2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全2件 (2件中 1-2件目)
1
「笑みを絶やさないことの大切さ」 自動車メーカーのテレビコマーシャルにその車のフロントフェースが笑顔に見えるからかもしれませんが、「ゴリラは子どもの時は笑うけど、大人になれば笑わない。笑うのは人間だけ、人生を楽しまなくっちゃ」というような内容の広告を見たことがあります。 内容の真偽のほどは別に置いておいても、その広告を見るとやはり自然に笑みがこぼれてしまう自分があります。古来から笑うことは健康の秘訣とも言われ、映画「パッチ・アダムス」は笑うことを通して病気の治療の一助になっているというような内容であったと記憶しています。 作り笑いとほんとの笑いに効果の違いがあるのかということも自分に検証するすべを今は持ち合わせていませんが、笑いが色々な効用を持つことはどことなく理解できるような気がします。よく窮地に達したとき「笑うしかしゃーない」と言ったりもしますが、どん底から光明を見つけるにはそのような行動に出るのかもしれないと思います。 笑うことは「正のエネルギーの発散」、脳を活性化する原動力ではないかと思います。笑みを絶やさないことは自分の行動を見つめなおしていくためには必要なことではないかと特に最近強く感じています。 しかしいつも笑っていられる場面はなかなか正直なところ、訪れてはくれません。しかしほんのわずかな機会に訪れてくれたチャンスで笑みを絶やさずにいられたら、それもまた「良し」かもしれないとも思います。 自然にこぼれる笑み、それは安堵感から出る笑み、喜びを表現する笑みと意識して作り笑いとは本質的には違いがあるのかもしれませんが、やはり笑うこと、笑みを絶やさないことが元気の源かもしれません。
2009.08.25
コメント(0)
○ 自分の立っている位置を再確認してみましょう ☆ 自分だけで生きている、成長しているのではなく、周りから生かされているという自分を意識しようということは灰谷健次郎氏の作品にもたくさん登場します。自分を支えるたくさんのいのち(生命)があってこそ、自分の存在があるのだということを作品を読むたびに教えられ、他のいのち(生命)と共に生きることの大切さをたくさん学んできたつもりです。 しかし自分自身の「生きざまは、取り組みは」というとなかなかそこに行き着くことは難しいということが現状です。しかし、他のいのちと共に生きているということを意識することを辞めてしまえば、自分の存在意義がなくなってしまいそうな気がして、無理やりでもしがみついているのではないかと思うこともあります。 生かされているという意識まで高められなくても、ともに生きてる、成長している、ともに学んでいるという意識を共有できる実践活動がたくさんあれば、周囲を否定することなしに、生きていけるのだろうと思います。自分自身の存在が周囲に与える影響、生きているということだけであっても、何らかの役に立っているということは少なくないはずですが、なかなか自分は「どうせ自分が」とか、「自分が話したところで」とか、その与えている大きさを自分でも反省しなければいけないのですが過小評価しがちです。 しかし自分を取り巻いてくれている人々を意識したときに、自分に与えてくれている影響の大きさを強く感じますから、逆を考えれば手前みそになるのかもしれないですが、自分を包み込んでくれているみなさんへも何らかの影響をもたらしているのだろうと思っています。 色々な場面において、色々なことに正面から向き合い、真剣に討論できる、議論できる関係が構築されてきたとするならば、ともに成長し、お互いに役に立っている、支え合っているという意識が芽生えてくるのではないかと思います。すなわちその時に自分の立つ位置が再認識されるのではないかと思います。その立つ位置はつねに同じ高さであるべきだろうとも思います。
2009.08.24
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1

![]()
![]()