1月
2月
3月
4月
5月
6月
全7件 (7件中 1-7件目)
1
いきなりですが、結論です。掃除を一切しない、出来ない人間が、この世には存在する。それでも許せるのは相手に愛情がある場合だけ。つまりですね、愛情のない相手とは一緒に暮らしてはいけないんです。掃除は労働です。一方的に労働力を搾取されても文句を言わないのは、子供を育てる母親とか、くらいじゃないでしょうか?掃除が出来ない人は、誰かから愛してもらうしかキレイに暮らす方法はないのでないでしょうか?ゴミ屋敷とか形成する人は、誰からも愛されなくなってしまった結果の姿かもしれません。愛情がもらえない場合は、お金で解決するしかありません。ゴミ屋敷を行政や地域の人がなんとかしてあげるのは、無理やり愛情をかけてもらう行為であり、お金をかけさせる行為。自分の家がまともな姿に戻った瞬間は、愛を感じるんでしょうね~。まともな人は、掃除のプロをやとえばよろしい。愛か、金か。掃除は、そこにかかっている。求人情報誌などでは、掃除の仕事は山ほど募集している。賃金が低くて労働きついから、あまりやりたい人がいないのだろう。お金がよければ、みんなやると思うけどね。掃除好きな人なんて、本当はいないんだよ。「お掃除好きのあなたにピッタリ」なんて言われても、愛する理由がなければ、掃除なんかしないんだよ。(もしくはお金ですかね)掃除が好き、ってことは、愛することが好き、ってことなんだと思うよ。みんな自分を愛しているから、自分のために掃除する。だけど、愛してもいない人のために掃除するのは、たんなる労働提供でしかないから、報酬がないとやらないよね。安い報酬では、やりたくない。みんな愛を安売りするのは、イヤなわけですよ。私の同居人は、私が掃除するしかない状況をわざと作って、掃除という労働を逃れた。わざとではないにしても、自分が一切やらないで私ばかりが掃除している状況を理解していたのに問題にしなかった。私は問題にして議題にあげようかとも思ったが、掃除したくない人間は、あの手この手、ああ言えばこう言うという具合に、抵抗するだろう。逆ギレもありえる。例のバイト先の掃除しない人々の事を思えば、絶対にやらない立場を貫こうとするだろうと予測できたので、私は諦めた。揉め事は嫌いだ。だからこの件で相手に直接抗議したことはない。別件で、何か少しでも指摘を受けると過剰に反応する(異常なくらい)人であると知っていたからでもある。そうやって生きてきた人が、ちょっと注意されたくらい変われるものではない。逆ギレは面倒くさい。そもそも、そんなに親しい友人ではなかったのに一緒に住んだのが間違いだったかもしれない。やってみたからわかることだけど。その家を出て、一人暮らしに戻ったら、なんと快適なこと!気分爽快であった。この先、ずっと独りで暮らしたい。お屋敷じゃなくていい。1DKとか2Kとかで充分だ。NO MORE 豪邸。でかい家は、掃除が大変よ。いや、ほんと。
2014年10月24日
コメント(0)
続きです。広いマンションの持ち主、友達であり家主。年齢は、私と1つ違い。つまりたいして変わらない。同居して、最初の頃は、彼女も掃除していたんだよね。広いリビングに掃除機かけたり。頻度は少なかったけど、その行動に「自分もやらなくちゃ」っていう姿勢が見て取れた。2階にあがる階段とか、2階の廊下とか、2階の部屋は、自分の部屋もあるから、たまに掃除機を持っていって、自室のついでにやってたみたい。ちなみに階段も廊下もじゅうたん張りです。でも、そのうち、まったく掃除機をかけなくなったね。そもそも、掃除機が壊れていたんだ。私が移り住んで来た時、その家にあった掃除機は、小さくてパワーの弱い掃除機で、ゴミのたまる袋の部分を収納するところにあるフタが壊れていて、フタを閉めきらない状態で掃除機かけるしかなかった。じゅうたんはミッシリと毛足が長いのに、しかも猫の毛がそこらじゅうにからんでるのにこんなヘナチョコな掃除機で吸えるわけない。掃除機かけても、なんだか手ごたえがないので、自分が持ってきた重厚な掃除機を使うことにした。「こっちを使ったほうがいいよ」と伝えたんだが、彼女は、絶対に私のものを使おうとはせず、ヘナチョコ掃除機を使った。私の掃除機は2階に収納していたんだけど、しょうがないのでエッチラオッチラと1階に運んでは掃除していた。ヘナチョコは、本当にダメダメなので、そういう労力をかけても重厚掃除機で掃除したほうが格段によかったのだ。使っていい、と再三言っても、彼女は頑なに、自分のヘナチョコを使う。だから「あぁ、今日はめずらしく掃除してるな」と掃除機の音で彼女が掃除したことを知っても、その後リビングに行くと、たいして掃除されてはいなかったのだ。パワーが弱くて吸い切れてないし、そもそも、隅々まで掃除機をかけていない。部屋の真ん中あたりのやりやすいところをササッと掃除しただけなので、まったくもって不十分であった。どうして隅々までやらないのだろう?私は隅々まで掃除するので、やらない意図がわからない。結局、面倒くさいからやらないのかな、と思う。じゃあ、誰がやるのさ。そのうちにヘナチョコ掃除機がついにお陀仏になった。彼女は、結婚式かなんかの引き出物カタログにあった掃除機にチェックを入れた。家に新しい掃除機が来た。近所のデパートで3980円で売られている縦型の掃除機だった。いくら年月が経っていてボロボロとはいえ、毛足の長い高級じゅうたんが敷き詰めてあるんだぞ、この家には。猫も居るんだぞ。そんな掃除機で事が足りるはずがない。とりあえず見えるゴミは吸うけどね。新しいしね。でもヘッドが本体にくっついているから、家具の下にもぐりこませることができない。ねぇ、その家具の下の部分、どうするの?掃除機かけられないじゃん。隙間的な部分もヘッドが入らないから掃除機かけられない。なんで、この掃除機で良いと思ったんだ?階段の掃除とかまったく向いてない形状じゃないか。そもそも掃除を重要視していない、そして掃除の知識がない。掃除に関してはアホなのだな、と理解するしかない。あまりにお嬢様育ちだから、掃除するってことがそもそもわからないのかもしれない。そう考えないとやってられない。私だけが広い共有部分掃除をさせられている状況であった。でもやっぱり、だんだんと腹が立ってきたのでありました。ちなみに、彼女が階段に掃除機をかけたことは、5年間の間、一度もありませんでした。つづく
2014年10月17日
コメント(0)
前回は、アルバイト先の掃除しない人々(全員w)の事をお伝えしました。掃除をしない理由は、本人もよくわかってないケースが多いようだけど、客観的に分析すると、自分の価値と掃除という仕事の重要度を天秤にかけて自分を大切にしてるから、掃除したくない意思を貫いているだけなんだと思われます。それも無意識に。3人しかいない職場では、3人ともが、自分勝手にふるまっていたので、誰も掃除しなくてもどこからも文句も叱責もこなかった。自分が好き放題してることを自覚してるから、相手のことも責めたりしないので、結果、誰も掃除しない環境になってた。ある意味、もちつもたれつ、か。私だけが異分子だったので掃除したってわけ。今回は、5年ほど一緒に暮らした友人の事を。いわゆるお嬢様育ち、資産家の娘さんで事業を継いで一人で頑張ってる人です。自分の所有するマンションは、部屋が余ってるから住んでもよいと言ってくれたので、引越したかった私はその話に乗りました。広い家でした。20畳くらいありそうなリビング、部屋は4つあり、洗濯部屋と物置、屋根裏もあった。で、そのうちの1部屋を間借りしたんだが、他の部分は共有になるわけで、わりと自由に使わせてもらってはいた。住人は、彼女と私と猫2匹だけ。ここまでの情報だととても「いい感じ」に思えるだろうが、どっこい、この物件は、相当に古かった。壁紙は布張りだが、長年の汚れを吸着して黄ばみ、天井からはホコリのつららが垂れている。猫が子猫だったころにビリビリに引き裂いた外国製のどっしりとしたカーテンは、もとの色合いがずっしりと黒ずんだ重みをたたえ、数十年の年月を物語っていた。汚れた壁にはすすけたような油絵が掛けられている。今は亡くなった彼女の家族が集めた世界のみやげ物や、昭和の頃には価値があったかもしれない置物とか、使うあてもなく並べられた花瓶たちとか、いかんともしがたいモノたちが、重厚なサイドボードや棚に並べられ、ホコリをかぶっていた。ソファも壁も猫に爪とぎにされてボロボロ。全体的にオドロオドロしい屋敷になっていた。床がまた高級なじゅうたんをしきつめてあり、リビングも階段もどこもかしこもじゅうたんで、木の床ってものはなく、キッチンと洗濯部屋だけがビニール床。浴室・トイレは総タイル張り。節電のため照明がいくつか省かれており、電気をつけても、薄暗い。じゅうたんも数十年の汚れが染み付いていて、何かをこぼした跡や猫のゲロがつくったシミがびっしりとあり、普通の人なら確実に引く。住んでもいいよと言われて、何度か訪問して、かつて廃墟に住んだこともある自分なら大丈夫だろうと住む事を決めた。自分のための部屋だけは、壁紙とじゅうたんを張り替えてくれるという申し出もあり、ならば良いかと。広い家に住んでみたかったしね。でも、この同居人が、掃除しない(できない)人だった。予想を超えてダメダメだったのはイタかったなー。つづく
2014年10月13日
コメント(0)
自分にとって優先順位が高いことを決めていても、ついやってしまうのは優先順位の低い行動である。これはどうして起こるのか。例えば仕事をしなければならないのに、ついゲームをして時間を潰してしまう、など。ゲームは優先順位が低い事柄である。時間は勝手に増やせないので、どうでもいいことに時間を使ってしまうのは愚かである。わかっていてやってしまうのは、なぜか。ひとつは簡単だからである。手を出しやすい。クリックひとつで考えることなくできる。これはゲームや暇つぶし産業が、できるだけ簡単に手を出せるように仕組んでいるせいもある。やらなきゃいけない仕事は、準備が必要だったり、考えたりまとめたりそれなりに疲労が伴うものなので、要するに楽なほうを選びたがる怠け心なのだ。もうひとつは、その優先順位の高いと思われている事柄が、本当に優先されるべき事柄なのか心に迷いがあるからだ。もしかしたら、別のことをすべきなんじゃないか?という疑念がぬぐいきれない。だが、決定的な判断材料もない。これが大事なことだと決めている理由の大半は、世の中の基準に従ってのことであって、本当に自分にとって大事なのかどうか、迷うのである。この迷いは、100%個人的な迷いであり悩みである。他人に相談しても仕方がない。ある意味、世の中の基準に抗おうとしているのだから。賛成される確立は低い。だけど、自分はこだわっている。そしてこだわっている自分について、また悩むのである。自分は、正しい判断ができるのか?もうそこからしてわからない感じになってくると、とりあえず何でも保留になってしまう。自分を信じるというのは、案外難しいことなのだ。これがアートや趣味のことであれば何も悩まないが、仕事になると社会とのかかわりが重要だから自分勝手にしていればいいというものでもない。世の中にある程度あわせないと成り立たない。だから世の中にあわせて自分をはめていくことを優先するわけだが、その世の中が自分を必要としていない状態に近いので、果たしてそんな世の中に迎合することは、ばかばかしい行為ではないか?などとも考えてしまうのである。そしてすべてを保留にして、簡単にできるどうでもいいことをやってみたりするのである。気が付くと時間が経っていて、こんなことではいけないと思い直して優先順位の高いことをやろうとするのだが、また上記の考えが浮かんで悩んでしまい、立ち止まってしまう。この繰り返し。新品本のバーゲンブックです(古本・中古本ではありません)《バーゲンブック》HUBBLE-ハッブ...
2014年10月05日
コメント(0)
とりあえず「なんじゃそりゃ?!」って思った「掃除をしない人々」について、軽く書いてみようと思う。ある時期、私は、昔からある街の商店でアルバイトをしていた。産休で休んでいる社員のかわりに、期間限定で手伝って欲しいということで、引き受けたのだった。店長とアルバイトと私の3人。全員、年齢も同じくらい。「ゆる~い感じで仕事できるよ~」という誘い文句の通り、お客さんがあまり来ないので、全体的にヒマが続くゆる~い職場だった。ヒマなので、午前中にやってくるヤクルトレディとお話したり、アルバイト同士でどうでもいいおしゃべりをしたり、お客さんとバカ話をしたりして、とても楽しく過ごせるバイトであった。仕事は品出しとレジ打ちがメイン。そして掃除。まぁ、私が一番下っ端になるので、掃除を担当することに異存はなかったが、この店、おそろしく汚れていたのであった。「前に掃除をしたのはいつですか?」と、聞きたくなるくらいに、どこもかしこも汚かった。床はホコリだらけ。トイレも便器のフタやら、ヒーターの上にホコリがどっさり積もっていて、トイレ全体がグレーな雰囲気。最低限の掃除、つまり便座だけは、まぁ使える状態ではあった。店の陳列棚も、商品の後ろに綿ホコリがごっそり溜まっていて、お客さんもこれ見たら引くでしょ~ってくらいにバッチイ状態。売れ筋の商品の棚は、まぁまぁきれいだけど、たまにしか売れない商品の棚は、ホコリも一緒に陳列されてた。棚の下の床をホウキで探ろうものなら、綿ホコリと髪の毛や虫の死骸やなんだかわからんモノがたくさん出てきた。あんまり店がヒマなので、私はせっせと掃除しました。あちこちキレイになって、とりあえず自分がザワッとしない程度に衛生が回復された状態に。で、先輩バイト(女性)に質問しましたよ。「なんでこんなに汚いんですか?掃除しないんですか?」答えはこうだ。「2人しかいないので、あれこれ忙しいから」基本的に店長かバイトが休みの日に私が入って、2人体制を維持するという状況であった。しかし社員さんが産休に入る前は、3人体制の日もけっこうあったはず。それに、だ。実際、一緒に働いているから丸わかりなのだが、この店は「ヒマ」だ。仕事はいろいろあるのはわかる。でも、たいした量ではない。業務連絡確認と、受発注の連絡、接客、陳列、そんなもん。2人いればじゅうぶんだろ。というわけでやってるでしょうよ。「2人しかいないので、あれこれ忙しいから」という言い訳の説得力のなさよ。このバイトさんは、営業時間中にやっちゃえばいい仕事を昼間はなるべくズルズルダラダラやって、営業時間終わりぐらいから始めて「終わらないわ~」といいながら、残業して稼ぐというやり方をしているようで、あざといのであった。常に「忙しい」を言い訳にするが、日中は、私と果てしなくしゃべりして過ごして、これといって何もしないんだから、これはもう人間的にどうしようもない。掃除をしないのは、したくないからしないんだな、と理解した。接客が得意な人にありがちの迎合セリフでお茶を濁すのは得意。「ホントは私がちゃんと掃除しなきゃいけないんだけどね~」とか、反省してるっぽいことを、掃除している私の横で言う。自分は掃除しない。バイトも慣れてきて、まず来たら掃除する私に、「フリフリさんが来ると店がきれいになるわ~」「キレイ好きな人が来てくれて本当に助かるわ~」みたいな言葉に切り替わっていく。もはや、自分が掃除をしなきゃなどのウソも出ない。ちなみに店長は、掃除は自分の仕事じゃないと決めてるようで、「掃除?なにそれ、食べれるの?」みたいな人だから論外だ。2人とか3人の社会で、いくら店長だからと言ってこの立場が貫ける厚顔さもすごいもんだ。そうこうしているうちに時は流れ、産休の社員さんが無事に出産を終えて復帰。私は店をはなれ、普通にお客さんとしてちょくちょく顔を出すようになった。行く度に、店が汚れていくのがわかる。産休だった社員さんも掃除しない人だったのだ。この店は、全員掃除しない人なんだ、という戦慄。ある意味すげーですよ。レアですよ。再びホコリが溜まり、すっかり汚れ果てた店を見て、「掃除したほうがいいですよ~」と言うと「そうなんですよね~」とは言う。「やらなきゃ、とは思うんですけどつい、ね~」と、反省はしているらしい。でもやらない。結婚して子育てもしてるような女性が、ここまで掃除しないのも珍しい。いろいろ話を聞くと、なんと、この女性、家ではマメマメしく掃除をしているらしい。テーブルに何か食いこぼしなどがあると、速攻ふきとるような行動をしているという。「家ではすごくやるんだけど、店ではやらないんですよ」とのこと。えー?なんで?、家は大事だけど店はどうでもいいってこと?どうしてなのかは、彼女自身よくわからないそうだ。なので、私が勝手に分析した結果、店長もやらない、目下のアルバイトもやらない、なのに社員の自分がやるなんてイヤだ、という心理かなぁと。店長は、この女性社員になんでも面倒をみてもらっていて、はっきり言ってこの女性がいないと成り立たないくらいお世話になっちゃってる。その店長がなんにもやらない。ある意味、店長の分までこの女性は働いている。だから掃除までやりたくないんだろうな、と。そこは、きっと、プライドが許さないんだろうなと。3人しかいない職場だからこそ、こういうことになるのかもね。全員が「自分はこうだから」っていう勝手な立場を貫いている。そして誰も掃除しない。ルールがない。みんな「自分が掟」状態。そういう人ばかりの場所は、汚れるんだな。まぁ、ゆるくていい職場だったけど。ばっちいよ。【北欧雑貨】【北欧インテリア/mi woollies/ウールダスター】【楽ギフ_のし宛書/楽ギフ_包装/楽...
2014年10月03日
コメント(0)
ここ4~5年の間に、いろんな出会いがあって、いろんなことがあって、まぁ、それが普通。そしていろんなことを思うわけです。中でも一番考えさせられたのが、「掃除をしない人」について。正しくは「掃除をしない人々」ですね。一人だけじゃなくて、何人かそういう人が実際にいたからです。なんで、「考えさせられた」のかっていうと、結果的に、私が掃除をしなくてはならなかったからです。私としては、掃除というものは、しなくてはならないものだし、掃除するのが嫌ではないし、むしろ推奨されるべき行いとして認識しているし、掃除する自分に不満はなかったんだけど、空間を共有している人が、「掃除を全くしない態度」を貫くので、結果的に私だけが掃除をするという不公平が生まれて、そうなってくると、掃除は嫌いじゃないけど、「時間と手間と労働を要する事柄」を一方的に押し付けられている不満を感じざるを得ず、同時になんともいえない「怒り」に似たものさえ感じるようになってきて、そんな自分の心理状態に向き合うことが、つらかった。「掃除をしない人々」に悩んでる人は、けっこう多いみたいで、ネットの相談なんかを読んだりして、自分を慰めたりしてたんだけど、共感が生まれるほど自分と似たケースはなくて、モヤモヤはず~っと心に溜まってしまった。身近な人の話だけに、簡単に吐き出すこともできず、吐き出し方もわからない状態が続いていたんだけど、ふと、楽天ブログのことを思い出した。いや~、忘れてたなぁ~、ここw開設から10年ですよ。10周年オメデトウ自分。吐くぞ、吐くぞ。うひひひひ。当店人気ナンバー1の7玉長柄箒とちりとりのセット!玄関やお部屋用、リビングなど万能の長柄箒...
2014年10月02日
コメント(0)
ご無沙汰でございます。と、とりあえず、挨拶をしておこう。どうやら私自身の時も止まっていたようで、最近ようやく目が覚めた感がハンパないのであります。停滞しているモノを見て、「あ、自分と同じだ」などと思えるというのは、まことに精神的に不健康な状態であります。これから時計の針とともに先に進まねばなりません。置いてかれては、イカンのであります。というわけで、また。
2014年10月01日
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1