感情の法則によれば、怒りの感情は一山登ってひと降りしてくる運命にあります。怒りの場合はその間6秒から10秒と聞いております。せめて6秒だけ耐えるようにする。その後はできるだけすぐに相手と距離を置く。席を外してトイレに行く。コーヒーなどを飲んで一服する。ほとぼりを冷ますことです。火に油を注ぐようなことをしてはいけません。アドラーも相手の挑発に乗ってしまうことは、相手の仕掛けた権力闘争に巻き込まれてしまい人間関係は破綻すると指摘しています。森田先生は、癪にさわるときは、癪に障らなければいけないとも言われています。そうしないと相手になめられて、服従せざるを得なくなります。相手と自分の人間関係が支配、被支配の人間関係になります。これは縦の人間関係になります。人間は他人から支配されるとストレスで精神的にも身体的にも不調となります。夫婦喧嘩でも口争いをした時でも、不快な腹立ちが急に落ち着くものではない。これを強いて押さえつけようとすると、かえってますます苦しくなり、爆発する危険性が多くなるが、心の自然にまかせて、「なんとかアイツをやりこめる方法はないか」といろいろ考えながら、用事をしていると、いつの間にか心は他に転導して、楽な気持ちになっている。これと同時に、争いの工夫も・了見の仕方も、しだいに研究を積んで進歩するようになる。夫婦喧嘩でも、すぐに言い合いをするのではなく、日記などに相手の問題発言や問題行動を書き付けておく。相手をやりこめるだけの材料を集めておいて、いざというときに論争を開始するのがよい。これを実行すると、随分短い日数で、喧嘩することの不得策を知り、一方には自分の腹立ちを調整することができるようになる。そして多くの人は、必ず腹立ちの時の自分の書いたものを後から読み直して、自分のわがままなことを知り、恥ずかしくなるようなことが多いのである。(森田全集 第5巻 745~746ページ参照)
2024.11.08
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上甲晃氏のお話です。松下幸之助氏は、自らが成功した理由として、次の3つを挙げていた。①学歴がなかったこと。松下幸之助氏は尋常小学校4年生の中退である。②身体が弱かったことである。肺尖カタルという病気にかかり、病弱のために会社勤めを諦めなければならないほどであった。③家が貧しかったことである。父親が米の相場に失敗して、それまで住んでいた家を出て、大変貧しい生活を強いられた。9歳の時から働き始めたのも、家が貧しかったからである。以上の3つは、普通に考えたら、どれも「だからできませんでした」という口実になりえるものばかりです。しかし、松下幸之助氏は「3つのおかげ」という。①について、社員はみんな僕より学歴があり、みんなが自分より偉く思えたので「君やってくれんか」と任せた。もし、自分が社内で一番偉いと思ったら、「うちの会社にはろくでもないやつしかおらん」と考えて、存分に力を発揮してもらおうとは思わないだろう。また、松下幸之助氏は並外れた「聞く耳」を持っていたことも、学力がなかったお陰だという。②について、身体が弱かったので、会社を立ち上げたものの、先頭に立って働けない。週の半分だけ働き、あとの半分は静養するような生活だった。そのために、部下を信じ、「君、頼む」と任せるしかなかった。そのおかげで、任された人たちが、社長に代わって頑張らないといけないと思って、どんどん成長したのだ。③について、9歳から親元を離れて大阪に行き、住み込みで働き始めた。最初に給料としてもらったのは5銭だった。その当時でもわずかなお金だった。家が貧しかったからこそ、わずかな給料を喜んで受け取れたのである。もしお金持ちの家の子であれば、こんなわずかなお金しかくれないのなら、どこかもっと給料の高い会社に転職しようと考えたかもしれない。運命を嘆いて恨んでいても、どうにもならないことはどうすることもできない。今がどん底だ、これから先必ず浮上してくるはずだと考えることができれば、決して運命を嘆いて恨むことはない。むしろ発奮材料となる。問題のある今現在の自分の状況を素直に受け入れることができるかどうかが分岐点になる。そして目標を見失わないようにして努力精進することが大事になります。(松下幸之助の教訓 上甲晃 致知出版社 207ページ参照)松下幸之助氏は、3つの逆境を「3つのおかげ」として、あるがままに受け入れました。天気でいえば毎日雨が降っているようなものです。これに対して松下幸之助氏は、「雨の人はうっとうしいから外出をしないという考え方ではいけない。やるべきことや人と会う約束をしていたら、傘をさしてでも出かけなければいけない」と言われています。これは当たり前のことに対して、手を抜かずに淡々と実行することだと大事だということです。これは森田でいう、「不快な感情や気分」と「実践・行動」はしっかりと切り分けなければいけないということを言われているのだと思います。
2025.08.26
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未来食堂を経営されている小林せかい氏のお話です。この方は東京工業大学理学部を卒業し、日本IBM、クックパッドでシステムエンジニアとして働いていたという異色の経歴を持っている。この食堂では、50分間店の手伝いをすると一食無料になる「まかない」をとり入れている。また、過去に来店した方が使わなかった「まかない」の権利で食事をする「ただめし」もある。「まかない」の真の狙いは、金銭的に苦しい人を応援するという意味があります。その小林氏が次のような葛藤で苦しんでいたという。ある時期「ただめし券」を毎日使うお客様がいらっしゃいました。過去にお手伝いをした方が善意で譲った「ただめし券」を使われているだけなのでお店が損をすることはありません。ただ、どうしてもそれを単純に受け流せない自分がいました。どんな人でも使ってほしいという思いとは裏腹に、「また使っている」「あなたが使うべきじゃない」と感じる嫌な自分が顔を出したんです。本来の思いからすると、金銭的に困っていない人には使ってほしくない。けれどもある時から、本当に困っていない人が毎日使ってもいいのではないか、と考えるようになりました。困っているか、困っていないかを問うことが本質ではないと気づいたからです。それは、「私はあなたを助けます」というメッセージを送り続けることです。助けたいと思っても「困っている人しか使えません」と限定してしまうと、本当に困っている人が使いづらくなるかもしれません。仮に困っていない人が使い続けたとしても「あなたを助けます」というメッセージを送り続けていれば、もしかしたら明日、本当に困っている人が訪れてくれるかもしれない。だから「あなたは困っている」「あなたは困っていない」とふるいにかけるのではなく、ただただ来た人を受け入れる。それこそが、人を助けようとする者に求められている覚悟だと学んだのです。「ただめし券」は誰もが使える設計にしています。たとえ99回踏みにじられても、たった1回が誰かの支えになればいい。「ただめし券」使う人をすべてあるがままに受け入れることで、いつか本当に困った人を助けることができる。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 8月号 あるがままを受け入れる 88ページ)集談会にはいろんな人がやってきます。神経症で苦しんでいる人。生きづらさを抱えている人。森田を活用して楽しい人生を築きたい人。森田的な人生観を作り上げたい人。人とつながりを求めている人。話し相手を求めている人。集談会後の懇親会を楽しみたい人。結婚相手を見つけたい人。ただ暇つぶしをしたい人。など。集談会やってくる人は、森田理論を深めて、神経症を克服し、神経質性格を活かした人生観を確立することに限定して、目的外の人を排除してしまうのは考えものです。それは建前としては立派だが現実的ではない。趣旨に反する人は一切受け入れないということになると、参加者はどんどん減少してしまうと思います。自分で自分の首を絞めてしまうことになる。「来るものは拒まず、去るものは追わず」「森田に合う人、合わない人でもすべて受け入れる」「森田理論を学習するという目的を持っていない人でも受け入れる」「森田の活用や応用に関心がない人もすべて受け入れる」「1年に1回か2回しか参加しない人でも温かく受け入れる」許容、抱擁、寛容の気持ちですべてを受け入れていくという気持ちを持って、集談会を継続していると、本当に森田を必要としている人に出会うことができる。殺気ばった発言がなくなる。アットホームな雰囲気が生まれてくる。その気持ちを忘れてしまうと、森田を本当に必要としている人を見逃してしまう。100人に一人の対象者を見逃してしまうのは実にもったいない。その時のために、私たちは、絶えず森田を深耕し、森田理論の応用・活用を心がけて生活したいものです。
2025.09.13
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会社でイヤな上司、無理難題を押し付けてくる上司はどこにでもいます。部下たちは連れだって居酒屋などで上司の悪口を散々言い合ってストレスを発散させます。また仲の悪い夫婦は相手の欠点や行動の問題点をあげて、お互いにやりあいます。喧嘩をしていいたいことをいうと、その場は少し気分がよくなるような気がするのですが、その後はなんとも気まずい雰囲気が何日も続くことがあります。これを森田理論学習ではどのように考えたらよいのでしようか。私は一つのヒントとして次のように提案いたします。悪口をいう、相手を批判する、バカにする、相手を否定するなどはいうまでもなく、自分の「かくあるべし」を押し付けていることになります。よくないのはみんなよく知っているのです。とはいっても話の流れで、ついついそうした言動はでてくるものです。100歩譲ってそれは仕方ないとしても、ちょっと考えてみたいのです。そのやり方はバランスがとれていますかということです。相手もそういった一面を持っているからこそ、自分がそうした態度をとるのですが、せっかく森田理論の学習をしているのですから、バランスを意識してみましょう。森田では10の欠点や問題点があると、10の長所や賞賛するところがあるといいます。欠点や問題点はすぐに出てきました。長所ははたしてあるのだろうかと思うのが普通でしよう。そこを最初は無理やりにでも結構ですから考えてみましょう。無理にでもバランスをとるようにしてみましょう。悪口や欠点、行動の問題点は次から次へと連鎖してどんどん膨らんでゆきます。それを断ち切って反対のことを考えるのです。1つではなく2つをめどに考えてみてください。2対1ぐらいで何とか調和がとれるぐらいになります。頭にはバランスを整えるということを念頭に置いてください。今までと違う世界が広がってくると思います。
2013.02.19
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だから人間は、自分が所属している仲間内のグループから排除されてはならない。仲間に受け入れられ、承認されることが、なにはさておき一番大事ということになる。すると最大の阻害要因である、自分の弱み、欠点、ミス、失敗を世間にさらけ出すことは決してできるものではない。私がそうだったのだ。これはそもそも認識の誤りなのだが、自分がその渦中にいるとそうは思えない。いったん集団から排除されると、もう二度と仲間に入れてくれることはないと感じる。そうなれば自滅するしかないと思った。そこで自分の弱み、欠点、ミス、失敗などは、仲間に見つからないように隠す。弱み、欠点、ミス、失敗などが存在することは仕方ないが、みんなに見つかるということが恐ろしいのである。あってはならないものなのである。隠せない場合は、精一杯取り繕うとします。こうして自分を守ることに汲々としてしまうのです。毎日が針の筵の上にいるような感じです。本来の自分の欲望に従って、自由にのびのびと生きていくことを忘れて、毎日葛藤と苦悩の道を歩んでいくのです。それから逃れるためにはどうすればいいのか。私はその答えを森田理論の中に見つけました。それは対人的な不安は不安として持っていてもかまわない。そういう気持ちを持ったまま生きていければよいということでした。決してしてはいけないのは、スッキリと悩みを取り去ってしまおうとすることです。もしその道を選べば、坂道を転がる雪だるまのように、どんどんと苦しみは大きくなり、さらに加速度を増してゆきます。不安を持ったまま生きていくことは実際に苦しいですが、もしそうゆうことができるようになると、一つの素晴らしい能力を獲得したということです。この能力は、ちょっとやそっとでは獲得できるものではありません。でもこの能力の獲得は大変魅力があります。森田理論の学習と実践で獲得することが可能となります。皆さんも不安を持ったまま行動できる、という能力を身につけてゆきましよう。そのための応援は惜しみません。森田では最終的に事実に服従することを学習しますが、その前提として不安を抱えたまま行動できる能力を獲得するということが大切だと思います。
2013.08.24
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同僚も私と同じようにミスをするのですが、同僚の場合は本人もあまり気にしていないようで、また上司があまり厳しく怒ることはしていないように見えるのです。どうして自分だけがきびしく叱られるのだろうかと思いました。ある時、あまりに腹が立って「人間は完全ではないのだから、たまにはミスをする事もあるんじゃないですか」と反発したことがあります。その時は、眉間にしわを寄せて、むくれて、敵と戦うやくざのような形相となっていた。相手は、自分がミスをしておきながら、開き直るとはどういう量見だ。あんな奴はやめさせてしまえと言われた事があります。今思うと、私はミスをすると、またこっぴどく叱られるという気持ちが強かった。相手が好意的に自分をかばってくれるという気持ちが全く持てない。相手が敵のように見えて言動が挑発的なのだと思います。態度も暗く、意気消沈して、けんかを売ってきているように見えるのだと思います。自分は恐怖と怯えでいっぱいなのですが、相手はやくざの脅しのように見えるので、かばってやって、今度挽回してくださいとは言いにくいのだと思います。自分は永遠に自分と相手を責め続けてきました。自分自身はいらだちと怒りだけではなく、なんともいえない無力感にさいなまれて、自己否定に陥りました。生きていくのがつらい。こんな自分を産み、育てた両親が憎い。少しでも楽になろうとして、仕事をさぼる。病気を装って休む。人に頼る。次の仕事をしないでやった仕事のチェックばかりしている。自分を守るための精いっぱいの防御です。悪循環の繰り返しですね。胃潰瘍になり、うつ状態になり、精神科にかかるようになりました。
2013.12.08
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最近帯状疱疹という病気になった。1週間前ぐらいに背中がかゆかった。孫の手でかいていた。ところがその後、腹や胸、わき腹がかゆくなった。そのうち針の先でつついたような痛みが出てきた。その痛さが24時間続くのである。以前痛風の発作が起きた時も痛かったが、今回の痛みはそれ以上だった。最初は皮膚がんだろうか。内臓に問題があるのではなかろうかと気をもんだ。急いで医者にかかりやっと原因が分かった。ウィルスの仕業らしい。人にうつることはないという。薬を飲んで、塗り薬を塗っていればそのうち治るという。あまり痛いときは鎮痛剤を飲んでくれと言われた。原因が分かってやっと安心した。ところが激痛はそのまま続いている。私はその時はっと思った。対人恐怖で会社で孤立していた時のことである。その時とおんなじだ。アリ地獄の底に落ちてもがいていた。自分ではどうしてよいかわからない。心は傷つき、誰でもよいから心の痛みを取ってほしい。なんとかしてほしい。急いで精神科にかかった。抗不安薬をもらって飲んでいた。そして思い切って集談会のベテラン会員に相談した。よく話を聞いてもらった。愚痴を聞いてもらった。相談できる人がいて、話をするだけで随分と楽になった。この人の存在が大きかった。その人のアドバイスに従って布団揚げ、下駄箱、本箱の整理、風呂掃除などに手を付けてみた。一挙に改善はしなかったが、対人恐怖を持ったまま行動できることが分かった。行動していると、新たな感情が湧いてきて、症状のことを忘れていたという経験もした。その時症状を持ったまま、行動できるという能力を身につけて、なんとか会社を辞めずに済んだのだと思う。帯状疱疹も、もう少しこの痛みに耐えながら、ぼちぼちと仕事をしてゆこうと思う。
2014.01.22
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仲間として受け入れてもらえない人はどんな特徴があるでしょうか。他人が気を悪くするような言葉を平気で口にするような人がいます。相手のことを絶えず叱責、非難、否定する人もいます。腹を立てたとき、すぐに仕返しを考える人がいます。さらに勢い余って衝動的に暴力行為を起こす人もいます。自分勝手で約束したことを平気でドタキャンする人もいます。会社員の人で仕事をさぼることばかり考えている人もいます。相手の話を聞かないで、自分の言いたいことばかり話す人がいます。相手が困っているときに見て見ないふりをする人がいます。あいさつを怠り、相手のことを無視する人もいます。人の役に立つことよりも、自分が得する事ばかり考えている人がいます。子供のしつけや教育について無関心な人もいます。社会的慣習や社会的責任を果そうとしない人もいます。これはほかでもありません。今までの私の姿です。その結果、仲間外れにされて孤立してしまいました。そのうち会社や社会からも排除されるようになりました。人間は自分一人では生きていくことはできません。自分の居場所がなくなると社会的には死刑を宣告されたようなものだと思います。そうならないためにどうすればよいのでしょうか。まず、怒りを爆発させたり、暴言を吐きそうになったときに注意しておきたいことがあります。この言動はストレーに出していいものなのかどうかを考えてみる。この言動は後で後悔するようなことはないか。罪悪感で苦しむようなことはないかと考えてみることです。そんな苦しみを味わうくらいならとぐっと我慢することができます。次にイヤな気分本位に流されて、目の前のなすべきことから逃げて、社会的な責任を果たさないという問題はどう考えるか。気分というのは、感情と同じ自然現象ですから人間の意思の自由はありません。しかし主観的な事実を基にして気分本位の行動をとっていると、周囲から浮き上がってしまいます。主観的事実に対して、客観的事実があることを忘れてはならないと思います。気分はどうすることもできないが、主観的事実に片寄った行動は仲間外れにされる原因となります。いくら不快な感情に振り回されそうになっても、社会の一構成員として常識ある行動をとることです。仕事をさぼりたくなっても、与えられた仕事をこなさなければなりません。言うは易く実行は難しい面がありますが、一人の人間として社会に受け入れてもらうためには、この2つの考え方は実行に移すことが大事になります。
2024.12.15
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元宝塚歌劇団の貴城けいさんのお話です。私が宝塚歌劇団を退団する1年前に、歌劇団の人なら誰もが目にする場所に「ブスの25箇条」というものが張り出されました。だれもが見入っていました。「こうするとブスになる」というのは、何も女性だけを対象としたものではなく、人間としてのあるべき姿を逆説的に示したものではないかと思います。そんな気持ちで読んでみて下さい。1、笑顔がない。2、お礼を言わない。3、おいしいと言わない。4、目が輝いていない。5、精気がない。6、いつも口がへの字の形をしている。7、自信がない。8、希望や信念がない。9、自分がブスであることを知らない。10、声が小さくイジケている。11、自分が最も正しいと信じ込んでいる。12、グチをこぼす。13、他人をうらむ。14、責任転嫁がうまい。15、いつも周囲が悪いと思っている。16、他人にシットする。17、他人につくさない。18、他人を信じない。19、謙虚さがなくゴウマンである。20、人のアドバイスや忠告を受け入れない。21、なんでもないことにキズつく。22、悲観的に物事を考える。23、問題意識を持っていない。24、存在自体が周囲を暗くする。25、人生においても仕事においても意欲がない。この内容から、人間関係を改善するヒントが見つかります。①いつも口角を上げて笑顔で挨拶することを心がける。②ユーモアのネタ集めをして、折にふれて披露する。(ダジャレ、川柳、面白小話、一人一芸)③何かしてもらったら、「ありがとうございます。助かりました」と感謝の言葉を伝える。④あたりまえの生活が送れていることに感謝する。感謝の気持ちを日記に書く。⑤短期目標(日々の目標、一週間の目標)、中期目標(一年の目標)、長期目標(生涯目標)を明確にして、人生を楽しむようにする。⑥自己中心的態度を改めて、森田でいう「物の性を尽くす」ように心がける。自分を含めて、すべてものに居場所や活躍の場を提供する。⑦自己肯定感が持てるように小さな成功体験を積み重ねる。⑧悲観的感情やネガティブな気分をつつきまわさないように心がける。規則正しい生活、毎日のルーティンワークだけはこなしていく。
2025.04.17
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プロ野球やサッカーが開幕しました。贔屓のチームの勝ち負けは自分の精神状態に大きく影響します。勝てば心ウキウキ、喜びいっぱいで幸福感で満たされます。その日のスポーツ番組ははしごしてすべてを見る。翌日の朝刊は真っ先にプロ野球蘭をみる。これは脳内をドーパミンやβエンドフィンが駆け巡っている状態です。その日と翌日くらいまでは、至福の時間を過ごすことができます。ずっとウキウキワクワクの状態が続けばよいのですが賞味期限は短いのが特徴です。勝負事には負けがつきものです。贔屓のチームが負けた時は、憤懣やるかたない気持ちを抱えることになります。悲しみ、嫌気、怖れ、批判、怒りなどで埋め尽くされることになります。その日のスポーツ番組は見ない。ニュースなどを観ていてスポーツ番組になるとすぐにチャンネルを変える。翌日の新聞のスポーツ欄は見ないようにする。脳内をノルアドレナリンやコルチゾールなどが駆け巡っている。イライラして腹立たしい気持ちになる。自分一人でイライラしているのならまだ救いがありますが、そのネガティブな気持ちを周りの人にぶちまけて悪影響を与えている。僅差の試合展開の場合、打ち込まれて負けることを怖れて、ほかの番組を見ている。可愛さあまって、憎さ100倍のような感じです。時々途中経過をチェックして、今日は勝ちそうだという見込みが立ったときは、改めてゆったりと視聴する。途中戦況が悪くなるとまた別の番組に切り替える。この状態は、純粋に試合内容を楽しむというのではなく、勝つか負けるかその結果のみに関心があるのだ。こういう人はBS放送で朝放送の大リーグのドジャースの試合の方が安心して見られる。それは生まれなからのドジャースのファンではないので、勝ち負けは度外して、大谷翔平などの日本人選手の活躍を純粋に楽しむことができるのだ。こうなると、一種のプロ野球観戦依存症に陥っているとみたほうが妥当ではなかろうか。依存症には、薬物、アルコール、ギャンブル、ニコチン、セックス、ネットゲーム、ネットでの買い物、仕事などがあります。程度の差はあれ依存対象にどっぷりとつかって、ドーパミンを出し続けてめくりめく快感情を享受したいのである。プロ野球を見て一喜一憂してしまうのはどう考えたらよいのでしょうか。感情の法則では、どんな不快な感情でも天気と同じ自然現象であり、意志によってコントロールできるものではない。イライラや不平不満、悲しみや不安や恐怖などの不快な感情は自然服従するしかないと言われています。感情の法則1を活用して、不快な感情を味わい尽くすことが必要になります。気を紛らわせることを考えて不快感情を刺激しているとますます増悪して、心身とも疲弊してしまいます。耐えがたきを耐えて、日常茶飯事に目を向けて生活を前に進めて行くことが肝心だと思います。新しい行動を開始するか、別の状況や環境下に体を移動させると、新しい感情が生まれることを忘れてはならないと思います。そうすれば、いつかは勝ちゲームで大いにウキウキ、嬉しい気持ちを楽しむことができます。
2025.04.26
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大山泰弘氏が住職さんから聞いた「4つの人間の幸せ」について紹介されている。1、人から愛されること。2、人からほめられること。3、人の役に立つこと。4、人に必要とされること。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版社 219ページ)1については、まずは両親から愛されることが欠かせません。特に愛着の形成期の生まれてから1年6ヶ月の間は親は子どもに付きっきりで面倒を見る必要があります。これは主としてお母さんの役割となります。その後はお父さんが外に連れ出して、できるだけ多く雑多な体験の機会を提供する。モンテッソーリ教育によると、子どもは何かに興味をもち、同じことを繰り返す時期(これを敏感期という)があると言われています。その敏感期(11項目あります)をスルーしてしまうと、後から取り戻そうとしても難しいそうです。子どもの敏感期を学習し、敏感期に応じた能力開発を心がければ子育ては楽しいものとなります。2については、他人から評価されるとやる気に火がつきます。特に親、先生、尊敬する人などです。私はそのためにトライアスロンに挑戦しました。また難関の国家資格にいくつも挑戦しました。いずれも目的は果たしましたが、人からほめられることはありませんでした。会社ではそんなエネルギーがあるのならば、仕事で大きな成果を出してほしいと言われました。今考えると順序が逆だったと思います。本業を疎かにして、本業以外のところで大きな成果をあげても、かえって軽蔑されるようになります。自分に与えられた仕事で最低限の責任と義務を果たすことが前提となります。そのうえで自分のやりたいことに取り組めば、おおいに尊敬されるようになます。水谷啓二先生は、我々神経質者は風雲に乗じて大きな成果を上げるよりも、凡事徹底で10年20年と努力を積み重ねた方がよいと言われていました。陸上でいえば短距離で勝負するよりも、マラソンのような持久力で勝負するのが性に合っているように思っています。3については、例えばシェフの場合でいえば、対価に見合った料理を提供するのは当たり前のことだと思います。そこを目標にしていると、お客様の期待値以下の料理を出すことになりかねません。人に役に立つこととは、相手の期待値にプラスアルファを積み上げていくことだと思います。相手から感謝される。感動の涙を流してくれる。何かお返しをしたくなる。期待値プラスアルファを目指していると、本人もやる気が出てきますし、相手も喜んでくれますし、感謝してくれるようになります。4についてですが、人類の祖先は東アフリカにルーツがあるそうです。その当時平原で肉食獣と命をかけて戦っていました。その戦いに勝利して人類が生き延びることができたのは、仲間と協力して闘うことを身に着けたからです。社会を作り分業制を確立し文明を発展させてきた。人間一人だけでは大きな成果を上げることはほぼ不可能です。自分の可能性や能力を見極めて、早めに自分の得意分野を見つけて、そこに磨きをかけて、社会貢献することが人間に課せられている宿命ではないでしょうか。自分の能力を開発して他の人や社会貢献をすることで、自分の居場所や活躍の場が確保されます。
2025.09.06
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諏訪中央病院の名誉院長の鎌田實先生のお話です。人生は面白いこともいっぱい与えてくれるけれども、一方ではどんなに恵まれた人にも必ずどこかで苦難を与えられるんじゃないかと私は思うんです。そして、その人生が与えた苦難に対して敬意を払えるか、握手することができるかが、生きる意味になってくるのかなと思います。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2024年11月号 18ページ)この言葉には、共感、感動しました。私は対人恐怖症で随分苦しみました。今でも苦しんでいます。会社での人間関係で躓いて、胃潰瘍になりました。病気で緊急搬送されて、入院したこともありました。私の周りには、ガンや難病で闘病中の人が多いです。離婚して孤立し、経済的に困窮している人もいます。認知症になったり、生活習慣病を抱えて四苦八苦している人もいます。老々介護で生活がままならない人もいます。そんなときどうして私だけがこんな目に遭い、七転八倒しなければならないのかと、運命を呪うようになるのではないでしょうか。不平不満、愚痴の一つでも言いたくなります。親、境遇、環境、運命を否定し、人生に対して投げやりになります。現実を否定しているとますます惨めになるばかりです。自分だけではなく、周りの人にも悪影響があります。考え方を変える必要があるのではないでしょうか。鎌田實先生の言葉に対して私は次のように思います。順風満帆な人生を送ってきた人は、一見幸せな人生を送ってきたように思いますが、果たしてそうでしょうか。取り組むべき課題や目標が何もなかったということは、悩むことがないかも知れませんが、人間として成長することはできませんし、人生の喜びや楽しみも味わうことができません。苦難を受け入れて、打開策を探して立ち上がった人は、困難を乗り越えて人生の醍醐味を味わうことができるかもしれません。好むと好まざるにかかわらず、人生には苦難はつきものです。苦難を非難、否定しないで受け入れ、打開策を求めて立ち上がるしかありません。たとえその途中で力尽きたとしても、苦難に立ち向かったという事実は残ります。森田で言う「努力即幸福」というのはこのことをいうのではないでしょうか。鎌田先生の言葉は座右の銘として大事にしたいと思います。
2025.12.02
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次の中であなたの特技は何でしょうか。①足が速い ②人に優しい ③約束を守れる ④大きな声を出せる ⑤その場を仕切れる ⑥人を笑わせる ⑦物を組み立てるのが好き⑧手際がよい ⑨素敵な笑顔である ⑩資格を持っている ⑪英会話ができる⑫その他の外国語が話せる ⑬背が高い ⑭力持ち ⑮運転が上手⑯字がきれい ⑰おいしいお茶を入れることができる ⑱おいしいコーヒーを入れることができる ⑲人の世話をするのが好き⑳聞き上手 ㉑計算に強い ㉒ソロバンが得意 ㉓話し上手㉔高いところが好き ㉕人前に立つのが好き ㉖企画力がある㉗動物が好き ㉘持久力がある ㉙文章を書くのが好き ㉚記憶力がある㉛機転が利く ㉜好奇心が強い ㉝興味や関心の幅が広い㉔手話ができる ㉕きれい好き ㉖料理上手 ㉗絵をかくのが好き㉘旅行が好き ㉙スポーツ観戦が好き ㉚スポーツをするのが好き㉛パソコンが得意 ㉜朝が強い ㉝楽器の演奏ができる ㉞読書が好き㉟スタイルがよい ㉟踊りができる ㊱一人一芸を持っている㊲動物のしつけができる ㉘花や野菜作りが好き ㊴田舎暮らしが好き㊵分析力がある ㊶論理的思考ができる。これらの特徴を持っていれば、そのままにしておくのはもったいないと思います。それらをさらに鍛えて育てていけば、人の役に立ちますし、生きる自信が生まれてきます。自己肯定感、自己信頼感、自己効力感が高まります。残念な考え方をする人は、「あって当たり前、たいしたことではない」と自分の宝物に気がつかないことです。そして自分にないもので、他人が持っているものを手に入れようとすることです。それは順序が逆だと思います。まずは他人は持っていなくて、自分が持っているものをきちんと棚卸することです。それを野放しにしないで、さらにその特徴を伸ばしていくにはどうすればよいのか考えてみる。自分で分からなければ、他の人に相談してみる。私の場合に当て嵌めて考えてみました。⑩国家資格をたくさん持っている ㉙ブログの文章を書くのが好き ㉝好奇心旺盛で興味や関心の幅が広い ㉜朝早く起きることができる ㉝アルトサックスの演奏ができる ㉞読書が好き ㊱数多くの一人一芸を持っている ㉘花や野菜作りが好き これらを極めていけば、人の役に立つこともできますし、自分自身も悔いのない人生を送ることができるのではないかと考えています。
2026.04.01
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森田療法の対象になる人は、自分独自の不安にとらわれて、苦しいので取り除こうとやりくりを始める。そのうち生活が後退してくる。日常生活に支障が出てくる。それとともに憂うつな気分が強まり、毎日生きていくのがつらい。最終的には蟻地獄に落ち込んだようになり、抜け道にめどが立たなくなる。というのが代表的な悩みだと思います。私はさらに神経質周辺の障害を自分と比較するなどして、分析することが欠かせないように考えています。その方が自分の現状をより深く認識することができる。自分の状況がより深く自覚できれば、対策も広がる。その際私自身が有効だと思うのは、回避性人格障害、自己愛性人格障害、新型うつ病(慢性うつ)、気分変調性障害などである。人格障害には境界性人格障害、依存性人格障害、強迫性人格障害など他にもいろいろある。対人恐怖の私のような場合には、回避性人格障害、自己愛性人格障害が特に強いようである。回避性人格障害は、もともと対人的に予期不安を抱えおり、問題に直面した場合、立ち向かってなんとか打開しようというのではなくすぐに逃げるという行動をとる。私の場合ほぼ80パーセントぐらいは逃げるのである。逃げたときは一瞬楽になるが、そのあと後悔の念が続き、自責感で悩むのである。森田療法の場合は、一般的には逃げるのではなく、その不安を取り除こうとしてやりくりをすると言われる。私の場合は、不安を解消するためにやりくりすることよりも、逃げる方法を選択してしまうので、極めて消極的な態度なのである。その点純粋な森田神経症とは違うのではないかと思う。自己愛性人格障害は、人の気持ちを思いやるという共感の気持ちを持つことができない。自己中心的で、プライドがとても高い。人と仲良く付き合いたいという気持ちはそれほど強いわけではない。それよりも、いつも人から一目置かれて、高評価されることを願っている。うぬぼれが強いのである。そのために人に役に立つことをするわけでもない。無条件に受け入れてもらい、ちやほやされることを願っている。逆に、自分を無視したり、非難したり、拒否したり、否定されることは我慢ができない。けんかを吹っ掛けたり、近づかないようにする。新型うつ病(慢性うつ)、気分変調性障害は、対人的に予期不安が続き、いつも憂うつで気が晴れないのである。本来の大うつ病、双極性障害1型の人のような、内因的なうつ症状とは違う。心因性のうつ状態という面の方が強いのである。人間関係や適応障害のようなストレスに対応することができなくなって、うつ状態になっているのである。私はうつ状態でつらいけれども、世間に理解があるうつ病を公言して、会社を休職してしまおうなどということは考えたことはない。またお酒、趣味、気分転換の方法をいくつか身につけており、大うつ病に発展することは考えづらい。つまり仕事や対人関係等のストレスが高まるとうつ状態に陥ってしまう。それはそれでつらい状態である。それで精神科に行って抗不安薬をもらってきて飲んでいたのである。だからストレスの耐性をつけて、ストレスの解消を進めればうつ状態はかなり軽減されていただろうと思う。また小さいころから困難な場面から逃避してきたので、社会体験が不足してきた。ノウハウを身につけないで大人になってきたので、対応方法が全く分からず右往左往しているのである。私はそういう人間だったのである。これらは森田周辺の学習の中ではっきりしてきた。ここまで分析ができたところで、どうすればよいのかということである。回避するという傾向が強いので、少しだけ改善する必要がある。まず職業選びには注意が必要である。耐性力がないので、営業等の対人関係がもろに出てくるところはすぐに挫折する。仕事はすべて対人関係が絡んでいるが、希薄な職業というのはいくらでもある。職業は確か2万種類ぐらいあるそうだ。その中からこれはと思う職業はきっと見つかるはずだと思う。好奇心が強いのであるから一人でいろいろと創意工夫して努力できるような仕事を探せばよいのである。一つのことを10年もコツコツと続けていけばその道の専門性はかなり高まる。そういう自信になるものを1つでも持っていると人間的に余裕が出てくる。人から無視されたりしても、それが後ろ盾となってパニックになることは少なくなるのである。また抑うつ状態はそういう生活の中で出てくるものである。そのからくりを森田理論学習によって自覚することが極めて重要である。神経質者が「生まれてきてよかった」と思えるような生き方をしようと思うならば、是非とも森田理論学習をして身につけることが必要である。
2015.08.25
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森田先生は神経質同士の結婚はよくないと言われている。神経質者同士は、お互いに心持ちが分かり、心の底まで見通しているから、お互いにその欠点を挙げ合って、相手にばかりそれを改良させようとするぐじぐじといつまでも、しつこく言い争をする。また、ヒステリー同士でもいけない。喧嘩が早くて始末に負えない。およそ、結婚は気質の違った人が、うまく組み合わされるとよい。神経質な人は、気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。するときの軽い人は、あの人はどうせ気難しいがり屋だからといって大目に許し、また神経質な方では、どうせあれには、難しいことを言ってもわからないといって、あまりやかましくはいわなくなる。お互いに許し合うから円満になる。結婚について最も大事な事は「調和」ということです。たまにいとこ同士で結婚している人がいる。この場合は、遺伝子がよく似通っているので、優性遺伝が強く現れるととてつもなく素晴らしい能力を持った子供が生まれることがある。私の知ってる人でも、夫婦は日雇いのような仕事をしている人だか、生まれた女の子供は最高学府の学校出ている。その話を聞いた人は誰でも嘘をついているのだろうと思うそうだ。だから自分の娘の卒業写真を常に携帯していた。語学に堪能で大きな会社に入り、世界中を飛び回っている。キャリアウーマンになった。その子供が結婚する時、そのお相手もまた経済力や能力のある人で、結婚式で相手の出席者は国会議員を始めとしたそうそうたるメンバーを揃えていたそうだ。自分のほうは、親族や2人の友人のみでとてもみすぼらしくて肩身の狭い思いをしたとと言っていた。いとこ同士の結婚で一番問題になるのは、劣勢遺伝が強く現れた場合である。この場合は先天的な身体や脳の機能の異常という場合がある。いとこ同士の結婚は、結果が極端によいか悪いかということになりやすい傾向があるということである。集談会でもよく集談会でお相手を見つけて結婚する人がいる。私はそれが必ずしも悪いとは思っていない。森田先生は、神経質気質同士は、性格がよく似通っているので、それがプラスに出ればお似合いのカップルとなる。反対にマイナスに出た場合は、収拾がつかなくなるということを言っているのだと思う。お互いに細かいことが気になり、自己内省性が強く、執念深いという特徴がある。また、一般的には「かくあるべし」が非常に強い。それが自分に向かった場合、神経症に陥りやすい。そして葛藤や苦悩で苦しむ。また相手に向かった場合、そのうち支配被支配の関係になりやすく、油の切れた機械を動かすような摩擦を生みやすい。もちろん、感受性が強いという面を生かして、お互いの思いやり絆を深めていけばよいのだが、ちょっとしたことをきっかけにして、それらがすぐに瓦解してしまうという危険性は持っている。神経質者同士の場合でも、強迫神経症の場合と不安神経症の人の組み合わせは比較的よいようだ。それは、強迫神経症の場合は、森田理論で言うところの自己中心性がとても強い。端から見ると自分のことしか考えていないように見える。活動は自己抑制的である。ところが、不安神経症の人は、基本的には自分の周囲の人の事を大切にする。それは自分がパニックに陥った時に、誰かに助けてもらえないと死んでしまうかもしれないという気持ちがあるからだろう。活動は神経症が回復した時点では、人間が変わったように活動的で、リーダーシップをとったり、人を取りまとめたりする力を発揮することがある。そういう意味で、神経質の中身が多少違うのである。異質な特性を持った人が一緒になると、磁石で言えばマイナスとプラスを近づけるようなものになる。近づけるだけで自然にくっついていくようになる。ところがプラスとプラスを無理矢理引きつけようとしても反発するばかりである。マイナスとマイナスをつけようとする場合も同じである。だから、お互いの人間関係においては、異質な性格や能力を持った人同士が協力し合うというのが、自然の摂理にかなっているということだ。頭の中だけで考えると、性格や能力、趣味や目標が似通った人同士の方がうまくいくように考えられるが、事実は決してそうではないということだ。短い期間で見ていると気心もしれ対立することもないので、その方がよく見えるのだ。ストレスがなくて楽なような気がするのだ。趣味や考え方が似通っているので、この人とずっと死ぬまで相思相愛で争うこともなく楽しく生活できるはずだと思うのは、あまりにも短絡的な考えかたである。何十年という単位で考えてみると、自分の持っていない面で相手に助けてもらい、相手の持っていない面で相手を助けるという関係が理にかなっている。会社などの組織で考えても、同じような考え方、行動の仕方をする人よりも、考え方、行動の仕方、年齢も性別も違う人同士が集まっているほうが、長い目で見るとプラスに働くようである。確かに、いろんな人がいるとたえず摩擦が発生する。嫌な思いをすることも多い。しかし、その問題を話し合いによって乗り越えようとする努力が、結局自分たちの組織を強くしているのである。そういう意味では、我々の神経質者の自助組織においても、異質な傾向を持った人が多く関わりあうことが、組織の維持と発展には欠かせないものであると考える。
2017.11.19
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精神科医でマインドフルネスに詳しい藤井英雄先生のお話です。本やテレビを観ていて、そろそろ宿題をやろうかなと思っている矢先に、親から「早く宿題をやりなさい」と言われて、「今やろうと思っていたのに」とイヤな気分になったことはありませんでしたか。たとえ自分がやろうと思っていたことでも、人にやるように指示されると、反発してしまいやる気を失います。親が子どもにアドバイスを受け入れてもらえないのは、親が子どものあるべき姿を判断して、それを子どもに押し付けようとするからです。これは先生と生徒、上司と部下、監督と選手、カウンセラーとクライアント、集談会での先輩会員と初心者の関係においても同じことが言えます。相手の話を聞くときや相談にのるときにしてはいけないことが8つほどあります。例えば勉強をする気が起きないという子どもに対して、①指示をする・・・そろそろ本気を出さないと!②脅迫する・・・浪人することになるよ。③提案する・・・家庭教師を頼んでみる。④激励する・・・あんたならきっとできるはずだ。⑤質問する・・・どうしてやる気が出ないの。⑥分析する・・・研究者になりたいという気持ちがあやふやなんじゃないの。⑦叱責する・・・甘えたこと言っていないで勉強しなさい。⑧話をはぐらかす・・・深刻に悩まないほうがいいよ。(マインドフルネス「人間関係」の教科書 藤井英雄 Clover出版 132ページ)こんな対応をされると、相談しないほうがよかったということになります。反発して以後寄り付かなくなることが考えられます。話し手の言葉に耳を傾けて傾聴し、話し手を理解した時、聞き手は話し手を受容し共感できるでしょう。すると、聴き手に受容され共感された話し手は批判、非難、アドバイスなしに話を聞いてもらえるという安心感と、話を聞いてくれる相手への信頼感をもとに話を続けることができます。そしていつしか自分でも気づかなかった心の奥底、潜在意識の中に隠された気持ちに気づき(洞察)、癒しと解放が起こります。これが傾聴の効果です。傾聴で大事なことは、自分がアドバイスや批判をしたくなっているという自分に気づき、のど元まで出かかったその危険なアドバイスや批判を飲み込んで傾聴を続けることができるかどうかです。(同書 151ページ)ロジャーズの来談者中心療法というのがあります。ロジャーズはセラピストとして必要な条件を3つ挙げている。①患者を無条件に受け入れる姿勢で臨むこと(無条件の肯定的配慮)②患者の身になって感じ、それを伝えようとすること(共感的理解)③自分の感じていることを自覚し、言動に矛盾がない事(自己一致)(無意識の正体 山竹伸二 河出書房新社 174ページ)集談会などの学習会でも、森田理論を教えてあげるという気持ちよりも、その前に相手のことをより深く理解したいという気持ちを持っておくことが大事になります。
2025.05.14
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対人関係に問題を抱えている人は、他人の思惑ばかり気にして、自分を窮地に追いやっている場合があります。そんな人はアドラーの「承認欲求の否定」という考えはとても参考になります。人間は誰でも他人から認められたい、褒められたいという欲求があります。その欲求が強くなりすぎると、自分の気持ちや考えや欲求が置き去りになり、他人の言動に振り回されて他人の人生を生きているような状態になります。アドラー心理学では、他人からの承認を一切認めないということではありません。他人からの承認を人生の目標や行動原理にしてはいけませんと言っているのです。例えば、アドラー心理学では「賞罰教育」否定します。賞罰教育とは、良いことをすれば褒美をもらえ、悪いことをすれば罰を与えられるということです。褒美(承認)を求めて行動すると、その行動は「褒められること」が目的になります。褒められなければ、その行動に意味を見出すことができなくなり、やる気を失ってしまいます。逆に罰(非難)を恐れて行動すると、その行動は「罰を回避すること」が目的になります。いずれにしても、他人の言動に振り回されてしまいます。他人からの承認を人生の最大の目的や行動原則としないためにどうすればよいのか。アドラーは「承認欲求」は相手からの評価に一喜一憂するということです。相手が自分をどう評価するかは相手にゆだねられており、コントロールすることはできません。つまり他人の承認を得るということは「受け身」の行動です、他人の顔色をうかがい、嫌われないように振る舞うことに全エネルギーを投入してもよい結果は得られません。アドラーは「共同体感覚」の中で、「他者信頼」「他者貢献」という考え方を提唱しています。相手から仲間として受け入れられ、仲間内の中で自己存在感を高めるためには、「他者に貢献する」ことが欠かせないと言っています。「他者貢献」は、自分の意思によって行う「能動的」な行為です。他者からの反応がなくても、自分が貢献しようとすること自体が、自分の価値を高めることにつながります。アドラーの「承認欲求の否定」とは、他人の評価という「とらわれ」から解放され、「他者貢献」を通じて自己の価値を能動的に実感することで、より自由に、より幸福になるための指針であると言われています。「他者貢献」と言えば、森田理論学習の中で「人の為に尽くす」ということが盛んに言われます。この考え方についてアドラーは警鐘を鳴らしています。仕事や与えられた仕事や役割について、私たちは義務感や責任感でこなそうとします。「人の為に尽くす」というときの目的は、上司や組織、顧客といった「他者の目的」です。他者の目的を達成するために自分の役割をこなすのですが、そこには自分の意思や喜びが伴いにくく、義務感やノルマに縛られた「やらされている」感覚に陥りやすくなります。この状態ではモチベーションは長続きしません。行動の目的を「人に喜んでもらう」「どうすれば相手が笑顔になれるか」「どうすれば感動してもらえるか」という視点から見直す必要があると言っています。他者に喜びや感動を与えるという目的に付け替えると、「受け身」から「能動的」な行動に代わり積極的、建設的、生産的、創造的な行動に変わってきます。集団に受け入れられ、自分の存在価値を発揮して高めることができるようになります。
2025.09.28
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他人を上から下目線で見ることが習慣化している人は、対立的な人間関係で自他ともに苦しんでいます。これを解決する方法として、形から入るというのは如何でしょうか。森田では、内相はそのままにして、外相を整えるといいますね。小金沢昇司さんの「ありがとう・・・感謝」という歌があります。一度You Tubeで聞いてみてください。この歌をリピート機能のある録音機に録音して絶えず聞くようにする方法です。できれば、普段いつも無意識に口ずさんでいる状態に持っていく。全部でなくても2番の最後の部分だけを覚えて口ずさむのもよいと思います。効果絶大です。この歌を口ずさみながら、同時に他人を非難したり否定することはできません。①ありがとう ありがとう 言い尽くせない ありがとう思い起こせば 数えきれない 多くの人に出会いました迷惑かけたり 心配かけたり 半人前の僕でしただけどこうして歌を唄い 夢をつむいで こられたのはあなたがいるから あなたがいたからあなたがいつも いつも 見てくれたからありがとう ありがとう 大切なあなたへ ありがとう②新しい時代 来たというけど 寂しい心変わらない酒に飲まれて 電話で怒鳴って 大人になれない僕がいるだけどこれから 明日を信じて歩いていける 気がするのはあなたがいるから あなたがいたからあなたがいつも いつも 見てくれたからありがとう ありがとう勇気をくれて ありがとうありがとう ありがとう 兄弟友達 ありがとうありがとう ありがとう 父さん母さん ありがとう 感謝を込めて ありがとう
2025.10.19
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感情と行動をきちんと区別する方法については、山崎房一氏の話が参考になります。人生はドラマ、人間はみんな役者 社会が舞台意志の弱かった私は「己に打ち克つ」ということが理解できなかったそれは 本心に関係なく演技することだ役者になることだ と知って納得できたのです役者は気分がすぐれないときでもまた嫌な相手であってもいつも最高の演技を見せてくれる役は、本心とはちがうところにあるからです本心でない言動は噓であり道徳に反するという考え方が人間関係をこわしてしまうのは役を演じることを忘れ本心をむき出しにしてしまうから本心で生きる人を世間では未熟で幼稚な人と見ます他人は私を 私の外面 即ち 言葉や態度で評価する今までは私は私の内面 即ち 心の動きで自分を評価していたそのような自分を自分の心の動きで評価する無意味なことはやめること人間関係を円滑にし 心の安定を願うなら言葉や態度を心の動きから完全に切り離し役を演じながら生活すればいいそうすれば人相もよくなるその妙を心得ている人物を私たちは円熟した人と呼ぶのではないでしょうか(心がやすらぐ本 山崎房一 PHP研究所 80ページ)不快な感情のまま、不快な気分のまま、体調不良のまま、ネガティブな思考のままに行動している人は、人生という舞台で大根役者を演じていることになります。大根役者はいずれ人生という舞台から引きずり降ろされ、孤独な人生を送ることになります。自分がどんなに惨めな状態にあろうとも、そんなそぶりを微塵も感じさせない役者になりきる。そんな能力を身に着けた人を、敬意をこめて「森田の達人」と呼ばさせていただきたいと考えます。
2025.10.20
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山崎房一氏の「心がやすらぐ本」(PHP研究所)の79ページに、「小さな幸せ ほんとうの幸せ」というのがあります。この世の中には二つのタイプの人間がいます。その一つは大きな幸せの中にいながらその中の小さな不幸のみを見つめていつもブツブツ言いながら不幸せに生きている人もう一つは大きな不幸の中にいながらその中の小さな幸せだけを見つめていつも幸せに生きている人です宇野千代さんも同じようなことを言われています。幸福のかけらは幾つでもあるただ、それを見つけ出すことが上手な人と 下手な人がある山崎房一氏も宇野千代さんも、日常の生活の中で小さなことで感動できるような人になりませんかと提案されています。私もこの考え方に大賛成です。普通は大金を使い刺激的な大きな感動を追い求めていることが多いのではないでしょうか。時々カンフル剤的な興奮や楽しみや喜びを追い求めるのも人生の醍醐味の一つです。それを否定する理由はなにもありません。ここで言いたいのは、そのような興奮、楽しみ、感動を味わうだけではなく、日常生活の中でごく小さな感動や喜びを感じることができないと、人生はむなしく味気ないものになってしまうということです。日常生活の中で何か問題点や改善点はないかと注意や意識を向けていると、様々なことに気づきや発見があります。物事本位の生活の中で小さな成功体験を積み重ねることができます。そういう生活を続けていると、感覚が鋭くなって、路傍のコンクリートの割れ目から小さな可憐な花を咲かせている植物にも感動できるようになると思います。水槽の中を勢いよく泳いでいるメダカを見るとつい嬉しくなってしまう。ベランダで咲き乱れる季節の花、丹精込めた自家用野菜の生育などもかけがいのないものになってきます。
2025.12.01
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人類が未来永劫繁栄していくための4つの方法を森田理論学習の中から見つけました。①不快な感情と行動を分離すること。不快な感情や怒りの感情が湧き上がってきたとき、それらをストレートに相手にぶっつけてしまうと人間関係はすぐに険悪になります。感情と同一化した行動は犬も食わないものです。不快な感情や怒りの感情は自然現象ですから意思の力でコントロールできません。行動は制御できます。こちらの方に全エネルギーを投下して、理性的に行動する必要があります。これが難しい人は、「割り込み動作」(2025年12月6日投稿)や感情・思考、身体感覚を専用レポーターに実況中継させることを実行することをお勧めしています。②怠惰な気分と行動を分離すること。子育てを放棄する。家族や友人たちとの約束を果さない。途中で気持ちが変わりドタキャンする。仕事が苦痛だといって手抜きをする。営業ではサボりまくる。社会的責任や義務を放棄する。これでは「あの人は変わり者だから」と社会から排除されるようになります。仲間として受け入れてもらえなくなるので、孤立した寂しい人生を送ることになります。そのためには様々な方法があります。私は規則正しい生活習慣、ルーティンワークを確立して、前頭前野で悩む前に自然に身体が動いている状態を維持するように心がけています。外相を整えることに全力で取り組むことです。③欲望の暴走を制御すること。人間には個体維持本能と種族維持本能があります。これらの欲望が暴走し始めると、人間同士が戦うようになります。喧嘩や紛争や戦争になります。自己や自国の利益優先の欲望が暴走し始めると、途中から「これはまずい」と思っても、引き留めることができなくなります。欲望の深追いはとても危険です。「少欲知足」「吾唯知足」の心掛けで生活することが欠かせません。すると路傍に咲く取り留めのない花からも大きな感動を得られるようになります。④すべてのものに居場所や活躍の場を提供すること。森田理論に「物の性を尽くす」という言葉があります。物それぞれの特徴を活かして、居場所や活躍の場を確保して、人の為世のために貢献していきましょうという考え方です。物だけではなく、自分、他人、時間、お金、自然などに及びます。これらの4つは社会的存在としての人間が当然守らなければいけないものです。しかし、世の中を見渡してみると真逆のことが多すぎるように思います。森田理論を学習した人は、世の中や世界に向かって警告していくべき役割を果たしていくべきだと考えておりますが如何でしょうか。
2026.04.25
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世界的指揮者の小澤征爾さんは20代の頃ブザンソンの指揮者コンクールで1位になっている。また世界的名指揮者のバーンスタイン、カラヤン、ミュンシュに師事している。その人達から絶大な信頼を得て、海外では若き指揮者として評価が高かった。その小沢征爾さんが意気揚々と日本に凱旋し、 NHK交響楽団を指揮する機会があった。ところが、 NHK交響楽団員は指揮者小澤征爾さんを認めていなかった。実は当時のNHK交響楽団は、海野義雄氏がコンサートマスターを務め、東京芸大の出身者で固められていた。ところが、小澤征爾さんは桐朋学園の出身であり、 NHK交響楽団員にはランクが下と見られていたのだ。指揮を間違えるとか遅刻癖があるとか色々難癖をつけられて拒否されていた。でも大きな原因は、小生意気で学歴で劣る指揮者と共演はできないという気持ちが強かったようだ。ある日のコンサート当日、 NHK交響楽団員の全員が申し合わせて公演にやってこなかった。大人げない行動だが、これは事実だった。普通は突然このような理不尽な仕打ちを受けると怒り心頭となる。だれでもそうだ。その不快な気分を払拭するために、感情を爆発させるのが普通ではないだろうか。「いくら若いとは言え、世界で活躍している小澤だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ」と。しかし小澤征爾さんは、感情を爆発させるような事はされなかった。ここがすごいことだ。逆に理不尽な行動をとった人たちに対して、いつかは見返してやりたいとめらめらと闘争意識に火がついたという。自分の居場所は日本にはない。それなら海外で努力精進して、世界で一流と認められるような指揮者になろう。そして名オーケストラを引き連れて日本に凱旋したいと強く思われた。当時日本人が世界で活躍するという前例のなかった時代である。野球界では野茂英雄氏がその扉を開いていったが、それよりもずっと前の時代であった。一人で飛び込んでいかれたのだ。小澤征爾さんは、世界で著名なベルリンフィルやボストン交響楽団など世界を代表する楽団で研鑽を積んでゆかれた。そしてクラッシックの本場のヨーロッパやアメリカで世界的な指揮者としてその地位を不動のものとされた。その後世界の三大交響楽団の一つと言われているボストン交響楽団を率いて日本で凱旋公演を行うことができた。賞賛の嵐であったという。その当時を振り返って小澤征爾さんは次のように言われている。もし、 NHK交響楽団が自分を暖かく受け入れてくれるようなことがあったら、私は日本に留まっていただろう。そうすれば、世界の小澤征爾と言われるような世界的な指揮者にはなる事は出来なかったであろう。その当時は腹が立って仕方がなかったが、今現在はNHK交響楽団に受け入れられなかったからこそ今の自分がある。逆境こそ私の出発点であった。だから拒否されたが、今となっては感謝しかない。この話は、流罪や迫害に合いながらも、北陸や関東で布教活動を続けられ多くの門弟を育てられた親鸞聖人を思い出す。一時の感情に翻弄されることなく、自分一人の力で運命を切り開いてゆかれた姿に共感を覚える。運命は耐え忍んでいてはつぶされてしまう。森田先生が言われるように、運命は切り開いていくしかない。正岡子規、後藤新平、エジソン、野口英世などもそうだった。ここが森田理論に通じるところである。
2017.12.15
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私は対人恐怖症である。私の奥底には他人から社会的に抹殺されてしまう、という恐れやおびえが常につきまとっている。私のDNAのなかにしっかりと根付いているものです。どうして抹殺されるといけないのか、一人孤立すると死んでしまうからである。生きることも地獄の苦しみなのだが、なんとか死だけは免れたいと思っている。社会的な死を極端に恐れている。森田先生は死を究極の恐怖といわれています。私もそうなのです。以前「いきものがたり」という映画を見た。その中で青森の一頭の子猿を追っていた。その子猿は親と死に分かれて、群れの中でけなげにも一人で生きていた。厳しい寒さがやってきた。雪が深々と降る中で暖を求めて、他の親子ザルたちのもとへ身を寄せようとした。どの親子ザルたちも受け入れてくれない。みんな追い払うのです。最後はブルブルと震えながら一人でいるしかない。食べ物もない。苦しそうでした。そのうち春になった。大勢のサルたちが山から下りてきた。ところがその子猿は姿を見せなかったのです。寒さの中で、一人寂しく死んでいったのだろう。こんな悲しいことはない。人ごととは思えなかった。我が身に引き寄せると、集団の中で孤立して同じような目に遭わないとも限らない。人間は社会的な存在である。社会を離れて無人島のようなところで、一人で生きていくことはできない。そもそも人間の基本的欲求である衣食住が確保されていない。外敵も多いだろう。話す相手もいない。生活するための道具も何もない。たとえ命はつながったとしても、それ以上のものはない。死んだも同然だ。むなしいかぎりである。
2013.08.24
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私は、大学卒業後専門書の飛び込みセールスの仕事をしておりました。なかなか注文がとれず苦しい経験をしました。飛び込みというのは、ほとんど断られるのです。そのきびしい断りの言葉に耐え続けなければならないのです。自尊心を粉々にまで否定されます。私は、また断られるのではなかろうかと、いつも予期不安に悩んでいました。私は、転職したわけですから最終的には耐えられなかったわけです。私は、セールス理論を完全にマスターして、理論を頭の中で理解しないと仕事にいけないと思っていたのです。喫茶店などにいりびたり、実際の仕事をしないで、どうしたら断られずに、スムーズに注文をとれるだろうかとセールス理論ばかり考えていました。キーマンへの面談方法、話のきりだし、相手の欲求のつかみかた、相手の欲求と自社商品の結び付け、クロージング等等いろいろ本も読みながら勉強をしていたのです。しかし、たまたま注文が取れるときは理論通りにピタッと決まるものではありませんでした。成約は決まるときは意外と簡単に決まるのです。本を手にとってすぐ買う人もいれば、紹介者の名前を聞いただけで買う人もいました。理論通りのセールスは自己満足以外のなにものでもなかったのです。だから、理論武装を完全にするよりも、足を使ってたくさんの人と面会することが必要だったのです。失敗の中からさまざまなセールスを体で覚えることが必要だったのです。予期不安の中で仕事から逃げてばかりの生活が、なんとも苦しくて仕方のない状況でした。
2013.01.06
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私は小さいときから人見知りや人の思惑が気になるたちであった。社会人になってからは最悪であった。訪問営業の仕事なのに、人に会うことができない。人より実績をあげたいのに、足が仕事先に向かないのだからとても苦しい。自分に大きな問題があると思っていた。最近、かっての同僚たちが、次々に定年を迎えている。私は、驚きでいっぱいである。どうしてあのくるしい、訪問営業の仕事を約40年も続けてこられたのだろうか。自尊心を傷つけられるような日日をどうして乗り越えたのだろうか。不思議である。断られて苦しいながらも、なぜ次の訪問先に足を向けることができたのか。私は9年で退職しました。でも、私は神経症で苦しんだおかげで森田理論に出会った。これはとても幸運であった。神経症に苦しまなかったとしたら、森田は知らずに死んでいったことだろう。森田で出会ったおかげで、人生の半分以上は、死んだも同然の人生であったが、人生の後半はこの上ない至福の時間を過ごさせていただいている。また、このプログで自分のように長く苦しまなくて、早く充実した生き方を身につけてもらいたくて、森田の考えを多くの人に伝えたいという強い意欲も出てきた。考えてみると、大きな壁にぶっかって、それを乗り越えようとするプロセスが、後で振り返ると人生の醍醐味なのかもしれません。葛藤や苦しみを抱えることは決して悪いことではありません。そこから縁が生まれるのです。森田を学習している人は素晴らしい人がたくさんいますので、ぜひお近づきになって、おこぼれをいただく姿勢がよいと思います。
2013.06.11
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プロ野球のファンの人で、ひいきのチームが負けるとイライラして不機嫌になる人がいます。負け試合を振り返って、監督や選手の批判を始めます。選手の采配や、チャンスに凡退した選手をこき下ろすのです。辛辣な解説者や評論家のようです。それでも憤懣やるかたない不快感はどうすることもできません。その日のプロ野球ニースは見る気にもならない。次の日の朝刊も見る気にもならない。次の日も不快な感情でいっぱいで生活や仕事、対人関係に悪影響を及ぼしています。ストレスを発散するはずの野球観戦が、逆に自分の精神状態を混乱させている。この問題はどのように考えたらよいのでしょうか。こういう人は、ひいきのチームが勝って、存分に快の感情を味わいたいのです。ところが勝負事には負けることもあります。しかし負けてしまうと、不快感という不利益をまき散らすので、決して受け入れることができないのです。ましてやイライラや不機嫌な精神状態は、同時に身体面の不調も招いてしまうのでなおさら許せないのです。スカパーを契約して全試合を見ている人や年間指定席券を買って球場に出かけて応援している人などは、その傾向が強いと思われます。かわいさ余って憎さ100倍といった感じです。これは境界性人格障害を持った人とよく似ています。過剰に誉めたかと思うと、気に入らないことがあると、手のひらを変えたようにこき下ろすのです。感情の起伏が激しすぎて、人間関係がすぐに壊れてしまうのです。そんな不快な感情に振り回されるのが嫌なら最初から観戦などしなければよいと思うのですが、試合のある日は朝から楽しみにしているのです。これは勝てば何とも言えない至福の心境に至ることを神経細胞が覚えているからです。これは脳の快楽神経系(エーテン神経)にきっちりと埋め込まれており、たびたびその快感を味わいたいという神経の仕組みが出来上がっているのです。この状況は程度の差はありますが、一種のプロ野球観戦依存症といわれるものです。依存症には、ご存じのように、薬物、アルコール、ギャンブル、パチンコ、ニコチン、ネットゲーム、買い物、仕事などいろいろあります。最初何気なく始めたことが、得も言われぬ快感になり、しだいにのめりこんでいくというものです。そのうちそれなしでは生きていけなくなる。最悪の場合、自己破産、家族崩壊、刑事沙汰、精神的・身体的不具合を起こします。いったん依存症に陥ると、そんなことは分かっていても、自分の力で抜け出すことは大変難しい。もがけばもがくほどアリ地獄の底へと落ちていく。それはドーパミンなどの神経伝達物質がエーテン神経を刺激して、快楽を得続けるというシステムが常時作動しているからです。もしこれを遮断すると、精神的にイライラしてじっとしていられなくなる。不快、不安、焦燥感が襲ってきて、それを解消するために、また依存対象に手を出していく。そして、さらにのめりこんでいくようになる。エスカレートして使用量が増える。アルコール依存症になると、医師の指導の下に回復を目指すことになる。断酒会に入って仲間同士で励ましあう。その時は完全にアルコールは絶つそうだ。一滴でもアルコールを体内に入れると、脳が目覚めて元の木阿弥になる。プロ野球観戦依存症はそこまで行きつくことはないと思うが、その心理的メカニズムは他の重篤な依存症に近いという事を自覚しておくことが必要だと思います。
2020.08.24
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今日はお天気もよく畑仕事でストレス発散しています。家に帰ってから砂糖少なめのサツマイモマフィンを作ります。綺麗なダリアは世羅高原農場のものです。
2021.11.03
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柳井市名物、縮小版「金魚ちょうちん」作りは森田実践になります。入院森田では、夜「事実唯真」等の彫刻をされていたそうです。金魚ちょうちん作りはそれに近いものがあります。ちなみに森田療法学会では、歌う森田、踊る森田があると聞きました。これは実際に取り掛かってみると、なかなか思い通りに作れません。工夫、改善の連続です。そこが面白いのです。人生と同じです。1匹の製作時間は1日30分として、約1週間です。糊やボンドが乾く時間が必要ですので、一挙に完成させることはできません。興味のある方のために私の作り方を紹介しておきます。1、36cmの竹ひごを買う。私はネットで買いました。2、75度のお湯に漬けて折れないように真ん中を曲げて癖をつける。真っすぐな竹ひごが見事に曲がります。急ぐと竹ひごが割れます。楕円形になります。それを針金で止める。左上のような形にする。交差するところは木工ボンドで固定する。一晩おくと透明になって固まります。3、上部は直径5cmの針金で作った輪を取り付けます。上部は障子紙を貼らないので空洞になります。4、障子紙を貼り付けます。張る前に霧吹きで水をかけるとピンと張ります。右上の写真。糊は障子紙用の糊を使います。張るときは8つに分けて貼ります。その際三角形のとがった方から三角形の広い方に向かって膨らませるように張ります。このコツはやりながら会得してください。5、目玉と眼の縁取り、口を黒マジックで書きます。手が震えます。やり直しがききませんので、型を作っておくとよい。6、尻尾とひれを作ります。私は左下のような下絵を作っています。上が尻尾です。これに赤のアクリル絵の具を裏表に塗って切り離します。7、バランスを意識して全体に赤のアクリル絵の具を塗ります。最後に尻尾とひれを取り付けて完成です。お気に入りの場所に飾ってください。本格的な金魚ちょうちんを作りたい方は、下記のホームページをご参照ください。必要な小道具と作り方が詳しく説明されています。(株)佐川醤油店オフィシャルサイト 金魚ちょうちんの作り方やり始めるともっと上手に作りたくなります。私は早くも9匹作りました。8匹目からやっと満足のいくものができるようになりました。増えてきたら集談会などで欲しい人にプレゼントするつもりです。集談会でも実際にこういう創作体験を取り入れると楽しいと思うのですが・・・。
2023.09.30
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2026年3月1日に老人福祉センターの芸能発表会に参加した。フラダンス、日本舞踊、楽器演奏、歌謡曲の発表などがあった。その他、陶芸作品、絵画、書、写真展、バザーなどもあった。私は「楽しい芸能教室」のグループに参加している。チンドンミュ―ジック演奏、オカリナ演奏、手品、「これから音頭」の踊りなどを披露した。これだけの演目をこなすとなると事前に準備するものが多くなる。一つでも忘れ物をすると演目に穴が開いてメンバーに迷惑がかかる。大まかに紹介すると以下の通りです。チンドンではアルトサックス、楽譜、ストラップ、リード、チューナー、スタンド、チンドン衣装、専用の靴や帽子などである。オカリナ演奏では、オカリナ、楽譜、譜面台である。手品は、5種類の手品の小道具、バック音楽のCDとスピーカー、腰につける簡易拡声器である。仕掛けは事前にきちんと作っておいて、スタッフの女性と打ち合わせをしておく。その他、発表会に出かけるときは、携帯(出演時はマナーモード)、自動車の鍵、家の鍵、財布、靴ベラ、カメラ、眼鏡、鏡、ナビ、名刺、ボールペン、スケジュール表、寒いときはホカロン、タオルやテッシュ、貴重品の入れ物は必須である。これらのことを頭の中でやろうとすると、必ずうっかりミスが起きる。頭は信頼できないことがよく分かっている。私は、うっかりミスを防止するために、チンドン演奏の必需品18項目、本番前チェックリスト13項目にまとめて忘備録を作っている。手品の場合も12項目の忘備録がある。これを見て準備すると、うっかりミスはほぼなくなる。今回はこれらを125ccのバイクで運んだので、こぎれいに整理して積み込む必要があった。サックス本体は背中に背負った。つぎに撤収する時に油断すると、いろんなものを会場に忘れてしまうことがある。再び忘備録を見て撤収忘れがないかどうか最終確認をしている。ほとんど1つか2つはこの段階で気づくことが多い。チェックリストを活用しているおかげで、大事に至ることはなくなっている。私は長らく10年連用日記をつけているが、このおかげで定期的な年間行事の見落としを最小限におさえられていると思っています。
2026.04.29
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