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人間は誰でも「めんどうだ」「おっくうだ」「やる気が起きない」「しんどい」「だるい」「眠い」「不安でいっぱいだ」「体がうごかない」「無駄なことはパスしたい」「楽をしたい」などという気分本位に振り回されてしまうことがあります。その気持ちを押しのけて、我慢して行動すればよい結果が生まれることはよく分かっているのですがなかなか行動にふみきれない。そして後で後悔するようになる。ではどうすればよいのか。よい方法がありますのでご紹介いたします。森田先生は次の日が楽しみな遠足というときは、自然に時間になれば目が覚める。ただちに準備に取り掛かることができると言われる。作家の人などは、前の日に文章を途中まで書いて止めておく。例えば、「私は」と書いて、止めておくと次の日は早速筆が運ぶという。これらは、目標や目的を意識しているために、すっと行動に入っていけるということだと思います。私は土日、祝日が休みですが、金曜日までにはやるべきことややってみたいことを紙に書きだしています。休日は充実感とともにあっという間に終わってしまいます。これは「呼び水」を入れるという方法です。井戸水を組み上げるときは、最初に呼び水を入れてポンプを漕ぎます。すると、呼び水がきっかけとなって、水を汲み出すことができます。つぎに2022年2月号の生活の発見誌に「皮切り」という記事がありました。外科の手術でも皮膚を切るときだけが痛く、その後は何ともないものです。熱いお湯に入るときもちょっとはじめがつらいだけであります。神経質のいろいろな症状に悩んでいる人にとっても、この「皮切り」が大事で、ちょっとはじめに思い切ってやってみれば、なんでもなくできることが分かるのであります。さらに良いのは、ルーティンワークの習慣を作ることです。規則正しい生活を確立すると「この次は何をしようか」と考えるまもなくすっと体が動いてくれるようになります。同じ時間に同じことをするという生活はリズムのある生活となります。適度に前頭前野を休ませることで脳がヒートアップすることを防止できます。
2024.06.09
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「動物学校」というリブズ博士の書いたおとぎ話があります。昔々、動物たちは、新しい世界の様々な社会問題を解決するために、何かしなければならないと考えて、学校を設立することにした。科目は、かけっこ、木登り、水泳、飛行であった。学校を円滑に運営するために、すべての動物にこれら4科目の履修が義務付けられた。アヒルは、水泳の成績は優秀だった。先生よりもうまかった。飛行もいい成績だったが、かけっこは苦手だった。それを補うために、放課後居残りをさせられた。やがて、足の水かきがすり減り、水泳も平凡な成績に落ちた。しかし、学校は平均的な成績でいいとされていたので、アヒル本人以外は、誰もこのことを気にかけなかった。ウサギは、かけっこにかけては最初から優等生だったが、水泳が苦手で居残り授業ばかりさせられているうちに、神経衰弱を起こしてしまった。リスは、木登りは上手だったが、飛行の授業では、木の上からではなく、どうしても地上から飛べと先生に強制され、ストレスがたまる一方だった。疲労困憊の末、肉離れを起こし、やがて木登りもⅭ、かけっこもⅮにまで落ちた。ワシは問題児で、厳しく更生する必要があった。木登りの授業では、いつも一番早く木の上に到着したが、先生の指示する方法にどうしても従おうとしなかった。結局、学年末には、泳ぎが得意でかけっこもまあまあ、木登りも飛行もある程度こなせた少々風変わりなウサギが、一番高い平均点を獲得して卒業生代表に選ばれた。学校が穴掘りを授業に取り入れてくれなかったことを理由に、モグラたちは登校拒否し、その親たちは税金を納めることに反対した。そして子供を穴グマのところに修行に出すと、後はタヌキたちと一緒に私立学校を設立し成功を収めた。(7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー キングベア出版 417ページより引用)自分の長所や強みを伸ばすことに焦点を当てないで、欠点や弱みを人並みに引き上げようとしていると、元々持っていた自分の長所や強みは、しだいに精彩を欠いていくという話である。野村克也氏は生前こんな話をされていた。野球の世界で足が速い、肩が強い、球を遠くへ飛ばすことができるという特技を持った選手がいる。これらは持って生まれた才能であり、いくら訓練しても育たない。また、この3つをプロ野球の平均レベル以上に持っている選手はそうはいない。しかし、他の選手にはないきらりと光るものがあれば、プロ野球選手と生き残ることができる。半面、 1番厄介なのは、3つの全てが平均点の選手です。厳しい目で見れば、他の選手と差別化できるものがない。とりえがない選手ということになります。ですから、プロ野球の選手は、自分の劣っている面に焦点を当てて矯正する、能力アップを図り、人に追いつこうとする努力はほとんど無駄な行為なのです。これは一般の社会でも同じことが言える。自分の長所や強みを見つけて、そこを徹底して磨いていけば、組織の中で確実に重宝される。例えばパソコンの扱いが抜群に手慣れていれば、上司は自分の部署から外したくないと思うだろう。そう思わせることができれば、その人はそれだけリスクを少なくできるわけだ。これを我々神経質性格者にあてはめると、どういうことになるだろう。神経質者は細かいことによく気がつきます。これは天性のものです。また、真面目で粘り強い。物事を細かく分析できる能力がある。好奇心が強く、課題や目標を持って努力することができる。神経質者の欠点や弱点を修正しようとするよりも、自分の持っている特徴や能力に目を注ぎ、そこに磨きをかけていく。そのような生き方のほうがはるかに意味のある有意義な人生を送れるのではないだろうか。神経質性格を持ちながらも、神経症に陥っていない人は、会社でも神経質性格をプラスに捉えて、存分にその性格を生かしている人たちだと思われる。例えば周囲の人から依頼されたことを、どんな小さな事でもメモして確実に実行していく。それを積み重ねて信頼感を勝ち取っている。コツコツと長い時間をかけて作り上げてきた信頼感は、組織の中で活かされて絶大な力を発揮している。
2024.06.08
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森田先生のお話です。豊島園の池には、「金魚を可愛がってあげて下さい」という立札がある。敬語や稚語の使い方が全く滅茶苦茶である。この場合は、「可愛がってやってください」というべきではありませんか。私の家でも、女中などが、「魚屋がいらっしています」などというかと思うと、「先生が来たよ」とか、知らずしらず口からのでたらめでいっている。朝日新聞の相談欄でも、山田わかさんが、「お子さんを世話してあげなさい」という風に書いてある。教養のある人でも、近来はこんな言葉を正しい事と思っているのであろうか。これは「お子さんを世話しておやりなさい」「お母さんを世話してあげなさい」という区別が、日本語にはあるのではあるまいか。(森田全集 第5巻 669ページ)日本語には、昔から尊敬語や謙譲語や丁寧語を使い分けることが重要視されています。尊敬語は、先生や目の上の人を敬う気持ちを表現する敬語です。謙譲語は、自分がへりくだることで、目上の相手に対して敬う気持ちを表現します。たとえば、「来る」という言葉を、尊敬語でいうと、「先生がいらっしゃる、先生がお見えになる、先生がお越しになる、先生がおいでになる」という表現になる。これを謙譲語でいうと、「私が参りましょう、私が伺いました」ということになる。「食べる」ということは、尊敬語では「先生が召し上がる、先生がお食べになる」となる。謙譲語では、「いただきました、頂戴しました」となります。「先生がいらっしゃった」というところを、「先生が来た」という。「婆やが来た」というところを、「婆やがいらっしゃった」という。親に対して、「お菓子を頂戴」というところを、「お菓子をくれ」などと言う。友達に対して、「お菓子をくれ」というところを、「お菓子を頂戴」などと言う。これは親が子供に対して、最上級の言葉でもって、習慣づけようとするからである。その子供は、成長して後にも尊卑高下の区別ができなくなる。これは言葉使いの修養が足りなかったためだ。言葉や行儀なども、いたずらに形式になじんで、時と場合による適応ができないからである。(森田全集第5巻 549ページ参照)森田先生は、言葉使いは、相手を見て、臨機応変に使い分けることが大切だといわれているのです。目上の人や上司や先生などに対しては、尊敬語、謙譲語を使う。年下の人や部下や生徒などに対しては、決して、尊敬語、謙譲語は使ってはならないといわれているのだ。ここで肝心なことは、言葉遣いを、その場の状況によって使い分けできないということは、その他の変化に対しても、素早い対応ができないといわれていることです。神経症に陥ると一つのことに意識や注意が向いて、とっさの変化対応には間に合わない。昆虫の触角がピリピリと周囲の変化に反応するような状態にならない。森田理論は、変化に素早く対応する態度を身に着けさせようとしているのです。変化対応力は、観念的な世界にどっぷりとつかっていては身につかない。変化に対応するためには、凡事徹底、日常茶飯事を大切にして、精神を緊張状態に持っていくことが大事になります。そして変化に気づいたときは、即座に適切な対応をとることが大切になります。
2024.06.07
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長谷川洋三氏のお話です。「あるがまま」とは、症状を受け入れながら、なすべきことをなすことだと言われています。私たちも頭では理解する。しかし実際には、あるがままになれない。頭では理解したけれど、あるがままに実行できないということを、皆さんよく訴えますね。そして、自分ははたして森田神経質であろうか、自分は森田の学習をして、この苦しみ、とらわれから脱出できるのだろうかと、非常に懐疑的になる時期があります。(生活の発見誌2024年6月号 7ページ)「あるがまま」になろうとすれば、「あるがまま」にはなれないという話をよく聞きます。ではどのように取り組めばよいのでしょうか。まず、不快な感情や症状を素直に受け入れるという面があります。感情や気づきのなかには、コントロールできるものとコントロールできないものがあります。これをきちんと分けて適切に対応することが大事なります。第1に、コントロールできるものは現実的な不安などです。例えば、地震に備えて家具が倒壊しないように対策を立てる。もしものことを考えて生命保険、医療保険、損害保険、火災保険、自動車保険などに入っておく。森田に「不安は安心のための用心である」というのがあります。考えるだけで対策を立てて実行しないというのは、細かいことが気になるという神経質性格を活かしていないということになります。第2に、次々と湧きあがってくる様々な不安や症状は、欲望の反面として発生しているものです。この場合は、自分の欲望や欲求は何かを明確にする必要があります。自分の欲望や欲求が分かったら、意識や注意を欲望や欲求に向けて努力精進していく必要があります。その際、不安や恐怖は欲望が暴走しないように制御機能を発揮してくれます。このことを森田では、人間には精神拮抗作用が標準装備されているといいます。例えば、懇親会などでアルコールが好きな人は、飲み過ぎると二日酔いになるという不安が沸き起こってきます。一気飲みを止めて、副食物を食べて水とアルコールを交互に飲むように心がけたりします。欲望や欲求に従って生活していくという側面ですが、規則正しい生活習慣を作り上げることをお勧めします。ルーティンワークを作り上げることです。ウィークディでは、毎日同じ時間に同じことをするように心がける。頭で考えることなく、身体がすっと動いてくるようになるとしめたものです。もう一つお勧めしたいことがあります。だらだら機械的にやるのではなく、問題点や課題を見つけようという意識を持って行動するということです。森田でいう「ものそのものになる」ということです。気づきや発見、改良点や改善点が見つかったら、面倒でもすぐにメモしておく。すぐにできることはなるべく早く処理する。すぐにできないことはストックを溜めるという意識で取り組む。これを休日などに割り当てて取り組むようにする。以上のことを実践することで、「あるがまま」の体得につながります。
2024.06.06
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ジェームズ・ランゲ説という理論があります。悲しいから泣くのではなく、泣くことによって悲しくなるという理論です。刺激に対して、身体が反応して、それが意識化されて、感情が生まれるという理論です。一般的には、目の前の出来事に接して、悲しいという感情が湧き上がってくると考えます。ジェームズ・ランゲ理論では、それは逆だという。泣くという行動が先で、それに基づいて悲しいという感情が発生しているというのである。ここで注目したいことは、泣かなければ、悲しいという感情が強化されることはないという考え方です。辛いときに、不平不満やグチを口にする。理不尽な仕打ちに対して怒りを爆発して相手にけんかを売る。辛いときに気分本位になってすぐに逃げ回る。このような対応をとると、マイナス感情はすぐに発火する。そして益々燃え上がってくる。逆に短絡的で破れかぶれの行動に走らなければ、マイナス感情が強化されることは少なくなる。神経症に陥ると、不安や恐怖にとりつかれて取り除こうとするか逃げ回ります。不安や恐怖に追い掛け回されて、下手をすると精神交互作用でアリ地獄に落ちてしまいます。アフリカのサバンナで小動物が肉食獣に追い掛け回されるようなものです。ですから軽率な行動は、少しの間耐える、我慢することが大切になります。この理論は、辛いときに感動映画、音楽などを聴く、楽しいことや笑うという行動をとることで、気分転換が図れるということになります。そのための方法として、撮りためたDVDやお気に入りの音楽を聴く。それから収集した川柳、都々逸、面白小話を見ることが有効です。このブログでも時々息抜きとして紹介しています。過去の投稿から一つ面白小話を紹介します。春風亭昇太さんのところへ、東大卒の新人がやってきた。これが世間知らずのヨタロー。学校の勉強と社会での常識は比例しないようだ。先日も楽屋で、持病持ちながら高座に上がっていた桂歌丸師匠から、 「ちょっとタクシーを呼んでおいて」と頼まれた。「師匠、タクシーが来ました」と言えばいいところを、 「師匠、お迎えがまいりました」と大声で言っちゃった。天国お迎えレース第一位とまで言われている歌丸師匠に、このセリフ。楽屋中が凍りついたそうだ。あるイベントのサイン会でアントニオ猪木と一緒になった林家木久扇師匠。サイン会となり、色紙に座右の銘を書いてくれと頼まれた。「入魂」と書いていくアントニオ猪木さん。その横で我らが木久扇師匠、 「入金」と書いていた。「向こうへ行ってくれ」と、猪木さんから怒鳴られたらしい。いつも寄席で爆笑をとっているのか、三遊亭歌之助さん。韓国語の覚え方というのがあって、 「サンドイッチ」はこういう。「パンニハムハサムニダ」確かにパンにハムがはさんである。ハサミを見たら、 「ヨーチョンギレルハサミダ」
2024.06.05
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松岡修造さんのお話です。僕が選手時代、ひざを痛めて手術をしなければならなくなったときや病気で苦しんだとき、ものすごく落ち込んで、頭のなかが「なぜ?」ばかりになりました。でも、あるとき気づいたのです。「why(なぜ)」ばかり考えていたって、何もよくならない。ここから抜け出すための「how(どうやって)」を考えなければいけないのだ、と。ひざのけがは、もう完全には治らないことが分かっていました。ならば、そのけがとどうやって付き合っていくか、ひざをカバーするために、どこをどうやって鍛えればいいか・・・。そう考えるようにしたことで、少しずつ落ち込みから抜け出すことができました。あなたにも、「なぜ、思うような結果が出ないのだ。なぜ、自分ばっかり苦しい思いをしなければいけないのだよ・・・」と、「whyの嵐」におそわれる時期があると思います。でも、「why?」と思うのは、自分自身に意識が向いている証拠。自分の置かれた状況から目をそむけるより、ずっといい!「よっしゃ、いいぞ」と自分に声をかけ、そこからさらに「how?」へと意識を向けていこう!(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社 139ページ)「why(なぜ)」というのは、修復できないケガをした自分を批判・否定しています。「かくあるべし」を自分に押し付けている態度です。森田理論では、自分の立ち位置を雲の上のようなところにおいて、問題だらけの現実を非難、否定していると、葛藤や苦悩が生まれてくるといいます。これが神経症の発生原因となっている。その方向を選ぶと自分がみじめになるばかりです。運命を呪い、自己嫌悪・自己否定していると、最後には再起不能に追い込まれてしまいます。そのために多くの無駄なエネルギーを消費します。「how(どうやって)」というのは、事実や現実を価値批判しないで素直に受け入れています。現実や事実を受け入れると、エネルギーの無駄使いがなくなります。そのエネルギーの有効活用が可能になります。森田でいえば「生の欲望の発揮」に向かっての足がかりができるということです。目標や目的に向かって努力していくというのが人生の醍醐味です。森田では「かくあるべし」から事実を優先する態度に転換することをお勧めしています。これは雲の上にいる立ち位置を変えることです。すっと地上に降りてきて、問題に寄り添う態度に変えることです。そしてどうすれば問題解決につながるかを考えて実行することです。観念中心の「かくあるべし」を押し付けていく態度を弱めて、できるだけ事実に服従する態度に切り替えていくと、それが即、逆転人生へと切り替わっていく分岐点になります。事実本位の生活態度を身につけることは、生きづらさを解消することができます。
2024.06.04
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不安神経症の人と対人恐怖症の人は人間関係の対応方法がかなり違うように思います。不安神経症の方は突然死の恐怖が襲ってきてパニック状態になります。その時誰かが付添ってくれていれば安心できます。そのためには普段から他人が喜ぶようなことを見つけて実行している。不安神経症の人は明るく、人付き合いが比較的上手です。対人恐怖症の人は他人から評価される、一目置かれる存在になることに関心が高い。不安神経症の人のように人と仲良くして交流することを楽しむという気持ちは希薄です。そういう意味では自己中心的な人達です。対人恐怖症の人は本音の部分に他人が怖いという気持ちを持っているように思います。良好な人間関係を築いて維持するという側面が弱いように思います。反面一人で過ごすことは苦になりません。人生の楽しみ方を自分なりに見つけている。一つのことを掘り下げて、名人の域に達している人もいます。しかし他人との接触を完全に断って仙人のような生き方はできません。人間は社会的な生きものですから多かれ少なかれ人間関係がつきものです。では対人恐怖症の人はどんな気持ちで人と付き合っていけばよいのでしょうか。私は森田の不即不離をお勧めします。必要なときに、必要に応じて、必要なだけの付き合いをするということです。必然的に浅くて広い人間関係を目指すことになります。その前提に立って、どんなことに注意すればよいのかを考えてみました。1、笑顔での挨拶を欠かさないように心がける。2、しゃべりすぎないように心がけて、相手の話をよく聞く。3、約束や責任をきちんと果たす。ドタキャンはしない。3、弱点や欠点、ミスや失敗は隠さない、ごまかさない。4、相手を非難、否定、叱責、拒否、強制、無視しない。5、不平や不満、腹立たしさをすぐに相手にぶっつけない。6、「ありがとう」「助かります」という言葉を使うようにする。私たちは釣りバカ日誌のハマちゃんのような陽気でまわりの人を和やかにする能力は持ち合わせていません。でもこれくらいなら実行可能なのではないでしょうか。人間関係は20対60対20の法則があると聞きました。これは馬の合う人20%、馬の合わない人20%、どちらでもない人60%という意味です。肝心なことは、どちらでもない人を敢えて敵に回さないように心がけることです。潤滑油の切れた歯車を無理やり回転させるようなことは痛々しい。これだけ心がけるだけで人間関係で大きく躓くことは避けられます。
2024.06.03
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元体操日本代表に選出された白井健三選手のお話です。白井選手は床が得意です。床には150の技があるそうですが、その中で「後方伸身2回宙返り3回ひねり」という技はH難度で一番難しい技とされています。「シライ3」と呼ばれて彼しかできないと言われていました。しかし金メダルを獲得して当たり前という状況の中で、2014年の世界選手権の「ゆか」は2位に終わりました。白井選手は、その敗因について「同じことをやっていたから負けたのだ」と分析しました。というのも、この大会で彼が披露した技は、すべて前年の世界選手権で優勝したときと同じものでした。その結果知らず知らずのうちに気が緩み、「同じ内容でも勝てるだろう」と思ってしまったのです。演技の内容自体に目標を見失い、守りに入っていたのです。これを教訓にして、2015年の世界選手権では、当時の最高であるG難度の大技「リ・ジョンソン」に挑戦して成功させました。そのほかの大技も次々と成功させて再び世界王者に返り咲きました。(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社)この話は目標や課題を持ってチャレンジすることがいかに大事になるかを教えてくれています。目標や課題を持っていることは、人間の精神の健康を維持するために欠かすことができないものです。これは脳の仕組みを理解すると容易に察しがつきます。優勝できなかったときは、自分でも気がつかないうちに、緊張感が薄れ、弛緩状態(根拠のない安心感や安堵感)が入り込んできたのです。その時脳内では、やる気の脳と言われる腹側被蓋野、側坐核、A10神経群、前頭前野の活動が抑制されていたのです。報酬系神経回路の活動が抑えられてしまうので士気が高まらない。前頭前野は、「まさか、失敗するようなことはないだろうな」と予期不安が強まります。こんな状態では勝てる試合にも負けてしまう。焦れば焦るほど、成果を上げることができなくなってしまいます。さらに悪いことは重なるものです。ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が脳内を駆け回るようになるのです。これで勝とうというのは虫がよすぎます。目標や課題の存在は我々が考えている以上に大きな影響を与えていることが分かります。森田では目標や課題から目を離さないために、先ずは凡事徹底に取り組むことをお勧めしています。大きな目標を持つ前に小さな一歩を踏み出すことが大事になります。
2024.06.02
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ミシュランガイドで3つ星を獲得しているシェフが、料理は一つ一つの作業を取りだしてみると、単純作業の繰り返しなのです。その単純作業の中にどれだけ多くの疑問や改善点を見つけることができるか。そして工夫や改善を繰り返して、さらなる高みを目指すのが一流シェフなのだそうです。これは私たちでいうと、「凡事徹底」のことだと思います。言われたからイヤイヤやっていますというのは、初期段階はしかたがない。でもこの段階で終わってしまっては、気づきや発見は生まれてきません。目の前の仕事に一心不乱に取り組むと、感情が流れて、次第に仕事は面白くなります。一流料理人になるためには、いかに下ごしらえに時間をかけているかにかかっています。芋の皮一つむくにも、魚の鱗一枚落とすにも、心をこめて何年もやらないと一流にはなれません。料理人の世界では昔から、芋の皮むき3年、ネギの細切り丸4年などといわれて、来る日も来る日も一つのことをとことんやり抜いた。一日の仕事が終わって親方たちが帰ると、若い修業中の料理人たちは厨房を貸してもらい、料理の練習をしながらさらに下ごしらえの経験を積んでいく。そんなことを繰り返しているうちに、彼らは素材の扱い方を知り、食べるということの素晴らしさを学んでいき、堕落を振り払うのである。こう考えると、料理人の下ごしらえというのは、料理そのものの下ごしらえであると同時に、自分の人生の下ごしらえでもあると言えます。下ごしらえの基本は、とにかく無駄を出さないことだ。大根の先やネギの青葉、魚の粗なんて、今の年季の少ない料理人は捨ててしまうことが多い。昔の料理人は無駄を出すことをしなかった。だから真剣にならざるを得なかったのです。これは森田理論で言うと「物の性を尽くす」ということです。神経質な人は、クリエイティブな仕事、人から賞賛を浴びるような仕事こそが価値のある仕事だと思っています。誰でもできるような簡単な仕事にはそっぽを向いてしまうのです。仕事というのは、分解してしまえば単純な仕事ばかりである。そんな仕事が寄り集まって複雑で難しい仕事になっているのだということだと思います。細かい仕事に真剣に取り組むことで仕事の土台ができてくる。そして人間としての土台がでてくる。そういう人が作り出す料理は他人を感動させる。それは料理を通じて人生の極意を感じるからかもしれない。(食の堕落と日本人 小泉武夫 東洋経済新報社 90ページより引用)
2024.06.01
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人間の生活は常に緊張状態と弛緩状態をくり返しています。つまり波があるということです。リズムがあるとも言います。これは1日、1週間、1ヶ月、1年間の中でも繰り返されています。日常生活のなかに緊張と弛緩の好循環を作り上げることはとても大事なことです。本を読んでいるとき、難しい本や興味のない本の場合は、緊張感がなくなり、その隙間を埋めるようにして、睡魔が忍び込んでくる。そんなときつい昼寝をしてしまうことがあります。昼寝は悪い面ばかりではありません。昼間の30分程度の睡眠は脳のパフォーマンスを30%ほど向上させる効果があるそうです。車を運転している時もパーキングエリアで20分の仮眠をとれば眠気はとれます。しかし1時間以上も昼寝をすると逆にアルツハイマー病の発病率を2.6倍に高めるそうです。その他にも様々な弊害があります。(脳内物質仕事術 樺沢紫苑 マガジンハウス 254ページ)睡魔が襲ってくるときは、精神が弛緩状態にあるときです。そのまま1時間以上寝てしまうと、心身ともに活動を休止してしまいます。かえって体の調子が悪くなり、元の状態に戻すのが大変です。こういうときは「超低空飛行」を心がけていると、そのうち弛緩から緊張状態に切り替わってきます。休みの日に趣味や日頃メモした懸案事項などに取り組んでいると、弛緩状態に陥ることはなくなります。だらだらと休日を過ごしてしまいますと最後には後悔するようになります。凡事徹底を軽視している人や気分本位な傾向がある人は、日常生活全体が弛緩状態に陥り、暇を持て余すようになることがあります。こういう人は意識して緊張状態を作り出すように心がけた方がよいと思います。そのためには、規則正しい生活習慣を作りあげることをお勧めします。毎日同じ時間に同じことを繰り返すというルーティンワークが確立すれば、すっと身体が動いてくれるようになります。たちまち緊張と弛緩の好循環が生まれてきます。次に緊張と弛緩は急激に切り替えると問題が出てきます。森田先生は風邪をひくのは心の緊張と弛緩の急激な変化から起きると言われています。感冒にかかるのは、常に心の緊張と弛緩との急激の変化の際に起こるもので、元気なら元気のように、弱ければ弱いように、常に周囲に自然に適応していくというふうならば、決して風邪をひかぬのであります。(生活の発見誌 6月号 35ページ)緊張と弛緩の切り替えは常に徐々に行うのがコツのようです。精神が弛緩状態に陥ったとはどうすればよいのか。森田理論の「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」を応用することです。昼間横になって1時間以上寝てしまうのはもったいないです。そんなときは心機一転、身体を動かすような別のことに取り組むようにするのです。30分おきに頭を使ったり手足を使ったり切り替えていると、弛緩状態の波を小さくすることができます。緊張状態にあるときは、弾みがついて過度にのめり込んでしまうことは注意したいものです。神経質者の場合は、やりだすまでは時間がかかり、やり始めると歯止めが効かなくなるという傾向があります。欲望の暴走はある一定の限度を超えると制御力を失います。日頃から不安を活用して欲望の暴走を抑えるように心がけたいものです。車でいえばアクセルを踏み込むだけではなく、ブレーキも適宜踏み込んで安全運転を心がける必要があります。ブレーキの壊れた車は大変危険です。
2024.05.31
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元中日ドラゴンズの山本昌氏のお話です。何もやっても長続きがしないという方には必見です。取り立てた才能もない自分が、なぜ50歳まで現役選手としてマウンドに立つことができたのか。その最大の原因は「継続力」にあると思っている。だが、何事も継続するというのは苦しい。「よし、今日からダイエット。毎朝5キロ走るぞ!」と、決心は誰でもできるが、それを継続するのは至難の業です。そして、「オレは、意志が弱いな」と落ち込むことになる。これは意志が弱いのでも何でもない。継続するには目標が高すぎたのだ。つまり「目標値」を先に設定して、それを継続しようとすることに無理がある。「目標値」を成果から逆算するので、どうしても目一杯のものになる。そんなことが長続きするわけがなく、挫折して当然なのである。僕は逆発想する。「目標値」を成果から逆算するのではなく、継続できるかどうか、から考えて決めるのだ。たとえば毎朝走るなら、「何キロだったら毎日続けられるか」を考える。だから思い切って距離を短くする。5キロを目標にしたいと思ったら、1キロにする。これだったら、雨が降ろうがヤリが降ろうが継続できるからだ。たった1キロでも、1ヶ月、2ヶ月、半年、1年と続けていくうちに「俺はやりとげている」という自信が腹の底から湧き上がってくるものだ。5キロの距離をノルマにして挫折すれば、「自己嫌悪」、わずか1キロでも継続すれば「自信」になる。どっちがいいか、言うまでもないだろう。10種類のトレーニングがあったが、僕はそれを3種類だけにした。ノートに10種類のトレーニング内容を書いて、その日に行った3種類のトレーニングに○をつけていった。3種類だけなら、10分もあればできる。本当は10種類全部やるのがいいことは分かっている。しかし、それをやれば苦痛になって続かないということもまた、僕にはわかっていたのだ。校時代から始めた2キロのダンベルトレーニングは30年以上も続いている。(継続する心 山本昌 青志社参照)小さな目標を設定して、継続すると習慣になります。習慣になると無意識的に体がすっと動くようになります。またそれが成功体験になり、自信になると言われている。自信の数が増えてくると、自己肯定感がでてくる。弾みがついて、さらに別の目標にも手を出すようになる。大きな目標への足掛かりにもなる。私の場合を振り返ってみた。生活の発見会に入会して37年である。地元集談会にはほとんど参加している。参加することが待ち遠しい。世話活動もしていて休むということを考えたことがない。仕事に携わって50年を超えた。今でもマンションの管理人の仕事を継続している。仕事を持っていると規則正しい生活の柱ができる。また決められた範囲内で自分の裁量で仕事ができる。仕事の中で身体を鍛えることができる。階段の上り下りを取り入れて毎日6000歩以上は歩く。わずかながら収入にもなり、冷暖房完備の管理人室を自由に使えるのでうれしい限りだ。このブログは11年5か月になる。その間毎日投稿してきた。習慣化しているので、無理なく継続している。毎日日記をつけて18年になる。よかったこと、感謝の気持ちを書いている。特になければ今日の出来事などを書いている。過去の日記は家族のイベント、毎年の予定がよく分かる。一人一芸のドジョウ掬い、しば天踊り、傘踊り、腹話術の口上、皿回し、アルトサックス、カラオケの練習は習慣化している。時々獅子舞と浪曲奇術の練習もしている。朝晩の草花への水やりと手入れ、メダカの世話は欠かさない。田舎での自家用野菜つくりは、シーズンになると1時間30分かけて毎週のように通いで続けている。毎年味噌作り、梅酒、ラッキョウ漬け、マフィン作りは続けている。山本昌氏の先に目標を決めるのではなく、継続できるところから取り組むという考え方に大賛成です。
2024.05.30
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依存症には、アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、通販依存症、ニコチン依存症、恋愛依存症など様々ある。私はある時期、パチンコ依存症になりかけたことがある。お金を湯水のように使うことはいけないということは、妻に指摘されなくてもよく分かっていた。しかし足が勝手にパチンコ屋に向いてしまう。自分の身体なのに制御不能になっている。脳が得体の知れないものに乗っ取られてしまったような感じだ。毎日1000円のこづかいしか持たないようにして必死に耐えました。3か月くらい経過して、パチンコ以外にもいろいろ楽しみがあると思えるようになってやっと足が洗えた。以来パチンコ屋には1回も足を踏み入れていない。依存症にはネズミを使った興味深い実験がある。同数のオス・メス合計32匹のネズミをランダムに16匹ずつ環境の異なる2つのグループに分ける。一方は一匹ずつ金網のオリの中にいれる。他方は広々とした場所(ラットパーク)に雄雌いっしょに入れて生活させる。そして両方のネズミに普通の水とモルヒネ入りの水を用意して、その後の様子を57日間観察した。9~13日後、ゲージのネズミたちはどんどん薬物の深みにはまる。一方広々とした場所のネズミたちは、自由にモルヒネが飲めるにも関わらず、ほとんど触れられずに自由な生活を楽しんでいた。19~23日後、ゲージのネズミはますます薬物を口にし、反面ラットパークのネズミは薬物を避け続けた。心地よい環境にあるラットパークのネズミたちは薬物に対する欲求がほとんど見られなかったという。この実験の結果、依存症の発症には、生活環境が大きく影響しているという結論に達した。自由を奪われて生活しているとストレスがたまります。それを解消しないと心身に重大なダメージを与えます。そこで手っ取り早く依存対象に手をつけるようになるのです。ドーパミンというカンフル剤を利用して、ストレスを緩和させようとしているのです。依存症は、誰でも最初は好奇心に突き動かされ、軽い気持ちで手を出します。そのときの快感が脳にしっかりと刻まれる。二度三度と手を出すうちに、しだいに脳がハイジャックされる。気が付いたときは、使用量がどんどん増えている。また中断すると禁断症状に苦しめられる。離脱症状と言われるものです。そのアリ地獄の底に落ちると、自分の意志の力だけでは依存症から抜け出すことは不可能となります。依存症に陥らないようにするにはどうすればよいのか。その予防法として考えられるのは、日常生活の中で過度のストレスをため込まないようにすることです。孤独、退屈、苦痛、不自由、人間関係などのストレスを極力抱え込まないことです。問題を抱えている人は信頼できる人や集談会の先輩会員に相談することです。それでも難しい場合は医療のお世話になるしかありません。依存症に陥る人は生活が不規則になる傾向があります。規則正しい生活習慣を作り上げると抑止力が働きます。無意識のうちにすっと身体が動いていくような習慣を作り上げることが有効です。日常生活の多くを他人任せにしている人は精神的に不安定になります。特に食生活が大切になります。自分で料理を作らない。宅配を頼む。ファーストフードが多くなる。外食中心になる。これらは依存症の予備軍となります。日常生活の中で、小さな目標に挑戦して達成感や感動を味わうという楽しみがない。外から与えられる娯楽的、刺激的、享楽的な楽しみばかりを追い求めている。こうなると、身体は依存対象に引き付けられてしまいます。そうしないと精神的にイライラして苦しくなってくるからです。凡事徹底の生活習慣を身に着けて小さな楽しみや感動をより多く見つけることができるようになると依存症に陥ることを防止できます。
2024.05.29
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私たちは人から指示されてイヤイヤ仕方なくやることは、身が入っていないので出鱈目になりがちだと考えやすい。これに対して奥村幸治さんは疑問を投げかけておられます。私は現在、「宝塚ボーイズ」という中学硬式野球チームの監督をしています。そこで子どもたちに野球を教えていますが、最初によい習慣を身につけさせるには、監督やコーチ、親などから「やらされる」という外部環境も必要だと考えている。たとえばチームに入ったばかりの中学1年生に「自分の目標を持って練習をやりなさい」と教えてもできません。そこで、「キャッチボールのときはこういうことを考えながらやろう」とか「道具を大事にしよう」と具体的な話をしながら習慣づけをしていきます。すると初めは監督やコーチに「やらされる」だったことが、どこかで主体的に自ら「やっている」ことに変わっていきます。イチロー選手も小さい頃はお父さんに毎日バッティングセンターに連れて行かれていました。お父さんとキャッチボールをするのは純粋に楽しめていたかもしれませんが、毎日バッティングセンターに行くのは大変です。今日は行きたくない。つらい時期もあると思うのです。けれど、それを続けているうちに、「自分のなかに目標を作る」という意識づけができるようになったのではないかと私は思います。「やらされる」を「やっている」に変えると、目的意識ができて練習に張りが出てきます。(一流の習慣術 奥村幸治 ソフトバンク新書 40ページより引用)勉強や仕事でも最初から面白くてたまらないという人はいません。むしろ、取り掛かる前は億劫で、やらないで済むことなら、やらない方を選択したいと思いがちです。それが正直な気持ちです。でも、それに流されると、次の展開は望めません。気分本位で逃避的態度を選択することは、人間の本来性に背くことになります。ですからイヤイヤ仕方なしでも行動を起こすことがとても大切になります。そうはいっても、「楽をしたい。エネルギーを消費しないで休みたい。人が見ていなければさぼりたい」という気持ちの誘惑にまけて、堕落の道に真っ逆さまというのが実態です。そういう人を見つけると、首に縄を巻いてでも、オアシスまで連れて行くという人がいるということは、将来的に見るととてもありがたいことです。奥村さんは、とりかかる前は、本人がどんな気持ちだろうが関係がない。とにかく無理やりにでも、行動のきっかけを作っていく。その先はどうなるか分からない。イチロー選手のように、興味や関心を高めて、目標を持って主体的に行動してくれるようになることは理想ですが、そうならないこともある。その方が多いかも知れない。そういう場合は、別の面で刺激を与えるようにする。ここで大切なことは、最初の「やらされている」という気持ちが、イヤイヤ手をつける事で、好奇心が刺激され、疑問や関心や興味が生まれてくる呼び水になることがあるということです。そうなれば、つぎの課題や目標が生まれてきます。このようにしていつの間にか主体的な行動に変化してくるのです。課題や目標、夢や希望に向かって、努力精進するというレールに乗るかどうかは、最初は他人から強制されたことでも構わないということになります。子供を持っている親は、無理やりにでも多くの経験をさせて、きっかけづくりをする必要があります。集談会では、自分の日常生活や趣味などを開示して、他の参加者に刺激を与えることが大切です。集談会に参加する人は好奇心旺盛な人が多い。相手が刺激を受けて自分でも取り組んでみようと思ってくれれば紹介したかいがあったというものです。
2024.05.28
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不安の立場に立って、神経症で苦しんでいる人を観察してみました。そうすることで双方の関係性がよく見えてきます。不安は不安から逃げ回っている人を見つけると嬉しくなります。自分の居場所や活躍の場を見つけることができるからです。アフリカのサバンナで獲物を見つけた肉食獣のようなものです。思わず不敵な笑みがでてしまう。不安から逃げまくり、取り除こうと必死になって努力している人を見ると、俄然力がみなぎってきます。相手を身体的、精神的に二度と立ち直れないほど叩き潰してしまいたいと考えているのです。最後に息の根を止めることが目的なのです。勢いづくとますます戦力を増強して立ち向かってきます。一旦アリ地獄の底に落ちてしまうと脱出することは容易ではありません。太平洋戦争を戦った日本とアメリカのようなものです。日本はうかつにもアメリカが仕掛けた挑発に乗ってしまったのです。戦争を開始する前、日本軍の上層部はアメリカに勝てるのではないかと思っていました。しかしガダルカナルで敗北してしまうと後退を余儀なくされました。最後には原爆まで落とされて惨敗しました。さて、不安にとって挑発に全く乗ってこない人は厄介な人です。不安は欲望があるから湧き上がってくるものだ。不安や症状を持ちこたえたまま、生の欲望にのって「なすべきをなす」方向に舵を切っている人は「のれんに腕押し」状態となります。張り合いがない。居場所がない。活躍の場がない、手持ち無沙汰で時間ばかりが過ぎていく。こういう人は見るだけで嫌気がさしてしまう。こんな人と付き合うのはイヤだ。逃げたほうが得策だ。武力の増強はもってのほかで、むしろ戦力の縮小を考えざるを得なくなるのです。そうだ、不安から逃げ回っている人や取り除こうとしている別の人に乗り移ってしまえばいいのだ。森田理論学習で不安の特徴や役割を理解している人は厄介です。そして不安と欲望の関係をよく分かっている人もどうすることもできない。不安の方は相手を痛めつけようとしているのに、相手は不安を自分の味方に取り込み、欲望が暴走しないための抑止力として活用している。昨日の敵は今日の味方という関係を築いているのです。不安の方も自分の本来の役割を与えられて、別の意味で存在価値を発揮している。居場所や活躍の場を与えられているので反撃するよりも居心地がよい。むしろ相手の役に立っていることがうれしいと思えるようになってきた。不安の特徴や役割を身に着けている人は、不安を大事な仲間として付き合っていることになります。さらに不安を大いに活用しているのです。昨日の敵は今日の味方になっています。取り入れた相手と共存共栄の関係に入ってしまっています。当初の目論見とは全く違う関係が出来上がってしまうのです。この関係は不安と敵対していた時には考えられないことです。不安の方としても、自分の存在価値を認めてもらい、働き場所を提供してもらっているので異存はありません。こういう関係が出来上がれば、双方とも友好的で、安全、安心、平和な幸せの時を享受できるようになるのです。こういう方向性をみんなでめざしていこうとしているのが森田理論学習なのです。素晴らしい世界が広がるように思えませんか。
2024.05.27
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イチローのオリックス時代にバッティングピッチャーをしていた奥村幸治さんの話です。ニューヨーク・メッツのキャンプに参加させてもらった時のことです。メッツの何人かの選手に「メジャーで活躍するために必要なものはなんですか?」と質問しました。すると答えはすべて同じでした。「誰よりも強い体がないと年間160試合は戦えない。そのためには誰よりも練習をしなくてはならないし、身体のケアも必要だ」ここまでは私の予想通りです。しかし次に挙げたメジャーリーガーの条件は、想像もしないものでした。彼らは「運」だと言ったのです。驚いて私が、「運なんてどうやってつかめばいいの?」と尋ねると、「そんなの簡単だよ。当たり前のことを、真面目にやるだけさ」と選手たちは口を揃えました。運は自然とそういう人間に向いてくる。メジャーリーガーは心技体がバランスよく鍛えられていないと、年間160試合は戦えない。一つでも問題があると成績が下降して、3Aに落とされる。心技体のバランスを維持することは、まさに熾烈な生存競争を生き抜くための必要条件となる。ただし、いくら心技体を鍛えていても、運がなければ試合で使ってもらえない。運というのは厄介な代物です。運というのは、監督やコーチからチャンスをもらうことです。チャンスは監督やコーチがそれぞれの選手の特徴を把握していて、この場面ではあの選手が最適であると判断したときに突然訪れます。チャンスが巡ってくるかどうかは常に受け身なのです。自分から「チャンスを下さい」と言ってもプロ集団である以上、自分より適任者がいる場合はその人にチャンスが巡ってきます。そんな中でチャンスをものにするためには、自分の得意技に磨き上げて、他の選手と差別化できるまで高めていくことに尽きる。走攻守どれをとっても人並程度にこなせるが、自分の得意技を持たないという選手は淘汰されていく。球を遠くに飛ばす。正確なスローイング。コントロール。多彩な変化球を投げる。スピードボールを投げる。バントがうまい。足が速い。ピッチャーの癖を見抜く力がある。ケガに強い。守備範囲が広い。守備が上手い。大声が出せる。チームを鼓舞する力がある。つぎに監督やコーチにアピールすることが必要になります。キャンプや練習の時に注目される選手になることが欠かせない。すると、いつか突然降ってわいたように、ツキが回ってくるのです。運の女神が微笑んでくるのです。必ずしも成果が上がるわけではありませんが、運が回ってこなければ次の飛躍はないわけです。神経質者でいえば、心身の健康を心がけて、神経質性格のプラス面を自覚し、とことん活かしきることで、突然チャンスはめぐってくると信じて、努力を怠らないことです。
2024.05.26
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青山学院陸上部原晋監督のお話です。青山学院大学陸上競技部の部員は約50名在籍している。全員が箱根駅伝にエントリーできるわけではない。出場できない選手に居場所を見つけてあげることが、監督の重要な仕事になります。サポート部隊の役割としてどんなものがあるのか。実際のレースでは出場選手への声掛け、応援、給水、手荷物の保管、走り終わった選手へのケアなどがあります。移動や選手の回収などの役割などもあります。沿道においては幟を立てて選手を鼓舞することも行います。それ以外に部活動としては、重要な役割分担があります。陸上競技部というチームの中には、キャプテン、マネージャー、寮長、学年長という役割を持つ人を置いています。これらは基本的に選手に選ばせています。キャプテンはチーム状態が悪い時に、チーム全体を明るく前向きな方向に導く人です。リーダーシップが求められます。部員からの信頼感がある人です。また部員に自分のメッセージを発信できる人です。会社でいえば経営者です。その時の状況を読んで、方針を立案し、みんなを鼓舞して、チームとしてまとめ上げる能力を持っている人が適任です。マネージャーは、選手のサポート役です。裏方になります。選手として箱根駅伝に出場する希望がかなわなかった人の中から選びます。選手たちのコンディションの把握に努め、日々改善していくのが仕事です。アンテナを、幅広く張って、状況により敏感な人が向いています。細かいことに敏感な神経質タイプに向いています。また、監督と選手のパイプ役という側面もあります。時には監督に変わって、厳しい言葉を伝える必要があります。先輩後輩に関係なく物申せる人物でないと務まりません。反面口の軽い人は向きません。伝えていいことと、軽口をたたいてはいけないことが、よく分かり、実行できる人でないと務まりません。マネージャーになるためには一つの条件があります。それは、選手生活をやり切ったという人でないとダメです。とことんまで自分の限界に挑戦してきたが、設定タイムを期限までにクリアできなかったという人の中から選びます。そういう人がマネージャーになったときに力を発揮するのです。マネージャーが務まる人は、卒業後会社に入っても立派な仕事がこなせます。つぎに寮長ですが、部員の生活管理、衛生管理、整理整頓、食生活の管理を通じて寮の運営を担当します。寮母との相性がよいことが条件です。細かいことによく気が付き、凡事徹底に徹することができる人が適任です。率先垂範の人が適任です。これも神経質性格者がぴったりと合います。学年長は学年全体を束ねる人です。明るく前向きな人で、将来のキャプテン候補です。たとえ、箱根駅伝に出場して選手としてスポットライトを浴びなくても、その人の持ち味を見つけて、部活の中で、居場所を与えて、伸ばしていくことがとても大切だということです。それぞれが自分の課題や目標を見つけて、それに向かって努力精進していくことが、なによりも重要だということです。これはすべての人に当てはまることだと思います。(フツーの会社員だった僕が青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉 原晋 アスコム 185ページより参照)これは生活の発見会の集談会運営にも活かすことが大切になります。どんな役割があるのか。どんな人がその役に向いているのか。常に無所住心を心がけて適材適所を目指すことです。役割を持っていると、森田から離れそうになったとき、引き留めてくれる役割が期待できます。長く森田に関わっている人のほうが、森田的な生き方を自分のものにされているように思います。
2024.05.25
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森田理論学習の要点の「行動の原則」に「感情と行動は別物」というのがあります。対人感情には、憎しみ、反感、怒り、腹だたしい、嫌悪感、不愉快、憤り、むかつく、うんざりする等があります。こういう感情が湧き上がったとき、すぐに相手に反撃を仕掛ける人がいます。このような対応は一時的にカンフル剤的な効果はありますが、最終的には自分のほうが孤立してしまいます。そのことは誰でもよく分かっているのですが、同じような失敗を繰り返してしまう場合があります。その原因は、子供の頃に苦しみに耐える、欲しいものを我慢するという訓練や経験が不足していることが考えられます。そのつけが大人になって深刻な問題を引き起こしているのです。しかし子供の頃の経験不足を大人になって取り戻すことはできません。どのように対応すればよいのでしょうか。森田の感情の法則①で、「感情はそのまま放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである」とあります。この法則の活用方法を考えたほうがよいと思われます。腹立ちや怒りの感情は、そのままにしておくと自動的に反撃のスイッチが入ってしまいます。時間をかけてゆっくりと対応することは困難です。そこになんとか風穴をあけることを考える必要があります。2019年10月27日の投稿記事が参考になります。「突発的な怒りの感情は6秒でピークに達し、それをやり過ごせば次第に鎮静化すると言われています。その6秒さえやり過ごせば、怒りに任せて他人を傷つけたり、人間関係を悪化させる行動を控えることができやすくなります」腹が立ったとき、怒りでぶるぶる震えたとき、指折り数えて6秒待つという戦略をとるのは如何でしょうか。突発的な怒りの感情は一山登るのにたった6秒しかかからないということです。一山登れば後は下降していく運命にあります。6秒待つだけなら意識すれば何とかなるような気がします。それを座右の銘として持ち歩き、絶えず意識づけを行う。次に、相手から距離を置くことを考える。例えば「腹が痛くなったのでちょっとトイレに行かせてください」などと言って相手から離れる。そのようなことができるようになれば、「感情と行動は別物」として取り扱うことができるようになります。何度失敗を繰り返しても構いませんので、この能力を身に着けるように努力しませんか。そうなれば敢えて多くの人を敵に回すことはなくなるはずです。
2024.05.24
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斎藤茂太氏のお話です。ストレス学説を打ち立てたカナダの故ハンス・セリエ自身が「適度なストレスがないと人類は滅びる」といっている。世界の長寿村を調べると共通する要素が見つかる。長寿の地域の人々はかなり厳しい労働をしていることと、もうひとつは適度のストレスがあるということである。例えば、暑さ、寒さがはっきりしているところでは長生きする人が多い。有名な旧ソ連のコーカサスの長寿村も寒暖の差が激しいところで、夏は暑く冬は寒い。気候が温暖なところ、花が咲き乱れるようなところではかえってあまり長生きしていないのである。緊張を強いる「ストレス」がないと人間は、ちょっとしたことでも壊れやすい存在になる。人生もこれと同じであって、多少の揺れはむしろ必要だといってもいいのである。(逆境がプラスに変わる考え方 斎藤茂太 PHP文庫 20ページ)ストレス研究の筑波大学の田神助教授は次のような実験を行った。ネズミを2つのグループに分けて3週間実験を行った。1つのグループは、毎日餌を好きなだけ食べさせて、温泉に入れた。もう一つグループは、餌を少ししか与えなかった。さらに毎日水泳をさせた。その後、両方のグループを寒さにさらした。風邪をひいたのは、餌を腹いっぱい食べさせて温泉に入れたグループであった。空腹と水泳をさせたストレスいっぱいのように思えるグループは風邪を引かなかった。しかもキラー細胞(ガンを攻撃する細胞)という免疫機能の働きを調べると、空腹と水泳をさせたグループのほうか強かった。この結果から、適度の運動を実行して、適度のストレスを受ける方が免疫力が高まることがわかった。動物行動学のケーニッヒという人が、青サギを使って次のような実験を行った。食べ物を十分に与えて飼ってみると、最初はどんどん増えていくそうです。ところが、あるところまで増えていくと、そのうちだんだんと減ってきて、そして最後には絶滅したという。卵を産んでも返さないとか、子どもができても餌をやらないなどのことが起きてくる。環境が整いストレスがなくなると、子育ての意欲が骨抜きにされるということです。それよりも自分の生活をより豊かにすることに関心が向いてくる。一般的にストレスや悩みを抱える事はよくないことであると受けとめられている。しかし、実際にはストレスや悩みがまったくない順風満帆な生活を送っていると、心身の健康を損なうケースが多くなる。反対に適度なストレスや悩みを抱えながら、日々の生活に立ち向かっているほうが心身ともに健康体となる。心身の健康を保つためには、仕事や家事に取り組むときに、意識して問題点や課題、改善点や改良点を見つけ出すように心がけることが理にかなっている。それらはすべて宝の山になる。発見したときは忘れないようにすぐメモしておく。課題や目標に意欲的に取り組むと心身の健康に役立つことを発見した。
2024.05.23
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森田先生は平等と差別との両面観は、同一物の同一場合における観方に対する立脚地の相違であって、これを別々に分離して考えることはできない。たんに平等観に偏して、差別を忘れるときに、たとえば仏教の厭世観となり、マルクスの危険思想となる。一方にはまた、差別我観に偏して、平等を忘れる時、暴君となり、テロリストとなり、はい徳者となるのである。われわれは、差別観において、独立独行し、同時に、平等観において、人を愛し、世に貢献するのである。(現代に生きる森田正馬のことば2 白揚社 245ページ)森田先生は平等観と差別観はコインの裏表の関係にあると言われています。両面観で見ていかなければいけないと言われています。平等観でいわれているのは、人間関係が支配・被支配の関係に陥ってはいけないということだと思う。権力のある者、武力のある者、経済力のあるものが、自分の利益を増やすために、その他大勢の人を力で押さえつけるようなことがあってはならない。タテの人間関係ではなく、ヨコの人間関係を目指すと平等な社会が実現します。奴隷制度や女性の選挙権獲得などは改善できたが、まだまだ課題は多い。支配する人と支配される人に分かれるといつか破綻します。それは自分の身体をみてもすぐに分かります。毎日3000個のがん細胞ができていますが、免疫細胞のTキラー細胞などが毎日がんと闘っています。私たちの体内ではガン細胞と生死をかけた壮絶な戦いが毎日繰り広げられていることを忘れてはいけない。平等な社会を目指すのならば、支配しようとする人がどんなことを考えてその他大勢の人を支配しようとしているのかよく観察して、人間関係が支配・被支配の関係に陥らないように緊張感を持って生活することが欠かせないということになります。政治動向、経済政策、金融政策、国防、国体の維持などに関して物申す国民になる必要があります。平等な社会、平和な社会は多くの人と協力して、不断の努力の末に勝ち取るものになります。次に差別観について考えてみましょう。世界には約81億の人間がいますが、一卵性双生児を除いて全く同じ人はいません。確かに誰でも目、耳、手、足は2つずつあります。顔や鼻や口は1ずつです。しかしその中身を観察すると千差万別です。禿げている、歯並びが悪い、シミやシワやほくろがある、太っている、痩せている。神経質性格者、発揚性気質の人。森田先生は7つの気質に分けて説明されています。マネージメント力、統率力のある人、人間関係作りの上手な人、思考力や分析力の優れた人、創造性の豊かな人、演技力のある人、感性の豊かな人、文章作成能力のある人、運動能力抜群な人、楽器演奏の出来る人、学力優秀な人など取り上げればきりがありません。これは人間の創造主は人それぞれ能力に差をつけてこの世に送り出しているということではないでしょうか。これは感情と同じ自然現象で、人間の意志の自由はないと考えるほうがよいと思います。人間には誰でも得手・不得手があるということです。すべての面で万能ということはありえないのが現実です。人間は10の欠点があれば10の長所があるように作られている。これが森田先生の言う差別観に通じるところです。ではどういう心がけで生きていけばよいのでしょうか。自分に与えられた能力を最大限に活かして人の役に立つことを見つけて行動する。自分の不得手の面では他人のお世話になって生活していく。自分に備わっていないものを何処までも追い求めるのは愚策だということです。
2024.05.22
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2月号の生活の発見誌の記事(66ページ)からの引用です。森田療法では、布団上げなど家事の手伝いをすることを推奨しています。私は愚直に発見会に入会した時からこれを続けており、最近は家にいることが多くなったので、部屋掃除、食器洗い、洗濯、片付けなど、気分や症状に関係なく行っています。こういう日常生活の雑事を継続してやることで、日常生活が整い、それが癖になり継続の力となっています。集談会で毎日同じ時間に同じことをするルーティンを作りあげて、実行している人は、神経症に振り回されることが少なくなると聞きました。私の体験でも規則正しい生活は神経症を克服するための大きな力になると思っています。特に朝起床する時間を一定にすることが肝心だと思います。私の場合は6時20分です。それからは次々と流れ作業が続きます。これが習慣化してくると何も考えなくても身体のほうが自然に動いてくれるようになります。結果として前頭前野を休ませることができるのです。前頭前野は必要に応じて適宜活用するようにした方がよい。帚木蓬生氏は、悩みや心配は5分以上頭の中でひねくり回してはいけないと言われています。脳が傷んでくるからです。5分たったら、身体を動かし、脳を休ますようにするのが肝心です。(生きる力 森田正馬の15の提言 朝日新聞出版 45ページ)
2024.05.21
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現在の「森田理論学習の要点」の前に、「森田理論学習の実際」というのがありました。37ページに「行動や気分には波がある」というのがあります。緊張した後には緩みがくる。動いた後には疲労がくる。気分が高揚した後には、気分が沈む時もある。いつも同じような調子は続かないで、緊張・弛緩・好調・不調の波が循環しているということでした。私たちはこうしたリズムがあることを忘れ、常に緊張・好調を望み、弛緩・不調といったものはあってはならないと考えてしまう。体がだるい、物事に集中できないといった身体の不調は、その前の2、3日の生活を振り返ってみると、多くの場合、緊張や好調のあとにやってくる。そのような時は、素直にその時の状況に従い、決して無理をしないように、その時にやるべくことをやっていく。なるべく自然のリズムに合わせていくことが大事になります。自然には強弱がある。リズムがある。波がある。一本調子で緊張、好調が持続することはない。緊張、好調の後には、いつかは弛緩、不調の状態がおとずれる。それを理解していないと、今の好調な状態がいつまでも続いていくような錯覚に陥る。反対にスランプに陥ると、どこまでも奈落の底に落ちてしまうと思ってしまう。これは認識の誤りです。リズムや波がうねっていることを理解することが肝心です。理解しているとどん底に落ちたときに慌てふためくことが少なくなります。波が持ち上がってくるのをじっと待つことができます。波の底にいるときは、墜落しないことだけを注意する。淡々と最低限の生活を続けていけば必ず上昇してきます。投げなりになってすべてを放り出してしまうのは考えものです。仮に波の底にいるときに慌てふためくと、そこは一番底で、その下に二番底、三番底が口を開けて待っていることになります。リズムや波の法則が機能しなくなり、最後はなすすべもなく自滅してしまうことにもなりかねません。リズムや波が理解できたら、次に調整を心がけるようにしたいものです。森田先生は風邪をひくのは寒いときに外から帰宅して、炬燵に潜り込んで転寝をするようなときだと言われています。これは緊張状態にあった心身の状態を、急に弛緩状態に転換するために起きるのです。人間の心身のコントロールは照明器具のスイッチの切り替えのようにはいかないと心得ておくことです。スポーツでも激しい運動をした後は、クールダウンしている。人間の心身の状態もそれに倣いソフトランディングを心がける必要がある。無理をしないように心がけていると、上手くリズムや波に乗れるようになります。
2024.05.20
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森田理論の「物の性を尽くす」という言葉は、拡大していくと「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」「時間の性を尽くす」「お金の性を尽くす」に通じます。今日は「時間の性を尽くす」を取り上げてみたい。現代は心身のメンテナンスを怠らなければ90歳くらいまでは元気に生きることができます。その時の時間は、365日×24時間×人生90年と仮定すると約79万時間になる。その中で睡眠時間1日8時間として、約26万時間。3度の食事、身支度などに使う時間を、一日2時間とすると65700時間。学校で勉強する時間として1年(250日×8時間)×(6歳~20歳)で約3万時間。仕事をする時間として、1年(250日×8時間)×(20歳~65歳)で9万時間。人によって大きく違うが、これは大まかな目安と考えてください。これらを集計すると、残り時間は約34万時間となります。実に40%強が自由時間となります。1、この自由時間を外部から与えられる楽しみを追いかけて過ごすのか。2、自ら身体を動かして楽しみを見つけ出していくのか。1の場合は、線香花火のようなものだと思います。その瞬間は刺激があって楽しいのですが持続性はありません。欲望はどんどんエスカレートしていきます。2の場合は努力することが必要になります。小さな目標でも達成すると充実感があります。弾みがついてより大きな目標に挑戦していくことが可能になります。2を基本にして、1年に数回は1を取り入れて生活するというのは如何でしょうか。ではどんなことに取り組んでいけばよいのか。一例を挙げてみましょう。いくつか趣味を見つけて深めていく。スポーツ、武道、音楽、絵画、観劇、ウォーキングなどに取り組む。子育てや介護など家族との交流を深める。自己の能力や教養の向上を目指す。家庭菜園、自給生活、料理作り、加工食品作りを楽しむ。ペットを飼い、草花を育てる。旅行、ハイキングなどを楽しむ。ボランティアなど社会貢献に取り組む。やりたかった好きな仕事に取り組む。町内会などの地域活動に取り組む。社会参加や市民活動に取り組む。森田理論学習の深耕と日常生活への応用を考える。森田理論学習の普及に努める。その他もろもろ。人それぞれいろいろとあると思います。定年退職してからの時間の使い方は特に留意する必要があります。定年前から取り組みたいことを整理して、すぐに出発できるようにしておきたいものです。集談会で教えてもらったのですが、やりたいことを20個ぐらい持っていないと退屈だなと感じるようになるということでした。また歩かなくなると足の筋力が衰えてきます。足の衰えは即脳の衰えを招きます。毎日のやるべき柱のようなものがあり、それを中心として規則正しい生活になっていることが肝心です。毎日の日常生活のルーティンを淡々とこなしていく。そうした生活の中で、小さな感動や楽しみのかけらをたくさん見つけることができれば最高です。那智の滝
2024.05.19
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キューリはどれもこれもひとつずつ形が異なっている。まっすぐなものもあれば、曲がったりひねくれたのも多い。土と水と太陽の中で、生まれたままの自由な形で自己表現を主張している。われわれ人間にも生来の素質があり、環境によっても性格に違いがあるように、植物にもいろんな差異と変形が生じるのであろうか。言わば遺伝的な性格の違いを、そのまま認めているのである。我々と違うのは、その曲がったまま、ひねたままで精一杯に堂々と成長しているところだ。無理にまっすぐなキューリになろうとはしていない。曲がったままで無心に生きている。私ども人間も生物の一員なのだが、そのかけがえのない資質や性格を排除したり無理に変えようとはしていないか。個性を埋没させ、矯正しようとしてはいないだろうか。生まれながらのありのままの性格を受けいれて、最大限に活かそうとしているだろうか。曲がったまま、ひねくれたままで「自然に服従し、境遇に従順に」生きていきたいものである。(1996年生活の発見誌 11月号より引用)これは平等観と差別観に関係がある話です。人間は誰でも目と耳は2つ、鼻や口は1つずつついています。その点では平等です。ところが一卵性双生児以外は一人として同じ顔の人はいません。人それぞれ固有の身体的特徴を持っています。それは個性というものです。よいも悪いもないはずです。その個性を認めて、個性のままに生きていけばよいはずです。しかし実際には、自分の物差しを使い、美醜の判定をしているのです。それは時代が変われば逆に判定されることもあります。その微妙な違いが時に優越感や劣等感をもたらしています。禿げだ、デブだ、ブスだ、身長が低い、見栄えが悪いなどと判定してしまうと劣等感に振り回されるようになります。神経質性格をよくない性格であると判定してしまうと性格改造を考えるようになります。そんな自分を生んだ親を責めるようになります。このことを森田では劣等感的差別観といいます。元メンタルヘルス岡本記念財団の岡本常男会長は、「人間には10の欠点があれば10の長所がある」と言われていました。自分が元々持っているものや強みで勝負していくことはできないものでしょうか。そのためには、他人と比較して違いをはっきりさせることが大事になります。但しその違いを是非善悪の価値判断に持ち込むことは問題です。そのときは「ちょっと待て」といって思いとどまることが必要です。次にその違いを両面観で見ることが大切になります。弱点や欠点は強みや長所と裏表の関係にあります。弱点や欠点に片寄ることは片手落ちです。神経質性格者はマネージメント力、対人折衝能力などは苦手という人が多いと思います。しかし反面、感受性が強い。好奇心が強い。生の欲望が強い。粘り強い。責任感が強い。物事をより深く考えることができる。分析力に優れている。など優れた性格特徴があります。芸術や創造力の発揮には欠かせないものです。ないものねだりをやめて、自分に元々備わっているものを活かして生きていくしかないと思います。
2024.05.18
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「いい加減」という言葉があります。「いい加減な人」とは、思慮が浅く、信念がない。一貫性がない人のことをいいます。あるいは時間やお金にルーズで、約束を守らない人のことを意味します。何事に対しても、中途半端で、すぐに他人の意見に流される人もそうです。「いい加減なことを言うな」という発言は、事実に基づかないで、先入観、決めつけ、思い込み、早合点の発言は慎みましょうということです。これらは、「いい加減」という言葉がすべて否定的な意味合いで使われています。「いい加減な言動をとる」や「いい加減な人」という場合は、次のような特徴があります。まず事実を自分の目できちんと確かめたうえでの発言ではないということです。つぎに、この傾向のある人は、深い洞察力のあるものの見方・考え方をしていない。これらは単なる思いつきや他人の受け売りで「いいかげんな発言」になっています。しかしこの「いい加減」という言葉は全く違う使い方をされる場合があるのです。お母さんが兄弟げんかをしている子供に対して、「あんたたち、いい加減にしなさいよ」と叱ることがあります。兄弟げんかが激しさを増して、罵りあい、手足をだすようになった時に、程よいところでやめておきなさいよと注意喚起を促す言葉になっています。また、「お風呂のお湯加減はどうですか」という場合は、熱くもなく、冷たくもなく、ちょうどよいお湯加減になっていますかという意味です。この場合は、「ほどよい加減に調整する」という肯定的な意味合いで使われています。この言葉は森田理論の調和、バランスという考え方に近いものがあります。神経症に陥ると生の欲望の発揮が蚊帳の外になり不安と格闘を始めます。森田では欲望と不安はコインの裏と表の関係にあるといいます。欲望と不安は表裏一体です。森田では生の欲望を前面に押し出しながらも、不安を活用して調整する必要があるといいます。バランスや調和を意識する必要があるのです。神経症に陥った場合は、不安はとりあえず横において、欲望の方に焦点を当ててバランスを回復させる必要があります。このことを別の言葉でいうと、偏りを修正して、「ほどよい加減に調整する」ということになります。神経症に苦しんでいる時は、不安過多に偏っています。不安と欲望を調整して、いい加減に戻してバランスの回復を図ることがとても大事になるのです。
2024.05.17
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阿部亨先生は、人間関係には「車間距離」が必要だと言われています。車を運転しているときに、前の車にぴったりとくっついていると、前の車が急ブレーキをかけたときに追突してしまいます。特に高速道路では、仮に前の車が急ブレーキをかけても、衝突を回避できるだけの車間距離をとることが必要です。(森田療法ビデオ全集 第4巻 悩める人への生きるヒント 阿部亨 参照)これを人間関係に応用すると、特定の人に絶えずぴったりと寄り添うというのは考えものだということです。おしどり夫婦、無二の親友という状態は、とても響きの良い言葉ですが、それぞれの人間が意志や欲望を持っている限り、対立することは頻繁に起こりえます。その時相手に追随してピッタリ寄り添っていると、相思相愛の人間関係が、顔も見たくないという犬猿の仲に変わってしまうことがあります。利害が一致するときは共に行動し、対立したときは距離を置くようにすることが大事になります。人間関係のコツは「人間」という字が教えてくれています。人と人の関係は「間」(ま)が必要だということです。これは自動車でいえば、ハンドルが過敏に反応しないように「あそび」があるようなものです。緩衝帯が全くないと事故につながるので危険です。人と人との関係はくっつきすぎても離れすぎてもうまくいかない。くっつきすぎると支配・被支配、過保護、過干渉、共依存の関係になりやすい。離れすぎると孤独になり、一人寂しく生きていくしかなくなります。この人間関係作りは、森田では「不即不離」といいます。桂歌丸師匠曰く。「間」のいい落語家は、つまらない噺をやっても受けるが、「間」の悪い落語家はどんな面白い噺をやっても受けない。厄介なことに、弟子に噺を教えることはできますが、「間」を教えることはできない。私なんか、本当に「間」ができたのは、40歳を過ぎてからでした。北野たけしさんは、人間関係で「間」をはずすと、「魔」がその場をぶち壊しにすると言われています。人間関係の車間距離をとることがとても大事になるということだと思います。人間関係は必要なときに、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心がけることが肝心です。親しすぎる人間関係も離れすぎる人間関係もどちらも問題がでてきます。森田でいう「不即不離」を活用すると人間関係の悩みは軽減できます。
2024.05.16
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森田先生はやるかやらないか迷うときは、いったんイエスと引き受けなさいと言われています。本当にそうなのでしょうか。ある人が会社の採用試験を受けた。会社は経理に精通し決算書が作れる人を求めていた。その人は簿記の資格を持っており、やり方を教えてもらえれば、何とかなるだろうと思って、「できます」と答えた。そして運良く採用された。ところが決算時期を迎えて、目的が果たせなかった。結局は会計事務所に依頼することになった。その人は解雇されたという。この方は作成能力がないのに、採用されるために安請け合いをしたのである。入社後死に物狂いで、決算報告書の作成、税務申告書の作成方法を勉強すれば何とかなったのではないかと思う。入社できたことが最終目的地で、その後の努力を怠ったので経歴詐称を働いたと思われたのである。森田先生が今の慈恵医科大学の前身である慈恵医学校で、「精神病学」の講義をするようになったのは、東京帝国大学卒業後9か月目です。その当時、1時間の講義をするのにその準備に8時間も要したのです。この時に、「自分はまだ講義をする実力がないから、1年先に延ばしにしてもらいたい」といったところで、オポチュニティーは頭の後が禿げているから、決して後ろから、つかまるものではありません。(森田全集第5巻 535ページ 要約引用)森田先生はイエスと答えたあと、その期待に応えるために、必死に努力精進することが必要だと言われている。自信のない事、能力不足なことを引き受けるからには、責任を果たすための覚悟と努力が欠かせないということです。もしその覚悟がなかったとすると、軽はずみで、信頼のおけない人だと判断される。大きな行事に参加申し込みだけして、そのうち気が変わってドタキャンする人がいます。主催者は宿泊や食事の手配、交通費の手当てなどの準備をしています。ドタキャンは主催者に迷惑をかけ、無責任な行為になります。あるいは運よく仕事にありついても、与えられた仕事をこなさないでさぼりまくる人もいます。イヤな気分に振り回されて、なすべき事から逃げてしまう人です。こういう人は「迷った時はイエスと答える」を安易に実行すると、信頼をなくして相手にされなくなってしまいますので注意が必要です。
2024.05.15
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困ったときに他人の助けを借りることは悪いことではありません。反対に他人が困っているときは助けてあげる。人間社会は、助けたり助けられたりすることで成り立っています。自分の得意分野では人の役に立つことを実行する。それ以外は他人に頼ることで、豊かな生活を手にすることができます。ここで問題なのは、本来自分たちがしなくてはならないような、食事作り、雑事などから手を抜くようになることです。昔の生活は自給自足が基本でした。自分達が食べるものは自分たちで作っていた。旬のものを工夫して料理していました。加工食品もふんだんに作っていました。牛やニワトリなども飼っていました。生活に余裕が出てくると横着をするようになります。最近は田舎に住んでいる人でも、米、野菜を作らなくなりました。近くの工場で働き、近くの大型スーパーで好きなものを買ってくる。都会生活をしている人とあまり変わりません。年金が出るようになると、わずらわしい雑事からは解放されてきます。これからは趣味や旅行を楽しんで、今まで苦労してきた分を取り返えそうと思うような人が増えてきました。一日中テレビを見なから、食べたいものをスーパーで買ってきて、腹いっぱい食べるという生活習慣が定着してきました。傍から見ると心豊かに生活しているように見えます。果たしてそうでしょうか。私の亡くなった母は遺族厚生年金をもらい、田んぼを小作に出して、趣味三昧・旅行三昧の生活をしていました。年金をもらい米作りをやめて食事まで他人に依存した生活ぶりでした。その母がもう何も思い残すことはない、何時お迎えが来ても後悔はないなどと口走るようになりました。暇を持て余すようになり、その間隙を瞬間的、刹那的、享楽的な刺激で埋め合わせるような生活は精神的にはむなしくなってくるということだろうと思われます。規則正しい生活、凡事徹底、自立した生活、課題や目標を持った生活を放棄してしまうと、決して人間らしくは生きていけないということだと思います。いったん放棄してしまうと、元に戻ることは難しい。それは、やる気や意欲が骨抜きにされてしまうからだと思います。全ての面で依存することは、動物と同じように生きていくことになります。それは、人間らしく生きることを放棄しなさいと言われているようなものです。安楽な生き方のように見えますが、精神的には地獄の苦しみをもたらします。
2024.05.14
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株価は毎日上がったり下がったりしています。株の変動については、上値抵抗線という話を聞きます。これは株価が上昇していくときに、上値抵抗線に到達すると、跳ね返されて下がり始めるというものです。それが何度も繰り返される。ところが、何かをきっかけにして、その上値抵抗線を突破してしまうことが起こる。すると、今までの上値抵抗線は、驚くことに下値支持線に変わってしまう。下値支持線というのは、そこまで下がっても、そこから逆に反発するという抵抗線です。同じ場所にある抵抗線でも意味が全く違います。あるプロ野球の選手が次のように話していました。一旦乗り越えた壁は、今度はそれが自分を守る盾になる。この言葉の意味することを考えてみました。何度チャレンジしても失敗続きで跳ね返される。自分の能力では突破することは無理だ。自分は何をやっても失敗ばかりだ。世の中は自分に対して冷たいことばかりする。そのうち投げやりになって、端からあきらめてしまう。ところが、何回失敗しても、何回跳ね返されても、挑戦することをあきらめない人もいます。逆に益々闘志を燃やして果敢に挑戦する。そしてついには、どうにもならないと思っていた壁を乗り越えてしまう。乗り越えた人は一段階ステップアップした器の大きな人間に変身しています。ノウハウや自信をつかみ、さらに大きな目標に挑戦する人間に変身しています。小さな成功体験を蓄積していくと今度はその乗り越えた地点が出発点に変わるのだと思う。今まで目標でしかなかったところが、乗り越えた途端に自分を強力にアシストしてくれる盾のようなものに変身するということです。これはエベレストの登山をイメージすると分かりやすい。エベレスト登山ではベースキャンプを徐々に頂上に移動していく。ベースキャンプで準備万端態勢を整えて、そこを基点にして果敢に頂上にアタックしていく。神様は自分に乗り越えられないような課題は与えないと聞いたことがあります。神経症で苦しみ、のたうち回っている人は、きっと乗り越えることができる課題を与えられているのだと思います。私たちは幸運にも失意のどん底で森田理論に出会いました。同じ悩みを抱えて苦しんでいる仲間と知り合いになれました。神経質の執着性を活かして、仲間と協力しながら、森田理論学習を継続し、生活に応用するようにすれば、神経症はきっと乗り越えることができるはずです。また人生90年時代を自信を持って生きていくための人生観を確立できます。潮岬灯台
2024.05.13
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私はNPO法人生活の発見会の集談会に参加して37年が経つ。その間多くの仲間からいただいた印象に残っている言葉があった。いくつかを紹介いたします。・あなたは今波のどん底にいるが、波は必ず上昇してくる。それまで仲間で支えていくから安心して参加してほしい。・こんな非常事態なときに、仕事を辞めるとか、離婚するとか、死んでしまおうなどという重大な結論を出してはいけない。それは今の難局を乗り越えるまで待ってほしい。・時間を味方につけよう。時間の経過がきっとあなたを助けてくれるはずだ。時間は薬と同じくらいの効果がある。それを信じて破れかぶれな行動に走らないようにしよう。・「月給鳥」なったつもりで会社勤めをしなさい。自分と家族が生活するエサを獲りに行くという目的は忘れないようにしなさい。良好な人間関係作りは大事だが、それを最大の目標にしてはいけない。神経質者はもともとまじめで責任感が強いので、それでも普通の時の6割ぐらいはできています。それだけできればリストラされることはありません。これらの言葉をマジックで紙に書いて壁に張り付けて毎日唱和していた。結果的に仕事を辞めることも、離婚することも、自殺することもなかった。神経症で蟻地獄の底にいるときに、破れかぶれになって将来を左右する重大な決断をすると後悔するようになると思います。森田先生のところに入院していた人で陸軍大尉の人がいた。読書恐怖という神経症のために、職を辞し、その後根岸病院の看護人をされていたという。森田先生は、一番残念なことは、神経症のために職業を捨てる人だと言われている。神経症の患者で、私のところへ診察を受けに来る人には、私は職業を辞めさせない。これは私の大きな人助けだと思っている。普通の医者は、この同じ患者に対して、必ず休学させたり、職を辞めさせたりするのが常である。(森田全集第5巻 341ページより引用)
2024.05.12
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「雑念」にとらわれて、家事や仕事に集中できないという悩みを持っている人は、勉強や仕事に集中して能率を上げたいという気持ちが強いのだと思います。普通の人は「雑念」に対しては無意識ですが、「雑念」を問題視している人はことさらそこに注意を向けています。もともと「雑念」は台風などと同じ自然現象です。台風などの自然現象は人間の力ではどうすることもできないということがよく分かっています。台風をコントロールしたいと考える人はいません。しかし「雑念」に対してはそのようには考えていないのです。普通は目の前の出来事に対応して、様々な感情が湧き起こるようになっています。とらわれている人は、「雑念」を忌み嫌っていると同時に、「雑念」を意志の力で自由自在にコントロールしようとしています。時間とエネルギーを投入して不可能を可能にしようとしています。仮に「雑念」がなくなって、目の前の家事や仕事に集中するどうなるのか。神経が一つのことに固着されるということになります。人間は心臓が停止して血液が流れなくなると死んでしまいます。また、水の流れを止めてしまうと、水が淀んで藻が生え雑菌が増えて異臭を放つようになります。これと同じように、感情の流れが止まってしまうと、観念と行動の悪循環が始まります。これを精神活動の面から見ると、精神の緊張状態から、弛緩状態に陥ってしまうことを意味しています。精神が弛緩状態になると精神活動が停滞し、覇気がなくなります。ですから、精神衛生上、「雑念」はむしろどんどん発生させたほうがよいのです。そういう状態を森田理論では「無所住心」と言います。集中したいときに「雑念」が湧いてくるのはどんな時でしょうか。まず、目の前のことに興味や関心が持てないときです。例えば読書をしているとき、興味や関心がない部分では、様々な「雑念」が湧き上がってきます。ところがそのまま読み進めていると、急に興味や関心があるところに差し掛かると「雑念」は霧散霧消してしまいます。つぎに、他のことで注意を引くようなものが現れたときです。または気になる問題や課題を抱えているときです。これは昆虫が触覚を使って四方八方に神経を研ぎ澄まして生活しているような状態となります。一時的にきちんと注意を向けて問題確認をおこなう。別段問題がなければ、すぐに次の気になることに注意を移していくことが望ましいのです。車の運転をする人は無意識のうちに、次々と注意を向ける場所を切り替えているはずです。緊張状態の中で、一旦注意を向けて、問題がなければ次の気になることに注意を移していくことを繰り返しています。雑念にとらわれて本来の目標や目的を見失ってしまうことは本末転倒となります。雑念はつきものと考えて上手に付き合うことが大事になります。そして目標や目的から目を離さないようにしたいものです。
2024.05.11
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森田先生のお話です。神経症を克服しても、犠牲心が発動しないで、自分の打ち明け話が恥ずかしい。人に知られては損害だという風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって本当に神経症が全治しているのではない。森田先生は神経症を克服した後、その人がどんな対応を見せるのかに注目しておられたことがよく分かります。一般的には森田でよくなったのだから、森田から離れていくのは自然の成り行きのように思われます。森田先生は犠牲心が発動しないのは中途半端な治り方だと言われています。森田理論は理論を学ぶだけではなく、自分の生活の中に応用・活用することが欠かせません。さらにその体験を今現在神経症で苦しんでいる人に役立てたほうがよいのです。これは森田理論の「物の性を尽くす」という実践につながります。ないものねだりではなく、自分が今現在持っている財産を最大限に生かすことが肝心です。そうすることで社会貢献ができます。また自分の生きがいが生まれます。この場合は「己の性を尽くす」ということになります。神経症で苦しんだ体験は貴重なものです。神経症で苦しんだおかげで森田理論に出会うことができました。学習に取り組むことで、森田理論をより深く学ぶことができました。また生活の発見会という自助活動に参画することで多くの貴重な仲間と交流できました。最終的には神経症を克服して、神経質性格者としての人生観も確立できました。これらをいま悩んでいる人たちに、包み隠さずすべてを開示していく。それは一見人のためのようではあるが、自分をとことん活かしていくことにつながります。自分が神経症から解放されればそれで目的は果たしたという考え方は、実は自分の掴んだ貴重な財産を眠らせてしまうことになります。せっかく身につけた森田的な考え方、生き方、活用の仕方が陽の目を見ないのはとても残念なことです。神経症を克服した人は、自分の貴重な体験を赤裸々に開示して自分の生きがいを見つけていきたいものです。
2024.05.10
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森田理論の感情の法則の3の活用について考えてみたい。感情は同一の感覚に慣れるに従ってにぶくなり不感となるものである。具体的な例で説明してみましょう。寒い冬場に風呂の湯船に浸かることを考えてみてもらいたい。最初はちょっと熱いなと思う。外で緩めのお湯で体を慣らす。中には、水で熱さを加減してから入る人もいるかもしれない。よい気持ちでしばらく暖まっていると、今度はちょっと冷たいと感じるようになる。そこで今度は熱湯を入れて、お湯の温度を上げようとする。つまり湯船に浸かっているうちに、体が最初のお湯の熱さに慣れてきたといえる。最初は少し熱いようだと感じても、少し我慢していれば、その環境に慣れてきて、熱さを感じなくなる。これはプールに入る時にも同じことが言えます。プールに入る時は、反対に飛び上がるほど冷たい感じがする。身震いします。何ともいえない不快な感じがします。ところがしばらく泳いでいると、慣れてきてちょうどよい水温と感じる。体が水温に適応して、不快感が跡形もなく消え去ったのである。そのうち、このプールの水温は、やけに暑苦しいと感じることもある。不快感をそのままにしていると、そのうち慣れて不快感はなくなってしまうということである。あるいは反対の感情さえ湧いてくるのである。不快感がなくなるということは、刺激がなくなり、無意識状態に変化するということです。別の言葉でいえば、慣れてくると精神は緊張状態から弛緩状態に変わってくるのです。精神の弛緩状態というのは、日常生活の中では注意しなければならないと森田理論は教えてくれています。次にこれをどのように活用すればよいのかを考えてみましょう。神経質性格の人は、感受性が強く他人が気づかないような小さなこともよく気がつきます。他人も気持ちもよく思いやることができる。この神経質性格をプラスとして認識し、最初の気づきをきちんと掴まえることが大切になります。これこそが宝物と認識することが大切なのです。最初の気づきをきちんとキャッチして風化させないことが大切になる。そうしないと、最初の気づきはしばらく経つと、すぐに忘却の彼方へと飛び去ってしまいます。活用するためには、今すぐにできることや時間のかからないものはすぐに手をつける。億劫だ、気が進まないなどと言っていると、慣れてしまって、せっかくの気づきという宝物が存在したことさえ思いだせなくなってしまう。今すぐにできないことは、忘れないようにすぐにメモして残しておく。時々メモの内容を確認する。とにかくストックをたくさん溜めていくことだ。神経症からいち早く立ち治っていく人は、このメモを大事にしている。真剣に凡事徹底に取り組んでいます。
2024.05.09
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登山家の野口健さんのお話です。ヒマラヤは感覚の世界だ。登山中にいちいち理屈で物事を考えていたら遭難してしまう。1ヵ月間もヒマラヤにいると、雪崩や落石、氷河などの崩壊の危険に絶えずさらされているためか、音に敏感になる。また湿度や温度など、微妙な変化まで全身の毛穴や肺胞で感じとれる。厳しい環境の中で生き延びるために五感が研ぎ澄まされていく。ヒマラヤにいる時の自分の表情を写真で見て、その眼光の鋭さに驚いたことがある。人はなぜ、あえて危険な冒険に魅せられるのか。時に五感をフルに働かせ、生き延びることだけに必死になりたいのかもしれない。人間も動物だって同じことだ。(自然と国家と人間と 野口健 日経プレミアシリーズ 16ページ)野口健氏は、精神が緊張状態から弛緩状態になると、五感の機能はしだいに衰えてくると言われています。その日食いつなぐことに必死に生きている開発途上国の人たちを見ていると、第一目つきが違う。眼光鋭く、うつろで憔悴した目つきをした人はいない。身の危険を感じることがない。食べることに困らない。安心・安全で不安やストレスのない世界に身を置いていると誰でも五感は鈍化してきます。感性や感受性が廃用性萎縮現象を起こしてしまうのである。有り余る時間を、刹那的で刺激的な快楽で穴埋めしようとしている現代人は、緊張感がなくなり、五感は正常に機能しなくなっているのだろう。精神を弛緩状態から緊張状態に切り替えることは可能であると言われています。それは置かれた境遇や環境を変えてみることです。また行動を変えることによっても可能となります。そうかといって、我々はヒマラヤで登山をするわけにはいかない。開発途上国で暮らすことなど考えられない。ではどうするのか。それは森田理論が教えてくれている。それは、今この瞬間に集中して、ものそのものになって生活することである。日常生活に丁寧に取り組むことだ。凡事徹底を心がけることです。まずは食べること。食材を自分で作る。買いだしをする。下ごしらえをする。料理をする。味わう。後片付けをする。加工食品に挑戦してみる。あとは洗濯、清掃、整理整頓などである。そんな生活の中から、興味や関心、工夫や発見が見つかり、ささやかな幸せを感じる。生活のルーティンワークを確立してていねいに取り組むようになれば、緊張感が生まれて、様々なことに気づき工夫ができるようになります。すると精悍な顔つきに変わり、眼光も鋭くなります。
2024.05.08
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アドラー心理学の中に目的論というものがあります。人間は目的を達成するために行動しているのだという考え方です。日々取り組むべき目標や課題を持たないで、惰性で生きていくことは精神的にも身体的にも大きな苦痛をもたらします。絶えず目標や課題を持って生活しているのが普通の人間です。この生き方は、常に努力精進していくことが不可欠となります。森田では雑事や雑仕事に丁寧に取り組むことを目指しています。しかし、日々の生活を丁寧にこなしていくというのは案外しんどいものです。油断しているとすぐに楽な方向に流されてしまうことになります。そうなりますと、目標や目的が蚊帳の外になり、その隙間を埋めるように「かくあるべし」がでてきます。今まで現実に立ち位置を決めて、下から上目線で目標や目的を目指してきたのですが、努力することを放棄した途端に、上から下目線で現実批判を始めてしまうのです。目標や目的の存在が、自己否定のための材料に変わってしまうのです。これでは目標や目的を持っていなかったときの方が、精神的には楽だったということになりかねません。ここで大切なことは、目標や目的から決して目を離してはいけないということです。目標や目的から目を離すと、暇を持て余すようになるとともに、精神的には地獄の苦しみをもたらすようになります。このアドラーの目的論に近いことを森田先生は次のように言われています。川に架かった丸木橋を渡るとき、向こう岸の目的物をしっかりとらえて思い切って渡ることが大切です。足元の安全を確かめたり、川に落ちたらどうしようかなどとネガティブなことを考えていると、挑戦することを躊躇してしまいます。その結果目的が果たせなくなります。また仮に破れかぶれで行動すると川に落ちてしまう。森田先生は、神経症のとらわれから抜け出す方法は2つあると言われています。ひとつめは、自分の心がとらわれから離れない時には、そのとらわれのままにとらわれていることである。これは不安になりきるということです。もうひとつは、決して目的物から目を離さないことであると言われています。苦しいので目をそらして、他のことを考えて気を紛らわせるようなことをしてはいけないと言われています。
2024.05.07
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私たちは過去のミスや失敗、失態や恥ずかしいことを後悔することがあります。歳をとるとそれらが悪夢となって現れて苦しむこともあります。過去の不祥事は取り消すことはできません。では過去の嫌な記憶にどう対処すればよいのでしょうか。今後二度と同じような間違いはしないように反省材料として活用すればよいと思います。神様は、過去の不祥事を反省して次に活かす人を高く評価されるだろうと思います。逆に言うと、後悔して悪夢にうなされるという人は、同じような過ちを何回も繰り返しています。これでは貴重な経験として活かしているのではなく、自己嫌悪、自己否定を深めているだけです。具体的にはどうすればよいのでしょうか。後悔している自分にきちんと向き合うことが大切です。忌まわしい事実を事実としてきちんと認めることです。どうしようもない、ダメだ、取り返しがつかない、救いようがないなどと責めないことです。落ち込んでいる自分に優しく寄り添うことです。自分の味方は自分しかいないわけですから。いつも後悔をして自己嫌悪、自己否定している人は、「今、ここ」の意識が希薄な人です。過去の不祥事に振り回され、将来のことに取り越し苦労ばかりしている人です。もっと「今、ここ」に注意や意識を向けることが大切です。マインドフルネスは「今、ここ」に意識して注意を向け、それを客観的に眺める手法だと聞いております。日常生活では、森田で言うように「ものそのものになりきる」ということが大切だと思います。ぼんやりとして、他のことを考えながらうわの空で行動するのは考えものです。抑うつ状態や後悔はその隙間を狙って心の中に侵入してくるのではないでしょうか。また、悪夢にうなされて苦しいという人は、普段の生活の中で、目標、目的、課題、希望、夢を持っていない人です。つまり生の欲望の発揮が蚊帳の外になっています。日常生活の中で、問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけようと心がけて生活している人は、意識が前向きで外向きになっている人です。注意や意識が外向き・前向きになっているときは、後悔で苦しむことはありません。
2024.05.06
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日常生活にはコントロールできるものとコントロールできないものがあります。コントロールできないものは次のようなものがあります。・自然に沸き起こってきた様々な感情・神経質性格、容姿、能力、境遇など・他人を自分の意のままに操ること・現実に目の前で起きた事件、自然災害、経済の変動などコントロールできるものはどんなものがあるでしょうか。・コントロールできることとできないことをきちんと区別するということ・目の前の現実に対応して必要なときに必要な行動をとるということ・様々な感情や事実をそのまま受け入れるということ・良い悪い、正しい間違いなどの是非善悪の価値評価をしないということ・他人の話をよく聞くこと。対立点を話し合いで解決するようにすること・どうすることもできない出来事を素直に受け入れるということコントロールできないものはあるがままに受け入れて、コントロールが可能なものには積極的に取り組むことが大切です。ところが現実ではそれがあべこべになっている人がいます。つまりコントロール不可能なものに積極的に取り組み、逆にコントロールできるものにはなかなか手を付けようとしない人です。神経症で苦しんでいるときはまさにこれが当てはまります。どうしてこのようなことが起きてしまうのでしょうか。コントロールできないものは、上から下目線で、よいか悪いとか、正しいとか間違っているとか、正義か悪かなどの価値判断をしています。自分の立ち位置を雲の上のようなところに置いて、現実や現状を自分の物差しを使って厳しく裁いているのです。この場合は積極的に行動していないので努力は必要としません。観念優先で行動がおろそかになり、消極的な生き方になります。コントロールできるものは、積極的に行動することですから、エネルギーを消費します。努力することが必要不可欠です。ある意味苦しいです。しかし、この方向を目指すと、問題や課題に果敢に挑戦する積極的な生き方になります。本来の人間の生き方になります。ただし、敢えてリスクをとって挑戦しても、必ずしも成功するとは限りません。そのために行動することを躊躇して、気分に流されて、静観するほうを選んでしまう。玉野井幹雄氏は、「積極的な生き方をする人」は、善いものをさらに増やそうと努力しますが、「消極的な考え方をする人」は、善いものを積極的に増やそうとしないで、悪いものを減らすことによって、結果的に善い状態になろうとしていると言われています。(いかにして悩みを解決するか 玉野井幹雄 自費出版 252ページ)森田理論は神経症的な不安、恐怖、違和感、不快感はコントロール不可能なものだと言われています。それらは、あるがままに受け入れて、コントロールできるものに積極的に取り組みましょうと教えてくれています。気分がどんなに行動することを拒否しても、必要なときに、必要に応じて、必要な範囲の行動を心がけていくことが極めて大切になります。そのためには、規則正しい生活習慣を確立して、頭であれこれ考えなくても、すっと体が動いていく状態を作り上げることが肝心だと思います。大きな目標を目指す場合も、この基本を無視していると、ザルで水を掬うようなことになってしまいますので注意したいものです。
2024.05.05
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キリンビールの社員でNKK活動と銘打った営業を展開した人がいた。それは1時間で25軒、2時間で40軒、何も(N)考えないで(K)行動する(K)というすさまじい訪問活動でした。「考えたら身体が動かなくなる。まず何も考えずにひたすらお得意様を訪問しよう」というものです。1時間25軒回るためには無駄話はしない。各得意先の訪問時間は約10秒。例えば、新商品のサンプルを置いてくる。リーフレットを置いてくる。情報を伝える。そんなシンプルなことを次々にやっていくのです。「どうもキリンです。新商品のサンプルです。お願いします」この営業マンの担当エリアは静岡だったのですが、「いちばん元気なビールメーカーは?」というアンケートに「キリン」と回答した割合が格段に増えた。活動前には18パーセントだったものが、1年後には40パーセントにも達した。常識的に考えると、得意先を訪問するときは、事前にしっかりと訪問計画を立てる。1軒当たり、ある程度の時間をかけて訪問し、信頼関係作りから始める。おのずと訪問件数は少なくなるが、それは仕方ないと考える。(キリンビール高知支店の軌跡 田村潤 講談社新書 要旨引用)この営業スタイルは、訪問営業のローラー作戦と同じものです。10件訪問すれば1件の成約が獲得できるという「大数の法則」に従って淡々と営業活動をこなしていくのです。断られたら自尊心が傷つくと考えている人にとって、実行は極めてハードルが高いのです。気分本位でイヤなこと、辛いこと、面倒なこと、気がすすまないことからつい逃避してしまう人も難しい。成約になることに確信が持てたときに営業活動をすると考えている人もハードルが高い。そんな無駄な訪問をするのは効率が悪い。時間の無駄だというのは考えものです。そう考えている人は失敗の経験が積みあがっていきません。営業能力の向上は、失敗の経験をいかに数多く積み重ねるかにあります。失敗することで成功のためのノウハウを身に着けることができるのです。ローラー作戦は優秀営業マンになるための登竜門となっているのです。さらに考える前に身体を動かすという営業スタイルが習慣化してくると、仕事をさぼることは居心地が悪くなってきます。周りで見ている人が、「そんなことがよくできますね。よく身体がもちますね」と言われてもピンと来なくなる。自分を鼓舞して、無理やり行動しているという気負いがなくなってくるからです。習慣化するということは、仕事がルーティン化しているということです。これはよい習慣だけでなく、悪い習慣も同様なことが起きますので注意が必要です。何も考えずに、同じ時間に、同じ行動が繰り返されるようになっているのです。気負いはありません。あくまでも毎日やるべきことを何も考えないで、淡々とこなしているだけなのです。平凡を積み重ねていくと、非凡な成果を生み出すということを忘れないようにしたいものです。
2024.05.04
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天は一人の人間にいくつもの才能、美点、強み、長所を与えることはない。一つの才能や能力に秀でている者は、往々にして大きな欠点や弱点を抱えているものだ。この言葉は裏を返すと、誰でも最低一つくらいは他人と差別化できる才能や強みや長所を持っているということではないだろうか。ただし、それをきちんと意識している人としていない人がいる。きちんと意識している人は、欠点、弱点、運命、境遇をそのまま受け入れて、自分に与えられている才能、強み、長所を伸ばそうとしている。意識していない人は、欠点、弱点、運命、境遇を目の敵にして失意の人生を送ることになる。私は幸か不幸か神経質性格者として生まれてきました。神経質者はリーダーや指導者として人の上に立って組織を動かすことは苦手です。行動力が旺盛であるとも言えません。問題解決能力が優れているとも言えません。どちらかというと気分本位で、困難なことからすぐに逃げてしまいます。人間関係の調整能力が優れているとも言えません。容姿が特別よいわけでもありません。運動能力もありません。しかし鋭い感受性を持っています。好奇心が旺盛です。分析力、思考力、創造力、創作力、深耕力、原因究明力、粘り強さ、生の欲望は目を見張るものを持っています。ないものをこれから身につけるよりも、すでに持っているもの、あるものを再評価して、伸ばしていくほうが理にかなっているのではないでしょうか。私は感受性、分析力、思考力、文章作成能力などが備わっていることが分かりました。ただそれに気づくのが少々遅すぎた感があります。もう少し早く森田理論の神経質の性格特徴を学習していたならばと思っております。
2024.05.03
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岡野雅行氏のお話です。仕事を長い時間、根詰めていると、物事のとらえ方に拡がりがなくなったり、融通が利かなくなったりするものだ。そうなると発想のパターンが同じになったりして、ひらめきというものが湧き出てこなくなる。忙しいとき、疲れたときでも、おれは、休憩はあまりしない。そういうときは、休むよりも、人と打ち合わせを入れたりするのだ。そうすることで精神的な勢いというか気持ちの張りが維持できるから、仕事の能率は下がらない。もし、仕事から、まったく離れて頭と精神のリズムを完全に止めてしまったら、再び、元のハイスピードのリズムを取り戻すのには時間がかかるものだからね。(試練は乗り越えろ 岡野雅行 KKロングセラーズ 52ページより引用)これは森田理論でいうと、「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にあり」のことです。私もこれを生活の中に積極的に取り入れています。昼間眠くなったときでも、頭を休めて、掃除や草花の手入れなどをしていると、気分転換になります。そして眠気もどこかに飛んでいき、様々なことが片付きます。逆に1時間以上も昼寝をすると、夜の寝つきが悪くなりますし、あとで後悔しますね。岡野氏は仕事を完全に止めてしまうのは、再びハイスビートのリズムを取り戻すのに多くエネルギーを必要とすると言われています。集談会では、症状でつらいときには、「超低空飛行」を心がけるとよいと聞いたことがあります。症状がつらいからといって、全く行動しなくなると、次に行動を起こすにはかなりのエネルギーが必要になります。ですから、仕方なく、ボツボツと日常茶飯事に手を出すことが大切なのです。行動には波がありますから、どん底はいつまでも続きません。どん底の次には波が次第に持ちあがってくるのが世の常です。ただし、完全に行動を中止してしまうと、どん底の下に次の底が口を開けて待っているということになります。つらいときでも必要最低限ことだけは手を出していくことが大事だと思います。
2024.05.02
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学校の黒板を作っているSAKAWAという会社があります。この会社がここ8年間で急成長しました。従来の黒板を作っている限りここまでの成長は望めなかったと思われます。この急成長の原因は学校用プロジェクター「ワイード」の開発にあります。この製品は黒板との相性がとても良い。すでに5000教室に導入している。これからもどんどん拡大が望めます。日本の黒板を大きく変えていく可能性があります。これは天井にあるプロジェクターから黒板に自由に画像が投影できます。先生はあらかじめ必要なことをパソコンなどで作っておいてすぐに投影できます。最初から黒板に書く必要ありません。図形などもあらかじめ作成します。メリットとしては、時間の使い方が格段に効率的になります。空き時間が無くなるので生徒が授業に集中しやすい。また写真などの映像を取り入れることで生徒の興味を引くこともできます。一番の特徴は、黒板に投影された映像上に自由に手書きができることです。映像と手書きのコラボが簡単にできるようになったのです。取り扱い方も簡単にできる。これを導入している先生の評判がよい。この会社は100年以上続いている会社だそうですが、従来の黒板だけを作っている限り成長は望めませんでした。売り上げが伸びない会社では情熱がなくなり、ますます悲観的な気持ちになっていたと思います。最悪廃業せざるを得ない状況に追い込まれていたと思われます。この会社が成功したのは現状を価値批判しないで素直に受け入れたことにあります。森田でいえば「かくあるべし」を押し付けないで、事実をあるがままに認めることができたということです。事実を認めることができるようになると、今の黒板の問題点が見えてきました。2009年以降教育業界では、電子黒板という製品が出回っていました。SAKAWAでも販売していましたが、たいして普及はしませんでした。学校現場では「使い方が難しい」「機材を置くスペースがない」「黒板との相性が悪い」「画面が小さい」等の問題があり、積極的な導入には至りませんでした。SAKAWAでは使い勝手のよい新たなプロジェクターの開発に取り組んだ。プロジェクターは天井に取り付けるものを開発した。つぎに教室では先生や生徒が自由に動き回ります。そのためスペースをとらない、影が映らない、配線ケーブルが邪魔にならない、1M以内で投影できる超短焦点機材の開発が不可欠であった。さらに縦1200㎜、横3000㎜のウルトラワイド16:6というアスペクト比に対応するプロジェクターを作る必要がありました。試作品を教育現場で見てもらったところ、決まったところにしか投影できないのは不便だという意見があった。自由自在に投影場所を移動できるものが欲しいということだった。例えば国語では右から縦に板書するので、投影は左にしてほしい。英語や算数は左から横に板書するので画像投影は右にしてほしい。これらの問題点を改善して2016年ワイードが完成した。この商品は画期的なもので教育現場で歓迎された。そのおかげで傾けかけていた会社が息を吹き返してきた。従業員の仕事に対するモチュベーションが上がってきた。働くことが楽しくなった。社内の人間関係がよくなってきた。さらに世の中で役立つ商品を開発してゆきたいということでした。この話は欠点や弱点を非難・否定するのではなく、そのまま受け入れて、課題や目標を持って生きることがいかに大切であるかを教えてくれています。
2024.05.01
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私はマンションの管理人をしている。階段の掃除をしていたときに気がついたことだが、上から下に向かっているときはゴミがよく見えていない。反対に階段を下から上に移動しているときは、ゴミの有無によく気がつく。階段の掃除のコツは下から上に向かうことが肝心であることがわかった。話は変わるが、大学時代、神奈川県の丹沢で沢登りに夢中になったことがある。10メーターから20メーターの崖を登っていくスポーツである。経験を積んだインストラクターが先に見本を見せて登っていく。そのインストラクターが頂上から命綱を投げてくれる。我々素人はその命綱をしっかりと体に取り付け、ヘルメットかぶって登っていくのだ。気を抜けば落下するので必死に取り組みました。3点確保を心がけて目の前のことに集中しているときには、ほとんど恐怖は感じなかった。ところがある時、余裕が出てきて、今登ってきたところを見下ろしたとき恐怖心が沸き起こってきた。頭が真っ白になり、金縛りにあったようになって、手や足の震えが止まらなくなった。ヨーロッパのアイガーの北壁を登る人をテレビで見たことがある。これも視線は目の前とこの先くさびを打ち込むところを見つめていた。決して地上や下に目を移さないようにすることが成功へのコツなのだなと思いました。会社などでは、部下は割と正確に上司のことを見ています。それを部下同士で共有しています。反対に上司は見ているつもりでも、部下のことがよく見えていないことが多い。大雑把です。さらに、つい人から聞いた噂話を信じてしまう。親もそうだ。親は子供のことを何でも知っていると思っているが、案外そうでもない。それ以上に、子供は親の事をよく見ていると思う。しぐさや行動や考え方に至るまで全て親に似てくるのは、観察の賜物であると思う。森田理論では上から下目線で現実や現状や事実を見下ろす態度は「かくあるべし」の押しつけにつながると学びました。葛藤や苦悩を抱えて神経症の発症につながります。反対に現状や事実から課題や目標を見上げるようになればやる気が生まれてきます。行動に弾みがついて益々行動的になります。これは森田理論では「生の欲望の発揮」といいます。「上から下目線ではなく、下から上目線でものごとを見る」という生活態度を身に着けることを森田では目指しています。その具体的な方法はこのブログで取り上げていますが10個ぐらいあります。観念重視で事実を見下ろすのではなく、事実から目標や課題を見上げるという態度を是非とも身に着けてゆきたいものです。
2024.04.30
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アメリカでは、結婚する前に「プリナップ」と呼ばれる婚前契約を交わしてはじめて結婚するのが普通だそうだ。2019年2月16日の中国新聞によると、歌手のSILVAさん(43)は、 2015年に現在の夫である男性会社員と結婚した。そのときに34項目の婚前契約書を作成し、公正証書にしたという。2人ともいちど離婚した経験がある。「しっかりと決め事をせず、前の離婚のときにはもめてしまった。せっかく再婚するなら、失敗したくないという思いが強かった」そうだ。これによると、仕事、家事・育児の分担から、ギャンブルや浮気・借金の禁止、離婚時の親権や養育費まで多岐にわたる。その一部を見てみると、次のようなものがある。子供の学校行事は2人で出席する。趣味に2万円以上の支出をする場合は事前に相談する。外での飲酒は週2回までとする。暴力、不貞行為での離婚は、慰謝料を支払う。その場合親権は放棄する。毎年元日には契約内容をお互いに確認する。「帰宅時間を毎日連絡し、速やかに返信する」という項目は、災害時のことを考えた相手の要望で盛り込んだ。共働きであることを考慮し、義理の親の介護は「自発的に行い、強要はしない」ことにした。この契約書は一緒に作ったので、 「言った、言わない」の喧嘩にはならない。お互いに責任を持ち、尊重しあえる夫婦になれたそうだ。夫婦は結婚するまではお互いに見ず知らずの他人である。育ってきた環境や境遇も違う。性別も違うし、性格も異なる。その2人が結婚して、 1つ屋根の下で協力し合いながら一生涯生活を共にすることになる。そんな2人が子供を設けて、自立するまで育て上げるという共同作業も待っている。一方が相手を無理矢理コントロールするようなことがあってはならない。どんな些細な事でも、お互いの関係は平等であるべきだ。ののしり合いや暴力で解決するのではなく、お互いに妥協案を探るという姿勢が大事になる。すり合わせなしで、なし崩し的に結婚すると衝突することになります。現在は3組に1組は離婚しているそうです。離婚すると生活に支障をきたし、子どもにも大きな悪影響を与えます。SILVAさんのようにお互い十分に話し合いをして納得することはとても大事になります。その中でも最も重要なことは、お互いの考え方や行動が衝突したときにどのように解決するのかをしっかりと取り決めしておくことです。
2024.04.29
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東京の下町の金属加工の社長の岡野雅行氏は、従来の常識では不可能とされた金属加工を次々と成功させて、「神の手を持つ男」「不可能を可能にする男」と評された。ニューズウィーク誌では、「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた。岡野雅行氏は情報収集能力がないと、会社の将来のかじ取りを誤ることになると言われています。例えば、「あの企業は海外に工場を出す準備を進めていて、3年後には大幅な値引きを要求してくるだろう」「あそこの企業は10年先を見すえて、こういう技術を求めている。それを開発したら、いくら高価でも買う用意があるらしい」「あの業界では、この技術は10年後には陳腐化することが見えているらしい。もうこの商売は見切り時だ」こういう情報は自分一人でいくら考えていても、出てこない。こういう情報はどこから出てくるのか。まず、大企業の第一線にいる人たちが持っている。技術がどんな方向に進んでいるのか、最新の素材開発はどんな段階なのか。また大企業の切実な悩みなども入ってくる。次に同業他社と付き合いのある仲間からの情報である。だから普段から密な付き合いをしておくことだ。さらに岡野氏は、開発で壁にぶち当たったとき、いつも、場違いな人とたくさん話をすることにしている。饅頭屋のおやじとか、時計屋のオヤジとか、樽屋の親父とか・・・。同業者じゃない人と話をするのだ。これって無駄話のようで、実は、知恵の蓄積になるのだ。「こうやって、樽はつくるのだな」っていう具合にね。ほんとうに貴重な情報というのは、あらたまった場で出てくることはまずない。遊んだり、飲んだり食べたり、ワイワイガヤガヤやっているときに突然出てくる。だから曲がりなりにも会社経営をしている人は、いろんな人と幅広く付き合って、情報収集を怠らないようにしなければいけない。自分の頭の中でいくら試行錯誤を繰り返しても、変化には対応できないのだ。岡野氏は森田理論の不即不離の人間関係のことを言われています。コップに一杯入った人間関係を5つぐらいというのではなく、コップに少しだけしか入っていない人間関係をたくさん作り上げるということです。必要なときに必要に応じて必要な範囲で付き合うということです。この人間関係作りを心がけていると、人間関係でトラブルが発生しても破滅することはありません。具体的には、会社の人間関係だけではなく、集談会の人間関係、趣味の会の人間関係、町内会の人間関係、子どもを通じての人間関係、同級生やOB会の人間関係も大事にすることです。役に立つ様々な情報が手に入るだけではなく、トラブルに巻き込まれた時多くの相談相手がいるので一安心です。奈良県 長谷寺
2024.04.28
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体の中ではがん細胞が毎日3000個ぐらいはできているという。免疫力という対抗手段が弱まると、がん細胞はどんどん増殖していく。実際には、ナチュラルキラー細胞が、日夜がん細胞に立ち向かって闘いを挑んでいる。何もしないでがん細胞を放置しているといずれ死を招く。私たちの身体は、白血球という軍隊を持っているようなものだ。白血球が日々緊張感を持って、ガン細胞と戦っているのが真実だ。ここでは勝つか負けるかしか選択肢はない。免疫力が弱くなると、ガンとの戦いに負けて命が絶たれてしまう。ここで大切なことは、私たちは意識していないが、白血球とガン細胞は日夜命をかけて戦い続けているということだ。絶えず緊張感を持って戦っている。これが自然界における真実だ。私たちは白血球が働きやすい環境を整えてあげることが重要になります。人間は元々強いものが弱い者に闘いを仕掛けて征服して支配したいという欲望が存在しているのかもしれない。最初は自己保存欲求から始めた戦いであったものが、相手を征服して、相手や相手の所有物を自分のものにしたいという欲望が暴走してしまうのだ。それに対抗する力を普段から鍛えて身に着けておくことは大事になります。そうしないと、すぐに相手に征服されて支配されるようなことになります。ある程度、相手と対等な立場で話し合いに臨むという姿勢が大切になります。譲ったり、譲られたりする中で、なんとか最悪の状態を回避しながら、お互いが生き延びていく道を探っていくことが肝心です。それぞれに意志を持った人間が一緒に生活している限り利害の衝突は必ず発生する。そういう前提に立って支配―被支配の関係に陥らないように緊張感を維持して生活することが肝心です。アドラーの言う縦の人間関係ではなく、対等な横の人間関係を作り上げて、それを維持していく必要があります。人間の場合は武力の行使ではなく、話し合い、交渉が必要になります。なかなか自分の思いどおりにはいかないでしょう。それでも話し合い、交渉が必要になります。妥協し、譲ったり譲られたりの人間関係を目指している限り他人に一方的にコントロールされることはなくなります。また自分も相手を意のままにコントロールしようとは考えなくなります。人間関係は絶えず緊張感を持って調和を心がけていくことが重要になります。
2024.04.27
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次のようなことで苦しんでいる人はいらっしゃいませんか。過去の自分がしでかした不祥事を後悔している。過去のミスや失敗をいつまでも引きずっている。他人に不義理、迷惑をかけてかけたことを後悔している。対人関係で相手にいつも気まずい思いをさせてきたと思っている。気分本位で仕事をさぼっていた。寄生虫のような仕事ぶりだったと思っている。子育てで失敗したと思っている。自分の周りには敵ばかりだと思っている。自分の人生は後悔ばかりだと思っている。過去のミスや失敗、恥ずかしいこと、不義理、不祥事などが夢にでてくる。毎日苦しい思いをしている。こんな気持ちが死ぬまで続くのだろうか。そのうち重大な身心の病気を抱えることになってしまうのではないか。長生きすればするほど後悔することはどんどん増えてきます。苦しくて仕方がないという人は、次のように考えたらいかがでしょうか。過去の過ちを否定・後悔しても一文の得にもならない。それよりも、貴重な経験として大事に取り扱うことにする。これからはできるだけ同じ過ちを犯さないように心がける。そして他山の石として他人に情報を開示する。「私と同じような間違いは起こさないでくださいね」と教えてあげる。こういう気持ちで生活すれば、自己否定がなくなります。後悔することが少なくなり、100文の得になる。後悔するということは、上から下目線で自分をいじめていることです。最前線でなんとか踏ん張っている自分を後ろから脅しているようなものです。他人から後ろ指を指されることはどうすることもできません。でも自分で自分を否定することはやめた方がいいと思います。自分を守る最後の砦は自分自身です。かけがいのない自分を最後まで守り抜く。自分は自分の最大の味方になる。そのためには後悔することはやめて、反省することに切り替える。今まで後悔していたことを反面教師として次に活かすことを考えるようにしましょう。
2024.04.26
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藤井英雄先生のお話です。ネガティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%弱くなり、ポジティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%強くなると仮定します。90回のネガティブな言葉を口にすることで、100の自己肯定感は40(0.99×90乗=0.4)に減少します。365回後には、(0.99×365乗=0.03)100から3になります。90回のポジティブ言葉を口にすると、自己肯定感は100から245(1.01×90乗=2.45)に増加します。365回後には、(1.01×365乗=37.5)100から3750へと膨れ上がります。(「平常心」と「不動心」の鍛え方 藤井英雄 同文館出版参照)普段の生活の中でネガティブな言葉を使っている場合が多いように思います。私は自分のカラオケをビデオ撮影したことがありました。最後に歌唱力の採点が発表されるのですが、そのときいつも否定的な言葉を発していた。「ああ、ダメだ」「悪すぎる」「最低だ」というような言葉です。このような否定的な言葉を聞かされた友達はイヤになったのではないかと思いました。私が反対の立場だったら、否定語を連発するような人と付き合うとこちらまで滅入ってしまう。否定語を使うことが多い人は、それが習慣となっていて、物事の良し悪しを判断するときに、ほぼ毎回ネガティブ、悲観的、否定的な言葉をしゃべっている場合が多いように思います。始末が悪いことに、そのことに自分では全く気付いていない。無自覚なのです。これを無知の知といいます。これは大きな問題です。ネガティブな言葉はすぐに取り消して、ポジティブな言葉に置き換えないと自己肯定感が持てなくなり、自己否定感が猛威を振るうようになります。否定語は、「ダメだ」「悪い」「最低だ」以外にもいろいろあります。「限界だ」「無理だ」「能力がない」「耐えられない」「我慢できない」「もう打つ手がない」「救いようがない」「難しすぎる」「厳しすぎる」「運がない」「ついてない」「あきらめるしかない」などがあります。肯定語もあげておきましょう。「すばらしい」「うれしい」「楽しい」「順調だ」「この調子だ」「がんばっている」「信頼しているよ」「申し分ない」「最高だ」「これでいいのだ」「助かった」「ありがたい」「感謝、感激、感動した」「やればできる」「この次はきっと大丈夫だ」「成功するまであきらめないぞ」「またチャンスはやってくる」「たいしたもんだ」「問題や課題が分かっただけで成功だ」「失敗は成功の糧になる」「ここは是非とも改善してみよう」「あきらめるには早すぎるぞ」「家族のためにも頑張るぞ」「英気を養って出直そう」「いいところもあった」「神様は乗り越えられない課題は与えない」「ここを乗り越えれば自信になるぞ」「自分ならきっとできるはず」「運命を切り開いて、ツキを呼び込むぞ」
2024.04.25
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先日テレビを見ていると日本人で仕事に対してやりがいのある人は5%しかいないということでした。後の95%の人は生活費を稼ぐためにイヤイヤ仕事をしている。高額な宝くじが当たればすぐに仕事はやめたい気持ちなのでしょう。欧米では仕事が苦痛だという人は50%くらいだという。その原因は次のようなものでした。ノルマがきつい。成果主義についていけない。物が売れない。仕事を教えてもらえない。上司が恐い。仕事が多すぎる。休んだときに代わりの人がいない。仕事が単調である。サービス残業が多い。有給休暇が自由に取れない。職場の人間関係作りが煩わしい。通勤時間が長い。給料が安い。いつリストラされるのか不安。社会保険に入れない。とくかくやる気が出てこない。無理やりやらされているような気持が強い。しんどい、きつい、面倒くさいが口癖になっている。どんな気持ちで仕事に取り組めばよいのか、さらに日常生活の心構えについて整理してみました。下線部分は私が特に力を入れている部分です。・仕事をするにあたっては生活費を稼ぐという目的をしっかりさせる。人間関係が良いに越したことはないが、人間関係作りを一番の目的にしない。・仕事をしているときは、問題、課題、改善点、改良点を見つけようという気持ちで取り組む。見つけたらメモして忘れないようにする。目的や目標が明確になれば仕事が面白くなる。・雑仕事を丁寧にする。仕事に追い掛け回されることが減ってくる。仕事にゆとりが出てくる。・職場の人間関係は不即不離を応用する。広くて浅い人間関係を目指す。挨拶、雑談は人間関係の潤滑油と心得て行動する。・仕事のルーティンワークを確立して、考えなくても体が動くようにする。・統率力のない人は、出世は望まない。マネージメントの仕事は極力断る。・仕事以外の人たちとの人間関係作りにも力を入れる。運動や趣味や資格試験などにも挑戦する。・子どもがいる人は子育ての勉強会に参加する。家庭での自分の役割をきちんと果たす。食事は自分で作る。・集談会の人間関係は大事にする。月1回の集談会には参加する。その他リモートの勉強会などにも参加してみる。・規則正しい生活習慣を作る。起床時間と就寝時間を決めて頑なに守っていく。・集談会や自治会での世話活動を引き受ける。花やペットの世話を行う。
2024.04.24
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結婚相手を選ぶ時、性格が似通った人を選ぶのか、あるいは性格が違う人を選ぶのか、悩ましい問題です。集談会で知り合って結婚した人を何組も見てきました。集談会というのは、神経質性格者がほとんどである。同じような性格・気質の人同士が一緒になれば、素敵な家庭を築くことができそうに思えます。森田先生は神経質同士の結婚は考えものだと言われている。神経質者同士は、お互いに心持がよく分かり、心の底まで見通しているから、お互いにその欠点を挙げあって、相手にばかりそれを改良させようとする。グジグジといつまでも言い争いをする。およそ、結婚は気質の違った人同士が、うまく組み合わされるほうがよい。神経質な人は、気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。結婚について最も大事なことは「調和」ということです。森田先生の言われていることは果たして本当なのでしょうか。異質な性格特徴を持った人同士が結婚すると、磁石でいえばプラスとマイナスが引き合うような関係になることが考えられます。何十年という単位でみると、自分にない面で相手に助けてもらい、相手の持っていない面で相手を助けるという関係になることが考えられます。1+1が2ではなく、3にも4にもなるという可能性があるということです。相手の気になる部分を包容力を持って受け入れることができれば、確かにかけがいのない夫婦になることはできかも知れません。さて同じ神経質性格といっても、強迫神経症タイプの人と不安神経症タイプの人はかなり違うように思います。それは人間関係の面において顕著です。不安タイプの人は配偶者や家族をとても大事にする。一般的には陽気で明るく、他人の気持ちを思いやることができます。私は以前大阪に単身赴任していました。友人で不安タイプの方は金曜日になるとすぐに帰省していました。家族に会うことを指折り数えて待っているのです。強迫神経症タイプの私は、休みになると関西の観光地を巡り歩くことを楽しみにしていました。逆に家内のほうが大阪に遊びに来るようなことがありました。強迫神経症タイプの人は、一人でも生きていけるタイプかも知れません。自立心が旺盛です。逆にいえば自己中心的な面が強い。結果的に他人の気持ちを思いやることは苦手です。プライドが高く、人を傷つけることを平気で口にすることがあります。反対に自分が他人に傷つけられることについてはとても敏感です。他人から評価され、一目置かれることに大きな喜びを感じる人です。自己中心的なために、やり過ぎになることが多々起きます。もし集談会で知り合って結婚する場合は、不安タイプと強迫タイプの組み合わせがよいように思います。強迫神経症タイプ同士の場合は、よほど注意する必要があります。一緒になって落ち込んでしまっては、機能不全家族になってしまうからです。奈良県 長谷寺本堂
2024.04.23
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相手の言動に腹を立てて「無言電話」をかける人がいるそうだ。無言電話を受ける人の対応は次の5つのパターンに分かれる。「怒って対応する」 「冷静に答える」 「優しい言葉をかける」 「黙ってすぐ切る」 「怯える」無言電話をかけている人からすると、相手が怒って対応すると、すごく愉快になるという。次に相手が怯えるというのも、相手が怒る以上に愉快になるという。陰湿ないじめやイヤがらせに対して、受け手が怒りや恐怖で反応すると、無言電話をかける人はどんどんエスカレートしてくるという。「無言電話はやめてください」 「どなたですか」と強く言われると、相手が感情的になってイライラしていることが分かりとたんに嬉しくなる。一方無言電話をかけてむなしくなるのは、何度電話をかけても相手が感情的に反応しない。自分の無言電話が相手に何の影響も与えていない。気にもかけていないのだと思うとむなしくなる。特に相手から幸せというか、満ち足りた日常感が伝わってくると、寂しくて辛くなる。電話をするたびに、自分の孤独感が感じられて無言電話はやめてしまうという。(もう、他人にふりまわされない 石原加受子 大和出版)この本は2つのことを教えてくれています。一つは、不安や不快感に対しての対応方法を教えてくれています。不安や不快感に対して怯えて逃げ回っていると、不安や不快感は格好の獲物が見つかったと喜ぶことになるということです。逆に不安や不快感が湧き上がってくるのは生きている限り避けることはできないものだから、それらを抱えたまま目の前のなすべきことに取り組むようにする。こうなりますと、不安や不快感の方は相手をしてもらえないので、意気消沈してしまうのです。この人と付き合ってもよいことは何も起きないと判断して逃げていくようになります。このことを森田では「あるがまま」といいます。つぎに、相手の存在を無視してしまうと逆に自分が孤立してしまうということです。相手のことを無視してはいけない。仲間外れにしてもいけない。相手のことをからかったりしないことです。相手の存在を認める。適材適所で活躍の場、居場所を与える。雑談の場は人間関係の潤滑油と心得てその輪の中に入る。相手が気分を悪くするようなことは、たとえそれが本当のことであっても決して口にしないようにする。笑顔で挨拶をする。相手の話を聞く時は、やりかけの仕事を中断して正対して聞く。これらを心がけるだけで、イソップ物語の北風とマントのようなことが起きてしまうのです。
2024.04.22
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前はガンの告知をしない場合があった。本人が意気消沈してがんの進行を早めてしまうことを恐れていたのである。しかし事実を隠し通そうとするといろんな面で弊害が出てくる。告知時期は十分に考慮されなければならないが、事実を隠蔽することは論外である。今日はその弊害をみていきたい。まず闘病上の問題がある。ガンになったことを本人は知っていると、自分の意志で納得いく治療を選択できます。もし本人に病名を知らせないと、ガンの最高の治療が出来る病院に行きたくても、本人にガンの専門病院だとわかってしまうので連れていけない。また、飲まなければいけない薬があるにもかかわらず飲まない。検査もなかなか受けない。手術や特殊な治療もなかなか取り組もうとしない。その他、食事とか睡眠、運動など生活の中でしなければならない闘病に真剣に取り組まない。ガンを告知しないと、家族は言葉の端々で、本人に病名は知られてしまうのではないかと1日中ビクビクしている。家族のエネルギーの半分ぐらいは、 病名を隠すことに注がれてしまう。病名を知っていれば、家族が心を合わせ、自由に話し合って闘病に取り込めるので、家族のストレスも減ってくる。次に実生活上の問題がある。病名をきちんと告知していれば、もしもの場合に備えて、今なすべき準備をすることができる。例えば、遺書を書いておくとか、仕事上の引き継ぎとか、遺産の分配とか、ローンや保険を整理しておく。身の回りの不要なものも処分しておくことができる。また、生きている間に、ぜひともやりたいことを実行するチャンスが得られる。ガンの告知をしないと、やりたいと思うことも退院してからでもよいと安易に考えて、うかうかと毎日を過ごしてしまう。そのうち病状はどんどん悪くなる。退院もできない。結局亡くなる間際になって後悔することになる。次に、本人の知る権利を奪ってしまうという問題である。自分の人生の中の最大の問題を本人に告知しないで済まされるのであろうか。最後に、ガンに対する対応方法である。ガンに向き合う気持ちが違ってくる。自分がガンに侵されていることを知ってショックを受ける面は確かにある。しかし反面ガンに冒されていることを知って、ガン克服のために懸命に頑張ろうと決意する人もいる。そのようなファイティング・スピリットでガンに立ち向かった人の生存率はかなり高まることが分かっている。さらにガンになったことによって、今までの生き方を考え直す契機にする人もいる。(生きがい療法でガンに克つ 伊丹仁朗 講談社 )
2024.04.21
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